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COLUMN/コラム2017.06.26
『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』に出てくるCubanosことキューバンサンドのレシピに挑む!!!
写真/studio louise 今週末『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』やりますので、キューバンサンドのレシピをここに公開します。 映画チャンネルなのでレシピの前に一応あらすじから。 とあるレストランシェフ。売れる料理を作れとオーナーからプレッシャーかけられるんだけど、自分としてはもっと創造的でチャレンジングな料理に挑みたい。でもしぶしぶ売れ線料理を作ったところ有名料理評論家から「守りに入ってヲワコン確定」とか酷評され、キレてTwitterでケンカふっかけて炎上。クビに。で、裸一貫、中古トラックをフードトラックに改装し、元妻のゆかりの地であるキューバにインスピレーション受けてオレ流「キューバンサンド」を開発。南部からホームタウンのLA目指し、アメリカ横断でフードトラックをのんびり走らせながら、道すがらご当地グルメを喰い、それを仕事にフィードバックさせ、キューバンサンドを流しで売りつつ、ひと夏かけてあの評論家の待つ因縁のLAに戻る。 という物語でして、ロードムービーですしグルメ映画ですが、テーマ的には「♪いいな、いいな、お仕事っていいな」という映画。「俺はなぁ、人間としてはそれは問題あるかもしれねえよ。でもなぁ、この仕事だけはなぁ、人生かけてやってんだよ!誰にも負けねえぞこの野郎!!」という、猛烈に燃えてくるCalling映画なのであります。 この作品の解説番組プラチナ・シネマ トークはコチラ。 でこの映画、必然的にメッチャクチャ美味そうな食い物のオンパレードで、特にメインのキューバンサンドは、公開時に初めて見た時すぐ作りたくなって、その週末にはもう作ってましたからね。当時は食える店もありませんでしたし、今でもどこででも食えるという代物ではありません。今回で作るの3回目です。 「日本人の口にも合うようにアレンジしました」は要らんお節介だと常々感じているワタクシ。本場の、現地人が食べているのと寸分違わぬものを食いたい!というのが料理に臨む時の基本姿勢。 なのでこのレシピも、マーサ・スチュワートにかぶれたかなんかでPinterestにせっせとレシピ上げてる料理自慢のアメリカ人のオバチャンのレシピを、何人分かMIXして良いとこ採りしたものです。あちらの方は写真のセンス良くてPinterest見ていても飽きないんですよね。我が日本のクックパッドも見習いたいものです。 ま、ジョン・ファヴローの味になっているかどうかはともかくとして、間違いなくアメリカの味ではあります。 では、早速いってみましょう! 【材料】 ・豚ブロック(肩でもバラでも)・ハム・チーズ(ここだけオレ流アレンジ入れてまして、ひとクセ欲しくてゴルゴンゾーラに!普通はアメリカ料理なんだからホワイトチェダーとかが本当だと思います。常温で柔らかくしておくこと)・生ローズマリー・タマネギ1個・ニンニク2片・フランスパン(バタールとかバゲットとか。1本で2人分)■ ■ ■・ピクルス・白ワイン・イエローマスタード・タバスコ ハラペーニョソース(お好みで)・あと塩、胡椒、バター、油 【作り方】 [前日の準備] ローストポークの下ごしらえ。豚ブロックに切れ込みを深く薄く入れる。できるだけ薄く!この薄い肉を後で1枚ごと切り離してサンドの具として挟むので。そして、その切れ込みに生ローズマリーの大半(少し残しとく)とニンニク1片を薄くスライスしたものを差し込み、ラップで巻いて冷蔵庫で一晩寝かし肉に香りを移す。 ①本番当日、まずはローストポークから。下ごしらえした肉に油を引いたフライパンAで強火で焦げ目を付け、付いたら横に取り置き、いったん火を消す。 ②ある程度冷めたフライパンAに、タマネギざく切り、適当に切ったニンニクもう1片、残しておいたローズマリーを敷きつめ、その上からローストポークを置く。下の野菜類がひたひたになるまで1〜2cmほど白ワインを注ぎ、再点火して蓋をし中火〜弱火で煮詰めて1時間蒸し焼きに。 (タマネギは肉の臭み消しなので後で捨ててもいいが、ワタクシは付け合わせとして食べちゃう。ついでに【材料】外だけどジャガイモとかニンジンとかも適当に切ってブチ込んでおけば、豚脂とローズマリー香をまとった良い付け合わせになる。手間もかからないしね!) ③この1時間タイムの間にフランスパンをこのように切っておく。この1本で2人前。まず2等分にし、そのそれぞれを上下に切り分けて4分割する。その上下がサンドイッチの“上蓋”と“土台”に。 ④1時間後、ローストポークの蒸し焼きが完了。ラスト10分は蓋を外して汁気を飛ばして。ローストポークは取り除けて冷まし、他の⑤以下の作業に取り掛かりつつ、手でさわれる程度に冷めたところでニンニクとローズマリーを雑に取り払い(多少残っていても一向に構わない。食べちゃえばいいんだから)、薄いスライスを活かしてそのまま1枚1枚に切り分ける。フライパンAに残ったタマネギ(とジャガイモ)は、後で再加熱するのでこのまま放置しておく。ただしローズマリーだけは廃棄処分。 ⑤4分割したパンの内側、白い色した切断面にバターを塗り、フライパンB強火でその面にこんがり焼き色をつける。「ダニエルさん、ワックス掛ける、ワックス取る」運動をしながら押し付けて。火傷に注意! 1分程度やれば十分。それを4つ全部にやり、やり終えたらフライパンBは即・冷ます(裏から水道の水を注げば一瞬で冷める)。そして上下に切り分けた下の方、“土台”となるパンの外側(茶色いパン皮の部分)つまり腹の部分にもバターを塗って、冷めたフライパンBの中央に置く。 ⑥その“土台”の上に具材を乗せていく。下から順番に、 [最下層]チーズ…常温で柔らかくしておき、バターみたいに“土台”表面に塗りつける。これが溶けて糊のような役割を果たし具材を固定する。[第2層]タバスコ ハラペーニョソースをお好みでチーズに垂らす。オレはドバドバいくが![第3層]ハム[第4層]スライスしたピクルス(スライス・ハラペーニョでも美味そうだな。次回ためしてみよ)[最上層]ローストポーク 最後に“上蓋”の内側にイエローマスタードを塗る。これが“上蓋”の糊となって具材を固定する。その“上蓋”を具材の上からかぶせ、サンドイッチ状態に整える。 ⑦もう数ステップで完成だが、その前に。付け合わせのタマネギ等を入れっぱなしのまま放置しておいたフライパンAをここらで弱火にかけ直し、再加熱し始める。⑧一方のフライパンBも再び中火で熱し、ジュージューとサンドイッチ“土台”の腹に塗ったバターが溶ける音がし始めたら、写真ぐらいの大きさの、両側に取っ手のある(←これ重要!)鍋を使って、サンドイッチを真上から、ある程度の力をかけて90秒間圧し潰す!取っ手が片方しかないと力がかたよってサンドイッチが斜めにズレたりするので、くれぐれも左右均一に真上から力をかけて真下に向かって潰すこと。 ⑨バターの圧し揚げ焼きで“土台”がペッシャンコになるが、“上蓋”はバターを塗っていないのでまだフカフカで復元力がある。今度はその“上蓋”の屋根にもバターを塗り、フライ返しとトングを上手に使って上下ひっくり返し(糊でユルくくっ付いているとはいえ、サンドイッチがバラバラに分解しないよう細心の注意を!)、今度は“上蓋”がペッシャンコになるまで⑧と同じ作業をまた繰り返す。 完成!フライパンA、フライパンBどちらも火を止め、皿に盛り付ける。フライパンAの付け合わせのタマネギ(とジャガイモ)にはお好みで塩コショウを。 あとは、食うべし! 【実食】 んま〜い!バタくさいアメリカ〜ンな味が広がりますぞ。油っぽさを洗い流すため、この世にはビールという便利な飲み物がある。ビールにさっぱりライムも入れれば、こいつは実に最高だぜ!夏の料理って感じですなぁ!! レッツ・トライ!!! ご覧のように、もとはバゲットだったものがここまでペッシャンコになり、食感はバリバリと煎餅のよう。バターの圧し揚げ焼きでパンが煎餅状態になっちゃうのです。これぞキューバンサンドの一大特徴でしょう。映画でもこうなっていますので目を凝らしてご覧ください。 とはいえ、もとはと言えばバゲット半分。もしペシャンコになってなければサブウェイよりデカいサンドイッチになっていたはずです。しかも見た目が潰れたからといって具材の分量もカロリーも減ったわけではありませんから、食うと意外とお腹ふくれます。これ一個でビッグマックより全然食いごたえある。不肖ワタクシ42歳大の男、中肉中背若干の脂肪肝以外はいたって健康体でも、昼飯だったらこれ1個で十分です。 あと、バゲットの切断面両側だけでなく、外側の屋根と下っ腹の部分、つまり全面にバターを贅沢に塗りたくりまくるという、「こんなもん喰ってたらロクな死に方はせんな…」の超弩級コッテリ料理で、そこにハムと肉をWで挟み込む、良くも悪くも実にアメリカン極まりない食い物なわけです。まぁ毎日食う奴はいないでしょうが各自健康にはご注意を。でも、ピクルス、ゴルゴンゾーラ、ハラペーニョソース、イエローマスタードと、けっこう刺激臭的なひとクセが強烈な“酸”系の材料を多用しているために、意外や意外、しつこかったりもたれたりする食後感はないんです。つまり、わりと“酸”の食材、特にピクルスが隠れたサッパリ系の助演となって、コッテリ感や油っぽさを抑えることで成立しているような料理でして、「ピクルス嫌いなんです、ピクルス抜きで」という人は、そもそもこの食い物は向いてないかもしれません。 さてさて、食ってから見るか!? 見てから食うか!? 『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』は今週末7月1日(土)に字幕、2日(日)に吹き替えでの放送です。お見逃しなく! にしてもこの「男子、厨房に入って散らかす」シリーズにまさかの第2弾がこようとはね…。ちなみに第1弾「『暗い日曜日』に出てくる“ビーフロール”ことルラードを作る!」編はコチラ。 © 2014 Sous Chef, LLC. All Rights Reserved. 保存保存
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COLUMN/コラム2017.06.01
6月1日(木)公開!ウルヴァリン、最後の雄姿『LOGAN/ローガン』を見逃すな!
