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PROGRAM/放送作品
青いドレスの女
デンゼル・ワシントン主演!ロサンゼルスを舞台にしたハードボイルド・サスペンス!
私立探偵イージー・ローリンズを描くウォルター・モズレイの人気ハードボイルド小説を映画化!製作総指揮は『羊たちの沈黙』の名監督ジョナサン・デミ、ヒロインは『フラッシュ・ダンス』のジェニファー・ビールス。
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COLUMN/コラム2018.02.13
隣のヒットマン
カナダのモントリオール郊外。歯科医のオズ( マシュー・ペリー)はシカゴ出身でありながら、妻の父が起こしたセックス&脱税絡みのスキャンダルによって愛する地元にいられなくなり、仕方なくこの街の病院で働いていた。それなのに、妻ソフィ(ロザンナ・アークエット)の浪費癖は改まることなく家計は破綻寸前。公私ともども冴えない彼は、病院の受付嬢ジル(アマンダ・ピート)にも同情される有様だった。そんなある日、オズの隣家にジミー(ブルース・ウィリス)と名乗る男が引っ越してくる。オズは、彼がシカゴを牛耳るマフィア組織の一員で、ボスを警察に売り渡して予定よりも早く出所することに成功したヒットマン“チューリップ”ことテュデスキの世を偲ぶ仮の姿だということに気づく。だが意外にも気さくな彼とウマが合い、友情らしきものを築くのだった。 しかしいよいよ破産寸前となったオズは、ソフィから「ジミーをマフィアのボスの息子ヤンニに引き渡せば大金を貰えること間違いなし。成功したら離婚してあげる」と迫られ、ヤンニの部下と接触するためにシカゴに行く羽目に陥ってしまう。 しかしオズの留守中にソフィが向かったのはテュデスキの家だった。彼女はオズが彼を売り渡そうとしていることをあっさり打ち明けてしまう。そう、ソフィの真の狙いはオズにかけた多額の生命保険金だったのだ。彼女のオズ殺害計画を知ったテュデスキは、ヤンニの部下で、実はテュデスキの親友フランキー( マイケル・クラーク・ダンカン)を介して「心配するな、俺たちの友情は壊れない」とオズを励ます。 だがオズは手放しでは喜べなかった。というのも、ヤンニのアジトで出会ったテュデスキの妻シンシア(ナターシャ・ヘンストリッジ)と恋に落ちてしまっていたからだ。シンシアはボスの秘密資金1000万ドルを預かっており、現金化するには彼女とテュデスキ、ヤンニ三人のサインもしくは死亡証明書が必要だった。大金を獲得するためならヤンニはもちろん、テュデスキも自分を殺すことを躊躇わないだろうと語るシンシア。果たして小市民のオズは、自分とシンシアに降りかかった絶体絶命のピンチを乗り切れるのだろうか……。 プロットをざっと書いてみるだけでも分かる通り、『隣のヒットマン』(2000年)は複雑な設定と、二転三転するストーリーによって、観る者のテンションを最後までマックス状態に維持し続けるクライム・コメディだ。 凝りに凝った脚本を書いたのは、これがデビュー作だったミッチェル・カプナー。それをモンティ・パイソンのエリック・アイドルが主演した『ナンズ・オン・ザ・ラン 走れ!尼さん』 (1990年) やメリサ・トメイにオスカーをもたらした『いとこのビニー』 (1992年) で知られる英国出身のコメディ職人ジョナサン・リンがタイトに仕上げている。 主演は、ブルース・ウィリス。このとき既にアクション映画界のスーパースターだった彼だけど、出世作だったテレビドラマ『こちらブルームーン探偵社』(1985〜89年)は探偵モノでありながら、パロディとマシンガン・トークを売りにしたコメディ仕立てのものだった。映画本格進出作の『ブラインド・デート』(1987年)にしてもブレイク・エドワーズ監督のロマ・コメだったし、スターダムに押し上げた『ダイ・ハード』(1988年)も実はアクションと同じくらいウィリスの軽口を楽しむ映画である。『隣のヒットマン』はそんな彼のコメディ・サイドをフューチャーするのにピッタリの企画であり、最初にキャスティングされたのも彼だった。そんな製作サイドの要望に忠実に、ここでのウィリスはシリアスとコミカルの狭間を行き交う演技で観客を惹きつけてみせる。 そんなウィリスが、相手役(そしてストーリー上は主人公)であるオズ役に当初から熱望したのがマシュー・ペリーだったという。当時のペリーは、驚異的な高視聴率を記録していたシットコム『フレンズ』 (1994〜2004年)のチャンドラー役でノリに乗っている時期であり、ウィリスは彼が持つ勢いを作品に持ち込めれば映画の成功は間違いないと思ったのだろう。 こうした彼の目論見にペリーは見事に応えている。リアクションがいちいち絶妙。しかも等身大のキャラを得意とする彼だからこそ、映画冒頭の冴えない姿から後半のヒーローへの変貌に、観客が喝采を叫べるというわけだ。またその活躍があくまで歯科医という設定を活かしたものであるところにも唸らされてしまう。 ウィリスとのコンビネーションという意味では、超能力者に扮したフランク・ダラボン監督作『グリーンマイル』(1999年)における演技が絶賛されたマイケル・クラーク・ダンカンも印象的だ。ダンカンはウィル・スミスをはじめとするハリウッド・スターのボディ・ガードから俳優に転じた変わり種。そんな彼をウィリスは『アルマゲドン』(1998年)で共演して以来、高く評価しており、本作は『ブレックファースト・オブ・チャンピオンズ』(1999年)に続く3度目の共演作にあたる。もし2012年に心筋梗塞で急死していなかったら、もっと共演を重ねられたのではないかと思うと、残念でならないけど、ウィリスとのプライベートの交流がそのまま反映された本作の彼は心の底から楽しそうだ。 女優陣もそれぞれ健闘。