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PROGRAM/放送作品
イヤー・オブ・ザ・ドラゴン
ミッキー・ローク、ジョン・ローン、80’sを代表する美しき男たちの宿命の対決を描いたクライム・ドラマ
元刑事が書いたベストセラー小説を『ディア・ハンター』のオスカー監督マイケル・チミノが映画化。セクシー俳優時代のミッキー・ロークと、『ラストエンペラー』のジョン・ローンにとっては出世作。
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COLUMN/コラム2017.08.15
みんな大好きポルノをオンライン決算で見やすくしたアダルト業界のイノベーターに肉薄〜『ミドルメン/アダルト業界でネットを変えた男たち』〜8月17日(木)ほか
■冒頭にピーウィー・ハーマンも登場する 恐らく劇中に下半身ネタが満載されているのと、スター不在のせいで、日本では劇場未公開となった『ミドルメン/アダルト業界でネットを変えた男たち』を観ると、そんなインターネット創生期のカオスがひしひしと伝わって来る。時代はまさにソーシャルメディアが劇的に変化しようとしていた1997年。例えば、それ以前にポルノ映画を自宅で鑑賞しようと思ったら、レンタルビデオ店に足を運ぶか、(海外からこっそり持ち込むか@日本)、製作元から直接取り寄せるか、しかなかったはず。よくもまあ、そんな面倒臭いことができたもんだと思う。仕方がない。みんな大好きなんだから。映画の冒頭に誰だってポルノを観ながらオ○ニーするのが大好きというコーナーがちゃんと用意されているし。コーナーの最後を飾るのは、ポルノ映画館でオ○ニーしているのが見つかって逮捕され、社会復帰後、時代に関係なく特にアメリカでは絶対×の児童ポルノ所持で再逮捕されたオ×ニー大好きセレブ、コメディアンのピーウィー・ハーマンことポール・ルーベンスだ。 ■オンライン決算のパイオニアはアダルトだった? さてそこで、立ち上がった直後のネット上にポルノ画像専門のサイトを開設し、有料での閲覧を思いつくのが、物語の言わば発起人である元獣医のウェインと元科学者のバックの2人組。堅気の人生を送るのはそもそもかなり難しい享楽的ジャンキーの2人だったが、システムに精通していたバックが"オンライン・カード決済システム"をたったの15分でプログラミングしたことで、上がりは一気に100万ドル超え。このシステムのおかげで、地球上の男たちは誰にも知られず、何ら手を煩わせることなく、ワンクリックで視聴料を決済するだけで、各々が好みの女性(または男性)、好みのプレイにアクセスできるようになったわけだ。実話にインスパイアーされたという本作だが、アダルト産業に革命をもたらした男たちの成功と、必然的に訪れる挫折のプロセスを描く上で、どこまで事実を踏襲しているかは定かではない。しかし、"オンライン・カード決済システム"を最初に導入したのはアダルト産業だったとも言われていて、着眼点は下半身を見据えている分、ある意味鋭い。同時期に公開され、比較された『ソーシャル・ネットワーク』(10)のFacebookに匹敵するメディア革命を扱った野心作、という見方だってできそうだ。 ■『ソーシャル・ネットワーク』とはここが違う その『ソーシャル・ネットワーク』は、開発したシステムがセンセーショナルで想定外の巨額マネーを生んでしまったばっかりに、若者たちの人間関係がマネーゲームに取り込まれ、破綻していく様子を描いて、そこはかとない虚しさを漂わせていたのとは違い、『ミドルメン』はアダルトだけに裏社会もの。かなり血生臭い。ユーザーからの注文でオリジナル動画を製作しようと、ロシアン・マフィアが経営するストリップ・クラブに入り浸り、そこでマフィアとの契約を破って窮地に陥った2人組を助けるために、弁護士を介してこのカオスに加わることになる実業家、ジャックを主軸に、これ以降の物語は進んでいくことになる。 ■成功依存症に二日酔いはないってか? 最初はポルノになど関わりたくなかったジャックだったが、オンラインシステムの導入でビジネスが一気に巨大化した時、顧客とポルノ業者の間を取り持つ仲介業(=ミドルメン)を発案。それが大成功を収めたためにもはや後戻りできなくなる。本来は真面目で家族思いのジャックが、金と権力と女を手にした途端、何かに憑かれたように浮き足立っていく様は、終始喧噪の中で展開する物語の中で、妙に胸に突き刺さる部分。男として望むものをすべて手に入れた状態に依存し、それが異常であることに気づかないジャックは、モノローグの中でそんな自分をこう振り返る。「この依存症に二日酔いはないのが怖い」と。成功とは、現実に直面する不快な翌朝は決して訪れない、永遠に続くかに思われる祭のようなものかも知れないと、この独白からは想像できる。本作に製作者として関わり、ジャックのモデルとも言われているクリストファー・マリックなる人物が、虚実入り乱れた物語の中に注入した数少ない真実が、もしやコレなのではないだろうか? ■プロデューサーもアダルト業界も変わった! 