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COLUMN/コラム2016.12.10
新世代アクションスター スティーヴ・オースティンに着目せよ!
長年アクション映画界を牽引してきたシルヴェスター・スタローンとアーノルド・シュワルツェネッガーは、共に70歳前後。2人ともいまだ現役でヒット作を量産し続けているものの、アクション映画界は長らく第二のスタローン、第二のシュワルツェネッガーを生み出すことが出来ず、苦しんできた。しかしここ数年、スタローンの後継としてジェイソン・ステイサムが急成長。良質なアクション映画を送り出し続けている。また第二のシュワルツェネッガーと言うべきザ・ロックことドウェイン・ジョンソンも世界的な大ヒット作品を次々とリリース。両者とも世界的なアクションスターとしての地位を完全に確立している。そしてその2人の牙城を虎視眈々と狙う次世代アクションスターが、本稿の主役ストーン・コールド・スティーヴ・オースティンなのである。 スティーヴ・オースティンは1964年、テキサス州オースティンで産声を上げた。少年時代からアメリカン・フットボールに打ち込み、アメフトの奨学生としてノーステキサス大学に進学するほど将来を嘱望されたアスリートであった。しかし勉学に嫌気がさして突然大学を中退したオースティンは、子供の頃から憧れていたプロレスラーの道を目指す。当時テキサス州ダラスに在住していたイギリス人プロレスラーのクリス・アダムスのプロレス道場に入門したオースティンは、メキメキと頭角を現して1989年に本名のスティーヴ・ウィリアムスとしてプロデビューを飾る。この頃、所属団体のUSWAには同名のスティーヴ・ウィリアムス(殺人医師のニックネームで新日本プロレス、全日本プロレスで活躍)がいたため、地元オースティンにちなみリングネームをスティーヴ・オースティンとし、さらにヒール(悪役)に転向することで次第に人気を博していくことになる(後に改名し、本名もスティーヴ・オースティンとなる)。 1991年にはダスティ・ローデスにスカウトされてWCWに入団。1992年からは新日本プロレスに継続参戦するようになる。しかし1995年に怪我を理由にWCWを解雇されてしまい、インディ団体にスポット参戦。そこでの活躍を認められてWWF(現WWE)との契約を手にしたのだった。WWFでは最凶のタフ野郎、ストーン・コールド・スティーヴ・オースティンとして大ブレイク。1998年にはWWF世界ヘビー級王座を初戴冠するなど、人気・実力ともにWWFの頂点に君臨するスーパースターとなっていく。特にオースティンがWWF経営者ファミリーのマクマホン一家や、スーパースターのザ・ロックと繰り広げる一連の抗争(アティテュード路線)は、WWEとオースティンの人気を不動のものとしていくことになる。この人気絶頂のオースティンは、ドン・ジョンソン主演の警察ドラマ『刑事ナッシュ・ブリッジス』に刑事ジェイク・ケイジ役で出演。後に繋がる俳優としての活動も開始している。 しかしザ・ロックやブロック・レスナーらの若手を推す会社の方針に反発したオースティンは、何度かWWEからの離脱と復帰を繰り返す。そして2005年に復帰した際は、プロレスラーとしてではなく、WWEの映画製作会社のWWEフィルムズ所属の俳優としての契約となったのだった。そのためこれ以降はプロレスラーとしての試合は無くなって大会にゲスト登場となることが多くなり、メインの活動は俳優業へとシフトしていく。ちなみに2007年には、共にヅラ疑惑のあったWWE会長のビンス・マクマホンと不動産王で次期アメリカ大統領のドナルド・トランプが、レッスルマニア23で激突。負けた方が髪を剃るという髪切りデスマッチとなり、その際髪を剃る役をスキンヘッドのオースティンが務めている。この抗争は、大の大人(しかも世界的な大金持ち)が意地とプライドと髪を賭けた戦いを繰り広げるという超絶大馬鹿勝負となり、記録的なペイ・パー・ビュー売り上げを記録することになる(トランプは本件でブルーカラー層への知名度を爆発的に拡大し、それが2016年の大統領選での躍進に繋がったとの分析もある)。また2009年にはWWEの殿堂入りを果たし、その際のスピーチでプロレスラーの引退を宣言。オースティンは本格的に俳優としての活動にシフトしていくことになる。 オースティンの映画俳優としての本格なデビューは、2005年にアダム・サンドラーがリメイクした『ロンゲスト・ヤード』だ。ビル・ゴールドバーグ、ボブ・サップ、ケビン・ナッシュらプロレスラー勢に交じってオースティンも看守役で出演している。そして2007年には、WWEフィルムズがライオンズゲート社と組んで制作した『監獄島』で映画初主演を務めている。2010年にはシルヴェスター・スタローン制作のオールスター映画『エクスペンダブルズ』に、極悪用心棒ペイン役で出演。スタローンをボコボコにし、元UFCヘビー級王者のランディ・クートゥアとガチンコ勝負を繰り広げるなど大活躍を見せた。 そしてこの年には『スティーヴ・オースティン ザ・ストレンジャー』にも出演。記憶を失った元FBI捜査官が、記憶を取り戻すために巨大な陰謀に立ち向かう本作は、オースティンにとっても演技力を試されるサスペンスフルな作品となっている。とはいえ、もちろんクライマックスは「待ってました!」と喝采をあげたくなる大暴れが待っているので安心してほしい。 そして2011年には『スティーヴ・オースティン 復讐者』と『スティーヴ・オースティン ノックアウト』をリリース(オースティン主演のビデオ映画の邦題には必ず“スティーヴ・オースティン”が付くので非常に分かりやすい)。『復讐者』は、敵のバイカー集団のボス役でダニー・トレホが登場。最後はオースティンとトレホがガムテープで片手同士を結び付けて殴り合いという、番長マンガのような展開が素晴らしい作品だ。『ノックアウト』はオースティン版『ベスト・キッド』と言うべき作品で、高校の用務員オースティン(ゴツすぎる)がイジメられっ子にボクシングを教え、州大会でイジメっ子と対決するという映画。オースティンらしい『復讐者』と、らしくない『ノックアウト』は、共にオースティンファンならおさえておくべき作品だろう。その他にも年に数本はオースティン出演作がリリースされており、どれも粒ぞろいの作品なのでザ・シネマで順次放映されることを期待したい。 俳優スティーヴ・オースティンの魅力は、もちろんシュワルツェネッガーのような巨大な肉体を武器に大味な殴り合いなどWWE時代を彷彿とさせるプロレス技を活用したアクションシーン。しかしオースティンの魅力はそれだけでなく、オースティン主演映画ではスタローン映画のように敵に捕まって拷問され、耐えて耐えて最後に大爆発という展開も多い。オースティンが完全無欠のフィジカルモンスターとして描かれるわけではないというギャップが、映画の中で非情に良いスパイスになっているのだ。 つまりオースティンこそは、スタローンとシュワルツェネッガーという二人のアクション映画の重鎮の魅力を併せ持つ、新時代のハイブリットアクションスターと言えるのだ。■ © 2010 BOXER AND THE KID PRODUCTIONS INC. ALL RIGHTS RESERVED
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COLUMN/コラム2016.11.26
【本邦初公開】ジョックスとナードを自在に行き来する男リンクレイターは、どこの国も変わらぬ“地方の若者のどん詰まり”をいかにして描いたか。〜『サバービア』〜
リンクレイターの実質的デビュー作『スラッカー』(1991)が日本の映画祭で上映され、処女長編『It's Impossible to Learn to Plow by Reading Books』(1988)もYouTubeで観られてしまう現在。『サバ―ビア』は日本唯一の“幻のリンクレイター作品”だった。『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離』(1995)の大成功直後だったにも関わらず日本では劇場未公開のまま捨て置かれ、今回のザ・シネマの放送が本邦初公開なのである。 リチャード・リンクレイターはオタク気質の監督と思われがちだが、ゴリゴリの体育会系出身者である。哲学性と諧謔のある会話劇を得意とし、フィリップ・K・ディックのようなSF作家への憧憬を標榜し、ロック音楽の造詣も深いなど文化系ナード感があふれているのに、野球のスポーツ推薦で大学に入るような典型的なアスリート系=「ジョックス」の一員だった。 リンクレイターの出世作『バッド・チューニング』(1993)は一地方の高校の夏休みが始まる一日の狂騒を膨大なキャラを配して描いた群像劇で、主演格に“ピンク”というアメフト部員が登場する。苗字がフロイドなので“ピンク(フロイド)”と呼ばれているという設定からして、リンクレイターのジョックスとナードに引き裂かれた二面性が顕れていると言っていい。 映画のラストで“ピンク”は支配的なアメフト部のコーチに反抗し、スクールカーストでは下位に属するボンクラどもと“エアロスミス”のチケットを買いに行く。リンクレイター自身が“ピンク”が一番高校時代の自分を投影しているキャラクターだと公言しているもの当然だろう。 リンクレイターはあるインタビューで、ジョックス時代の自分について「周りの人間は僕をクールなヤツだとチヤホヤしていたけれど、実際のところクソみたいな気分だった」と語っている。「僕が疎外感を感じているなら、他のみんなはどうなのか。(思春期の)普遍的な悩みだとわかっていたけど、早く歳を取って混乱の泥沼から抜け出したいとばかり考えていたよ」 リンクレイターの最新作『エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に』は大学の名門野球チームに入った新入生の3日間を描いた『バッド・チューニング』の続編的内容だが、スポーツ推薦で入学した主人公は演劇を専攻する女生徒と恋に落ちる。これまたふたつの世界に片足ずつ突っ込んだリンクレイターの分身である。 リンクレイターはキャリアを通して「ドラマチックなことが起きない等身大の青春」にこだわり続けてきた。年齢を経るに従い「ドラマチックではないが山あり谷ありの人生」にシフトしつつあるのは『ビフォア』三部作を観れば明らかだが、その際の強みになっているのがジョックスでありナードでもある、つまりはクラスタを限定しない共感力だ。 例えば『ビフォア』三部作の主人公ジェシーは元バックパッカーから作家になる文学青年だったが、息子がサッカーを続けることが精神鍛錬になると信じるスポーツマッチョでもある。クリエイターの多くが自伝的キャラクターを描くときに陥りがちな繊細なアート系というくびきからあらかじめ逃れているのだ。 さて、前置きが長くなったが『サバ―ビア』の話だ。 『サバ―ビア』とは「郊外」のことで、そのまま日本の「地方」と置き換えても構わない。車社会で、街道沿いにチェーン店が並び、町の中心にはもはや活気がなく、繁華街はわずかな飲み屋を除けばシャッターが下ろされている。日本もアメリカも変わらない、というより、アメリカの地方がたどった道を日本が追いかけているのが実情である。 