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COLUMN/コラム2018.03.01
男たちのシネマ愛ZZ②おたずね者キッド・ブルー/逃亡!列車強盗
飯森:さて、まずは西部劇『おたずね者キッド・ブルー/逃亡!列車強盗』から始めましょうか。 なかざわ:これはデニス・ホッパーが主演。アンチヒーローという意味では、当時のホッパーらしい役どころだと思うのですが、その一方でキャラクターそのものは非常にライトですよね。そこは意外だったと思います。 飯森:『イージー・ライダー』が1969年ですよね?で、これは… なかざわ:1973年です。 飯森:アメリカン・ニューシネマの代表作ベスト3に入るような名作『イージー・ライダー』を撮ったホッパーが、その数年後に主演した映画ということですが、これまたまごうかたなきニューシネマですよね。 なかざわ:これは舞台となるアメリカ西部の町、保安官曰く「真面目でまともな人しか住んでいない町」に、製作当時のアメリカ社会における体制側を投影していますよね。 飯森:そういうことを言い出す奴が出てきたらヤバい!怖い世の中になりつつある!真面目でまともって、そうと認められなかった奴は住めないのかよ、誰が何の権利で決めてるんだよ、と。怖い社会ですねえ。70年代の流行語では「スクエア」と呼びましたね、こういうことを言う、体制側の古い頑迷な人間のことを。 なかざわ:そんな町へ、強盗稼業から足を洗って更正を決意したデニス・ホッパーがやって来るわけです。 飯森:後半のセリフによると相当な大物アウトローだったらしいんですけどね。冒頭で仲間が怪我したことで「俺、足を洗おっかなぁ」と、意外とそこは軽い。 なかざわ:そう、しかもけっこう素直で真面目。心を入れ替えてコツコツと働くわけです。 飯森:最初は床屋の床掃除なんかをするんだけど、偏見に満ちたスクエアな大人たちから目の敵にされて辞めてしまう。その次に鶏肉の加工業者に行ったら、今度はブラック企業だったのでまた辞めちゃって、最終的にアメリカの後の工業化を先取りしたような象徴的な工場で過酷な労働を強いられる。職業を転々とするわけだけど、それって根気が続かないとか飽きっぽいとかいった彼の側の問題じゃないんですよね。多分に社会の側の問題ですよね。そして、そんな彼に対するスクエアな住民の接し方も、極めて“上から”というかね。同じ下宿で寝泊まりしている、やけにデカいツラしたがるオッサンとか。 なかざわ:「お前みたいな性根の腐った若造は軍隊で鍛え直すべきだ!」みたいなこと言う人ですよね。 飯森:ありがちで益体も無いオッサンの説教ですけど、でもキッド・ブルーって兵隊上がりだと思うんですよ。南北戦争の北軍の青い軍服着てるじゃないですか。 だから二つ名も「キッド・ブルー」なんでしょう?劇中で具体的に言及されないものの、元北軍の兵隊くずれだと解釈するのが妥当だと思うんですよ。オッサンは目の前の若造がその悪名高いキッド・ブルーとは知る由もない。服も軍服ではなくオーバーオールの作業着に着替えちゃってますからね。というか逆に、あのオッサンの方こそ、むしろ軍隊経験あるのかよ?と。 なかざわ:だいたい、そういう偉そうなことを言う奴に限って自分のことは棚に上げがちですからね。 飯森:そうそう!最近の日本でもよく見受けられる(笑)。キッド・ブルーは戦争を経験したせいで心が荒んじゃって、列車強盗の方がまだマシだとアウトローになっちゃった可能性もある。要するに、おっしゃる通り軍隊に行きましたけど、その結果こうなっちまったんだよバカヤロー!という(笑)。 なかざわ:ちょっと話が横道にズレますけど、この映画ってキャスティングにもちゃんと意味があると思うんです。例えば、この宿泊客のオッサンを演じているのはラルフ・ウェイト。彼は当時アメリカのテレビで9年間続いた国民的なホームドラマ『わが家は11人』で、古き良きアメリカの理想的な父親像を演じた俳優なんですよ。さらに、キッド・ブルーを目の敵にする保安官役にはベン・ジョンソン。巨匠ジョン・フォードの西部劇映画で、不器用だけど真面目で誠実なアメリカ南部の男性像を演じた名優です。このまさに「古き良きアメリカの良心」を象徴するような役者たちに、あえて体制側の「悪い奴」を演じさせているというのは、明らかに意図されたものだと思うんですね。 飯森:ほほう。ベン・ジョンソンは分かりますけど、ラルフ・ウェイトという人は知りませんでしたね。邦題が付いているということは、その『わが家は11人』は日本でも放送していたんですか? なかざわ:はい、ただ全シーズンは放送されていないと思います。日本だとあまり受けなかったようですから。ラルフ・ウェイトは4年前に亡くなったんですけど、晩年はドラマ『NCIS~ネイビー犯罪捜査班』で主人公ギブスの父親役をやっていました。 飯森:なるほど、70年代当時、スクエアどもが盲信していた古い価値観や古い社会構造そのものに対して物申したのがニューシネマだったわけですけど、その意図を汲んだようなキャスティングなのですね。決して極端な悪人というわけではないんだけど、自由奔放な主人公に対してネチネチと小うるさいというか…。体制に与さない者や体制を批判する者を敵視するような連中。 なかざわ:自分たちの考える規範から外れた人間は目障りでしょうがないんですよ。 飯森:でも宿泊客のオッサン、後半ではよそ者の女と援交してたりするんですけどね(笑)。 なかざわ:そう、結局どいつもこいつも偉そうなこと言うくせに、行動が伴わない偽善者なんです(笑)。 飯森:そう考えると、これは当時なぜ注目されなかったのか不思議に思えるくらい、典型的なニューシネマ映画なんですよね。知らない世代に説明すべきニューシネマ的特徴を全て押さえていて、ニューシネマの名作ベスト20くらいには入ってきても全然おかしくないですよ。 ==============この先ネタバレが含まれます。============== ただし、たいていのニューシネマは最後って主人公が意味もなく死ぬじゃないですか。当時の、行きたくもないし戦う意味も解らないベトナム戦争に行かされて犬死するという若者世代のリアルが投影されていて、自由を求めて反抗しても結局、俺たち若者なんて体制の中で意味なく潰されていくんだよ、という諦観と厭世観が物悲しい味わいとなって、ニューシネマには一般的にある。しかしこれはネタバレですが、この映画ではそうはならないんですよね。その点では異色かもしれません。 なかざわ:明朗快活というか、後味の良い終わり方をしますよね。 飯森:これは恐らく、たまたま日本ではすり抜けてしまったんでしょうね。きちんとした形で日本公開されていれば、それなりに高い評価を得て、当時の若者たちの心に残っていたはずの映画だと思います。日本未公開でさらに未ソフト化なのがとにかく勿体ない。それを今回、ウチで放送できるというのは素直にうれしい! なかざわ:そういえば、床屋でキッド・ブルーに難癖をつけて、そのあと酒場で殺し合いする男いますよね。あれをやっているのって、『悪魔の追跡』のジャック・スターレット監督なんですよ。彼はもともと俳優からスタートして、本作の当時は監督業と並行して役者の仕事もしていたんですけど、後に『ランボー』でもスタローンを痛めつける保安官補役を演じているんです。 飯森:というか、この映画のベン・ジョンソンの保安官って、『ランボー』でブライアン・デネヒーが演じた保安官と被りますよね。長髪の流れ者ランボーが町にやって来るわけだけど、ここはお前みたいな薄汚い長髪の流れ者がいて許される町じゃねえんだから一刻も早く出ていけという。その意味不明なレッテルの貼り方が実にソックリで。典型的なスクエア! なかざわ:価値観が合わなければ無視でもすりゃいいのに、徹底的に排除しないと気が済まない。 飯森:そんなところに、唯一の理解者である良き友人として移住者ウォーレン・オーツの夫婦が出てくる。 なかざわ:いやあ、デニス・ホッパーにウォーレン・オーツですよ!すごい顔合わせですよね。 飯森:本当にこれでなぜ劇場公開されなかったのか、首を傾げたくなります。で、そのウォーレン・オーツ。良き理解者と言えば良き理解者なんだけど、だいぶ理解のしすぎというか(笑)。あそこまでいくと完全にBL。 なかざわ:ん~、本人的には無自覚のようにも思えますが。 飯森:でも一緒にお風呂にまで入っちゃうんですよ?狭い一人用バスタブで体を密着させて!そんなことするのあとは淀長さんぐらいですって(笑)。ウォーレン・オーツ曰く、古代ギリシャは素晴らしかったと。人々は知を称揚して、義を重んじ、愛で結ばれていたんだと。お前と俺は親友だから、古代ギリシャ人だったなら「愛してるぜ!」と堂々と言い合えていたはずだ。今の俺たちの時代は不自由だからそんなこと言ったらダメってことになっているけど。だから古代ギリシャの方がいいだろ?なっ?そう思うだろ?って。これはもう明らかにBLでしょう!? なかざわ:でもまあ、70年代当時のヒッピーたちの、ラブ&ピースな精神を投影したものと解釈できなくもないですけどね。 飯森:なるほど、汎人類的な意味でのラブということですね。僕は結構なBLだと思いました。物語上の当時には許されていなかったことだから、さすがに公然とはカミングアウトできないだけで。というか自覚してないだけ。ウォーレン・オーツには確かに奥さんもいるけれど、それって男は女と結婚するもんだと思い込んでるから結婚したに過ぎなくて、奥さんに対しては愛情も、性欲さえもない。 なかざわ:確かに、そういえば奥さん、旦那に対してそういう不満を持っていますよね。 飯森:だからキッド・ブルーは、この欲求不満の奥さんに強引に迫られて、後にどうこうなっちゃうんだけど、そこでウォーレン・オーツは「よくも俺の妻に手を出したな!」と怒るんじゃなくて、「よくも俺以外の誰かとどうこうなったな!」と、そっちかよ!という嫉妬に怒り狂う(笑)。まあ、これはいろいろな見方があるとは思いますが。 なかざわ:映画ですから人によって解釈が違って当たり前ですよね。それにしても、このジェームズ・フローリー監督って、目立った代表作は『弾丸特急ジェット・バス』くらいしか思い浮かばない。 飯森:『刑事コロンボ』もけっこう撮っているみたいですね。 なかざわ:あとは『グレイズ・アナトミー』とか。基本的にテレビ畑の人ですよね。オールマイティだけど、映像作家としての個性は薄い。一方、脚本のバッド・シュレイクはクリフ・ロバートソン主演のカウボーイ映画『賞金稼ぎのバラード』やスティーヴ・マックイーン主演の西部劇『トム・ホーン』(allcinemaではバッド・シュレイダーと誤表記)、カントリー歌手ウィリー・ネルソンの自伝的映画『ソングライター』など、まさにカントリー&ウエスタンな作品ばかり書いてきた脚本家。なので、本作はシュレイクのカラーが前面に出た作品のようにも思います。 飯森:それを職人肌の何でもできる監督に任せたところ、意外にも佳作が出来ちゃったという感じなのかな。製作当時のアメリカ社会への風刺もたくさん込めましたね。 なかざわ:それでいて、難しい社会派の問題作ではなく誰が見ても楽しめるウエスタン・コメディとして仕上げられている。そのあたりは、器用な娯楽職人の監督に撮らせたことのメリットかもしれません。 飯森:ただ、恐ろしいというか皮肉なのは、この映画が作られてから既に40年以上が経っているにも関わらず、世界が全くと言っていいほど進歩していない点ですよ。ここに投影されている70年代当時の社会問題は、とっくの昔に解消されていなきゃならないと思うんですけどね。 なかざわ:ラルフ・ウェイトやベン・ジョンソンのセリフでも、あれ?それって最近誰かが言ってたよね?みたいなやつが多い。良い言い方をすれば、今でも通用する映画(笑)。 飯森:いやいや、全然良くないですってば(笑)。70年代当時にこうした古い社会、世にはびこる偏見や体制の問題点を変革しようとした人たちが2018年の世界を見たら、全く変わってない!むしろ後退してるじゃん!どんなディストピアだ!って思うでしょうね。 なかざわ:俺たちが戦ったものは何だったんだ!と。確かに、イラク戦争以降辺りから急激に時代が逆戻りしてしまった感はありますよね。 飯森:なので、1960年代から70年代にかけてのカウンターカルチャーという歴史的な文脈を踏まえながら見ていただくと、感じるところは多いと思いますし、そのうえで2018年の今、我々が住む世界はどうなっているのか、比べてみるとさらに感慨深い…というか、考え込むことになるかもしれない(笑)。 なかざわ:でも、そこから問題意識を持っていただけるとありがたいですよね。 飯森:そういえば、これは最近いろんなところで語っていることなんですが、僕はアメコミ映画も大好きで、公開を常に心待ちにしているジャンルなんですが、そろそろ供給過剰なような気もしてきたんです。逆に、僕がいま一番見たいのはこういったニューシネマ。