ザ・シネマ なかざわひでゆき
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COLUMN/コラム2020.08.06
血で血を洗うバイオレンスの応酬で描かれるデ・パルマ流ギャング映画『スカーフェイス』
ギャング映画の古典を現代にアップデート 劇場公開時は相当な物議を醸した作品である。ホラー&サスペンスの巨匠ブライアン・デ・パルマ監督にとって初めてのギャング映画。セックスとドラッグとバイオレンスが満載の過激な内容は、当時まだ高校生だった筆者を含めて若い世代の映画ファンからは熱狂的に受け入れられたものの、その一方で良識(?)ある評論家や大人たちからは眉をひそめられ、「不愉快だ」「冒涜的だ」「見るに堪えない」などと激しく非難された。そういえば、デ・パルマは『殺しのドレス』(’80)の時も同様の理由で叩かれまくったっけ。しかし、蓋を開けてみればどちらの作品も興行的には大成功。特に本作は、デ・パルマのキャリアにおいて『アンタッチャブル』(’86)や『カリートへの道』(’93)へと繋がる重要な通過点となった。今では映画史上最も優れたギャング映画のひとつに数えられている名作だ。 ご存じの通り、本作はハワード・ホークス監督によるギャング映画の古典『暗黒街の顔役』(’32)のリメイクに当たる。ストーリーの基本的な要素はオリジナル版とほぼ一緒。貧しい移民のチンピラが裏社会でのし上がり、一大犯罪帝国を築き上げて我が世の春を謳歌するものの、やがて金と権力がものをいう弱肉強食の世界に自らが呑み込まれて破滅する。恐らく最大の違いは、オリジナル版の主人公が禁酒法時代のシカゴで密造酒ビジネスを手掛けるイタリア系移民であったのに対し、本作の主人公トニー・モンタナはコカイン戦争真っ只中のマイアミを舞台に麻薬ビジネスで財を成すキューバ系移民であるという点であろう。 南米のコロンビアやボリビアから大量に密輸されるコカインが、深刻な社会問題となった’80年代のアメリカ。その入り口が常夏の避暑地マイアミを擁するフロリダ州であった。そして、そんなフロリダ州と海を挟んで目と鼻の先に位置するのがキューバ共和国。社会主義国家であるキューバは、当時まだアメリカと国交を断絶していたのだが、1980年4月20日に国家元首フィデル・カストロがアメリカへの亡命希望者に対してマリエル港からの出国を許可すると発表したことから、同年9月26日にマリエル港が閉鎖されるまでの5カ月間に渡って、実に12万5000人以上ものキューバ人がフロリダ州へと上陸した。その大半はカストロ体制を嫌う一般人や文化人だったが、中にはキューバ政府が厄介払いしたい犯罪者も含まれており、およそ2万5000人に逮捕歴があったとも言われている。本作はこうした当時の社会情勢をストーリーの背景として巧みに反映させており、ありきたりなリメイク映画とは一線を画する秀逸なアップデートが施されているのだ。 金もコネも学歴もないチンピラの成り上がり物語 物語の始まりは1980年の5月。マリアナ港から難民ボートでマイアミへ上陸した前科者トニー・モンタナ(アル・パチーノ)は、弟分マニー(スティーブン・バウアー)やアンヘル(ペペ・セルナ)らと共に難民キャンプへ強制収容されるものの、そこで麻薬王フランク・ロペス(ロバート・ロジア)の依頼を受けてカストロ政権の元幹部を殺害。その見返りとしてグリーンカードを取得し、晴れてアメリカ市民となる。 とはいえ、金もコネも学歴もないチンピラのトニーやマニーに出来る仕事と言えば、せいぜい飲食店の皿洗いが関の山。目の前で美女をはべらせ高級車を乗り回すスーツ姿のリッチなヤンキー男を眺めながら、俺だってああいう生活がしたい!こんなところで燻っていられるもんか!アメリカは誰にだってチャンスのある国じゃないか!と息巻くトニーは、持ち前の知恵と度胸とビッグマウスを武器に裏社会での立身出世を目論む。まず手始めにロペスの右腕オマール(F・マーリー・エイブラハム)から大口の麻薬取引代行を請け負ったトニーとマニー。ところが、お膳立てが整っているはずのコカインと現金の交換は、コロンビア人ギャングによる罠だった。 安ホテルでの壮絶な殺し合いの末にコカインを奪ったトニーだったが、しかし仲間のアンヘルが犠牲になってしまう。あのオマールって奴は信用ならない。ボスであるロペスのもとへコカインと現金を届けたトニーは、交渉の結果ロペスから直接仕事を引き受けることとなり、みるみるうちに裏社会で頭角を現していく。そんな彼を上手いこと利用するつもりでいたロペスだったが、しかしボリビアの麻薬王ソーサ(ポール・シェナー)との商談を独断で取りまとめ、自分の情婦エルヴァイラ(ミシェル・ファイファー)に公然と手を出そうとするトニーの大胆不敵な態度が目に余るように。このままでは自分の立場が脅かされる。そう感じたロペスは、殺し屋を差し向けてトニーを亡き者にしようとするも失敗。すぐさまトニーは仲間を集めて組織の事務所を襲撃し、ロペスだけでなく彼と癒着していた麻薬捜査官バーンスタイン(ハリス・ユーリン)をも殺害する。 かくして組織を乗っ取り新たなボスの座に君臨したトニーは、ソーサの強力な後ろ盾を得てビジネスを拡大していく。夢だった大豪邸も手に入れ、高根の花だったエルヴァイラとも結婚。貧しい暮らしをしていた大切な妹ジーナ(メアリー・エリザベス・マストラントニオ)にも贅沢をさせられるようになった。しかし、他人を蹴落として頂点に登りつめた者だからこそ、いつどこで誰に足を引っ張られるか分からない。猜疑心を深めるトニーは自らも麻薬に溺れるようになり、やがてエルヴァイラをはじめ周囲の人々との間にも亀裂が生じていく。そんな折、脱税容疑で窮地に立たされた彼は、ソーサから依頼された仕事で致命的な判断ミスを犯してしまう…。 デ・パルマとオリバー・ストーンのコラボレーション これぞまさしくアメリカン・ドリームの光と影。社会主義国キューバからやって来た貧しい移民が、資本主義社会における競争の原理を実践したところ、束の間の栄光の果てに破滅の道を辿ることになるという皮肉。確かに主人公トニーは犯罪者という分かりやすい悪人だが、しかし果たして彼のやっていることの本質は、アメリカの富を牛耳る一部の資本家や銀行家、政治家などと大して違わないのではないか。脚本を手掛けたオリバー・ストーンは、裏社会の栄枯盛衰という極めてドラマチックなストーリーを通して、物質的な豊かさばかりを追求するアメリカ型資本主義の歪んだ価値観に疑問を呈する。そこには、過度な自由競争を促して格差社会を広げる、当時のレーガン大統領の経済政策レーガノミックスに対する批判も見え隠れするだろう。そういう意味では、この4年後にオリバー・ストーンが監督する『ウォール街』(’87)とテーマ的に相通ずるものがあるようにも思える。 とはいえ、あくまでも本作が前面に押し出すのは、人間の浅ましい欲望と欲望がぶつかり合うセックス&バイオレンスの世界。堕落した資本主義の成れの果てのような虚飾の裏社会で、札束とドラッグに溺れる人々が更なる富を求め、醜い殺し合いを繰り広げていく。その露骨で赤裸々なこと!おかげで、最初に監督として白羽の矢が立っていたシドニー・ルメットは降板してしまう。実はイタリア系移民というオリジナル版の設定をキューバ系移民に変更したのもルメットのアイディア。しかし、どうやら彼は政治的なメッセージ性の高い社会派映画を目指していたらしい。ところが、仕上がって来た脚本は『仁義なき戦い』も真っ青のストレートなバイオレス映画。どう考えたってルメットの柄ではない。 そこで代役に指名されたのがブライアン・デ・パルマ。『悪魔のシスター』(’72)にしろ、『ファントム・オブ・パラダイス』(’74)にしろ、はたまた『キャリー』(’76)にしろ、それまで手掛けてきた作品のジャンルこそ違えども、観客にショックを与えて物議を醸すような映画は彼の十八番だ。本作の監督としては適任。しかも、前作『ミッドナイト・クロス』(’81)が不発に終わったデ・パルマは、ちょうど映像作家としての新たな方向性を模索していた。なるほど、彼にとって本作は文字通り「渡りに船」だったわけだ。 血で血を洗うような凄まじいバイオレンスの応酬、成金趣味丸出しのけばけばしい美術セットや衣装、’80年代を代表するヒットメーカーのジョルジオ・モロダーによる煌びやかなダンス・ミュージックを散りばめながら、ハイテンションで突っ走っていくデ・パルマの演出。放送禁止用語のFワードだって226回も登場する。こうした下世話なまでのトゥー・マッチ感こそが本作の醍醐味であり、オリバー・ストーンの脚本が描き出そうとしたレーガノミックス時代のアメリカの醜悪さそのものだと言えよう。 ただ、改めて今見直してみると、当時さんざん非難された暴力シーンも実はそこまで残酷じゃない。例えば、安ホテルのバスルームを舞台にした有名なチェーンソー惨殺シーンだって、実際はほとんど何も見せていないに等しい。スクリーンに映し出されるのは、犠牲者の苦悶の表情と大量に飛び散る血糊、そこから目を背けようと必死にもがくアル・パチーノの姿だけ。それらの間接的要素を矢継ぎ早に畳みかけることで、観客は正視に耐えないような光景を直接目撃したように錯覚するのだ。これこそが演出の力、映画のマジック。近ごろの『ゲーム・オブ・スローンズ』や『ハンニバル』のようなテレビ・シリーズの方が遥かに残酷だ。 そして、まるでイタリアン・オペラさながらのグランド・フィナーレ。屋敷へなだれ込んできた無数の殺し屋部隊を相手に、トニーが機関銃をぶっ放しまくる壮大な銃撃戦の圧巻なこと!オリジナル版の呆気ないクライマックスとは大違いだ。ちなみに、このシーンの撮影ではアル・パチーノが火薬を使って熱くなった小道具の銃に誤って触れてしまい、そのせいで左手に火傷を負ったことから、2週間の休養を余儀なくされたという。しかし、かといって撮影を中断するわけにもいかないため、その間にトニーと銃撃戦を演じる殺し屋たちをまとめ撮りしたそうなのだが、実はその際にスティーブン・スピルバーグが撮影に参加している。 スピルバーグとデ・パルマはお互いに無名時代からの仲間。かつて最初のハリウッド進出に失敗したデ・パルマは、大学時代の先輩である女優ジェニファー・ソルトとその親友マーゴット・キダーが同居するビーチハウスに半年ほど居候していたのだが、そこはマーティン・スコセッシやハーヴェイ・カイテルなどの若手映画人が将来の夢を語り合う溜まり場と化しており、その常連組の中にスピルバーグもいたのである。当初は見学だけのつもりで『スカーフェイス』のセットを訪れたスピルバーグだが、4台配置されたカメラのうち1台を彼が回すことになったという。ただ、具体的にどのカットがスピルバーグの撮ったものかはデ・パルマもハッキリと覚えていないそうだ。 ジョルジオ・モロダーの音楽とヒップホップ・カルチャーへの影響 もともとリメイクの企画を思いついたのはアル・パチーノ。かねてから『暗黒街の顔役』の評判を聞いていた彼は、たまたま通りがかったL.A.の名画座劇場で同作を初めて鑑賞したところ、主役を演じるポール・ムニの芝居にすっかり感化されてしまった。自分もトニー役をやってみたいと考えたパチーノは、『セルピコ』(’73)や『狼たちの午後』(’75)などで組んだプロデューサー、マーティン・ブレグマンに相談を持ちかけ、そこから本作の企画が始動したのだという。それだけに、トニー役を演じるパチーノの気迫は並大抵のものじゃない。賞レースではゴールデン・グローブ賞の主演男優賞候補のみに止まったが、むしろなぜオスカーから無視されたのか不思議なくらいだ。 そのトニーの相棒マニー役に起用されたのが、当時はまだ全くの無名だったスティーブン・バウアー。制作サイドの思い描いていたマニー像と驚くほど一致したため、実質的にオーディションなしの一発合格だったという。しかも、彼は3歳の時にマイアミへ移住したキューバ移民2世。これ以上望むことのない理想のキャスティングだったと言えよう。