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PROGRAM/放送作品
ケイティ(2002)
主演のケイティ・ホームズを念頭に脚本が書かれた、彼女の魅力が光る大学が舞台のサスペンス。
『トラフィック』でアカデミー脚色賞を受賞したスティーヴン・ギャガンが初監督した学園サスペンス。ギャガンが主演のケイティ・ホームズを念頭に脚本を書いただけあり、さすがにケイティの魅力が光る。
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COLUMN/コラム2018.05.24
『クリムゾン・ピーク』① 6/30(土)字幕、 7/1(日)吹き替え
日本の漫画・アニメ・特撮をこよなく愛するヲタク監督ギレルモ・デル・トロ。サブカル愛あふれるジャンル映画しか作らない男の『シェイプ・オブ・ウォーター』が今年(2017年度)、アカデミー作品賞・監督賞ほかに見事輝いた。そんなデル・トロが、この『クリムゾン・ピーク』(2015年)では怪奇映画愛を炸裂させている。 「プラチナ・シネマ」は第1回がタランティーノの『ジャンゴ 繋がれざる者』だったが、このギレルモ・デル・トロの『クリムゾン・ピーク』なら、最終回に相応しいだろう。 6月「プラチナ・シネマ」について何か書く、ということで他に4作について書いてきたが、最後となる本稿は、他の倍以上の長さとなってしまいそうだ。個人的に好きだからではなく、書くべきことが膨大にあるからだ。つまりこの映画、奥が深い! だがその前に、まずはあらすじから。 20世紀元年の米国。ゼネコン成金の令嬢で、怪奇小説家志望のうら若き女性イーディス・カッシング(ミア・ワシコウスカ)は、作家としての芽が出ず行き詰まっていた。そんな彼女の前に、英国貴族シャープ姉弟が現れる。シャープ家領地で採土される深紅(クリムゾン)色の赤粘土は王室御用達の上質な赤レンガの材料であり、姉弟は掘削設備の新規導入に投資してくれる出資者を募るためにはるばる渡米してきたのだった。弟のトーマス・シャープ準男爵(トム・ヒドルストン)はイーディスの父に出資を打診するが色よい返事は得られない。しかしイーディスと準男爵が恋に落ち、やがて結婚の運びとなる。シャープ夫人の座に収まったイーディスは渡英し、赤土の丘に建つ古い屋敷で共に暮らし始めるが、そこで、恐ろしい義姉ルシール・シャープ(ジェシカ・チャステイン)と同居することに。吹雪が吹きすさび、積もる雪に溶け出た赤土が血のように滲んで、辺り一面が「クリムゾン・ピーク(深紅の丘)」と化す時、イーディスの恐怖と危機もピークに達するのだった。 デル・トロ監督は言う。 「ハロウィンの時期に公開されたからホラーとして宣伝されたが、実際は違う。ホラー映画の様式とはかけ離れていて、おとぎ話の空気が漂うゴシックロマンスだ」 監督は本作で、「ゴシックロマンス」という18世紀後半~19世紀初めにかけて流行った文芸ジャンルの再生と進化を図ろうとしているのである。 ゴシックロマンスとは何か あるブームがピークに達した後、次にその反動が来るのは世の常。中世の迷妄を恥じギリシア・ローマの古典古代を鑑とした17~18世紀の古典主義、啓蒙思想、近代合理精神や理性崇拝。それらが広まりきったなら、次の時代には必ずその揺り戻しが来る。人間本来の激情や恋愛を賛美し、滅び去った神秘や迷信に代わるオカルト趣味を偏愛し、中世を再評価し懐かしむようなカウンタームーブメントが現れたことは、歴史の必然だった。それが大きくは「ロマン主義」であり(古典主義⇔ロマン主義は対概念)、その中の下位分類として、特にオカルト趣味に偏った文芸運動がゴシックロマンスだ。 「ゴシック」+「ロマンス」、2つの語を足して、ゴシックロマンス。「古城や貴族のお屋敷に閉じ込められた純真無垢なお嬢様が、夜ごとの心霊現象、秘密の地下室と屋根裏部屋、怪人めいた当主、恐ろしい狂人、忌まわしい婚礼、一族の呪われた秘密、おぞましい近親相姦といった、建物に染み付いた深い闇に怯える」という怪奇ジャンルである。