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PROGRAM/放送作品
ペイチェック 消された記憶
記憶と交換に大金を手に入れるはずが命を狙われることに!F・K・ディック原作のSFサスペンス
『マイノリティ・リポート』の原作者P・K・ディックの小説を『レッドクリフ』のジョン・ウー監督が映画化。『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』のベン・アフレック主演のSFサスペンス。
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COLUMN/コラム2017.07.10
廃れゆくミシシッピ河岸の風景と、マーク・トウェインと現代を繋ぐ少年の冒険談〜『MUD マッド』〜07月11日(火)ほか
ウディ・アレンにとってのニューヨーク、M・ナイト・シャマランにとってのフィラデルフィア、ベン・アフレックにとってのボストン、等々、映画監督にとって生まれ育った土地は自作の撮影地になりやすい。何しろ、町のディープな情報に精通しているし、第一、思い入れが半端ないはずだ。 ジェフ・ニコルズの場合はアーカンソーだろう。マイケル・シャノンと初めてコラボした「Shotgun Stories」(07)がアーカンソーで、以後「Midnight Special」(12)はすぐ南のルイジアナ(共にミシシッピ川流域)、同じシャノン主演の『テイク・シェルター』(11)はやや北上してエリー湖に接するオハイオだ。場所は微妙に異なるがすべて水辺であることは偶然だろうか?ミシシッピ川とその支流の1つ、アーカンザス川に接するリトルロックで育ったニコルズが、同じエリアの川縁にハウスボートを浮かべて暮らす人々にフォーカスした『MUD マッド』は、彼の故郷への、川への思いが最も顕著な作品だ。 14歳の少年、エリスはアーカンソーの河岸にあるハウスボート(ボートハウスとも言う)に住み、川で採った魚をトラックに乗せ、家々に売りさばく父親の手伝いをしている。父親はボートで川に出て、魚がいそうなスポットに着くと潜水服に着替え、川底まで潜ってそこで蠢く魚たちに狙いを定める。まるで、水温と水の濁りまでが観る側に体感として伝わって来るような冒頭のシーンは、監督であるニコルズの原体験がベースになっている。ノースカロライナ大学の芸術学部で映画製作を学んでいた頃、お手製の潜水服を着てムール貝を採るミシシッピ流域に住まう漁師たちの写真集に惹きつけられた彼は、それをきっかけに流域のライフスタイルと歴史、そして、現状について調査を開始したのだ。 すると、彼の親族の多くがハウスボートの住人であり、彼らの住まいは法律上、住人が居住権を有する資産とは認められず、転出後、破棄される運命にあるという厳しい現実に直面する。それはミシシッピ流域に限らず、アメリカ南部全体に広がる伝統的ライフスタイルの消失を意味していた。劇中で、エリスの父親が漁師として充分な収入が得られず、本来ボートの持ち主である母親が転出を望む以上、川での暮らしは断念するしかないと息子に語るシーンには、そんな流域住民の逃れられない宿命が描き込まれているのだ。 南部独特の泥で茶色く濁った水、アーカンザス川が合流する大河ミシシッピに浮かぶ砂の小島、小島の沼に巣くう毒蛇の群れ。それらは、監督が美しくも恐ろしい故郷の自然に対して捧げた映像のオマージュに他ならない。その最たるものが、川の氾濫によって木の上に持ち上げられたままのボートだ。そして、主人公のマッドはそのボートで秘かに生を繋ぐ謎めいたアウトサイダーである。 仲違いが絶えない両親の目を盗み、こっそりマッドに食料を調達するエリスが、そのうち、失った初恋の痛みを、女絡みで犯罪を犯し、命を狙われる身のマッドと共有して行くプロセスは、世代も背景も異なる2人を主軸にすることで、甘くほろ苦いだけの初恋ものとも、単なる犯罪ドラマとも違う入り組んだ和音を奏でていく。さらに、男子にとっての父権不在、単純に善悪では判別できない男女の関係性と、2層3層になった脚本は自分自身の体験をベースに監督自らが認めたもの。風景と人間関係が瑞々しく、且つ強烈に観客の心に突き刺さってくるのはそのためだ。 ミシシッピを舞台にした少年の冒険談と言えば、誰もがマーク・トウェインを思い浮かべるはず。トウェインもミシシッピ流域で少年時代を過ごし、代表作の『トム・ソーヤーの冒険』や『ハックルベリー・フィンの冒険』は少年期の体験がベースになっているからだ。また、そのペンネーム(本名はサミュエル・ラングホーン・クレメンズ)はトウェインが川を航行する蒸気船で働いていた頃、水深を測る担当者が船底が川底に激突するすれすれの深さを船長に知らせる時に叫ぶ、「Mark Twain(2つめのマーク)」から取ったものだとか。