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COLUMN/コラム2019.02.22
アニメと実写を融合させた愉快なブラックなファンタジー・コメディ!!
今回の映画は『モンキーボーン』、これはほとんど忘れられている映画ですけど、僕は今でも大傑作だと思っています。監督はヘンリー・セリック。この人はティム・バートンの『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』の監督として有名なストップモーション・アニメーターです。表情やポーズが違う人形を1コマずつ撮影していく大変なアートです。そのセリックが初めて手掛けた実写長編映画がこの『モンキーボーン』です。 主人公はブレンダン・フレイザー扮する漫画家。彼の作品『モンキーボーン』がT Vでアニメ化されるんですけど、彼自身は事故で昏睡状態になってしまいます。病院で眠っている彼の意識は自分の無意識下に堕ちて、生と死の間にある“ダークタウン”という街にたどり着きます。彼は自分が描いた漫画のキャラクター、モンキーボーンに出会います。するとモンキーボーンが主人公の体を乗っ取って、主人公の可愛い婚約者ブリジット・フォンダと結婚しようとします。で、主人公はなんとかダークタウンから脱出して、モンキーボーンの野望を阻止しようとする、というコメディです。面白そうでしょ? この映画でまずすごいのは、ダークタウンの世界観なんですよ。ヘンリー・セリックのものすごいイマジネーションが爆発してます。ダークタウンに住んでいるキャラクターは皆、神話上の人たちばかりです。ミノタウロスがいたりとか、サテュロスがいたりとか。ヒプノスという名前で夢の神様として出てくるんですけど、あれは明らかにサテュロス。パン神とも言われている神話上の存在ですね。一つ目のサイクロップスもいます。そういった神話上の者たちが、しかもピカソの絵のようなキュビズムで描かれているという、このへんがヘンリー・セリック独特の、なんだかわけがわからない悪夢のような世界になっていて、本当に素晴らしいんです。 それに心理学的なテーマが面白いですね。モンキーボーンというキャラは欲望むき出しのスケベ猿で、その名前はスラングでペニスのことなんです。主人公は婚約者に手も出さない大人しい男なんですが、彼の心の奥に抑圧した欲望をキャラにしたら漫画が人気になるんだけど、そのキャラに作者が乗っ取られてしまうので、作者自身も野生を発揮して戦わざるを得なくなるという、深い話です。映画の冒頭で主人公が漫画を描いているシーンのクロースアップの手はヘンリー・セリック自身の手なんです。だから、監督自身も主人公に反映されているわけです。 そしてクライマックスのチェイス。これが実に悪趣味で、今観てもめちゃくちゃ面白い。 あと、ダークタウンに猫娘がいて、最近はハーヴェイ・ワインスタインにレイプされたことを告白して話題になったローズ・マッゴーワンが演じてるんですが、これが古今東西のあらゆる猫娘のなかでダントツに可愛いのも注目です!『モンキーボーン』、ぜひご覧ください!■ (談/町山智浩) MORE★INFO. 当初はコミック・ブック「Dark Town」(ストーリー:カジャ・ブラックリー、イラスト:バネッサ・チョン)の映画化として始まったが、原作のダークなイメージに近い当初のキャスティングはステュ役にニコラス・ケイジ、デス役はクリストファー・ウォーケンが考えられていた。 映画ではジョン・タートゥーロが演じたモンキーボーンの声は当初ベン・スティラーの予定だったが、彼が『ミステリー・メン』(99年)への出演が決まって断念された。 監督によればタイトル・シークエンスは左手で書いたのだという。 © 2001 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2018.10.16
男たちのシネマ愛『スモール・タウン・イン・テキサス』
映画ライターなかざわひでゆき×ザ・シネマ飯森盛良の対談シリーズ「男たちのシネマ愛」が今、初の音声ファイルとなって帰ってきた!今回熱く語るのは、名物特集「激レア映画、買い付けてきました」として調達してきた2018年11月の3作品の2本目、ニューシネマ風味の効いた香ばしい70'sアクション、本邦初公開『スモール・タウン・イン・テキサス』!にしても何この展開!!?? 見れるのはザ・シネマのみ!!!
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COLUMN/コラム2018.10.10
男たちのシネマ愛『空飛ぶ戦闘艦』
映画ライターなかざわひでゆき×ザ・シネマ飯森盛良の対談シリーズ「男たちのシネマ愛」が今、初の音声ファイルとなって帰ってきた!今回熱く語るのは、名物特集「激レア映画、買い付けてきました」として調達してきた2018年11月の3作品。まずはブロンソン主演スチーム・パンクAIP映画『空飛ぶ戦闘艦』だ!! 未DVD/BD化、VHSとビデオディスクにしかなっていない(はずの)激レア映画。いま見れるのはザ・シネマのみ!!! ※23分頃に「幕府側」と言っているのは「明治新政府側」の大まちがいです。お詫びして訂正いたします。by 飯森
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COLUMN/コラム2017.12.09
12月8日(金)公開『オリエント急行殺人事件』!なんでもできる人・ケネス・ブラナーがこのクラシックにどう挑むか!?
原作者の曽孫も賞賛する、ブラナー版『オリエント急行殺人事件』の独自性 ひとつの難事件を解き終え、イスタンブールからイギリスに向かうべく、オリエント急行に乗り込んだ名探偵エルキュール・ポアロ(ケネス・ブラナー)。そこで出会ったアメリカ人の富豪、ラチェット(ジョニー・デップ)に身辺警護を頼まれるが、ポアロはあっさりと断ってしまう。だがその夜、雪崩のために脱線し、立ち往生を食らったオリエント急行の客室で、刺殺体となったラチェットが発見される……。「マルチキャスト」「オールスター」「アンサンブル共演」etcー。呼び名は多様だが、主役から端役に至るまで、登場人物すべてをスター級の俳優で固める映画というのは、ハリウッド・クラシックの優雅なスタイルだ。時代の趨勢によってその数は縮小されていったが、それでも夏休みや正月興行の花形としてときおり顔を出すのは、それが今もなお高い集客要素を包含しているからに相違ない。 そんなマルチキャスト方式の代表作ともいえる『オリエント急行殺人事件』は、ミステリー小説の女王として名高いアガサ・クリスティの原作のなかで、最も有名なものだろう。これまでに何度も映像化がなされ、とりわけシドニー・ルメット監督(『十二人の怒れる男』(57)『狼たちの午後』(75))による1974年のバージョンが、この偉大な古典の映画翻案として多くの人に「衝撃の結末」に触れる機会を与えてきた。 今回、ケネス・ブラナーが監督主演を務めた新生『オリエント急行殺人事件』は、そんなルメット版を踏まえ、徹底した豪華スターの共演がなされている。しかしどちらの作品も、マルチキャストは単に集客性を高めるだけのものではない。劇中におけるサプライズを成立させるための重大な要素であり、必要不可欠なものなのだ。ありがたいことにミステリー愛好家たちの努力と紳士協定によって、作品の命といえるオチに関しては「ルークの父親はダース・ヴェイダー」よりかろうじて秘密が保たれている。なので幸運にして本作の結末を知らない人は、この機会にぜひ「なぜ豪華キャストでないとオチが成立しないのか?」という驚きに触れてみるといい。 とはいえ、モノが徹頭徹尾同じであれば、長年愛されてきたアガサの原作にあたるか、最良の映画化であるルメット版を観れば事足りるだろう。しかし今回の『オリエント急行殺人事件』は、過去のものとは一線を画する価値を有している。 そのひとつとして、ブラナー監督が同時に稀代の名探偵である主人公ポアロを演じている点が挙げられるだろう。『愛と死の間で』(91)や『フランケンシュタイン』(94)など、氏が主役と監督を兼ねるケースは少なくない。