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PROGRAM/放送作品
レディ・エージェント 第三帝国を滅ぼした女たち
美人特殊部隊が活躍するスリル満点の戦争アクション。ソフィー・マルソー主演作
ナチスと戦った特殊部隊のリーダーを、ソフィー・マルソーが渾身の演技で魅せる戦争アクション。実在した女工作員が遂行した衝撃のミッションのすべてを映画化。
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COLUMN/コラム2018.09.11
『アニマル・ハウス』で輝いた、2人の“ジョン”の顛末
1962年のアメリカを舞台にした作品として有名なのは、“青春群像劇”の『アメリカン・グラフィティ』(1973)。若きジョージ・ルーカスが監督・脚本を手掛け、このジャンルの金字塔となった名作である。 しかし62年が舞台と言えばもう1本、忘れてはならない“青春群像劇”がある。それがこの、『アニマル・ハウス』だ。 本作の主な舞台は、アメリカ北東部に在る、「フェーバー大学」。主役は、学内でサイテー最悪の社交クラブ、「デルタハウス」のメンバーである。飲んだくれや女たらし、暴走バイカー等々、トラブルメーカーだらけ。彼らを憎悪する大学当局は、学内最高のエリート集団「オメガハウス」を焚き付け、「デルタ」追放に乗り出す。 それにも拘わらず、飽きることなく乱痴気騒ぎを繰り返す「デルタ」の面々。遂には全員退学となるが、一矢報いることを決意し、大学の在る町の祭典で行われるパレードを標的に、大逆襲作戦を展開する。 そんな内容の『アニマル・ハウス』は、まだ無名の若手俳優を大挙出演させる、低予算コメディという方法論を確立した作品である。同様なパターンで製作された、『ポーキーズ』(1982~85)や『ポリスアカデミー』(1984~94)などの、“おバカコメディ”シリーズの先駆け的存在と言える。「デルタ」の面々が、「オメガ」のような、エリートや差別主義者たちへの“反骨心”をベースに大破壊を行う辺り、凡百の“おバカコメディ”とは、一線を画すのだが。 「デルタ」の面々がパレードを壮大にぶっ壊した後に訪れる終幕は、『アメリカン・グラフィティ』のパロディ。『アメリカン・グラフィティ』では、主要登場人物4人のその後の人生が、「作家となって現在はカナダに住む」「ベトナム戦争で行方不明」といったように、顔写真と字幕で紹介される。『アニマル・ハウス』では、「デルタ」「オメガ」の主要キャラ12人の行く末が、ストップモーションと字幕で語られる。具体的な内容は、是非本編で確認して欲しい。 では、当時無名の若手俳優だった出演者たちの、リアルな“その後”は? 『アマデウス』(1984)のモーツァルト役でアカデミー賞候補になったトム・ハルス、TVドラマの監督・出演者として活動を続けるティム・マシソン、『インディ・ジョーンズ』シリーズ(1981~2008)で2度ヒロインを務めたカレン・アレン等々がいるが、出世頭と言えるのは、個性的な悪役などで現在も活躍する、ケヴィン・ベーコンか。因みにスクリーンデビューだった本作でも、ベーコンは仇役「オメガ」の一員である。 こうした俳優陣の“その後”を思いながらの鑑賞も、40年前に製作された本作の楽しみ方の一つである。しかしその一方で改めて注目したいのは、本作を輝かせた2人の“ジョン”の、大いなる“才能”である。 当時はまだ20代だった、主演のジョン・ベルーシ、そして監督のジョン・ランディス。進む道次第では、80年代以降のアメリカ映画シーンをリードし、「ハリウッドの王」になる可能性さえ感じさせた2人である。 ジョン・べルーシは本作出演時、すでにTVバラエティ「サタデー・ナイト・ライブ」(1975~)の人気者だったが、スクリーンで最初にその才を発揮したと言えるのは、この『アニマル・ハウス』。「デルタ」の古参メンバー、ブルタスキ―役で“主演”にクレジットされているものの、実際はストーリー展開とは直接関係のないところで、身勝手なまでに単独で暴れまわっている。 