因みに、『ミドルメン』に引き続き、同じジョージ・ギャロ監督と組んでセルマ・ブレア主演のクライムミステリー『Columbus Circle』(12)を製作する等、映画プロデューサーとしての人生も開拓してしまったマリックは、その傍らでしっかり仲介業は続けているとか。どうやら、祭は場所と形を変えてしぶとく続いているようだ。 ところで、アダルト産業はさらに状況が変化している。レンタルDVDは勿論、PCでのオンデマンド視聴も減少の一途を辿り、今やスマホでポルノを見るのが主流になって来ている。アダルトサイトの"Pornhub"によると、女性の視聴者が年々増加しているとか。思えば、こんなジェンダーフリーの時代に、『ミドルメン』で描かれるような女性は見せる側、男性は見る側という区分は、過ぎ去った前世紀の遺物になりつつあるのだ。 ■ルーク・ウィルソンが"下ぶくれ"過ぎ ジャック役のルーク・ウィルソンを見て、それがルーク・ウィルソンだと気づく人は少ないかも知れない。そうでもないか。だが、かつて、ウェス・アンダーソン監督の『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』(01)に兄のオーウェン・ウィルソンと出演し、ドリュー・バリモアやグウィネス・パルトロウと交際していた頃のイケメンぶりはどこへやらの"下ぶくれ顔"には、正直どん引きである。だからこそ、見方を変えれば巻き込まれ型のジャックを演じるのに、彼のヌーボーとしてつかみどころのないルックは効果てきめんだったとも言えるのだが。 ■76歳のロバート・フォスターが脇で渋い!! 地味だが脇役がけっこう充実している。ジャックにハイエナの如く付きまとう初老の弁護士、ハガティを演じるジェームズ・カーンを筆頭に、FBI捜査官役のケヴィン・ポラック、ギャング役のロバート・フォスター等は、各々1960年代から2000年代にかけて、長くハリウッド映画を支えてきたベテランたちだ。世代によって、記憶を刺激する顔は違ってくると思うが、特にアメリカン・ニュー・シネマの隠れた傑作『アメリカを斬る』(69)で、人種差別の実態を追求するTVカメラマンを演じて以来、76歳の今も現役バリバリのフォスターにシビレる人は多いはず。今現在、フォスターは『アメリカを斬る』から数えて79作目になる長編映画『What They Had』で怪優、マイケル・シャノンと共演中だ。これが日本では劇場未公開にならないことを願うばかりだ。日本にもコアなファンが多いマイケル・シャノンだから大丈夫だとは思うが。■ Middle Men © 2017 by Paramount Pictures. All rights reserved.
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PROGRAM/放送作品
ザ・パッケージ/暴かれた陰謀
ジーン・ハックマン&トミー・リー・ジョーンズ主演で贈る、陰謀渦巻く本格派軍事サスペンス
『沈黙の戦艦』、『逃亡者』等の大ヒットアクションを手がけたアンドリュー・デイヴィス監督による骨太なサスペンス・アクションの秀作。したたかな殺し屋を演じるトミー・リー・ジョーンズの静かな存在感が光る!
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COLUMN/コラム2017.08.03
おそロシア…実際にロシアで起きている事件をベースにした展開が散りばめられたサスペンスアクション〜『イヤー・オブ・ザ・スネーク 第四の帝国』〜8月24日(木)ほか
主に、熊が日常にいる光景や怪力の老婆といった通常我々の日常で目にすることは無いあり得ない風景、ウォッカによる泥酔者などロシアならではの牧歌的かつ非現実的な画像を指す。しかし“おそロシア”はそれだけでなく、原始的な暴力が身近にあるロシアの日常風景や、ロシアの最高権力者プーチン大統領のマッチョすぎるスナップなども“おそロシア”の代名詞となっている。そんな“おそロシア”を体現するかのごとき作品が、今回ご紹介する『イヤー・オブ・ザ・スネーク 第四の帝国』である。 1998年のロシア。高層アパートが突然の爆弾テロで崩壊する。それから13年後、ドイツ人ジャーナリストのポールは、亡父の友人であるアレクセイがロシアで発行するゴシップ誌『マッチ』のアドバイザーに就任してモスクワで働き始めた。ロシアンセレブのゴシップを追いかけながら享楽的なロシアのナイトライフを楽しむ日々を送るポールだったが、路上での殺人事件を目撃する。白昼堂々と射殺されたのは政府に批判的なジャーナリストのイジェンスキー。しかしこの暗殺はロシア中のメディアで、まるで無かったことのように扱われてしまう。ある日、『マッチ』の編集部にイジェンスキーの記事を売り込みに来て一蹴されたフリージャーナリストのカティヤに一目惚れしたポールは、カティアの気を引くために編集長に内密のままイジェンスキー暗殺の記事を『マッチ』に掲載する。