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PROGRAM/放送作品
特番「監督ジョン・カサヴェテスの2つのファミリー」
アメリカ・インディペンデント映画の父、監督ジョン・カサヴェテスの魅力を紹介するミニ番組。
アメリカ・インディペンデント映画の父と呼ばれ、世界中の映画人に愛され影響を与え続ける、監督ジョン・カサヴェテス。自身の人生、そして家族や仲間たちとの映画愛に満ちた制作背景を通し、彼の映画の魅力に迫る。
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COLUMN/コラム2016.06.11
演出、撮影、編集をワンマンに全部手がけつつも、珍しく役者の演技とストーリーを優先させた、ソダーバーグの異色作にして到達点〜『恋するリベラーチェ』〜
ソダーバーグの「映画監督やめたい」発言はほとんど年中行事化していたので、真に受けていた人は少ないだろう。ただ世間的には『サイド・エフェクト』(2013)が引退作とされており、不幸にも割りを食ったのがその直後に発表された『恋するリベラーチェ』である。 実は『恋するリベラーチェ』は本国アメリカでは「映画」としてカウントされていない。カンヌ国際映画祭に公式出品され、日本を始め多くの国々で劇場公開されているにも関わらず、である。 その理由は、アメリカではケーブルテレビ局でお披露目されたからで、あくまでも「テレビドラマ」扱いなのだ。ただしエミー賞のミニシリーズ/テレビ映画部門では作品賞、監督賞、主演男優賞など11部門を独占している。企画を蹴った映画スタジオの重役陣はさぞや歯噛みしたに違いない。 『恋するリベラーチェ』は1940年代から80年代にかけて活躍した実在のピアニスト、リベラーチェの伝記映画である。リベラーチェはクラシック畑の出身ながら、絢爛豪華な衣装とショーアップされたステージでポップスター的な人気を集めた。同性愛者であることは公然の秘密だったが、本人は決して認めようとはしなかった。映画ではリベラーチェの恋人だったスコット・ソーントンの回想録をもとに、ソーントンとリベラーチェの愛憎劇をブラックユーモアまじりに綴っている。 ソダーバーグは『トラフィック』(2000)の撮影時に早くもマイケル・ダグラスにリベラーチェ役を打診していたという。しかし映画が完成するまでに13年もの歳月がかかった。ダグラスの喉頭がんで企画が消滅しそうになったりもしたが、最大の障壁は「あまりにも同性愛的すぎる」という映画スタジオからの拒絶だった。 当時のソダーバーグのハリウッドでの立ち位置を整理しておきたい。ソダーバーグがリチャード・ラグラヴェネーズ(『フィッシャー・キング』)に『恋するリベラーチェ』の脚本を依頼したのが2008年の夏。ちょうど『チェ』二部作を完成させ、アメリカでの配給が決まらず宙ぶらりんになっていた時期である。 『チェ』二部作が配給を渋られたのは、ほぼ全編がスペイン語の作品だったから。「アメリカ市場のために英語で作れ」という要望を「英語の文化的帝国主義はもはやナンセンス」とはねつけたのだ。政治的な主張というよりも、スペイン語で話すラテンアメリカの人々を描いた実話なのだからスペイン語で撮るのが当然――という素直すぎる理由である。 また前々年には趣味性の強い実験作『さらば、ベルリン』が大コケ、前年に発表したヒットシリーズの第三弾『オーシャンズ13』も期待されていたほどの興収を上げることはできなかった。『チェ』でもハリウッドと揉めたソダーバーグはリスキーな企画ばかり撮りたがる厄介な大物監督という、一種の要注意人物だったのだ。 一方ソダーバーグにしてみれば、次々と浮かぶ刺激的なアイデアを実現させたいのになかなか資金が集まらないフラストレーションが溜まる状況が続いており、それが度重なる「引退発言」にも繋がっていく。 「同性愛」を理由に出資を断られたことについて、ソダーバーグは「『ブロークバック・マウンテン』以降の時代に信じられないよ、しかもこっちはもっと笑える映画だっていうのにね」と皮肉っていた。