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PROGRAM/放送作品
オリバー・ツイスト
神さま、どうか許してあげて…!美しい心をもつ孤児、オリバー・ツイストの波乱万丈の物語!
名作「クリスマス・キャロル」の作者でイギリスの国民的作家であるチャールズ・ディケンズの文学作品を『戦場のピアニスト』でアカデミー監督賞を受賞したロマン・ポランスキーが映画化。珠玉の感動作!
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COLUMN/コラム2015.05.05
不謹慎すぎるブラック・コメディを作り続ける男、サシャ・バロン・コーエン論〜『ディクテーター 身元不明でニューヨーク』
北アフリカのワディヤ共和国。そこに君臨するアラジーン将軍は民主主義無視の暴政を行っていた。つい最近も核兵器開発をブチあげて世界中から非難されたばかりだ。しかし彼は国連出席のために訪れたニューヨークで何者かによって拉致され、トレードマークのヒゲを剃り落とされてしまう。身元不明になったアラジーンは彼を難民と勘違いした女性ゾーイの好意で自然食品スーパーで働くことになるが、彼女から民主主義の素晴らしさを説かれて混乱する。そんなある日、彼は国連会議に自分の替え玉が出席していることを知り驚く。すべては石油利権を狙うアラジーンの叔父タミールの策略だったのだ。果たしてアラジーンは無事(?)独裁者の地位に返り咲くことが出来るのだろうか? 『ディクテーター 身元不明でニューヨーク』ほど過激なコメディ映画はそうそう無い。その笑いがいかに過激かは、映画冒頭にバーンと出る「金正日に捧ぐ」というクレジットで十分わかるはず。主人公はかつてリビアに君臨したカダフィ大佐を彷彿とさせる人物で、気に入らない者には死刑を言い渡し、ユダヤ人に罵詈雑言を吐きまくる。優しいゾーイに助けられても女性への偏見を捨てることはない。そんな最低の主人公なのに、観客は何故かアラジーンの権力が復活することを応援したくなってしまう。アラジーン役の俳優が不思議なチャームを振りまいているからだ。その男こそがサシャ・バロン・コーエンである。このコーエン、『ディクテーター』の遥か以前から過激なコメディを作り続けてきたのだ。 現在はハリウッドで活動するコーエンだが、1971年に生まれたのは英国のロンドンだった。コーエン家は正統派ユダヤ教徒の家庭であり、コーエン自身も敬虔なユダヤ教徒として育った。人口の約0.5%しかいない超マイノリティで、差別と迫害の歴史を持つユダヤ系に生まれたことは、彼のコメディアンとしてのアイデンティティの中核を成していると思う。マイノリティ差別を行うアラディーンのキャラは、彼自身とは正反対だからこそ滑稽で笑えるのだ。 子どもの頃から演劇に魅せられた彼は、名門ケンブリッジ大学の系列校クライスト・カレッジに進学。大学のアマチュア劇団で活動するようになった。そこでの活躍は大学中に響き渡り、コメディ・サークル「ケンブリッジ・フットライツ」に招かれて部員でもないのに公演に参加するほどだった。じつはこの「ケンブリッジ・フットライツ」こそはモンティ・パイソンの出身母体である。すべてを笑い飛ばす彼らのシニカルな笑いも、コーエンに影響を与えていることは間違いないだろう。 大学を卒業後、長身と個性的なルックスを買われたコーエンはファッション・モデルとして活動するようになった。規律正しい家庭やキャンパスとは180度異なる華やかなファッション業界は、後にあるキャラクターのアイディアをもたらすことになる。オーストリア出身のゲイのファッション・レポーター、ブルーノだ。もちろんコーエンにとってモデル業は仮の姿であり、影ではコメディ・ビデオを作りせっせとテレビ局に送っていた。その中の一本で、カザフスタンの無知なテレビレポーター、ボラットというキャラに扮したビデオが評価され、95年に遂に『Pump TV』という番組でレギュラー入り。98年には若手コメディアンを集めた『The 11 O'Clock Show』のメンバーに抜擢。