主人公はそんなサバ―ビアに育ち、20歳を過ぎても実家でうだうだしている若者たち。誰ひとり自動車すら持っておらず、夜な夜な近所のコンビニの駐車場で酔っぱらったりハッパをキメながらダベるしかない。そんな退屈な毎日に今日ばかりは新鮮な風が吹く。地元を飛び出してロックスターになった幼なじみのポニー(ジェイス・バートック)が凱旋コンサートで帰郷し、いつものコンビニに顔を出すというのだ。 傷を舐め合い、足を引っ張り合い、こいつより自分の方がマシだと考えることでかろうじて自尊心を保っていた彼らのバランスが、ポニーがリムジンに乗ってやってきたことで壊れ始める。かつてポニーと音楽をやっていたジェフ(ジョバンニ・リビシ)、ジェフの彼女でパンクス女子のスーズ(エイミー・キャレイ)、軍隊を除隊したティム(ニッキー・カット)、お気楽でお調子者のバフ(スティーブ・ザーン)。さらに情緒不安定な女の子ビービー(ディナ・スパイベイ)やパキスタン系のコンビニ店長、ポニーのパブリシスト・エリカ(パーカー・ポージー)が絡み、いつもと変わらないはずの夜が思わぬ方へと転がっていく……。 まるで『バッド・チューニング』のニート版だが、リンクレイターにとってデビュー以来初めてオリジナル企画ではない原作物である。もとになっているのは『トーク・レディオ』(1988)の原作・主演で知られるエリック・ボゴシアンが書いた同名の舞台劇だ。 『サバービア』の舞台を観劇したリンクレイターは「まるで自分自身の物語のように感じた」という。鬱屈と不満を持て余すジェフも、アート系をこじらせたビービーも、夢を掴んでも郷愁が捨てられないポニーも、全員がリンクレイターの一部だった。ちなみにポニーに扮したバートックの外見が驚くほどリンクレイターに似ていると感じるのは自分だけではあるまい。 脚色はボゴシアン自身が手がけたが、ボゴシアンの地元であるボストン郊外からリンクレイターのお膝元、テキサス州オースティンへと変更された。とはいえ映し出されるのはアメリカ中のどこに行っても変わらない街道沿いの無味乾燥な景色。場所の変更は作品がもともと備えていた普遍性をより強固にしたに過ぎない。 リンクレイターはかねてから『アメリカン・グラフティ』やジョン・ヒューズ作品のようなドラマチックな青春など神話に過ぎないと公言していたが、『サバービア』ではコメディから悲劇へと転調するメリハリのあるドラマツルギーを取り入れている。延々と続くダベりや、ストーリーの向かう先を定めない語り口などリンクレイター初期の特徴は完璧に押さえている。が、原作通りとはいえ『サバービア』では緩慢な日常をぶち壊すある「事件」が起きるのだ。 普通の映画であれば当たり前の展開も、映画から「映画的事件」を引き剥がすことに腐心してきたリンクレイターにとっては大きな変化だった。結果として『サバービア』は、ボゴシアンのシニカルで毒々しい社会批評と、リンクレイターらしい等身大の青春要素が一体となり、倦怠と危なっかしい笑いとヘビーな悲劇が折り重なった問題作に仕上がった。 ちなみに当時のオルタナロックのスターが揃ったサントラ盤はオルタナという音楽シーンが“地方”の閉塞感のはけ口だったことをよく表していて時代の資料としても興味深い。ただし冒頭に流れるのはジーン・ピットニーの1961年のヒット曲「非情の街」。1960年生まれのリンクレイターにとって完全に親世代のオールディーズだが、若者らしい自意識過剰で自己憐憫的な詞が印象的なロック歌謡だ。「非情の街」が醸す青臭いセンチメントは、「バーンフィールド(焼け野原)」という架空の町名も相まって、結局いつの時代も青春なんてどん詰まりなのだと宣言しているのである。■ TM & © Warner Bros. Entertainment Inc.
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COLUMN/コラム2016.11.12
ビキニ姿の金髪の美女や筋肉ムキムキ男たちが、アメリカ西海岸を舞台に珍騒動を繰り広げる抱腹絶倒の爆笑恋愛喜劇〜『サンタモニカの週末』〜
本編の物語が始まって早々、雲ひとつなく晴れ渡った青空の下、赤いビートル車に乗って、大海原の青い水平線を一望できる見晴らしのいい崖の上へやってきた主人公のトニー・カーティス。彼を出迎えたのは、「マリブへようこそ」と、看板の中から、サーフボードに乗って波を切りながらにっこり微笑む、ビキニ姿の金髪の美女。アメリカ西海岸、カリフォルニアの燦々とした陽光を浴びながら行楽気分を味わうにはもってこいの完璧な舞台設定だ。 ここで眼下に広がる海辺を眺めながら、のんびり食事でも取ろうと、彼が車を降りて傍らの石垣に腰を下ろしたところでふと目に入ったのが、そのすぐ近くで海辺の風景画を描いていたひとりの女性(クラウディア・カルディナーレ)。でも、何やら不機嫌そうな彼女は、描きかけのその絵を海めがけて放り捨てると、思わず呆気にとられるカーティスを尻目に、自分のオープンカーに乗ってさっさとその場を立ち去っていく。しかも、その際、彼女の車のバンパーがすぐ脇に停めていたカーティスの車のフェンダーを不注意に引っかけたせいで、ビートル車までがよろよろと坂道を駆け下りていくではないか! 慌ててカーティスは何とか自分の車を停止させようと躍起になるが、彼の孤軍奮闘も空しくビートル車は崖を一気に滑り落ち、でんぐり返しになった状態でようやく崖下の道路に停止したまではよかったものの、そこへ折しもオープンカーに乗って坂道を下りてきたカルディナーレが、またしても頓珍漢な天然キャラぶりを発揮し、周囲の連中を巻き込んでひと騒動起こした上、今度はこれまた無造作に放り捨てた彼女のマッチが路上に流れ落ちていたガソリンに点火して、ビートル車はたちまち炎上し、車内にあったカーティスの荷物はすっかり燃え屑と化してパア。かくして、映画がスタートしてものの10分と経たないうちに、主人公のカーティスは車も全財産も失い、身に着けていた衣服にまで火が燃え移ったせいで、上半身は裸、下もトランクスに靴下を穿いただけという、何とも滑稽で哀れな素寒貧の状態で、やむなくカルディナーレの住む家に居候として転がり込むハメとなる……。 こうして、この『サンタモニカの週末』(1967)は、カルディナーレ扮する気まぐれで風変わりなヒロインが、まるで『赤ちゃん教育』(1938ハワード・ホークス)のキャサリン・ヘップバーンか、『レディ・イヴ』(1941プレストン・スタージェス)のバーバラ・スタンウィックよろしく、その傍若無人な振る舞いで周囲の人々を小気味よく翻弄する場面から、快調に物語が始まる(ちなみに、『サンタモニカの週末』の原題である「Don’t Make Waves」は、「どうか波風を立てたり、平穏を乱したりしないで」という意味)。 ■未知との遭遇 筆者がこの『サンタモニカの週末』に最初に接したのは、たしかまだ十代の学生時分のこと。その時点では、この映画について何の予備知識もなく、たまたま昼間に地上波のテレビで放映されていたのを(そう、年季のいった映画ファンならよく御存知の東京12チャンネル、そしてカーティスの吹き替えの声は無論、広川太一郎!)さしたる期待もなしにいざ見出したら、冒頭からあれよあれよという間に奇想天外な珍騒動が小気味よいテンポで綴られていくその何とも軽妙な話運びと、理屈抜きに楽しめる抱腹絶倒の喜劇世界にたちまち魅せられ、おおっ、これは意外な拾い物を見つけたと、すっかり興奮して大笑いしながら、最後まで映画を見終えたのだった。 この映画を監督したアレクサンダー・マッケンドリックが、実は誰あろう、かつてイギリスの映画撮影所イーリングから、『白衣の男』(1951)や『マダムと泥棒』(1955)など、英国コメディ映画史上、屈指の傑作を世に送り出した俊才であり、その後アメリカに渡った彼が、『成功の甘き香り』(1957)、『サミー南へ行く』(1963)、『海賊大将』(1965)と、さらなる独創的でユニークな傑作を放った逸材であったことを筆者が遅まきながら知るのは、それからもっと後のこと。生涯に監督した長編劇映画がわずかに9本ときわめて寡作ながら、ごく一部をのぞくと、日本では残念ながらなかなかソフト化もされず、劇場やテレビで見る機会もほとんどない中、海外で発売されるマッケンドリックのDVDをこつこつと買い集めて、彼の奥深い作品世界に徐々に触れ、その傑出した才能と演出手腕に改めて唸らされることとなったのだった。 筆者にとってマッケンドリック入門の最初の一歩となったこの思い出深い『サンタモニカの週末』を、今回、こちらのリクエストに応じて、「シネマ解放区」で初放映してくれる機会がこうして訪れ、こんなに嬉しいことはない。ぜひこれを良い機会に、ひとりでも多くの映画ファンにこの映画を楽しんでもらい、この先、さらなるマッケンドリックの埋もれたお宝の発掘へと各自が歩を進めてくれることを願うばかりだ。 ■マッスル・ビーチで「ファイトー!」「イッパーッツ!!」 さて、ここで再び、『サンタモニカの週末』の内容紹介に戻ると、本作の主演男優カーティスは、先に名を挙げたマッケンドリックのフィルム・ノワールの傑作『成功の甘き香り』で、ショウビズ界に絶大な影響力をふるう人気コラムニストの主人公を演じたバート・ランカスターを相手に、彼の取り巻きたる準主役のプレス・エージェントに扮して陰翳に満ちた見事な熱演を披露し、甘いマスクが売りの単なる人気アイドルから大きく脱皮して、演技派俳優として高い評価を得ていた。 『成功の甘き香り』がアメリカ東海岸のNYという大都会の夜を舞台に、ショウビズ界とジャーナリズムの世界との持ちつ持たれつの閉鎖的で腐敗した関係に鋭くメスを入れ、そのどす黒い闇を辛辣な眼差しで暴き出していたのに対し、この『サンタモニカの週末』は、アメリカ西海岸、カリフォルニアの陽光溢れる海辺を舞台に、その明るく開放的でお気楽なビーチ生活と、サーフィンやボディビルなど、黄金色に日焼けした健康的な肉体美を追求する独自の文化風俗を皮肉っぽい眼差しで諷刺的に描いたもの。いわば本作は、『成功の甘き香り』の作品世界をそっくり裏返した上で、よりリラックスしたムードでその題材を軽妙に料理した、肩の凝らない娯楽喜劇版といえるだろう。 1960年代、アメリカの映画界では、海辺を舞台に、水着姿の若い男女たちが他愛ないロマンスや冒険を繰り広げるさまを、当時の最新の若者文化や風俗を織り交ぜながら、どこまでも明るく健康的に描いた、ティーンエイジャー向けの娯楽青春恋愛映画ブームが到来。とりわけ、映画ファンにはあのロジャー・コーマンの活動拠点としてよく知られたB級専門の独立系映画プロ、AIPが、『やめないで、もっと!』[原題は「Beach Party」](1963)を皮切りに、『ムキムキ・ビーチ』[原題「Muscle Beach Party」](1964)、『ビキニ・ビーチ』[原題「Bikini Beach」](1964 上記3作の監督は、いずれもウィリアム・アッシャー)、等々をたて続けに放ち、それらは「ビーチ・パーティもの」映画として、若者の観客層を中心に一定の人気を博していた。 そして、その一方で、この『サンタモニカの週末』の舞台となるカリフォルニア州ロサンジェルスの太平洋に面した湾岸都市サンタモニカは、その温暖な気候から観光リゾート地区として早くから開発され、ロサンジェルスのホーム・ビーチたる行楽地として栄えていた。