しかし2009年のアカデミー賞ではゲイの政治家の伝記映画『ミルク』が主演男優賞など二冠に輝いており、「同性愛的」という建前の裏にはソダーバーグへの警戒感もあったのだろう。 最終的に『恋するリベラーチェ』に出資したのが、アメリカの大手ケーブルテレビ局HBOだった。スピルバーグとトム・ハンクスが製作総指揮を務めた大作シリーズ「バンド・オブ・ブラザーズ」(2001)など、映画人とのコラボレーションに積極的な局である。製作費2300万ドルは決して安い買い物ではなかったはずだが、エミー賞11部門独占という成果を思えば双方にとって幸せな契約だったと言っていい。 そして映画業界への不満を募らせていたソダーバーグは、これ以降テレビシリーズの「The Knick」に着手したり、クロエ・グレース・モレッツ主演の舞台劇を演出したり、通販サイトを始めたりと映画以外の分野にワーカホリックっぷりを発揮し始める。 可笑しいのが『マジック・マイク』(2012)の続編『マジック・マイクXXL』(2015)で監督を盟友グレゴリー・ジェイコブスに任せながらも、製作総指揮、撮影監督、編集の三役を務めていたこと。自らカメラを回し編集も手掛けるのはソダーバーグのスタイルだが、他人が監督する映画で撮影や編集を担当するのは初めて。本人にも言い分はあるだろうが、そこまでするなら監督もやれよと言いたくもなる。 さて『恋するリベラーチェ』に話を戻そう。本作でソダーバーグは、おそらくデビュー作以来初めて「コンセプトありき」の方法論を捨てた。いや、「捨てた」は言い過ぎにしても、自分自身の表現欲よりも役者の演技とストーリーを優先させているのだ。 基本的にソダーバーグはコンセプト先行型の監督で、作品ごとの狙いがビジュアルにも反映されている。最もわかりやすい成功例が、物語の舞台となる三つの場所を色の異なるレンズフィルターで表現した『トラフィック』だろう。ただしコンセプトが勝ちすぎて「スタイルばかりで空疎」と批判されるケースも少なくなく、才気ゆえの諸刃の剣でもあった。 しかし『恋するリベラーチェ』では、彼の一番の武器である「センス」や「技巧」をみごとに抑制しているのだ。最も印象の残るのはリベラーチェに扮したマイケル・ダグラスとスコット・ソーントン役のマット・デイモンの素晴らしい演技であり、2人の繊細なやり取りが醸し出す可笑しさや哀愁なのである。 もちろん「技巧」や「センス」を捨てたわけではない。ソフトフォーカスを多用した撮影はレトロな時代感を出すだけでなく、年甲斐もなく若さを追い求めるリベラーチェの脳内ファンタジーの写し絵でもある。ドラッグでラリっているシーンのピンボケとフォーカスの絶妙なバランス加減も、監督自身がカメラを回しているからこそできる力技だ。 ジャンプカットを多用する得意のトリッキーな編集は控えめに、編集のさりげなさはもはや小憎たらしいほど。BGMに頼らずリズムを感じさせる音楽的なカッティングも冴えている 全米映画監督協会の規定のせいで撮影ではピーター・アンドリュース、編集ではメアリー・アン・バーナードと別名義になっているのは『トラフィック』以降のお約束。理不尽なのは撮影監督としても編集者としても映画界隈で明らかに過小評価されていること。「なんでも自分でやりたがる器用貧乏」というわけだ。しかしピーター・アンドリュースとして手がけた映画は19本を数え、テレビシリーズも含めると相当な仕事量にのぼる。明言しておくが出しゃばり監督の余技などではまったくない。 演出、撮影、編集という映画の基本が三位一体となり、過不足なく「人間」と「物語」を語ってみせる。当たり前といえば当たり前だが、ソダーバーグが叩き出す精度の高さはもはや円熟の境地。ひとつの到達点と呼ぶべき『恋するリベラーチェ』を観て、どうかソダーバーグの妙技を堪能していただきたい。■ © 2016 Home Box Office, Inc. All rights reserved. HBO® and related channels and service marks are the property of Home Box Office, INC.