しかしアガサ・クリスティ社(ACL)の会長兼CEOであるジェームズ・プリチャードによると、このアプローチに関し、今回は極めて強い正当性があるという。いわく、「ポアロという人物はこの物語の中で、登場人物全員を指揮している立場であり、ある意味で監督のような仕事をしている存在です」とーー。 かつてさまざまな名優たちが、ポアロというエキセントリックな名探偵を演じてきた。しかしこの『オリエント急行殺人事件』におけるブラナーのポアロは、プリチャードが指摘する「物語を指揮する立場」としての役割が色濃い。列車内での殺人事件という、限定された空間に置かれたポアロは、乗客たちのアリバイを事件と重ね合わせて検証し、理論づけて全体像を構成し、犯人像を浮かび上がらせていく。確かにこのプロセスは、あらゆる要素を統括し、想像を具象化する映画監督のそれと共通している。だからこそ、役者であると同時に監督としてのスキルを持つ、ブラナーの必要性がそこにはあるのだ。 さらにはブラナーの鋭意な取り組みによって、この『オリエント急行〜』は原作やルメット版を越境していく。完全犯罪のアリバイを解くだけにとどまらず「なぜ容疑者は殺人を犯さなければならなかったのか?」という加害者側の意識へと踏み込むことで、この映画を犯罪ミステリーという立ち位置から、人が人を断罪することへの是非を問うヒューマニティなドラマへと一歩先を行かせているのだ。シェイクスピア俳優としてイギリス演劇界にその名を馳せ、また監督として、人間存在の悲劇に迫るシェイクスピアの代表作『ヘンリー五世』(89)や『ハムレット』(96)を映画化した、ブラナーならではの作家性を反映したのが今回の『オリエント急行殺人事件』最大の特徴だ。ブラナーが関与することで得られた成果に対し、プリチャードは賞賛を惜しまない。 「ケネスは兼任監督として、ものすごいリサーチと時間と労力をこの作品に注いでくれました。映画からは、そんな膨大なエネルギー量が画面を通して伝わってきます。『オリエント急行殺人事件』はアガサの小説の中でも、もっとも映像化が困難な作品です。しかしケネスの才能あってこそ、今回はそれをやり遂げることができたといえるでしょう」 ブラナー版の美点は、先に挙げた要素だけにとどまらない。密室劇に重きを置いたルメット版とは異なり、冬場の風景や優雅な客車の移動ショットなど、視覚的な攻めにも独自性がみられるし、『ハムレット』で実践した65mmフィルムによる撮影を敢行し、マルチキャスト同様にクラシカルな大作映画の優雅さを追求してもいる。 『忠臣蔵』や『ロミオとジュリエット』のような古典演目が演出家次第で表情を変えるように、ケネス・ブラナーの存在を大きく誇示する今回の『オリエント急行殺人事件』。そうしたリメイクのあり方に対する、原作ファンや観客の受け止め方はさまざまだ。だが殺人サスペンスという形式を用い、人の愚かさや素晴らしさを趣向を凝らし描いてきた、そんなアガサ・クリスティのマインドは誰しもが感じるだろう。 古典を今の規格に適合させることだけが、リメイクの意義ではない。古典が持つ普遍的なテーマやメッセージを現代に伝えることも、リメイクの切要な役割なのである。■ © 2015 BY EMI FILM DISTRIBUTORS LTD. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2017.09.03
先史時代の人類にリアルに迫ったエポックメイキング『人類創世』〜09月14日(木) ほか
■立ち遅れていた「原始人もの」というジャンル 『人類創世』といえば2017年の現在、40歳代後半から上の世代にとって、かなり強い印象を与えられている作品かもしれない。「映画と出版とのミックスメディア展開」を武器に映画業界へと参入し、初の自社作品『犬神家の一族』(76)を大ヒットさせた角川書店が、その手法を活かして宣伝協力を図った洋画作品(配給は東映)だからだ。1981年の日本公開時には原作小説がカドカワノベルズ(新書)より刊行され、おそらく多くの者が、原作とセットで映画を記憶していると思う。 とりわけ文学ファンには、この原作の出版は歓喜をもって迎えられたことだろう。著者のJ・H・ロニー兄(1856〜1940)はベルギー出身のフランス人作家で、ジュール・ヴェルヌと並び「フランス空想科学小説の先駆者」ともいうべき重要人物だ。映画『人類創世』の原作である「火の戦争 “La Guerre du Feu”」は、そんな氏が1910年に発表した、先史時代の人類を科学的に考察した小説として知られている。物語の舞台は80,000年前、ネアンデルタール人の種族であるウラム族が、ある日、大事に守ってきた火を絶やしてしまう。彼らは自分自身で火を起こす方法を知らなかったため、ウラムの長は部族の若者3人を、火を取り戻す旅へと向かわせるーー。 物語はそんな3人が大陸を放浪し、恐ろしい猛獣や食人部族との遭遇といった困難を経て、やがて目的を果たすまでを克明に描いていく。日本では16年後の1926年(大正15年)に『十萬年前』という邦題で翻訳が出版されたが(佐々木孝丸 訳/資文堂 刊)、そんな歴史的な古典が、映画の連動企画とはいえ55年ぶりに新訳されたのである。 このように年季の入った著書だけに、じつは『人類創世』が「火の戦争」の初の映画化ではない。最初のバージョンは原作が発表されてから5年後の1915年、フランスの映画会社であるスカグルと、プロデューサー兼俳優のジョルジュ・デノーラによって製作されている(モノクロ/サイレント)。スカグル社は当時、文芸映画の成功によって意欲的に原作付き映画を量産していた時期で、そのうちの一本としてロニーの「火の戦争」があったのだ。ちなみに、このベル・エポック時代のサイレント版は以下のバーチャルミージアムサイト「都市環境歴史博物館」で抜粋場面を見ることができるので、文を展開させる都合上、まずはご覧になっていただきたい。 http://www.mheu.org/fr/feu/guerre-feu.htm この映像を見る限り、先ほどまで力説してきた「科学性の高い原作」からはかけ離れていると感じるかもしれない。このモノクロ版に登場するウラム族は、原始人コントのような獣の皮を着込み、戯画化された古代人のイメージを誇示している。映画表現の未熟だった当時からすれば精一杯の描写かもしれないが、それでもどこかステレオタイプすぎて、どこか滑稽に映ってしまうのは否めない。 ■二度目の映画化はミニマルに、そしてリアルに ーー監督ジャン・ジャック・アノーのこだわり この「火の戦争」を例に挙げるまでもなく、こういった文明以前の描写というのは、過去あまり真剣に取り組まれることがなかった。例外的に『2001年宇宙の旅』(68)が「人類の夜明け」という導入部のチャプターにおいて有史以前の祖先を迫真的に描いていたものの、基本的にはアニメの『原始家族フリントストーン』や『恐竜100万年』(66)、あるいは『おかしなおかしな石器人』(81)のように、いささかコミカルで陳腐な原始人像が充てがわれてきたのだ。 『人類創世』は、そんな状況を打ち破り、先史時代の人類の描写を一新させた、同ジャンルのエポックメイキングなのである。 監督は後に『薔薇の名前』(86)『セブン・イヤーズ・イン・チベット』(97)で著名となるジャン=ジャック・アノー。彼は本作を出資者に売り込むさいのプレゼンで「この映画は『2001年宇宙の旅』における「人類の夜明け」の続きのようなものだ」と説き、「火の戦争」再映画化へのステップを踏んでいる。『2001年〜』を例に出さないと理解を得られない、それほどまでに前例の乏しいジャンルへの挑戦だったのだ。 さらにアノーは作品のリアリティを極めるため、原作にあった登場人物どうしの現代的な会話をオミットし、初歩的でシンプルな言語を本作に導入。それらをジェスチャーで表現するボディランゲージにすることで、あたかも文明以前の人類の会話に間近で接しているような、そんな視覚的な説得力を作品にもたらしている。 そのために専門スタッフとして本作に招かれたのが、映画『時計じかけのオレンジ』(71)の原作者で知られる作家のアンソニー・バージェスと、イギリスの動物学者デズモンド・モリスである。