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COLUMN/コラム2017.12.26
2月10日(土)公開。『ぼくの名前はズッキーニ』について。
ストップモーション・アニメとは静止した粘土、紙、布などで作られた被写体をヒトコマずつ動かしながら撮影し、それが連続的に動いているように映し出す技法である。映画草創期から培われてきたこの伝統的な特殊効果の技法は、『ジュラシック・パーク』以降の実写の劇映画においてはすっかりCGに取って代わられたが、今なおその独特のアナログな動きや質感を生かしたアニメ作品が作られ続けている。世界中で愛されている『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』『ウォレスとグルミット』『チェブラーシカ』などがこの分野の代表作で、『コララインとボタンの魔女 3D』のライカ・エンタテインメント製作による『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』が話題を呼んだことも記憶に新しい。『ファンタスティックMr.FOX』でストップモーション・アニメへの偏愛ぶりを示したウェス・アンダーソン監督が、日本の架空の街を舞台にした最新作『犬ヶ島』の公開(2018年春)も楽しみだ。 アカデミー賞長編アニメ賞にノミネートされ、セザール賞、ヨーロッパ映画賞ほか数々の賞に輝いた『ぼくの名前はズッキーニ』は、スイス出身のクロード・バラス監督がフランスとの合作で完成させた長編デビュー作だ。主人公は絵を描くのが得意で、屋根裏部屋に暮らしている9歳の少年イカール。片時もビール缶を手放さない母親から“ズッキーニ”という愛称を授かった彼は、母親の不慮の死の現場に居合わせた罪悪感を引きずったまま、孤児院のフォンテーヌ園に身を寄せることになる。そこにはアラブ系やアフリカ系を含む外見も性格もさまざまな5人の少年少女がいて、のちに魔女のように恐ろしい叔母さんのもとを逃れてきた女の子カミーユも転がり込んでくる。親による育児放棄や虐待の被害者である彼らはそれぞれ残酷な事情を抱えているが、優しい園長や先生たちのもとでのびのびと毎日を過ごしている。これはそんな新たな仲間たちと心を通わせ、初めての恋も経験するズッキーニの成長物語だ。 場面写真をご覧の通り、大きな頭、まん丸の目、色とりどりの髪の毛が際立つ本作のキャラクターは、アニメならではの可愛いデフォルメが施されている。彼らはパペットと呼ばれる人形だが、ストップモーション・アニメの魔法によって命を吹き込まれ、ささいな表情の変化や仕種から豊かな感情があふれ出す。例えば、パパから性的虐待を受けたトラウマを負っている少女アリスは、ブロンド(というか、ほとんど黄色の)長い前髪でいつも顔の半分を隠しており、滅多に言葉を発しない。気持ちがテンパってしまうとフォークでテーブルを叩く癖があり、いかにも神経過敏で危なっかしい。こうしたキャラクターの悲劇性をことさら強調せず、コミカルかつキュートに、それでいて切実に表現している点にバラス監督のセンスがうかがえよう。観ているこちらが特段気にかけずとも、ズッキーニ、カミーユ、シモン、アリス、アメッド、ジュジュブ、ベアトリスという全7人の子供たちの個性が自然と伝わってくる描写の確かさに感心させられる。 過去に“心のときめきを感じた映画”として、ヌーヴェルバーグの名作『大人は判ってくれない』を挙げるバラス監督のコメントが興味深い。「現代の映画の中では、児童養護施設は虐待の場であり、自由は外にあると描かれていることが多い。『ぼくの名前はズッキーニ』ではそのパターンを反転させて、虐待は外の世界で行われ、施設は治癒と再生の場になっています」。実際、本作にはズッキーニと仲間たちが先生に連れられてスキー場に繰り出すエピソードもあるが、ストーリーの大半は孤児院の中で展開していく。自分をいじめるかもしれない悪ガキやなぜか胸が高鳴ってしまう少女との出会いは、内気なズッキーニにとってはそれ自体がささやかな冒険だ。そうした9歳の少年の心の揺らめきを丹念にすくい取ろうとしたこの映画には、アニメらしい壮大なアドベンチャーも奇想天外なファンタジーもない。登場人物はハリウッドのCGアニメのようにセリフを早口でまくし立てることもなければ、派手にせわしなく動き回ることもない。いわばリアリティに根ざした現代のおとぎ話だ。キャラクターの感情と共鳴する光と影、静寂の間合いその繊細な演出に裏打ちされた切なくも愛おしい現代のおとぎ話 ストップモーション・アニメの素朴さには観る者を童心に返らせ、ピュアな感情を喚起する作用があり、日本のわびさびにも通じる詩的な情緒がある。また、パペットをミニチュアのセットに配置して撮影を行うストップモーション・アニメは、その意味において“実写”とも言えるわけで、照明という本物の“光”と物陰に生じる“影”のコントラストに現実感がある。バラス監督はこれらの特徴を積極的に演出に取り入れ、このうえなく繊細にして多様なニュアンスに富んだ映像世界を創出している。 例えば、劇中にはセリフや音楽が途絶えた静寂の瞬間がいくつもあり、シーンが替わる直前には登場人物が風景や部屋の中にぽつんと佇んでいるだけの引きのショットがしばしば挿入される。その宙ぶらりんな沈黙の間合いはズッキーニらの内面と共鳴し、この世で独りぼっちになったような寂しさ、どこにも居場所を見つけられない不安がさりげなく表現される。スキー場ではフォンテーヌ園の7人が仲睦まじい母子の触れ合いを目の当たりにして、もともと丸い目をいっそうキョトンとさせて立ち尽くすショットがあるが、そこでの無言の“キョトン”からは憧れや喪失といった複雑な感情が読み取れる。わずか60分余りの本編にそんな胸打たれる瞬間がいくつもちりばめられたこの映画は、まさしく“多くを語らず、豊かに伝える”演出のポリシーを貫き通し、友情と初恋、他者への思いやりといったポジティブなテーマを描き上げた作品なのだ。 とりわけ秀逸なのは、母親の突然死という最悪の不幸から出発し、新たな仲間との出会いによって希望を発見していくズッキーニの心の移ろいをお天気になぞらえた演出だ。この映画は太陽の手前に雲が浮かぶ“空”のショットで始まり、同じような“空”のショットで幕を閉じるが、最初と最後ではその見え方がまったく違う印象を受ける。晴れ、曇り、雨、雷という4段階で子供たちの喜怒哀楽を表現する、フォンテーヌ園の“今日の気分予報”なるユーモラスな掲示板にも注目されたし! そして『水の中のつぼみ』『トムボーイ』のセリーヌ・シアマ監督を脚本に迎えた本作は、大人に向けた良質な児童映画であり、時折ギョッとするセリフが盛り込まれている。なかでも「みんな同じさ。誰も愛されてないんだ」などとニヒルなことをつぶやく赤毛のシモンは、新入りのズッキーニに手荒い洗礼を浴びせるトラブルメーカーだが、実は彼こそズッキーニとカミーユの初恋物語の陰に隠れたもうひとりの主人公である。この憎まれ口を連発する悪ガキは、それなのになぜフォンテーヌ園の仲間に慕われ、ボスとして君臨しているのか。その理由はラスト直前に明らかにされる。この映画には幸せな結末が用意されているが、ありきたりなハッピーエンドではない。普段は光のあたらない場所にもそっと光をあて、喜びを慎ましく、悲しみを愛おしく見つめた、とびきり深い余韻を残すエンディングがそこにある。■ 『ぼくの名前はズッキーニ』 監督:クロード・バラス脚本:セリーヌ・シアマ原作:ジル・パリス「ぼくの名前はズッキーニ」(DU BOOKS刊) 原案:ジェルマーノ・ズッロ、クロード・バラス、モルガン・ナヴァロアニメーション監督:キム・ククレール 人形制作:グレゴリー・ボサール音楽:ソフィー・ハンガースイス・フランス/2016年/カラー/66分/ヴィスタサイズ/5.1ch/フランス語/原題:Ma vie de courgette/日本語字幕:寺尾次郎後援:スイス大使館、在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本配給:ビターズ・エンド、ミラクルヴォイス宣伝:ミラクルヴォイス 公式サイトはこちら©RITA PRODUCTIONS / BLUE SPIRIT PRODUCTIONS / GEBEKA FILMS / KNM / RTS SSR / FRANCE 3 CINEMA / RHONES-ALPES CINEMA / HELIUM FILMS / 2016
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COLUMN/コラム2017.10.29
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2017年11月】キャロル
『ワイルド・スピード』シリーズのポール・ウォーカーと、女優・企業家・3児の母としてスポットライトを浴び続けるジェシカ・アルバ共演の、もはや夏の定番ともいえる『イントゥ・ザ・ブルー』。今や“豪華”共演ともいえる夏休み感満載の映画を、秋真っ盛りの11月に放送します!(公開も秋だったモンネ)監督のジョン・ストックウェルは、『クリスティーン(1983)』で注目され、トム・クルーズと『トップガン(1986)』含め二度共演を果たすなど、もともとは俳優としてキャリアを積んでいた人物。やがて脚本家・監督としての才能も発揮し、サーフィン大会を目指す女子を描いた青春映画『ブルー・クラッシュ(2002)』でブレイク。本作『イントゥ・ザ・ブルー(2005)』を続けて大ヒットさせます。この2本のヒットでマリン系が得意なイメージが定着しました。そんなわけで本作は、海の底には莫大な財宝が眠っている・・・という海洋ロマンを描いたアクション・サスペンスです。が・・・!見どころは唯一、ジェシカ・アルバのプリップリボディにあり。と言い切っても良いかもしれません!!ジェシカは、ティーネイジャーの頃にテレビシリーズ『ダーク・エンジェル(2000)』で大ブレイク。30代の今もその輝きは衰えることなく、女優という職業を超え、ファッションアイコンとして、そして年商180億の企業家として、さらに3児の母として、ハリウッドセレブでありながら地に足の着いた等身大の姿が、世界中の女性たちから絶大な支持を得ています。パッチンパッチンにはじけるボディで一時期はセックスシンボルとも称されましたが、実は敬虔なカトリック教徒でも有名(後にセックスシンボルの扱いに”very uncomfortable”であったと告白している)。ピュアな信仰心が全身から滲み出ているからかどうなのか、はじけるボディの水着姿がもはや神々しいというかスピリチュアルというか、なぜかイヤらしくないという不思議!スキューバダイビングのライセンスも取得しているだけあって、泳ぎのシーンも美しい。是非堪能してください。さいごに、主演のポール・ウォーカー。『ワイルド・スピード』シリーズで一躍スダーダムを駆け上がった彼は、人気絶頂の時期に本作『イントゥ・ザ・ブルー』に出演。昨年11月30日、『ワイルド・スピード』第7作目の撮影期間中、チャリティイベントの帰路で交通事故に遭い、40歳という若さで惜しくもこの世を去りました。一回忌に合わせて、11月30日に、ザ・シネマでは主演作『イントゥ・ザ・ブルー』を放送します!どうぞお楽しみに。■ ©2005 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. AND COLUMBIA PICTURES INDUSTRIES, INC.. All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2017.10.26
『イン・アメリカ/三つの小さな願いごと』に出てくるアイルランド料理「コルキャノン」のレシピに挑む!!!
