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PROGRAM/放送作品
ザ・クラッカー/真夜中のアウトロー
『パブリック・エネミーズ』のマイケル・マン監督作品、男の美学が貫かれたハードボイルド映画
『ヒート』『パブリック・エネミーズ』など男気あふれる映画ばかりを手がけるマイケル・マン監督の劇場デビュー作。リサーチを重ねたリアリティあふれる裏社会を舞台に、“妥協無用”の気概ある一匹狼を描く。
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COLUMN/コラム2016.07.15
【未DVD化】伝説の未DVD化作品、そのあまりにも衝撃的な終わり方は、実はニューシネマの文脈にのっとったものだった〜『ミスター・グッドバーを探して』〜
【注】このテキストは解説の必要上、本作品のラストシーンと、それを構成する細部について触れています。ネタバレを憂慮される方は、観賞後にお読みになられることをお勧めします。 ■ハリウッドが「女性の自主性」に迫った革命的作品 修士号を得るために真面目に勉強するかたわら、夜は男を求めて独身男性の集う酒場「ミスター・グッドバー」に足を運び、情交を重ねる女子大生テレサ(ダイアン・キートン)ーー。現在、この1977年製作の映画『ミスター・グッドバーを探して』に触れるとき、我々は身近に起こったひとつの出来事を、好悪の感情にかかわらず照らし合わせしまう。その出来事とは、1997年に国内を騒然とさせた「東電OL殺人事件」だ。 大手企業の女性社員が花街に身を投じ、アパートの一室で何者かに絞殺されたこの未解決事件。世間の関心は誰が彼女を殺害したのかという真実以上に、満ち足りたエリートが夜な夜な売春行為を繰り返す、容易には理解しがたい二面性の謎へと注がれた。こうした被害者の境遇が奇しくも『ミスター・グッドバーを探して』の主人公・テレサのそれと酷似していたことから、以降、本作を同事件の予見者であるかのように捉えた評をよく目にする。さらには我が国において本作がDVD化されないことも、事件の異質さとネガティブに結びつけられる傾向にあるようだ(国内未リリースは、単に権利上の問題なのだが)。 もっとも、この『ミスター・グッドバーを探して』も、実際の事件をもとに描いた小説が原作である。ジュディス・ロスナーによって執筆された同著(小泉喜美子訳、ハヤカワ文庫:現在廃刊)は、ろうあ児施設の女性教師を務めていたローズアン・クインが何者かに殺害されるという、1973年にニューヨークで起きた殺人事件から着想を得たものだ。そのためこの映画が、現実の出来事と関連づけられるのは宿命といえるかもしれない。 しかし、本作は決して実録事件簿のような、覗き見的な好奇心を満たすものではない。ハリウッドが「女性の自主性」について言及した初期の意欲作として、映画史において非常に重要な位置に立っている。 女性が運命を耐え忍び、恋に身を焦がすメロドラマ構造を持った「女性映画」は、1930年代のハリウッド黄金期から作り続けられてきた。しかし、女性の自立や自主性に言及した作品は、男性主権がまかりとおるメジャースタジオの特性も手伝い、積極的に発信されることはなかったのである。 だが1960年代半ばから、アメリカではウーマン・リブ(女性解放運動)の波が大きな高まりを見せ、映画における女性の立場や、それを観る女性客の反応といったものに、ハリウッドも無関心ではいられなくなっていたのだ。 社会のしがらみから我が身を解放させ、カジュアルセックスに没頭する奔放な女性像を、はたして同性はどう受け止めているのかーー? 本作の監督であるリチャード・ブルックスは、原作を読んでいた約600人の女性に対してインタビューをおこない、得たデータを映画にフィードバックすることで、女性の心情に寄り添う作品の成立に寄与している。 ブルックス監督はこの映画で、現代的な女性像に肉薄しようと試み、それに成功したのだ。 ■トラウマを与える衝撃的なラストシーンの真意 しかし、このような作品の成り立ちを説明してもなお、本作に対する好奇先行の見方を容易には修正できない。 その最大の原因は、衝撃をもって観る者を絶望の深淵に沈めるラストシーンにある。テレサが行きずりの男性ゲーリー(トム・ベレンジャー)に刺殺されてしまうあっけない幕引きは、観た者の多くに「トラウマ映画」と言わしめるほど、あらゆる要素にも増して突出しているのだ。 この衝撃のラスト、じつはロスナーの原作小説に準じたものではない。原作ではテレサの殺害は序文で詳述され、物語はその結末へとたどりつく「ブックエンド形式(始めと終わりを同一の事柄で挟む構成)」になっている。来るべき主人公の死が読者の念頭に置かれることで、悲劇がゆっくり時間を経て増幅されることを、作者であるロスナー自身がもくろんでいるのだ。 