はたして本作『クリムゾン・ピーク』には、このうち幾つが当てはまるのか、または当てはまらないのか、ぜひカウントしてみていただきたい。 ゴシックロマンスの「ロマンス」は、現代語のロマンスというニュアンスではなく、「物語」とか「お話」といった広義の意味であって、狭義の恋愛モノには必ずしも限定されない(それも一要素だが)。おとぎ話的な性格の強い娯楽読み物を指す。それに対し、キャラクターの内奥を掘り下げて人物描写するリアリズムのフィクションが、次の時代にさらなるカウンターとして登場し流行った「ノベル」なのだと、近代文学史では区別されている。ロマンス⇔ノベルも対立概念であり、「通俗小説」⇔「純文学」の違いに近い(「通俗小説」が悪いと言っているわけではない)。 『イギリスの老男爵』(1777年)という初期のゴシックロマンスで知られる女流作家クララ・リーヴは、「ロマンスは、伝説上の人物や出来事を扱うヒロイックな寓話。ノベルは、現実の生活と習慣、そして執筆時点の同時代を写実的に描くもの。またロマンスは、高尚で格調高い文体で、かつて起こったこともなく、今後も起こりそうにないことを描く。対してノベルは、我々の目の前で我々自身や我々の友の身に日々起きている出来事を描く」と定義している。 さて、ゴシックロマンスのもう一方「ゴシック」は、高校世界史の文化史ページで習う建築・美術用語であり、中世ヨーロッパで流行した。ゴシックロマンスの読み物が英国で流行したのは18世紀後半なので、ゴシックはその時点から500年も昔の建築様式であり、当時は即「廃墟」、「荒城」、「遺棄された僧院」といったイメージと結びついた。 ゲルマン民族大移動により西ローマ帝国が滅亡。古代が終わり中世が始まるが、そのゲルマン民族の有力な一派に「ゴート族」があり、現スペインに西ゴート王国、現イタリアに東ゴート王国を建国するなど一時は強勢を誇った。「ゴシック」とは「ゴートチック」、すなわち本来は「ゴート的な」という語義であり、ただちに中世を連想させる形容詞だった。 日本の民放の旅番組などではよく「中世ヨーロッパの息吹きを今に伝える古都ホニャララ」のようにポジティブなイメージで使われるが、当のヨーロッパの歴史観においては「中世」とは本来、ダークでネガティブなイメージが基礎となる。ローマが確立した古典古代の美と知性と秩序が、蛮族の侵冦によって崩壊。光は失われ、続く混乱と殺戮、その後の教会支配による狂信によって覆われた、永き闇の時代。それが中世だと認識されているのだ。ゆえに別名「暗黒時代」。その記憶はまさに怪奇モノのモチーフに相応しい。ローマ=古典古代⇔ゴート=中世もまた対概念だ。 そこから発して「ゴシック」の語は今日では「ゴス」と略され、ほぼ「ダークテイストな貴族風の」といった程度の気軽なニュアンスで日常的に用いられ、80年代にはロックのいちジャンルとなり、さらにティーンファッションの一派を形成。それが我が国にも輸入されてアニメ文化と混淆し日本語の「ゴスロリ」となって、今度はそれが欧米にクールジャパンなkawaiiカルチャーとして逆輸入され、新たな興隆を見せているのである(ゴスの歴史をたったの5分でサクッと学べるTED動画もあるので、そちらもご参照いただきたい)。 さて、ゴシックロマンスの舞台は、建て増しに建て増しを繰り返し迷宮化した先祖伝来の城館、と相場が決まっている。中世の冷気がまだ暗がりに残留していそうな古い建物。ゴシックロマンスの元祖『オトラント城奇譚』(1764年)の作者で、大英帝国初代首相の息子であるホレス・ウォルポール自身が、中世のダークな浪漫と大昔のゴシック建築に惹かれ、憑かれたように別荘をゴシック風に何十年もかけ改装した。このレプリカ建築が最初の「ゴシック・リヴァイヴァル様式」となった。 ウォルポールによるゴシック風レプリカ城 本作『クリムゾン・ピーク』の幽霊屋敷もこの様式だ。かの有名なロンドン観光2大名所、ロンドン橋と勘違いされがちなタワーブリッジの二つの塔と、時計塔ビッグベンまで含むウエストミンスター宮殿(=英国国会議事堂)もまたこの様式なのだから(お隣のウエストミンスター寺院は本物の中世ゴシック建築だが)、日本人が英国建築と聞いてまず真っ先にイメージするのがこのゴシック・リヴァイヴァル様式ではないだろうか。 