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COLUMN/コラム2016.05.18
ドリー・尾崎の映画技術概論 〜第2回:編集〜
■編集の成り立ち 「編集」は、映画を映画たらしめる最大の要素だ。ショットとショットを繋ぐことで、そこに意味を持つドラマやストーリーが生まれる。さらには時間や空間の跳躍を可能にし、無限の表現や可能性をもたらしてくれるのだ。 まず成り立ちだが、アメリカ映画を主体として考えた場合、起源は110年前にさかのぼる。『大列車強盗』(1903)で知られるエドウィン・S・ポーターが、イギリスで発展の途中にあった「ショットとショットを編んでストーリーを語る」という概念を自作に用い、編集のベースを築いたといっていい。さらにそれを『國民の創生』(1915)『イントレランス』(1916)のD・W・グリフィスが精巧に磨き上げた、というのが定説だ。前者は物事を順々に追っていく絵物語的な構成や、別地点を捉えたショットどうしを交差させるパラレル(並行)アクションなどを確立させ、後者は過去回想や、ショットからショットへのよりシームレスな連結、パラレルアクションのさらなる多層化など、ジャンルの草創期において編集技法の基礎を形作っている(グリフィスが「アメリカ映画の父」と称されるゆえんはそこにある)。 併せて1920年代のロシアでは、ショットのつなぎ方によって違う印象を観る者に抱かせる「クレショフの実験効果」や、ショットとショットの衝突が新たな要素や概念を生む「弁証法モンタージュ」など、レフ・クレショフやセルゲイ・エイゼンシュテイン(『戦艦ポチョムキン』(1925))といった映画作家たちの手で、編集が高度に理論化されていく(ロシアで編集理論が発達したのは、識字率の低い民衆に社会主義を啓蒙するためとも、またフィルムが高額だったためとも諸説ある)。 大略ではあるが、こうした世界各地での研究によって映画の編集は様々な方法を確立させ、より完成されたものになっていったのである。 ■アナログ編集からデジタル編集へ 編集の作業だが、映画がフィルムを媒体としていた頃は、フィルムを切り貼りして繋げるアナログなプロセスが踏まえられてきた。撮影したネガから編集用の素材プリントを焼き、それをもとにエディター(編集者)と以下スタッフらによって「粗編集」が施される。さらにはその粗編集を監督やプロデューサー、あるいは撮影監督らの意向にしたがい完成版へと整えていき、最終的には完成した形に沿ってネガを編集していく(ファイナル・カット)。こうしたスタイルの作業を「リニア(線形)編集」といい、「ムビオラ」や「ステインベック」「KEM」といった、スコープで映像を覗きながら編集点をチェックしていく専用機が、それを下支えしてきたのである。 デジタルを媒体とする現在、映画は撮影された映像をHDDに取り込んで管理し、コンピュータ上で専用ソフトを用いて編集作業をする「ノンリニア(非線形)編集」が主流となっている。初めの頃は撮像済みのフィルムをスキャンしてデジタルデータへと変換する必要があったが、カメラ自体がデジタル機器化し、フィルムレスになった現在、フルデジタルによるワークフローが確立されている。 ■デジタル・ノンリニア編集への布石~コッポラの「エレクトロニック・シネマ」構想とルーカスの「EditDroid」~ 映画におけるノンリニア編集の可能性は、デジタルの興隆以前から模索されてきた。初期のものでは1970年代に「CMX」という、ビデオベースのリニア、ならびにノンリニア編集システムが開発されている。しかし映画の世界へと持ち込むにはコストが高く、パフォーマンスも不充分であるなど問題が多かった。 こうしたビデオベースの編集システムが映画に用いられたのは、1982年、フランシス・フォード・コッポラ監督によるミュージカル恋愛劇『ワン・フロム・ザ・ハート』の製作現場においてだ。かねてより「エレクトロニック・シネマ」という構想を抱いてきたコッポラは、撮影から編集まで映画を一貫した体勢のもとに創造できないかという計画を練っていた。同作で実現したそれは、大型トレーラーに音響と映像コントロール機器を搭載し、それをスタジオと連動させることで、撮影から編集までを一括管理のもとに行なえるというものである。編集に関していえば、103CエディターとソニーのベータマックスSLO-383ビデオレコーダーを用い、オフライン編集(ネガ編集のためのデータ作成)を可能とするシステムが組まれている。同作の北米版2枚組DVDに収録された映像特典“Electronic Cinema”の中で、Avid社のデジタル編集システムの共同開発者であるトム・オハニアンは「このコンセプトこそが後のデジタル・ノンリニア編集の先駆け」だと称揚している。 また、そんなコッポラの弟子筋にあたる『スター・ウォーズ』(77〜)シリーズのジョージ・ルーカス監督が開発に関わった「EditDroid」という編集システムも無視できない。これは映像素材をレーザーディスクに保存し、それをコンピュータで操作し編集を実行するというものだった。高額やスローアクセスなどのデメリットもあり、残念ながら普及はしなかったものの、これもデジタル・ノンリニア編集のコンセプトを持ち、後のAvid編集システムのベースとなった重要なシステムといえる。 そう、そして時代はコンピュータとデジタル技術の発展を促し、それをベースとする編集システムを世に送り出していく。1989年、Avid社は自社製ワークステーションとソフトウェアによるノンリニア編集システム「Avid」を開発。映画に新たなデジタル編集の革命をもたらした。膨大な撮影素材に素早くアクセスできることで、作業に格段のスピードを与え、結果、フィルムプリントを繋いでいた頃と比べてショットの組み合わせが多様になり、より巧妙で複雑な編集を可能にしたのだ。 ■デジタル編集の功罪? カオス・シネマ こうしたデジタル編集システムを最大限に活かした監督に、オリバー・ストーンがいる。氏は伝説的ロックグループを描いた映画『ドアーズ』(91)でEditDroidを試験的に用い、最大8台のカメラで撮影した50万フィートに及ぶ素材を140分、約3900ショットにまとめている。さらにはAvidとしのぎを削ったデジタル編集システム「LIGHTWOEKS」を導入し、オプチカル合成ショットだけでなんと2000ものショット数を超える『JFK』(91)を手がけたのだ(ジョー・ハッシングとピエトロ・スカリアは本作で第64回米アカデミー編集賞を受賞)。さらにNFLの試合を圧倒的な迫力で演出した『エニィ・ギブン・サンデー』(99)では、6人もの編集担当が9台のワークステーションを駆使し、全編7000ショットに迫らんとする細切れのショット編集を極めている。70年代には1000~2000ショットを平均としたハリウッド映画に比べると、驚異的ともいうべき数字の膨れ上がり方だ。 こうしたストーンの編集アプローチは、近年「カオス・シネマ」と呼ばれ、一部では揶揄される傾向にあるようだ。『トランスフォーマー』(07〜)シリーズのマイケル・ベイや『ボーン・スプレマシー』(04)『キャプテン・フィリップス』(13)のポール・グリーングラスなど、ショットを細切れにさばいて編集する監督の存在は、今や決して珍しくはない。彼らがトライする、めまぐるしくショットの変わる編集はアクション・シークエンスをエキサイティングに表現し、観客の興奮を大いに高める。だがいっぽうで、一連の動きの流れを分かりづらくしているという批判も存在する。 ただ、デジタル・ノンリニア編集が「カオス・シネマ」の悪しき創造主なのかと問われれば、そこは微妙だ。かつてマイケル・ベイはアクション大作『ザ・ロック』(96)をAvidで編集し、上層部を招いてスクリーン試写をしたところ、ガチャガチャして画面上の状況がわかりづらいという指摘を受け、再編集を余儀なくされるという失敗を経験している。以来、当人はデジタル編集には警戒心を持って臨んでいると語っており、またポール・グリーングラスは「シネマヴェリテ」と呼ばれるドキュドラマの手法のもと『ブラディ・サンデー』(02)を手がけ、もとよりショットを積みかさねて臨場感を出すやり方は自己流のものだ。 映画編集の第一人者であり、Avid編集システムを用いた『イングリッシュ・ペイシェント』(96)で第69回米アカデミー編集賞を受賞したウォルター・マーチは、編集をテーマにした自著「映画の瞬き 映画編集という仕事」の中で以下のように語っている。 「ショット構成の素早い編集は、アメリカ映画において大きな流れとしてあり、CM(コマーシャル)やMV(ミュージックビデオ)など異なる映像分野からの人材起用が一因としてある」 また『カッティング・エッジ 映画編集のすべて』という、ハリウッド映画の編集史にフォーカスを定めた秀逸なドキュメンタリー(2004年制作)において、『未知との遭遇』(77)『シンドラーのリスト』(93)の巨匠スティーブン・スピルバーグは、 「映像が氾濫している時代の若者は、優れた映像処理能力を持っている。それに応じて映画のショット構成も早くなっているのでは?」 と論じ、こうした傾向に理解を示しつつも懐疑的だ。 確かにマーチの指摘どおり、先述したマイケル・ベイや『ゴーン・ガール』(15)のデヴィッド・フィンチャー、あるいは『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』(16)のザック・スナイダーなど、現在活躍中の監督の多くはCM、MV分野を出自とし、80年代以降のブロックバスター・ムービーに大量投入された流派のクリエイターたちだ。またスピルバーグの論も、その懸念を含めて然りである。映画は構成された画の一つ一つに、読み解くことで成立する独自の記号や文法があり、CMやMVとは異なる編集時間を持つべきだ、とマーチは自著にて綴っている。 ただカメラがデジタル化され、記録容量の増大にともなって映像素材も膨大なものとなった現在、編集ショット数の増加傾向は「大きな流れ」としてあるものといえる。つまり「カオス・シネマ」も、それ自体が時代の趨勢によって確立されたものであり、デジタル・ノンリニア編集が生んだひとつの「成果」といえはしないだろうか? ■映画は観客の要求に応えるもの〜ロブ・コーエンが語る編集の極意〜 先の編集テンポ問題を提示した『カッティング・エッジ』において、ひとり面白い反応を見せていた人物がいる。『ワイルド・スピード』(01)の監督ロブ・コーエンだ。 ヴィン・ディーゼルをスターダムに押し上げた『トリプルX』(02)の中で、コーエン監督はあらゆる角度から捉えたエクストリームアクションのショットを構成し、独自の編集スタイルを打ち立てている。そして敵のレーダーに感知されない最新型ステルス戦闘機のエリート操縦士たちと、人工知能を搭載した無人ステルス戦闘機との壮絶なエアバトルを描いた『ステルス』(05)では、その超音速戦闘シーンを細切れのショット編集で見せ、「カオス・シネマ」を実践した一人といえる。当人はそのことを、以下のように語っている。 「僕の年齢は編集センスは70歳から始まり、どんどん逆行し、今や27歳くらいに思えてならない」 『ステルス』の日本公開時、筆者は来日インタビューで監督本人に会ったさい、先の抽象的な証言の真意を訊ねた。若返っていると感じる編集センスは、デジタル編集システムの恩恵なのか? とー。そこで氏はこう答えてくれたのである。 「デジタルの成果というよりも、若い観客に応えて作品を形成していったら、僕自身の編集センスが自然と若くなっていったのさ。