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PROGRAM/放送作品
地獄の7人
ベトナム戦争終結後、捕虜となり未だ戻らぬ息子を想う父親をジーン・ハックマンが演じた戦争アクション
戦時行方不明者(MIA)救出を取り上げたアクション映画がこの頃流行ったが(『地獄のヒーロー』、『ランボー2』)、そんな中でも、息子を思う父の愛を描き、感動を盛り込むことに成功した異色MIA救出モノ。
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COLUMN/コラム2015.04.02
【未DVD化】翼に賭ける命 ― ハリウッド航空映画のタフガイ列伝〜『紅の翼』
監督を手がけたウィリアム・A・ウェルマンは、1896年生まれで、同年生まれのハワード・ホークスや、1895年生まれのジョン・フォードらと同様、無声映画時代から約半世紀の長きにわたってハリウッドで活躍し続けた映画界の神話的巨匠の1人。共通項のウェインを間に差し挟んで、この3人の巨匠たちの個性や作風の違いをあれこれ引き比べながら論じるなどということは、なにぶん畏れ多くて手に余る大仕事なので、ここではフォードの代わりに、これまた数々の伝説的神話で知られる大物ハワード・ヒューズを召喚し、タフで荒い気性で知られた“ワイルド・ビル”ことウェルマンと、これまた一匹狼の風雲児たる2人のハワードの交錯から生まれた、航空映画という新たな人気ジャンルの確立とその後の発展をざっとおさらいした上で、改めてこの『紅の翼』に立ち戻ってみることにしたい。 ■三つ数えろ ― 映画界の大物アビエイターたちの三つ巴の戦い というわけで、まずはウェルマンから。第1次世界大戦において、当時20歳そこそこの血気にはやる若者だった彼は、アメリカがまだ参戦を決める以前から義勇兵に志願して、フランス外人部隊に所属。名高いラファイエット飛行隊のエース・パイロットとして複数の撃墜記録を誇る活躍を見せ、軍功賞を授与されている。そして戦後、映画界入りした彼が、その輝かしい実績をもとに、大作の監督に抜擢され、世に送り出したのが、ハリウッドの航空映画の先駆的傑作にしてウェルマン自身の一大出世作ともなった『つばさ』(1927)だった。 この作品は、米陸軍航空隊の全面協力の下、200万ドルもの製作費を投じて、第1次世界大戦における戦闘機同士の息詰まる空中戦をスリルと迫力満点に描いたもの。折しもこの年、かのチャールズ・リンドバーグが大西洋横断の単独無着陸飛行に成功し、全米中に熱狂的な航空ブームを巻き起こしたことも相まって、映画は公開されるや一躍大ヒットを記録し、栄えある第1回のアカデミー作品賞にも輝いている。そして以後、ウェルマン監督自身、『空行かば』(28)、『若き翼』(30)、など、同種の作品を相次いで発表すると同時に、『つばさ』の成功に刺激を受けて、数多くの航空映画が他者の手でも撮られることとなった。 そして、ここで登場するのが、当時、亡き父から受け継いだ巨万の富を手にハリウッドに単身乗り込み、新参の映画製作者として独自の道を歩み始めていた変わり者の若き大富豪、ハワード・ヒューズ。彼は、『つばさ』を上回る迫真の空中スペクタクルを生み出そうと、第1次世界大戦で実際に用いられた本物の戦闘機を自らの資金で買い集め、1927年の秋から、大作航空映画『地獄の天使』の製作に着手。しかし何かと些事にこだわり、自分の思い通りのやり方でないとどうにも気が済まないワンマン主義者の彼が、当初の監督をクビにして自ら初監督の座に就き、あれこれ試行錯誤しながら撮影を長引かせている間に、映画界にはトーキー化の波が押し寄せ、無声映画として撮影されていた同作をそのままの形で公開すると、時代遅れな代物として観客にそっぽを向かれる恐れが生じたため、ヒューズは、製作半ばにして映画をトーキーに変更することを決断。