写真/studio louise 10月23日、選挙明けの月曜日。通勤時間帯に台風直撃につき会社を休んだため急遽時間ができましたので、ズル休みと言われたくないから仕事しよ。『イン・アメリカ/三つの小さな願いごと』に登場する「コルキャノン」というアイルランド料理を作ってみました。れっきとしたお仕事でしょ?ちょっと前回のプッタネスカからあまり間が空いてませんが連投ご容赦を。書くなら書くで少々急ぎたい理由がございまして。10月31日までにアップしないと時宜を逸する。 まず映画紹介から。幼い息子を亡くしたジョニーとサラの夫婦は心機一転、娘のクリスティとアリエル2人を連れてアイルランドからニューヨークに移住する。古アパートで新生活を始めるが貧しさに苦しみ、また息子の死の哀しみから抜け出せず、夫婦の間にはすれ違いが生じていた。それでも娘たちは、何もかも新鮮な毎日に幸せを見出していく。そんなある日、幼い娘たちはアパートの不気味な隣人マテオと知り合い、絆を深めていくが…。 監督のジム・シェリダン自身がダブリン出身のアイルランド人で、半自伝的な作品とのこと。39℃のうだるような夏にマンハッタンに越してきて、秋、冬、と、過ぎ行く季節の中で末っ子を失った傷を癒し再生していく家族の物語が綴られます。家族の閉じた関係への闖入者として、ご近所さんのアフリカ人(アフリカ系ではなく本物のアフリカ人)画家マテオが関わってくる。 演じるのはジャイモン・フンスー。恐モテですよね。本作でも、マンションのドアに「入って来るな!」とペンキで大書したり独り暮らしの自室で大声を発し意味不明なことを叫んだりと、超恐い。集合住宅でドアに怪文書みたいなの貼ってたり支離滅裂なことわめき散らしてる隣人がいる、って、それは超恐い!そして、よくある話だ!! けど知り合ってみると意外と良い奴だとわかり、食事に招待するのですが、それはちょっと緊張感をともないます。その日はハロウィンです。日本人にも今やすっかりお馴染み「トリック・オア・トリート!」で娘たちがマテオのドアをノックしてしまい、それキッカケでそういう成り行きになったのです。 そのハロウィンの食卓でふるまわれるのが、「コルキャノン」という料理。ちょっと、見た目がベチャベチャしててあまり美味そうには見えなかったなぁ、この映画を初見で見た時には。マテオも引きます。「こりゃ何だ!?」と。 小さい方の女の子が「コルキャノン」と教え、お姉ちゃんが「ジャガ芋とキャベツよ」と説明する。ただ、英語のセリフだと、It's potatoes mixed with curly kale. と言っていて、具材が違う!キャベツなのかケールなのかどっちなんだ!と思いますが、気になってレシピをあれこれ調べてみますと、どっちも正解。どっちも使う(またはどっちか一方でもいい)とわかりました。 で、この映画を最初に見てすぐに気になって作って食べたのですが、一言で言うと、マッシュポテトにケールかキャベツか両方かは知りませんが緑の野菜がただ入っただけのもの、です!別にベチャベチャはしていません。 監督はあまり食い物を撮ることに関心がないのかな?食い物のシーンでは作家性が出ますな。当企画でも、『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』は“飯テロ”なんて言われるぐらいに超美味そうに撮ってましたが、『レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語』は皿をほぼ映しもしませんでしたしね。まったく食に関心がない監督なのでしょう。本作は、関心がないのか、それとも意図的にマテオ視点で“付き合いのないご家庭にお呼ばれして得体の知れない食い物を出された”という緊張感を演出したいのか断定できませんが、少なくとも美味そうには撮ってない。 でも、実際に食べると、地味に美味かったですよ。全然なにかの付け合せとしては“有り”です。ただ、とにかくマッシュポテトに毛の生えたようなものなので、これだけをワン&オンリーなメインディッシュとして食べることは不可能だと、最初に作った時に思い知りました。飽きる!これはあくまで付け合せです。 ということで学習しました!今回は簡単な肉料理もついでに作ってみました。そちらは映画には出てこないので詳しく書きませんが、別に何でもいいと思います!よく見ると劇中でも肉らしい一皿が別にありますな。とにかく、コルキャノン1品だけってのはオススメできません。 さてと、前置きはこれくらいにして早速いってみましょう!本場アイルランドではハロウィンの定番メニューというこのコルキャノン。作るとしたら今ですよ!? 【材料(2人分)】 ・キャベツ×半玉 ※外葉3枚は肉料理に流用 ・牛乳×250ml ※肉料理にも使う ・バター×適量 ・リーク×1本(無ければ長ネギで代用) ・生クリーム×1パックの半分 ※残り半分は肉料理に流用 ・ケール×数枚 ・男爵いも2個×人数分 【作り方】 ① 鍋にジャガイモを入れ水をヒタヒタに。沸騰させ、ほとんど水が蒸発し残り1~2cmになるまで沸かし続ける。これは時間がかかるので、②、③の作業を進めておく。 ② キャベツ半玉、では多すぎるので外葉3枚ほどはむしって取っておき、残った中心部を適当な大きさに切る(軸は捨てる)。ケールも適当な大きさに切る。フライパンでしんなりするまで熱を入れ(油は不要。焦げそうなら水を少量足して)、しんなりしてきたらリーク(長ネギ)小口切りを最後に投入し、ラスト2分ほど加熱。最初からネギを入れて加熱するとネギっ臭さが飛んで風味が失われてしまうため。 ③ フライパンの中身②をフードプロセッサーにかける。 ④ ジャガイモが茹で上がったら鍋から出し、いったん鍋を空にし水を切り、ポテトマッシャーでマッシュポテト状にしたものを再び鍋へ。最後に加熱し、ベチョベチョになりすぎないよう水気を飛ばす。 ⑤ ④の上に③、その上にバター、塩、コショウすべてお好みの量を。 ⑥ 生クリーム半パック、牛乳1/2パックのさらに半分(250ml)を注ぎ入れ、バターが溶けるまで加熱しながら混ぜる。ボソボソすぎる場合はさらに若干の牛乳を追加して滑らかに整える。 完成!ただ、これだけだと飽きるということで、今回はプラスもう1品。「ベーコン&キャベツ」という、これまたアイルランドの伝統料理もあわせてご紹介。ただしこちらは映画に登場しないので、レシピも一言で短く済ませる。ブロックベーコン1本を香味野菜(タマネギ×1個、ニンジン×1本、セロリ×1本、ローリエの葉1枚)と一緒の鍋に入れ、水をヒタヒタにして30分煮込む。途中で前述の②で残ったキャベツの外葉3枚も入れ、クッタリしたら引き上げ水気を切り大皿に敷き詰める(キャベツは煮込みすぎ禁物。とろろ昆布みたいに解けちゃうので)。30分たったらブロックベーコンを引き上げ冷めるまで待ち、冷めたら極力薄くスライスし、大皿の上のキャベツの上に並べる。香味野菜は香り付けなので、捨てるの勿体無かったら自由なスープの具にでもして食べちゃってOK。一言じゃムリだった!二言で。ソースも作る。ソースパンで⑥で残った生クリーム半分を加熱し塩コショウ。フードプロセッサーでみじん切りにしたパセリも投入し、パセリソースを作る。ドロドロ状に煮込むがドロドロになりすぎた場合は⑥の牛乳の残りで薄めて、程よい状態に整えたら、大皿の上のキャベツの上にかけ流す。以上! 【実食】 いや~、素朴でうまいっすねー!いろどりも緑で、緑ってのはアイルランドのシンボル・カラーなのです。あと、ジャガイモはアイルランドの名物食材で、ヨーロッパで日本人好みの男爵イモ系ホクホク食感のジャガイモを好むのはアイルランド人だけだと言われております。アイルランド料理のいいところは、素朴な味わいにありますね。ニンニクもあまり使わないぐらいで塩味ベースで。ただ、コルキャノンだけでは飽きるので(本来は付け合せですからね)、ガッツリ肉も必要です。今回はベーコン&キャベツで。ご飯とおかずみたくコンビで食します。 あと言うまでも無く、こりゃギネスが合う味ですな!当然、それを食べる用に土地の酒というのは発達してきましたから、合わないワケがない!超イメージだけで言いますと、ホッコリ素朴なアイルランド料理は、冬こそ似合う。映画と無関係なので紹介しませんが、ダブリン・コドルとか、あと、もしマトン肉が売ってたらアイリッシュ・シチューというそのものズバリな名前の料理とかを作ってみるのもオススメします。特に冬場には!この2つはジャガイモをゴロゴロ使ったアイルランド版の鍋物ですが、煮込めば部屋ごと温まる、これからの季節にぴったりのメニューです。 [余談ながら] ハロウィンはもともとアイルランドの風習だったのです。これについては、アイルランドのアニメ『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』で監督インタビューした際、ガッツリ監督と語り合ったことがありますので、そのリンクも載せておきましょう。ハロウィンとは何ぞや!? この機会にお読みいただければ幸い。 © 2003 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2016.07.29
『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』公開~「このへんなようせいさんたちは、まだアイルランドにいるのです。たぶん。」~監督インタビューで迫る、「どうして“ポスト・ジブリ”と評されているのか!?」の謎
『オブ・ザ・シー 海のうた』は、日本ではまだあまり知られてはいないアイルランドのアニメーション監督の第2作だ。劇場長編デビュー作である前作は日本未公開。それでもこの監督とその最新作には、今回、日本人なら誰もが注目しておかなければならない。理由は、監督トム・ムーアと彼が創設したアニメ制作会社カートゥーン・サルーンが“ポスト・スタジオジブリ”と評されているからだ。その評判が本物だということは、2作しかない監督作がどちらもアカデミー長編アニメ映画賞にノミネートされていることで証明できる。 宮崎駿は引退した。一方のハリウッド勢、ピクサー&ディズニー、対するドリームワークスのアニメはここ十何年間か、実写も及ばないような映画の質的高みに昇りつめており、ユニバーサルもソニーも負けておらず、1作ごとに驚かされ泣かされている。だがいずれも宮さんが抜けた穴を埋めるような活躍ではない。たしかに素晴らしい傑作が矢継ぎ早に送り出されてはいるが、宮崎アニメの魅力は、それとは全く別のものだったからだ。 だがついに、ポスト宮崎駿が西の果てアイルランドから出現したというのである。それほどの監督のデビュー作が未公開で、2作目にしてようやく、字幕だけでなく吹き替えでも公開されると決まったというのだから、これは観ないわけにはいかない! 監督にインタビューするチャンスを得て、この機会に一日本人観客として迫りたかったのは、「何がどう“ポスト・ジブリ”なのか!?」という点だ。だが、そのインタビューに入る前に、まず今作『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』のあらすじを紹介しておこう。 【ストーリー】海辺の灯台の家で、幼いベンはお父さんお母さんと暮らしていました。ベンは大好きなお母さんから「あなたは世界一のお兄ちゃんになるわ」と褒められて、赤ちゃんが産まれてくるその日を楽しみにしていました。