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COLUMN/コラム2015.04.02
【未DVD化】翼に賭ける命 ― ハリウッド航空映画のタフガイ列伝〜『紅の翼』
監督を手がけたウィリアム・A・ウェルマンは、1896年生まれで、同年生まれのハワード・ホークスや、1895年生まれのジョン・フォードらと同様、無声映画時代から約半世紀の長きにわたってハリウッドで活躍し続けた映画界の神話的巨匠の1人。共通項のウェインを間に差し挟んで、この3人の巨匠たちの個性や作風の違いをあれこれ引き比べながら論じるなどということは、なにぶん畏れ多くて手に余る大仕事なので、ここではフォードの代わりに、これまた数々の伝説的神話で知られる大物ハワード・ヒューズを召喚し、タフで荒い気性で知られた“ワイルド・ビル”ことウェルマンと、これまた一匹狼の風雲児たる2人のハワードの交錯から生まれた、航空映画という新たな人気ジャンルの確立とその後の発展をざっとおさらいした上で、改めてこの『紅の翼』に立ち戻ってみることにしたい。 ■三つ数えろ ― 映画界の大物アビエイターたちの三つ巴の戦い というわけで、まずはウェルマンから。第1次世界大戦において、当時20歳そこそこの血気にはやる若者だった彼は、アメリカがまだ参戦を決める以前から義勇兵に志願して、フランス外人部隊に所属。名高いラファイエット飛行隊のエース・パイロットとして複数の撃墜記録を誇る活躍を見せ、軍功賞を授与されている。そして戦後、映画界入りした彼が、その輝かしい実績をもとに、大作の監督に抜擢され、世に送り出したのが、ハリウッドの航空映画の先駆的傑作にしてウェルマン自身の一大出世作ともなった『つばさ』(1927)だった。 この作品は、米陸軍航空隊の全面協力の下、200万ドルもの製作費を投じて、第1次世界大戦における戦闘機同士の息詰まる空中戦をスリルと迫力満点に描いたもの。折しもこの年、かのチャールズ・リンドバーグが大西洋横断の単独無着陸飛行に成功し、全米中に熱狂的な航空ブームを巻き起こしたことも相まって、映画は公開されるや一躍大ヒットを記録し、栄えある第1回のアカデミー作品賞にも輝いている。そして以後、ウェルマン監督自身、『空行かば』(28)、『若き翼』(30)、など、同種の作品を相次いで発表すると同時に、『つばさ』の成功に刺激を受けて、数多くの航空映画が他者の手でも撮られることとなった。 そして、ここで登場するのが、当時、亡き父から受け継いだ巨万の富を手にハリウッドに単身乗り込み、新参の映画製作者として独自の道を歩み始めていた変わり者の若き大富豪、ハワード・ヒューズ。彼は、『つばさ』を上回る迫真の空中スペクタクルを生み出そうと、第1次世界大戦で実際に用いられた本物の戦闘機を自らの資金で買い集め、1927年の秋から、大作航空映画『地獄の天使』の製作に着手。しかし何かと些事にこだわり、自分の思い通りのやり方でないとどうにも気が済まないワンマン主義者の彼が、当初の監督をクビにして自ら初監督の座に就き、あれこれ試行錯誤しながら撮影を長引かせている間に、映画界にはトーキー化の波が押し寄せ、無声映画として撮影されていた同作をそのままの形で公開すると、時代遅れな代物として観客にそっぽを向かれる恐れが生じたため、ヒューズは、製作半ばにして映画をトーキーに変更することを決断。その際、思い切って主演女優も、当時はまだ無名のジーン・ハーロウに新たに差し替えて撮り直しを断行し、製作費は400万ドル近くにまで達する一方、映画の完成がますます遅れる仕儀とあいなった(レオナルド・ディカプリオがヒューズに扮したマーティン・スコセッシ監督の伝記映画『アビエイター』(2004)の中にも、そのあたりの一端が描かれているので、ぜひご一見あれ)。 そして、その間隙を縫うようにして、もう1人の大物プレイヤーがここに参入してくる。それが、ほかならぬハワード・ホークス。もともとエンジニア志望で、大学では機械工学を専攻していた彼は、第1次世界大戦の際、召集されて陸軍航空隊に入り、国内の練兵場で飛行部隊の教官を務めた過去の経歴があった。ホークス初の航空映画となった『暁の偵察』(30)(彼は以後も、『無限の青空』(36)や『空軍』(43)など、さらなる航空映画の秀作を生み出すことになる)は、ようやく撮影が終了した『地獄の天使』の現場スタッフをちゃっかり雇い入れて聞き出した同作の内容を映画作りの参考にするなど、後発隊ならではの旨みと強みを発揮。一方、それを聞いて烈火のごとく怒ったヒューズは、トンビに油揚をさらわれてなるものかと、訴訟を起こして『暁の偵察』の製作や公開の差し止めを試み、お互いに激しい場外バトルを繰り広げた末、2つの作品は1930年に相次いで劇場公開されて共に大ヒットを記録し、航空映画という新たな人気ジャンルの確立に大きく貢献することとなったのだった。 さて、その後、ウェルマン監督は、『地獄の天使』においてプラチナ・ブロンドのセクシーな魅力で一躍人気が沸騰したジーン・ハーロウをジェームズ・キャグニーの相手役の1人に起用して、壮絶なギャング映画の傑作『民衆の敵』(31)を発表。これに対し、『暁の偵察』の時は互いに激しく対立したヒューズとホークスだが、これがかえって不思議な縁となって両者はその後、意気投合するようになり、続いてヒューズが製作、ホークスが監督としてコンビを組んだ『暗黒街の顔役』(31-2)では、『民衆の敵』と双璧をなす、トーキー初期のギャング映画を代表する古典的傑作を生み出すことに成功する。そして、2人のハワードはその後、無名の新人グラマー女優ジェーン・ラッセルを煽情的に売り出した異色西部劇『ならず者』(40-43)で、再び製作&監督コンビを組むが、ホークスは早々に監督の座を降り、結局ヒューズがその後を引き継いだものの、またしても映画の完成までには時間がかかり……、といった具合に、この3人をめぐる面白い因縁話には、実はまだまだ先があり、それを詳述していくと、いよいよヒューズの二の舞で(一介の貧乏ライターの自分を、かの億万長者になぞらえるのもおこがましいが)、こちらの文章も長くなって収拾がつかなくなるので、ここでは残念ながら割愛することにして、本来の航空映画の話に戻ることにしよう。 ■題名からひもとくハリウッド航空映画小史 『つばさ』や『地獄の天使』『暁の偵察』の大ヒット以後、ハリウッドではさらに多くの航空映画が生み出されていくことになるが、それらの作品群の題名をざっとここに並べてみると、「つばさ」(あるいは「翼」)と「天使」が、航空映画の大きなキーワードになっていることが見て取れる。無論、前者は『つばさ』、そして後者は『地獄の天使』に由来し、ウェルマンの『つばさの天使』(33)では、まさに両者が合体しており(ただし、これの原題は「CENTRAL AIRPORT」で邦題とは無関係)、それとは逆に、ホークスの『コンドル』(39)の原題は、「ONLY ANGEL HAVE WINGS」で、やはり「天使」と「つばさ」が揃い踏みとなっているのも面白い。 先に紹介した1927年のリンドバーグの大西洋横断飛行の実話は、それから30年後、ビリー・ワイルダー監督の手で『翼よ!あれがパリの灯だ』(57)として映画化される(ちなみに、アンソニー・マン監督の『戦略空軍命令』(55)やロバート・アルドリッチ監督の『飛べ!フェニックス』(65)でもやはりパイロットの主人公を演じたジェームズ・スチュワートは、第2次世界大戦時、米陸軍航空隊に志願入隊して爆撃機パイロットとして活躍し、後に空軍少将の位にまで登りつめた文字通りの空の英雄)。そしてジョン・ウェインは、この『紅の翼』の後、フォード監督と組んで『荒鷲の翼』(56)を、準主役のロバート・スタックは、ダグラス・サーク監督と組んで『翼に賭ける命』(57)に出演することになる。なおスタックは、やはりサーク監督の傑作『風と共に散る』(56)の中で、傲岸不遜な態度の奥にさまざまなコンプレックスを抱えたテキサスの石油王の御曹司を熱演しているが、この役柄のモデルとなったのが、実は何を隠そう、ハワード・ヒューズだった。 ■『紅の翼』 さて、ここでようやく話はふりだしに戻って、本来のメイン料理たる『紅の翼』の紹介に移ろう。この映画でウェインが演じるのは、戦闘機を駆って大空を勇猛果敢に飛び回る軍人のパイロットではなく、1950年代当時の平和な戦後社会を舞台に、民間の旅客機を操るベテランの副操縦士。冒頭、ウェインが最初に劇中に登場するシーンは、映画ファンなら既にお馴染みの、あの少し内股気味の独特のゆったりした足取りとは異なり、彼が片足を少し引きずりながら窮屈そうに歩く様子を、背後から捉えるところから始まる。元来、一流のパイロットの腕前を持つ彼は、かつて上空を飛行中、天候の急変に見舞われて機体が大破炎上し、愛する妻子を含む他の乗客全員が死亡する中、彼ただ一人かろうじて生き残るという悲劇を経験したことが、その後、整備士の口を通して語られ、ウェイン扮する主人公の足の障害はその後遺症であることが、観客にも了解されるわけだが、実はこれは、監督のウェルマン自身を主人公に投影させたもの。先にも紹介した通り、ウェルマンは第1次世界大戦において、フランス外人部隊の飛行隊のパイロットとして活躍したわけだが、彼自身も敵の対空砲火で撃墜された実体験を持ち、その時に負った怪我が原因で、以後は終生びっこを引くはめになったという。 