本作で一躍注目されたバウアーだが、しかしあまりにもマニー役のイメージが強すぎたせいで、その後のキャリアが伸び悩んだのは残念だった。それでもなお、現在に至るまで息の長い役者生活を続けているのだから立派なもの。テレビ『ブレイキング・バッド』で演じたメキシコ麻薬王役などは、この『スカーフェイス』あってこその仕事だったはずだ。 一方、裏社会の男たちに翻弄されるトロフィー・ワイフ、エルヴァイラ役のミシェル・ファイファーも好演。金と女と権力への欲望をたぎらせた男だらけのホモソーシャルな世界で、ただの性的なオブジェクトとしての役割しか与えられず、何か物申そうものなら「女のくせに」と頭ごなしでバカにされる。そんな屈辱的な日常を黙って受け入れているように見えつつ、次第に我慢しきれなくなり壊れていくエルヴァイラは、一見したところ地味に思えて実はかなり難しい役柄だ。当初、デ・パルマやパチーノが推したのはグレン・クローズだったそうだが、プロデューサーのブレグマンが最後まで粘ってファイファーをキャスティングしたという。これはどう考えたってブレグマンが大正解。動くバービー人形のようなミシェル・ファイファーでなければ全く説得力がない。 そのほか、ジーナ役のメアリー・エリザベス・マストラントニオにロペス役のロバート・ロジア、オマール役のF・マレー・エイブラハムにソーサ役のポール・シェナーと、脇を固める役者たちのどれもがはまり役。トニーの母親を演じるミリアム・コロンは、プエルトリコ系の有名な舞台女優で、『片目のジャック』(’61)と『シエラマドレの決斗』(’66)ではマーロン・ブランドと共演している。若い頃はえらく綺麗な女優さんだった。 なお、『フラッシュダンス』(’83)や『フットルース』(’84)の大ヒットにとって、オムニバス形式のサントラ盤ブームが巻き起こった当時だけあって、本作のサウンドトラックにも複数のアーティストが参加しているのだが、基本的に全ての楽曲でジョルジオ・モロダーが作曲・プロデュースを手掛けている。中でも要注目なのは、『アメリカン・ジゴロ』(’80)の主題歌でモロダーと組んだブロンディのリード・ボーカリスト、デビー・ハリーが歌う「ラッシュ・ラッシュ」。トニーが初めてディスコ「バビロン・クラブ」に足を踏み入れるシーンで使用されている。また、難民キャンプのシーンで流れるトロピカルなラテン・ナンバーを歌っているのは、『ダブルボーダー』(’87)や『バトルランナー』(’87)、『プレデター2』(’90)のヒロイン役で有名な女優マリア・コンチータ・アロンソ。実は彼女、もともと母国ベネズエラで歌手としてデビューしており、アメリカへ拠点を移してからも数々のラテン・ヒットを放っている人気ボーカリストだった。 そういえば音楽絡みの話題で忘れてならないのは、本作がその後のヒップホップ・カルチャーに少なからず影響を及ぼしていることだろう。アントン・フークアやイーライ・ロスといった映画人たちと並んで、ナスやリル・ウェインなど本作をこよなく愛し、自作でオマージュを捧げるラッパーが実は結構多いのだ。恐らく、社会の最底辺から裸一貫で成り上がっていくトニー・モンタナのストーリーに、我が身を重ねて共感するものがあるのだろう。■ 『スカーフェイス』(C) 1983 Universal Studios. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2020.08.06
巨匠ビリー・ワイルダーの巧妙な物語術に惑わされる傑作法廷サスペンス『情婦』
裁判の行方を根底から揺るがす容疑者の妻の証言とは…? ハリウッドの巨匠ビリー・ワイルダーによる、それは見事な法廷サスペンスである。『お熱いのがお好き』(’59)や『アパートの鍵貸します』(’60)を筆頭に、『麗しのサブリナ』(’54)に『七年目の浮気』(’55)、『あなただけ今晩は』(’63)などなど、師匠エルンスト・ルビッチ譲りの洗練されたコメディが日本でも親しまれているワイルダーだが、しかしその一方で出世作『深夜の告白』(’44)や『失われた週末』(’45)、『サンセット大通り』(’50)など、意外にダークでシリアスな作品も実は多い。まさしく硬軟合わせ持つ芸術家。彼が「ハリウッド黄金期における最も多才な映画監督のひとり」と呼ばれる所以だ。本作などは、そんなワイルダーの「多才」ぶりが遺憾なく発揮された映画だと言えよう。 舞台はロンドン。法曹界に名の知られた老弁護士ウィルフリッド卿(チャールズ・ロートン)は、心臓に大病を患い入院していたものの、看護婦ミス・プリムソル(エルザ・ランチェスター)の付き添いを条件に退院が許可される。久しぶりに事務所へ戻ったウィルフリッド卿だが、大好物の葉巻もウィスキーも禁じられているうえ、なにかと口うるさいミス・プリムソルにも辟易。すると、そんなところへ旧知の事務弁護士メイヒュー(ヘンリー・ダニエル)がやって来る。未亡人殺人事件の最重要容疑者と目されている男性レナード・ヴォール(タイロン・パワー)の弁護を、ウィルフリッド卿に引き受けて貰えないかというのだ。 それは、裕福な初老の未亡人エミリー・フレンチ(ノーマ・ヴァーデン)が自宅で何者かに撲殺されたという事件。自称発明家であるレナードは、ひょんなことからエミリーと親しくなり、彼女からの出資を期待して自宅へ出入りしていたらしい。自分は無実だと主張するレナードだったが、しかし未亡人の女中ジャネット(ユーナ・オコナー)が最後にエミリーと面会した人物は彼だと証言しており、なおかつ死後に発見された遺言書には8万ポンドの遺産相続人としてレナードが指名されている。はたから見れば遺産目的の殺人。明らかに状況は彼にとって不利だ。最初は病気を理由に弁護を断るつもりでいたウィルフリッド卿だったが、弁護士としての長年の勘からレナードが無実であると信じて引き受けることにする。 そうこうしていうちに警察が到着し、レナードは逮捕・起訴されることに。すると、入れ替わりでレナードの妻クリスチーネ(マレーネ・ディートリヒ)が弁護士事務所へ現れる。夫が殺人事件の容疑者として逮捕されたにも関わらず、顔色一つ変えることなく落ち着き払ったクリスチーネに違和感を覚えるウィルフリッド卿。ドイツ人の元女優である彼女は、終戦直後の貧しいベルリンで場末のキャバレー歌手として働いていたところ、当時駐留軍の兵士だった年下のレナードに見初められたという。夫のアリバイを証明するつもりのクリスチーネだったが、しかし被告人の婚姻相手の証言は裁判で疑われやすい。それに、彼女には重大な秘密があった。豊かなイギリスへ移住するため重婚を隠してレナードと結婚していたのだ。ウィルフリッド卿は不安要素の多いクリスチーネを証言台に立たせないことにする。 かくして、ロンドンの中央刑事裁判所オールド・ベイリーで始まった未亡人殺人事件の裁判。検察側は証人を巧みに誘導して裁判を有利に進めようと画策するが、老練なウィルフレッド卿は鋭い洞察力で次々と切り返していく。まさしく互角の戦い。むしろ、弁護側が優勢のように見えたのだが、しかし検察側はとっておきの隠し玉を準備していた。なんと、クリスチーネを証人として呼んでいたのだ。これはさすがのウィルフレッド卿も計算外。しかも、証人席に立ったクリスチーネから驚くべき発言が飛び出す。未亡人を殺したのはレナードだ、自分は夫から偽証を強要されたというのだ。どよめきに包まれる法廷。これにてレナードの有罪は動かしがたいものとなったと思われたのだが…? 原作は「ミステリーの女王」が手掛けた舞台劇 ネタバレ厳禁の作品ゆえ、これ以上のことをレビューに書けないのは惜しまれるが、とにかく終盤のどんでん返しに次ぐどんでん返しは圧巻で、数多のミステリーやサスペンスを見慣れた映画ファンでも驚きを禁じ得ないだろう。原作はアガサ・クリスティの戯曲「検察側の証人」。もともと短編小説として発表したものを、クリスティ自身が’53年に舞台劇として脚色した。細部まで徹底的に計算し尽くしたストーリー構成は、やはり「ミステリーの女王」たるクリスティの腕前であろう。とはいえ、作品全体としては明らかに「ビリー・ワイルダーの映画」に仕上がっている。 病院を退院して事務所へ戻ったウィルフリッド卿と看護婦ミス・プリムソルによる、夫婦漫才的な丁々発止のやり取りを軸としながら、最終的にウィルフレッド卿がレナードの弁護を引き受けるに至るまでの冒頭30分間の、スリリングかつ軽妙洒脱でリズミカルな展開の素晴らしいこと!これが単なる法廷サスペンスでもなければ犯罪ミステリーでもない、あらゆる要素を詰め込んだエンターテインメント映画であることを如実に印象づける。しかも、随所にフラッシュバック・シーンを織り交ぜてはいるものの、しかし全編を通して主な舞台は弁護士事務所と裁判所の2か所。それにもかかわらず、最後まで一瞬たりとも退屈したり間延びしたりすることがない。ウィルフリッド卿の眼鏡や魔法瓶、薬のタブレットなどの小道具をきちんとストーリーに活かした、細部まで遊び心を忘れない演出にも舌を巻く。映画的なストーリーテリングとはまさにこのことだ。 実は、クリスティの原作舞台劇にはウィルフリッド卿が病み上がりという設定も、看護婦ミス・プリムソルというキャラクターも登場しない。これらは映画版の脚本を手掛けたワイルダーとハリー・カーニッツ(『暗闇でドッキリ』『おしゃれ泥棒』)のアイディアだという。しかし、このウィルフリッド卿とミス・プリムソルこそが、欺瞞と虚構に彩られた本作における「真実」と「良心」の象徴であり、ストーリーそのものを牽引していく中核的な存在だ。恐らく、クリスティの原作をそのまま映像化していたら、ここまで面白い作品にはなっていなかっただろう。サプライズはあっても感動がなければ映画は成立しないのである。 もちろん、役者陣の卓越した芝居に負う部分も大きい。中でも、頑固でへそ曲がりだが人間味に溢れるウィルフレッド卿役のチャールズ・ロートンと、世話女房のように口うるさいがチャーミングで憎めないミス・プリムソル役のエルザ・ランチェスターは見事なもの。演技の息は完璧なくらいにピッタリ。さすが実生活で夫婦だっただけのことはある。撮影当時43歳と決して若くないものの、しかし母性本能をくすぐるダメ男レナード役にタイロン・パワーというのも適役。彼はこの翌年にスペインで心臓麻痺のため急逝し、結果的に本作が遺作となってしまった。 そして、クリスチーネ役のマレーネ・ディートリヒである。そもそも、彼女はビリー・ワイルダーが演出することを条件に本作のオファーを引き受けたと伝えられているが、フラッシュバックではミュージカル・シーンに加えて自慢の美脚まで披露するというサービスぶり。法廷シーンでの気迫に満ちた大熱演も見ものだし、ネタバレゆえ本稿では詳しく触れられないシーンの怪演にも驚かされる。本来ならばアカデミー賞ノミネートも妥当だったはずだ。 ―――ここから先は本編鑑賞後にお読みください――― ちなみに、そのディートリヒの怪演が光る鉄道ヴィクトリア駅のシーンだが、実はこれ、丸々全てスタジオのサウンドステージに作られたセットである。パッと見では分からないが、奥に映っている列車ホームは大きく引き伸ばされた写真だ。美術デザインを担当したのはフランス映画『霧の波止場』(’38)や『天井桟敷の人々』(’44)で知られるアレクサンドル・トローネル。『昼下りの情事』(’56)以降のワイルダー作品に欠かせないスタッフとなったが、一見したところロケ撮影としか思えない見事な仕事ぶりを披露している。もちろん、中央刑事裁判所もスタジオで再現されたセットだ。 なお、本作は当時からヒッチコック監督作品と誤解されることが多かったという。確かに、作品の雰囲気やストーリーはヒッチコックの『パラダイン夫人の恋』(’47)と似ている。あちらも主な舞台はロンドンの中央刑事裁判所で、セットの作りはほぼ同じだった。しかもチャールズ・ロートンまで出ている。ディートリヒは同じヒッチコックの『舞台恐怖症』(’50)でも、悪女的な役どころを演じていたっけ。なるほど、間違えられても無理はないかもしれない。■ 『情婦』(C) 1957 METRO-GOLDWYN-MAYER STUDIOS INC.. All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2020.09.04