カティヤに喜んでもらえると思っていたポールだったが、編集部の面々はポールと距離を置き始め、カティアとは連絡が取れない日々が続いてしまう。ある夜、久々にカティヤからの電話でパーティに誘われたポールはそこでカティヤと合流するが、カティヤを駅まで送っていった所で駅で爆弾テロが勃発。巻き込まれたポールは意識を失ってしまう。ポールが目を覚ました場所は、チェチェンの凶悪犯やテロリストを収監する刑務所。ポールはチェチェン独立派の起こしたテロの容疑者の一人として逮捕されてしまったのだった……。 映画の冒頭に「本作に登場する人物や出来事はすべてフィクションである」という断り書きから始まる本作。しかし本作のあらゆる所で、実際のロシアで起きている事件をベースにした展開が散りばめられている。 冒頭の爆弾テロは、明らかに1999年に発生したロシア高層アパート連続爆破事件だ。この事件は、1999年の晩夏の約2週間の間に、首都モスクワ、ロシア南部のロストフ州ヴォルゴドンスク、ダゲスタン共和国のブイナクスクの3都市5か所において発生した連続爆破テロ事件。合計295人の命が失われ、400人以上が負傷する大惨事となった。このテロ事件の直前に首相に就任したウラジーミル・プーチンは、この事件をチェチェン独立派武装勢力の犯行と断定。一週間後にチェチェン共和国に侵攻して、第二次チェチェン戦争が勃発することになる。しかしこの事件をめぐっては、肝心の“戦果”を上げたはずのチェチェン武装勢力の過激派指導者バサエフが関与を否定(旅客機撃墜事件や北オセチアの学校占拠事件など、他のテロについては犯行声明を出している)。元FSB(ロシア連邦保安庁)のエージェントであったアレクサンドル・リトビネンコは、この事件をチェチェン侵攻を成功させてプーチンを権力の座に押し上げようとするFSB側が仕組んだ偽装テロであることを告発(この告発の4年後にリトビネンコは暗殺される)するなど、現時点でも疑惑の多い事件であり、本作でもそれが物語のキーとなっている。 また白昼暗殺されるジャーナリストのイジェンスキーと、チェチェンに渡航して独立派を取材したというポールの父の設定は、女性ジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤをベースとしているのは明白だ。ポリトコフスカヤはアメリカ生まれでロシア育ちで、アムネスティ・インターナショナルの世界人権報道賞などを受賞した世界的に評価されるジャーナリスト。タブロイド紙のノーヴァヤ・ガゼータにおいて、現地取材したチェチェン紛争の記事を執筆。さらにプーチンとFSBを告発する『プーチニズム 報道されないロシアの現実』を出版するなど、反ロシア帝国主義の急先鋒として活躍した。しかし2006年10月7日、モスクワ市内の自宅アパートのエレベーター内で射殺体で発見される。チェチェン人の犯人が逮捕されるが、さらに犯人への殺害指示を出したとしてモスクワ警察の警視ドミトリー・パブリュチェンコフが逮捕されるが、パブリュチェンコフを買収して犯行全体を指揮した人物はいまだに判明していない(ちなみに殺害された10月7日はポリトコフスカヤの誕生日であるが、プーチンの誕生日でもある)。本作でもポリトコフスカヤの人物像をイジェンスキーとポールの父という二人に分割して設定し、設定を二人に分けた意味合いも映画の中できちんと描かれているので注目してほしい。 本作はそんなロシアの“おそロシア”っぷりをこれでもかと見せ付ける115分のサスペンスアクション映画。こんな国で国家的な陰謀に巻き込まれるのは、ろくすっぽケンカすらしたことがなく、良い女を見ると声をかけずにはいられない女ったらしなドイツ人。なので、ロシア人スパイにはボコボコにされ、刑務所のチェチェンヤクザにも半殺しの目に遭いつつ、それでも必死の抵抗といくばくかの強運で何とか危機を乗り切っていく。本作を監督したデニス・ガンゼル(『メカニック:ワールド・ミッション』の監督!)自身が認めている通り、本作はシドニー・ポラック監督、ロバート・レッドフォード主演の『コンドル』(1975年)から多大なる影響を受けている作品だ。国家規模の陰謀に巻き込まれた個人が孤軍奮闘する『コンドル』との類似性は非常に多いが、本作の主人公ポールは『コンドル』のジョセフ・ターナーと異なり特に何か秀でた能力を持たず、ひたすら状況に流されるままにロシアをさまようので、ドイツ人という外国人が見たロシアという地獄めぐり感が強く、より絶望的な状況を映画を観る者と共有できる仕掛けになっている。 また本作の主人公がアーノルド・シュワルツェネッガーやブルース・ウィリスのようなマッチョなタフガイではなく、モーリッツ・ブライプトロイという気弱を絵に描いたような俳優が演じるのは大正解だ。 さらに『コンドル』ではマックス・フォン・シドー演じる謎の殺し屋とターナーの対決が映画の軸となっているが、本作でポールを貶めようとする者や殺そうとする者は、日本で公開される映画ではほとんど観たことが無いような面々ばかりであり、それがまた「こいつは敵なのか味方なのか?」