優しくて物知りなお母さんはベンにたくさんのお話や歌を教えてくれます。巨人のマクリルと愛犬の物語や、アザラシの妖精セルキーが歌うと妖精が家に戻れる不思議な伝説、古い言葉で綴られる美しい歌など……。 ある晩、ベンはお母さんに海の歌が聞こえる貝の笛をもらいました。うれしくて、笛を大事に抱いて眠りについたのでしたが、目を覚ますとお母さんの姿がありません! お母さんは赤ちゃんを残して、海へ消えたのです。それから今も、ベンとお父さんの心は傷ついたまま。お母さんがいなくなったのは妹・シアーシャのせいだと思っているベンは、ついつい彼女に意地悪をしてしまうのでした。 6年がすぎて、今日はお母さんの命日でもある、シアーシャの誕生日。町からお祝いにやってきたおばあちゃんは、いまだに喋らない彼女が心配でたまらないようです。その夜、シアーシャは美しく不思議な光に導かれ、お父さんが隠していたセルキーのコートを見つけ、海へ入ってしまいました。悲劇の再来を恐れたお父さんはコートを海へ投げ捨ててしまい、おばあちゃんは嫌がる兄妹を町へ連れて行くのでした。町はハロウィンでお祭り騒ぎ。居心地の悪いおばあちゃんの家から抜け出した兄妹は、愛犬クーとお父さんが待つ家へ向かいます。そんなふたりの後を妖精・ディーナシーの3人組が追いかけます。彼らはシアーシャがセルキーだと気づき、フクロウ魔女のマカとその手下のフクロウたちのせいで石にされた妖精を元通りにしてほしいと頼んできたのです。その時、4羽のフクロウがシアーシャに襲いかかり、ディーナシーたちの感情を吸い取って石に変えてしまいました。その場は逃げ切ったふたりでしたが、ベンが目を離した隙にシアーシャがいなくなってしまいました。妹を探すうちにベンは語り部の精霊・シャナキーから、マカの歪んだ愛情が妖精の国と妹の命を消しつつあると教えられます。マカの魔力に勝てるのはセルキーの歌だけ。それもハロウィンの夜が明けるまでに歌わないと、すべてが消えるというのです。ベンは、妹と妖精たちを救えるのでしょうか!? 今作『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』、映像がとにかく美しい。絵本が動いているような絵は、写実的なジブリというよりむしろ、デフォルメされた可愛いキャラデザととことんデザイン化された美術から、『まんが日本昔ばなし』とつい世代的にはたとえたくなってしまう。ケルト音楽バンドのKiLAによる音楽が、この絵本調の映像世界をよりいっそうフォークロリックに引き立てる。 「ジブリっぽい」というのは、そうした見た目上の表面的な部分ではなく、もっと深い、作品の魂の部分をさして言っているように個人的には感じられたが、そのことにはおいおい触れるとして、まずは監督に直接お礼を伝えたい。 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 聞手:本当に美しかったです!ありがとうございました。映画を観てこんなに「きれい!」と思えたのは何年かぶりです。今回、今作『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』と、デビュー作『ブレンダンとケルズの秘密』も拝見しましたが、有名な絵画へのオマージュを幾つか発見したような気がしています。パウル・クレーとかクリムトとか。当たっていますか? 監督:全くその通り!当たってます。 聞手:クリムトっぽいと感じたのは、今作『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』にも前作にも美術の中に多用されている、渦巻き模様を見た時です。渦巻きのクルクルっと蔓が伸びるような動きを見ていてそう感じたのですが、あそこまで渦巻きにこだわって、繰り返し何度も何度も描いているのは、いったいどういう理由からなのでしょう? 監督:渦巻きや螺旋、それに幾つか重ねた円。それらはケルト人に先立つ太古の時代のピクト人*01たちが遺した装飾なのです。ピクト文化というのは、アイルランドやスコットランドに大昔あった石の文化ですね。 私の映画ではイメージ作りのため、そうした古代のデザインを取り入れています。大昔の文化と現代の芸術をつなぐということは、この映画で達成しようとしている試みにとって大変に重要でして、劇中、神話や民話のキャラクターと人間のキャラクター、2人の異なるキャラクターを、そっくりの顔に描いたり声優にも1人2役やってもらっていたり、リンクさせているのですが、それも同じ狙いからです。 この映画は、古い民話の中に私たちの芸術を見出すことはできるか?私たちの真実を民話の中に見つけることはできるか?そこにチャレンジしようとしています。古い民話を現代の観客のために描き直す、解釈し直す、ということに挑みたかったのです。 *01…今のイギリスのスコットランド辺りにいた先住民族。アイルランド人やスコットランド人、ウェールズ人の祖でもあるケルト民族の一派ともされるが、言語系統が不明で、ケルト系ではない可能性もあり、謎が多い。 そういうわけで、ピクト人が遺した様々なイメージ、石に刻まれた模様などを、アートディレクターのエイドリアン・ミリガウに見せた時です。彼が「これはパウル・クレーやカンディンスキーだ!」と言った。それらの現代美術も古代のデザインから引用していたんですね。 聞手:古代のデザインを現代美術の巨匠たちが引用し、その絵画と、そもそもの古代のデザインを、あなたは作品にさらに引用して、古代と現代をつなげる、ということを試みているわけですね。しかし、なぜ古代と現代をつなぐことがあなたにとってそこまで重要なのですか? 監督:アイルランドでは95年から07年まで「ケルトの虎」と呼ばれる高度成長期があったのですが、その時に不安を覚えたからです。昔ながらの風景を残さず、その上に舗装道路を作ろうとしたりショッピングモールを建てようとしたり。社会の表層、上の層が塗り変えられていくのと同時に、その下の層にある、いにしえの文化までもが忘れ去られようとしている。そのことに危機感を募らせたのです。 聞手:東京も同じですね。日本で高度成長というと戦後の1960年代だったのですが、我々日本人は、監督の仰る“下のレイヤー”まで東京をメチャクチャに掘り返してしまって、もう原状回復はとても無理そうです。江戸の町を思わせる遺構も文化も今ではほとんど残っておらず、残念でなりません。ダブリンはどうでしょう?原状回復できそうですか?もう手遅れですか? 監督:私は、ダブリンの中心街のどこにでも、古い時代の遺跡やその名残りみたいなものが今でも残っていると感じますね。ところで、自分はとてもラッキーだったと思っているのですが、私はキャリアの中で2つの時代を経験しているんですよ。お金はいっぱいあるけれども価値観がなかなか思う方向に行かない時代と、あまり経済は良くないけれども、その中でも芸術を大事にしていこうという時代です。まず、スタジオを99年に設立したので、当時は好景気でしたから政府の助成を受けながら映画作りを始めることができました。 やがて08年にバブルが崩壊すると、今度は、経済が危機的状況でも芸術は大切なのか?という課題に取り組むことになったのです。「ケルトの虎」が崩壊したこの経済危機の時にアイルランドが直面したのは、物質文明から脱却するにはどうしたらいいのか、という大きな課題でした。この時に人々の考え方は大きく変わりましたね。失いかけていたものを思い出し、それを大切にしようと考えるようになった。幸か不幸かアイルランドの経済成長期は先進国の中でも遅くやってきた方なので、古いライフスタイルを守っていったり蘇らせたりできる選択肢が、その時点でも私たちには残されていたのです。 しかし、一方で私は、古くからの文化というものは消そうと思ったってそう簡単に消え去るものではないとも思っていますが。私たちの世界観の中にあまりにも深く、物の見方として根付いてしまっているからです。例えば音楽ですね。 聞手:今作『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』の音楽を担当しているKiLAのケルティッシュ・サウンドがまさにそれですね。日本では何年か前に「トイレの神様」という曲が流行ったのですが、おばあちゃんの訓えで「トイレには神様がいるからいつも清潔にしておきなさい」といった歌でした。日本には八百万の神がいると言われています。トイレにまでいる。田舎に行くと道路脇に『千と千尋の神隠し』の冒頭に出てきたような石の祠や道祖神が、今でもそこらじゅうに建っています。宗教として信仰しているというほどのことはなくても、たとえばその祠を蹴り倒したりするのは、とても罪悪感を覚える、バチが当たったって不思議はない、と、ちょっと畏怖する程度には今でも誰もが信じています。 アイルランドではどうなのでしょう?今作『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』も民話の妖精たちがたくさん出てくる物語ですし、日本でも“妖精の国アイルランド”といったイメージを、貴国や欧米文化に少し詳しい人ならば抱いていますけれども、そうしたイメージ通りなのでしょうか? 監督:私の祖母の世代はトゥアハ・デ・ダナーン(Tuatha Dé Danann)*02やディーナ・シー(daoine sídhe)*03の存在を本気で信じていましたね。カトリックを信じるのと同時に妖精の存在も100%信じていて、教会に行くかたわら妖精にもお供え物をしていた。その信仰はアニミズム*04的な色合いが濃くて、自然や大地への尊敬、あるいは畏怖というものを祖母たちは持っていました。 *02…アイルランド・ケルト神話に出てくる神族。現在アイルランドに暮らす人間のケルト民族との戦いに敗れたこの神々は、塚の奥底深くや海の彼方へと逃れ隠れて暮らすようになり、キリスト教が伝来してからは体も小さく縮んで妖精(sídhe)に落魄してしまった。*03…02の神々のなれのはての妖精(sídhe)のこと。今作『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』にも、主人公兄妹を不思議な冒険に導くキーキャラクターとして、3人の老ディーナ・シーが登場する。*04…「精霊信仰」のこと。原始宗教の特徴とされる。例えば日本の“山の神”、“川の神”、“滝や奇岩を御神体として拝む”、“古道具に魂が宿る”といった信仰は典型的なアニミズム。 今、アイルランドもまるでアメリカの一角みたいな風景に変わりつつある中で、祖母たちのような時代は永遠に過ぎ去ろうとしている。ですが、例えば先ほどあなたが言っていた流行歌とか、そういった形でもいいので、新しい信仰の形、文字通りの信仰ではないし呪術的なものでもないけれど、そうした新しい信仰のあり方を通して、アニミズムへの思いや“何かを尊重する”ということを、現代の世代は受け入れ、引き継いでいけるのではないかと考えています。 アイルランドにエディ・レニハンという現代のシャナキー(Seanchaí)*05がいるのですが、彼が「フェアリー・ツリー」と呼ばれている1本の樹を守る運動をしていたことがありました。自分の体を樹にくくりつけ、樹を倒して道路を作ろうとしている人たちに抵抗したのです。