本作『クリムゾン・ピーク』の幽霊屋敷 タワーブリッジの二つの塔 時計塔ビッグベンまで含むウエストミンスター宮殿 貴族作家ウォルポールは、そのこだわりの元祖ゴシック・リヴァイヴァル建築の館内に、珍奇な文物や浩瀚な稀覯本を蒐集し陳列してアトラクション化したのだが、それだけでは飽き足らず、夢想してやまない中世の古城を舞台にした怪奇物語『オトラント城奇譚』を執筆し、このジャンルの祖となったのである。さらには城内に印刷所も併設して、そこで自著の印刷出版まで行った。(続く) <『クリムゾン・ピーク』②~大脱線~ 宮崎駿『カリオストロの城』の話、他> © 2015 Legendary Pictures and Gothic Manor US, LLC. All Rights Reserved. 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存
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PROGRAM/放送作品
クリムゾン・ピーク
[R15+]デル・トロ監督の美的センスと文化的教養が詰め込まれた、美しく恐ろしい映画ゴシックロマンス
『シェイプ・オブ・ウォーター』でアカデミー監督・作品賞に輝くデル・トロが、18世紀に流行したゴシックロマンス文学の様式を再生。『シェイプ〜』に通じる色彩美、半魚人の“中の人”が演じている幽霊にも注目。
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COLUMN/コラム2018.05.24
『クリムゾン・ピーク』② 6/30(土)字幕、 7/1(日)吹き替え
~大脱線~ 宮崎駿『カリオストロの城』の話、他 以下しばらく余談が続く。デル・トロ監督のアトリエ「荒涼館」も、改築を繰り返し、古風なインテリアにしつらえられており、そこに、グロテスクなコレクションが所狭しと陳列されている(YouTube動画「ギレルモ・デル・トロ - 荒涼館へようこそ」参照)。自作に登場した小道具まで、制作費を監督自身が一部負担することで、撮影後に貰い受け、そこに飾っているのだ。元祖ウォルポールと同じ普請道楽と蒐集癖にデル・トロもまた血道を上げているのである。自作をそこで創造している点も同じ。趣味人の道楽が創作意欲へとつながり、偉大な仕事として結実している。 余談、其の二。『オトラント城奇譚』は、作者ウォルポールがくだんのレプリカ城にてある明け方に見た夢をもとに、寝食も忘れ一気呵成に書き上げた、シュールレアリスムの萌芽のようなお話。怪人めいた城主の息子に異国の姫が輿入れする当日、天から自動車ほどもある巨大な兜が落ちてきて(シュール!)、新郎が下敷きになり圧死するところから物語は始まる(忌まわしい婚礼)。怪人城主は、不肖の息子は死んでも惜しくないが跡取りが途絶えるのは御家の一大事と、自分が妻と離縁して義理の娘と再婚し子作りに励むと言い出す。城内に閉じ込められそうになった姫は、舅とのおぞましい近親婚を忌避して秘密の地下室から辛くも脱走し、その後の展開で、城主一族の呪われた秘密、超巨大ヘルメットの謎が明かされていく、という因縁譚である。 これを素材に、チェコの魔術的ストップモーションアニメの作り手ヤン・シュヴァンクマイエルが、1973~79年にかけて(制作が難航した)20分弱のショートフィルム『オトラントの城』を監督している。歴史家が『オトラント城奇譚』は実話に基づいているとのトンデモ学説を実写パートで解説するフェイクドキュメンタリーで、『オトラント城奇譚』のあらすじ紹介パートはアニメで描かれる。『オトラント城奇譚』の古書から切り抜かれコラージュされた銅版画挿絵がカクカク動くその映像は、悪夢じみていてトラウマ的だ(彼の作品は全てそうだが)。手っ取り早く『オトラント城奇譚』の梗概に触れたい向きにはうってつけの短編映画である。シュヴァンクマイエル監督は実際シュールレアリストなのだから、題材との相性は良い。 