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MCU版『スパイダーマン』シリーズが世界中で愛される理由とは?

なかざわひでゆき

実写版マーベル作品と実写版スパイダーマンの歩み 今やハリウッド業界を代表する巨大フランチャイズと化したマーベル・シネマティック・ユニバース(以下MCU)。その第1弾はジョン・ファヴロー監督、ロバート・ダウニー・ジュニア主演の『アイアンマン』(’08)だったわけだが、しかしそれ以前のMCUなどまだ存在しない時代から現在に至るまで、数多くのマーベル・コミック・ヒーローたちが映画やテレビで実写化されてきた。その中でも最も実写化に成功したキャラクターと呼ばれるのがスパイダーマンである。 もともとライバルのDCコミックに比べて、自社コミックの実写化にあまり積極的ではなかったマーベル。最古の実写化作品と言われるのは、全15話の連続活劇映画(=シリアル映画)として作られた『Captain America』(’44)である。それっきりマーベルの実写化は暫く途絶えてしまうのだが、やはりDCコミックの『バットマン』(‘66~’68)や『ワンダーウーマン』(‘75~’79)といったTVシリーズのヒットや、世界中で空前のブームとなった映画『スーパーマン』(’78)シリーズの大成功を意識してなのか、マーベルも’70年代半ばよりテレビ向け実写ヒーロー物の製作へ本格的に乗り出す。その最初期の番組が、原作「スパイダーマン」では高校生だった主人公ピーター・パーカーを大学生に設定し直したテレビ版『The Amazing Spider-man』(‘77~’79・日本未公開)だ。 日本では1時間半のパイロット版が映画『スパイダーマン』(’77)として劇場公開された同番組のヒットを契機に、マーベルは日本でも人気を集めたテレビ・シリーズ『超人ハルク』(‘77~’82)、テレビ映画版『Dr. Strange』(’78・日本未公開)に『爆走ライダー!超人キャプテン・アメリカ』(‘79・日本未公開)などのテレビ向け実写ヒーロー物を相次いで製作。ここ日本でも東映がマーベルとライセンス契約を結び、日本独自のキャラクターと物語を設定した特撮ヒーロー番組『スパイダーマン』(’78)が作られている。 その後、チャック・ノリスやチャールズ・ブロンソンのB級アクションを中心に一時代を築いた映画会社キャノン・フィルムズが、’85年に「スパイダーマン」の映画化権を獲得して実写化に乗り出すも、しかしイスラエル出身でアメコミに馴染みの薄い社長メナハム・ゴーランとヨーラム・グローバスがスパイダーマンのコンセプトを誤解していたこともあって製作は難航。そうこうしているうちに、キャノンが社運を賭けた超大作『スーパーマンⅣ/最強の敵』(’87)が興行的に大惨敗。おのずと実写版「スパイダーマン」の企画も暗礁に乗り上げてしまう。 そのうえ、DCコミックの『バットマン』(’89)シリーズやダーク・ホース・コミックの『マスク』(’94)シリーズが大成功を収める一方、マーベル・コミックの実写化はメナハム・ゴーラン製作の『キャプテン・アメリカ 卍帝国の野望』(’90)がビデオ・スルー扱いになったり、ロジャー・コーマン製作の『The Fantastic Four』(’94)がお蔵入りになったりと不運続き。しかし『ブレイド』(’98)と『X-メン』(’00)の相次ぐ大ヒットによって、徐々に風向きが変わってくる。 そうした中、’99年にソニー傘下のコロンビア・ピクチャーズが「スパイダーマン」の映像化権(実写とアニメを含む)を獲得。少年時代から原作コミックの大ファンだったというサム・ライミがメガホンを取り、トビー・マグワイアがピーター・パーカーを演じた映画『スパイダーマン』トリロジー(‘02~’07)が誕生したのである。CGの進化によってスパイダー・アクションをリアルに映像化できるようなったこともあり、サム・ライミ版トリロジーは世界中で空前の大ヒットを記録。『X-MEN』シリーズと並んでアメコミ・ヒーロー映画人気の立役者となり、さらにはMCU誕生の下地を作ったとも言えよう。 しかし、ライミ監督とソニーの対立が原因で予定されていた4作目が製作中止に。