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PROGRAM/放送作品
SOMEWHERE
ソフィア・コッポラが描く、だらしない父親が別居中の娘と一緒に過ごすことになった日々に見る、世界の輝き
ホテル暮らしの自堕落な映画スターの目に、11歳の娘をあずかっている間だけ映る、キラキラまぶしい世界の美しさを、フランシス・フォード・コッポラの娘ソフィア・コッポラが描く。ヴェネチア映画祭金獅子賞受賞。
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COLUMN/コラム2016.03.03
ソフィア・コッポラ、彼女の瞳にうつるもの〜『ヴァージン・スーサイズ』、『ロスト・イン・トランスレーション』、『マリー・アントワネット』、『SOMEWHERE』、『ブリングリング』
パーソナルな魅力が溢れ出した知的で美しい容姿。決して派手ではないけれどシンプル&エレガンスな、1点1点上質なアイテムをさらりと着こなすファッションセンス。 さらにはアートや音楽の洗練された感性さえを持ち合わせ、世界を代表する映画監督フランシス・フォード・コッポラを父に持つという恵まれた家柄で育った。女の人生を生きる上で、欲しいものをすべて手に入れた女性である。 映画監督としてだけでなく、新進気鋭のカメラマンとしての実績や、ファッションデザイナーとして「ミルクフェド」を設立し、最近ではその活動は映画の域を越え、ハイブランドのCM監督もこなす。 クリスチャンディオールのキャンペーンではナタリー・ポートマンを起用した「MissDior」のCM(2013年)を手がけ、オシャレ女子から圧倒的な支持をうける「Marc Jacobs」の人気フレグランス「デイジー」シリーズなどのCMも監督し、まるで映画の1シーンのようなショートトリップに世の女性達をいざなってくれたのも記憶に新しい。 更に、今年2016年には「椿姫」の後援者でイタリアのデザイナーのヴァレンティノ・ガラヴァーニがソフィアの『マリー・アントワネット』に感激したことから、イタリアのローマ歌劇場でのオペラ「椿姫」の舞台監督に抜擢された。ソフィアは、今まさに、初の「オペラ監督」としての挑戦に奮闘中なのである(公園期間は5月24日〜6月30日)。 自分の可能性を花開かせ続けるその姿から勇気をもらうと同時に、1度は彼女のような人生歩んでみたいとソフィアに強い憧れを抱く女性は少なくないはずだ。 生まれもって宝くじを引き当てたかのような特権を持つ存在でありながらも、決して家柄におごることなく自分を貫き、夢を叶える。 20世紀の「与えてもらう」ような受け身のお姫様ではなく、自分の夢を自分でつかみ取る彼女こそ21世紀の女性の憧れの的なのである。 そんな彼女が「映画」という手段を選び、発信しようとしているメッセージとは何なのであろうか。作品に共通して描かれているものがあるとすれば、それは、誰しもの心にひっそりと潜むガラス細工のような「孤独」ではないだろうか。 ソフィアと言えば、作品に合わせた色彩を効果的に使った美しい色味で描かれる世界観も特徴の1つであるが、彼女は誰よりも知っていたのではなかろうか。孤独は、色のないからっぽの感情ではなく、カラフルな世界に身を置いたときによりいっそう滲み出るものだということを。 たくさんの色や光に囲まれた瞬間にこそ、自分のむなしさや寂しさがよりいっそう際立つことを。 だからいつだって彼女の作品は美しいのかもしれない。 ソフィアが描いてきたいくつかの孤独の表現について追ってみようと思う。 彼女の長編映画デビュー作でありながらも、彼女の作品の世界観を確立させたミシガン州に住む美しい5人姉妹の自殺を描いた『ヴァージン・スーサイズ(1999)』では、一緒に過ごしていても心は離れている姉妹達の孤独感。家族という間柄であっても、満たせない見えない人と人との間の距離感を垣間みた。 次にアカデミー脚本賞を受賞した『ロスト・イン・トランスレーション(2003)』では、言葉の通じない海外に行った時に味わう異邦人としての哀愁や異文化の中での孤独の感情に寄り添った。監督自身の東京での経験を下敷きにして、海外版でも日本語の字幕は一切つけず、観る者に孤独を疑似体験させた。 世界中で注目されてきたフランス王妃を描いた『マリー・アントワネット(2006)』では、下着すら自分でつけることを許されない生活の中で、仮面を付けるかのように洋服を何着も何着も着替えることで、不安、不満をモノで満たしていく孤独な女心をこれ以上ないほど愛らしい世界観の中、表現した。 続いて、父と娘のつかの間の休暇を描いた『SOMEWHERE(2010)』では 、ハリウッドスターを主人公とし、端から見たら人気者で多くの人に囲まれるうらやましがられる生活をしていても、充実感とは裏腹に空虚な気持ちを拭えない中年男性の孤独を映し出した。 