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PROGRAM/放送作品
コンドル(1975)
訳が分からないまま命を狙われるCIA職員。その恐怖の逃避行を描く、傑作スパイ・サスペンス娯楽作
ロバート・レッドフォードとフェイ・ダナウェイ共演の逃避行ものスパイ・サスペンス。『追憶』、『愛と哀しみの果て』、『ハバナ』などでレッドフォードとは度々コンビを組んでいるシドニー・ポラック監督作。
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COLUMN/コラム2014.10.18
【3ヶ月連続キューブリック特集 最終回】キューブリック映画の偽造空間〜『フルメタル・ジャケット』『アイズ ワイド シャット』
今や映画は、劇中の舞台が世界各国のどこであろうと、再現に不可能はない。俳優をグリーン(ないしはブルー)スクリーンの前で演技をさせ、CGによって作られた仮想背景と合成する[デジタル・バックロット]によって、映画は地理的な制約を取り去ったのだ。 ただ、あくまで作り手が現場の持つ風景や空気にこだわるか、あるいは演じる俳優の感情を高める場合、実地におもむいて撮影をする。それが容易でなければ、舞台となる土地とよく似た場所を探しだし、パリならパリ、香港なら香港のように見せかけて撮る。デジタルの時代にあっても、映画作りの基本はやはりそこにあるといえるだろう。 スタンリー・キューブリック監督の映画の場合、舞台を実地に求めることはなく、ほとんどが後者だ。1962年の『ロリータ』以降、アメリカからイギリスに移り住んだキューブリックは、自作を全て同国にて撮影している。アメリカが舞台の『博士の異常な愛情』(64)も『シャイニング』(80)も、主要なドラマシーンはイギリスにて撮影が行われているのだ。 既存からではない、世界の創造。これぞ完璧主義の監督らしい果敢なチャレンジといえるだろう。だが完璧を標榜するのならば、コロラドが舞台ならコロラドで撮影するのが理にかなっている。たとえば東京をロンドンで再現したところで、東京で撮影する現場のリアリティや説得力にはかなわないのだ。 そのせいか、キューブリックの映画に登場する風景やランドスケープは、その場所を徹底的に造り上げながらも決してその場所ではない、どこか不思議な人工感を覚える。自然光を基調とするリアルなライティングや、徹底した美術設定がより違和感を際立たせているのだ。そしてこの「ナチュラルに構築された人為性」もまた、氏の超然とした作風の一助となっているのである。 『フルメタル・ジャケット』(87)も先の例に漏れず、劇中に登場するベトナムは、そのほとんどがイギリスでの撮影によるものだ。特に後半、海兵隊員たちが正体不明のスナイパーから狙撃を受け、兵士が一人、また一人と息の根を止められていくシークエンスは、ロンドン郊外のコークス精錬工場の跡地がベトナムの都市・フエ(ユエ)として演出されている。ベトナム映画によく登場する密林地帯ではなく、市街地が舞台ということもあって、そこにひときわ異質さを覚えた人は多いだろう。 『ディア・ハンター』(78)や『地獄の黙示録』(79)など、これまでベトナム戦争を描いてきた作品は、タイやフィリピンなど東南アジアでロケが敢行されてきた。ことに『フルメタル〜』の公開された頃は、米アカデミー作品賞を受賞した『プラトーン』(86)を皮切りに『ハンバーガー・ヒル』や『ハノイ・ヒルトン』(87)『カジュアリティーズ』(89)など、多くのベトナム戦争映画が量産されている。これら作品はよりベトナム戦争のアクチュアルな描写に食い込んでいこうと、苛烈を極めたジャングルでの戦いに焦点を定め、リアルな画作りを標榜している。そのことが『フルメタル〜』の、市街での戦闘シーンをより独自的なものに感じさせたのだ。 こうしたキューブリックの偽造空間は、批評のやり玉にあげられることもある。「あの映画を二回くらい観れば、パリス島のシーンに灯火管制下の英国の道路標識みたいなものがあるのに気づくようになる」とは、軍史家リー・ブリミコウム=ウッドの弁だ(デイヴィッド・ヒューズ著「キューブリック全書」フィルムアート社刊より)。しかしウッドはそう指摘しながらも、本作が兵器考証や歴史考証の精巧さでもって、この映画が多くの観客をあざむいていることを認めているのである。 