そもそも、大雑把に言うと「夢の中のヴィジョンの再現を試みた芸術運動」となるシュールレアリスムと、その具体的実践法として、心に浮かんだことを滅茶苦茶に一心不乱に書きつけて意識下を形にとどめようというオートマティスムは、1924年に詩人ブルトンが、夢から着想を得たウォルポールの『オトラント城奇譚』執筆という160年前の故事に倣って創始したものなのである。整理すると、作家ウォルポールによる1764年の文芸創作→詩人ブルトンによる1924年のシュールレアリスム宣言→シュールレアリスト監督シュヴァンクマイエルによる1973~79年のウォルポール作品映像化、の順で連関しているわけだ。ゴシックロマンスと『オトラント城奇譚』を知ると、シュールレアリスムの源流にたどり着く。 さらに余談。アニメつながりで言えば、ご存知『カリオストロの城』(1979年)もまた、宮崎駿が意図したものか偶然かは定かではないが、実はゴシックロマンスなのである。何世代も増改築が繰り返され迷路と化した古城(ゴシック様式の特徴も部分的に見受けられる。モデルは1952年のフランスのアニメ『やぶにらみの暴君』だが)、秘密の地下室と屋根裏部屋、閉じ込められたお姫様、怪人めいた城主、一族の呪われた秘密、忌まわしい婚礼、おぞましい近親相姦(クラリスと伯爵は親戚)…全てゴシックロマンスの定石どおりだと分かるだろう。ただ、およそこのジャンルには似つかわしくないルパンが、アクションで軽口まじりの大立ち回りをコミカルに演じるせいと、決してダークすぎに描いてはいない絵づらの匙加減のせいと、TVシリーズからも盛大に流用された大野雄二のお馴染みの劇伴の印象のせいで(“っぽい”BGMは唯一、地下の華燭の典で流れるパイプオルガンの調べ、バッハのパストラーレ ヘ長調 BWV590だけだ)、まさかあれがゴシックロマンスだとは一見して気づきづらいのだが、完全にこのジャンルのフォーマットを換骨奪胎しているのである。そう考えると、「ゴート札」、「死滅したゴート文字」、「古いゴートの血が流れている」といったセリフも、実はヒントだったのかもしれない。中世の城に隠された宝は、蛮族ゴート人が滅ぼした古典古代のローマの美そのものだ(アルセーヌ・リュパン・シリーズ小説『緑の目の令嬢』からの引用でもあるが)。もう一つ、怪人めいた主人が城内の私設印刷所で大規模な凸版印刷事業を営んでいる点は、元祖ウォルポールへと繋がる別の手がかりだったのかもしれない。 ようやく閑話休題。嚆矢とされる1764年の『オトラント城奇譚』以降、ゴシックロマンスは半世紀にわたって流行し続け、あまたのエピゴーネンが現れ、ブームは英国から海を渡り欧州本土やアメリカにまで飛び火した。ブームの最後の頃に本家英国で発表された重要な2作品が、ジェーン・オースティンによる『ノーサンガー・アビー』(1817年)と、メアリー・シェリーのお馴染み『フランケンシュタイン』(1818年)である。(続く) <次ページ『クリムゾン・ピーク』③~ジェーン・オースティン作『ノーサンガー・アビー』(1817年)~> © 2015 Legendary Pictures and Gothic Manor US, LLC. All Rights Reserved. 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存
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PROGRAM/放送作品
(吹)パシフィック・リム
巨大ロボットと怪獣の決戦がハリウッドで実現!ギレルモ・デル・トロの特撮愛が燃えるSFアクション
日本の特撮やアニメから影響を受けたギレルモ・デル・トロ監督が、日本テイストの怪獣映画をハリウッド・クオリティの映像技術で描く。パイロット役の菊地凜子やその幼少期役の芦田愛菜ら日本人俳優も存在感を発揮。
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COLUMN/コラム2018.05.24