眉毛ピクピクに代表される顔芸、下品且つ豪快な喰いっぷり飲みっぷり、そして突発的に爆発させる破壊衝動の凄まじさ。本作の作品世界の中でベルーシの個性を生かす最良の方法を採った、ジョン・ランディスの演出もまた、冴え渡っている。 そんなベルーシの個性を、やはり『アニマル・ハウス』のような形で活かそうとした監督が、もう1人。ベルーシの次なる出演作『1941』(1979)の、スティーヴン・スピルバーグである。戦争スペクタクルコメディの『1941』でベルーシが演じた戦闘機パイロットは、ブルタスキ―と同じく、独り暴れては、壮絶な破壊を繰り広げる。 しかしながら『1941』は、稀代のヒットメーカーであるスピルバーグのフィルモグラフィーでは、TOPランクの失敗作。天才スピルバーグも、本格的なコメディは不得手だったようで、全編でギャグが滑りまくり。ベルーシも、空回りの感が強い。 それに比べ、べルーシの個性を最高に輝かせるのは、やはりジョン・ランディスだった。『アニマル・ハウス』の2年後、ランディス×べルーシの再タッグ作となったのが、かの『ブルース・ブラザース』(1980)。この作品では、タイトルロールのミュージシャン兄弟を演じるベルーシとダン・エイクロイドの、抜群のコンビネーションをベースにしながら、ベルーシの突発的な爆発力・破壊力を、十二分に活用している。 結果として、『ブルース・ブラザース』も大ヒット。ランディス×ベルーシ、2人の未来は、ただただ明るいものと思われた。 ところが、運命は暗転する。ベルーシはその後、『ネイバーズ』(1981)『Oh!べルーシ 絶体絶命』(1981)という、共に評判の芳しくない2本の作品に出演後、1982年3月に、薬物の過剰摂取で、33歳の生涯を閉じる。遺作『Oh!べルーシ 絶体絶命』の製作総指揮は、スピルバーグだった。 では、もう1人の“ジョン”の“その後”は!? 30代最初の作品であるホラーコメディ『狼男アメリカン』(1981)も好評を博したランディス。名実共に、ハリウッドのTOPランナーの1人に躍り出た。 そんなタイミングで取り組んだのが、『トワイライトゾーン/超次元の体験』(1983)。スピルバーグが呼びかけ、ランディス、ジョー・ダンテ、ジョージ・ミラーが参加。当時最注目の若手監督4人によって、オムニバス作品を製作するというプロジェクトだった。そしてこの作品が、ランディスの“その後”を大きく変えてしまう。 ランディス監督篇の撮影中に、アクシデントが発生。劇中に登場するヘリコプターが落下し、主役のヴィック・モローと子役2人が巻き込まれて死ぬという、大惨事となる。 『トワイライトゾーン』は、その後一部内容を変えて完成し、公開に至ったものの、ランディスの受けた精神的打撃は甚大なもので、その後の作品作りに大きく影を落とす。80年代中盤=30代半ばから、ランディスは長き低迷に入る。そして60代も終盤に差し掛かった現在まで、復活の兆しはない。 『アニマル・ハウス』で羽ばたき、「ハリウッドの王」になるかも知れなかった、2人の“ジョン”。そのキャリアの曲がり角には、なぜかスピルバーグが介在する。 もちろんスピルバーグに、悪意はあるまい。だが2人の“ジョン”が放った一瞬の光芒は、40年以上に渡ってTOPを走る “大王”スピルバーグが輝き続けるために、吸い込まれてしまったのかも知れない。いま『アニマル・ハウス』に触れると、ついついそんなことまで、考えてしまう…。◾️ © 1977 Universal City Studios, Inc. All Rights Reserved. 保存保存 保存保存 保存保存
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PROGRAM/放送作品
(吹)ワンス・アンド・フォーエバー
ベトナム戦争の泥沼はここに始まる!苦戦する米軍、銃後で哀しむ家族。メル・ギブソン主演のリアル戦争映画
ベトナム戦争初期の激戦“イア・ドラン渓谷の激戦”の顛末を徹底したリアリズムで描く。ベトナム戦争の象徴“ヘリボーン作戦”の起こりや、銃後の家族の苦しみも時間を割いて丁寧に描くなど、従来の戦争映画には無い視点が斬新。