ともあれ、こうした『フルメタル〜』の持つ異質な外観が、ベトナム戦争映画という固有のジャンルに留まらず、ひいては争いという行為の真核へと迫る「戦争映画」としての性質を高めているのもうなづける。手の込んだキューブリックの偽造空間術は、イビツながらも相応の効果を生んでいるといえるだろう。 ■ロンドンにニューヨーク市街を築いた『アイズ ワイド シャット』 『フルメタル・ジャケット』の次に製作された『アイズ ワイド シャット』(99)は、こうしたキューブリックの偽造空間主義に、いよいよ終止符が打たれるのでは? と思われた作品だ。 原作は1920年代のウィーンを舞台とする官能サスペンスだが、それを現代のニューヨークに変更した時点で、本作は現地ロケの可能性を臭わせていた。もともとニューヨーカーだったキューブリックだけに、場所に対する土地勘もある。なにより多忙な世界的スターであるトム・クルーズを、ロンドンに長期拘束するはずがないというのが、映画ジャーナリスト共通の見解だったのである。 しかし秘密主義だったキューブリック作品の常で『アイズ ワイド シャット』の全貌は公開まで伏せられた。そして公開された本作を観客は目の当たりにし、舞台のニューヨークは明らかに「ニューヨークでありながらもニューヨークではない」キューブリックの偽造空間演出の継続によって作られたことを知るのである。そしてアジアをロンドンに再現した『フルメタル〜』を凌ぐ「ニューヨークをロンドンで再現する」という、ねじれ曲がった撮影アプローチに誰もが驚愕したのだ。 さらに公開後『アイズ ワイド シャット』のそれは、もはや常規を逸した規模のものだったことが明らかになる。 アメリカ映画撮影協会の機関誌「アメリカン・シネマトグラファー」1999年10月号で、ロンドン郊外にあるパインウッドスタジオの敷地内に建設された、ニューヨーク市街の巨大セットのスチールが掲載された。さらには2008年11月には、500ページ・重量5キロに及ぶ豪華本「スタンリー・キューブリック アーカイブズ」の中で、トム・クルーズがスクリーンの前に立ち、そのスクリーンにニューヨークの実景を映写して撮影する[スクリーン・プロセス]のメイキングスチールが掲載されている。どれもニューヨークでロケ撮影をすれば容易なショットを、まるで『2001年宇宙の旅』(68)もかくやのような特撮ステージと視覚効果によって得ていたことが明らかになったのだ。 その大掛かりな撮影のために、同作にかかった製作費は6500万ドル。トム・クルーズの高額の出演料を考慮しても、あるいはギネスブックに認定されるほどの長期撮影期間を差し引いても、キューブリック映画史上最高額となるこの数字が、偽造空間に執着することの異常さを物語っている。 ■キューブリック、偽造空間主義の真意 それにしてもキューブリックは、なぜそこまでしてイギリスでの撮影に固執するのだろう? 大の飛行機嫌いで遠距離の移動を嫌うとも、あるいはアクティブな性格でないために、日帰りできる範囲を撮影現場にするといった、数限りない伝説が氏を勝手に語り、イギリスを出ないキューブリック映画を一方的に裏付けている。 『アイズ ワイド シャット』は公開を待たずにキューブリックが亡くなったため、その偽造空間の真意を知ることはままならない。しかし『フルメタル・ジャケット』に関しては、本人のホットな証言が身近に残されている。月刊誌「イメージフォーラム」(ダゲレオ出版刊)1988年6月号の特集「戦争映画の最前線」における、キューブリックのインタビューだ。 同記事は『フルメタル』日本公開のパブリシティに連動したものだが、聞き手は日本人(河原畑寧氏)によるもので、それだけでも相当なレアケースといえる。 この文章中、キューブリックは「現地ロケをするつもりはなかったのか?」という問いに対し、 「東南アジアへ行くことも考えたが、英国で格好の場所が見つかった。石炭からガスを抽出する工場の廃墟だ。建物は三十年代のドイツの建築家の設計で、とても広くて、記録写真で見るユエやダナンの風景ともよく似ていた。(中略)しかも、爆発しようが火をつけようがかまわないという。