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PROGRAM/放送作品
海辺の家
家造りとともに再生していく家族の絆。家が持つ本当の意味を教える感動ドラマ
余命4ヵ月と知らされた建築家が、自分の家を建て直すことで家族や人生を見つめ直していく感動ドラマ。人生のどん底から希望を見出す父親をK・クラインが、思春期の息子をH・クリステンセンが情感たっぷりに好演。
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COLUMN/コラム2015.11.30
男たちのシネマ愛①愛すべき、未DVD・ブルーレイ化作品(6)
飯森:「くちづけ」は個人的に一番の押しですね。 なかざわ:ちょうど’60年代終わりから’70年代初頭にかけての、当時ならではの繊細なタッチがいいですよね。設定やストーリーこそ違うけれど、「愛すれど心さびしく」(注33)にも似た瑞々しい青春ドラマの趣があります。それ以前のアメリカの青春ドラマって、それこそトロイ・ドナヒュー(注34)とスザンヌ・プレシェット(注35)の恋愛ロマンスとか、フランキー・アヴァロン(注36)とアネット・ファニチェッロ(注37)のビーチものとか、いわゆる中産階級のティーンたちの明るく楽しい映画が多かったじゃないですか。 飯森:ビーチサウンドに乗ってね、オープンカーで海へ出かけて遊ぶみたいな。 なかざわ:それに対する反動もあってなのか、もちろん時代の空気もあるとは思いますが、このころになると個人の内面というか、特にマジョリティーと相容れない若者の心情を描く青春映画が多く作られるようになって。 飯森:僕は、これはニューシネマだと口が滑りそうになったんですけど、よく考えるとニューシネマじゃないんですよね。ニューシネマってのは、スクエアな人達に対して反発する主人公がいないといけないんです。四角四面にサラリーマンやっている奴らに反発するんだっていう、“Don’t Trust Over Thirty(30歳以上を信用するな)”というマインドがないとならない。で、そんな連中が最後には圧力によって押さえ込まれ、挫折して死んでいくさまを描かなくちゃならないんだけど、これは主人公の男の子が思いっきりエスタブリッシュメント側の人間なんですよ。俺は普通に大学へいって、普通に就職して人並みに生きていくんだという。それが、たまたま付き合うことになった女というのが、とても変な女だった。だんだん付き合っていくうちに、やばいかも…?となる。そこで愛が冷めればいいんだけど、愛情を抱いたままで、いわば“事故物件”だったことに気づいちゃうんですね。こういう、手を引くことの苦痛感を描く映画ってジャンルとしてあるんですよ。「ベティ・ブルー」(注38)とかね。男向け恋愛映画だと思うんだけど、これが切ないんです。 なかざわ:でも、ライザ・ミネリ(注39)演じるヒロイン、プーキーの視点からすると、彼女って要するにいじめられっ子だと思うんですよ。具体的に言及はされていないけど、恐らく周囲から浮いていて変人だと思われている。だから、彼女は逆に周りの普通の人たちをバカだと決めつけているわけです。自分以外は全員バカなんだと。 飯森:なるほど、それってフラタニティ(大学の社交クラブ)のシーンですよね。みんなでワイワイ学生らしく深酒して楽しんでいるところに、プーキーが入っていくとヤバいケミストリーが起きてしまって、彼女の変人ぶりが一気にスパークしてしまう。その解釈だと合点がいきますね。 ==============この先ネタバレが含まれます。============== なかざわ:自分はプーキーの視点でこの作品を見ていたんですよ。だから、周囲と相容れられずに誰も理解してくれない孤独だったり、同じ感覚を共有できる相手がいないといった気持ちを抱えていた女の子が、たまたま目に入った、主人公の見るからに地味で大人しそうな男子を、「もしかしたら自分と同類かも!」と思って一方的に恋をする話だと思うんです。で、彼女にグイグイと迫られた主人公も悪い気がしなくて、なんとなく付き合い始めちゃうんだけど、やっぱり手に負えなかった…という。おそらく、ラストシーンの表情から察するに、彼女も内面では“この人じゃなかったな”と悟っていたように思います。 飯森:これは、こうやって議論したくなる映画ですね。単純なストーリーではあるんだけど、誰の視点に立つかによって大きく解釈が変わる。あと、僕がこの映画でもう1つ引っかかっているのが、最初に出てくるオジサンなんです。原語のセリフではBig Manとしか言及されていないと思うんですけど。最初のバス停留所のシーンで、身なりのいい普通のおじさんがプーキーのスーツケースを持ってあげていて、2人でバスを待っている。そこへ大学生の主人公の男の子がやってきて、彼女は一方的に厚かましくお知り合いになっちゃう。で、その次の次に会った時には早くも付き合うことになるわけですが、あのオジサンは誰なの…?と。字幕ではお父さんと訳しているんだけど、セリフでFatherとは言っていないんじゃないかな、断言はできませんが。 なかざわ:結局、そのあとあの男性は出てこないし。彼女の話の中にお父さんは出てくるけれど、それによるとほとんど会ってないはずなんですよね。 飯森:最初の紳士は、彼女のお父さんではないんじゃないかと思うんです。で、この映画の最後って、別れることになった2人が、冒頭のシーンと同じようにバス停留所でバスを待っているわけです。何かしゃべることもなく、主人公の男の子が彼女のスーツケースを持ってあげて。で、プーキーだけがバスで去っていって話は終わるわけだけれど、もしかすると最初のオジサンってパパじゃなくて、っていうかパパっていっても別の“パパ”では…?と想像すると、今度はホラーになっちゃう(笑)。 なかざわ:サイコサスペンスですね。 飯森:つまり、次から次へと男の人生を引っ掻き回して、無茶苦茶にして、もう勘弁してくれって言われると、次の“宿り木”を探して全米をバスで旅してまわる恋愛依存体質の恐ろしい女なんじゃないかという解釈もできるかもしれない。普通に見ても男の恋愛映画として泣けるけど、ホラー作品と考えると、改めてもう一度見たくなる。もし本当に一言もそのオジサンをFatherって呼んでなかったら、その見立ては多分正しいぞ、今すぐ巻き戻して確認しなくっちゃ!みたいな。そんな楽しみもできますよね。 注33:1968年製作。ろうあ者の男性と孤独な少女の心の触れ合いを描く。アラン・アーキン主演。注34:1936年生まれ。俳優。代表作は「避暑地の出来事」(’59)や「恋愛専科」(’62)など。2001年死去。注35:1937年生まれ。女優。代表作は「恋愛専科」(’62)や「鳥」(’63)など。2008年死去。注36:1940年生まれ。俳優・歌手。代表作は「ビキニ・マシン」(’65)や「ビキニガール・ハント」(’65)など。歌手としても2曲の全米No.1ヒットを持つ。注37:1942年生まれ。女優。代表作は「ビキニ・マシン」(’65)や「ビキニガール・ハント」(’65)など。2013年死去。注38:1986年製作。自由奔放な美女ベティの狂気にも似た愛情に翻弄される男を描く。ベアトリス・ダル主演。注39:1946年生まれ。大女優ジュディ・ガーランドの娘。代表作は「キャバレー」(’72)、「ミスター・アーサー」(’81)など。 次ページ >> 丸太で敵をぶん殴る70年代的ヒーロー(飯森) 「スパニッシュ・アフェア」COPYRIGHT © 2015 BY PARAMOUNT PICTURES CORPORATION. ALL RIGHTS RESERVED. 「ザ・キープ」TM, ® & © 2015 by Paramount Pictures. All Rights Reserved. 「世界殺人公社」TM, ® & © 2015 by Paramount Pictures. All Rights Reserved. 「黄金の眼」COPYRIGHT © 2015 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED. 「くちづけ」TM, ® & © 2015 by Paramount Pictures. All Rights Reserved. 「ウォーキング・トール」© 2015 by Paramount Pictures Corporation. All rights reserved.