ヴァン・ダムとハイアムズ監督が2度目のタッグを組んだアイスホッケー版“ダイ・ハード”!『サドン・デス』
巨大アリーナで繰り広げられるヴァン・ダムVSテロリストの攻防戦 ‘80年代半ばにチャック・ノリスが『地獄のヒーロー』(’84)で大ブレイクして以降、にわかにハリウッドで増えたのが格闘家出身のアクション映画スターである。ショー・コスギにドルフ・ラングレン、スティーブン・セガールにウェズリー・スナイプスなどなど。その中でも、セガールと並んで’80年代末~’90年代のハリウッド・アクションを牽引した存在がジャン=クロード・ヴァン・ダムだった。 ベルギーの出身で10代の頃から空手やキックボクシングの選手として国際大会で活躍し、チャック・ノリスの助太刀で映画界へ進出したヴァン・ダム。『サイボーグ』(’89)や『キックボクサー』(’89)などのB級映画で注目された彼は、ドルフ・ラングレンと組んだ『ユニバーサル・ソルジャー』(’92)の大成功でメジャー・スターの仲間入りを果たし、ピーター・ハイアムズ監督のSFアクション『タイムコップ』(’94)がキャリア最大の興行成績を稼ぐメガヒットを記録する。そのハイアムズ監督とヴァン・ダムが再びタッグを組んだ、アイスホッケー版『ダイ・ハード』とも呼ぶべき映画が、この『サドン・デス』(’95)である。 ヴァン・ダムが演じるのは、ピッツバーグのシビック・アリーナで消防管理の責任者を務める元消防士ダレン・マッコード。一時期メロン・アリーナとも呼ばれたシビック・アリーナは、かつてピッツバーグに実在した多目的アリーナで、NHL(ナショナル・ホッケー・リーグ)所属のホッケーチーム、ピッツバーグ・ペンギンズが本拠地にしていた場所だ。2年前まで地元の消防署に勤務していたダレンだが、しかし火災現場で幼い少女を助けることができなかった。その精神的な苦しみから立ち直れず、妻と離婚することになった彼は、消防士の職も辞してシビック・リーナの消防管理官へ転職していたのだ。 時はNHLのプレイオフトーナメント優勝チームを決めるイベント、スタンレー・カップ・ファイナルの真っ最中。ピッツバーグ・ペンギンズとシカゴ・ブラックホークスの対戦チケットを2枚入手したダレンは、再婚した妻のもとで暮らす息子タイラー(ロス・マリンジャー)と娘エミリー(ウィットニー・ライト)を観戦に連れていく。ところが、この試合の裏では恐ろしい計画が人知れず進行していた。テロリストたちが秘密裏に警備員や場内スタッフを殺害して入れ替わり、来賓として招かれたアメリカ合衆国副大統領ダニエル・バインダー(レイモンド・J・バリー)を人質とすべく狙っていたのだ。 テロリスト集団のリーダーは元CIA捜査官ジョシュア・フォス(パワーズ・ブース)。バインダー副大統領やピッツバーグ市長夫妻が試合観戦するVIPルームを占拠した彼は、アメリカ政府に対して17億ドルの身代金を要求する。指示した手順通り3回に分けて指定口座へ金を振り込まなければ、人質を一人ずつ見せしめとして殺害し、最終的にはアリーナの各所に仕掛けた爆弾を爆発させて観客を皆殺しにするという。 その頃、兄タイラーと喧嘩をして思わず座席を離れたエミリーは、運の悪いことにテロリストが場内スタッフを殺害する現場を目撃してしまい、人質としてVIPルームに囚われてしまう。そんな娘の後を追ってテロリストの存在に気付いたダレン。外部と連絡を取ろうにも通信手段が断たれており、アリーナの出入りはテロリスト一味が監視している。ようやく無線でシークレット・サービスの責任者ホールマーク(ドリアン・ヘアウッド)と連絡が付いたものの、テロリストに対して手も足も出ない彼らを頼りなく感じたダレンは、自ら単独で会場内に仕掛けられた幾つもの爆弾を解除し、テロリスト一味に立ち向かって娘を助け出そうとする…。 本物のアリーナで本物のホッケー選手を使って撮影された舞台裏とは? ストーリーはまさしく『ダイ・ハード』そのもの。ただし、こちらは2万人近くの観客を収容できるドーム型の巨大アリーナが舞台で、少なくともスケール感に関しては『ダイ・ハード』を上回っていると言えるだろう。しかも、ピッツバーグ・ペンギンズにシカゴ・ブラックホークスという実在のホッケーチームによる対戦試合を、主人公ダレンとテロ集団の壮絶な攻防戦と同時並行でフューチャーする本格的なスポーツ映画でもある。実際にシビック・アリーナで爆薬を使用したり、スケートリンクにヘリが墜落するなどの大掛かりな見せ場も含まれているため、当初オファーを受けたハイアムズ監督は本当に実現可能なのか?と首を傾げたそうだが、その疑問と不安はすぐに解消する。実は本作のプロデューサーであるハワード・ボールドウィンは、なんとピッツバーグ・ペンギンズのオーナーだったのだ! もともとアイスホッケーの興行主だったボールドウィンは、’72年にハートフォード・ホエーラーズを創設したことを皮切りに、サンノゼ・シャークスやミネソタ・ノーススターズなどのオーナーを歴任し、本作が制作された当時はピッツバーグ・ペンギンズを所有していた。その傍ら、元女優の妻カレンと共に映画の制作会社を設立し、アカデミー作品賞候補になったレイ・チャールズの伝記映画『Ray/レイ』(’04)をはじめ、カルト・ホラー『ポップコーン』(’91)やスティーブン・セガール主演『沈黙の陰謀』(’98)、ジェームズ・ワン監督の犯罪アクション『狼たちの死刑宣告』(’07)など、数多くの映画を世に送り出している。本作のプロデューサーとしてはまさにうってつけの人物だと言えよう。 そのボールドウィン夫人カレン(本作では原案としてクレジットされている)の、「シビック・アリーナを舞台に『ダイハード』みたいな映画を作ったら面白いかも」という思いつきが企画の発端だったとのこと。大きな見せ場のひとつとなるホッケーの試合シーンは、’94年10月1日にシビック・アリーナで予定されていた、ピッツバーグ・ペンギンズVSシカゴ・ブラックホークスの本物の試合を撮影して本編に織り交ぜるはずだった。ところが、NHLの経営陣と選手の間で契約を巡る軋轢が起き、’94~’95年シーズンの前半試合が中止されてしまう。 そのため、制作陣はNHLの許可を得てペンギンズとマイナー・リーグのクリーヴランド・ランバージャックスとの練習試合をセッティングし、ランバージャックスの選手たちにブラックホークスのユニフォームを着せ、およそ1万人のエキストラを集めて撮影したのだが、いまひとつ迫力に乏しかったため、別のマイナー・チームにペンギンズとブラックホークスのふりをさせて撮り直ししたものの、そちらの試合映像もボツとなってしまう。結局、地元の元プロ選手や元大学リーグ選手をかき集め、およそ4カ月に渡って撮影された試合映像が最終的に使用されることとなったのだそうだ。 ヴァン・ダムはスケートが大の苦手だった!? とはいえ、本編にはリュック・ロバタイユやケン・レジェットなど、ペンギンズ所属の本物のスター選手たちが本人役で登場。面白いのは、当時現役を引退したばかりの選手ジェイ・コーフィールドが、ブラッド・トリヴァーという架空のゴールキーパー役で出演していること。性格的に少々問題のあるコワモテの選手という設定であるため、実在のゴールキーパーを使うわけにはいかなかったのかもしれない。 そのトリヴァーが試合中に体調を崩してロッカールームで休んでいたところ、テロリストに追われたダレンが寝ている彼のユニフォームとマスクをこっそり拝借して変装し、そのまま試合に出なければならなくなるシーンも本作のハイライトのひとつ。実はこれ、ソ連のホッケー選手が国際試合で敵チームの選手に化けて亡命を謀る…という、ボールドウィン夫妻が予てから温めつつも実現しなかった映画のプロットを流用したのだそうだ。ちなみに、ヴァン・ダムはスケートが大の苦手だったため、ホッケー靴ではなくテニスシューズを履いて撮影に臨み、ロングショットでは別人のスタントマンがダレン役を演じている。 また、ダレンが氷上から客席の息子へ「愛している」のハンドサインを送るシーンは、ハイアムズ監督が自らの希望で盛り込んだアイディア。実はこれ、監督の子供たちがまだ幼い頃、テレビ「セサミ・ストリート」を見て覚えたサインで、それ以来、ハイアムズ親子の間でずっと使われてきたのだという。劇中では、難しい年頃に差しかかった息子タイラーに手を焼いていた主人公ダレンが、我が子ばかりでなく大勢の人々をテロリストから守らねばならないという重責を担う中、改めて父親としての愛情をきちんと息子に伝えるべくハンドサインを送るわけだが、もしかするとハイアムズ監督はそんなダレンの親心に我が身を重ねていたのかもしれない。■ 正直なところ、欠点の少なくない作品ではある。主犯格フォスをはじめとするテロリストたちはマンガ的過ぎて嘘っぽいし、都合の良すぎる展開や回収しないまま放置された伏線も目立つ。それでもなお、孤高のヒーローVSテロリストの攻防戦と白熱するアイスホッケーの試合を同時進行で絡めながら展開するストーリーのスリルは格別だし、なによりも映画にとって肝心要となるアイスホッケーの描写に手抜きをせず、ちゃんとその道のプロや経験者を集め、手間と暇と予算を惜しまなかったことが、結果として功を奏したように思える。要するに、職人がちゃんと真面目に作ったB級エンターテインメントだ。 なお、劇場公開時はアメリカ国内よりも国外での評判が高く、興行的には『タイムコップ』ほどの成功には至らなかった本作だが、ヴァン・ダム・ファンの間では根強い人気を誇り、近々マイケル・ジェイ・ホワイト主演による続編「Welcome to Sudden Death」がNetflixオリジナル映画として配信される予定。また、デイヴ・バウティスタが主演と製作を兼ねた『ファイナル・スコア』(’18)が、アイスホッケーをサッカーに変えた以外はほぼ同じような内容で、『サドン・デス』に負けず劣らず良く出来た映画だった。そちらも併せておススメしたい。『サドン・デス』(C) 1995 Universal City Studios. Inc. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2020.09.07
ロシア産SF映画史上最大のヒットを記録したSFパニック大作『アトラクション 制圧』