ザ・シネマでは本作の監督であるジェームズ・マンゴールド監督にインタビューを敢行! インタビュー動画はこちらです!! 本日公開の本作『LOGAN/ローガン』を映画ライターの尾崎一男氏が解説。必読です。 西部劇の神話、そしてキャッシュの“声” --『LOGAN/ローガン』とジェームズ・マンゴールド監督の作品世界 「なぜ、ここまで暗黒のディストピア(未来)を予測し、今回の作品を手がけたのか--?よく、そう訊かれることがある。でも自分にそんなつもりなど全くないんだ。何故ならば、あの映画で描いた世界は、今のアメリカの姿そのものだから」 こう答えながら、取材に応じてくれたジェームズ・マンゴールド監督は苦い表情で笑った。そう、先の発言を強いられるほど、氏の最新作『LOGAN/ローガン』は、X-MENシリーズ、ひいてはマーベルのスーパーヒーロー映画史上、最も暗いトーンで真に迫った世界観を描いている。ミュータントの大半が死滅してしまった2029年の近未来。「人類とミュータントとの共存」を掲げてきたプロフェッサーX(パトリック・スチュワート)の理想は潰え、また彼の思いを実現させるべく戦いを続けてきたウルヴァリン/ローガン(ヒュー・ジャックマン)も、己の肉体の衰えによって、かつての力を失いつつあった。 だがローガンは、たとえその身が危ういものとなっても、再び戦いの場へと身を投じていく。自分と同じ能力を持ち、国家絡みの実験研究所から逃げてきた少女ローラ(ダフネ・キーン)を追っ手から救うためだ。敵が彼女を奪還する目的はただひとつ、人類が人工的に、戦争兵器用のミュータントを創り出そうとしていたのだ。 あたかもトランプ現大統領の掲げる反グローバリズムが極みに達したかのような、排他的で不寛容な未来社会。監督の「映画で描いた世界は、今のアメリカの姿そのもの」という冒頭の言葉は、まさしくそれを指し示している。 だからこそ、こうした世界にノーを突きつける者の姿が、映画の中になくてはならない--。と言わんばかりに監督は、その意志を過去の自作において雄弁に語ってきている。 そう、これまでに氏が手がけてきたヒーロー映画は、どの作品も満身創痍の英雄像に迫ってきた。フィルモグラフィの初期にあたる『コップランド』(97)では、シルベスター・スタローン演じる中年保安官が、汚職のはびこるコップランド(警察の居住区)で正義を貫こうとする。そして2007年の『3時10分、決断のとき』では、無法者を刑務所行きの汽車まで護送する任を負った、そんな牧場主(クリスチャン・ベール)の意志の戦いを描いている。 監督はそんな『3時10分、決断のとき』に限らず、自作に通底するヒーロー像はどれも「西部劇の神話」に基づくものだと語る。 「ヒュー(・ジャックマン)自身は今回のローガンを、クリント・イーストウッドの『許されざる者』(92)の主人公マニーのようなキャラ付けを想定していた。そこに僕も共感を覚えたし、西部劇にこの物語を重ねてはどうだろうかと考えた。そこで本作を、時代の趨勢に押し流されそうになる、滅びゆく老兵のレクイエムにしたんだ」 『LOGAN/ローガン』という作品を成立させるうえで、西部劇が太い支柱となっていることは、劇中で明確な意思表示がなされている。流れ者のガンマンと村の少年との友情を描いた、ジョージ・スティーヴンス監督のクラシック西部劇『シェーン』(53)からの引用だ。 「『シェーン』の物語は『LOGAN/ローガン』と深い共通点がある。ローガンは正義のために、多くの人を傷つけてきた。それはシェーン(アラン・ラッド)も同様で、彼もまた戦いの果てに、人を傷つけてきた過去を持つ。そこで彼は少年に「人を殺してしまったら、もう後に戻ることはできない」と言い、どんなに正義のために暴力をふるっても、自分の行為を正当化できないことを彼に伝える。これがすなわち『LOGAN/ローガン』のテーマを大きく包含していると感じ、引用したんだ」 このように、監督はローガンの戦う行為を賞賛の対象とはしていない。近年、マーベルやDCなどのスーパーヒーロー映画では、彼らの活躍の背後で都市破壊などの人身被害が及んでいることに言及し、正義の有りように一石を投じている。それと同様に本作もまた、正義を遂行するためのバイオレンスの是否を問い、その回答と結論をローラというキャラクターに委ねている。 「今までの人生を研究所の中でしか送ったことがないローラが、父親代わりともいえるローガンと行動を共にし、別れを告げなくてはならない局面で何を言うべきなのか?作家としてどういった言葉を彼女に話させるのかを考えたとき、先のシェーンの言葉がヒントになるのでは?と思った。『LOGAN/ローガン』において『シェーン』の引用は単なるトリビュートではなく、完全に作品の一部だといっていい」 また『LOGAN/ローガン』を構成するそうした引用は『シェーン』だけにとどまらない。本作のエンドクレジットに流れる歌は、カントリーミュージックの巨人ジョニー・キャッシュの遺作「The Man Comes Around」。ある男に黙示録の啓示が告げられるさまを綴ったこの曲は、教官とかつての弟子である殺人鬼との宿命的な戦いを描いた『ハンテッド』(03・監督/ウィリアム・フリードキン)や、死者が蘇って生者を襲う黙示録的ゾンビ映画『ドーン・オブ・ザ・デッド』(04・監督/ザック・スナイダー)にも用いられている。 だがマンゴールドにとってキャッシュとの関わりは、歌詞が意味するところよりもさらに深い。なぜなら彼はキャッシュの伝記を原作とした『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』(05)を手がけており、その選曲は自作との密接なリンクを図るものに思える。だが実際に話を訊いてみると、どうやら真意は別のところにあったようだ。最後にその言葉をもって、『LOGAN/ローガン』を未見の方が劇場へと足を運ぶフックとしたい。 「わたしが『ウォーク・ザ・ライン』の脚本を書いていたころ、キャッシュは存命で(2003年に死去)、彼に話をうかがう機会があった。そのときの会話の中で強く憶えているのが、彼が少年時代に好きだった映画が『フランケンシュタイン』(31)だったことだ。同作に登場する怪物は、人間の悪い部分によって作られたモンスターであり、そこに彼は強く共感を覚えていた。ローガンもまた人間の手によって殺人能力を強化された、生まれながらの悪運を抱えてしまった存在だ。そこに共通点を見いだし、最後にキャッシュの歌を使った。なによりも、ローガンの声とジョニーの声は、とても似ているんだ。だからエンドクレジットのキャッシュの歌は、ローガン自身の叫びだと解釈してくれてかまわない。この映画の示すものが、より深く観る者の胸を突くだろう」 ……そう、ローガンが放つ鉤爪の、渾身の一撃のように。■ 『LOGAN/ローガン』6月1日(木) 全国ロードショー!© 2017 Twentieth Century Fox Film Corporation配給:20世紀フォックス映画 公式サイトはこちら
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COLUMN/コラム2016.03.16
40歳からの家族ケーカク
高年齢童貞を主人公にした大ヒットコメディ『40歳の童貞男』(05年)で華々しい監督デビューを果たしたジャド・アパトー。続く監督第二作『無ケーカクの命中男/ノックト・アップ』(07年)も大ヒットしたことで、ハリウッドにおける彼の評価は決定的なものとなった。しかしこの映画はとても不思議な作品でもあった。 何が不思議かというと、そのストーリーである。冒頭、主人公であるベン(演じているのはアパトーの愛弟子セス・ローゲン)は、キャサリン・ハイグル扮する美人キャスターのアリソンと、酔った勢いで一夜限りの関係を結んだ結果、妊娠させてしまう。 普通ならアリソンが中絶を考えたり、「子どもは自分だけで育てる」とベンを遠ざけたりする紆余曲折を経て、ハッピーエンドに向かうはずだ。しかしアリソンはすぐに出産を決心すると、ベンに子どもの父親としての自覚を求めるのだ。そう、映画としてのお約束を全く守っていないのである。でもその一方で妊娠中のアリソンの描写はリアルそのものだったりする。 実はこれには理由がある。『無ケーカクの命中男』はアパトー自身の体験をベースにした半自伝作だからだ。彼にとってのアリソンは女優のレスリー・マンだった。当時、アパトーは友人のベン・スティラーとジム・キャリーがそれぞれ監督と主演を務めたコメディ『ケーブル・ガイ』(96年)でプロデューサーとして働いていた。そこで彼は、映画の主演女優だったレスリーを妊娠させてしまったのだ。 その結果、彼女はあと一歩でトップ女優になれるポジションにありながら、アパトーと結婚して子育てに注力することになった。しかしそんな大きな犠牲を払われながら、アパトーはなかなかハリウッドで浮上出来なかったのである。 それ以前からアパトーの人生は挫折の連続だった。子どもの頃からお笑いマニアだった彼はスタンダップ・コメディアンとしてキャリアをスタートしている。当初は「自分以上に面白い奴なんていない」と考えていたものの、同世代の三人のコメディアンと知り合った途端、彼の自信はこなごなに打ち砕かれてしまう。 その三人とは、前述のベン・スティラーとジム・キャリー、そしてアダム・サンドラーだった。この世代を代表するコメディアンだから負けるのは仕方ないことなのだが、アパトーのショックは大きく、彼はパフォーマーの道を断念せざるをえなかったのだった。 この時期の体験もアパトーは映画にしている。『素敵な人生の終り方』(09年)がその作品だ。アダム・サンドラー扮するジョージがサンドラー自身で、仲間内でいち早く出世するジェイソン・シュワルツマン演じるマークがベン・スティラー、そして「面白いギャグを書くけどカリスマ性がない」アイラ(演じているのはまたしてもセス・ローゲン)がアパトー自身と言われている。そして彼は芽が出ない状態のまま、レスリーを妊娠させてしまったというわけだ。 