オズのどうかしている妻ソフィを演じているのは、『マドンナのスーザンを探して』(1985年)などコメディで抜群の冴えを見せるロザンナ・アークエット。フランス語訛りのヘンなセリフ回しが最高におかしい。そんな彼女とは対照的に、『スピーシーズ 種の起源』(1995年)のエイリアン役でお馴染みのナターシャ・ヘンストリッジがフィルム・ノワール的なクール美女シンシアになりきってみせる。 とはいえ、女優陣のMVPはジルを演じたアマンダ・ピートだろう。リアルタイムで本作の彼女を観たときの衝撃ときたら無かった。テレビにはそこそこ出演していたものの、それまで映画で大きな役をひとつも演じたことが無かった彼女は本作でも病院の受付嬢という一見チョイ役で登場する。だが濃すぎる顔立ちは存在感がありすぎるし、セリフは非常識なものばかり。 「彼女は一体何者なんだ?」そんな疑問が観客の中にじわじわ湧き上がっていき、それが沸点に達した瞬間に正体が明かされる。何とジルの正体はテュデスキを崇拝する殺し屋志望の女子だったのだ。映画後半の彼女の大活躍ぶりは、大スターのウィリスとペリーのそれを霞ませるほどのもの。こんな美味しい役をブレイク前の若手女優に与えた本作の製作陣にはどれほど賞賛を送っても送り足りないと思う。 本作でブレイクしたピートは、血も涙もないサイコな悪女に扮した『マテリアル・ウーマン』(2001年)でジェイソン・ビッグス、ジャック・ブラック、スティーブ・ザーンという3人のコメディ男優を向こうに回して映画を引っ張りまくり、『17歳の処方箋』(2002年)でもキーラン・カルキン扮する主人公を翻弄するフリーダムな女子を怪演。コメディ女優として一時代を築いたのだった。2006年に『ゲーム・オブ・スローンズ』のショーランナー、デイヴィッド・ベニオフと結婚して以降は上昇志向が収まったのか、普通の演技派女優になってしまったのがコメディ好きとしては本当に残念である。というわけで、映画ファンは、本作の続編『隣のヒットマンズ 全弾発射』(2004年)を含めて、この時期ならではのギラギラしたアマンダ・ピートの魅力に脳天を撃ち抜かれてほしい。 WHOLE NINE YARDS, THE © 2000 METRO-GOLDWYN-MAYER DISTRIBUTION CO.. All Rights Reserved
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PROGRAM/放送作品
赤いアモーレ
2008年度アカデミー賞助演女優賞に輝いたペネロペ・クルスが、大胆な裸身で魅せる究極の愛!
ヨーロッパ各国でベストセラーとなった不倫恋愛小説を映画化した作品。ペネロペ・クルスが、妻子ある男性に弄ばれつつ彼を虜にする、薄幸そうでいて見るからに淫靡な魔性の女を好演。オスカーに輝いた。
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COLUMN/コラム2016.09.07
Don’t play it again, Steven.(おイタをするのはもうやめて、スティーヴン)ソダーバーグがハリウッドの古典的映画作りと倒錯的に戯れた実験作『さらば、ベルリン』
「基本的にソダーバーグはコンセプト先行型の監督で、作品ごとの狙いがヴィジュアルにも反映されている」と、先の記事の中で村山氏が指摘しているが、この『さらば、ベルリン』(2006)は、まさにその言葉がよく当てはまる、ソダーバーグならではの野心的な実験作と言えるだろう。ここでのソダーバーグの狙いは、第2次世界大戦終戦直後の1945年、ドイツのベルリンを舞台に、それぞれワケありの複数の男女が繰り広げる愛憎と犯罪劇の行く末を、1940年代当時のハリウッド映画の視覚的スタイルに則って作り上げるというもの。 ソダーバーグはかつて『蒼い記憶』(1995)で、フィルム・ノワールの名作『裏切りの街角』(1949 ロバート・シオドマク)を、ブルーを基調とした照明やフィルターを多用してスタイリッシュかつ現代風にリメイクするという試みに挑んでいたが、ピーター・アンドリュース名義で撮影監督、さらにはメアリー・アン・バーナード名義で編集も自ら兼ねたこの『さらば、ベルリン』では、全編をシックでレトロなモノクロ画面で統一(ただし、実際にはカラーフィルムを使用して撮影を行い、ポスト・プロダクションの段階でデジタル処理をして色彩を抜く手法が採用された。同様の手法を用いたモノクロ映画の前例として、コーエン兄弟による現代版ノワール『バーバー』(2001)や、ソダーバーグ自身が共同製作総指揮を務めたジョージ・クルーニーの監督第2作『グッドナイト&グッドラック』(2005)などがある)。 また、スタジオ内のセット撮影を主体にした本作の製作現場では、複数のキャメラを同時に回して多彩なアングルのショットをいちどきに得る現代的な撮影スタイルを排して、基本的にキャメラを1台のみ使用してマスター・ショットを撮り、必要に応じて切り返しやクロースアップを活用するという、古典的な撮影スタイルを遵守。キャメラのレンズもかつて用いられていた標準的なサイズのものだけを使用し、照明も蛍光灯などは使わずに白熱光だけを用いるなど、あくまで往年のハリウッド映画の伝統的な視覚的スタイルにこだわった映画作りが推し進められた。 かくして、2006年に製作・発表されたものの、軽く一瞥しただけでは1945年に作られたハリウッド映画とつい見まがうような擬古調のモノクロ映画、『さらば、ベルリン』がここに誕生することになった。 さらに、製作・配給元のワーナーは、この『さらば、ベルリン』の売り出しにあたって、念の入ったことに、映画ファンならずとも誰もがよく知るあのお馴染みの名作、『カサブランカ』(1942 マイケル・カーティス)の劇場公開用ポスターのデザインや題名の字体をほぼそのまま踏襲した本作のポスターを作って、両者の類似を強く匂わせるイメージ戦略を取り、懸命の宣伝キャンペーンを展開した。 