ソビエト時代から連綿と受け継がれるSF映画の伝統近年、ロシア産のSF映画が徐々に注目を集めつつある。今年だけでも『ワールドエンド』(’19)に『アンチグラビティ』(’19)、そして『アトラクション 制圧』(’17)の続編である『アトラクション/侵略』(’20)などが相次いで日本へ上陸。かつては、ロシアのSF映画というとアンドレイ・タルコフスキーの『惑星ソラリス』(’72)や『ストーカー』(’79)くらいしか思い浮かばない日本人も多かったと思うが、それももはや「今は昔の話」と呼ぶべきだろう。 こうしたロシア産SF映画のムーブメントは、恐らくティムール・ベクマンベトフ監督による『ナイト・ウォッチ』(’04)と『デイ・ウォッチ』(’06)の世界的なヒットがきっかけだったように思う。どちらもジャンル的にはファンタジーに分類される作品だが、しかしロシアでもハリウッドのようにVFXを多用したエンターテインメント映画が成立することを証明したことの意義は大きく、これ以降ロシアでも『プリズナー・オブ・パワー 囚われの惑星』(’08~’09)や『タイム・ジャンパー』(’08)とその続編『タイムソルジャー』(’10)、露米合作『ダーケストアワー 消滅』(’11)など、ハリウッド路線のSF映画が続々と作られるようになる。 ただ、振り返ればソビエト時代からロシアにはSF映画の長い伝統と歴史がある。その原点がフリッツ・ラングの『メトロポリス』(’27)や『月世界の女』(’29)を先駆けたSF映画の古典『アエリータ』(’24)。世界で初めて宇宙旅行をリアルに描いたとされる『宇宙飛行』(’35)も忘れてはならない。アレクサンドル・コズィリ&ミカイル・カリューコフ監督の『大宇宙基地』(’59)やパーヴェル・クルチャンツェフ監督の『火を噴く惑星』(’61)は、アメリカのB級映画製作者ロジャー・コーマンが追加撮影と再編集を施し、複数の全く違う映画へ変えてしまったことで有名だ。 また、ティーンエージャーたちが宇宙船に乗って銀河系へ冒険の旅に出る「モスクワ=カシオペア」(’74・日本未公開)とその続編「宇宙の十代たち」(’75・日本未公開)は、西側の特撮SFアドベンチャー映画を知らないソビエトの青少年にとって、いわば『スター・ウォーズ』や『スター・トレック』みたいなものだったとも言えよう。他にも、エイリアンと人類のファースト・コンタクトを抒情的に描く『エバンズ博士の沈黙』(’74)は大人向けの優れたSF映画だったし、独特のシュールな世界観が強烈な印象を残す『不思議惑星キン・ザ・ザ』(’86)は日本でも大ヒットした。このように、かつてのロシアではタルコフスキー作品以外にもSF映画の製作が盛んだったのである。 しかし、ソビエト連邦の解体によってロシア経済が低迷した’90年代、制作コストのかかるSF映画は敬遠されるようになってしまう。いわば空白の時代だ。それだけに、’00年代半ば以降のロシア製SF映画の復権と台頭は素直に喜ばしいし、なにより伝統あるロシア映画界がいよいよハリウッドばりのSF大作映画を作るようになったことに感慨深いものがある。まあ、あくまでもまだ発展途上にあることは否めないため、どうしても大ヒットしたハリウッド映画のパクリみたいな作品は少なくないし、技術的に洗練されているとは言い難い部分も見受けられるが、しかしそこは実績を重ねるうちに成熟していくはずだ。そういう意味において、ロシアのSF映画史上最大の興行収入を稼いだ本作『アトラクション 制圧』は、ひとつのターニングポイントになった作品とも言えるだろう。あくまでもロシア的なものにこだわったストーリーと世界観舞台は現代のロシア。モスクワ郊外の北チェルタノヴォ地区では、人々が珍しい隕石雨の観測を心待ちにして大空を眺めている。ところが、その隕石雨の中には故障した宇宙船が紛れ込んでおり、そのことに気付いたロシア軍の迎撃機がミサイルを命中させたところ、宇宙船は住宅街に墜落して200人以上の住人が犠牲となってしまう。宇宙船から降り立ったのは未知のエイリアン。果たして、地球へ何をしにやって来たのか?エイリアンと対峙したロシア非常事態省のレベデフ大佐(オレグ・メンシコフ)は、少なくとも相手に攻撃する意思がないことから、無用の争いを避けるためにも戒厳令を敷いて事態を静観することを政府に進言する。 しかし、これに不満を隠せないのがレベデフ大佐の一人娘ユリア(イリーナ・スタルシェンバウム)。親友スヴェタを墜落事故で亡くした彼女は、その原因を作ったのがロシア軍側にあることも知らず、エイリアンが地球を侵略しに来たものと決めつけ復讐を決意する。恋人チョーマ(アレクサンドル・ペトロフ)とそのチンピラ仲間たちを集め、封鎖された事故現場へと忍び込んだユリアは、そこでエイリアンとばったり遭遇。驚いて転落しそうになった彼女をエイリアンが助けるものの、そうとは知らないチョーマたちは身代わりに転落したエイリアンの強化スーツを奪い去っていく。 一方、自分を助けるために重傷を負ったエイリアンを救出するユリア。ヘイコン(リナル・ムハメトフ)と名乗るエイリアンは人間とソックリで、しかも流暢なロシア語を話す。彼はたまたま事故で地球へ飛来しただけで、47光年先にある故郷の惑星へ戻ることを望んでいた。だが、そのためには現場からロシア軍が持ち去ったシルクという物体が必要だ。そこで、シルクを取り戻すべく力を貸すことにしたユリアは、やがて純粋で心優しいヘイコンと深く愛し合うようになる。だが、それを知って嫉妬の炎を燃やすチョーマは、一般大衆のエイリアンに対する恐怖心や復讐心を煽って自警団を組織し、宇宙船を破壊してヘイコンを亡き者にしようとする…というわけだ。ある日突然、空から巨大な宇宙船が地球へ飛来し、人類がパニックに陥るという侵略型SFのパターンを踏襲しつつ、実は友好的だったエイリアンの存在を通して、有史以来争いや殺し合いに明け暮れる人類の野蛮な愚かさが炙り出されていく。そうしたプロット自体は『地球が静止する日』(’51)の昔から使い古されてきたものだが、しかしそこへ未知なる他者へ対する不寛容や憎悪に煽られる大衆心理、盲目的な愛国心の危うさなど、昨今の国際情勢を取り巻く不穏な要素を散りばめることで、極めて現代的なSFドラマとして仕上げられていると言えよう。 基本的に原作物が多いロシア産SF映画にあって、本作は近年増えつつあるオリジナル・ストーリー物なのだが、それでも実は元ネタになった出来事がある。それが、’13年10月にモスクワ南部で起きた「ビリュリョーヴォ地区の騒乱」だ。工業地帯であるビリュリョーヴォ地区に暮らす25歳の若者が刺殺され、目撃された犯人が中央アジア系の移民であったことから、増加する一方の不法移民やそれを黙認する当局に対する地元住民の不満が爆発。大規模なデモは近隣都市へと飛び火し、ロシア人の若者と移民の間で暴力的な衝突まで発生した。フョードル・ボンダルチュク監督は本国公開時のインタビューで、「これは我々ロシア人全員に関係する問題を描いているからこそ、私の手で映画化しなくてはならないと思った」と語っているが、本作では現代ロシアに蔓延する深刻な民族対立を憂慮し、多様性のある成熟した社会の実現を願う意図があることは間違いないだろう。そういう意味で、現代的であると同時に非常に“ロシア的”なテーマを扱った映画でもある。 エイリアンの宇宙船や強化スーツの洗練された独特なデザインを含め、ロシア産SF映画がたびたびハリウッド映画の物真似と揶揄されがちだからこそ、なるべく“ロシア的”であることにこだわったというボンダルチュク監督。ソビエト時代の国民的な俳優・監督だったセルゲイ・ボンダルチュクを父親に持つ彼は、ロシアを代表するSF作家ストルガツキー兄弟の小説を映画化したSF超大作『プリズナー・オブ・パワー 囚われの惑星』も手掛けているが、恐らく本作においては従来のハリウッド的なるものと決別した、よりロシア映画らしいSFエンターテインメントの世界を模索したのかもしれない。先述したように、本国では歴史的な大ヒットを記録した金字塔的な映画だが、ここからロシア産SF映画がどのように発展していくのか要注目だ。 ちなみに、ロシア映画ファンにとって興味深いのは、チョーマ役のアレクサンドル・ペトロフとレベデフ大佐役のオレグ・メンシコフの顔合わせであろう。人気の伝奇ホラー・ファンタジー『魔界探偵ゴーゴリ』(’17~’18)シリーズで、それぞれ若き日の文豪ニコライ・ゴーゴリとその相棒グロー捜査官を演じた名コンビ。ペトロフは現在ロシアで最も売れている若手俳優のひとりで、リュック・ベッソン監督の『ANNA/アナ』(’19)ではヒロインのダメ亭主を演じていた。一方のメンシニコフは巨匠ニキータ・ミハルコフの作品に欠かせない名優で、中でも『太陽に灼かれて』(’94)に始まる「ナージャ三部作」のKGB幹部ドミートリ役で有名だ。■『アトラクション 制圧』(C) Art Pictures Studio
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COLUMN/コラム2020.10.09
無敵のサイキック美少女の壮絶リベンジを描く韓流SFアクション!『The Witch/魔女』
徹底した娯楽精神と惜しみないサービス精神は韓国映画の強み さながら韓国版『ストレンジャー・シングス』もしくは『エルフェンリノート』である。『パラサイト 半地下の家族』(’19)がカンヌ国際映画祭のパルムドールとアカデミー賞の作品賞をダブルで制し、今や紛れもないアジア最大の映画大国となった韓国。その成功の秘訣は高い芸術性や自由で豊かな創造力など幾つも挙げられると思うが、中でも大きな強みとして欠かせないのは徹底した娯楽精神と惜しみないサービス精神だ。 近年のヒット作『新感染 ファイナル・エクスプレス』(’17)や『EXIT イグジット』(’19)、『エクストリーム・ジョブ』(’19)にしても、実はジャンルやプロットそのものは決して目新しくない。むしろ散々使い古されてきたものと言っても差し支えないだろう。しかし、韓国映画はそこに独自の視点で新たな“ひねり”を加え、アクションありユーモアありサスペンスありバイオレンスありの大盤振る舞いによって、極上のエンターテインメント作品へと昇華させるのが非常に上手い。このサイキック美少女アクション『The Witch/魔女』(’18)もまた同様だ。 先述した『ストレンジャー・シングス』や『エルフェンリノート』はもとより、『AKIRA』や『炎の少女チャーリー』、『スキャナーズ』などなど、似たような題材の映画やコミック、テレビシリーズを挙げればきりがないのだが、しかし「おっと、そうきますか!」というユニークな着眼点にワクワクさせられ、中盤のアッと驚くような“ひねり”に大興奮させられ、畳みかけるようなスリルとアクションとバイオレンスに圧倒される。これぞ韓国映画の醍醐味と言えるだろう。 謎の施設から脱走した少女の正体とは…? 物語の始まりは森に囲まれた謎の施設。責任者らしき女性ドクター・ペク(チョ・ミンス)が到着すると、そこは一面が血の海となっている。夜の闇に紛れて逃走する幼い少女。ドクター・ペクの手下ミスター・チェ(パク・ヒスン)率いる捜索隊が少女を追跡するも取り逃がしてしまう。どのみち少女は死んでしまうと言い残して去っていくドクター・ペク。その頃、森を抜けた少女は農場へとたどり着き、その姿を見かけた酪農家ク夫婦によって助けられる。 それから10年後。ジャユン(キム・ダミ)と名付けられた少女はク夫婦に育てられ、どこにでもいる平凡な女子高生として暮らしている。かつてアメリカ在住の建築家だった養父と養母は、交通事故で子供と孫を失っていたため、ジャユンには惜しみない愛情を注いできた。農場へ来る以前の記憶が一切ないジャユンだが、養父母だけでなく地元の住民たちからも可愛がられ、口が悪いけど気は優しい親友ミョンヒ(コ・ミンシ)と幸せで楽しい青春を謳歌しているようだ。 しかし、そんな彼女にも大きな悩みがあった。養父母の経営する農場が財政難に陥っていたのだ。そればかりか、ジャユンは定期的に起きる原因不明の激しい片頭痛に苦しみ、すぐに骨髄移植をしなくては余命2~3カ月だと医師に宣告される。だが、これ以上養父母に心配をかけるわけにはいかないと、ジャユンは病気のことを周囲には隠していた。なんとかして両親を楽にさせてあげたい。そう考えていたところ、ミョンヒからテレビのオーディション番組「スター誕生」の存在を知らされたジャユンは出場を決意。賞金を獲得して農場の借金返済へ充てることに望みを賭けたのだ。 愛らしい容姿と歌の上手さを活かして、見事に地方予選を勝ち抜いてソウルで行われる本選への出場を決めたジャユン。しかし、地方予選のテレビ放送を見た養父母は困惑する。というのも、審査員から特技を見せてくれと言われたジャユンは、マイクを宙に浮かせる“マジック”を披露したのだ。だが、これはマジックなどではなかった。幼少期から不思議な超能力を備えていたジャユンは、それを決して人前で見せてはいけないと養父母から固く注意されていた。世間は自分たちと違う人間を放っておかないから…と。 その頃、同じ放送を見ていたドクター・ペクとミスター・チェは驚く。これはあの逃げた少女に違いない、まだ生きていたのか!と。