また最新作『ブリングリング(2013)』では、全米を震撼させた実際の高校生窃盗団の事件を描き、犯罪が露見する可能性がゼロではないにも関わらず、誰かに認めてもらいたいという想いも消しきれないSNSの普及した現代社会に起こりうる、承認欲求という新しいタイプの孤独を描いた。 ちなみに、彼女がはじめて監督・脚本を務めたモノクロの16mmフィルムで撮影した14分の『Lick the Star(1998年)』もスクールカースト(階級社会)の中で生まれる思春期の「孤立感」がコンセプトだ。「ヴァージン・スーサイズ」を彷彿とさせる独特の芝生の使われ方など随所に彼女の才能を感じることが出来る作品で、白黒なものの登場人物達は活き活きと描かれている。字幕付きのものが日本では観られないのが残念だが、ネットに何件かアップされている動画を映画ができる友人と観るのがおすすめだ。 彼女のこれまでの作品の中で、私は特に「リック・ザ・スター」「ヴァージン・スーサイズ」「ブリングリング」といった10代の思春期の頃に抱える抑え切れない程の強いエネルギーや、集団心理を描いた作品に興味を持っている。 特に「ヴァージン・スーサイズ」には、女性が避けることができない人生の悲哀もひっそりと閉じ込められているように感じる。 女は他人から比較されずに生きていくことができないし、同時に自分も人と比較することをやめられない生き物である。 「私は私」と思うタイプの人でさえ、年を重ねれば若い頃の自分と「あの子も昔はかわいかった」なんて比較されていく。 一生続く、毒をもった甘い戦いが女の世界には存在しているのだ。 自分の部屋がまるで世界の中心のように思うことさえある思春期。1つの空間に閉じ込められた1歳ずつしか年齢の違わない姉妹達、そこにはまるで満開のバラが咲き乱れたような、異常なエネルギーが漂っていたのではなかろうか。 男性からすると一種の連帯感かもしれないが、まるで1つの花のように見えた彼女達は、それぞれ別の花びらの集合体だったのではないか。 だからこそ一致団結していたように見えた姉妹達も最期の瞬間は、バラバラの場所、それぞれの方法で死を選んだのかもしれない。 同時に、彼女達は、自分たちが1番美しい瞬間を永遠に閉じ込めようとしたのではないだろうか。「死」という選択肢を使って。彼女達にとって「死」とは、美しいままでいるための1つの手段だったようにも思えて仕方がないのである。 また、場所も時代もおかれている状況も違うけれど「ブリングリング」にも思春期の抑えられない強いエネルギーが描かれていると同時に、「自分は自分」でいることの難しさを伝えている。 10代の頃からSNSの普及によって、幸せの基準がわからなくなってしまったブリングリングのメンバー達は、罪の意識を抱くよりも、Facebookに窃盗したセレブの持ち物をアップし続け、周囲に注目される存在であることを望んだ。 被害者の1人でありながらも自宅を撮影場所として提供したパリス・ヒルトンが被害状況を語った際、「普通の泥棒はお金や宝石を盗むけど、彼らはお金ではなく、雑誌に出ているものを欲した」と語った。 そこに理屈は存在していない。「承認されたい」という欲望を抑えることができなくなった若者達の感情は、こんがらがってしまった電線のようだ。 他人の生活が必要以上に見えるようになってしまった現代を生きる上で、人に流されず自分らしくいることが難しくなっていることについて、小さな警鐘を鳴らしたのではないか。 それにしてもなぜ、彼女は性別年代問わず、人の感情を繊細にすくいとることができるのであろうか? 世界的な巨匠を父に持ち、1歳で乳児役として「ゴッドファーザー」に出演し、小さい頃から大人の目にさらされてきたソフィア。 人の顔色に敏感にならざるを得なかったであろうし、時に誰よりも比較されてきたのは、他でもなく、彼女自身だったからのかもしれない。 余談になるが、コッポラ一族の勢いはとどまることを知らない。 2013年、フランシス・フォード・コッポラの孫ジア・コッポラは、「パロアルト・ストーリー」で映画監督デビューを果たす。原作はハリウッドの若き開拓者的存在であるジェームズ・フランコが書いた短編小説。ジェームズ・フランコ自ら、ジアに監督を依頼し、ジュリア・ロバーツの姪であるエマ・ロバーツやヴァル・キルマーの息子のジャック・キルマーが起用され、青春の不安定さから来る思春期の若者達の繊細な気持ちを描いた。 インテリアやレースのカーテンといった小物等からもソフィアの感性を受け継いだことが肌で感じられる作品である。 甘くけだるく、耳に残る音楽は「ヴァージン・スーサイズ」の音楽でもおなじみのソフィアの従兄弟であり、フランシス・フォード・コッポラを叔父に持つシュワルツマンが担当。改めて、溢れんばかりの才能に恵まれた一族である。 「アメリカン・グラフィティ」「ラスト・ショー」「ヴァージン・スーサイズ」のようなタイプの10代の繊細な感情の機微を描いた青春映画を欲している人は、こちらの作品も観ても良いかもしれない。■ ©1999 by Paramount Classics, a division of Paramount Pictures, All Rights Reserved