お客さんが喜ぶものに従えば、自分のスタイルや方向性なんて自然と定まってくるものだよ」 編集スタイルの変化を時代の趨勢とせず、観客の声なき希求への返答と捉えたコーエン監督。ちょっとキザったらしく優等生っぽいが、編集という観点から商業映画の本質を捉えた、含蓄ある証言ではないだろうか。 ちなみにこのときのインタビュー、人工知能の反乱をスリリングに描いた点について、名作『2001年宇宙の旅』(68)の続編である『2010年』(84)からの影響ではないかと監督に指摘したところ、 「私を名匠キューブリックではなく、ピーター(ハイアムズ)と比較するのかキミは、ガッハッハ‼︎」 と豪快に笑いつつ、暴走ぎみな毒舌発言を連発していた。まぁ、そこは本テーマどおり「編集」をほどこし、あくまでも綺麗な美談として本項を閉じたい。■ Copyright © 2005 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
特番「監督ジョン・カサヴェテスの2つのファミリー」
アメリカ・インディペンデント映画の父、監督ジョン・カサヴェテスの魅力を紹介するミニ番組。
アメリカ・インディペンデント映画の父と呼ばれ、世界中の映画人に愛され影響を与え続ける、監督ジョン・カサヴェテス。自身の人生、そして家族や仲間たちとの映画愛に満ちた制作背景を通し、彼の映画の魅力に迫る。
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COLUMN/コラム2016.05.11
【DVD/BD未発売】"モンティ・パイソン"チーム、デビュー当時の渾身の一撃は、主役がジョン・レノンからリンゴに急遽スイッチ!?〜『マジック・クリスチャン』〜
映画は時代を映す鏡!それを、けっこうリアルに実感させてくれる作品がこれ。別に何か崇高なテーマがあるわけじゃない。でも、1960年代末期のイギリスに充満していた既存の文化や価値観(それは今でも変わらないのだが)をぶち壊そうとする勢いがあって、まるでハリウッドに吸収合併されたかのような最近のイギリス映画を憂うUKファンにとって、多分、意外な強壮剤になるはず。 怪しげなタイトルの『マジック・クリスチャン』とは、クライマックスに登場する"クィーン・エリザベス二世号"を思わせる豪華客船の名前。主人公の富豪、ガイ・グラント卿が閃きで養子にした元ホームレスの青年、ヤングマンやその他セレブたちと乗船し、タワーブリッジから北大西洋を横断しニューヨークへと船出するまでに、有り余る金を湯水の如く買収に注ぎこみまくる。 以上が、映画のプロットと言えばプロットで、その間をナンセンスなギャグで繋ぐのは、1969年にBBCで放送をスタートしたコメディ番組『空飛ぶモンティ・パイソン』が高視聴率を獲得し、勢いづいていたコメディグループ"モンティ・パイソン"の一員、グレアム・チャップマンとジョン・クリーズ(共に脚本&出演)。また、原作&脚本のデリー・サザーンは当時一世を風靡したカウンターカルチャー"スウィンギング・ロンドン"の中心的存在で、本作と同じ年に公開された『イージー・ライダー』の脚本でハリウッド映画に革命を起こした人物だ。 そして、サザーンをスタンリー・キューブリックに紹介し、『博士の異常な愛情』(64)で脚本家デビューへの道筋をつけたのが、グラント卿を怪演するピーター・セラーズ。言わずと知れた、UKコメディを代表する天才コメディアンだ。さらに、ジョン・レノンの代役だったとは言え(その経緯は後ほど)、『ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!』(64)での演技が評価され、俳優業に興味津々だったリンゴ・スターがヤングマン役で急遽参加する。つまり、各方面で時代の寵児だった面々が、必然と偶然によって集い合った"徒花的怪作"。それが『マジック・クリスチャン』なのだ。 劇中で炸裂するギャグには"コメディ界のビートルズ"と表現された"モンティ・パイソン"流の風刺と笑いがごちゃ混ぜにブレンドされている。いきなりナレーションで『金、使います!』と宣言してスタートする物語は、跡継ぎを探していたグラント卿が偶然ハイドパークで出会い、養子縁組したヤングマンを伴い、宣言通り、札束で人々のホッペを叩きながら放蕩三昧に明け暮れる日々を追って行く。 まず、やり玉に挙げられるのはイギリスが誇る伝統文化だ。グラント親子がタキシードでドレスアップしてヘリコプターからリムジンを乗り継ぎ、一族が確保する劇場の桟敷席に到着するのは『ハムレット』の第3幕目から。ご存知"生きるべきか、死ぬべきか"の名場面だ。中抜き、いいとこ取りも甚だしいのだが、舞台は突然、悲劇からミュージカルへと転調。ハムレット(演じるのは王立演劇学校出身の舞台俳優でもあったローレンス・ハーヴェイ。イギリス人かと思いきや、実はリトアニア出身)がいきなりズボンのジッパーを下げ、ストリップをおっぱじめる。最後にはパンツまで脱いてすっぽんぽんになる転調ハムレットを、これを当たり役にしていたイギリス演劇界のドン、サー・ローレンス・オリビエがどんな顔で眺めていたか?それを想像するだけで楽しくなるではないか!? それはさて起き、次にグラントとヤングマンは"サザビーズ"のオークションヘ。そこで競りにかかる前のレンブラントを破格の3万ポンドで強引に競り落とした卿は、絵画の顔をナイフでくり抜いてしまう。3万ポンドにまんまと屈するオークションハウス職員、ダグデールに扮するのは、撮影当時39歳のジョン・クリーズ。若々しく意外にイケメンなので『ミラクル・ニール!』(15)等、近作での彼しか知らない若いファンはちょっと気づかないかも知れない。 