10年前に事件の起きた施設は、とある巨大企業の生物学研究所だった。そこでドクター・ペクは、遺伝子操作によるミュータントを生み育てることに成功していたのだ。ジャユンはその中のひとりだった。しかも、彼女には他の実験体とは比較にならないほどの優れた知能と超能力と残酷性が備わっており、“怪物”とまで呼ばれる最強のサイキック少女だったのである。 この日を境として、ジャユンの周辺で怪しげな人物が次々と暗躍する。ソウルへ向かう列車でジャユンとミョンヒの前に姿を現す若い男性(チェ・ウシク)、テレビ局の前で待ち伏せていた芸能事務所社長を名乗る男とボディガードたち。最高の実験体を自らの手元に取り戻したいドクター・ペクと、ジャユンを脅威と考える会社の指示で動くミスター・チェ、それぞれが追手を差し向けていたのだ。自分の正体を知らないジャユンは困惑して恐怖に怯えるものの、しかし愛する養父母やミョンヒに危険が迫った時、長く眠っていた彼女の凄まじい能力が一気に覚醒する…。 主演は『梨泰院クラス』のキム・ダミ! ネタバレするわけにはいかないため、残念ながらこれ以上多くは語れないものの、しかしヒロインのジャユンが“生みの親”たるドクター・ペクと対面し、ある衝撃的な真実が明かされる中盤にこそ、本作の核心的なテーマが秘められていると言えるだろう。果たしてジャユンの正体は善なのか悪なのか。そもそも、絶対的な悪=殺人兵器として生を受けた者が、その成長過程によって善へと生まれ変わることは可能なのか。人格形成のプロセスには遺伝子や家庭環境の影響など諸説あるものの、本作は善悪の境界線を曖昧にすることで、その答えを観客の想像と判断に委ねつつ、いったいジャユンの本性はどちらなのか?超能力者として覚醒した彼女は次に何をするのか?というサスペンスを盛り上げる。 もちろん、最強の殺人者としてのポテンシャルをフルに発揮していくジャユンの無双ぶりも大きな見どころだろう。なにしろ、それまでごく普通のか弱い女の子にしか見えなかった彼女が、不敵な笑顔を浮かべながら圧倒的な破壊力を駆使し、次々と悪人どもをなぎ倒していくのだから、そのカタルシスたるやハンパがない。もはやサイキック・バトルというよりも一方的な大虐殺。CGやワイヤーワークを全面に出し過ぎないスタント・アクションも完成度が高い。 監督と脚本を手掛けたのは、『悪魔を見た』(’10)の脚本家として注目され、『新しき世界』(’13)や『V.I.P.修羅の獣たち』(’17)などの韓流バイオレンスをヒットさせて来たパク・フンジョン。これまでハードボイルドな男性映画ばかり撮ってきた彼にとって、本作は珍しいSFアクション系の作品であり、同時に初めて“強い女性”をメインに据えた映画でもある。ヒロインのジャユンは勿論のこと、男社会たる組織での不満を抱えたマッド・サイエンティストのドクター・ペクもまた、ままならぬ人生を自分の思い通りに切り拓こうと闘うタフな女性だ。こうした、ある種のフェミニズム的な傾向もまた本作の意外な要素であり、パク・フンジョン監督の成長と変化を如実に感じさせる。 ジャユン役を演じるのは、参加者1500人のオーディションを勝ち抜いた新人キム・ダミ。日本で大ヒットしたばかりのテレビドラマ『梨泰院クラス』(’20)でもお馴染みの女優だ。これが初の大役だった彼女は韓国内の新人賞を総なめにし、たちまちトップスターの座へと躍り出た。それもそのはず、とにかく恐ろしいくらいに演技が上手い。しかも、あどけない少女の面影を残す無垢な存在感が、天使と悪魔の顔を併せ持つジャユンの得体の知れなさを引き立てる。対する悪女ドクター・ペク役のチョ・ミンスは、キム・ギドク監督の『嘆きのピエタ』(’12)で大絶賛された女優。また、『パラサイト 半地下の家族』の息子役で知られる純朴系俳優チェ・ウシクが、珍しくクールな悪役を演じているのも要注目だ。 なお、数々の謎を残して終わるエンディングをご覧になれば分かるように、本作はシリーズ映画の第1作目に当たる。一説によると三部作になるとも言われているが、最新の情報によると新型コロナのため第二弾の制作はスケジュールを調整中のようだ。■ 『The Witch/魔女』© 2018 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2020.12.03
フェリーニ映画という比類なきジャンルを確立した迷える映画監督の精神的な深層世界『8 1/2』
イタリア映画黄金期の寵児となった巨匠フェリーニ 2020年に生誕100年を迎えたイタリア映画の巨匠フェデリコ・フェリーニ。1920年1月20日に北イタリアの沿岸都市リミニに生まれた彼は、「映画がなければサーカスの座長になっていた」と本人が語るほど、幼少期はサーカスの世界に魅了されていたという。しかし、フェリーニが大人になる頃には旅回りのサーカスも衰退し、その代わりに映画が娯楽の王様となっていた。’39年にローマの新聞社で働くようになったフェリーニだが、そこで知り合った同僚がチェザーレ・ザヴァッティーニやエットーレ・スコラ、ベルナルディーノ・ザッポーニなど、後のイタリア映画界を背負って立つ偉大な才能たち。この新聞社時代のエピソードは、スコラの遺作となったドキュメンタリー映画『フェデリコという不思議な存在』(’13)にも詳しい。 やがてラジオの放送作家としても活動するようになったフェリーニは、取材で意気投合した名優アルド・ファブリーツィの紹介で映画の脚本も手掛けるように。その頃出会ったのが、後にフェリーニ映画のミューズとなる女優ジュリエッタ・マッシーナだった。当時ラジオの声優をしていたジュリエッタとフェリーニは’43年に結婚。戦争末期に生活のため風刺画屋を始めた彼は、店を訪れた映画監督ロベルト・ロッセリーニの依頼で、ネオレアリスモ映画の傑作『無防備都市』(’45)の脚本に参加する。これを機にロッセリーニやアルベルト・ラットゥアーダのもとで修業し、映画作りのノウハウを学んでいったフェリーニは、そのラットゥアーダとの共同監督で映画『寄席の脚光』(’51)の演出を手掛ける。 次回作『白い酋長』(’52)で一本立ちした彼は、3作目『青春群像』(’53)で早くもヴェネツィア国際映画祭の銀獅子賞を受賞。続いて妻ジュリエッタを主演に据えた『道』(’54)は日本を含む世界中で大ヒットを記録し、アカデミー外国語映画賞にも輝いた。そんな飛ぶ鳥を落とす勢いのフェリーニにとって、大きな転機となったのがカンヌ国際映画祭のパルムドールを獲得した『甘い生活』(’60)だ。 そんなグイドの脳裏をよぎるのは、田舎の祖母(ジョージア・シモンズ)の家で若い乳母たちにチヤホヤされて育った幼少期、海辺の小屋に住む大女の娼婦サラギーナ(エドラ・ゲイル)とルンバを踊って神学校の教師に折檻された少年時代などの甘酸っぱい思い出。そして、理想の美人女優クラウディア(クラウディア・カルディナーレ)の幻影。夢の中に現れる両親(アンニバーレ・ニンキ、ジュディッタ・リッソーネ)に救いを求めるが、当然のことながら叶うはずもない。そうかと思えば、ホテルでたびたびすれ違うミステリアスな貴婦人(カテリーナ・ボラット)に興味をそそられるグイド。とりとめもない記憶やイメージを脚本に盛り込んでいくが、助言を求めた高名な映画評論家カリーニ(ジャン・ルゲール)からはことごとくダメ出しを食らう。 心細くなってしまったのか、グイドは夫婦仲の冷めかけた妻ルイーザ(アヌーク・エーメ)とその親友ロセッラ(ロセッラ・ファルク)らを湯治場へ呼び寄せるものの、運の悪いことに愛人カルラと鉢合わせてしまう。嘘に嘘を重ねる不誠実な夫に愛想を尽かすルイーザ。とはいえ、グイドの女好きは少年時代からの筋金入り。それをしつこく責められてうんざりした彼は、これまでの人生で出会ってきた女たちを支配する自分だけのハーレムを夢想して現実逃避する。一方、そんなグイドをよそに映画の製作準備は着々と進み、宇宙船発射台のオープンセットまで完成。もはやこれ以上は待てないと、製作者パーチェはテストフィルムを上映してグイドにキャスティングの決断を迫る。しかし、私生活を自分の都合よく解釈した内容に激怒したルイーザが彼のもとを立ち去り、ようやく出演オファーを引き受けてくれた女優クラウディアからは脚本を批判され、あなたは愛を知らないと言われてグイドは茫然とする。そして、製作発表の記者会見が行われることに。いよいよ逃げ場を失ってしまったグイドの取った行動とは…? 理解する映画ではなく心で感じる映画 これといって明確なストーリーラインはなく、そればかりか夢と現実と空想の境界線すら曖昧なまま、とりとめのないイメージやエピソードを羅列することによって、創作の危機に追い詰められた映画監督の混沌とする精神的な深層世界を掘り下げていく本作。実際、『甘い生活』で世界的な巨匠へと上りつめ、次回作への期待が高まる存在となったフェリーニは、大物製作者アンジェロ・リッツォーリと新作映画の契約を交わしたものの、肝心要となる脚本の執筆は思うように進まず、しまいには自分が何を描きたいのかも分からなくなってしまったという。そこで閃いたのが、今の自分が置かれた状況をそのまま映画にすることだったというわけだ。
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COLUMN/コラム2020.12.03
ベルトルッチの転機となった幻惑的なポリティカル・ミステリー『暗殺のオペラ』
ヒットに恵まれなかった初期のベルトルッチ 世界的に「革命の季節」とも呼ばれた’60年代末。イタリアでも’66年のトレント大学文学部の占拠や、’67年のサクロ・クオーレ・カトリック大学の3万人抗議デモといった学生運動が一気に盛り上がり、時を同じくして映画界でも反体制的な若手映像作家が次々と台頭する。その代表格が『ポケットの中の握り拳』(’65)のマルコ・ベロッキオであり、後に『青い体験』(’75)などのエロス映画を大成功させるサルヴァトーレ・サンペリであり、『殺し』(’62)で一足先にデビューしていたベルナルド・ベルトルッチだった。 イタリアの有名な詩人・学者であるアッティリオ・ベルトルッチの長男として生まれ、ブルジョワ階級の恵まれた家庭で育ったベルトルッチは、父親の親しい友人だったピエル・パオロ・パゾリーニの助監督として映画界入りし、そのパゾリーニの助力によって21歳という若さで監督デビューを果たす。処女作『殺し』は批評家から概ね好評で、ヌーヴェルヴァーグに多大な影響を受けた『革命前夜』(’64)もカンヌ国際映画祭で絶賛される。続く『ベルトルッチの分身』(’68)もヴェネチア国際映画祭のコンペティションに出品されたが、しかしいずれの作品も興行的には残念ながら不発に終わってしまう。 そんな折、イタリアの公共放送局RAIの出資でテレビ向けに映画を撮るという企画がベルトルッチのもとへ舞い込む。あくまでもテレビで放送されること大前提だが、しかし製作に当たっての条件は通常の映画と変わらないし、イタリア国外では劇場用映画として配給される。そこでベルトルッチは、アルゼンチンの作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスの短編小説「裏切り者と英雄のテーマ」を題材に選び、アイルランドが舞台の原作をイタリアへ置き換えて映画化することになる。それがこの『暗殺のオペラ』(’70)だったというわけだ。 反ファシズムの英雄だった父の死の真相を探る息子 中世の街並みをそのまま残す北イタリアの田舎町タラ。人気のない寂れた駅で一人の青年が列車から降りる。彼の名前はアトス・マニャーニ(ジュリオ・ブロージ)。タラが生んだ有名な反ファシズムの英雄アトス・マニャーニ(ジュリオ・ブロージ二役)の同姓同名の息子だ。町の老人たちは父親と瓜二つの息子を見て驚く。それは今から30年ほど前、1936年6月15日のこと。町で唯一のオペラ劇場でヴェルディの「リゴレット」を上演中、父アトスは何者かに背後から拳銃で撃たれて暗殺された。