『クリムゾン・ピーク』③ 6/30(土)字幕、 7/1(日)吹き替え
ジェーン・オースティン作『ノーサンガー・アビー』(1817年)『ノーサンガー・アビー』の「アビー」とは、ご存知ドラマ『ダウントン・アビー』のアビーと同じで「僧院」の意。元修道院だった建物が払い下げられ富裕層の住居として転用されるという特殊な住宅事情が英国にはあった。16世紀宗教改革期にローマ教会と対立したヘンリーVIII世が1536~39年にかけ強行した大修道院解散法の結果だ。築数百年の宏壮な元僧院の現住宅というだけで不気味なイメージが付きまとい、いかにもゴシックロマンスの舞台にはうってつけである。『ノーサンガー・アビー』のヒロインは、ゴシックロマンスにハマっている、いわばラノベヲタクの少女である。本物の中世の古城だと信じ込んで最近建てられたゴシック風テーマパーク城の聖地巡礼に胸ときめかすような無邪気な娘が、複雑な同性・異性の友人関係に悩まされながら精神的成長をとげていく。 物語後半でノーサンガー僧院に招待され長逗留することになり、そこの息子であるゴシックロマンスヲタク男子とも話が合って意気投合、恋心を抱く。お話に出てくるようなオカルト現象やドラマチックすぎる展開がこの館で我が身にも訪れてくれるのではと彼女は期待する。そう期待するようヲタク男子が煽るからだ。がしかし、ことごとく「思ってたんと違う」式もしくは「幽霊の、正体見たり、枯れ尾花」式に期待は裏切られていく。終いには、思い込みが激しすぎて館の当主を“怪人めいた主人”=極悪人だと早合点。尻尾を掴もうと人の家をコソコソ嗅ぎ回っている現場を押さえられてしまい…というのが『ノーサンガー・アビー』のあらすじだ。つまりこのノベル、ゴシックロマンスのパロディであり、ゴシックロマンスあるあるでもある。 illustration of Nothhanger Abbey, Artist Unknown, 1833 Bentley Edition of Jane Austen's Novels またも脱線するが、人生に夢を見すぎて平凡な現実との落差に苦しむ心理状態のことを「ボヴァリスム」と呼ぶ。フランスのノベル『ボヴァリー夫人』(1856年)がその語源だ。ヒロインのボヴァリー夫人はロマン主義の時代を生きる女性で、人生に劇的な出来事の訪れを夢見、ロマンティックな結婚生活に期待を膨らませるが、結婚後のあまりにも退屈な日常に失望して不倫と浪費を繰り返し、最期は身の破滅を招く。この小説が元となって「ボヴァリスム」という言葉が生まれたのだが、『ノーサンガー・アビー』のヒロインもまた、軽度のボヴァリスム症状と言える。 ところで、ミア・ワシコウスカは、2014年にドイツ・ベルギー・アメリカ合作の文芸映画『ボヴァリー夫人』にて、マダム・ボヴァリー役を演じたことがある。ロマンティックな夢が全て破れ、森のぬかるんだ泥道で毒をあおって孤独に野垂れ死ぬ場面からその映画は始まる。 話を『ノーサンガー・アビー』に戻そう。こちらのヒロインはジェーン・オースティンのノベルらしく、野垂れ死になどはせずにハッピーエンドに無事たどり着くのだが、作中、例の家捜しがバレてヒロインが大恥をかくくだりの直後、作者オースティン自身の言葉として、ゴシックロマンスは魅力的ではあるが「おそらく、そういった小説の中には、人間の性質などは求めるべきではないのだろう」との一文がある。「人間が描けていない」という、よくある批判だ。いつだって通俗小説や娯楽映画はこの手の批判にさらされてきた。 実はこの『ノーサンガー・アビー』、ゴシックロマンス流行期に書き上げられていたのだが、作者がまだ無名だったため版元に原稿を死蔵され、ようやく世に出たのは20年後のブームも末期の頃で、名が売れた作者の死後だった(執筆時は二十代前半)。決定打となるこのパロディ小説の刊行により、ゴシックロマンスとその愛読者は“イジられる”対象となってしまい、ブームは下火へと向かっていく。この中では、子供っぽい厨二病的空想よりも、現実の恋愛を知り、そこに大人として人生の本物の喜びを見出すこと、つまりは、少女時代からの卒業が、リアリズムをもって描かれた。 