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PROGRAM/放送作品
去り行く男
名優グレン・フォードが無骨な流れ者を熱演!濃密な筋立てが魅力の傑作西部劇!
名優グレン・フォードが主役を演じる西部劇の傑作3部作『去り行く男』『決断の3時10分』『カウボーイ』の第1作目。共演はアカデミー賞受賞俳優のアーネスト・ボーグナイン。
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COLUMN/コラム2016.03.20
男たちのシネマ愛⑤愛すべき、極私的偏愛映画たち(5)
飯森:次にお話したいのがオーストラリア映画の「ラスト・ウェディング」(注62)。これがですね、断言しましょう、映画でメシ喰ってる僕にとってこれが生涯ベストの映画です!そこに迷いはありません。ただ、他人に薦めづらい映画でもあるんです。どういうことかというと、例えるならば美術館で最高に感動できる絵画に出会ってしまったような感じなんです。絵画の感動を他人に伝えるのって映画を薦めるより難しいじゃないですか。100%印象だけの問題で、理屈で説明できないから。とはいえ、僕の人生にとっては決定的に重要な意味を持つ映画なんです。例えば、いま僕は海の目の前に住んでいます。常に海を感じて生きていたいと考えている人間なんですが、それは完全にこの映画の影響です。 なかざわ:確かに舞台となる島は美しいですよね。 飯森:でも美しい島や海を舞台にした映画なんて他にも沢山あるじゃないですか。なぜ他の映画じゃなくて、この映画にそこまでライフスタイルを決められるほどの影響を受けたのかは、自分でもよく分からないんです。映画のストーリー自体もシンプルすぎるぐらいですし。 なかざわ:なんというか、「ラスト・ウェディング」というタイトルの映画なら十中八九こういう話になるだろうなっていう映画ですよね。 飯森:十中八九これだけはやめとこうという話でもある(笑)。いくらなんでもベタすぎるだろう、恥ずかしいと。韓流ドラマのベタさすら上回っているかもしれない。これはネタバレでもなんでもないので言っちゃいますけど、主人公のカップルがとあるリゾート地みたいな島で結婚式を挙げようとする。すぐにでも挙げなきゃって感じなんですが、というのも、このカップルの女性が不治の病で余命幾ばくもないんですよね。ベタでしょう(笑)?で、旦那は最高のウエディングにしようと奔走し、友人のカップル2組がそれを応援しようと力を貸す。その中に無名時代のナオミ・ワッツ(注63)がいるんですけど、そんな感じでみんなが頑張って準備をして、最高に素敵な結婚式を挙げて、最後にヒロインは安らかに死ぬわけです。もう、おまえ本気か?ってくらいベっタベタでしょ(笑)? なかざわ:見ている方が照れくさくなるくらいですよね。 飯森:これは、生涯ベストなのになかなか魅力を説明しづらい作品なので、ちょっと趣向を変えてお話させていただきたいと思います。今回の企画とは全く関係のない、うちで放送するわけでもない作品なんですが、昔「デッドリー・フレンド」(注64)という映画がありましたよね。 なかざわ:ウェス・クレイヴン(注65)監督の作品ですね。 飯森:ストーリーを言うと、高校生で「キテレツ大百科」みたいな発明少年が、引っ越した先の隣家に住んでいる感じの良いみよちゃん的美少女と仲良くなって惚れてしまう。ところが、その美少女はアル中のオヤジからDVを受けていて、そのせいで死んじゃうんですね。で、キテレツは可愛くて親切なみよちゃんの死を悲しんで、よし!僕の発明で甦らせてあげよう!ってことで、彼女の死体を病院の霊安室から盗んできて脳にICチップを埋め込むんです。すると、彼女はロボットダンスみたいな分かりやすい動きをしながら生き返っちゃう(笑)。生き返ったと言うより、喋れませんし明瞭な意思もなさそうだから、ゾンビ兼ロボットです。キテレツは彼女を自宅の屋根裏に匿ってあげる。男子高校生ならよからぬことを考えそうなものですけど、彼はあんまりにも童貞すぎるために「これからは僕がうちの屋根裏で守って幸せにしてあげるよ」って、あくまで純情なんです。ただし、あまり後先のことまでは考えておりません。 なかざわ:そのうち腐ってくるでしょうしね。死体なんだから(笑)。 飯森:もって数日(笑)。ところがですよ、このロボっ娘が暴走し始めちゃう。喋れはしないのだけど、自分が虐待されていたという記憶の断片は残っていて、加害者である実父に復讐するんです。脳にICチップを埋め込まれただけなのに何故か馬鹿力にまでなっちゃって、オヤジを簡単にブチ殺しちゃう。ついでに、近所のガミガミおばさんの頭もグシャリと潰しちゃう。こりゃまずいことになったと慌てたキテレツは、彼女のICチップを取り除こうとするんだけれど、ロボっ娘は意識はないのに、これも記憶の断片が残っているからなのか、キテレツのことを慕っているという感情の名残りをロボット・ジェスチャーで表すんですよ。見ていて「不憫よのう…」って感じなんです。そんな不憫な不憫なロボっ娘を強制終了させねばならないのか!?そして、終了するにしても相手が怪力過ぎてなかなか止められない…というお話で、要は救いがたいバカ映画ですよ。フォローのしようがない。しかし、中学の頃にこれを木曜洋画劇場で見た僕が、どんだけ泣いたか(笑)!あなたのハートには何が残りましたかって、結局これが残りました。僕も中1で女子になんか興味もなくて童貞すぎて純情で、いきなりこれでしたから、この、薄幸・夭折の美少女を生き返らせて“完全なる飼育”状態で所有して守る、というプロットに激しく焦がれましてね。中学校から帰ったら毎日3倍録画したVHSで見て、もう泣けて泣けて、どれだけ泣いたか分からない。 なかざわ:でも、あの映画を思春期とかに見て泣けたっていう人、意外と多いですよ。 飯森:エエエっ、そうなんですか!? 僕だけかと思ってました。そんな大した映画だったのかよ(笑)。いま見たら一滴だって泣けなんかしませんよ。