感を強く感じさせることに成功している。 この映画は内容的にロシアでの撮影は非常に難しいということで、基本的にウクライナのキエフで撮影を実施。一部モスクワでの撮影パートもあるが、その際には当局の撮影許可を得るために偽の脚本を準備して提出し、何とか撮影を敢行したという。また脇役陣もポーランド人のカシア・スムトゥニアク(ショートカットが超絶似合ってて素晴らしい)やクロアチア人のラデ・シェルベッジアといった東欧系俳優が固めており、ロシア人俳優はほとんど登用されていないということから、ロシアにとって非常にセンシティブな内容になっていることが分かる。 現在の隣国が実はまだこんな状態であることを知るというだけでなく、何よりエンターテインメントとしても充分満足できる本作。モヤモヤが残るラストも含めて秀逸な作品である。■ ©2011 UFA Cinema GmbH
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PROGRAM/放送作品
ティーン・ウルフ
若きマイケル・J・フォックスの魅力満載!バスケと恋愛に生きる少年のライトホラー学園コメディ
『ウルフマン』の2010年現在にいたるまで、狼男はホラー映画の伝統キャラのひとつ。その狼男をスポーツに明け暮れる高校生としたことで、なんと学園青春コメディ要素も合体させた、80’s気分のライトホラー。
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COLUMN/コラム2017.07.19
『ヒロシマモナムール』にまつわる事柄あれこれ〜07月04日(火) ほか
■復興中の広島を舞台にした日仏合作映画 1958年、映画撮影のために広島を訪れたフランスの若い女優(エマニュエル・リヴァ)は、爆撃で家族を失った建築家の日本人男性(岡田英次)と夜を過ごし、被爆都市・広島の印象を男に語り聞かせる。原爆資料館で見た写真や資料、当時の映像、どれも痛ましい記録だと。だが男は「いや、君は広島で何も見なかった」と、彼女の言葉を否定する。 だが彼との逢瀬は、彼女が愛した最初の男を思い出させていく。女の恋人は23歳のドイツ兵で、フランス解放の日に殺されてしまう。そして敵兵と通じていたことから、彼女は剃髪という辱めを受ける。女もまた、戦争の犠牲者だったのだ。男はそんな彼女に憐愛の眼差しを向け、広島で一緒にいようと懇願する。 1959年に公開された本作『ヒロシマモナムール』は、『去年マリエンバートで』(60)『ミュリエル』(63)で知られるフランスの名匠アラン・レネの初長編映画であり、原爆投下後の広島を描いた日仏合作映画として、作家的にも映画史的にも重要な位置付けにある。当時としては革新的なフラッシュバック構造で、個人の戦争体験と公の戦争体験を微細に織りなし、女のフランス・ヌヴェールにおける過去とヒロシマの悲劇とが交差することで、それらは戦争の悲壮な風景として総譜のように一体化していく。 こうした構成があたかも散文詩のような雰囲気を醸し、本作は観る者に多様な解釈をうながす。そのため一般的には「難解」と受け取られがちだが、現在のように映像の読解に習熟した世代のほうが、レネや脚本を手がけたマルグリット・デュラスの意図を充分に読み解くことができるのではないだろうか。 もっとも、レネ自身に製作当初から堅強な意図があって、この『ヒロシマモナムール』が作られたわけではない。もともとはアウシュビッツ収容所を描いた『夜と霧』(56)同様、広島のドキュメンタリーを撮るという発案から始まった企画だ。レネの中では「カフェのテラスにひとり腰を下ろしている若い女性、その光景が瞬時に消えさる」というイメージをベースに、過去と現在、記憶と忘却の錯綜などを膨らませ、長編劇映画として成立させていった経緯がある。 こうしたビハインドが、散文的な本作の様式をより強く裏付けているのだ。 ■作品が生まれた背景 ーーヌーヴェルヴァーグと大映の世界戦略 そもそも、なぜ広島を舞台にしたフランス映画が出来るに至ったのか? まず監督であるアラン・レネに言及すると、当時のフランス映画界を席巻した「ヌーヴェルヴァーグ」という、大きなスタイルの変革に行き当たる。同ムーブメントは『大人は判ってくれない』(59)のフランソワ・トリュフォーや『勝手にしやがれ』(60)のジャン=リュック・ゴダールら新鋭作家が、スタジオ主導ではない、監督の個性に基づく作品を量産していった潮流のことだ。 ヌーヴェルバーグにはそんなトリュフォーやゴダールら、いわゆる映画誌「カイエ・デ・シネマ」の評論家を出発点とする「カイエ派」がおり、彼らは瑞々しい感覚による即興演出を持ち味としていた。いっぽうのレネは、カイエ派が当時20歳代の若手を主流とする中、すでに30歳半ばに達しており、社会問題や政治思想に言及する「左岸派」として、カイエ派の向こうを張る存在だったのだ。 