バージェスは先の『時計じかけ〜』において独自のスラング「ナッドサット語」を構築した手腕を発揮し、またモリスは動物行動学に基づき、ウラム族の言語と、彼らが敵対するワカブー族の言語を、この作品のために開発したのだ。 映画はこうした著名な作家や言語学者のサポートによる、アカデミックな下支えを施すことで、80,000年前の先祖たちの様子を、まるで過去に遡って見てきたかのように描き出している。 また、ウラム族をはじめとするネアンデルタール人の容姿にも細心の注意が払われ、極めて精度の高い特殊メイクが本作で用いられている。特に画期的だったのはフォームラテックスの使用で、ラバーしか使えず全身体毛に覆われた表現しかできなかった『2001年宇宙の旅』と違い、体毛を細かく配置できる特殊メイク用の新素材が導入された(本作は第55回米アカデミー賞のメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞)。他にも広大な原始の世界を活写すべく、スコットランド、ケニア、カナダなどにロケ撮影を求めるなど、古代人の放浪の旅にふさわしい、悠然たるビジュアルを提供している。 こうしたアプローチが功を奏し、本作は言語を必要としない、映像から意味を導き出すミニマルな作劇によって、人類が学びや経験によって進化を得るパワフルなストーリーを描くことに成功したのだ。 ■公開後の余波、そしてロン・パールマンはこう語った。 しかし、そのミニマルな作りが、逆に内容への理解を妨げるのではないかと危惧された。そこで日本での公開時には、地球の誕生から人類が現代文明を築くまでを解説した、短編教育映画のようなアニメーションが独自につけられた(どのようなものだったかは、当時の劇場用パンフレットに画ごと掲載されている)。こうしたローカライズは今の感覚では考えられないが、そのため我が国では、この『人類創世』を本格的なサイエンス・ドキュメンタリーとして真剣に受け止めていた観客もいたようだ。 しかし、原作が書かれた時代から1世紀以上が経過し、再映画化がなされてから既に36年を経た現在。いまの先史時代研究の観点からは、不正確と思われる描写も散見される。同時代における火の重要性、存在しない種族や使用器具etcーー。もはやこのリアリティを標榜した『人類創世』でさえ、偏見に満ちた、ステレオタイプな先史時代のイメージを与えるという意見もある。 ただそれでも、この作品の価値は揺るぎない。描写の立ち遅れていたジャンルに変革を与えるべく、意欲的な作り手が深々と対象に切り込んだことで、この映画は他の追随を許さぬ孤高の存在となったのだ。 『人類創世』以後、監督のアノーは動物を相手とする撮影のノウハウや、自然を舞台とした演出のスキルを得たことから、野生の熊の生態をとらえた『子熊物語』(88)や、同じく野生の虎の兄弟たちを主役にした『トゥー・ブラザーズ』(04)などを手がけ、そのジャンルのトップクリエイターとなった。また俳優に関しても、例えばイバカ族のアイカを演じたレイ・ドーン・チョンは本作の後、スティーブン・スピルバーグの『カラーパープル』(85)や、今も絶大な人気を誇るアーノルド・シュワルツェネッガー主演のカルトアクション『コマンドー』(85)に出演するなど、80年代には著しい活躍を果たしている。 そしてなにより、ウラム族のアムーカを演じたロン・パールマンは『ロスト・チルドレン』(95)『エイリアン4』(97)といったジャン=ピエール・ジュネ監督の作品や『ヘルボーイ』(04)『パシフィック・リム』(13)などギレルモ・デル トロ監督作品の常連として顔を出し、今も名バイプレイヤーとして幅広く活躍している。筆者は『ヘルボーイ』の公開時、来日したパールマンにインタビューをする機会に恵まれたが、そのときに彼が放った言葉をもって結びとしよう。 「(ヘルボーイの)全身メイクが大変じゃないかって? キャリアの最初にオレが出た『人類創世』のときから、特殊メイクには泣かされっぱなしだよ(笑)」■ ©1981 Belstar / Stephan Films / Films A2 / Cine Trail (logo EUROPACORP)
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COLUMN/コラム2017.04.09
Mr.ズーキーパーの婚活動物園
「動物園の飼育員となんて結婚できないわ!」恋人ステファニーにプロポーズをするも、そんな捨てゼリフでフラれたグリフィン。それから5年。仕事に打ち込んだ彼は飼育係のリーダーになっていたものの、心は打ち砕かれたままだった。そんなある日、グリフィンは兄の結婚披露宴会場として動物園を貸し出したのだが、そこに彼女がゲストとして招かれているではないか!「一緒にカー・ディーラーをやろうぜ。そうすれば彼女を取り戻せるぞ」いまだにステファニーを諦めきれないグリフィンは、そんな兄の誘いに乗って、本気で退職を考えるようになってしまう。 困ったのは動物たちだ。「あんな最高の飼育員を辞めさせるわけにはいかない。彼の仕事を辞めさせずに婚活を成功させようぜ!」 動物界のルールを破って人間語で話しかけて来た動物たちから、ワイルドな恋のアドバイスを伝授されたグリフィンはステファニーへの再アタックに挑戦するのだが……。 動物が人間の言葉を話す映画は星の数ほどあるけれど、大抵アニメっぽいキャラ。それを打ち砕いたのが、エディ・マーフィ主演の『ドクター・ドリトル』シリーズ(98〜01年)だった。同作は、当時最先端のCGを駆使して、リアルな動物が人間の言葉を喋るのを違和感なく見せて大ヒットを記録したのである。 2011年に公開された『Mr.ズーキーパーの婚活動物園』は、この手法をさらに進化させて約1億7000万ドルもの興行収益を叩き出したメガヒット・コメディだ。ディズニー製作の大ヒット作『ジャングル・ブック』(16年)は間違いなく本作の延長線上にある。 ここで『ジャングル・ブック』を連想するのは、同作の監督で俳優でもあるジョン・ファヴローが、本作でクマの声優を務めているからだ。ファヴローがあの傑作を演出できたのも、本作で色々とノウハウを得たからではないだろうか。 そのひとつが声優選び。『ジャングル・ブック』ではビル・マーレイやイドリス・エルバ、スカーレット・ヨハンソン、クリストファー・ウォーケンといった人気俳優が、声色にぴったり合う動物の声優を務めていたけど、『Mr.ズーキーパーの婚活動物園』はそれを先駆けたかのようなキャスティングが行なわれているのだ。そのメンツをざっと挙げてみよう。 まず『サウス・キャロライナ/愛と追憶の彼方』(91年)でゴールデングローブ賞を受賞したシリアスな俳優でありながら『48時間』(82年)では前述のエディ・マーフィと共演し、ファヴローともアニメ『森のリトル・ギャング』(06年)で動物声優として共演していたニック・ノルティがストーリーの鍵を握るゴリラ役。 アクション・ムービー界の伝説シルヴェスター・スタローンと、シンガーであり『月の輝く夜に』(87年)でアカデミー主演女優賞を獲得しているシェールという濃厚なコンビはライオンの夫婦を演じている。 『サタデー・ナイト・ライブ』出身のコメディエンヌでポール・トーマス・アンダーソンのパートナーでもあるマーヤ・ルドルフがキリン、『40歳の童貞男』(05年)や『エイミー、エイミー、エイミー! こじらせシングルライフの抜け出し方』(15年)を監督する傍ら、セス・ローゲンやジェイソン・シーゲルといった若手コメディ・スターの育ての親として知られるジャド・アパトーがゾウ、そしコメディ・レジェンド、アダム・サンドラーがサル(演じているクリスタルは、前述の『ドクター・ドリトル』をはじめ、『ナイト・ミュージアムシリーズ(06〜14年)や『ハングオーバー!! 史上最悪の二日酔い、国境を越える』(11年)『幸せへのキセキ』(11年)にも出演している名優サル!』の声を担当している。 通常、主演映画にしか出演しないサンドラーがこんな地味なポジションを務めているのは珍しい。