そんなことが出来る場所が、世界中探しても他にあるかね? (中略)たとえベトナムの現地に出かけたところで、建物を破壊したり燃やしたりは出来ない」 と、自身のイギリス拘束をむげに正当化するものではなく、極めて合理的な回答をしている。さらには劇中に登場するベトナム人は、英国にあるベトナム人居住区に人材を求めたことなど、無理してイギリスを出る理由がなかったことも付け加えている。詳細を追求してみれば、真実は意外にあっさりしたものだ。 同時にキューブリックはこのインタビュー中「日本に来ませんか?」という問いかけに対し、 「行きたいと思っている。ここから(ロンドン)だとロサンゼルスと同じくらいの時間で行けるはずだね」 と、ささいな会話のやりとりながら、飛行機アレルギーや出不精といった伝説を自らやんわりと否定している。 ハリウッドに干渉されないための映画作りを求め、イギリスに移り住んだキューブリック。そこで気心の知れたスタッフや、ウェルメイドな製作体制を得たことが、氏にとって創作の最大の武器になったのだ。 キューブリックの偽装空間は、こうした作家主義の表象に他ならない。そして、その作家主義を商業映画のフィールドで行使できるところに、この人物の偉大さがうかがえるのである。 生前、キューブリックが日本にくることはかなわなかった。しかし氏の遺した作品が、時間や場所を越境し、今もこうして議論が費やされ、さまざまな角度から検証されている。 三回にわたる集中連載、まだまだ語り足りないところがあるが、次に機会を残して幕を閉じたい。■ TM & © Warner Bros. Entertainment Inc.
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PROGRAM/放送作品
スクープ・悪意の不在
マスコミの被害を受けた時、名誉を回復する術は?警察と報道の良心を問う問題作!
正義を追い求めるあまり、マスコミと捜査機関が暴走。一般市民が冤罪の恐怖にさらされる。報道と当局の独善に警鐘を鳴らす社会派ドラマ。追い詰められ反撃に転じる一般市民を名優ポール・ニューマンがスマートに好演。
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COLUMN/コラム2015.10.17
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2015年11月】にしこ
南部の田舎町。産業もさびれていて街の男性はほとんど鉄道員という汗臭~い街で下宿屋の娘アルバは男たちのマドンナ的存在。しかし、鉄道員たちにちやほやされても、資産家の熟年男性から高価なプレゼントをされてもどこか冷めているアルバ。そんな時、ニューオリンズからオーウェンという都会的な男がやってくる。彼は鉄道会社がやとったリストラ査定人で、町の男たちと違い、アルバに対してそっけない。ちやほやされる事に慣れているアルバは彼の態度に怒り心頭ながらもやはり心惹かれていき… という始まりなのですが、この物語、2人の恋を阻む障害がありまして。メロドラマですから。 ①良い生活をしたいがために、アルバを金持ちと結婚させたがっているアルバ母。②こんな町で終わってたまるか!という上昇志向を持ちならがらも、町を出たことがない為になかなか行動できないアルバのふわふわ感。③どんな状況だってちやほやされたい!というアルバの悲しい女の性。 こう並べると「アルバ、だめな子!」という感じですが、演じるナタリー・ウッドのコケティッシュさが炸裂!!男性だったら「自分のものにしたい!」という征服欲を感じるタイプです。どハマり役です。 対するアルバが恋するオーウェンを演じる、ロバート・レッドフォード。『明日に向って撃て!』の数年前に出演した本作が初の主演級の役との事ですが、超魅力的なナタリー・ウッドが想いを寄せる相手として完璧な王子様っぷり。 美男美女のが悲恋を演じるなんてこんなに観ていて楽しいものはありません。おまけ的になってしまいますが、ナタリー・ウッドの衣装がとってもオシャレで、さびれた町とアルバというキャラクターとのちぐはぐ感を印象づけています。 タイトルは『雨のニューオリンズ』ですが、ほとんどニューオリンズは出てきません。あしからず。 COPYRIGHT © 2015 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.