その際、思い切って主演女優も、当時はまだ無名のジーン・ハーロウに新たに差し替えて撮り直しを断行し、製作費は400万ドル近くにまで達する一方、映画の完成がますます遅れる仕儀とあいなった(レオナルド・ディカプリオがヒューズに扮したマーティン・スコセッシ監督の伝記映画『アビエイター』(2004)の中にも、そのあたりの一端が描かれているので、ぜひご一見あれ)。 そして、その間隙を縫うようにして、もう1人の大物プレイヤーがここに参入してくる。それが、ほかならぬハワード・ホークス。もともとエンジニア志望で、大学では機械工学を専攻していた彼は、第1次世界大戦の際、召集されて陸軍航空隊に入り、国内の練兵場で飛行部隊の教官を務めた過去の経歴があった。ホークス初の航空映画となった『暁の偵察』(30)(彼は以後も、『無限の青空』(36)や『空軍』(43)など、さらなる航空映画の秀作を生み出すことになる)は、ようやく撮影が終了した『地獄の天使』の現場スタッフをちゃっかり雇い入れて聞き出した同作の内容を映画作りの参考にするなど、後発隊ならではの旨みと強みを発揮。一方、それを聞いて烈火のごとく怒ったヒューズは、トンビに油揚をさらわれてなるものかと、訴訟を起こして『暁の偵察』の製作や公開の差し止めを試み、お互いに激しい場外バトルを繰り広げた末、2つの作品は1930年に相次いで劇場公開されて共に大ヒットを記録し、航空映画という新たな人気ジャンルの確立に大きく貢献することとなったのだった。 さて、その後、ウェルマン監督は、『地獄の天使』においてプラチナ・ブロンドのセクシーな魅力で一躍人気が沸騰したジーン・ハーロウをジェームズ・キャグニーの相手役の1人に起用して、壮絶なギャング映画の傑作『民衆の敵』(31)を発表。これに対し、『暁の偵察』の時は互いに激しく対立したヒューズとホークスだが、これがかえって不思議な縁となって両者はその後、意気投合するようになり、続いてヒューズが製作、ホークスが監督としてコンビを組んだ『暗黒街の顔役』(31-2)では、『民衆の敵』と双璧をなす、トーキー初期のギャング映画を代表する古典的傑作を生み出すことに成功する。そして、2人のハワードはその後、無名の新人グラマー女優ジェーン・ラッセルを煽情的に売り出した異色西部劇『ならず者』(40-43)で、再び製作&監督コンビを組むが、ホークスは早々に監督の座を降り、結局ヒューズがその後を引き継いだものの、またしても映画の完成までには時間がかかり……、といった具合に、この3人をめぐる面白い因縁話には、実はまだまだ先があり、それを詳述していくと、いよいよヒューズの二の舞で(一介の貧乏ライターの自分を、かの億万長者になぞらえるのもおこがましいが)、こちらの文章も長くなって収拾がつかなくなるので、ここでは残念ながら割愛することにして、本来の航空映画の話に戻ることにしよう。 ■題名からひもとくハリウッド航空映画小史 『つばさ』や『地獄の天使』『暁の偵察』の大ヒット以後、ハリウッドではさらに多くの航空映画が生み出されていくことになるが、それらの作品群の題名をざっとここに並べてみると、「つばさ」(あるいは「翼」)と「天使」が、航空映画の大きなキーワードになっていることが見て取れる。無論、前者は『つばさ』、そして後者は『地獄の天使』に由来し、ウェルマンの『つばさの天使』(33)では、まさに両者が合体しており(ただし、これの原題は「CENTRAL AIRPORT」で邦題とは無関係)、それとは逆に、ホークスの『コンドル』(39)の原題は、「ONLY ANGEL HAVE WINGS」で、やはり「天使」と「つばさ」が揃い踏みとなっているのも面白い。 先に紹介した1927年のリンドバーグの大西洋横断飛行の実話は、それから30年後、ビリー・ワイルダー監督の手で『翼よ!あれがパリの灯だ』(57)として映画化される(ちなみに、アンソニー・マン監督の『戦略空軍命令』(55)やロバート・アルドリッチ監督の『飛べ!