実はこれにはワケがある。本作のプロデューサーはサンドラーで、製作会社は彼が主宰するハッピー・マジソンなのだ。そしてこれほどゴージャスな声優陣を招いてまでサンドラーがバックアップしようとした才能こそが、本作の主演俳優ケヴィン・ジェームズなのである。 ケヴィンはサンドラーと同じニューヨーク出身で、彼よりひとつ上の65年生まれ。スタンダップ・コメディアンとして活動し始め、兄貴分のレイ・ロマーノが主演したシットコム、『HEY!レイモンド』(96〜05年)への出演をきっかけに、やはりシットコム『The King of Queens』(98〜07年)の主演に抜擢。下町クイーンズで宅配業者として働く中年男役でブレイクした男だ。 本格的な映画出演は、ウィル・スミスが非モテ男に恋愛術を指南する<デートドクター>に扮したロマンティック・コメディ『最後の恋のはじめ方』(05年)から。この作品でケヴィンは、スミスの顧客となる究極の非モテ男アルバートに扮して、笑いを根こそぎかっさらうパフォーマンスを披露。スミス目当てに映画館を訪れた観客にも「あの面白いデブ、誰?」と評判を呼び、大ヒットに貢献したのだった。 その勢いで出演したのが、旧知のアダム・サンドラーとのダブル主演作『チャックとラリー おかしな偽装結婚!?』(07年)だった。ここでケヴィンは、子どもに残す年金問題に悩むあまり、サンドラー扮する結婚願望ゼロのプレイボーイと偽装同性婚をする男ヤモメの消防士を好演。すでにスーパースターだったサンドラーに負けない存在感を示した。そしてサンドラーのプロデュースのもと、遂に『モール★コップ』(09年)で単独主演を実現したのだった。 警官採用試験に挑戦しては失敗を続けているドジなショッピングモールの警備員が、モールを占拠した強盗団相手に丸腰で立ち向かうこのアクション・コメディは、ケヴィンのメタボなボディを駆使したギャグに笑わされながら、『ダイ・ハード』の流れを汲むマッチョ系アクション映画としても見れるという二刀流でメガヒットを記録した。 そしてサンドラー、クリス・ロック、デヴィッド・スペード、ロブ・シュナイダーら人気コメディ俳優が集結した同窓会コメディ『アダルトボーイズ青春白書』(10年)を経て公開されたのが本作『Mr.ズーキーパーの婚活動物園』だったというわけだ。 その後もケヴィンは、総合格闘技に挑戦する教師に扮したアクション・コメディ『闘魂先生 Mr.ネバーギブアップ』(12年)やそれぞれシリーズの続編となる『アダルトボーイズ遊遊白書』(13年)と『モール・コップ ラスベガスも俺が守る!』(15年)、そしてサンドラー主演のSFXコメディ『ピクセル』(15年、何と米国大統領役!)といったヒット作に立て続けに出演。一方で16年からテレビに逆上陸し、製作も兼ねたシットコム『Kevin Can Wait』に主演して人気を博している。つまりケヴィンはかれこれ20年以上もコメディ界の第一線に立ち続けていることになる。 同世代でこれだけコンスタントに長期間活躍しているコメディ・スターは前述のサンドラーやベン・スティラーくらいだろう。ふたりに比べると日本では知名度がだいぶ下がるけど、これはもはやコメディ・レジェンドとして扱っていいレベル。見かけはどこにでもいそうなデブだけど、実は頭が切れるスマート・ガイ、それがケヴィン・ジェームズなのだ。 そんな彼のパーソナリティに動物たちのチャームも加味された『Mr.ズーキーパーの婚活動物園』はケヴィン初心者にとって入門編にふさわしい作品だと思う。ヒロインのロザリオ・ドーソンとのコンビネーションの良さも心に残る仕上がりだ。 ZOOKEEPER, THE © 2010 ZOOKEEPER PRODUCTIONS, LLC. All Rights Reserved
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NEWS/ニュース2017.01.27
世界中が待ち望んだ!『チェイサー』『哀しき獣』のナ・ホンジン監督、最新作。3月11日(土)公開『哭声/コクソン』の日本最速!ティーチイン付きプレミア上映会レポート!!
5年3ヶ月ぶりの来日となるナ・ホンジン監督と、日本を代表する俳優であり、本作では「よそ者」という謎の男で作品を引っ張る國村隼さんのQ&Aのコーナーを(ほぼ)全文レポートさせて頂きます! ※ネタバレを含む部分があります!該当部分には警告がございますので 注意の上ご一読頂ければ幸いです!! ザ・シネマでは3月、ナ・ホンジン監督の過去作『哀しき獣』と『哭声/コクソン』でもその演技で深い印象を残す、韓国映画界の大スター、ファン・ジョンミンが人気を不動のものにした『新しき世界』を特集放送。『哭声/コクソン』公開連動特集もお見逃しなく! 司会:では、ナ・ホンジン監督、5年3か月ぶりの来日となります。國村さんもいらっしゃっています。さっそくお呼びしようと思います。『哭声/コクソン』から、國村隼さん、そしてナ・ホンジン監督です。拍手でお迎えください。 ではまず、お二人にご挨拶を頂戴したいと思います。まず國村さんからお願いします。 國村隼(以下、國村):こんばんは。今日は本当にありがとうございます。映画をご覧になった後のお客さんの前に出てくると、ほんとにちょっとドキドキしますが、ちょっとホッとしました(笑)。この日本で、一番最初にこの『哭声/コクソン』をご覧になって下さった皆さんです。本当にもう嬉しくて、嬉しくて、皆さんお一人お一人をハグしたい気がします。今日は本当にありがとうございます! ナ・ホンジン監督(以下、監督):こんばんは、ナ・ホンジンです。お会いできて嬉しいです。足を運んで頂き誠にありがとうございます。映画の上映時間が結構長かったと思うのですが、お待ち頂き本当にありがとうございます。トイレとかは大丈夫でしょうか(笑)? シナリオから6年くらいをかけて作った映画なのですが、皆さんにお見せできるこの時間を迎える事ができて、本当に嬉しく思います。この後のQ&Aの時間もベストを尽くして挑みますので、よろしくお願い致します。 司会:ありがとうございます。では、お二人には(椅子に)おかけ頂いてお答えいただこうと思います。今日は立ち見のお客様もいらっしゃいます。ではさっそくいきましょうか。すでにリドリー・スコット監督の製作会社からリメイクのオファーが入ったとの事ですが、韓国サイドの代表の方が「この題材を撮れるのはナ・ホンジン以外いない」と明言されたとお聞きしました。もし、監督にハリウッドからリメイクのオファーが来たら、もう一度本作を撮ろうと思われますか?その場合、また國村さんを起用されますでしょうか?また、國村さんはハリウッドからリメイクのオファーがもし入ったらどうされますか? 監督:スコット・フリー(スコット・フリー・プロダクションズ※リドリー・スコットの製作会社)から連絡があったという事は聞きました。でも、対応の方が「演出できるのはナ・ホンジンしかいない」と冗談半分で言ったのだと思います。でも自分に要請が来たとしても、リメイク版を演出するつもりはありません。でも隼さんはこの映画に重要な方なので、必ず必要になると思います。ですのでオススメしたいと思います(笑)。 國村:あの…。オススメされてもやはり、ナ・ホンジンがメガホンを取らないのであれば、私もやることは多分ないんじゃないかと思います(笑)。 監督:では両方ともしないということにします(笑)。 司会:ここでやんわりお断わりが入りましたね(笑)。これまでのナ・ホンジン監督の過去作『チェイサー』や『哀しき獣』は、どちらかというと社会派サスペンスの様な作品だったと思いますが、本作はどちらかというと、ちょっと表現しにくいのですが「オカルト」の様な印象です。どちら(の作風)が監督が嗜好されていた作品、作りたいと思うものだったのでしょうか?教えて頂きたいと思います。監督:この『哭声/コクソン』という映画は、前2作を撮った後に、もう少し自分らしく、自由に、やりたい様に作りたいという意欲が昂ぶった時に作った作品なので、自分のスタイルのままに作った、ありのままに作った、よりやりたいものに近い作品だと思います。 