アパトーの名がようやく知られるようになったのは、プロデュースと脚本を手がけた『フリークス学園』(99〜00年)によってだった。このテレビドラマで彼は少年時代を送った80年代を舞台に、イケてないグループの少年少女たちをヴィヴィッドに描いたのだった。視聴率が伸び悩んで打ち切られたものの、この作品に関わった監督のポール・フェイグやジェイク・カスダン、俳優のセス・ローゲン、ジェイソン・シーゲル、そしてジェームズ・フランコらは後年それぞれ成功を収めることになる。 高評価を得ていたものの数字がついてこなかったアパトーにようやくチャンスが巡ってきたのは、ウィル・フェレル主演作『俺たちニュース・キャスター』(04年)にプロデューサーとして参加した時だった。彼はこの作品に脇役で出演していたコメディ俳優スティーブ・カレルと知り合ったことで、彼が温めていた企画「高年齢童貞の初体験」をテーマにした映画の実現に奔走。これが『40歳の童貞男』に結実したのだった。 『俺たちニュース・キャスター』と『40歳の童貞男』には、現在『アントマン』の主演俳優として知られているポール・ラッドも出演している。アパトーとポールは、同世代で同じ年頃の子どもを持つことから意気投合して親友になった。こうした経緯もあり、ポールは『無ケーカクの命中男』にも出演している。この作品で彼が演じたのはアリソンの姉デビーの夫ピート。デビーはレスリー・マン、ふたりの娘セイディーとシャーロットはアパトーとレスリーの娘モードとアイリスが演じていた。つまりピートのモデルはアパトー自身なのだ。『無ケーカクの命中男』には過去のアパトー(ベン)と現在のアパトー(ピート)両方が登場していることになる。 このピートとデビーの一家のその後を描いた作品が『40歳からの家族ケーカク』(12年)である。夫婦の倦怠や緊張感、思春期を迎えて不機嫌になる長女、そして老いた親との付き合いなど、テーマは四十代にとってのリアルそのものだ。 ピートがカップケーキを、デビーがタバコを(見かけは)絶っていたり、デビーの「私のおっぱいは全部娘に吸われちゃった」というセリフ、家でのWi-Fiの使用禁止を言い渡されてキレるセイディーといった細かい描写も真に迫ったものがある。 一方で、ピートの経営するインディ・レコード会社が販売不振によって倒産の危機にあるという設定は、映画監督/プロデューサーとして大成功を収めているアパトーにしては謙遜しすぎの描写に見えるかもしれない。でもこれにも理由がある。アパトーの母方の祖父ボブ・シャッドは、メインストリーム・レコードというインディ・レーベルを経営していた人物なのだ。つまりこの設定もアパトーにとっては「母方の家業を継いでいたら、こうなっていたかもしれない」というもう一つのリアルな現実なのだ。 映画の中では、こうした課題の数々は完全に解決されることはない。社運を賭けた英国のベテラン・ロッカー、グレアム・パーカー(本人が好演!)のアルバムが失敗に終わって、ピート一家はマイホームを売りに出さざるをえなくなる。その過程で夫婦の想いはすれ違い、ピートはデビーからこんな問いを投げかけられてしまう。 「もし14年前にわたしが妊娠しなかったら、今でも一緒にいたかしら?」 夫婦喧嘩の最中にレスリーから絶対言われたことがあるに違いない強烈な言葉だ。その言葉の前にピートは黙り込んでしまう。おそらくアパトーも同じ反応をしたのだろう。でも人生とは選択の積み重ねであり、過去に戻ることは出来ない。それを二人が受けとめるエンディングはほろ苦くも暖かい。 『40歳からの家族ケーカク』で自分の現在を描ききったからだろうか。これ以降アパトーがひとりで脚本を書いた作品は存在しない(最新監督作『Trainwrecking』(15年)は主演のエイミー・シューマーが脚本も書いている。但し親の介護や音楽ネタには監督アパトーの影を強烈に感じさせる)。現在レスリー・マンはコメディ女優として大成功を収めており、娘のモードとアイリスもテレビドラマで両親譲りの才能の片鱗を見せはじめている。 映画作家としては徹底して個人の体験にこだわり続けるアパトーが、将来再び脚本も単独で手がけた監督作を発表することがあるなら、その作品の主人公は、成長した娘たちに旅立たれた老いた夫婦になるのではないだろうか。そしてその際に夫婦を演じるのはきっとポール・ラッドとレスリー・マンにちがいない。 ©2012 Universal Studios. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2016.04.16
ファミリー・アゲイン/離婚でハッピー!?なボクの家族
9歳のバースデー・パーティーの最中に、父(リチャード・ジェンキンズ)と母(キャサリン・オハラ)が大ゲンカをした末に離婚するという衝撃的な経験を持つカーター(アダム・スコット)。だが彼はそんなトラウマを乗り越え、両親と関わることを避けながら現在はレストラン経営者として充実した日々を送っていた。 そんなある日、弟のトレイ(クラーク・デューク)から「ガールフレンドと結婚するから、式には両親を呼んでほしい」と頼まれてしまう。激しく動揺したカーターが、悩みを相談しようと向かった先は、両親の離婚直後に熱心に話を聞いてくれたドクター・ジュディス(ジェーン・リンチ)だった。 しかし当時はセラピストだと思っていた彼女は実は研究者で、カーターとの会話をネタにしてベストセラー本「離婚家庭の子どもたち(Children of Divorce)」を出版していたことが発覚。おまけに現在はそれぞれ別のパートナーがいる両親が何故かヨリを戻してしまい、カーターのストレスはピークに。遂にはガールフレンドのローレン(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)との仲もギクシャクしてしまい …。 日本の離婚率は年々上昇していて、現在は約3割にまで達しているという。でもアメリカにはまだまだ及ばない。あの国では2組に1組が離婚しているからだ。 ダスティン・ホフマンとメリル・ストリープが、裁判で子どもの養育権を争う元夫婦に扮した『クレイマー、クレイマー』(79年)は公開当時、<家族の最新の形を描いたドラマ>として大いに評判になったものだった。でも昨年公開された『ジュラシック・ワールド』『ヴィジット』『ヴィンセントが教えてくれたこと』といったハリウッド映画に登場した子どもたちは、いずれも母親だけと暮らしている設定である。今やアメリカにおいては離婚家庭の子どもの方がデフォルトなのだ。 だからといって、彼らがこうした境遇を平然と受けとめているなんてことはありえない。子どもにとっては両親の離婚は精神的な打撃であり、その後の人生観に重大な影を落としている。 そんな重大な影を落とされた典型例が、『ヤング・アダルト・ニューヨーク』(15年)がこの夏に日本公開されるノア・バームバックだ。<大人になりきれない大人>を描かせたら右に並ぶ者がいない映画作家である彼の根底には、幼少期の両親の離婚が横たわっている。『イカとクジラ 』(05年)や『マーゴット・ウェディング』(07年)といった作品は、いずれも両親に振り回された少年時代の想い出をベースにした半自伝作だ。模範とすべき大人の姿を間近に出来ずに育ってしまった子どもは、成長してもなかなかしっかりした大人になれずに、もがき苦しむ。バームバックはそうした自分にとっての現実を執拗に物語にし続けているのである。 『エレクトラ』(05年)や『ジ・アメリカンズ』(13年〜)といったアクション/スリラー系の脚本家として知られているスチュアート・ジマーマンの初監督作であるこの『ファミリー・アゲイン/離婚でハッピー!?なボクの家族』もまた、こうしたアダルト・チルドレンの姿を描いたビターなコメディだ。彼のいつもの作風とかけ離れていることには理由がある。本作もまたバームバックの諸作と同様にジマーマン自身が、弟の結婚式の準備中に両親とモメた実体験をベースにした半自伝作なのだ。 両親のエキセントリックさを糾弾し、自分こそが一番マトモな人間だと主張していたカーターが、本当は自分が離婚に傷ついていたことを認めたくなかったことを悟るという展開は、だから説得力満点。脚本が執筆されると、2008年には「ブラック・リスト(製作が決定していないものの、優れた脚本が選ばれる業界内のリストのこと)」に挙げられ、複数の製作会社による争奪戦が繰り広げられたというのも納得だ。 そんな注目作において主人公カーター役に抜擢されたのがアダム・スコットだ。アメリカン・コメディ好きにとっては、ウィル・フェレル主演の『俺たちステップ・ブラザース -義兄弟-』(2008年)やベン・スティラーの『LIFE!』(2013年)で憎まれ役を演じていた男として知られているかもしれない。でも本国での彼はコメディ・ドラマ『Parks and Recreation』(2009〜15年)のベン役で知られている人気俳優だ。 日本では遂に放映されなかったけど、『サタデー・ナイト・ライブ』の人気コメディエンヌだったエイミー・ポーラーと、『セレステ∞ジェシー』(2012年)などへの出演で知られるラシダ・ジョーンズが中心となったこのドラマはもはや伝説となっている。というのも、あのクリス・プラットをはじめ、オーブリー・プラザやニック・オファーマン、そしてアジス・アンサリといった現在のコメディ界のVIPがブレイクしたのがこの作品だったからだ。 そんな錚々たるメンツの中でアダムが演じていたベンは、主人公であるエイミーと恋に落ちるナイス・ガイ・キャラ。逆に言えば、『Parks and Recreation』で築き上げた圧倒的な好感度の高さがあるからこそ、演じる俳優によってはアブない人に見えてしまう危険性があるカーター役を任されたのかもしれない。 本作を既に観ている人なら、これで気づいたはず。大スターであるエイミー・ポーラーが、父の後妻役という端っこの役で登場して、やたら楽しそうに奇人変人キャラを演じているのも、そんな彼女に向かってアダムが「こんな関係じゃなかったら、俺たち良い友達になれたかもしれないよな」と語りかけるシーンがあるのも、一種の楽屋オチなのだ。 