この番組で彼が演じたユダヤ系英国人なのにアメリカのギャングスターラッパーを気取った勘違い野郎、アリ・Gのキャラが人気爆発。00年には看板番組『Da Ali G Show』がスタートした。この番組でコーエンはドキュメンタリー的な手法を採用。アリ・G、ブルーノとボラットの三役を演じ分けて、彼のことを知らない一般人から思いがけない反応を引き出すことでトップ・コメディアンの座に駆け上がったのだった。02年には映画版『アリ・G』も公開され、ここではひょんなことから下院議員になったアリ・Gが政界で大暴れするというドラマが繰り広げられた。 映画版はヒップホップの本場アメリカでも評判になり、コーエンは米国版『Da Ali G Show』を製作することになった。下積み時代のセス・ローゲンもライターとして参加していたこの番組で、アリ・G以上の人気を獲得したのはボラットだった。というのも、英国人以上にアメリカ人はカザフスタンが何処にあるか知らず、無知を装ったコーエンの演技に騙されて自らのバカっぷりを次々と晒してしまったからだ。この番組の成功を受けて06年に公開されたのが『ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習』だ。『となりのサインフェルド』のラリー・チャールズが監督、『オースティン・パワーズ』シリーズのジェイ・ローチがプロデュース、のちに『ハングオーバー! 』シリーズを撮るトッド・フィリップスがストーリーを手伝ったこの作品で、ボラットはフェミニスト団体を嘲笑し、全裸で転がりまわり、女優のパメラ・アンダーソンを誘拐しようとする。ハイライトは南部で開催されたロデオ大会の開会式登場だ。ボラットは米国国歌のメロディで、メチャクチャな歌詞を持つ架空のカザフスタン国歌を熱唱。会場に詰めかけた保守的でマッチョな観客たちを激怒させるのだ。命知らずにもほどがあるコーエンの行動力と過激な笑いが評判を呼んで、作品は大ヒット。コーエンはゴールデングローブ賞 主演男優賞 (ミュージカル・コメディ部門) を受賞している。 09年には同様の手法でブルーノをフィーチャーした『ブルーノ』を製作。イスラエルとパレスチナの活動家を会談させたり、iPodと交換したアフリカ人の赤ちゃんを見せびらかしたり、スワッピングの現場に乱入したりとやりたい放題を繰り広げたのだった。 そんな過激な笑いを追求するコーエンだが、私生活では相変わらず敬虔なユダヤ教徒であり、女優のアイラ・フィッシャーとの夫婦仲も良好な良識ある人物である。コーエンは敢えて自分と正反対のキャラを演じることで逆説的に良識を訴えているのだ。アポ無し撮影を行って”やらせ”であることを知らない一般人の反応をカメラに収めた『ボラット』や『ブルーノ』では彼のこうした姿勢が見えづらいところもあったが、通常の劇映画スタイルに立ち返って作られた『ディクテーター 身元不明でニューヨーク』ではその良識がダイレクトに打ち出されている。替え玉と再度入れ替わって国連会議の演説でアラジーンは「民主主義は独裁主義と比べて手続きが面倒臭い制度だが、だからこそ価値がある」と力説する。なぜなら民主主義が行われている限り「一部の人間だけが富み栄え、多くの人々が生活に困る社会には絶対ならないから」だと。そのとき観客は、民主主義でありながら現在の社会がいかに不公平なものかを教えられるのである。 このシーンを含めて『ディクテーター』は、コーエンにとって英国人コメディアンの大先輩にあたるチャールズ・チャップリンの『独裁者』から多くの設定を頂いている。チャップリンの代表作であるこの作品では、ヒトラーを思わせる独裁者に弾圧されるユダヤ人の床屋がクライマックスで独裁者と入れ替わり民主主義を擁護する演説を行う。公開当時の1940年、アメリカはドイツとまだ開戦しておらずナチスシンパも多かった。『独裁者』は命がけのコメディ映画だったのだ。 『タラデガ・ナイト オーバルの狼』や『ヒューゴの不思議な発明』のように短い出番で場をさらう飛び道具キャラや、『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』や『レ・ミゼラブル』といったミュージカル映画の悪役、そしてキツネザルの声を務めた『マダガスカル』シリーズの声優仕事など脇役としての出演依頼が殺到しているコーエンだけど、彼には今後もプロデュース、製作、主演を兼ねた「自分の映画」を作り続けてほしいと思う。■