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COLUMN/コラム2019.03.04
チリを舞台にした小説が、“伝説”のイタリア映画になるまで〜『イル・ポスティーノ』〜
「友である故マッシモに捧げる」 本作『イル・ポスティーノ』の終幕、エンドロール前にこのようなクレジットが挿入される。マイケル・ラドフォード監督が、本作の主演男優にして共同で脚色を手掛けた、マッシモ・トロイージに捧げた献辞である。 そしてこの簡潔な献辞こそが、本作を“伝説”へと、昇華させたとも言える…。 『イル・ポスティーノ』は、1994年に撮影され、その年の「ヴェネチア国際映画祭」オープニングを飾った後、製作国イタリアでヒット。翌95年にはアメリカでも公開となり、大きな話題となった。 その年度の「アカデミー賞」では、作品賞、監督賞、主演男優賞、脚色賞、オリジナル音楽賞の5部門にノミネートされるという、外国作品としては異例の高評価を獲得。結果的にルイス・バカロフのオリジナル音楽に、オスカーが贈られた。 そして96年5月に、日本公開。我が国でも、多くのファンを得た作品である。 イタリア南部ナポリの小さな島が舞台の本作の主人公は、30歳の青年マリオ。漁師の父親の後を継ぐ気もなく、今時で言えば“ニート”のような生活を送っている。 彼の暮らしを大きく変えたのは、高名な詩人パブロ・ネルーダとの出会い。ネルーダはその政治的な姿勢のために母国を追われたが、支援者の尽力で、妻マティルデと共に、この島に居を構えることとなったのだ。 ネルーダの元には、世界中から山のようなハガキや封書が届く。そのため、局長1人で運営されている島の郵便局では、人手が足りなくなり、彼の元に郵便物を運ぶ“配達員”を雇い入れる必要が生じた。 自前の自転車を使用するという条件も合って、マリオは首尾よく、その仕事を手に入れ、毎日ネルーダ邸に通うようになる。当初は郵便を届けては、幾ばくかのチップを受け取るだけの関係だったが、マリオがネルーダの著書を手に入れ、詩について質問をしたことがきっかけとなり、2人は徐々に親しい間柄になっていく。 そんな時マリオは、酒場に勤める美女ベアトリーチェに一目惚れ。恋の成就のため、詩人に協力を求めるのだが…。 アントニオ・スカルメタという、チリの小説家の作品を原作とする本作は、ベースとなる展開は原作に基づいているが、映画化に当たって大きく改変した箇所がある。一つは、原作では1960年代後半から70年代前半に掛けてのチリだった舞台を、1950年代初頭のイタリア・ナポリの小さな島に移したこと。そして原作では17歳の少年だったマリオを、30歳の青年に変えたこと。 映画化は、イタリアの監督・俳優であるマッシモ・トロイージが、原作に惚れ込んだことに始まる。彼は友人のイギリス人監督、マイケル・ラドフォードに協力を頼み、2人で映画化を進めることとなった。 1953年生まれのトロイージは、撮影時には40歳を過ぎており、さすがに17歳のマリオを演じるのは、無理。そのため、マリオの年齢は、30歳ということになった。 しかし、フランスの名優フィリップ・ノワレが演じたパブロ・ネルーダは、チリ出身の実在の人物。しかも“ノーベル文学賞”を受賞するなど、世界的に知られた存在である。 物語が展開する、時代背景や場所を移すことが可能だったのは、ネルーダが歩んだ軌跡にある。詩人であると同時に、外交官で共産党員の政治家であったネルーダは、時のチリ政府に睨まれたため、1949年2月に母国を脱出。以降、3年半に及ぶ亡命生活を余儀なくされる。 逮捕状が取り下げられ、彼がチリに帰るのは、52年8月のこと。実はその前の51年頃に、彼が仮の住まいとして身を寄せたのが、ナポリ湾に浮かぶカプリ島だったのである。 こうして、“チリ”の作家が書いた小説の舞台を“ナポリ”に移して、“イギリス人”が監督する“イタリア映画”が作られることになったわけである。 本作の魅力は、繊細ではあるが、無知な怠け者でもあったマリオが、ネルーダと出会い、“詩”の素晴らしさに目覚め、同時に“恋”を知り、成長していくところにある。