またアダムと彼の弟トレイに扮したクラーク・デュークのコンビネーションの良さにも注目してほしい。学園コメディ・ドラマ『GREEK〜ときめき★キャンパスライフ』(07〜11年)や『キック・アス』(10年)で注目されたクラークは、『オフロでGO!!!!! タイムマシンはジェット式』(10年)ではチェヴィー・チェイス、『ジャックはしゃべれま1,000』(12年)ではエディ・マーフィというコメディ・レジェンドたちと渡り合った実力の持ち主。『オフロでGO!!!!!タイムマシンはジェット式2 』(15年)ではアダムとリユニオンを果たしているので、そちらも是非チェックしてほしい。 女優陣に目を移してみよう。メイン・ヒロインのメアリー・エリザベス・ウィンステッドや、『glee/グリー』のスー先生ことジェーン・リンチもそれぞれ好演しているけど、個人的にはチョイ役で登場するジェシカ・アルバの演技が興味深かった。彼女が演じているのは、カーターと同様にドクター・ジュディスの研究対象だった離婚家庭の元子どもであるミシェル。父親くらいの年上の男としか付き合えないという明らかに病んでいるキャラが妙にハマっている。 アクションやSFといったジャンルの大作映画では、セクシーで強い女を演じ続けているジェシカだけど、エイミー・ベンダーの『私自身の見えない徴』を映画化した『ジェシカ・アルバのしあわせの方程式』(15年)など、低予算のインディ映画ではたまに風変わりな文化系女子を演じることがある。そうした作品での演技が意外とイケてるので、そっちこそが彼女の真の姿なのではないかとか妄想してしまう。 映画内ではそんなエイミーとカーターが出会ってすぐに互いを理解しあう様子が描かれる。その姿はどこかもの悲しくも滑稽だ。それは二人とも結構いい歳なのに『A.O.C.D.(Adult Children of Divorce=離婚家庭で育ったために大人になりきれなかった子どもたち)=本作の原題である』でい続けているからに違いない。 © 2016 Paramount Pictures. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2016.05.16
ハッピー・クリスマス
シカゴ。映画監督のジェフの家に、恋人と別れた妹ジェニーが転がり込んできた。「子どもの世話で忙しいこの家に住まれても、トラブルを生むだけなんじゃないの?」ジェフの妻ケリーのそうした不安は的中する。ジェニーは、パーティーで泥酔したり、ベビーシッター兼ハッパの売人のケヴィンと恋愛関係になったりと問題を起こし続ける。彼女に対して怒るケリーだったが、小説家の夢を中断して子育てを押しつけられている立場を同情されたことで、人間関係に変化が生じていく …。 『ピッチ・パーフェクト』シリーズ(12年〜)や『イントゥ・ザ・ウッズ』(14年)といった大ヒット作によってハリウッドのトップスターとなったアナ・ケンドリック。そんな彼女の出演作にしては、2014年の『ハッピー・クリスマス』はあまりに地味な映画である。彼女が演じているのは無職のトラブル ・メイカーだし、ジェフを演じているのは監督のジョー・スワンバーグ本人。子役は彼の実の長男だし撮影はロケばかり。セットを組まれて撮影したものは何ひとつないのだ。 ひょっとすると騙されて出演したのか?いや、そんなことはない。アナはスワンバーグの前作『ドリンキング・バディーズ 飲み友以上、恋人未満の甘い方程式』(13年)にも出演しており、彼女はやる気満々で本作に出演したのだ。理由は、スワンバーグが新しいアメリカ映画のムーヴメントのキー・パーソンだからだ。 ここで時計を9年前に巻き戻してみよう。スワンバーグは『ハンナだけど、生きていく!』(07年)というインディ映画を発表している。出演もしているアンドリュー・バジャルスキー、ライ・ルッソ=ヤング、そしてマーク・デュプラスらとスワンバーグは、ゼロ年代初頭から始まっていた映画ムーヴメント<マンブルコア>の担い手だった。 マンブルコア作品の特徴は、自主製作に近い環境下で経済面でも恋愛面でも恵まれていない自分の冴えない日常をビデオ撮りで描くという、地味にもほどがあるものだった。出演者は監督仲間ばかりでプロの俳優なんて殆どいなかった。メディアから<マンブルコア>なんて呼ばれるようになったのは、皆セリフをモゴモゴ言っていた(mumble)からだ。 映画学校を卒業したのはいいけど、シリーズ物の超大作ばかり製作するようになったハリウッドで仕事出来る可能性なんてゼロ。マンブルコア作品は、若者たちの小さな嘆き声であり、そこには明るい未来のヴィジョンなんて一切漂っていなかった。 だが『ハンナだけど、生きていく!』に出演したひとりの女子が、そんな現状を打開するきっかけを与えることになった。スワンバーグの前作『LOL』に端役で出演したことをきっかけに本作で主演と共同脚本を務めたグレタ・ガーウィグである。 大学を卒業したばかりで、美貌と才能を兼ね備えた彼女は、スワンバーグの次作『Nights and Weekends』(08年)では共同監督も務め(この時期ふたりは交際していたという話もある)、『ハンナ』で共演したマーク・デュプラスとその兄ジェイが監督した『Baghead』(08年)にも出演するなど、マンブルコアのミューズとして大活躍、運動をネクスト・レベルに持ち上げた。 こうした地下ムーヴメントに反応したのが、『彼女と僕のいた場所』(95年)でデビューし、『イカとクジラ』(05年)をはじめとする一連の半自伝作で知られていた映画監督ノア・バームバックだった。ウェス・アンダーソン作品の共同脚本家としてハリウッドでも評価を得ていた彼は、マンブルコアの作家たちを地上に引き上げようと、スワンバーグの『Alexander the Last』(09年)をプロデュース。遂にはマンブルコアのテイストを取り入れた作品を自ら監督しようと決意する。 それが『人生は最悪だ!』(10年)だった。コメディ界のスーパースター、ベン・スティラーが主演したこの作品には、相手役としてグレタ・ガーウィグが抜擢された。そして本作の撮影をきっかけにバームバックとガーウィグは恋に落ち、ふたりは『フランシス・ハ』(12年)『Mistress America 』(15年)といったコラボ作を作り続けている。 『人生は最悪だ!』に俳優として出演していたマーク・デュプラスも、兄のジェイと『僕の大切な人と、そのクソガキ』(10年)でメジャー進出を果たした。その後も監督業の傍ら、二人は俳優としても活躍(マークの代表作は『タミー Tammy』(14年)、ジェイの代表作はドラマ『トランスペアレント』(14年〜)だろう)、また兄弟でプロデュースして、マークが出演もした『彼女はパートタイムトラベラー』 (12年)は大評判を呼び、監督のコリン・トレヴォロウが『ジュラシック・ワールド』(15年)の監督に抜擢されるきっかけも作るなど、ふたりはエンタメ界で確固たる地位を築いている。 そんなかつての仲間たちから出遅れたかに見えたスワンバーグが、初めてまともな製作環境で撮ったのが『ドリンキング・バディーズ』だった。映画は絶賛を博し、クエンティン・タランティーノはその年のベスト10の一本にこの映画を選んでいる。シカゴの地ビール工場で働く男女の微妙な関係を描いたこの作品は、美人女優オリヴィア・ワイルドが主演していることもあってパッと見は「月9ドラマ」みたいな感じなのだけど、実はセリフが全て出演者による即興という前衛的な作りがされている。相手役は『New Girl / ダサかわ女子と三銃士』(11年〜)の人気者ジェイク・ジョンソンだが、彼は『彼女はパートタイムトラベラー』にも出演しており、マンブルコアのノリというものを理解している俳優なのだろう。 そんなジョンソンの恋人役を演じていたのがアナ・ケンドリックだった。彼女が『ハッピー・クリスマス』に出演したのも、即興演技の楽しさにヤミツキになったからに違いない。その『ハッピー・クリスマス』最大の見所も、アナとケリー役のメラニー・リンスキー、そしてレナ・ダナムの三人が即興で繰り広げる<官能小説のネタ出し会議>のシーンだ。 テレビドラマ『GIRLS/ガールズ』(12年〜)の製作・監督・脚本・主演の4役で多忙を極めるレナが本作の脇役で顔を出しているのには理由がある。彼女の出世作であるインディ映画『Tiny Furniture』(10年)はマンブルコアの影響下のもとで作られた作品だったからだ。『ハッピー・クリスマス』への出演は彼女なりの恩返しなのかもしれない。 一方でレナとグレタ・ガーウィグは長年の友人であり、『GIRLS/ガールズ』でレナが見出したアダム・ドライヴァーは『フランシス・ハ』とまもなく日本公開されるバームバックの監督作『ヤング・アダルト・ニューヨーク』にも出演している。 後者でアダムが演じているのは若く貧乏なアーティストだ。ベン・スティラー演じる主人公のドキュメンタリー監督は、社会的な評価を気にしない彼に感化されてツルむようになるが、やがて痛いしっぺ返しを食らうことになる。自らインディペンデントな立場を選んだスティラーと、成功への道があらかじめ閉ざされていたアダムは所詮異なる世代だったことが明らかになるのだ。 スティラーが再び主人公を演じていること、アマンダ・セイフライド扮するアダムの恋人役に当初グレタ・ガーウィグがキャスティングされていたことを考えると、『ヤング・アダルト・ニューヨーク』はバームバックがマンブルコアの作家たちと親しく交流していた時代をベースにしているに違いない。するとアダムのキャラのモデルはジョー・スワンバーグということになるのだが …。 COPYRIGHT © 2016 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2018.03.10
史実に忠実な局地戦映画『ズール戦争』は歴史的大傑作!