Twoを南部訛りで発音するとTwainになるらしい。 トウェインとニコルズの出会いは彼が13歳の頃に遡る。ある日、学校の教室で『トム・ソーヤーの冒険』を秘かに読みふけっていたニコルズは、特に文中にあったあるフレーズに強く触発される。そこには、主人公のトムが川を泳いで河口に浮かぶ無人島に渡り、昼寝をするという、何とも自由で幸せな情景が独特の文章を用いて書かれていたのだ。それが後に『MUD マッド』のプロット作りに繫がったのは言うまでもない。 トウェインの作品に登場する人物にはすべて実在のモデルがいると言われる。トム・ソーヤーはトウェイン自身で、ハックルベリー・フィンは近所に住んでいたトム・ブランケンシップという少年がモデルだとか。そう、『MUD マッド』ではサム・シェパードが演じている役名と同じだ。トウェインは回想録の中でトムについて、「他人に縛られることなく自由に生きる町で唯一の人間」と語っているが、それは名優シェパードによって見事に具現化されている。マッドとエリスの交流を終始対岸で見守りつつ、クライマックスでは俄然存在感を発揮するアウトロー像は、この物語が最後に行き着く失われた父親のイメージを体現して余りあるものがあるのだ。 ニコルズは脚本執筆段階からトム役にサム・シェパードを想定していたというから、そのハマリ役ぶりは半端ないし、同じく『真実の囁き/ローン・スター』(96/未公開)を観て以来、監督がマッド役に決めていたというマシュー・マコノヒーの存在感が傑出している。犯罪を犯しても尚、自らの思いを全うしようとする傍迷惑なほど頑固で純粋なキャラクターは、確かに『真実〜』で演じたメキシコ国境の町で発生した人種問題が絡んだ難事件に挑む若き保安官に通じる透明感がある。 この後、『ダラス・バイヤー・クラブ』(13)での減量によるメソッド演技でオスカー以下数多くの演技賞を受賞し、今や役のためなら体型と見かけを変えられる、否、まるで"肉体改造依存症"に陥っているかのようなマコノヒーだが、『MUD マッド』は彼がまだ美しくいられた時代の最後を飾る作品。物語の後半ではあんなに大切にしていたアイボリーのシャツを脱ぎ捨て、鍛え上げた上半身を開示してしまうナルシストぶりは、当時も今も変わらない性癖なのだが。 マコノヒー、シェパード、ヒロイン役のリース・ウィザースプーン、熾烈なオーディションによって選ばれた子役たち、そして、マッドを追いつめる組織のボスを演じる悪役の権化、ジョー・ドン・ベイカー等を巧みに配置し、気鋭の監督が故郷への立ちがたい思いを注入した『MUD マッド』は、廃れゆくアメリカ的風土への、そして失われた少年時代へのオマージュとして、重ねて味わい深い作品だ。■ © 2012, Neckbone Productions, LLC.
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PROGRAM/放送作品
偶然の恋人
夫を飛行機事故で失った女とその夫を死なせてしまった男の織りなす奇跡のラブストーリー
実生活でも恋人同士だった『チェイシング・エイミー』のベン・アフレックと『アイアンマン』シリーズのグウィネス・パルトローとが共演しているロマンチック・ラブストーリー。
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COLUMN/コラム2014.06.21
ハリウッド暗黒史に語り継がれるふたつの怪事件 ― その虚飾にまみれた倒錯と悲哀の世界
ブラック・ダリア事件は、20世紀のアメリカ犯罪史上最もセンセーショナルな未解決事件のひとつである。1947年1月15日の午前10時半、ロサンゼルスの空き地を通りかかった主婦が発見した女性の死体は、胴体がふたつに切断されていた。さらに血と内臓を抜かれたうえに性器が切除され、口が左右の耳元まで裂かれたその死体はさながらグロテスクなアートのようで、ネクロフィリアらの性的倒錯者による犯行が疑われた。被害者の名はエリザベス・ショート。ハリウッド女優としての成功を夢見て、マサチューセッツ州から上京してきた22歳の美しい白人女性だった。ロス市警は前例のない大がかりな捜査態勢を敷き、何人もの容疑者が捜査線上に浮かんだが、事件は迷宮入りしてしまう。 マスコミが熾烈な取材合戦を繰り広げ、被害者エリザベスを悪夢のようなメロドラマのヒロインに見立てて報じたこの事件は、ブラック・ダリアというネーミングもキャッチーだった。