極めつけは、卿に買収され、どんでもない事態に発展するテムズ川のレガッタレース。伝統と格式を重んじるプライベートスクールの両巨頭、オックスフォードとケンブリッジの対抗戦を前に、グラントはオックスフォードのコーチを金で買収。結果、レースは両艇沈没の大惨事へと雪崩れ込むのだが、買収されるコーチを演じるのが、これまた後にエリザベス女王からサーの称号を授与されるリチャード・アッテンボロー。実はケンブリッジ生まれのアッテンボローがオックスフォード側に付いて不正に荷担する。これも"モンティ"流のブラックユーモアなのかどうかについては、申し訳ないが定かではない。 セレブリティたちが挙って乗船する"マジック・クリスチャン号"では、ブラックなユーモアとあからさまな風刺がさらに凝縮して連発される。船内にはボーイに化けた吸血鬼(演じるのは勿論、御大クリストファー・リー)が潜んでいて、女たちを咬みまくるわ、船底ではグラマラスなムチ監督(グラマー女優の権化、ラクエル・ウェルチ)がオールを漕ぐ裸体の女奴隷たちを鞭打つわ、バーではドラッグクィーンがハンサムな男性客を色仕掛けで落とそうとするわ、等々。 ドラッグクィーンに『王様と私』(56)以来、マッチョスターとして君臨したユル・ブリナーを、男性客役にハリウッドデビュー直後の巨匠、ロマン・ポランスキーを各々配した点、鞭打ち奴隷船が『ベン・ハー』(59)を、NY行きの船内で暴れ回るゴリラに『キング・コング』(33)を各々イメージさせる部分は、すべてアンチ・ハリウッド的なメッセージ。全編を通して映画が発する反拝金主義と合わせて、それは原作者で脚本家でもあるテリー・サザーンが意図したもの。生粋のアメリカ人でありながら、古いハリウッドスタイルの映画作りに反発し、外部から革新を目指したその姿勢は、雑誌のインタビューを機にサザーンと交流を深め、自作に脚本家として招き入れたキューブリック(マンハッタンに生まれるもハリウッドとソリが合わず、移住したイギリス、ハートフォードシャーで生涯を終える)の影響が濃厚だと思う。 とまあ、おちゃらけ映画にはそこそこシリアスな一面も覗くのだが、最後にジョン・レノン→リンゴ・スターの経緯を。プロデューサーが狙っていたヤングマン役の第一候補はレノンだったが、クランクイン目前の1968年10月、レノンがマリファナ所持の罪で逮捕されたため、リンゴにスイッチ。結果、レノンはミュージシャンとして伝説の中に君臨し続け、リンゴは同じテリー・サザーン原作小説を映画化した『キャンディ』(68)、現在も夫人の女優、バーバラ・バックと出会うきっかけになった特撮コメディ『おかしなおかしな石器人』(81)等で、さらに映画俳優としてのキャリアを積むことになる。 そして、映画『マジック・クリスチャン』は、既存の価値観をぶち壊そうとした希代の風刺作家とギャグメーカーたちのために映画会社が大枚を叩いた、ある意味、古き良き時代のB級遺産。特に映画マニアは、グラント卿が走る列車内の会議室で重役を集めて経営方針を説明するシーンで、ピーター・セラーズが少しだけ垣間見せる"クルーゾー的動き"にほくそ笑むはず。突然、椅子から立ってかと思うと、すぐ座る。付け髭、近視メガネ等、変装術も忘れてない。堪えても堪えきれないコメディアンの性が覗く瞬間を、どうかお見逃しなく!■ COPYRIGHT © 2016 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.
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PROGRAM/放送作品
特番「監督ジョン・カサヴェテスの2つのファミリー」
アメリカ・インディペンデント映画の父、監督ジョン・カサヴェテスの魅力を紹介するミニ番組。
アメリカ・インディペンデント映画の父と呼ばれ、世界中の映画人に愛され影響を与え続ける、監督ジョン・カサヴェテス。自身の人生、そして家族や仲間たちとの映画愛に満ちた制作背景を通し、彼の映画の魅力に迫る。
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COLUMN/コラム2016.05.03
【DVD絶版】男子、厨房に入って散らかすシリーズ第1弾(2弾はあるのか!?) 『暗い日曜日』に出てくる“ビーフロール”ことルラードを作る!
「ザ・シネマSTAFFがもう一度どうしても見たかった激レア映画を買い付けてきました」特集で、ワタクシが激烈に推薦しております『暗い日曜日』。DVD絶版で鑑賞しづらい作品なのですが、これを買い付けてきてHDでザ・シネマでは放送します。 「暗い日曜日」という自殺ソング、これは実際にある曲なんですが、それに着想を得た物語です。この作品はサイトの解説もワタクシ自分で書きましたんで、まんまコピペしてきます。 「今もブダペストにあるレストラン、サボー。戦前、ユダヤ系の支配人サボーは父娘ほど歳の離れたウェイトレスのイロナと愛し合い、幸せな日々を送っていた。新たに雇ったピアニストのアンドラーシュにイロナが惚れたので、サボーは奪い合うより男2人で彼女をシェアする大人の関係を提案。だがその関係は次第にアンドラーシュの心を蝕み、ナチの脅威が迫ってハンガリーも右傾化し、社会が狂ってくる中、彼は、ある曲を作ってしまう。」 という物語でして、ザ・シネマ10周年記念対談の方ではさらに踏み込んだトークをしておりますんで、よろしければそちらも覗きに来てください。 さて、劇中でレストランのオーナーである主人公サボーさんが、ドイツから来た観光客のハンスに「ルラード」という料理の作り方について説明するくだりがあります。ハンスは「ビーフロール」と呼んでルラードをいたく気に入っているので、奴が非常に凹んでいる時に、親切なサボーさんは秘密のレシピを教えてやるのです。 