1800年代初頭に南アフリカに進出したイギリス帝国。先行して入植していたボーア人(オランダ系の植民者)はイギリス帝国の支配を嫌い、新たな入植地を求めてグレート・トレックと称される北上を開始した。そこには強大な戦力を誇るズールー王国が存在し、ボーア人たちとの血で血を洗う抗争を展開。1835年、ボーア人はブラッド・リバーの戦いでズールー族に勝利を収めると、この地にナタール共和国を建国した。しかしこのナタール王国もボーア人の独立を快く思わないイギリス帝国の侵攻によって、わずか4年という短い期間で崩壊してしまう。 その頃、ズールー王国ではボーア人に敗れたディンガネ国王は威信を失って失脚。後継のムパンデ国王の息子2人が後継の座を争って対立し、この内乱に勝利したセテワヨが国王に即位した。セテワヨは軍制を再編し、マスケット銃(先詰式の滑腔式歩兵銃)を装備した小銃部隊を編成するなど、軍の近代化を推進。これは拡大を続けるイギリス帝国を迎え撃つ準備であった。 セテワヨ自身はイギリス帝国との関係を良好に保とうとしていたが、イギリス帝国の原住民問題担当長官のシェプストンが高等弁務官フレアに対し、ズールー王国はイギリス帝国のアフリカ覇権最大の障害であることを報告。南アフリカ軍最高司令官のチェルムスフォード中将もこの意見に同意し、南アフリカのイギリス軍は着々とズールーとの戦争の準備を行うことになる。 1878年、高等弁務官のフレアは2人のズールー兵がイギリス領の女性と駆け落ちして越境したことを口実に、ズールー王国に対して多額の賠償を請求。ズールー王国がこれを拒否すると、フレアはズールー王国側に最後通牒を提示。13か条に及ぶこの最後通牒は、ズールー王国側が絶対に飲めない条件を列挙したものであり、ズールー王国のセテワヨ王はこれに対する明確な回答をせずにいた。 1879年1月、チェルムスフォードはヨーロッパ兵とアフリカ兵からなる17,100名の部隊を率いて、ズールー王国へと侵入を開始。迎え撃つズールー軍は4万の兵力。軍の近代化・火力化は未完だったが、イギリス帝国軍を上回る兵力と、圧倒的な士気の高さ、そして地の利を活かした機動力を持つ強力な部隊であった。 実戦経験の少ないチェルムスフォード中将は、部隊を複数に分割。そのため個々の部隊の兵力は手薄となり、第三縦隊1,700名はイサンドルワナに野営地を構築。そこに突如現れた約2万人のズールー軍が突撃を敢行し、“猛牛の角”と呼ばれる連続突撃戦術によってイギリス軍を全滅させてしまう。イサンドルワナの戦いはズールー軍の精強さをいかんなく発揮した戦いであり、ズールーの名を世界に轟かせることになったエポックな勝利であった。 前置きが長くなったが、ここからが今回ご紹介する『ズール戦争』(64年)の舞台となるロルクズ・クリフトの戦いが始まることになる。 1月22日にイサンドルワナの戦いでイギリス軍を撃破したズールー軍は、翌23日未明に約4,000人の部隊をイサンドルワナから15km離れたロルクズ・クリフトにある伝道所跡に駐屯するイギリス軍守備隊に突撃させた。イサンドルワナの敗戦を聞いたアフリカ兵が逃亡してしまい、ロルクズ・クリフトの守備隊の人数はわずか139人。30倍以上の敵軍に囲まれ、ろくな防御設備も無いロルクズ・クリフトの守備隊だったが、新任将校のチャード中尉指揮の下でズールー軍の猛烈な突撃を何度も撃退することに成功。イサンドルワナから退却してきたチェルムスフォードの本隊が接近したことから、2日間昼夜に渡る波状攻撃を繰り返していたズールー軍はようやく撤退した。ロルクズ・クリフトの戦いでイギリス人は27人が死傷。対するズールー軍は351人が戦死した。 このロルクズ・クリフトの戦いを描く『ズール戦争』は、監督のサイ・エンドフィールドがロルクズ・クリフトの戦いに関する記事を読み、インスピレーションを受けたことから始まる。エンドフィールドはこの映画の企画を友人で俳優のスタンリー・ベイカーに持ち込み、ベイカーはプロデューサーとして資金調達を実施。最低限の資金が集まると、早速映画製作を開始した。 集まった制作費はわずか172万ドル(メイキングでは見栄を張っているのか、260万ドルと称している)。そこでエンドフィールドは友人の俳優とスタッフを集めて制作費を抑え、さらにセット構築費を削減するために南アフリカでのオールロケーションを実施した。現地ではズールー族の協力を得て、1,000人以上のエキストラが参加。演技初体験のズールー族とのコミュニケーションをとるために、スタッフとキャストは積極的にズールー族とコミュニケーションを取る努力を行っている。しかし当時の南アフリカではアパルトヘイト法が存在しており、本作の脚本がズールー族を勇敢で敬意を受けるに足る存在として描いていることもあり、南アフリカの公安が撮影クルーの監視を行っている中での撮影となった。 『ズール戦争』は公開されるや興行収入は800万ドル、イギリス市場では過去最大級の記録的な大ヒット作品となった(映画の舞台となった南アフリカでは、映画に参加した一部のエキストラ以外の黒人はながらく観ることの出来ない映画となっていた)。本作はイギリス人の琴線に触れる作品となっており、毎年年末年始にTVで放映されるという『忠臣蔵』のような定番映画となっている。 本作の素晴らしさは、まず映画をロルクズ・クリフトの戦いのみを描いたことであろう。ズールー戦争全体を描けば、イギリス帝国の侵略戦争、黒人差別、虐殺といったセンシティブなキーワードに触れざるをえず、価値観が目まぐるしく変わる現代においては観る者によって評価を大きく変えてしまうポイントとなる。しかし本作では、どちらが正義でどちらが悪という描き方ではなく、純粋にひとつの戦いを史実に沿って描く作品とし、余計なものを極力そぎ落としている点が、後世でも高い評価を受けている大きな要因だろう。 また驚くべきことに1960年代の脚本にも関わらず、ズールー族を野蛮な原住民ではなく、特殊な美意識を持った尊敬すべき集団として描いている点も注目。逆にイギリス軍側は、侵略者でも犠牲者でもなく、絶望的な状況に放り込まれたごく普通の青年たちとして描くことで普遍性をゲットすることに成功している(フック二等兵の描き方には子孫からのクレームもあったが)。 また史実を忠実に再現し、緊急の防御陣地設営、長篠の戦いよろしくマルティニ・ヘンリー銃(5秒に1発射撃可能)での三段射撃で間断なく制圧射撃を繰り返す様子や、ズールー族側の“猛牛の角”作戦など、緻密なリサーチが行われたことが映画の端々から感じられ、マニアックな視点でも信頼性が非常に高い作品となっている。 他にも予算不足に起因したオールロケーションも、結果的には大成功。アフリカの広大な風景はセットやマットペイントでは決して再現できなかったであろう。音楽を担当したジョン・バリーも流石のお仕事だ。 そして本作で存在感を示したのは、準主役のマイケル・ケイン。ながらく下積みを続けていたケインは、オーディションの末にフック二等兵役となっていた。しかしブロムヘッド少尉役の俳優が降板し、現地入りした俳優の中で一番貴族出身将校っぽく見えるケインがブロムヘッド少尉役に抜擢。初めての大役で戸惑うケインの立ち位置と、初めての戦場で戸惑うブロムヘッドの立ち位置が見事にシンクロして高い評価をゲット。ケインは『国際諜報局』(65年)で世界的スターへと上り詰めていくことになる。 本作は英国映画協会が選ぶイギリス映画ベスト100でも、30位に入る作品。イサンドルワナの敗戦を描く『ズールー戦争』(79年)も併せて観ておきたい作品である。■ TM, ® & © 2018 by Paramount Pictures. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2016.06.17
バッド・ティーチャー
『マスク』(94年)でジム・キャリーの相手役として華々しくデビュー。かと思ったら、『ベスト・フレンズ・ウェディング』(97年)では当時人気絶頂だったジュリア ・ロバーツの恋敵役という、どう考えても損な役を振られながら、その昇り竜的オーラでジュリアを完全に食ってしまったキャメロン・ディアス。あの映画を当時観た者なら、ロマンティック・コメディの女王の座がジュリアからキャメロンの手に渡ったと誰もが感じたはずだ。 しかし彼女はその王冠をあっさりと捨ててしまった(まるでローマ五輪で獲得した金メダルを川に投げ捨てた逸話を持つ故モハメド・アリのように!)。代わりにキャメロンが築いていったのは、女優として誰も歩んだことがないキャリアだった。 というのも、その翌年に彼女が主演したのは下ネタギャグばかりが執拗に連発されるファレリー兄弟監督作『メリーに首ったけ』(98年)だったからだ。ベン・スティラーとのコンビネーションがスウィートだったとはいえ、ここでの彼女は完全な「ヨゴレ」キャラ。昔のハリウッドだったら出演すること自体がスター女優として自殺行為だったはずだ。 でもこの作品が、女優キャメロンのステイタスを一気に高めた。映画ファンは自分のメンツばかりを気にする女優よりも、映画を面白くするためなら何だってやってくれる、話が分かる女優を待ち望んでいたからだ。こうした時代の空気を、彼女は肌で感じとっていたのかもしれない。 ともすれば、華やかなルックスばかりが印象に残ってしまうキャメロンではあるけれど、実は演技も巧い。盲目の女性に扮した『彼女を見ればわかること』(99年)では、グレン・クローズやホリー・ハンターといったベテラン女優たちを相手に一歩も引かない存在感を示しているし、スパイク・ジョーンズの劇映画監督デビュー作『マルコヴィッチの穴』(99年)では、一見彼女とは分からない地味(というか小汚い)格好で登場、奇妙な世界観に説得力を与えている。 