かたや日本の映画事情に目をやると、1952年、サンフランシスコ講和条約の発効にともない、戦後GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって行われたプレスコード(報道制限)が失効され、規制がかけられていた原爆に関する記事や報道を自由に発信できるようになった。これによって日本で最初に原爆をテーマにした作品『原爆の子』(監督/新藤兼人)が発表され、翌年には今井正による『原爆の図』(53)や、日教組プロの製作による『ひろしま』(53 監督/関川秀雄)、そして核の落とし子として誕生した怪獣の都心破壊を描いた『ゴジラ』(54 監督/本多猪四郎)など、堰を切ったように同テーマの作品が作り続けられていく。 こうして先のアラン・レネと、原爆テーマの映画を結びつける存在となったのが、日本の映画会社である大映である。当時の大映は永田雅一社長のもと、MGM作品やディズニー作品の国内配給、ならびに自社作品の大型化など、映画の海外輸出入を念頭に置いた経営をしていた。永田としては、洋画配給の利潤によって日本映画の質の向上を図る考えだったが、フランス映画配給も視野に入れた段階でアルゴス・フィルム(『ヒロシマモナムール』製作会社)との関係が生まれ、日仏合作映画製作の運びとなっていったのだ。 こうした原爆映画への流れが横線を描き、先の国内外の映画の大きなムーブメントが縦線を描いて降りていく状況下において、その二つが交わる点として本作が生まれたのである。 ■タイトルについて ーー『二十四時間の情事』から『ヒロシマモナムール』へ 『ヒロシマモナムール』には日本公開時『二十四時間の情事』という邦題がつけられ、そのタイトルで近年まで長く周知されていた。 この邦題がつけられた理由はふたつあり、ひとつは原爆投下後の広島をテーマにしているというところ、そうしたデリケートなテーマを前面に出さぬよう配慮された、といった事情によるもの。そしてもうひとつは、原題の『ヒロシマモナムール』だと興行において不利(タイトルにインパクトがない)という懸念から、センセーショナルな邦題で観客の関心を引こうとした事情が絡んでいる(残念なことに、日本で本作は全く客が入らなかったが)。 しかし時代の趨勢によって、作品の持つ価値が多様化し、今では本作も、復興していく広島の姿をフィルムに捉えた、貴重な映像資料としての性格も大きい。そのため『二十四時間の情事』という邦題も、内容にそぐわない面が出てきている。また劇中、エマニュエル・リヴァと岡田英次が出会って別れるまでの正確な時間は設定されておらず(一説には36時間とも言われている)、『二十四時間〜』と断定するにはいささか語弊がある。 こうしたことへの目配りから、今では原題カタカナ表記の『ヒロシマモナムール』を用いるケースが多いようだ。加えてエマニュエル・リヴァがプライベートで当時の広島市内を撮影した写真集『HIROSHIMA 1958』が2008年に出版され、文中において『ヒロシマ・モナムール』と表記が統一されていることや、デュラスの原作『広島、わが愛』が2014年に『ヒロシマ・モナムール』として44年ぶりに新訳が出版されたことも、こうした改題への後押しとなっている。今回の放送に関しても、ザ・シネマで同様の方針を示したといえる。 時代の機微や変化に応じて改題がなされていくのは、特に珍しいことではない。あの『スター・ウォーズ』シリーズでさえ、エピソード6『ジェダイの復讐』(83)が『ジェダイの帰還』となったケースがあるくらいだ(『ジェダイの復讐』もともと没サブタイトル“Revenge of the Jedi”を直訳したものだが、正義の騎士団であるジェダイが「復讐」などしないという観点から改題)。しかし『ヒロシマモナムール』と同じヌーヴェルヴァーグ作品の『気狂いピエロ』(65)が放送禁止用語に配慮し、テレビ放映時には『ピエロ・ル・フー』と原題カタカナ表記にされた事例があり、どうも改題にはネガティブなイメージがつきまとう。なので本作はそういったケースとは異なる改題であることを、きちんと伝えておく必要があるだろう。 ただ慣れ親しんだタイトルをオミットするのは歴史の改ざんではないかという懸念もあるし、『二十四時間の情事』として本作を認識している者には違和感を覚えさせる措置だと思う。なにより日本公開される洋画は、原題カタカナ表記がスタンダードとなった現在。邦訳、もしくは意訳ともいえる邦題が中心だった時代の名残として、ここでは『ヒロシマモナムール』と同時に『二十四時間の情事』というタイトルの重要性を力説しておきたい。■ "HIROSHIMA MON AMOUR" by Alain Resnais © 1959 Argos Films
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PROGRAM/放送作品
ラルジャン
1枚のニセ札によって運命を狂わされた青年の姿を、ロベール・ブレッソン監督が描く傑作
ロシアの文豪トルストイの原作をもとに、名匠ロベール・ブレッソンが脚色、監督。80歳にして彼が到達した映像の極致を存分に味わえる作品で、カンヌ映画祭監督賞を受賞。