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PROGRAM/放送作品
(吹)コンドル(1975)
訳が分からないまま命を狙われるCIA職員。その恐怖の逃避行を描く、傑作スパイ・サスペンス娯楽作
ロバート・レッドフォードとフェイ・ダナウェイ共演の逃避行ものスパイ・サスペンス。『追憶』、『愛と哀しみの果て』、『ハバナ』などでレッドフォードとは度々コンビを組んでいるシドニー・ポラック監督作。
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COLUMN/コラム2012.01.01
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2012年1月】招きネコ
メリル・ストリープとロバート・レッドフォードがアフリカの大地を舞台に織りなす大人の恋愛ドラマ。女手ひとつで農場経営に励む気丈な男爵夫人と、自由を愛する冒険家というまさに2人ともハマリ役を演じます。この映画を一言でいうと「すべてが美しい」です。美男美女、素晴らしいサバンナの空撮、クラシカルなサファリ・ファッション、ジョン・バリーの音楽。そして、忘れられないのは女人禁制のクラブでメリル・ストリープが映画史上女性がもっともかっこよくウィスキーを飲むシーン。こうありたいもの・・・。 © 1985 Universal City Studios, Inc. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
アイズ ワイド シャット
[R15相当]トム・クルーズ×ニコール・キッドマン。スター夫婦でキューブリックが描く、愛とSEX
巨匠スタンリー・キューブリックが、トム・クルーズとニコール・キッドマンという当時のスター夫妻を迎えて、愛とSEXをシリアスに描いた大ヒットサスペンスドラマ。今作がキューブリックにとっては遺作となった。
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COLUMN/コラム2018.06.01
大反撃メルヘンとバイオレンスが融合した異色の戦争映画!『大反撃』
第二次世界大戦中のフランスに入ったアメリカ陸軍の小隊についての戦争映画です。タイトルの『大反撃』は、主人公たちではなく、敵側であるドイツ軍の大反攻作戦を意味しています。いわゆる「バルジ大作戦」のことです。 バート・ランカスター率いる米軍の小隊が霧深い森を進んでいくと、中世のお城が現れる。そして城主の伯爵から「この城を戦火から守ってくれ」と頼まれます。さらに、伯爵は小隊長に「世継ぎが欲しいが生まれない。だから私の妻を抱いてくれ」とも頼まれる。それだけでも変な戦争映画ですが、その城の周りにある村は、小隊の1人ひとりの願いが叶う不思議な村なんです。酒も女も、パン屋さんのピーター・フォークはパン屋の主人として迎えられ、メカマニアの若い兵士はフォルクスワーゲンを手に入れて大喜び。つまり、おとぎ話なんですよ、この映画。で、メルヘンだなあと思ってると、ドイツの戦車軍団が襲来して、突然、リアルでバイオレントで凄まじいアクションになっていきます。 監督はシドニー・ポラック。『追憶』(73年)や『トッツィー』(82年)など軽いコメディや、女性向けの映画とかで有名ですが、元々は男性的なアクション映画の監督でした。『ザ・ヤクザ』(74年)も僕は大好きです。ポラックのロマンチックな側面と、アクション監督としての側面が入り混じったのがこの『大反撃』という怪作です。クライマックスの破壊の美学をぜひご覧ください。■ (談/町山智浩) MORE★INFO. 原作は従軍経験のあるウィリアム・イーストレイクの未訳小説『Castle Keep』(65年)。ロケ地ユーゴに実物大の城のセットを建て、それをクライマックスで惜しげもなく爆破・炎上させたのでスタッフ&キャストも驚いたという。主演のバート・ランカスターによれば本作は反ベトナム戦争をテーマにした寓話だと発言している。監督のポラックとランカスターは67年の西部劇『インディアン狩り』で初コンビを組み、『泳ぐひと』を仕上げ、そして本作と連続でコンビを組んでいた。 CASTLE KEEP/69年米/監:シドニー・ポラック/原:ウィリアム・イーストレイク/脚:ダニエル・タラダッシュ、デヴィッド・レイフィール/出:バート・ランカスター、ピーター・フォーク/108分/© 1969, renewed 1997 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