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PROGRAM/放送作品
迷探偵シャーロック・ホームズ/最後の冒険
シャーロック・ホームズが実はただの飲んだくれエロおやじ!? 意表を突く設定のコメディ・サスペンス
英国の名優マイケル・ケインにはシャーロック・ホームズはまさにハマリ役。だが、そのホームズが実はお調子者のダメ男という設定のため、ケインが貫禄ある演技と情けない演技を巧みに見せつける、英国コメディ。
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COLUMN/コラム2010.06.30
【ザ・シネマ再登場につき再録】『迷探偵シャーロック・ホームズ/最後の冒険』と、パイプの話
小生には、行きつけにしている煙草店がある。常連客の紳士たちが燻らせる、葉巻やパイプの馥郁たる紫煙たゆたう店内には、一葉の映画のスチールが飾られている。それは煙草店には似合いの、あの人物のポートレートだ。インバネス・コートに鳥撃ち帽スタイルで、トレードマークのパイプを軽く手に持ち佇んでいる。そう、名探偵シャーロック・ホームズである。扮するは、英国の名優マイケル・ケイン。「もしホームズが実在したなら、まさにこういう風貌だったに違いない」と確信させるに足る、泰然たる雰囲気。飄々とした軽さの裏に秘めた貫禄。流石はマイケル・ケインと言うべきだろう。本場の英国紳士でなければこの存在感は出せまい。ただしこのスチール、確かにシャーロック・ホームズ映画のものに間違いないのだが、かなり異色のホームズものだと言える。1988年製作のこの作品でケイン演じるホームズは、頭を使って物を考えるのが大の苦手、エールかスコッチをあおって四六時中グデングデンか、女の尻を追いかけるだけのお調子者のダメ男、という設定。ホームズの正体は、天才探偵の“フリ”をしている、しがない俳優なのだ。逆に、実はあの愛すべき助手・ワトソン君こそが、明哲なる推理力の持ち主ということに本作ではなっている。演じるのは、『ガンジー』で1982年のアカデミー主演男優賞に輝く名優、ベン・キングズレーである。このワトソン君、地味な灰色の中年男で、まるで華というものがない。そこで落ち目の役者を雇って“シャーロック・ホームズ”なる天才を演じさせ、その華やかなカリスマ性と派手なパフォーマンスを通じて、一般大衆やスコットランド・ヤードの耳目を集め、自らの推理を広く世間に訴えて、大英帝国を揺るがす数々の事件を解決しているのである。要するにこの映画では、ワトソンが黒幕で、我らがホームズは完全にコメディ・リリーフなのだ。そこで本作につけられた邦題が『迷探偵シャーロック・ホームズ/最後の冒険』である。“名”ではなくて“迷”探偵なのでお間違いなく。そんなマヌケ版ホームズの写真を見て「これぞイメージ通りのホームズ像だ!」と早合点したなら、あの煙草店に通う日本の愛煙家紳士諸兄は、本場の英国紳士マイケル・ケインの放つ存在感によって、それこそ煙に巻かれたのだ、としか言い様がない。いや、実はケインは本場の英国紳士などではない。そこらへんにゴロゴロいる普通の庶民の出なのである。ケインを典型的な門閥のジェントルマンだと思い込んでいる多くの人が、劇中のロンドンっ子同様、俳優ケインの打つ芝居にまんまと騙されている、と言うのが正しいさて、映画は、手柄を全てホームズに持っていかれる現状に不満を抱くワトソン君と、小うるさいお目付け役ワトソン君のせいで窮屈な思いを強いられているホームズ、それぞれ堪忍袋の緒が切れて、コンビ解散に踏み切るところから、話を起こしていく。そして、互いの利益のために、最後にもう一度だけ渋々コンビを再結成し、協力して難事件に挑むさまが描かれていくのである。ケインとキングズレー、名優2人が凸凹コンビに扮し、美しいクイーン・イングリッシュ(この場合のクイーンはエリザベス女王ではなくヴィクトリア女王だが)で繰り広げる、ユーモラスな掛け合い。