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PROGRAM/放送作品
シネマ・ゴダール
ヌーヴェルバーグの旗手、ジャン=リュック・ゴダールの生み出した名作の裏側と、彼の映画愛に迫るドキュメンタリー。
ヌーヴェルバーグの巨人、監督ジャン=リュック・ゴダール。『勝手にしやがれ』『気狂いピエロ』他、彼の生み出した名作の裏側と彼の映画愛を、女優アンナ・カリーナ、監督マイク・リー他、映画人たちが赤裸々に語る。
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COLUMN/コラム2016.04.10
逢う魔が時、黒い怪鳥が群れ飛ぶ木立の下にたちこめていた、禍々しき空気…90年目の『チェンジリング』事件現場探訪
ロサンゼルス在住のシングルマザー、クリスティン・コリンズ(アンジェリーナ・ジョリー)の息子ウォルター(当時9歳)が忽然と姿を消した。5カ月後に警察はウォルター少年を保護したと発表、母子は感動の再会を果たす……はずだったが、引き合わされたのは息子とはまったくの別人。クリスティンが抗議をすると、警察は「あなたの方がおかしい」と彼女を精神病院に入れてしまう――。 まるでシュールなサイコホラーだが、これが実話なのだから恐ろしい。脚本家のJ・マイケル・ストラジンスキーはロサンゼルス市役所の職員から大量の古い書類を破棄すると聞き、その中からクリスティン・コリンズが息子の失踪について訴えている調書を拾い出した。 ストラジンスキーはさらにリサーチを重ね、登場人物がすべて実名のオリジナル脚本を書き上げる。現実の事件があまりにも複雑かつ奇妙なので、史実と異なる脚色は最小限に留めると決めた。後に「95%は資料に基づいて書いた」と語っている。イーストウッドはストラジンスキーの初稿を気に入り、なんら変更を加えることなく撮影を開始したという。 完成した『チェンジリング』は、愛する息子と自身の尊厳を取り戻すために闘うクリスティンの物語となった。社会的に無力な女性が警察権力を相手に勇気を奮い起こす姿はイーストウッドが過去に演じてきたヒーローたちを想起させる。ただしクリスティンの原動力はイーストウッド流の反骨ではなく“母性愛”だ。 クリスティンと警察の攻防とは別に、ウォルター少年の失踪事件には真犯人が存在する。ロサンゼルスから80km離れた町、ワインヴィルで養鶏場を営んでいたゴードン・ノースコットという男が少年を次々と誘拐し、虐待したあげく殺害していたのだ。ウォルターもまたノースコットが手をかけた犠牲者の一人だったと見なされている。 私事で恐縮だが、2014年の1月、筆者はロサンゼルスで『チェンジリング』のロケ地を訪ねて回っていた。ここから先はその際に体験した『チェンジリング』詣での“忌まわしい顛末”を書かせてほしい。 『チェンジリング』のロケ地を探すリサーチをしているうちに、ふと気になったのがアンジェリーナ・ジョリーのセリフにあったクリスティンの住所。これだけ事実をベースしているのだから、この住所も本物ではないのか? 劇中の住所は「210 North Avenue 23, Los Angeles, California」。ロサンゼルスのダウンタウンから3キロほど北東の一角だ。 行ってみると住所の場所はマンションになり、前には大きな高速道路が通っていた。事件から約90年、そりゃあ様変わりもするだろう。少し歩くと現在は使われていない路面電車のレール跡を発見。古い路線図で確認すると確かにダウンタウンとこの界隈を繋ぐ路線がある。映画と同様、クリスティンはこの路面電車で毎朝職場に通っていたのだろうか。 ロサンゼルスタイムズの調査によると、事件当時のクリスティンの住所は「219 North Avenue 23, Los Angeles, California」。「210」も「219」も今では同じマンションなので、劇中の住所はほぼ正確だったことになる。やはりクリスティン・コリンズはこの界隈で息子のウォルターと暮らしていた。ただし事件以降はひとつ所に落ち着くことなく転居を繰り返し、苦労の多い人生を送ったようである。 その晩、ネットで調べものをしていてゾッとするような情報にぶち当たった。事件当時に犯人であるノースコットが住んでいた家が今もそのまま残っているというのだ。 自分は映画好きであって犯罪マニアではない。殺人現場などむしろ避けて通りたい派だ。しかし映画ライターを名乗り、アメリカにまで来ておいて、この転がり込んできた情報をスルーするのか? むしろ『チェンジリング』所縁の場所を巡った今だからこそ感じるものがあるんじゃないのか? 翌朝もまだ迷っていたが、午前の用事に時間を取られ、午後の予定が白紙になってしまった。ロサンゼルスからノースコットの農場があったワインヴィルまでは車で約1時間。代わり映えのしないハイウェイを東へ進み、15号線とぶつかったところで南に折れる。途中で見かけたパモーナという地名は、確か『ダイ・ハード』でボニー・ベデリアが演じたジョン・マクレーン刑事の妻が子供たちと住んでいた町だ。 自分は霊感とは程遠い人間で、第六感的になにかを察知したことはない。