ジェーン・オースティンは「田舎の村の三つか四つの家族というのは格好の題材です」「細かい毛筆を使って、どんなに手間をかけても効果がほとんど目に見えないものを描いた小さな(二インチ幅の)象牙のような私の作品」との言葉を残している。彼女のノベルはどれも、田舎の狭いソサエティを舞台に、上流社会に触れた中産階級女子の心の機微が、ブリジット・ジョーンズ的な恋のから騒ぎの中でユーモラスに活写される。等身大の近代女子の内面をリアルに描出する(=人間が描けている)ことで普遍性を持ち、近代文学・純文学として不動の地位を獲得したのである。ロマンスからノベルへ。18世紀の通俗小説から19世紀の純文学へ。しかし、そのための踏み台にゴシックロマンスはされてしまったと言えなくもない。 映画『クリムゾン・ピーク』の開始早々、ミア・ワシコウスカ演じる怪奇作家志望のヒロインが、「まるで現代のジェーン・オースティン気取りね」と、周囲の、着飾るばかりで能のない、夢は玉の輿に乗ることというレベルの同性たちから揶揄されるシーンが出てくる。彼女らは、英国から渡米してきた貴族の殿方とお近付きになりたいわ、舞踏会でお相手してほしいの、求婚されたらどうしましょ、などとキャピキャピやっているのだが、この雰囲気、ダンスやプロポーズがどうしただの、玉の輿に乗るだの乗らないだのは、きわめてジェーン・オースティン的であり、彼女のノベルではお馴染みの女子トークであり、そして『クリムゾン・ピーク』のヒロインが心底どうでもいいと思っていそうなことである。彼女はそういう作品を書きたいわけではないのだ。それ以上に、ゴシックロマンスや怪奇小説を愛し、そのジャンルの物書きになりたいと夢見ているヒロインとしては、それのパロディを書きイジり倒してブームを終わらせてしまった作家になぞらえられて気分が良かろうはずがない。 そこで彼女はこう切り返す。「ありがと。でも私どちらかと言うとメアリー・シェリーの方が好きなの」 そう言われても、玉の輿狙いのパリピ女どもに、この当意即妙のウィットは通じたかどうか。(続く) <次ページ『クリムゾン・ピーク』④~メアリー・シェリー作『フランケンシュタイン』(1818年)~> © 2015 Legendary Pictures and Gothic Manor US, LLC. All Rights Reserved. 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存
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パシフィック・リム
巨大ロボットと怪獣の決戦がハリウッドで実現!ギレルモ・デル・トロの特撮愛が燃えるSFアクション
日本の特撮やアニメから影響を受けたギレルモ・デル・トロ監督が、日本テイストの怪獣映画をハリウッド・クオリティの映像技術で描く。パイロット役の菊地凜子やその幼少期役の芦田愛菜ら日本人俳優も存在感を発揮。
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COLUMN/コラム2018.05.24
『クリムゾン・ピーク』④ 6/30(土)字幕、 7/1(日)吹き替え
メアリー・シェリー作『フランケンシュタイン』(1818年) 弱冠20歳にも満たないメアリー・シェリーが書いた『フランケンシュタイン』は、ゴシックロマンスの原点『オトラント城奇譚』同様、作者がある晩に見た「マッドサイエンティストがおぞましい人造人間を作ってしまって後悔し、後悔しながらもまどろんでハッと目が醒めると、その怪物がベッド脇でこっちを見下ろし立っていた!」という悪夢がインスピレーションとなってシュールレアリスティックに執筆された物語だ。しかし重要なのは、この作品がゴシックロマンスの到達点にして最高傑作と評されている、もしくは、ゴシックロマンス50年の成果の上により普遍的なテーマを打ち立て、ゴシックロマンスの枠を超えた不朽の名作へと深化したと評されている、という点だ。