ただあれこそが、他者にちゃんと向き合える精神年齢にまだ達していない中学生には、理想の男女関係のあり方だった。女子は女子で交友関係があって社会と繋がっている。だから、俺のことをほっといて友達とどっかに遊びに行っちゃう自由、さらには、他の男子に関心を持つ自由、俺を振る自由、つまり彼女には彼女の自由意志があるんだ。いくら付き合ってても2人の人生には重なる部分もあるけど重ならない部分もある。どこで何しているか全部は分からないし、何を考えているかも全ては分からない。自分とは別個の人格を持った人間なんだ、という大人の現実から全力で目をそらしている映画なんですよ。中1でその残酷な真理は理解できませんから逆に良かったんですね。ロボっ娘は喋りもしないし意志も無い。そんなもんはいらん!と。童貞は異性が怖いですから、その状態なら安心だと。一方的に従順で自我の無い女子を自分の庇護下に置いて世間との接触を一切絶たせ、それに対して飽くなき愛情を惜しげなく注ぐ、という、少年の幼稚な夢を描いている映画です。それと、僕はロボっ娘役のクリスティ・スワンソンにも当時憧れまして、人生で最初に夢中になった異性のスターだったんですけど、この歳になって見ると、可愛いは可愛いんですが、さして特徴のない無個性なブロンド美女に過ぎないんです。ただ、中学ぐらいの頃ってまだ馬鹿だから、面喰いで顔が全てじゃないですか。顔が正攻法で一番良い異性にクラスの全員が憧れているという状態。人生経験や教養が無さすぎて自分流の美学が無いから、そこしか異性の評価基準が無い。そういう年頃の時には魅力的に映った女優さんですけど、今だと別にそこも引きにならない。今見ると率直に言って大した映画じゃありません。というか、いかがなものかな映画なんです。でもね、僕みたいな商売をしていると、映画に優劣って付けたくないんですよ。もしも今の大人になった僕が、こんなしょうもない幼稚な映画は放送しないよと言って却下したとして、13歳の僕みたいな視聴者がいたらどうするんだと。だから、極力いろいろな映画を優劣つけないでお届けする、映画に貴賎なし、ってのが正しい姿勢なんだろうと思って仕事をしています。「ラスト・ウェディング」もそうでね、僕にとっては生涯ベストですけれど、恐らく少数派だろうと思いますよ。もし優劣をつけるような編成マンがいたら、こんなベタな映画はないだろうと言って放送しないかもしれない。でも、そういうことはやっちゃダメ!その映画がクソなのか生涯ベストなのかは、あくまでも見る人次第ですから。 なかざわ:それは仰るとおりだと思いますよ。 飯森:少なくともザ・シネマではそうです。問題発言になるかもしれませんけど、全部の放送作品を「これは良い映画だから見てくださいね」という推薦のスタンスでやってはいない。一本でも多くの映画をひたすら放送だけはしますから、それが良い映画なのか悪い映画なのかは、あなたが決めてくださいと。うちのチャンネルのコピーをこの春から変えるんです。「生涯ベストの映画が、今日見つかる。」というものに。見つかるか見つからないかはあなた次第。そういうものだと思っています。 なかざわ:確かに、例えば「風と共に去りぬ」は映画史上永遠不滅の傑作だと言われていますけれど、みんながみんな感動するわけじゃないですからね。スカーレット・オハラ(注66)の、あの自己中なキャラがどうしても受け付けないっていう人もいるだろうし。感じ方は人それぞれです。 飯森:僕は今の仕事に就く前に雑誌の編集者だったんですけれど、ネガティブなことは書くなと編集長から徹底的に教育されましてね。SNS全盛の今、いわゆるオールドメディアは良いことしか言わないじゃないか、信用ならん、と批判されるようになって、確かにそれは一理あるかもしれませんが、僕自身は仮にネガティブな感想を個人的には持ったとしても、ネガティブな風には映画を紹介したくないんですよ。もし今の僕が「デッドリー・フレンド」についてネガティブな事を書いて、それを読んで見ないことにした人がいたとします。あるいは、僕の価値判断で放送しないことにする。しかし、もしかすると視聴者の中には「デッドリー・フレンド」を見たら号泣する童貞の中学生がいるかもしれないんです。そのチャンスを僕が潰してしまうことになる。あるいは逆に、僕以外の編成マンが「ラスト・ウェディング」を「何この恥ずかしい映画」と言って放送しなかったとして、客に僕みたいな人がいたらどう責任とる気だと。そんな恐れ多い、傲慢な話はない。お前は何様だと。 なかざわ:ただ、自分の率直な考えや意見を批評で述べることで、同じような感性を持つ人にとっての参考や指針にはなりますよね。 飯森:批評は別ですよ。ケチョンケチョンの酷評ってそれ自体が痛快で面白いコンテンツですしね。でも、それは評論家の仕事です。映画チャンネルや雑誌の映画紹介ページのような、出会うチャンスを提供するべきメディアが、これは良い、これはダメって取捨選択するのは望ましくないと思うんです。ということで、なんだか、放送する「ラスト・ウェディング」のことはほとんど語らずに、一切放送しない無関係な映画の話で話し込んじゃいましたけど、「ラスト・ウェディング」も、僕と全く同じような感性の人が見ればおそらく心を動かされると思うんです。しかも今回、過去に出ていたVHSよりも圧倒的に良い画質で見ることができるなんて!自分のためにやっているとしか思えない! なかざわ:今回はそういう趣旨の企画ですからね(笑)。 飯森:オーストラリアの権利元さんが自腹でHDテレシネをしてくださったんですよ。これは本当に嬉しかった!絵が綺麗という一点で生涯ベストにまでして、この映画の風景を日常において再現しようと努力しているほど、絵画的な意味で憧れている映画ですからね。そんな作品が、僕が個人的に好きってことがキッカケで、初めてHDテープが作られることになった。これからは世界中でソフト化されたりテレビ放送される時にこのニューマスターのHDテープが貸し出され、世界の人々が綺麗な画質で見ることになるんです。ただし、万人受けするかどうかは分かりません。