社会派の良作は最近もあるんですが、「今の世の中ってけっこう絶望的だよね?ね?ね?」と同時代人と認識を共有しあうための、もしくは絶望的だと気付いてない人に気付かせるための、絶望映画。それすなわちニューシネマなんですが、その供給が足りていない。それは絶望を克服する足掛かりとなりますから必要なんです。なので、今回のように本物の昔のニューシネマの中から埋もれた名作を掘り出して、70年代当時の人々と問題意識を共有しながら、今の社会についていろいろと考えたいなと思うんです。本当は新作も見たいんですけどね。 [後日、男たちが『ブラックパンサー』試写会場でばったり出喰わし、上映後…] 飯森:(号泣しながら)いやはや!早くも前言を撤回せねばならない時がきたようです!! 絶望を克服するためのニューシネマが今こそ必要だ、アメコミヒーロー映画ばっか見てる場合じゃないぞ、と言ってたんですけど、この『ブラックパンサー』は、まさにそのための完璧な映画でしたね! なかざわ:早っ!舌の根も乾かぬうちに(笑) でも、確かに、今の世の中を見渡して、多くの心ある人々がモヤモヤと感じていることが、これでもかと詰め込まれていましたね。レイシズムについて。 飯森:早くも僕の今年のマイベストは『ブラックパンサー』で確定したことをこの場で宣言しときます。 なかざわ:凝ってるなぁと思ったのは、ブラックパンサーと女スパイのルピタ・ニョンゴと女戦士のダナイ・グリラの三人組が、着ている服の色が、黒・緑・赤でしたよね。これって汎アフリカン色ですよ!こんなところまで行き届いてるのかよ!?と感心しましたね。 飯森:それは気づかなかったです!それと、一般劇場公開でも付くのかどうか知りませんけど、我々がいま見たマスコミ試写バージョンだと、本編開始前にいかにもB-boyみたいな感じの監督が出てきて、「YOメーン、日本の兄弟たち、俺様が撮った『ブラックパンサー』、マジやっべえから見てくれよな、今までのマーベルヒーロー映画の常識をブッ壊してやったぜ!!」みたいなビッグマウスなMCかましてきたじゃないですか。あれで、「おいおい…このノリなのかよ…大丈夫か!?」と最初は不安に思ったんですけど、完全に杞憂でした。 なかざわ:そんな喋り方じゃなかったでしょ!にしても、もともと監督はこういう映画を撮るタイプじゃないじゃないですか。 飯森:なんの人なんですか? なかざわ:えっ?ライアン・クーグラーですってば! 飯森:えええっ!!!『フルートベール駅で』と『クリード チャンプを継ぐ男』の!? いやはや、それを聞いて納得ですわ!僕は予断を持つのが一番イヤなので映画見る前には前情報を一切遮断するよう意識して努めてるので、今の今まで全然知らなかったです。それは、驚愕と同時に、超納得! なかざわ:ジャンル的に本来はこういう映画を撮る人じゃないけれども、テーマ的、メッセージ的には、彼のフィルモグラフィの延長線上に確実にある作品でしたよね。『ブラックパンサー』自体はコミック原作があって、彼は雇われ仕事な訳だけれども、雇う方も彼のフィルモグラフィを踏まえた上での人選で、それが今回は上手くハマったってことですね。 飯森:いやぁ〜、道理で“今の時代に見る価値ある感”に号泣するような映画にな仕上がった訳だ!常々、「こんな悪は実在しねーよ!という悪を描いたって無意味。のどかでのんきで平和な時代ならともかく、今はこういう緊迫した時代なんだから!」と訴えてきたんですよ。もちろんノーランとか、マーベルでも『ウィンター・ソルジャー』とか『シビル・ウォー』とか、これまでにも深い作品はありましたけど、『ブラックパンサー』の登場でさらに一段階、位相が変わりましたね。これはマジで凄い!ということで、このクオリティなんだったらこれからもアメコミ映画どんどん作ってください!と、土下座しながら前言撤回します。 次ページ >> 『ロッキーの英雄・伝説絶ゆる時』 『おたずね者キッド・ブルー/逃亡!列車強盗』© 1973 Twentieth Century Fox Film Corporation. 『ロッキーの英雄・伝説絶ゆる時』© 1972 Twentieth Century Fox Film Corporation. Renewed 2000 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.『The Duchess and the Dirtwater Fox』© 1976 Twentieth Century Fox Film Corporation. Renewed 2004 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2016.07.15
【未DVD化】伝説の未DVD化作品、そのあまりにも衝撃的な終わり方は、実はニューシネマの文脈にのっとったものだった〜『ミスター・グッドバーを探して』〜
【注】このテキストは解説の必要上、本作品のラストシーンと、それを構成する細部について触れています。ネタバレを憂慮される方は、観賞後にお読みになられることをお勧めします。 ■ハリウッドが「女性の自主性」に迫った革命的作品 修士号を得るために真面目に勉強するかたわら、夜は男を求めて独身男性の集う酒場「ミスター・グッドバー」に足を運び、情交を重ねる女子大生テレサ(ダイアン・キートン)ーー。現在、この1977年製作の映画『ミスター・グッドバーを探して』に触れるとき、我々は身近に起こったひとつの出来事を、好悪の感情にかかわらず照らし合わせしまう。その出来事とは、1997年に国内を騒然とさせた「東電OL殺人事件」だ。 大手企業の女性社員が花街に身を投じ、アパートの一室で何者かに絞殺されたこの未解決事件。世間の関心は誰が彼女を殺害したのかという真実以上に、満ち足りたエリートが夜な夜な売春行為を繰り返す、容易には理解しがたい二面性の謎へと注がれた。こうした被害者の境遇が奇しくも『ミスター・グッドバーを探して』の主人公・テレサのそれと酷似していたことから、以降、本作を同事件の予見者であるかのように捉えた評をよく目にする。さらには我が国において本作がDVD化されないことも、事件の異質さとネガティブに結びつけられる傾向にあるようだ(国内未リリースは、単に権利上の問題なのだが)。 もっとも、この『ミスター・グッドバーを探して』も、実際の事件をもとに描いた小説が原作である。ジュディス・ロスナーによって執筆された同著(小泉喜美子訳、ハヤカワ文庫:現在廃刊)は、ろうあ児施設の女性教師を務めていたローズアン・クインが何者かに殺害されるという、1973年にニューヨークで起きた殺人事件から着想を得たものだ。そのためこの映画が、現実の出来事と関連づけられるのは宿命といえるかもしれない。 しかし、本作は決して実録事件簿のような、覗き見的な好奇心を満たすものではない。ハリウッドが「女性の自主性」について言及した初期の意欲作として、映画史において非常に重要な位置に立っている。 女性が運命を耐え忍び、恋に身を焦がすメロドラマ構造を持った「女性映画」は、1930年代のハリウッド黄金期から作り続けられてきた。しかし、女性の自立や自主性に言及した作品は、男性主権がまかりとおるメジャースタジオの特性も手伝い、積極的に発信されることはなかったのである。 だが1960年代半ばから、アメリカではウーマン・リブ(女性解放運動)の波が大きな高まりを見せ、映画における女性の立場や、それを観る女性客の反応といったものに、ハリウッドも無関心ではいられなくなっていたのだ。 社会のしがらみから我が身を解放させ、カジュアルセックスに没頭する奔放な女性像を、はたして同性はどう受け止めているのかーー? 本作の監督であるリチャード・ブルックスは、原作を読んでいた約600人の女性に対してインタビューをおこない、得たデータを映画にフィードバックすることで、女性の心情に寄り添う作品の成立に寄与している。 ブルックス監督はこの映画で、現代的な女性像に肉薄しようと試み、それに成功したのだ。 ■トラウマを与える衝撃的なラストシーンの真意 しかし、このような作品の成り立ちを説明してもなお、本作に対する好奇先行の見方を容易には修正できない。 その最大の原因は、衝撃をもって観る者を絶望の深淵に沈めるラストシーンにある。テレサが行きずりの男性ゲーリー(トム・ベレンジャー)に刺殺されてしまうあっけない幕引きは、観た者の多くに「トラウマ映画」と言わしめるほど、あらゆる要素にも増して突出しているのだ。 この衝撃のラスト、じつはロスナーの原作小説に準じたものではない。原作ではテレサの殺害は序文で詳述され、物語はその結末へとたどりつく「ブックエンド形式(始めと終わりを同一の事柄で挟む構成)」になっている。来るべき主人公の死が読者の念頭に置かれることで、悲劇がゆっくり時間を経て増幅されることを、作者であるロスナー自身がもくろんでいるのだ。 映画版はそれとは対照的で、テレサの死の描写をクライマックスのみに一点集中させることにより、あたかも自分が唐突な事故に遭ったかのような、無秩序な恐怖感やアクシデント性を受け手に与えるのである。 そんなラストシーンのインパクトをより高めているのが、過剰なまでに明滅の激しい照明効果だろう。 ハリウッドを代表する撮影監督のインタビュー集『マスターズ・オブ・ライト/アメリカン・シネマの撮影者たち』(フィルムアート社:刊)の中で、本作の撮影を手がけたウィリアム・フレイカーが、このラストシーンの撮影を細かく振り返っている。氏によると、同シーンはブルックス監督が考案したもので、ストロボライトのみを光源とする実験的な手法が試みられている。結果、明滅の中でかろうじて認識できる流血や凶器、あるいはテレサの意識が遠のいていくさまを暗喩する闇の広がりや、フラッシュ効果の不規則なリズムなど、これらが観る者の不安をあおり、場面はより凄惨さを醸し出しているのである。 ブルックス監督は実在の殺人事件をベースにしたトルーマン・カポーティ原作の『冷血』(67)でも、窓ガラスをつたう雨水が実行犯ペリー(ロバート・ブレーク)の顔に重なり、あたかも彼が涙を流して告解するかのようなシーンを演出するなど、技巧派の一面を強く示していた。 こうした創作意識の高い職人監督による、映画ならではのアプローチが、件のクライマックスを必要以上に伝説化させているといえるだろう。 しかし、本作のラストがインパクトだけをいたずらに狙ったものかといえば、決してそうではない。映画は随所で鋭利なナイフの存在を象徴的に散らつかせ、最後への布石が周到に敷いてあることに気づかされるし、なによりもあの破滅型のラストシーンは、当時ハリウッドに大きな流れとしてあった「アメリカン・ニューシネマ」の韻を踏んだものに他ならない。 1960年代の後半から70年代にかけて巻き起こった、アメリカ映画の革命であるアメリカン・ニューシネマ。それまでのハリウッドは、映画会社の年老いた重役が実権を握り、ミュージカルや恋愛ものや史劇大作など、古い価値観に基づく映画が作り続けられていた。そのため高額の製作費とスタジオ設備の維持費がかさんで赤字となり、またテレビの普及によって観客は減少し、経営は悪化。メジャーの映画会社は次々とコングロマリット(複合企業)に買収されていったのだ。 なによりも、こうした保守的なハリウッド作品に、観客は興味を示さなくなっていた。60年代当時のアメリカは変革の波が国に及び、公民権運動やウーマン・リブ、ベトナム戦争による政府への不信感から若者がデモを起こしたりと、反体制の気運が高まっていたのだ。彼らにとってハリウッドが作る甘美な夢物語など、そこに何の価値も見出せなかったのである。 しかし、1950年代から頭角を現してきた独立系のプロダクションが、ピーター・ボグダノヴィッチやデニス・ホッパー、フランシス・コッポラやマーティン・スコセッシなど、水面下で新たな才能を育てていたのだ。そんな彼らが後に『俺たちに明日はない』(67)や『イージー・ライダー』(69)といった、登場人物が体制に反旗をひるがえし、若者たちが社会からの疎外や圧迫を共感できる作品を発表していく。 『ミスター・グッドバーを探して』は、そんなアメリカン・ニューシネマの文脈に沿い、同ムーブメントをおのずから体現している。自由意志のもとに行動する主人公も、抵抗の果てに力尽きて散るラストも、その証としてこれほど腑に落ちるものはない。 いっぽうでブルックス監督はこうしたアプローチを「現実的でリアルなものではなく、あくまで幻想的なもの」として実践していると、先の『マスターズ・オブ・ライト』でフレイカーが語っている。劇中、ときおり映画はテレサの心象風景とも回想ともつかぬイメージショットを多用し、物語を撹乱することで、観る者の意識を巧みにミスリードしていく。テレサが殺されるシーンにも先述の手法が施されていることから、本作は全体的にリアルを標榜しているというよりも、どこか幻想的な趣が感じられてならない。 そのため、このドラマのクライマックスは多様な解釈を寛容にする。受け手によっては、テレサの死は彼女のただれた生活を道徳的に戒める「因果応報」のようなものだと厳しく解釈することもできるし、また「死によってテレサはさまざまな苦悩から解放されたのだ」とやさしく受け止めることもできるのだ。 国内でDVD化が果たされず、センセーショナルな印象だけが先行している『ミスター・グッドバーを探して』。だが、ザ・シネマで作品に触れる機会が得られたことで、本作が単なる実在事件の追体験ではないことを、多くの映画ファンに実感してほしい。■ COPYRIGHT © 2016 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2016.07.08