「まず柔らかいヒレ肉を薄くスライスしてたたいておく。鍋にバターを溶かし、いい香りがしてきたらニンニクを入れる。丸ごとね。バターにニンニクの香りがついたら肉を入れてソテーする。中身は覚えているかい?ハンガリーのハムとチーズだ。薄くスライスしておく。だから一口切って食べると、舌に3つの味が広がる。その3つの全く違った味が、ふた口めで1つに溶け合うというわけだ」 ぐぬぅ!実に美味そうですなぁ!! 食えるもんなら食ってみたいが、日本でこれを食わせてくれるレストランがそうそう在る気がしない…。東京にはハンガリー・レストランが何件かありますが、本日(4/30)はゴールデン・ウィーク初日ってことで、こんな日には時間をかけて、ヘタの横好きで手ずから作ってみるとしましょうか。映画を見て美味そうな食い物を知り、そいつを食す、作る、ってのもまた、映画マニアの大いなる愉しみの1つなのであります。ではありませんか?俺だけか? このルラード、日本ではマイナーすぎるんで、レシピが全然見つかりません。「ルラード(Roulade)」自体は「巻いた物」って意味らしいので、ネットで検索するとチキンのやつとかいろいろと見つかるんですが(ロールケーキもRouladeと呼ばれてるようで、ヒットしちゃう)、上記のサボーさんの言っているようなルラード、ハンスが言う「ビーフロール」みたいなハンガリー料理のレシピが、これが容易に見つからないんだなぁ。なので、今回は海外のサイトを何カ所か参考にしました。特にパクリ元にしたのがココのブログ。 このメインぱくり元に加え、他のサイトと、サボーさんの前出のセリフと、あと本編映像を一時停止して何度も何度も観察する、ということで、劇中に近いルラードの再現を試みております。以下、当コーナー初となる、レシピです。 【材料(男のデタラメ料理なので分量は超適当)】 ニンニク レモン 赤いパプリカ ほうれん草のベイビーリーフ 生マッシュルーム エシャロット イタリアン・パセリ 牛ヒレステーキ肉 マンガリッツァ・ハム ハヴァティ・チーズ パルメザン・チーズ 生クリーム ニョッキ 白ワイン バルサミコ酢 チキン・スープ・ストック ディジョン・マスタード 【作り方】 ①まずマリネ液を作っておく。大きめのタッパーにレモン1個を絞り、バルサミコ同量を加え、そこに細かく刻んだニンニクを入れ、混ぜる。 ②牛ヒレステーキ肉をラップで包んで、ミートハンマーで均一に薄くなるまで叩く。できれば形よく長方形に整えたい。塩と挽きたての黒胡椒で両面をシーズニングする。 ③マリネ液に肉を漬け込む。少なくとも30分、できれば数時間、ニンニク風味の強さがお好みならば一晩、冷蔵庫に置いて両面をよくマリネする。 ④焼きナスと同じ要領で“焼きパプリカ”を作る。アルミホイルで二重に包んだレッド・パプリカを、ガスコンロに直に置いて直火で20分間焼く。5分おきにトングで少しずつ回転させていく。20分たったらホイルをめくり、真っ黒に炭化した皮を丁寧に剥がしていき(これが骨が折れる)、ヘタと種を取り除く。これを細切りにし、後で使う具材として横に取り置いておく。 ⑤十分にマリネされた肉をまな板に広げ、たっぷりのディジョン・マスタードを裏側(具を乗せる面)全面に塗る。 ⑥肉の上に具を乗せていく。ほうれん草のベイビーリーフ、マンガリッツァ・ハム、パプリカ細切り(最後の飾り用に少し残しておく)、ハヴァティ・チーズの順に。ヘリは2〜3cmほど具を乗せずに空けておく。最後にパルメザンをチーズおろしでふりかける。 ⑦肉をきつく巻いていく。こぼれた具も拾って肉巻きの中に押し込もう。まな板の上に閉じ目を下にして置き、ほつれないようタコ糸でしっかりと縛る。 ⑧オーヴン対応の中鍋を中火で熱し、大きなバターひとかたまりとオリーブ・オイル同量を入れ、バターが溶けて鍋に油がよく回ったら、潰したニンニク1かけを入れて香りを十分に引き出す。 ⑨その鍋に肉巻きを投入し、時おり回転させて全面に色がつき渡ったら、鍋ごと230℃に予熱したオーヴンに入れて20分間熱する。それと⑩で作るニョッキ用の湯をここらで大鍋で沸かし始めること。20分たったらオーヴンから鍋を出し、肉巻きを取り出してアルミホイルで包んでおき、ソースを作る間の10〜15分間冷ましておく(冷まさないと切り分けられない)。 ⑩その10〜15分間にソースを作り、ニョッキも茹でる。ニョッキは出来合いのものをパッケージの指示通りに茹でるだけ。ソースは、ソースパンでバターを溶かし、マッシュルームとエシャロットをソテーする。マッシュルームから水分が流れ出し、その水気が飛んで色が茶色くなりクタっとなってきたら、白ワイン1/4カップとチキン・スープ・ストック1/4カップを加え、分量が半分に減るまで煮詰めていく。最後に生クリーム1/4カップを加えてトロミが出るまでかき混ぜ、塩胡椒で味を整える。これでだいたい15分。 ⑪盛り付け。肉巻きのタコ糸を外して切り分ける。皿の真ん中にまずマッシュルーム・ソースを広げ、切り分けた肉巻きを置き、周囲に付け合わせのニョッキを盛り付けて、最後に彩りを加えるため、ニョッキの上にイタリアン・パセリを、肉巻きの上には残しておいたレッド・パプリカを飾る。 完成!実食!! こ、これはマジでシャレになってないですぞ!美味い!そして、食ったことのない味だ!まず、ニンニクを合計2カケも使ってますが、香りの主役は完全に焼きパプリカに持ってかれてる。口にするとパンチの効いたスモーキーフレーバーと、あの焼きナス的ビター感がまず広がります。次いで、レモン汁とバルサミコでマリネした牛肉の酸味の爽快サッパリ感が満ちていき、結構バターを使いまくってるにも関わらず意外としつこくはない。そして、マッシュルーム・クリームソースがこのワイルドな焼きパプリカの香りと攻撃的な酸味をマイルドにまとめ上げる、という絶妙な具合。