それに伴ってシリーズのリブートが決定し、監督もキャストも変えて作り直した新シリーズが生まれる。それが、当時『ソーシャル・ネットワーク』(’10)で頭角を現していた注目の若手アンドリュー・ガーフィールドをピーター・パーカー役に抜擢した、マーク・ウェブ監督の『アメイジング・スパイダーマン』(’12)だ。ところが、今度はソニーとマーベルが’15年に新たな契約を結び、マーベルとディズニーが展開するMCUへスパイダーマンを組み込むことが決まったため、結果的にマーク・ウェブ版は2作目で終了。まずはトム・ホランド演じる新生ピーター・パーカー/スパイダーマンを『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』(’16)で初登場させたうえで、『スパイダーマン:ホームカミング』(’17)に始まるMCU版『スパイダーマン』シリーズが本格始動したというわけだ。 MCU版『スパイダーマン』の流れを総まとめ! まずはMCU版『スパイダーマン』シリーズの流れをザックリと紐解いてみよう。 先述した通り初登場は『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』。同作ではバッキーが容疑者となったテロ事件を巡って、キャプテン・アメリカことスティーヴ・ロジャース(クリス・エバンス)とアイアンマンことトニー・スターク(ロバート・ダウニー・ジュニア)が真っ向から対立。アベンジャーズが内部分裂したため、新たなメンバー候補を探したトニーは、ニューヨークで自警活動に勤しむ様子がSNSで話題の覆面ヒーロー、スパイダーマンに注目し、その正体である15歳の高校生ピーター・パーカー(トム・ホランド)をスカウトする。この時点では、クモに噛まれたせいで特殊能力を得たこと、若くて美人なメイおばさん(マリサ・トメイ)と2人暮らしであること以外に詳しい情報はなし。憧れのアベンジャーズに入れるかもしれないということで張り切ったピーターは、トニーからプレゼントされたハイテク・スーツに身を包んで、アベンジャーズ同士の空港での対決に参戦。しかし、それが終わると普通の生活へ戻るように言われて自宅へ帰される。 その直後から始まるのが第1弾『スパイダーマン:ホームカミング』だ。トニーに認めてもらいたい、アベンジャーズの一員になりたいと、放課後の部活も放り出してスパイダーマン活動に奔走するピーターだが、しかし治安の良い現代のニューヨークでは派手な活躍の場もなし。そんなある日、奇妙なハイテク武器を使ったATM強盗に遭遇したピーターは、その武器の出所を探っていったところ、盗んだ地球外物質を元手に開発した違法な武器を闇で売り捌く秘密組織の存在を知る。組織のボスは巨大な翼を持つハイテク・スーツに身を包んだ悪党バルチャー(マイケル・キートン)。その正体は残骸回収業者のエイドリアン・トゥームス(マイケル・キートン)だ。かつてアベンジャーズが戦った後の残骸回収事業を請け負っていたトゥームスだが、しかしその事業をトニー・スタークと政府の合弁会社に横取りされたことから、家族や仲間を養うため違法ビジネスに手を染めていたのである。自分をスパイダーマンだと知る親友ネッド(ジェイコブ・バタロン)と共にバルチャーの悪事を阻止せんとするピーター。しかし、未熟ゆえ他人を危険に巻き込んだことからトニーにハイテク・スーツを取り上げられ、さらにはトゥームスが片想い相手の美少女リズ(ローラ・ハリアー)の父親だと知って途方に暮れる…。 続いてスパイダーマンが登場したのはアベンジャーズ・シリーズの『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』(’18)と『アベンジャーズ/エンドゲーム』(’19)。トニーとドクター・ストレンジ(ベネディクト・カンバーバッチ)を助けて活躍したピーターは、晴れてアベンジャーズの一員となってサノス(ジョシュ・ブローリン)との決戦へ臨むのだが、しかし全てのインフィニティ・ストーンを手に入れたサノスのスナップ(指パッチン)によって全宇宙の半分の生命体が消滅。ピーターや親友ネッドなども塵となって消えてしまう。しかしそれから5年後、残りのアベンジャーズたちの活躍で「指パッチン」がリバースされ、ピーターを含む何十億という人々が復活。