とはいえ、キャメロンはこうした演技力を活かす作品を無理して選ぶようなことはない。それどころか『チャーリーズ・エンジェル』二部作 (00〜03年)ではノリノリでワイヤー・アクションに挑み、『ナイト&デイ』』(10年)ではトム・クルーズとともにガン・ファイトを繰り広げている。「最初はセクシーなコメディエンヌ・タイプとして登場しても、最終的には演技派に成長しなくてはいけない」ハリウッド女優たちが縛りつけられている、こうした呪縛からキャメロンはとことん自由なのである。 キャメロンが他の女優と異なる点がもうひとつある。それは演じるキャラクターのリアリティ度の高さだ。ハリウッドのスター女優が映画の中で演じるキャラクターは、ファンの憧れを投影した華やかな職業に勤めていることが多い。そしてその仕事に打ち込んで、充実した毎日を送っているものと相場が決まっている。ところがキャメロンはそんなものは嘘っぱちなのだと嘲笑うかのようなキャラを演じることが多い。 もちろん『ホリデイ 』(06年)のビデオ製作会社の経営者、『ダメ男に復讐する方法』(14年)のように弁護士を演じることもあるけれど、『クリスティーナの好きなコト』(02年)や『イン・ハー・シューズ』(05年)では仕事への意欲はゼロの単なる遊び人役だ。 大胆な現代化が話題を呼んだミュージカル『ANNIE/アニー』(14年)では悪役のミス・ハニガン役を演じていたが、オリジナルのハニガンが孤児院の経営者だったことから一転して、福祉手当て欲しさにステップマザーをやっている落ちぶれた元歌手(しかもC&Cミュージック・ファクトリーの初期メンバーというのが笑える)という設定に改変されていた。キャメロンは、自分に美貌と演技力のどちらかが少しでも欠けていたらなっていたかもしれない境遇の女子、地に足が着いているを通り越してぬかるみに足が半分埋まっているようなキャラクターを演じることがとても多い。その抜群のリアリティが観客を惹きつけるのだ。 そんな彼女の<リアリティ路線>の決定版とも言える主演作が、ブラック・コメディ『バッド・ティーチャー』(11年)だ。人気コメディ番組『New Girl / ダサかわ女子と三銃士』(11年)や『ファン家のアメリカ開拓記』(15年〜)のプロデューサー兼監督として知られるジェイク・カスダンが監督を、やはり人気テレビ番組『ザ・オフィス』(05〜13年)のプロデューサー兼脚本家のジーン・スタプニツキーとリー・アイゼンバーグが脚本を手がけたこの作品でキャメロンが演じるのは、やる気ゼロの中学教師エリザベスだ。 彼女は物語冒頭、金持ちの男を捕まえて結婚退職したはずが、金目当てであることがバレて婚約を破棄されてしまう。やむなく学校へと帰ってきた彼女だが、仕事熱心な新任の代理教師スコットが名家の出身であることを知り、玉の輿に乗ろうと急に生徒に熱血指導を行うようになる。だがそんな彼女の態度に疑問を抱いたナンバーワン女教師エイミー(英国のコメディ女優ルーシー・パンチが怪演)が立ちはだかり、壮絶なバトルが展開されていく。 このエリザベスのキャラが凄い。生徒の平均点数を上げしようとするあまり共通試験の回答を盗みだすは、マリファナ喫煙の濡れ衣を他人にきせるは、第三者を使って相手を脅迫したりと、やっていることは悪人そのものなのだ。おまけに最後までこれっぽっちも改心することはない。 それでも観客は、エリザベスにどうにかピンチを切り抜けてほしいと願ってしまう。教師としての才能はゼロだけど、授業以外の場面での生徒への気遣いやアドバイスは、偽悪ぶっている彼女の、実はピュアな内面を証明するような誠実なものだからだ。 そんな複雑なキャラを、観客に周到な演技プランを感じさせることなく、素で振舞っているかのように見せるキャメロンは、やはり上手い女優だと思う。 私生活ではかつて4年間も交際していたこともあるというのに、ジャスティン・ティンバーレイクがスコット役で嬉々として登場、バカな演技を披露しているのも、相手が名女優キャメロンだからこそなのである。 そんなティンバーレイク以上に、本作でキャメロンと相性の良さを示しているのが、エリザベスにアタックしては砕け続ける気のいい体育教師ジェイに扮したジェイソン・シーゲルだ。大人気シットコム『ママと恋に落ちるまで』(05〜14年)で人気者になったシーゲルだが、元々はあのジャド・アパトーの愛弟子であり、『ザ・マペッツ』(11年)や『憧れのウェディング・ベル』(12年)といった主演作ではプロデュースや脚本も兼務している才人である。 本作で共演したことでキャメロンのコメディ・センスに感服したのか、シーゲルは監督のジェイク・カスダンごと彼女を誘って、自身がプロデュースと原案を担当した『SEXテープ』(14年)でリユニオン共演を果たしている。 キャメロンとシーゲル扮する倦怠期の夫婦が刺激を求めて自分たちのセックスをタブレット型コンピュータで撮影したところ、自動でクラウドにアップされてしまい大騒動 になる……というこのスラップスティック ・コメディで、キャメロンは公式では初のヌードを披露している。ちなみにこの時、彼女は42歳! こんな女優、キャメロンより前には存在していなかった。そして今のところ彼女に続こうとする者もいない。 人跡未踏の女優道をキャメロン・ディアスは歩み続けているのだ。 Copyright © 2011 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2016.07.15
ステイ・フレンズ
ニューヨーク。人材スカウトのジェイミーは、ロサンゼルスで生まれ育ったアートディレクターのディランを雑誌「GQ」のためにヘッドハントすることに成功する。これをきっかけに飲み友達になる二人だったが、互いに恋人と別れたばかりなことを知って「恋愛関係には絶対ならない」ことを条件にセフレに。だがそれぞれが沸き起こる感情を否定しようとしたことから、二人の仲はこんがらがりはじめてしまい……。 大勢の人が集まる大都会。でも皆忙しいから恋人を見つけることは難しい。そして恋愛がいつか終わりを告げることを考えると、そうした関係はなかなか面倒臭いものである。でもセックスはしたい ……。こうした現代の恋愛事情を、フラッシュ・モブやアプリといった今どきのツールを交えて描いたロマンティック・コメディが『ステイ・フレンズ』だ。 監督は、『小悪魔はなぜモテる?!』(10年)のヒットによって、新世代のコメディ作家と目されるようになったウィル・グラック。エマ・ストーンが映画冒頭でディランを振るガールフレンドとして特別出演しているのは、彼女が『小悪魔』の主演女優だからだ。こんな小さな役でもスターのエマが出演してくれるということは、グラックに「この人と仕事を続けたい」と思わせる才能と人間的な魅力が備わっているのだろう。本作でもグランド・セントラル駅やタイムズスクエアといったニューヨークの名所の風景や、水上ボートの疾走シーンを盛り込んで映像にメリハリを付けているところに彼の才能を感じる。 とはいえ、プロットの関係上、ベッドシーンが多くを占める本作において、最も重要なのは主演のふたりだ。しかも大画面に耐える美しいボディを備えながら、ユーモラスに見せなければいけないのだから、下手な文芸大作よりも演じるのが難しい。この難しい役に抜擢されたのがジャスティン・ティンバーレイクとミラ・クニスだった。 音楽活動におけるスーパースターのイメージの方が断然強いティンバーレイクだけど、レコーディングやツアーの合間に俳優活動も精力的に行っている。『TIME/タイム』(11年)や『ランナーランナー』 (13年)といった主演作のほか、『ブラック・スネーク・モーン』 (06年)や『ソーシャル・ネットワーク』 (10年)、『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』 (13年)などでは脇で光るキャラを演じたりと、シンガーの余技を超えた演技力を持つ男だ。 コメディへの取り組みも「イケメンがちょっとふざけてみました」というレベルを遥かに超えている。ティンバーレイクはこれまで老舗お笑い番組『サタデー・ナイト・ライブ(SNL)』で5回司会を担当しているのだが、40年以上の歴史で16人しかいない「司会を5回以上務めたスター」の中で80年代以降に生まれたのは彼だけだ。 この番組を通じて、レギュラー出演者だったアンディ・サムバーグ(ミラ・クニスを振る男として本作冒頭にゲスト出演していのが彼だ)とは親友となり、ふたりで演じたデジタルショート(ビデオ撮りのネタ)の数々は名作として『SNL』の歴史に輝いている。 また『SNL』出身のレジェンドであるマイク・マイヤーズとは、『シュレック3 』(07年)と『愛の伝道師 ラブ・グル 』(08年)で共演。ここで伝授された笑いのノウハウを、元カノのキャメロン・ディアスとリユニオンした『バッド・ティーチャー』 (11年)では全開させていたりと、「安心してコメディを任せられる」俳優としてハリウッドで認められているのだ。本作でも仕事が出来るイケメン設定でありながら、スイカを食べて下痢したり、数字の計算が超苦手というキャラをイヤミなく演じてのけている。 そんなティンバーレイクに対するヒロインを演じているのがミラ・クニスだ。彼女のことを知ったのがナタリー・ポートマンのライバルを演じたダーレン・アロノフスキー監督のバレエ映画『ブラック・スワン』(10年)という映画好きは多いはずだ。