フェニックス』(65)でもやはりパイロットの主人公を演じたジェームズ・スチュワートは、第2次世界大戦時、米陸軍航空隊に志願入隊して爆撃機パイロットとして活躍し、後に空軍少将の位にまで登りつめた文字通りの空の英雄)。そしてジョン・ウェインは、この『紅の翼』の後、フォード監督と組んで『荒鷲の翼』(56)を、準主役のロバート・スタックは、ダグラス・サーク監督と組んで『翼に賭ける命』(57)に出演することになる。なおスタックは、やはりサーク監督の傑作『風と共に散る』(56)の中で、傲岸不遜な態度の奥にさまざまなコンプレックスを抱えたテキサスの石油王の御曹司を熱演しているが、この役柄のモデルとなったのが、実は何を隠そう、ハワード・ヒューズだった。 ■『紅の翼』 さて、ここでようやく話はふりだしに戻って、本来のメイン料理たる『紅の翼』の紹介に移ろう。この映画でウェインが演じるのは、戦闘機を駆って大空を勇猛果敢に飛び回る軍人のパイロットではなく、1950年代当時の平和な戦後社会を舞台に、民間の旅客機を操るベテランの副操縦士。冒頭、ウェインが最初に劇中に登場するシーンは、映画ファンなら既にお馴染みの、あの少し内股気味の独特のゆったりした足取りとは異なり、彼が片足を少し引きずりながら窮屈そうに歩く様子を、背後から捉えるところから始まる。元来、一流のパイロットの腕前を持つ彼は、かつて上空を飛行中、天候の急変に見舞われて機体が大破炎上し、愛する妻子を含む他の乗客全員が死亡する中、彼ただ一人かろうじて生き残るという悲劇を経験したことが、その後、整備士の口を通して語られ、ウェイン扮する主人公の足の障害はその後遺症であることが、観客にも了解されるわけだが、実はこれは、監督のウェルマン自身を主人公に投影させたもの。先にも紹介した通り、ウェルマンは第1次世界大戦において、フランス外人部隊の飛行隊のパイロットとして活躍したわけだが、彼自身も敵の対空砲火で撃墜された実体験を持ち、その時に負った怪我が原因で、以後は終生びっこを引くはめになったという。 しかしまたウェインは、これまた映画ファンなら御存知の通り、『静かなる男』(52)、『捜索者』(56)から『エル・ドラド』(66)、そして遺作の『ラスト・シューティスト』(76)に至るまで、心や体に傷を負いながら、その苦境の中でこそ真のタフで勇気な精神を発揮するところに、彼の不滅のヒーローたる魅力が宿っている。 ■風と共に去りぬ ― 航空映画からパニック映画への変容 そして、本作の物語が描き出すのは、ウェイン扮する副操縦士や、ロバート・スタック扮する機長ら、乗員乗客計22名を乗せて、ハワイのホノルルからサンフランシスコへ向けて飛び立った旅客機が、上空でトラブルに見舞われてエンジンの1つが突如火を噴き、絶体絶命の極限状況に陥る中、彼らの気になる運命の行く末を、多彩な人間模様を織り交ぜながらスリリングに描き出すというもの。 こうして書き記してみればお分かりの通り、実は本作は、その後、『大空港』を皮切りに計4本作られる『エアポート』シリーズ(70-79)をはじめ、『ポセイドン・アドベンチャー』(72)、『タワーリング・インフェルノ』(74)、等々、1970年代に一大ブームとなるパニック映画の原型を成すこととなった先駆的作品の1本。これらの一連のパニック映画は、運悪く同じ場所に居合わせて非常事態に遭遇した人々が、その破局的状況から必死で抜け出そうと悪戦苦闘するさまを、豪華多彩なオールスター・キャストを取り揃え、“グランド・ホテル形式”と呼ばれるハリウッドの伝統的な話法を用いて描くのが、物語の基本的パターン。大勢の出演者たちの個々の見せ場を作る必要性から、物語はおのずと断片化されてお互いにバラバラな短い挿話を寄せ集めたものとなりがちだし、それも後年になるに従ってなし崩しとなり、ドラマそのものよりも、迫真の臨場感に満ちたアクションやサスペンスを重視して、より映画のスペクタクル性を前面に押し出したイベント的な大作が一層増えるようになるのは、必然的な流れ。 