その代わりにトニーが命を落としてしまった。 この悲劇を受けて始まるのが『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』(’19)。恩師トニーを失った悲しみを胸に秘めつつ、平和な日常生活を存分に満喫するピーター。その一方で、アベンジャーズの統率役ニック・フューリー(サミュエル・L・ジャクソン)からの呼び出しを無視し続けている。何故なら、ヒーローの任務よりも青春を謳歌したいから。学校の企画で2週間のヨーロッパ研修旅行へ参加することになったピーターは、片想い中の同級生MJ(ゼンデイヤ)にパリでロマンチックな告白をしようと計画していた。ところが、最初の訪問先ヴェネチアで人型のウォーター・モンスターが出現。すると、どこからともなく現れた謎のヒーロー、ミステリオ(ジェイク・ギレンホール)がモンスターを倒す。予てより、アイアンマンの跡を継ぐのは荷が重いと感じていたピーターは、マルチバースの地球から今の地球を救うために来たというミステリオこそアイアンマンの後継者に相応しいと考え、トニーから受け取った人工知能メガネを譲り渡す。ところが、このミステリオの正体は、かつてトニーに解雇されたスターク社の社員。同じようにトニーに恨みを持つ仲間を集めて、ミステリオなるスーパーヒーローの虚像を作り上げていただけだった。騙されていたことに気付いたピーターは、親友ネッドと同じく自分の素性を知ったMJも仲間に加えて、派手な英雄伝説を作るため自作自演のテロ行為を重ねていくミステリオ一味を阻止しようとするのだが…? そして、実写版「スパイダーマン」映画史上最大のヒットを記録した傑作『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』(’22)。前作のクライマックスでマスコミに正体をバラされたうえ、ドローン攻撃を仕掛けてミステリオを殺した犯人という濡れ衣を着せられたスパイダーマン。殺人に飢えた不良高校生、正義を騙るヴィランと罵られたピーターは、証拠不十分のため辛うじて起訴は免れたものの、しかし自分ばかりかメイ叔母さんや親友ネッド、恋人MJまでもが誹謗中傷に晒されたことに胸を痛める。そこで彼はドクター・ストレンジに相談。忘却の魔術「カフカルの魔法陣」を用いて、スパイダーマンの正体を知る全ての人々の記憶を消し去ろうとするのだが、しかし優柔不断なピーターが「やっぱりMJは例外にして」「あとネッドも!」「そうだ、メイおばさんも!」と繰り返し邪魔するためドクター・ストレンジの魔術が失敗。それどころか、マルチバースのあらゆる世界からスパイダーマンの正体を知る人々を集めてしまい、サム・ライミ版シリーズのグリーン・ゴブリン(ウィレム・デフォー)やドクター・オクトパス(アルフレッド・モリーナ)、マーク・ウェブ版シリーズのエレクトロ(ジェイミー・フォックス)などのヴィランが次々と現れる…! トム・ホランドこそMCU版『スパイダーマン』成功のカギ! 同じ世界観をクロスオーバーする『アベンジャーズ』シリーズとの相乗効果もあってか、興行的にも批評的にもサム・ライミ版やマーク・ウェブ版を凌ぐほどの大成功を収めたMCU版『スパイダーマン』シリーズ。実は筆者も、このMCU版シリーズが実写版「スパイダーマン」映画の中で一番好きだったりする。もちろん、サム・ライミ版の偉大さは認めざるを得ないし、マーク・ウェブ版も十分に健闘していたと思うが、しかしこのMCU版シリーズには過去のスパイダーマン映画にはない独特の魅力がある。そのひとつが、明るくて爽やかで楽しい青春ドラマという基本路線を打ち出したジョン・ワッツ監督の明朗快活な演出だ。 ・『~:ノー・ウェイ・ホーム』演出中のジョン・ワッツ監督(左から2番目)と主要キャスト 例えば、従来のスパイダーマン映画におけるピーター・パーカーは、学校でも居場所のないいじめられっ子で友達も少なく、そのうえ自らの浅はかな行動のせいで父親代わりのベンおじさんを死なせてしまうなどの深いトラウマを抱えており、なるほど確かに根は純粋で素直で正義感溢れる若者だが、しかし同時に陰キャや非モテを拗らせたような暗い部分もあって、それゆえ「大いなる力には大いなる責任が伴う」というヒーローとしての宿命的な葛藤に思い悩む。