身の危険を感じた妊娠中の妻は町を出てミラノで出産。息子アトスが父親の故郷を訪れるのはこれが初めてだった。 そんな彼をタラへ呼び寄せたのは父アトスの愛人だった女性ドライファ(アリダ・ヴァリ)。たまたま見かけた新聞記事で彼の存在を知ったドライファは、息子であれば父親の死の真相を突き止め、謎に包まれた犯人を探し出すことが出来るのではないかと考えたのだ。彼女によれば、生前の父アトスにはファシストの敵も多く、中でも大地主ベカッチアは最大の宿敵だったという。その一方で、反ファシズムの志を同じくする心強い仲間もいた。それが映画館主コスタ(ティノ・スコッティ)、小学校教師のラゾーリ(フランコ・ジョヴァネッリ)、ハムの味ききガイバッツィ(ピッポ・カンパニーニ)の3人だ。しかし、父親のことをほとんど何も知らない息子にしてみれば、自分が生まれる前の事件に対する関心も薄い。ドライファの熱心な説得も空しく、彼は翌朝の列車でミラノへ戻ることにする。 とはいえ、タラの町に漂う不可解な雰囲気には引っかかるものがあった。昼も夜も人影はまばらで、しかも見たところ老人ばかりしかいない。その中には、どうやら英雄アトス・マニャーニの息子の帰還を快く思っていない住民もいるらしく、彼は何者かによって宿の馬屋に閉じ込められるなどの嫌がらせを受ける。この町の住民は何かを隠しているようだ。そう考えた息子アトスは町に残ることを決め、まずは手始めに大地主ベカッチアの屋敷を訪れるも追い返されてしまう。そんな彼に声をかけたのは、町の名産物であるハムの味ききガイバッツィ。さらにラゾーリやコスタといった亡き父親の同志たちと会った息子アトスは、彼らが30年前にムッソリーニ暗殺を計画していたことを知る。 オペラ劇場の落成式に国家元首が参列するという情報を掴んだ反ファシズムの闘士たちは、劇場に爆弾を仕掛けてムッソリーニを爆殺しようと計画。ところが、直前になってムッソリーニの来訪は中止され、隠していた爆弾も警察に見つかってしまった。何者かが警察に通報したのである。父親アトスと仲間たちは厳しい取り調べを受けたものの、証拠不十分で解放された。となると、やはりファシスト側の報復によって父親は殺されたのか。当時のタラにはファシストのシンパは少なくなかった。その親玉がベカッチアだ。彼が黒幕という可能性もある。だが、これ以上過去をほじくり返しても無駄だと感じた息子アトスは、引き留めるドライファを振り切ってミラノへ戻ろうとするが、しかしなぜか待てど暮せど駅には列車が来ない。仕方なく町へ引き返した彼は、ある思いがけない真実を突き止めることとなる…。 パーソナルな意味を含んだ「父と子の対立」のドラマ ベルトルッチ作品に共通する「父と子の対立」「主人公とその分身の対立」というテーマをより明確に際立たせた本作。原作では19世紀のアイルランドで起きた独立運動の英雄の暗殺事件の謎を、その子孫が解き明かしていくわけだが、本作では物語の発端を第二次大戦前夜のイタリアへと移し替え、反ファシズム運動の英雄だった父親の死の真相を、同姓同名で容姿も酷似した息子が調べていく。そこには、「ファシズムの時代=自身の父親世代」の残した問題を探るという、左翼革命世代の映像作家であるベルトルッチにとっての個人的な「父と子の対立」という意味も含まれていると言えるだろう。 そして、英雄アトス・マニャーニ暗殺事件に隠された意外な真実を突き止めた息子は、しかしそれでもなお、この町から出ていくことが出来なくなる。そもそも、30年前で時が止まってしまったような町タラは、いわば外の世界と隔絶され時間の流れからも取り残されてしまった異空間だ。フラッシュバックに登場するドライファやコスタたちも30年後の今と全く容姿が変わらず、物語が進むにつれて過去と現在の時間軸も曖昧になっていく。もはや列車など通れるはずもないほど、雑草の生い茂った駅の線路を映し出す衝撃的なラストショットは、ファシズムという過去の亡霊が今なおイタリア社会のどこかに息づいていることを示唆する。そう考えると、主人公はまるで蜘蛛の巣にかかった獲物(イタリア語の原題は‟蜘蛛の計略“)のごとく、亡霊たちの住む町に囚われてしまったのかもしれない。 これ以降、本作のポスト・プロダクション中に製作の決まった『暗殺の森』(’70)に『1900年』(’76)と、引き続きファシストの時代と向き合っていくことになるベルトルッチ。そういう意味でひとつの転機となった作品とも言えると思うのだが、やはり最大のキーパーソンは撮影監督のヴィットリオ・ストラーロであろう。『革命前夜』の撮影助手としてベルトルッチと知り合ったストラーロは、初めて撮影監督として組んだ本作で見事な仕事ぶりを披露している。中でも驚かされるのは、鮮烈なまでの色彩であろう。北イタリアの夏の色鮮やかで豊かな自然を捉えた映像の美しいことと言ったら!特に印象的なのは夜間シーンにおける、まるでルネ・マグリットの絵画の如き深いブルー。青のフィルターを使ったのかと思ったらそうではなく、夕暮れ時の僅かな時間を狙って撮影したのだそうだ。左右対称のシンメトリーを意識した画面構図もスタイリッシュで素晴らしい。映画史上屈指の監督&カメラマン・コンビとなるベルトルッチとストラーロだが、本作こそその原点だったのだ。 ちなみに、舞台となるタラは架空の町であり、本作の撮影はベルトルッチの故郷パルマにほど近い古都サッビオネータで行われている。また、後に映画監督となるベルトルッチの弟ジュゼッペが助監督を務め、エキストラとしてもワンシーンだけ顔を出す。サーカスから逃げたライオンを料理して食べたという過去のエピソードで、皿に盛られたライオンの頭を運んでくる2人の男性のうち、向かって左側がジュゼッペ・ベルトルッチだ。■
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COLUMN/コラム2021.01.04
社会派エンターテインメントの巨匠が挑んだ’70年代らしいエコロジカル・ホラー『プロフェシー/恐怖の予言』
動物パニック映画ブームから派生したエコ・ホラーとは? ‘70年代のハリウッド映画で流行したエコロジカル・ホラー(通称エコ・ホラー)。その基本的なコンセプトは、「地球環境を破壊する人類に対して自然界(主に動物や昆虫)が牙をむく」というもの。これはスティーブン・スピルバーグ監督の『ジョーズ』(’75)を頂点とする’70年代動物パニック映画ブームにあって、そのサブジャンルとして派生したものと考えられる。 なにしろ、当時のアメリカ映画ではサメだのネズミだのアリだのクモだのと、ありとあらゆる生物が人間に襲いかかってきた。その要因のひとつとして、「環境破壊」という設定は非常に使い勝手が良かったのだろう。しかも、’70年に国家環境政策法が制定され、同じ年に環境保護庁が誕生したアメリカでは、環境破壊に対する危機感や懸念が国民の間で徐々に共有されるようになっていた。光化学スモッグに悩まされた日本をはじめ、当時は世界中の先進国が同様の問題に直面していたと言えよう。つまり、時代的にエコ・ホラーの受ける条件が整っていたのである。 ただ、エコ・ホラーというジャンル自体のルーツは、恐らく『キング・コング』(’33)にまで遡ることが出来るだろう。南海孤島の秘境で発見された巨大なゴリラ、キング・コングが大都会ニューヨークで大暴れするという物語は、まさしく「傲慢な人類」に対する自然界の逆襲に他ならなかった。また、核実験の影響で巨大化したアリとの死闘を描くSFパニック『放射能X』(’54)は、当時懸念されつつあった放射能汚染による環境破壊の問題が背景としてあり、そういう意味で’70年代に興隆するエコ・ホラーの直接的な原点とも言える。 『吸血の群れ』(’72)では環境汚染によって小さな島の爬虫類たちが人間への報復を開始、『フェイズIV 戦慄!昆虫パニック』(’74)では天体の異変によって高度な知性を持ったアリが人間を襲撃し、『アニマル大戦争』(’77)ではオゾン層破壊の影響で狂暴化した動物たちが自然公園のハイキング客たちを殺しまくる。さらに、オーストラリア映画『ロング・ウィークエンド』(’74)では「自然環境」そのものが意志を持って人間を狂気へと追い詰め、日本映画『ゴジラ対ヘドラ』(’71)では海洋汚染の生んだ怪獣ヘドラがゴジラと対決した。かように、’70年代は世界中のホラー映画やモンスター映画で大自然が罪深き人類に対して牙をむいたのである。水質汚染によってミュータント化したクマが、広大な森林で人間を次々と襲う『プロフェシー/恐怖の予言』(’79)もそのひとつだ。 自然豊かなメイン州の森林地帯を恐怖に陥れる巨大モンスター 主人公は大都会で恵まれない貧しい人々のために奔走するロバート・ヴァーン医師(ロバート・フォックスワース)。どれだけ行政に訴えても貧困層の住環境や健康問題が改善されないことに無力感を覚えているロバートは、ある日環境保護庁から自然環境調査の仕事を依頼される。メイン州の広大な森林地帯を地元の製紙会社が森林伐採のため購入したものの、その一帯に暮らす先住民たちが土地の所有権を訴えて裁判を起こし、両者ともに一歩も譲らない状態なのだという。そこで当局の導き出した解決策が、森林地帯の環境汚染状況を把握すること。もし環境汚染が立証されれば先住民側の有利になるし、汚染が確認されなければ製紙会社側の言い分が通る。どちらに転んでも、訴訟問題解決の糸口になると当局は考えたのだ。畑違いの依頼に躊躇するロバートだったが、しかしこれで当局に恩を売れば自身の仕事にも有利になると説得され引き受けることにする。 その頃、メイン州の森林地帯では不可解な出来事が起きていた。森の中で伐採作業中だった作業員たちが行方不明となり、その捜索に駆り出されたレスキュー隊も消息を絶ってしまったのだ。ロバートと妻マギー(タリア・シャイア)を出迎えた製紙会社の現場監督アイズリー氏(リチャード・ダイサート)は、先住民たちによる嫌がらせに違いないと疑っているが、しかし先住民たちは伝説の怪物カターディンが森を守っているのだと主張しているという。両者の対立はまさに一触即発。あくまでも中立を守る立場のロバートとマギーだが、先住民たちへの偏見や差別意識を隠さない製紙会社側の強硬姿勢に眉をひそめるのだった。 やがて調査を開始したロバートは、森林地帯で深刻な環境汚染が進行しているのではないかと疑いを持つ。というのも、川に棲息している鮭やオタマジャクシが異常な大きさへ成長し、性格の大人しいはずのアライグマが狂暴化して人間に襲いかかって来るのだ。しかも、先住民グループのリーダー、ホークス(アーマンド・アサンテ)とその妻ラモナ(ヴィクトリア・ラシモ)によると、森に住む先住民たちの間では健康被害が広がり、妊婦が奇形児を死産するケースも多いという。しかし、いくら当局に訴えても、川の水質検査では異常がないため聞き入れては貰えなかったのだ。 一方、製紙工場側のアイズリー氏は汚染物質の流出を完全に否定するが、しかしロバートは泥濘に溜まった銀色の物質を見逃さなかった。工場から流出する排水の中にメチル水銀が含まれており、それが森林一体の生態系に深刻な影響を及ぼしていたのだ。しかしメチル水銀は重いので川底に沈んでしまう。水質検査で異常がなかったのはそのためだった。事実を知った妻マギーは大きな衝撃を受ける。実は彼女は子供を妊娠しており、知らずに川で獲れた鮭を食べていたからだ。 その頃、森の中でキャンプを楽しんでいたネルソン一家が、醜悪な姿をした巨大モンスターに襲われ皆殺しにされる。それはメチル水銀に汚染された魚を食べてミュータント化したクマだった。しかし、地元の保安官やアイズリー氏は先住民グループの犯行と考え、ホークスらの逮捕に動き出す。事実を確認すべく惨劇の現場へと向かったロバートたち。折からの悪天候で森の中で足止めを食らった彼らに、狂暴な怪物クマが襲いかかる…。 ストーリーのヒントは『ローズマリーの赤ちゃん』!? 本作で最も注目すべきは、あのジョン・フランケンハイマー監督が演出を手掛けている点にあるだろう。