しかし目的地が近付いてくると吐き気を催し始めた。きっと自己暗示だと思いつつも全身が「行きたくない」と叫んでいる。なんでこんなところまで来てしまったのか? 後悔し始めた時にはワインヴィルに一番近い高速の出口に着いていた。ノースコットの家はもう目と鼻の先である。 実は現在はワインヴィルという町は存在しない。ノースコットの事件があまりにもマスコミで騒がれたために住民が地名を変えたからだ。ただ「ワインヴィル・アベニュー」という通りがあり、ノースコットの家もこの道路に面している。 車から場所を確かめ、200mほど離れたところにレンタカーを停めた。農場がどれくらいの広さだったかはわからないが、周囲はほぼ住宅地になっている。歩行者の姿はまったく見かけない。カメラをつかんで件の家まで歩いてみる。一軒手前の家で凶悪な番犬に吠えられ、逃げ帰りたくなるほど驚いた。 件の家は壁が黄色く塗られた平屋の一軒家だ。メンテナンスのおかげか築90年の古家には見えないが、屋根の形や窓の配置は確かに当時の報道写真のままである。 敷地の奥に停められているトラックの辺りにウォルター少年が殺害された鶏舎があったはず。骨の一部が埋められていた場所は奥まっていて窺うことができないが、今は別の棟が建っているらしい。 やたらと禍々しく感じるのは先入観から来る錯覚だと自分に言い聞かせる。フェンスの金網になぜか細い木切れが縦に何本も挿さっていて、その意味不明さがさらに不安を煽り立てる。 家には事件のことはまったく知らずに入居した夫婦が住んでいると聞く。誰か出てきたらどうしようか。日本からの野次馬が歓迎されるとは思えない。盗撮のような気分で写真を2、3枚撮り、足早に車に向かった。 振り返ると、まだ造成されていない空き地が広がっていた。空き地の向こうに見える木立はちょうど殺された少年たちの骨が埋められていた辺りだ。 一応写真を撮っておこうと空き地に足を踏み入れてぎょっとした。土壌がやけに柔らかく、軽く足がめり込む。当時もこんな土壌だったのなら、ノースコットと共犯を強いられた甥のサンフォード・クラークはいとも簡単に穴を掘ることができただろうと、嫌な想像が膨らんでいく。 すでに夕暮れに差し掛かり、マジックアワーの現実離れした色彩が違和感に拍車をかける。その時に気がついた。例の木立の上空にだけ、黒い鳥の群れがくるくると旋廻している! いや、こんなのはただの偶然のはず。でも広い視界のどこを見ても、呪わしい木立の上にしか鳥は飛んでいないのだ。もう充分だ。一刻も早くここから離れよう。 実はイーストウッドも撮影前にこの地を訪れたという。犯人の家がそのまま残っていることを不気味に思い、その家を訪ねることなく立ち去ったという。あのイーストウッドがビビったのだから自分ごときが怯えるのも仕方がない。興味があって心臓が強い人のみ、住民に迷惑をかけない範囲で行ってみることをお勧めします。■ © 2008 UNIVERSAL STUDIOS
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PROGRAM/放送作品
パニック・フライト
飛行機という巨大な密室で繰り広げられる知能戦…、はらはらドキドキのサスペンス・アクション
『エルム街の悪夢』、『スクリーム』シリーズで知られるホラー映画職人監督ウェス・クレイブンが、ホラー映画で見せる緊迫感をそのままサスペンス・アクションに持ち込んだ、新境地開拓作。
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COLUMN/コラム2015.12.20
テロの時代を予見した作品とその監督を、単純に不運とは言わせない!!〜『ブラック・サンデー』〜
映画はアメリカ大統領を含む8万人の観衆がフットボール試合を観戦する巨大スタジアムで、パレスチナのテロ集団"黒い九月"が仕掛けた無差別テロ計画を、イスラエル諜報特務庁"ムサド"が阻止しようとするパニック・サスペンス。単なる娯楽映画の枠組みを超え、強烈なリアリズムが終始観客の心を掴み続ける力作である。だが、日本公開目前の1977年、配給元に「上映すれば映画館を爆破する」という脅迫が届いたため、用意されていたプリントは破棄され、公開中止が決定する。その3年前の1974年には、東アジア反日武装戦線"狼"による三菱重工ビル爆破事件が発生し、衝撃の余波が続いていたこともあった。しかし、たとえ公開中止になろうとも、1970年代のハリウッド映画を代表する話題作へのファンの評価と飢餓感は消えることなく、2006年にはソフト化され、2011年、"第2回 午前十時の映画祭"に於いて、遂に細々ではあるが劇場公開の運びとなる。製作時から実に34年後の公開だった。 この映画が長く語り継がれる所以は、人物や状況を手持ちカメラやロングショットで追い続けるドキュメンタリー・タッチにある。物語の幕開けはベイルート。"黒い九月"のメンバーが祖国アメリカへの復讐に燃えるベトナム帰還兵、ランダー(ブルース・ダーン)を操り、無差別テロを計画しているアジトに、"ムサド"の特殊部隊が乱入。