その運動のおかげで樹は倒されず道路が樹の周りを二手に迂回して作られることになったのですが、ある時私は彼に「その樹が本当に妖精の樹だと信じていたのか?」と聞いてみたことがあるんです。すると「いや、そうは言わない。だが私にこの樹の言い伝えを聞かせてくれた人は確かにそう信じていた。樹を守る理由としてはそれで十分じゃないか」と言うのです。妖精を信じる/信じないではなく“何かを尊重する”という態度の問題なのだと私は考えています。 *05…アイルランド・ケルト人の語り部のこと。古代、ケルト人は氏族の歴史と掟を明文化せず、それらを語り部の暗唱に頼った。したがってシャナキーは氏族社会において尊敬された。現代においてはアイルランドの口承文学・伝統芸能とみなされている。 聞手:私事で恐縮ですが、うちの近所に敷地が凹型の家がありまして、へこんだところには『となりのトトロ』に出てくるような大樹が生えており、おそらく御神木か何かで切れなかったんだろうと思うのです。貴国と日本は考え方が似ていますね。今作『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』に出てくるセルキーの伝説も、もともとは、アザラシは毛皮を脱ぐと中身が美女で、毛皮を人間の男に隠され結婚させられるが、何年かして毛皮を見つけ出してアザラシに戻り、子供を残して海へと帰ってしまうという話だと本で読みました。これも、日本の天女の羽衣伝説にあまりにもソックリで、ビックリしています。ところで、今作『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』で主人公兄妹を引き取って都会に連れて行く、ちょっと偏屈そうなおばあちゃん。家中にキリストの聖画とか十字架とかを掛けていましたが、あのキャラクターだけとても宗教色強く描いている意図は? 監督:特にそういう意図では描いていません。むしろ、カトリックがアイルランド中で広く信仰されていると描こうとしていますよ。例えば、子供たちがバス停でバスに乗り込むシーンでは、あれは停留所が教会の前だったでしょう。そしてバスを降りたところから歩くと聖なる泉にたどり着きますが、そこの祠にはマリア様の像がたくさん飾られている。歴史的には聖母信仰やキリスト教は、その前のアニミズムの様々な女神たちの信仰に覆いかぶさるようにして信じられていったのです。この映画の中でも、聖なる泉の祠のシーンでは、入るとすぐにキリスト教の文化があって、そこから先、奥へ奥へ、地下へと降りていくと、深い所は偶像崇拝の異教的な世界が広がっており、そこを主人公は進んでいくことになるわけです。 聞手:2つの宗教や異文化が混ざり合う「シンクレティズム」ですね。日本でも、例の八百万の神というのを信じるアニミズム的な土着の神道と、外来の仏教という2つの宗教があって、その2つは歴史的に「神仏習合」とか「本地垂迹」とかいった混淆現象をよく起こしています。 監督:面白いですねえ。ちなみにアイルランドには聖人崇拝があります。全員キリスト教の聖人ということになってはいますが、もともとはケルトの神々だったのです。昔の神の性格を引き継ぎながらも、キリスト教の聖人として新たにフィクションとして作られたのではないかと私は考えています。あと、アイルランドと言えばセント・パトリックス・デーが有名でしょう?シンボルマークが三ッ葉のクローバーで、それはキリスト教の三位一体に由来すると一般的には信じられていますが、もっともっと古い時代の名残りではないかという説もあるのです。聖パトリック*06以前から、先史時代から、アイルランドには三位一体信仰があって、3人の女神を信仰していたとも言われているのです。私の考えでは、ある宗教が入ってきて何かを乗っ取ってしまうのではなく、土着の信仰と融合して現地化していく信仰のあり方が一番うまくいくと思います。 *06…アイルランドにキリスト教を布教したとされる聖人。その命日がセント・パトリックス・デーで、本国のみならずアメリカなどでもアイルランド系移民(および全然関係のない異民族異人種)によって祝われ、映画の中でもしばしば描かれる。 聞手:今作『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』で物語のメインとなるのはハロウィンの1日ですが、ハロウィンも、土着の古代ケルトの祭りが後に外来のキリスト教と混じり合ったシンクレティズムの顕著な例ですね。 監督:その通りです。ハロウィンはケルトの言葉では「サウィン(Samhain)」と呼ばれていましたが、ケルト暦では1年間でもっとも重要な日だとされていました。現実世界とそうでない世界、この2つの世界を隔てる壁がとても薄くなる日です。ディーナ・シーたちがそのままの姿で歩き回っても怪しまれない日なんてハロウィンだけです。ヒントを得たのは『E.T.』です。ほら、思い出してみてください、あの映画でも子供たちがETを連れて外に出るのはハロウィンだったでしょう?あと個人的な話ですが、忘れもしない87年の出来事で、当時私は10歳でしたけれど、ハロウィンの晩に大嵐が来たことがあって、私と妹はとても怖がったのですが、そんな時、母が「この風はシェイダン・シー(séideán-sídhe)という、妖精が家に帰る時に吹く風なんだよ」と教えてくれました。あのシーンは『E.T.』だけでなくそんな子供時代の思い出からも着想を得ているんです。今作のクライマックスには、主人公たちが家に無事たどり着けるように先導してくれる2頭の犬の精霊が出てきますが、あの犬は風が形をとっているという設定です。なので、駆け抜けていくところを、つむじ風として表現していて、民家の戸板を吹き飛ばしたりする。風とハロウィンが結びついているのは、極めて個人的な私自身の思い出から来ているんですよ」 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 今作『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』(と前作)を見て、インタビューも終えた今、大いなる疑問であった、この監督と彼の制作会社の「何がどう“ポスト・ジブリ”なのか!?」が解ったような気がする。 ジブリ、というか宮崎駿は、主に『となりのトトロ』、『もののけ姫』、『千と千尋の神隠し』の3作品で、埼玉の鎮守の杜にそびえるクスノキの大樹や、粗大ゴミが不法投棄される川に今も神はいて、さかのぼって(と言ってもたかだか500年ほど前の)戦国時代の深い森には荒ぶる神々がおり、森を切り開く人間どもと生存競争をくりひろげていた、ということを描き、20世紀を生きていた当時の我々に見せつけた。そうやって日本のあまねく一般大衆に、日本はアニミズム息づく神の国なのだという事実を再発見させたのである。この世ならざる巨木や奇岩の前に立つ時、条件反射的かつ生理的に畏怖の念を覚え、それに神性すら認めてしまう我々としては、大いに納得がいったものだった。あの感覚を実感として生々しく感じた覚えのある我々日本人の前に、宮崎アニメは民俗学的説得力、宗教社会学的リアリティをもって提示され、この国には、目にはさやかに見えねども、八百万の神がいるのだと、あらためて信じさせてくれたのである。「このへんないきものは、まだ日本にいるのです。たぶん。」とはよく言ったものだ。だがいつか、マックロクロスケことススワタリのように(彼らもまた言うまでもなく神様だ)居づらくなったからとコッソリ出て行かれたりしないよう、我々日本人はこれからも、トトロ神やニギハヤミコハクヌシにお供え物を絶やさず、その神域をいつも清め(トイレの神様にそうするように)、お祀りしなければならないのである。 続いては、世界がニッポンを再発見する番だった。一方で仏教といういわゆる“高等”宗教(または普遍宗教)を持ちながら、あわせて、このような古代からの宗教観(いわゆる“原始”宗教または民族宗教)も持っている日本人。それが、その精神構造のままで、当時世界第2位の経済大国にまで昇りおおせている。最先端のテクノロジーを使い倒している。その現実の、途方とてつもないギャップたるや!ファミコンを作り『AKIRA』を作り半導体を作り低燃費高性能な自動車を作りながら、同時に、クスノキの神や川の神を信じてもいる日本民族。宮崎アニメは世界にその超絶ギャップも再発見させ、激しくギャップ萌えさせたのだった。なんと摩訶不思議な民族なのだろう、日本人という連中は! トム・ムーア監督とカートゥーン・サルーン社の作品を観ると、あの当時と同じ発見がある、驚きが蘇る、ということなのだろう。確かに“ポスト・スタジオジブリ”である。ジブリに、とりわけ宮崎アニメに、なかんずく『トトロ』、『もののけ』、『千と千尋』の3本の偉大さに、極めて近いところまで迫っている、と強く感じさせる魅力がある。 カトリックという普遍宗教を奉じながら、太古の神々のなれのはてである妖精たちの存在を今なお心のどこかで信じているアイルランドの人々。そんな精神風土の過去と現在をつないで作品に描くアニメ作家の出現に、世界は再び驚嘆し、映画的な幸福をかみしめながら次作を待望している。「ヨーロッパ文明の一角に、しかも西欧圏に、原始アニミズムを信じる民族がいた!」 かつてイエイツらによるケルト復興運動によって19世紀に一度は再発見されたその魅力も、リバイバルから百年以上が経過して推進力が落ちつつあった。いま三たび、世界は不思議の国アイルランドを驚きをもって発見したのである。 その驚きと、豊かで自由なアイルランドの精神風土への憧れが、2本しかないトム・ムーア監督の作品にどちらも、アカデミー長編アニメ映画賞ノミネートという高い評価を与えさせたのだろうう。彼の映画を観る時間、観客は、どこの国のなに人であったとしても、赤毛にそばかすのアイルランドの子供になるという疑似体験ができる。現地を旅したってせいぜい旅人気分しか味わえない。その文化の“中の人”だけが本来有している民族の目を持てる、というこのことは、すぐれて映画的な体験だ。まさに宮崎アニメがそうだったように。 であるのだから、03年に宮崎駿の『千と千尋の神隠し』がそうなったように、トム・ムーア監督作品もアカデミー賞受賞の栄誉に輝く日が、遠からず来るのではないかと感じる。■ 監督:トム・ムーア 出演:デヴィッド・ロウル、ブレンダン・グリーソン、リサ・ハニガン、ルーシー・オコンネル 脚本:ウィル・コリンズアートディレクター&プロダクションデザイン:エイドリアン・ミリガウ音楽:ブリュノ・クレ、KiLA 2014年/93分/アイルランド・ルクセンブルク・ベルギー・フランス・デンマーク合作/カラー/ビスタサイズ/DCP/5.1ch/原題:SONG OF THE SEA /日本語字幕:山内直子・高崎文子 ©Cartoon Saloon, Melusine Productions, The Big Farm, Superprod, Nørlum 提供:チャイルド・フィルム、ミラクルヴォイス、ミッドシップ配給:チャイルド・フィルム、ミラクルヴォイス宣伝:ミラクルヴォイス 後援:アイルランド大使館 2016年8月20日(土)、YEBISU GARDEN CINEMA他全国公開!http://songofthesea.jp/
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COLUMN/コラム2015.10.30
バチェロレッテ -あの子が結婚するなんて!