それは耳にも心地好い、なんとも上質な演技合戦である。また、この作品はもちろんコメディである訳だが、アメリカ映画のそれのような所謂「お馬鹿コメディ」とはかなり毛色が違っており、下品さというものがキレイに排されている。上品な英国流の笑いの層で、推理サスペンスという骨子を幾重にもコーティングした、格調高い喜劇。であると同時に、難解な要素は一片も存在しない、単純明快なエンターテインメント。本作は見事にそうした映画に仕上がっている。そしてエピローグでは「腐れ縁という名の友情の再確認」という気持ちの良い感動要素まで用意され、サブタイトル「最後の冒険」の「最後」の意味も明らかになって、正味1時間47分、この映画の幕はすがすがしく下りていくのである。個人的には、そうとう好きな部類に入る作品だ。7月のザ・シネマの隠れた必見作として、皆様にこの場で是非ともお薦めしておきたい。さて最後に、小生もホームズを気取って、名(迷?)推理をひとつ披露させていただこうかと思うので、ご用とお急ぎでない方は終いまでお付き合い願えれば幸いである。本作でも、ホームズのトレードマークと言えば、あのパイプである。しかし、これは“らしく”見えるようにと、三文役者ホームズが衣装箱から引っ張り出してきたか、あるいは、ワトソン君がホームズに持つよう入れ知恵した、単なる“小道具”にすぎず、ホームズは普段はパイプを常喫していない、と小生は推理する。ホームズのパイプだが、実は、一般的な種類のものではない。一般的なタイプは木の球根(のようなもの)から削り出されているが、ホームズ愛用のタイプは「キャラバッシュ」というヒョウタンの一種から作られている。胴の部分がヒョウタンで、タバコ葉を詰める穴がうがたれた頭の部分は「海泡石」という白い軽石で出来ている。サイズも普通のタイプより一回り大振りだ。 このキャラバッシュ、使い込むほどに色が変わってくる点が、普通のパイプと異なる特徴である。一般にパイプというものは、吸っている最中に、ヤニで茶色味を帯びた微量の水分が、葉を詰めた穴の底に溜まってくる。キャラバッシュ・パイプの場合、この茶色い水が胴のヒョウタン部分に染み込むことによって、色が内側から濃くなってくる。同時に、白い海泡石の頭の部分も、ヘビースモーカーのヤニっ歯のように、長く使っていると煙で黄ばんでくる。ヤニっ歯と違い、キャラバッシュ・パイプの胴と頭の黄ばみは「琥珀色に輝く」とか「アメ色の光を放つ」などと表現され、むしろ美しいものと愛煙家の世界では見なされる。そのため、祖父から父へ、そして孫へと、一族の男子が代を重ね受け継いできた年代物のキャラバッシュほど、色が深まり価値も高まる、と斯界では言われてきたぐらいだ。そこで本作におけるホームズ所有のキャラバッシュを見てみると、これが、まったく色づいていないのである。新品おろしたてのように頭の海泡石の部分は真っ白。ボディーのヒョウタン部分の色からも、深み、年季、重厚感といったものがまるで感じられない。ゆえに、ホームズがこのパイプを日常的には愛用していないことが一目瞭然であり、記者や警察のお歴々、ファンや野次馬の前に姿を現す時のみ、カッコつけとコケ脅し目的でふかしているのだろう、との推理が成り立つのである。本物の名探偵なら、カッコつけはともかくコケ脅しは不要だ。すなわち、この点さえ突き崩せれば、ホームズが天才のフリをしたニセ名探偵であることまで看破するのも、せいぜい“パイプ三服分”程度の難しさのはずだ。小道具と言えど手抜きは命取りである。ロンドンの蚤の市かどこかで、使い込まれた骨董キャラバッシュを見つけてくるべきだった。小生ごとき映画チャンネルの一介の編成マンに見破られるようでは、ワトソン&ホームズのコンビも、まだまだである。■(聴濤斎帆遊) © ITV plc (Granada International)
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PROGRAM/放送作品
シンドラーのリスト
スピルバーグ入魂、アカデミー7部門受賞。ユダヤ人大虐殺の嵐の中、ひとり彼らを救ったドイツ人の物語