“高尚な趣味のOL”御用達の退屈文芸監督と思ったら大間違い。ジョー・ライト監督、その異常ともいえる美意識の高さと、狂気じみた映像へのこだわり〜『アンナ・カレーニナ』〜
ジョー・ライトという監督がマニアックに語られることが少ないのはなぜなのか。長編デビュー作がジェーン・オースティンの恋愛小説が原作の『プライドと偏見』(2005)であったり、『つぐない』(2007)、『アンナ・カレーニナ』(2012)と文芸路線が多いことから高尚な趣味のOL御用達だと思われているのだろうか(高尚な趣味のOLという存在自体がもはやファンタジーだが)。 『プライドと偏見』は2000年代でも屈指の「衝撃デビュー」だったと思うのだが、日本公開時の宣伝は完全に女性に向けたラブストーリー扱いで、ジョー・ライトの狂気じみた映像へのこだわりは語られることが少なかった。 いや、もちろん『プライドと偏見』はラブストーリーとしても素晴らしい。その一方で、映画好きなら垂涎の映像表現や演出が詰まっていることが伝わらないままスルーされてしまった印象がある。 ジョー・ライトの最大の個性は、あらゆることを「画と音」で伝えようという強迫観念に似た執念である。『プライドと偏見』は出会った瞬間からそりが合わない男女の恋を描いたラブコメの原典だが、18世紀当時のイギリスの階級社会や文化が登場人物の思考や立ち位置を決定づけている。ライトが試みたのは、コミュニティのヒエラルキーの全容と男女の誤解、にもかかわらず芽生える恋心のはじまりをひっくるめて、舞踏会のワンシーンだけで表現してしまうことだった。 映画序盤でかなりの尺をもって描かれる舞踏会は長回しのカメラと出演者の演技が緻密に振り付けられ、シーンまるごとが壮大な群舞となった。これほどの情報量をビジュアルの力で伝えきった豪腕に「天才監督あらわる!」と興奮したことが忘れられない。 監督二作目の『つぐない』は幼い少女の誤解によって引き裂かれてしまう恋人たちを描いたメロドラマだが、第二次世界大戦の激戦「ダンケルクの撤退」を描いた5分半もの長回しで語り草になった 英仏33万人の将兵がドーバー海峡を渡ってイギリスに退却した最前線での混沌を圧倒的な物量で描いた壮麗なワンショットは、映画全体のトーンからハミ出ているがゆえに運命を翻弄する「戦争」の巨大さを象徴していた。 長回しといえばデ・パルマ、最近ではキュアロンかイニャリトゥの名前が挙がるのが通例だが、ライトは『つぐない』に限らずどの監督作でも凝りに凝った長回しを披露している。本人が「ひけらかすのが好きなんだ」と自嘲まじりに笑い飛ばすトレードマークであり、シーンのメイキングだけでも一冊の本ができてしまいそうである。 また「音楽」への執着もジョー・ライト作品の特徴だ。前述の舞踏会は言うに及ばず、『つぐない』の恋文を打つタイプライターがビートを刻みテンションを高めていくモダンさは、ありふれた「文芸映画」のイメージを軽々と飛び越える。『路上のソリスト』(2009)はまさに音楽家の物語だったし、成功作とは言えないにせよ『PAN~ネバーランド、夢のはじまり~』(2015)でニルヴァーナをぶっ込んだ遊び心も強烈だった。 現時点でのジョー・ライトの最高傑作を決めるつもりはないが、『アンナ・カレーニナ』はジョー・ライト的映画術がこれでもかと詰め込まれた、集大成と呼ぶべき濃密作であることは間違いがない。 原作はロシアの大文豪トルストイの代表作。タイトルだけは誰もが聞いたことがあるはずだが、知名度のわりに概要を知っている人は少ないので簡単に説明しておこう。 舞台は1870年代の帝政ロシア。ざっくり言えば上流階級の貞淑な若妻アンナ(キーラ・ナイトレイ)が、イケメン将校ヴロンスキー(アーロン・テイラー・ジョンソン)との不倫愛にのめり込み破滅へと突き進んでいく悲劇である。 若い農場主リョーヴィン(ドーナル・グリーソン)と若い娘キティ(アリシア・ヴィキャンデル)の純朴な恋模様や、アンナの兄の浮気騒動といったサブプロットもが同時進行するが、基本はアンナと愛人と夫の三角関係の愛憎劇。ただし当時のロシア社会への批判、トルストイの理想と現実にまつわる考察が込められていて、当然ながらただの不倫メロドラマではない。 トルストイの原作自体が文学史上の傑作とされており、過去にはグレタ・ガルボ、ヴィヴィアン・リー、ソフィー・マルソーらの主演で何度も映像化されている。言わばさんざん手垢が着いているからこそ、ライトは前代未聞のアプローチを見つけ出した。240に上るシーンの大半を、たったひとつのセットで撮ってしまったのだ。 企画当初はロシアで撮影しようとロケハンにも行ったが、現地で「ここで『アンナ・カレーニナ』を撮るのは7本目ですね」と言われて方針を180度変えた。朽ちかけた劇場のセットを建てて、シーンの違いを舞台装置によって表現しようというのだ。 むろん劇場での演劇をそのまま撮影するわけではない。ひとつの建物がまるごと、アンナたちが暮らしているロシア社会に見立てられているのである。ステージや客席は華やかな社交や場となり、天井裏はうらぶれた路地や貧者の家になる。スケートリンクから競馬のパドックまで、衣装の早替えのようにシーンが移り変わっていく様はまるで魔法を見ているかのようである。 セットを「劇場」にしたのには明快な理由がある。登場人物の誰もが社会という枠に押し込められて、与えられた役割を演じながら生きているから。アンナは虚飾に満ちた世界から逃れるようにヴロンスキーとの逢瀬にすがりつくが、もがけばもがくほど世間の反感を買って生きるスペースが狭まっていく。劇中に「観客」が登場しないのは、彼らは出演者であると同時にお互いを見張る観客でもあるからだ。 ギミックを凝らした過剰さに眩暈を起こす人もいるかも知れないが、映像や美術の端々に込められた深い寓意には戦慄すら覚える。例えばアンナの息子の寝床はまるで額縁の中のようにデザインされていて、兄の家の子供たちの部屋は大きなドールハウスだ。まるで大人の都合で観賞用に閉じ込められた「箱の中の箱」である。 ライトがインスピレーションを得たのは子供の頃に夢中だった人形劇だそうだが、誰もが大きななにかに操られていると感じさせることでミニマムな空間からマクロな視点が生まれる。さらに盟友ダリオ・マイアネッリの音楽とシディ・ラルビ・シェルカウイの振付が加わり、流麗で饒舌な映像美に昇華されているのだ。 『プライドと偏見』をさらに進化させた舞踏会のダンスシーンは本作の白眉だが、直接ダンスが絡まない場面での手や首の優雅な動きにも目を凝らして欲しい。自然体とは対極にある誇張された動きだが、いかに雄弁に気持ちを語っていることか。本音をぶちまけることが許されなかった時代背景が、異常ともいえる美意識の高さに昇華されていて息が詰まるほどだ。 とはいえ同じことを現代劇でやるのは難しかっただろう。こういう形で演劇を取り入れた先例として木下恵介の『楢山節考』(1958)、エリック・ロメールの『聖杯物語』(1978)、ラース・フォン・トリアーの『ドッグヴィル』(2003)などが挙げられるが、いずれも時代物であり、虚構性を高めることで寓話としての強度を高めている。 『アンナ・カレーニナ』がそれらの先達と違うとすれば、キャラクターを戯画化していないことではないか。ひとりひとりをシンボライズするのでなく、矛盾に満ちたグレーな人間としてリアルに描く。しかしビジュアルや演技は徹底的にアンリアルという倒錯感を、ジョー・ライトという才気あふれる映画監督の気概と一緒に楽しんでいただきたいと思う。■ ©2012 Focus Features LLC
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COLUMN/コラム2018.03.01
男たちのシネマ愛ZZ③『ロッキーの英雄・伝説絶ゆる時』
なかざわ:次は『ロッキーの英雄・伝説絶ゆる時』ですね。これ、見始めてからしばらく完全に西部劇だと思ってたら、すぐに現代の話だってことが分かってビックリしました。 飯森:とにかく映像がキレイですよね!冒頭でも述べた通り、本作はHDマスターが存在しないためSDで放送せざるを得ないのですが、まことに勿体ない! なかざわ:これぞアメリカ!と言うべき雄大な自然を丁寧にカメラで捉えている。まるで昔のタバコのCMみたいですよね。 飯森:マルボロとかですか。辺り一面の白樺か何かの木々が黄葉している、白と黄色のロッキー山脈の絶景の中で、インディアンの少年がクマと兄弟みたいに仲良く一緒に暮らしているんですけど、両親が死んでしまってクマと2人きりなんですよね。そこで、お爺さんに連れられ山を下りてクマと一緒に先住民居留地の寄宿学校へ通うんだけれど、いくらなんでもクマと一緒にいられないし、ほかの子供たちからも浮きまくってる。先生にもクマ捨てろ!と言われ大騒ぎになる。とても文明社会では暮らしていけないような野生児なんですね。で、そこから話は一気にタイムワープ。 なかざわ:18~19歳の年齢にまでジャンプしますね。 飯森:相変わらず文明社会には馴染めないんだけれど、しかし実は荒馬を乗りこなせることが分かる。それを見つけたリチャード・ウィドマークが、こいつをロデオ選手にしたら儲かるぞと考えて拾ってくれるわけですね。 なかざわ:そのウィドマーク演じるオヤジさんと、フレデリック・フォレスト演じるインディアン青年による、疑似親子的な関係を主軸にしたロードムービーといったところでしょうか。その中で、現代アメリカ社会におけるインディアンの置かれた状況も織り込まれていきます。 飯森:日本語字幕では分かりやすく「ロデオ」と訳しているんですけれど、原語だと「ブロンコ(野生馬)ライディング」と言っているんですよね。ロデオと一口に言ってもいろいろな競技があって、その中でも暴れ馬を乗りこなす競技がブロンコ・ライディング。ロデオは猛牛乗りでしょ?ウィドマークはそのブロンコ・ライディングの方のトレーナーなんですが、最初のうちはすごく良い人なんですよ。主人公の才能を初めて認めてくれて、親身になってくれて、なおかつロデオ選手として成功するチャンスまで与えてくれる。インディアンだからって差別されそうになると、相手のことをブン殴ってまで守ってくれる。まさに良き育ての親で大恩人なわけだけど、実は… ==============この先ネタバレが含まれます。============== いろいろと問題もある人物だということが分かってくるんですね。 なかざわ:でも、だからこそ面白くて興味深いキャラクターだと思います。これがただの良い人だったら、作品自体も薄っぺらなフィール・グッド・ムービーで終わってたはずです。 飯森:とにかく酒癖が悪くて自らを律することが出来ない。しかも、確かに主人公を守ってくれるしチャンスもくれるんだけど、その一方で金儲けの道具としてがっつり搾取もしているんですよね。 なかざわ:そう、決して根っからの悪人ではないのだけれども、かといって清廉潔白な善人というわけでもない。 飯森:いますよねえ、こういうボス!社員に対してどこまでも情に厚いんだけれど、 しかし実際やっていることは完全にブラック経営者という(笑)。 なかざわ:だからこそ、主人公は憎んでも憎み切れないわけですよ。 飯森:愛憎相半ばする。雇用主としてもですが親としてもそうですよね。今で言う毒親問題みたいなテーマも描いています。 なかざわ:演じるリチャード・ウィドマークはクールな中に狂気を秘めたような役が多かったように思いますけど、ここでは感情全開で泥臭い人間を演じているのがちょっと珍しいなと思いましたね。 飯森:それと、彼は毒親であるのと同時に、最近の言葉で言うところの下流老人でもある。ロデオで儲けた金もすぐ酒で使ってしまうような刹那的な生活が祟って、悲惨な老後を送っている。そんな人物を、往年の西部劇スターでもあったウィドマークが演じているところも興味深い。 なかざわ:ただ、ウィドマークも問題ありますが、主人公の若者も若者で、文明社会はおろか同胞であるネ イティブ・アメリカンのコミュニティにすら馴染もうとしない。どこにも居場所のない孤高の一匹狼です。 飯森:彼はもともと野生児ってことなんですかね? なかざわ:この映画には原作小説があるらしいんですが、原作では両親が生きている頃の描写もあるみたいなんですよ。