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PROGRAM/放送作品
SUPER 8/スーパーエイト
ヒットメーカーJ・J・エイブラムス監督が往年のスピルバーグ映画愛を込めて描くノスタルジックな青春SF
J・J・エイブラムス監督があのスピルバーグを製作に迎え、『未知との遭遇』、『E.T.』など敬愛するスピルバーグ映画にオマージュを捧げたSF青春映画。79年当時を細かく再現した時代考証が懐かしい。
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COLUMN/コラム2016.02.15
男たちのシネマ愛④愛すべき、キラキラ★ソフィアたん(3)
飯森:次に「ロスト・イン・トランスレーション」【注29】と「SOMEWHERE」【注30】をセットで喋らせて頂きたいと思います。「ロスト~」はアカデミー脚本賞に輝いた作品ですが、日本人にとっても「マリー・アントワネット」【注31】と並ぶソフィアたんの代表作として知られているかもしれません。なにしろ東京が舞台ですし。主人公はウイスキーのCMに出演するため来日したベテランのハリウッド俳優と、お洒落なファッション・フォトグラファーの夫にくっついてきた大学出たばかりの新婚奥さん。この2人がたまたま同じホテルに宿泊するわけです。 なかざわ:新宿のパークハイアット東京【注32】ですね。 飯森:このハリウッド俳優の置かれた状況がまさにロスト・イン・トランスレーション状態で、言葉が通じなかったり、日本人の習慣や感性が分からなかったりする。CM撮影やスチール撮影の現場で、どうにも歯車の噛み合わないもどかしさを感じているわけです。一方の若妻の方も旦那がさっさと一人で撮影旅行に出かけちゃって、いきなり右も左もわからない新宿に一人で放置される。そんな彼らがホテルのラウンジ・バーで知り合い、お互いにアメリカ人だってことで言葉を交わしていくうち、だんだんと仲良くなっていくわけです。で、誰かと一緒にいるってハッピーなことだな、と噛み締めながら、あっという間に東京滞在の期間が終わってしまい、それぞれの人生へと戻っていく。 なかざわ:面白いのは、お互いに親近感というか、惹かれあうものがありながらも、具体的にロマンスへは踏み込まないんですよね。 飯森:そこですよ!決してロマンスには行かない。でもベッドシーンはあるんです。そこは後ほど説明しますね。で、もう一方の「SOMEWHERE」ですけれど、これもハリウッド俳優の話。主人公は人気のアクションスターで、ロサンゼルスのシャトー・マーモント【注33】という実在するセレブ御用達の高級ホテルで暮らしながら、自堕落な生活を送っている。暇になると部屋にポールダンサー【注34】を呼んでエロ踊りを踊らせたり、映画スターの余得で向かいの部屋の宿泊客とセックスしちゃったり。そこへ、離婚した奥さんが連れて行った中学生くらいの愛娘が転がり込む。元奥さんの都合で、しばらく娘を預かることになるんです。それで一緒にお出かけして、一緒にご飯を食べて、一緒にTVゲームをする。なんてことはない娘との時間を過ごす。最後も別にドラマチックに娘と死に別れたりするわけでもなく、ただ単に預かり期間が終わったので娘が去っていくだけで、映画はアッサリおしまい。 なかざわ:確かサマーキャンプに行くんですよね。 飯森:で、その娘といた時間というのがまた、なんともキラキラしているんですよ。「ロスト~」の主人公たちの東京滞在もキラキラしていた。このキラキラは先ほどの「ヴァージン・スーサイズ」や「ブリングリング」の“10代キラキラ”とはちょっと性質が違うので、“ラブストーリー一歩手前キラキラ”と名付けたい。ショッキングなことを言うと、実は「SOMEWHERE」にもベッドシーンはある。父娘の間で。「ロスト~」でもハリウッド俳優と若妻のベッドシーンがある。 なかざわ:ただ一緒にベッドで横になっているだけでしょ? 飯森:そう!そういう意味での文字通りの“ベッドシーン”で、これは意図的だろうと思うんですよ。ラブストーリー一歩手前だからベッドの上では何も起きない。そもそも「SOMEWHERE」でそれが起きたら大変です!ボロフチック【注35】になってしまいますから(笑)。主人公はラブストーリーには絶対に発展するはずのない男女。「SOMEWHERE」は父娘だから当たり前ですが、「ロスト~」だってそうだと思いますよ。あの映画を恋愛映画だと言っている人もいますけど、本当か!?と。スカーレット・ヨハンソン【注36】がビル・マーレイ【注37】に恋愛的な意味で惚れていたと思いますか? なかざわ:思わないですよ。