これでは、現代の観客が、本作の主役の男女に起用されたジョージ・クルーニー&ケイト・ブランシェットに、ハリウッドの黄金期を代表する神話的スター、ハンフリー・ボガート&イングリッド・バーグマンのロマンチックなオーラと輝きを期待しない方が、おかしいというものだろう。しかしその甘美な期待は、いざ映画を見始めるや、すぐさま手ひどく裏切られることになる…。 映画『さらば、ベルリン』は、まず冒頭、昔懐かしいワーナー映画のロゴマークが登場するのに続いて、第2次世界大戦における欧州戦線終戦直後、戦争による破壊の爪痕が何とも痛々しく、すっかり荒廃して至るところが瓦礫の山と化したベルリンの光景と街角に佇む人々の姿を、終戦直後に連合軍の撮影部隊が実際に同地で撮影した記録映像を通じて赤裸々に映し出すところから始まる。そして1945年7月、米英ソという連合国の3大国の首脳陣が、戦後処理のための会談を開くべくベルリン郊外のポツダムに集結し、その取材のためにベルリンを再訪した記者役のクルーニーが、かつての愛人ブランシェットと意外な形で再会を果たしたことから、本作のドラマはいよいよ本格的に動き出す。やがて物語が進むにつれ、次々と意外な事実が浮かび上がることになるわけだが、そのあたりの展開を追っていくとあれこれネタバレになってしまうので、ここではあえて詳述を避けることにしよう。 しかし、それにしても、主役2人の宿命の再会に先立って、ブランシェットが初めて劇中に本格的に姿を現す場面での、我々観客にいきなり冷水を浴びせかけるような、ソダーバーグの何ともシニカルで挑発的な演出ぶりは一体どうだろう。部屋の奥から不意に黒い人影が姿を見せ、緩やかに歩を前に進めるにつれ、ようやくその顔に光が射し、人物の正体がほかならぬブランシェットと判明するさまを、同軸のキャメラポジションからショットを2つに割って、寄りの画面で的確に描き出すところは、なるほど、ハリウッドの古典的な演出作法のお手本ともいえるもので、それ自体は見事なものだ。しかし実は何を隠そう、これには話の続き、というより前段階があって、この場面の直前に、クルーニーから財布をちょろまかした運転手の青年が、すっかり自分だけ悦に入りながら、ある女性と後背位で性交するさまをあけすけに描く場面があり、そこではベッドにうつ伏せとなって顔や表情が一切見えない彼女こそが、生活苦のために今では米兵相手の娼婦に身を落とした哀れなヒロインたるブランシェットだったと、先述の場面で初めて分かるというショッキングな仕掛け。 以前、筆者が本サイトで『白いドレスの女』(1981 ローレンス・カスダン)の紹介記事を書いた際、ノワール今昔比較と題してそこでも述べた通り、かつてハリウッドの黄金期には、〈映画製作倫理規定〉なる映画表現上のさまざまな自主規制ルールが設けられていて、性や暴力の赤裸々で直截的な描写は厳しく制限されていた。古典的なハリウッド映画において性交場面が画面に登場することなど一切ありえず、ましてや主役級の人気スターがそこに絡むことなど、もってのほか。 ソダーバーグが、古典的なハリウッド映画の視覚的スタイルを模して作ったと称する『さらば、ベルリン』は、この時点で早くも当時の制約を大きく食み出し、禁断の領域に土足で踏み込む不敬を働いていることになる(ただし、無論これは、1945年製のハリウッド映画なら完全にアウトだが、2006年のハリウッド映画ならば一応OK、という話ではあるが)。それにしても、ここで、ブランシェットの登場のさせ方のみならず、モラルや節操を一切欠いた無神経なゲス野郎の運転手の役に、当時『スパイダーマン』シリーズ3部作(2002-2007 サム・ライミ)で好感度抜群の青年主人公を演じていた人気者のトビー・マグワイアをわざわざ起用するあたり、ソダーバーグの底意地の悪さもここに極まれり、といった感がある。 ちなみに、本作のブランシェットのキャラ設定に関しては、第2次世界大戦の終結後間もなく、やはりベルリンの荒廃した地を舞台に撮られた映画、『異国の出来事』(1948 ビリー・ワイルダー)でマレーネ・ディートリッヒが演じたヒロインの影響も色濃く感じられる。ただし、この諷刺喜劇において、ワイルダー監督がディートリッヒ扮するしたたかなヒロインを軽妙に描き出しているのに引き換え、この『さらば、ベルリン』でのブランシェットは、いかにも演技派女優らしく、深い絶望と諦念を滲ませながらどこまでも暗くシリアスに役を演じていて、往年のスター女優のように、我々観客を決して甘い陶酔や忘我の世界へ誘うことはない。 結局、この『さらば、ベルリン』は、古典的なハリウッド映画を彷彿とさせるスタイリッシュな視覚的表現の達成という点においてはそこそこ評価されたものの、ソダーバーグやワーナーの意気込みとは裏腹に、世間一般からは芳しい評判を得ることが出来ず、興行的に惨敗を喫することとなった。ソダーバーグは、下手に『カサブランカ』の名前なんかを持ち出したから、誰もがそれと引き比べることになって失敗した、と後にインタビューで告白しているが、ジョゼフ・キャノンの原作小説を大きく改変し、映画のクライマックスに、『カサブランカ』をつい想起させずにはおかない空港での一場面を自ら付け加えておいて、いまさらその言い草はないだろう。やはり、自業自得というほかない。そして哀しいかな、「君の瞳に乾杯!」という賞賛の言葉が、皮肉抜きで『さらば、ベルリン』に投げかけられることはなかった。You must remember this.■ © Warner Bros. Entertainment Inc. & Virtual Studios, LLC
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PROGRAM/放送作品
「スパルタカス」スペシャル
話題沸騰のTVドラマ・シリーズ『スパルタカス』の見所をいち早く紹介!