共産主義者のネルーダの影響を受けて、“労働者”としての自覚が生まれたことが、彼に思わぬ悲劇をもたらしてもしまうのだが…。 そんなマリオを演じたのが、マッシモ・トロイージ。映画化に取り掛かった時、トロイージの身体は重大な疾患を抱えていた。医者からは即時の心臓移植を勧められていたが、彼は映画製作を優先した。 「映画は僕の生命。僕が新しい心臓を持つ前に、古い心臓をこの作品にあげるんだ」と語っていたというトロイージだったが、やはり無理は利かない。ほぼ出ずっぱりにもかかわらず、彼の身体は1日2時間しか撮影に耐えられなかった。 そうして、日々衰弱していくトロイージに接して、ラドフォード監督は1日の撮影が終わる度に、「明日はあるのだろうか?」と心配したという。そんなトロイージを支えたのは、『イル・ポスティーノ』に掛けた、こんな熱い想い。 「僕らは、息子たちが自慢できるような映画をつくろうとしているんだ」 そして、4か月に及ぶ撮影期間が終わる、クランクアップの瞬間、トロイージはラドフォードに言った。 「ごめんよ、僕は君に全部をあげられなかった。この次は全部あげるからね」 ラドフォードは、思わず涙したという。 …撮影が終わって12時間後、トロイージは、心臓発作を起こして、帰らぬ人となった。それ故の献辞が、「友である故マッシモに捧げる」なのである。 さてここで、原作及び実在のパブロ・ネルーダについて触れたい。原作の舞台は、1960年代後半から70年代前半のチリということは述べたが、それはそのまま現実のチリの時勢とネルーダの運命に重ね合わせられている。 原作でのネルーダは、マリオの恋を加勢する中で、チリ共産党から大統領候補へと指名され、選挙運動へと突入していく。これは実際に、1969年に起こった出来事である。 翌70年、「チリ人民連合」の統一候補にサルヴァトール・アジェンデが指名されると、ネルーダは立候補を取り下げて支援に回り、その年の9月にアジェンデ大統領が誕生。これは世界史上で初めて、合法的な選挙によって“無血”で誕生した、社会主義政権であった。 71年にノーベル文学賞とレーニン平和賞を受賞したネルーダは、72~73年にはチリのフランス大使としてパリに赴任。アジェンデ政権の外交を支える一員となる。 73年3月、アジェンデ政権は国会議員選挙でも国民の支持を得て、圧倒的な勝利を収めた。しかしその年の9月11日、中南米に社会主義政権が存在することを快く思わないアメリカが介在して、軍事クーデターが発生。アジェンデ大統領は自殺に追い込まれ、チリはクーデターの首謀者である、アウグスト・ピノチェト将軍による軍事独裁政権の時代へと、突入していく。 その時ネルーダは、癌を患いフランス大使を辞しており、チリに帰国して静養中。アジェンデ政権崩壊と共に、当局によって軟禁状態となる。そして9月24日、ネルーダは失意の中で心臓発作を起こし、69年の生涯の幕を閉じる。 チリではその後、ピノチェトによって“左派”が徹底的な弾圧を受け、数多くの者が拉致されては虐殺されたり、行方不明となった。原作では、ネルーダと親しくて共産党員となっていたマリオも権力側に連行されて、そのような運命を辿ることが暗示される…。 映画化を主導したトロイージは、映画版の舞台となったナポリの出身。この地はかねてからイタリア国内では失業率が高く、「イタリア共産党」への支持も強い地域であった。 もちろん映画版には、原作ほどの政治的エッセンスは感じられない。しかしトロイージが、常に「人民の側の詩人」であったネルーダが重要な役割を果たすこの原作に惹かれ、己の生命を賭してまで映画化を進めたのには、ある種の“共感”があったであろうことは、想像に難くない。 「僕らは、息子たちが自慢できるような映画をつくろうとしているんだ」 映画版のマリオが辿る運命、そしてトロイージ自身に訪れた“死”。かくて『イル・ポスティーノ』は、“伝説”の映画となった。■ ©1994 CECCHI GORI GROOUP. TUTTI I DIRITTI RISERVATI.