しかしまたウェインは、これまた映画ファンなら御存知の通り、『静かなる男』(52)、『捜索者』(56)から『エル・ドラド』(66)、そして遺作の『ラスト・シューティスト』(76)に至るまで、心や体に傷を負いながら、その苦境の中でこそ真のタフで勇気な精神を発揮するところに、彼の不滅のヒーローたる魅力が宿っている。 ■風と共に去りぬ ― 航空映画からパニック映画への変容 そして、本作の物語が描き出すのは、ウェイン扮する副操縦士や、ロバート・スタック扮する機長ら、乗員乗客計22名を乗せて、ハワイのホノルルからサンフランシスコへ向けて飛び立った旅客機が、上空でトラブルに見舞われてエンジンの1つが突如火を噴き、絶体絶命の極限状況に陥る中、彼らの気になる運命の行く末を、多彩な人間模様を織り交ぜながらスリリングに描き出すというもの。 こうして書き記してみればお分かりの通り、実は本作は、その後、『大空港』を皮切りに計4本作られる『エアポート』シリーズ(70-79)をはじめ、『ポセイドン・アドベンチャー』(72)、『タワーリング・インフェルノ』(74)、等々、1970年代に一大ブームとなるパニック映画の原型を成すこととなった先駆的作品の1本。これらの一連のパニック映画は、運悪く同じ場所に居合わせて非常事態に遭遇した人々が、その破局的状況から必死で抜け出そうと悪戦苦闘するさまを、豪華多彩なオールスター・キャストを取り揃え、“グランド・ホテル形式”と呼ばれるハリウッドの伝統的な話法を用いて描くのが、物語の基本的パターン。大勢の出演者たちの個々の見せ場を作る必要性から、物語はおのずと断片化されてお互いにバラバラな短い挿話を寄せ集めたものとなりがちだし、それも後年になるに従ってなし崩しとなり、ドラマそのものよりも、迫真の臨場感に満ちたアクションやサスペンスを重視して、より映画のスペクタクル性を前面に押し出したイベント的な大作が一層増えるようになるのは、必然的な流れ。 上記の作品はもとより、その後のCGの発達により、『タイタニック』(97)から最近の『ゼロ・グラビティ』(2013)に至るまで、いまやすっかり当世風のパニック映画に慣れっこになっている現代の映画ファンからすると、エンジンの不調で飛行機が危機的状況に陥るまでに結構時間がかかり、その間、登場人物たちが各自、上空の密閉空間の中で動きと生彩に欠ける会話劇を延々と繰り広げる『紅の翼』の古風で悠長な話運びは、いささか退屈で冗漫に思えても致し方ないかもしれない。 このあたりの航空映画というジャンルの時代的変遷に関して、淀川長治・蓮實重彦・山田宏一の三氏が、映画の魅力を縦横無尽に語り合った鼎談集「映画千夜一夜」の中で、次のようにズバリ本質を鋭く衝く的確な指摘をしている。 山田「航空映画というのはやっぱり風の映画なんですね。」淀川「そうなんですよ。だからいまの飛行機の映画いうのは、飛行機のなかだけで『グランド・ホテル』みたいな面白さはあるけど、本来の面白さはないね。飛行機が飛んでるのか、飛んでないのかわからないものね(笑)。」蓮實「ジェット機になってからダメになったんですね。」 ■ファニー・フェイスの心優しき天使 ― MEET DOE AVEDON さて、そんな次第で、この『紅の翼』は、正直なところ、ウェルマン監督の数ある作品群の中では、上出来の部類に入るものとは言い難いのだが、それでも筆者があえて個人的な情熱を燃やして、関連情報もあれこれ盛り込みつつ、本作の紹介文を長々と書き連ねてきたのには、実はもう1つ大きな理由がある。それは、劇中、親切で温かみのある新人スチュワーデスに扮して、パニックに陥る乗員乗客たちの不安と恐怖をそっとなだめて回る、ドウ・アヴェドンという女優の存在。あまり聞きなれない女優と思う人の方が大多数だろうが、その名が示す通り、実は彼女は、「ハーパース・バザー」「ヴォーグ」などの一流雑誌で活躍した20世紀の後半を代表するファッション写真家、リチャード・アヴェドンの元妻にしてそのトップモデル。フレッド・アステア演じる人気ファッション写真家が、本屋の女店員に扮したオードリー・ヘップバーンを見初めて自分の写真のモデルに起用する様子を洒落たタッチで描いたミュージカル映画『パリの恋人』[原題「FUNNY FACE」](57)は、リチャード&ドウ・アヴェドンのありし日の関係を下敷きにしたもの。 映画の中では、熱々の新婚カップルを羨ましそうに見やりながら、「私も結婚できるかしら?」とつぶやいたりもするドウ・アヴェドンだが、実はこの時彼女は、リチャード・アヴェドンとの結婚・離婚を経て、再婚した俳優の夫とも悲劇的な事故で死別していた。そして彼女は、それから3年後の1957年、めでたく3度目の結婚を果たす。その相手こそ、誰あろう、当時、B級ノワールの傑作『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』(56)などを放って頭角を現わしつつあった活劇映画の名手、ドン・シーゲルその人であった! 1940~50年代に、本作を含めてわずか4本の映画といくつかのTVドラマに出演した彼女は、シーゲルとの結婚を機に女優業を引退して家庭生活に専念。1975年に彼と離婚した後、彼女は長年親交のあったジョン・カサヴェテスの晩年の個人秘書を務め、『ラヴ・ストリームス』(84)に端役で出演したきり、2011年にこの世を去ったため、この『紅の翼』は、女優ドウ・アヴェドンの姿が拝める数少ない貴重な映画の1本となる。御存知『駅馬車』(39)や『暗黒の命令』(40)でもウェインとコンビを組んだクレア・トレヴァーや、本作の熱演でゴールデン・グローブ助演女優賞に輝いた『地獄の英雄』(51)のジャン・スターリングもさることながら、ここはぜひ、アヴェドンの清楚でさわやかな演技に注目していただきたい。 ■スタア誕生 そしてシーゲルとくれば、ここでやはり最後にクリント・イーストウッドにもご登場願って、このすっかり長くなってしまった拙文を締め括ることとしたい。この2人の師弟関係については、もはやここで改めて説明するまでもないだろうが、イーストウッドがシーゲルと出会うよりも十年ばかり前、当時まだ駆け出しの新人俳優だった彼が、脇役とはいえ、初めて一流の巨匠監督の作品に出演できる機会がめぐってくる。それこそが、ウェルマン監督の本邦劇場未公開作『壮烈!外人部隊』[原題「LAFAYETTE ESCADRILLE」](58)だった。 1975年にこの世を去る同監督の、いささか早すぎる引退作となったこの最後の長編映画でウェルマンが題材に採り上げたのは、彼の青春時代の思い出がたくさん詰まった、第1次世界大戦におけるラファイエット飛行隊の物語。かつて『つばさ』で、ほんの短い出番のチョイ役ながら、鮮烈な印象を観る者の脳裏に刻み込んで、その後一躍人気に火が点いてスターへの座を駆け上っていったゲイリー・クーパーのように、ウェルマンの原点回帰というべき航空映画であり、甘酸っぱい初恋青春映画でもあるこの『壮烈!外人部隊』で、主人公と同じ飛行隊に所属する若者の1人を演じたイーストウッドは、御存知の通り、その後、現代映画界きっての大スターへの道を歩むようになる。 ここで今更ながらに思い起こすならば、ウェルマン監督は、決して航空映画専門のスペシャリストではなく、先に紹介した『民衆の敵』のようなギャング映画から、社会派ドラマ、戦争映画、西部劇など、幅広い題材を手がけた万能型の職人監督でもあって、ハリウッド・スターたちの栄枯盛衰を描いた古典的傑作『スタア誕生』(37)を放ってアカデミー原案賞に輝いたのも、ほかならぬ彼だった。同作はその後、1954年と1976年にリメイクされ、そしてウェルマン監督の異色西部劇『牛泥棒』(43)を自身が最も影響を受けた映画の1本と公言するイーストウッドが、本来ならその3度目のリメイク版の監督をする企画が進行していたはずだが、どうやら現在では、イーストウッドが、『アメリカン・スナイパー』に主演したブラッドリー・クーパーにその企画を譲り、クーパーが主演に加えて監督業にも初挑戦するということが最新ニュースで報じられている。これもぜひ楽しみに待ちたいところだ。■ COPYRIGHT © 2015 PARAMOUNT PICTURES. 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COLUMN/コラム2015.03.18
ドイツにおけるサッカーの“起源”に迫り、このスポーツの精神と喜びをみずみずしく紡いだ珠玉作~『コッホ先生と僕らの革命』