映画版はそれとは対照的で、テレサの死の描写をクライマックスのみに一点集中させることにより、あたかも自分が唐突な事故に遭ったかのような、無秩序な恐怖感やアクシデント性を受け手に与えるのである。 そんなラストシーンのインパクトをより高めているのが、過剰なまでに明滅の激しい照明効果だろう。 ハリウッドを代表する撮影監督のインタビュー集『マスターズ・オブ・ライト/アメリカン・シネマの撮影者たち』(フィルムアート社:刊)の中で、本作の撮影を手がけたウィリアム・フレイカーが、このラストシーンの撮影を細かく振り返っている。氏によると、同シーンはブルックス監督が考案したもので、ストロボライトのみを光源とする実験的な手法が試みられている。結果、明滅の中でかろうじて認識できる流血や凶器、あるいはテレサの意識が遠のいていくさまを暗喩する闇の広がりや、フラッシュ効果の不規則なリズムなど、これらが観る者の不安をあおり、場面はより凄惨さを醸し出しているのである。 ブルックス監督は実在の殺人事件をベースにしたトルーマン・カポーティ原作の『冷血』(67)でも、窓ガラスをつたう雨水が実行犯ペリー(ロバート・ブレーク)の顔に重なり、あたかも彼が涙を流して告解するかのようなシーンを演出するなど、技巧派の一面を強く示していた。 こうした創作意識の高い職人監督による、映画ならではのアプローチが、件のクライマックスを必要以上に伝説化させているといえるだろう。 しかし、本作のラストがインパクトだけをいたずらに狙ったものかといえば、決してそうではない。映画は随所で鋭利なナイフの存在を象徴的に散らつかせ、最後への布石が周到に敷いてあることに気づかされるし、なによりもあの破滅型のラストシーンは、当時ハリウッドに大きな流れとしてあった「アメリカン・ニューシネマ」の韻を踏んだものに他ならない。 1960年代の後半から70年代にかけて巻き起こった、アメリカ映画の革命であるアメリカン・ニューシネマ。それまでのハリウッドは、映画会社の年老いた重役が実権を握り、ミュージカルや恋愛ものや史劇大作など、古い価値観に基づく映画が作り続けられていた。そのため高額の製作費とスタジオ設備の維持費がかさんで赤字となり、またテレビの普及によって観客は減少し、経営は悪化。メジャーの映画会社は次々とコングロマリット(複合企業)に買収されていったのだ。 なによりも、こうした保守的なハリウッド作品に、観客は興味を示さなくなっていた。60年代当時のアメリカは変革の波が国に及び、公民権運動やウーマン・リブ、ベトナム戦争による政府への不信感から若者がデモを起こしたりと、反体制の気運が高まっていたのだ。彼らにとってハリウッドが作る甘美な夢物語など、そこに何の価値も見出せなかったのである。 しかし、1950年代から頭角を現してきた独立系のプロダクションが、ピーター・ボグダノヴィッチやデニス・ホッパー、フランシス・コッポラやマーティン・スコセッシなど、水面下で新たな才能を育てていたのだ。そんな彼らが後に『俺たちに明日はない』(67)や『イージー・ライダー』(69)といった、登場人物が体制に反旗をひるがえし、若者たちが社会からの疎外や圧迫を共感できる作品を発表していく。 『ミスター・グッドバーを探して』は、そんなアメリカン・ニューシネマの文脈に沿い、同ムーブメントをおのずから体現している。自由意志のもとに行動する主人公も、抵抗の果てに力尽きて散るラストも、その証としてこれほど腑に落ちるものはない。 いっぽうでブルックス監督はこうしたアプローチを「現実的でリアルなものではなく、あくまで幻想的なもの」として実践していると、先の『マスターズ・オブ・ライト』でフレイカーが語っている。劇中、ときおり映画はテレサの心象風景とも回想ともつかぬイメージショットを多用し、物語を撹乱することで、観る者の意識を巧みにミスリードしていく。テレサが殺されるシーンにも先述の手法が施されていることから、本作は全体的にリアルを標榜しているというよりも、どこか幻想的な趣が感じられてならない。 そのため、このドラマのクライマックスは多様な解釈を寛容にする。受け手によっては、テレサの死は彼女のただれた生活を道徳的に戒める「因果応報」のようなものだと厳しく解釈することもできるし、また「死によってテレサはさまざまな苦悩から解放されたのだ」とやさしく受け止めることもできるのだ。 国内でDVD化が果たされず、センセーショナルな印象だけが先行している『ミスター・グッドバーを探して』。だが、ザ・シネマで作品に触れる機会が得られたことで、本作が単なる実在事件の追体験ではないことを、多くの映画ファンに実感してほしい。■ COPYRIGHT © 2016 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.
