日本でも社会現象となった大ヒット作

イタリアン・ホラーの巨匠ダリオ・アルジェントの名刺代わりというべき代表作であり、恐らくイタリア映画史上、最も世界的な成功を収めたホラー映画であろう。イタリアを皮切りに公開されたのは1977年。ジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ』とスティーブン・スピルバーグの『未知との遭遇』によって空前のSF映画ブームが巻き起こり、ジョン・トラヴォルタ主演の『サタデー・ナイト・フィーバー』でディスコ・ブームが頂点に達した年である。改めて振り返ると凄い一年であったと言えよう。

もともとホラー映画があまり一般受けしないイタリア本国で大ヒットしたのは勿論のこと、ここ日本でも「決してひとりでは見ないでください」という秀逸なキャッチコピーの効果もあってたちまち社会現象に。アメリカでは20世紀フォックスが配給権を獲得したものの、血みどろの残酷描写が問題視されるのを恐れたらしく、即席で立ち上げたペーパー会社インターナショナル・クラシックスで配給することとなり、盲目のピアニストが盲導犬に喉元を食いちぎられるシーンなど約8分の映像をカットしたうえで劇場公開したが、こちらもフォックスの予想を遥かに上回る興行成績を記録し、気を良くした同社はアルジェントの次回作『インフェルノ』(’80)に出資することとなる。

アルジェント監督のターニングポイントに

そんな本作は、それまで一連のジャッロ映画で鳴らしたアルジェント監督が、初めてスーパーナチュラルなオカルトの世界に挑戦することで、独自の映像美学をとことんまで極めたターニングポイント的な作品でもあった。ジャッロ(日本ではジャーロと表記されることもあるが、本稿では原語の発音に近いジャッロで統一する)とは、’70年代に一世を風靡したイタリア産猟奇サスペンス・ホラーのこと。本来はイタリア語で“黄色”を意味するのだが、昔からイタリアではペーパーバックで売られる犯罪スリラー小説の表紙が黄色に装丁されていたため、いつしか犯罪スリラーのジャンル全体をジャッロと呼ぶようになった。

そのジャッロ映画ブームの口火を切ったのが、アルジェント監督の処女作『歓びの毒牙(きば)』(’70)。女性ばかり狙う連続殺人鬼の正体を追うアメリカ人作家をスタイリッシュな映像美で描いた典型的なジャッロ映画なのだが、これが全米興行収入ランキングで1位という誰も想像しなかったような大ヒットを記録したことから、イタリア中の映画会社がこぞって似たようなジャッロ映画を量産するようになる。アルジェント自身も『わたしは目撃者』(’71)に『4匹の蠅』(’71)とジャッロ映画の秀作を連発。畑違いの歴史ドラマに挑んだ『ビッグ・ファイブ・デイ』(’74)が大コケした後、『サスペリアPART2』(’75・日本では『サスペリア』の大ヒットを受け、勝手に続編と銘打って劇場公開)でジャッロの世界へ戻ったアルジェントは、いい加減に猟奇サスペンス・ホラーの世界から足を洗おうと考える。恐らく、ジャッロ映画の最高峰とも呼ばれる『サスペリアPART2』を以てして、彼としてはやり尽くしてしまった感があったのだろう。

そんなアルジェントを新たな方向へ導いたとされるのが、『サスペリアPART2』でヒロインを演じた女優ダリア・ニコロディ。同作で知り合い公私に渡るパートナーとなったニコロディは、アルジェントと同じく映画や絵画、音楽、文学などに造詣の深いインテリだったが、そればかりでなくオカルトの世界にも明るかった。しかも、実は本作のストーリーにはヒントとなった実話があるという。ピアニストだったニコロディの祖母イヴォンヌ・ロエブ(祖父アルフレード・カゼッラは高名な作曲家)は、10代の頃にドイツの全寮制音楽学校へ留学したのだが、そこで目撃した黒ミサに恐れおののいて逃げ出したというのだ。ニコロディ曰く、その話に興味を持ったアルジェントと2人で実在する音楽学校を訪れてみたところ、こちらが自己紹介をしていないにも関わらず、近づいてきた教師らしき老女から祖母について尋ねられてビックリしたのだとか。