親愛の情は抱いていたと思いますけど。 飯森:そう!まさに「親愛の情」としか表しようのない感情ですよね。ビル・マーレイにしたって、確かに一般論として男は下心が最優先になる不便な生き物だけれど、彼という役者の場合、そんな印象をほとんど受けない。若い頃からそういう俳優で、女を食っちゃうにしても飄々とした斜に構えた感じを若いのに漂わせてましたけど、この歳になるとその方面では完全に枯れ果てた出涸らしに見える(笑)。あの天下のスカヨハのプリケツを前にして、しかもベッドで一緒に寝るのに!だから、恋に落ちることは絶対ないカップルに見えるんです。 なかざわ:最後にキスをして別れますけど、あれも恋愛のキスではなく親子のキスみたいな印象でしたし。 飯森:どちらの作品でも主人公たちは“デート”をしますが、でも、「今日はパパとデート」、「今日は異性の知人とデート」っていうノリですよね。〆でホテルに行かない方のデート。その楽しそうな時間を支配しているのは、またしても“キラキラ感”。ベッドを共にしても、例えば「ロスト~」の場合だと寝転がってお悩み相談大会になっちゃうし、「SOMEWHERE」ではベッドの背もたれに寄りかかって一緒にアイス食いながらテレビを見ている。恋愛一歩手前とか、父娘とか、男女のフレンドリーな関係の心地よさが、この2作品ではキラキラした感じで描かれているんです。 なかざわ:他者と繋がって心が触れ合うことで、前向きに生きていけるようになるというテーマが、どちらでも共通しているように思いますね。 飯森:「SOMEWHERE」の父親は泣いていましたよね。娘がいなくなったことで、またあの空っぽな生活に戻らねばならないのかと慄然とする。娘とのあのキラキラした日々が、いかに充実していたかを思い知らされるわけです。 なかざわ:確か最後に車を乗り捨てますよね。 飯森:そう、最初のシーンではフェラーリらしき車に乗ってグルグル回っていて、あれは解釈に苦しみましたが、ラストではフェラーリを乗り捨てていました。 なかざわ:あれって、それまでの自堕落な生活との決別を心に決めた瞬間だと思うんですよ。 飯森:だから冒頭ではフェラーリで同じ所を無意味にグルグル回ってたんだ!フェラーリは虚栄の象徴か! なかざわ:そういうことだと思います。 飯森:あとね、これは僕の私見なんですけれど、ソフィアたんは恋愛が嫌いだと思うんです。「ヴァージン・スーサイズ」でも、確かに近所の小僧どもはリスボン家の美人姉妹に憧れますけれど、彼女らは自分たちだけの閉鎖された世界でキャッキャしていて、外の男子と恋愛する気がなさそう。小僧どもはそれを遠くから指をくわえて見守ることしかできない。 なかざわ:彼女たちはさながら妖精のサークルですよね。 飯森:唯一恋愛っぽくなるのは、ジョシュ・ハートネット【注38】演じるイケメンの不良に三女のキルステン・ダンスト【注39】が憧れる展開ですけど、これにはとんでもないオチが付く。あの美少年が25年後にはどうなっているか。「あんた少女時代にイケメンから何か酷い目にでも遭わされたの!?」とソフィアたんの恋愛相談に乗ってあげたくなる、それくらい、憎悪さえ込めたような衝撃の展開(笑)。だから、彼女は恋愛が嫌いなんじゃないかと思えるんです。まあ、小僧どももジョシュ・ハートネットも原作通りではあるんですが。 なかざわ:そういえば、ソフィア・コッポラの作品で純然たる恋愛映画ってないですよね。 飯森:「ブリングリング」も主人公の転校生はゲイだから、親友の女子と意気投合こそすれ恋愛には発展しえない。あとで話す「マリー・アントワネット」ではフェルゼン【注40】が出てきますけど、「ベルサイユのばら」【注41】とは大違いで、何も起こらない。もしかすると、ソフィアたんの理想というのは、この人とは恋に落ちることはないけれど一緒にいるとすごくハッピーになれる、そんな異性のパートナーがいるって素敵じゃない?ってことなのかもしれない。女だからってラブストーリーを描くと思ったら大間違い、恋だの愛だのなんて私大っ嫌いなのよ!ダサっ!!とでも言わんばかりの剣幕を感じてしまう。勝手にそう僕が感じてるだけなんですが、本当に、過去に何かあったのか(笑)? <注29>2003年制作、アメリカ映画。アカデミー賞では作品賞など4部門にノミネートされ、脚本賞を獲得。 <注30>2010年制作、アメリカ映画。ヴェネチア国際映画祭では最高賞の金獅子賞を受賞。 <注31>2006年制作、アメリカ映画。アカデミー賞の衣装デザイン賞を受賞。 <注32>新宿新都心の新宿パークタワーに入居しているホテル。 <注33>1929年に創業したロサンゼルスのホテル。フランスの古城シャトー・アンボワーズを模したヨーロッパ風建築で、古くからハリウッド映画人に人気がある。 <注34>垂直の柱を使用したアクロバティックなダンスを踊るダンサーのこと。現在ではダンス競技の一種として認められているが、もともとはストリップクラブの出し物の一つで、本作に登場するポールダンサーもストリッパー。 <注35>ヴァレリアン・ボロフチック。1923年生まれ。ポーランド出身のフランスの映画監督。タブーを恐れない大胆な性描写で有名。代表作は「インモラル物語」(’74)など。2006年死去。ザ・シネマ10周年記念として前月に特集を組んだ。前回対談のトークテーマ。 <注36>1984年生まれ。アメリカの女優。本作では若妻役を演じる。そのほかの代表作には「真珠の耳飾りの少女」(’03)や「それでも恋するバルセロナ」(’08)、「アベンジャーズ」(’12)など。 <注37>1950年生まれ。アメリカの俳優。本作では中年のハリウッド俳優役。その他の代表作には「ゴーストバスターズ」(’84)や「3人のゴースト」(’88)、「天才マックスの世界」(’98)など。 <注38>1978年生まれ。アメリカの俳優。代表作は「パール・ハーバー」(’01)や「ブラックホーク・ダウン」(’01)、「ブラック・ダリア」(’06)など。 <注39>1982年生まれ。アメリカの女優。代表作は「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」(’94)、「スパイダーマン」(’02)、「メランコリア」(’11)など。 <注40>「ベルサイユのばら」に登場するスウェーデン貴族。モデルとなったフェルセン伯爵もマリー・アントワネットの愛人だった。映画に登場するのは、こちらのフェルセン伯爵の方。 <注41>池田理代子による日本の漫画。フランス革命前後を舞台に、マリー・アントワネットら実在の人物と男装の麗人オスカルなど架空キャラクターの激動の運命を描く。宝塚歌劇団による舞台化を契機に空前の大ブームを巻き起こし、テレビアニメや実写映画にもなった。 次ページ>> 「ロスト・イン・トランスレーション」&「SOMEWHERE」(続き) 『ヴァージン・スーサイズ』©1999 by Paramount Classics, a division of Paramount Pictures, All Rights Reserved『ロスト・イン・トランスレーション』©2003, Focus Features all rights reserved『マリー・アントワネット(2006)』©2005 I Want Candy LLC.『SOMEWHERE』© 2010 - Somewhere LLC『ブリングリング』© 2013 Somewhere Else, LLC. All Rights Reserved
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PROGRAM/放送作品
(吹)SUPER 8/スーパーエイト
ヒットメーカーJ・J・エイブラムス監督が往年のスピルバーグ映画愛を込めて描く、ノスタルジックな青春SF
J・J・エイブラムス監督があのスピルバーグを製作に迎え、『未知との遭遇』、『E.T.』など敬愛するスピルバーグ映画にオマージュを捧げたSF青春映画。79年当時を細かく再現した時代考証が懐かしい。
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COLUMN/コラム2016.02.15
男たちのシネマ愛④愛すべき、キラキラ★ソフィアたん(4)
なかざわ:ちなみに、これは全く個人的な感想なんですが、「ロスト~」は映画ライターとして非常に興味深い見所がありまして。まずはCM撮影で日本人監督の長い演技指導を、通訳がバッサリと一言で説明してしまうシーン。意訳しすぎ!っていう(笑)。 飯森:あそこは僕も爆笑しました。ウイスキーのCMで、ディレクターが「もっと感情を込めて!これ、サントリーの最上位のブランドなんだから、高級感を込めつつ、かつ、親友と再会した時のような、思いのこもった懐かしい口調(?)で、商品名を万感こめて言って」とか何とか無理難題を言って、熱っぽく指示を出しているのに、一言「もっとゆっくり言ってください」と通訳されちゃう。ビル・マーレイも「えっ、それだけ?彼は絶対もっと何か言ってたでしょ!」と当惑する。「高級感+懐かしい友と再会した時の感じ」は、確かに早口じゃダメにせよ、単に機械的にスローに言うだけでは表現できないでしょ! なかざわ:ああいう事態って、外タレの来日インタビューの現場において、さすがによくあるとまでは言いませんし、あそこまで大胆に端折る通訳さんもまずいませんけど、でも似たようなことはあるよね!とニンマリさせられました。私は多少なりとも英語が理解できるので、肝心な部分が省略されても外タレ本人のコメントから拾えますが、記者が全員英語が分かるわけではない。中にはだいぶ意訳してしまう通訳さんがいるんですよ。それでもせめてコメントの主旨が伝わればいいと思うのですが、省略しすぎたせいで発言内容の辻褄が合わなくなることもありますし、中には発音を聞き間違えて誤訳しているケースもあります。 