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PROGRAM/放送作品
5つの銅貨
主演のダニー・ケイがルイ・アームストロングなどとともに贈る、あるジャズマンの感動の半生!
1920年代に活躍したコルネット奏者レッド・ニコルズの半生をダニー・ケイが演じた伝記ドラマ。ルイ・アームストロングなどが出演する音楽ファンにたまらない作品であると同時に、家族愛を描いた感動作でもある。
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COLUMN/コラム2016.01.26
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2016年2月】キャロル
舞台は1920年代のニューヨーク。レッド・ニコルズはコルネット奏者として大成功を収め、愛する妻と可愛い娘とともに順風満帆な人生を送っていました。しかしその矢先に娘が難病にかかってしまい、音楽をやめる決断をします。地元で再就職し、家族に寄り添いながら愛に溢れる日々を送るレッドでしたが、やはり音楽への未練を断ち切れず・・・。 「仕事か、家族か」。誰しも一度はぶつかるであろうこの問題は、1920年代当時でも普遍的なテーマだったんですね。レッドは娘のために生きがいだった音楽を手放しますが、かつてレッドのバンドメンバーだったグレン・ミラーは、国を代表する音楽家になった後でさえも、夢よりも実体のある幸せを掴んだレッドの方が羨ましいと言います。 本作を通して感じることは、このテーマに正解はないということ。意地やプライドに邪魔されながらも、周囲の助けを借りながら、何事にも一生懸命取り組むことが大事なんだなぁと前向きな気持ちにさせてくれる一品です。2月のザ・シネマで是非ご覧下さい。 TM, ® & © 2015 by Paramount Pictures. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
ミスター・グッドバーを探して
[R15相当]大都会の片隅の酒場で、男と女が孤独を埋め合う─衝撃のラストが忘れられない社会派問題作
1970年代に社会現象となった“女性の自立”と“性の解放”に、『冷血』の社会派監督リチャード・ブルックスが一石を投じた問題作。孤独を埋めるため愛欲に溺れる女性をダイアン・キートンが体当たりで熱演。
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COLUMN/コラム2019.03.26
自分をCIAの工作員だと思い込んだ青年が相棒に選んだチアガールは、もっとイカれた女子高校生だった!