『影なき狙撃者』(’64)や『大列車強盗』(’65)、『グラン・プリ』(’66)に『フレンチ・コネクション2』(’75)、『ブラック・サンデー』(’77)などなど、骨太な社会派エンターテインメント映画で一時代を築いた巨匠が、なぜ今さら出尽くした感のあるモンスター映画を!?と当時の映画ファンを大いに戸惑わせた本作。しかも、興行面でも批評面でも全く振るわず、これを機にフランケンハイマー監督のキャリアは下り坂となっていく。ただ、劇場公開から40年以上を経た今、改めて見直すと、決して出来の悪い映画ではないことがよく分かるだろう。 ■撮影中のジョン・フランケンハイマー監督(左) 環境問題や公害問題、先住民問題など、’70年代当時の社会問題を巧みに絡めたストーリー展開は、なるほど“社会派エンターテインメント映画の巨匠”の異名に恥じぬメッセージ性の高さ。むしろ、ミュータント化した巨大クマが巻き起こす阿鼻叫喚の恐怖パニックよりも、そうした社会派的なテーマの方に監督の強い思い入れが込められているように感じられる。醜悪なモンスターの全貌や血生臭い残酷描写をなるべくスクリーンでは見せず、観客の想像力に委ねることで緊張感を煽っていく演出も手馴れたものだし、スコープサイズの超ワイド画面のスケール感を生かしたカメラワークも堂に入っている。さすがは巨匠の映画らしい風格だ。ただ、それゆえ肝心のホラー要素がなおざりにされている印象も拭えない。恐らく、このモンスター映画らしからぬ“生真面目さ”が当時は仇となったのだろう。要するに、観客や批評家が求めるものとのギャップが大きかったのだ。 脚本を担当したのは『オーメン』(’76)で知られるデヴィッド・セルツァー。『オーメン』が劇場公開されて社会現象を巻き起こした直後、フランケンハイマー監督から「ホラー映画の脚本を書いてくれないか」と直々にオファーを受けたというセルツァーは、自身が多大な影響を受けたロマン・ポランスキー監督の『ローズマリーの赤ちゃん』(’68)をヒントにしたのだそうだ。さらに、当時メイン州の郊外に暮らしていた彼は環境問題や先住民問題にも関心があり、日本の水俣病についても勉強していた。当初は「メイン州の大自然を満喫していたキャンプ中の夫婦が、知らず知らずのうちメチル水銀に汚染された魚を食べてしまい、妊娠中の妻が奇形児を生んでしまう」という『悪魔の赤ちゃん』(’74)的なストーリーだったらしいが、脚本会議を重ねていくうちに巨大クマのアイディアが加わったようだ。 ただし、ロケ地となったのはメイン州ではなく、カナダはバンクーバー郊外の森林地帯。今では“ノース・ハリウッド”と呼ばれるカナダ映画産業のメッカで、ハリウッドの映画やテレビドラマが数多く撮影されているバンクーバーだが、本作はその最初期に作られたハリウッド映画と言われている。そういう意味でも興味深い作品と言えよう。目玉となる巨大クマのモンスタースーツは、ミニチュア撮影用とロケ現場用の2種類が製作され、『プレデター』(’87)のスーツアクターとして有名な身長2m20cmのケヴィン・ピーター・ホールと、後に『13日の金曜日 PART6 ジェイソンは生きていた!』(’86)や『ブロス/やつらはときどき帰ってくる』(’91)の監督となるトム・マクローリンが交互に演じている。実はマクローリン、もともとフランスでマルセル・マルソーに師事したパントマイム芸人だったらしい。 なお、モンスタースーツの製作は当初リック・ベイカーに依頼されたが短い納期を理由に断られ、次に声をかけたスタン・ウィンストンとはギャラの金額が折り合わず、最終的にトム・バーマンが引き受けることとなった。このグログロな巨大クマ、チーズの溶けたピザに似ていることから、撮影現場では「ピザ・ベアー」と呼ばれていたそうだ(笑)。■
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COLUMN/コラム2021.01.04
ダリオ・アルジェントの代表作にしてイタリアン・ホラーの金字塔『サスペリア』
日本でも社会現象となった大ヒット作 イタリアン・ホラーの巨匠ダリオ・アルジェントの名刺代わりというべき代表作であり、恐らくイタリア映画史上、最も世界的な成功を収めたホラー映画であろう。イタリアを皮切りに公開されたのは1977年。ジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ』とスティーブン・スピルバーグの『未知との遭遇』によって空前のSF映画ブームが巻き起こり、ジョン・トラヴォルタ主演の『サタデー・ナイト・フィーバー』でディスコ・ブームが頂点に達した年である。改めて振り返ると凄い一年であったと言えよう。 もともとホラー映画があまり一般受けしないイタリア本国で大ヒットしたのは勿論のこと、ここ日本でも「決してひとりでは見ないでください」という秀逸なキャッチコピーの効果もあってたちまち社会現象に。アメリカでは20世紀フォックスが配給権を獲得したものの、血みどろの残酷描写が問題視されるのを恐れたらしく、即席で立ち上げたペーパー会社インターナショナル・クラシックスで配給することとなり、盲目のピアニストが盲導犬に喉元を食いちぎられるシーンなど約8分の映像をカットしたうえで劇場公開したが、こちらもフォックスの予想を遥かに上回る興行成績を記録し、気を良くした同社はアルジェントの次回作『インフェルノ』(’80)に出資することとなる。 アルジェント監督のターニングポイントに そんな本作は、それまで一連のジャッロ映画で鳴らしたアルジェント監督が、初めてスーパーナチュラルなオカルトの世界に挑戦することで、独自の映像美学をとことんまで極めたターニングポイント的な作品でもあった。ジャッロ(日本ではジャーロと表記されることもあるが、本稿では原語の発音に近いジャッロで統一する)とは、’70年代に一世を風靡したイタリア産猟奇サスペンス・ホラーのこと。本来はイタリア語で“黄色”を意味するのだが、昔からイタリアではペーパーバックで売られる犯罪スリラー小説の表紙が黄色に装丁されていたため、いつしか犯罪スリラーのジャンル全体をジャッロと呼ぶようになった。 そのジャッロ映画ブームの口火を切ったのが、アルジェント監督の処女作『歓びの毒牙(きば)』(’70)。女性ばかり狙う連続殺人鬼の正体を追うアメリカ人作家をスタイリッシュな映像美で描いた典型的なジャッロ映画なのだが、これが全米興行収入ランキングで1位という誰も想像しなかったような大ヒットを記録したことから、イタリア中の映画会社がこぞって似たようなジャッロ映画を量産するようになる。アルジェント自身も『わたしは目撃者』(’71)に『4匹の蠅』(’71)とジャッロ映画の秀作を連発。畑違いの歴史ドラマに挑んだ『ビッグ・ファイブ・デイ』(’74)が大コケした後、『サスペリアPART2』(’75・日本では『サスペリア』の大ヒットを受け、勝手に続編と銘打って劇場公開)でジャッロの世界へ戻ったアルジェントは、いい加減に猟奇サスペンス・ホラーの世界から足を洗おうと考える。恐らく、ジャッロ映画の最高峰とも呼ばれる『サスペリアPART2』を以てして、彼としてはやり尽くしてしまった感があったのだろう。 やはり本作でひときわ目を引くのは、けばけばしい極彩色と壮麗な美術セットによって表現された、一種異様なまでに幻惑的なゴシック映像美であろう。さながら、アルジェントのダークでディープなイマジネーションから生まれた悪夢のような異世界。冒頭、ニューヨークからドイツへと到着したスージーは、空港の自動ドアを出た瞬間から、さながら「不思議の国のアリス」の如く、世にも奇妙で残酷で恐ろしいアルジェント・ワールドへと足を踏み入れるのだ。そこでは、全ての事象がアルジェント流のロジックで展開する。そもそも、アルジェント作品は処女作『歓びの毒牙(きば)』の頃からそうした異空間的な傾向が少なからずあり、ストーリーはあくまでも彼の思い描くビジョンをスクリーンに現出させるためのツールに過ぎなかったりするのだが、本作ではオカルトという非現実的かつ非日常的なテーマを手に入れたことによって、その独創的なアルジェント・ワールドを究極まで突き詰めることが出来たと言えるだろう。 中でもアルジェントがこだわったのは、往年のテクニカラー映画を彷彿とさせる鮮烈な色彩。特にディズニー・アニメ『白雪姫』(’37)は、アルジェントと撮影監督ルチアーノ・トヴォリにとって重要なお手本となった。ミケランジェロ・アントニオーニやマルコ・フェレーリ、モーリス・ピアラとのコラボレーションで知られるトヴォリは、もともと日常的なリアリズムを大切にするカメラマンで、なおかつホラー映画には全く関心がなかったため、本作のオファーを受けた当初は大いに戸惑ったそうだが、アルジェントの熱心な説得で引き受けることにしたという。当時既にテクニカラーは時代遅れとなり衰退してしまっていたが、アルジェントの要望に応えるべくトヴォリは発色に優れた映画用フィルム、イーストマン5254を使用。ただし、手に入ったのはテキサスの倉庫に保管されていた40巻のみだったため、現場では各シーンを2テイクまでしか撮影できなかったという。 さらに、照明の基本カラーを三原色の赤・青・緑に指定し、シーンに合わせて黄色などの補色を使用。通常の映画撮影ではあり得ないほど強い照度のカラー照明を、俳優などの被写体のすぐ近くに寄せて当てたのだそうだ。シャープな輪郭を強調するため、照明のディフューザーやカメラのフィルターレンズは不使用。そうして撮影されたフィルムは、当時テクニカラー社のローマ支社に唯一残されていたテクニカラー・プリンターでプリントされた。その仕上がりと完成度はまさに驚異的。同じように原色のカラー照明を多用した撮影は、イタリアン・ホラーの父と呼ばれる大先輩マリオ・バーヴァ監督が『ブラック・サバス 恐怖!三つの顔』(’63)や『モデル連続殺人!』(’64)などで既に実践しているが、本作はその進化形と呼んでもいいかもしれない。 強い女性ばかりが揃ったメイン・キャスト なお、もともとヒロインのスージー役にはダリア・ニコロディが想定されていたものの、彼女が主演ではアメリカのマーケットで売れないと映画会社に判断され、アルジェントがブライアン・デ・パルマ監督の『ファントム・オム・パラダイス』(’74)を見て気に入っていたジェシカ・ハーパーに白羽の矢が立った。当時、ジェシカはウディ・アレンの『アニー・ホール』(’77)の脇役をオファーされていたが、エージェントからの勧めもあって『サスペリア』を選んだという。その親友となるサラ役には、恋人だったベルナルド・ベルトルッチ監督の『1900年』(’76)でロバート・デ・ニーロとジェラール・ドパルデューを相手に3Pシーンを演じたステファニア・カッシーニ。性格の悪いオルガ役を演じているバーバラ・マニョルフィは、晩年のルキノ・ヴィスコンティがお気に入りだった美形俳優マルク・ポレルの奥さんだった人だ。 『サスペリア』©1977 SEDA SPETTACOLI S.P.A ©2004 CDE / VIDEA
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COLUMN/コラム2021.02.02
原作者スティーブン・キングが小説版以上の出来と認めた青春ホラーの傑作『キャリー』