今年全米で高視聴率を記録したTVドラマ・シリーズ『スパルタカス』をスター・チャンネルでは7月から独占日本初放送!その見所を紹介する特番。ザ・シネマ放送のキューブリック監督の名作『スパルタカス』も必見!
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COLUMN/コラム2016.09.05
小さな巨人ルイ・ド・フィネスの大げさな身ぶりを観るがいい。イヴ・モンタンとのくされ縁的主従関係で笑わてくれる。〜『大乱戦』〜
フランスの喜劇俳優ルイ・ド・フィネス(1914-1983) は、1960年代から1980年代初頭まで、フランス国内の興行収入ナンバーワンの俳優だった。ジャン=ポール・ベルモンドでもなく、アラン・ドロンでもなく、ジャン・ギャバンでもなく、みんな彼を観に行ったのだ。 実際に、1966年のジェラール・ウーリー監督の、ルイ・ド・フィネスとプールヴァル(1917-1970) 主演作品『大進撃』(原題La Grand Vadrouille〔大ブラブラ歩き〕) が1,700万人を動員。これは、1997年にジェームズ・キャメロン監督のアメリカ映画『タイタニック』(およそ2,075万人) に抜かれるまで、30年以上もフランスにおける興行収入の最高位だった。フランス映画では、2008年にダニー・ムーン監督の『Bienvenue chez les Ch'tis』(およそ2,048万人) に抜かれるまで、42年間も最高位を保ち続けた。いまだに(2015年現在)、本作はフランスでは興行収入第5位なのだ。 ルイ・ド・フィネスのユーモアの原動力は「パントマイムとしかめっ面」にあった。何を演じるにしても大げさにジェスチャーした。彼は164センチという低身長ながら、そうした大げさな身ぶりでスクリーンを所狭しと動きまわり、目上にはへつらいながら目下には厳しく叱るというキャラクターで大人気だった。彼はまた、「役者泥棒」として有名だった。彼がスクリーンに出てきたらおしまいで、人々は彼しか見なくなるのだ。 1971年のジェラール・ウーリー監督・脚本、マルセル・ジュリアンとダニエル・トンプソン脚本によるフランス映画『大乱戦』(原題La Folie des Grandeurs〔誇大妄想〕)は、企画当初はこのルイ・ド・フィネスと、『大追跡』(原題Le Corniaud〔馬鹿者〕) や『大進撃』の迷コンビだったプールヴィルの再会として注目されたが、後者の死によってこの撮影計画は中止になった。フランスの女優シモーヌ・シニョレが、夫である俳優・歌手イヴ・モンタン(1921-1991) に新たなコンビの可能性を見いだし、モンタンを監督のジェラール・ウーリーに推薦した。 監督のジェラール・ウーリーによると、「私はプールヴィルにスナガレルの召使役を構想していた。モンタンにはスカバンのほうが適役だった」 「スナガレル」と「スカバン」はともに17世紀の劇作家モリエールが創り出した喜劇のキャラクターで、スナガレルは『スナガレル: 疑りぶかい亭主』(1661年初演) の主人公でパリの商人。スカバンは『スカバンの悪だくみ』(1671年初演) のレアンドルの従僕で、悪だくみの名人。恐るべきことに、フランス映画は実に奥が深い。すべてのキャラクターがモリエールの傑作喜劇を下敷きにしているのだ。 おもしろさの証といえる、タイトルに「大」が付いている。だから1974年1月の日本公開時、かすかな記憶だが、ルイ・ド・フィネスに笑わせてもらいたくて、観たと思う。実際に観たら、従者役イヴ・モンタンのほうが主役だった‼︎ たしかに、ミシェル・ポルナレフのフランス盤サウンドトラックを本作を観た10年後くらいに買ったが、イヴ・モンタンの名前が左に書いてあり、ルイ・ド・フィネスの名前は右だった。 映画はスペインの宮廷劇のようで、中学1年生の僕には少々退屈だったが、フランスのシンガーソングライター、ミシェル・ポルナレフによる音楽のシンセサイザーの音が胸に刺さり(何てメロウなんだ!)、ものすごく良かった。ポルナレフの父レイブ・ポルナレフもユダヤ系ウクライナ人の音楽家で(1923年フランスに移住) 、なんと、この映画の主演であるシャンソン歌手イヴ・モンタンに親子二代で楽曲を提供したことになる。 『大乱戦』は、中世スペインを舞台にした抱腹絶倒コメディである。強欲な大蔵大臣サリュスト(ルイ・ド・フィネス) は、その悪評ゆえに王妃から爵位も剥奪され追放される。彼は自分の従者(イヴ・モンタン) をイケメン伯爵に仕立てて、彼に王妃を誘惑させて、宮廷への復帰を図るが‥‥‥。 僕のかすかな記憶によると、ルイ・ド・フィネスがいつものように大げさなジェスチャーとパントマイムで笑わせてくれた。威張り屋の大臣ルイ・ド・フィネスに、従者イヴ・モンタンという顔ぶれのスラップスティック(ドタバタ) コメディだった。他の共演は、アルベルト・デ・メンドーサ、ガブリエル・ティンティ、カリン・シューベルト、アリス・サプリッチ、ポール・プレボワ、ドン・ハイメ・デ・モラなど。中世スペインが舞台で、ほとんどの登場人物が「えりまき」(正しくは、襞襟) をしている。 