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COLUMN/コラム2017.07.10
廃れゆくミシシッピ河岸の風景と、マーク・トウェインと現代を繋ぐ少年の冒険談〜『MUD マッド』〜07月11日(火)ほか
ウディ・アレンにとってのニューヨーク、M・ナイト・シャマランにとってのフィラデルフィア、ベン・アフレックにとってのボストン、等々、映画監督にとって生まれ育った土地は自作の撮影地になりやすい。何しろ、町のディープな情報に精通しているし、第一、思い入れが半端ないはずだ。 ジェフ・ニコルズの場合はアーカンソーだろう。マイケル・シャノンと初めてコラボした「Shotgun Stories」(07)がアーカンソーで、以後「Midnight Special」(12)はすぐ南のルイジアナ(共にミシシッピ川流域)、同じシャノン主演の『テイク・シェルター』(11)はやや北上してエリー湖に接するオハイオだ。場所は微妙に異なるがすべて水辺であることは偶然だろうか?ミシシッピ川とその支流の1つ、アーカンザス川に接するリトルロックで育ったニコルズが、同じエリアの川縁にハウスボートを浮かべて暮らす人々にフォーカスした『MUD マッド』は、彼の故郷への、川への思いが最も顕著な作品だ。 14歳の少年、エリスはアーカンソーの河岸にあるハウスボート(ボートハウスとも言う)に住み、川で採った魚をトラックに乗せ、家々に売りさばく父親の手伝いをしている。父親はボートで川に出て、魚がいそうなスポットに着くと潜水服に着替え、川底まで潜ってそこで蠢く魚たちに狙いを定める。まるで、水温と水の濁りまでが観る側に体感として伝わって来るような冒頭のシーンは、監督であるニコルズの原体験がベースになっている。ノースカロライナ大学の芸術学部で映画製作を学んでいた頃、お手製の潜水服を着てムール貝を採るミシシッピ流域に住まう漁師たちの写真集に惹きつけられた彼は、それをきっかけに流域のライフスタイルと歴史、そして、現状について調査を開始したのだ。 すると、彼の親族の多くがハウスボートの住人であり、彼らの住まいは法律上、住人が居住権を有する資産とは認められず、転出後、破棄される運命にあるという厳しい現実に直面する。それはミシシッピ流域に限らず、アメリカ南部全体に広がる伝統的ライフスタイルの消失を意味していた。劇中で、エリスの父親が漁師として充分な収入が得られず、本来ボートの持ち主である母親が転出を望む以上、川での暮らしは断念するしかないと息子に語るシーンには、そんな流域住民の逃れられない宿命が描き込まれているのだ。 南部独特の泥で茶色く濁った水、アーカンザス川が合流する大河ミシシッピに浮かぶ砂の小島、小島の沼に巣くう毒蛇の群れ。それらは、監督が美しくも恐ろしい故郷の自然に対して捧げた映像のオマージュに他ならない。その最たるものが、川の氾濫によって木の上に持ち上げられたままのボートだ。そして、主人公のマッドはそのボートで秘かに生を繋ぐ謎めいたアウトサイダーである。 仲違いが絶えない両親の目を盗み、こっそりマッドに食料を調達するエリスが、そのうち、失った初恋の痛みを、女絡みで犯罪を犯し、命を狙われる身のマッドと共有して行くプロセスは、世代も背景も異なる2人を主軸にすることで、甘くほろ苦いだけの初恋ものとも、単なる犯罪ドラマとも違う入り組んだ和音を奏でていく。さらに、男子にとっての父権不在、単純に善悪では判別できない男女の関係性と、2層3層になった脚本は自分自身の体験をベースに監督自らが認めたもの。風景と人間関係が瑞々しく、且つ強烈に観客の心に突き刺さってくるのはそのためだ。 ミシシッピを舞台にした少年の冒険談と言えば、誰もがマーク・トウェインを思い浮かべるはず。トウェインもミシシッピ流域で少年時代を過ごし、代表作の『トム・ソーヤーの冒険』や『ハックルベリー・フィンの冒険』は少年期の体験がベースになっているからだ。また、そのペンネーム(本名はサミュエル・ラングホーン・クレメンズ)はトウェインが川を航行する蒸気船で働いていた頃、水深を測る担当者が船底が川底に激突するすれすれの深さを船長に知らせる時に叫ぶ、「Mark Twain(2つめのマーク)」から取ったものだとか。Twoを南部訛りで発音するとTwainになるらしい。 トウェインとニコルズの出会いは彼が13歳の頃に遡る。ある日、学校の教室で『トム・ソーヤーの冒険』を秘かに読みふけっていたニコルズは、特に文中にあったあるフレーズに強く触発される。そこには、主人公のトムが川を泳いで河口に浮かぶ無人島に渡り、昼寝をするという、何とも自由で幸せな情景が独特の文章を用いて書かれていたのだ。それが後に『MUD マッド』のプロット作りに繫がったのは言うまでもない。 トウェインの作品に登場する人物にはすべて実在のモデルがいると言われる。トム・ソーヤーはトウェイン自身で、ハックルベリー・フィンは近所に住んでいたトム・ブランケンシップという少年がモデルだとか。