かなり怪しい(笑)。 注62:1997年制作、オーストラリア映画。グレーム・ラティガン監督、ジャック・トンプソン主演。注63:1968年生まれ、イギリスの女優。少女時代に家族でオーストラリアへ移住。代表作は「マルホランド・ドライブ」(’01)、「キング・コング」(’05)、「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」など。注64:1986年制作、アメリカ映画。ウェス・クレイヴン監督、マシュー・ラボート主演。注65:1939年生まれ、アメリカの映画監督。代表作は「エルム街の悪夢」(’84)、「スクリーム」(’96)など。2015年死去。注66:「風と共に去りぬ」の主人公。意志が強くて気位が高いため、自己中心的な言動を取りがちなお嬢様。 次ページ >> ビザと美徳 『愛すれど心さびしく』TM & © Warner Bros. Entertainment Inc. 『マジック・クリスチャン』COPYRIGHT © 2016 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED. 『ラスト・ウェディング』©2016 by Silver Turtle Films. All rights reserved. 『ビザと美徳』©1997 Cedar Grove Productions. 『暗い日曜日』LICENSED BY Global Screen GmbH 2016, ALL RIGHTS RESERVED
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PROGRAM/放送作品
駆逐艦ベッドフォード作戦
ソ連の潜水艦を追走する米国駆逐艦をキューブリックの盟友ジェームズ・B・ハリスが描いた秀作!
キューブリックの初期作品を製作したジェームズ・B・ハリスの初監督作。主演は『シャイアン』の個性派俳優リチャード・ウィドマークと『野のユリ』で黒人初のアカデミー主演賞を受賞した名優シドニー・ポワチエ。
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COLUMN/コラム2016.03.28
男たちのシネマ愛⑤愛すべき、極私的偏愛映画たち(6)
なかざわ:さて、最後はワンセットで話をしたいと仰っていた「ビザと美徳」(注67)と「暗い日曜日」(注68)。まず「ビザと美徳」は短編映画ですね。 飯森:アカデミー賞の実写短編映画賞を取っている作品です。アメリカの日系人が作っています。 なかざわ:もともとはロサンゼルスで初演された舞台劇だったみたいですね。 飯森:現在日本に暮らす老夫婦が第二次世界大戦中の若かりし頃の外国暮らしを回想するシーンから始まるんですけれど、これがどう見ても日本で撮影しているようにしか見えないんですよ。アメリカ映画で日本が出てくると大抵何かがおかしいじゃないですか(笑)。しかし日系人が作っているからなのか、これはすごく自然なのでビックリしました。 で、この老夫婦というのが“命のビザ”、“日本のシンドラー”として有名な、あの杉原千畝(注69)さんとその奥さんなんです。舞台は1940年のリトアニアのカウナスという町に移って、そこから映画はモノクロになります。杉原千畝さんが日本領事館に勤めていた頃の回想です。杉原さんのことは今や日本でも多くの人が知っていると思います。去年も唐沢寿明さん主演で『杉原千畝 スギハラチウネ』って東宝の映画があったばかりです。でも、この短編映画の中では時代背景の説明があまりないので、念のためお話しておきましょう。ナチス・ドイツがユダヤ人を迫害したのはみなさんご存知の通りです。ユダヤ人は必死にヨーロッパからの脱出を試みるわけですが、西から出ていくことができない。東から逃げるしかなかった。当時ナチスはヨーロッパ本土の大部分を征服して支配下に置いており、東のソ連とだけまだ戦っていなかったから、そっち側に殺到するんです。一方、舞台となるリトアニアはそのソ連に今まさに併合されようとしていた小国で、各国の大使館や領事館は次々と店じまいをしていたのですが、日本領事館だけはまだやっていたらしいんですよ。そこで、日本領事館にビザを発行してもらって東側から逃げようとするユダヤ人が押し寄せたわけです。杉原千畝さんは彼らと話をして事情を理解し、ユダヤ人にビザを発行しまくった。日本本国の外務省はナチスと日独伊三国同盟を結ぼうとしている時期でしたから迷惑がって、ちゃんとした手続きをとって、決まり通りに時間をかけてやれ、と指示を出すんですが、杉原さんはそれを無視して駅のホームでもスタンプを押しまくった。その結果、外務省をクビになったんです。 なかざわ:トータルで6000人のユダヤ人を救ったと言われていますよね。 飯森:その 6000人から後に生まれた子供や孫まで数えると、凄いことだと思います。ちょっと話は逸れますが、アドルフ・アイヒマン(注70)っていますでしょ。ナチス親衛隊の将校で、ユダヤ人を殺すため収容所に送る移送責任者だった。彼は戦後、南米に逃げていたところをイスラエルのモサド(注71)に捕まりました。偽名を使っていたけれど疑われていて、結婚記念日に奥さんへ贈る花束を買ったところ、それがアイヒマンが結婚した日と同じだったので正体がバレてモサドに拉致られてイスラエルへ連行され、裁判にかけられ処刑された。そこでみんな驚いたのは、アイヒマンがとにかく普通のオジサンだったことなんですよ。 なかざわ:ハンナ・アーレント(注72)の「イェルサレムのアイヒマン」(注73)ですよね。 飯森:そう。それには「悪の陳腐さについての報告」という副題が付いています。「ハンナ・アーレント」(注74)という映画もありますので見ていない人は是非ご覧になってほしいんですが、悪は陳腐である、悪は凡庸であると。要は、史上最悪の大量虐殺とヘイトクライムの犯人は、漫画みたいな分かりやすい悪の権化的なキャラではなかった。