世界的にもそうした認識だったのか、この作品でミラは第67回ヴェネツィア国際映画祭で新人賞にあたるマルチェロ・マストロヤンニ賞を受賞しているのだが、この快挙にアメリカ人は笑い転げたはずだ。 というのも、彼女は70年代を舞台にしたレトロ調テレビ・コメディ『ザット'70sショー』(98〜06年)で人気者になってから既に10年以上のキャリアを誇っていたからだ。同じ頃始まったアニメ『Family Guy』(99年〜)に至っては、一家の長女メグの声優を今なお務め続けている。 この番組のクリエイターだったのがセス・マクファーレン。彼が映画進出作『テッド』(12年)のヒロイン役にミラを指名したのは、長年の共演から得た彼女のコメディ・センスへの信頼感ゆえだったのだ。そのセンスは本作以外でも、ジェイソン・シーゲル(今作の劇中映画に特別出演している)と共演した『寝取られ男のラブ♂バカンス』(08年)や『デート & ナイト』(10年)といったコメディでも十二分に発揮されている。 このふたりを中心に、ウディ・ハレルソンやパトリシア・クラークソン、リチャード・ジェンキンズといったオスカー受賞/ノミネート俳優たちが周辺に配され、それぞれ同性愛者、恋愛依存症、アルツハイマー病患者を演じることによって、映画には重層的な視点が加わっている。それによって映画では人生を謳歌する術としてのセックスが語られる。だから本作、下ネタ満載でエッチではあるけど全然いやらしくはないのだ。 とはいえ、本作を観ても、セフレから本当の恋人になるなんて、映画の中だけの絵空事と思うかもしれない。でも実際にそうしたことが起きるのだ。その証拠に格好の具体例を挙げてみよう。 『ステイ・フレンズ』と同じ年に、ベテランのアイヴァン・ライトマンが監督した『抱きたいカンケイ』というやはりセフレを題材にしたロマンティック・コメディが公開されている。主演は、ミラがライバル役を演じた『ブラック・スワン』(10年)の主演女優ナタリー・ポートマン、そしてアシュトン・カッチャーだった。 カッチャーは、日本では『バタフライ・エフェクト』(04年)や『ベガスの恋に勝つルール』(08年)、伝記映画『スティーブ・ジョブズ』(13年)で知られている俳優だけど、元々の出世作はミラと同じ『ザット'70sショー』である。しかもそこで彼が演じていたマイケルは、ミラ扮するジャッキーとくっついたり別れたりを繰り返していたのだった。ふたりの相性があまりに良かったことから、番組のファンは私生活でも付き合って欲しいと願っていたそうだが、この時点ではふたりは単なる仲の良い友人同士だった。 ところが『ステイ・フレンズ』と『抱きたいカンケイ』が公開された翌年、ふたりの関係は急展開する。ある授賞式でふたりは久しぶりに再会。ミラが長年交際していた『ホーム・アローン』の名子役マコーレー・カルキンと別れたばかり、カッチャーが05年に結婚したデミ・ムーアと破局したばかりなことを知ったふたりは、「昔から知ってる仲間だから友情が壊れることもない」とセフレになったのだ。でも映画同様、ふたりとも相手が別の人間とデートするのを嫌がるようになり、12年には真剣交際を開始。ウィル・グラックが監督したリメイク版『ANNIE/アニー』に揃ってカメオ出演した14年には婚約および第一子が誕生。15年には正式に結婚している。現在ミラはカッチャーとの第二子を妊娠中だ。セフレから生まれる真実の愛は実在するのである。 Copyright © 2011 Screen Gems, Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2018.03.05
ポランスキー的な“恐怖”と“倒錯”が濃厚に渦巻く悪夢的スリラーの傑作『テナント/恐怖を借りた男』
■『チャイナタウン』と『テス』の狭間に撮られた日本未公開スリラー 『反撥』(65)、『ローズマリーの赤ちゃん』(68)、『チャイナタウン』(74)、『フランティック』(88)、『戦場のピアニスト』(02)、『ゴーストライター』(10)などで名高いロマン・ポランスキーは、言わずと知れたサスペンス・ジャンルの鬼才にして巨匠だが、アルフレッド・ヒッチコックのような“華麗なる”イメージとは異質のフィルムメーカーである。その一方で“倒錯的”な作風においてはヒッチコックに勝るとも劣らないポランスキーの特異な個性は、彼自身の世にも数奇な人生と重ね合わせて語られてきた。 ユダヤ系ポーランド人という出自ゆえに第二次世界大戦中の少年期に、ナチスによるユダヤ人狩りの恐怖を体験。映画監督としてハリウッドで成功を収めて間もない1969年には、妻である女優シャロン・テートをチャールズ・マンソン率いるカルト集団に惨殺された。そして1977年、少女への淫行で有罪判決を受けてヨーロッパへ脱出し、今なおアメリカから身柄引き渡しを求められている。 このように“身から出た錆”も含めて災難続きの大波乱人生を歩んできたポランスキーだが、日本でも多くの熱烈なファンを持ち、母国ポーランドでの長編デビュー作『水の中のナイフ』(62)から近作『毛皮のヴィーナス』(13)までの長編全20本は、そのほとんどが日本で劇場公開されている。妻のエマニュエル・セニエとエヴァ・グリーンをダブル主演に据えた最新作『Based on a True Story(英題)』(17)はスランプ中の女流作家とその熱狂的なファンである謎めいた美女との奇妙な関係を描いたサイコロジカルなサスペンス劇。こちらもすでに日本の配給会社が買付済みで、年内の公開が予定されている。 今回紹介する『テナント 恐怖を借りた男』(76)は、シャロン・テート惨殺のダメージから立ち直ったハードボイルド映画『チャイナタウン』と文芸映画『テス』(79)の間に撮られた心理スリラーだ。原作はローラン・トポールの小説「幻の下宿人」。『ポランスキーの欲望の館』(72)、『ポランスキーのパイレーツ』(86)と合わせ、わずか3作品しかないポランスキーの日本未公開作の1本だが、上記の2作品とは違ってなぜ劇場で封切られなかったのか理解に苦しむハイ・クオリティな出来ばえである。さらに言うなら“ポランスキー的な恐怖”を語るうえでは絶対欠かせない重要な作品なのだ。 ■極限の疎外感に根ざしたポランスキー的な“恐怖” 主人公の地味なサラリーマン、トレルコフスキーはフランスに移り住んだポーランド人。彼はパリの古めかしいアパートを借りようとするが、やけに無愛想な管理人のマダム(シェリー・ウィンタース!)に案内されたのは、前の住人である若い女性シモーヌが投身自殺を図ったいわく付きの部屋。シモーヌは現在入院中なのだが、マダムは嫌な笑みを浮かべて「まだ生きてるけど、死ぬのは時間の問題よ」などと不謹慎なことを言い放つ。やがてシモーヌは本当に死亡し、トレルコフスキーはこの部屋での新生活をスタートさせるが、次々とおぞましい出来事に見舞われていく。 トレルコフスキーがまず悩まされるのは隣人トラブルだ。会社の同僚を部屋に招いて引越祝いのパーティーを開くと、上の階の住人からの苦情を受け、下の階に住む年老いた大家からは顔を合わせるたびに「君は真面目な青年だと思ったのだが」と皮肉交じりの小言を浴びせられる。こうしてトレルフスキーは“"物音”を立てることに過敏になっていくのだが、ある日訪ねた同僚の男は深夜にステレオを大音量で鳴らし、文句を言いに来た隣人を「いつ、どんな音で聴こうが俺の勝手だ!」と逆ギレして追い返す。何たる神経の図太さ。しかし小心者のトレルコフスキーには、そんなマネなどできるはずもない。この映画は社会のルールを守り、すべてを無難にやり過ごそうとするごく平凡な常識人が言われなき非難と攻撃を受け、精神的に孤立していく過程を執拗なほど念入りに描き、カフカ的な不条理の域にまで昇華させている。 むろん“倒錯の作家”ポランスキーが紡ぐ恐怖が、ただの隣人トラブルで済むはずもない。部屋のクローゼットからは前住人シモーヌの遺品である黒地の花柄ワンピースが発見され、壁の穴にははなぜか人間の歯が埋め込まれていることに気づく。そして夜な夜な窓の外に目を移すと、向かいの建物の共同トイレに人が立っている。しかもその人物は幽霊のように生気が欠落していて、身じろぎもせずただボーッと突っ立っているのだ。ここまで記した隣人、ワンピース、歯、共同トイレの幽霊人間のエピソードはすべて、このうえなく異常な展開を見せる後半への伏線になっている。ついでに書くなら、トレルコフスキーが行きつけのカフェで煙草のゴロワーズを何度注文しても、マスターが「マルボロしかない」と返答し、頼んでもいないホット・チョコレートを差し出してくる逸話も要注意だ。生前、このカフェに通っていたシモーヌはマルボロの愛好家であり、いつもトレルコフスキーが座る席でホット・チョコレートを飲んでいたのだ! かくしてトレルコフスキーはアパート関係者やカフェのマスターらがこっそり結託し、自分をシモーヌ同様に窓からの投身自殺へと追い込もうとしているのではないかというオブセッションに取り憑かれていく。こうした人間不信を伴う極限の疎外感こそが、まさに前述した“ポランスキー的な恐怖”の根源である。本作はそれだけにとどまらない。人間不信の被害妄想的な側面を徹底的に膨らませ、トレルコフスキーとシモーヌのアイデンティティーの一体化をまさかの“女装”によって直接的に表現しているのだ。むろん、そうした奇妙キテレツなストーリー展開はローラン・トポールの原作小説に基づいているが、グロテスクなようで怖いほどハマっている女装も含め、すべてを主演俳優でもあるポランスキー自身が演じている点が実に興味深い。 ■物語の見方がひっくり返されるポランスキー的な“倒錯” ひょっとすると、ブラックユーモアも満載されたこの映画は、現実世界で理不尽な厄災に見舞われ続けてきたポランスキーが、自らの内なる恐怖と向き合うセラピーを兼ねた企画なのではないかという気がしてくる。そう考えると、映画の見方そのものが根底からひっくり返される。そもそも前住人が怪死を遂げた事故物件を積極的に借りたがるトレルコフスキーの行動は不可解だし、入院中のシモーヌをわざわざ見舞いに行く律儀さも不自然だ。もしやトレルコフスキーは周囲の悪意に翻弄されて悲惨な運命をたどったのではなく、言わば“安らかな自己破滅”を望んでこのアパートにやってきたのではないか。理屈では容易に納得しがたいこのような突飛な解釈が脳裏をかすめるほど、本作には“ポランスキー的な倒錯”が濃厚に渦巻いている。 寒々しくくすんだ色調の映像を手がけた撮影監督は、イングマール・ベルイマンとの長年のコラボレーションで知られるスヴェン・ニクヴィスト。カメラがアパートの窓と外壁をなめるように移動するオープニングのクレーンショットからして印象的だが、そこで最初にクレジットされるキャストはイザベル・アジャーニである。前年に狂気の悲恋映画『アデルの恋の物語』に主演して一躍脚光を浴びた彼女は、本作の撮影時21歳。まさに売り出し中の新進美人女優だったわけだが、ここで演じるのはトレルコフスキーと出会ったその夜に映画館へ繰り出し、『燃えよドラゴン』を観ながら客席で発情するという変態的なヒロインだ。 そんなアジャーニの起用法も何かとち狂っているとしか思えないが、観ているこちらの困惑などお構いなしにポランスキーの神経症的な恐怖演出は冴えに冴えている。とりわけ『世にも怪奇な物語』のフェリーニ編を想起させる“生首”の幻想ショットには、何度観てもうっとりせずにいられない。■ TM, ® & © 2018 by Paramount Pictures. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2016.08.16
ミート・ザ・ペアレンツ2
恋人パム・バーンズ(テリー・ポロ)との結婚を、彼女の父ジャック(ロバート・デ・ニーロ)に渋々ながら認めてもらってから2年後。グレッグ・フォッカー(ベン・スティラー)は、結婚式の前にパムの両親を自分の両親に引き合わせることになった。 だが彼は恐れていた。弁護士と医師のカップルとジャックには説明していたものの、実際は父バーニー(ダスティン・ホフマン)は長い間専業主夫、母ロズ(バーブラ・ストライサンド)は高齢者専門のセックス・セラピストというジャックの価値観を超えた人々だったからだ。しかも二人とも奔放な性格で、元CIAのお堅いジャックとウマが合うはずがない。案の定、ジャックとバーニーは衝突し始め、騒動の中でパムの妊娠、そしてグレッグの隠し子疑惑まで発覚してしまう……。 『メリーに首ったけ』(98年)でトコトン不運なキャラを演じて、コメディ俳優として大ブレイクしたベン・スティラーが、ギャングや刑事といったコワモテなキャラを得意とする名優ロバート・デ・ニーロに散々にいたぶられる! 『ミート・ザ・ペアレンツ』(00年)はそんな絶妙のアイディアによって、世界中でメガヒットを記録したコメディ映画だった。 それから4年後に公開されたこの続編では、『Meet the Fockers(フォッカー家との面会)』という原題通り、ジャックの方が未来の義理の息子の一家と対面することになる。てっきりグレッグ同様の小心者の家族なのかと思いきや、息子とは正反対の豪快な両親という設定が意外で面白い。今作ではジャックも被害者側なのである。 そんな最強のフォッカー家の夫婦を、デ・ニーロとともに70年代のハリウッドを支えた大物俳優ダスティン・ホフマンとバーブラ・ストライサンドが扮するというサプライズ、しかもそれまで全く演じたことがなかったブッ飛んだキャラを演じるというインパクトはトンデモないものがあった。アメリカ本国だけで約2億8000万ドルという凄まじい興行収入を記録したことが、当時の笑撃を証明している。 監督のジェイ・ローチによると、当初バーニー役はバーブラの実の夫ジェームズ・ブローリン(『ウエストワールド』(73年)や『悪魔の棲む家』(79年)で知られる俳優。彼と前妻との間に生まれた子が今をときめくジョシュ・ブローリンだ)に演じてもらうことを考えていたらしい。 だが、その話が立ち消えになってしまい、ダメもとでダスティン・ホフマンに頼んだところ何故か快諾されたのだという。しかもローチが驚いたことには、『クレイマー、クレイマー』(79年)と『レインマン』(88年)で二度のアカデミー主演男優賞に輝く大名優は、バーニーそのままの天然な人だったそうなのだ。そのためか本作のホフマンは無理をしているところが全く無いどころか、無茶苦茶楽しそう。デ・ニーロとの硬軟対決もイイ味を出している。 本作で<本性>を現したホフマンは、これで肩の荷が下りたのか以後は、ウィル・フェレル主演作『主人公は僕だった』(06年)やアダム・サンドラー主演の『靴職人と魔法のミシン』(14年)、そしてジャック・ブラック扮する主人公パンダの師匠役の声を務めた『カンフー・パンダ』シリーズ(08年〜)といったコメディ映画における飄々とした脇役が当たり役となった。またストライサンドもセス・ローゲンと共演した『人生はノー・リターン ~僕とオカン、涙の3000マイル~』(12年)では、本作のロズとよく似たキャラを演じている。『ミート・ザ・ペアレンツ2』は、一時代を築いた名優たちの老後をも決定づけた重要作なのだ。 個人的には、本作におけるバーンズ家とフォッカー家の戦いには、デ・ニーロとホフマンというニューシネマ時代のスター同士の競演、真面目さと奔放さのせめぎあい以外にも、別の対立軸がひっそりと盛り込まれていると思う。それはW.A.S.P.とユダヤ系の差異だ。 W.A.S.P.とは、White Anglo-Saxon Protestant(白人のアングロ・サクソンのプロテスタント)の略称で、主にイギリスやドイツから渡ってきたプロテスタントのキリスト教徒のこと。イギリスの植民地だった時代からアメリカ社会の主流を占めているグループであり、現在までW.A.S.P.以外の大統領はジョン・F・ケネディ(カトリック教徒)とバラク・オバマ(父親がケニア人)しかいないことがその事実を証明している。 そんなW.A.S.P.の中でも支配階級と言えるのが、プレッピーと呼ばれるプレップ・スクール(名門私立高校)出身者だが、ブライス・ダナー演じるジャックの妻ディナが劇中で身につけている淡い色のサマーセーターやポロシャツのファッションはその典型といえるもの。おそらくバーンズ家はプレッピーという設定なのだろう。 一方のフォッカー家はユダヤ系だ。主に中欧や東欧に住んでいたユダヤ教徒を先祖に持つ彼らは、アメリカの人口比では2パーセントを占めるだけのマイノリティだが、ビジネスや学術の分野、そしてハリウッド映画界でも絶大なパワーを持つ。そのことによって「何か企んでいる」といった陰謀論が語られがちな人たちではあるのだけど、それは全くの言いがかりである。というのも、彼らの先祖がこうした仕事に多くいる理由は、人種差別によって農業に従事することを禁じられていたため、それ以外の分野を代々家業にせざるをえなかったからだ。そうしたら産業革命が起こり、彼らが携わっていた分野が重要視されるようになり、結果的に華やかなポジションに立ってしまったというわけだ。 ラビと呼ばれる宗教的指導者のもとで、旧約聖書の戒律に従って今も生きる超保守的な人々がいる一方で(興味がある人は、ジェシー・アイゼンバーグ主演作『バッド・トリップ 100万個のエクスタシーを密輸した男』(10年)を観てほしい)、その反動なのか無宗教や反体制の人々がやたらと多いのもユダヤ系の特徴である。ちなみにカール・マルクスやアレン・ギンズバーグ、ボブ・ディランはユダヤ系である。 もちろんフォッカー家は後者の流れに属する人々。そして彼らを演じるスティラー、ホフマン、ストライサンドも全員ユダヤ系だ。ただしスティラーの母親はカトリック(スティラーの両親であるジェリー・スティラーとアン・メイラは互いの宗教をネタにする夫婦漫才を得意芸としていた)で、W.A.S.P.役のデ・ニーロは本当はカトリック。ブライス・ダナーは自分はW.A.S.P.だが、夫だったブルース・パルトロウと娘グウィネス・パルトロウはユダヤ教徒だったりするので、現代のアメリカ社会は映画よりもずっと複雑なわけだが。 本作のラストを飾る結婚式のシーンもユダヤ教に則ったものだが、その司祭としてユダヤ教徒でも何でもないオーウェン・ウィルソン(しかもノークレジットのカメオ出演なので、当時観客はとっても驚いた)扮するケヴィンが再登場するのは、だから特大級のギャグなのである。 なおホフマンとスティラーは、ノア・バームバックの新作で、ユダヤ系家庭を描いたコメディ『Yeh Din Ka Kissa 』でも親子を演じる予定だ。しかもこの作品には『靴職人と魔法のミシン』でホフマンの息子役だったアダム・サンドラーも再びホフマンの息子役で出演する。つまりスティラーとサンドラーは兄弟を演じることになる。長年の友人同士でありながら、これまで共演の機会がなかったふたりのコメディ・レジェンドが、ホフマンというこれ以上ない重鎮の見守る中、ユダヤ系というアイデンティティのもとで共演する。個人的にはこれが今一番楽しみなコメディ映画だ。 © 2016 by UNIVERSAL STUDIOS and DREAMWORKS LLC. ALL RIGHTS RESERVED.