ブラアン・デ・パルマをメジャーな存在へと押し上げた出世作 ブライアン・デ・パルマ監督の出世作である。ニューヨークのインディーズ業界からハリウッドへ進出したものの、初のメジャー・スタジオ作品『汝のウサギを知れ』(’72)が勝手に再編集されたうえに2年間もお蔵入りするという大きな挫折を経験したデ・パルマ。その後、『悪魔のシスター』(’72)や『ファントム・オブ・パラダイス』(’74)がカルト映画として若い映画ファンから熱狂的に支持され、敬愛するヒッチコックへのオマージュを込めた『愛のメモリー』(’76)も好評を博す。そんな上昇気流に乗りつつあった当時の彼にとって、文字通り名刺代わりとなるメガヒットを記録した作品が、スティーブン・キング原作の青春ホラー『キャリー』(’76)だった。 主人公は16歳の女子高生キャリー・ホワイト(シシー・スペイセク)。狂信的なクリスチャンのシングルマザー、マーガレット(パイパー・ローリー)に厳しく育てられた彼女は、それゆえに自己肯定感が低く内向的な怯えた少女で、学校ではいつも虐めのターゲットにされている。宗教本を押し売り歩く母親マーガレットも、近所では鼻つまみ者の変人。アメリカのどこにでもある平凡な田舎町で、隔絶された世界に住む母子は完全に浮いた存在だ。 そんなある日、学校のシャワールームでキャリーが初潮を迎える。だが、知識のないキャリーは下腹部から流れ出る鮮血に慄いてパニックに陥り、その様子を見たクラスメートたちは面白がってはやし立てる。そればかりか、帰宅して生理の来たことを報告したキャリーを、母親マーガレットは激しく叱責する。それはお前が汚らわしい考えを持っているからだと。神に祈って許しを請うよう、嫌がる娘を狭い祈祷室に無理やり閉じ込めて罰するマーガレット。この一連の出来事が起きて以来、キャリーは自らの特異な能力に気付いていく。実は彼女、怒りの衝動によって周囲の物を動かすことが出来るのだ。図書館で調べたところ、それはテレキネシスと呼ばれるもので、世の中には他にも同様の能力を持つ人がいるらしい。自分は決してひとりじゃない。そう思えた時、キャリーの中で何かが少しずつ変わり始める。 一方、学校ではシャワールームの一件に腹を立てた体育教師コリンズ先生(ベティ・バックリー)が、虐めに加わった女生徒たちに放課後の居残りトレーニングを課す。さぼった生徒はプロム・パーティへの参加禁止。これに不満を持ったリーダー格の人気者クリス(ナンシー・アレン)が抵抗を試みるものの、コリンズ先生の怒りの火に油を注いでしまい、彼女だけがプロムから締め出されることとなる。そんな懲りないクリスとは対照的に、虐めに加わったことを深く反省する優等生スー(エイミー・アーヴィング)は、ボーイフレンドのトミー(ウィリアム・カット)にキャリーをプロムへ誘うよう頼む。それは彼女なりの罪滅ぼしだった。 学校中の女子が憧れるハンサムな人気者トミーからプロムの誘いを受け、思わず頬を赤らめて舞い上がるキャリー。烈火のごとく怒り狂い猛反対する母親をテレキネシスで抑えつけた彼女は、精いっぱいのおめかしをして意気揚々とプロムへと出かけていく。さながら醜いアヒルの子が美しい白鳥へと変貌を遂げた瞬間だ。プロム会場では人々から羨望の眼差しを向けられ、そのあどけない笑顔に自信すら覗かせるようになったキャリーは、トミーに優しくリードされて夢心地のチークダンスを踊る。これまでの惨めな人生で味わったことのない高揚感と幸福感に包まれるキャリー。だが、その裏で彼女を逆恨みするクリスが、恋人の不良少年ビリー(ジョン・トラヴォルタ)や腰巾着ノーマ(P・J・ソールズ)らと結託し、公衆の面前でキャリーを貶めるべく残酷ないたずらを仕組んでいた…。 紆余曲折を経た映画版製作までの道のり 学校では虐められ、家庭では虐待を受ける孤独な超能力少女の復讐譚。幸福の頂点から地獄へと叩き落されたキャリーが、いよいよ強大なテレキネシスの能力に覚醒し、炸裂する怒りのパワーによって凄まじい大殺戮が繰り広げられる終盤の阿鼻叫喚は、スプリット・スクリーンやジャンプカットの効果を存分に活かしたデ・パルマ監督のダイナミックな演出も功を奏し、ホラー映画史上屈指の名シーンとなった。とはいえ、本質的には大人への階段を上り始めた少女の自我の目覚めと、若さゆえに残酷な少年少女たちが招く悲劇を丹念に描いた普遍的な青春ドラマ。超能力はあくまでもヒロインの自我を投影するギミックに過ぎない。だからこそ、劇場公開から45年近くを経た今もなお、観客に強く訴えかけるものがあるのだろう。そもそも、スティーブン・キング作品の映画化に失敗作が少なくないのは、こうしたストーリー上の超常現象的なギミックに惑わされてしまい、核心である日常的なドラマ部分を軽んじてしまいがちになるからだ。そう考えると、原作の本質を見失うことなく映画向けに再構築した脚本家ローレンス・D・コーエンの功績は計り知れない。 スティーブン・キングの処女作として’74年に出版され、翌年にペーパーバック化されると大きな反響を巻き起こしたホラー小説『キャリー』。当時、映画製作者デヴィッド・サスキンドのアシスタントとして働いていたコーエンは、持ち込まれた多くの企画の中から2つの作品に目をつける。それが『アリスの恋』(’74)のオリジナル脚本と、まだ出版される前の『キャリー』の原稿だった。中でも、10代の若者の純粋さや残酷さを鮮やかに捉えた『キャリー』に強い感銘を受けたという。だが、前者はマーティン・スコセッシ監督による映画化がすぐ決まったものの、後者はボスであるサスキンドのお眼鏡に適わなかった。なにしろ、ホラー映画はB級という先入観がまだまだ強かった時代だ。基本的にフリーランスの立場だったコーエンは、折を見て幾つもの映画会社や製作者に『キャリー』を持ち込んだが、しかしどこへ行っても眉をひそめられたという。 製作主任を務めた『アリスの恋』の撮影終了後、新たな仕事を探していたコーエンは、親しい友人の勧めで『明日に向かって撃て』(’69)の製作者ポール・モナシュの面接を受ける。しかし興味を惹かれるような企画がなかったため立ち去ろうとしたところ、モナシュから「そういえば、もうひとつ企画があったな。『キャリー』っていうんだけれど、知っているかね?」と声をかけられて思わず振り返ってしまったという。実はモナシュが既に映画化権を手に入れていたものの、まだベストセラーになる前だったため埋もれていたのだ。運命を感じたコーエンは、モナシュのもとで『キャリー』の企画を担当することに。テキサス在住の若い新人女性が書いたという脚本の草稿を読んだところ、原作に忠実でもなければ本質を捉えてもいないため、コーエンが一から脚本を書き直すこととなったのだ。 こうして出来上がった新たな脚本を、当時モナシュと配給契約を結んでいた20世紀フォックスに提出したコーエン。通常、映画会社が判断を下すのに数週間はかかるのだが、本作はその翌週にフォックスから却下の返答があったという。当然ながら、脚本の仕上がりに自信のあったモナシュとコーエンは落胆する。しかし捨てる神あれば拾う神あり。世の中には不思議な偶然があるもので、ちょうど同じ時期に『キャリー』の映画化権をモナシュに売却した出版エージェント、マーシア・ナサターがユナイテッド・アーティスツ(UA)の重役に就任し、『キャリー』の映画化企画を持ちかけてきたのである。 原作に惚れぬいた2人の才能の奇跡的な出会い 一方その頃、『キャリー』の映画化に情熱を燃やす人物がもう一人いた。ブライアン・デ・パルマ監督である。原作本を読んですっかり夢中になったデ・パルマは、なんとしてでも自らの手で映画化したいと考え、エージェントを介してモナシュにコンタクトを取ったという。当時まだデ・パルマのことをよく知らなかったモナシュは、何人もいる監督候補のひとりとして面接することに。しかし、これが上手くいかなかった。長い下積みを経て映画プロデューサーへと出世した典型的なハリウッド業界人であるモナシュの目には、口数が少なくて控えめな芸術家肌のデ・パルマは理解し難い人種だったのだろう。結局、モナシュとコーエンはデ・パルマを監督候補から外し、ロマン・ポランスキーやケン・ラッセルを有力候補として検討する。 ところがその後、UAの制作部長からモナシュに、デ・パルマを監督に起用するようお達しが来る。というのも、『キャリー』を諦めきれなかったデ・パルマがエージェントを通してUAに売り込みをかけたところ、たまたま制作部長がデ・パルマのファンだったというのだ。かくして、UA側の意向でブライアン・デ・パルマが『キャリー』の演出を任されることに。ちょうど同じ頃、完成したばかりの『愛のメモリー』を試写で見たコーエンは、もしかするとデ・パルマはこの作品に適任かもしれないと考えを改めるようになり、実際にニューヨークで本人と打ち合わせしたことで、その予感が確信に変わったという。改めて本人と話をしてみると、キング作品の本質的な魅力はもちろんのこと、コーエンが書いた脚本の意図も十分に理解していた。デ・パルマが要求した脚本の大きな改変は2つだけ。キャリーが母親マーガレットを殺すシーンと、劇場公開時に話題となったクライマックスの結末だ。 原作ではキャリーがテレキネシスで母親の心臓を止めるのだが、しかしこれをそのまま映像にすると地味でパッとしない。コーエンも頭を悩ませていたシーンだったが、最終的にデ・パルマが見事な解決策を思いつく。キッチンの包丁やハサミをテレキネシスで次々と飛ばし、まるで殉教者セバスティアヌスのごとく母親マーガレットを磔にしてしまうのだ。さらに、原作ではキャリーと同じような能力を持つ少女がほかに存在することを示唆して終わるものの、コーエンの書いた初稿では惨劇をただひとり生き延びた優等生スーが精神病院へ幽閉されて幕を閉じていた。しかし、これまた映画のエンディングとしてはインパクトが弱い。結局、撮影が始まっても結末を決めかねていたデ・パルマとコーエンだったが、ギリギリの段階でデ・パルマはジョン・ブアマン監督の『脱出』(’72)をヒントに、後に数々のエピゴーネンを生み出す衝撃的なラストを考えついたのである。 そのほか、『ファントム・オブ・パラダイス』のオーディションで知り合い惚れ込んだ女優ベティ・バックリーをキャスティングするため、コリンズ先生の役柄を膨らませて出番を増やしたり、原作では卑劣な悪人であるクリスやビリーのキャラクターにユーモアを加えることで、ともすると重苦しくなりかねないストーリーにある種の口当たりの良さを盛り込んだりと、いくつかの細かい改変をコーエンに指示したデ・パルマ。ちなみに、原作だとキャリーは超能力を使って町を丸ごと破壊してしまうが、さすがにこれは予算の都合を考えると不可能であるため、当初からプロム会場を全滅させるに止める方針だったようだ。 さらに、デ・パルマの功績として忘れてならないのは、イタリアの作曲家ピノ・ドナッジョの起用である。当初、デ・パルマは『愛のメモリー』に続いてヒッチコック映画の大家バーナード・ハーマンに音楽を依頼するつもりだったが、同作の完成直後にハーマンが急逝してしまう。そこで彼が白羽の矢を立てたのが、ダンスティ・スプリングフィールドもカバーしたカンツォーネの名曲「この胸のときめきを」で知られるイタリアの人気シンガーソングライター、ドナッジョだった。もともとドナッジョが手掛けたニコラス・ローグ監督の『赤い影』(’73)のサントラ盤を気に入っていたデ・パルマは、随所でハーマンのトレードマークだった『サイコ』風のスコアを要望しつつも、ホラー映画のサントラには似つかわしくない甘美なメロディをドナッジョに書かせる。これは英断だったと言えよう。その結果、キャリーの深い孤独や悲しみを際立たせるような、実に繊細でロマンティックで抒情的な美しいサウンドトラックが出来上がったのだ。本作で見事なコラボレーションを実現したデ・パルマとドナッジョは、これ以降も通算8本の映画でコンビを組む。なお、プロム会場のチークダンス・シーンで流れるバラード曲を歌っているのは、当時スタジオのセッション・シンガーだったケイティ・アーヴィング。スー役を演じている女優エイミー・アーヴィングの姉だ。 かくして、スティーブン・キングの小説に惚れ込んだブライアン・デ・パルマにローレンス・D・コーエンという、2人の優れた才能が奇跡的に巡り合ったからこそ生まれたとも言える傑作『キャリー』。実際、原作者のキング自身が高く評価しているばかりか、小説版よりも良く出来ていると太鼓判を押している。映画の作り手にとって、恐らくこれ以上の誉め言葉はないのではないだろうか。■