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PROGRAM/放送作品
さよならゲーム
まだ俺はやれる!盛りを過ぎた中年捕手にケヴィン・コスナーが扮した恋愛野球ドラマ
『フィールド・オブ・ドリームス』、『ラブ・オブ・ザ・ゲーム』の“野球俳優”ケヴィン・コスナー主演。盛りは過ぎても心は老いない中年選手の生き様と恋を描く。T・ロビンスとS・サランドンは本作が縁で結婚。
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COLUMN/コラム2019.06.25
芸達者で非常にキャラクターが強い俳優を集めた、遺産相続を巡る悪辣なコメディ
今回紹介するのは『三人の女性への招待状』(67年)というアメリカ映画です。日本では現在、観ることができなくなっている作品ですね。 監督はジョセフ・L・マンキウィッツ。彼は『三人の妻への手紙』(49年)で、アカデミー賞の監督&脚色賞をW受賞し、翌年の『イヴの総て』(50年)でも監督&脚色賞をW受賞。2年間に4つのオスカーを獲った記録を持っている名監督です。 『三人の妻への手紙』という映画は、3人の奥さんに「私はこれからあなたの旦那と駆け落ちする」という手紙が届くんですが、どの旦那なのかわからない……という、不思議なミステリーでした。 今回の『三人の女性への招待状』は、イタリアはヴェネツィアから始まります。主演はレックス・ハリソン。『マイ・フェア・レディ』(64年)のヒギンズ教授役や、『ドリトル先生不思議な旅』(67年)のドリトル先生で日本でもお馴染みですね。彼が演じるM r.フォックスという男は億万長者で、自分だけのために、劇場を借り切って芝居をやらせるような大金持ちです。 その演目はシェイクスピアと同時代の劇作家ベン・ジョンソンの『ヴォルポーネ』という芝居なんですが、それを観たフォックスはタチの悪いイタズラを思いつきます。自分が病気でもうすぐ死ぬと嘘を言って、遺産を誰に分けたいか考えるから来てくれという招待状を、過去に付き合った3人の女性に書くんです。そして、この3人が、遺産目当てどんな醜い争いをするか、自分にどんなおべっかを使うのかを見てやろうというわけです。 その芝居の手伝いとしてフォックスは、アメリカ人の俳優を雇います。これを演じるのはクリフ・ロバートソン。「アルジャーノンに花束を」を映画化した『まごころを君に』(68年)で主人公を演じたことで有名ですね。 招待される3人の女性は、まず、イーディ・アダムス。マリリン・モンローみたいな、当時のセクシー女優です。2人目は、ヨーロッパの貴族と結婚したフランス人。キャプシーヌが演じています。冷たい感じの美貌の人ですね。3人目はスーザン・ヘイワードが演じる、アメリカの田舎のお金持ちシェリダン夫人。ヘイワードは『私は死にたくない』(58年)という映画で死刑囚に扮して高く評価された演技派ですが、ここでは完全にお笑い演技をしています。 そして、そのシェリダン夫人の付き人にマギー・スミス。TVシリーズの『ダウントン・アビー』の年老いた伯爵夫人として日本でも非常に親しまれている女優さんですが、若い頃はこんなにかわいかったんですよ。 こんな芸達者で濃いキャラクターたちが1カ所に集まって、遺産相続をめぐってどんなコメディを演じるのか?と思って観ていると、この映画、あさっての方向へ話が行きますから! 登場人物のキャラクターもどんどん覆されていくんです。どんでん返しはジョセフ・L・マンキウィッツ監督の得意技ですから。いったいどこに着地するのか、お楽しみに!■ (談/町山智浩) MORE★INFO.●原作は邦訳もあるトーマス・スターリングの『一日の悪』。これを『Mr. Fox of Venice』として戯曲化したフレデリック・ノットの台本を監督が映画用脚本化。それにベン・ジョンソンの1605年の戯曲「ヴォルポーネ」を加えたもの。『三人の妻への手紙』(49年)に似てはいるがリメイクではない。●メリル・マッギル役は当初アン・バンクロフトにオファーされたが、彼女が舞台出演と重なったため、イーディ・アダムスに変更になった。●撮影当初からの撮影監督ピエロ・ポルタルピをクビにして、ジャンニ・ディ・ヴェナンツォに変えたが、撮影半ばで肝炎により死去(わずか45歳)、弟子でカメラ・オペレーターのパスクァリーノ・デ・サンティスが引き継いだが、クレジットは辞退した。 © 1967 METRO-GOLDWYN-MAYER STUDIOS INC.. All Rights Reserved
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PROGRAM/放送作品
エターナル・サンシャイン
失恋の記憶を消去できたら…ジム・キャリー&ケイト・ウィンスレット共演の切ないラブファンタジー
『僕らのミライへ逆回転』のミシェル・ゴンドリー監督と『マルコヴィッチの穴』の脚本家チャーリー・カウフマンによる奇想天外ラブストーリー。ジム・キャリー、ケイト・ウィンスレットをはじめ豪華キャストが集結。
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COLUMN/コラム2020.09.28
安易な理解を否定する、 オーソン・ウェルズ監督の悪夢のような映像とイメージが満載!