要するに、キラキラとした青春の眩しさや瑞々しさばかりではなく、そのダークサイドにも焦点が当てられていたわけだ。 一方のMCU版シリーズに目を移すと、少なくとも主人公ピーターの日常にはそうした暗くて重い要素は殆どない。なるほど確かに、こちらのピーターも科学オタクのギークで決して学園の人気者とは言えないが、しかしかといっていじめられっ子というわけではないし、親友ネッドだけでなく趣味を同じくするギーク仲間たちにも恵まれている。ピーターにばかり意地悪するフラッシュといういじめっ子もいるにはいるが、しかしこのフラッシュも実のところスクールカーストではピーターと同じギーク仲間だし、そもそも彼に同調してピーターを苛めるヤツもいない。また、ベンおじさんにまつわるエピソードもMCU版シリーズでは描かれず、そもそもベンおじさんが存在したのかどうかも定かではない。むしろ、『ノー・ウェイ・ホーム』でメイおばさんがベンおじさんの役割を兼ね、ピーターの人間的な成長を後押しすることになる。 こうした大幅な設定変更もあって、MCU版シリーズにおけるピーターの青春模様は、少なくとも最大の困難に直面する『ノー・ウェイ・ホーム』までは底抜けに明るい。ピーターも天真爛漫で正直で真っすぐで、思い立ったら吉日の猪突猛進!単細胞なので迷う前に行動へ移してしまう。そのうえ、お喋りでおっちょこちょいなヤンチャ坊主。そうかと思えば、恋愛には意外と不器用なシャイボーイだったりする。良い意味で世間も苦労も疑うことも知らない純朴な15歳の子供である。しかも、とにかくヒーローとして活躍するのが楽しくて仕方ない。1日も早くアベンジャーズの仲間に入りたい!ということで、トニー・スタークに認めてもらうべく必死に自己アピールする健気な姿は、まるでご主人様の注意を惹こうとする子犬の如き可愛らしさだ。 そんなピーターと対峙するのが、理不尽な目に遭って辛酸を舐めてきたせいで心を病み、怒りや憎しみに目がくらんでしまったヴィランの大人たちだ。彼らは人生経験をもとに世界を冷酷非情で不公平なものだと考えており、それが自らの悪事を正当化する言い訳ともなっているのだが、しかし人生経験が浅いからこそ汚れのない真っ直ぐな眼で世界を見ているピーターにその理屈は通用せず、結果的にはスパイダーマンの少年らしい理想論的な正義こそが世界を混沌から救うことになる。この斜に構えたところのないヒーロー像も大きな共感ポイントと言えよう。ワッツ監督は『キャント・バイ・ミー・ラブ』(’87)や『セイ・エニシング』(’89)などのキュートな’80年代青春コメディをドラマ・パートのお手本にしたそうだが、そうか、トム・ホランドがどことなく青春映画アイドル時代のパトリック・デンプシーと似ているのはそのためか(?)。 で、このトム・ホランドをピーター・パーカー役に起用したことの功績もかなり大きいと言えよう。サム・ライミ版のトビー・マグワイアは1作目の時に27歳、マーク・ウェブ版のアンドリュー・ガーフィールドは29歳だったのに対し、MCU版のトム・ホランドは『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』の時点で20歳。ピーター・パーカーの年齢設定に最も近い。しかも、その童顔といい高い声といい、まさにティーンの少年そのもの。明るくて元気で愛くるしい個性もピーターを演じるにピッタリだ。これほどのハマリ役もそうそうあるまい。オーディションによって7500人の中から選ばれたそうだが、恐らくトム・ホランドなくしてMCU版『スパイダーマン』シリーズの成功はなかったろうと思う。まさにキャスティングの勝利だ。 もちろん、その他にもMCUの世界観をシェアするヒーローたちとの関わりや、過去シリーズではピーターのお手製だったスパイダーマンスーツのハイテク化など、MCU版シリーズが愛される理由は枚挙に暇ないだろう。青春ドラマ的なワクワク感を前面に出した『スパイダーマン:ホームカミング』、ヨーロッパへ飛び出してアクションもロマンスもスケールアップした『スパイダーマン・ファー・フロム・ホーム』、そして思いがけず切なくて感動的なクライマックスを迎えるスパイダーマン映画の集大成的な『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』と、いずれ劣らぬ完成度の高さ。