サイコ・スリラーの傑作『かわいい毒草』、これはもう、今シーズン2の目玉です!日本では1973年に淀川長治先生の『日曜洋画劇場』で放送されて、僕はその時に観たんですが、それ以降、日本では観ることができませんでした。VHSやDVDも未だに出ていません。今回お届けするのが誇りに思える映画です。 主演はアンソニー・パーキンス。彼が精神病院から出てくるところから映画が始まります。もう、これがもう「やられた!」って感じです。なぜなら、彼はヒッチコックの『サイコ』(60年)以来、8年間、アメリカ映画に出てなかったんですが、『サイコ』の最後はパーキンスが精神病院に入るところで終わるんですよ。だから、当時の観客からすれば、8年間病院に入ってた彼がまさに出てきたみたいなんですよ。 パーキンスといえば、かつては青春スターだったんですが、『サイコ』でサイコ・キラーを演じて、それがあまりに強烈すぎて、サイコ役しか回って来なくなったので、ヨーロッパに逃げていたと言われています。この『かわいい毒草』でのパーキンスは妄想性の虚言症。だから、彼は主役なのに、彼が言ってることを観客は信用できないというトリッキーな役です。 その彼が美少女に恋します。そして、いつもの調子で「僕は実は正義のスパイなんだ」とか妄想というか虚言で口説きますが、その少女は全部信じてくれる。そのうちになりゆきでスパイみたいな破壊活動まですることになりますが、そのとき、やっと主人公は気づきます。この子のほうがクレイジーだと。タイトルになっている、かわいい毒草ちゃんだったんですね。 毒草ちゃんを演じるのはチューズデイ・ウェルド。少女モデル出身で、セブンアップという清涼飲料水の広告で大人気になった人です。清純派のアイドルだったんですが、私生活では中学生くらいから酒と麻薬とセックスでめちゃくちゃでした。だから、見た目は可愛いけど実は猛毒という役柄とぴったりなんですね。 監督はノエル・ブラック。まだ30歳での商業映画デビュー作です。この人は天才です。学生時代に作った自主短編『スケーターデーター(Skat erdat er )』でいきなりカンヌ映画祭の短編部門で賞を獲りました。カリフォルニアのスケボー少年少女を描いた、詩のような、ミュージックビデオみたいな青春映画の傑作です。この『かわいい毒草』もサイコ・サスペンスですがブラック・ユーモアに満ちていて、色彩や編集もポップ、まったく古びていません。さらに、環境破壊やアメリカ文化批評まで含んだ、深い映画になっています。 しかし『かわいい毒草』を作った20世紀フォックスは、当時別の大作映画の失敗で資金難に陥り、『かわいい毒草』は宣伝や配給の予算を与えられず、ひっそりと小規模に公開されて忘れられました。でも、その後、少しずつ評価が高まり、現在はカルト・ムービーになっていますが、おそらく日本では初めて観る人も多いと思います。絶対に面白いので、ぜひ、ご覧ください。■ (談/町山智浩) MORE★INFO. ●製作のマーシャル・バックラーとノエル・ブラック監督は、TV界出身の新人で短篇『Skaterdater』(未公開)で61年カンヌ映画祭でグラン・プリ、アカデミー賞の短編賞ノミニーを得たチームだった。 ●原作は66年に発表されたスティーヴン・ジェラーの未訳小説『She Let Him Continue』。 ●依頼されてから6週間で書き上げたという脚色のロレンツォ・センプル・Jr. が、ニューヨーク映画批評家協会脚本賞を授与された。 ●『サイコ』(60年)以来アメリカを離れヨーロッパで映画出演を続けていたパーキンス久々のハリウッド映画出演となった。 ●初の長編となるノエル・ブラック監督は、神経質なウェルドに適切な演技指導が出来ず、ウェルドは後に「最低の体験だった」と述べた。 © 2001 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.
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PROGRAM/放送作品
(吹)ミスター・グッドバーを探して
[R15相当]大都会の片隅の酒場で、男と女が孤独を埋め合う─衝撃のラストが忘れられない社会派問題作
1970年代に社会現象となった“女性の自立”と“性の解放”に、『冷血』の社会派監督リチャード・ブルックスが一石を投じた問題作。孤独を埋めるため愛欲に溺れる女性をダイアン・キートンが体当たりで熱演。
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COLUMN/コラム2019.08.28
普通の映画とはちょっと違う純文学な味わいのあるビートニクス世代のアクション映画