司会:今回、監督が國村さんを起用された理由は何でしょうか?日本では非常にベテランの俳優さんで、悪役から非常に良い方の役まで演じてらっしゃいますが、一番の決め手は何だったのでしょうか?それと國村さんは、ナ・ホンジン監督の現場で一番印象に残っている事はなんでしょうか? 監督:シナリオが出来上がった時に、日本人の俳優が必要だということになり、國村さんと同年代の俳優さんを沢山調べました。既に國村さんという存在を存じ上げておりましたし、ずっと尊敬し続けていた俳優さんであったのですが、(探す過程で國村さんの)全作品を集中して見続けているうちに、ある特徴に気づきました。それはカットごとに自分の演技だけで既に編集され尽くされている様な演技をされるなぁという事でした。カットの中で、自由に演技をされているところが、とても素晴らしいと思ったのです。 で、この『哭声/コクソン』の中で、(國村さん演じる)「よそ者」という役は、お客さんに「この人物ってどういう存在なんだ?」という疑問を投げかける、とても重要な存在なんですね。その役をやり遂げるのはやはり隼さんしかいない、國村さんしかいないという確信を持って、日本に来てオファーをさせて頂きました。 國村:最初にオファーを頂いて、彼の前作『チェイサー』と『哀しき獣』そしてもちろん(本作の)脚本を読ませて頂き、もうその段階で「このナ・ホンジンという人はとんでもない才能だな」と実感していました。いざ、現場に入り一緒に撮影をしていく中で、最初に思っていた以上に「この人はもう才能のカタマリがそのまま人の形をしている様な人だな」と感じました。 というのは、現場でテイクを撮っていくんですが、この人はなかなか終わらないんです。1つテイクをとり終わった後、最初の基本のビジョンから新たにどんどんイメージが湧いていくタイプの方で、その自分の中で膨らむイメージを、「もっともっと」と、テイクを重ねる、という様な事がありました。 ただ、むやみやたらに重ねるのではないんです。自分の中のイメージの膨らみ、その膨らみこそがすごい才能だと思います。それを現場で目の当たりにして、やっぱり想像以上にすごい人だと、そういう風に思いました。 昨年、ソウルで『哭声/コクソン』を観させて頂きました。朝一で観たんですが、その日一日ブルーな気持ちになってしまいました(笑)。方言が難しくてあまり理解ができていなかったのですが、今日改めて拝見してさらにブルーになりました(笑) 司会:私は、ファン・ジョンミンさんのファンなのですが、國村さんは、現場でどの様なお話しをされましたでしょうか?何かエピソードがあれば教えて頂きたいです。 國村:ファンさんとは、画面の上でやり合ったりする事はなかったので、撮影の現場を一緒に過ごした事はあまりないのですが、その少ない中でも、彼はやっぱり、韓国の役者さんってみんなそうなんですが、映画の世界に来るまでにものすごく色々なスキルを重ねてらっしゃる。彼もまた、学生時代に演劇というものを始めて、それからこの世界に入り、映画の世界に行くまで様々な経験を重ねてらっしゃった様です。だから当然のごとく、経済的にもとても苦労した、という様な話しを、「ああ、なんかその辺は日本の役者の事情と非常に似ていて面白いな。一緒なんだな。」と思って。もちろんファンでいらっしゃるので、ご存知だと思いますが、韓国の大スターでらっしゃいます。けれども全然驕るところのない方で、本当に色々なキャラクターを演じられます。今回の役も明らかですが、どこかにファンさん自身の、物事に対する真摯な人柄みたいなものがちょこっ、ちょこっと出てくる。そのまんまの人です。あの人は。はい。 司会:ナ・ホンジン監督は、キャスティングに関して何か基準があれば教えて頂きたいと思います。 監督:一番その役にふさわしい(正しい)という役者さんを選びます。(出演する)それぞれの俳優さん達のバランスというのも一番注意する部分の1つです。それぐらいが自分の原則と言えるところです。 先ほどのファン・ジョンミンさんのエピソードに関して補足を入れさせて頂きますが、國村さんとファン・ジョンミンさんが映画の中で実際会うシーンは「ない」と言っても過言ではありません。もともとワンシーンだけ二人が会うシーンがあったのですが、それすら自分が編集の過程でカットしたので、映画の中で二人が会うシーンは無かったと思います。 司会:キム・ヨンソク(『チェイサー』主演)さんが、「甲板の上から飛び込みさせられたが、そのシーンがあまり映っていなかった」という様な事をおっしゃっていましたが、監督は國村さんの事をソンセンニム(先生)とお呼びになるほど尊敬されていらっしゃる様です。目上の方に結構無理な事をお願いするのは大変じゃなかったのかな?と思いました(笑)。韓国では年上の方に敬意を払われるので、裸にしてしまったり、結構いろんな事を、國村さんにさせてらっしゃるので(笑)。國村さんもそういう大変なシーンについては、どの様に思われているか教えて下さい(笑)。 監督:本当に申し訳なかったと思っております(笑)。ただ、シナリオがそういう風に出来上がっていたので、自分としてもどうしようもなかった、というほかありません。大変な思いをされるシーンが多かったことについては、撮影以外のところでなんとかケアをする為に、最善を尽くしたつもりであります。自分なりに頑張りました(笑)。今でも申し訳なかったと思っています。もしこの映画が日本で良い成績を残せなかったら、自分自身になんと言ったらよいかわかりませんが、良い結果を残せたらいいなと思っております。撮影を通して、沢山の事を、國村さんから学び、驚き、感嘆する事が多くありました。またそういった撮影の過程を通して、さらに尊敬し、大好きになりました。謝罪と感謝の気持ちをこの場でまた、述べさせて頂きたいと思います。 國村:なんか気恥ずかしいですね(笑)。 私もまさに監督が今おっしゃった様に、台本の中でもう、「こういう事をしなければいけない」という事が予め分かっていたので、それを理解した上でオファーを受けました。ただ一番引っかかったのは、「あれ?俺、ひょとして、このカメラの前ですっぽんぽんになることなんて出来るのかな?」という事でしたが、「この『哭声/コクソン』という作品の世界観はすごいな、そして、この男の役を僕以外の人がやっているのを見たくないな」、という気持ちが正直なところで、「観客の皆さんのご迷惑になる様なものを晒す事になっても、やってみよう」と思った次第です。ですから、監督に「ひどいことをさせられてる!」という意識は全くありませんでした。あくまで自覚的にその世界に自分から飛び込んだということです。 司会:韓国で賞もとられて、テレビで観ていてとても嬉しかったです!これからもご活躍をお祈りしております! 國村:ありがとうございます。 <場内拍手> 司会:ちなみに個人的にお聞きしたいのですが、ふんどし…姿じゃないですか? 國村:あ、言い忘れました!最初の脚本はすっぽんぽんだったんです! 司会:発案は國村さんからされたんですか? 國村:いえいえ。やっぱり韓国にも映倫に相当する様な組織があるらしく、やっぱりそらーまずかろうという(笑)それで「日本でいったらなんだ?」という事で、「そらふんどしだろう」と。劇中で、あるおじさんが「おむつ」って言ってますけど、多分見まがうという事もあったんでしょうね(笑) 司会:それじゃあ、日本で言ったら「ふんどし」だろうということで、あのセリフも付け加えられたんでしょうね。 司会:素晴らしい映画を有難うございました。監督に質問なんですが、この映画は観る側の想像に委ねる部分が沢山あると思います。監督の中で、國村さんが演じられた役については、細かい設定等は考えてあるのでしょうか?また、國村さんに質問なのですが、今回の役について、國村さんなりの解釈や背景は設定されて役作りをされたのでしょうか? 監督:映画を通して(國村さん演じる)「よそ者」はずっと観客に質問を投げかけ続ける立場にあります。これは映画そのものが観客に質問を投げかけるという設定なんですが、映画を観終えた方にもまだなお「「よそ者」をどう思いますか?」とずっと質問を投げかけ続ける映画であります。