事件の前年に公開されたレイモンド・チャンドラー脚本のスリラー映画『青い戦慄』の原題が『The Blue Dahlia』であり、生前のエリザベスが黒い服を好んだことからブラック・ダリアと命名されたのだ。殺人の手口といい、被害者のプロフィールといい、そのあまりにも異様な残虐性と悲劇性を知れば知るほど、否応なく闇の中の真相への好奇心をかき立てられてしまう。そんな特別な魔力を秘めた怪事件である。 ブライアン・デ・パルマ監督が手がけた2006年作品『ブラック・ダリア』は、ジェームズ・エルロイの“暗黒のL.A.4部作”の一作目となった同名犯罪小説の映画化だ。エルロイとブラック・ダリア事件の間には数奇な因縁がある。エルロイは事件発生の翌年にあたる1948年にロサンゼルスに生まれたが、10歳の時に母親を何者かに惨殺されてしまう。しかもその事件は迷宮入りし、やがてどす黒い犯罪の世界に引きつけられたエルロイは、非業の死を遂げた自らの母親の残像をエリザベス・ショートにだぶらせていく。こうしてブラック・ダリア事件は“アメリカ文学の狂犬”と呼ばれる異端的作家の原点となった。そんなエルロイの個人的なトラウマや執着が反映された小説に基づく『ブラック・ダリア』は、事件の全貌を徹頭徹尾リアルに再現することを試みたノンフィクション的志向の作品ではなく、あくまで“事実を背景にしたフィクション”なのである。 かくして完成した『ブラック・ダリア』は、デ・パルマ監督のもとにヴィルモス・ジグモンド(撮影)、ダンテ・フェレッティ(美術)、マーク・アイシャム(音楽)らの一流スタッフと、ジョシュ・ハートネット、アーロン・エッカート、スカーレット・ヨハンソン、ヒラリー・スワンクらの豪華キャストが集った堂々たるハリウッド大作だというのに、興行的にも批評的にも失敗作と見なされた。その要因はいくつか考えられるが、筆者が思うにまず脚色のミスが挙げられる。エルロイの長大な原作小説から多くの要素を削ってプロットをスリム化したにもかかわらず、出来上がった映画は極めてストーリーが錯綜してのみ込みづらい。エルロイ流の濃密な心理描写&暴力描写が際立つ小説では、複数のエピソードがいつしか絡み合い、ひとつの真実へと到達する構成が圧倒的なカタルシスを生んだが、たかだが2時間の映画でそれを成し遂げるのは容易ではない。そもそもデ・パルマという監督は職人的なストーリーテラーではなく、根っからのヴィジュアリストである。大勢の登場人物の入り組んだ相関関係を描くには不向きなタイプで、ドラマの焦点がぼけてしまった感は否めない。 それ以上に大問題なのはマデリンというファムファタールを演じるヒラリー・スワンクが、どこからどう見てもミスキャストとしか思えないことだ。マデリンが惨殺されたエリザベス・ショートに“瓜ふたつの美女”という設定は、この物語において絶対に押さえておかねばならない重大ポイントだというのに、“男前”のスワンクはお世辞にも主人公の警官バッキー・ブライカート(ジョシュ・ハートネット)をひと目で魅了するほどの美貌の持ち主とは言いがたい。おまけにエリザベス役のミア・カーシュナーとは似ても似つかぬ貌立ちであり、二重の意味で不可解な配役となった。エリザベスの可憐さや愛に飢えた哀しみを表現したカーシュナーの好演が光るぶん、なぜカーシュナーにひとり2役でエリザベスとマデリンを演じさせなかったのかと惜しまれる。そうすれば“死んだはずの美女へのオブセッション”を主題にしたヒッチコックの『めまい』の信奉者であるデ・パルマの創作意欲も、大いに刺激されたであろうに。こうも観る者に困惑を強いるスワンクの役どころ、逆にぜひとも注目していただきたい。 とはいえフィルムノワールには“混乱”が付きものであり、それがいびつな魅惑にも転化しうるジャンルだけに、上記のネガティブなポイントも踏まえたうえで本作を楽しみたい。とりわけ“ミスター・ファイアー”の異名で鳴らす熱血警官リー・ブランチャード(アーロン・エッカート)と“ミスター・アイス”ことブライカートの出会いから、エリザベスの死体が発見されるまでのハイテンポな導入部がすばらしい。この警官コンビが犯罪者のアジトを張り込む姿を映し出すカメラが緩やかにビルの屋上を越え、エリザベスの死体発見者の主婦を捉えていくダイナミックなクレーンショット! その後もブランチャードが2人の殺し屋に襲撃されるシークエンスなど、デ・パルマ印の“影”や“階段”に彩られ、長回しとスローモーションを駆使したスリリングな場面が少なくない。『ファントム・オブ・パラダイス』の怪優ウィリアム・フィンレイと、『ハリー・ポッター』シリーズのレギュラー女優フィオナ・ショウが終盤に見せつける狂気の形相も圧巻のひと言。そしてデ・パルマといえば『キャリー』『殺しのドレス』から近作『パッション』に至るまで“衝撃のラスト”が十八番だが、本作のラストには“アメリカ犯罪史上最も有名な死体”たるエリザベスの切断死体を活用している。