ただし、アルジェント自身はイギリスの随筆家トマス・ド・クインシーのエッセイ集「深き淵よりの嘆息」(1845年)を本作のモチーフにしていると語っており、両者の記憶と主張は大きく異なっている。そもそも、2人のパートナー関係は結構な波乱含みだったらしく、生前のニコロディはアルジェントの才能を誰よりも高く評価しつつ、しかしその性格についてはたびたび辛辣な言葉で批判している。まあ、両者共に人一倍我の強い芸術家ゆえ、いろいろとゴタゴタはあったのだろう。真実は本人たちのみぞ知る…といったところか。とはいえ、脚本の共同執筆者にニコロディがクレジットされていることからも分かる通り、彼女のオカルト知識やイマジネーションが『サスペリア』の世界観に少なからず貢献していることは間違いないし、アルジェントの全盛期がニコロディとの交際期間と丸被りしている事実からも、彼女の存在がアルジェントの創作活動に大きなインスピレーションを与えたであろうことは想像に難くないだろう。

唯一無二の映像美を生み出した舞台裏とは?

物語の舞台はドイツのフライブルク(ロケ地はミュンヘン)。アメリカ人のバレエ生徒スージー・バニオン(ジェシカ・ハーパー)は、現地の名門バレエ・アカデミーで学ぶためにニューヨークからやって来るのだが、到着した晩にアカデミーの生徒パットが惨殺される。どこか不穏な空気の漂うアカデミーで彼女を出迎えたのは、理事長の留守を任されている副理事長のブラン夫人(ジョーン・ベネット)と厳格な主任コーチのミス・タナー(アリダ・ヴァリ)。慣れない環境に戸惑いつつも、気さくな同級生サラ(ステファニア・カッシーニ)と親しくなったスージーだったが、やがて彼女の周囲で不可解な怪現象や陰惨な事件が次々と起きていく。アカデミーの創設者エレナ・マルコスが魔女だったという噂を耳にした彼女は、その真相を確かめようとするのだが…?

ストーリー自体は極めてシンプル。トマス・ド・クインシーの「深き淵よりの溜息」からの引用は、その後の『インフェルノ』と『サスペリア・テルザ 最後の魔女』を含む魔女3部作の土台となる3大魔女「マーテル・ススピリオウム(溜息の母)」「マーテル・テネブラルム(暗黒の母)」「マーテル・ラクリマルム(涙の母)」のコンセプトのみであり、基本的なプロットは「白雪姫」や「不思議の国のアリス」といった御伽噺をモチーフにしていることがよく分かる。もともとアルジェントは主人公の女生徒たちを10歳前後の少女に想定していたらしいのだが、映画会社から反対されて10代後半に設定を変えたのだという。ただし、アルジェント自身は当初の年齢設定に強いこだわりがあったらしく、バレエ学校の女生徒たちの言動が年齢の割に子供じみているのはその名残り。また、アカデミー内のドアに付けられた取っ手が、ヒロインたちの頭くらいの高さに設置されているのも、彼女らが本質的には「幼い少女」であることの証なのだそうだ。

やはり本作でひときわ目を引くのは、けばけばしい極彩色と壮麗な美術セットによって表現された、一種異様なまでに幻惑的なゴシック映像美であろう。さながら、アルジェントのダークでディープなイマジネーションから生まれた悪夢のような異世界。冒頭、ニューヨークからドイツへと到着したスージーは、空港の自動ドアを出た瞬間から、さながら「不思議の国のアリス」の如く、世にも奇妙で残酷で恐ろしいアルジェント・ワールドへと足を踏み入れるのだ。そこでは、全ての事象がアルジェント流のロジックで展開する。そもそも、アルジェント作品は処女作『歓びの毒牙(きば)』の頃からそうした異空間的な傾向が少なからずあり、ストーリーはあくまでも彼の思い描くビジョンをスクリーンに現出させるためのツールに過ぎなかったりするのだが、本作ではオカルトという非現実的かつ非日常的なテーマを手に入れたことによって、その独創的なアルジェント・ワールドを究極まで突き詰めることが出来たと言えるだろう。