この「よそ者」というキャラクターはとても重要なのですが、その理由として、劇中の他の登場人物たちの「よそ者」に対する考えがどんどんどんどん変わってくるんです。「よそ者」に対するイメージが固まらない。まとまらないものが、まとまりつつある映画なんですが、その解釈が一人一人違うんですね。だから、「たった一つの解釈で定義するものではない」というのがこの映画の特徴であります。なので、自分自身もキャラクターを一言で定義することはできません。観客の皆さんがどんな解釈をしていようが、全ての解釈が合っていると、自分は思っています。この映画は観客の皆さんが自分で整理して完成させる。そういう映画であることを期待しております。 國村:「その男」をやるにあたって私が考えた事を申し上げます。良く言われる「役作り」という様なアプローチは機能しない、もっと言えばご覧になってわかる様に、 ※※ここからネタバレを含みますので、本編をご覧になる前の方は絶対にお読みにならないで下さい!!※※ あれは実在するものでないかもしれない。つまり、人でもなければ、何かのエネルギー体なのか、本当に存在するのか?確かな事は、「この男を見た」という奴の「噂」の中に、あの男がいるということです。最後、イサムという牧師の若者が、自分が見ている目の前の存在に、「お前はどう思う?」と逆に聞かれた時に、「お前は悪魔だ」と言った途端、すっとそこに悪魔として現れる。存在しているのかどうかもわからない、そういうイメージなんですね。ですから、その存在自体が本当に有るのかどうかも分からないものを、どう作ろう、なんてことは全く無理な話しであって、無理やり1つ何かを言葉を与え、自分の実感を伴ったイメージを与えようとした時に、このお話しの中で、あのキャラクターの「存在意義」というか「役割」というのは一体なんだろう?と。そこからアプローチした方がいいかなと思いました。 例えばですが、コクソンという片田舎の小さな町のコミュニティを池に例えて、そこにぽんっと放り込まれた、異物としての石ころ。その石ころが、ぽんっと池に投げ込まれる事によって起こる波紋。みたいなものだと。つまり無理やりに「(その男とは)なんだ?」と言われると、「池に投げ込まれる石」かもしれない。そんな事を注意しました。 司会:最後までドキドキする映画で、でもその中に笑いの要素もあり、そこが救いで良かったです。キャスティングも皆さん素晴らしかったですが、監督と國村さんから見た、現場でのチョン・ウヒさんの印象をお聞かせください。 國村:彼女も若いですが、舞台からの経験を積んで、素養をきっちりと身に付け、女優さんとして本当にクオリティが高いなと思いました。何より彼女は例えば「ムミョン」というキャラクターを自分がどういう風に捉えているかも含め、それをきちんと言葉にして喋る事ができる。やっぱり若いけどクオリティの高い女優さんである、というのが僕の印象です。 監督:たくさんの女優さんがオーディションを受けた中で、チョン・ウヒさんを選んだ理由というのは、彼女が最適な女優さんだからです。外部から見えるものではなく、その方が持つ『技』という面で、ものすごい力を感じました。私はこの役には「見せる力」があってほしいな、と思っていました。その理由としましては、2時間半の上映時間の中、全ての登場人物のバックグラウンドにあるものは「コクソン」という地名なんですが、その「コクソン」という地域の中に存在する、「神」というものを直接描写することはしなかったんです。しかし、観客に、無意識的に「神」という存在を感じさせる様な描写をしたかった。「神」を描写する手段としては、BGMや後ろの背景、時間や天気の変化を通して、観客にも届くのではないかと思っていました。チョン・ウヒさんを通して皆さんに伝えたかったんです。出演の場面もセリフも少ないのですが、映画の緊張を持続させる力がある役者が必要だと思っていたので、彼女を選びました。また現場では、すごくかわいらしい、妹の様な存在で、映画をご覧になった方はお分かりになると思いますが、期待以上にパワフルな演技をして下さいました。 司会:監督がなぜキャスティングも含めて、天気にそんなにこだわっていたのか、今の答えでもわかりました。「神」を感じさせるという。お時間の方が来てしまいましたので、公開は3/11なのですが、最速で観て頂いた皆さんにご挨拶を頂ければと思います。 國村:今日は本当にいらしていただいてありがとうございます。ほんとは最初に聞こうと思っていたのですが、どうでした? <場内拍手> ああ、良かった!!楽しんで頂けたなら本当に良かったと思います!で、ここからはお願いでございます。この『哭声/コクソン』という映画は今までには無かった映画だと思います。カテゴライズできない映画。映画の新たな楽しみ方が、この『哭声/コクソン』だと思います。ぜひお友達にこういう体験をさせてみたい、と思った方はお友達とまた一緒に観に来て下さいね。今日はありがとうございました! 監督:監督としての未練というのはあると思うのですが、この『哭声/コクソン』を作り上げた後に、「一抹の未練もない!」と言い切れます。ナ・ホンジンという監督の全てを注ぎ込んだ、未練が残らない作品と言えます。どんな評価を皆さんから頂こうが、それを全部受け止める所存であります。そんなナ・ホンジンという監督が6年をかけて全てを注ぎ込んで作った映画なので、周りのお友達に、「こういう監督が6年もかかって作った映画」だとお伝え下さい。長い間ご一緒頂きありがとうございました! 司会:ということで、ナ・ホンジン監督、國村隼さん、もう一度大きな拍手でお見送り下さい。ありがとうございました!!数日前にこの作品拝見して、どこか喉につかえたものがあったのですが、皆さんの質問、そしてお二人の回答によって、半分くらいは自分の中で咀嚼できたかなと思いました。そんな映画体験をさせてくれる作品というのは、今の上映作品の中でも珍しいと思います。3月11日公開ですが、公開後も応援して頂ければ幸いです。本日はご来場本当にありがとうございました。気を付けてお帰り下さい。 <終了> ■ ■ ■ ■ ■ 監督:ナ・ホンジン出演:クァク・ドウォン、ファン・ジョンミン、國村隼、チョン・ウヒ2016年/韓国/シネマスコープ/DCP5.1ch/156分©2016 TWENTIETH CENTURY FOX FILM CORPORATION配給:クロックワークス 公式サイト:http://kokuson.com/公式Twitter:@ kokuson_movie公式Facebook:https://www.facebook.com/kokuson0311 2017年3月11日、シネマート新宿他にて公開
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COLUMN/コラム2017.01.26
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2017年2月】キャロル
v動物園の飼育員グリフィンの婚活を、言葉を話せる動物たちが全力でサポートする!?人気コメディアン、ケヴィン・ジェームズ主演で贈るハートウォーミング・ラブコメディ。 奥手な中年男のグリフィンは動物園の飼育員。超イケイケの恋人ケイトに「結婚相手に動物園の飼育員はイヤ」とあっさりプロポーズを断られてしまう。振られたショックを5年も引きずった挙句諦めきれないグリフィンは、再び彼女にアタックするため転職を考える。ところが、自分たちにとって最高の飼育員を失うことに危機を感じた動物園の動物たちは、彼の転職を阻止しようと必死になるあまり、なんと“掟”を破って人間の言葉で彼に話しかけるのだった!ケイトとうまくいけばグリフィンは動物園を辞めずにすむと考えた動物たちは、グリフィンを男前に仕立てるべく一生懸命応援するのだが、動物本能むき出しのアドバイスはどれもこれも的外れ。それどころか、ケイトのハートを射止めるためにイケイケになろうとしたグリフィンは、動物たちの努力むなしく高級車ディーラーに転職してしまう。自分らしさをすっかり失ってしまったグリフィンだったが、ついにケイトから逆プロポーズされる日が来て・・・! 見てくれや社会的地位に振り回されなくても、人間、中身が大切だよね。と、動物たちに教わる心温まるコメディ。それはそれとして十分楽しめるこの作品、実はシルヴェスター・スタローンやニック・ノルティといった超豪華キャストが動物たちの声を熱演しているのです!普段はいぶし銀な彼らの、ファンキーでちょっと笑える演技も見どころ。ぜひ2月のザ・シネマ、バレンタイン特集でお楽しみ下さい! ZOOKEEPER, THE © 2010 ZOOKEEPER PRODUCTIONS, LLC. All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2016.12.09