こいつはイケる! と手前味噌ばかり言うのもさすがに恥ずかしいので、NEXTに活かすため、今回の反省点も記しておきましょう。まず、牛ヒレステーキ肉がウチの近所の肉屋に無かったので、実は今回は肩ロース肉を用いてる。安上がりに済んだけど、そりゃヒレよりかは多少硬い。ヒレ使っていれば、ナイフがスッと入るような柔らかさになったかもしれず、上品感がかなり増したでしょう。でも、それは大した問題ではない。次に、「ほうれん草のベイビーリーフ」なんて物は見たことも聞いたこともないので、冷蔵庫のサニーレタスで代用しました。さりとてこれも、だからといって大した問題ではない。 一番大きな問題は、ハヴァティ・チーズとマンガリッツァ・ハムです。この2つはTHE輸入食材!という感じなので値も張りました。ほぼ2000円近くがこれだけにかかってるんですが、費用対効果が薄すぎて、ハッキリ言って不経済。まずチーズ。元のレシピで2つ使えと指示されているうち、今回ハヴァティ・チーズが手に入らずパルメザン一種類だけでチャレンジしたんですが、焼き色を付けている時とその後のオーヴンで熱を入れる過程で、液状化したチーズが肉巻きからすっかり流れ出てしまうので、意味ねー!チーズの風味や、あのピザのような糸を引く感じが今回ほとんどありませんでした。 それとマンガリッツァですが、これもそんな生ハムみたいなものを内側に巻き込んだのでは、熱が入る過程で溶けて無くなっちゃって、食っていてどこにハム状のものがあるのか、サッパリわからないぐらいでした。 劇中のセリフでサボーさんは「舌に3つの味が広がる」と言っていました。チーズとハムと、そして牛肉のことですが、そのうちの2つがほとんど消えて無くなっちゃってるというのは、美味い不味いとは別の話として、失敗といえば大失敗でしょう! これを踏また上で、次に作る時には、まずチーズはハヴァティか、少なくとも「とろけるチーズ」的なものは必須で具材に加えるようにします。パルメザンだけでは不十分です。そしてハムは、マンガリッツァのような生ハム系ではなくて、ボンレスハムなどの熱が加わっても牛肉にも負けない食感がしっかりと残りそうなタイプのものを選ぶことにします。 にしても、一回目で失敗して、捲土重来を誓い、次回、雪辱戦!というのも、映画マニアのオッサンののん気な食道楽としては、なかなかに楽しみなものなのです。「おっ、あの時、軽く失敗したレシピに、今週末あたりもう一回トライしてみよう」ってスケジュールが土日の欄に書き加わるのは、毎日にちょっとした充実をもたらしてくれますぞ。■ LICENSED BY Global Screen GmbH 2016, ALL RIGHTS RESERVED
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PROGRAM/放送作品
理由
若き黒人死刑囚は冤罪か?それとも…ショーン・コネリー円熟のドンデン返しサスペンス
死刑廃止論者の大学教授が冤罪解明に奔走する前半から一転、後半は思わぬ方向に急展開するという、異なる緊張感を味わえるドンデン返しサスペンス。主人公の娘役で当時11歳のスカーレット・ヨハンソンが出演。
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COLUMN/コラム2016.04.20
軽妙なヒッチコック風ジャンルミックス映画を、時代を代表するコメディ俳優ゴールディ・ホーンとチェヴィー・チェイスの好相性が輝かせる〜『ファール・プレイ』〜
図書館で働くバツイチ女子グロリア(ゴールディ・ホーン)は、ドライブ中にスコッティと名乗る男を拾う。成り行きで一緒に映画を観る約束をさせられるが、映画館内で再会した時には彼は既に息も絶え絶え。「用心しろ、ドワーフに」と謎の言葉を残して絶命してしまう。 驚くグロリアは映画館の支配人を呼ぶが、座席に戻った時には何故か死体は消えていた。 それ以来、彼女は白スーツのスナイパーに追われるように。助けを求めるグロリアだったが警察からは逆に不審者扱いされる始末。唯一、信じてくれた刑事は、かつて彼女をナンパしたことがあるイイ加減男のトニー(チェヴィー・チェイス)だった。やがて一連の事件の裏に、アメリカ訪問中のローマ教皇を暗殺する陰謀が横たわっていることを二人は知るのだが ……。 大学の卒業制作に、あの『ハロルドとモード』(71年)の脚本を書き、そのままハリウッド・デビューを果たした逸話を持つ才人コリー・ヒギンズが、『大陸横断超特急』(76年)で試した手法をさらに発展させたのが『ファールプレイ』である。その手法とは、コメディ、ミステリー、ロマンス、サスペンスといった様々なジャンル映画の要素をヒッチコック・タッチのもとでミックスさせるというもの。 その証拠に、本作の舞台は『めまい』の舞台であるサンフランシスコ。ほかにも『ダイヤルMを廻せ!』や『知りすぎていた男』といったヒッチコック作品へのオマージュがふんだんに盛り込まれている。 こうしたヒッチコックへのオマージュは、『殺しのドレス』 (80年)や『ボディ・ダブル』 (84年)といった同時代のブライアン・デ・パルマ作品にも見られるものだけど、『ファールプレイ』はいい意味でもっと軽い。 というのも、グロリアとトニーのやりとりはロマンティック・コメディ調だし、ふたりが複数の自動車を乗り継いでローマ教皇がオペラ鑑賞をしているオペラハウスに向かうシーンは、同じサンフランシスコを舞台にしたスティーブ・マックイーンの刑事アクション『ブリット』(68年)の様。ベテラン俳優バージェス・メレディス(テレビドラマ版『バットマン』のペンギンや『ロッキー』シリーズのトレーナー、ミッキー役で有名)がカンフーで敵と延々と戦うシーンが設けられるなど、同時代の流行への目配せも行き届いているし、何よりグロリアを演じているのがゴールディ・ホーンだからだ。 