今回紹介する『ドッグ・ソルジャー』(78年)は、人狼兵士が出てくる2002年のイギリス映画のほうじゃないですよ。ニック・ノルティ扮するレイ・ヒックスというベトナム戦争からの帰還兵が主人公です。 アメリカに帰ってきたレイは、ベトナムにいた親友から送られた大量のヘロインを金に換える仕事を頼まれます。それを嗅ぎつけた麻薬取締局の捜査員たちは腐敗していて、金のためにヘロインを横取りしようと企む。だから彼らに捕まれば、殺されてしまう。なので親友の奥さんを守りながらメキシコへ逃げます。愛用のM16ライフルで追っ手と戦いながら。 こう聞くと、すごくワクワクするアクション映画になりそうですが、ちょっと違うんですね。というのも、原作はロバート・ストーンという人が書いた純文学なんです。 ロバート・ストーンは、もともと“ビート・ジェネレーション”、ビートニクスという運動から出てきた人です。ビート・ジェネレーションというのは、1950年代に始まった若者たちの文学活動。それまでアメリカの保守的な宗教やモラルから解放されて、自由を謳歌する運動で、後のベトナム反戦運動や、ヒッピー・ムーブメント、カウンター・カルチャーの源泉になりました。 だからレイはベトナム帰還兵といっても、『タクシードライバー』(76年)のトラヴィスのような病んだ男ではないんです。原作では、“禅”の研究家で、侍に憧れていたり、ニーチェの哲学を信奉していたり、合気道とか中国拳法の達人として描かれています。 というのも、レイはニール・キャサディというヒッピーのヒーローをモデルにしているからです。キャサディはビート文学の金字塔である、ジャック・ケルアックの小説『オン・ザ・ロード(路上)』で、ケルアックの分身であるサルを引っ張り回して全米を放浪する悪友ディーン・モリアーティのモデルです。 キャサディはその後の1964年、『カッコーの巣の上で』の原作者ケン・キージーと共にサイケデリックにペイントしたバスに乗って全米各地でLSDを配ったことでも有名です。それはアレックス・ギブニー監督の『マジック・トリップ』(11年・未)というドキュメンタリー映画にもなっています。キージーとキャサディは60年代、メリー・プランクスターというヒッピー集団と一緒にコミューンに住んでいました。 この『ドッグ・ソルジャー』はヒッピーが滅んだ数年後の話なので、コミューンは廃墟になっています。そこを砦にして、主人公レイは、襲い来る敵軍団をたった1人で迎え撃ちます。 監督のカレル・ライスはユダヤ系チェコ人で、ナチから逃れてイギリスに渡った人です。第二次世界大戦後、彼は“怒れる若者たち”の小説を映画化していきます。「怒れる若者たち」とは、貴族や地主ら支配階級に、労働者階級の若者たちが怒りを爆発させた文学運動です。そこでビート・ジェネレーションとつながってきます。 レイが守るヒロインはチューズデイ・ウェルド。1950年代のティーンアイドルで、10代から酒や麻薬に溺れた人なので、ヘロインを注射するシーンはリアルです。 主題歌はCCRの「フール・ストップ・ザ・レイン」。ベトナム戦争中のヒット曲で、「誰が雨を止めてくれるのか」という歌詞の「雨」はベトナムへの空爆だと言われています。 以上のように深い深い背景のある異色のアクション、『ドッグ・ソルジャー』、ぜひ、ご覧ください!■ (談/町山智浩) MORE★INFO.●原作はロバート・ストーンがベトナム戦争終結直前の74年に出版した『DOG SOLDIERS』(日本では未訳)。翌75年度の全米推薦図書賞に輝いた。●当初、主役のレイ・ヒックス役にはクリス・クリストファーソンを製作者側は希望していたが、出演料が高くて断念。監督のライスが偶然見た『リッチマン・プアマン』(76年TV)のノルティのアクションに感心して本作に推薦した。●ノルティは海兵隊員らしい姿勢を維持するため、撮影の間ずっと背中に固定器を着けていた。●主演ノルティとチューズデイ・ウェルドはあまり相性がよくなかったらしい。彼女は撮影後、契約条項に入っていた「スター扱い」されなかったことでユナイテッド・アーティスツを2500万ドルで訴えた。 © Warner Bros. Entertainment Inc.
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PROGRAM/放送作品
かわいい毒草【町山智浩撰】
町山智浩推薦。妄想癖のある青年が一目惚れした美少女の正体は…美しい撮影で綴られる、これぞトラウマ映画
町山智浩セレクトのレア映画を町山解説付きでお届け。主演のパーキンスは『サイコ』のノーマン・ベイツ役をそのまま引きずる続編的な役どころ。魔性の少女チューズデイ・ウェルドのハマリ役っぷりは町山解説で詳述。
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かわいい毒草【町山智浩のVIDEO SHOP UFO】
町山智浩推薦。妄想癖のある青年が一目惚れした美少女の正体は…美しい撮影で綴られる、これぞトラウマ映画
町山智浩セレクトのレア映画を町山解説付きでお届け。主演のパーキンスは『サイコ』のノーマン・ベイツ役をそのまま引きずる続編的な役どころ。魔性の少女チューズデイ・ウェルドのハマリ役っぷりは町山解説で詳述。