そこが映画版ではバッサリとカットされている。 飯森:なんであんなコロンブス以前のような原始的な生活をしているのか、さっぱり分からない(笑)。で、そういう昔ながらの古き良き暮らしを同胞に教えてやるんだと意気込んで山から里へ下りるんですが、それよりお前の方がちっとは文明社会での暮らしを学べ!と返り討ち的に言われてしまって、現代アメリカ社会に参加し、そして成長してからはロデオ生活の旅へ出るわけですね。そして、最後は十分に学んだからといってネイティブのコミュニティに戻ってくる。 なかざわ:学校で馬の世話をしながら静かに暮らすことになる…というような終わり方ですね。 飯森:そこは、なんとなくおとぎ話的な雰囲気がありますよね。来た・見た・帰った、みたいなお話で。最後に帰還するまで、彼はロデオ・スターとしての華々しい成功を手に入れつつ、70年代当時のアメリカ社会の暗部や歪みも目の当たりにする。酸いも甘いも経験したうえで、戻るべき場所へ戻ってくるわけです。淡々としつつも上質なドラマなんですよね。文明社会に飛び込んだインディアンの野生児の目を通して、70年代当時のアメリカ社会を批評的に見つめるという。 なかざわ:そうした社会的な要素も、あくまで現実世界に存在する動かしがたい事実として描きこまれているだけであって、決してメッセージ性の高い映画というわけではないように思います。 飯森:印象深かったのは、スター選手として華々しく活躍するようになった主人公が出場した競技大会で、ナレーション・パフォーマンスみたいなものがあるんですよ。「ご来場の皆さん、ここにいる彼らこそがアメリカを開拓して、国の礎を作った英雄たちの子孫なんです!」みたいな選手入場アナウンスが流れ、会場はヤンヤヤンヤの拍手喝采。白人のロデオ選手たちに混じって主人公のインディアン青年もいるわけですけど、でも彼だけは征服された側の人間なんですよね。あの時の黙って耐えてるような表情が、何とも言えず微妙で味わい深い。心の中では「勝手なこと言ってやがんなぁ…」と思っているはずなんですけど、大人げないので別にそこでゴネたり騒いだりはしない。 なかざわ:彼は自己主張こそするけれども、差別に対しては決して真っ向から反発して挑んで行ったりはしませんね。 飯森:この映画って、インディアンへの差別問題も描くけれども、それに対する怒りからドラマが生まれることはないんですよね。これが70年代の西部のリアルなんだ、という中で生きている人の姿を等身大にカメラで追っていくというような映画。 なかざわ:恐らく彼と同じような立場、境遇にあるインディアンの若者であれば、当時は当然のようにそうしただろうなということがリアルに描かれている。 飯森:こうした状況って、今はちゃんと変わっているのでしょうかねえ。 なかざわ:そういえばフレデリック・フォレストって、子役からバトンタッチした時点で18~19歳という設定ですけど、この撮影当時で既に30代半ばだったんですよね。そうは見えないほどムチャクチャ若い! 飯森:それもそうですし、後の彼からは想像がつかないくらい二枚目なんですよね!別人みたいにシャープな印象ですし。この作品ではゴールデン・グローブの新人賞を貰うなど高く評価されたみたいですね。あと、これがデビュー作だったのかな。 なかざわ:いや、それ以前にも何本か出ているんですけど、名前が違うんですよ。フレデリック・フォレストとして出演したのは初めてですけれど。 飯森:少なくとも、これをきっかけに注目されたことは確かですね。その点でも一見の価値はあると思います。 なかざわ:ちなみに、後半で主人公といい仲になるナース役を演じている女優ルアナ・アンダースって、『おたずね者キッド・ブルー』繋がりになるんですけれど、デニス・ホッパーの『イージー・ライダー』に出ているんですよ。彼女はもともとロジャー・コーマン組の女優さんで、その当時からジャック・ニコルソンとかなり親しかったらしく、以降もずっとニコルソンはことあるごとに彼女を自分の映画に出演させているんです。で、デニス・ホッパーとも『ナイト・タイド』という映画で共演して親しかった。ニューシネマ周辺を語る上では欠かせない女優さんの一人ですね。 飯森:そういえば、ナースと出会う前に逆ナンしてきた女性がいますよね。それまで女っ気の全然なかった主人公が、ロデオで成功してチヤホヤされて、なんだかジゴロみたいになってしまう。 なかざわ:文明社会の悪いところに染まってしまうんですよね。 飯森:八百長もやらされたりして、名声は得るんだけれどこれじゃない感も強くなっていく。そんな時に、ちゃんと誠意をもって向き合える相手として登場するのがナースなんですよね。恐らく彼女の存在によって、今みたいな生活を続けていたら、行きつく先はウィドマークみたいになっちゃうよ、ってことに気付かされたんでしょう。 なかざわ:そう考えると、とても王道的な成長物語でもありますね。じんわりと胸に染みるような映画だと思いますよ。そういえば、今日の飯森さんはブルージーンズで決めていらっしゃいますけど、もしかしてこの映画のフレデリック・フォレストを意識したとか? 飯森:よくぞ聞いてくださいました!僕は1975年の生まれで、アメカジ直撃世代でもあるわけですよ。それこそ古着のジーパンが30万円とかした狂った時代(笑)。いまだにその病気は治っておりません。なので、この『ロッキーの英雄』には心底しびれました!デニムバブル世代の人間として、この作品の現代ウエスタン・ファッションは堪らないものがあります。ここに出てくるジーンズは全部リーバイスで、フレデリック・フォレストはリーバイス3rdと呼ばれるジージャンを着て出てくるんですが、あれがむちゃくちゃカッコ良い!胸ポケットのフラップをカットオフしてて、「こんな着方があったのか!」と、初めて知る裏技に驚かされましたね。映画におけるファッションってのは大きなお楽しみ要素だと個人的には思ってるんですよね。ファッション誌で映画をファッションのお手本にしようと特集が組まれていた時代もかつてはあったでしょう?インスタでお手本ファッション調べるのも手軽でいいかもしれないけど、ああいうインスタントではない、映画の豊かな周辺文化も、また復活して欲しいと思いますね。インスタではインスタントすぎる。 次ページ >> 『The Duchess and the Dirtwater Fox』 『おたずね者キッド・ブルー/逃亡!列車強盗』© 1973 Twentieth Century Fox Film Corporation. 『ロッキーの英雄・伝説絶ゆる時』© 1972 Twentieth Century Fox Film Corporation. Renewed 2000 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.『The Duchess and the Dirtwater Fox』© 1976 Twentieth Century Fox Film Corporation. Renewed 2004 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2016.07.02
フレンチ・リビエラの海岸でジーン・セバーグの太股が揺れる!! アメリカ人には不向きだったアナニュイな夏〜『悲しみよこんにちは』〜
ユベール・ド・ジバンシーと言えばオードリー・ヘプバーン。映画ファッション史に名を刻む2人のトレンドセッターが最初にコラボしたのは『麗しのサブリナ』(54)だが、時系列的にはそれから約4年後、『昼下りの情事』(57)でアリアンヌ役のオードリーか着る数点のドレスをデザインし終えた直後あたりに、ジバンシーが非オードリー作品に衣装デザイナーとして駆り出される。それが『悲しみよこんにちは』(58)だ。 映画はまるでジバンシー、もしくはジバンシー的ミニマリズムのオンパレード。彼が衣装を担当したどのオードリー映画より、オードリーがいない分、むしろジバンシー色が強いと言っても過言ではない程だ。なので、ここで衣装の解説に少し字数を割きたい。 冒頭でジーン・セバーグ演じるヒロインのセシルが着て現れる黒いベアトップのカクテルドレスは、もろ『麗しのサブリナ』でオードリーが着ていた"デコルテ・サブリナ"のアレンジ。両肩のリボンストラップを首元に移行させてはいるが、タイトな上半身と膨らんだパニエのドラマチックな対比、モノクロを意識したミニマルなシルエットは、どちらもジバンシーならでは。『悲しみ~』はストーリー展開に伴いカラーとモノクロをカットバックで切り替える手法だ。因みに、セシルやデボラ・カー扮するアンヌが身に付けるジュエリー類は、パリのハイブランド、カルティエとエルメスから提供されている。 セシルとデヴィッド・ニーブン演じる富豪でプレイボーイの父親、レイモンが夜な夜なパリの街に繰り出し、パーティに明け暮れる刹那的な冒頭シークエンスから、父娘が夏を過ごした1年前のフレンチ・リビエラに時間が巻き戻ると、画面は一転、モノクロからカラーにシフト。ここでカラフルなジバンシーファッションが一気に炸裂する。レイモンに招待されてコテージに現れる、後のフィアンセで、セシルにとっては継母になるはずだったアンヌがセシルにプレゼントする、胸にフローラル刺繍が施されたドレスを筆頭に、セシルと、レイモンまでが多用する(アンヌもやってる)シャツの裾結びとショートパンツの組み合わせ、セシルが履く楽ちんそうなバレエシューズ等々、否が応でもサブリナやアリアンヌを連想させる服と着こなしは、ジバンシー本人と、衣装コーディネーターのホープ・ブライスが場面毎にデザインまたは用意した品々。ブライスは本作の監督、オットー・プレミンジャー夫人で、夫が監督した計9作で衣装コーデを手がけている。ジバンシーのセンスとブライスの統括力のお陰で、映画はさながらジバンシーによるビーチリゾート・ファッションショーの趣きだ。 さて、ここらでファッションから映画の背景に話題を移そう。『悲しみよこんにちは』はフランソワ・サガンがブルジョワのアンニュイな生活と孤独を綴って作家デビューを飾ったベストセラー小説の映画化。これにインスパイアされたサイモン&ガーファンクルが、名曲"サウンド・オブ・サイレンス"を発表したとも言われる。確かに、父親の愛を繋ぎ止めるために、何の罪もないアンヌに惨い制裁を加えてしまうセシルが引き摺る後悔と、永遠に逃れられない孤独との共存を意味する映画のタイトルは、"S.O.S"の歌い出し"hello darkness my old friend~"と符合する。プレミンジャーは小説の世界観に魅せられ、映画化を決意。そして、完成した作品は、ヒッチコックの『泥棒成金』(55)と同じ ゴート・ダ・ジュールの海岸線や、オープンカーでのドライブ、ラグジュアリーなリゾートファッション等で共通するし、映画史的に見ると、1950年代のハリウッドではこの種のヨーロッパを舞台にした観光映画がちょっとしたブームだった。『ローマの休日』(53/ローマ)然り、『愛の泉』(54/同じくローマ)然り、『旅情』(55/ベニス)然り。 それは、当時のアメリカ人にとってヨーロッパはまだまだ遠く、いつか訪れてみたい憧れの地だったからだろう。そのため、作られた映画はほぼ間違いなく、旅には付きもののラブロマンスと決まっていたものだ。でも、『悲しみよこんにちは』は少しテイストが異なる。南仏でのバカンスを無邪気に楽しむレイモンとセシルが、遊びの延長でアンヌを排除してしまった罪悪感が、風景の彩度と反比例して、観客の気持ちまでアンニュイにするからだ。その刹那でデカダンなムードが映画の魅力とも言えるし、レイモンとセシルは毎夏リビエラに南下して来るパリ在住のブルジョワ。外国人が異国の地で萌える他のハリウッド映画とはそもそもキャラ設定が違う。だからだろうか、公開当時、アメリカメディアの評価は芳しくなかった。反面、原作者サガンの母国フランスでは映画人たちが絶賛。ジャン=リュック・ゴダールは1958年のベストンワンに選び、エリック・ロメールは"シネマスコープで撮られた最も美しい映画"と評している。 オットー・プレミンジャー自身も"自作中最も好きな映画"と自画自賛する本作で、誰よりも幸運を手にしたのは、言うまでもなく主演のジーン・セバーグだっただろう。トランジスターグラマーなボディライン(160センチ)から溢れ出る若々しさと、"セシルカット"と呼ばれたブロンドのショートヘアは一種のムーブメントとなり、特にそのヘアスタイルは、女優がイメージチェンジする際の必須アイテムとして定着。パーマネントが必要な"ヘプパーンカット"と比べてナチュラルな分、より一般的、普遍的に広がっていった。そして、ジバンシーがデザインしたリゾートウェアも、もしかして、スリムな体型に恵まれたオードリーより、むしろ、セバーグを通して女性たちの着るハードルを低くしたのかも知れない。太い太股や足首を隠そうともせず、リビエラの海岸をゴム毬のように走り抜けるセシルを見て、改めてそう思う。 そんなセシル=セバーグに魅了されたジャン=リュック・ゴダールは、彼にとっての初監督作『勝手にしやがれ』(59)のヒロインにセバーグを抜擢。その際、セバーグは個人的にもお気に入りだった"セシルカット"を続行し、そのヘアにマッチしたボーダーのカットソーと黒のロングスカートは、ジバンシーによるセシルのリゾートウェア以上に強烈なトレンドとなる。結局、セバーグのたった15年にも満たなかった女優人生(映画出演は1957〜71。1979年、パリ郊外で遺体で発見される)で、『悲しみよこんちには』は『勝手にしやがれ』と並ぶ彼女の代表作として記憶されることとなる。 ところで、タイトルシーケンスを飾る人が涙を流すグラフィックデザインは、プレミンジャーの『カルメン』(54)以来、ヒッチコックの『めまい』(58)等、数多くの映画でアートワークを手がけた伝説的なデザイナー、ソール・バスの手によるもの。また、劇中に登場するペインティング類は、日本人洋画家、菅井汲(すがいくみ。1919〜1966)の作品だ。本作にスタッフとして正式に参加した彼の名前がタイトルロールでもちゃんと紹介されるので、是非目を懲らして欲しい。■ Copyright © 1958, renewed 1986 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2018.03.01