そのサプライズ演出にギョッとさせられるか、ニヤリとするか、ぜひお見逃しなく。 ブラック・ダリア事件から12年後の1959年6月16日、TVシリーズ「スーパーマン」の主演俳優としてお茶の間のヒーローとなったジョージ・リーヴスが自宅で突然の死を遂げた。拳銃による自殺説が有力とされているこの事件を題材にした『ハリウッドランド』は、架空のキャラクターである私立探偵ルイス・シモの調査を通して、リーヴスが死に至るまでの軌跡を忠実に再現したという触れ込みの実録ドラマだ。ハードボイルド・ミステリーの形をとっているが、知られざる“衝撃の真実”が見どころではない。カメラワークや色調共にクラシック・スタイルの端正な映像で語られるのは、スーパーマンのイメージが強すぎて映画界では大成せず、人知れず苦悩を深めていった男の悲劇。当時のハリウッドはテレビの普及などによってスタジオ・システムが揺らぎつつあったが、まだTVドラマは二流役者の仕事と見なされていた。 何より驚かされるのは、リーヴス役のベン・アフレックにまったくスター俳優らしいオーラのようなものが感じられないことだ。リーヴスはスタジオ重役の妻(ダイアン・レイン)との不倫に耽ったり、それなりに華やかな俳優人生を送ったようだが、アフレックの瞳や表情には生彩がなく、動きもやけに鈍い。白黒テレビの時代ゆえに、青と赤ならぬくすんだ灰色のタイツ&マントに身を包んで「スーパーマン」の撮影をこなすシーンなどは、目も当てられないほど痛々しい。本作が製作された2006年はアフレックのキャリアが停滞していた時期で、それがオーラの欠如となって表れたのか、それとも確固たる役作りによるものだったのか、今となっては不明である。いずれにせよアフレックの悲哀漂う演技は、破滅へと向かうリーヴスのキャラクターに見事にはまり、ヴェネチア国際映画祭男優賞受賞、ゴールデン・グローブ助演男優賞ノミネートという栄誉をたぐり寄せた。そしてこの翌年、アフレックはミステリーノワールの秀作『ゴーン・ベイビー・ゴーン』で監督デビューを果たし、のちに『アルゴ』でアカデミー作品賞を受賞。飛躍的な復活を遂げたのだった。 また本作は、エイドリアン・ブロディ演じる探偵シモのキャラクターの負け犬っぷりも強烈だ。妻子と別れ、どん詰まりの日々を送るシモは、金目当てで請け負ったリーヴスの死の調査に深入りするうちに、この孤独なスーパーマン俳優にシンパシーを抱くようになる。すなわちこれは一見対照的な世界に身を置きながらも、本質的に同じ悩みを持つ男たちの魂が共鳴する物語なのだ。この映画には『ブラック・ダリア』のような過激なヌードやバイオレンスもなく、本格的なスリラーや謎解きを期待する人は肩すかしを食らうだろう。しかしある程度の人生経験を積み、ふと“もうひとつの人生”を夢想したりする40代以上の視聴者の心には、ちょっぴり切なく響くドラマに仕上がっているのではあるまいか。 1940~1950年代の混沌としたムードや風俗を今に甦らせた『ブラック・ダリア』『ハリウッドランド』には、現代劇では醸し出せない優雅さと禍々しさがせめぎ合っている。夢という名の虚飾と欲望にまみれた奇々怪々なふたつの事件。それらを生み落としたハリウッドの得体の知れない闇には、まだまだ映画化の題材がいくつも転がっていそうである。■ ©2006 EQUITY PICTURES MEDIENFONDS GmbH & Co.KG? And NU IMAGE ENTERTAINMENT GMBH
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PROGRAM/放送作品
グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち
心を閉ざした若き天才をマット・デイモンがナイーブに好演した、みずみずしいヒューマンドラマ
反社会的な天才青年とセラピストの心の交流を描く感動作。今や大スターとなったマット・デイモンとベン・アフレックが無名時代に脚本を共同執筆し、出演。いきなり大ブレイクしたという裏話を持つ、伝説的作品。
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COLUMN/コラム2014.01.31
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2014年2月】招きネコ