海野弘氏のユニークな文化研究史シリーズ「カリフォルニア・オデッセイ⑤ ビーチと肉体 浜辺の文化史」によると、1930年代からは、この地の砂浜に、運動場や、鉄棒、平行棒などの器械体操用の運動器具が据え付けられ、プロのアスリートたちや、アクロバットやサーカスの芸人たちが集まって独自の肉体トレーニングを始めるようになり、それに釣られて多くの見物人たちも集まって大いに賑わい、いつしかそこは“マッスル・ビーチ(Muscle Beach=筋肉海岸)”と名付けられるようになったという。 映画『サンタモニカの週末』の原作となった小説の題名が、まさにこの「マッスル・ビーチ(Muscle Beach)」。先に紹介したAIPの「ビーチ・パーティもの」映画の1本にも、『ムキムキ・ビーチ』[原題「Muscle Beach Party」]という映画があったことによく注意してほしい。『サンタモニカの週末』の劇中、夜が明けて日が昇ると同時に、水着姿の大勢の男女がサーフィンを楽しむべく一斉に波間へと向かう一方、砂浜では、文字通り、筋肉ムキムキのマッチョな男たちが重量挙げをしたり、ビキニ姿の若い美女が平行棒で体操の練習に励んだりする姿が映し出されるが、一見突飛でシュールにも思えるこれらの場面は、実は当時、この地では日常的な光景だったようだ。 ここで、映画の冒頭に登場する看板の中からまるで抜け出てきたかのようにして、サーフボードで波に乗りながらカーティスの前に姿を現すビキニ姿の金髪の美女こそ(その役名もずばり、マリブ)、知る人ぞ知る悲劇の女優シャロン・テート。その件に関しては改めて後述するが、この時、24歳の彼女は、先に出演した『吸血鬼』(1967)の映画監督ロマン・ポランスキーと撮影中に恋に落ち、翌1968年、彼と結婚する運命にあった。 最初の出会いの場面から、文字通りカーティスをノックアウトして、たちまち彼をその魅力の虜にしてしまった彼女は、さらにマッスル・ビーチの砂浜に据えられたトランポリン台で、いかにも嬉々として無邪気にひとりポンポーンと自在に飛んで跳ね回り、そのさまをただもうポカーンと惚けたような表情でかぶりつきからまぶしそうに見つめるカーティスだけでなく、我々男性観客の心をもメロメロにとろけさせずにはおかない。いやー、それにしても、この『サンタモニカの週末』の一番の見どころといえば、何と言ってもこれで、何度見てもこの場面は、やはりブッ飛んでいて愉快で可笑しい。しかもこの場面、絶妙のタイミングでスローモーションやストップモーションとなり、ビキニ姿の彼女の健康的で美しいプロポーションを心おきなく楽しめるのだ。まさに眼福、眼福! ■夢のカリフォルニア ところで、このマッスル・ビーチで実際に肉体の鍛錬を積むボディビルダーの中から、戦後まもなくミスター・アメリカ、さらにはミスター・ユニヴァースとなり、やがて映画界入りして『ヘラクレス』(1957 ピエトロ・フランチーシ)、『ポンペイ最後の日』(1959 マリオ・ボンナルド)などのイタリア製史劇映画にたて続けに主演し、人気スターとなるスティーヴ・リーヴスが登場する(ちなみに、前者の撮影を手がけたのはマリオ・バーヴァ。そして後者は、共同脚本にも参加したセルジオ・レオーネが、ノンクレジットで実質的な監督を手がけている)。彼の人気のあとを追うようにして、マッスル・ビーチには、さらに多くのボディビルダーたちが集まるようになった。 この『サンタモニカの週末』に、テートの恋人役として登場するデイヴィッド・ドレイパーも、劇中では、オツムの軽いただのマッチョな青年として揶揄的に描かれ、つい観る者の微苦笑を誘わずにはおかないが、実は当時のボディビル界ではよく知られた実力派のチャンピオンで、先のリーヴスと同様、1965年にミスター・アメリカ、そして1966年にはミスター・ユニヴァースに輝いていた。そして、そんな彼の姿を、その頃、ヨーロッパの母国オーストリアから、羨望の眼差しで見つめていた一人の男がいた。その人物こそ、誰あろう、御存知シュワちゃんこと、アーノルド・シュワルツェネッガー。海野氏の前掲書に、シュワちゃんの著書からの何とも意外で興味深い文章が引用されているので、ここにもぜひ孫引きさせてもらうことにしよう。 「ドレイパーは、カリフォルニアのボディビルダーの典型であった。大きく、金髪で、陽焼けし、個性的で、勝誇った笑みを持っていた。オーストリアの冬に3フィートもの雪に 埋もれている私には、カリフォルニアのビーチにいるデイヴ・ドレイパーのイメージはまぶしいように見えた。そしてデイヴがトニー・カーティスと共演した『サンタモニカの週末』(1967)やテレビ・ショーなどが、ボディビルの、コンテスト以外での可能性を私に気づかせてくれた。」 (シュワルツェネッガー「モダン・ボディビルディングのエンサイクロペディア」。 訳は海野氏によるもの。人名や数字表記を若干改めた。) つまり、シュワちゃんがボディビル界から華麗な転進を遂げ、映画俳優としての道を歩むようになったのは、ほかならぬこの『サンタモニカの週末』のドレイパーを見たのが、きっかけだったというのだ! 当時ヨーロッパのボディビル・チャンピオンだった彼は、1968年、憧れのアメリカ西海岸へと渡ってその年のミスター・ユニヴァースに輝き、その後さらに、ミスター・ワールド、ミスター・オリンピアの三冠も達成した偉業を引っ提げて映画界に進出し、皆も御存知の通り、スーパースターとなる(以前、本欄の拙文でも触れたように、まだ駆け出しの俳優時代のシュワちゃんの姿は、『ロング・グッドバイ』(1973 ロバート・アルトマン)の中でも楽しめる)。そして彼が、後のカリフォルニア州知事になる種も、ひょっとすると、ボディビルの聖地たるマッスル・ビーチへの憧れ、あるいは、この『サンタモニカの週末』によって、既に蒔かれていたのかもしれない。 ■奇しくも時代の潮流の変わり目に生み落とされた、マッケンドリックの不運な遺作 さて、『サンタモニカの週末』の物語は、先述のテートのトランポリンの場面以降も、二転三転しながら愉快に展開し、実はプロの女性スカイダイヴァーであるテートが披露する決死の空中遊泳、さらに映画の終盤には、あの映画史上に名高いチャップリンの傑作喜劇『黄金狂時代』(1925)のクライマックスを大胆不敵にも借用した、ハラハラドキドキの珍場面が観客を待ち受けているわけだが、それについてはぜひ見てのお楽しみ、ということにして、例によってすっかり長くなったこの拙文も、そろそろ締めに入ることにしよう。 『サンタモニカの週末』が、当時の「ビーチ・パーティもの」映画の一大ブームにあやかって作られた1本であることは先に述べたが、本作が全米で劇場公開された1967年には、その人気やブームは既に終わりを迎え、アメリカ社会はいまや、ベトナム反戦や公民権運動の高まりなどもあって、次のサイケやドラッグ、ヒッピー文化といった、より強烈で混沌渦巻く刺激的なカウンター・カルチャーへと時代の潮流が変わる、ちょうど転換期にあった。ブームを牽引したAIPは、もはや「ビーチ・パーティもの」映画の製作を取りやめ、代わって、ロジャー・コーマン監督が、LSD他のドラッグによるサイケ・トリップを全編にフィーチュアした『白昼の幻想』を発表するのが、まさにこの1967年。やはりこの年の6月、カリフォルニア州モントレーで、ジミ・ヘンドリックスやジャニス・ジョプリンら、豪華多彩なアーティストたちが出演した大規模な野外ロック・フェスが開催されて大成功を収め、それと呼応するように、サンフランシスコのヘイト・アシュベリー周辺には10万人ものヒッピーたちが集結して「サマー・オブ・ラヴ」と呼ばれる一大社会現象が発生する。 さらに、この時期、AIP製作の一連のバイカー映画に相次いで出演し、『白昼の幻想』にもキャストやスタッフとして参加したデニス・ホッパー、ピーター・フォンダ、ジャック・ニコルソンの反逆児3人は、もっと自分たちのやりたい映画を自由に作りたいとAIPを飛び出して、カウンター・カルチャーの金字塔的作品『イージー・ライダー』(1969)をやがて生み出すことになる。その一方で、同作の全米公開からひと月も経たない1969年8月9日、当時妊娠8カ月の身重だったポランスキー夫人のテートが、狂信的カルト集団「マンソン・ファミリー」によって惨殺され、26歳の若さで短い生涯を閉じるという痛ましい悲劇が起きることになるのだ。 『サンタモニカの週末』の原題の直訳は、先にも述べたように「どうか波風を立てないで」だが、一見アナーキーではあっても、所詮は白人の健康的なブルジョワの男女たちが繰り広げるささやかな波乱の出来事をどこまでも明るく愉快に描いたこの上質の娯楽恋愛喜劇が、むしろ同時代的に進行するもっと大きな文化・社会変革の波に呑み込まれてしまい、公開当時はさしたる反響を得られることなく終わってしまったのは、今から思うと致し方のないことだったのかもしれない。 実のところ、この『サンタモニカの週末』の映画企画は本来、マッケンドリック監督が自ら構想したものではなく、彼とカーティスが、この映画に関わるようになったいきさつ自体、まるで『成功の甘き香り』の物語を地で行くような、何とも皮肉めいたものだった。後年、彼がその体験を苦々しく振り返って語ったところによると、本作のプロデューサーが、片やカーティスに、マッケンドリック監督が君とぜひ一緒にやりたい企画がある、と言って本作への出演を持ちかけ、他方で、マッケンドリックにも同様に、カーティスが君とぜひやりたい企画がある、と言って本作の監督の仕事をオファーしたものらしい。2人ともそれぞれ、題材自体はまったく馬鹿げた代物と内心では思っていたものの、あの彼がそういうのであれば……ということでOKの返事をし、いざ後になってから、ことの真相を知り、お互いに臍を噛んだという。 完全主義者として知られるマッケンドリック監督は、与えられた厳しい悪条件の下、懸命に力を注いで本作を作り上げたものの、結局、映画界にすっかり嫌気がさして監督業の足をきっぱり洗い、1969年からは、当時新設されたばかりのカリフォルニア芸術大学(カルアーツ)の初代映像学部長に就任して、以後は長年、後進の育成に情熱を注いだ末、1993年、81歳でこの世を去った(彼の遺した映画講義録をもとに作られた書物が、「マッケンドリックが教える映画の本当の作り方」)。 カルアーツで彼に映画の授業を習い、その後、映画監督への道を進んだジェームズ・マンゴールドらを中心に、マッケンドリック再評価の声が近年高まっているが、彼の真価や重要性が広く世間に知れ渡っているとは、到底まだ言えないだろう。まずはぜひ、この『サンタモニカの週末』を見て存分に楽しんで欲しいが、実はこの滅法面白くて愉快な彼の遺作が、マッケンドリック・マニアや研究者たちの間では、概して一番評価が低い作品とみなされているのだ。学生時分にこれを最初に見て、たちまち彼の映画に病みつきになってしまった筆者からすると、ええっ、そんな馬鹿な、と言いたくなる一方で、諸々の点を勘案すると、まあ、それも一理あるかも、という気も現在はする。……ふーむ、てことは、ほかの作品は、どんだけ凄いんだ? と、これで少しは興味と好奇心をそそられたでしょうかね、皆さん。まあ、ここはひとつ騙されたと思って、この『サンタモニカの週末』を試しにどうかお楽しみあれ!■ TM & © Warner Bros. Entertainment Inc.