2014年のサッカー界で最もインパクトを放った出来事のひとつは、何と言ってもブラジル・ワールドカップにおけるドイツ代表の優勝である。とりわけ準決勝で開催国を容赦ないほど圧倒し、7-1というありえないスコアで撃破した試合は、ブラジルのサポーターからすれば救いのないディザスター・ムービーのようだっただろう。同時にそれは世界中のサッカー・ファンが、ドイツの時代の到来を思い知らされた試合でもあった。 そんな誰もが知るヨーロッパの伝統的な強豪国であり、21世紀の先端をゆくドイツという国のサッカーの“起源”を描いたのが『コッホ先生と僕らの革命』だ。1846年にブラウンシュヴァイクに生まれ、父親の後を追うように教育者となったコンラート・コッホ。故郷の名門カタリネウム校の主任教師となった彼は、ドイツのスポーツ教育に初めてサッカーを導入し、のちにサッカーのルールブックを最初に出版した人物とされている。おそらく「そんな人の名前、聞いたことがない」という人がほとんどだろうが、それも当然。大のサッカー好きでバルセロナの熱烈なサポーターでもある主演俳優ダニエル・ブリュールも「まったく知らなかった」とインタビューで告白しているように、ドイツ国内でもあまり知られていない偉人らしい。 映画は1874年、イギリス留学から帰国したコッホがカタリネウム校に英語教師として赴任してくるところから始まる。当時のドイツ帝国の体育の授業では器械体操が重んじられ、生徒たちは頭の固い権威主義的な教師たちに抑圧されていた。リベラルな考え方を持つコッホは、生徒たちがイギリスを“野蛮な国”と誤解し、英語の授業にさっぱり身が入らないのを察して、彼らを体育館へと連れ出す。そこで自分が持ち込んだサッカーボールを蹴ってみるように指示したコッホは、シュート、パス、ディフェンス、アタックといった英語のサッカー用語を教えるという奇策に出る。かくして生徒たちは初めて触れたサッカーの面白さの虜になっていくが、コッホの指導方針を快く思わない守旧派が妨害工作を仕掛けてきて…。 実際のコッホは英語教師ではなく古典が専門だったらしく、いろいろ映画向けの“脚色”が施されているようだが、彼がチームプレーやフェアプレーをリスペクトするサッカーの精神を教育に応用したエピソードは事実に基づいているようだ。さらに本作は、いじめっ子、いじめられっ子という相容れない関係だった特権階級と労働者階級の生徒ふたりが、格差の壁を軽やかに乗り越えてサッカーの平等性を体現していく姿を描出。またコッホの指導によって自我に目覚めた生徒たちが、服従を強いる大人たちへのささやかな抵抗を見せるくだりは、このジャンルの傑作『いまを生きる』の名場面を思い起こさせたりもする。教育映画としても青春映画としても、そして師弟の絆を謳い上げた学園ドラマとしても、実にウェルメイドな仕上がりである。 それに何よりサッカーにまつわる描写がいちいちすばらしい。だだっ広い公園に即席のゴールポストを立てた生徒たちが、初めて屋外のピッチでサッカーに興じるシーンの素朴さ! そしてクライマックスでは、何とサッカーの母国イギリス・オックスフォードから遠征してきた少年チームとの初の“対外試合”が繰り広げられるのだ。この試合には通常のスポーツ映画とは異なり名誉もプライドも懸かっておらず、勝敗さえも問題にならない。戦術や駆け引きの類も一切ない。あるのはオフサイドという反則の説明だけで、ひたすらサッカーをプレーする喜びが牧歌的な風景の中にいきいきと紡がれていく。 ベルリンから視察にやってきた教育界のお偉いさんたちは、初めて目の当たりにするサッカーなるものをどう受けとめていいのかわからない。少年たちはそんなことお構いなしに無心でプレーを続け、ゴールを決めたり決められたりと一喜一憂。チビだがボールの扱いが抜群にうまいいじめられっ子が敵陣の右サイドをドリブル突破し、そこから送られたクロスを長身のいじめっ子がダイビングヘッドでシュートするシーンには、観ているこちらまで思わず身を乗り出しそうになってしまう。セバスチャン・グロブラー監督を始めとするスタッフは、よほどのサッカー好きなのだろう。非公式記録ながら名もなき少年たちが経験する“ドイツ史上初の失点”や“初のゴール”を、このうえなく丹念に映像化している。コッホ役のダニエル・ブリュールがちらりと垣間見せる、リフティングやドリブルのテクニックも見逃せない。 とかく筆者も含めたサッカー・ファンはやたら細かいシステム論などに気をとられがちだが、この映画はそこにサッカーというスポーツが存在することの幸福感をみずみずしく伝えてくれる。まさしく“心洗われる感動”に浸れる珠玉のサッカー映画なのであった。■ ©2011 DEUTSCHFILM / CUCKOO CLOCK ENTERTAINMENT / SENATOR FILM PRODUKTION
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COLUMN/コラム2015.03.10
ウェス・アンダーソンの出現以前に登場したウェス・アンダーソン的カルト映画の逸品〜『ハロルドとモード/少年は虹を渡る』
『俺たちに明日はない』(67)や『イージー・ライダー』(69)などを発火点に、ハリウッドに新たな変革の波が押し寄せた1960年代の後半から70年代の初頭、従来のものとは異なる多種多様な作品が数多く登場して、アメリカ映画界は百花繚乱の時代を迎えるが、ハル・アシュビーの監督第2作『ハロルドとモード/少年は虹を渡る』(71)も、まさにそんな解放天国の時代だったからこそ生み出されたと言える、ユニークでエキセントリックな映画の1本。初公開時には興行的に惨敗したものの、その後、若い観客層を中心にうなぎ上りに評判を呼んで異例のリバイバル・ヒットを飛ばし、今やすっかり珠玉のカルト映画として人気と名声が定着し、現代の才能ある映画作家たちにもその遺産がしっかり受け継がれている愛すべき作品だ。 どす黒いユーモア満載の痛烈なブラック・コメディ。実は人一倍寂しがり屋である、ひねくれ者の人間嫌いたちのための心優しい人生賛歌。はたまた、切ない青春初恋映画、等々、さまざまな要素が渾然一体となった本作の魅力を、ずばり一言で簡潔に言い表すのは至難の業だが、シュルレアリストたちのお気に入りのフレーズだった、ロートレアモンの『マルドロールの歌』の中の有名な一節「解剖台の上のミシンと雨傘の偶然の出会い」をもじって、さらにここで付け加えるならば、「根暗な青年と快活な老女の、葬儀の場での出会いから生じた奇跡のラブ・ファンタジー」といったところだろうか。 片や、裕福で恵まれた家庭環境に生まれ育ったのに、そこでの生活に息苦しさと絶え難さを覚え、ひたすら子供じみた自殺ごっこに興じることで家族や社会に対する反抗心を空しく発散させるばかりのシニカルで厭世的な20歳前後の青年、ハロルド。他方は、もうすぐ80歳を迎えようというのに、社会のルールなどどこ吹く風とばかり、どこまでも自由奔放に振る舞い、人生を存分に謳歌する愉快でチャーミングな老女、モード。この年齢や性格、生き方もおよそ対照的でかけ離れた2人が、赤の他人の葬儀の場に近親者を装って参列し、厳粛な儀式を間近で傍観するという、何とも風変わりな共通の趣味を通じて運命的に出会い、大きな年の差を乗り越えて互いに恋に落ちるのだ。 映画の中で描かれる“年の差恋愛”といえば通常、例えば『愛のそよ風』(73)のように、人生に疲れた年上の男性主人公が、若くて溌剌としたヒロインとめぐりあうことで人生の再生を果たしていくパターンが多い。けれども、この『ハロルドとモード』ではその性別の役割が逆転し、常に喪服めいた黒装束を身にまとって血の気の失せた蒼白い表情をいっそう際立たせ、趣味は自殺ごっこと葬儀通い、そしてマイカーは霊柩車と、死の世界に深くどっぷり浸っていた若き男性主人公ハロルドに、生きることの歓びと意義を、身をもって教示するのは、老女のモードの方(実は、彼女の人生も決して常にバラ色だったわけではなく、過去につらい悲惨な体験をくぐり抜けた末、達観した境地に至ったことが、彼女の腕に刻まれた数字の刺青を瞬間的に捉えるショットで暗示されるので、要注意)。 さらに、本作の先輩格にあたる『卒業』(67)では、ダスティン・ホフマン演じる青年主人公が、自分の母親と同世代のミセス・ロビンソンとの不倫関係に次第に後ろめたさを覚え、最終的には彼女から“卒業”していくのに対し、この『ハロルドとモード』では、青年主人公のハロルドが恋に落ちるモードはなんと、自分の母親の世代を通り越して祖母の世代にまで達した80歳直前の老女であり、しかもハロルドはモードとめでたくベッドインして深い満足感を味わい、彼女に結婚を申し込む決意を固めるのだ。 現実社会ではおよそまずありえず、下手をすると悪趣味でグロテスクな冗談にもなりかねないこのきわどい人物・物語設定を、絶妙の顔合わせによる魔法のケミストリーで極上のメルヘンへと昇華させている2人の主演俳優が、実に魅力的で素晴らしい。ハロルドに扮するのは、丸ぽちゃの童顔がなにより印象的なバッド・コート。ロバート・アルトマン監督の怪作『BIRD★SHT』(70)で主演を務めたのに続いて、本作への出演で、幸か不幸か、その永遠の少年像としての俳優イメージが決定づけられてしまったといえるだろう。 一方、モード役を嬉々として演じるのは、『ローズマリーの赤ちゃん』(68)の怪演でアカデミー助演女優賞を得た、1896年生まれの異色のベテラン女優ルース・ゴードン。実はこの彼女、かつては夫のガーソン・ケイニンとの共同脚本で、ジョージ・キューカー監督と絶妙のチームを組み、スペンサー・トレイシー&キャサリン・ヘップバーンというハリウッド史上屈指の名コンビが丁々発止と渡り合う『アダム氏とマダム』(49)、『パットとマイク』(52)などの痛快ロマンチック・コメディを世に送り出した、知る人ぞ知る才女。