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【DVD/BD未発売】暗殺組織のキテレツな内部抗争を英国流のブラックユーモア満載で描いたアクション・コメディ~『世界殺人公社』~
2015.11.12
高橋諭治
今にして振り返れば、1980年代以前のテレビ東京(かつての名称は東京12チャンネルだった)やUHFの映画枠は宝の山だった。真っ昼間や深夜にたまたま観てしまったアクションやスリラーやホラーがいちいち強烈で、あの頃の記憶をたどると「あれ、何ていうタイトルだったかなあ」「死ぬまでに何とかもう一度観られないものか」という怪作、珍作、ケッ作がわんさか脳裏に浮かび上がってくる。日本での封切り時に「殺人のことなら、何でも、ご要望に応じます!!」という人を食ったキャッチコピーがつけられた1969年のイギリス映画『世界殺人公社』も、まさにそんな幻の1本であった。 20世紀初頭のヨーロッパ各地で謎だらけの殺人事件が続発し、ロンドンの新米女性記者ソーニャが取材に乗り出すところから物語が始まる。道ばたで盲目の男性からメモを手渡され、指示に従って帽子の仕立屋に赴くと、あれよあれよという間に馬車に乗せられ、到着した先は“世界殺人公社”の本部。何とこのアングラ組織は殺人代行サービスを請け負い、奇想天外な手口で要人の暗殺を遂行しているのだ!
実はこの映画、「野性の呼び声」「白い牙」などで名高い動物文学の大家ジャック・ロンドンの未完小説の映画化なのだが、動物はさっぱり出てこず、不条理なまでに奇抜なストーリー展開が滅法面白い。組織の2代目チェアマンであるロシア系のイワン・ドラゴミロフと対面したソーニャは、殺しのターゲットを尋ねられて「イワン・ドラゴミロフよ」と返答する。するとイワンは「おやおや、信じがたいことだが、標的はボクのようだな」などと困惑しつつも、その意表を突いた依頼を2万ポンドで受諾。欲にまみれて堕落した組織の幹部たちに自分の命を狙わせ、自らも幹部たちを殺しにかかると宣言する。要するに、世にも奇妙な暗殺組織内での殺人合戦が繰り広げられていくのだ。 何ともデタラメな話ではあるが、映画の中身は驚くほど多彩な趣向を凝らした仕上がりで、まずは伝説のTVシリーズ「プリズナーNO.6」の音楽を手がけたロン・グレイナー作の胸弾むスコアが、アールヌーヴォー風デザインのお洒落なメインタイトルに響き渡るオープニングからして掴みはOK。 続いて登場するヒロインはダイアナ・リグですよ。彼女こそは『女王陛下の007』のボンドガール、すなわちジェームズ・ボンドが唯一結婚したテレサを演じたイギリス人女優。ボンドガール女優は大成しないというジンクス通り、その後のキャリアはパッとしなかったが、本作は『女王陛下の007』と同年に製作されたリグの貴重な主演作なのである。 そして真の主人公たるイワン・ドラゴミロフに扮するのは、紳士の国イギリスらしからぬ異端の野獣派スターとして当時名を馳せたオリヴァー・リード。暗殺を生業とする言わばシリアルキラーのくせに、罪を犯した悪人殺しに崇高な使命感を抱き、世界をよりよくするために活動していると豪語するイワンを堂々と演じている。シーンチェンジごとに神出鬼没の変装&コスプレを披露しつつも、持ち前の無骨な風貌に反したスマートなアクションと、ドヤ顔で大見得を切るセリフ回しには見惚れずにいられない。 そんなオリヴァー・リード=イワンの命を狙う幹部連中のキャスティングもやけに豪華だ。クルト・ユルゲンス、フィリップ・ノワレらの国際色豊かな面々が、ドイツの将軍やらパリの売春ホテル経営者に扮して曲者ぶりを発揮。おまけに組織を乗っ取ってヨーロッパを支配する野望に燃える副チェアマンをテリー・サバラスが演じるのだから、濃厚にして重厚な存在感もたっぷり。それなのにベイジル・ディアデン監督(『紳士同盟』『カーツーム』)の語り口は、とことんハイテンポで軽妙洒脱だったりする。 前述の通り、本作は『女王陛下の007』と同年に作られたが、まるで歴代ボンドの中で最もユーモア感覚に長けたロジャー・ムーアの登場を先取りしたかのようなスパイ・コメディのテイストも味わえる。序盤、組織の幹部が円卓を囲むシーンは“スペクター”の会議のようだし、イワンとソーニャがロンドン、パリ、チューリッヒ、ウィーン、ヴェニスをめぐって群がる敵を返り討ちにしていく設定も“007”風。ダイアナ・リグに至ってはノングラマーのスリムボディを大胆露出(といってもヌードではなく、素肌にバスタオル姿どまりだが)し、『女王陛下の007』以上のお色気サービスを満喫させてくれる。 クライマックスは観てのお楽しみだが、巨大な飛行船と特大の爆弾を持ち出したそのシークエンスの何と馬鹿馬鹿しくて壮大で痛快なこと! ジェームズ・ボンドばりに八面六臂の大暴れを見せつけるオリヴァー・リードが、ますますロジャー・ムーアのように見えてくるこの懐かしの怪作。ザ・シネマでの放映にあたって初めてエンドロールを確認できたが、撮影場所のクレジットは案の定“made at パインウッド・スタジオ”であった。イギリス流のシニカルなユーモアが大爆発する逸品を、とことんご堪能あれ!■
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【DVD/BD未発売】淡い詩情を漂わせ、恋愛の残酷な本質にそっと触れた珠玉の小品~『くちづけ』~
2015.11.07
高橋諭治
なぜか日本では未だソフト化されていない1969年のアメリカ映画『くちづけ』は、アラン・J・パクラ監督のデビュー作である。ハリウッド・メジャーの一角、パラマウントでプロデューサーを務めたのちに監督へと転身したパクラは、ジェーン・フォンダ主演のサスペンス劇『コールガール』(71)で成功を収め、ウォーターゲート事件を題材にしてアカデミー賞4部門を制した『大統領の陰謀』(76)で名匠の仲間入りを果たした。そのほかにも『パララックス・ビュー』(74)、『ソフィーの選択』(82)、『推定無罪』(90)など、陰影あるミステリー映画や人間ドラマで職人的な手腕を発揮した。 そのパクラ監督が『コールガール』の2年前に発表した本作は、何やらエロティックな連想を誘う邦題がついているが、扇情的な官能描写とは無縁のみずみずしい青春ロマンスだ。主人公はアメリカ東部の大学に入学するため、バスに乗ろうとしているジェリー。いかにも内気な優等生といった風情で、昆虫オタクでもある彼の視界に突然、プーキー・アダムスという女の子が飛び込んでくる。
プーキーはジェリーとは別の大学の新入生なのだが、彼女は見かけも性格も普通の女子大生とは違っていた。文学少女風のショートヘアにべっ甲の丸縁メガネをかけ、困惑するジェリーにお構いなく「人間は70年間生きたとしても、いい時間は1分だけなのよ」などと甲高い声で一方的に奇妙なことをしゃべりまくる。バスを降りていったん別れた後も、ジェリーが入居した男子学生寮に押しかけてきて、一緒に遊ぼうと持ちかけてくる。かくして、すっかりプーキーのペースに巻き込まれたジェリーは、成り行き任せで彼女とのデートを重ねていくのだが……というお話だ。 本作が作られた1969年はアメリカン・ニューシネマの真っただ中だが、ここには『いちご白書』(70)のような若者たちの悲痛な叫びはない。翌1970年に大ヒットした『ある愛の詩』のように、身分の違いや難病といったドラマティックな要素が盛り込まれているわけでもない。ジェリーとプーキーが草原、牧場、教会などをぶらぶらとデートし、他愛のない会話を交わすシーンが大半を占めている。 しかし大学街の秋景色をバックに紡がれるこのラブ・ストーリーは得も言われぬ淡い詩情に満ちあふれており、フレッド・カーリン作曲、ザ・サンドパイパーズ演奏による主題歌「土曜の朝には」のセンチメンタルなメロディも耳にこびりついて離れない。このフォークソングはアカデミー歌曲賞候補に名を連ねたが、この年オスカー像をかっさらったのは『明日に向って撃て!』におけるバート・バカラックの「雨にぬれても」だった。 とはいえ、本作の魅力はノスタルジックな詩情だけではない。やがて中盤にさしかかるにつれ、映画のあちこちに不穏な“影”が見え隠れし始める。デートで墓場に立ち寄ったりする主人公たちに強風が吹きつけたり、プーキーがウソかマコトかわからない身の上話を告白したりと、それまで恋に夢中であることの喜びを謳い上げていた映画に、そこはかとなく嫌な予兆がまぎれ込んでくるのだ。エキセントリックな言動を連発していたプーキーが、実はただならぬ“孤独恐怖症”とでもいうべき病的な一面を抱えていることが明らかになってきて、ふたりの関係はメランコリックなトーンに覆われていく。 終盤、忽然と姿を眩ましたプーキーのことが心配になったジェリーが、ようやく彼女の居場所を突き止めてある部屋の“扉”を開けるシーンは、観る者に最悪のバッドエンディングさえ予感させ、ほとんどスリラー映画のように恐ろしい。 プーキーを演じたライザ・ミネリはご存じ代表作『キャバレー』(72)でアカデミー主演女優賞に輝いた大スターだが、それに先立って本作でもオスカー候補になっている。まるでストーカーのように押しかけてくるファニーフェイスのプーキーが、ジェリーとの恋を通してぐんぐんキュートに変貌していく様を生き生きと体現。後半には一転、ヒロインの内なる孤独の狂気をも滲ませたその演技は、今観てもすばらしい。ライザ・ミネリがまだ日本で“リザ・ミネリ”と呼ばれていた頃の映画初主演作である。 言うまでもなくラブ・ストーリーは今も昔も映画における最も“ありふれた”ジャンルだが、本作は何も特別なことを描いていないのに、一度観たら忘れられないラブ・ストーリーに仕上がっている。愛すべきキャラクターと魅惑的な詩情を打ち出し、誰もが経験したことのある恋愛の残酷な本質にそっと触れたこの映画は、今なお切ない刹那的なきらめきを保ち、ザ・シネマでの放映時に新たなファンを獲得するに違いない。■
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【DVD/BD未発売】ゴールドの輝きを放つ埋もれた至宝 オシャレな痛快娯楽活劇〜『黄金の眼』〜
2015.10.14
桑野仁
時は、今を遡ること約半世紀前、当時まだ東西冷戦時代さなかの1960年代半ば。
『007/ドクター・ノオ』(62)を皮切りに、御存知、映画『007』シリーズが始まり、世界的に大ヒットしたのを受けて、『電撃フリント』2部作(66/67)や『サイレンサー』シリーズ(66-68)など、ダンディなスパイとセクシーな美女たちが敵味方相乱れて対峙し、華麗にして荒唐無稽な冒険とアヴァンチュールを繰り広げる同種の軽妙な娯楽スパイ映画が続々と登場。TVドラマの世界でも、「0011ナポレオン・ソロ」シリーズ(64-68)、「スパイ大作戦」シリーズ(66-73)など、数多くの模倣・類似作が作られて、60年代のポップで華やかなエンターテインメント文化は、世界中で大いに活況を呈することになる。
「スパイ大作戦」は、いまや周知の通り、トム・クルーズ製作・主演の大ヒット映画『ミッション:インポッシブル』シリーズ(96-)として現代に蘇ったわけだが、そのオリジナルTV版の誕生に、『007』シリーズと並んで大きな影響を与えたのが、こちらはスパイではなく、泥棒一味による大胆不敵な強奪計画の行く末を愉快に綴った映画『トプカピ』(64)。そして、これに続いて、イタリア製の『黄金の七人』(65)や、オードリー・ヘップバーン主演の『おしゃれ泥棒』(66)など、上質の娯楽犯罪喜劇映画も次々と生み出された。
さらには、お馴染みの人気アメコミ・ヒーロー「バットマン」も、実写版TVドラマ・シリーズ(66-68)として全米のお茶の間に復活。フランスからは、往年の人気大衆小説をもとに、覆面の怪盗主人公が『ファントマ』映画3部作 (64-67)で蘇り、さらには、イギリスの新聞連載漫画を原作に、異才ジョゼフ・ロージーが、キャンプ趣味満載の奇妙奇天烈な女スパイ映画『唇からナイフ』(66)を発表するのも、まさにこの頃。
そして、奇しくも日本ではあのモンキー・パンチ原作のお馴染みの人気漫画「ルパン三世」の雑誌連載が始まった1967年、イタリアから、同国の人気コミックを映画化した新たな魅惑作が登場する。それが、今回ここに紹介する痛快娯楽活劇『黄金の眼』(67)だ。
■イタリア映画界が生んだマエストロ、マリオ・バーヴァの世界へようこそ
『黄金の眼』の監督を手がけたのは、本来“イタリアン・ホラーの父”として名高いマリオ・バーヴァ(1914-80)。遅咲きの長編劇映画監督デビュー作『血ぬられた墓標』(60)で世界的ヒットを飛ばして、イタリア映画界に一躍ホラー映画ブームを巻き起こした彼は、以後も耽美的なゴシック・ホラーの傑作を次々と放つ一方、時代に先駆けて“ジャッロ”と呼ばれる猟奇サスペンスものやスラッシャー映画も手がけて、ホラー映画の新たな地平を切り拓いたマエストロ。独特の様式美に満ちた彼の映像世界に魅せられる映画人たちは数多く、『呪いの館』(66)が、オムニバス映画『世にも怪奇な物語』(68)の中でフェデリコ・フェリーニ監督が演出を手がけた一挿話に、また、SFホラーの『バンパイアの惑星』(65)がリドリー・スコット監督の『エイリアン』(79)に多大な影響を与えたほか、マーティン・スコセッシやティム・バートン、ジョン・カーペンター、そして日本の黒沢清といった錚々たる映画作家たちが、バーヴァ映画の熱烈なファンであることを公言している。
その時々の映画界の流行り廃りに応じて、時には史劇やマカロニ・ウェスタンなど、他ジャンルの作品も手がけることもあったバーヴァ監督にとって、本作は結局、娯楽犯罪活劇に挑む最初で最後の機会となったが、冒頭で列挙したような、同時代のさまざまなエンターテインメント作品のエッセンスを巧みにすくい取って混ぜ合わせつつ、そこに彼ならではの創意工夫に富んだ演出と、卓越したヴィジュアル・センス、そして、一見しただけではなかなか気付かない、さりげないトリック撮影を随所に効果的に盛り込み、誰もが理屈抜きに面白く楽しめて、至福のひと時を味わえること請け合いの、極上の会心作に仕立てている。
『黄金の眼』の物語の内容はいたって単純明快で、神出鬼没の覆面の怪盗ディアボリックが、何とか彼をふん捕まえようと躍起になる警部や大臣ら、お偉方たちの涙ぐましい努力を嘲笑うかのように、高価な宝飾品や金塊を獲物と付け狙っては、大胆不敵にして奇想天外な犯罪計画を次々と立案実行していくというもの。首尾よくことが運んだ際に、ジョン・フィリップ・ロー演じるディアボリックが、してやったりとばかり、ムハハハハ~と上げる高笑いが何とも小気味よく、それを耳にする我々の方まで、ついニヤリと頬が緩んでしまう。単純で強烈なエレキサウンドの印象的なギターリフをはじめ、瞑想的なシタールの音色や、甘い吐息にも似た独特の女声コーラスなど、イタリアが生んだもうひとりの偉大なマエストロたるエンニオ・モリコーネが多彩に奏でる本作の映画音楽も、いつもながら素晴らしい。
そしてまた、主人公のディアボリックが、恋人にして仕事の相棒でもあるセクシーなブロンド美女のエヴァと、時あるごとに甘美で心ときめく愛の戯れを交わす様子を、何とも悩ましい衣裳や小道具、斬新で奇抜なセット、そして絶妙な構図とカメラワークの巧みな連携プレーで、どこまでも遊び心いっぱいに妖艶に描いてみせるバーヴァ監督の演出も、心憎いほどオシャレでエレガントだ(エヴァをセクシーでキュートな魅力満点に演じるオーストリア出身の女優、マリサ・メルの美しい容姿も忘れ難く、とりわけ物語の終盤、彼女の立ち姿を下から仰ぎ見るようにして捉えるショットは、最高にグルーヴィー! ちなみに、エヴァとディアボリックの2人がガラス張りの浴室でシャワーを浴びる場面、そして、無数の高額紙幣で埋め尽くされた回転ベッド上で裸になって抱き合う2人、という本作のオツな名場面は、オタク趣味全開のロマン・コッポラの長編劇映画監督デビュー作『CQ』(2001)の中でも再現されているほか、ジョン・フィリップ・ローその人も、同作に特別出演している)。
■黄金の眼を持つ男、バーヴァの映像マジックの舞台裏
さらには、あのバットマンの秘密基地よろしく、ディアボリックが地中の洞窟に作り上げた秘密の隠れ家のレトロフューチャーなセット・デザインも実に見事で、本作の大きな見どころの一つといえるが、実はこれは、現実のものでもミニチュアのセットでもなく、実写で人物を映した背景にマットペイントで合成を施して作り上げたもの、と聞いて、さらに驚く人もきっと大勢いるに違いない。
実はバーヴァの父親は、初期のイタリア映画産業において撮影監督、そして特殊効果のパイオニアとして活躍した人物。当初は画家志望だったバーヴァ自身も、やがて映画界に進み、父親直伝の指導の下、特殊効果を活かした撮影トリックや、多彩な色を使った照明法などにも幅広く通じた有能な撮影監督として長年映画作りの現場に関わり、独自のヴィジュアル・センスにより一層磨きをかけるという過去の蓄積があった。
そんなバーヴァ監督だけに、ちょっとしたトリックを使った特殊撮影は、すっかりお手の物。先に例に挙げたディアボリックの秘密の隠れ家の全景だけでなく、ゴツゴツと地肌の露出したその背景や、海辺に聳え立つ古城など、ほかにもバーヴァは本作の随所に、巧みなマット合成や多重露出、疑似夜景など、さまざまな撮影トリックを駆使して、映画魔術師ぶりを遺憾なく発揮している(前時代的でいかにも作り物めいて見えるスクリーン・プロセスは、今日の映画ファンの目からするとちょっと御愛嬌だが、そこがかえって、原作の平面的なコミックの世界に近づけているようにも見える)。映画の中盤、獲物と狙う高価なネックレスを盗み出すべく、古城の内部に忍び入ったディアボリックが、監視カメラのモニター画面をポラロイド写真に巧みにすり替えて、警察の目をまんまと欺くという一場面が登場するが、このときのディボリックは、世界屈指のバーヴァ映画マニア、ティム・ルーカスがいち早く指摘した通り、まさにバーヴァ監督その人の似姿にほかならないと言えるだろう。
ちなみに本作は、イタリアの大物映画プロデューサー、ディノ・デ・ラウレンティスの製作のもとに作られたもので、バーヴァ監督に与えられた当初の製作予算は300万ドルと、それまで長年、それよりはるかに低予算での映画作りに慣れていた彼にとっては、桁違いの大金。ところがバーヴァは、結局、わずか40万ドルの製作費で映画を見事完成させてしまったという。それにすっかり感激したプロデューサーが、では残りの予算で次はぜひ続編を、と意気込んだのに対し、バーヴァ監督の方は、大作を引き受けると同時に重い責任を背負い込まされるのはもう御免、と断ってしまったのが、今となっては何とも惜しまれるところだ。
■やっぱ『バーバレラ』より、バーヴァでしょ
なお、デ・ラウレンティスは本作に続いて、フランスのエロティックなSFファンタジー・コミックを映画化した『バーバレラ』(68)を製作・発表。同作の監督ロジェ・ヴァディムの当時の愛妻ジェーン・フォンダが、いきなり冒頭で、何とも奇妙な無重力ストリップを披露するのが評判を呼び、キッチュな珍品としてカルト的人気を集めることになる。今回、いちおう参考のために、筆者も数十年ぶりに『バーバレラ』を見直したが、煩悩に苦しむガキの時分ならばいざ知らず、全篇ひたすらおバカな可愛い子チャンぶったカマトト演技を披露するジェーン・フォンダと、ヴァディム監督の平板で凡庸な演出に早々に飽き飽きして、すっかり退屈・閉口したことを、ここに謹んで報告しておきたい。
それにひきかえ、この『黄金の眼』は、何度見返してもやはり面白い。もうかれこれ約半世紀前に作られた映画だが、今日、『007』や『ミッション:インポッシブル』といったお馴染みの人気映画シリーズの近年の諸作品と並べて見ても、一向に遜色がないどころか、かえってこちらの方が小粒でもキラリと光って素晴らしいと思う、筆者のような変わり種の映画ファンも、案外多そうな気がする。冒頭の方では、本作の誕生にそれなりに寄与したであろう先行作品の名前をざっと列挙したが、それとは逆に、その後、本作の影響を何がしか受けて作られたエンターテインメント作品も、きっと数多くあるに違いない。
例えば、『007/サンダーボール作戦』(65)で鮮烈な悪役演技を披露したアドルフォ・チェリが、本作でも似たような犯罪組織のボス役で登場し、ディアボリックと因縁の対決を繰り広げることになるが、上空の飛行機から2人が飛び降りて相争う本作の場面が、『007』シリーズに再びフィードバックされて、あの『007/ムーンレイカー』(79)の冒頭のよりダイナミックなスカイダイビングの場面に繋がったのかもしれない。
あるいは、『ミッション:インポッシブル』シリーズの第4作『ゴースト・プロトコル』(2011)の中で、トム・クルーズがドバイの超高層ビルの壁面をよじのぼる例の場面。最初はてっきり、これは「スパイダーマン」が発想源だろうと思ったのだが、もしかすると、本作でディアボリックが古城の壁面をよじ登る場面が影響を与えている可能性もなくはない。ちなみに、アメリカの人気ヒップホップ・グループ、ビースティ・ボーイズが1998年に発表した「Body Movin’」という曲のミュージック・ビデオは、この場面を中心にした『黄金の眼』のパロディとなっている。
はたしてお互いに直接的な影響関係があったかどうか、本家本元は一体どちらか、といったマニアックな話は、いったん始めるとなかなかキリがないし、これ以上下手に立ち入ると、とんだ藪蛇にもなりかねないので、とりあえずここらで筆者も話を切り上げ、話の続きは皆さんにお任せすることにしよう。それでは、かつて日本でも劇場公開はされたものの、その後我が国ではなぜか長い間、DVDやブルーレイ化されることはおろか、ビデオソフト化されることもなく今日まできてしまった、この埋もれた逸品をどうか存分にお楽しみあれ!■
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【DVD/BD未発売】これが日本初登場! 犯罪活劇の名手ドン・シーゲルが意外にもスペインの地で観光メロドラマに挑んだ異色レア作〜『スパニッシュ・アフェア』〜
2015.10.06
桑野仁
■ドン・シーゲル命のわが映画人生
今回筆者がここで紹介する映画は、これまでずっと本邦劇場未公開でソフト化もされず、海外においても未ソフト化のままという、ドン・シーゲル監督の1950年代の知られざる幻のレア作品『スパニッシュ・アフェア』(57)。したがって、今回のザ・シネマでの放送が日本初登場となる。まだ中学生の時分に、まずはテレビで『ダーティハリー』(71)を初めて目にして、その強烈なアクションと暴力の洗礼を受け、年を経てさらに彼の奥深い映画世界をもっと知りたいと個人的に掘り下げて探究するようになって以来、シーゲルは、数ある筆者のお気に入り監督たちの中でも、とりわけ偏愛する特別な映画作家のひとり。シーゲルの長年の熱狂的ファンを自認する筆者は、硬質で引き締まった彼の活劇映画の魅力をひとりでも多くの映画ファンにぜひ分かち合って頂きたいと、これまでにも、時たま訪れる幸運な機会を積極的に有効活用しては、こちらの意を汲んでくれる同志たちのありがたいご協力とご支援を得て、まだまだ知られざるシーゲルの貴重なお宝発掘と紹介に相努めてきた。
2005年、キングレコードで本邦劇場未公開の彼の呪われた遺作『ジンクス』(82)のDVDが発売された際にライナーの執筆を手がけたのをはじめ、2007年にやはり同社から発売された、『殺人者たち』(64)、『ガンファイターの最後』(69)、『突破口!』(73)、『ドラブル』(74)というシーゲル円熟期の4作品からなる<ドン・シーゲル・コレクション>のDVD-BOXが発売された際には、個々の作品解説以外に、シーゲルの長い映画キャリアの全体を鳥瞰した「ドン・シーゲル再入門」と題した小冊子を執筆。そして2008年にはWOWOWで、「ドン・シーゲル 知られざる傑作」特集と銘打って、これが日本初紹介となる激レアな『中国決死行』(53)、『殺人捜査線』(58)に加えて、これまた本邦では未ソフト化のままだった『第十一号監房の暴動』(54)、『グランド・キャニオンの対決』(59)という貴重な初期4作品の特集放映が奇跡的に実現した(その折に執筆した拙文が以下のサイトで読めるので、どうかぜひご参照ください[http://www.eiganokuni.com/column_kuwano.html])。 そして今回、また縁があって、「シネマ解放区」の番組ラインナップの作品選定のお仕事を筆者もお手伝いするという光栄な機会に恵まれ、2000本以上にも及ぶ膨大な映画作品リストの山の中からこちらが篩い分けて強力プッシュした推薦作のうち、今回この『スパニッシュ・アフェア』と、別稿のマリオ・バーヴァ監督の『黄金の眼』(67)という、なかなかこれまで日本では見られる機会がなかった2本の作品が、めでたく番組に初登場する運びとあいなった(こちらのリクエストに応えて下さった、Iさんをはじめ、ザ・シネマの関係者の皆さん、厚く御礼申し上げます!)。というわけで、今回はいつにも増して張り切って作品紹介に相努めることにしたい。
■観光メロドラマ映画!? シーゲル屈指の異色作『スパニッシュ・アフェア』
では早速、『スパニッシュ・アフェア』の話に移ろう。ここでまず、シーゲル監督のこの時期のフィルモグラフィを繙いてみると、1956年に『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』、『暴力の季節』、そして翌57年には『殺し屋ネルソン』と、いわゆる“ハリウッド・フィフティーズ”の映画作家シーゲルの、まさに精髄と言うべき傑作群が集中的に生み出されている。それだけに、『暴力の季節』と『殺し屋ネルソン』の間の57年に生み落とされながら、日本の映画ファンには長いことブランクのままお預けを食っていたこの『スパニッシュ・アフェア』への期待が、ますます高まろうというものだ。 しかし先に勝手に皆さんの期待を煽っておいてから、いきなり水を差すようで恐縮だが、この『スパニッシュ・アフェア』は、正直なところ、知られざる傑作、埋もれた名作とはなかなか言い難く、また、先の他の3作品とは題材や趣向が大きく異なり、平和なはずの街でいつのまにか恐るべき陰謀がひそかに進行するさまや、非情で反社会的なアンチ・ヒーローたちの予測しがたい行動を緊迫したスリル満点に綴ったノワール映画でもない。 実はなんと、この『スパニッシュ・アフェア』は、シーゲルがヨーロッパのスペインに出向き、モノクロではなくカラーで撮り上げた作品。「セプテンバー・アフェア」という原題を持つ『旅愁』(50)をはじめ、『ローマの休日』(53)や『慕情』(55)、『間奏曲』(57)など、この時期、海外のさまざまな国を舞台に、かの地の異国情緒溢れる風景や文化風俗を随所に盛り込みながら、主役の男女の恋の行方を波瀾万丈に描いた、一連のハリウッド製観光メロドラマ映画の系譜に連なる、シーゲルの作品群の中でも一風変わった異色作なのだ。 映画はまず、スペインはマドリードにある歴代のスペイン王家の貴重な美術コレクションを数多く収蔵したプラド美術館の至宝、ゴヤやベラスケス、エル・グレコなどの傑作絵画の数々を、艶やかなテクニカラーの画面で順々に映し出すところから始まる。プラド美術館でそれらの名画の現物を実際に撮影するという、何とも贅沢で、映画ではおそらく初めての試みとなる光栄な機会に浴することができたのは、シーゲルの情熱と予期せぬ幸運のおかげ。当初、プロデューサーを通じて同美術館に撮影許可を願い出たものの却下され、それでもなお、その夢をぜひ実現させたいと、暇を見つけては美術館に足を運んでいたシーゲルは、彼の監督助手に就いていた現地の青年が偶然にも美術館の館長と知り合いと判り、彼の口利きによって意外にもすんなり撮影許可を得ることができたという。 ちなみに、上記の名画の数々をバックにしたクレジット紹介での本作の監督名義は、略称・愛称のドンではなく、ドナルド・シーゲル。ついでにここで明記しておくと、この『スパニッシュ・アフェア』のデータ資料に関して、本来頼るべきインターネット・ムービー・データベースでは、本作の共同監督として、シーゲルのほかにもう一人、スペイン人のベテラン映画監督ルイス・マルキーナの名前が挙げられていて、それに準拠する形で、本作を共同監督作品とする情報資料が一部で流通している。しかし、実際に本作の冒頭のクレジット画面で確認したところでは、マルキーナはスペイン側の製作スタッフの筆頭にテクニカル・アドバイザーとして記載されているのみで、シーゲルに関する文献資料を参照してみても、この人物に関する言及は一切ない。ことによると、スペイン本国では、この人物が後から部分的に監督を務めて、別バージョンという形で『スパニッシュ・アフェア』を公開している可能性もなきにしもあらずと思い、ネットの画像検索で本作に関する各国の映画ポスターを見比べてみたが、やはりこのマルキーナが監督としてクレジットされているものは見つからなかった。従って、この『スパニッシュ・アフェア』は(少なくとも今回の放映版に関する限り)、シーゲルの単独監督作とみてまず間違いないだろう。 さて、本作の物語の主人公となるのは、スペインのマドリードへとやって来たひとりのアメリカ人建築家。この地に建設すべく彼のデザインした現代的なホテルの設計案が、どうもこの国の景観や風土には馴染まないとして、スペインの首脳役員たちから難色を示されていることを知った主人公は、改めて役員たちのもとへ出向いて彼らを説得しようと、ロマの血を半分引く美しいスペイン人女性を通訳に伴って、セゴビアやバルセロナ、トレドなど、スペイン各地を回るドライブの旅へ出発する。次第に2人は心惹かれ合うようになるが、さらにここに、彼らのあとを執念深くつけ回すロマの青年が絡んで、嫉妬と愛憎に満ちた波乱の恋愛劇が3人の男女の間で展開していくこととなる。 アメリカ人建築家の主人公を演じるのは、先にサミュエル・フラー監督の『拾った女』(53)でアカのスパイを演じ、後にはブロードウェイ・ミュージカルの「ラ・マンチャの男」やTVドラマの世界でも活躍して多くの賞に輝いた実力性格俳優のリチャード・カイリー。一方、ロマの血を引く美しいヒロインを演じるのは、当時のスペイン映画界で数多くのヒット作に主演し、得意の歌や踊りもしばしば披露して高い人気を誇ったというカルメン・セビージャ。本作の劇中でも、見事な歌やフラメンコ・ダンスを披露して観客を楽しませてくれる。
■次第に浮き彫りとなる、シーゲル映画お馴染みのテーマと世界観
異国の地スペインで、さまざまなカルチャー・ギャップに遭遇して戸惑いつつ、なお懸命に奔走する主人公の姿を、シーゲル監督は軽妙かつユーモラスに描き出していく。役員の一人が所有する広大な牧場で、アメリカのカウボーイとしての知られざる本性と自負を見せ、スペイン式闘牛に敢然と挑む主人公。あるいは、スポーツカーに乗って道を猛スピードで走る主人公と、そんな彼を通せんぼするかのように、道幅いっぱいに広がってのんびり悠然と進む山羊の群れ。そして、それらの体験を通じて、カイリー演じる主人公は、次第に挫折と自らの無力感をまざまざと味わうことになる。その一方で彼は、カタルーニャの伝統的な民族舞踊サルダーナを、セビージャ演じるヒロインや大勢の人々とひとつの輪になりながら楽しく踊ったり、あるいは、ヒロインがふと口ずさむロマの歌を一緒にデュエットしたりするうち、軽やかな自由と解放感に浸った新たな自己を見出すことにもなるのだ。 モダンな建築デザインの利便性と機能性を強調して翻意を促すアメリカ人建築家の主人公と、時代を超えて残る大聖堂を話の引き合いに出しながら、多少古めかしくても、それには固有の歴史と伝統があり、また人々の篤き信仰と愛と美があると、どこまでも悠然と構えて、主人公の懸命の訴えにもなかなか首を縦に振ろうとしないスペイン人の役員たち。その両者の姿は、今日におけるグローバル・スタンダードとローカル・アイデンティティとの対立の構図を先取りしていて、さらにこれを、自分たちの価値観を他にも無理やり押しつけようとする文化帝国主義と、それに対する抵抗の闘い、と言い換えることもできるだろう。 そして、いささか強引にこう整理してみると、一見ゆるい観光ロード・ムービーのような本作が、実は何を隠そう、あの『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』の戦慄的な世界をまさに裏返しにした、まぎれもないシーゲル映画の一本であることに、映画ファンならば次第に気づくはずだ。この映画では、人間が本来持つ感情をすっぽり欠落させたまま、外見だけはそっくりそのまま人体を乗っ取ってひそかに地球侵略を企む異星人たちに対し、ケヴィン・マッカーシー演じる主人公が必死に最後の抵抗を試みるわけだが、本作ではむしろ、本来の人間的な感情やゆとりを失って硬直した態度を見せているのは主人公のカイリーの方であり、スペインでさまざまな異文化の洗礼を受けるうち、ようやく彼も本来の人間らしさを取り戻していくようになるのである。 本作と『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』との興味深い符合を示す、一つの決定的に重要なモチーフがある。これは、後者では映画最大の山場において生じ、そしてこの『スパニッシュ・アフェア』においても、物語の終盤、主人公とヒロインとの関係が一つの大きな転機を迎える場面で生じる出来事なので、ここではあえて詳細は伏せ、ぜひ見てのお楽しみとしておこう(実はさらにもう一つ、本作のラストでは、セビージャ扮するヒロインが、これまたシーゲルの後年の有名作の最後で主人公が示すのとほぼ同じ身振りを、いち早く先取りして披露しているので、これもぜひお見逃しなく!)。 ちなみに、本作の脚本を手がけたのは、先にシーゲルとは『中国決死行』や『第十一号監房の暴動』でもコンビを組んでいたリチャード・コリンズ。彼の推薦によってシーゲルが本作の監督を務める運びとなったものの、シーゲルは、コリンズの脚本の出来には最初から不満で、まだまだ手直しが必要だと考えていた。しかし、本作のプロデューサーがコリンズの脚本をそのまま気に入って、手直しすることを一切許さなかったため、シーゲル自身は、本来ならもっとずっといい映画が作れたはずなのに、と悔いの残る作品になったという。 最初から作品のアラが見えていたのに、それでもシーゲルが、本作の監督の役を引き受けたのは、彼にとっては初めて6ケタに届いたギャラの支払いが良かったそうで、「俺はこれまで娼婦になったことはなかったのに…」とは、自伝でのシーゲルの自嘲気味の捨て台詞。それ以上の詳しい裏事情は、自伝ではよく分からないが、以前、本欄で『紅の翼』(54)のことを解説した際に拙文の中で紹介したように、その映画の中に出演している元モデルの女優ドウ・アヴェドンとシーゲルが結婚したのが、まさにこの映画が作られた1957年のこと。きっと、これが大きく関係しているに違いない。ちょっとした小遣い稼ぎにスペインまで遠出、といえば、1960年代半ば、この地で撮影されるマカロニ・ウェスタン3部作で一躍人気スターとなるクリント・イーストウッドの先導役を、ここでシーゲルが図らずも務めていたというのも面白い。 ストーリーに目をつぶった分、他の部分に心血を注いで映画作家としてのプライドを見せつけた、ということなのかどうかは知らないが、シーゲルは、彼お得意の高低差を活かしたスリリングなアクション・シーンを後半に配してドラマを存分に盛り上げるほか、中盤のある場面では、実に思い切った大胆不敵な演出とカメラワークを採用している。それは、バルセロナの夜の街路を、カイリーとセビージャの主役2人が連れだって歩きながら会話する場面。何気なく眺めていると、つい見落としてしまいそうになるが、ここでシーゲルは実に3分半近くにもわたって、彼らの姿を延々と長廻しの移動撮影により、ワンショットで撮り上げているのだ! うーん、さすがはシーゲル。これだから決して目が離せない。 かくして、シーゲル探究の楽しくも険しいわが映画修行の人生は、まだまだこれからも続くのであった…。■
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【DVD/BD未発売、ネタバレ】実在の保安官が愚直に悪と対峙。今は亡き女優たちの熱演と共に心に刻みたい快感と痛みが相半ばする伝説の復讐劇〜『ウォーキング・トール』〜
2015.09.22
清藤秀人
1973年と言えばハリウッド映画に暴力が渦巻いていた時代。俺の正義に則って暴力を行使して何が悪い?!と言わんばかりに、凶悪犯に平然と銃口を向けたのはサンフランシスコ市警察のはぐれ刑事『ダーティ・ハリー』(71)だったが、本作『ウォーキング・トール』で主人公、ビュフォード・パッサーが敵に回すのは生まれ故郷のほぼ町全体。かつて平和だったホームタウンを牛耳る得体の知れないならず者集団だ。やがて始まる反抗→制裁→復讐の執拗なループは、個人が集団相手に喧嘩を売るリベンジマッチが大好きな多くの映画ファンにとって、絶好の"ストレス発散サンドバッグ"となるだろう。
出来レースが常識のプロレス界に失望した元レスラー、ビュフォードが妻子を伴い帰郷してみると、懐かしい故郷テネシー州マクネアリ郡には売春宿とカジノが同居した怪しげな社交場"ラッキースポット"が店開きし、そこには町中の男たちが出入りしていた。お客も娼婦も全員見た目熟年風なのは、今と比べて人間の熟成速度が早かった時代の特色としてスルーするとして、ビュフォードは早速、カジノのディーラーのイカサマを見抜き、経営者等と殴り合いに。さすがプロレスに向かなかった正義漢らしい反応なのだが、彼がここで被る暴力のレベルがいきなり凄い。奴らはビュフォードをボコボコにした後、ナイフで胸と背中をズタズタに切り裂いた挙げ句、雨の国道に放置してしまうのだ。結果、200針も縫う大怪我を負うも、ビュフォードは見事復活。こん棒片手に!、単身売春カジノに乗り込み、悪者たちの急所を的確に殴打した後、所場代として支払った3630ドルだけキャッシャーから取り返し、暴力を振るった罪で逮捕される。待ち受けていたのは、金で買収された判事と、当初からビュフォードの帰還を快く思っていなかった保安官と警官チームだ。しかし、裁判を傍聴する陪審員たちに、言われなき暴力によって受けた胸の傷を見せながら自らの正当性を訴えたビュフォードは、見事無罪を勝ち取り、勢いで保安官選挙に立候補し、当選してしまう。
エンドロールの前に、お約束の「これは事実に基づいたフィクションです」との断り書きはあるものの、ベースになっているのは1964年にテネシー州マクネアリ郡で保安官に選出された実在の人物、ビュフォード・パッサーのリアル武勇伝。(あまくまで)記録によると、保安官在任中に8回撃たれ、7回刺され、1度に6人と格闘し(冒頭のカジノ殴り込みシーンと思われる)、3人を刑務所送りにし、3人を病院送りにしたという伝説的な人物だ。それを証明するように、劇中でもビュフォードの不治身ぶりはスーパーヒーロー並みだ。冒頭の200針縫い生還劇を筆頭に、例えば、深夜の国道を猛スピードで通り過ぎた暴走車をスピード違反で検挙しようとして、正面から銃弾を浴びるも、奇跡の生還とか、妻を助手席に乗せて走行中に襲われ、妻は死亡するも、自らはまたも奇跡の生還とか。
それらはある程度盛られている可能性は否めないものの、反面、ビュフォードが自ら実践し、数少ない部下たちに説き続ける"法と秩序の遵守"と"いかなる賄賂も拒否"の基本理念は、悪が堂々と蔓延っていた1970年代も今も変わらぬ人としての倫理感。過激すぎるバイオレンスが連打される中で、揺るぎないメッセージとして伝わってくる。
物語の背後に広がるアメリカ社会の深い闇が、痛快なリベンジ劇をさらにリアルなものにしている。帰郷直後にビュフォードが面会に訪れる幼馴染みのオブラは、黒人故に差別されてきた経験から、「お前にも少数派の気持ちが分かるか?」「1人では何も出来ない。団結することが必要だ」と吐き出す。舞台になるテネシー州最大の都市、メンフィスは、かつて、1968年4月4日にマーティン・ルーサー・キング・ジュニアが暗殺された地であり、隣接するアラバマ州セルマはキング牧師等が黒人有権者登録の妨害に抗議して行進を始めた、言わば公民権運動発祥の地。そんな今も昔も変わらない封建的で排他的且つ危険な土地で、ビュフォードはオブラを副保安官に指名し、黒人たちに重労働を課して暴利を貪る白人密造酒業者を令状なしで摘発する。
彼がこん棒を持って立ち向かう相手はそれだけではない。平和な街を賄賂によって頽廃させた"ラッキースポット"のオーナーとその仲間は、州都ナッシュビルの大物(恐らく州議会議員)をも金で取り込み、圧倒的優位を以てビュフォードを圧殺しにかかる。
そんな劣勢をただ愚直に正義感のみで跳ね返そうとするなど狂気の沙汰ではないか!?無謀な反撃を続ける夫を心配する妻のポーリーンに対して、オブラは『あいつらと戦うには狂気と拳銃しかない』と静かに言い放つのだが、正義を支えるものが狂気以外あり得ないという現実が、殴るほどにサンドバッグの中からこぼれ落ちて来る。これは見た目痛快でも、中身は暴力と差別の連鎖を断ち切れない民主主義国家、アメリカのダークサイドがアッパーカットのように心を浸食する、けっこう痛い復讐劇なのだ。
裏話を少し。本作が予想外にヒットしたために、配給元のユニバーサルはビュフォード本人を主役に据え、タイトルも『ウォーキング・トール(胸を張って堂々と歩くの意)』から原題をズバリ『ビュフォード』に変えてシリーズ化を発表するが、その直後、ビュフォードは不運にも交通事故によって36歳の若さで他界してしまう。その結果、ガードンマン出身の巨漢俳優、ボー・スベンソンを新たな主役に迎え、『ウォーキング・トール2/新・怒りの街』(75)と続く『ウォーキング・トール3/続・怒りの街』(77)が製作された。時を経て、アメリカンプロレスWWEのCEO、ビンス・マクマホンが製作し、同組織のスーパースター、ザ・ロックが主演したリメイク作品『ワイルド・タウン/英雄伝説』(04)は、ザ・ロックの超人ぶりが誇張された荒唐無稽な活劇映画として世に放たれる。そこには、オリジナルが漂わせる閉塞感と絶望感は当然如く皆無だった。
『ウォーキング・トール』が漂わせる不思議なリアリティの原因は、ビュフォードを演じるジョー・ドン・ベイカーにあるような気がする。ベイカーのいかにも腕力に長けていそうな無骨さと、笑うと崩れるベビーフェイスが醸し出すアンバランスは、アクションスターにまず無駄な筋肉量を求めがちな今のハリウッドに絶えて久しい"普通の人"を想起させずにはおかないからだ。だからこそ、そんな普通人を狂気に駆り立てる悪意が際立つのだと思う。現在79歳のベイカーは『007』シリーズのヴィラン役等で今も活躍しているが、劇中でビュフォードがほのかな恋心を抱く娼婦、ルーアンを魅力的に演じるブレンダ・ベネットは、当時結婚していたTVシリーズ『超人ハルク』の主演俳優で夫のビル・ビクスビーを残し、1982年に自殺。ビュフォードの妻、ポーリーンを演じるエリザベス・ハートマンも、1987年にビルの5階から飛び降りて非業の死を遂げている。今は亡き女優たちの在りし日の姿を目に焼き付けつつ鑑賞したい、快感と痛みが相半ばする伝説的バイオレンス映画である。■
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