イヴ・モンタンといえば、ジョン・フランケンハイマー監督のカーレースアクション『グラン・プリ』(1966)や、コンスタンタン・コスタ=ガヴラス監督のサスペンス『Z』(1969) や同監督のサスペンス『告白』(1969) や、ジャン=ピエール・メルヴィル監督のフィルムノワール『仁義』(1970) や、クロード・ベリ監督のドラマ『愛と宿命の泉』(1986) に代表される「シリアスな顔」が有名だがそれはここにはなく(シブさがあり、アメリカのスティーヴ・マックィーン並にカッコいい)、彼はコメディ路線で大いに笑わせてくれた。たとえば風呂で鼻歌を歌いながら、タオルを左耳に入れ、右耳に通して、左右ゴシゴシするギャグは40年経っても忘れられない。 撮影監督は、ルイ・マル監督の『死刑台のエレベーター』(1958) 、フランソワ・トリュフォー監督の『大人は判ってくれない』(1959) 、クロード・シャブロル監督の『いとこ同士』(1959) 、ルネ・クレマン監督の『太陽がいっぱい』(1960) や『危険がいっぱい』(1964)、ルイ・マル監督の『ビバ!マリア』(1965) 、ジャン=ピエール・メルヴィル監督の『サムライ』(1967) の名手アンリ・ドカエだった。■ © 1971 Gaumont (France) / Coral Producciones (Espagne) / Mars Film Produzione (Italie) / Orion Film (Allemagne)
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PROGRAM/放送作品
ハリー・ポッターとアズカバンの囚人 特番
驚異のメガヒットシリーズの3作目をとことん楽しむための案内番組
13歳になったハリーを待ち受けるのは、かつてない危機と驚愕の真実。今まで見えなかったものが見え始め、わからなかったことがわかり始める第3章。その謎と魅力に迫るミニ番組。
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COLUMN/コラム2016.08.06
【未DVD化】タイトルに「大」が付くジェラール・ウーリー監督作はフレンンチ・コメディのなかでもとびきりの面白さの証し〜『大頭脳』〜
1969年8月9日日本公開なので、おそらく1961年生まれの僕は8歳だった。育った岩手県盛岡市には映画館が密集する映画館通りというのがあり、きっとそこのど真ん中にあった盛岡中劇で観たと思う。1968年4月日本公開の、フランクリン・J・シャフナー監督の『猿の惑星』はのちにテレビの洋画劇場で観たので、ラストに自由の女神像を初めて観たのも(『猿の惑星』のラストで驚愕させるのも自由の女神像だった)、この映画だったはずだ。いまでも鮮明に記憶している。 ともかく、デヴィッド・ニーヴン演じるブレインが、脳みそが詰まっていると見えて、事あるごとにカックンと首を傾けるのがおかしかった! ジェラール・ウーリー監督作品には、『大追跡』(1965) 『大進撃』(1966) 『大頭脳』(1969) 『大乱戦』(1971) 『大迷惑』(1987) と「大」が付くタイトルが多かったが、フランス映画のコメディのなかでもそれは、とびきりの面白さの証しだった。 脚本チーム、ジェラール・ウーリー監督と、『大追跡』『大進撃』のマルセル・ジュリアンと、『ラ・ブーム』(1980) のダニエル・トンプソンが紡いだ物語は、イギリスで実際に起こった大列車強盗事件を背景にした、軽いタッチのコメディ・サスペンス。NATOの軍資金、14か国の紙幣で1,200万ドルを、「悪党」と「野郎」と「奴ら」が三つ巴で同じ日、同じ時刻、同じ場所で狙うというものだった。 その「悪党」とはイギリスの紳士らしい列車強盗事件の首謀者で、その名も「ブレイン(頭脳)」というすこぶる付きの切れ者、イギリスのデヴィッド・ニーヴンが演じている。 その「野郎」とはかつてのブレインの共犯者で、相変わらずの汚い野郎ぶりで笑わせてくれる、美しい妹ソフィアと病的に溺愛するシシリーのマフィアのボス、スキャナピエコ。アメリカのイーライ・ウォラックが演じている。 その「奴ら」とはアナトールとアルトゥールのコンビ。アナトールは今はタクシー運転手だが、その秘密軍資金をいただこうと刑期満了の4日前にかつての相棒アルトゥールを脱獄させるのだ。フランスのジャン=ポール・ベルモンドとブールヴィル(『大追跡』『大進撃』といったウーリー監督作品常連のコメディアン) が演じている。 かくして大金は、パリからブリュッセルへ、ロンドンからシシリーを通ってニューヨークまで行ってしまう。大西洋上の豪華客船の船上に札束は舞い、三つ巴の戦いは引分けに終わる。ブレインは、敵ながら天晴れとばかりに、次の大仕事でアナトールとアルトゥールと手を組もうとする。で、ちゃんちゃんと終わる。 素晴らしいドタバタコメディだ。『八十日間世界一周』(1956) のデヴィッド・ニーヴンも、『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』(1966) のイーライ・ウォラックも最高だが、『リオの男』(1963) のジャン=ポール・ベルモンドと『大進撃』(1966) のブールヴィルのコンビがとぼけた味で、抱腹絶倒なのだ。 この英米仏の素晴らしい配役が、傑作のカギとなった。