前述の『ローズマリーの赤ちゃん』や本作の印象的な演技で、70代にしてユニークな個性の名物女優として再び脚光を浴び、その後も『ダーティファイター』(78)では、クリント・イーストウッドやオランウータンと愉快に共演すると同時に、ごろつきのバイカー集団を相手にライフル銃を豪快にぶっぱなして、なおも意気軒昂たる姿を披露していたのも忘れ難い。 そして、「大声で歌いたいなら、大声で歌うといい。自由になりたいなら、自由になればいい」と伸びやかに歌う「If You Want to Sing Out, Sing Out」をはじめ、映画の全篇にわたって、主人公たちの心情に優しく寄り添い、その背中をそっと後押しする、当時人気絶頂だったシンガー=ソングライター、キャット・スティーヴンスの歌曲の数々も、本作の魅力を語る上では欠かせない大きなポイントの1つ。スティーヴンスといえば、本作同様、青春初恋映画の白眉というべきイエジー・スコリモフスキ監督の『早春』(70)の中でも、彼の名曲「But I Might Die Tonight」が、劇中主人公の心の叫びを鮮やかに代弁していた。 この『ハロルドとモード』のサントラ盤は、劇中未使用の曲も多く含めた変則版が1972年に日本で発売された以外は、本国でもリリースされず、正規のオリジナル・サントラ盤の発売がファンの間で長年待ち望まれていたが、2007年になってついに、本作の大ファンと公言するキャメロン・クロウ監督が、自らのレーベルから少数限定の豪華コレクターズ・アイテム仕様のオリジナル・サントラ盤ディスクを発売し、話題を呼んだ。 そして2011年には、デニス・ホッパーの息子ヘンリー・ホッパーとミア・ワシコウスカ演じる若い1組の男女が、赤の他人の葬儀の場に近親者を装って参列するという特異な趣味を通じて運命的に出会う青春悲恋映画、『永遠の僕たち』をガス・ヴァン・サント監督が発表したのも、まだ記憶に残るところ。そのヴァン・サント監督が、同作に対する『ハロルドとモード』の影響関係について問われ、最初に脚本を読んだ時点で自分もすぐそれに気づいた、と答えているインタビュー記事の中に、さらに次のような面白い発言をしているのを今回新たに見つけたので、ここでぜひ紹介しておこう。 「…『ハロルドとモード』は、ある点では、ウェス・アンダーソンの出現以前に登場した彼の映画のようなものだ。それを現代風にしているのは、たぶんウェス・アンダーソンが存在しているからだ。」 うーむ、なるほど。確かにそれって、言い得て妙。そしてここで翻って、アンダーソン監督と『ハロルドとモード』の影響関係をあらためて探ってみると、彼の長編第2作『天才マックスの世界』(98)の主演俳優に抜擢された、まだ当時17歳のジェイソン・シュワルツマンが、その役作りの参考になるかもと、初めて目にして思わずぶっとび、以後繰り返し見た映画こそ、ほかならぬこの『ハロルドとモード』だったと熱っぽく語っているし、アンダーソン監督自身、やはりシュワルツマンが主役の1人を演じた『ダージリン急行』(07)を作るにあたって、ハル・アシュビー監督の次作『さらば冬のかもめ』(73)をあらためて見返した、と発言している。それに『ライフ・アクアティック』(05)には、いまやすっかり禿げ頭の中年オヤジへと変貌したバッド・コートが、元気に姿を見せていたではないか! まだまだ掘り下げてみる価値のあるその辺の課題はこの機会にぜひ、皆さんにも一緒に考えていただくことにして、まずはこの珠玉の本作を存分にご堪能あれ。■ TM & Copyright © 2014 by Paramount Pictures. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2015.03.04
【未DVD化・ネタバレ】滅多に観られない1970年代のよく出来たシチュエーションコメディ〜『ニューヨーク一獲千金』
1970年代に一斉を風靡した、『ゴッドファーザー』(1972年)『ゴッドファーザー PART II』(1974年)のジェームズ・カーンと、『ロング・グッドバイ』(1973年)のエリオット・グールドの主演作だ。監督は、本作ののちにベット・ミドラー主演の『ローズ』(1979年)、ヘンリー・フォンダ&キャサリン・ヘプバーン主演の『黄昏』(1981年)、ベット・ミドラー&ジェームズ・カーン主演の『フォー・ザ・ボーイズ』(1991年)を撮る名匠マーク・ライデルだ。 サウンドトラックがすばらしい出来で、『ロッキー』のタイア・シャイアの旦那さん、デヴィッド・シャイアが担当。撮影監督はアメリカン・ニューシネマを代表するカメラマン、『イージー・ライダー』(1969年)や『ペーパー・ムーン』(1973年)や『未知との遭遇』(1977年)のラズロ・コヴァクスだ。脚本がよく練られていて、『マホガニー物語』(1975年)のジョン・バイラムと、『フリービーとビーン/大乱戦』(1974年)のロバート・カウフマンだ。 主人公は2人の売れないヴォードヴィリアン、ハリー(ジェームズ・カーン)とウォルター(エリオット・グールド)で、1892年、マサチューセッツ州のコンコード刑務所に2人が護送されてきた。そこで、金庫破りの名人アダム・ワース(マイクル・ケイン)の奴隷同然の召使いにさせられる。ワースは豪華な特別室におさまり、刑務所長、看守を顎で使っている。彼は腹心のチャトワースが持って来たマサチューセッツ州ローウェルの銀行になる金庫の青写真をカーテンの裏に貼って研究を始める。 その頃ニューヨークの左系新聞の記者リサ・チェストナット(ダイアン・キートン)が刑務所の取材に訪れた。ハリーはこっそり青写真をリサの助手のカメラで撮ったのだが、マグネシウムの火がカーテンに引火して銀行の見取り図の青写真は燃えてしまった。怒ったワースは看守に命じて2人を石材場の重労働に追いやる。ハリーがその石切場からニトログリセリンを持ち出し、2人は刑務所の門を破って逃走する。 ニューヨークに着き、その新聞社で青写真を撮ったネガを入手。だが、出所してきた強盗のプロ、ワースに見つかって見取り図は取り上げられる。 現像した写真を前に、リサはワースに対抗して金庫破りをすることになる。ただし金は社会正義のために使うことを提案する。その計画にスタッフも賛成し、一同はローウェルに向かって、銀行の上の部屋からトンネルを掘り始める。ところが隣の部屋へ銀行の頭取ルーファス・クリスプ(チャールズ・ダーニング)が女を連れこんでいた。頭取がいてはトンネルが掘れないので、リサは頭取に巧みに近寄り翌日の夜、2人でオペレッタを見に行く。そのオペレッタの主演がワースの恋人グロリア・フォンテーン(レスリー・アン・ウォーレン)なのに気が付いたリサが楽屋を探ると、やはりワース一味がいた。 彼らは劇場の地下室から銀行までトンネルを掘り、次の日のショーが終ったら金庫破りを決行する計画だと判明する。 リサたちは何とか先手を打って、劇場に忍びこみ、ショーの途中に金庫を開けようとする。だが、なかなか金庫は開かず、ショーは終りそうになる。ヴォードヴィリアンのハリーとウォルターが衣裳をつけて舞台に加わる。オペレッタは、めちゃくちゃになるがそれまで退屈であくびを噛み殺していた観客に大いに受ける。 見事に大金を盗み出したリサ、ハリー、ウォルターらはニューヨークに戻った。そこで彼らと再会したワースは、いさぎよく敗北を認めるのだった。 コーエン兄弟の監督作品『オー!ブラザー』にも通じる、すこぶる軽快な強奪ものである。銀行強盗をゲーム感覚で描いた犯罪アクションで、キャストの顔ぶれだけでもおもしろさは約束されている。何よりも楽しいのは、『探偵<スルース>』(1972年)のマイクル・ケイン、『狼たちの午後』(1975年)のチャールズ・ダーニング、『アニー・ホール』(1977年)のダイアン・キートン、『チューズ・ミー』(1982年)のレスリー・アン・ウォーレン、『イナゴの日』(1975年)のデニス・デューガン、『ロッキー』(1976年)のバート・ヤングら、1970年代を彩った「名脇役たち」が多数出演していること。ソニー・コルレオーネでトップ俳優となった能天気なジェームズ・カーンが、若かりし頃のダイアン・キートンに手助けされるというお楽しみもある。 ある意味で、サクセスストーリーだと解釈できる。そのギャグが緻密に計算されてシチュエーションコメディなので、何回観ても飽きないのだ。 本作は1988年ぐらいにビデオソフトになったが、シネマスコープサイズの作品をTVサイズにトリミングしたため、大団円の最高におもしろいシーンが左端で起こっていてカットされるという憂き目にあっている。その意味で、今回の放送はもしかしたら、これがマトモなかたちで観られる最後かもしれず、1970年代のコメディ映画ファンにとって、これほど喜ばしいものはない。■ © 1976, renewed 2004 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2015.02.17
美しく切なく残る余韻にひたれる、すごくシニカルなファンタジー・コメディ〜『チキンとプラム 〜あるバイオリン弾き、最後の夢〜』