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COLUMN/コラム2016.11.07
【未DVD化】天才ピアニストのリストがロケットに乗ってナチスと戦う! ケン・ラッセル屈指の珍作『リストマニア』は伝記映画が否か?
いくら真剣に話しても「そんなわけないでしょう」と一笑に付される映画がある。そんな代表例がケン・ラッセルの1975年作『リストマニア』だ。詳細に説明すればするほどにウソくさく、じゃあ実際に観てみてくれよと懇願しても、日本では劇場未公開でVHSビデオがリリースされたきり。ほとんど視聴する方法がなかったのだ。そんなカルト中のカルト映画がザ・シネマにお目見えするというから、いくら感謝しても足りないくらいである。 「リストマニア」とは19世紀の音楽家フランス・リストの熱狂的ファンを指す言葉。長身のイケメンで超絶技巧の天才ピアニストだったリストのコンサートでは、詰めかけた女性客が失神し(時にはリスト自身も失神し)、リストマニアたちがわれ先にステージに突進して贈り物を投げ与え、リストが使った後の風呂の湯を飲もうとした不届き者までいたという。言うなればリストは19世紀のロックスターで、世界初のアイドルでもあった。ビートルズ全盛期のファンの狂騒を「ビートルマニア」と呼ぶのも「リストマニア」から派生したバリエーションである。 そんなリストの生涯を鬼才ケン・ラッセルが映画化――と言うは易いが、完成した作品は伝記映画のカテゴリーに入れるにはあまりにもブッ飛び過ぎている。主演はラッセルの前作でもあるロックオペラ『トミー』(1975)に主演したザ・フーのボーカリスト、ロジャー・ダルトリー。音楽はプログレバンド、イエスのキーボーディストだったリック・ウェイクマンが担当。この時点で正統派のクラシック音楽に寄せる気がなかったのは明白だろう(ただし劇中曲の大半はリストやワーグナーの楽曲のアレンジ)。 舞台は19世紀のヨーロッパ。人気絶頂のピアニスト・リストは伯爵夫人マリー(フィオナ・ルイス)の間男になり伯爵に殺されかけるが、マリーと一緒に出奔して3人の子供に恵まれる。やがて倦怠期が訪れ、ロシア貴族のカロライン(サラ・ケッスルマン)に鞍替えするも、ローマ教皇(リンゴ・スター)に結婚を阻まれてしまう。一方リストの舎弟だったワーグナー(ポール・ニコラス)はリストの娘コジマ(ヴェロニカ・キリガン)を略奪婚して新興宗教の教祖に成り上がる。カギ十字マークの武装軍団を結成して世界征服に乗り出したワーグナーとコジマをリストは“愛の力”で止めることができるのか? 文字にすると本当にバカげている。でもふざけているわけでも盛っているわけでもないのだ。本当にこれが『リストマニア』のストーリーなのだ。もうちょっと簡潔にすると「セックス三昧のモテモテ音楽家リストが、悪の権化ワーグナーに戦いを挑む壮大なコント」ということになるだろうか。 もちろんナチスの台頭は20世紀なのでリストともワーグナーとも直接の繋がりはない。ただしヒトラーがワーグナーの音楽に心酔し、ワーグナーの遺族を援助したことは事実なので、ワーグナーとヒトラーを同一視したトンデモ描写を歴史への皮肉と解釈することはできる。しかしチョビ髭を付けたワーグナーがエレキギター型マシンガンで暴れまくるクライマックスを観て歴史の教訓を読み取ることは常人には至難の業だろう。 ケン・ラッセルのやりたい放題はまだまだある。ラッセルは『恋人たちの曲/悲愴』(1970)や『マーラー』(1974)でも音楽家の生涯を独自のスキャンダラスな解釈で描いているが、『リストマニア』では冒頭からメトロノームに合わせて伯爵夫人マリーのおっぱいを吸う下ネタギャグで幕を開ける。突然チャップリンの無声映画を完コピしたり、新興宗教の制服がスーパーマンのコスチュームだったり、ワーグナーが狼男とドラキュラとフランケンシュタインになってみたり、ジャンルの壁を飛び越えまくるアバンギャルド精神が尋常じゃない。 前作『トミー』では原作者であるピート・タウンゼントがラッセルの過剰な演出に不満を唱えていたと聞くが、自ら脚本も書いた『リストマニア』は『トミー』なんて目じゃないほどにイカレている。猥雑でデタラメでぶっ壊れていて、ある意味では作家主義の行きつく果てを教えてくれる啓示のような作品なのだ。 と、いかに『リストマニア』がムチャクチャかについて書いてみたが、リストの生涯や19世紀の音楽シーンを知るうちにデタラメな中にもラッセルなりの裏付けがあることがわかってきた。例えば映画の序盤に文化人でごった返すパリのサロンが登場する。そこにはなぜか男声で吹き替えられているSMの女王がいて、Mっ気のある男がすがりついている。この2人は誰あろう。天才音楽家フレデリック・ショパンと、ショパンの恋人で女性作家のジョルジュ・サンドなのだ。 ジョルジュ・サンドは男装で社交界に出入りしたゴリゴリのフェミニストとして知られ、ショパンは初めて彼女に会った時の印象を「男のような女」と書き残している。そういった史実をラッセルのけばけばしいフィルターを通すと、前述のようなSMカップルができあがるのだ。 また同じサロンのシーンで、ワーグナーがメンデルスゾーンのことを「金で音楽を作る男」と揶揄するセリフにも根拠がある。ワーグナーはユダヤ系のメンデルスゾーンを嫌っており、「音楽におけるユダヤ性」という論文で名指しで攻撃したことさえあるのだ。ヨーロッパにはユダヤ人を守銭奴扱いする伝統があり、その傾向が最も過剰な形を取ったのがナチスドイツによるホロコーストだったわけだが、この何気ないセリフの背景にはワーグナーからヒトラーへと繋がっていく反ユダヤ思想が横たわっているのである。 リストの伝記映画としても実はポイントポイントをちゃんと押さえている。リストが最初に不倫する伯爵夫人はパリの社交界の華だったマリー・ダグーで、リストとの間に3人の子供が生まれ、コジマ以外の2人が早世したのも史実の通りだし、カロラインとの結婚がバチカンに認められずに破局したのも現実そのまま。娘のコジマがリストの弟子で指揮者のハンス・フォン・ビューローと結婚していたのにワーグナーに奔ったドラマティックなエピソードはクラシック通以外にもよく知られた話だ。 ケン・ラッセルは前述したようにリスト、マーラー、チャイコフスキー、エドワード・エルガーと19世紀に活躍した音楽家の伝記ものを多く手がけており、当時の音楽事情にもっとも通じている映画監督だったろう。19世紀はブルジョワ階級が台頭し、サロン文化が花開いた。新しい価値観が現れて旧来の常識が良くも悪くも覆されていく。そんな世相や時代の空気を最もケン・ラッセル色を強めて映像化してみせたのが『リストマニア』ではなかったか。 本人が生きていれば深読みのし過ぎだと笑い飛ばすかも知れない。大好きな不謹慎ネタで歴史を混ぜっ返したかっただけかも知れない。しかしながら長らく底抜けのバカ映画だと信じてきた『リストマニア』が、実はアカデミックな教養と理解に裏打ちされた、もっと多角的に掘り下げられるべき作品であることは大きな発見だった。とにもかくにもこの貴重な機会を逃す手はない。未見の方には「こんな珍奇な映画には人生でも滅多に出会えない」という一点においてだけでも、ザ・シネマでの放送を目撃していただきたい。■ TM & © Warner Bros. Entertainment Inc.