また、紅一点で活躍するスキャナピエコの妹ソフィアを演じるのはイタリア人女優シルヴィア・モンティ。黒いビキニ姿が艶かしい。その彼女がブレインに恋しちゃうので、面白いことに、マフィアのボスの嫉妬の炎は燃え盛る。彼女の存在そのものはもしかしたら、ハワード・ホークス監督作品『暗黒街の顔役』(1932) のトニー・カモンテ(ポール・ムニ) が溺愛した妹チェスカー(アン・ドヴォラーク) を狙ったのかもしれない。 そして面白いのは、冒頭にブレインが現金強奪の計画を仲間に説明するシークエンス。なんと、その説明にはカタカタ鳴る映写機を使うのだ。そこで上映されるのは計画の進行を表すアニメーション。軽快なコーラス(音楽がいい) 入りで流れるそのアニメのデヴィッド・ニーヴンは、走る列車の屋根をかっこよく駆け抜けたりする。ところが実際の本番ではアニメとは大違いで、ニーヴンときたら列車の屋根をよろよろと歩く始末。このギャップが大笑いだった。 音楽を担当したのはフランス人作曲家ジョルジュ・ドルリュー。『ピアニストを撃て』(1960) 『突然炎のごとく』(1962) 『柔らかい肌』(1963) 『恋のエチュード』(1971) 『私のように美しい娘』(1972) 『映画に愛をこめて アメリカの夜』(1973) 『逃げ去る恋』(1978) 『終電車』(1980) 『隣の女』(1981) 『日曜日が待ち遠しい』(1982) といったフランソワ・トリュフォー監督作品の音楽はどれも珠玉の名作で、とんでもなく好き。エンニオ・モリコーネを別格としてジョン・バリーらと並んで最も好きな映画音楽の作曲家のひとり。トリュフォー以外にも、ジャン=リュック・ゴダールの『軽蔑』(1963)、ケン・ラッセルの『恋する女たち』(1969)、ベルナルド・ベルトルッチの『暗殺の森』(1970)、フレッド・ジンネマンの『ジュリア』(1977)、ジョージ・ロイ・ヒルの『リトル・ロマンス』(1979)、オリヴァー・ストーンの『プラトーン』(1986) といった傑作揃いの音楽を手がけている。ジェラール・ウーリーの『大追跡』(1965) も手がけているが、フィリップ・ド・ブロカとも『リオの男』(1963) 『カトマンズの男』(1965) 『まぼろしの市街戦』(1967) 『ベルモンドの怪人二十面相』(1975) などを手がけており、フランスのコメディにはなくてはならない人だった。 この『大頭脳』は1970年半ばにはテレビの洋画劇場などでかかったものだった。DVD化を望みたい。■ © 1969 Gaumont (France) / Dino de Laurentiis Cinematografica (Italie)
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PROGRAM/放送作品
映画新時代へ!~3D最新映画情報~
今の3Dブームは何故訪れたのか?映像が立体で飛び出す仕組みとは?その魅力を徹底解剖する特別番組
脅威の3D映画『アバター』の大ヒットにより、ハリウッドをはじめ、映画界全体が続々と3D映画をリリースしている。この番組では、映画新時代の象徴である3Dの魅力を徹底解剖。今後公開される最新映画も紹介する。
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COLUMN/コラム2016.08.09
【ネタバレ】若き名探偵ホームズの冒険アクションがもたらした、三つの映画革命〜『ヤング・シャーロック/ピラミッドの謎』〜
いまシャーロック・ホームズといえば、舞台を現代に置き換え、ベネディクト・カンバーバッチがホームズを演じて人気を得た英国ドラマ『SHERLOCK(シャーロック)』(10~)を思い出す人が圧倒的に多いだろう。あるいは映画だと、名優イアン・マッケランが93歳の老ホームズに扮し、過去に解決できなかった難事件に挑む『Mr.ホームズ 名探偵最後の事件』(15)が記憶に新しい。他にも『アイアンマン』シリーズが好調のロバート・ダウニー・Jr.が、その追い風に乗ってワイルドな看板ヒーローになりきった『シャーロック・ホームズ』(09)と続編『シャーロック・ホームズシャドウ ゲーム』(11)も、観る者に強烈な印象を与えている。 これらの作品に共通するのは、原作者アーサー・コナン・ドイルが生んだホームズ像を忠実になぞるのではなく、稀代の名探偵をフレキシブルに捉え、そのキャラクターや設定を独自にアレンジしている点だ。 そんなホームズ作品の、いわゆる「新解釈モノ」の先鞭といえるのが、1985年公開の本作『ヤング・シャーロック/ピラミッドの謎』である。贋作でもパロディでもない、正伝に迫らんとする創意のもと、ドイルが手がけることのなかった「シャーロック・ホームズのティーン時代」を描いたのだ。 このオリジナルストーリーを執筆したのは、製作当時まだ26歳だったクリス・コロンバス。90年代、マコーレー・カルキン主演の留守番ドタバタコメディ『ホーム・アローン』(90)そして『ホーム・アローン2』(92)で大ヒットを飛ばし、2000年代には人気シリーズ『ハリー・ポッターと賢者の石』(01)と二作目の『ハリー・ポッターと秘密の部屋』(02)を手がけた、時代を象徴する監督だ。