しかし、リーダーのカバコフ(ロバート・ショー)はその時シャワーを浴びていたテロの首謀者、ダリア(マルト・ケラー)を見逃したため、計画はやがて実行へと移されることになる。映画監督デビュー前にアメリカ空軍の映画班で記録映画を数多く手がけ、その後、TVの生番組を152番組も演出した経験があるジョン・フランケンハイマーは、冒頭の数分で手持ちカメラを存分に駆使。その効果は絶大で、実際はモロッコのタンジールで撮影されたベイルートのざらざらとした画像とも相まって、観客を即座にテロ前夜の緊迫した世界へと取り込んでしまう。 フランケンハイマーのリアルなタッチは人物像にも及ぶ。 イスラエルとパレスチナの終わらない報復の連鎖の中で、家族を失い、必然的に孤高のテロリストとならざるを得なかったダリアを、気丈ではあるが不幸な戦争の被害者として、出征先のベトナムで捕虜となったばかりに、解放され、帰国後は母国民から裏切り者の烙印を押され、妻子にも去られ、精神に異常を来したランダーを、祖国から見放された狂気の人物として各々描写。さらに、"ムサド"を率いてきたカバコフにすら、劇中で「もう殺戮はたくさんだ」といみじくも独白させる。そんなテロ戦争の深い闇の中で、舞台となるアメリカとアメリカ国民はただ逃げ惑うしかないという矛盾が浮かび上がる。まるで、あの9.11を予言したかのような原作と脚色は、その後、『羊たちの沈黙』(91)で世に出るベストセラー作家、トマス・ハリスによるもの。これはハリスにとって最初に映画化された原作であり、『羊~』から続く『ハンニバル』シリーズ以外で唯一映画化された作品でもあるのだ。 気鋭の作家の筆力を得て、フランケンハイマー・タッチは後半、さらにヒートアップして行く。ダリアとランダーが武器として用意したプラスティック爆弾の密輸入に成功し、まずはその威力を試すため、カリフォルニアのモハベ砂漠の小屋で爆破させると、トタンに無数のライフルダーツが開くシーンの視覚的恐怖から、テロ一味が決行の日時と場所に設定したマイアミのスーパーボウル当日、ランダーが操縦する爆弾を搭載した飛行船がスタジアム上空に接近するのを、カバコフがヘンコプターから身を乗り出して追跡する空中戦へと転じるクライマックスのカタルシスは半端ない。リアルな犯罪サスペンスが娯楽アクションに俄然シフトする瞬間だ。 スーパーボウルのシーンはNFLの全面協力の下、マイアミのオレンジボウルで行われた第10回スーパーボウル、ダラス・カウボーイズVSピッツバーグ・スティーラーズの試合前日、10000人のエキストラを投入して撮影された。試合当日にパニックシーンの撮影は危険だったからだ。エキストラは全員ボランティアだったため、後日、フランケンハイマーは謝礼代わりに彼らの仕事ぶりを得意のドキュメンタリー映画に収めることで、その献身に応えている。タイヤメーカー、グッドイヤーが飛行船を提供したのもフランケンハイマーの尽力によるもの。彼とグッドイヤーはFIレースを描いた『グラン・プリ』(66)以来、信頼関係にあったからだ。 『ブラック・サンデー』を語る上で、改めてジョン・フランケンハイマーを取り上げないわけにはいかない。映画の公開直前、配給のバラマウントはかつてない量のモニター試写を行い、結果、かつてない程の好評を獲得し、自信を持って劇場公開に踏み切った。『ジョーズ』(75)に匹敵するブロックバスターになると信じて。ところが、映画は同じ1977年に公開された『スター・ウォーズ』の興収に遠く及ばなかった。そして、これを境にフランケンハイマーは映画作家としてのカリスマを失う。モンスター映画『プロフェシー/恐怖の予言』(79)、ドン・ジョンソン主演のディテクティブもの『サンタモニカ・ダンディ』(89)、H・G・ウェルズ原作『D.N.A./ドクターモローの島』(96)等を発表したものの、どれも『ブラック・サンデー』以前の代表作、アカデミー賞4部門に輝いた『終身犯』(62)以下、『グラン・プリ』『フィクサー』(68)『ホースメン』(71)『フレンチ・コネクション2』(75)等と比べて、質的に劣る作品ばかりだった。 そして、2002年、フランケンハイマーは脊髄手術の合併症により72歳で死去。1960~70年代のハリウッド映画に独自のダイナミズムとリアリズムを持ち込んだ巨匠は、惜しまれつつ、ファンの記憶の中に仕舞い込まれる。ハリウッドメジャーの期待を裏切った彼自身も、もしかして、映画と同じく不運な人だったのかも知れない。しかし、遊園地を舞台に爆弾魔と検査官を攻防を描いた『ジェット・ローラー・コースター』や、同じフットボール試合で発生する狙撃事件を追った『パニック・イン・スタジアム』等、'77年に起きたパニック映画ブームの一翼を担った他作品と比べると、『ブラック・サンデー』がいかに大人の鑑賞に耐え得る重層構造になっているかがよく分かる。単純な悪人も、ひたすら雄々しいヒーローも登場しないテロの時代の空虚を画面にとらえながら、同時に、娯楽的要素もたっぷりのバニック映画とその監督を、単純に不運と呼ぶのはいささか申し訳ない気がする。■ COPYRIGHT © 2015 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.