テッド
1985年。友達がひとりもいない8歳の少年ジョンは、両親からクリスマスにテディ・ベアをプレゼントされて大喜び。(安直に)テッドと名づけたジョンはある晩、夜空の星にお祈りした。「テッドが言葉を喋れたら楽しいのに」 翌朝、ジョンはビックリした。テッドが「僕をハグして!」と話しながら抱きついてきたのだ。少年の祈りが起こした奇跡は全米に報じられ、取材が殺到して大騒動に! そんなオープニングから始まる『テッド』は、しかしその大騒動を描いた映画ではない。物語は一気に27年後の現代へとジャンプする。今ではテッドは街中で歩いたり話したりしていても誰も驚かない”過去のスター”状態で、マリファナとテレビが何より好きなボンクラ・クマでしかない。 35歳になったジョンもサラリーマンとして地味な毎日を送っていたが、彼の方には誇れるものがあった。美女のロリーと付き合っているのだ。ロリーの方もジョンにはぞっこんなのだが、子どもの頃から一緒のジョンとテッドの間には入り込めない。遂に「私とテッドどっちを取るの?」とジョンに選択を求めてしまう。結果、テッドはジョンと別に部屋を借りてスーパーで働く自立の道を強いられることになるものの、相変わらず二人は仲良しなのだった。 そんなある夜、テッドの興奮した声に誘われたジョンはロリーとの約束をすっぽかして、テッド宅で開かれていたパーティでワイルドな時間を過ごしてしまう。それが原因でロリーに愛想をつかされたジョンはテッドとも仲違い。「お前のせいで俺の人生はメチャクチャだ!」はたして3人は元通りの関係に戻れるのだろうか…。 『テッド』は、30代男とテディ・ベアの友情を描いた、ありえないコメディだ。脚本と監督、そしてテッドの声の三役を担当したのは、セス・マクファーレンという人物で、これがハリウッド・デビュー作となる。とはいえ、彼のキャリアはそれなりに長い。73年にコネチカット州で生まれたマクファーレンは、名門美大「ロード・アイランド・スクール・オブ・デザイン」卒業後に『原始家族フリントストーン』や『チキチキマシーン猛レース』で知られる名門ハンナ・バーべラ・プロダクションに入社。アニメーターとしてキャリアのスタートを切っている。 そんな彼が飛躍を遂げたのは99年のこと。フォックステレビのコメディ番組「MADtv」で手掛けたアニメパートが局の上層部に認められ、自身が製作、監督、脚本、原画、声を務めるアニメシリーズ『ファミリー・ガイ』の放映を開始することになったのだ。これが大ヒットしたため、05年から『American Dad! 』、09年から『The Cleveland Show』もスタート。一時は3本のアニメをフォックステレビで放映する”ミスター・フォックス”として君臨していた(現在も2本が放映中)。 これだけならマイク・ジャッジやトレイ・パーカー&マット・ストーンといった才人たちが他にもいるのだけれど、マクファーレンのユニークなところはレトロ志向を併せ持っていること。彼は、フランク・シナトラをはじめとするジャズ・ヴォーカリストを偏愛しているのだ。その愛がこうじてジャズ・シンガーとしても活動を開始。フルバンドをバックにスウィングの名曲を歌いまくった11年のアルバム『Music Is Better Than Words』はグラミー賞のベスト・トラディショナル・ポップ・ヴォーカル・アルバムにノミネートされた。13年にはクリスマス・ソングを歌った『Holiday For Swing』、15年にも『No One Ever Tells You』も発表している。『テッド』は、テレビアニメとジャズ・ヴォーカルという不思議すぎる二刀流で活躍していたマクファーレンが、満を侍して発表したハリウッド・デビュー作なのだ。 彼は当初この作品をアニメとして構想していたそうだが、実写が可能になるまでCG技術の発展を待とうと考え直したらしい。その判断は正しかった。薄汚れたクマのぬいぐるみが、現実世界で毒舌を吐いたりマリファナ吸ったりセックスしたり(なぜかする!)している姿はそれだけで最高におかしい。ムーヴは完全にオッさんのそれだけど、元々テディ・ベアなので微妙に可愛いらしいという、バランス感も絶妙だ。 ジョンとの友情物語は、ジャド・アパトーが確立させたロマンチック・コメディの物語構造を男同士の友情に当てはめた”ブロマンス映画”からの影響大ではあるけれど、人間とぬいぐるみに当てはめたことで”少年はテディ・ベアと別れて大人の男になれるのか?”という新たな意味合いを物語に与えている。 主人公ジョン役は、アクション・スターのイメージが強いものの、『アザー・ガイズ 俺たち踊るハイパー刑事!』や『デート & ナイト』でコメディもイケることを証明していたマーク・ウォルバーグ(本作以降は『ペイン&ゲイン 史上最低の一攫千金』『パパVS新しいパパ』など、コメディ作はウォルバーグのキャリアにとって重要な柱となる)。またロリー役には、『ファミリー・ガイ』の声優としてマクファーレンと13年間も仕事をしてきたミラ・クニスが扮している。 ノラ・ジョーンズやライアン・レイノルズといったスターが本人役で登場するシーンも見どころではあるけど、それ以上にあのサム・ジョーンズが本人役で登場してストーリー上重要な役割を果たすことが本作最大のチェック・ポイントだろう。そもそもジョンがロリーとの約束をすっぽかしてテッドのパーティに行ってしまった理由こそ、「いま家でパーティを開いているんだけど、サム・ジョーンズが来ているんだ!」とテッドに言われたからなのだ。 ここで「サム・ジョーンズって誰?」という疑問が浮かんでくるかもしれない。答えは「あの『フラッシュ・ゴードン』の主演俳優」である。『フラッシュ・ゴードン』はもともと新聞に連載されていたスペースオペラ漫画で、あの『スター・ウォーズ』にも影響を与えたとされる古典作だった。80年には『スター・ウォーズ』人気に便乗する形で実写映画化されている。ところが古臭いストーリー(無理もない、原作が書かれたのは第2次大戦前なのだから)とチャチなSFXが災いして興行的に大失敗。主演に抜擢されたサム・ジョーンズはこれっきりで過去の人になり、今ではクイーンが担当したサントラ以外は話題にすらのぼらない黒歴史映画になってしまっている。 なのにジョンは子どもの時に観て以来、『フラッシュ・ゴードン』こそが史上最高の映画と信じて疑わない。だからパーティでサム・ジョーンズに会うと大興奮してしまう。これ以降の展開が笑える。映画のBGMはクイーンのサントラばかりになり、ジョーンズ本人が大暴れするのだ! 三十男のくせにテディ・ベアとツルみ、『フラッシュ・ゴードン』を愛してやまないジョンは確かに滑稽である。だが、もしそれらをもう少し格好良さそうなもの、たとえばアクション・フィギュアや『スター・ウォーズ』に置き換えたらどうだろう? 笑えないという人は多いのではないか? 子ども時代の大好きなものへの依存を未だに止められない人間は、皆ジョンと同類なのである。映画を観た者はそんな真実をマクファーレンからそっと教えられ、爆笑しながらも(心の中の)頬に涙が伝っていることに気がつくのである。 ちなみに映画の舞台は、マクファーレンが大学時代を過ごし、ウォルバーグの故郷でもある街ボストン。水族館やボストン・レッドソックスの本拠地フェンウェイ・パークといった実在の場所でのロケ撮影が、この破天荒なコメディにリアリティを与えている。 © 2012 Universal City Studios