最近でも、天才ゲーム少年だった中年男が人類の存亡を賭け、8ビットエイリアンと戦う『ピクセル』(15)を演出し、健在ぶりを示している。 こうした諸作から明らかなように、コロンバスが得意とするのは、少年が日常から未知の冒険へと踏み出すジュブナイル・アクションだ。『ヤング・シャーロック』は、そんな彼の作風を顕著にあらわす、キャリア初期の脚本作である。 なにより製作のアンブリン・エンターテイメントにとって、コロンバスの作風は値千金に等しかった。同社は名匠スティーブン・スピルバーグが設立した製作会社で、スピルバーグは『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(81)によってアクション密度の高い作品スタイルを確立させ、多くの観客を劇場へと呼び寄せていた。 そのためアンブリンは、『レイダース』タイプの映画を自社の看板商品とするべく、傘下のクリエイターたちにアイディアを求めたのである。 ジョー・ダンテ監督のクリーチャーコメディ『グレムリン』(84)に脚本で参加し、アンブリンにいち早く貢献していたコロンバスは、先の要求に応えて二本のジュブナイル・アクション映画の脚本を完成させる。そのひとつが、海賊の財宝を探して少年たちが冒険を繰り広げる『グーニーズ』(85)で、もうひとつが『ヤング・シャーロック』だったのだ。 ところが、企画から撮影までが順調に進んだ『グーニーズ』とは対照的に、本作は脚本の執筆だけで9ヶ月もの期間を要している。理由はふたつあり、ひとつは『グレムリン』があまりにも悪趣味な内容だったために改稿を余儀なくされ、その作業とかぶってしまったこと。そしてもうひとつ、ホームズには「シャーロキアン」と呼ばれる熱狂的なマニアがおり、彼らの厳しい鑑識眼に堪えねばならなかったからだ。 古典的なヒーローを現代のアクション映画向きにアレンジしつつ、原作のイメージを損ねることは許されない……。コロンバスは右にも左にも偏ることのできない直立の状態で、新しいホームズ像を作らねばならなかったのである。 しかし、そんな困難に揉まれたおかげで『ヤング・シャーロック』は、大胆なアレンジの中にもオリジナルへの目配りが隅々にまで行き届いている。 例えば本作の、1870年という時代設定。これはシャーロキアンの研究に基づくホームズの誕生年(1854年生まれ)から、16歳を想定して割り出されたものだ。またホームズ役に大スターを起用せず、駆け出しの新人だったニコラス・ロウを抜擢したのも、「高身長」そして「ワシ鼻」という、ホームズの外見的特徴を重視したうえでのチョイスである。 さらにはホームズが得意とするフェンシングをアクションの大きな見せ場に用いたり、彼や盟友ワトスン(アラン・コックス)を苦しめる邪教集団ラメ・タップを、シリーズ短編「マスグレーヴ家の儀式」(『シャーロック・ホームズの思い出』に収録)をヒントに膨らませるなど、原作を巧みに活かした脚本づくりが展開されている。 他にもクールで女性に懐疑的なホームズの性格や、ロングコートやパイプの愛用など、誰もが知っている彼のキャラクター像に、本作では思わず膝を打つような由来が与えられている。加えて、鋭い分析能力がまだ精度100パーセントでないところなど「若さゆえの未完成」といった解釈が利いており、まさしく“ヤング・シャーロック”を体現している。 かくのごとき水も漏らさぬ徹底した作りによって、コロンバスは映画ファンのみならず、口うるさいシャーロキアンたちにも好感触を抱かせたのだ。 産業革命下のイギリスを舞台に、古代エジプト期からの呪術を受け継ぐ殺人教団の陰謀を、明晰な頭脳で阻止しようとする若き探偵ーー。知的好奇心をくすぐる、ヴィンテージ感覚と謎解きの興奮に満ちたこの冒険物語を、監督であるバリー・レヴィンソンが緻密な演出で視覚化している。 ヴォルチモアを舞台にした青春劇『ダイナー』(82)や、ロバート・レッドフォード主演の野球ファンタジー『ナチュラル』(84)で一躍注目を浴びたレヴィンソンだが、これほど手の込んだ大作を手がけるのは初めてだった。しかしそんな懸念をものともせず、ブルース・ブロートンの高揚感満載なテーマ曲に呼応した、胸のすくようなジュブナイル・アクションを世に送り出したのだ。 本作でレヴィンソンはスピルバーグの信用を勝ち得、スピルバーグは『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』(89)の撮影と重なって監督を降りた『レインマン』(88)を彼に委ねた。スピルバーグの見込みは、同作が米アカデミー作品賞、監督賞を含む5部門を制覇したことからも、間違いのないものだったといえよう。 ■映画史上初のデジタルCGキャラクター また本作は、ホームズのアレンジに成功したというソフト面だけではなく、ハードな側面からも大きな成果をもたらしている。それはハリウッドの劇場長編映画に、初めてフルデジタルのCGキャラクターを登場させたことだ。 そのキャラクターとは、毒矢を射られた司祭の幻覚に登場し、彼を死へと追いやるステンドグラスの騎士だ。 本作のスペシャルエフェクト・スーパーバイザーを担当した視覚効果スタジオ、ILM(インダストリアル・ライト&マジック)のデニス・ミューレンは、『スター・ウォーズ』(77)で成功を得たルーカスフィルムのコンピュータ・アニメーション部門に協力を求め、この幻想上の怪物を既存の特撮技術ではない、コンピュータ描画による新たな創造を試みたのである。 