原作のタイトルにもなっている「鶏のプラム煮」は主人公ナセル・アリの大好物であり、主人公に死ぬのを諦めさせようと、妻が料理するエピソードがある。 主人公の自殺しようとする男ナセル・アリに、『キングス&クイーン』(2004年)『ニュンヘン』(2005年)『潜水服は蝶の夢を見る』(2007年)『00'7/慰めの報酬』(2008年)のフランス人俳優マチュー・アマルリック。妻ファランギースに、『ヘンリー&ジューン/私が愛した男と女』(1990年)『パルプ・フィクション』(1994年)のポルトガル人女優マリア・デ・メデイロス。主人公のかつての恋人イラーヌに、『ワールド・イズ・ライズ』(2008年)『彼女が消えた浜辺』(2009年)の、ピアニストとしても活躍するパリ在住のイラン人女優ゴルシフテ・ファラハニが扮している。 物語はこうだ。天才的音楽家・ナセル・アリ(マチュー・アマルリック)は、愛用のバイオリンを壊されたことをきっかけに自殺を決意。自室にこもって静かに最期の瞬間を待つ8日間、ナセルは思い通りにならなかった過去の人生を振り返るのだ。空っぽな音だと師匠に叱られた修業時代。音楽家として絶大な人気を得た黄金時代。妻ファランキースとの誤った結婚。怖くて愛しい母パルヴィーンの死。大好きなソフィア・ローレンと鶏肉のプラム煮。そして今も胸を引き裂くのは、イラーヌ(ゴルシフテ・ファラハニ)との叶わなかった恋。やがて明かされる、奇跡の音色の秘密とは? いろんな死に方を考えるが、すべての方法が怖くなって踏み切れず、自室のこもり、食事も摂らず、ただ寝ることにするのが何ともコミカルだ。 そして思い返す過去の人生。弟アブティと何かと比較された少年時代、美しい女性イラーヌと大恋愛するも、女性の父親の反対に遭って別れてしまったこと、バイオリン修行で世界を20年間放浪したあと、母親パルヴィーンの強い勧めでいまの妻ファランギースと結婚したことなどがおもしろおかしく描かれていく。原作がコミックだけに、すごくファンタジー色が強く、ちょっと変わったサトラピ=パルノー・タッチになっている。フランス映画独特の影絵のような雰囲気もいい。 どちらかというと、エリック・ロメール監督の『獅子座』(1958年)のような既視感(デ・ジャ・ヴ)のあるフランス映画あたりの教訓話で、実に笑うに笑えない男の話だ。彼は子育てはさぼり、楽器店の主人には因縁を付け、妻には逆切れするとんでもない男。だが、話が進むにつれ、主人公の心情が少しずつわかるようになり、ストーリーにもどんどん引き込まれていく。そして何より、幻想的な映像がすべてを優しく包んでいて、愛おしい。 これをハッピーエンドと言わずにいられない。主人公は大切なバイオリンを妻に壊されて、絶望して死ぬのだけれど、見方によっては、彼はけっして不幸ではないのだ。若き日に出会った美しい人との別れなくして、彼の音楽家としての覚醒はなかったのだ。切ない別れだからこそ、一生に一度きりの恋を胸に秘めて生きられたのだ。嫉妬のあまり、彼のバイオリンをひったくって壊してしまった妻も、報われない恋を夫に対して抱いていたのではないのか? 壊れたバイオリンの代わりを探す主人公は、街で孫を連れたイラーヌと再会する。彼女は、ナセル・アリのことを知らないと冷たくあしらう。それを悲嘆する主人公はいよいよ自殺するけれど、実のところ彼女はまだナセル・アリを愛していて、彼の葬儀をひっそりと見つめている最後がすごく心に残る。 イラーヌとの恋の別れの引き換えに、音楽の道をきわめたナセル・アリ。彼が奇跡の音色を奏でられるのは、奏でることでイラーヌの存在を身近に感じることができたからだ。 この映画は、イスラム教で死を司る天使アズラエルの視線で描かれる。ファンタジー色が強いのも、そのせいだ。このストーリーにすごい説得性を持たせるのが、ナセル・アリのかつての恋人イラーヌの息を飲むような美しさだ。彼が一生をかけて愛し続けたこと、また彼が晩年に再会するけれど、彼女の記憶にすら残っていなかった虚しさが、彼の自殺の引き金になったこと、そのすべてが完全に納得できてしまう。 主人公がバイオリニストで、随所に流れるバイオリンの名曲が、切ない物語を心により刻みつけるのもいい(音楽はオリヴィエ・ベルネ)。 仏独などの合作映画であり、母パルヴィーンはイザベラ・ロッセリーニ、娘リリはキアラ・マストロヤンニなど、国際色豊かなキャストが集まっているのもミソだ。 前半はやや退屈だが、ラスト15分に怒濤の感動が襲うので、サトラピ=パルノー・タッチの独創的映像をじっくりと観てほしい。 結局、人間は絶望と希望を繰り返す生き物なのだ。そうした教訓を含ませながら美しく切なく残る余韻にひたれる、すごくシニカルなコメディである。■ ©Copyright 2011Celluloid Dreams Productions - TheManipulators – uFilm Studio 37 - Le Pacte – Arte France Cinéma – ZDF/ Arte - Lorette Productions– Film(s)
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COLUMN/コラム2015.02.07
閉ざされた聖地、バチカンがイタリア映画だけに許可したと思しき潜入ルポが楽しめる〜『ローマ法王の休日』
信頼は勿論、絶大な権力も与えられた法王は、さそがし世界中の枢機卿たちにとって憧れのポストに違いない!?と思いきや、けっこうそうでもないことが「ローマ法王の休日」を見るとよく分かる。 いきなり法王の葬儀から始まる映画が事細かに描くのは、その後に行われる法王の後任選び=コンクラーヴェ、つまり法王選挙。この冒頭から、元水球選手という異色の経歴を持つイタリア人監督、ナンニ・モレッティが謎に包まれたコンクラーヴェの実態を独特のユーモアを以て詳らかにしていく。それは、例えばこんな感じだ。世界中から集結した枢機卿たちが朱色のマントを羽織って投票会場に入場する時(その中にはバチカン資料館員という肩書きの日本人、高田枢機卿の姿も)、入口で1人1人名前が呼ばれる仕来りなのだが、係が一瞬名前を忘れて妙な静寂が走る(そりゃあ、全員の名前を覚えるのは大変なはず)。会場のシスティーナ礼拝堂が停電した時、ある枢機卿が蝋燭を点してはどうかと呟くが、フレスコ画が傷むからという理由で却下される(バチカン市国全体が世界遺産だもの)。投票用紙を見つめながら、全員が書くべき名前を思い付かずペンをコトコトさせる…そう、誰も名誉どころか、重圧でしかない法王になんかなりたくないのだ! そうだったのか!?従って、投票者の2/3以上の票を獲得しなければ法王の資格はないというコンクラーヴェの掟をクリアする者は現れず、地獄の投票は何度も繰り返される羽目になる。使用済みの投票用紙は暖炉で燃やされ、証拠は残さず、この時に煙突から立ち上がる煙の色で観衆は選挙の推移を確認するという手はずだ。煙が黒なら未決、白なら決定というのが何だかとても映画的ではある。投票結果が発表される度に「神よ、どうか私が選ばれませんように」と祈る枢機卿もいて、思わず、そんな時にお前が神を持ち出すな!と突っ込みたくなるが、しかし、当然の如く"犠牲者"が神の御許に差し出される。決選投票でサプライズ的に選出されたメルヴィルだ。ところが、メルヴィルはバチカン宮殿を見上げる広場に集まった信者たちの前に歩み出る直前、突如任務を放棄してしまう。「私にはできない!」と言い張るメルヴィルに固まる侍従たちは、とりあえず心身の異常を疑うが、どうやら問題はなさそうだ。要するに、メルヴィルには自信がないだけ。神に選ばれた身として、11億人の信仰の象徴を演じ切る勇気が。 頭を抱えたバチカン事務局は、新法王が就任演説直前に祈祷に入られた、ことにして時間稼ぎを画策するのだが、さらに深刻な事態が。警備に守られ、こっそりローマ市内のセラピストを訪れたメルヴィルが、ほぼ発作的に失踪してしまうのだ。そこで事務局は、世界中のカトリック教徒にも、そして、事態打開までバチカン内に缶詰状態の枢機卿たちに対しても、法王は自室に籠もっていると苦しい嘘をつくことになる。 このシチュエーション、どこかで見たことはないだろうか?重い責務を担った超VIPが失踪して周囲をあたふたさせるというプロットは、そう、『ローマの休日』(53)とそっくり。突然街に飛び出し、離婚した女性セラピストを始め、偶然同じホテルで出会った演劇集団との関わりを通して、かつて志した演劇の魅力を再発見し、やがて、自分にとって本当の居場所はどこかを実感していくメルヴィルは、新聞記者のジョーと恋に落ちて真の自由を謳歌するアン王女と同じく、ローマで秘かな休日を楽しんだ"お仲間"なのだ。 アン王女はジョーへの思いを友情に止めて、宮殿の中へ足早に消えて行ったけれど、メルヴィルはさて、どうするか?それは見てのお楽しみとして、本作はメルヴィルを介して重圧と自我の葛藤を描いた人間ドラマであると同時に、閉ざされた小国、バチカンへの潜入体験記的な旨味がある。冒頭で、コンクラーヴェの生中継を希望するテレビクルーに対し、バチカン側は冷徹に立ち入りを拒否するが、映画のカメラはするすると警備をかい潜って総本山内部へと足を踏み入れる。警備主任はモレッティ自らが演じる精神科医を治療のためにバチカンに呼び寄せた際、彼の携帯電話を取り上げ、外部との接触を遮断する。新法王表明までバチカン滞在を義務づけられた枢機卿たちの中の数人が、美味しいシュークリームを食べに出かけたいと申し出るが、却下される。夜、枢機卿たちは各々の自室に籠もってバイシクルマシーンを漕ぎ、ジグソーパズルを楽しむ一方で、悪夢にうなされて叫ぶ声が廊下にこだまする、等々、潜入ルポの目線はけっこうブラックだ。 