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COLUMN/コラム2015.12.10
男たちのシネマ愛②愛すべき、味わい深い吹き替え映画(3)
なかざわ:以前にマンディ・パティンキン(注30)という、舞台でトニー賞(注31)の主演男優賞も取ったことのあるユダヤ系の有名な俳優にインタビューしたことがあって、彼が面白いことを言っていたんです。彼はテレビドラマの「HOMELAND」(32)で、ヒロインであるCIAアナリストのキャリーの上司ソールという人物を演じているんですが、これがシリーズの始まった当初は善悪の区別がつきにくい人だったんですね。で、あなたはソールを善人として演じているのか、それとも腹にイチモツある男として演じているのかって尋ねたところ、こう切り返してきたんです。ヒットラー(注33)とムッソリーニ(注34)とガンジー(注35)とマザー・テレサ(注36)の共通点はなんだか分かるかい?って。彼らは自分の住む世界をより良いものにしようとしたんだよ。確かにヒットラーやムッソリーニの考え方には賛同しないが、しかし彼らが自分自身を悪人だと思っていたかというと、決してそんなことはないはずだと。だから、私は自分が演じる役を善人だとか悪人だとか決めつけて演じたりはしない、って言うんですね。 飯森:演技者というのは哲学に行きますね。人間とは何か、人生とは何かを突き詰めて芝居を考えていくと、おのずと哲学的になっていくと思うんですが、一方で舞台演劇の世界では、悪役はこう、怒ってる時はこう、というルールを守って演じなくてはいけない。でないと客席から見えないんで。その違いなんでしょうね。だから、内面を掘り下げるアメリカ人の演技に日本の演技者の舞台劇的な声が乗っかると、なかざわさんの仰るような違和感は当然生まれるんでしょう。それは確かに吹き替え版のデメリットかもしれません。 なかざわ:ただ、日本の吹き替えバージョンって、欧米に比べると圧倒的に完成度が高いですよね。例えば、イタリアってそもそも昔から全ての映画がアフレコで、しかも演じている役者本人とは別人が声を当てていることも少なくないんですよ。 飯森:香港映画も同じですね。 なかざわ:すると、果たしてオリジナル音声って何なんだって話になってくるんです。例えばイタリア映画でクリストファー・リー(注37)が出ていたりすると、英語バージョンは本人が声を当てているけれど、イタリア語バージョンは別人が吹き替えている。特に彼は声が特徴的だから、別人の声だと違和感ありありです。その一方で、共演のイタリア人俳優たちの場合は全く逆。イタリア語バージョンは本人の声で、英語バージョンが吹き替えになります。ちなみに、イタリア映画がアフレコ中心になってしまった理由は、撮影機材の問題なんです。今はどうか知りませんが、昔からイタリアで一般的に使用されてきた撮影カメラって音がデッカイらしいんですよ。だから、そもそも現場の音が録れない。フレッド・ウィリアムソン(注38)がインタビューでビックリしたって言ってましたもん。最初から音を録るつもりがないから、本番中でも周りでスタッフが好き勝手に話したり飯食ったりしているんだって。それに、’80年代頃まではイタリア映画って輸出産業だったから、各国向けに幾つもの外国語バージョンを作っていた。キャストの国籍もバラバラだったから、現場でも役者はそれぞれの母国語でセリフをしゃべっていたらしいんですよ。そうすると、全部まとめてアフレコにしちゃった方が便利ですよね。そういった事情もあって、ローマにはアフレコ専門のスタジオがあって声優さんがいて、輸出用の外国語バージョンを作っていたみたいですね。 飯森:その辺の事情は、実はうちで放送する「バーバリアン怪奇映画特殊音響効果製作所」(注39)っていう映画に詳しく出てくるので、是非ともご覧になって頂きたい(笑)。イタリアの音響効果スタジオにイギリス人の技師さんが呼ばれて、ジャロ映画(注40)の音響を作ることになるのだけれど、そこでいろいろと嫌な目に遭うというホラー映画なんですけれど、イタリア映画の音響に関して、まさにそのままメタ映画になっているんです。 なかざわ:乞うご期待ですね! 飯森:ただ、そういうのが逆に良かったりもするんですよ。典型的なのはマカロニ・ウエスタン(注41)ですね。日本語版だと納谷悟朗(注42)さんとか山田康雄(注43)さんなどの名優たちが素晴らしい吹き替えを残していて、それはそれでいいんだけれど、あのイタリア語版のアフレコならではの安っぽさも捨てがたい。絶妙にリップシンク(注44)がズレていたりとかね(笑)。 なかざわ:いい感じにクオリティーが低いんですよ。声優も下手っクソな人が紛れていたりとかして。 飯森:どの位置にマイクがあって録音しているんだ?と首を傾げてしまうような、要するに雑な録り方をしている。全く自然に聞こえないんですよ。そういう雑な仕事ぶりが、明らかにアメリカじゃないだろうという、マカロニ・ウエスタンの映像と絶妙なハーモニーを奏でるわけです。 注30:1952年生まれ。俳優。主に舞台で活躍。映画の代表作は「愛のイエントル」(’83)や「トゥルー・カラーズ」(’91)など。注31:ブロードウェイの優秀な作品や人材に贈られる舞台版アカデミー賞。注32:’11年より放送中。CIAアナリストのキャリーを主人公に、米国の対テロ工作の最前線を徹底したリアリズムで描く。注33:1889年生まれ。ドイツの政治家。ナチスの指導者として独裁体制を敷いた。1945年没。注34:1883年生まれ。イタリアの政治家。国家ファシスト党を率いて一党独裁体制を敷いた。1945年没。注35:1869年生まれ。インドの政治指導者。インド独立の父と呼ばれる。1948年没。注36:1910年生まれ。ルーマニアの修道女。慈善活動でノーベル平和賞などを受賞。1997年没。注37:1922年生まれ。俳優。代表作は「吸血鬼ドラキュラ」(’58)や「007 黄金銃を持つ男」(’74)、「ロード・オブ・ザ・リング」(’01)シリーズなど。「顔のない殺人鬼」(’63)などイタリア映画への出演も多い。2015年没。注38:1938年生まれ。俳優。「ブラック・シーザー」(’73)などの黒人アクション映画で大ブレイク。「地獄のバスターズ」(’76)や「ブラック・コブラ」(’87)などイタリア産アクションへの出演も多い。注39:2012年制作。日本ではシッチェス映画祭ファンタスティック・セレクション作品として公開。トビー・ジョーンズ主演。注40:’60年代~’80年代にかけて世界中で一世を風靡したイタリア産猟奇ホラーの総称。注41:’60年代~’70年代に世界的な大ブームを巻き起こしたイタリア産西部劇の総称。注42:1929年生まれ。声優。「宇宙戦艦ヤマト」の沖田艦長や「ルパン三世」の銭形警部で有名。2013年没。注43:1932年生まれ。声優。「ルパン三世」のルパン役のほか、クリント・イーストウッドの吹き替えでも知られる。1995年没。注44:映像などにおいて口の動きと声がズレないこと。 次ページ >> “字幕原理主義”の影響で、みんな洋画を見なくなってしまった…(飯森) 『ゴッドファーザー』COPYRIGHT © 2015 BY PARAMOUNT PICTURES CORPORATION. ALL RIGHTS RESERVED. 『ゴッドファーザーPART Ⅲ』TM & COPYRIGHT © 2015 BY PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED 『レインマン』RAIN MAN © 1988 METRO-GOLDWYN-MAYER STUDIOS INC.. All Rights Reserved 『バーバリアン怪奇映画特殊音響効果製作所』©Channel Four Television/UK Film Council/Illuminations Films Limited/Warp X Limited 2012 『ファール・プレイ』COPYRIGHT © 2015 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.