男たちのシネマ愛ZZ④『The Duchess and the Dirtwater Fox』
なかざわ:そして最後は『The Duchess and the Dirtwater Fox』。日本語タイトルすら存在しない映画ですね。 飯森:どんだけ貴重なんだと。しかも、手前味噌で恐縮ですけど、ムチャクチャ面白いときたもんだ。 なかざわ:僕はこのメルヴィン・フランクという監督さんが大好きなんですよ。ダニー・ケイの映画とか、ボブ・ホープの「珍道中」シリーズなどで有名な人なんですけど、ジーナ・ロロブリジーダ主演の『想い出よ、今晩は!』も最高に面白かった。ヴィットリオ・デ・シーカ監督がソフィア・ローレン&マルチェロ・マストロヤンニのコンビで撮ったようなセックス・コメディを、そのまんまの風刺精神でハリウッド流にアレンジする手腕が見事だと思いましたね。 飯森:すると、ずっとコメディ一筋でやってきた人なんですね?なるほど道理で上手いわけだ!ぶっちゃけ、ゴールディ・ホーンの歴代主演作の中でもベスト5に入るような面白さですよ。それがなんで日本では未公開なんだ!もはや怒りすらこみあげてきますね。 なかざわ:この映画のゴールディ・ホーンは素晴らしくコケティッシュ。 飯森:そして芸達者! なかざわ:ミュージック・ホールのパフォーマンス・シーンでは、実際に歌って踊っていますし。彼女が映画で歌声を披露したのは、この映画が初めてだったみたいです。 飯森:この映画はコメディ西部劇で、彼女はサンフランシスコの売春婦なんですよね。ショーパブのステージに立ちつつ、その傍らで春をひさいでいるという。オープニングではドイツ語で喧嘩するシーンがありますけど、ドイツ系移民ってことなのかな。 なかざわ:そういえば、途中でジョージ・シーガル演じる詐欺師と外国語訛りの英語で喋るシーンもありましたよね。 飯森:ああ、あれ凄いですね!タモリの4か国語麻雀みたいなやつ(笑)。3人で狭い馬車の中にスシ詰めで座っていて、真ん中の第三者に会話の内容を悟られないように、語尾だけフランス語風やイタリア語風にして、数カ国語ペラペラの上流階級のマルチリンガル同士の会話を装い、実は超お下劣きわまりない話を堂々としている。つまり、タモリの4か国語麻雀を余裕でやってのけてしまう才能を持ったゴールディ・ホーンだったわけですよ!彼女がコメディエンヌとして成功した理由がよく分かります。 先ほど触れた歌とダンスのパフォーンスでもね、お尻に食い込むようなランジェリー姿で、お下劣極まりない歌を歌うわけですよ。「♪私のプラムをイジっちゃイヤ~ン」とか「♪あの人のプラムをイジりたいわ~ン」とか(笑)。果物のプラムにかこつけて、全く別のモノをイジるだの、揉むだの、シゴくだの言っているわけ。 なかざわ:そんな彼女がモルモン教徒の大金持ちと結婚しようとする。 飯森:この映画は1882年が舞台だと冒頭にテロップで出てくるんですが、1890年まではモルモン教は一夫多妻制だったんですね。で、その7人目の妻に収まれば、1週間に1晩夜のお勤めするだけで、あとの6日は遊んで暮らせると踏んだわけですな。そこで、上流階級風の上品なドレスを買って名門の侯爵夫人に成りすまし、まずはその金持ちの子供たちの住み込み家庭教師としてお近づきになろうとする。すると採用面接で「音楽の授業はできるか?ためしに1曲歌ってみてくれ」と言われるんだけど、そこで例のプラムの歌を歌う。でも、とっさのひらめきで下品な歌詞をアドリブで直す。メロディはまんま同じだし歌詞も大して違わないんだけど、要所要所の決定的NGワードだけ変え、アレンジをガラリと変え、イギリス英語でお淑やかに歌うことで、『王様と私』や『マイ・フェア・レディ』さえ霞むほどお上品な曲に変えてしまう。それでまんまと大富豪に見初められるわけです。このゴールディ・ホーンの芸達者なことときたら! なかざわ:一方、ジョージ・シーガル演じる詐欺師の男は、ギャング集団に無理やり拉致られて銀行強盗に加担させられる。で、上手いこと彼らを騙して大金を奪って逃走するわけですが、その豪遊先で知り合ったのがゴールディ・ホーンだった。そこから、お互いの素性を知った2人が旅の道中でも一緒になり、追いかけてきたギャング集団から逃げ回っていくうち、いつしか好意を寄せ合うようになっていくというわけですね。 飯森:しかし本当に、これだけ面白い映画がなんで日本ではスルーされたのか! なかざわ:相手役がジョージ・シーガルだからですかね(笑)?でも、当時はジョージ・シーガルも『レマゲン鉄橋』とか『ジェット・ローラー・コースター』とか話題作に主演していましたけど。 飯森:ゴールディ・ホーンが『サボテンの花』でアカデミー賞を獲ったのが69年でしたっけ。それから7年くらいが経っているわけで、当時すでにハリウッドのトップスターですよ。それにも関わらず、この映画がこれほどまでに知名度が低いことの理由は、まず宣材写真が悪いことが挙げられるんじゃないですかね。権利元から送られてきた写真の中に、ヒロインの魅力を伝えるような写真が1枚もありませんでしたから。ネットで画像検索しても1枚も出てこないので、そもそも撮ってなかった、宣材カメラマンの腕が悪かったということなんでしょう。ゴールディ・ホーンも本編では可愛いのに、スチル写真はろくなものがない。ポスターのデザインも良くないですし。宣材が悪いと宣伝のしようがないんですよね。このページで上の方に載せてるポスターは、見るからに後年フォトショップで合成したやつですね。逆に言うと、それぐらい無かった。 なかざわ:そう考えると、もしかすると映画会社があまり力を入れてなかったのかもしれませんよ。メルヴィン・フランク監督も当時は全盛期を過ぎていましたし。 飯森:仮にそうだとしても、今見ればボブ・ホープなんかと仕事をしてきた大ベテランが、職人としての手堅い手腕を存分に発揮して、初期ゴールディ・ホーンのコケティッシュな魅力や、コメディエンヌとしての不世出の才能を引き出した傑作だと言えますよね。これを本邦初公開作品としてご紹介できるのは、映画チャンネルとして誇らしいことですし、今回の企画の目玉にしてもいいくらいだと思っています。 なかざわ:メルヴィン・フランクは、この映画の撮影当時で既に60歳。昔の60歳ですから、今で言うと70~80といった感じでしょうか。そんな年齢を感じさせないくらい演出が若いというか、ちゃんと’70年代のコンテンポラリー感があるんですよね。 飯森:そういう意味でも、これは実に不遇な映画だった。改めて日本で陽の目を見るためにも、ここで思い切って邦題を我々2人で決めてしまいましょう! なかざわ:それは事前に飯森さんから頼まれていたので、実は個人的に一番シックリ来るような邦題を考えてきたんですよ。あまり原題から大きく逸脱せず、かといってただの直訳にならないようなものをということで、考え付いたのが『イカサマ貴婦人とうぬぼれ詐欺師』。いかがでしょうかね。 飯森:いってみましょうか、これで! なかざわ:エっ、一発OKですか!?原題をそのまま訳すと『侯爵夫人と泥水狐』という意味不明なタイトルになってしまいますので、これくらいの意訳がほど良いのかな、と思うのですが。 飯森:ですよね。これで権利元に確認出ししてみようと思います。さすがに我々だけで勝手に決めることは人様の映画なので出来ませんから(笑)。でも、これで20世紀FOXからアプルーバル(承認)が下りれば、この映画の日本における題名は『イカサマ貴婦人とうぬぼれ詐欺師』になるわけだ! なかざわ:うわー、ドキドキっすね。 飯森:そうなれば以後永久にこれです。 なかざわ:そういえば、飯森さんからの案はないんですか? 飯森:ありましたよ。いかにもサラリーマン的な発想ですが『侯爵夫人とダートウォーター・フォックス』というのが一番通りやすいと思ったんですよね。なんの工夫もしていません。通りやすさ優先で直訳にしてやろうと。思考放棄。ダートウォーター・フォックスは役名なので翻訳できない。字幕でもそのまま「ダートウォーター・フォックスさん」と出てきますので、『侯爵夫人とダートウォーター・フォックス』しかないかと。「直訳でーす。何の独自性も盛り込んでませーん。だから承認して❤」とここはした手に出ようかと。ここでNGが出てもやりとりしている時間が無いものでして。でも、これだと意味わかりませんから、なかざわ案が良いと思いますよ。それでいってみましょう! にしても、映画の邦題って時々モメるじゃないですか。なんじゃこれ?ふざけんな!みたいに炎上するようなこともあったりして。どこのどれとはあえて申しませんが、割と最近でもありましたよね? なかざわ:それって、『ドリーム』…?(笑)。 飯森:とかね(笑)。でも、それについて某ウェブメディアの取材にその映画の担当者が真摯に答えていらっしゃって、邦題が決定するまでのプロセスを丁寧に説明されていたんですね。やはり、そこにはヒットさせるための計算とか狙いとか想いとかが込められているわけですよ。その人も、インディペンデント系の上質な作品を熱心に日本に持って来てくれている、業界では有名な人で、この方のシネマ愛が無ければ日本で見れなかった良作も山ほどあるんじゃなかろうか。シネマ愛が無いから適当な邦題つけたんだろ?なんて逆に絶対ありえないんですよ。むしろ直訳の方が思考放棄・努力の放棄ということだってあるんです。あ、それが俺か(笑)。同じフォックス作品でもまんまカタカナ表記の『ホワット・ライズ・ビニース』の方が、僕個人としてはとっつきにくかったですね。英語が赤点だった僕のような劣等生には、何のこっちゃか全然意味がわからない。 なかざわ:まあ、邦題といっても名タイトルから珍タイトルまでありますよね。その昔『ホラー喰っちまったダ!』なんてのもありました。 飯森:なんですか、それは!? なかざわ:おや、ご存じない(笑)?原題が『Microwave Massacre』というインディペンデントのC級ホラーで、奥さんを殺した旦那がその死体を電子レンジでチンして食べるという話なんですが、それが日本でビデオ発売された際に『ホラー喰っちまったダ!』という邦題が付けられたんですよ。 飯森:とても権利元にアプルーバル(承認)取っているとは思えませんな。さすがに天下の大フォックス様の作品で、それはできない(笑)。絶対に怒られるでしょう。 なかざわ:あと、一時期なんでもかんでも邦題に『愛と~の~』って付けるのが流行った時期がありますよね。 飯森:『愛と青春の旅だち』以降ね。『愛と青春の旅だち』についてはウチのブログで深く論考したことがあって、なぜあの邦題になったのかということも語っています。ちゃんとした理由があるんですけど、その後に粗製乱造というか、似たようなタイトルが次々と出てくるようになっちゃったんですよねぇ…。 なかざわ:そうだ!あと忘れちゃいけない、この映画は音楽もいいんですよ。ラストに流れる主題歌を歌っているのはボヴィー・ヴィントン。 飯森:以前になかざわさんにセレクトして頂いたパラマウントのこれぞゲスの極み映画『ハーロー』の主題歌を歌っていたクルーナー歌手ですね。 なかざわ:そうなんですよ。この主題歌を含めた音楽全般を手掛けているのがチャールズ・フォックスという人で、彼は映画音楽だと『バーバレラ』が一番有名なんですけれど、恐らく最大の代表作はロバータ・フラックが歌った全米ナンバーワン・ヒット『やさしく歌って(Killing Me Softly with His Song)』。日本ではネスカフェのCMにも使われましたが、あの名曲を書いた人が音楽を担当しているんですよ。そこも注目ポイントだと思いますよ。 飯森:そもそもこの映画、コメディ・ウエスタンではありますけれど、音楽の要素もかなり大きいですからね。ゴールディ・ホーンの歌った「プラムの歌」もさることながら、彼女とジョージ・シーガルが迷い込むユダヤ人の結婚式で流れる音楽も、これまた、一度聴いたらなかなか耳から離れないようなトラウマ曲。あのシーンがまた死ぬほど笑えるんだ!本当に、これは映画ファンなら必見の映画ですよ。フォックスの激レア作品は来月も3本放送しますけど、個人的に今月来月で一番見て欲しい作品はこれですね。 次ページ >> 中締めの挨拶 『おたずね者キッド・ブルー/逃亡!列車強盗』© 1973 Twentieth Century Fox Film Corporation. 『ロッキーの英雄・伝説絶ゆる時』© 1972 Twentieth Century Fox Film Corporation. Renewed 2000 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.『The Duchess and the Dirtwater Fox』© 1976 Twentieth Century Fox Film Corporation. Renewed 2004 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2018.03.01