ニューヨーク。リッチで美人のレーガンはある日、高校時代の同級生ベッキーから衝撃的な告白を受ける。「あたしプロポーズされたの!」 高校時代は学園の女王として君臨していた自分が、ボーイフレンドから結婚の話が一向に出てこなくてイライラしているというのに、なんでデブでブタ顔の彼女が先に結婚するの? 激しい動揺と傷ついたプライドを隠しながら、ベッキーのブライズメイズ(花嫁介添人)の代表として式の準備を進めるレーガンのもとに、かつての女王グループ仲間であるジェナとケイティが駆けつけた。 過去の栄光とうってかわって今では冴えない毎日を送る彼女たちは、結婚式前夜のバチェロレッテ・パーティー(独身さよならパーティ)で鬱憤が爆発。調子に乗りすぎてベッキーのウェディングドレスをビリビリに破ってしまう。はたしてレーガンたちは朝までにドレスを修理することが出来るのだろうか? 試練と狂乱の一夜が始まった! 『バチェロレッテ -あの子が結婚するなんて!』は女子の、女子による、女子のためのブラック・コメディである。原作である戯曲を書いたのは女性劇作家のレスリー・ヘッドランド。1981年生まれの彼女はティッシュ・スクール(ニューヨーク大学の芸術科)卒業後にワインスタイン・カンパニーの総帥ハーヴェイ・ワインスタインのアシスタントをしながら、キリスト教の「七つの大罪」をモチーフにしたコメディ戯曲を次々とオフ・ブロードウェイで上演。『バチェロレッテ』は「暴食」をモチーフにしたシリーズの一編だったが、コメディ界のスーパースター、ウィル・フェレルと彼の相棒の映画監督アダム・マッケイの目にとまって映画化が決定。ふたりのプロデュースのもと、ヘッドランドはいきなり映画監督兼脚本家としてデビューすることになったのだった。 セックス、ドラッグ何でもありのギャグと、プライドとトラウマが交錯するダイアローグの面白さは、さすがフェレルとマッケイが認めたクオリティ。かつ女子にしか書けない細やかさに満ちている。初演出でありながらカット割りが上手いことにも驚かされる。観客に見せるべきものが何なのかを本能的に掴んでいるのだろう。ヘッドランドは、今夏にやはりフェレルとマッケイのプロデュースで、ジェイソン・セダイキスとアリソン・ブリーが主演した監督第二作『Sleeping with Other People』の公開が決まっており、その活動には今後も要チェックだ。 舞台版では自ら出演もしていたヘッドランドだが、『バチェロレッテ』の映画化に際しては同世代の女優たちに演技を委ねている。そのキャスティングが絶妙だ。 まずメイン・キャラであるレーガンを演じているのはキルスティン・ダンスト。彼女の出演が決まった時点で、本作の成功は約束されたといっていい。というのも、キルスティンは、ティーンムービーに出演していた十代の頃、学園女王役を当たり役にしていたからだ。 ざっと思い出してみるだけでも、ジョー・ダンテのカルト作『スモール・ソルジャーズ』(99)、ウォーターゲート事件の裏側を描いた『キルスティン・ダンストの大統領に気をつけろ!』(99)、ソフィア・コッポラの長編デビュー作『ヴァージン・スーサイズ』(99)、そして大ヒットしたチアリーディング・スポ根モノ『チアーズ!』(00)といった作品で彼女は学園女王を演じている。サム・ライミが監督した『スパイダーマン』三部作(02?07)で彼女が主人公のピーターにとって憧れの存在であるメアリー・ジェーンを演じていたのは、すでに学園女王のパブリック・イメージを得ていたからだ。 こうした作品でキルスティンが扮していた学園女王は、オタクやボンクラにも優しい女神のような性格だったけど、『バチェロレッテ』の彼女は正反対。あんなスウィートだった子がアラサーになったら、ささくれだった性格の女子に変貌してしまっているのだから、キルスティンを昔から知る観客はそのギャップに笑うしかない。そして笑うと同時に、時間の残酷な経過を否応なしに確認させられるのだ。こんな役を敢えて受けて立ったキルスティンの度量の大きさには拍手するしかない。 三人の中では一番普通人に近いジェナを演じているのがリジー・キャプランという配役にもうなずいてしまう。ジェームズ・フランコ、セス・ローゲン、ジェイソン・シーゲルといった未来のスター俳優を輩出した伝説的なテレビ学園ドラマ『フリークス学園』(99?00)でデビューを飾った彼女が初めて注目されたのは、やはり学園コメディの『ミーン・ガールズ』(04)だった。 そこでのリジーは、リンジー・ローハン扮する主人公の友人役で登場。アフリカから転校してきた何も知らないリンジーに学園女王軍団(演じているのは当時全く無名だったレイチェル・マクアダムスとアマンダ・セイフライド!)の打倒を吹き込むクセモノを快演していた。 その後、『クローバーフィールド/HAKAISHA』(08)や『トゥルーブラッド』(08)といった作品に出演した彼女は本作をステップに、実在した性科学のパイオニアたちを描いた実録ドラマ『Masters of Sex』(13?)でブレイク。コメディでありながら国際問題を巻き起こした問題作『The Intereview』(14)ではフランコやローゲンとリユニオンを果たしている。 三人組の中で最もイッちゃっているケイティを演じているのは、オーストラリア出身のアイラ・フィッシャーだ。『ウエディング・クラッシャーズ』(05)での奔放な上院議員令嬢や、『お買いもの中毒な私!』(09)でのショッピング依存症の女子といった特殊なキャラほどイキイキする彼女は、実生活ではサーシャ・バロン=コーエン夫人である。なるほどコメディ・センスがハンパないわけだ。本作後も『華麗なるギャツビー』(13)や『グランド・イリュージョン』(13)などでその特異なセンスを見せつけている。 そんな美女トリオを出し抜いて最初に結婚するベッキーを演じているのが、レベル・ウィルソンであることにも注目したい。フィッシャーと同じくオーストラリア出身の彼女は、コメディエンヌとして母国で人気を獲得したあとにハリウッドに進出。その第一作『ブライズメイズ 史上最悪のウェディングプラン 』 (11)でクリステン・ウィグ扮する主人公のルームメイト役を好演して注目され、本作への出演となった。 決して美人とはいえず、体格のハンディ(?)を抱えながらも、ポジティブ思考と積極性を武器に、お高く止まった三人よりも男に不自由していないように見える彼女が演じているからこそ、ベティはこれほど血の通ったキャラクターにはなったのだと思う。レベルはこの作品での肉食キャラを本作以降も貫き通して、『ペイン&ゲイン 史上最低の一攫千金』 (13)や『ナイト ミュージアム/エジプト王の秘密』 (14)で活躍。先日、自慢の喉を聴かせた大ヒット作『ピッチ・パーフェクト』(12)がようやく日本公開されたばかりだ。現在アメリカで大ヒット中の続編『Pitch Perfect 2』 (15)も年末には日本公開が予定されており、今後もスクリーンで暴れまくる彼女の姿を楽しめそうだ。 つい最近までは「男優と比べて女優は悲惨な目に遭っても笑えないからコメディには向いていない」なんてことが語られてきた。でもそれが真っ赤な嘘であることが『バチェロレッテ』を観れば分かるはず。紛うことない美女たちがバカをやりまくり、悲惨な一夜を体験する本作は、そういう意味ではコメディの新しい地平を切り開いた作品なのだ。 ©2012 Strategic Motion Ventures LLC
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COLUMN/コラム2015.10.30
ブライズメイズ 史上最悪のウェディングプラン
中西部の地方都市に住むアニーは、起業に失敗して貯金もゼロの30代半ばの独身女子。楽しみと言えば幼馴染みのリリアンとバカ話をすることだけだった。そんなある日、リリアンから結婚することを告白された彼女は、ブライズメイズ(新婦介添人)の代表を頼まれて、喜んで引き受ける。でも不器用な彼女は失敗ばかり。加えて新郎の上司のセレブ妻でなんでも器用にやってのけるヘレンの存在が引き金となって、リリアンに先を越された寂しさと焦りが爆発。ブランチ・パーティをぶち壊して、ついにはリリアンと大喧嘩をしてしまう。はたして二人の友情は元通りになるのだろうか…。 結婚式の介添人が大騒動を引き起こすというプロットが、『ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』を彷彿とさせたため、“女版ハングオーバー!”との前評判の中、2011年に米国で公開されてメガヒットを記録したのが『ブライズメイズ 史上最悪のウェディングプラン』である。でも見終わったあとで「『ハングオーバー! 』とそっくり」と感じる観客はまずいないはず。何て言うか、もっと痛くて切ないのだ。 ティーンの頃に思い描いた未来の可能性は年々閉ざされていく。その一方で同世代の友人たちは結婚して大人へのステップを上っていく。本作はあらゆる角度から追いつめられていくアニーの心理を執拗にほじくり返す。そこに男と女という違いは存在しない。三十代ボンクラというひとりの人間がただそこにいるだけである。バカの一つ覚えのように異性を「スイーツ」呼ばわりする男子も、この映画には魂の片割れを見いだして涙するかもしれない。コメディに冷淡なアカデミー賞で脚本賞にノミネートされたのも納得の完成度だ。 映画の発案者であり、主人公アニーを演じたのは「サタデー・ナイト・ライブ」史上最高の女性キャストとの呼び声高いコメディエンヌ、クリステン・ウィグ。彼女が、古くからの友人アニー・マモロと共同で書いた脚本を持ち込んだ先は、それまでも脇役として顔を出していた『無ケーカクの命中男/ノックトアップ』(07年)や『寝取られ男のラブ♂バカンス』(08年)といった映画の監督/プロデューサーだったジャド・アパトーだった。こうしたヒット作を通じて、男同士の友情をメインにした”ブロマンス映画”というジャンルを確立したアパトーは、その方程式を女子に応用したウィグの脚本を絶賛。テレビドラマ『フリークス学園』以来の盟友ポール・フェイグを監督に指名して映画を現実のものとしたのである。 コメディ映画としての本作の大きな特徴は、ギャグのボケをすべて女優がこなしているところにあるだろう。しかも生半可なギャグではなく、セックス、ゲロ、ウンコ絡みのギャグがふんだんに飛び出す過激なものだ。そんなコメディ映画はそれまでハリウッドには存在しなかった。「女性が悲惨な目に遭っても男のようには笑えない」という認識が世間では一般的だからである。普通の監督なら出演者の一部を男優に差し替えるところだろう。しかしポール・フェイグはウィグとともに「悲惨な目に遭っても笑える」最強の女性キャスト陣を選んだのである。 まずアニーの親友リリアンを演じたのはマヤ・ルドルフ。名曲「ラヴィング・ユー」で知られるミニー・リパートンの娘で、ポール・トーマス・アンダーソン夫人でもある彼女は、実生活ではロサンゼルスのコメディ劇団「グラウンドリングス」時代以来のクリステンの親友。だから映画内の二人の友情はとても真実味が感じられる。 劇中最も難しいキャラであるイヤミなヘレン役に指名されたのは、オーストラリア出身の正統派美女ローズ・バーンだ。