結婚記念日に奥さんに花束を贈るような男で、彼は典型的なドイツの官僚というか、言われたことをキチンとやるだけのクソ真面目なサラリーマンだった。そもそもナチスは選挙で選ばれています。勝手にクーデターで権力を奪取したとかではなく、ちゃんと民主的選挙で有権者から選ばれている。そして国会で合法的なステップを経て独裁政権となるわけです。その政権が虐殺しろと命じているので、それを実行した。まぁ、実際はホロコーストって法制化されたわけではありませんから、ユダヤ人を殺すことは当時のドイツの法律でも厳密には殺人罪だったはず。とは言え罪刑法定主義ではないので「ナチスが法だ」みたいな感じは当時あったでしょうし、少なくとも時の政権が決めた政策ではあったので、アイヒマンはそれをやれと言われて官僚としてただ黙々と実行しただけなんですね。 なかざわ:そこには個人的な悪意もない。言ってみれば、真面目に仕事をしただけの普通の人間だった。その客観的な事実を世界に伝えたハンナ・アーレントは、ナチスを恐ろしい悪魔だと考えて宣伝していた当時のユダヤ人同胞から猛烈な反発を受けました。 飯森:ミルグラム実験ってあるじゃないですか。通称“アイヒマン実験”とも呼ばれていますけれど、イェール大学の心理学者が行なった実験ですね。2人1組の実験協力者を質問者と回答者に分けて、回答者が間違えたら質問者はボタンを押して相手に電流を流すんです。立会いの学者の説明によると「これはプレッシャーを与えることで正解率が上がるかどうか確かめる実験です」ということで、間違えるたびに電圧を上げていき、終いには死にかねない高電圧まで上げろと学者から指示される。で、質問者はみんな上げろと言われれば「ヤバくないですか?」「これって大丈夫なんですか?」と不安がりながらも、学者に「問題ありませんから」と言われると、結局そこまで上げちゃうんです。実は、回答者はサクラで、実際には電流も流れていない。感電した苦悶の絶叫を上げたりするんですが、それは演技なんです。実験されていたのは実は質問者の方で、この実験で本当に調べたかったことというのは、権威者から命令されると人はただ従うのか、それとも自分の倫理観を優先させるのか、ということだったんです。結果、多くの人が、立会いの学者が電圧を上げろと言うからそうしただけだ、自分には責任はない、ということで命令に従ってしまう。でも、そのレベルまで上げると死ぬかもしれないとは事前に学者から説明されていたんですよ?それでも従ってしまう。アイヒマンもそれと同じですね。一方、杉原千畝さんはそういう場合にも頑として従わない男だった。同じ官僚的な立場の2人で、組織に黙って従った方が世界史上最大の虐殺者となり、組織に逆らった方が世界で最も尊敬される日本人となった。僕らは、この映画を見て杉原千畝さんについて知り、またアイヒマンというクソ真面目なサラリーマンおじさんがいたこと、ミルグラム実験のことも知って、これらを自分の引き出しに入れておかねばいけませんよね。やるのが普通という時に、やらないでいられる人間になるためには、常人に無い強い意志か、でなければ、そうした引き出しの中身が必要ですから。凡人に強い意志は無くとも、引き出しに役立つ知識を入れておいて必要な時に引っ張り出してくることは、誰にでもできる。これこそが映画を見る意味でしょう。 なかざわ:短編なのでわりと全体的に駆け足で描かれているから、これをひとつのきっかけとして、その他の杉原千畝に関する文章なり映像なりに触れて欲しいと思いますね。 注67:1997年制作、アメリカ映画。クリス・タシマ監督・主演。注68:1999年制作、ドイツ・ハンガリー合作。ロルフ・シューベル監督、エリカ・マロジャーン主演。注69:1900年生まれ。日本の元外交官。1986年死去。注70:1906年生まれ。ドイツの軍人。1962年死去。注71:イスラエルの諜報機関であるイスラエル諜報特務庁の通称。注72:1906年生まれ。ドイツ出身でアメリカのユダヤ人哲学者。1975年死去。注73:1963年に発表された、アドルフ・アイヒマン裁判の記録。著者はハンナ・アーレント。注74:2012年制作、ドイツ・ルクセンブルク・フランス合作。マルガレーテ・フォン・トロッタ監督、バルバラ・スコヴァ主演。 次ページ >> 暗い日曜日 『愛すれど心さびしく』TM & © Warner Bros. Entertainment Inc. 『マジック・クリスチャン』COPYRIGHT © 2016 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED. 『ラスト・ウェディング』©2016 by Silver Turtle Films. All rights reserved. 『ビザと美徳』©1997 Cedar Grove Productions. 『暗い日曜日』LICENSED BY Global Screen GmbH 2016, ALL RIGHTS RESERVED
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PROGRAM/放送作品
鍵(1958)
死を招く女と彼女を愛してしまった男のラブロマンス。魔性の女役ソフィア・ローレンの美しさが光る
『オリバー!』のキャロル・リードがヤン・デ・ハルトグ原作の「ステラ」を映画化。『慕情』のウィリアム・ホールデン、『船の女』のトレヴァー・ハワード、『ふたりの女』のソフィア・ローレンで贈るラブロマンス。
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COLUMN/コラム2016.03.30
男たちのシネマ愛⑤愛すべき、極私的偏愛映画たち(7)