そう、『MUD マッド』ではサム・シェパードが演じている役名と同じだ。トウェインは回想録の中でトムについて、「他人に縛られることなく自由に生きる町で唯一の人間」と語っているが、それは名優シェパードによって見事に具現化されている。マッドとエリスの交流を終始対岸で見守りつつ、クライマックスでは俄然存在感を発揮するアウトロー像は、この物語が最後に行き着く失われた父親のイメージを体現して余りあるものがあるのだ。 ニコルズは脚本執筆段階からトム役にサム・シェパードを想定していたというから、そのハマリ役ぶりは半端ないし、同じく『真実の囁き/ローン・スター』(96/未公開)を観て以来、監督がマッド役に決めていたというマシュー・マコノヒーの存在感が傑出している。犯罪を犯しても尚、自らの思いを全うしようとする傍迷惑なほど頑固で純粋なキャラクターは、確かに『真実〜』で演じたメキシコ国境の町で発生した人種問題が絡んだ難事件に挑む若き保安官に通じる透明感がある。 この後、『ダラス・バイヤー・クラブ』(13)での減量によるメソッド演技でオスカー以下数多くの演技賞を受賞し、今や役のためなら体型と見かけを変えられる、否、まるで"肉体改造依存症"に陥っているかのようなマコノヒーだが、『MUD マッド』は彼がまだ美しくいられた時代の最後を飾る作品。物語の後半ではあんなに大切にしていたアイボリーのシャツを脱ぎ捨て、鍛え上げた上半身を開示してしまうナルシストぶりは、当時も今も変わらない性癖なのだが。 マコノヒー、シェパード、ヒロイン役のリース・ウィザースプーン、熾烈なオーディションによって選ばれた子役たち、そして、マッドを追いつめる組織のボスを演じる悪役の権化、ジョー・ドン・ベイカー等を巧みに配置し、気鋭の監督が故郷への立ちがたい思いを注入した『MUD マッド』は、廃れゆくアメリカ的風土への、そして失われた少年時代へのオマージュとして、重ねて味わい深い作品だ。■ © 2012, Neckbone Productions, LLC.
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PROGRAM/放送作品
追いつめられて
陰謀と戦う男をケヴィン・コスナーが熱演!衝撃のラストが待っているサスペンス・スリラー
当時人気絶頂のコスナー、大御所ハックマンをはじめ、日本でも大人気だったショーン・ヤングや名脇役として後に活躍するウィル・パットンら出演陣に注目!ひねりの効いたストーリーと衝撃のラストも見ごたえ抜群。
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COLUMN/コラム2017.07.05
ホウ・シャオシェン監督の真骨頂、“感じる”新感覚武侠映画『黒衣の刺客』〜07月19日(水) ほか
“侠”とは、強きをくじき弱きを助ける仁義の世界に生きる人々を指す。日本ではヤクザとイコールで結ばれがちだが、“侠”は職業ではなく本来は生き様のことである。 侠の歴史は春秋戦国時代までさかのぼる。司馬遷の歴史書『史記』には数多くの侠客が登場し、国家を揺るがす刺客が大活躍している。春秋戦国時代を終わらせた中国初の統一国家・秦が滅びた後、漢帝国を立ち上げたのは侠客出身の劉邦。さらに後漢末期に登場し、三国時代の一翼を担った『三国志演義』の主人公・劉備玄徳もまた、関羽と張飛と共に世の混乱を憂いて立ち上がった侠客であった。 時は下り、唐の時代には今回ご紹介する『黒衣の刺客』の原作となった伝奇小説『聶隠娘』が生まれ、宋代になると傑作武侠小説『水滸伝』が登場。武術を極めた侠客が、悪政に立ち向かう姿に大衆は喝采を送った。 近代に入ると娯楽色をさらに強めた作品が多く登場。『江湖奇侠伝』『羅刹夫人』などの作品が人気を博す。そして第二次世界大戦後、香港の新聞記者である金庸が登場。処女作の『書剣恩仇録』から『越女剣』まで15作品は、すべて世界的なベストセラーとなり、武侠小説界最大のスター作家となった。また『白髪魔女伝』の梁羽生、『多情剣客無情剣』の古龍は、金庸と合わせて武侠三大家と称されている。 三大家の大ブームに乗って、香港映画界では黎明期から多くの武侠映画が登場した。クワン・タッヒン主演の『黄飛鴻』シリーズは戦後すぐの1949年から制作が開始され、様々な映画人によってギネス記録になるほどシリーズ化されている。金庸の『碧血剣』は1958年、『書剣恩仇録』『神鵰侠侶』は1960年といった具合に次々と映画化。さらに新興のショウブラザース社では1960年代からキン・フー監督とチャン・チェ監督という2大巨匠が独自の世界観で武侠映画全盛期を築いていく。 キン・フー監督は『大酔侠』(66年)で頭角を現し、『残酷ドラゴン・血斗!竜門の宿』(67年)では香港最大の大ヒットを記録。さらに『侠女』(71年)でカンヌ映画祭を席巻し、『山中傳奇』(79年)で台湾アカデミー賞(金馬奨)をゲットした。 チャン・チェ監督はさらに娯楽寄りの武侠映画を連発。