1945年生まれのゴールディは、ブロードウェイでのダンサーとしての活動を経て、伝説的なコメディ番組『Laugh-In』(68〜73年)にレギュラー出演したことで人気を獲得。映画進出作『サボテンの花』(69年)ではあの大女優イングリッド・バーグマンの恋敵役だったものの魅力で圧倒、ハジけた演技を披露してアカデミー助演女優賞をゲットしてしまった。この下克上的偉業において比較できるのは『ベスト・フレンズ・ウェディング』(97年)におけるジュリア・ロバーツに対するキャメロン・ディアスくらいのものだろう。 70年代に入るとスティーヴン・スピルバーグの初の劇場作『続・激突!/カージャック』(74年)やハル・アシュビーの監督作『シャンプー』(75年)といった話題作に次々と出演。満を持して挑んだ主演コメディが『ファールプレイ』だったというわけだ。その後は制作総指揮を兼ねる形で『プライベート・ベンジャミン』(80年)や『アメリカ万歳』(84年)といったヒット作に主演。90年代半ばまで主演を張れるコメディ女優として活躍を続けた(彼女のポジションは娘のケイト・ハドソンがそのまま引き継いだ)。 そんなゴールディの相手役を本作でチェヴィー・チェイスが務めたのはある種の必然かもしれない。チェイスは『Laugh-In』の後継番組といえる『サタデー・ナイト・ライブ(SNL)』(75年〜)の初期レギュラーだったからだ(ついでに言うと『サボテンの花』は90年代『SNL』のレギュラーだったアダム・サンドラーが『ウソツキは結婚のはじまり』(11年)としてリメイクしている)。 そのチェイスのバイオグラフィーはとてもユニークだ。1943年ニューヨーク生まれの彼の本名はコーネリアス・クレーン・チェイス。そう、とても重々しいのである。それもそのはず、彼は重機メーカー、クレーン社の創業家の血を引く富豪一族のボンボンで、総資産は5000万ドルにも及ぶらしい。 なのにチェイスはロックンロールに夢中になり、バード大学ではスティーリー・ダンの前身バンドでドラムスを叩いていたという。その後、ソフトロック・バンド、カメレオン・チャーチのメンバーとしてメジャー・デビュー。しかし徐々にお笑いに関心を持ち始め、70年代に入るとパロディ雑誌「ナショナル・ランプーン」が始めたお笑いライブやラジオ番組で活動するようになった。これが認められて『SNL』スタート時にメンバーに迎えられたというわけだ。 現在も伝説として語り継がれる第1シーズンは、採用されるネタが殆どチェイスのものだったことから、彼の独壇場(あのジョン・ベルーシとダン・エイクロイドも脇に押しやられていた)。すぐさまハリウッドから映画出演のオファーが殺到したため、チェイスは最初の1年であっさり番組を降板(ちなみに彼の後任がビル・マーレーである)、今作がハリウッド進出第一作となった。 いかなる時でも余裕を感じさせる得難い個性は、アッパーなゴールディを包み込むかのよう。『昔みたい』(80年)で再共演したのも頷ける相性の良さだ。40代を迎えたあたりから急速にオッサン化し(しかしハングリー精神が薄いせいか、加齢と戦おうとはしなかった)なぜ『SNL』でダントツのスターだったのかが謎になってしまったチェイスだけど、本作では天下を取ったその魅力が伝わってくると思う。 そして『ファールプレイ』を語る上で欠かせない第三の存在が、ある時はバー、ある時はいかがわしい館、そしてオペラハウスにも登場する謎の英国人スタンレーを怪演するダドリー・ムーアだ。 1935年生まれと、ゴールディやチェイスより一世代上にあたる彼のキャリアは60年代初頭まで遡る。主演映画『悪いことしましョ!』(67年)もあったものの、意外にも本作がハリウッドへの本格進出作となる。 変態チックだけど愛すべき男である本作のスタンレー役で、成功への足掛かりを掴んだ彼は、ブレイク・エドワーズ監督作『テン』(79年)、そして『ミスター・アーサー』(81年)といったヒット作に立て続けに主演してトップ・スターとなったのだった。 しかしこの二作の彼はいずれもアルコール中毒の設定だった。ムーアの手足の動きがアル中のそれにしか見えなかったからだった。当初は、酒好きの本人すらそう思っていたというが、やがてこうした症状が進行性核上性麻痺という病が原因であることが判明した。 これが次第に日常生活にまで支障をきたすようになり、90年代以降は一線を退くことを余儀なくされたムーアは、長い闘病生活の末に02年に亡くなっている。本作こそがコンディションが万全だった頃のムーアの演技が観れる数少ない作品といえるだろう。 なお本作の監督のコリン・ヒギンズも『9時から5時まで 』(80年)など大ヒット作を放ちながら、88年にHIVで47歳の若さで亡くなっている。ムーアとヒギンズが病に倒れなければ、90年代以降のコメディ映画界はもっと華やかになったかもしれない。『ファールプレイ』は、そんなありえたかもしれない未来を妄想させてくれる映画でもあるのだ。■ COPYRIGHT © 2016 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.
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PROGRAM/放送作品
冷たい月を抱く女
[PG12相当]男と妻と、その友人。男女3人の愛憎模様に殺人事件の謎を絡めたサスペンス・スリラー
後にアカデミー賞女優となるニコール・キッドマンがトム・クルーズ夫人時代、悪女役に挑んだサスペンス。同じく後のオスカー女優グウィネス・パルトローの、ド脇役ながらも超意外な役どころは、見てビックリ!