アカデミー賞7部門を制したスピルバーグ監督渾身のドラマ。ナチスの狂気から1200人ものユダヤ人の命を救ったドイツ人実業家オスカー・シンドラーの姿を、史実をもとに描く。
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COLUMN/コラム2018.07.03
グラインドハウスなき時代の正統派グラインドハウス・ムービー。エロ・グロ・ナンセンスの三拍子揃ったシリーズ最高傑作!?『スピーシーズ2』
映画ファンであれば必ず1つや2つ、世間的な評価が低いにも関わらず愛してやまない映画というものがあるだろう。いわゆるGuilty Pleasure(罪悪感のある歓び)というやつだ。そもそも、人間の好みなんて千差万別。当たり前のことだが、不朽の名作と呼ばれる映画にしたって、必ずしも観客の100人中100人が満足するわけじゃない。反対に、10人しか満足しなかった映画が駄作だとも限らないだろう。たとえ一般受けはせずとも、一部観客層の琴線にはビシバシ触れる!という作品は少なくない。それが巡り巡ってカルト映画と呼ばれるようになるわけだが、筆者にとってはこの『スピーシーズ2』(’98)もその一つだ。 とりあえず、天下のimdbにおける評価は10点満点中半分以下の4.3点、映画批評サイト、ロッテン・トマトの評価に至っては100%中たったの9%である。世間の評価はかなり厳しいようだ。まあ、正直なところ低評価の理由も分からなくはない。なにしろ、基本はエログロ満載のB級SFホラー映画。全編に渡って血飛沫と内臓とオッパイがいっぱい(笑)。しまいにゃ、エイリアン同士の発情&交尾という、映画史上稀に見る珍シーンまで登場するナンセンスぶり。ハリウッドの老舗メジャー・スタジオMGMが製作したとは思えないようなえげつなさだ。しかし、それでもあえて声を大にして叫ぼう。エログロのいったい何が悪い!ゲテモノ上等!ナンセンス最高!エイリアンが交尾したって別にいいじゃないか!と。 ご存知の通り、’95年に劇場公開された1作目『スピーシーズ/種の起源』は、批評家から酷評されながらも興行収入1億1300万ドル以上の大ヒットを記録。おのずと続編が作られることになったわけだが、その2作目『スピーシーズ2』は、劇場の売り上げだけでは製作費を回収できないほど大コケしてしまった。しかし、である。その後シリーズが4作目まで継続されたことからも想像できるように、一部の観客層からは確実に支持されたのである。察するに、いろいろな意味でやり過ぎたのかもしれない。エロもグロもほどほどだった前作は、この種のカルト性の高い映画に免疫のないライトな映画ファンでも楽しめたと思うが、本作の場合は「さすがにここまで遠慮がないとぶっちゃけドン引くわ~」という反応が多くても不思議ではない。それほどまでに、今回は性描写も残酷描写も過激で露骨。逆に言うと、それが筆者のような好事家にとってたまらないポイントであり、本作が桁違いに大ヒットした1作目よりも遥かに愛おしい理由なのである。 まずは前作を簡単に振り返ってみよう。アメリカ政府の秘密研究機関から一人の少女(無名時代のミシェル・ウィリアムズ!)が脱走。その正体は、宇宙から届けられたメッセージに含まれた情報を基に、人間とエイリアンのDNAを融合させて作られたハイブリッド生命体「シル」だった。政府は早速、各方面の専門家を集めたチームを編成して追跡を開始。しかし、驚異的な速さで成人女性へと成長したシルは、やがて種を残すという生存本能のままに、生殖相手を求めて男たちを次々と襲っていく。先述したようにエロもグロもわりと控えめではあったものの、トップモデル出身で女優初挑戦のシル役ナターシャ・ヘンストリッジは魅力的だし、なによりも『エイリアン』(’79)で有名な芸術家H・R・ギーガーの手掛けた、艶めかしくもスタイリッシュな女性エイリアンのクリーチャー・デザインが素晴らしかった。このデザインはそのまま続編にも引き継がれている。 で、それから数年後の出来事を描く本作。アメリカは人類史上初の火星探査を成功させ、帰還した3人の宇宙飛行士たちは国民の英雄として歓迎されたのだが、実は彼らは知らぬ間にエイリアンに寄生されていた。