上記の作品はもとより、その後のCGの発達により、『タイタニック』(97)から最近の『ゼロ・グラビティ』(2013)に至るまで、いまやすっかり当世風のパニック映画に慣れっこになっている現代の映画ファンからすると、エンジンの不調で飛行機が危機的状況に陥るまでに結構時間がかかり、その間、登場人物たちが各自、上空の密閉空間の中で動きと生彩に欠ける会話劇を延々と繰り広げる『紅の翼』の古風で悠長な話運びは、いささか退屈で冗漫に思えても致し方ないかもしれない。 このあたりの航空映画というジャンルの時代的変遷に関して、淀川長治・蓮實重彦・山田宏一の三氏が、映画の魅力を縦横無尽に語り合った鼎談集「映画千夜一夜」の中で、次のようにズバリ本質を鋭く衝く的確な指摘をしている。 山田「航空映画というのはやっぱり風の映画なんですね。」淀川「そうなんですよ。だからいまの飛行機の映画いうのは、飛行機のなかだけで『グランド・ホテル』みたいな面白さはあるけど、本来の面白さはないね。飛行機が飛んでるのか、飛んでないのかわからないものね(笑)。」蓮實「ジェット機になってからダメになったんですね。」 ■ファニー・フェイスの心優しき天使 ― MEET DOE AVEDON さて、そんな次第で、この『紅の翼』は、正直なところ、ウェルマン監督の数ある作品群の中では、上出来の部類に入るものとは言い難いのだが、それでも筆者があえて個人的な情熱を燃やして、関連情報もあれこれ盛り込みつつ、本作の紹介文を長々と書き連ねてきたのには、実はもう1つ大きな理由がある。それは、劇中、親切で温かみのある新人スチュワーデスに扮して、パニックに陥る乗員乗客たちの不安と恐怖をそっとなだめて回る、ドウ・アヴェドンという女優の存在。あまり聞きなれない女優と思う人の方が大多数だろうが、その名が示す通り、実は彼女は、「ハーパース・バザー」「ヴォーグ」などの一流雑誌で活躍した20世紀の後半を代表するファッション写真家、リチャード・アヴェドンの元妻にしてそのトップモデル。フレッド・アステア演じる人気ファッション写真家が、本屋の女店員に扮したオードリー・ヘップバーンを見初めて自分の写真のモデルに起用する様子を洒落たタッチで描いたミュージカル映画『パリの恋人』[原題「FUNNY FACE」](57)は、リチャード&ドウ・アヴェドンのありし日の関係を下敷きにしたもの。 映画の中では、熱々の新婚カップルを羨ましそうに見やりながら、「私も結婚できるかしら?」とつぶやいたりもするドウ・アヴェドンだが、実はこの時彼女は、リチャード・アヴェドンとの結婚・離婚を経て、再婚した俳優の夫とも悲劇的な事故で死別していた。そして彼女は、それから3年後の1957年、めでたく3度目の結婚を果たす。その相手こそ、誰あろう、当時、B級ノワールの傑作『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』(56)などを放って頭角を現わしつつあった活劇映画の名手、ドン・シーゲルその人であった! 1940~50年代に、本作を含めてわずか4本の映画といくつかのTVドラマに出演した彼女は、シーゲルとの結婚を機に女優業を引退して家庭生活に専念。1975年に彼と離婚した後、彼女は長年親交のあったジョン・カサヴェテスの晩年の個人秘書を務め、『ラヴ・ストリームス』(84)に端役で出演したきり、2011年にこの世を去ったため、この『紅の翼』は、女優ドウ・アヴェドンの姿が拝める数少ない貴重な映画の1本となる。御存知『駅馬車』(39)や『暗黒の命令』(40)でもウェインとコンビを組んだクレア・トレヴァーや、本作の熱演でゴールデン・グローブ助演女優賞に輝いた『地獄の英雄』(51)のジャン・スターリングもさることながら、ここはぜひ、アヴェドンの清楚でさわやかな演技に注目していただきたい。 ■スタア誕生 そしてシーゲルとくれば、ここでやはり最後にクリント・イーストウッドにもご登場願って、このすっかり長くなってしまった拙文を締め括ることとしたい。この2人の師弟関係については、もはやここで改めて説明するまでもないだろうが、イーストウッドがシーゲルと出会うよりも十年ばかり前、当時まだ駆け出しの新人俳優だった彼が、脇役とはいえ、初めて一流の巨匠監督の作品に出演できる機会がめぐってくる。それこそが、ウェルマン監督の本邦劇場未公開作『壮烈!外人部隊』[原題「LAFAYETTE ESCADRILLE」](58)だった。 1975年にこの世を去る同監督の、いささか早すぎる引退作となったこの最後の長編映画でウェルマンが題材に採り上げたのは、彼の青春時代の思い出がたくさん詰まった、第1次世界大戦におけるラファイエット飛行隊の物語。かつて『つばさ』で、ほんの短い出番のチョイ役ながら、鮮烈な印象を観る者の脳裏に刻み込んで、その後一躍人気に火が点いてスターへの座を駆け上っていったゲイリー・クーパーのように、ウェルマンの原点回帰というべき航空映画であり、甘酸っぱい初恋青春映画でもあるこの『壮烈!外人部隊』で、主人公と同じ飛行隊に所属する若者の1人を演じたイーストウッドは、御存知の通り、その後、現代映画界きっての大スターへの道を歩むようになる。 ここで今更ながらに思い起こすならば、ウェルマン監督は、決して航空映画専門のスペシャリストではなく、先に紹介した『民衆の敵』のようなギャング映画から、社会派ドラマ、戦争映画、西部劇など、幅広い題材を手がけた万能型の職人監督でもあって、ハリウッド・スターたちの栄枯盛衰を描いた古典的傑作『スタア誕生』(37)を放ってアカデミー原案賞に輝いたのも、ほかならぬ彼だった。同作はその後、1954年と1976年にリメイクされ、そしてウェルマン監督の異色西部劇『牛泥棒』(43)を自身が最も影響を受けた映画の1本と公言するイーストウッドが、本来ならその3度目のリメイク版の監督をする企画が進行していたはずだが、どうやら現在では、イーストウッドが、『アメリカン・スナイパー』に主演したブラッドリー・クーパーにその企画を譲り、クーパーが主演に加えて監督業にも初挑戦するということが最新ニュースで報じられている。これもぜひ楽しみに待ちたいところだ。■ COPYRIGHT © 2015 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.
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PROGRAM/放送作品
地獄の7人
ベトナム戦争終結から10年、捕虜となり未だ戻らぬ息子を想う父親をジーン・ハックマンが演じた戦争アクション
戦時行方不明者(MIA)救出を取り上げた痛快アクション映画がこの頃流行ったが(『地獄のヒーロー』、『ランボー2』)、そんな中でも、息子を思う父の愛を描き、感動を盛り込むことに成功した異色MIA救出モノ。
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COLUMN/コラム2019.02.26
アメリカ「唯一の敗戦」で生じた、“MIA問題”のリアルな顛末〜『地獄の7人』〜
本作『地獄の7人』には、映画の内容以上に強烈な思い出がある。 1983年に製作されたこの作品は、同年にアメリカで公開されて、日本公開は翌84年の6月だったから、多分その直前の話。ラジオ局のプレゼントでホール試写が当たった私は、友人と2人で出掛けた。 映画が終わった直後、ちょっと興奮した私たちがこの映画について語っていると、やはり客席に居た白人の男性から、こんな言葉を浴びせられた。 「ダガ、アナタタチハ、センソウノゲンジツヲ、シラナイ」 穏やかながら痛烈な口調に、私たちは吃驚して、暫し沈黙せざるを得なかった…。 ********** アメリカ合衆国の歴史上で、「最大級の汚点」とされる、“ベトナム戦争”。ソ連との冷戦時代、「ベトナムの共産化を阻止する」という名目で、アメリカは南ベトナム軍を支援し、1965年から本格的に軍事介入を行った。しかし、北ベトナム軍及び南ベトナム解放戦線との戦闘は長期化し、戦況は泥沼化の一途を辿っていく。 次第に劣勢に追い込まれたアメリカ軍は、73年に撤退を余儀なくされる。これを、アメリカの対外戦争に於ける、「唯一の敗戦」と見なす者も多い。 アメリカ兵の戦死者・行方不明者は、5万8,000人。国家の威信は大きく揺らぎ、若者たちは深く傷ついた…。 映画は「社会の鏡」である。アメリカ映画に於いて、“ベトナム戦争”がどのように描かれているかの変遷は、そのままアメリカ社会や世相の変化を表している。 西部劇の大スターにして、ハリウッドを代表するタカ派のジョン・ウェインが、1968年に監督・主演した『グリーン・ベレー』は、娯楽映画の衣を纏いながら、アメリカによるベトナムへの軍事介入の“大義”を高らかに謳い上げる、プロバガンダ作品だった。 しかしほぼ同時期、ベトナム戦争を一つのきっかけとして、それまでの権威が大きく崩れていく。そして、既成の権威に牙を向く、“アメリカン・ニューシネマ”の時代が訪れる。“ニューシネマ”の中では、例えば朝鮮戦争を舞台とする、ロバート・アルトマン監督の『M★A★S★H マッシュ』(70)や、ラルフ・ネルソン監督の西部劇『ソルジャー・ブルー』(70)のような作品の中で、“ベトナム戦争”を暗に批判した描写が見られるようになる。 “ニューシネマ”が終焉を迎えた後、1978年は、“ベトナム戦争”をテーマにした作品のエポックメーキングと言える年となった。アメリカの田舎町から戦場に向かった若者たちの運命を描く、マイケル・チミノ監督、ロバート・デ・ニーロ主演の『ディア・ハンター』、ジェーン・フォンダ扮する軍人の妻と、ジョン・ボイトが演じる半身不随となったベトナム帰還兵との愛を描く、ハル・アシュビー監督の『帰郷』。この2本が公開されたのだ。 『ディア・ハンター』はその年度のアカデミー賞で、作品賞、監督賞、助演男優賞、音響賞、編集賞の5部門、『帰郷』は、脚本賞、主演男優賞、主演女優賞の3部門を受賞した。1978年は、ベトナム戦争を題材とした“反戦映画”が、他を圧した年となったのである。 『ディア・ハンター』では、平穏な日常と戦場のギャップが強烈に描かれたが、ベトナムの戦場のリアルをスクリーンに映し出す試みは、その後も連綿と続いていく。『地獄の黙示録』(79)『プラトーン』(86)『フルメタル・ジャケット』(87)『カジュアリティーズ』(89)等々。 『帰郷』のように帰還兵を題材とした作品としては、オリバー・ストーン監督、トム・クルーズ主演の『7月4日に生まれて』(89)が、その後の代表的な作品として挙げられる。しかし一方で、そうした存在を主人公にした、B級テイストのアクション映画も、頻繁に製作されるようになる。 『ローリング・サンダー』(77)『ドッグ・ソルジャー』(78)『エクスタミネーター』(80)等々。その究極の形とも言えるのが、82年に公開された、シルベスター・スタローン主演の『ランボー』第1作である。 因みに、当初その先駆けのように言われたのが、76年公開の最後の“ニューシネマ”『タクシードライバー』。しかし、デ・ニーロが演じた主人公トラヴィスは、その誇大妄想狂ぶりや虚言癖から、彼が自称する「ベトナム帰りの元海兵隊員」というのは、「信じ難い」というのが、今日では有力な説になっている。 そして“戦争アクション”という形で、80年代の半ば近くから、次々と製作・公開されるようになるのが、いわゆる“MIAもの”である。「MIA」とは、Missing in Action=「戦闘後の行方不明兵士」を意味する言葉。 では“MIAもの”とは、一体どんな内容の作品なのか?