もし、これがハリウッド映画だったら、バチカンは現状のまま公開を許可しただろうか?と疑問に思わないでもないけれど(同じくコンクラーヴェが登場するトム・ハンクス主演の『天使と悪魔』(06)はローマ教会がイエス・キリストを冒涜しているとしてボイコットを呼びかけた)、癖のあるユーモアを武器にイタリア映画を、イタリアン・カルチャーを世界に拡散し続けるナンニ・モレッティだからこそ許されたと取るべきかも知れない。それは、本作が2011年のイタリアン・ゴールデングローブ賞(外国人ジャーナリストによる選出)とナストロ・ダルジェント賞(イタリア映画記者組合による選出)で作品賞をW受賞したことでも明らかだ。 ところで、劇中に登場するシスティーナ礼拝堂は本物ではない。さすがにナンニ・モレツティと言えども礼拝堂内部での撮影は許可されず、チネチッタ・スタジオ内部にセットが組まれてコンクラーヴェ会場が再現されている。モレッティ扮する精神科医の提案でバチカンの中庭に即席コートがセッティングされ、そこで枢機卿たちによる国別バレーボール大会が開催されるシーンは、ローマのパラッツォ・ファルネーゼの中庭で撮影されたそう。メルヴィルが立つのをためらうサンピエトロ大聖堂のファザード(建物の正面)も、形状からしてパラッツォ・ファルネーゼではないかと思われる。何しろ、設計したのはサンピエトロ大聖堂の建設にも関わったルネッサンスを代表する建築家、アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョヴァネなのだ。 パラッツォ・ファルネーゼは現在、ローマのフランス大使館として使用されている。本作がイタリアとフランスの合作なのは、そのあたりに起因しているのかも知れない。そう言えば、メルヴィルを演じるミシェル・ピコリもイタリア系フランス人。デビュー以来、150本以上の映画に出演してきた彼が裁判官を好演してカンヌ映画祭最優秀男優賞に輝いたのも、イタリア人監督、マルコ・ベロッキオの「Salto nel vuoto」(80)だった。かつてロジェ・ヴァディムやルイス・ブニュエル作品で渋い脇役を演じて来たピコリが、流暢なイタリア語を駆使して内気で自信喪失気味の枢機卿を演じる姿は、国籍を超えた愛らしさがある。■ © Sacher Film . Fandango . Le Pacte . France 3 Cinéma 2011
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COLUMN/コラム2015.02.04
【ネタバレ】何度も映像化されてきた文芸ロマン、そのゴシック・ホラー的な側面を探求した野心作~『ジェーン・エア』
今回紹介する2011年の英米合作『ジェーン・エア』の日本公開当時の配給会社の資料によれば、過去に18回映画化され、9回TVドラマ化されているという。あらかじめ筆者が把握していたのは10本にも満たなかったので、これは驚くべき回数だ。そのうち現在、比較的容易にDVDを入手できるのは4作品程度らしい。 簡単にストーリーをおさらいしておこう。主人公は幼くして孤児となり、伯母のリード夫人とそのワガママな子供たちに虐げられて育ったジェーン・エア。9歳の時に寄宿学校に預けられた彼女は、そこでヘレンという初めての親友とめぐり合うが、ヘレンは結核に蝕まれて死亡してしまう。やがて成長して教師になったジェーンは、家庭教師として人里離れたソーンフィールドの屋敷に赴き、ニヒルな主のロチェスター卿からのプロポーズを受けるが、結婚式当日に彼の忌まわしい秘密が明らかになる…。 先述した古典の映画化における“新鮮味の欠如”を打破する手っ取り早い手段は、原作を独自の新しい視点で解釈できる作り手を起用することだ。鬼才バズ・ラーマンがシェイクスピア悲劇を大胆に現代化した『ロミオ&ジュリエット』(1996)は極端な例だとしても、製作当時まだ30代前半の新人だったジョー・ライト監督がジェーン・オースティンの「高慢と偏見」をこのうえなくみずみずしく、なおかつ情熱的に映画化した『プライドと偏見』は、幅広い観客層を魅了して文芸映画のジャンルに新風を吹き込んだ。その点、28回目の映像化となる最新版『ジェーン・エア』のメガホンを託されたのはケイリー・ジョージ・フクナガ。不法移民たちの列車による中米横断の旅を紡ぎ上げたロードムービー『闇の列車、光の旅』(2009)で上々のデビューを飾り、最近ではマシュー・マコノヒー、ウディ・ハレルソン主演のクライム・ミステリー「TRUE DETECTIVE/二人の刑事」(2014/スターチャンネルで放映されたTVミニ・シリーズ)でも並々ならぬ実力を示した日系アメリカ人の気鋭監督だ。 結論から言えば、これは見逃し厳禁の傑作である。筆者は原作の愛読者ではないので、どのエピソードがはしょられたとか、どの場面が小説のイメージに合わないといった見方はできないが、画面に映る何もかもがすばらしい、とさえ主張したくなるほどスリリングで、極めて美しいラブ・ストーリーに仕上がっている。 女性にとって自由恋愛など夢のまた夢だったヴィクトリア朝のイギリスで、幾多の苦難に見舞われようとも自らの意思を貫き通したヒロインの波瀾万丈の物語。今の時代にふさわしく、ジェーンの自立心と自尊心、自由への渇望が強調されているが、フェミニズム臭はまったく匂わない。そうした女性映画としてのテーマ性よりも本作を強烈に特徴づけているのは、ジェーンの幸せ探しの道のりを緊迫感みなぎるスリラー映画のように、ここぞという場面ではホラー映画のようにヴィジュアル化していることだ。もともとブロンテの原作はゴシック・ロマン的な要素をはらみ、ヒッチコックの『レベッカ』と重なる部分も多い。実際、オーソン・ウェルズがロチェスター、ジョーン・フォンテインがジェーンを演じた1944年のハリウッド版(監督はロバート・スティーブンソン、音楽はバーナード・ハーマン!)のモノクロ映像には濃厚な怪奇ムードが宿っていた。しかしながら、まさかゴシック・ホラー的エッセンスにこの物語の本質を見出し、そのアプローチを本格的に実践した『ジェーン・エア』が21世紀に出現するとは! 最も主要な舞台となるソーンフィールド邸は、その幽玄なる外観からして“館”というより“古城”と呼ぶのがふさわしく、鉛色の空や霧に煙る森と相まって、ただならぬ妖気を漂わせる。屋敷内には夜な夜な不気味な音が響き、何者かの気配を感じたジェーンはロウソクの灯りを頼りに、暗黒の迷路のごとき廊下をさまよい歩くはめになる。現存する17~18世紀の建造物を借用したロケーション、映像の彩度を抑えて寒々しいムードを醸造した撮影、窓辺のカーテンの揺れ方ひとつとっても秀逸な美術、どれもがハイレベルだ。あからさまにサスペンスを煽らず、ジェーンの感情に寄り添うような哀切の調べを奏でるダリオ・マリアネッリのピアノ音楽もいい。 叫びたくなるほどの恐怖を健気にのみ込み、おそるおそる真実を確かめようとする主演女優ミア・ワシコウスカの震えを帯びた演技も最高だ。筆者はかねてからこの可憐で、幸薄げな貌立ちのオーストラリア人女優をホラー向きとにらんでいたが、まさにこの映画ではワシコウスカの“見かけは弱々しいのに、やけに辛抱強い”特性が見事に生かされている。勝ち気で知的なジェーンのことが好きでたまらないくせに皮肉や挑発を連発し、事あるごとにつらく当たるロチェスター役のマイケル・ファスベンダーもはまり役。どうしようもなく素直になれない男女の屈折と禁欲が、そこはかとなく官能的なニュアンスに結実している点も見逃せない。 スタッフ一丸となって陰鬱なトーンを生み出した本作において最もロマンティックな描写は、春の庭園を歩くジェーンを追いかけたロチェスターが、ついに「一生そばにいておくれ」と求愛するシーンだ。初めてのキスの歓びに陶酔するふたりの姿を、魅惑的な光と風の自然現象がいっそう輝かせる。ところが筆者はギョッとせずにいられなかった。この幸福感が満ちあふれたショットには、不吉なことに墓場がさりげなく映り込んでいるのだ! いや、ふたりの背景の遠くに見えるただの石碑のような物体を、筆者が墓石と錯覚しただけなのかもしれないが、本作を初めて鑑賞したときに「やはりこの男と女は呪われている!」と衝撃を受けた忘れがたき場面なのである。 また、文芸ロマンの枠組みを保ちながら、フクナガ監督のゴシック・ホラー的要素を重んじたアプローチは、ブロンテの原作にもある超自然的な“声”のエピソードにも説得力を与えている。映画の終盤、荒涼とした原野で牧師セント・ジョンからの求愛を断ったジェーンは、どこからともなく聞こえてくるロチェスターの「……ジェーン」という呼びかけに応じ、あらゆる迷いをふりきってソーンフィールド邸をめざす。この妄執による幻聴とも超常現象ともとれるスピリチュアルなシーンが、映画全体の中で浮くことなく、むしろ生々しい切迫感をもって描かれていることに感服する。 そしてジェーンとロチェスターが再会を果たすエンディング。雨も風もやみ、柔らかな自然光だけで撮られたであろうこのシーンは、ついにふたりが呪いから解き放たれたことを慎ましくも感動的に伝えてくるのだ。■ © RUBY FILMS (JANE EYRE) LTD./THE BRITISH BROADCASTING CORPORATION 2011.