男たちのシネマ愛ZZ⑤中締めの挨拶
なかざわ:そろそろ対談もお開きの時間になろうかと思いますが…。 飯森:最後に次回4月の予告をさせて下さい。まずは『フランソワの青春』。僕がずっと見たかった映画なんですよ。でも未ソフト化で見れなかった。美しさの絶頂期だったジャクリーン・ビセットが年上の女性を演じるという初恋作品。かねてからそこでのジャクリーン・ビセットの綺麗さはヤバいと噂だけは聞いていたんですけれど、それを晴れて放送できるというのは大変うれしい。 あと『ソルジャー・ボーイ』はようやくソフト化はされたんですけれど、『ランボー』の元ネタとしても有名ですね。なので、今回の『キッド・ブルー』→次回の『ソルジャー・ボーイ』→『ランボー』の順に見ていただくと、流れ者を目の敵にするスクエアな奴らってなんなんだろう、ということを深く考えていただけるのではないかと(笑)。 そして、全く謎なのがエリオット・グールド主演の未公開作『Move』ってやつ。『M★A★S★H』と『ロング・グッドバイ』のはざまで日本に入りそびれちゃったようなんですよ。これは僕もこれから見ますので完全に闇鍋状態で、またこれも邦題から我々で付けねばなりません。 ということで、次回も楽しみにしてください!なかざわさん、また後半3本、来月、熱く語り合いましょう! なかざわ:はい、よろしくお願いしまーす! 愛はここから始まった >> シネマ愛 へ 愛はここへつながった >> シネマ愛Zへ
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COLUMN/コラム2017.01.25
男たちのシネマ愛Z①
飯森:ご無沙汰しています。なかざわさんとは久しぶりの対談となりますね。楽しみにしてましたよ。 なかざわ:こちらこそ、ご無沙汰しています。またまた飯森さんと熱い映画トークが出来るのは本当に嬉しいです。 飯森:一昨年末の第1回対談ですでに「愛すべき、未DVD・ブルーレイ化作品」というお題でトークしましたけど、あれがこの企画のプロトタイプなんですよ。で第5回の対談では「ザ・シネマSTAFFがもう一度どうしても観たかった激レア映画を買い付けてきました」という特集を取り上げましたが、そこで特集名称が固まって、今ではその「激レア映画、買い付けてきました」というのを準レギュラー特集として不定期にお届けするようにまでなってるんです。今回はそのシリーズ第4弾。全作品なかざわさんに選んで頂いたわけですけど、まずはその経緯の話からトークを始めましょうか。去年、連載対談をやっていた最後の方の頃で、なかざわさんにリストをお見せしたのが始まりですよね? なかざわ:はい、パラマウント映画の膨大な作品リストを見せてもらいまして、その中から自分なりの基準でチョイスさせて頂きました。 飯森:確か当初は6作品をご提案頂いたんですよね。ただ、諸般事情で買えない作品があり、結果的に残ったのが今回放送する4作品だったわけです。これは、どのような基準で選ばれたのですか? なかざわ:第一前提としてはソフト化されていない、もしくは過去に1度くらいソフト化されたかもしれないけれど、現在は見る術が殆どない作品ということです。 飯森:それはまさにうちの企画趣旨とドンピシャです! なかざわ:やはり、せっかく選んで放送して頂くのであれば、他では見る機会の少ない映画がいいと思いますからね。あともう一つの重要な基準は、世間の一般的な評価の良し悪しとは全く関係なく、あくまでも自分自身の個人的な思い入れや愛情のある作品ということ。 飯森:極私的チョイスですね。それもうちの企画趣旨どおりです。 なかざわ:なので、私の主観では面白いと思うけれど、誰が見ても面白いとは限りませんよと(笑)。 飯森:構わないんですよ。映画ってそういうものだから。それに、うちのチャンネルでもマトモな時間帯には、例えばこの春は『ハリー・ポッター』シリーズを全作品やりますとか、いわゆる売れ線の、誰が見ても面白い王道映画を当然放送してもいるわけです。でも、ド深夜くらいは「オレ色に染まれ!」じゃないですけれど、僕なりライターさんや評論家、あるいはリクエストを寄せてくださるマニアな一般視聴者の方が、極めて個人的に、異常な熱量でおススメする映画、しかも他では見れないような激レア映画をやっててもいいんじゃない?と思いますし、そういう映画チャンネルが1つくらいなくちゃダメだと考えています。なので、ウチとなかざわさんの考えが見事に合致したというわけですね。 なかざわ:それに、これだけマニアックなラインナップでも、ザ・シネマさんなら嫌な顔はしないだろうと思っていましたし(笑)。 飯森:不可抗力とはいえ、むしろ4本では物足りないぐらいですよ。今後もどんどんやっていきたい。しかも今回、日本では全作品DVDになっていない。そもそもVHS含めソフト化されていないものさえある。素晴らしい! なかざわ:ただ、海外だと『三文オペラ』以外は確か全部DVD化されています。 飯森:海外でも出てないと逆に問題がある。DVDが出てるかどうかは僕にとって、ひいては視聴者の皆さんにとっても影響大でして、DVDさえ出ていれば、DVD時代にマスターテープが作られたということですから、そのテープはSD画質だとしてもアナログではなく経年劣化のないデジタルテープで、DVDとして売れるような綺麗さで、そしてノートリミング(注1)のワイド画面で収録されているんだろうと期待できるわけで、ウチとしてはそれを取り寄せて字幕翻訳をし、上から字幕を焼き込んで日本語字幕完パケを作ればいい。 注1:かつてはブラウン管TVの画面が4:3だったため、ワイドの映画でもTV放映時には画面左右を切り落とし、4:3画面にぴったり合わせていた。これを「トリミング」と言う。HD以降、TVもワイド画面が主流になり、今では映画も切り落とさず(ノートリミング)ワイドのままで放送できるようになった。 一方、海外でもDVD化されてないとなると、これはマスターテープからしてVHSマスターしか存在しない可能性が高いので、トリミングもされてるだろうし画質も旧VHS時代のボケボケで経年劣化もしてるだろう、と察しがつくわけです。で、今回の『三文オペラ』がどうかと言うと…それは後ほどお話しすることにしましょう。もっとも、DVDが出ていても、4:3トリミング画角で収録されていたり猛烈に汚い画質で売られていたりする地雷ソフトも稀にありますんで、必ずしも安心はできませんけどね。 次ページ >> 『誘惑』
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COLUMN/コラム2017.01.25
男たちのシネマ愛Z②誘惑
飯森:とりあえず第1週は『誘惑』を放送するのですが、これも海外ではDVDで出ているということですね。 なかざわ:はい、ただ、実は劇場公開バージョンとソフト版バージョンと2種類あって、最初にVHS化されてから以降、全てのソフト版は劇場公開版と中身が違うんです。 飯森:なんと!うちで放送するものはどっちなんだろう? なかざわ:確認してみたところ、残念ながらカットされたソフト版でした。 飯森:あれま!すると、劇場公開版がノーカットなんですね? なかざわ:そうなんです。端的に何が違うかというとHシーンです。Hシーンがソフト版では短くなっているんですよ。 飯森:そういえばエロさの点では喰い足りなかった。 なかざわ:さすがにノーカット版は30年以上も前に映画館で見たっきりなのでうろ覚えですけれど、確かセックス・シーンがもっと長かったと思います。とはいえ、トータルで1~2分程度なのでストーリーへの影響はないんですけれどね。 飯森:ま、そんなにヌードを拝ませてもらいたい女優さんでもないし、大勢に影響は無しと。これって、トレンディ・ドラマ(注2)みたいな話でしたね。 注2:80年代後半にTBSが生み出しフジテレビが完成させたTVドラマの一形態。オシャレなマンションでオシャレな雑貨に囲まれて暮らすオシャレなブランド服を着たオシャレな“カタカナ職業”(インテリアデザイナー、ファッションフォトグラファー等)の男女の主人公たちが、オシャレな街角で恋のから騒ぎを演じる、といったフォーマットにのっとった、主としてラブストーリー。都会的オシャレ感を味わうことを目的としたコンテンツ。 なかざわ:はい。そのクサいところが好きなんですけれど(笑)。 飯森:スティーヴン・バウアー(注3)演じる主人公がプロの泥棒なんですよね。赤毛の相棒と組んで、金持ちの家から盗んだ宝石とか絵画とかを売りさばいて豪勢に暮らしている。あるとき盗みに入った豪邸で、その家の奥さんの日記と写真を持ち帰る。 注3:1956年ハバナ出身のアメリカの俳優でキューバ移民。『スカーフェイス』(1983)のトニー・モンタナの忠実な舎弟マニー役で知られる。トニーに絶対の信頼を置かれていたが、トニーの溺愛する妹とサプライズ結婚してしまったがために…。バウアーは現在も名バイプレイヤーとして活躍中。 なかざわ:部屋に飾ってある奥さんのポートレートに一目惚れしたんですよね。 飯森:その奥さんというのが旦那との夫婦関係が倦怠期で、欲求不満なところがあった。 なかざわ:それで人に言えないような性的妄想を日記に赤裸々に書き連ねていたもんだから、それを読んだスティーヴン・バウアーが、そしらぬ顔で彼女に接触し、日記に出てくる理想の男を演じるわけです。 飯森:「私、こんなことされたらメロメロになっちゃう!」みたいなことが全部日記に綴られているわけですからね。その期待通りに演じればいい。案の定、奥さんはまさかこの男が空き巣に入った泥棒だとは思わないから、私の心が読めるソウルメイトについに遭っちゃった!みたいになるわけです。 なかざわ:スティーヴン・バウアーのアプローチも上手いんだ。 飯森:そう、彼女はインテリア・デザイナーの仕事をしていて、旦那の経済力に頼らず一本立ちしたいと頑張っているわけだけれど、今ひとつ売れていない。そこへ現れた王子様スティーヴン・バウアーがデザインの仕事も発注してくれるもんだから、奥さんとしては自分の好みも分かっているし仕事でも認めてくれる完璧な男性だと勘違いしちゃう。 なかざわ:それで万事が上手くいって、彼女をものにできるかと思いきや…。 飯森:旦那が奥さんの浮気に勘付きはじめ、奥さんの方もスティーヴン・バウアーの素性を怪しむようになる。さて、泥棒だということがバレるかバレないか…というサスペンスへと展開するわけですね。しかも、赤毛の相棒がどこまでいってもヤンキー体質で、スティーヴン・バウアーは惚れた女もできたんで足洗おうとしてるのに、「もっとド派手に稼ごうぜ!」、「せめて最後に一ヤマ踏もうぜ!」ってなノリでどんどんリスキーな盗みに手を出すようになり、主人公にとってだんだん重荷になっていくんですよね。 なかざわ:この赤毛の相棒を演じているのが、『CSI:マイアミ』のホレイショ・ケインことデヴィッド・カルーソ。これが初の大役だったみたいですけれど、むっちゃ若くて細い! 飯森:この作品で印象的だったのは、80年代そのもののオシャレなインテリア・デザインですよ。とにかく素晴らしい。ポストモダン(注4)というか、モンドリアンみたいというか(注5)。 