「(コールウッドの空に放たれた)ロケットは、物理的な力だけで空を飛んだわけではない。町の人々の熱心な応援と、やさしい先生のあたたかい指導、それに少年たちの“夢”があってこそ飛んだのだ」

『ロケットボーイズ』ホーマー・ヒッカム・ジュニア著/武者圭子 訳(草思社:刊)

◆スプートニク・ショックがもたらしたもの

 1957年10月。ソビエト連邦は人類初となる人工衛星スプートニクの打ち上げに成功。米ソ冷戦の渦中において、その報は宇宙開発競争を展開していたアメリカにとって衝撃的なものだった。
 だがスプートニクが軌道に乗ったことで、一人の高校生の夢も軌道に乗ることになる。高校生の名はホーマー・ヒッカム。米ウエストヴァージニア州にある炭鉱の町コールウッドに住む彼は、夜空を横切るスプートニクを目撃したことから、自分もロケットを作りたいという思いに駆り立てられていく。

 1999年に公開された『遠い空の向こうに』は、ロケットエンジニアとしてNASAに所属し、のちに航空宇宙プロジェクトの顧問として宇宙開発に多大な貢献をなした、ホーマー・ヒッカム・ジュニアの自伝を映画化したものだ。原作タイトルの『ロケットボーイ(ズ)』は、ヒッカムと高校の仲間たちの愛称で、彼らがロケットづくりに没頭し、古い炭鉱の町に先端科学のきらめきを与える青春物語でもある。

 そう、伝記の舞台となるコールウッドは、住民の多くが炭鉱に従事し、ホーマー(ジェイク・ギレンホール)もまた自分も地元の炭鉱で働くのだと、ある種の諦観にとらわれていた。しかし1957年10月4日、夜空にひときわ美しく輝くスプートニクを見たことで、ホーマーはそこに人工衛星の軌跡だけではない、自分の未来を見つけたのだ。


 
 映画はそんなホーマーが、悪友ロイ(ウィリアム・スコット・リー)やオデル(チャド・リンドバーグ) と見よう見まねで手製のロケットを打ち上げ、散々な結果で途方に暮れるのを起点に、失敗にめげず、数学のできる変わり者のクエンティン(クリス・オーウェン)を引き入れ、本格的なロケット製作にとりかかるまでを原作にほぼ沿った形で描いていく(細かな改変はあるが)。その過程で、高校の物理教師ライリー(ローラ・ダーン)が良き理解者となり、大学の奨学金が賞金の国家科学フェスに出展するようホーマーたちをサポートする。そしてロケットボーイズは自分たちの持つ技術を完璧なものにするため、直面している問題の克服に取り組んでいく。そんな努力が実り、彼らのロケットは科学的にも技術的にも精度が上がっていき、また町の人々も次第にロケットボーイズに興味を持ち、打ち上げ実験を楽しみにする者や協力者を有していくのだ。

 だがドラマにおいて最大の障壁は、ホーマーの父親ジョン(クリス・クーパー)の存在だ。炭鉱場の監督を務める父は、自分の仕事に誇り深く、よく言えば厳格、悪く言えば保守的で、ホーマーたちが時間を無駄に浪費していると感じている。映画はそんなヒッカム父子の確執を相互理解へと誘導し、涙を誘うクライマックスへと全ての要素を向かわせていく。大空に勢いよく上昇していくホーマーたちのロケットを、町のあらゆる人々がさまざまな場所から見上げるシーンに、誰もが湧き上がる感情を抑えることはできないだろう。

 映画の原題“October sky”(10月の空)は、文字どおりホーマーのスプートニク・ショックを換言したタイトルで、同時に原作小説のタイトル“Rocket Boys”のアナグラムになっている。これは監督のジョー・ジョンストンがコンピュータのアナグラム解析プログラムで発見したもので、最初から意図されたものではない。しかし監督の豊かな感性と情熱が本作の中核にあることは、映画が見事に物語っている。