それについては、『ランボー』に続いてのテッド・コチェフ監督作品であり、このジャンルの口火を切った本作、『地獄の7人』のストーリーを紹介するのが、手っ取り早いと思う。 主人公はジーン・ハックマン演じる、退役軍人のローズ大佐。10年前にベトナム戦線で行方不明=MIAとなったひとり息子の行方を捜し求めている。 アメリカ政府から何ら有力な情報がもたらされることがない中、独自の調査で、ベトナムの隣国ラオスに在る捕虜収容所の空中写真を入手。アメリカ兵の捕虜らしき影を、そこに見出す。 ローズは自分と同じく、息子がMIAとなっている富豪から資金援助を得て、自らがリーダーとなり、救出作戦を強行することを決意する。そのために彼は、息子の戦友たちを訪ね歩き、協力を求める。 ベトナムからの帰還後、実業家として成功を収めた者が居る一方で、戦場の悪夢にうなされ続ける者も居る。大佐を含めて、集まった者は、“七人”。実戦の勘を取り戻し、作戦を成功させるための猛訓練が数週間に渡って行われた後、チームは勇躍、タイのバンコクへと旅立つ。 ここからラオスを目指す算段だった“七人”だが、そこで思わぬ邪魔が入る。ベトナムやラオスとのトラブルを恐れ、密かに彼らの監視を続けていたCIAによって、用意した装備がすべて、没収されてしまったのである。 しかし彼らは諦めず、麻薬バイヤーの中国人の力を借りて、中古の銃火器を調達。陸路で目的地へと向かう。 ラオスとの国境で、まずは一戦を構えた一行。犠牲を出しながらも、国境警備の兵士を全滅させて、ラオスへの入国を果たした。 そして遂に、目的地の捕虜収容所に達し、アメリカ兵の捕虜4名の存在を確認。ラオスの大地を血に染める、地獄の救出作戦を開始する…。 本作の翌年以降に公開されて、むしろ本作よりも知名度が高い“MIAもの”『ランボー/怒りの脱出』(85)や、チャック・ノリス主演の『地獄のヒーロー』シリーズ(84~88)も、ベースとなる展開はほぼ同じ。主人公は正規の外交交渉を飛び越え、アメリカ兵捕虜が囚われている収容所に乗り込んで救出作戦を展開。殺戮と破壊の限りを尽くす。 では80年代、なぜこうした“MIAもの”が数多く製作・公開されたのか?大きな理由の一つに挙げられるのが、1981年にロナルド・レーガンが、アメリカ大統領に就任したことである。 俳優出身で、“グレート・コミュニケーター=偉大なる伝達者”の異名を取ったレーガン大統領。ソ連など共産陣営との対決姿勢を強め、2期8年の任期=即ち80年代のほとんどに渡って、「強いアメリカ」の復活を鼓舞した。まるで、ベトナム戦争の「敗戦」という、悪夢を吹き飛ばすかのように。 そこに呼応するかのように製作されたのが、“MIAもの”だった。アメリカ国内には以前から、ベトナム領内には戦争捕虜が残されているとの見方が根強くあったが、強硬なタカ派的な姿勢が強いレーガン政権の下では、自国民を取り戻すためには、「実力行使も辞すべきではない」という考え方が、自然と強まったわけである。 レーガン政権誕生直前、中東のイランでイスラム革命が起こり、1979年から81年に掛けて、在イラン・アメリカ大使館の外交官たちが人質に取られるという事件があったことも、“MIAもの”の製作を、後押しした。まるで、アメリカ国民の間に溜まった、大きなストレスを晴らすかのように。 では“MIA”の現実は、どのようなものだったのか?果してベトナムやその周辺に、囚われのアメリカ兵は居たのであろうか? ベトナム戦争はアメリカ軍撤退の2年後、1975年のサイゴン陥落で終結。その後アメリカとベトナムが、“国交正常化”を目指した交渉を始めるまで、10年以上の歳月を要した。 87年に両国は、“MIA”調査の進展とベトナムへの人道援助の開始で合意。91年には協力促進のため、アメリカ側の常設事務所が、ベトナムのハノイに設けられた。 その後、両国の国交は95年に正常化されるが、ベトナム側はその前後=91年から2019年までの28年間に、972体に及ぶアメリカ兵の遺骨を発見・発掘。