一方、米軍施設ではシルのクローン、イヴ(ナターシャ・ヘンストリッジ再登板)を厳重な監視下に置き、エイリアン対策のためにその生態を徹底研究していた。そんな折、殺人事件の犠牲者の死体からエイリアンのDNAが発見され、宇宙飛行士たちの感染が発覚。イヴがテレパシーで彼らと繋がっていることを知った軍は、それを利用して再びエイリアン狩りに乗り出すこととなる…。 とまあ、ネタバレを避けるための大雑把なストーリー解説となったが、話の本筋としては前作の焼き直しに近いことがご理解いただけるだろう。つまり、生殖のため人間の異性を求めて殺人を繰り返すエイリアンと、その行方を捜して最悪の事態を食い止めようとする追跡チームの戦いだ。ただし、今回の追われる側は男性エイリアン。上院議員の息子であり、将来の大統領候補と目される宇宙飛行士パトリックだ。前作のシルと瓜二つの女性エイリアン、イヴは基本的に追う方の側。従って、前作では男たちが次々とシルの毒牙にかかったが、今回の犠牲者は大半が女性となる。死因は「妊娠」。どういうことかというと、エイリアンに寄生されたパトリックとセックスすることで「種付け」された女性たちが、その場でエイリアンの子供を妊娠。見る見るうちに腹が膨れ上がり、『エイリアン』のチェストバスターのごとく、赤ん坊が腹を破って飛び出してくるのだ。 なので、おのずと大胆なセックス・シーン&血みどろシーンのオンパレードとなる。もちろん、1作目でも同様のエログロ要素はあったものの、さすがにここまで露骨ではなかった(笑)。ある意味、R指定の限界に挑戦といった感じか。前作よりもっと過激に、もっとショッキングにというのは、この種の娯楽映画シリーズの鉄則みたいなものだが、それにしてもなかなか思い切っている。文字通り酒池肉林の3Pシーンなどは本作の白眉。そもそも本来、こうした下世話なキワモノ映画というのは、インディペンデント系の弱小スタジオがグラインドハウスと呼ばれる場末の映画館向けに低予算で製作・配給するものだったが、それをMGMのような大手スタジオが多額の予算をかけて作ったのだから、よくよく考えればまことに贅沢な話だ。ホームビデオの普及と大都市の再開発によって、グラインドハウスが消滅してしまった’90年代ならではの副産物と言えなくもないだろう。まあ、それゆえに一般受けの厳しいカルト映画になってしまったことも否めないのだけど。 また、特殊効果におけるCGの使用を最小限に抑えたことも良かった。例えばH・R・ギーガーのデザインしたエイリアン。1作目ではスティーヴ・ジョンソン率いる特殊効果チームが見事なまでにフェティッシュ感溢れるクリーチャー・スーツを作り上げたが、しかしアクション・シークエンスでは当時まだ発展途上にあったCGで再現してしまったため、その部分が明らかに見劣りしてしまうことは否めなかった。そこで、続編を作るにあたってプロデューサーのフランク・マンキューソ・ジュニア(『13日の金曜日』の製作者フランク・マンキューソの息子)から、特殊効果用の予算を「好きなように使って構わない」と別枠で丸ごと与えられたジョンソンは、CGを含むVFXよりも従来のSFXにこだわることを決めたという。これが結果的には大正解だったと言えるだろう。 実際に本編をご覧になれば分かると思うが、どの特殊効果シーンも仕上がりは非常にリアルだ。例えば、セックスの最中に興奮したパトリックがエイリアンへと変身しかけるシーン。実は、正常位で腰を振っているパトリックはシリコン製のダミーボディだ。体のあちこちから飛び出す触覚もCGではなく本物。スティーヴ・ジョンソンとスタッフの仕事ぶりは完璧で、そう言われなければ全く気付かない。後半で全身から触覚が飛び出すエイリアンのハイブリッド少年も同様にダミーボディ。鼻から触覚がニョロッと見えるシーンは、少年の顔を実物より大きめにシリコン素材で製作して使っている。当然、メインとなるエイリアンも人間が中に入ったクリーチャー・スーツと機械仕掛けのアニマトロニクス※を併用しており、おかげでクライマックスの交尾シーンも妙に生々しいものとなった。