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PROGRAM/放送作品
ビッグ・バウンス
担いだつもりが担がれて…?南国ハワイで繰り広げられる、だまし合いのだまし合い
『ゲット・ショーティ』『ジャッキー・ブラウン』『アウト・オブ・サイト』などの原作で知られる、憎めないアウトサイダーを描く小説家エルモア・レナードの初期小説を、ハリウッド随一の個性派キャストで映画化。
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COLUMN/コラム2015.11.22
話題の食人族映画『グリーン・インフェルノ』のイーライ・ロスが原案・製作・脚本・主演したディザスター・パニック・ホラー〜『アフターショック』〜
これはルッジェロ・デオダート監督の『食人族』(81年)やウンベルト・レンツィ監督の『人喰族』(84年)等の人喰い族を題材にしたモンド映画をリスペクトした作品である。とりわけ前者の『食人族』は、POV(主観映像)によるファウンドフッテージ形式をとったモキュメンタリー(疑似ドキュメント)作品にも関わらず、日本では衝撃のドキュメンタリーという悪ノリ宣伝にのって劇場公開され、真実か?作り物か?の議論を呼んで異例の大ヒット! ちなみにモンド映画とは、観客の見世物的な好奇心をそそらせるような猟奇系ドキュメンタリー、もしくはモキュメンタリーのことを指し、モンドはグァルティエロ・ヤコペッティ監督のドキュメンタリー映画『世界残酷物語』(62年)の原題“MONDO CANE”に由来する。 でも『グリーン・インフェルノ』は、ファウンドフッテージ物でもモキュメンタリーでもなく、モンド映画が持ついかがわしさは多少薄れているものの、生々しい残虐描写を盛り込みつつ、現代的アプローチで食人族映画を復活させた。ジャングルの森林破壊によって先住民のヤハ族が絶滅に瀕すると考えた過激な学生グループが小型飛行機に乗るが、熱帯雨林に墜落する。生き残った学生数人はヤハ族に捕われてしまい、一人ずつ喰われていった。ヤハ族は食人族だったのだ……。 生きた人間からえぐった眼球を生のまま食べたり(オエッ)、生きた人間の四肢をナタで切断して肉塊を燻製にして(笑)食べるなど、ロス監督らしいエゲツない描写に溢れている。 血生臭い『グリーン・インフェルノ』の脚本を務めたロスとギレルモ・アモエドは、その前にディザスター・パニック・ホラー『アフターショック』(12年)の脚本で組んでいる。 ロスは、ある映画祭で上映されたニコラス・ロペス監督の作品を観てとても気に入り、いつか一緒に組もうと約束した。そしてロペス監督がチリ地震での体験を基にした作品を作りたいと言うと、ロスも意気投合し製作が決定。ロペス監督の盟友ともいえる脚本家ギレルモ・アモエドも参加し、ロスは製作と共同脚本を務め、俳優として出演もした。 チリを観光旅行する男友だちの3人が、ワインを愉しみつつ、昼は観光、夜はクラブで女性をハント。さながら導入部は、『ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』(09年)風のダメンズな匂いを感じさせながら、そこに巨大地震が起きて一変! ガラス片が体に突き刺さった女性とか(痛々しいっ)、壁が崩れ、天井からコンクリートの塊が落下してきて人間が果実のように潰れて圧死する! さっきまで、生の狂騒を感じさせていた空間が、阿鼻叫喚の地獄絵図に様変わり。津波が来るぞ、来るぞっという噂(情報)が流れだし、生き残った人間たちは高台を目指して右往左往するし、パニックに乗じて暴動や略奪があちこちで起こり、しかも刑務所から囚人たちが多数脱走し、更に混沌とした世界に変貌する。 大地震による恐怖もあるが、それによって引き起こされた人間のモラル崩壊が相次いで描かれる。地震の恐怖以上に人間の様々な凶行が、一層恐ろしく映し出される。 実は『ホステル』と『グリーン・インフェルノ』と同じく、『アフターショック』も似たようなシンプルな構成を取っている。導入部は若者たちの姿を、妙に脳天気に映し出しながら、突然ある異常な事態を迎えて恐怖の坩堝に落ちていく展開だ。その落差により、ショックと残虐に満ちた描写が一層際立つし、観る者たちに主人公たちの苦しみを疑似体験させようとする。ちぎれた腕を探す男の姿はどこか滑稽に映るが、どこか真実味をおびているし、時に不快感をももよおさせるほどの陰惨な場面も続出する。 例えば『ホステル』でいえば、拷問人に肉体を痛めつけられて肉体損壊される過程を丹念に見せながら、主人公と思しき人物が、隙をついてなんとか逃げ出そうとする際の、きりきりと胃が痛むような緊迫感が持続していた。