それまで『トロイ』(04年)や『28週後…』(07年)といったシリアス映画に出演しながら、いまひとつパッとしなかった彼女は、アパトーのプロデュース作『伝説のロックスター再生計画!』(09年)でイカれたポップスター役を好演。コメディ・センスを全面開花させた本作以降は、『ネイバーズ』(14年)や『ANNIE/アニー』(14年)といった作品で活躍。コメディ界に欠かせない人材になっている。 同じオーストラリア出身でも、アニーのルームメイトの妹を演じたレベル・ウィルソンはこの時点ではアメリカでの知名度はゼロだった。だが強烈な存在感を本作で示した彼女は、『バチェロレッテ あの子が結婚するなんて!』(12年)やパワフルな歌声も披露した『ピッチ・パーフェクト』(12年)、『ナイト ミュージアム/エジプト王の秘密』(14年)によってスターへの階段を駆け上っていった。年末に日本公開が予定されている『ピッチ・パーフェクト』(15年)は、すでに本国でメガヒットを記録しており、パート3の製作が早々と決定している。 こうした才人揃いの出演者の中でも最も観客の目を引いたのは、一番ヨゴレなメーガンを演じたメリッサ・マッカーシーだろう。それまでも『ギルモア・ガールズ』(00?07年)や『サマンサ Who?』(07?09年)といったテレビ・コメディの脇役として知られていたものの、まさか洗面室のシンクに跨って、苦痛に顔を歪めて便意と戦う!なんてギャグをやってのける人だとは誰も思わなかったはず。本作における爆発的な演技によってアカデミー助演女優賞にノミネートされた彼女は、特別出演したアパトー監督作『40歳からの家族ケーカク』(12年)や『ハングオーバー!!! 最後の反省会』(13年)でもシーンを一気にさらう怪演を披露。また当初は男の設定で脚本が書かれていたにも関わらず「男同士じゃありきたりだ」とのジェイソン・ベイトマンのアイディアによって、急遽彼の相棒役を務めることになったダブル主演作『泥棒は幸せのはじまり』(13年)は大ヒット。彼女が映画館に客を呼べるスターであることを証明した。 こうしたメリッサのスター化に伴って、監督ポール・フェイグとのコンビがレギュラー化した。サンドラ・ブロックと組んだ刑事コメディ『デンジャラス・バディ』(13年)、ジェイソン・ステイサムやジュード・ロウといった大スターを従えて主演を張ったスパイ・コメディ『SPY』(15年)は連続大ヒットを記録。後者ではローズ・バーンとのリユニオンを果たしている。 こうした作品によって一躍コメディ界のヒットメイカーとなったフェイグのもとに『ゴーストバスターズ』リメイク版の監督がオファーされたのは昨年のことだ。ビル・マーレイやダン・エイクロイド、ハロルド・ライミスといった80年代を代表する才能が集結していた傑作コメディを現代に蘇らせるには、一体どんなメンツが必要なのだろうか? 考えた末にポール・フェイグが声をかけた相手はクリステン・ウィグ、メリッサ・マッカーシー、そしてレベル・ウィルソンだった。ちなみに他のキャストは「サタデー・ナイト・ライブ」の現レギュラーであるケイト・マッキノンとレスリー・ジョーンズ、セシリー・ストロングといった面々。そう、全員女性なのだ。 このキャスティングはハリウッド中に大きな話題と物議を呼んだ。しかしフェイグは「面白いコメディアンを集めたら、たまたま女性ばかりだっただけだよ」と全く気にしていないようだ。映画は現在撮影中で来年夏に公開予定である。フェイグは決して奇をてらったわけではなく、このキャスティングに圧倒的な自信を持っているはず。それは、この『ブライズメイズ 史上最悪のウェディングプラン』を観れば明らかだろう。 Artwork © 2012 Universal Studios. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2015.10.30
憧れのウェディング・ベル
アメリカ西海岸の都市サンフランシスコ。腕利きシェフのトム(ジェイソン・シーゲル)と心理学者を志すバイオレット(エミリー・ブラント)は、大晦日のパーティでの運命的な出会いからちょうど1年後に婚約した。 だがバイオレットに中西部のミシガン大学から採用通知が来たために結婚式の日程は棚上げに。トムは、バイオレットのキャリアを優先して一緒にミシガンに移り住むものの、実績を積み重ねていく彼女とは対照的にシェフとしてのスキルを活かせる職場が見つからず落ち込んでいく。そしてその格差は、愛しあっていたはずのふたりの関係にも影響を及ぼしてしまうのだった…。 大抵のロマンティック・コメディでは、主人公のふたりが困難を乗り越えて互いの愛情を確かめるとすぐに結婚式のシーンに切り替わって大団円を迎えたりする。でも『憧れのウェディング・ベル』はそんな「お約束」を守らない。ふたりは婚約までしながら、そこから結婚式までなかなか辿り着けないのだから。 このユニークなストーリーを書いたのは、ジェイソン・シーゲルとニコラス・ストーラーの主演俳優・監督コンビだ。実生活でも親友同士であるふたりの盟友関係は今から14年前に遡る。始まりは『Undeclared』(01〜03)というテレビ番組だった。イケてない高校生の青春をリアルに描いて一部で絶賛されながら、視聴率不振で打ち切られた『フリークス学園』(99〜00)のクリエイター、ジャド・アパトーが「今度こそは」と立ち上げたこの大学コメディには、『フリークス学園』で発掘された21歳のシーゲルがジェイ・バルチェルやセス・ローゲンらとともにキャスティングされていた。このプロジェクトに脚本家として参加したのがストーラーだったのだ。 やはりこのドラマも視聴率は振るわずに打ち切られてしまったのだが、ストーリー作りの才能を認められたストーラーは、アパトーと共同でジム・キャリーの主演作『ディック&ジェーン 復讐は最高! 』(05年)の脚本を書いてハリウッド・デビューに成功する。この作品での仕事をキャリーに気に入られたストーラーは、引き続きキャリー主演作『イエスマン “YES”は人生のパスワード』(08年)の脚本を担当。単なるノン・フィクションだった原作をコメディ・ドラマに仕立て直して大ヒットさせるという離れ業をやってのけた。 一方、シーゲルもシットコム『ママと恋に落ちるまで』(05〜14年)のマーシャル役でお茶の間の人気者となっていた。この頃には『40歳の童貞男』(05年)と『無ケーカクの命中男/ノックトアップ』(07年、シーゲルは主演のセス・ローゲンの友人役で出演した)の連続ヒットでハリウッドを代表する売れっ子プロデューサー兼監督となっていたアパトーの強い勧めもあり、シーゲルは映画進出を決意する。この時に彼がパートナーとしてあらためて声をかけたのがストーラーだったというわけだ。 記念すべきコンビ第一作は『寝取られ男のラブバカンス』(08年)。突然ガールフレンドに捨てられたシーゲル扮する主人公が、傷心旅行先のハワイで巻き起こす騒動を描いたこの作品は大ヒットを記録した。 以降もシーゲルとストーラーは、スウィフトの有名な風刺小説をモダンにリメイクしたSFX大作『ガリバー旅行記』(10年、主演はジャック・ブラックだがシーゲルも出演)、『寝取られ男』に登場するロックスター、アンガスをメインキャラに据えたロード・ムービー『伝説のロックスター再生計画!』(10年、シーゲルは原案のみ)、カーミットやミス・ピギーが登場する、マペット・ショーへの愛に溢れたミュージカル『ザ・マペッツ』(11年)、そしてシーゲルとキャメロン・ディアスが、SEXを撮影したビデオが誤ってネット上で拡散されてしまう夫婦に扮したエッチな『SEXテープ』(14年)といったヒット作を生み出し続けている。特筆すべきは、どれも気軽に楽しめるコメディ映画でありながら、似ている作品はひとつとしてないこと。シーゲルとストーラーは妥協を許さないアーティストなのだ。 そんな中でも『憧れのウェディング・ベル』はビターで大人びたタッチの異色作である。ヒロインに『ガリバー旅行記』でシーゲルと既に共演していたエミリー・ブラントを起用したのは、ストーラーとシーゲルが気心のしれたメンツで映画作りに集中したかったからだろう。 本作でふたりが力を注いで描いているのは「アメリカの正式な結婚式」の面倒くささだ。アメリカというとノリがいい国に思えるかもしれないけどトンデモない! 日本の場合、一般的な婚約期間はせいぜい半年程度だけど、アメリカでは1年半くらいはザラだ。その長い間、新婦とメイド・オブ・オナー(花嫁付添人のリーダー、通常は新婦の一番の親友が就任)は工夫を凝らした結婚式のプランを延々と練り上げる。そして遂に訪れた結婚式の前夜には豪華な晩餐会を開き、二次会は新郎側と新婦側に分かれて「独身さよならパーティ」を夜通し開催する。そして翌朝、ヨレヨレになりながら本番へとなだれ込むのだ。 日本でも劇場公開されたクリステン・ウィグの主演作『ブライズメイズ 史上最悪のウェディングプラン』(11年、この作品もプロデュースはジャド・アパトーだ)は、社会性が欠如しているにもかかわらず、親友からメイド・オブ・オナーを頼まれてしまった女子の苦闘を描いたものだった。また日本でもヒットした『ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』(09年)や『バチェロレッテ あの子が結婚するなんて!』(12年)は、独身さよならパーティではしゃぎすぎて結婚式開催に赤信号を灯してしまう付添人たちを描いたコメディだ。結婚式にトラブルと笑いはつきものなのである。 でも『憧れのウェディング・ベル』の場合、主人公のふたりは晩餐会にすらなかなか辿り着けない。原題(The Five-Year Engagement)通り、婚約期間は五年にも及んでしまう。ひとつのトラブルが何とか収まったと思ったら、別の予期せぬトラブルが起きて結婚自体が仕切り直しになってしまうからだ。その間に結婚式をすっ飛ばして「デキ婚」をしたトムの同僚アレックス(今をときめくクリス・プラット!)とバイオレットの姉のスージー(アリソン・ブリー)のカップルが、どんどんハッピーになっていく姿が並行して描かれることによって、シニカルさはレッドゾーンに突入する。 もちろんロマンティック・コメディなので、主人公のふたりはラストぎりぎりになって最高の結婚式へと超特急で向かっていく。でもそこで語られるのは「結婚する心の準備とは自分の抱える問題を解決することではない。その問題をふたりで分ちあえるほど相手を信頼できているかどうかだ」という、男女の仲について悟りきった者だけが放てるメッセージだ。師匠のジャド・アパトーが45歳のときに撮った苦いファミリー・ドラマ『40歳からの家族ケーカク』(12年、シーゲルはスポーツ・ジムのインストラクター役で出演している)の境地に、シーゲルは弱冠32歳で辿り着いてしまったのかもしれない。 そのシーゲルは、クロエ・セヴィニーやミシェル・トラクテンバーグ、リンジー・ローハン、ミシェル・ウィリアムズといった華麗なガールフレンド歴を経て、現在は写真家のアレクシス・ミクスターと交際中。今度こそゴールイン間近と噂されている。はたして彼がどんな工夫を凝らした結婚式を挙げるのか、それとも式をすっ飛ばすのか、固唾を飲んで見守っていきたい。 Artwork © 2012 Universal Studios. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2015.11.15