◆ジョンストン監督にとっての『スター・ウォーズ』

『遠い空の向こうに』を手がけたジョー・ジョンストンは、『スター・ウォーズ』(77)で映画の世界に参入し、同作においてストーリーボードやメカデザインを担った視覚効果出身の監督だ。自らも軽飛行機の操縦免許を持ち、『ロケッティア』(77)を筆頭に、自作にはどれも空を飛ぶことへの憧れと執着が反映されている。本作も、ホーマー・ヒッカムの飛行に対する思いがジョンストンの指向と一致し、そういう点では非常に作家性の強い映画であるといえるだろう。

 またジョンストン監督の前述したキャリアから、この映画に『スター・ウォーズ』の幻像を重ねる者も少なくない。同作の主人公であるルーク・スカイウォーカーは、反乱同盟軍のパイロットになる夢を抱いているが、育ての親である叔父オーウェンは、彼を農作業に縛り付けて外界に出そうとはしない。
 この抑圧された若者の苦悩を、ホーマーは痛々しくも共有している。彼も物語の中盤で、父ジョンが炭坑の大事故で重傷を負い、高校を退学して炭坑労働者となり、一家の家計を支えなければならなくなる。誰もが人生で夢や理想を持ちながらも、それを達成することの難しさを、ルークもホーマーも体現しているのだ。
 
 だがホーマーは、ジェダイの騎士オビワンの王女レイア救出に加わることになるルークと同様、不治の病と闘いながら自分を支えたライリー先生への思いに応えようと、再びロケット作りの夢を追いかけようとする。なにより『スター・ウォーズ』ではルークが帝国の暗黒卿ダース・ベイダーの息子であり、父子の軋轢を描いたように、本作もまたホーマーとジョンの相克を明確に示している。

 本作が初公開された同時期、『スター・ウォーズ』はシリーズ3作目『スター・ウォーズ ジェダイの復讐』(83)から経年をへて、新作(『スター・ウォーズ エピソード1/ ファントム・メナス』(99))が発表され、フォースが若者の努力や行動とは無縁の、血統主義の象徴として描かれたことを嘆くファンもいた。そんなタイミングで世に出た『遠い空の向こうに』は、本来『スター・ウォーズ』が描くべきだったものがここにあると賞賛を受け、延いてはそれが、ジョンストンの経歴にも重ねられたのだ。視覚効果ファシリティのILMで10年間を過ごし、もう自分は宇宙船やエイリアンを充分すぎるほど開発したと、VFXアーティストから映画監督へと転身したジョンストン。彼こそが、ルーカスの向かうべきはずの轍をしっかりと踏みしめ、自ら正しかるべき『スター・ウォーズ』を展開したのだと。

◆スピルバーグからの賞賛と贈り物

 実際のところ、ジョンストンはILMでのキャリアを「働きながらフィルムスクールに通っているようなものだった」(*1)と述懐し、ルーカスにあらんかぎりの謝意を捧げている。

 なによりジョンストンの監督としての門出は、もう一人の偉大な作家が盛大に祝っている。『ジョーズ』(75)そして『未知との遭遇』(77)の監督スティーブン・スピルバーグだ。スピルバーグは『遠い空の向こうに』を観て「素晴らしい映画だ」と称賛し、返す刀で『ジュラシック・パークIII』(01)の監督のポストをジョンストンに任している。加えて、かつて自分の作品の視覚効果を支えた盟友への返礼を、大ヒットしたフランチャイズのオファーをもって示したのだ。

 ホーマー・ヒッカムがロケットを飛ばす夢を叶えたように、ジョンストンもまた、視覚効果の世界から一歩を踏み出し、大きく創造の夢を飛躍させたのである。そう、ロケットは物理的な力だけで空を飛んだわけではない。町の人々の熱心な応援と、やさしい先生のあたたかい指導、それに少年たちの“夢”があってこそ飛んだのだ。■

(*1)「STAR WARS STORYBOARDS オリジナル・トリロジー」(株式会社ボーンデジタル:刊)ジョー・ジョンストンの序文より抜粋

 

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