パペット操作やモデルアニメーションとは一線を画すこの手法、まずは騎士をかたどった立体模型から、デジタイザ(デジタル画像変換装置)を用いて形状をキーポイント入力し、フルカラーモデルを描き出すことのできるレンダリング・プログラム「レイズ」で、コンピュータ上に騎士の3Dイメージを作成する。そして俳優から得たライブアクション(本作では騎士の模型を作った技師が担当)を参考に、ロトスコープ技法で動作をつけるというものだ(使用したCGドローイングシステムはエバンス&サザーランド社の「ピクチャー・システム2」)。こうして生み出されたCGキャラクターを、フィルム上で実景と合成させるのである。 問題点としては、創り出した騎士の動きが、モデルアニメーションのようにカクカクすることだった。それを解決するために、モーションブラー(動きをスムーズに見せるためのブレ)のアルゴリズムを用いるなど、フォトリアルなCGキャラクター作りの基本が本作によって確立されている。 デジタルによる映画製作が主流となった現在、先述した技法の革新性や難しさは、もはや実感しにくいかもしれない。しかし30年前は画像処理ひとつをとっても、解像度や処理速度などのパフォーマンスが充分ではなく、コスト上の制約も厳しかったのだ。また完成したCGをフィルム内に取り込むのも、旧来はCRT(高解像度ブラウン管)に映し出された映像を再撮するやり方でおこなわれていたのだが、それではフィルム内合成のマッチングが図れず、画質の面でクオリティを保てない。 そこで同部門が開発した、レーザーで直接CGをフィルムネガに焼き込める画期的なシステムを用い、CGで作り出したイメージを違和感なく本編に取り込むことに成功したのだ。こうした経緯から、当時わずか6ショット、計30秒に満たないこのシーンを生み出すのに、6ヶ月という途方もない制作期間が費やされている。 だがその甲斐あって、ガラス窓から抜け出し、平面のまま意志を持ったように人を襲う、悪夢のようなキャラクターが見事に生み出されたのだ。そして本作を機にデニス・ミューレンは『アビス』(89)『ターミネーター2』(91)そして『ジュラシック・パーク』(93)など、ハリウッド映画の視覚効果にCGの革命をもたらし、VFXの第一人者として業界を牽引していく。 ちなみに、このデジタル騎士の誕生に協力したコンピュータ・アニメーション部門の名は「ピクサー・コンピュータ・アニメーション・グループ」。そしてデジタル騎士のパートをミューレンと共に手がけたのが、誰であろうジョン・ラセターである。そう、前者は本作から10年後の1995年、世界初のフル3DCG長編アニメ『トイ・ストーリー』を世に送り、今や世界の頂点に立つアニメーションスタジオ「ピクサー」の前身だ。そして後者は『トイ・ストーリー』を監督し、現在はピクサーとディズニースタジオのクリエイティブ・アドバイザーを務める、ハリウッドを代表するトップクリエイターである。 『ヤング・シャーロック』は、映画にデジタル・メイキングの礎を築き、その映像表現飛躍的な進化と無限の可能性をもたらしたのだ。 ■クレジット終了後のサプライズも…… 最後に『ヤング・シャーロック』は、「ポスト・クレジット・シーン」という、いわゆるエンドロール後のサプライズ演出を用いた作品としても知られている。今や『アベンジャーズ』(12)を筆頭とするマーベル・シネマティック・ユニバース映画などでおなじみのこのスタイルを、ハリウッド映画に定着させたのは本作なのだ。 ラメ・タップ教団の黒幕として暗躍し、ホームズとの対決に敗れて氷の河に沈んだレイス教授(アンソニー・ヒギンズ)。その彼がクレジット後に何食わぬ顔で姿を見せ、馬車で到着した、とあるホテルの受付で名を記帳する。 「モリアーティ」とーー。 邪力のなせるワザか、それとも天才的な悪の頭脳プレイかーー? 死んだはずの人物が生存し、あまつさえその男が、ホームズの終生のライバル、モリアーティ教授だったとは! 衝撃が二段仕込みの、じつに気の利いた演出である。 『スター・ウォーズ』以降、ハリウッド映画は視覚効果やポスト・プロダクションが大きく比重を占め、参加スタッフの増加と共にエンドロールが長くなる傾向にあった。そのため観客が本編終了直後、すぐに席を立ってしまうことが懸念され、こうした作案が客を帰らせないための一助となったのである。また、コロンバスの書いた脚本には、このポスト・クレジット・シーンは設定されておらず、続編への布石として追加されたものとも言われている。しかし残念ながら本作は大ヒットには至らなかったため、続編は現在においても果たされていない。 ちなみにこのサプライズ演出、筆者が初公開時にこれを観たとき、隣席の男性が傍らのカノジョに向かってこう言い放った。 「モリアーティって、誰?」 シャーロック・ホームズに関する基礎教養を欠いては、せっかくの映画革命も台無しである。こればかりはさすがにホームズの天才的な頭脳をもってしても、どうすることもできないだろう。■ ® & © 2016 Paramount Pictures. 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