注4:建築やインテリアの文脈における「ポストモダン」とは、無駄や虚飾を排し徹底的にシンプルさを追求した20世紀の「モダニズム」デザイン(コルビジェから最後には昭和の団地に至る)に対抗して、再び装飾性に回帰しよう、無駄でもいいからとことんデコラティヴにいこう、という80年代に流行ったデザイン潮流をさす。いま我々が「80年代風のナウくて派手なデザイン」と感じるものは主にこれ。インテリアでは、原色やパステルのポップなカラーが焼き付け塗装されたスチール使いやプラスチック使いが特徴。実用性や耐久性を犠牲にしたような奇抜さが目を引くものも少なくない。 注5:抽象絵画の父ピエト・モンドリアンの描いた、赤青黄白の原色ガンダムカラーでベタ塗りされた大小の四角形と、そのそれぞれを囲う黒い枠とで構成されるポップな抽象絵画「コンポジション」。これをもとにしたデザイン。60年代にはこの幾何学柄を全面にプリントしたAラインワンピをイヴ・サン=ローランが発表し「モンドリアン・ルック」と呼ばれ時代を代表するファッションとなった。 なかざわ:そのインテリア・デザインを含めたビジュアル・コンサルタントを担当しているのが、フェルディナンド・スカルフィオッティというイタリア人なんですけれど、彼は『暗殺の森』とか『ベニスに死す』とか『ラスト・エンペラー』などの美術デザインを手掛けた人なんですよ。 飯森:そうなんですか!だいぶオーセンティックな仕事をしている人が、またえらくポップなことをやりましたね。 なかざわ:それがね、彼はアメリカで仕事をすると『アメリカン・ジゴロ』とか『スカーフェイス』とか『キャット・ピープル』とか、ポップでモダンなセンスを発揮するんです。 飯森:そう言われると『スカーフェイス』にも似たような雰囲気がありますね。 なかざわ:スティーヴン・バウアーも『スカーフェイス』に出ていましたし。 飯森:音楽もジョルジオ・モロダー(注6)で一緒ですよね? 注6:イタリアのミュージシャン、シンセシスト。ディスコ系やテクノ系の超有名曲をあまた手がけ、70年代以降の著名なアーティストに代表曲となるような楽曲を数々提供。映画においては、『フラッシュダンス』(1983)の「ホワット・ア・フィーリング」と『トップガン』(1986)の「愛は吐息のように」で2度のアカデミー歌曲賞に輝く。リマール「ネバーエンディング・ストーリーのテーマ」(1984)の作曲も。 なかざわ:いえ、『スカーフェイス』の音楽は全てジョルジオ・モロダーでしたが、『誘惑』ではメリッサ・マンチェスターの歌った主題歌のみがモロダーの作曲で、それ以外の挿入歌やスコアは全て門下生ハロルド・ファルタ―マイヤー(注7)の仕事です。彼はこの映画の次に『ビバリーヒルズ・コップ』を手掛けていますけれど、製作は『誘惑』と同じドン・シンプソンとジェリー・ブラッカイマーの黄金コンビ(注8)。当時のヒット作とあちこちで繋がっているんですよ。 注7:ミュンヘン出身の映画音楽家。ジョルジオ・モロダーに師事し、やはりシンセサイザーを用いた楽曲で知られる。代表曲は『ビバリーヒルズ・コップ』の主人公アクセル・フォーリー刑事のテーマ曲「Axel F」(1984)や、『トップガン』のオープニングの「トップガン・アンセム」(デンジャー・ゾーンがかかる前に流れるインスト曲。1986)。注8:80年代前半、2人がパラマウント社で出会う。ブラッカイマーは『アメリカン・ジゴロ』(1980)にて音楽にジョルジオ・モロダーをすでに起用済みで、この3人が揃った『フラッシュダンス』 (1983) で、音楽の疾走感と映像の編集テンポを融合させて快楽中枢を直接刺激する、MTV時代の新感覚映画を発明した。同じ方法論で『ビバリーヒルズ・コップ』(1984)、『トップガン』(1986)、『ビバリーヒルズ・コップ2』(1987)と立て続けにヒットを連発。一時代を築いた。 飯森:それにしては、錚々たるタイトルの中でこれだけが…。 なかざわ:谷間なんですよね(笑)。そもそも、あの当時のシンプソン&ブラッカイマーの作品って、『フラッシュダンス』以降は出す映画ことごとく大ヒットだったじゃないですか。その中で、これだけが埋もれちゃったんですよ。 飯森:やっていることは同じなんですけれどね。分っかりやすいお話をポップにナウく描き、そこにMTVセンスがガーンと盛り込まれてゴッキゲン!って感じはまるっきし同じなのに、どうしてこれだけが谷間になっちゃったのか。そもそもこのヒロイン、貴様何者だ!って感じなんですけど。 なかざわ:バーバラ・ウィリアムスですね。彼女はこれが唯一の代表作と言っても過言ではないんですよ。カナダの出身らしいので、もしかするとカナダでは他にも主演級映画があるのかもしれませんが、少なくともハリウッドでは他に目立った仕事はない。 飯森:やっぱり敗因はそのキャスティングにあるな。スティーヴン・バウアーはともかくとして、もう少し有名どころの女優を出して、きっちり脱がせておけば良かったのに。 なかざわ:ただ、パラマウントの意向としては、この映画を第2の『アメリカン・ジゴロ』にしたかったらしいんですよ。要するに、スティーヴン・バウアーをリチャード・ギアの後継者に育てようと。『アメリカン・ジゴロ』って、確かにローレン・ハットンみたいな有名女優を使っているけれど、基本はリチャード・ギア推しじゃないですか。 飯森:すると、これはスティーヴン・バウアー推しなのかな。 なかざわ:そうなんです。当時の宣伝ポスターもスティーヴン・バウアーのピンですから。『アメリカン・ジゴロ』のポスターと同じ基本コンセプトです。これは彼をセックス・シンボルに仕立てるための映画だったわけです。 飯森:ただ、そこまではまるっきし行かなかったですよね、彼は。 なかざわ:はい、こう言っちゃ気の毒だけれど、残念ながらガラが悪かった。 飯森:チンピラ感ハンパないですもんね。フロリダあたりにいるキューバ移民のギャングにしか見えない。 なかざわ:だからほら、『ブレイキング・バッド』でメキシカン・マフィアのボスをやってたじゃないですか(注9)。そういうところに落ち着いちゃったことからも分かる通り、さすがにギア様の後釜という器ではなかった。男前でカッコいいし、良い役者だとは思うんですけれどね。 注9:シーズン4にジャージに金鎖にサンダル姿で登場したコカイン王、ドン・エラディオ役。砂漠の真ん中に建てたプール付き大豪邸にチリ人フライドチキン屋のガスを招き、その味を大絶賛しながらもガスの仲間を目の前で惨殺して恫喝。やがてガスが名をなし裏社会の大立物となった後、肉を斬らせて骨を断つ捨て身の復讐法で殺される。美食家なのがアダとなった。でっぷり太ったジャージの鬼畜グルメ麻薬王をでっぷり中年太りしたスティーヴン・バウアーは貫禄“でっぷり”に好演している。 飯森:となるとやはり、この映画の主役は、キャストよりも全編にみなぎるスタイリッシュな80’s感ですよね。最高っす!あの当時のファッションや音楽、インテリアって、時代が一巡り二巡りした今、改めて見直すと本当にカッコいい!! なかざわ:80年代トレンドの総合カタログみたいな映画ですもんね。実をいうと私が『誘惑』を好きなのも同様の理由なんですよ。決して優れた映画だとは思わないけれども、ここに出てくるオシャレでスタイリッシュでアダルトな世界って、当時高校生だった僕が恋焦がれ憧れたアメリカ西海岸そのものなんですよ。それだけで、当時胸がワクワクしたことを思い出します。 飯森:当時は、日本に生まれちゃった絶望ってありましたよね(笑)。すげえ!なにこのインテリア超かっこいい!と映画見てて思っても、絶対に真似できない。実際に自分が住んでいるのは畳の上で、畳の上に椅子や学習机を置いてベッドまで置いて、最悪の場合は襖まであったりしてね。そこで受験勉強したりオナニーしたりしているわけですよ。ダッセえなぁ…という、西海岸は遠いなあ…という、あの絶望。もう、手の届かない圧倒的なオシャレさでしたからね。 なかざわ:確かに、それは分かるかもしれません。 飯森:なかざわさんは帰国子女でいらっしゃるから、もしかするとそういう感覚はお持ちでないかもと思ってたんですけどね。 なかざわ:僕も当時は日本の狭いマンションに住んでいましたから。 飯森:80年代のオシャレなポストモダンのインテリアを見ているだけでウットリな映画というと、僕にとってはまず『スリーメン&ベイビー』とか『殺したい女』なんですけれど、『誘惑』もその系譜に繋がる映画だと思いましたね。今となっては眼福ですよ。 なかざわ:あと、この映画は音楽についても触れておきたい。 飯森:なかざわさんは音楽ライターでもいらっしゃいますからね。 なかざわ:当時のジョルジオ・モロダー一派というと、『フラッシュダンス』から『ネバーエンディング・ストーリー』、『トップガン』と、次々に映画音楽でヒットを飛ばしていました。その上、本作のサントラ盤は当時大流行していたオムニバス形式で、様々なアーティストのオリジナル曲を盛り込んでいたにもかかわらず、主題歌シングルもアルバムもアメリカではあまり売れなかったんです。 その理由は、恐らく音楽のテイスト的にヨーロッパ寄り過ぎたんだろうと思うんですね。いわゆる当時の明朗快活なアメリカン・ポップスではなく、後のユーロビートに繋がる哀愁系ハイエナジー・ディスコ(注10)の要素が非常に強い。主題歌にしても、例えば『フラッシュダンス』や『トップガン』は明るくて元気で前向きですけれど、『誘惑』はメランコリックで暗くて切ない。その点がアメリカ人の趣味に合わなかったのかもしれませんが、私の琴線には触れまくった。当時サントラLPや12インチシングルを買ったくらい大好きです。 注10:ディスコの女王ドナ・サマーのプロデューサーだったジョルジオ・モロダーが’70年代に確立したミュンヘン・サウンドをベースに、エレクトリカルなテクノ・ポップの要素を盛り込むことで’80年代にヨーロッパを中心として一世を風靡したダンス・ミュージック。代表作にアンジー・ゴールドの「素敵なハイエナジー・ボーイ」(荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」の原曲)、ヘイぜル・ディーンの「気分はハイエナジー」、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドの「リラックス」、デッド・オア・アライブの「ユー・スピン・ミー・ラウンド」など。このジャンルをよりポップに大衆化させたものがユーロビートとなる。 ちなみに、E.G.デイリーが歌った挿入曲「Love in the Shadows」は80年代ダンスクラシックとして有名で、イギリスなどヨーロッパでは大ヒットしました。このE.G.デイリーという人はエリザベス・デイリーの別名で女優もやってて、『ピーウィーの大冒険』でピーウィー・ハーマンのガールフレンド役をやっていたんですよ。『ストリート・オブ・ファイアー』ではダイアン・レインの追っかけパンク娘、最近ではロブ・ゾンビ監督の『31』で殺人女ピエロをやってましたね。当時は大・大・大ファンでした。 次ページ >> 『三文オペラ』 『誘惑』COPYRIGHT (c) 2017 BY PARAMOUNT PICTURES CORPORATION. ALL RIGHTS RESERVED. 『三文オペラ』TM & Copyright (c) 2004 by Paramount Pictures Corporation. All Rights Reserved. 『肉体のすきま風』TM, (r) & (c) 2017 by Paramount Pictures. All Rights Reserved. 『ハーロー』TM, (r) & (c) 2017 by Paramount Pictures. All Rights Reserved. CHARLIE BUBBLES (c) 1967 Universal City Studios, Inc. Copyright Renewed. All Rights Reserved. GETTIN' SQUARE (c) 2003 Universal Pictures. All Rights Reserved. THE GIRL FROM PETROVKA (c) 1974 by Universal Pictures. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2017.01.25
男たちのシネマ愛Z③三文オペラ