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COLUMN/コラム2015.01.17
追悼ロビン・ウィリアムズ 〜日本未公開作『ハドソン河のモスコー』が教えるlibertyの意味〜
昨年8月11日、突如舞い込んだロビン・ウィリアムズの訃報にショックを受けた人は多いことだろう。得意の物真似や話芸を駆使し、あれだけ『いまを生きる』(89)や『パッチ・アダムス』(98)で生きることの素晴らしさを説いてきた彼が、自ら人生の幕を閉じてしまうなんて……。長年うつ病に苦しみ、初期のパーキンソン病も患っていたと伝えられてから『レナードの朝』(90)や『奇蹟の輝き』(98)を観直すと、なんともいえない気持ちになってしまう。 63歳という早すぎる死に、俳優仲間やスタッフをはじめ世界中の人々が哀悼の意を表した。バラク・オバマ大統領は「ロビン・ウィリアムズはパイロット、医者、妖精、ベビーシッター、大統領、教授、ピーターパン、あらゆる存在でした。最初は宇宙人として登場し、私たちを大いに笑わせ、泣かせました。彼はその途方もない才能を、最も必要としている人たちのために惜しみなく捧げてくれたのです」とロビンがこれまで演じてきた役柄を引用して弔辞を述べた。「最初は宇宙人として」のくだりはロビンが無名時代の1978年、米ABCの人気コメディドラマ『ハッピーデイズ』(74〜84放送)のシーズン5で演じた異星人モークのこと。体制や常識に反発するなど周囲と異なる価値観を持つ役柄を数多く演じてきたロビンは、キャリアのスタート時点から“alien”(=異星人、在留外国人)だったのだ。 1951年7月21日、シカゴの裕福な家庭に生まれ育ったロビンは、奨学金でニューヨークにある名門ジュリアード音楽院で3年間演技を学ぶ。スタンダップ・コメディアンとして活動中、『ハッピーデイズ』のプロデューサーであるゲイリー・マーシャルにコメディの才能を見い出され、同ドラマのスピンオフシリーズ『モーク&ミンディ』(78〜82放送)に主演。このシットコムをきっかけに映画界へ進出。『グッドモーニング、ベトナム』(87)で見せたテンション高いマシンガン・トークでゴールデングローブ賞主演男優賞を受賞すると、名実共にトップスターに。『いまを生きる』(89)や『フィッシャー・キング』(91)でのシリアスな演技も高く評価され、『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』(97)ではアカデミー最優秀助演男優賞を受賞している。 こうした流れを踏まえた上で、彼のファンならぜひとも観ておきたいのが、今回「シネマ解放区」でHD放送される日本未公開の名作『ハドソン河のモスコー』(84)。得意のモノマネを駆使して、亡命したロシア人になりきった姿はまさしく芸達者のひと言だ。 製作された当時は79年のソビエト連邦によるアフガニスタン侵攻以降、東西冷戦の緊張が再び高まっていたころ。ロナルド・レーガン米大統領はソ連を「悪の帝国」と呼び、国防予算を大幅に増額して戦略防衛構想(通称スターウォーズ計画)の推進を発表。84年のロサンゼルスオリンピックはソ連以下、東ドイツ、ポーランドなど東側諸国が参加をボイコットしている。 32歳の若きロビンが演じるのは、ソ連のサーカス楽団員ウラジミール・イワノフ。共産主義下では革靴を買うにも寒空のなか長蛇の列に並ばなければならず、ありつけたところで希望するサイズは無し。トイレット・ペーパーを持ち帰れば、それだけで家族は大喜び。街中では反政府的な行動や言動がないか監視の目が四六時中飛び交う。それが当たり前なのだ。 そんな中、イワノフの所属するサーカスにニューヨーク親善公演の話が舞い込む。出発前、お目付役の役人は「諸君は革命国家の代表だ。決してアメリカの退廃に惑わされないように」と釘を刺すが、イワノフには気がかりなことがあった。親友でピエロ役のアナトリから「アメリカに亡命しようと思ってる」と打ち明けられていたのだ。失敗すれば収容所送りは免れない。何度も諭そうとするイワノフ。 一行が到着したニューヨークは、まさに夢の国だった。バスの窓から見えるのは派手なビルボード、ブレイクダンスを踊る少年、モヒカンの黒人パンクス。そこはまさに「自由」の国だった。無事公演を終えて帰路の空港に向かう途中、デパートで30分のみ買い物を許される一行。チャンスはここしかない。試着室で密談中のアナトリとイワノフをゲイと間違えた黒人警備員にいぶかしがられながらも刻々と迫る出発時間。決行のときが来た! だが、アナトリはあまりの事の重大さに臆してしまう。 すべてが終わり、あとは祖国の恋人へみやげを買って帰るだけのイワノフだったが、くすぶっていた何かがハジけるように「亡命したい!」という思いに駆られた彼は、その場から逃走。追っ手から逃げる途中、空港に向かうバスの中のアナトリと目が合った瞬間イワノフは取り返しのつかないことをしてしまったことに気づくが、初めて「自由」を手にした歓びは後悔を遥かに上回るものだった。 騒動の一部始終を見ていた黒人警備員のライオネルは宿無しのイワノフを自分の家に住まわせ、移民専門の弁護士ラミレスは亡命手続きの相談に乗ってくれ、化粧品売り場の女性店員ルチアとはいい仲に。 彼らは皆それぞれの事情を抱えてニューヨークへやって来た仲間なのだ。かくしてイワノフは生来の陽気な性格も手伝い、少しずつアメリカに慣れていく。だが、いいことはいつまでも続かない。やがて彼は「自由」の本当の意味を嫌という程味わされることになる。 自由には責任が伴うものだ。ニューヨークの象徴である自由の女神像は英語で「Statue of Liberty」。「liberty」も「freedom」も共に自由を意味する言葉だが、libertyが示すのは世界史の教科書を紐解くまでもなく「自らの力で闘って手に入れた自由」である。イワノフが思い描いていた自由は、ただ束縛から解放された状態の「freedom」だったのだ。 傷心のイワノフがアパートに帰ると銃を持った少年二人に襲われ、カネも身分証明も奪われてしまう。 「これが俺が命を賭けてまで求めた自由なのか?」 独立記念日の夜、レストランにいた客たちがアメリカ合衆国独立宣言を口にする場面は本作の白眉だ。ここでイワノフが笑顔を取り戻すまでの一連の会話は、ポール・トーマス・アンダーソン監督の『マグノリア』(99)で登場人物たちが「ワイズ・アップ」を歌い繋ぐシーンのような愛と赦しに満ちている。 「以下は自明の理である。すべての人は生まれながらにして平等であり、生命、自由、幸福の追求を含む侵されざる権利を神より与えられている」 映画ではここまでだが、実際の独立宣言は「これを確保するため政府という機関は作られており、もしも政府がその目的を破壊するものとなった場合、新しい政府を設けることは人民の権利である」と続く。まるで能動的な意思なき者はこの国を去れとでも言わんばかりに。 本作は、ジャズを生んだ黒人たちへのリスペクトを表しているところもいい。現在我々が耳にしているポピュラー音楽のほとんどは、奴隷の身分から解放されてなお迫害を受けてきたアメリカの黒人ミュージシャンが生み出したものなのだから。サキソフォン奏者であるイワノフはソ連にいた頃、両親たちと住む家のテレビに映った黒人たちの姿を見て「彼らは最高のミュージシャンだ」と賛美。そのままコールマン・ホーキンスやデューク・エリントンの名前を挙げ、スウィングジャズの名曲「A列車で行こう」のフレーズを口ずさむ。ご存知の通り、「A列車」とはブルックリンからマンハッタンを結ぶニューヨーク市地下鉄A線のことである。 最後に昨年6月、84歳で亡くなったポール・マザースキー監督についても触れておきたい。彼もまたユニークな経歴の持ち主で、スタンリー・キューブリック監督の処女作『恐怖と欲望』(53)などに俳優として出演する傍ら構成作家として活動。69年、脚本も手掛けた『ボブ&キャロル&テッド&アリス』で監督デビューを果たすと、『ハリーとトント』(74)、『結婚しない女』(78)、『敵、ある愛の物語』(89)がアカデミー賞脚本賞・脚色賞にノミネート。作品賞にもノミネートされた『結婚しない女』は、本作でも主人公がデートで観に行く映画として登場している(これ絶対デートに不向きな映画というギャグでしょ!)。生まれも育ちもブルックリンという地の利を活かし、至る所で目をひく看板、ブレイクダンスを踊る子ども、黒人のモヒカンパンクスといったニューヨークの街並み。冒頭からバスの中、日光が差し込みロビンの顔が照らし出されるショットの美しさたるや! 加えて祖父母がロシアからの移民という彼にとって、本作は自伝的作品である『グリニッチ・ビレッジの青春』(76)と並ぶ重要な作品だったのではないだろうか。 多民族ながら決してひとつに混ざり合うことのない“人種のサラダボウル”ことニューヨークを絶妙な距離感で描いた本作は、ペーソスほんのり、ラストはすっきり(そこにオイシイ役どころで登場するKGBのエージェントは、実際に亡命者であるロシア人俳優サベリー・カラマロフが演じている)。チャカ・カーンの歌うシルキーなエンディングテーマ「フリーダム」も心地よく、深夜に観れば、翌日の活力となること間違いなしの一本だ。■ Copyright © 1984 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2015.01.07
幼気でちょっぴりエッチな少年の日誌は人生の厳しさと温かさが混在している!?〜『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』