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COLUMN/コラム2016.11.03
【DVDは通常版が受注生産のみ】今こそくつがえせ、オールスターパニック超大作の不評を!!ー「エクステンデッド版」が引き出す『スウォーム』の真価 ー
そうした状況下で『ポセイドン・アドベンチャー』(69)や『タワーリング・インフェルノ』(74)といった、オールスターキャストによるディザスター(大災害)を描いた大作が観客の支持を得たのだ。これらを製作した同ジャンルの担い手が、名プロデューサーとしてテレビや映画の一時代を築いてきたアーウィン・アレンである。『スウォーム』はそんなアレンが満を持して送り出した、殺人蜂が人間を襲う昆虫パニック超大作だ。 蜂を敵役にした昆虫パニック映画には、『デューン/砂の惑星』(84)や『グローリー』(89)の撮影監督としても名高いフレディ・フランシスが手がけた『恐怖の昆虫殺人』(67)や、ニューオーリンズから飛来した殺人蜂が人々を襲う『キラー・ビー』(76)などの先行作品がある。しかし『スウォーム』は、そういった諸作とは大きく一線を画す。1974年、アーサー・ハーツォグによる同名原作が出版された直後に映像化権が取得され、早々と映画化が検討されてきた。 時おりしも『タワーリング・インフェルノ』でアレンのプロデュース作品に弾みがついた時期で、同作に引き続いて名匠ジョン・ギラーミンが監督をする予定となっていた。しかしギラーミンは『キングコング』(76)や『ナイル殺人事件』(78)といった大型企画に関与しており、プロジェクトからやむなく離脱。また、空を覆い尽くす蜂の大群を視覚化するのに、これまでにない特殊効果撮影の必要性を覚え、長期における企画の熟考がなされてきたのである。最終的には『タワーリング~』でアクション演出の手腕をふるったアレン自らが監督として、作品の指揮を執ることになったのだ。ヒットを連発する敏腕プロデューサー直々の演出に、作品に対する期待は否応なく膨らんでいったのである。 また企画が練られている間に、好機も巡ってきた。人食いザメの恐怖を描いたスティーブン・スピルバーグの出世作『ジョーズ』(75)が映画界を席巻し、世に動物パニック映画のブームが訪れたのだ。このムーブメントと、アレン自らが築いたパニック大作ブームの追い風に乗り『スウォーム』は当時の最大数となる全米1400館の劇場で一斉公開されたのだ。 ■ハチを敵役にした背景 そもそも、なぜ蜂が恐怖の対象として本作に用いられたのか? 1957年、ブラジルで蜂蜜の生産向上を目的とした、アフリカミツバチとセイヨウミツバチとの交配種が生み出された。ところが本来の目的に反し、このミツバチが狂暴種となって群れをなし、ブラジル各地で猛威をふるう存在となってしまった。それが60年代に入ってから徐々に生息範囲を広げ「やがて北米に侵入してくるのでは」という懸念が、当時のアメリカ社会に蔓延していたのである。 ハーツォグの原作小説「スウォーム」は、こうした事実をヒントに執筆された秀逸なSF作品だ。スタイルとしては、1969年にマイケル・クライトンが「アンドロメダ病原体」で実践した「具体的な社会事例と科学理論を織り交ぜたセミドキュメンタリータッチ」を踏襲しており、作品はリアリティあふれるハード科学フィクションの様相を呈している。各地で起こった蜂による被害報告をはじめとし、事態はやがて全米における変異殺人蜂の猛襲へと移行していき、最終的には科学者たちが遺伝子操作で蜂を自滅へと追いやっていく。その一部始終が、あたかも現実の出来事のように描かれている。 しかしアレンの映画版は、そんな原作から「殺人蜂の群れが人間を襲う」というスペクタクル成分のみを抽出し、自身のプロデュース映画の方法論にのっとった脚色を施している。結果、これまでの動物パニック映画のような低予算スリラーではなく、巨額の製作費で、ド派手な見せ場に重点を置いた「オールスターパニック超大作」として成立することとなる。 ■『スウォーム エクステンデッド版』とは? 『スウォーム』の劇場公開時のランニングタイム(上映時間)は116分。同タイプの作品にしてはコンパクトな印象を受けるが、これは当時、アメリカ映画の斜陽によって、お金をかけた大作であってもラニングタイムを極力短くし、上映回数を増やそうとした動向によるものである。そのため、本編中の展開やキャラクターの行動に未消化な部分が生じ、作品の評価を貶める結果を招いてしまう。そのことは興行にも影響することとなり、『スウォーム』は2100万ドルの製作費に対して1000万ドルしか収益を得ることができず、パニック大作のムーブメントに自ら引導を渡してしまったのだ。 そんな『スウォーム』を、本来あるべき正しい形にしたものが、この「エクステンデッド版」だ。ランニングタイムは156分。1992年12月に、アメリカでLD(レーザーディスク)ソフトとして発売されたのが初出となった(日本未発売)。 当時の米国LDソフト市場は既発売のタイトルを、オリジナルの画角、あるいはデジタルリマスタリングによる高画質化のうえで再リリースするという流れにあった。『スウォーム』もその流れを汲むタイトルとして、ワイドスクリーン収録、デジタルリマスター化に加え、劇場公開時よりも40分長いバージョンが発売されたのだ。また前年(1991年)にはアーウィン・アレンが亡くなったことから、リリースには氏を偲ぶ意図も含まれている。 ただアレンの死後ということで、はたして誰の監修による「エクステンデッド版」ということが取り沙汰されるだろう。しかし、こうした拡張バージョンは作品の劇場公開とは別に、テレビ放送用に作成されるケースが多かった。例えば1977年、米NBCネットワークが『ゴッドファーザー』(72)ならびに『ゴッドファーザーPARTII』(74)を時系列に組み替え、未公開シーンを挿入して7時間半に拡張した『ゴッドファーザー/コンプリート・エピック・フォー・テレビジョン』を放映した。それを筆頭に『キングコング』『パニック・イン・スタジアム』(76)さらには『スーパーマン』(78)などの作品が、テレビ放映時にはランニングタイムの長いバージョンでオンエアされている。テレビ局側にとっても、視聴率を稼ぎ、また放映時のコマーシャル単価を上げるためにも、未公開シーンを挿入した別バージョンは大きな効力となった。ことに『スウォーム』の場合、劇場での興行成績が振るわなかったことから、副次収益を得るために、こうした拡大バージョンの準備が整えられていたのである。 『スウォーム エクステンデッド版』は、登場する個々のキャラクターたちが各自なんらかの接点を持ち、緊密な関係を結んでいるのが特徴だ。また、それらの登場人物を介して場所や視点の移動がスムーズにおこなわれるなど、演出や編集において細かな配慮がなされている。ところが「劇場公開版」では、それがことごとくカットされ、全体の繋がりが著しく悪くなってしまっている。殺人蜂の襲撃を受けるメアリーズビルの町長や学校長なども、それぞれが役割に応じて未曾有の危機に対処すべく存在するのに、同バージョンでは彼らがただパニックに巻き込まれるだけの「悲惨な人」にすぎない。 なによりも「劇場公開版」では、殺人蜂の発生の詳細や、人を死に至らしめる個体の特性が明らかにされないままストーリーが進むという、説明不足な欠点があった。しかし「エクステンデッド版」では、蜂が仲間を増やしながら潜伏していた事実や、連中がプラスティックを噛み砕く強靭な顎を持ち、そのプラスティックを巣作りの材料に用いるといった特異性にもキチンと言及しており、対象となる殺人蜂がいかに脅威的な存在であるかを明示している。 また、恐ろしい変異種が主要キャラクターを襲い、無差別に犠牲者を生み出すという緊張感も「劇場公開版」は台無しにしている。特に両親を蜂に殺され、その仇を討とうと巣に火を放ったポール少年(クリスチャン・ジットナー)は、自らも毒によって非業の死を遂げる。そんな、子どもであろうと容赦しない描写も「劇場公開版」では削除され、立ち位置も曖昧なままに彼は映画から姿を消してしまう。クレーン(マイケル・ケイン)が自らを犠牲にして解毒剤を作ったクリム博士(ヘンリー・フォンダ)の死に接し、ハチとの戦いに勝とうと誓う象徴的な名シーンも削除され、また1838年のチェロキー族インディアンの強制移送に喩えられた、悲壮ともいえる列車での国民避難も「劇場公開版」では単に脱線事故を作り出す以上の意味を成すことはない。 こういった諸々の重要シーンを40分も削ぎ落としたのでは、評価に影響が及ぶのも仕方がないというものだ。 『スウォーム』が製作されて、およそ38年の歳月が経つ。現在ならば本作のような映画も、CGIによって途方もない蜂の群れを再現できるだろうし、先に挙げた「アンドロメダ病原体」が『アンドロメダ…』(71)になったような、原作のまま硬質に映画化するアプローチも考えられるだろう。事実、本作のリメイクの話は、これまでに何度となく浮上しては姿を消している。 しかし時代の趨勢によって、映画のありようが大きく変わってからでないと、古典の持つ価値を計ることができない場合もある。総数2200万匹(広報発表)といわれる本物の蜂を使って撮影に挑み、あるいは街のセットを豪快に燃やしてディザスター描写を作り上げた、そんな本物ならではの迫真に満ちた映画体験は、今ではなかなか得難いものだ。 不完全な形での劇場公開によって、必要以上の悪評をこうむってしまった『スウォーム』。「エクステンデッド版」の存在は、この不遇に満ちたオールスターパニック超大作の立場を一転させ、同作の真価を引き出してくれるのである。キーの叩きに乗じて持ち上げすぎた感もあるが、少年時代、本作に何回も接し、貴重な時間を割いた者として、その心情に嘘偽りはない。■ TM & © Warner Bros. Entertainment Inc.
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COLUMN/コラム2016.10.15
【ネタバレ】奇才ヴァーメルダム監督が描く、シッチェス・カタロニア映画祭グランプリ受賞作『ボーグマン』に見えてくるもの!