10月のザ・シネマではその3作品が一挙放送される。是非とも、MCU版「スパイダーマン」だからこその面白さを存分に堪能していただきたい。■ 「スパイダーマン:ホームカミング」(C) 2017 Columbia Pictures Industries, Inc. and LSC Film Corporation. All Rights Reserved.|MARVEL and all related character names: (C) & TM 2024 MARVEL 「スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム」(C) 2019 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.|MARVEL and all related character names: (C) & TM 2024 MARVEL 「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」(C) 2021 Columbia Pictures Industries, Inc. and Marvel Characters, Inc. All Rights Reserved.|MARVEL and all related character names: (C) & TM 2024 MARVEL  

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コロナ禍で追求された、全編アクションの可能性『アンビュランス』

尾崎一男

◆破壊王マイケル・ベイの挑戦  機動力に満ちたカメラワークや、過剰なほどに爆発を散りばめたショットなど、それらを素早い編集で組み合わせ、監督マイケル・ベイはキャリア早期より迫力ある映像サーカスを展開してきた。「ベイヘム」と呼称されるそれは、氏を認識する視覚スタイルとして周知され、皮肉も尊敬も交えて氏を象徴する重要なワードとなっている。1995年の初長編監督作『バッドボーイズ』を起点に、ベイはそのほとんどを破壊的なアクションに費やし、さらには機械生命体が車に変形するSFシリーズ『トランスフォーマー』と関わりを持つことで、ベイヘムを必要不可欠とするステージへと自らを追いやっている。そしてショットの多くをCGキャラクターやVFXに依存する本シリーズにおいて、爆発や破壊のプラクティカルな要素をどこまで追求することができるのか、彼はそれを実践してきたのである。  そんなマイケル・ベイに、大きな試練と挑戦の機会が訪れる。それは2020年に起こった、世界的なパンデミックの拡大だ。いわゆる新型コロナウイルス(COVID-19)の蔓延によって、映画業界全体の作品製作や公開が頓挫してしまったのだ。  しかし、ベイはこうした困難の中で、どれだけ過激なアクション演出を成し遂げられるのかという実験に挑んだのだ。それが2022年に公開された『アンビュランス』である。  病に侵された妻を助けたいと、元軍人のウィル(ヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世)はカリスマ的な犯罪者ダニー(ジェイク・ギレンホール)の誘いにより、3,200万ドルの銀行強盗に加担する。 だがロサンゼルス史上かつてない巨額の奪取に成功したものの、彼らは捜査組織の容赦ない追跡を受けることになる。しかもウィルたちが逃亡のためにジャックしたのは、救命士キャム(エイザ・ゴンザレス)が負傷した警官を救護中のアンビュランス(救急車)だった……。ウィルとダニーは内も外も予断を許さぬ状況下で、二転三転する事態と、重くのしかかる善悪の葛藤に対処せねばならなくなる。  映画はこうした破壊と変転に満ちたカーチェイスを、わずか24時間のオンタイムで描いていく。ベイは配信を発表手段とした前監督作『6アンダーグラウンド』(2019)でも、開巻から延々20分間に及ぶカーチェイスを披露し、その様相は狂気を放っていた。