あのなんともいいようのないショックと恐怖がたまらなかった。 おそらくイーライ・ロスが固執し続けるのは、彼自身が若い頃に『食人族』や『人喰族』等のモンド映画を観て受けた、超絶トラウマ体験の衝撃……すなわち“恐くて目を覆いたくなるようなショックで不快なものを見せつけてやろう”という精神なんだと思う。それがロスの心にも息づいていて、自分と同じようなトラウマ体験を、今の観客にも味あわせてやろうという意気込みが感じられる。まさにロスの監督作品は、“恐怖とショックと残酷の遺産”である。 だからロスにとって、作品がモンド映画か否かではなく、思わず観客の気持ちをひかせてしまうほどの、人間たちのリアルで恐るべき所業が主として映し出される。人間ほど恐くて魅力的なものはないのだから。 『アフターショック』では、地震よりも人間たちのほうが恐ろしい。パニックに乗じて囚人たちが民衆の中に巧みに入り混じってしまい、助けてもらいたいと思っても助けてもらえない状況に陥ってゆくし、普段は人の良さそうな人たちでも、銃を手にして発砲してくる始末だ。無法地帯になってしまった街中では、危険な不良グループがたむろし、だからといって重傷者を助けるわけでもなく、逆に弱っている者を血祭りにあげて嬌声をあげるし、若い女性を見れば、ここぞとばかりに襲いかかって欲望の赴くままにレイプする。 そうかと思えば、クラブから主人公たちを外に導こうとする、優しい清掃のおばさんがあっけなく死んでしまうし、展望台に運ぶケーブルカーのワイヤーが突然切れて、高所から傾斜度の高い坂をすべり落ちて婦女子全員が死んでしまう場面がある。人間の善悪では関係ないところで起きる自然災害の恐怖を伝える一方、神に仕える神父と修道女たちのいかがわしい関係によってできただろう堕胎児が地下墓地に埋葬されていて、善悪の人間に関わらず、誰しも恐ろしい本性を隠し持っていることを匂わせている。 そしてラストで、なんとか助かって、ようやく解放された空間に出てきたヒロインが直面する恐怖には、観る人によっては御都合主義と見られそうだが、私なりの解釈では、地獄からなかなか抜け出せなかった悪夢のようなものだと解釈した。現実かもしれないし、ヒロインが見た恐ろしい夢かもしれない。そのあたりのさじ加減が、実に上手い。 『アフターショック』はイーライ・ロスの監督作品ではないが、ロスの特徴が多分に盛り込まれた作品である。ちなみに『アフターショック』でロスが、ヒロインの一人、ロレンツァ・イッツォと共演し、その数年後に結婚するまでに到った記念碑的な作品でもある。ロスはイッツォを『グリーン・インフェルノ』の主役に起用し、食人族の族長が見染める処女を演じさせた。『アフターショック』の彼女とはかなりイメージが異なるので、見比べてみるのも一興である。■ ©2012 Vertebra Aftershock Film, LLC
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PROGRAM/放送作品
ビバリーヒルズ・コップ
エディ・マーフィの人気に火をつけた『ビバリーヒルズ・コップ』シリーズ、第1作目!
「ミッドナイト・ラン」『ジョー・ブラックをよろしく』などを手掛けたマーティン・ブレスト監督の出世作。製作には『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズのジェリー・ブラッカイマー、と豪華な顔ぶれ。
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COLUMN/コラム2015.07.06
フランスの気鋭監督が創出した“立てこもり活劇”の醍醐味~『スズメバチ』
本作が2002年の秋に日本公開された際に、ポスターやチラシに添えられたキャッチコピーは今でもよく覚えている。「12000発喰らえ」。しかし謳い文句通りの“ド派手なドンパチ”を期待して劇場に足を運んだ観客は、実際に本編を目の当たりにして面食らったのではないか。何せ序盤の約30分、これといった見せ場がほとんどない。観客を退屈させないための“方程式”に則った昨今のハリウッド・アクションや、本家のハリウッド以上にハリウッド的な娯楽性に富んだヨーロッパ・コープ製のフレンチ・アクションに慣れ親しんだ映画ファンは、本作のいささか冗長で無愛想にも映る導入部に焦れったさを感じるかもしれない。 正直なところ決して洗練されたタッチの導入部ではないが、作り手の狙いははっきりしている。「荒野の七人」のテーマ曲を口笛とアカペラで奏でながら、練りに練った犯罪計画を実行に移そうとしている若い窃盗犯グループ。人身売買、武器密輸などの凶悪犯罪を繰り返してきたアルバニア・マフィアのボスを、物々しい装甲車で護送しているフランス警察の特殊部隊。