中でもアルジェントがこだわったのは、往年のテクニカラー映画を彷彿とさせる鮮烈な色彩。特にディズニー・アニメ『白雪姫』(’37)は、アルジェントと撮影監督ルチアーノ・トヴォリにとって重要なお手本となった。ミケランジェロ・アントニオーニやマルコ・フェレーリ、モーリス・ピアラとのコラボレーションで知られるトヴォリは、もともと日常的なリアリズムを大切にするカメラマンで、なおかつホラー映画には全く関心がなかったため、本作のオファーを受けた当初は大いに戸惑ったそうだが、アルジェントの熱心な説得で引き受けることにしたという。当時既にテクニカラーは時代遅れとなり衰退してしまっていたが、アルジェントの要望に応えるべくトヴォリは発色に優れた映画用フィルム、イーストマン5254を使用。ただし、手に入ったのはテキサスの倉庫に保管されていた40巻のみだったため、現場では各シーンを2テイクまでしか撮影できなかったという。

さらに、照明の基本カラーを三原色の赤・青・緑に指定し、シーンに合わせて黄色などの補色を使用。通常の映画撮影ではあり得ないほど強い照度のカラー照明を、俳優などの被写体のすぐ近くに寄せて当てたのだそうだ。シャープな輪郭を強調するため、照明のディフューザーやカメラのフィルターレンズは不使用。そうして撮影されたフィルムは、当時テクニカラー社のローマ支社に唯一残されていたテクニカラー・プリンターでプリントされた。その仕上がりと完成度はまさに驚異的。同じように原色のカラー照明を多用した撮影は、イタリアン・ホラーの父と呼ばれる大先輩マリオ・バーヴァ監督が『ブラック・サバス 恐怖!三つの顔』(’63)や『モデル連続殺人!』(’64)などで既に実践しているが、本作はその進化形と呼んでもいいかもしれない。

強い女性ばかりが揃ったメイン・キャスト

なお、もともとヒロインのスージー役にはダリア・ニコロディが想定されていたものの、彼女が主演ではアメリカのマーケットで売れないと映画会社に判断され、アルジェントがブライアン・デ・パルマ監督の『ファントム・オム・パラダイス』(’74)を見て気に入っていたジェシカ・ハーパーに白羽の矢が立った。当時、ジェシカはウディ・アレンの『アニー・ホール』(’77)の脇役をオファーされていたが、エージェントからの勧めもあって『サスペリア』を選んだという。その親友となるサラ役には、恋人だったベルナルド・ベルトルッチ監督の『1900年』(’76)でロバート・デ・ニーロとジェラール・ドパルデューを相手に3Pシーンを演じたステファニア・カッシーニ。性格の悪いオルガ役を演じているバーバラ・マニョルフィは、晩年のルキノ・ヴィスコンティがお気に入りだった美形俳優マルク・ポレルの奥さんだった人だ。

さらに、副理事長のブラン夫人役には、アルジェントが敬愛するフリッツ・ラング監督のノワール映画の数々でヒロインを演じ、姉のコンスタンス・ベネットと共に’30~’40年代のハリウッドを代表するトップ女優だったジョーン・ベネット。主任コーチのミス・タナー役には、イタリア映画界が誇る大女優アリダ・ヴァリが起用されている。メイン・キャストが女性ばかりというのは、アルジェント作品には珍しいパターン。これもダリア・ニコロディの影響なのだろうか。ちなみに、魔女「溜息の母」ことエレナ・マルコス役のリラ・スヴァスタは、この役のために探してきた高齢の売春婦だったそうだ。

一方の男優陣はというと、生徒仲間の美少年マーク役に、その後スペイン音楽界のスーパースターとなる歌手で、俳優としてもペドロ・アルモドヴァル監督の『ハイヒール』(’91)などで活躍したミゲル・ボセ。ブラン夫人が可愛がっている甥っ子アルバート役のヤコポ・マリアーニは、アルジェントの前作『サスペリアPART2』で少年時代のカルロを演じていた子役だ。ドイツ映画界の怪優ウド・キアーが、サラと親しい精神科医を演じているのも要注目。彼は『処女の生血』(’73)でサラ役のステファニア・カッシーニと共演していた。なお、スージーが空港から乗るタクシーの運転手を演じているフルヴィオ・ミンゴッツィはアルジェント映画の常連俳優で、次作『インフェルノ』でもタクシー運転手役として顔を出している。■

『サスペリア』©1977 SEDA SPETTACOLI S.P.A ©2004 CDE / VIDEA