『クリムゾン・ピーク』のヒロインがジェーン・オースティンよりもメアリー・シェリー(どちらもヒロインと同じ二十歳前後で傑作小説を物した)の方が好きだと言い切るのは、それが理由だろう。下らない、子供じみた、人間が全然描けてない、低俗な娯楽だとレッテルを貼られてきたジャンルを極限まで磨き上げ、永久に色褪せぬ芸術の域にまで昇華させたような作品を、私は作りたいんだ!という決意表明である。 そんな決意を本当に達成してしまった実在の偉大なクリエイターが、メアリー・シェリー以外に少なくとももう1人いる。その人物は、少女が迷い込む妖精地底王国だの、デーモン族vs悪魔の力身につけた正義のヒーロー(赤)だの、汎用人型決戦兵器vsカイジューの特撮バトルだの等々、荒唐無稽なファンタジーやSFのジャンルムービーばかりを撮ってきた、いい歳したヲタクの映画監督であり、いわゆる“人間が描けている”、“上質なヒューマンドラマ”的な作品が評価されがちなアカデミー賞において、ついに監督賞と作品賞を勝ちとった男である。それも、半魚人映画で! なお、メアリー・シェリーについては、エル・ファニング主演の伝記映画の公開が2018年内に控えている。ここでは詳述しないが、ロリ略奪婚など波乱万丈のドラマチックな人生を駆け抜けた女性で、本作ヒロインが憧れ、目標とする女流作家がどのような人物だったのかを知るために、『クリムゾン・ピーク』を見た人ならあわせて必見の映画となりそうだ。期待しよう。 それはさておき、小説『フランケンシュタイン』は、科学が好奇心の赴くままに弄んだ生命(ひいてはテクノロジー)が暴走し、コントロール不能に陥る恐怖、という、優れて今日的な主題で、SFジャンルの“種の起源”として評価されることが多いが、もう一つのテーマである、異形者の救いなき疎外感、「望んでこの状態で生まれてきた訳ではないのに、そのせいで自分は孤独だ。誰かの愛が欲しい」という、怪物が抱く絶望的孤独の方が、永遠のヲタク少年デル・トロにとっては重要だろう。そちらの方こそ、彼が自作の中で繰り返し描き続けてきたテーマなのだから。その孤独がついに癒され救済される。そんなロマンティックを、どれだけ表面上バイオレントでもグロでも、彼の映画はしばしば見せてくれた。デル・トロはハッピーエンドの『フランケンシュタイン』を撮り続けている作り手なのだ。 本作においては、ヒロインの「メアリー・シェリーの方が好き」の台詞に加え、デル・トロはヒロインの名前を通じても『フランケンシュタイン』に重ねてオマージュを捧げている。ヒロインの名前はイーディス・カッシング。ラストネームの「カッシング」はピーター・カッシングから採ったのだろう。1957年のハマー映画『フランケンシュタインの逆襲』でタイトルロールのフランケンシュタイン博士を演じたホラー俳優だ。 前述した彼の怪奇屋敷風アトリア「荒涼館」には、人の背丈ほどもある巨大なお面や、等身大のリアルなスタチューなど、フランケンシュタインの怪物のオブジェが複数飾られてもいる。コレクションの目玉扱いだ。いかに『フランケンシュタイン』が彼にとって重要か! ところで、ファーストネームの「イーディス」の方は何からかというと、米国の女流作家イーディス・ウォートンからの引用である。(続く) <次ページ『クリムゾン・ピーク』④~イーディス・ウォートンとブロンテ姉妹~> © 2015 Legendary Pictures and Gothic Manor US, LLC. All Rights Reserved. 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存
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PROGRAM/放送作品
ロスト・シティZ 失われた黄金都市
まだ見ぬ黄金郷に魅せられて──生涯をアマゾン探検に捧げた男の情熱と狂気を描く実話アドベンチャー
20世紀初頭にアマゾンの幻の遺跡を追った英国人探検家パーシー・フォーセットの生涯を、『アド・アストラ』のジェームズ・グレイ監督が映画化。未開のアマゾンに潜む神秘とスリルが、過酷な自然描写と共に迫る。