イエスマン “YES”は人生のパスワード
ロサンゼルス。銀行員のカールは何に対しても消極的な性格。呆れた恋人にも出ていかれ、孤独な日々を送っていた。そんなある日、友人に無理矢理誘われて出席したカリスマ教祖テレンスの自己啓発セミナーで暗示をかけられたカールは、何に対しても「イエス」と答える「イエスマン」に変身してしまう。すると仕事もプライベートも良い方向に向かいだし、キュートな女子アリソンとも付き合うようになり・・・。 そんなブッとんだストーリーの『イエスマン“YES”は人生のパスワード』だけど実はこれ、英国人のダニー・ウォレスというライターが「すべてにイエスと答えたらどうなってしまうか?」を試してみた体験談が原作だったりする。つまりこうした行動をダニーは自由意志で行っていたわけだ。 だが脚本化を任されたニコラス・ストーラーはこの物語を「暗示をかけられた男が暴走する話」に改変してしまった。でも人はそんな安直な暗示にかかるものなのだろうか? それにそんな暗示をかけられた男なんて異常なだけで全然笑えないのではないか? 大丈夫、主演俳優は天才コメディアン、ジム・キャリーなのだから! カナダ生まれのキャリーがアメリカでブレイクしたきっかけは『In Living Color』(90〜94)というお笑い番組だった。この番組は他のお笑い番組とは少々毛色が変っていた。ホスト兼ヘッドライターを務めていたのは黒人コメディアンのキーナン=アイヴォリー・ワイアンズで、出演者も彼の弟たちを含めて黒人ばかり。スタジオ観覧席も黒人で埋め尽くされていた。つまり黒人向けコメディ番組だったのだ。キャリーは唯一の白人男性のレギュラー出演者で完全なアウェイ状態。それでも当時の映像を観ると、ガンガン笑いを取っているのだからスゴい。その笑いの源はキャリーの驚異的に変化する顔や身体芸にある。 アメリカは多民族・多文化国家なので”あるあるネタ”が通用しない。白人にとっては爆笑ギャグでも、黒人はクスリともしないということだってある。でも顔や身体芸で笑わせる芸なら環境の壁を超えてしまうことが可能だ。キャリーが『エース・ベンチュラ』(94)で映画界に進出して以降、トップスターの座に君臨し続けているのは、そうした顔&身体芸のレベルの高さゆえなのだ。作品の出来に少々ムラがあるキャリーだけどスキル面では依然、最強のコメディアンであることは間違いない。下積み時代に一緒にコメディ・ツアーを行った経験を持つジャド・アパトーも彼についてこう語っている。「二番目に面白いコメディアンが誰なのか決めるのは難しい。でも一番面白いコメディアンはジム・キャリーで決まりだ!」 そんなキャリーが本作では主人公カールに扮し、冒頭のダメ人間モードから暗示をかけられた躁状態モード、そして真実にたどり着いた姿までを、あらゆる芸を駆使して魅せてくれるのだから面白くないわけがない。本作はキャリーの代表作のひとつだと思う。 対するヒロインのアリソンを演じているのは近年TVコメディ『New Girl / ダサかわ女子と三銃士』(12)で人気のズーイー・デシャネルだ。その番組の主題歌も自分で歌っている彼女だけど、それ以前から『エルフ〜サンタの国からやって来た〜』(03)や『ジェシー・ジェームズの暗殺』(07)といった作品で深みのあるハスキーヴォイスを聴かせているほか、マット・ウォードとのユニット「シー&ヒム」名義で活躍するミュージシャンでもある。 そのズーイーが、LAインディシーンで活動するヴォン・アイヴァと共にガールズ・ロックバンド「ミュンヒハウゼン症候群」名義で劇中のステージに登場、オーガニックなシー&ヒムとはうって変わったエレクトロを披露するシーンが本作のハイライトのひとつだ。特にジミ・ヘンドリックスのウッドストックでの演奏をパロって、ショルダーキーボードで「星条旗よ永遠なれ」を弾くあたりが最高。あまりにハジケすぎて現実味がないように思えるかもしれないアリソンだけど、実はこのキャラは原作版「イエスマン」で主人公が恋に落ちるリジーをモデルにしている。事実は小説より奇なりだ。 こうした二人と並んで本作の隠れた主人公となっているのが、物語の舞台となっているロサンゼルス内のシルバーレイクやエコパークといったエリアだ。映画を観たなら、このエリアが、僕らがLAと言われて思い浮かべるセレブが住むビバリーヒルズや、巨大ショッピングモールが林立するサンフェルナンド・ヴァレーといったエリアとは少々趣が異なっていることに気づくはず。さほど高級そうじゃないし、ビーチからも遠そう。でもユルい空気が漂う、とても住みやすそうなエリアだ。 ハリウッドの東側に位置し、天文台と屋外劇場ハリウッド・ボウルがあるグリフィス公園(アリソンが主宰する「早朝ジョギング兼写真クラス」の練習場はここだ)以外はこれといった名所がないシルバーレイクが、一躍世界中で注目を浴びるようになったのは90年代のこと。当時ロック・シーンを席巻していたオルタナ系ミュージシャンがこぞってこのエリアを本拠地にしていることが明らかになったのだ。思いつくまま名前を挙げてみよう。レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、ジェーンズ・アディクション、ニューヨークから移住してきたビースティー・ボーイズ、ヘンリー・ロリンズ、ペイヴメント、故エリオット・スミス、ベック、そして本作のサウンドトラックを手掛けているイールズだ。 イールズは、「E」ことマーク・オリバー・エヴェレットが96年に結成したソロ・ユニットだ。決して大スターとは言い難いミュージシャンだが、ロック・マニアほど凄さが分かる「ミュージシャンズ・ミュージシャン」として熱狂的なファンを獲得し続けている。かつてバンドマンで、劇中にも登場するライブハウス「スペースランド」に出入りしていた本作の監督ペイトン・リードもそのうちの一人。ファースト・アルバムからイールズを愛聴し続けてきたという彼が本作の音楽にイールズを起用したのは、サウンドがシルバーレイクの雰囲気をよく反映していること、またEの書く歌詞が『イエスマン』のテーマ<内にこもっていた主人公が世界と繋がろうと苦闘する>にぴったりだったからという。 「さあ立ち上がる時/僕は君に相応しい男だ」と自らを鼓舞するような「Man Up」だけが書き下ろしで他は全て既存曲だが、どれも映画のために作ったかのよう。「僕は疲れすぎてしまった、一人でいることに」(Bus Stop Boxer)や、「真夜中の空に虹は見えないけど、いつか僕はうまくいく」(Blinking Lights(For Me))など、どのナンバーの歌詞もカールの心情を絶妙に表現している。 出世作『チアーズ!』(00)から最新作『アントマン』(15)まで、既存曲の使い方が天才的に上手いリードの手腕は本作も健在だ。カールとアリソンが夜中に忍び込んだハリウッド・ボウルで初期ビートルズの名曲「キャント・バイ・ミー・ラブ」を歌うシーンはその代表例。というのも、このハリウッド・ボウル、もともとはクラシック専門会場だったのだが、64年にビートルズがライブを行ったことを境にロックのメッカになったコンサート会場なのだ。 もうひとつの技ありは、カールがギター弾き語りでサード・アイ・ブラインド97年の大ヒット曲「ジャンパー」を歌うシーン。これに関してはどういうシチュエーションで彼が歌うかは敢えて書かない。とりあえず「観れば爆笑間違いなしだ!」とだけ書いておこう。 © Warner Bros. Entertainment Inc.
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COLUMN/コラム2015.12.15
チェンジ・アップ/オレはどっちで、アイツもどっち!?
売れない俳優だけど独身生活を謳歌しているミッチと、敏腕弁護士だけど子どもの世話に追われているデイヴ。すべてが正反対だけど大親友の二人は、ひそかに互いの生活を羨んでいた。ある夜、酔っ払ってベロベロになった二人は、噴水の前で「人生を交換したい!」と同時に本音を口に出してしまう。すると一瞬あたりは真っ暗闇に。気づいた時、二人の体は本当に入れ替わっていた。元に戻ろうとしても、魔法の噴水は改修工事で撤去されて跡形もない。仕方なくミッチ(中身はデイヴ)とデイヴ(中身はミッチ)は互いになりきって生活するのだが ……。 正反対の立場のふたりの体が、不思議なパワーで入れ替わってしまうというプロットの、所謂<入れ替わりコメディ>は、お堅い母親とヤンチャな娘が入れ替わるジョディ ・フォスター主演作『フリーキー・フライデー』(77年、のちにリンジー・ローハン主演で03年に『フォーチュン・クッキー』としてリメイク)から、男女が入れ替わる大林宣彦の『転校生』(82年)まで、これまで様々な作品が作られてきた。 『チェンジ・アップ/オレはどっちで、アイツもどっち!?』はこうした伝統を受け継ぎながらも、ある種このジャンルの<究極形>とも呼べる作品だ。そう言いたくなる理由のひとつは、本作のスタッフの過去の仕事にある。 監督のデヴィッド・ドブキンは、最新作こそシリアスな裁判ドラマ『ジャッジ 裁かれる判事 』(14年)だったけど、元々は多くのコメディ映画を手がけてきた人物だ。その中の一本『ブラザーサンタ』(07年)は、あのサンタクロースにグウタラな兄貴フレッドがいたという設定のもと、彼が弟の代わりに世界中の子どもたちにクリスマス・プレゼントを届ける立場になってしまうというものだった。つまりフレッドはサンタと入れ替わるのだ。 脚本家のジョン・ルーカスとスコット・ムーアも入れ替わりコメディを手がけている。それはあの『ハングオーバー!』シリーズ(09〜13年)。この三部作の事実上の主人公は歯科医のスチュワートだが、小心者でキマジメな彼は親友の独身さよならパーティーで泥酔した翌朝、自分の歯が無くなっていることに気づく。おぼろげな記憶を辿りながらスチュワートは、自分が普段とは正反対のワイルドな一夜を過ごしたことを知る。つまりこの物語では破天荒な男が小心者と入れ替わっていたということになる。そしてスチュワートは、もうひとりの自分を知ることを通じて成熟した男へと成長を遂げるのだ。 このことでも明らかなように、別の人物と入れ替わるという体験は、他人を理解することによって本来の自分を発見する体験でもある。こうしたちょっと哲学的なテーマをギャグと一緒にイヤミなく語ってくれるところにこそ<入れ替わりコメディ>の魅力がある。このジャンルで既に十分な成果を挙げてきた作家たちが、満を持して関わった『チェンジ・アップ』では、そんな<入れ替わりコメディ>の魅力が全編に溢れている。 『チェンジ・アップ』がこのジャンルの究極形であるもうひとつの理由は、キャスティングだ。というのも、主演俳優の二人ほど<遊び人><マジメ人間>というパブリック・イメージを持っているハリウッド俳優はいないからだ。 遊び人のミッチを演じるライアン・レイノルズの劇場映画初主演作は、『アニマルハウス』の製作で知られるパロディ雑誌ナショナル・ランプーンが手がけた『Van Wilder』(02年)というコメディだった。ここで彼が扮したのは、遊びすぎで留年しまくっていたことがバレて親からの仕送りを打ち切られてしまった大学生。