日本ではほとんど知られていない俳優たちばかりが出演し、静かに淡々とした映像が映し出されていくが、ミステリアスで得体のしれない人間を見るのは、実に興味深くて魅きつけられる。それが1人ではなく、どこからともなく集まってくるような恐ろしい集団となれば、なおさらだ。なんとも不気味で刺激的、且つアーティスティック、とはいえ最後まで飽きさせないエンタメ性も感じさせながら、シュールなテイストに満ちたオランダ=ベルギー=デンマーク合作の秀作スリラー(その不可思議なセンスからは、デヴィッド・リンチ風の匂いも感じ取れる)。 他人の土地に、無断で幾つも穴倉(ねぐらみたいなもの)を掘り、そこにホームレスのような人々が秘かに暮らしている。そんな彼らを察知した地元の人々が追い出しにかかると、一斉に穴倉から出てきて逃げ出す。 逃げる集団のリーダー格の1人は、乱れた長髪に無精ひげを生やし、大きな庭がある邸宅にやってきて、「あなたの奥さんを知っている……汚れているから、なんとか風呂を貸して欲しい」とおかしなことを強引にねだる。「妻を知っている」とテキトーなことを言う男に怒り狂った夫リシャルトは、その男を暴力的に叩きのめして追い帰してしまう。 この最初の事件が起きる前、すなわち冒頭にこんな字幕が出ていた。「そして彼らは、自らの集団を強化するため、地球へ飛来した」と……なんなんだ、この意味は!? その“彼ら”を、全編を観て分かったことを要約してみれば、他人の土地に無断侵入して、仲間と連絡を取りあって狡猾に策略を弄し、俗物的な人間を次々と殺しては、仲間(信奉者)を増やしてゆく殺人集団である。でも、どう見ても、“地球へ飛来”してきたような生物には見えない。 そして題名のボーグマンとは、謎のホームレス集団のリーダー格に見える男、或いは幹部相当の男なのか……自らをカミエル・ボーグマンと名乗っていた。「イエスは自己中のクソ野郎だ」と言い放つ彼は、大天使ミカエルを嘲笑したような名になっているのも、当然偽名だからだろうか。 ならば“地球へ飛来した”は、何らかの比喩なのか。高級住宅地に住むような富裕層を嫌う集団のようにも見えるが、リシャルト家の庭師夫婦……平凡だが性格が良さそうな人を殺害したり、リシャルト家に庭師の面接に訪れた中産階級の男たちを襲ったりしていた。そう考えると、ボーグマンらは、人間社会から逸脱し、金品や権力や名声に固執しない自由奔放さに生きつつも、彼らなりの決まりごとが確かに存在しているようだ。 カミエル・ボーグマンは、映画が始まって早々、次の標的にリシャルトと妻マリナに絞っていた。カミエルがマリナと過去に出会っていたか否かは不明だが、マリナはリシャルトが暴力で傷めつけたカミエルを気遣い、夫がいない間に風呂に入れ、大きな庭の離れにある小屋を数日間貸してあげる。カミエルは外部にいる仲間と携帯電話で連絡を取り合い、「時は来たか?」の問いに対し「まだだ」と応えていた。そしてカミエルは、秘かに邸宅に侵入しては様子を窺っていた。不思議なことに、悪夢を見て泣いていたマリナの娘イゾルデに接し、なにやら話しを聞かせていたのだ。 このイゾルデがかなり変わった子で、クマのぬいぐるみの体を裂いて中の詰め物を抜いて、代わりに土を入れていた。更に(庭師の面接にやってきた)暴力で叩きのめされた男の顔面に向け、トドメとばかりに大きなブロックを振りおろしたのだ。まるで子供が矮小な生物をいじめ、殺してしまうかのように。 すべては、カミエル・ボーグマンの悪影響なのか。それを感じさせるのが、マリナのこのセリフ。「何かに囲まれている。時々忍び込んでくるの。その温かさは心地いいけど、私たちを惑わせる……悪意を秘めているの。私には、そう感じる。後ろめたいの。私たちは、あまりにも恵まれている。罰を受けるわ」 マリナは、カミエル・ボーグマンを怖れていても、彼には抗えないほど魅かれてしまう何かがあると思っている。夫リシャルトとは180度異なり、何を考えているのかも分からないし、裕福な生活を与えてくれるわけでもない。なのに、彼のどこがいいのだろうか? やがてカミエルの肉体をも欲するようになる。彼には、女性の心を手玉に取る魔力があるのかもしれない。 リシャルト家の周辺で、ボーグマンらによって人々が殺されていくが、死体はすべて、ある池の底に遺棄されていた。謎の集団は黙々と作業をこなすように死体を処理する。死体の頭部をバケツに入れてコンクリート詰めにし、乾いたらその死体を自動車で運んで池に沈めるのだ。池の底には、コンクリート詰めのバケツの重量で、池の底に頭部が着いた逆さ死体が幾つも並んでいる。ちょっと見、水の流れに揺れる大きな水草のようにも見えるが(笑)、全て死体。これが不気味! 観終わって思うのは、カミエル・ボーグマンらカルト犯罪集団は、格差社会が生んだ恐怖の象徴なのか、富裕層に対する怒りを表現した何かか、それとも人間の代表的な欲を排してダークサイドに傾倒した人間を描きたかったのか、その意図は全くもって不明である。 従って、この映画が描きたかったことも不明瞭に映るかもしれないが、本作の魅力はそこにあると思う。観る者の想像力に刺激を与え、“地球へ飛来した”の解釈も、観た者によって異なってくるはず。筆者はこう解釈した。地続きの国の人々が抱く不安……それは外国人(英語表記だと、ALIEN)の移民や難民の流入によって、格差社会がより一層明確になっていく。移民とは感情を交わすことができないまま、貧富の格差社会が生まれるが、やがては彼らによって土地が奪われ、職を奪われ、犯罪が起きるという危惧を、ボーグマンという集団の姿を借りて表現した社会派ホラーのように見えた。まずは頭をまっさらにして、奇才アレックス・ファン・ヴァーメルダム監督が描くユニークな秀作に触れて欲しい。■ © Graniet Film, Epidemic, DDF/Angel Films, NTR
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COLUMN/コラム2016.10.10
ボンクラ兄弟がド田舎で作る人肉有機肥料が農家に大好評。ユルすぎる恐怖があなたを襲うコメディ・ホラー〜『モーガン・ブラザーズ』〜
経営破綻した某投資銀行グループみたいな邦題からはジャンルも内容も伝わりづらいが、こちらはオーストラリア産のれっきとした(?)ホラー・コメディ。それも、オーストラリア版アカデミー賞でオリジナル脚本賞と助演男優賞の2部門に堂々ノミネートを果たした快作である。 舞台はオーストラリアの田舎。どれくらい田舎なのかというと、辺りの農場や道端に立てかけられたボロボロの手書き看板を見れば一目瞭然だ。「妖精の国 毎月第3日曜営業」「ストックポート・フェス反対!」そして「手摘みの馬フンをどうぞ」。手摘みってあなた、ブルーベリーやイチゴじゃあるまいし(笑)。どうやらご自由にお持ちくださいってことらしいが、要するに人々が昔ながらの生活を頑なに守って暮らす、時代に取り残された異空間みたいな場所。しかも、周辺を見渡す限り人影など殆どなし。ひたすら続く平原の中に、時々ポツンポツンと農場や墓地が点在する。これはもう宇宙並に「あなたの悲鳴は誰にも聞こえない」レベルのド田舎だ。 そんな辺境の地をノンビリと走るトラックが1台。ラジオから流れる懐メロ・オージー・ヒッツにご機嫌のニイちゃんがふと道路脇に目をやると、どうやら事故で木に激突したらしきミニバンを発見する。運転席には血まみれになった男の死体が。ドキドキしながら周囲に誰もいないことを確認したニイちゃんが何をするのかというと、いきなりミニバンから死体を引きずり出してトラックの荷台へ押し込め発車!バタンと閉めた扉には「モーガン・オーガニック有機肥料」のロゴ。そう、この見るからにトッポそうなニイちゃんこそ、実は我らがモーガン・ブラザーズの弟レジ(デイモン・ヘリマン)なのである。 大草原の小さな工場で有機肥料を製造する兄リンゼイ(アンガス・サンプソン)と弟レジのモーガン・ブラザーズ。どちらも頭の悪さはどっこいどっこいだが、体も肝っ玉も小さくてお人好しのレジに対して、体も態度もゴリラみたいにデカい髭面のリンゼイは典型的な暴君。当然のことながら、弟は完全に兄の尻に敷かれている。で、そんな兄弟の経営する肥料工場はつい最近まで財政が火の車だったが、ある秘策が功を奏して売上はたちまち好転。ローカル・ラジオでCMまで流すほどになった。その秘策というのが、人肉を混ぜた有機肥料だったというわけだ。 理屈としては、人体に含まれる高数値のカリウムが土壌を豊かにするらしく、取引先の農場からは増産を催促されるほどの大好評。信ぴょう性のほどは定かでないものの、もし本当だったら映画見て真似する業者が出てきそうだなあ。いやいや、ロシアとか南米辺りでは既にやってるかも♪なんて、偏見も甚だしい勝手な想像を巡らせるのもまた一興。で、そんなこととは露知らず、車の故障で立ち往生した都会の若者3人組が、荷台に人肉肥料とフレッシュな死体を積んだレジのトラックに拾われたことから、新たな惨劇(?)の幕があがることになる。 ここまでのストーリー解説でお分かりの通り、本作は『悪魔のいけにえ』と『地獄のモーテル』を足して割ったような映画と言えるだろう。ただし、ノリはひたすらユルい。いけにえ一家やモーテル兄妹の狂気も残酷も、ここではほぼ皆無に等しいのである。「俺たちはサイコじゃない!自営業者だ!」とは弟レジの名ゼリフだが、そもそも彼らは交通事故で死んだ人の遺体をかっさらってはミンチにして肥料へ混ぜているだけ。背に腹をかえられなくなった、ただのボンクラ兄弟だ。決して人殺しをしているわけじゃない。少なくとも今のところは…。 そして、たまたまヒッチハイクしたのがレジのトラックだったという不運な若者というのが、性格はいいけど単細胞なジェームズ(オリヴァー・アクランド)とその親友で能天気なジャンキーのウェス、そして絶妙なサジ加減でちょいブスなジェームズの恋人ソフィー(アナ・マクガハン)の3人だ。これまたモーガン兄弟に負けず劣らずのおバカトリオである。まあ、とりあえず紅一点のソフィーだけは若干賢そうだが、そんな彼女もカレシとその親友とで二股中の浮気女。もちろん、鈍感なジェームズは自分と親友がまさか穴兄弟だとは夢にも思っていない。 で、トラックの荷台に死体を発見した3人は“こりゃヤバイ!”と気づくものの、時すでに遅く場所は敵陣のど真ん中。周辺100エイカー(40万平方メートル以上)に民家はないが、それでもなんとかして逃げ出さなくちゃならない。一方のモーガン兄弟もモーガン兄弟で、若者らに危害を加えるつもりなど別になかったのだが、よもや秘密を知られたとなっちゃあ生かしておけない。ということで、ボンクラ兄弟VSおバカトリオによる、奇想天外かつトボけたイタチごっこが始まるというわけだ。 そんなこんなで、恐怖指数よりもお笑い指数の方がダントツに高い。そこが恐らく好き嫌いの分かれ目にはなるだろうが、しかし絶体絶命の危機的状況下で痴話喧嘩を始めるジェームズとソフィー、なんとかドサクサに紛れて工場を逃げ出したはいいものの、絶妙なタイミングでドラッグが回って頭の中がお花畑状態になるウェスなど、スラッシャー映画あるあるを逆手に取った間抜けな展開の数々は素直に楽しい。あくまでも大爆笑じゃなくて、クスクスと笑える程度なのがグッドだ。のどかなわりにスプラッター描写も意外と過激だしね。しかも、最終的にはまさかの純愛ドラマへとなだれ込んでいくことに!海外では『ショーン・オブ・ザ・デッド』や『タッカーとデイル 史上最悪にツイてないヤツら』などと比較されているようだが、むしろ『XYZマーダーズ』や『とむらいレストラン』辺りが好きな人にオススメだ。あ、あとエンド・クレジット後のオチもお見逃しなく。 監督のケアンズ兄弟はこれが劇場用長編映画デビュー。本作でシッチェス国際映画祭ミッドナイト・エクストリーム部門のグランプリを受賞した彼らだが、2本目の最新作「Scare Campaign」は地元オーストラリアで開催された昨年のモンスター・フェストにて、最優秀監督賞、最優秀脚本賞など4部門を獲得している。これはウェブメディアに押され気味なテレビのホラー系ドッキリ番組が、視聴率挽回のために過激な仕掛けを試みたところ予想外の展開を見せていくというもの。今度は一転してシリアスなホラーとなっている様子で、こちらの日本公開も待たれる。■ © 2012 Cyan Films Pty Ltd, Filmfest Limited, Screen Australia, Film Victoria and the South Australian Film Corporation