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COLUMN/コラム2018.05.24
『クリムゾン・ピーク』⑤ 6/30(土)字幕、 7/1(日)吹き替え
イーディス・ウォートンとブロンテ姉妹 イーディス・ウォートンは『エイジ・オブ・イノセンス』(1921年)で知られるが、実は短編怪奇小説の名手でもあり、「祈りの公爵夫人」(1900年)や「小間使いを呼ぶベル」(1902年)などの初期短編は典型的なゴシックロマンスである。そして、本作の作家志望のヒロイン、イーディス・カッシングと、その実在の小説家イーディス・ウォートンは、ほとんど同世代の同じ米国女性のはずだ。イーディス・ウォートンは1899年に小説家デビューし上記の初期短編を物した。一方、本作『クリムゾン・ピーク』は1901年という時代設定で、我らがヒロインのイーディス・カッシングは冒頭、怪奇小説の原稿を出版社に持ち込んでボツにされ、後に映画を通して描かれていくその年の冬の恐怖体験を『クリムゾン・ピーク』という長編小説に仕立てて上梓する、という設定なのだから(劇中劇と解釈する余地も大いにあるが…)、両者は完全に被っているのである。 ヒロインのイーディス・カッシングは、デビュー作を「女なんだから恋愛小説を書くべきだ」との理由で男性編集者にボツにされた後、タイプライターで原稿を打ち直す。手書きだと女の筆跡というだけで偏見にさらされ、まともに作品を評価してもらえないと感じたからだ。実在のイーディス・ウォートンもフェミニズムの先駆的な作家だと位置付けられているのだが、実際問題その時点からさかのぼること約1世紀前の作家ではあるものの、例のジェーン・オースティンもメアリー・シェリーも、前者はby a ladyとして匿名で、後者は女であることさえ伏せて、作品を発表していたのである。さらにはかのブロンテ姉妹ですら、1901年のほぼ半世紀前という時代になってもまだ、男性名のペンネームで男として執筆した。姉の『ジェーン・エア』(1847年)も妹の『嵐が丘』(同年)もそうだ。 そして、『ジェーン・エア』も『嵐が丘』も、実はゴシックロマンスをベースにしたノベルなのである。ジェーン・オースティンがゴシックロマンスをパロディとしてイジり倒して純文学に到達したのに対し、ブロンテ姉妹は決してパロディにはしなかった。姉はジェーン・オースティンの作風を「彼女が描いた紳士淑女たちと一緒に、あのエレガントな屋敷に引きこもって暮らしたい、なんて私には全然思えない」、「激情というものを彼女はからっきし理解してない」と、何度も酷評している。姉妹は、ゴシックロマンスのフォーマットである「貴族のお屋敷に閉じ込められた純真無垢なお嬢様が、夜ごとの心霊現象、秘密の地下室と屋根裏部屋、怪人めいた当主、恐ろしい狂人、忌まわしい婚礼、一族の呪われた秘密、おぞましい近親相姦といった、建物に染み付いた深い闇に怯える」という“お約束”を踏襲しつつも、同時に“人間を深く描き”、通俗的読み物としての怪奇小説には着地させずに、不滅の文学的価値をも獲得したのである。 ところで、ミア・ワシコウスカは、2011年にイギリス・アメリカ合作の文芸映画『ジェーン・エア』にて、ジェーン・エア役も演じたことがある。不遇な孤児ジェーン・エアが成長し家庭教師として住み込むことになったお屋敷には狷介な貴族の当主(怪人めいた主人)がいて、やがてそんな彼に見そめられ結婚しかけるが(忌まわしい婚礼)、次第に心霊(っぽい)現象、秘密の屋根裏部屋、恐ろしい狂人、一族の呪われた秘密(同時にもう一つの忌まわしい婚礼でもある)が明かされていき、その一方でジェーン・エアは従兄からのしつこい求愛も受けるのだ。(続く) <次ページ『クリムゾン・ピーク』(完)~ミア・ワシコウスカとジェシカ・チャステイン、そしてトム・ヒドルストンのこと~> © 2015 Legendary Pictures and Gothic Manor US, LLC. All Rights Reserved. 保存保存 保存保存 保存保存