だが彼は長年のキャンパス生活で培った合コン・スキルを活かしてビジネスで大成功する。 このアナーキーな作品によって同性の圧倒的支持を獲得したレイノルズは、長身とマッチョなボディを武器に、『ラブ・ダイアリーズ』(08年)や『あなたは私のムコになる』(09年)といった恋愛モノで異性のファンもゲット。また『グリーン・ランタン』(11年)や『ゴースト・エージェント/R.I.P.D.』(13年)といったコミック原作の大作に次々と主演を果たし、16年には自ら企画から深く携わった『X-メン』シリーズのスピンオフ作『デッドプール』が公開予定だ。 一方のマジメ人間デイヴに扮したのはジェイソン・ベイトマンである。もともと彼は、あの伝説的なテレビドラマ『大草原の小さな家』にレギュラー出演していた天才子役だった。しかしハリウッド・スターにしてはあまりに華がない普通の顔をした大人に育ってしまったためか、成人後のキャリアはパッとしないものだった。 だが三十歳を超えて出演したテレビ・コメディ『ブル~ス一家は大暴走!』(03年〜)がベイトマンの運命を変えた。ここで彼が演じたのは、奇人変人だらけの一家にあって唯一マトモな主人公。「なんで僕だけがこんなツラい目に遭うんだ。でも僕が耐えるしかない。」そんなやるせない感情を、諦めきった表情と長いキャリアで培った演技力によって表現しきったベイトマンは一躍<普通人の代表選手>となったのだった。 この当たり役で得られた彼のキャラクターは、ハリウッドに進出して主演した『モンスター上司』(11年)や『泥棒は幸せのはじまり』(13年)といった映画においても全く変わっていない。ベイトマンの本領は、奇人変人に振り回される悲しき小市民を演じるときに最大限に発揮される。 そんなレイノルズとベイトマンだが、実は私生活でも大親友らしい。なんでも『スモーキン・エース/暗殺者がいっぱい』(07年)で共演したことをきっかけに意気投合し、再共演に相応しい脚本を待っていたのだとか。ふたりの間に本当に深い交流が存在するからこそ、中盤以降の<互いになりきった演技>が破壊力満点なものになっていることは間違いない。 こうしたシーンでは前述の通り、彼らの<本来の自分>の姿が顔を覗かせているのも興味深い。いつもと正反対のハチャメチャな言動を繰り広げるベイトマンからは、長い低迷期にもメゲなかった神経の図太さが感じられるし、レイノルズのいつにない繊細な演技は、アラニス・モリセット、元妻のスカーレット・ヨハンソン、そして現夫人のブレイク・ライヴリーといった気が強そうな美女たちが何故彼にメロメロになったのかという長年の謎を解き明かすものになっている。 最後に、こうした二人に振り回されるデイヴの妻を演じたレスリー・マンについても触れておきたい。一般的には『素敵な人生の終り方』(09年)や『40歳からの家族ケーカク』(12年)といった夫ジャド・アパトーの監督作におけるヒロイン役が代表作とされている彼女だけど、『ダメ男に復讐する方法』(14年)や『お!バカんす家族』(15年)といった夫以外の監督作での脇に回って披露するキレキレのコメディ演技も素晴らしい。 そんなレスリーが、夫以外の監督作で珍しくヒロインを演じていたのが『セブンティーン・アゲイン』(09年)というティーン・コメディだった。この作品で彼女が扮していたのは、冴えない夫を家から追い出した主婦。ある日、彼女のもとに出会った当時の夫そっくりのピカピカの少年が現れる。実は彼こそが不思議なパワーで姿を替えられてしまった夫その人だったのだ。そんな事情を知らないレスリーはトラブルに巻き込まれていくことになる。そう、彼女が他人と入れ替わった夫と遭遇するのは『チェンジ・アップ』が初めてではないのだ。 © 2012 Universal Studios. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2016.01.15
僕が結婚を決めたワケ
シカゴ。ベンチャー企業を営むロニー(ヴィンス・ヴォーン)は「会社が軌道に乗るまでは生活の安定が保証出来ないから」と、長年のガールフレンドのベス(ジェニファー・コネリー)に結婚を切り出せないでいた。しかし共同経営者で親友のニック(ケヴィン・ジェームズ)とその妻ジェニーヴァ(ウィノナ・ライダー)から「早くプロポーズをしないと彼女を失うぞ」と忠告され、ようやくゴールインする決意を固めたのだった。 ところがプロポーズの下見に訪れた植物園で、ロニーはジェニーヴァと年下のイケメン・マッチョ(チャニング・テイタム)の浮気現場を目撃してしまう。おりしも会社は存続の命運がかかったプレゼン準備の真っ最中。小心者のニックに真実を告げたら、仕事に影響が出てしまうことは間違いなしだ。友情と仕事にがんじがらめになったロニーは、ニックに何も言い出せなくなってしまうのだった……。 そんなプロットを持つ『僕が結婚を決めたワケ』の監督が、あの巨匠ロン・ハワードであることを知ったらビックリする映画ファンは多いんじゃないだろうか。しかもハワード、本作をトム・ハンクス主演のダン・ブラウン原作映画第二弾『天使と悪魔』(09年)と男気F1ドラマ『ラッシュ/プライドと友情』(13年)の間に撮っている。わけわかんない! でもよく考えてみればハワードの俳優時代の代表作は『アメリカン・グラフィティ』(73年)やテレビドラマ『ハッピーデイズ』(74〜84年)だったわけだし、監督業に進出してからも、主演を兼ねた『バニシングIN TURBO』(77年)、マイケル・キートンの出世作『ラブ IN ニューヨーク』(82年、キートンがパンツ一丁でニューヨークの街角を歩くシーンは『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(14年)でオマージュを捧げられた)、そしてトム・ハンクスとの初タッグとなった『スプラッシュ』 (84年)といった初期作品はコメディばかりだった。 一見シリアス一辺倒になっていたように見える近年だって、ジェイソン・ベイトマンやマイケル・セラのブレイク作にもなったカルト・コメディ・シリーズ『ブル~ス一家は大暴走!』(03年〜)をプロデュース、慇懃無礼なトーンのナレーションまで担当して番組の生み出す笑いに貢献している。『僕が結婚を決めたワケ』はハワードにとって異色作ではなく原点回帰作なのだ。 そんなハワードにとっては重要な本作の主演俳優に彼が選んだのがヴィンス・ヴォーンだった。いや、コラボレイターといった方が相応しいかもしれない。というのもこの作品、製作総指揮にはヴォーンも関わっており、彼の過去のプロデュース兼主演作とも作風が似通っているからだ。 ここで、日本ではあまり語られることがないヴィンス・ヴォーンのキャリアを振り返ってみよう。ヴォーンは、70年ミネソタ生まれのシカゴ育ち。俳優デビュー作はアメフト青春映画『ルディ/涙のウイニング・ラン』(93年)だった。この作品の撮影現場で、彼はやはりこれがデビュー作だったジョン・ファヴローと出会って意気投合する。二人は、オーディションに挑戦しては失敗し、酒を飲みながら愚痴を言い合う生活をロサンゼルスで送るようになった。やがてファヴローはヴォーンとの日々を脚本化してスタジオに売り込みをかけ、映画化に成功する。それがファヴロー自ら主演も務めたコメディ『スウィンガーズ』(96年)だった。 この作品で、ファヴローの親友役を実生活そのままに演じたヴォーンは大ブレイク。精悍なルックスが買われて、『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』(97年)やリメイク版『サイコ』(98年)に出演。ジェニファー・ロペスと共演したSFXスリラー『ザ・セル 』(00年)は全米ナンバーワンに輝くなど、スター街道を駆け上がっていった。 当時の彼の呼び名は何と<ネクスト・マーロン・ブランド>! だが多くの俳優にとっては勲章のように感じられる呼び名は、ヴォーンにとっては嬉しくも何ともないものだった。むしろ<友情に厚いお気楽男<役でブレイクしたのに、ルックスばかりが騒がれて場違いな場所に来てしまったと思っていたに違いない。そんなところに救いの神が現れた。ベン・スティラーである。スティラー演じる主人公の兄役を演じた『ズーランダー』(01年)をきっかけに、彼はスティラー率いる俳優集団、所謂「フラットパック」との共演を繰り返し、コメディ映画に専念するようになっていった。 ルーク・ウィルソンやウィル・フェレルと共演した『アダルト♂スクール』(02年)、スティラーと共演した『ドッジボール』(04年)、そしてオーウェン・ウィルソンと組んだ『ウェディング・クラッシャーズ』(05年)といった大ヒット作でのヴィンス・ヴォーンのキャラクターは常に一貫している。それは<一見イイ加減だけど、恋愛よりも友情を選ぶ熱い男>だ。この頃急激に太ってしまい、女性ファンの多くを失ってしまったヴォーンだが、それ以上に同性からの圧倒的な支持を獲得。ヴォーンは一躍コメディ・スターの仲間入りをしたのだった。 そんなヴォーンが、プロデュースを兼務する形で発表した一連の主演作は、より同性のファンに向けて作られている。ジェニファー・アニストン演じる恋人と破局に至っていくまでを淡々と描いた『ハニーVS.ダーリン 2年目の駆け引き』(06年)、ヴォーンとリース・ウィザースプーン扮する夫婦がそれぞれの離婚した両親の家をクリスマスの日に巡り歩きながら人間関係に永遠など存在しないことを悟っていく『フォー・クリスマス』(08年)、大物監督になった旧友ジョン・ファヴローと共同で脚本も手がけた夫婦和合セミナーがテーマの『カップルズ・リトリート』(09年)、そして精子バンクに登録していたせいで独身でありながら何百人もの子どもの父親になっていたことを主人公が知る『人生、サイコー!』(13年)。どの作品も、男女関係を男の視点から本音で語ったビターなコメディばかりだ。 「自分勝手」「女性のことを分かっていない」そんな批判を受けてもヴォーンの視点は一切ブレない。作品の舞台の多くが今なお彼が暮らす地元シカゴ(ハリウッド・スターでロサンゼルスでもニューヨークでもない街に住んでいるのはとても珍しい)であることは、こうした作品のヴィジョンがヴォーン本人から生まれたものであることを象徴している。そんな側面からも『僕が結婚を決めたワケ』がロン・ハワードの監督作であると同時にヴィンス・ヴォーンの作品だということが、映画を観ると分かってもらえると思う。 最後に本作でヴォーンの<相手役>に扮したケヴィン・ジェームズについても触れておきたい。65年ニューヨーク生まれの彼はスタンダップ・コメディアンとしての活動を経て、シットコム『The King of Queens』(98〜07年)でブレイク。親友のアダム・サンドラーとは『チャックとラリー おかしな偽装結婚!?』(07年)や『アダルトボーイズ青春白書』(10年)、『ピクセル』(15年)などで再三共演しており、『モール★コップ』(09年)に始まる主演映画は全てサンドラー製作である。 ベン・スティラーとアダム・サンドラー自体は古くからの友人なのだが、それぞれがあまりにビッグだからか、二つの派閥が絡むことはあまり無い。そういった意味でも本作は画期的な作品である。これをきっかけに今後、色々な組み合せの共演作が実現することを期待したいものだ。