今回お勧めするのは、オーソン・ウェルズ監督の『審判』(62年)です。 これは有名な作家フランツ・カフカの同名傑作小説の映画化ですね。 監督のウェルズと言えば、映画史上の傑作のひとつ『市民ケーン』(41年) の監督です。彼は26歳で老新聞王ケーンを演じながら監督も兼任して、 様々な撮影テクニックを開発していま す。たとえば「パンフォーカス」。画面の近くにいる人物も遠くの背景にも同時にピントが合っているという肉眼 ではありえない映像ですね。 『市民ケーン』は、それ以降のあらゆる 映画に影響を与えたものすごい傑作ですが、アカデミー作品賞は獲れませんでした。ケーンのモデルは、当時の実在の新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストで、彼を茶化した内容だったため、ハーストが反『市民ケーン』キャンペーンを行い、アカデミー賞で9部門にノミネ ートされながら、脚本賞のみの受賞に終わっています。これ以降もウェルズはハリウッドでなかなか映画を作れなくなり、作品数は少ないのですが、ヨーロッパで撮ったのがこの『審判』です。 原作がカフカの小説だと聞くと、重々しい映画じゃないの? と思う人も多いでしょうが、これコメディです。 映画は「K」という銀行員。保険会社で働いてたカフカ自身ですね。彼は、ある日突然“起訴”されてしまいます。 何の罪でかというと判らないんです よ。判らないまま裁判にかけられて......という、本来なら怖い話ですが、 本作は怖さよりもシュールさが強調されています。ウェルズ監督が冒頭で「こ れは悪夢(の理論)である」と説明しているように、つげ義春の『ねじ式』みたいな映画になっています。 たとえば「K」が勤めている会社では地平線の彼方まで机が並んでいて、物凄い数の従業員がタイプライターを打ち続けているんです。CGじゃなくて 実際に何百人ものエキストラとタイプライターを集めて撮影しています。こうい うありえない悪夢的なイメージはテリ ー・ギリアムの『未来世紀ブラジル』(85年)に明らかに影響を与えています。 主人公「K」を演じるのはカフカに顔が似ているアンソニー・パーキンス。彼は本作の前に、アルフレッド・ヒッチコック監督の『サイコ』(60年)で 変態殺人鬼の役を演じて、世界中で大当たりしたために、その後は変態殺人鬼役ばかりオファーされたんですね。彼はそれが嫌でハリウッドからヨーロッパへ逃げ出して、そのころに出た作品です。 その「K」は次々に美女に誘惑されます。夢には願望が出てきますから。なかでもロミー・シュナイダーがやたらエロくて可愛くて困ってしまいま す。美女たちにキスされて、ふにゃふにゃと反応するアンソニー・パーキンスは『アンダー・ザ・シルバー・レイク』(18年)のアンドリュー・ガーフィールドそっくりです。 オーソン・ウェルズ自身も「K」の弁護士役で出てきます。「私に任せとけ」と言うだけで何もしてくれない、実にウェルズらしいインチキくさい役 ですね。 『審判』というタイトルは仰々しいですが、ダークでエロチックなコメディですので、リラックスして悪夢をお楽しみください。 (談/町山智浩) MORE★INFO.●1960年にオーソン・ウェルズが、独立プロデューサーのアレクサンダー・サルキンドから、パブリックドメイン(PD)の文芸作品から何か映画を作らないか? と持ちかけられたのがそもそもの始まり。●ウェルズはフランツ・カフカの『審判』の映画化に決めたが、後に原作はPDではないことが発覚、訴訟に発展した。●ウェルズは、主役に当初ジャッキー・グ リースンを求めていた。●ウェルズは映画中で11人の声を自ら吹替えている。●本作と『シベールの日曜日』(共に62年) で使われた『アルビノーニのアダージョ』は、そもそもレモ・ジャゾットによる偽作で、トマゾ・アルビノーニとは直接的に関係はない。 (C) 1963-1984 Cantharus Productions N.V.