飯森:では、第2週の『三文オペラ』の話へと移りましょうか。 なかざわ:これはご存知の方も多いかとは思いますが、ベルトルト・ブレヒトとクルト・ワイルが作ったドイツの歌劇が原作ですね(注11)。マック・ザ・ナイフという男前のギャングを主人公に、19世紀末ロンドン下町の乞食や泥棒、娼婦たちの巻き起こす荒唐無稽な騒動を軸として、資本主義社会の矛盾や不条理をユーモラスに風刺した作品です。そんな古典的名作をですね、あろうことかキャノン・フィルム総裁だったメナハム・ゴーランが映画化したわけですよ。 注11:岩波文庫のピンク表紙版はコチラ 飯森:彼は『アップル』というミュージカル映画も監督したことがあるそうですね。 なかざわ:はい。ちょうどオリヴィア・ニュートン=ジョンの『ザナドゥ』に影響を受けたようなミュージカルですね。かなり前に見たので内容はうろ覚えですけれど、悪い映画ではなかったです。 飯森:それはカルト的人気があるようですね。いずれにせよ、ミュージカルの演出経験はあったわけだ。それも納得というか、だってこの『三文オペラ』、普通に上手いですもん。 なかざわ:そこですよ。私がこの映画を選んだ理由は。メナハム・ゴーランはプロデューサーとして才能があることは勿論ですが、監督としても必要以上に過小評価されているんじゃないかと常々思っているんです。 飯森:いや、僕もメナハム・ゴーランは世代的に好きですよ。監督作の『デルタ・フォース』とか『オーバー・ザ・トップ』とか、フランコ・ネロの『燃えよNINJA』も。でも、バカでB級でいいよね、懐かしいしね、って感じで好きなだけで、高く評価されるべき監督ですかね?具体的にいうと? なかざわ:例えば『ハンナ・セネッシュ』。これは第二次世界大戦中に対ナチのパルチザンとして戦った実在のユダヤ人女性を描いた作品なんですが、反ファシズム映画として非常に良く出来ているんです。 飯森:去年の対談でも、買い付けてこいと激推しされてましたよね?『デルタ・フォース』みたいなイスラエルのプロパガンダ色の強い、偏った娯楽アクションではないんですか? なかざわ:いや、正統派の真っ当なパルチザン映画ですよ。 飯森:ほう、それは見てみたい!この『三文オペラ』も実に真っ当で正統派の映画ですし、なんだよ、意外とまともな映画も撮れんじゃん!って思いましたね。 なかざわ:さらに感心したのは、彼はドストエフスキーの『罪と罰』も映画化しているんですよ。しかも、ソ連邦崩壊後のロシアで。ちょうど90年代前半のロシア経済がどん底だった時期ですよ。これがなかなかの力作でね。 飯森:時代設定は原作の当時なんですか? なかざわ:それが現代なんですよ。90年代の荒廃しきったロシアが舞台。ドンピシャじゃないですか。ちょうど撮影当時のロシアの世相と原作の世界観が見事なくらいマッチしているんですよ。 飯森:100年経ったらぐるっと回ってタイムリーになっちゃったというわけか! なかざわ:しかも、主人公ロスコルニコフにクリスピン・グローヴァ―。他にもヴァネッサ・レッドグレーヴやジョン・ハート、マーゴット・キダ―、ジョン・ネヴィルなど錚々たる顔ぶれの役者がそろっています。ただ不幸だったのは、権利関係などの諸問題で劇場公開時期が大幅に遅れてしまった。撮影されたのが1993年で、封切られたのはロシアが経済成長を遂げた後の2002年。世に出すべきタイミングを逸してしまったんです。 飯森:どうしても『デルタ・フォース』なんかの印象が強くて、なにかと色眼鏡で見てしまいがちですけれど、実は職人監督として優れた人だったということなんですね。 なかざわ:それは個人的に声を大にして言いたいですね。メナハム・ゴーランを舐めんなよと(笑)。 飯森:ただ、今回どうしても視聴者の皆様にお詫びせねばならないことがあるんですよ。これはまさに僕本人が痛恨の極みなんですけれど、残念ながら今回放送する『三文オペラ』、画が汚いんです。画面サイズも4:3で、画質から察するに恐らくVHSマスターでしょう。これしかマスターテープが存在しないと言われたので、我々としても仕方がなかった。確かに本来であればHD画質で、画面サイズもワイドスクリーンで放送したいところですし、そうするに値する作品じゃないですか。これが例えば、どこかの国でDVD化されたことがあり、21世紀になってからリマスターされて作られたDVDマスターテープが世界のどこかにはある、ということであれば、それを借り受けて字幕を付けることも可能だったんですけれど、恐らくDVDは存在しないんじゃないかな。 なかざわ:僕ももう一度ちゃんとした画質で見たいと思って、世界中のサイトでDVDをずっと探してきたんですけれど、どうもやはりVHSしか出ていないようですね。 飯森:ただね、映画なんだからフィルムはネガなりポジなり元のフィルムが必ず残っているわけでしょ?そうなると、お前がそこからテレシネ(注12)すればいいじゃないか!という話になるかもしれませんが、それはご勘弁下さいなんですよね(笑)。 注12:フィルムをビデオ映像に変換すること。これによりフィルムで撮られた映画をテレビで放送したりVHS・DVD等に収録したりできるようになる。かつてはフィルムからアナログテープにテレシネされ、その際、当時主流だったブラウン管TVに合わせるため左右をトリミングされて4:3の画角で収録された。21世紀に入った頃からはデジタルテープにテレシネされるようになり、TVもワイド画面が主流になったのでトリミングされなくなった。したがって、21世紀に入って以降にDVDを発売するなどでテレシネされたニューマスターがあれば、ワイド画面で、かつHDではないとしても綺麗で経年劣化のないクオリティのTV用素材が存在するだろうと推測できる。 というのも、我々は合計で何回放送しますからこの値段で、という条件で放送権利を買っているわけです。だいたい5回とか10回くらいなんですけれど、それでテレシネなんてしようものなら一体どれだけのお金がかかるか。ずっとうちの資産として残るわけじゃないですから。たった何回かの回数を使いきったら放送はもう出来なくなって、僕らの予算から大枚はたいて作ったそのテレシネのニューマスター・テープは、権利元の映画会社に差し出さなきゃいけない。僕らの持ち物になるわけじゃないんです。設備投資じゃないんですよね。だから、作品の持ち主である配給元にやって貰うしかない。我々のようなチャンネル側にそれは難しい話なんですよ。 そうなると選択肢は2つ。1つは汚い画質でも放送しないよりは放送した方がマシという判断。もう1つは、こんな汚い画質では今どき放送が憚られるから放送しないという判断。民放さんとかだとまずそう判断されるんじゃないのかな?で、放送するかしないかなら、オレはする方を選ぶ!というのがこの「シネマ解放区」という企画の心意気なのですけれど、ぶっちゃけ、どう思います?これは確実に批判もある判断だと覚悟はしてます。 なかざわ:やはり映画ファンとしては、たとえ画質が悪くても見れないよりマシだろうと思うし、そういう方も少なくないと思いますよ。 飯森:そう言っていただけると救われますけどね。怒る方もそれは当然いると思いますよ。知らねーよ!テレシネとかそんなのお前の都合だろ!金払ってんだからちゃんとしたもん見せやがれ!と言われたら全面的に仰る通りなんですが。あえてDVD化されてないレアな作品を狙っていくと、必然的にどうしてもこういう問題も出てきてしまうんですよね。 まあ言い訳ですけど。 なかざわ:特にこの『三文オペラ』のようにマニアックな作品の場合は仕方がないですよね。 飯森:でも、なんでこれがマニアックと言われレア作品になってしまったんでしょうね。だって、内容的には全然マニアックではない。原作も世界的に有名な古典ですし。それをすごくオーソドックスに映像化していて、なおかつゴージャス感すら漂っている。王道ミュージカルですよ。ネットでこの作品を検索すると、「失笑モノ!」みたいなネガティヴ意見がありますけれど、でも実際に見てみると全然そんなことはない。なにが気に入らないんだよ!と思いますね。 なかざわ:そう!バカにしている人たちって、ちゃんと見ているの!?って言いたくなりますよね。 飯森:風格のあるミュージカル大作ですよね。なのに、なんでこんな不当な扱いを受けなくてはならないのか。 なかざわ:タイミングが悪かったということはあるでしょうね。これは1989年の映画ですけれど、80年代当時ってミュージカル映画は完全に下火だったじゃないですか。僅かに『アニー』とか『コーラス・ライン』があったくらいで、古典的なミュージカルは不毛の時代だった。なにしろMTV全盛期ですから。そんな中で、まさしく正統派ミュージカルである本作は分が悪かったようにも思います。 飯森:ゼロ年代の『シカゴ』くらいまでは、確かにミュージカル映画って地味な存在だったかもしれませんね。本来は派手さが売りのジャンルなのに! なかざわ:既にミュージカルは時代遅れだったんですよ。それに輪をかけて、この作品は『オリバー!』とか『屋根の上のバイオリン弾き』のような、当時からさらに一昔前にさかのぼった往年のミュージカル映画の雰囲気がある。そこが難点だったんじゃないのかなって思います。 飯森:つまりは正統派なんですよ。ただ、映像の質感や発色は80~90年代のコンテンポラリーな雰囲気がある。見る上で多少のハードルはあるクラシック映画とは明らかに異なる今のルックで、「ああ、最近作られた映画を見てるな」って見た目ですよね。そういう意味でも普通に見やすい。僕的には『レミゼ』や『スウィーニー・トッド』と比べても遜色ないと思いますよ。今回のウチでの放映を機に再評価が高まって、いつかリマスター版のソフトが出たらいいな、と思います。そのきっかけにしたいですね。 なかざわ:ちなみに、この作品はハンガリーのブダペストで撮影しているんですよね。で、19世紀末のロンドンの街並みを再現した巨大セットには相当なお金がかかっている。なので、その後メナハム・ゴーランは、このセットを再利用しています。ロバート・イングランド主演の『オペラ座の怪人』で(笑)。 飯森:なるほど!でもあれって監督メナハム・ゴーランでしたっけ? なかざわ:いえ、ドワイト・H・リトルです。ゴーランはプロデュースですね。そういえば、『キャノンフィルムズ爆走風雲録』ってご覧になりました? 飯森:あのドキュメンタリーちょっと前に凄く話題になりましたよね。恥ずかしながらまだ見れていないんですよ。 なかざわ:あれを見ると、メナハム・ゴーランが根っからの映画バカだったことがよーく分かりますよ。映画が大好きで大好きでしょうがない。だから、あまり採算のことなどは考えなかったみたいです。ソロバン勘定は相棒である従兄弟のヨーラム・グローバスに任せっきりだったらしく、ひたすら自分が見たい映画を撮ったり作らせたりしていたみたいですね。 飯森:なかなかに愛すべき、良き映画人じゃないですか。 なかざわ:そうでなければ、ドゥシャン・マカヴェイエフやジャン=リュック・ゴダール(注13)に映画を撮らせたりなんかしませんよ。絶対に儲からないもん(笑)。 注13:ゴダールは説明不要。マカヴェイエフは旧ユーゴの映画監督で、『WR:オルガニズムの神秘』(1971)や『モンテネグロ』(1981)、『コカコーラ・キッド』(1985)で知られる前衛映画作家。ここでいうメナハム・ゴーランが撮らせた作品とは、『ゴダールのリア王』(1987)とマカヴェイエフの『マニフェスト』(1988)のこと。 飯森:あと、この映画はキャストにも触れないわけにはいきませんね。 なかざわ:そうですね。ラウル・ジュリアにリチャード・ハリス、ジュリー・ウォルターズにロジャー・ダルトリー。超豪華キャストですよ。 飯森:実はロジャー・ダルトリーと言えば、前回の買い付け企画第3弾で『リストマニア』を放送したばっかりなんですよ。あとはビル・ナイも出ていますね。 なかざわ:実は彼、先ほど言った『オペラ座の怪人』にも出ている。まだ若いんですよね。 飯森:まだお爺ちゃんじゃない(笑)。今は枯れ専の女性に人気らしいですけれど、まだこの当時は枯れていませんね。 なかざわ:まあ、いずれにしてもメナハム・ゴーランは映画ファンからもっと支持されて然るべき映画人だと思いますよ。 次ページ >> 『肉体のすきま風』 『誘惑』COPYRIGHT (c) 2017 BY PARAMOUNT PICTURES CORPORATION. ALL RIGHTS RESERVED. 『三文オペラ』TM & Copyright (c) 2004 by Paramount Pictures Corporation. All Rights Reserved. 『肉体のすきま風』TM, (r) & (c) 2017 by Paramount Pictures. All Rights Reserved. 『ハーロー』TM, (r) & (c) 2017 by Paramount Pictures. All Rights Reserved. CHARLIE BUBBLES (c) 1967 Universal City Studios, Inc. Copyright Renewed. All Rights Reserved. GETTIN' SQUARE (c) 2003 Universal Pictures. All Rights Reserved. THE GIRL FROM PETROVKA (c) 1974 by Universal Pictures. All Rights Reserved.