北欧スウェーデンは美女の宝庫として知られ、古くから様々なタイプの美人女優をハリウッドに輸出して来た。グレタ・ガルボ、イングリッド・バーグマン、アニタ・エクバーグ、そして、ちょっと意外なアン=マーグレット。映画監督では何と言ってもイングマル・ベルイマンだろう。"神と沈黙"をテーマに掲げた数々の名作を遺し、2007年に惜しまれつつ他界した20世紀を代表する名匠である。そして、ベルイマンと同じくスウェーデン出身で、今も現役バリバリでカメラを回している頼もしい後輩がラッセ・ハルストレムだ。 ベルイマンとハルストレムは作風もライフスタイルも対照的だ。ベルイマンが母国スウェーデンを一歩も出ずにレジェンドとなったのに対し、ハルストレムはニューヨークに住まいを構え、ハリウッドでジョニー・デップ主演の『ギルバート・グレイプ』(93)や『サイダーハウス・ルール』(99)と言ったオスカー級の話題作を発表して来た。デビュー当時は正確に発音するのが難しかった"ハルストレム"という名前も、冷徹なベルイマン作品には皆無だった人間への温かい眼差しも、今や映画ファンの間ですっかり定着している。そんな彼が世界に羽ばたく土台を築いた若き日の代表作、それが『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』だ。 舞台は1950年代後半のスウェーデンの田舎町。主人公の少年、イングマルがいつも思いを馳せるのは、人工衛星にむりやり乗せられ、5ヶ月も食事を与えられず宇宙の彼方で餓死したライカ犬のこと。それに比べたら、病床の母を持ち、旅がちな父親不在の家で暮らし、悪戯な兄に虐められ、コップの牛乳も上手に飲めないドジで間抜けな自分なんてましな方。というのが、イングマルの相対的且つ客観的人生論なのだ。イングマルのライカ犬に負けず劣らずの不運は続く。夏休み、彼は心配な母親を家に残し、グンネル伯父さんの家に預けられることになり、大好きな愛犬シッカンとも引き離されてしまう。しかし、こうして文字に置き換えると冷え冷えとする少年の現実が、ハルストレム的感性のフィルターを通すとどうだろう!?不幸は常時ユーモアにかき消され、厳しくとも生きる価値のある人生への愛おしさに心が震えてくる。 例えば、ユーモアはこんな場面で効果満点だ。母親が喧嘩を止めないイングマルと兄のエリクを打っている傍らで、シッカンが床に零れた牛乳をべろ飲みしている。グンネル伯父さん宅の階下で寝たきり生活を送るお祖父さんの願いで、イングマルが女性下着カタログの説明文を読んで興奮させてあげる。伯父さんが勤めるガラス工場の巨乳美女が彫刻家にヌードモデルを頼まれた時、同行したイングマルが美女の秘部を見たくて天窓に張り付き、重みで落下する、等々。その際、傷だらけのイングマルに巨乳姉さんは『堅信礼は受けられないわね』と呆れ顔で呟くのだが、キリスト教では子供にとって最も重要なこの信仰儀礼すら、ユーモアのツールに使ってしまうハルストレムのスウェーデン人らしからぬセンスは笑える。その一方で、おませなエリクが子供たちを地下室に集めて聞きかじりの性教育を施したり、イングマルが仲のいい女子に誘われて線路下の狭いトンネルで抱き合ったりするシーン等も含めて、笑いのソースが性に偏っているのは、この分野の先進国、スウェーデンならでは。すでに死語になった"フリーセックス"という価値観が持つ尖ったイメージをユーモアで再生した点も、ハルストレムの秘やかな功績なのではないだろうか。 イングマルが田舎で出会った、本当は男の子になりたいガキ大将の少女、サガに頼まれて、膨らんできた胸にさらしを巻いてあげるシーンも微妙に刺激的だ。この後、イングマルには最も恐れていた不幸が襲いかかるけれど、そのようにままならない日々を送るのは彼の家族も、サガも、そして、周囲の大人たちも同じ。厳しい現実はすべての人々に均しく試練を強いるけれど、そこには突拍子もない出来事と笑いがセットになっているところが『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』の魅力であり、その後のハルストレム作品にも脈々と継承されて行く。 それは、アイオワの田舎町で家族の世話に青春を捧げた青年の旅立ちを祝う『ギルバート・グレイプ』(93)にも、孤児院で生まれた少年が外の世界に触れて成長していく『サイダーハウス・ルール』(99)にも、フランスの片田舎に住む村人の閉鎖性をチョコレートの甘さが溶かしていく『ショコラ』(00)にも、そして、フランス料理とインド料理が互いの偏見を乗り越えて1つになる最新作『マダム・ローリーと魔法のスパイス』(14)にも、しっかり受け継がれている。ハルストレムが凄いのは設定は異なってもライフワークとも言えるテーマをぶれることなく、しかも、商業ベースに乗せているところ。商業ベースとは言うまでもなく、ジョニー・デップ、レオナルド・ディカプリオ、トビー・マグワイア、ジュリエット・ビノシュ等、人気スターを常に主役に迎え、その中の多くをオスカー候補に送り込んでいることを意味する。 プライベートでは1994年に結婚した女優のレナ・オリンと未だ仲睦まじく、ニューヨークとストックホルムの間を行き来する充実した日々を送っているハルストレム。オリンはかつてベルイマン作品に脇役で出演したこともある、同じスウェーデン出身の実力派女優だ。夫妻が『ショコラ』や『カサノバ』(05)等でコラボしているところは、ベルイマンと彼のミューズと言われた女優、リブ・ウルマンの関係に似ていなくもないけれど、ベルイマンとウルマンが公然と愛人関係をキープしたのに対して、ハルストレムとオリンは正式に結婚し、'95年に生まれた愛娘のトーラ・ハルストレムは女優として活躍している。やっぱり、私生活でもベルイマンとハルストレムは作風が違うのだ。 もし、改めて、または、初めて『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』で心が温まり、ラッセ・ハルストレムに興味を持ったなら、監督としてブレイクスルー以前の作品に触れてみてはいかがだろう?『マイライフ〜』の原型と言われている劇場映画デビュー作『恋する男と彼の彼女』(75)も、その続編『僕は子持ち』(79)も、『マイライフ〜』の直前に監督した『幸せな僕たち』(83)も、全部ちゃんとDVD化されているのだから。 ところで、イングマル役を演じて天才子役と謳われたアントン・グランセウリスは、その後、どうなったか?前年に出演したTVドラマで発見され、イングマル役に大抜擢された彼だったが、映画俳優になる気は毛頭なかったらしく、天才子役の転落ルートは横目で回避し、今はスウェーデンのTV局、TV4のリアリティショーのプロデューサーとして活躍中とか。監督と同じく、これまたけっこうなことではないでしょうか!?■ ©1985 AB Svensk Filmindustri
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COLUMN/コラム2015.01.05
【未DVD化】ハル・アシュビー、人生をやり尽くした巨匠の最後の挽歌〜DVD未発売『800万の死にざま』
その原作を名手オリヴァー・ストーンらが脚色(『ゴッドファーザー』や『チャイナ・タウン』の脚本をフィニッシュしたロバート・タウンも、クレジットなしで脚本に参加している)、『夜の大捜査線』(1967年)『チャンス』(1979年)の名匠ハル・アシュビーが監督した劇場用映画の「最期の作品」となった。つまり、遺作になったわけだ。 ハル・アシュビーの遺作として記憶するのは、ローレンス・ブロックというクライムストーリーの名手が紡いだ物語にしては若干破綻のあるストーリーかもしれない。ロサンゼルスを舞台にしたハードボイルドな映画でいえば、『チャイナタウン』や『ロング・グッドバイ』ほど緊密な映像が続くわけではない。しかし、最後のミニケイブルカーの銃撃戦のシーンだけは、とても強く記憶に残っている。 アルコール中毒で警察を辞めた元刑事の主人公がジェフ・ブリッジスで、黄金の魂を持った高級娼婦役がロザンナ・アークエット、そして本作のヴィラン(悪役)となる麻薬の売人役がアンディ・ガルシア。ガルシアは、スプラッターホラーさながらで、末期の顔が笑わせる。 時は1980年代半ばであり、この3人のビジュアルはピークといえる。 J・ブリッジスは『カリブの熱い夜』(1984年)の後で、『タッカー』(1988年)の前。R・アークエットは『アフター・アワーズ』(1985年)の後で、『グラン・ブルー』(1988年)の前。A・ガルシアは『アンタッチャブル』(1987年)の前なのだ。 その後、ブリッジスはアル中もので『クレイジー・ハート』(2009年)などにも出ているが、枯れた男のアル中話より、男真っ盛りという感じの当時のたたずまいがいい。主人公スカダーと女性たちのやりとりにじんわりと来るものがあって、彼は誰よりも傷つきやすくて、アル中でグチャグチャになっていきながらも酒を断って禁酒する感じが、強いだけのハードボイルド・ヒーローと違って、とても親近感がある。彼は据え膳食わぬは男の恥ではないが、目の前に裸の女がいても、彼はけっして手を出さないのだ。それにブリッジスは何よりも、『恋のゆくえ/ファビュラス・ベイカー・ボーイズ』(1989年)や、『ファッシャー・キング』(1991年)や、『ビッグ・リボウスキ』(1998年)といった僕の「偏愛する映画」(どうしても嫌いになれない映画)に3本も主演しているのだ。 それに、ガルシアもブレイク寸前で、サイコキラースレスレのぶち切れキャラを演じている。これが、痛快だ。オリヴァー・ストーン脚本作品『スカーフェイス』(1983年)の後であり、あのトニー・モンタナの延長線上のような演技で、『ゴッドファーザー PARTIII』(1990年)のアル・パチーノの後継者は決まったようなもんである(笑)。 アークエットも化粧っけもなく、素顔に近い。元ダンサーで、娼婦をやっている自分の身の上話を主人公スカダーにとつとつと話す場面が、叙情的ですばらしい。彼女はかなりのファニーフェイスで、悪くいえば漫画のようなコケティッシュなアヒル顔をしている。このときの彼女の表情はあるときは素の少女であり、またあるときは無垢な女性そのもので、思わず感情移入してしまうのだ。さすが、ロックバンドTOTOのヴォーカル、スティーヴ・ボーカロに「ロザーナ」を歌わせるだけはある(ボーカロとアークエットの消滅した恋愛関係を歌ったものだと思われていたが、その後にただ単にコーラスに合う名前だと判明した)。ともかく、彼女の魅力を存分に味わえるわけだ。ちょっと胸が大きいのも、すばらしい。こんなにも胸に沁みる映画なのに、彼女がステキなのに、いまのところセルビデオでしか観る機会がないというのが、本当に残念で仕方がない。 1970年代のハル・アシュビーといえば、『真夜中の青春』(1971年)『ハロルドとモード』(1971年)『さらば冬のかもめ』(1973年)『シャンプー』(1975年)『ウディ・ガスリー/わが心のふるさと』(1976年)『帰郷』(1978年)『チャンス』(1979年)といった、とてもシニカルな傑作ばかりを連発した。 ヘリコプターの羽音で始まるジェームズ・ニュートン・ハワードの音楽も、全体に緊迫感(サスペンス)を植え付けて、最後のミニケイブルカーの場面まで、一気呵成に見せてすばらしかった。だが、「あれ、この急展開って何?」という脚本上の些細な綻びはあるけれど、その音楽のおかげで僕には、最後にはズシリと来た。いわば、感動がである。 そして何よりも、主役3人のキャラクターが立っていて、彼ら3人がビジュアル的にピークにあったことから、彼らのアンサンブルが絶妙であり、何ともいえぬエモーションをかきたててくれたのだ。ちょっとぬるいアクション映画に感じる部分は少々残念だが、ハル・アシュビーの遺作と呼ぶにふさわしい、記憶に残るいい作品に仕上がっている。何しろ観終わって30年近く経つのに、最後のミニケイブルカーでの銃撃戦はフィルムのひとかけらひとかけらを憶えており、けっして忘れていないのだ。これはすごいことだ。まさに人生をやり尽くした巨匠の、最後の挽歌といえるかもしれない。■ © 1986 PSO Presentations. All Rights Reserved.