飯森:僕も“記者会見あるある”だなと思いました。昔は来日記者会見にもよく行っていましたから。でも今の僕は、困ったことに、ああいう事態に当事者として巻き込まれちゃってるんですよ。まぁ、この CMディレクターさんみたいに偉くはないけど、僕もザ・シネマの様々な物作りをする上で、立場上は指示を出さないといけない側の人間じゃないですか。で、やはり「高級感を込めて」とか「親友と再会した感情を込めて」とか、そういった細かい感情のニュアンス指示は出しますよ。たとえや形容詞をあれこれ使い、映画のシーンやキャラを例に出して、どうにか細かいニュアンスまで相手に伝えようと長く話しちゃう。長い中のどこか一箇所でいいからピンときて、物を作る上で理解の鍵にしてくれたらと。しかしですねえ、15分も話したことが一言で済まされてしまう(笑)。そういう人が実際たまにいるんですよ!たとえば、「オシャレ」でも様々なニュアンスの「オシャレ」があるじゃないですか?「ブリングリング」のような今どきの若者っぽいオシャレさなのか、「ヴァージン・スーサイズ」のような’70年代っぽいレトロなオシャレさなのか。レトロと言ってもソフィアたん系か、それともタランティーノっぽいのがいいのか。その微妙な違いを伝えんがために15分も喋りまくって「そういうオシャレ感をもっとプラスして」と指示しているのに、「一言で言うともっとオシャレにってことですね!」で済まされちゃうと、「大丈夫かなぁ?」と心配になってくる。で、案の定、上がってきたものを見ると「そっちのオシャレじゃなくてこっちのオシャレだって説明したじゃんかよ!」みたいな齟齬が、よく生じる。一言で言えることなら15分も話してないって! なかざわ:日本語同士なのにロスト・イン・トランスレーションですか(笑)。 飯森:だから今回見直してみたら我がことのように共感できた。やたらめったら「一言で言うと」って話を単純化したがるのはよくない。それって「細かいことはどうでもいい」と言ってるのと同じですから。少なくとも、ウイスキーのCMとか映画チャンネルとかで、人と一緒に情感を視覚化するような表現の仕事においては、細かいことこそが重要なので大変よくない。いわんや通訳も。無口な通訳なんて、職場放棄ですよそれ。とにかく、そんなような、似たような経験のある人は、あそこでは笑えると思います。ただ、公開当時の僕には幸か不幸かまだそういう愉快な人生経験が足りなかったので、そこでは笑えず、全編東京ロケという点だけが唯一この映画の引きの部分だった。 なかざわ:その東京ロケの描写というのも、そこを日常の生活の場として暮らしている我々とはちょっと違う視点ですよね。確かに東京ではあるんだけれど、僕らの知っている東京とは印象が異なる。あれって、ホテルの窓から東京の表層だけを眺める異邦人の肌感覚なんですよ。取材で頻繁に海外を訪れる僕としても、それはすごく良くわかる。たとえばロサンゼルスには数え切れないほど行っていますが、僕の知っているロサンゼルスと、そこに住んでいる人のロサンゼルスは違うはずです。だから、公開当時あの作品に出てくる東京や日本人の描写に違和感を覚えた人も多かったと思うんですが、似たような経験をしている僕から見れば、逆に極めて正確だと思うんです。そもそも、生活習慣も考え方も違う外国人の見る日本が奇妙に見えるのも仕方がない。 飯森:監督自身も、短期間ではあるけど実際に日本に滞在していた経験があるらしいので、決して嘘臭い描写は無いんですよね。たとえば、「47RONIN」【注42】のように無茶苦茶な勘違いや間違いはない。逆に、そうした異邦人の感じるアウェイ感をちゃんと捉えている点は地味に凄いと思います。 あと、僕は長いこと日本のドラマやお笑い番組を全く見ていないんですけれど、この作品で「Matthew’s Best Hit TV」【注43】っていう日本のバラエティー番組が出てくるじゃないですか。そこにハリウッド俳優がゲストで出演するわけですけど、日本のお笑い文化を理解していないから、「これのどこが面白いの?」とキョトンとしてしまう。あれは普段バラエティーを見ない僕としては激しく同意しましたね。“日本のお笑いあるある”。 なかざわ:日本人では飯森さんくらいかもしれませんよ、そこで共感したの(笑)。 飯森:よく日本人で「アメリカのコメディーはつまらない」と言ってる人がいますが、それって単に「所変われば品変わる」ってだけの話で、相手からも同じことを逆に言われているんですよ。優劣じゃないってことですね。 あと面白いなと思ったのは、劇中でハリウッド俳優に付いて回る日本企業の担当者が、広告代理店の社員を紹介するシーン。スターは5~6人の日本人から次々と名刺を渡されて挨拶をするのだけれど、あれって日本人的にはよく見る光景ですよね。でも、よくよく考えると意味がなくて、無駄な習慣というか、はっきりと困った悪習だったりする。 