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COLUMN/コラム2016.10.04
プレイバック80'sキョンシー大ブーム、それを踏まえた上で作られた、“本当に怖い”2013年版『キョンシー』
中国では、労働者が出稼ぎ先で死んだ場合、故郷で埋葬しないと家族が不運に見舞われると言われていた。そこで故郷まで死体を運搬するために、道教の道士が呪術で死体を歩かせたという伝承がある。また、強い恨みや妬みを持ったまま死んだ者は、死んでも死にきれずに生ける屍としてこの世をさまようことになる。中国では、こうした死してなお動き回る者をキョンシーと呼んだ。そしてキョンシーは人の生き血を求めて夜な夜な徘徊して人々に危害を加えるため(キョンシーに噛まれた者もまたキョンシーとなる)、法術を極めた道士たちはキョンシーハンターとして全国を旅していたという。 1978年、ジョージ・A・ロメロ監督の『ゾンビ』が公開された。死者が甦った世界で繰り広げられる壮絶なサバイバル映画である本作は、低予算ホラー映画でありながら世界を席巻。世界で一大ゾンビブームを巻き起こした。その頃、香港で一人の映画人がアジア版『ゾンビ』の制作に着手している。武術指導家として名を成し、映画製作者としても俳優としても成功したサモ・ハン・キンポーである。 サモ・ハンは自身の得意とするカンフー映画とホラー映画、さらに当時香港で流行していた『Mr.BOO!』などのコメディ映画の融合を試みた作品『妖術秘伝 鬼打鬼』(80年)を世に送り出し、1980年の香港興行収入第3位となる爆発的な大ヒット作とした。香港映画史上初めて本格的にキョンシーが登場した本作は、香港でホラーアクション映画が大流行する嚆矢となったのだった。 続く『霊幻師弟/人嚇人』(83年)では、サモ・ハンの盟友で、ブルース・リーのスタントダブルを務めていたラム・チェンインを道士役として起用。前作『鬼打鬼』の倍以上の興行収入を上げる、大ヒット作となっている。さらに次の『霊幻百鬼 人嚇鬼』(84年)もスマッシュヒットを記録しており、後のキョンシー映画大ブームの礎として位置づけられるこの3作品が、後に“サモハン・ホラー3部作”とされている。 “サモハン・ホラー3部作”の成功を受けて、サモ・ハンはさらにパワーアップした作品の制作に着手。それがキョンシーを全世界に認知させることになる『霊幻道士』(85年)である。 それまで監督・主演を務めてきたサモ・ハンが、プロデューサーに退いたこの作品。3部作では多く登場する幽鬼の一部でしかなかったキョンシーを本格的にフィーチャーし、これまで以上の激しいアクション、洗練されたコメディ要素、ラブロマンス、ホラーと、映画に必要なあらゆる要素ぶち込んで融合させることに成功した本作は、香港で2,000万ドル以上を稼ぎ出すメガヒットとなり、さらに日本や台湾でも大ヒットを記録した。 『霊幻道士』のメガヒットによって、黄色い道袍に身を包んだ道士と、暖帽と補褂という清朝の官服を身に付けたキョンシーというセットは映画界に完全に定着。もち米、雌鶏の血を混ぜた墨汁、銭剣や桃の剣、まじない符といった対キョンシー兵器や、息を止めることでキョンシーから身を隠す方法など、キョンシー映画の“お約束”も本作で確立。これによって無数の亜流作品が登場するだけでなく、劇中のコメディリリーフとして多くの作品にキョンシーは頻繁に登場するようになっていく。 そして亜流キョンシー作品の決定版ともいうべき作品が、台湾で制作された『幽幻道士』シリーズ(86年~)である。『幽幻道士』シリーズは、『霊幻道士』で確立したキョンシー映画に“美少女道士”という萌え要素をプラス。美少女道士テンテンを演じたリュウ・ツーイー(現在はシャドウ・リュウという名で活動)の可憐な魅力も相まって、月曜ロードショーで放映されるや高視聴率を記録し、以降シリーズ化されていくことになる。また映画だけでなく、1988年には日本のTBSが出資してテレビシリーズとして『来来!キョンシーズ』も制作され、月刊コロコロコミックでは『ニイハオ!キョンシーくん』『霊幻キョンべえ』といったコミカライズもされるなど、キョンシーは各国以上に日本で定着していった(街中ではキョンシーのマネをする子供で溢れかえっていた)。 その頃本家『霊幻道士』では、キョンシー家族が現代社会で大暴れする『霊幻道士2 キョンシーの息子たち!』(86年)、スプラッター映画ブームに乗った『霊幻道士3 キョンシーの七不思議』(88年)、特に何も完結していない『霊幻道士 完結篇 最後の霊戦』(88年)と連続ヒットを記録。しかし『完結篇』をもってサモ・ハンは制作から退き、第5作である『霊幻道士5 ベビーキョンシー対空飛ぶドラキュラ!』(89年)以降はブームの終焉もあって失速。ラム・チェンイン演じる道士がアフリカで『ブッシュマン』(81年)のニカウさんと共にキョンシーと戦う『コイサンマン、キョンシーアフリカへ行く』(91年)といったインパクト抜群なエクスプロイテーション作品が登場するなど、1990年代前半にはキョンシー映画は完全に消費され尽していた。 キョンシー映画というジャンルの最大の弱点は、あまりにも完璧なオリジナル作品『霊幻道士』があったせいかもしれない。キョンシー映画というジャンルは、日本のバブル時代の終焉とほぼ時を同じくして消滅していったのだった(2012年に突然変異的に登場した川島海荷主演のテレビドラマ『好好!キョンシーガール~東京電視台戦記~』(12年)はあったが)。 しかし2013年、世のリブートブームに乗って、名作『霊幻道士』もついにリブートされる時がきた。『キョンシー』(13年)である。 落ち目となってしまった元スター俳優のチン・シュウホウは、幽霊が出現すると噂されるマンションに入居した。シュウホウの部屋には強力な幽魔が住み着いており、シュウホウはここで自殺を試みるが、マンションに住むの引退した道士ヤンによって助けられる。ある日、マンションの住人である老女ムイは、マンションに住む別の道士ガウに階段で事故死した夫を蘇らせるよう依頼し…。 本作のプロデュースは『呪怨』シリーズ(99年~)の監督・清水崇。本作の監督はミュージシャンのジュノ・マックで、初監督とは思えないスタイリッシュな演出を見せる。オリジナルの『霊幻道士』の大ファンであるマックは、本作制作にあたってあえてオリジナル成功の要因の一つであったコメディ要素を完全に排除。さらに清水の参画によってJホラーテイストが多く含まれ、“本当に怖いキョンシー映画”を実現している。 また本作には、オリジナルシリーズのメインキャストを多数起用。残念ながら『霊幻道士』でガオ道士役だったラム・チェンインと、二番弟子モン役だったリッキー・ホイは亡くなってしまったために出演は叶わなかったが、それでもなお『霊幻道士』ファンを歓喜させるキャスティングとなっている。 主人公のチン・シュウホウ役には、『霊幻道士』で道士の一番弟子サンコー役だったチン・シュウホウ。『霊幻道士4』の主人公ゴクウ道士役のアンソニー・チェンは道士ヤン役で、ツル道士役だったチャット・ファンは道士ガウ役で出演。中盤でアンソニー・チェンとチャット・ファンが共闘するシーンは、オールドファンにとっては感涙モノだ。さらに『霊幻道士3』のミン道士役だったリチャード・ンは、今回はアッと驚く役回りを演じているので注視してほしい(他にも旧作の出演者が出ているので要チェック)。 『キョンシー』は、不穏な空気がひたすら流れる序盤、これまでの作品とはレベルの違う禍々しいキョンシーが誕生する中盤、そしてマック監督のオリジナルへの愛情が炸裂する怒涛のクライマックスまで、一気に見せる新感覚ホラー映画なのである。■ © 2013 Kudos Films Limited. All Right Reserved.
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COLUMN/コラム2016.09.17
ジャン・マレーの"陰"とルイ・ド・フュネスの"陽"がガチで渡り合う魅惑の「ファントマ」シリーズ
怪盗とドシな警視が端から勝敗が分かった出来レースを展開する。とても映画ファンフレンドリーなプロットだ。そこから、「ピンク・パンサー」の怪盗VSクルーゾー警部を思い浮かべる人もいるだろうし、一方で、スパイ・アクションとして切り取れば、ジェームズ・ボンドが世界制覇を狙うスペクターを追撃する「007」シリーズも想定内だろう。でも、ピーター・セラーズがシリーズ第1作『ピンクの豹』(64)でその天才的な"間の演技"で一世一代の当たり役、クルーゾーを世に送り出した同じ年、そして、『007 ドクター・ノオ』(63)でボンドが特命を受けてジャマイカに飛んだ翌年、フランスから発射された大ヒット怪盗シリーズがあった。それが「ファントマ」だ。 基の原作はピエール・スーヴェストルとマルセル・アラン共著による大衆小説で、後に母国フランスでサイレントやモノクロ映画にもなっているが、映画史的にはフランスのGaumont製作で20世紀フォックスによって世界配給されたシリーズが最も有名。でも、同じ時代のヒットシリーズ「ピンク・パンサー」や「007」に比べるとも知名度で劣る気がする。実際、映画マニアの中でも未見の人が多いと聞く。しかし、改めて観てみるとこれが楽しいことこの上ない。「007」と比較するのは申し訳ないような緩いアクションと俳優の個人芸、笑いの中に漂う不気味さと癒やし、それらが、シリーズの肝でもあるフランスのエスプリの皿に乗せられ、大衆食堂のテーブルにサーブされるかの如く。 神出鬼没の怪盗、ファントマが街を賑わせる中、パリ警視庁のジューヴ警部と新聞記者のファンドールが怪盗の素顔を暴き、逮捕に漕ぎ着けようとするが、ファントマは頭脳戦でこれに抵抗。両者の攻防はシリーズ第1作『ファントマ 危機脱出』のパリから、第2作『ファントマ 電光石火』のローマへ、さらに第3作『ファントマ ミサイル作戦』のスコットランドへと舞台を移して行く。そんなヒット映画のルーティンに則ったロケーション・ムービーとしての視覚効果はさておき、このシリーズ最大の楽しさは変装術にある。 ファントマの特技は野望達成のために生来の鉄仮面(設定上)の上に他人の顔をコピーして被り、相手を巧みに欺くこと。『危機脱出』の冒頭でヴァンドーム広場の宝石店からハイジュエリーを強奪するシェルドン卿と、物語の後半では刑務所の看守に化けて現れるファントマだが、『電光石火』では、ファントマによって拉致される科学者、ルフューヴル教授自身と、教授に化けたファントマ、さらに、ファントマを欺くために教授になりすましたファンドールが三つ巴で絡み合う。それらのキャラクターは、全員、主演のジャン・マレーが特殊メイクで1人2役、3役、またはそれ以上を演じているのを見逃す人はいないだろう。(勿論、ファントマは誰か?という秘密も)この種のシーンで当時常識とされていたのはスタンドイン。