ジミー・ウォングを主演に据え、金庸作品にインスパイアされた『片腕必殺剣』(67年)がメガヒットを記録してシリーズ化され、『ブラッド・ブラザース 刺馬』(73年)や『五毒拳』(78年)といったカンフー系武侠映画まで、多くのカルト的人気作品を監督した。 70年代に入ると日本の『座頭市』シリーズなどの日本の時代劇が香港をはじめとするアジア全域で大ヒットし、その影響で残酷描写やトリッキーな武侠映画が多く生まれた。 カンフー映画全盛の80年代には、還珠楼主原作、ツイ・ハーク監督の出世作『蜀山奇傅 天空の剣』(83年)が公開。カンフー+ワイヤーアクション+VFXという画期的な作品は世界各国で支持された。ツイ・ハークは90年代にも『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』シリーズで、黄飛鴻武侠映画を復権させ、『残酷ドラゴン~』のリメイク作『ドラゴン・イン/新龍門客棧』(92年)、『秘曲 笑傲江湖』を原作とする『スウォーズマン』シリーズ(90年~)など多くの作品をヒットさせている。 さらに90年代後半には、武侠漫画原作という新しい形態の武侠映画が登場。武侠+ワイヤー+CGIという『風雲 ストームライダーズ』(98年)は、馬栄成の原作の人気も相まって世界中で大ヒットしている。 そして00年代に入ると画期的な映画が公開される。アン・リー監督の『グリーン・デスティニー』(00年)だ。王度廬の武侠小説『臥虎蔵龍』を原作とする本作は、世界各国の映画賞を総なめにし、第73回アカデミー賞では非英語映画であるにも関わらず、作品賞をはじめとした10部門にノミネートされて4部門を受賞する快挙を成し遂げた。本作が画期的なのは、元々“父親三部作”で知られる文芸映画の巨匠として評価されていたアン・リーが、アクションたっぷりの武侠娯楽大作を制作したことにある。アン・リー自身、幼少時から武侠映画の大ファンであり、武術指導の大家ユエン・ウーピンを武術指導に迎えて制作された『グリーン・デスティニー』は、最上級のカンフー&剣劇アクションだけでなく、アン・リーの紡ぎ出す抒情的な物語、タン・ドゥンとヨーヨー・マの美しい劇伴、ピーター・パウによる幻想的な画作りが高次元で融合し、映画史を塗り替える化学反応が起きた作品となった。 『グリーン・デスティニー』以降、多くの文芸映画の巨匠が武侠映画にチャレンジするようになっていく。『紅いコーリャン』(87年)のチャン・イーモウは、ジェット・リー主演の『HERO』(02年)を制作。チン・シウトン指導の美しいアクションも話題となり、日本でも興行収入40億円を超える大ヒット作品となった。チャン・イーモウは続けて『LOVERS』(04年)を制作し、直近ではエンタメ方面に振り切ったモンスター武侠映画『グレート・ウォール』(16年)も制作している。 またウォン・カーワイは金庸の『射鵰英雄伝』を原作とする『楽園の瑕』(94年)、近代中国を舞台にした武侠映画『グランド・マスター』(13年)を制作。『さらば、わが愛/覇王別姫』(93年)のチェン・カイコーは『PROMISE 無極』(05年)を発表している。 さて、ホウ・シャオシェン監督。二・二八事件を扱った『非情城市』(89年)でヴェネツィア映画祭金獅子賞を獲得して世界中から注目を集め、『好男好女』(95年)で台湾金馬奨の最優秀監督賞を獲得した、台湾を代表する名監督だ。そして社会派ドラマを得意とするホウ・シャオシェンが、2015年に発表したのが『黒衣の刺客』(15年)。寡作で知られる監督の8年ぶりの新作が武侠映画とのことで、大きな話題となっていた。 唐の時代。美しいインニャンは13年ぶりに帰郷する。しかしインニャンは、あらゆる殺人術を学んだ最強の暗殺者であった。インニャンの帰郷は、軍閥の節度使ティエンを暗殺するためであったが、かつての許嫁であるティエンを暗殺することをためらうインニャンは……。 5年にも及ぶ長期の撮影を経て完成した本作は、カンヌ映画際のコンペティション部門への出品作品としてプレミア上映され、監督賞を受賞する快挙を達成。2015年の台湾金馬奨を総なめにし、アジア・フィルム・アワード、香港電影金像奨でも旋風を巻き起こした。 本作の特徴は、武侠映画としてはあまりにも静かで、あまりにも美しい展開。前述の文芸監督たちが制作したエンタメ系武侠映画とはまったく異なり、ホウ・シャオシェン監督のこれまでの作品の延長線上から一歩も踏み外さずに作られた武侠映画ということで、まさに稀有な作品と言えよう。 とにかく主人公インニャンのセリフが圧倒的に少ない。インニャンを演じたスー・チーの美しさを最大限に引き出し、「後はお察しください」とでも言うように突き放しておきながら、あまりにも豊かな表現力に圧倒されること請け合い。直観的に“感じる”ことで映画的快楽に浸る新感覚武侠映画なのである。 ホウ・シャオシェン作品のファンだけでなく、武侠映画ファンだけでなく、多くの映画ファンに堪能してほしい傑作である。■ ©2015光點影業股份有限公司 銀都機構有限公司 中影國際股份有限公司