なかざわ:ああいう、現場に直接関係のない人をズラズラと連れてくるのって、僕の知る限りでは日本特有の光景ですよ。たとえば、日本だとタレント1人につき事務所の関係者や広告代理店、スポンサー企業など、なんでこんなにいるの!?ってくらい大勢の人間が金魚のフンみたいについてくる。まあ、タレントの知名度によって人数も変わりますが。あんな光景、海外では見たことないですよ。それこそ、ハリウッドのベテラン大物俳優さんだって、自分で車を運転して1人で取材現場にぶらりとやってくることもありますし。基本的にマネジャーすら付いてこない。とあるエミー賞【注44】の主演女優賞を取ったこともある有名な女優さんなんか、取材が終わって会場ビルの玄関前に一人でタクシーを待っていましたから。「あれ!?何やっているの?」って聞いたら「車を修理に出しているから今日はタクシーなのよ。ガードマンに電話で呼んでもらったから、もうすぐ来るはず。車がないって不便よねえ」だって(笑)。 飯森:それ超カッコいい!自立してるというか大人というか。いや、僕もあの日本式の無駄な光景を見ていると「ガキの使いじゃあるまいし…」っていつも思いますよ。なんなんですかねあれは?これに限っては優劣の問題かもしれませんね。アメリカは良くて日本の悪い面。当ザ・シネマでは、ゾロゾロと連れ立って詣でるのは絶対厳禁にしている。だから今日のこの取材だって、いつも僕が独りぼっちで単身フラリと東京ニュース通信社さんにお邪魔してるぐらいです(笑)。そもそも相手に失礼じゃないですか。現場で何をするわけでもない随員から次々と名刺を貰ったって迷惑なだけですよ。 なかざわ:しかも、その人たちと今後何かしらの関わりがあるのかといったら、ほとんどないですからね。形式だけの習慣はやめて貰えますか?って思います。 飯森:本当にあんたの顔と名前も覚えなきゃいけないの?限りあるオジサンの記憶力を無駄遣いさせないでよ!と。でも、あの光景を普通のことだと思っている大方の日本人は、普通にスルーしてしまったシーンかもしれない。いや、あそこ笑うところですから!恐らくソフィアたんは日本滞在中に実際そういうことがあって衝撃を受けたからこそ、あのシーンを脚本で書いたんだろうと思います。だから、この作品は我々日本人が気付かない日本独特の不条理を描いたコメディーとしても楽しめるんです。 ソフィアたんの映画って、お高くとまっているようでいて結構お茶目なんですよね。「SOMEWHERE」でも、主人公が次の映画で老けメイクが必要だというので、石膏を使ってマスクの型どりをすることになる。で、顔中に石膏を塗られるんだけど、その鼻の穴だけ開いて喋れない状態のまま、カメラはずーっと主人公の顔だけを撮り続けるんです。聴こえてくるのはスーコースーコー鼻息だけ。あそこはなんとも間抜けで笑える。「長えよ!」って。 なかざわ:子供の頃から慣れ親しんだハリウッド業界の、実は間抜けで笑える裏側というのを随所でさらっと描くのも彼女の映画の面白さかもしれません。 飯森:そういう絶妙なギャグセンスも彼女にはありますね。ある面ではコメディーなんです。 なかざわ:だから、特定のカテゴライズが出来ない監督ですよね。 飯森:いわゆるハリウッド・メジャー【注45】とは違う点だと思います。ラブコメとか、アクションとか、お決まりの型にはまらないところが。ジャンル・ムービーじゃないんですよね。 <注42>2013年制作、アメリカ映画。日本の「忠臣蔵」を独自に解釈して映像化したものの、もはや日本ですらない無国籍な風景や美術デザイン、衣装デザインなどが失笑を買った。 <注43>2001年~2002年に放送された音楽バラエティー番組。藤井隆の扮するキャラクター、マシュー南が司会を務める。<注44>テレビ番組などに関する様々な業績を称える賞で、1949年より毎年開催されている。世界のテレビ業界で最も権威があり、テレビ版アカデミー賞とも呼ばれる。 <注45>ワーナー・ブラザーズや20世紀フォックスなどハリウッドの大手映画会社、およびそこで作られる映画作品のこと。 次ページ>> 「マリー・アントワネット」 『ヴァージン・スーサイズ』©1999 by Paramount Classics, a division of Paramount Pictures, All Rights Reserved『ロスト・イン・トランスレーション』©2003, Focus Features all rights reserved『マリー・アントワネット(2006)』©2005 I Want Candy LLC.『SOMEWHERE』© 2010 - Somewhere LLC『ブリングリング』© 2013 Somewhere Else, LLC. All Rights Reserved
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PROGRAM/放送作品