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PROGRAM/放送作品
ザ・クラッカー/真夜中のアウトロー
『パブリック・エネミーズ』のマイケル・マン監督作品、男の美学が貫かれたハードボイルド映画
『ヒート』『パブリック・エネミーズ』など男気あふれる映画ばかりを手がけるマイケル・マン監督の劇場デビュー作。リサーチを重ねたリアリティあふれる裏社会を舞台に、“妥協無用”の気概ある一匹狼を描く。
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COLUMN/コラム2020.12.21
マルコム・マクダウェル原案・主演×リンゼイ・アンダーソン監督による「ミック・トラヴィス3部作」の第2弾
今日お勧めの映画は『オー!ラッキーマン』(73年)です。タイトルだけ聞くと、楽しそうな映画かな?と思うでしょうが、主人公が“地獄めぐり”をする話です。 主役はマルコム・マクダウェル。本作の直前にあのスタンリー・キューブリック監督の『時計じかけのオレンジ』 (71年)で主人公を演じて世界的なス ターになりました。映画自体も全世界でセンセーションを起こし、英国では上映禁止になるくらいのスキャンダルになりました。 この『オー!ラッキーマン』は、『時計 じかけ〜』の裏返しなんです。主人公ミック・トラヴィス役のマクダウェルは心優しい青年です。子どもみたいな笑顔が魅力的で、何をされても怒らない...... と『時計じかけ〜』のアレックスとは全く逆なんですよ。でもこっちのほうがマルコム・マクダウェルに近いんですって。 マルコムはリンゼイ・アンダーソン監督の『if もしも...』(68年)で主役に抜擢され、それを観たキューブリックが『時計じかけ〜』のアレックス役に起用しました。それであまりに有名になったマルコムは、自分もあんな凶暴な人柄だと思われるのが心配になり、自分の若いころをモデルにしたストーリーを書いて、アンダーソン監督に見せました。コーヒー豆のセールスマンから演劇を志しアンダーソン監督に見いだされて映画に出てスターに......と、これが全然面白くない(笑)。 そこで監督は脚本家を呼んで、セー ルスマンからスターになるまでの間に、 なるだけメチャクチャな話をブチ込め るだけブチ込めと、書き直させたのが本作なんです。 主人公のミックは心優しい青年で、何の罪もないのに当時のイギリス社会を象徴するような酷い目に遭っていく......拷問されたり、人体実験されたりね。『時計じかけ〜』もそうですよね。あっちは主人公が極悪人だけど、どちらもイギリス社会の被害者となってボロボロに虐められて、ドン底にまで堕ちていく。どこがラッキーマンやねん! この映画、なぜかオールスター・キャストで、ラルフ・リチャードソンやレイチェル・ロバーツ、若きヘレン・ミレンら有名どころが次々と出て来ますが、彼らがひとりで何役も演じています。何かテーマ的な意味があるのかと思うじゃないですか、ところが何の意味もありません(笑)。撮影中にも脚本が出来ておらず、行き当りばったりで撮影してたんで、俳優のスケジュールだけ押さえて、いろんな役をやらせたんですね(笑)。 この話、実は元ネタがあります。 1759年に発表した『キャンディード』という小説で、世の中や人間とは善いものだと信じている純粋無垢な若者キャ ンディードが世界中を旅しながら戦争や災害や貧困や異端審問や奴隷制度などこの世のありとあらゆる残酷な現実を経験するという話です。『ヤコペッ ティの大残酷』(75年)という映画にもなってます。『世界残酷物語』(61年) のグァルティエロ・ヤコペッティの。 『オー!ラッキーマン』はすごく楽しい歌が全編を飾っていますが演奏はアラン・プライス。アニマルズのメンバーで、「朝日のあたる家」のハモンドオルガンを弾いているのが彼です。 あと、若いころのヘレン・ミレンが マルコムとやたらいちゃいちゃしますが、どうも私生活でもつきあってたらしいですよ! (談/町山智浩) MORE★INFO.。●本作は、『if もしも...』(68年)と『ブリタニア・ホスピタル』(82年)の間に製作された、リンゼイ・アンダーソン監督、デヴィッド・シャーウィン脚本、マルコム・マクダウェル主演の「ミック・トラヴィス3部作」の第2弾。●監督と脚本家のシャーウィンは、80年代半ばに「ミック・トラヴィス」シリーズの第4弾『if もしも...2』の脚本を執筆していた。●2006年、マルコム・マクダウェルの半生を振り返るドキュメンタリーが作られたが、題名が『O Lucky Malcolm!』と本作のパロディになっている。その中でマクダウェルは、本作を「最も愛する出演作で誇りに思っている」と語っている。 ©︎Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved.