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COLUMN/コラム2019.12.28
『ピースメーカー』でたどる民族問題地獄めぐり〜チェチェン、ナゴルノ・カラバフそしてユーゴ〜
97年の映画『ピースメーカー』は、ロシアで強奪された核弾頭を用いた核テロを防ぐため、アメリカ政府の核拡散防止グループのケリー博士(ニコール・キッドマン、以下ニコマン)が指揮を執り、ロシア軍にパイプを持つ米陸軍のデヴォー中佐(ジョージ・クルーニー)とコンビを組んで、世界中を東奔西走する、というポリティカル・ミリタリー・アクションだ。 01年の9.11翌々月から本国放送が始まった「24」シリーズを先取りしたかのような内容で、クルーニーの吹き替えには、声優デビュー作「ER」でクルーニーを担当していた小山力也がソフト版でもTV放送版でも起用された。後に「24」のジャック・バウアー役で小山に白羽の矢がたったのも本作あったればこそでは?と筆者は勝手に妄想しているのだが、確証はない。 本作、出来の良いアクション映画で、放送時間たっぷり楽しませてくれることは請け合う。だが、今や似たような映画は多い。映画をよく見る人ならば、未見の人であれ再見の人であれ、新鮮な驚きを今さらは感じられないかもしれない。 しかし、97年という時代背景から読み解くことで、深い見方ができる豊かなテクストに、期せずして今となってはなってしまっている。以下その読み解きを試みてみる。 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 1997年。良い時代だった!当時の筆者はそうは実感できず、60年代や70年代の過ぎ去りし時代に憧れ、その頃の映画を好んで見たりもしていたのだが、90年代もまた過ぎ去って歴史となった今の視点から客観的に見るなら、89年に始まるあの激動と希望の日々こそ、最良の時代だった。しばし、思い出話にお付き合い願いたい。 89年、日本はバブルの真っ只中で豊かさを楽しみ、バブル崩壊後も、今日ほど国民の貧困と国家の衰退が生々しい問題ではなく、祭りの後の余韻をまだしばらくは反芻できていた。 アメリカは91年の湾岸戦争で世界を導いて圧勝しベトナムで失くした体面を取り戻し、90年代後半からは日本とバトンタッチしてバブル景気へと突入。世界第1位と当時第2位の経済大国であった日米は、ともに西側にあって空前の繁栄を謳歌していた。 一方の東側は、80年代、貧しかった。東側のリーダーであるソ連は、一説では国家予算の4割を防衛費に回していたという。戦争が起こらなければ20年ほどでスクラップとなる無用の長物にである!ソ連の「衛星国」と呼ばれた東欧諸国では“資本主義の豚”たる西側の大手銀行に借金し、絶望的な貧困に人民が不満を抱かぬよう、消費財を買って市場に出回らせる(設備投資に充てるのではなく!)という、本末転倒な使い道のために借金に借金を重ねていた。こんなことは続かない!冷戦を今後も続けていける経済的余裕が、東側にはもう無くなっていた。 85年、その2年前にアメリカのレーガン大統領が「悪の帝国」と呼んで敵視したソ連に、ゴルバチョフ書記長が現れた。そして、改革開放を一個人のリーダーシップで、トップダウンで、内部から推し進めていった。もう冷戦は終わらせねばならなかった。 その自由化の波は東欧諸国にも伝わり(それとは無関係に反ロシア感情の根強いポーランドが先行して勝手に独自の民主化運動を起こしてはいたが)、89年、ハンガリーが先陣を切って共産党一党独裁体制を大政奉還する動きを見せ、鉄のカーテンの一部まで開いてしまった。ハンガリーはソ連(≒ロシア)とは縁が浅く、歴史的にはモーツァルトやクリムトやフロイトを生んだ先進文化大国オーストリアと深い縁で結ばれており、後進国ロシアで制度設計されたソ連型共産主義にはそもそも馴染めずにきた、“最も西側的な東側の国”だったためだ。 このハンガリーの動きが東ドイツ市民に伝播する。89年11月にベルリンの壁が崩壊。東欧のソ連衛星諸国は次々と、党が自主的に独裁(“指導”と自称していた)を返上するか、あるいは市民革命が起きて独裁者が打倒されるなどして、民主化していった。同89年12月、この時代の生みの親であるソ連のゴルバチョフは、アメリカのパパ・ブッシュと共に、マルタ会談にて冷戦の終結を宣言した。 これにより、いつか米ソ核戦争が起きて世界は滅びるかもしれない、という40年来の恐怖から、人類はようやく解放された。そして、選挙で有権者に選ばれたわけでもない特定イデオロギーの政党が憲法上唯一の“指導政党”として永久に君臨し続ける統治制度は改められ、それらの国々では複数政党制と、複数候補が立候補する自由選挙が導入されていった。興奮と歓喜の90年代が、希望と激動のうちに始まったのである。 それは、西側自由民主主義陣営の完勝だった。ソ連は91年末には地上から消滅し、中国の台頭はまだ。「唯一の超大国」と呼ばれたアメリカの“無双”状態が短期的には実現した。しかし、敵がいないと困るのがハリウッドだ。そこで、ロシアの政情と社会が混迷してきた90年代にハリウッドの脚本家たちが映画に登場させたのが、「ソ連の敗北を認めようとせず、米帝ズレの下風に立つことを潔しとしない、ロシアの保守強硬派」という、新たな敵役だった。たとえば97年の『エアフォース・ワン』などだ。 実際、91年の夏、ソ連ではクーデターが発生。ソ連初にして最後の大統領ゴルバチョフ(兼もともとソ連共産党書記長)が、副大統領、KGB議長、国防相ら「国家非常事態委員会」によって拘禁された。彼らは、ゴルバチョフによる改革開放路線がソ連を自壊に追いやると(特に、予定されていたソ連邦を構成する各共和国への大幅な自治権の移譲に)危機感を募らせていた、ソ連最高指導部内の保守強硬派たちだった。 しかし、ソ連邦を構成する国々のうち最大の共和国ロシアの大統領エリツィン(民主選挙で生まれたロシア初代大統領)が反クーデターの旗を振り、モスクワ市民に街頭に出て抗議に加わるよう呼びかけ、軍を掌握する国家非常事態委員会と対決した。ソ連邦の大統領を下部構成国ロシアの大統領が救おうと立ち上がったのだ。モスクワ市内に当時最新鋭のT-80戦車が陸続と列をなして進入し、2年前の天安門事件そっくりの緊迫した光景も見られたが、しかし、軍部もKGBもエリツィンと市民側に寝返り、もしくは静観したために、このクーデターは3日で失敗に終わる。 95年の映画『クリムゾン・タイド』は、このような保守反動クーデター勢力によるロシアの政変に端を発した核危機を背景に、全面核戦争に備えて出動した米海軍の戦略ミサイル原潜アラバマ内部で起こる、艦長と副長の指揮権をめぐる対立を描いている。 この「8月クーデター」によって、ロシア共和国とエリツィンの輿望は大いに高まった。反対に、ロシア共和国の上に立つソ連邦と、ソ連共産党、その両方の長であったゴルバチョフは、決定的に権威失墜し、クーデター終息の数日後にはゴルバチョフはソ連共産党書記長を辞任。ただしソ連大統領の座には留まった。それが、夏の終わり。 冬には、エリツィンのロシア共和国がソ連邦からの離脱を表明。ソ連の国土面積の大半を占めるロシアが脱退してソ連が存立できるわけがなく(日本国から本州が分離独立するようなものだ)、これはソ連邦の解体をただちに意味した。ゴルバチョフはついに連邦大統領職をも辞任。彼がクレムリンで上からの改革開放を始めてから6年、冷戦を終結させてから2年がたった91年の12月25日、ここに、ソ連は消滅。ロシアはじめ各共和国へと四分五裂していった。まさに、激動の時代であった。 ソ連を内部崩壊させ自由民主主義陣営に加わったロシアだが、世界を導くイデオロギーを自ら捨て去り、慣れない自由主義と資本主義には戸惑い、モラルも揺らぎ、さらにはハイパーインフレと金融危機に見舞われて経済まで破綻し、アメリカと世界のリーダーの座を競うどころでは到底なくなってきた。90年代の、ソ連崩壊後のロシアは、「混迷」の一語に尽きる。95年の『007 ゴールデンアイ』や、97年の本作『ピースメーカー』で描かれるのは、この、冷戦に負け、アメリカの軍門に下り、経済もモラルも崩壊してしまった、混迷するロシアの姿である。そして、この時期に台頭した「オリガルヒ」と呼ばれる政商的な巨大財閥(97年ヴァル・キルマー主演『セイント』における敵役)とプーチンによって、21世紀に入ると、超大国ソ連の栄光の復活を目指す、“強いロシア”の国家意志が露骨になり、自由民主主義諸国とは一線を画する独自の路線を歩み始め、今日に至るのである。 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 前置きが長くなりすぎた。そろそろ映画『ピースメーカー』を見ていこう。冒頭、ロシアのミサイルサイロが描かれる。軍人たちが見守る中で核ミサイルが搬出されていくのだが、よく見るとそこに2人だけ、ロシア軍のオリーブ色の軍服ではなく、青色の軍服を着た軍人の姿が認められる。まごうかたなきアメリカ空軍のドレスブルーユニフォームだ。これは、核兵器の削減を米ソ間で91年と93年に合意したSTART(戦略兵器削減条約)に基づき、その履行監視のためにロシア国内のミサイル基地に米軍の査察団が派遣されていることを表している。冷戦が終結し、ICBMを減らすため、かつての敵国の監視団を自国のふところに招き入れるというところにまで、米露は接近し、世界平和は実現しかけていた。筆者が90年代こそ最良の日々だったと懐かしむ所以である。 このシーンで、ロシア軍の下士官が将校に「自分は核兵器を解体しているところをアメ公に見せてやるためロシア軍に入隊したのではありません!」と愚痴り、将校は「皆そうだ。だが世界は変わった。我々も変わらねばな」と応じる。ここまで書いてきた89年以降の経緯を踏まえた上で、97年当時のロシア人の心情を想像しながら味わってほしいセリフだ。 余談だが、2019年、トランプとプーチンがINF(中距離核戦力全廃条約)を破棄した。地球が滅亡するICBM(戦略核。STARTの削減対象)の撃ち合いまでいかず、戦争や紛争で実際に局地的に使用されるリスクが高い中距離の戦域核の全廃から、世界は大きく後退してしまったのだ。これは、ロシアは抜け穴的に別の兵器だと装って実質的な中距離核ミサイル相当の飛翔体を開発しているではないか!という理由と、なにより、新たな超大国・中国がこの条約に加わっておらず、陸海空軍と並ぶ第四の軍である中国人民解放軍ロケット軍が、米露が核軍縮を進める裏で中距離核を開発しまくってきたため、もはや意味がない!という理由で、トランプが破棄を決めてしまったのである。まことに、あの最良の90年代の日々から、我々はどれほど遠くに来てしまったのか…溜息しか出ない。 映画の話に戻ろう。解体されているミサイルは「SS-18」。NATOコードネームで「サタン(悪魔の王)」と呼ばれた、1機のミサイルに10発の核弾頭を搭載でき、それをバラ撒いて10個の目標を攻撃できる、冷戦期を象徴する文字通り悪魔の多弾頭ICBMだ(ちなみに米軍側のライバルICBMは名前を「ピースキーパー」という)。10発の核弾頭は取り外されて、軍用列車で(おそらく処理施設に)運搬される。が、その途中で高度に訓練された武装勢力に襲撃され、全弾奪われてしまう。実は先のロシア軍将校も武装勢力の協力者であり、核をテロリストに横流しして儲けようとしている裏切り者なのだ。「世界は変わった。我々も変わらねば」と言ったのは、共産主義の理想もソ連時代のモラルも死んだ、今はカネが全ての世の中だ、という意味だったのだろう。当時、こういう考えの者も現れかねないと懸念されるほどに、ロシアは混迷の只中にあった(実際、北朝鮮のICBMのエンジンや移動発射台は旧ソ連軍の科学者が売った技術だとの指摘もある)。また、先の将校の上官であり、事件の黒幕であるロシアの将軍は、後のアメリカ側の身元調査によると「汚職疑惑で捜査されておりおそらく起訴される。演説の中でナショナリズムを煽り、失われたソ連の栄光を嘆き、スラヴ民族の団結を主張している。その上アル中で、女もはべらせている」とのことで、90年代ハリウッド映画に出てくる悪役の、ゴリゴリのステレオタイプだと言える。 彼ら強奪犯一味は、不慮の列車事故だと偽装し、10発の弾頭のうち1発を故意に起爆させて核爆発を起こし、現場検証を不可能にして追跡の目も撹乱しようとする。場所はウラル山脈の田舎だが農家も点在しており、証拠もろとも地元農民たちも地上から蒸発させられる。残る弾頭は9つ。 この核爆発を当然、アメリカの国防機関も即座に感知する。ワシントンは大騒ぎになり、核不拡散の専門家であるニコマンの耳にも速報が入る。爆発規模500~700キロトンと聞き、彼女は絶句。ちなみにヒロシマが15キロトンでナガサキが22キロトンだ。「チェルノブイリは忘れて!今回はもっと酷いから」とスタッフに言うほど、彼女も色を失う規模である。 報告を受けたホワイトハウスの国家安全保障担当大統領補佐官は「ロシア…なんたる混乱!冷戦が懐かしいよ」と罵る。そう。あの頃、誰もがロシアに「混乱」を見ていた。 ニコマンは補佐官に、この核爆発が列車事故では起こりえないことを解説する。まず、核弾頭は、プルトニウムを取り囲んで等量配置された火薬を同時に炸裂させ、爆圧を均等に中心部のプルトニウムに加えて核分裂を発生させる(これを「爆縮」と呼ぶ)以外には、決して核爆発は起こらない。専用の起爆装置を正しく用いない限り、事故や火事で「核爆発しちゃう」ことなど絶対にありえないのだ(この安全設計を「ワンポイントセーフ」と呼ぶ)。 そもそも、列車の衝突脱線事故と核爆発までに数分間のタイムラグがあったことも、衛星写真によって確認された。事故で爆発が起きたはずがないのだ。 「これはテロです!」とニコマンは断言する。補佐官は、ニコマンと彼女の核拡散防止グループに国防・安全保障関係各機関を指揮する権限を与えて大統領直属とし、ニコマンは核を盗まれたロシア軍とのリエゾン将校を一人つけてくれるよう要請する。リエゾン将校とは、相手の軍に派遣され自軍との連絡・調整にあたるパイプ役のこと。それが、クルーニーだ。 混迷の90年代ロシア軍とのリエゾンを務めた経歴を持つだけあって、型破りな軍人である。半分はジャック・バウアー型の漢だが、いつものセクシーなニヤケづらを絶やさず、バリバリのキャリアウーマンであるニコマンをいなすクルーニー演技のおかげで、余裕しゃくしゃくな印象もかもし、半分、ジェームズ・ボンドっぽさも漂う。 彼は、ちょうど議会の聴聞会に引き出されている最中だった。①神経ガスを②イラクに売ろうとしている③元KGBを捕らえるために、ロシア軍大佐と取引現場の④ディスコに行き、代金をめぐって店側とケンカになり自分は逮捕されたものの、おかげでロシア軍大佐が元KGB闇商人を発見して神経ガス密売を見事阻止。そのお礼としてクルーニーはアメ車をロシア軍大佐にプレゼントし(ここでもロシア軍のモラル崩壊を強調)、そのことで議会から吊し上げを喰らっているのだ。 ①神経ガスの恐ろしさを世界は2年前の地下鉄サリン事件で知ったばかりだった。②イラクはこの時期、湾岸戦争の後・イラク戦争の前で、フセインが大量破壊兵器を入手したがっているのではないか、とアメリカに疑われていた。③KGBはソ連崩壊の91年に解散。その任務は後にロシア連邦保安庁FSBに引き継がれたが、当時の混乱期には、反社会的勢力に“キャリア転職”して暗躍している元スパイがいるとも、まことしやかに囁かれていた。④ディスコはソ連崩壊後の退廃の資本主義モスクワを象徴するイメージで、この時期の映画ではしばしば描かれる(米FBIとロシア内務省が合同捜査でディスコにいるチェチェン・マフィアを逮捕するという幕開けで始まる97年のリメイク版『ジャッカル』など)。 また、本作では前半においてたびたび、今回の核爆発と「チェチェン情勢」が何らか関連しているのではないか?といったセリフが、複数のキャラクターの口から出てくる。 ソ連邦最大の構成国であったロシアだが、ロシアもまた連邦国家であり、マトリョーシカ構造になっていた。ロシア連邦の構成国の小さな一つが、コーカサス地方の一隅にあるイスラム系のチェチェン共和国である。91年ソ連崩壊直前の混乱のさなか、チェチェン共和国はソ連邦から、さらにはロシア連邦からも独立すると一方的に宣言。それは認めずと、ロシア連邦エリツィン大統領が94年に軍事侵攻し、第1次チェチェン紛争が勃発する。 西側自由世界は、民主化したロシアと、「8月クーデター」で自由を守るため市民を率いて立ち上がったエリツィンと、彼らによるチェチェンへの弾圧を、どう評価すべきか判断に窮する複雑な立場に置かれた。クリントン、ブッシュJr.両政権は一応は批判的な姿勢をとり、エリツィンと後のプーチンはそれには反発したが、米露間の大きな懸案となるところまではいかなかった。 さらに、戦争でロシア連邦軍に勝てなかったチェチェン独立派が、02年のモスクワ劇場占拠事件や04年のベスラン学校占拠事件など、ロシアの一般市民を狙った無差別大規模テロに訴えるようになり、しかもチェチェン側にアルカイダ系テロリストが合流しているとの説まで出てきて、9.11以降「テロとの戦い」に邁進していたアメリカとしては、ますますどう距離感をとっていいのか、どちらに肩入れすべきなのか、微妙な問題と化していった。 ハリウッド映画の中では、たとえば本作の場合だと、「ロシアにおけるゴタゴタの出元はたいがいチェチェンだが今回の核爆発とは無関係」と、チェチェン問題をどう評価するかからは逃げた中立のスタンスをとっている。一方、先に題名をあげた『ジャッカル』では、チェチェン・マフィアこそ良い自由主義国になるべく努力しているロシアの混迷と治安悪化の元凶であって、それを倒すためFBIとロシア内務省が合同捜査する、と、チェチェン側に批判的なスタンスをとっている。また『クリムゾン・タイド』では、チェチェンでのロシア連邦軍の住民弾圧を日米が非難すると、ロシアの極右指導者がクーデターを起こして極東の核ミサイル基地を掌握し、日米は黙って引っ込んでいないと核攻撃を加えるぞ!との声明を出したため、米海軍原潜に出動命令が下るというところから始まり、こちらは、親チェチェン・反ロシア的なスタンスだと言えなくもない。 『ピースメーカー』の話に戻る。例の神経ガス事件の時に組んでアメ車を贈った元相棒のロシア軍大佐から、元KGBを雇っているロシアン・マフィアのフロント企業がウィーンにあって本件に関与しているとの情報を得たクルーニーは、ニコマンと共にウィーンへ飛ぶ。そしてフロント企業のロシア担当ドイツ人社員を脅迫・拷問(!?)して情報を聞き出し、さらに、人の国の市街地でド派手なカーチェイスと銃撃戦をおっ始め、広場の真ん中で負傷して動けなくなった相手を射殺する、という、ハリウッド・アクション映画の定石を演じ(もちろんお咎めは無し)、このフロント企業が核爆発の発生地点近くで同日にトラックを配車していたメールを入手する。列車から奪われた核弾頭はそれに積み替えられたとみられ、トラックは今、イラン国境に向かっていることも確認がとれた。クルーニー、ここで「ファッキン・イラン!」と放送禁止用語を吐く。 2019年、イラン核開発問題をトランプが蒸し返し、またもキナ臭い空気が漂い、海上自衛隊まで巻き込まれかねない情勢となっているが、この時から、イランの核開発はアメリカの警戒の的であった。はたして核弾頭はイランが買おうとしているのか? ウィーンでの情報をもとに、偵察衛星でロシアからイランへの道路を監視するアメリカだが、車両が大量に渋滞しており、その中のどれが核弾頭を運んだトラックなのか見分けがつかない。そこでクルーニーはある一計を案じ問題のトラックを割り出すのだが、どうしてイラン国境付近がこんなに渋滞しているのかは、一言「アルメニアとアゼルバイジャンの戦闘から逃れる難民」との説明があるだけだが、これは「ナゴルノ・カラバフ戦争」のことをさしている。 地図をご覧いただきたい(チェチェンの場所もついでにご確認を)。クリックで拡大する。ロシアからイランに向け、コーカサス地方(この地図のエリア)を南下して抜けようとすれば、アゼルバイジャンを縦断するルートが一つだ。 アゼルバイジャンはイスラム教国だが、キリスト教少数民族も存在している。アルメニア系住民である。そのアルメニア系キリスト教住民が集中して暮らしているのが、ナゴルノ・カラバフだった。地図で「旧ナゴルノ・カラバフ自治州の境目」として点線で囲われている地域だ(クリックで拡大する)。イスラム教国の中に浮かぶキリスト教の離れ小島のようになっていた。西の隣国アルメニア(キリスト教国)の飛び地になっていたとも言える。ここが、例によってアゼルバイジャンからの分離と、アルメニアとの統合を求め、紛争が勃発。東欧革命で世界が生まれ変わる前年の88年に、ソ連体制下ですでに内戦状態に突入していた(つまり、別の文脈で起きた戦争だということ)。そして、住民を巻き込んだ戦闘、虐殺、レイプ、追放などが頻発した。 ご覧の08年の地図にある、このナゴルノ・カラバフを含むより大きなストライプ模様の領域「アルツァフ」という国は、「アゼルバイジャンから事実上独立した地域」とも地図中で説明されている。つまり、ナゴルノ・カラバフという飛び地にいたアルメニア系キリスト教住民は、飛び地であることに飽き足らず、アルメニア本国と境を接するまで土地を獲得していき、アルツァフ共和国として独立するまでに至ったのだ(ただし、アルメニアにも南部に「ナヒチェヴァン自治共和国」というアゼルバイジャンの飛び地が存在することに注目)。 再び話を映画に戻す。イラン国境近くの大渋滞の中から核を積んだ1台のトラックをあぶり出すシーンで、核密売の首謀者であるロシアの将軍が渋滞にイラつきながら「小汚い難民どもめ!アゼルバイジャン人にグルジア人(現ジョージア)にカザフ人!」とヘイトスピーチを吐き、トラックに同乗する核の買い手から「彼らを悪く言うな」と諌められても構わず「どこの生まれかは関係ない。ムスリム、セルビア、民族なんかどうでもいい。貧乏な奴らは嫌いだ!」と醜いヘイトを吐き続ける。買い手は旧ユーゴ出身者で「ムスリム」や「セルビア」という言葉に敏感に反応する。 この買い手は、弾頭を買って核テロを起こそうと計画している旧ユーゴ出身の男の弟なのだ。核弾頭の行き先はイランではなく、その兄の手元だった。クルーニーは国境を侵犯してロシア領内にヘリで侵入、ロシア国内で戦闘行為に及ぶという、近年まれに見る暴挙に出て核弾頭8発の回収に成功する。米露戦争に発展しなくて本当に良かった!だが、残念ながら1発足りない。最後の1発は、例の弟がクルーニーによる襲撃の混乱をかいくぐって持ち出し、最終的には兄に手渡すことに成功する。兄は旧ユーゴのボスニアの都市サラエヴォで暮らしている。どうやら妻子を亡くしたらしい。ユーゴ内戦で。 本稿では、89年東欧革命に始まる90年代を「最良の時代」だったと述懐してきた。東側の共産党一党独裁が終わり民主化され、東欧の旧ソ連衛星諸国は続々とEUに加盟し、ロシアも一時期は欧米型の自由民主主義国に生まれ変わってくれるかに見えた。これほどの大変革がおおむね平和裡に進展していったから「最良の時代」なのだが、何事にも例外は存在する。ソ連崩壊の混迷の中から生まれたチェチェン紛争がまず一つ。89年民主化とは違う文脈だがナゴルノ・カラバフ戦争が二つ目。そして、第三の悲劇がユーゴ内戦である。 そもそもからして複雑な地域だった。なにせ第一次世界大戦の火元となった「バルカンの火薬庫」とはここである。高校世界史の授業を思い出していただきたい。「汎ゲルマン主義」と「汎スラヴ主義」の対立。つまり、オーストリア帝国(ドイツ語圏)による統治の影響が色濃く残り、カトリックを信じ、ローマ字を使う民族と、ロシアに親近感を寄せキリル文字(ロシア文字)を使い、ロシアと同じ正教を信じる民族とが混在する土地だった。そこにさらに、オスマン・トルコ帝国の支配の置き土産でムスリムまでがいた。これらは全て、ほとんど同じ言葉を話す(方言のような違いはあるが)、遺伝的には同じ人種だ。だが、民族は違った。文字が違う。宗教が違う。習慣が違う。 彼らの間では民族対立が繰り返され、それが第一次世界大戦まで引き起こしたのだが、第二次大戦ではこの土地からナチスを追い払うためのゲリラ戦が闘われ、戦後、その闘争を率いたカリスマ指導者が大統領となって長らく国を治め、多民族を「ユーゴスラビア社会主義連邦共和国」という一国にまとめ上げてきた。しかし、80年に死去。だが、連邦の平和と栄光は尚しばらく続き、84年にはサラエヴォで冬季オリンピックが開催された。そして、89年の変革の時を迎えてしまう。 89年東欧革命の良き影響をダイレクトに受けたのが、ユーゴ連邦の中で最も西欧・中欧に近く、オーストリアと国境を接し(つまり汎ゲルマン主義圏)その支配下に置かれてきた、スロヴェニア共和国だった(89年東欧革命のそもそもの震源地も、オーストリア文化圏のハンガリーであったことを思い出していただきたい。東欧革命は、もともと先進オーストリア文化圏に属していた国々の、ロシア的後進性から離脱し古巣に回帰したい、という民族的衝動としての側面がある)。 また、クロアチア共和国も、進んだ海洋都市国家ヴェネツィア(イタリア半島の付け根)の支配下に長く置かれてきた歴史があり、西欧文明と親しかった(『紅の豚』に出てくるような土地である)。 両共和国とも、カトリックを信じローマ字を使う民族が住み、それゆえ、ヨーロッパでの変革がダイレクトに波及した。この2共和国は、東欧革命のように共産党一党独裁の放棄と複数政党制による自由選挙を実施し、ユーゴ連邦の各共和国の自治権と独立性を大幅に拡大しようと試みた。 しかし、ロシアに親近感を持ち、キリル文字も使う(ローマ字も使うが)、汎スラヴ主義圏のセルビア共和国(地図の青色全域)とモンテネグロ共和国が、これに強く反発。連邦の中でもセルビアはリーダー格であり、その連邦を分裂させるような動きに反対するのは、セルビアの立場では当然であった。そこでスロヴェニアとクロアチアは、ユーゴ連邦からの分離独立を宣言する。かくして91年6月、ユーゴ内戦が始まってしまう。 連邦離脱の先頭を切ったスロヴェニアは、ユーゴ連邦のリーダー格セルビアとは隣接していないため大した戦闘も起きず、混乱を知らぬままとっとと独立を成し遂げ、経済的にも繁栄。いわば“逃げ得”のような格好で早々に古巣の中欧オーストリア文化圏に再合流を果たしてしまった。今ではおとぎ話のようにメルヘンチックな観光立国となっている。 だがクロアチアの方には、流血の事態が待っていた。セルビアと隣接していたため、セルビア軍(当時まだ「ユーゴ連邦軍」だったが事実上はセルビア軍)の侵攻を受けたのだ。そもそもクロアチア領内にはセルビア系住民も数多く暮らしており、クロアチアが独立してしまってはそのセルビア系住民はどうなるのか?という懸念もあって、セルビアとしては座視できなかった(スロヴェニアにはセルビア系住民はほぼいない)。クロアチアとセルビアの紛争は血で血を洗う様相を呈し、91年から95年まで続く。 さらに悲惨だったのは、クロアチア人、セルビア人、さらにムスリムが混在して暮らしていたボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国だ。内戦という次元を越えて「民族浄化」が行われるまでに至った。「民族浄化」とは、対立する民族を地域から根絶やしにすることで(直訳すると「民族クレンジング」、「民族クリーニング」という意味)、良くて強制退去、最悪の場合は「スレブレニツァの虐殺」、「フォチャの虐殺」、「ラシュヴァ渓谷の民族浄化」のようなジェノサイドやレイプ収容所など、ナチスも顔負けの方法までとられた。レイプ収容所とは、強姦被害女性にムスリム社会が理解をあまり示さず村八分にすると百も承知の上で、ムスリム女性を大量に拉致してきて妊娠するまで犯し続け、中絶できなくなる妊娠後期まで監禁しておいてから解放する、という鬼畜の所業である。 『ピースメーカー』で核テロを起こそうとしているのは、この旧ユーゴ人だった。彼は、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国の中心都市サラエヴォの廃墟の中で、独り暮らしている。かつては妻子もいたようだ。町には、崩れかけた建物の外壁に84年サラエヴォ五輪の色褪せた看板がまだ残っている。そんな廃墟で、彼は幼い少女にピアノを教えており、少女からは「教授」と呼ばれている。彼らが、アメリカ人や日本人が憧れてやまない、ヨーロッパ文明の普遍的な洗練と本物の教養を身につけていることが、映画的に示される。さらに、彼は独りになった時、哀感を込めショパンを見事に奏で上げる。「夜想曲第20番 嬰ハ短調(遺作)」だ。映画ファンには02年の『戦場のピアニスト』でエイドリアン・ブロディが廃墟のワルシャワ・ゲットーで弾いていた曲と紹介すれば、ピンとくる人は多いかもしれないが、とにかく、ヨーロッパ型の知識人であることが、ここサラエヴォ市の廃墟のシーンでは強調される。 彼は政治家でもあり、「ボスニア議会」に議員として参加している。日本語テロップでは「ボスニア議会」としか記されておらず、英語テロップでも「Serbian Parliament, Pale, Bosnia(ボスニア・パレ市のセルビア議会)」と記されているだけだ。だが、映像では議会に横断幕が掲げられており、セルビア語で「Република Српска」と書かれている。「スルプスカ共和国」という意味だ。 ボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国の中でもセルビア共和国に接し、セルビア系ボスニア住民が数多く暮らしている地域であり、そこはボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国がユーゴ連邦から独立すると、そこからさらに独立し、セルビアとの統合を求めていった。この経緯、チェチェン紛争やナゴルノ・カラバフ戦争と瓜二つであることを思い出していただきたい。多民族雑居地域における民族紛争の、これは典型的なパターンなのだ。なお、このスルプスカ共和国軍が、前述の民族浄化などの人道犯罪を犯したのであった(ラシュヴァ渓谷の民族浄化はクロアチアの仕業だが)。 本作で核テロを起こそうと企んでいるボスニアの政治家、教授は、このようなヘイト・クライムを起こすタイプではない。スルプスカ共和国の会議に出席しているのは、セルビア系だからか、それともセルビア系をなだめるために加わっているのか、はっきりしない。ただ、核テロ犯行声明のVTRで彼は、 「私はセルビア人、私はクロアチア人、私はムスリム」 と名乗りを上げている。つまり、「私はユーゴスラビア人だ!」と言いたいのだろう。旧ユーゴでは、セルビア人とクロアチア人とムスリムの間に、分断はなかった。ユーゴスラビアという一つの統一国家の同じ国民だったのだ。それがバラバラに分裂し、憎しみ合っている現状への批判が、「私はセルビア人、私はクロアチア人、私はムスリム」という犯行声明の名乗りには込められている。 筆者は、89年からのダイナミックな東欧革命とソ連崩壊の劇的なドラマに魅了され、この分野を大学では学んだ。旧ユーゴについてもユーゴから来た女性講師がおり、そのもとで学んだが、彼女も決して自分がセルビア人なのかクロアチア人なのか(おそらくムスリムではなかったと思うが)明かさず、「私はユーゴ人だ」と自己規定していた。ちょうど母国が分裂し殺し合いをしていた時期だった。 彼らは、ヘイトに染まるような無教養層ではない。筆者の大学時代の恩師である、成績優秀でユーゴ共産党の国費留学生として中国の大学で学び、日本にまで興味を広げて来日し移住したような国家のトップエリートや、この映画に出てくる、ショパンを弾きこなす政治家の教授のようなインテリゲンツィアならば、そこは当然、他民族へのヘイトスピーチなど吐くわけがなく、「いや、自分はユーゴ人だ!」と言うに決まっているのである。 男は、外交官特権を隠れみのにNYに核を持ち込んでテロを起こそうとしているのだった。なぜNYで?犯行声明で彼は理由を語る。 「我々(旧ユーゴ)は長く共生を試みてきた。我々の間での戦争が始るまでは。戦争を仕掛けたのは我々の指導者らだ。だがセルビアの爆弾は誰が供給した?クロアチアの戦車は?ムスリムの砲弾はどうだ?それで子供たちが死んだ。我々の国境線を引いたのは西側諸国の政府なのだ。時にはインクで、時には血で。人民の血で…。 いま平和維持軍(ピースキーパー)が派遣され、再び我々の運命を定める。こんな平和は要らない!我々に苦痛しかもたらさない!この苦痛を和平調停者(ピースメーカー)にも感じてもらう。彼らの妻、子供たち、彼らの議会、そして教会…そうすればあなた方も理解しよう、我々の運命は我々自身の手に委ねよ!皆に神のご慈悲あれ」 この映画の深刻な問題点が、この犯行動機だ。これは、おかしい!不本意ながら本稿の終わりに、この点をつぶさに批判して、筆を擱くことにしよう。 まず、セルビアの爆弾もクロアチアの戦車もムスリムの砲弾も、元はユーゴ連邦軍の所有物であって、別にアメリカが武器輸出をしたわけでも何でもない。ユーゴ内戦と同時に、安保理決議713号によって旧ユーゴ圏への武器全面禁輸措置がとられていたのだから。彼ら元ユーゴ人たちは、自分たちが税金で買い揃え、武器庫に貯め込んできた兵器で、互いに殺し合いを始めてしまったのだ。アメリカのせいではない。 また「我々の国境線を引いたのは西側諸国の政府」というのも、とんでもない事実誤認で、こんな勘違いをする本物のユーゴ人など一人もいないはずだ。すでに見てきた通り、旧ユーゴ構成各国の国境線は、オーストリア帝国の汎ゲルマン主義やイタリアとの繋がり、あるいは汎スラヴ主義、そしてトルコ支配によるイスラム化と、複雑な歴史的経緯に基づいて線引きされてきたもので、西側、たとえばイギリスだのフランスだの、まして新興国アメリカだのとは、一切関係が無い。言いがかりにも程がある。西側が国境線を人工的に引いたという批判は、アフリカや中東、朝鮮半島には当てはまるが、ユーゴには全く当てはまらない。 従って、NYで核テロを起こさなければならない理由が、さっぱりわからない。「この苦痛をピースメーカーたちにも感じてもらう。彼らの妻、子供たち、彼らの議会、そして教会…」というのは完全に「そばづえを食う」というやつだし、挙げ句の果てに「いま平和維持軍(ピースキーパー)が派遣され、再び我々の運命を定める。こんな平和は要らない!我々に苦痛しかもたらさない!」などと言うのは、実際に現地で家族を虐殺されたりレイプされたりした戦災犠牲者が聞いたら激怒するのではないか!? というぐらいに、ピントがズレまくっている。 最後、核弾頭と起爆装置を持ったこの男を、クルーニーとニコマンはNYのド真ん中で追い詰める。男は再び筋違いの恨み言をまくし立て、それに対してクルーニーが一言「我々の戦争じゃない」と突き放したようなことをつぶやくが、仰る通りなのである!映画としてアメリカが巻き込まれる理由を強引にひねり出してきたな…というのが感想だ。『クリムゾン・タイド』でも知られる脚本家マイケル・シファー、本作では少々詰めが甘かった。なおシファーはこの後、ゲーム「コール オブ デュー」シリーズのスクリプト担当に収まったそうな。 なお、本作は『ONE POINT SAFE(原題)』という、ジャーナリストが書いたノンフィクションが着想の元となっている。その梗概に目を通すと、ロシアの核管理の甘さや核流出・核拡散のリスクを検証したルポルタージュであったようだ。本作前段のロシア関連のくだりにその影響が残っているのだろうが、当時、世界の関心の的であったユーゴ問題を割と消化不良のままでシナリオに持ち込んでしまったのは、誰の責任なのか…。 ユーゴ内戦を描いた映画は様々に、しかもリアルタイムでも制作され、優れた作品も数多い。旧ユーゴの国々で製作された作品もある。ここでそれらを紹介する紙幅はもはや無いが、筆者としては、いつか機会を与えられれば取り組んでみたい作品群だ。 さて、男は起爆装置を起動させてしまう。はたして、解除できるのか!?というサスペンスがクライマックスには用意されているのだが、そこまでネタバレする必要はないだろう。 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 以上見てきた通り、この『ピースメーカー』は、混迷のロシアのモラルを失くした腐敗軍人、ソ連の栄光の復活を望む保守強硬派、という当時のハリウッド映画のステレオタイプ的な悪役を登場させつつ、さらにその先で、冷戦後の世界が直面することになった「民族問題」についてメインで取り上げようとしているのだと、終盤にいたって明らかになる。少々ピントはずれなところはあっても、問題喚起として高い志を抱いて制作された映画であることは認めたい(ドリームワークスの1作目だ)。チェチェンとナゴルノ・カラバフ、そしてユーゴと、90年代「民族問題」地獄めぐりのような構成は、クライマックスにおいて、NYで核自爆テロを計画する男の悲しみと怒りへと収歛していく。 39年からの第二次世界大戦は(少なくともヨーロッパ戦線は)、この「民族問題」によって引き起こされた。チェコのドイツ系住民が多く暮らす土地をドイツ本国に併合したい、ポーランドにあるドイツの飛び地まで続く土地を奪ってドイツ本国と連絡させたい…まさに、チェチェン紛争、ナゴルノ・カラバフ戦争、ユーゴ内戦と全く同じ理由で、あれほどの惨禍が起こったのだ。 戦後の冷戦では、替わって理念の戦いが繰り広げられた。だが冷戦の終結によって、90年代、再び「民族問題」が蘇ってしまった。最良の日々90年代に、世界のいくつかの場所で凄惨な殺し合いにまで発展したこの「民族問題」は、その後、希釈され、西側先進国を含む全世界に、広くあまねく浸透した。今そこにあるヘイト。会いに行けるヘイト。市井のヘイトは我々のすぐ身近にまで忍び寄ってきている。それが、我々が暮らした2010年代の世界の有り様だった。 あと数日で始まる2020年代の世界は、はたして、どうなってしまうのだろうか。同じ過ちを繰り返さぬ唯一の方法は、歴史から学ぶことしかない。映画は、その最良の入り口としての役割も担っているのである。■ TM & © 2020 DREAMWORKS LLC. 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COLUMN/コラム2017.05.20
同業者からリスペクトされるジョージ・クルーニーの映画人としての使命感が映像に結実した、入魂の『グッドナイト&グッドラック』〜05月09日(火)ほか
『シリアナ』(05)でアカデミー助演男優賞を受賞した時、壇上に上がったジョージ・クルーニーのスピーチに耳を傾ける同業者たちの、尊敬と憧れに満ちた表情が今でも忘れられない。クルーニーはこう言い切った。『映画に携わる仲間の一員であることを誇りに思う』と。場内に割れんばかりの拍手と歓声が沸き上がったことは言うまでもない。 同年、クルーニーが2度目の監督作に選んだ『グッドナイト&グッドラック』を見ると、まさしくオスカーナイトでの言葉通り、彼が映画人としての使命にいかに忠実であるかがよく分かる。選んだネタは、1950年代のアメリカ社会で吹き荒れたマッカーシー上院議員による反共産主義活動、いわゆる赤狩りに敢然と挑み、マーカーシズムの悪夢を終焉へと導くきっかけになったTVマンたちのリアルストーリーだ。宗教や思想の自由を束縛する政治の横暴に立ち向かおうとした人々を映像で蘇らせること。それはそのまま、今のハリウッドに求められるミッションだと、彼は確信したに違いない。その決断が、10年後のまさに今の今、これほど重い意味を持つことになるとは、当時のクルーニー自身、想像だにしていなかったかも知れないが。 物語のキーマンは、アメリカ3大ネットワークの1つ、CBSの人気ニュース番組"シー・イット・ナウ"のキャスター、エド・マローだ。ある空軍兵士が赤狩りによって不当に除隊処分されようとしている事実を掴んだマローと番組スタッフが、マッカーシー側の圧力を受けながらも、虚偽と策謀の実態を生放送の中で告発していくプロセスを、クルーニーは当時のニュースフィルムと自ら撮った映像とを交えて構成。そこまでなら、多くの監督が取ってきた既存の手段だ。1950年代にはモノクロだったTV番組を克明に再現するため、カラーで撮ったフィルムをポスト・プロダクションであえて彩度を落としてモノクロに変える方法も、さほど珍しくはない。 監督としてのジョージ・クルーニーが同業他者と少し違うのは、その徹底した美意識だ。マローはCBS入社後、第二次大戦下のロンドンでラジオ・ジャーナリストとして番組を担当していた時、毎夜ナチスの空襲に脅えるロンドン市民に対して、番組終了間際に『グッドナイト、アンド、グッドラック』と呼びかけることで知られていた。もしかして就寝後、爆死するかも知れない人々の耳に『おやすみ、そして、幸運を祈ります』がどう届いたか?想像に難くないが、"シー・イット・ナウ"でもその決まり文句が番組の結びにも使われていたことから、クルーニーは映画のタイトルとして流用。しかし、そんなキザな文句を台詞としてかっこよく決められる俳優はそう多くない。 そこで、発案段階から監督のファースト・チョイスだったのがデヴィッド・ストラザーンだ。映画デビュー前の数年間を舞台俳優として全米各地を巡演したこともあるストラザーンの口跡の良さを見抜いていたクルーニーは、信念を持って彼を主役に抜擢。一語一語が視聴者の心に届くようなその紳士的な抑揚と発音は、社会を覆う赤狩りの暗雲を切り裂く鋭利な刃物のようで、監督の狙いはどんぴしゃだったはず。声だけじゃない。ストラザーンの顔の輪郭、特に美しい眉と目が、本番中、左下に置かれた原稿とカメラの間をゆっくりと往復する時、観客は思わず惹きつけられて当時のTV視聴者になったような錯覚を覚えるほど。実物のマローはストラザーンとは似ても似つかぬルックスだが、左下と正面を往復する目線は全く同じ。監督が事実を忠実にコピーしていることが伺える。『シリアナ』でクルーニーと組み、後に『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(07)でオスカーに輝くカメラマン、ロバート・エルスウィットの、ストラザーンの輪郭を熟知したアングルとライティングにも注目して欲しい。 クルーニーは脇役にもこだわった。台詞がある役には1950年代のアメリカ人らしい顔と雰囲気を持った俳優たちが集められた。番組スタッフ役のロハート・ダウニーJr(『アベジャーズ』の前は『チャーリー』(92)で赤狩りでハリウッドを追われたチャップリンを好演)、同じくパトリシア・クラークソン(『エデンより彼方に』(02)で'50年代のブルジョワ主婦役)、同じくテイト・ドノヴァン(『メンフィス・ベル』(90)で第2次大戦を戦った米軍パイロット役)、放送局幹部役のジェフ・ダニエルズ(『カイロの紫のバラ』(85)で往年の映画スター役)、そして、プロデューサー役にはクラシックビューティの権化とも言うべきジョージ・クルーニー本人という、まさにパーフェクトな布陣である。 音楽も粋だ。シークエンスとシークエンスを繋ぐグッド&オールドなジャズナンバーを歌うのは、現役最高峰のジャズシンガーと言われるダイアン・リーヴス。劇中でリーヴスのバッグハンドを務め、映画で使われる全曲のアレンジを担当しているのは、監督の叔母で歌手兼女優だったローズマリー・クルーニー(02年に他界)のラスト・アルバムをプロデュースしたマット・カティンガブだ。 マローが"シー・イット・ナウ"と同じくホストを務めるインタビュー番組"パーソン・トゥ・パーソン"で、伝説のピアニストでワケありのリベラーチェに白々しく結婚観を質問した直後の気まずい表情、同番組で話題に上がるミッキー・ルーニーのほぼレギュラー化していた新婚生活情報(ルーニーは93年の生涯で計8回結婚)等、クルーニーとグラント・ヘスロブが執筆した脚本には、けっこうな毒も含まれている。その最たるものは、劇中のほぼ全ショットにタバコの煙が充満している点だ。番組スタッフは四六時中タバコを吹かし、マローに至っては本番間際にプロデューサーから火を点けて貰い、カメラが回り始めても吸い続けていると言った具合だ(ストラザーンはノンスモーカーらしいが)。これには理由があって、CBSのオーナー、ウィリアム・ペイリーがタバコ会社の御曹司で、社会の喫煙には寛容だったようなのだ。 つまり、ペイリーは反マッカーシズムを貫いた結果、スポンサー離れを招いた"シー・イット・ナウ"のスタッフを危険視しつつも、社員の健康には無頓着だったということになる。そんな、ある意味古き良き企業の矛盾を炙り出しながら、赤狩り時代のTV界をヒントに、ニュース番組の、ひいては映画産業のあるべき姿を問い質そうとしたとした監督・脚本・出演のジョージ・クルーニーは、やはり業界人にとって眩しい存在に違いないという、再び冒頭の結論に立ち戻ってしまう。 結婚以来、俳優としてはどうやら一段落つき、今秋の全米公開に向けて製作中の最新監督作『Suburbicon(原題)』は、マット・デイモンを主役に迎えた初のミステリーだとか。そんなクルーニーに新たなラックが訪れることを祈りたいと思う。■ ©2005 Good Night Good Luck, LLC. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2016.09.07
Don’t play it again, Steven.(おイタをするのはもうやめて、スティーヴン)ソダーバーグがハリウッドの古典的映画作りと倒錯的に戯れた実験作『さらば、ベルリン』
「基本的にソダーバーグはコンセプト先行型の監督で、作品ごとの狙いがヴィジュアルにも反映されている」と、先の記事の中で村山氏が指摘しているが、この『さらば、ベルリン』(2006)は、まさにその言葉がよく当てはまる、ソダーバーグならではの野心的な実験作と言えるだろう。ここでのソダーバーグの狙いは、第2次世界大戦終戦直後の1945年、ドイツのベルリンを舞台に、それぞれワケありの複数の男女が繰り広げる愛憎と犯罪劇の行く末を、1940年代当時のハリウッド映画の視覚的スタイルに則って作り上げるというもの。 ソダーバーグはかつて『蒼い記憶』(1995)で、フィルム・ノワールの名作『裏切りの街角』(1949 ロバート・シオドマク)を、ブルーを基調とした照明やフィルターを多用してスタイリッシュかつ現代風にリメイクするという試みに挑んでいたが、ピーター・アンドリュース名義で撮影監督、さらにはメアリー・アン・バーナード名義で編集も自ら兼ねたこの『さらば、ベルリン』では、全編をシックでレトロなモノクロ画面で統一(ただし、実際にはカラーフィルムを使用して撮影を行い、ポスト・プロダクションの段階でデジタル処理をして色彩を抜く手法が採用された。同様の手法を用いたモノクロ映画の前例として、コーエン兄弟による現代版ノワール『バーバー』(2001)や、ソダーバーグ自身が共同製作総指揮を務めたジョージ・クルーニーの監督第2作『グッドナイト&グッドラック』(2005)などがある)。 また、スタジオ内のセット撮影を主体にした本作の製作現場では、複数のキャメラを同時に回して多彩なアングルのショットをいちどきに得る現代的な撮影スタイルを排して、基本的にキャメラを1台のみ使用してマスター・ショットを撮り、必要に応じて切り返しやクロースアップを活用するという、古典的な撮影スタイルを遵守。キャメラのレンズもかつて用いられていた標準的なサイズのものだけを使用し、照明も蛍光灯などは使わずに白熱光だけを用いるなど、あくまで往年のハリウッド映画の伝統的な視覚的スタイルにこだわった映画作りが推し進められた。 かくして、2006年に製作・発表されたものの、軽く一瞥しただけでは1945年に作られたハリウッド映画とつい見まがうような擬古調のモノクロ映画、『さらば、ベルリン』がここに誕生することになった。 さらに、製作・配給元のワーナーは、この『さらば、ベルリン』の売り出しにあたって、念の入ったことに、映画ファンならずとも誰もがよく知るあのお馴染みの名作、『カサブランカ』(1942 マイケル・カーティス)の劇場公開用ポスターのデザインや題名の字体をほぼそのまま踏襲した本作のポスターを作って、両者の類似を強く匂わせるイメージ戦略を取り、懸命の宣伝キャンペーンを展開した。 これでは、現代の観客が、本作の主役の男女に起用されたジョージ・クルーニー&ケイト・ブランシェットに、ハリウッドの黄金期を代表する神話的スター、ハンフリー・ボガート&イングリッド・バーグマンのロマンチックなオーラと輝きを期待しない方が、おかしいというものだろう。しかしその甘美な期待は、いざ映画を見始めるや、すぐさま手ひどく裏切られることになる…。 映画『さらば、ベルリン』は、まず冒頭、昔懐かしいワーナー映画のロゴマークが登場するのに続いて、第2次世界大戦における欧州戦線終戦直後、戦争による破壊の爪痕が何とも痛々しく、すっかり荒廃して至るところが瓦礫の山と化したベルリンの光景と街角に佇む人々の姿を、終戦直後に連合軍の撮影部隊が実際に同地で撮影した記録映像を通じて赤裸々に映し出すところから始まる。そして1945年7月、米英ソという連合国の3大国の首脳陣が、戦後処理のための会談を開くべくベルリン郊外のポツダムに集結し、その取材のためにベルリンを再訪した記者役のクルーニーが、かつての愛人ブランシェットと意外な形で再会を果たしたことから、本作のドラマはいよいよ本格的に動き出す。やがて物語が進むにつれ、次々と意外な事実が浮かび上がることになるわけだが、そのあたりの展開を追っていくとあれこれネタバレになってしまうので、ここではあえて詳述を避けることにしよう。 しかし、それにしても、主役2人の宿命の再会に先立って、ブランシェットが初めて劇中に本格的に姿を現す場面での、我々観客にいきなり冷水を浴びせかけるような、ソダーバーグの何ともシニカルで挑発的な演出ぶりは一体どうだろう。部屋の奥から不意に黒い人影が姿を見せ、緩やかに歩を前に進めるにつれ、ようやくその顔に光が射し、人物の正体がほかならぬブランシェットと判明するさまを、同軸のキャメラポジションからショットを2つに割って、寄りの画面で的確に描き出すところは、なるほど、ハリウッドの古典的な演出作法のお手本ともいえるもので、それ自体は見事なものだ。しかし実は何を隠そう、これには話の続き、というより前段階があって、この場面の直前に、クルーニーから財布をちょろまかした運転手の青年が、すっかり自分だけ悦に入りながら、ある女性と後背位で性交するさまをあけすけに描く場面があり、そこではベッドにうつ伏せとなって顔や表情が一切見えない彼女こそが、生活苦のために今では米兵相手の娼婦に身を落とした哀れなヒロインたるブランシェットだったと、先述の場面で初めて分かるというショッキングな仕掛け。 以前、筆者が本サイトで『白いドレスの女』(1981 ローレンス・カスダン)の紹介記事を書いた際、ノワール今昔比較と題してそこでも述べた通り、かつてハリウッドの黄金期には、〈映画製作倫理規定〉なる映画表現上のさまざまな自主規制ルールが設けられていて、性や暴力の赤裸々で直截的な描写は厳しく制限されていた。古典的なハリウッド映画において性交場面が画面に登場することなど一切ありえず、ましてや主役級の人気スターがそこに絡むことなど、もってのほか。 ソダーバーグが、古典的なハリウッド映画の視覚的スタイルを模して作ったと称する『さらば、ベルリン』は、この時点で早くも当時の制約を大きく食み出し、禁断の領域に土足で踏み込む不敬を働いていることになる(ただし、無論これは、1945年製のハリウッド映画なら完全にアウトだが、2006年のハリウッド映画ならば一応OK、という話ではあるが)。それにしても、ここで、ブランシェットの登場のさせ方のみならず、モラルや節操を一切欠いた無神経なゲス野郎の運転手の役に、当時『スパイダーマン』シリーズ3部作(2002-2007 サム・ライミ)で好感度抜群の青年主人公を演じていた人気者のトビー・マグワイアをわざわざ起用するあたり、ソダーバーグの底意地の悪さもここに極まれり、といった感がある。 ちなみに、本作のブランシェットのキャラ設定に関しては、第2次世界大戦の終結後間もなく、やはりベルリンの荒廃した地を舞台に撮られた映画、『異国の出来事』(1948 ビリー・ワイルダー)でマレーネ・ディートリッヒが演じたヒロインの影響も色濃く感じられる。ただし、この諷刺喜劇において、ワイルダー監督がディートリッヒ扮するしたたかなヒロインを軽妙に描き出しているのに引き換え、この『さらば、ベルリン』でのブランシェットは、いかにも演技派女優らしく、深い絶望と諦念を滲ませながらどこまでも暗くシリアスに役を演じていて、往年のスター女優のように、我々観客を決して甘い陶酔や忘我の世界へ誘うことはない。 結局、この『さらば、ベルリン』は、古典的なハリウッド映画を彷彿とさせるスタイリッシュな視覚的表現の達成という点においてはそこそこ評価されたものの、ソダーバーグやワーナーの意気込みとは裏腹に、世間一般からは芳しい評判を得ることが出来ず、興行的に惨敗を喫することとなった。ソダーバーグは、下手に『カサブランカ』の名前なんかを持ち出したから、誰もがそれと引き比べることになって失敗した、と後にインタビューで告白しているが、ジョゼフ・キャノンの原作小説を大きく改変し、映画のクライマックスに、『カサブランカ』をつい想起させずにはおかない空港での一場面を自ら付け加えておいて、いまさらその言い草はないだろう。やはり、自業自得というほかない。そして哀しいかな、「君の瞳に乾杯!」という賞賛の言葉が、皮肉抜きで『さらば、ベルリン』に投げかけられることはなかった。You must remember this.■ © Warner Bros. Entertainment Inc. & Virtual Studios, LLC
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COLUMN/コラム2013.09.01
2013年9月のシネマ・ソムリエ
■9月7日『白いカラス』 講義中の何気ない発言が黒人への差別だと糾弾され、辞職に追い込まれた古典学の大学教授コールマン。実は彼自身も“肌の色”にまつわる重大な秘密を隠し持っていた。 現代米国文学の巨匠フィリップ・ロスの小説「ヒューマン・ステイン」を映画化。主人公の数奇な人生を通して、人種差別問題の根深さ、複雑さを描く人間ドラマだ。実力派の豪華俳優陣が、癒しようのない心の傷を抱えた男女の悲痛な運命を体現。田舎町の荒涼とした冬景色と相まって、静謐にして重厚な緊迫感みなぎる一作である。 ■9月14日『ファンタスティック Mr.FOX』 『ムーンライズ・キングダム』の若き鬼才、W・アンダーソン監督が初めて手がけた長編アニメ映画である。原作はロアルド・ダールの児童文学「すばらしき父さん狐」。 元泥棒の野生キツネが仲間を率いて、農場を営む傲慢な人間とのバトルを展開。昔ながらのコマ撮りアニメの手作り感を生かした活劇シーンは、胸弾むスリルと痛快さ! 主人公のキツネ夫婦の声を担当するのはG・クルーニーとM・ストリープ。アンダーソン監督のユニークな美学と遊び心が全開のカメラワーク、美術、音楽もご堪能あれ。 ■9月21日『シングルマン』 世界的なトップデザイナー、トム・フォードの監督デビュー作。同性の恋人を事故で亡くしたことで生きる意味を失い、自殺を決意した大学教授のある一日を映し出す。 TVドラマ「マッドメン」の美術デザイナーを起用し、1960年代L.A.の風俗を再現。主人公のガラス張りの邸宅や衣装など、あらゆる細部に繊細な美意識が感じられる。 死へのカウントダウンのサスペンス、幻想的な悪夢や回想シーンを織り交ぜ、喪失と孤独の痛みをスタイリッシュに表現。冷たい色気が香り立つ映像美が見事である。 ■9月28日『サラの瞳』 フランス人作家タチアナ・ド・ロネの同名ベストセラー小説を映画化。1942年、ナチス占領下のパリで起こった衝撃的なユダヤ人迫害事件を、現代からの視点で描き出す。 現代のパリに住む女性ジャーナリストが、戦時中に家族とともに連れ去れたユダヤ人少女サラの消息を追う。そのミステリーに隠された痛切な人間模様に胸を打たれる。 歴史の重い真実と向き合おうとするジャーナリストの微妙な心の移ろいを、K・スコット・トーマスが好演。東京国際映画祭で監督賞、観客賞を受賞した作品でもある。 『白いカラス』©2003 FILMPRODUKTIONGESELLSCHAFT MBH&CO .1.BETEILIGUNGS KG 『ファンタスティック Mr.FOX』© 2009 Twentieth Century Fox Film Corporation and Indian Paintbrush Productions LLC. All rights reserved. 『シングルマン』©2009 Fade to Black Productions, Inc. All Rights Reserved. 『サラの鍵』© 2010 - Hugo Productions - Studio 37 -TF1 Droits Audiovisuel - France2 Cinéma
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COLUMN/コラム2013.08.02
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2013年8月】にしこ
ひょんなことからフセインが密かにもっているという金塊の存在を知った米軍兵たちが、一攫千金を目指してお宝探しに乗り出すところから物語は始まります。シニカルかつテンポ良く物語は進んでいきますが、作品のテーマはやはり「戦争の理不尽さ」。随所に織り込まれるコミカルだけれど、皮肉たっぷりな戦争へのアンチテーゼは押しつけがましくなく、それゆえ観る人に訴えかけるものがあります。「いい車が欲しい!」「金持ちになりたい!」とヨコシマな気持ちから始めた冒険。旅の終わりに彼ら心に起きる変化とは?必見です!! TM & © Warner Bros. Entertainment Inc.
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COLUMN/コラム2013.03.31
2013年4月シネマ・ソムリエ
■4月6日『テンペスト』 シェイクスピアの同名戯曲を『クィーン』のオスカー女優H・ミレン主演で映画化。原作の男性主人公プロスペロを、プロスペラという女性に置き換えた愛憎劇である。 監督は、映画&演劇界で独創的な演出力を発揮しているJ・テイモア。原作のセリフを忠実に採用する一方、孤島の風景をダイナミックに捉え、大胆にCGを導入した。復讐に燃えるプロスペラ役のH・ミレンが、気迫に満ちた演技で怨念と母性を体現。ベン・ウィショー演じる妖精のキャラクターが、幻想的な興趣とユーモアを添えている。 ■4月13日『さらば、ベルリン』 1945年、ポツダム会談を取材するためにベルリンを訪れたアメリカ人ジャーナリスト、ジェイク。そこで元愛人のレーナと再会した彼は、巨大な陰謀に巻き込まれていく。S・ソダーバーグ監督が放ったミステリー劇。古典的なフィルムノワール風のモノクロ映像の中に、『カサブランカ』を彷彿とさせる男女の宿命的なドラマが展開する。終戦直後の混沌とした人間模様から浮かび上がってくるのは、複雑な秘密を隠し持つニーナという女性の肖像。C・ブランシェットが罪深くも美しいヒロインを好演した。 ■4月20日『アルフレード アルフレード』 “イタリア式コメディ”と呼ばれる艶笑喜劇の快作を多数世に送り出したP・ジェルミ監督の遺作。男性主人公の目線で“結婚”という題材を扱った奇想天外なドラマだ。冴えない銀行員アルフレードが、妖艶な美女マリア・ローザに猛アタックされて結婚式を挙げる。ところがその先に待ち受けていたのは、悪夢のような夫婦生活だった! D・ホフマンが突然モテ男になった主人公の困惑をコミカルに表現。恐ろしいほど情熱的で気まぐれなヒロインに扮したS・サンドレッリの怪演からも目が離せない。 ■4月27日『スティック・イット!』 チアリーディングを題材にしたヒット作『チアーズ!』の脚本家J・ベンディンガーの初監督作。女子体操競技の世界にスポットを当てた青春スポーツ・コメディだ。反逆児のレッテルを貼られながらも体操界に復帰した17歳の少女の奮闘を、ポップな映像&音楽とともに活写。何とコーチを演じるのはオスカー俳優J・ブリッジス!豪快な競技シーンをふんだんに盛り込みつつ、体操界の内幕もちらりと描出。大会に出場したヒロインたちが、審判の採点に猛抗議するという意外な展開にも驚かされる。 『テンペスト』©2010 Touchstone Pictures 『さらば、ベルリン』TM & © Warner Bros. Entertainment Inc. 『アルフレード アルフレード』1972@ MEDIATRADE 『スティック・イット!』© Touchstone Pictures. All rights reserved/© KALTENBACH PICTURES GmbH & Co. All rights reserved
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COLUMN/コラム2013.01.10
2013年1月のシネマ・ソムリエ
■1月12日『ヤギと男と男と壁と』 イラク戦争を取材するため中東へ旅立った米国地方紙の記者ボブ。やがて彼が出会った奇妙な中年男リンは、何と米軍が密かに設立した超能力部隊のメンバーだった!内容は荒唐無稽だが、原作は「実録・アメリカ超能力部隊」というノンフィクション。ベトナム戦争以後の米軍の知られざる仰天真実に迫ったブラック・コメディである。全力疾走で壁をすり抜ける、眼力でヤギを殺す、などの珍エピソードが満載。よくも揃った豪華実力派キャストが、大真面目な顔つきの怪演で爆笑&失笑を誘う痛快作だ。 ■1月19日『マンデラの名もなき看守』 悪名高きアパルトヘイト施行下の南アフリカを舞台にした実録ドラマ。服役中のネルソン・マンデラと心を通わせた白人刑務官ジェームズ・グレゴリーの手記の映画化だ。1968年、赴任先のロベン島でマンデラの監視を命じられたジェームズ。当初は凶悪犯と見なしていたマンデラの気高い思想に触れた彼は、国の政策に疑問を抱き始める。マンデラ役は『24 -TWENTY FOUR-』のパーマー大統領役で知られるD・ヘイスバート。名匠B・アウグストがマンデラ釈放までの長い軌跡を堅実かつ感動的に描いた。 ■1月26日『結婚記念日』 『ハリーとトント』のP・マザースキー監督が手がけたコメディ。W・アレン&B・ミドラーという意外な顔合わせの2人が、結婚17年目の熟年カップルを演じている。主人公はロスの高級住宅街で暮らす弁護士と心理学者の夫婦。映画館やバーを備えたショッピングモールを舞台に、ケンカと和解を繰り返す男女の会話バトルを描く。お世辞にも“お似合い”とは言いがたいインテリ夫婦を、アレン&ミドラーがそれぞれの芸風を生かして好演。大型モール内のにぎわいを幕間に挿入した構成も楽しめる。 『ヤギと男と男と壁と』© 2009 Westgate Film Services, LLC. All Rights Reserved 『マンデラの名もなき看守』©ARSAM INTERNATIONAL,CHOCHANA BANANA FILMS,X-FILME CREATIVE POOL,FONEMA,FUTURE FILM FILM AFRIKA 『結婚記念日』© Touchstone Pictures. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2013.01.10
2013年1月のシネマ・ソムリエ
■1月12日『ヤギと男と男と壁と』 イラク戦争を取材するため中東へ旅立った米国地方紙の記者ボブ。やがて彼が出会った奇妙な中年男リンは、何と米軍が密かに設立した超能力部隊のメンバーだった!内容は荒唐無稽だが、原作は「実録・アメリカ超能力部隊」というノンフィクション。ベトナム戦争以後の米軍の知られざる仰天真実に迫ったブラック・コメディである。全力疾走で壁をすり抜ける、眼力でヤギを殺す、などの珍エピソードが満載。よくも揃った豪華実力派キャストが、大真面目な顔つきの怪演で爆笑&失笑を誘う痛快作だ。 ■1月19日『マンデラの名もなき看守』
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COLUMN/コラム2013.01.10
2013年1月のシネマ・ソムリエ
■1月12日『ヤギと男と男と壁と』 イラク戦争を取材するため中東へ旅立った米国地方紙の記者ボブ。やがて彼が出会った奇妙な中年男リンは、何と米軍が密かに設立した超能力部隊のメンバーだった!内容は荒唐無稽だが、原作は「実録・アメリカ超能力部隊」というノンフィクション。ベトナム戦争以後の米軍の知られざる仰天真実に迫ったブラック・コメディである。全力疾走で壁をすり抜ける、眼力でヤギを殺す、などの珍エピソードが満載。よくも揃った豪華実力派キャストが、大真面目な顔つきの怪演で爆笑&失笑を誘う痛快作だ。 ■1月19日『マンデラの名もなき看守』
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COLUMN/コラム2013.01.10
2013年1月のシネマ・ソムリエ
■1月12日『ヤギと男と男と壁と』 イラク戦争を取材するため中東へ旅立った米国地方紙の記者ボブ。やがて彼が出会った奇妙な中年男リンは、何と米軍が密かに設立した超能力部隊のメンバーだった!内容は荒唐無稽だが、原作は「実録・アメリカ超能力部隊」というノンフィクション。ベトナム戦争以後の米軍の知られざる仰天真実に迫ったブラック・コメディである。全力疾走で壁をすり抜ける、眼力でヤギを殺す、などの珍エピソードが満載。よくも揃った豪華実力派キャストが、大真面目な顔つきの怪演で爆笑&失笑を誘う痛快作だ。 ■1月19日『マンデラの名もなき看守』