ジンジャーの朝 ~さよなら、わたしが愛した世界
[PG12]多感な少女たちの友情が世界の変化と共に揺れ動く…人気女優エル・ファニング主演の青春ドラマ
核の脅威が迫る冷戦下の英国を舞台に、変わりゆく世界の中で揺れ動く少女2人の友情と成長を綴る。核戦争への危機感を抱きながら、父と親友との交際が発覚。心揺れるヒロインの繊細な胸中をエル・ファニングが好演。
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COLUMN/コラム2013.02.01
2013年2月のシネマ・ソムリエ
■2月2日『ダニエラという女』 平凡な男フランソワが宝くじを当て、美しい娼婦ダニエラとの同棲を実現させる。しかしフランソワは心臓に持病を抱えているうえに、思わぬ珍客が次々と現れて…。イタリアの宝石たるモニカ・ベルッチが、トップブランドの衣装に身を包み、ゴージャスな魅力を惜しみなく発揮。その豊満な肢体、蠱惑的な仕種には圧倒されるばかり。『美しすぎて』のフランス人監督B・ブリエらしい皮肉満載の喜劇。主人公の主治医や隣人の女性らを巻き込んだ愛と欲望の物語が、シュールかつ哀歓豊かに展開する。 ■2月9日『SOMEWHERE』 ベネチア国際映画祭金獅子賞を受賞したS・コッポラ監督の長編第4作。ホテル住まいのハリウッド・スターと、別れた妻との間にもうけた11歳の娘との触れ合いを綴る。舞台はハリウッドの伝説的なホテル、シャトー・マーモント。そこでひたすら空虚な時間を過ごす主人公の孤独が描かれ、ユニークな“ホテル映画”としても楽しめる。事件が何も起こらない本作で、観る者の目を奪うのは人気子役エル・ファニング。主人公の視線で描かれるその眩い魅力が、映画に清涼感と切ない情感を吹き込んでいる。 ■2月16日『オール・アバウト・マイ・マザー』 アカデミー外国語映画賞、カンヌ国際映画祭監督賞に輝いた鬼才P・アルモドバルの代表作。さまざまな問題を抱えながら生きる女性たちの希望探しのドラマである。息子を亡くした中年女性、愛に悩む舞台女優、ゲイの娼婦など、個性豊かな登場人物がずらり。彼女らの人生の数奇な巡り合わせが、感動的な女性賛歌へと結実していく。C・ロス、M・パレデスという二大ベテラン女優の味わい深い名演技はもちろん、P・クルスの助演も見逃せない。エイズに冒される純朴な修道女を可憐に演じている。 ■2月23日『スルース』 K・ブラナー監督が72年の傑作ミステリー『探偵〈スルース〉』のリメイクに挑戦。M・ケイン、J・ロウというわずか2人だけのキャストが壮絶な演技合戦を披露する。ベストセラー作家の妻を寝取った若い俳優。嫉妬と憎悪が渦巻く両者の“協議”は、危うい“ゲーム”に発展し、ついには命を賭した“対決”へとエスカレートしていく。二転三転のどんでん返しやユーモアが魅力のオリジナル版とは異なり、シリアス調のドラマがスピーディに展開。悪趣味すれすれのアートのような豪邸の内装も圧巻だ。 『ダニエラという女』©2005 FIDÉLITÉ FILMS-BIM DISTRUBUZIONE-FRANCE 2 CINÉMA-WILD BUNCH-PAN-EUROPÉENNE PRODUCTION-PLATEAU A-LES FILMS ACTION 『SOMEWHERE』2010-Somewhere LLC 『オール・アバウト・マイ・マザー』© 1999 - EL DESEO - RENN PRODUCTIONS - FRANCE 2 CINEMA 『スルース』©MRC II Distribution Company LP
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PROGRAM/放送作品
メアリーの総て
[PG12]早すぎた天才女性作家の波乱に満ちた生涯とは──エル・ファニングの魅力が際立つ伝記ドラマ
弱冠18歳でゴシック小説「フランケンシュタイン」を書き上げた天才女性作家メアリー・シェリーの生涯を、幻想的な映像美で綴る伝記ドラマ。封建的な男性社会で力強く生きるメアリーの姿をエル・ファニングが熱演。
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COLUMN/コラム2013.02.01
2013年2月のシネマ・ソムリエ
■2月2日『ダニエラという女』 平凡な男フランソワが宝くじを当て、美しい娼婦ダニエラとの同棲を実現させる。しかしフランソワは心臓に持病を抱えているうえに、思わぬ珍客が次々と現れて…。イタリアの宝石たるモニカ・ベルッチが、トップブランドの衣装に身を包み、ゴージャスな魅力を惜しみなく発揮。その豊満な肢体、蠱惑的な仕種には圧倒されるばかり。『美しすぎて』のフランス人監督B・ブリエらしい皮肉満載の喜劇。主人公の主治医や隣人の女性らを巻き込んだ愛と欲望の物語が、シュールかつ哀歓豊かに展開する。 ■2月9日『SOMEWHERE』