インタビュー with シドニー・ポラック
錚々たる映画人がその映画論を語り尽くす、映画ファン必見のインタビュー番組
アメリカの著名な映画評論エルヴィス・ミッチェルが、錚々たる映画人にじっくり映画論を聞くインタビュー番組。今回のゲストは、『トッツィー』や『愛と哀しみの果て』で知られる名匠シドニー・ポラック。
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COLUMN/コラム2018.12.13
燎原の火の如く燃え広がった「Me Too」運動の中で、私は『トッツィー』を思い出していた…。
2017年秋、ハリウッドの大物映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインが、長年に亘って何人もの女優らに、セクハラや性的暴行を行っていたことが判明。それがきっかけとなって火が付いたのが、「Me Too」ムーブメントだった。 今まで沈黙を強いられてきた、性的な“虐待”や“嫌がらせ”の被害者たちの口から、数多の有名映画人の名が、“加害者”として挙げられていく。ケヴィン・スぺイシ―、ビル・コスビー、ロマン・ポランスキー、モーガン・フリーマン…。錚々たる顔触れの中でも、私が特にショックを受けたのは、“ダスティン・ホフマン”だった。 ホフマンと言えば、アクターズ・スタジオ仕込みの演技で、“アメリカン・ニューシネマ”の寵児となった俳優。マイク・二コルズ監督の『卒業』(1967)で一躍脚光を浴び、その後も『真夜中のカーボーイ』(1969)『小さな巨人』(1970)『わらの犬』(1971)『大統領の陰謀』(1976)等々、映画史に残る作品に次々と出演した。 そして“ニューシネマ”の時代が去った後には、『クレイマー、クレイマー』(1979)と『レインマン』(1988)で、アカデミー賞主演男優賞を2度手にしている。押しも押されぬ、名優にして大スターである。 日本の観客からも、ホフマンは長く絶大な人気を誇った。大塚博堂の「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」(1976)など、彼をモチーフにした有名曲まで存在するほどだ。 そんなホフマンからの“性的嫌がらせ”を最初に告白したのは、ロサンゼルスに住む女性作家。彼女は1985年、17歳の時にインターンのスタッフとして参加したTVドラマ「セールスマンの死」の現場で、ホフマンからお尻を掴まれたり、卑猥な言葉を掛けられたりしたという。 これに対してホフマンはすぐに、「女性を尊敬する私らしくない行為だ。本当に申し訳ない」などと、正式に謝罪を行った。ところがその後も、女性プロデューサーや舞台で共演した女優などから、「彼から“性的虐待”を受けた」という告発が相次いだのである。 いずれも30年前後のタイムラグがあっての訴えで、真相を究明するのはもはや困難である。またワインスタインのように、権威を笠に着て“強姦”紛いのことを行ったわけではない。とはいえ今日の時勢では、「許されない」ことであり、今や80歳を超えたホフマンのキャリアに、少なからずダメージを与えたのは、間違いないようである。 繰り返しになるが、私は「Me Too」ムーブメントの中でも、青春期から親しんだ大スターであるホフマンの名前が挙がったことに、特に大きなショックを受けた。それは、彼のフィルモグラフィーの中に、本作『トッツィー』があることも大きい。 シドニー・ポラック監督による『トッツィー』の主人公は、ホフマンが演じる、売れない中年俳優のマイケル・ドーシ―。演技には定評があるものの、うるさ型の完璧主義者のため、誰も彼を起用しようとはしない。エージェント(ポラック監督自らが好演)からも、見放される始末である。 そんな鬱々とした日々の中でマイケルは、芝居仲間の女優サンディ(演;テリー・ガー)がTVの昼ドラ「病院物語」のオーディションを受けるのに付き合った際、自分より実力が劣る俳優が持て囃されている現実に直面する。そこで彼は、その翌日に何と女装して、そのドラマのオーディションへと乗り込むという暴挙に出る。 