飯森:最後の「暗い日曜日」の話に移りましょう。第二次大戦前にハンガリーのブダペストでレストランを経営しているサボーさんというユダヤ人が主人公なんですが、彼が劇中で良いセリフをたくさん言うんですよ。「俺は父親と母親がユダヤ人だったからユダヤ人なだけで、両親がイロコイ族だったらイロコイ族になってたよ」と。ただそれだけのことなんだと。あとはね、ブダペストのユダヤ人コミュニティで一目置かれている老教授が彼のレストランにやって来て「君はユダヤ教の安息日(注75)にも店を開けているらしいけど、あまり感心しないね」みたいな叱言を言うんです。それに対してサボーさんは「うちは年中無休なので日曜日もクリスマスも過ぎ越しの祭り(注76)も開けてます」とニッコリ切り返す。カッコいいんですよ、リベラルで。 なかざわ:豚肉を出すのはいかがなものか、みたいな叱言も言われていましたよね(笑)。 飯森:そうそう。で、彼の店にはイロナというすごい美人のウエイトレスがいて、サボーさんとは父娘ほど年の離れたカップルなんですね。2人で一緒に朝風呂に入っちゃったりするんですけど、このイロナという女性の肉体がまぁ素晴らしいのなんの!ああいうジューシーなヌードってのはヨーロッパ映画の独擅場です。ハリウッド女優みたいにワークアウト(注77)でむやみやたらに鍛えていたりとか、ボトックス(注78)や豊胸手術したりとか、人工甘味料や防腐剤入りのナイスバディではなくて、ちゃんと天然由来のオーガニック女体美を備えていて、それを惜しげもなく披露してくれるんです。まるでルノワール(注79)の裸婦画みたいに自然な豊満さを。もう「美味しかったよ、御馳走様!」としか言いようがありません(笑)。しかもサボーさんのいい具合に仕上がってきている汚メタボっぷりとの好対照で、ゼロ劣化状態の若い女体美が引き立つ引き立つ!そんな女性とサボーさんは半同棲してよろしくチンチンカモカモやってるんですが、うちの店でもそろそろピアノの生演奏をしようかという話になってオーディションをして、最後にやって来た、腕の立つ、ちょっと影のある瘦せぎすの青年を雇うわけです。このピアニストとイロナができちゃうんですよ。割とすぐに。 なかざわ:彼らの三角関係というのが自由で面白いですよね。それぞれに少なからず複雑な思いはありつつも、サボーとイロナ、イロナとピアニスト、どちらも関係を壊したくないから、だったらいっそのこと三角関係を楽しんじゃおうよ、みたいな。常識に縛られない奔放さがとても魅力的です。 飯森:“ヨーロッパという文明”を強烈に感じさせますよね。ハンガリーというのはハプスブルグ家の伝統もあるヨーロッパのメインストリームですから、文化的にとても成熟・爛熟している。三角関係というものについても、最近の日本だと“ゲス不倫”が叩かれてますけれど、ああいうことを他人が正義面してバッシングするような風潮って、それはそれで如何なものかと僕個人としては思っちゃうんですよね。人のことに首突っ込むのはよしなさいよと。あれってアメリカのピューリタニズム的な潔癖症っぽくって、アメリカの悪いところまで全部我々は真似しちゃったんじゃないかと疑ってるんですよ。 なかざわ:そういう点に関しては、やっぱりアメリカというのはキリスト教国家だなと思いますよね。 飯森: かつてクリントン(注80)さんがモニカ・ルインスキー(注81)との不倫で大スキャンダルになりましたけど、ほとんど同時期にフランスのミッテラン(注82)大統領に隠し子がいたことが判明したんですよね。その時にテレビのニュース番組で、現地の通りすがりのパリ市民にインタビューをしてたんですが、「ミーたちおフランスの人間は、他人様の色恋に首突っ込んで大騒ぎするような、アメリカの方たちみたいな趣味は持ち合わせてないんざます。別に政治さえきちんとおやりになられていれば、よろしいんじゃございませんこと?」みたいなことを言っていたんです。それを見て「なんて大人でカッコいいんだ!これが“ヨーロッパという文明”なのか!」と圧倒されましたね。なんか、人として余裕だな、と。で、話を戻しますと、「暗い日曜日」にもこの感じありますね。この余裕感が。三角関係を社会悪としては描いていない。当人たちの問題として描いてるんです。サボーさんとイロナとピアニストの3人が、お互い折れるところは折れ妥協して上手く関係を続けていこうと話がついた後で、ドナウ川の水辺の木陰でピクニックを楽しむシーンになるんですが、そこは画家マネ(注83)の描いた「草上の昼食」(注84)という青姦3P絵画の傑作そのままの構図で、思わずニンマリしてしまったんですけど、そういうさりげない引用にも文化的豊かさを感じさせます。実に格調の高い、“ヨーロッパという文明”がそのまま映画になったような大人な作品なんです。主人公サボーさんは、そうした“ヨーロッパという文明”を象徴するリベラルな中年男性。だからこそ、本気で狂った奴らが出てきても、不幸にしてにわかには信じられないんです。彼の常識では想像もできない。イロナが「ナチスって本当にやばいわよ、ユダヤ人を皆殺しにするって言っているけれど、彼らならやりかねないわ」と心配するんだけれど、サボーさんは本気でそんなバカなことをする狂った人間などいるわけがないと甘く考えてしまう。人間というものを信じちゃった。自分が文明人だからって、世の中に野蛮人なんていないんだ、と思い込んでしまうんですね。そうした状況の中で、ピアニストの男だけが精神的にいち早く参ってしまうんです。その彼が「暗い日曜日」(注85)という曲を作るわけなんですが、これを聴いた人たちが次々と自殺していく。 なかざわ:これは事実だそうですけど、ただ、詳しく調べると直接的な因果関係が確認できる事例というのは少ないらしいですね。 飯森:一説によると150人くらい自殺しているらしいですよ。 なかざわ:そうなんですけれど、本当に「暗い日曜日」が原因だと立証できる自殺は5件くらいだとも言われています。いずれにしても、この曲を聴いて自殺してしまった人たちがいたことは紛れもない事実ですね。 飯森:このピアニストは愛する女性を男2人で日替わりでシェアするという状況に内心傷ついていて、さらにはナチスの台頭で世間がクソみたいな状況になりつつある。実際にセリフで「クソ」という言葉を使っているんですが、こんな世の中はもう嫌だと。