アメリカへの返還を果たしている。更には、いまだ不明者として登録されているアメリカ兵1,597人の捜索に、毎年100億円以上の予算を注ぎ込んでいる。 この事実は即ち、少なくともベトナム国内には、ジーン・ハックマンやスタローン、チャック・ノリスが乗り込んで、武力で奪還するような捕虜は存在しなかったということを表す。“MIAもの”はその前提自体が、映画上での創作に過ぎなかったわけである。 そもそもアメリカ側の戦死者・行方不明者5万8,000人に対し、国土が泥沼の戦場と化したベトナム側は、民間人を含めて300万人が犠牲となっている。そしてその内の30万人が、いまだに行方不明のままだ。 遥か東南アジアの異国で行方不明になった者を案じて、肉親や友人がその身を救おうとするドラマに、アメリカの観客が快哉を叫んだ理由は理解できる。一概に戦死者や行方不明者の数を比較することにも、大きな意味があるとは思えない。 しかし焦土と化した地に、かつての“侵略者”側が再び乗り込んで来て、軍事作戦を慣行。数名の生存者を救うために、何十名・何百名という罪もない兵士を血祭りに上げる展開には、正直ついていけない部分を感じる。 84年の初夏、『地獄の7人』の試写に赴いた私は、同行の友人と共にその部分に大いに引っ掛かり、鑑賞直後には些かエキサイトして、この映画について批判を述べ合ったのである。そこに冷え水を浴びせるかのような、白人男性の一声。 「ダガ、アナタタチハ、センソウノゲンジツヲ、シラナイ」 彼がアメリカ人だったかどうかもわからないが、ベトナムからの帰還兵であってもおかしくない年代ではあった。しかし今となっては、日本人の少年2人に、何であんな声を掛けてきたのか、その心情は想像するより他にない。◼︎ TM, ® & © 2019 by Paramount Pictures. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
紅の翼
火を吹く翼!ジョン・ウェインが過去に傷を負った熟練パイロットを熱演。乗客乗員を救えるか?!
第1回アカデミー作品賞を受賞した航空映画『つばさ』のウィリアム・A・ウェルマン監督が、ジョン・ウェインとタッグを組んで贈るスカイ・パニック群像映画の原点的な作品。
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PROGRAM/放送作品
(吹)地獄の7人
ベトナム戦争終結後、捕虜となり未だ戻らぬ息子を想う父親をジーン・ハックマンが演じた戦争アクション
戦時行方不明者(MIA)救出を取り上げたアクション映画がこの頃流行ったが(『地獄のヒーロー』、『ランボー2』)、そんな中でも、息子を思う父の愛を描き、感動を盛り込むことに成功した異色MIA救出モノ。
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PROGRAM/放送作品
(吹)地獄の7人※厳選吹き替え
ベトナム戦争終結後、捕虜となり未だ戻らぬ息子を想う父親をジーン・ハックマンが演じた戦争アクション
戦時行方不明者(MIA)救出を取り上げたアクション映画がこの頃流行ったが(『地獄のヒーロー』、『ランボー2』)、そんな中でも、息子を思う父の愛を描き、感動を盛り込むことに成功した異色MIA救出モノ。
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PROGRAM/放送作品
太陽のならず者
名優ジャン・ギャバンが“ネス隊長”と異色のタッグ!大胆不敵な銀行襲撃作戦を描く犯罪サスペンス
フランスのセリ・ノワール(暗黒小説シリーズ)から題材を得た犯罪映画。フランスの名優ジャン・ギャバンがTVドラマ『アンタッチャブル』のネス隊長役ロバート・スタックと組み、銀行襲撃作戦を痛快に魅せる。