まあ、ヒューマノイド型の女性エイリアンと違って、四つ足動物型の男性エイリアンはさすがに作り物感が否めないものの、それでも当時の安っぽいCGで処理するよりは全然マシだ。もちろん、部分的にはCGも使用されているが、あくまでも補足的な加工手段に徹している。 ※アニマトロニクスとは生体を模したロボットを操作して撮影する特殊効果技術のこと 単純明快で分かりやすいストーリー展開も悪くない。変に高尚なメッセージ性を込めたりなどせず、どこまでも見世物映画に徹している潔さはむしろ評価すべきだろう。もったいぶった説明や前置きなども殆どなし。それは前作から一貫している。なので、ストーリーの進行はとても速い。監督は『チェンジリング』(’80)や『蜘蛛女』(’93)のピーター・メダック。あの職人肌の名匠がこんなトンデモ映画を!?と意外に思う向きもあるかもしれないが、しかしパワフルでタフな女と破滅へ向かって突き進む男の物語として、『蜘蛛女』と相通じるものも見出せるだろう。それに、そもそも何でもこなせるからこその職人監督。むしろ作り手としての懐の深さすら感じさせられるのではないか。 ちなみに、脚本家クリス・ブランカトーによると、当初の脚本では追う側のエイリアンも追われる側のエイリアンも女性という設定で、追われる側のエイリアン役にはナターシャ・ヘンストリッジと同じくモデル出身のシンディ・クロフォードを想定していたらしい。結局は製作者マンキューソ・ジュニアの要望で性別を変えることとなったわけだが、そちらのシンディ・クロフォード・バージョンも実現していたら面白かったように思う。なお、続く『スピーシーズ3 禁断の種』(’04)と『スピーシーズ4 新種覚醒』(’07)は、どちらもケーブル局Syfyで放送のテレビ・ムービーとして製作されている。 © 1998 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC.. All Rights Reserved 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存
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PROGRAM/放送作品
ガンジー
インドを独立へ導いた無抵抗主義者ガンジーの生涯を壮大に再現!アカデミー賞8部門受賞作
インド独立運動の指導者マハトマ・ガンジーの生涯を、エキストラ30万人を動員する空前のスケールで再現。青年期から晩年までガンジーを演じたベン・キングズレーがアカデミー主演男優賞に輝き、他にも全8部門受賞。
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PROGRAM/放送作品
英雄の条件
任務成功と引き換えに民間人83名を犠牲に…それでも彼は英雄か?緊迫の軍事法廷サスペンス
中東駐在の大使を救出するため民間人を無差別銃撃…その罪を問う軍事裁判の行方を、トミー・リー・ジョーンズら演技派俳優の競演で描く。ドキュメンタリータッチの戦闘シーンが、物語のリアルな緊迫感を高める。
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PROGRAM/放送作品
シャッター アイランド
[PG12]絶海の孤島に建つ精神病院に隠された真実は?ディカプリオ&スコセッシの黄金コンビミステリー
『ミスティック・リバー』の原作者デニス・ルヘインの小説を、マーティン・スコセッシとレオナルド・ディカプリオが4度目のコンビを結成し映画化。伏線を張り巡らせた謎解きは、不穏なトーンの映像で緊張感満点。
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PROGRAM/放送作品
(吹)シャッター アイランド
[PG12]絶海の孤島に建つ精神病院に隠された真実は?ディカプリオ&スコセッシの黄金コンビミステリー
『ミスティック・リバー』の原作者デニス・ルヘインの小説を、マーティン・スコセッシとレオナルド・ディカプリオが4度目のコンビを結成し映画化。伏線を張り巡らせた謎解きは、不穏なトーンの映像で緊張感満点。