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COLUMN/コラム2016.04.10
逢う魔が時、黒い怪鳥が群れ飛ぶ木立の下にたちこめていた、禍々しき空気…90年目の『チェンジリング』事件現場探訪
ロサンゼルス在住のシングルマザー、クリスティン・コリンズ(アンジェリーナ・ジョリー)の息子ウォルター(当時9歳)が忽然と姿を消した。5カ月後に警察はウォルター少年を保護したと発表、母子は感動の再会を果たす……はずだったが、引き合わされたのは息子とはまったくの別人。クリスティンが抗議をすると、警察は「あなたの方がおかしい」と彼女を精神病院に入れてしまう――。 まるでシュールなサイコホラーだが、これが実話なのだから恐ろしい。脚本家のJ・マイケル・ストラジンスキーはロサンゼルス市役所の職員から大量の古い書類を破棄すると聞き、その中からクリスティン・コリンズが息子の失踪について訴えている調書を拾い出した。 ストラジンスキーはさらにリサーチを重ね、登場人物がすべて実名のオリジナル脚本を書き上げる。現実の事件があまりにも複雑かつ奇妙なので、史実と異なる脚色は最小限に留めると決めた。後に「95%は資料に基づいて書いた」と語っている。イーストウッドはストラジンスキーの初稿を気に入り、なんら変更を加えることなく撮影を開始したという。 完成した『チェンジリング』は、愛する息子と自身の尊厳を取り戻すために闘うクリスティンの物語となった。社会的に無力な女性が警察権力を相手に勇気を奮い起こす姿はイーストウッドが過去に演じてきたヒーローたちを想起させる。ただしクリスティンの原動力はイーストウッド流の反骨ではなく“母性愛”だ。 クリスティンと警察の攻防とは別に、ウォルター少年の失踪事件には真犯人が存在する。ロサンゼルスから80km離れた町、ワインヴィルで養鶏場を営んでいたゴードン・ノースコットという男が少年を次々と誘拐し、虐待したあげく殺害していたのだ。ウォルターもまたノースコットが手をかけた犠牲者の一人だったと見なされている。 私事で恐縮だが、2014年の1月、筆者はロサンゼルスで『チェンジリング』のロケ地を訪ねて回っていた。ここから先はその際に体験した『チェンジリング』詣での“忌まわしい顛末”を書かせてほしい。 『チェンジリング』のロケ地を探すリサーチをしているうちに、ふと気になったのがアンジェリーナ・ジョリーのセリフにあったクリスティンの住所。これだけ事実をベースしているのだから、この住所も本物ではないのか? 劇中の住所は「210 North Avenue 23, Los Angeles, California」。ロサンゼルスのダウンタウンから3キロほど北東の一角だ。 行ってみると住所の場所はマンションになり、前には大きな高速道路が通っていた。事件から約90年、そりゃあ様変わりもするだろう。少し歩くと現在は使われていない路面電車のレール跡を発見。古い路線図で確認すると確かにダウンタウンとこの界隈を繋ぐ路線がある。映画と同様、クリスティンはこの路面電車で毎朝職場に通っていたのだろうか。 ロサンゼルスタイムズの調査によると、事件当時のクリスティンの住所は「219 North Avenue 23, Los Angeles, California」。「210」も「219」も今では同じマンションなので、劇中の住所はほぼ正確だったことになる。やはりクリスティン・コリンズはこの界隈で息子のウォルターと暮らしていた。ただし事件以降はひとつ所に落ち着くことなく転居を繰り返し、苦労の多い人生を送ったようである。 その晩、ネットで調べものをしていてゾッとするような情報にぶち当たった。事件当時に犯人であるノースコットが住んでいた家が今もそのまま残っているというのだ。 自分は映画好きであって犯罪マニアではない。殺人現場などむしろ避けて通りたい派だ。しかし映画ライターを名乗り、アメリカにまで来ておいて、この転がり込んできた情報をスルーするのか? むしろ『チェンジリング』所縁の場所を巡った今だからこそ感じるものがあるんじゃないのか? 翌朝もまだ迷っていたが、午前の用事に時間を取られ、午後の予定が白紙になってしまった。ロサンゼルスからノースコットの農場があったワインヴィルまでは車で約1時間。代わり映えのしないハイウェイを東へ進み、15号線とぶつかったところで南に折れる。途中で見かけたパモーナという地名は、確か『ダイ・ハード』でボニー・ベデリアが演じたジョン・マクレーン刑事の妻が子供たちと住んでいた町だ。 自分は霊感とは程遠い人間で、第六感的になにかを察知したことはない。しかし目的地が近付いてくると吐き気を催し始めた。きっと自己暗示だと思いつつも全身が「行きたくない」と叫んでいる。なんでこんなところまで来てしまったのか? 後悔し始めた時にはワインヴィルに一番近い高速の出口に着いていた。ノースコットの家はもう目と鼻の先である。 実は現在はワインヴィルという町は存在しない。ノースコットの事件があまりにもマスコミで騒がれたために住民が地名を変えたからだ。ただ「ワインヴィル・アベニュー」という通りがあり、ノースコットの家もこの道路に面している。 車から場所を確かめ、200mほど離れたところにレンタカーを停めた。農場がどれくらいの広さだったかはわからないが、周囲はほぼ住宅地になっている。歩行者の姿はまったく見かけない。カメラをつかんで件の家まで歩いてみる。一軒手前の家で凶悪な番犬に吠えられ、逃げ帰りたくなるほど驚いた。 件の家は壁が黄色く塗られた平屋の一軒家だ。メンテナンスのおかげか築90年の古家には見えないが、屋根の形や窓の配置は確かに当時の報道写真のままである。 敷地の奥に停められているトラックの辺りにウォルター少年が殺害された鶏舎があったはず。骨の一部が埋められていた場所は奥まっていて窺うことができないが、今は別の棟が建っているらしい。 やたらと禍々しく感じるのは先入観から来る錯覚だと自分に言い聞かせる。フェンスの金網になぜか細い木切れが縦に何本も挿さっていて、その意味不明さがさらに不安を煽り立てる。 家には事件のことはまったく知らずに入居した夫婦が住んでいると聞く。誰か出てきたらどうしようか。日本からの野次馬が歓迎されるとは思えない。盗撮のような気分で写真を2、3枚撮り、足早に車に向かった。 振り返ると、まだ造成されていない空き地が広がっていた。空き地の向こうに見える木立はちょうど殺された少年たちの骨が埋められていた辺りだ。 一応写真を撮っておこうと空き地に足を踏み入れてぎょっとした。土壌がやけに柔らかく、軽く足がめり込む。当時もこんな土壌だったのなら、ノースコットと共犯を強いられた甥のサンフォード・クラークはいとも簡単に穴を掘ることができただろうと、嫌な想像が膨らんでいく。 すでに夕暮れに差し掛かり、マジックアワーの現実離れした色彩が違和感に拍車をかける。その時に気がついた。例の木立の上空にだけ、黒い鳥の群れがくるくると旋廻している! いや、こんなのはただの偶然のはず。でも広い視界のどこを見ても、呪わしい木立の上にしか鳥は飛んでいないのだ。もう充分だ。一刻も早くここから離れよう。 実はイーストウッドも撮影前にこの地を訪れたという。犯人の家がそのまま残っていることを不気味に思い、その家を訪ねることなく立ち去ったという。あのイーストウッドがビビったのだから自分ごときが怯えるのも仕方がない。興味があって心臓が強い人のみ、住民に迷惑をかけない範囲で行ってみることをお勧めします。■ © 2008 UNIVERSAL STUDIOS