マレー演じる人物が同じ画面で対峙する時、片方はマレーが、もう片方は顔を隠して似た体型の他人が演じるお馴染みの手法だ。映画史に於いて、同じ人物同士が合成によって画面で対面した最初の作品は,恐らくケヴィン・クラインがアメリカ大統領とそのそっくりさんを1人2役で演じた『デーヴ』(93)ではなかったかと思う。いずれにせよ、「ファントマ」ほどスタンドインが堂々と、むしろ意図的に活躍する映画は少ないので、是非、その際の確信犯的カメラアングルに注目して観て欲しい。 変装するのはファントマやファンドールだけじゃない。『電光石火』では孤児院の子供がファントマのマスクを被って仲間を驚かせ、劇中のハイライトである仮装舞踏会では、ファントマが鉄仮面の上にアラブ王子のメイクを施して登場。『ミサイル作戦』では犬がキツネの着ぐるみを着てハイランドを疾走する。それを見てジューヴは『犬までが!?』と嘆くが、変装、仮装、仮面というアイテムは『オペラ座の怪人』『ジゴマ』『アルセーヌ・ルパン』を例に挙げるまでもなく、フランス大衆文学の必須要素。その脈々たる伝統を『ファントマ』も受け継いでいる。 出世作『美女と野獣』(46)で恩師、ジャン・コクトーから獣のメイクを施されたジャン・マレーが、20年後に巡ってきたヒットシリーズで、再びメイクを駆使した役で脚光を浴びるという宿命も感じないわけにはいかない。マレーが『危機脱出』で老紳士、シェルドン卿に扮して画面に現れた時、マレーの美貌にクラクラだった日本の女性ファンは、そのリアルな老けメイクを見て、彼が本当に老け込んでしまっと勘違いしてショックを受けたという逸話も。もし、それが本当なら、本人はさそがし愉快だったことだろう。 変装で魅せるマレーに対して、変幻自在の顔芸と、まるでコマ送りしたような俊敏な動きで笑いを取るのは、フレンチコメディ界のレジェンド、ルイ・ド・フュネスだ。ジューヴ警部に扮したフュネスは、画面にいる時は常時、喋りのスピードに合わせて顔の筋肉を躍動させ、体もそれに連動してまるで瞬間移動を繰り返しているかのよう。深夜、ベッドの上で奇怪な音に反応して飛び起きたり、防音のため耳栓をしていたのを忘れて、朝、寝室に音もなく現れた部下のベルトラン(『グリーンフィンガース』(00)等で知られるフランスのバイプレーヤー、ジャック・ディナムがフュネスと絶妙な掛け合いを見せる)に悲鳴を上げたり等々、人として普通の行動がフュネスの肉体を通すと問答無用で爆笑に繫がるシーンが、不気味なファントマとの対比で絶好のスパイスになっている。 スペイン、カスティーリャ地方の没落貴族の末裔から叩き上げ、フランス屈指のコメディアンになったフュネスの、これは『大混戦』(64)で始まる"サントロペ・シリーズと並ぶヒット作。様々な職業人の特徴を演じ分け、その人物独特の動きをパントマイムで表現する彼の演技手法は、俳優を正業にするまであらゆる仕事をこなしたというフュネスの実地体験から派生しているものだろう。 人気役者に美貌は決して求めず、人間味こそがエスプリの源と信じるフランス人にとって、フュネスがいかに偉大なアイコンだったかは、1964年の年間フランス国内興収の1位に『大混戦』、4位に『ファントマ 危機脱出』が、明けて1965年の1位に人気コメティアン、ブールヴィル共演の『大追跡』、4位にサントロペ・シリーズ第2弾『ニューヨーク大混戦』、6位に『ファントマ 電光石火』が同時ランクインしていることでも明らかだ。因みに、1966年に興収トップとなったフュネス&ブールヴィルの『大進撃』は、1997年に『タイタニック』に抜かれるまでフランス歴代興収最高位を維持し続けた。 そう考えると『ファントマ』シリーズは詩人、ジャン・コクトーに見出された美男俳優、ジャン・マレーの"陰"と、大衆に愛され続けたコメディアン、ルイ・ド・フュネスの"陽"がガチで渡り合った、別の意味での対決映画と取れなくもない。一説によると、撮影中マレーとフュネスの関係は良好ではなかったとか。それはもしかして本当かも知れない、と思ってみたりして。■ © 1964 Gaumont
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COLUMN/コラム2018.02.13
隣のヒットマン
カナダのモントリオール郊外。歯科医のオズ( マシュー・ペリー)はシカゴ出身でありながら、妻の父が起こしたセックス&脱税絡みのスキャンダルによって愛する地元にいられなくなり、仕方なくこの街の病院で働いていた。それなのに、妻ソフィ(ロザンナ・アークエット)の浪費癖は改まることなく家計は破綻寸前。公私ともども冴えない彼は、病院の受付嬢ジル(アマンダ・ピート)にも同情される有様だった。そんなある日、オズの隣家にジミー(ブルース・ウィリス)と名乗る男が引っ越してくる。オズは、彼がシカゴを牛耳るマフィア組織の一員で、ボスを警察に売り渡して予定よりも早く出所することに成功したヒットマン“チューリップ”ことテュデスキの世を偲ぶ仮の姿だということに気づく。だが意外にも気さくな彼とウマが合い、友情らしきものを築くのだった。 しかしいよいよ破産寸前となったオズは、ソフィから「ジミーをマフィアのボスの息子ヤンニに引き渡せば大金を貰えること間違いなし。成功したら離婚してあげる」と迫られ、ヤンニの部下と接触するためにシカゴに行く羽目に陥ってしまう。 しかしオズの留守中にソフィが向かったのはテュデスキの家だった。彼女はオズが彼を売り渡そうとしていることをあっさり打ち明けてしまう。そう、ソフィの真の狙いはオズにかけた多額の生命保険金だったのだ。彼女のオズ殺害計画を知ったテュデスキは、ヤンニの部下で、実はテュデスキの親友フランキー( マイケル・クラーク・ダンカン)を介して「心配するな、俺たちの友情は壊れない」とオズを励ます。 だがオズは手放しでは喜べなかった。というのも、ヤンニのアジトで出会ったテュデスキの妻シンシア(ナターシャ・ヘンストリッジ)と恋に落ちてしまっていたからだ。シンシアはボスの秘密資金1000万ドルを預かっており、現金化するには彼女とテュデスキ、ヤンニ三人のサインもしくは死亡証明書が必要だった。大金を獲得するためならヤンニはもちろん、テュデスキも自分を殺すことを躊躇わないだろうと語るシンシア。果たして小市民のオズは、自分とシンシアに降りかかった絶体絶命のピンチを乗り切れるのだろうか……。 プロットをざっと書いてみるだけでも分かる通り、『隣のヒットマン』(2000年)は複雑な設定と、二転三転するストーリーによって、観る者のテンションを最後までマックス状態に維持し続けるクライム・コメディだ。 凝りに凝った脚本を書いたのは、これがデビュー作だったミッチェル・カプナー。それをモンティ・パイソンのエリック・アイドルが主演した『ナンズ・オン・ザ・ラン 走れ!尼さん』 (1990年) やメリサ・トメイにオスカーをもたらした『いとこのビニー』 (1992年) で知られる英国出身のコメディ職人ジョナサン・リンがタイトに仕上げている。 主演は、ブルース・ウィリス。このとき既にアクション映画界のスーパースターだった彼だけど、出世作だったテレビドラマ『こちらブルームーン探偵社』(1985〜89年)は探偵モノでありながら、パロディとマシンガン・トークを売りにしたコメディ仕立てのものだった。映画本格進出作の『ブラインド・デート』(1987年)にしてもブレイク・エドワーズ監督のロマ・コメだったし、スターダムに押し上げた『ダイ・ハード』(1988年)も実はアクションと同じくらいウィリスの軽口を楽しむ映画である。『隣のヒットマン』はそんな彼のコメディ・サイドをフューチャーするのにピッタリの企画であり、最初にキャスティングされたのも彼だった。そんな製作サイドの要望に忠実に、ここでのウィリスはシリアスとコミカルの狭間を行き交う演技で観客を惹きつけてみせる。 そんなウィリスが、相手役(そしてストーリー上は主人公)であるオズ役に当初から熱望したのがマシュー・ペリーだったという。当時のペリーは、驚異的な高視聴率を記録していたシットコム『フレンズ』 (1994〜2004年)のチャンドラー役でノリに乗っている時期であり、ウィリスは彼が持つ勢いを作品に持ち込めれば映画の成功は間違いないと思ったのだろう。 こうした彼の目論見にペリーは見事に応えている。リアクションがいちいち絶妙。しかも等身大のキャラを得意とする彼だからこそ、映画冒頭の冴えない姿から後半のヒーローへの変貌に、観客が喝采を叫べるというわけだ。またその活躍があくまで歯科医という設定を活かしたものであるところにも唸らされてしまう。 ウィリスとのコンビネーションという意味では、超能力者に扮したフランク・ダラボン監督作『グリーンマイル』(1999年)における演技が絶賛されたマイケル・クラーク・ダンカンも印象的だ。ダンカンはウィル・スミスをはじめとするハリウッド・スターのボディ・ガードから俳優に転じた変わり種。そんな彼をウィリスは『アルマゲドン』(1998年)で共演して以来、高く評価しており、本作は『ブレックファースト・オブ・チャンピオンズ』(1999年)に続く3度目の共演作にあたる。もし2012年に心筋梗塞で急死していなかったら、もっと共演を重ねられたのではないかと思うと、残念でならないけど、ウィリスとのプライベートの交流がそのまま反映された本作の彼は心の底から楽しそうだ。 女優陣もそれぞれ健闘。オズのどうかしている妻ソフィを演じているのは、『マドンナのスーザンを探して』(1985年)などコメディで抜群の冴えを見せるロザンナ・アークエット。フランス語訛りのヘンなセリフ回しが最高におかしい。そんな彼女とは対照的に、『スピーシーズ 種の起源』(1995年)のエイリアン役でお馴染みのナターシャ・ヘンストリッジがフィルム・ノワール的なクール美女シンシアになりきってみせる。 とはいえ、女優陣のMVPはジルを演じたアマンダ・ピートだろう。リアルタイムで本作の彼女を観たときの衝撃ときたら無かった。テレビにはそこそこ出演していたものの、それまで映画で大きな役をひとつも演じたことが無かった彼女は本作でも病院の受付嬢という一見チョイ役で登場する。だが濃すぎる顔立ちは存在感がありすぎるし、セリフは非常識なものばかり。 「彼女は一体何者なんだ?」そんな疑問が観客の中にじわじわ湧き上がっていき、それが沸点に達した瞬間に正体が明かされる。何とジルの正体はテュデスキを崇拝する殺し屋志望の女子だったのだ。映画後半の彼女の大活躍ぶりは、大スターのウィリスとペリーのそれを霞ませるほどのもの。こんな美味しい役をブレイク前の若手女優に与えた本作の製作陣にはどれほど賞賛を送っても送り足りないと思う。 本作でブレイクしたピートは、血も涙もないサイコな悪女に扮した『マテリアル・ウーマン』(2001年)でジェイソン・ビッグス、ジャック・ブラック、スティーブ・ザーンという3人のコメディ男優を向こうに回して映画を引っ張りまくり、『17歳の処方箋』(2002年)でもキーラン・カルキン扮する主人公を翻弄するフリーダムな女子を怪演。コメディ女優として一時代を築いたのだった。2006年に『ゲーム・オブ・スローンズ』のショーランナー、デイヴィッド・ベニオフと結婚して以降は上昇志向が収まったのか、普通の演技派女優になってしまったのがコメディ好きとしては本当に残念である。というわけで、映画ファンは、本作の続編『隣のヒットマンズ 全弾発射』(2004年)を含めて、この時期ならではのギラギラしたアマンダ・ピートの魅力に脳天を撃ち抜かれてほしい。 WHOLE NINE YARDS, THE © 2000 METRO-GOLDWYN-MAYER DISTRIBUTION CO.. All Rights Reserved