演出家のロン(演;ダブニー・コールマン)には相手にされなかったマイケルだが、その場で女性差別を指摘する啖呵を切ったところ、番組の女性プロデューサーのお眼鏡にかない、病院の経営者エミリー・キンバリーという重要な役どころを見事にゲット。その日からマイケル・ドーシ―変じて、女優ドロシー・マイケルズとしての日々が始まる。 エミリーを演じるに当たってドロシーは、セリフにアドリブをふんだんに盛り込んで、女性の権利を主張。自立した強い女性像を打ち出して、スタッフやキャストを驚かせる。それが視聴者にも大いに受け、“彼女”は注目の存在として、「TIME」や「LIFE」などの一流誌の表紙を飾るまでになる。 また撮影現場では、「ハニー」「トッツィー(かわい子ちゃん)」などと呼び掛けてくる演出家のロンに対して、「ちゃんと名前で呼んで」と毅然として反発。その姿勢が、後輩の女優たちからの尊敬を集めることにもなる。 そんな中でドロシーならぬマイケルは、共演者で看護師役のジュリー(演;ジェシカ・ラング)に恋をする。しかしジュリーにとってのドロシーは、先輩の“女優”としてあくまでも尊敬の対象に過ぎない。そのため、やもめ暮らしのジュリーの父親(演;チャールズ・ダーニング)の再婚相手にと、請われるようにまでなる。 どうにもならない想いに、身を引き裂かれそうになるマイケル。ある時ジュリーに対して衝動的にキスをしようとしたことから、レズビアンと勘違いされ、彼女から敬遠されるように。更には病院長役の老優ジョン(演;ジョージ・ゲインズ)に強姦されかけたりなどの憂き目に遭い、アイデンティティー崩壊の危機に陥る。 遂にはドロシーを捨て、本来の自分に戻る決断をしたマイケル。そのために彼は、衆目の集まるドラマの生放送中に、驚くべき行動を取るが…。 『クレイマー、クレイマー』で初のオスカーを得たキャリアの絶頂時に、次回作としてホフマンがチョイスしたのが、本作『トッツィー』である。本作の企画は、ホフマンがポラック監督らに投げ掛けた、次のような問いからスタートしたという。 「ねえ、ぼくが女だったらどうだろう?どんな人生になるのかな?」 役にのめり込むことで知られるホフマンは、特殊メークの力も借りながら、女性になり切ろうとした。ホントに男とバレないかをリサーチするために、女装のままレストランに出掛けたりもした。その際に、『真夜中のカーボーイ』で共演したジョン・ボイトにばったり会ったのだが、ボイトは、自分に話し掛けてきた女性ファンがホフマンだとは、まったく気付かなかったという。 そこまでして、リアルに作り上げたキャラクター。それが、売れない俳優のマイケル・ド―シーが、職を得るために女装したという設定の、女優ドロシー・マイケルズである。マイケルはドロシーを通じて、体毛の手入れやメイクなど日々の装いの煩雑さから、仕事の現場で受ける差別的な扱いまで、男社会の中で女性が生きていくことの大変さや不公平さを体験。それまでの己の傲岸不遜さにも、気付かされていく…。 『トッツィー』以前、アメリカ映画に於ける代表的な“女装もの”と言えば、ビリー・ワイルダー監督の『お熱いのがお好き』(1959)が挙げられる。この作品の中でも、ギャングから逃亡するために“女装”したジャック・レモンが、大富豪の老人に迫られている内に、段々と変な気持ちになっていくという描写はある。しかしこちらの“女装”は、あくまでもシチュエーションとしての面白さを追求した側面が強い。 それに対して『トッツィー』は、大いに笑わせる展開の中で、1970年代の“ウーマン・リブ”運動を経ても、未だ止まない女性差別の実状まで抉り出してもいる。2018年の今日見ると、LGBTの扱いなどで至らない描写も散見されるが、公開された1982年は、“セクハラ”などという言葉が一般化するよりも、遥かに以前。当時としては、実に革新的なコメディだったのである。 ホフマンは本作の演技で、この年度のアカデミー賞主演男優賞にもノミネート。ライバルに『ガンジー』(1982)のベン・キングスレーが居なかったら、2作続けてオスカーを手にする結果となっても、まったくおかしくない状況だった。 「Me Too」ムーブメントの中で、ホフマンに降りかかった火の粉に対して、「まさか!?」「あの『トッツィー』のホフマンが!?」。そんな思いを抱いた、私と同年代の映画ファンは、決して少なくなかったのでは、ないだろうか?◾︎ © 1982 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.