そして職場に向かおうとしている元消防士のしがない中年警備員。7月14日のパリ祭を背景に、そんな見ず知らずの登場人物たちが偶然にも“ある場所”に集結していく過程が描かれる。そう、この映画は冒頭30分を長々と費やして、アクション映画を形成する重要な要素のひとつであるシチュエーション=状況設定を組み立てているのだ。その30分を乗りきった観客には、ご褒美として中盤以降に怒濤のシークエンスが待っている。 その“ある場所”とは、ストラスブールの工業地帯にたたずむ黒い外壁の巨大な倉庫だ。ここに忍び込んだ窃盗犯グループは、前述の中年男ともうひとりの若い警備員を拘束し、大量のノートパソコンを強奪してトンズラしようともくろんでいる。ところが時同じくしてストラスブール近郊の別地点で、ボスを奪還しようとするマフィアの武装軍団が特殊部隊の護送車を襲撃。からくも生き延びた女性中尉リボリと数名の部下は、まだ窃盗犯グループがとどまっている倉庫に一時避難する。倉庫はあれよあれよという間に武装マフィアに包囲され、外界への連絡手段を断たれたリボリに残された道はただひとつ。その倉庫に身を潜めたまま窃盗犯や警備員たちと力を合わせ、軍隊並みの重装備を誇るマフィアを迎え撃つことだ。 言わば、これは倉庫を“砦”に見立てた伝統的な“立てこもり型”のアクション映画である。逃げるという選択肢を奪われた登場人物が、閉塞した限定空間に籠城して必死の抵抗を試みる。孤立無援にして、圧倒的な多勢に無勢。まともに闘ったら絶対に勝ち目はない。ゆえに登場人物がすべきことは敵の侵入を“防ぐ”ことであり、そこにヒリヒリするような極限状況のスリルが生まれる。スカッとした爽快さ&豪快さを売りにしたアクション大作とは真逆の、首を真綿で締められるがごときマゾヒスティックな緊張感。生き抜くためには命知らずの度胸や腕っぷしの強さよりも、ひたすら忍耐力と臨機応変の対応力が求められる。そこに立てこもり活劇の醍醐味がある。 このジャンルの代表作というと、ジョン・カーペンター監督の『要塞警察』(76)とその原点であるハワード・ホークス監督の西部劇『リオ・ブラボー』(59)がすぐさま思い浮かぶ。とりわけこの映画と『要塞警察』の類似性は誰の目にも明らかだ。しかしながら本作には「このシチュエーションの活劇が撮りたかった!」という作り手の並々ならぬ意欲が全編にみなぎっており、パクリや二番煎じと誹る向きはどこにもいないだろう。浮ついたギャグや、二丁拳銃などのアクロバティックな描写は一切ない。その代わりに戦闘中の登場人物が残りの弾薬数を確認したり、状況がじわじわと切羽詰まっていくプロセスをリアルに見せる工夫が随所に盛り込まれ、本格的な立てこもり活劇に仕上がっている。 『スズメバチ』というタイトルも言い得て妙だ(原題は『Nid de guêpes(スズメバチの巣)』)。目の部分が不気味に赤く光る暗視ゴーグルを装着した武装マフィアが、暗闇の中からうようよと無数にわき出ては、容赦なく倉庫に群がってくるイメージは、まさしくスズメバチを想起させる。生憎、筆者はその筋には詳しくないが、銃器の演出にもそうとうこだわりがあるのだろう。立てこもる側の登場人物にはそれぞれのキャラクターの個性に合わせてショットガン、カービン銃、自動小銃といった新旧織り交ぜた武器を持たせ、武装マフィアはサイレンサー付きの銃でひたひたと攻め入ってくる。撃ち抜かれた壁の銃痕の穴から光が差し込むというガン・アクション映画には定番のショットにも、“スズメバチの巣”のヴィジュアル化を意識した美学が宿っている。ちなみに監督は本作の成功がきっかけでハリウッドに招かれ、ブルース・ウィリス主演の『ホステージ』(05)を発表し、最近では「マイウェイ」の共作者として名高いポップスター、クロード・フランソワの伝記映画『最後のマイ・ウェイ』(12)を手がけたフローラン・エミリオ・シリ。『スズメバチ』は彼の長編第2作であり、本邦初登場作品である。 「ここを突破されたらヤバい!」というギリギリの切迫感が少々物足りず、クライマックスへのなだれ込み方が大味になってしまったことなど難点はいくつか見受けられるが、『TAXi』(97~07)シリーズで名を馳せた某俳優が演じるキャラクターが早々に戦闘不能に陥ったり、誰が最後まで生き残るのかは予測不可能。「12000発喰らえ」のキャッチコピーに引かれた観客の期待にも応えるであろう“フレンチ立てこもりアクション”のカタルシスを、ぜひ堪能してほしい。■ © 2002 - CINEMANE FILMS - CARRERE GROUP - PATHE IMAGE PRODUCTION - FRANCE 2 CINEMA