3人の中で一番精細な神経の持ち主である芸術家の彼が真っ先に参っちゃうわけです。「暗い日曜日」というのは、そういう時代の暗い空気みたいなものが作曲家の意図を超えて込められちゃった曲だから自殺を誘発したのではないか、という解釈に立った映画なんですね。 なかざわ:ただ、あくまでも事実を基にしたフィクションであって、登場人物が辿る運命というのも創作です。 飯森:「暗い日曜日」は実際にハンガリーの作曲家が書いた曲ですし、ハンガリーは戦前戦中にナチス寄りの右派政党があり、大戦末期にはユダヤ人を迫害したという結構な黒歴史を背負っている。そうした事実を頂いてきて作り上げたフィクションではありますけどね。あと、この映画にはハンスというドイツ人が出てきますよね。ドイツからハンガリーへと観光にやってきた冴えない奴で、女にも慣れてなくて見るからに童貞臭い。背広姿なんですが、サイズが全然合っておらずブカブカで不格好ったらない。自信がないから最低限の自己演出もどうしたらいいのか分からないみたいで、誰の目にもキョドって見える。人間的にもファッション的にもこなれ感ゼロなんですよ。仕方ないから首からライカ(注86)のカメラをぶら下げてひたすら写真ばかり撮っている。こいつが、サボーさんの店でカメラ自慢を始めるんですよね。オドオドしていた彼が、カメラの話になると俄然熱を帯びてくる。「これは“世界が絶賛するドイツの職人”が作ったライカのカメラだ!」みたいにね。でも、何ムキになって自慢してんの!?ってちょっと滑稽じゃないですか。「確かにライカは凄いですよね。でも、お前はライカじゃないから!」と思わず突っ込みたくなる(笑)。 確かに人は生きていく上で、自尊心というもの無しには生きていけない。だから誰しも、何か誇れるものを人生の中に持ちたい、せめて自分で納得いく最低限のレベルぐらいには自分の価値を高めていきたい、と多少なりとも努力したり、あるいは現状と折り合いをつけて満足・納得・妥協したりするんだけど、当時のドイツのように、戦争では負けるわ、政治的には大混乱だわ、経済的には大不況だわ、生活が好転する兆しは皆無だわだと、この現状に満足・納得・妥協はとてもできないし、今後の人生も不安でいっぱいで明るい見通しなんか全く立たないという庶民の中には、自尊心を持ちたくても持ちようのない人が大量に出てくる。でも人らしく生きていく上で自尊心は必要だ。となると「世界が絶賛するドイツの職人!」的なことを声高に叫んで自尊心を満たすしか他に手がない。「確かに俺はうだつの上がらない、しがない男かもしれん。だがなぁ!俺の中には偉大なるドイツ民族の血が流れてるんだ!!」と。それには何の努力も自己投資もいりませんからね。誰でも、どんな最低の奴でも、明日からすぐ実践できる、一番イージーな自尊心のチャージ法です。こういう奴が1人だけだと「チンケな野郎だな」で話は済むんですけど、ある国で人々が自尊心を持とうにも持てない社会状態が長引くと、こういう手合いが大量発生し大チンケ団として徒党を組みはじめ、あるいは有権者の大半を占めるようになる。最後は自分たちとちょっとだけ違う集団を見下すことで大きくなった気分を満喫する。それがナチス党です。このハンスが何年かして、再びハンガリーにやってくる時には、今度は軍服を着ている。ナチスに入党したんですね。アルゲマイネSSの格好良い黒い制服でキメて颯爽と店に現れる。今度はサイジングもピッタリです。ここが映画的に上手い!他人が服装ルールを設けてくれた軍服ならビシッと着こなせるみたいなんですよ。自由にコーディネートしてオリジナリティで勝負してみろと言われると何を着ていいのか分からないくせにね。そして、将校の権威をひけらかせば女も気おくれせずに抱けるようになったみたいで、どうやら無事に童貞卒業を済ませてきたっぽい。別人みたいに態度に自信がみなぎっているんです。 なかざわ:結局はナチスの権威を笠に着ているだけですけれどね。 飯森:そうなんですよ。今度も「ナチスに世界が絶賛の嵐!」みたいなことを自慢げに言っているだけで、あんたまたそれ!?と。まぁチンケな野郎なんです。 なかざわ:自分自身に誇れる要素が何か一つでいいからないんですか?と。要するに俗物なんですよね。そのくせして、ちゃっかりと戦後の保険だけは自分にかけていますが。 飯森:終戦まぎわ、お金持ちのユダヤ人だけ助けて戦後の財産を築こうとするんですよね。でも、あそこまでいくと悪役としてちょっと出来過ぎというか、悪党すぎてもはや漫画!とも思っちゃうんですけどね。僕としては、そこに行き着く前の映画前半、「世界が絶賛するドイツの職人!」とか「ナチスに世界が絶賛の嵐!」と言っては気持ち良くなっちゃって、自尊心を10秒チャージしていたチンケ極まりない彼こそ、妙にリアルで忘れがたいんです。人間こうはなりたくないもんだと感じますね。もっとも唾棄すべき人間類型だと思います。そう思わせるほど、悪い意味で本当にリアルな、生きたキャラクターですし、主人公のサボーさんはその反対で、これほど人として手本としたい、理想の市民像も他に僕には思いつかない。人としてのお手本と反面教師を両方見せてくれた映画ということで、ものすごく人生勉強をさせてもらった、規範としている作品なんですよ。最後に、この作品は、僕の趣味をよく理解してくれていた友人に薦められて当時観たんです。今その人とはすっかり疎遠になってしまったけれど、この映画を見るたびに、もしくは「暗い日曜日」という曲を思い浮かべるたびに、その人のことが脳裏に去来します。映画には、そういう出会い方もありますよね。実に幸福な出会いだったと思います。 (終) 注75:ユダヤ教の安息日は土曜日。この日は何もしてはいけないため、家庭でも食事は前日の金曜日に作り置きしておく。注76:ユダヤ教の三大祭りの一つで、神の怒りによる災いがユダヤ人の家を過ぎ越していった、という旧約聖書の出エジプト記に記された出来事に由来する。注77:筋力トレーニングやストレッチ、エアロビクスなどのこと。注78:ボツリヌス菌から抽出されるたんぱく質の一種で、これを顔に注射することでシワ取りの効果が得られる。注79:ピエール=オーギュスト・ルノワール。1841年生まれ。フランスの印象派を代表する画家。1919年死去。注80:1946年生まれ。アメリカの政治家。1993~2001年まで第42代アメリカ合衆国大統領を務めた。注81:1973年生まれ。1998年に発覚したビル・クリントン大統領との不倫スキャンダルで知られる。注82:フランソワ・ミッテラン。1916年生まれ。フランスの政治家で第21代大統領。愛人との間に隠し子がいたことが1994年に発覚した。1996年死去。注83:エドゥアール・マネ。1832年生まれ。フランスの印象派画家。1883年死去。注84:1863年に描かれたマネの代表作。注85:1933年にハンガリーで発表された歌。作詞はヤーヴォル・ラースロー、作曲はシェレッシュ・レジェー。1936年にフランスのシャンソン歌手ダミアがレコーディングをして世界的に有名となる。日本では淡谷のり子や美輪明宏が歌っている。注86:1913年に創設されたドイツの世界的なカメラ・ブランド。 『愛すれど心さびしく』TM & © Warner Bros. Entertainment Inc. 『マジック・クリスチャン』COPYRIGHT © 2016 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED. 『ラスト・ウェディング』©2016 by Silver Turtle Films. All rights reserved. 『ビザと美徳』©1997 Cedar Grove Productions. 『暗い日曜日』LICENSED BY Global Screen GmbH 2016, ALL RIGHTS RESERVED
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PROGRAM/放送作品
シネマの中へ 「禁じられた遊び」
長塚京三の案内で、クラシック映画を楽しむためのポイントを予習する、5分間の解説番組
毎週土曜あさ10時の「赤坂シネマ座」。この枠で取り上げる、映画史に残る名作たちの魅力を、俳優・長塚京三さんが紹介。クラシック映画の敷居の高さを取り払う様々な予備知識で、本編が120%楽しくなる。
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COLUMN/コラム2015.11.30
男たちのシネマ愛①愛すべき、未DVD・ブルーレイ化作品(7)
飯森:最後は「ウォーキング・トール」ですね。主演はジョー・ドン・ベイカー。 なかざわ:一応、これって実話らしいんですけど、本当か?って感じですよね。どこまで脚色しているんだろうという。実在のプロレスラーが現役を引退して、自分の故郷へ家族を連れて戻ってきたところ、とんでもないことになっていた。汚職はまんえんしているし、怪しい商売をしている連中はいるし。で、そんなゴミどもは俺が一掃してやる!ってなわけで元プロレスラーが立ち上がる。当時は、こういった地方の腐敗とか堕落を描いたアメリカ映画って多かったですよね。古き良き時代の崩壊というか。 飯森:まあ、そういう時代でしたから。「ソルジャー・ボーイ」(注40)とか、“アメリカの田舎は怖いぞ”シリーズ(笑)。腕っ節に自信のある元プロレスラーの大男が田舎のチンピラ相手に戦うわけだけど、この映画でおかしいのは武器が棒なんですよね。それでも木製のバットとか必然性のあるものならいいんですけど、そこらへんに転がっているような丸太を抱えて振り回す。その絵面が変なんです。銃とかバタフライナイフとかで武装している連中に対して、木の棒ですから。丸太でボーンとぶん殴る。一度見たら忘れられないですよね。 なかざわ:これって、すごい数のシリーズが作られているんですよね。 飯森:そう、伝説化しちゃったみたいで。アメリカでは類似作品もたくさん作られているし、このパターンの映画の元祖として、押さえておかなくちゃならない映画ではあるんですよね。日本ではその原点からして見れなくなっちゃったので、そういう“ミニジャンル”が存在すること自体が知られてないんですけど。あと、主演のジョー・ドン・ベイカーも’70年代的ないい男です。 なかざわ:いかにもアメリカ人好みの大柄なタフガイ俳優というか、日本人には受けないタイプかもしれません。 飯森:プロテインを飲んでムキムキになった筋肉男が、意味もなく上半身裸で戦うのが’80年代アクションですけれど、彼はそこへ行く前の典型的なヒーローですよ。チンピラが見上げるようなバカでかい大男を、手がつけられないくらい怒らせちゃった。そんな’70年代らしい映画ですね。ジョー・ドン・ベイカーは他にも「突破口!」(注41)という映画があって、ここではものすごく印象的な殺し屋をやっていました。 なかざわ:確か「007」にも出ていましたね。 飯森:CIAの連絡員役ですね。 なかざわ:いかにもアメリカの田舎で牛と取っ組み合っていそうな男ですけど(笑)。 飯森:ロデオボーイみたいな。「ジュニア・ボナー 華麗なる賭け」(注42)では、そういった田舎の土地をどんどん地上げして売りさばく不動産屋の社長役を皮肉にもやっていましたね。その弟がロデオボーイのスティーヴ・マックイーン(注43)で、兄貴は腐りきっていると。西部の魂をめぐって兄弟の確執があるという、これまたいい映画でした。ジョー・ドン・ベイカーは最高の’70年代男ですよ。 (終) 注40:1972年製作。ベトナム帰還兵の若者たちの残酷な末路を描く。ジョー・ドン・ベイカー主演。注41:1973年製作。平凡な中年男が銀行強盗を働き、警察とマフィアに追われる。ウォルター・マッソー主演。注42:1972年製作。故郷へ戻ったロデオボーイの目を通して、古き良き西部が失われゆく時代を描く。スティーヴ・マックイーン主演。注43:1930年生まれ。代表作は「ブリット」(’68)や「タワーリング・インフェルノ」(’74)など。1980年死去。