コミック作家の卵コンビ、親友のホールデンとバンキーは、コミケで同じコミック作家を目指すキュートな女の子エイミーに出会う。奥手なホールデンはエイミーに一目惚れ。ところが、彼女はレズビアン。さらに実はバンキーはゲイで密かにホールデンに恋していた!この3人はどうなる??という、おかしくもちょっとほろ苦いオタクたちの青春ラブ・ストーリー。今や、海外でクール・ジャパンを支えるマンガオタクたちの生態や、アメリカン・カルチャーは、この映画を見るととてもよくわかります。1997年の作品ですが、今のほうが設定とかがすんなり入るかもしれません。ホールデンを演じるのはベン・アフレック。『アルゴ』で完全に映画人として認められるステップ・アップを果たした彼。その前は私生活を含めてなんちゃって俳優のイメージが定着してましたが、いい作品にも出てるんです。その中でもこの作品の彼は『グッド・ウィル・ハンティング』のいいヤツ・イメージのラインで、不器用なオタクを繊細に魅力的に演じています。実生活の親友マット・デイモンもカメオ出演しているのでお見逃しなく。 ©1996 Too Askew Productions, Inc. and Miramax
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PROGRAM/放送作品
(吹)ペイチェック 消された記憶
記憶と交換に大金を手に入れるはずが命を狙われることに!P・K・ディック原作のSFサスペンス
『マイノリティ・リポート』の原作者P・K・ディックの小説を『レッドクリフ』のジョン・ウー監督が映画化。『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』のベン・アフレック主演のSFサスペンス。
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COLUMN/コラム2014.01.31
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2014年2月】うず潮
1959年6月16日。人気TVシリーズ「スーパーマン」で主役を務める俳優ジョージ・リーブスが自宅で死亡。警察は自殺と断定するが、母ヘレンから独自の調査を依頼された私立探偵ルイス。リーブスの遺体に打撲痕を発見した彼は自殺を疑い、調査にのめり込んでいく。スーパーマン俳優として一世を風靡したジョージ・リーブスの栄光と苦悩、そして死の謎を追うミステリー作品。役のイメージに苦悩するリーブスをベン・アフレックが好演し、ヴェネチア国際映画祭男優賞を受賞。 ©2006 Focus Features LLC and Miramax
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PROGRAM/放送作品
200本のたばこ
大晦日に交錯する十人十色の恋模様を、若手スター総出演で贈る恋愛群像劇
年越しパーティに集う独身男女の恋模様をユーモラスかつ賑やかに描き出す恋愛群像劇。年越しに浮かれる登場人物を豪華競演の若手スターたちが楽しげに演じる。舞台となる1981年当時のヒット曲もムードを盛り上げる。
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COLUMN/コラム2012.08.03
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2012年8月】第1航空艦隊参謀兼副官 飯森盛良
同じ真珠湾攻撃を描いた2作品だが、まさに好対照!この2作に甲乙をつけたがる向きもあるが、それぞれ映画としての目的がまるっきし違う。2001年の『パール』は戦闘シーンをCGで迫力満点に描きつつ、戦時下の恋人たちのドラマを描く、破壊×LOVEの戦争メロドラマ。オールド・ハワイのファッションもかっこいい。 一方1970年の『トラ!』は、オールド・ハワイとかチャラいことは言ってられない。日米開戦に至るまでの経緯を丹念に描いていき、そして皆さん、いよいよ今日のその時、1941年12月8日を迎えるのであります、という流れで〆る、大真面目な歴史戦争映画だ。この2つを並べて優劣つけるなんざぁ野暮ってもんよ。2作まとめて見て、「こっちはこの点が優れてる、あっちはあの点で勝ってる。みんなちがってみんないい」というのが大人というものなのであります。 (C) Touchstone Pictures and Jerry Bruckheimer Motion Picture (C) 1970 Twentieth Century Fox Film Corporation. Renewed 1998 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.