しかし、今回は同作の規模を超えるものが、冒頭から終わりまで絶え間なく続くのである。  新型コロナウイルス感染によるロックダウンのなか、全編アクションの映画を撮影する—。そんな『アンビュランス』の叩き台となった脚本は、2005年にデンマークで製作されたスリラー『25ミニッツ』がベースとなっている。同作は心臓発作の患者を乗せた救急車をジャックした、2人の銀行強盗を主人公にしたものだ。『アンビュランス』の脚本を手がけたクリス・フェダックは、デンマーク人のマネージャーであるミケル・ボンデセンがオプション契約した『25ミニッツ』を紹介されたのだ。 『25ミニッツ』の核となるコンセプトが気に入ったフェダックは、本作をロサンゼルスへと置き変え、考えうる限りのカーチェイスや設定をクレイジーに拡張させたのである。  ミニマルを極めた状況設定から、やがて大きな展開へと発展していくアクション映画。そんな『アンビュランス』のストーリーこそ、ベイはコロナ禍で全編アクションの可能性を追求する、自分のアプローチと完璧にマッチしていると確信。生まれ故郷であるロサンゼルスを中心に、40日間のタイトな撮影を実践しようと、同作の撮影に踏み切ったのだ。 さいわいにも、本作のプロデューサーであるジェームズ・ヴァンダービルトとウィリアム・シェラックは、前プロデュース作品の『スクリーム』(2022)で、パンデミックの制限下における撮影プロトコルを確立させたばかりだった。この方法に従うことを前提にして、『アンビュランス』の製作にゴーサインが出たのである。 ◆FPVドローンをフル活用した撮影  前述どおり、本作の撮影はすべてロサンゼルスとその近郊でおこなわれた。こうした限定空間を安っぽいものに見せぬよう、クルーはエリア照明や色彩、ロケーションや撮影方法に至るまで、過去にないアプローチで手がけることを至上とした。また常時5台のマルチカメラによる態勢はベイのスタイルだが、これは限定空間を多面的に捉えることに役立つことになる。そしてすべての爆発ショットは、関係各部署と綿密なリハーサルを施行し、一秒単位で時間を計って綿密に調整された。カメラクルーには細かな安全装備が施され、さらに管理者が付き添うことで、万全を期した撮影が徹底されたのだ。  さらに今回はドローンを最大限に活用することで、多動的で視覚的な拡がりを持つショットをものにしている。 しかも『アンビュランス』で使用されたドローンは撮影用カメラを吊り下げて動くヘビーリフトタイプのものとは異なり、RED社の超小型6Kシネマカメラ「Komodo」を一体化させた最軽量・高画質の最新鋭ツールだ。それはFPV(ファースト・パーソン・ビークル)ドローンと呼ばれ、カメラと連動したゴーグル越しに操縦して撮像を得る、シミュレーションスタイルの撮影手段を持つギアである。操縦者たちはFPVドローンの操作テクニックと撮影技を競うドローン・レーシングリーグで上位を占める精鋭たちが集められ、例えばカメラアイが時速160キロのスピードでオフィスビルの屋上から壁面をつたい、地上からわずか1フィートスレスレまで潜り込んだり、あるいはロサンゼルス・コンベンションセンターの地下駐車場でのワンショットによるチェイスシーンなど、通常のカメラ撮影では不可能な移動ショットを可能にしたのだ。  このように、FPVドローンの全面投入はパンデミック制限下での撮影に貢献しただけでなく、これまでのアクション映画にない視覚領域へと我々をいざなう、全く新しい空撮の概念を映画の世界にもたらしたのである。 ◆『トランスフォーマー』を凌駕する車の投入  しかしロックダウンのプロトコルに基づく作品とはいえ、本作には30台を超すパトカーやアンダーカバー車、それに主人公の救急車と複数のスタントカーが用意され、車をキーアイテムとする『トランスフォーマー』さえも凌駕する台数が『アンビュランス』に投入されている。  なによりアメリカ国防総省と太いパイプで繋がり、最新の現用兵器や重火器類を自作に投入してきた初物好きのベイらしく、本作で登場する警察と消防要員のオフサイト本部として機能するMCU(移動コマンドユニット)は市場に出ていない最新式だ。加えて同台に複数のモニターを設置し、後部座席やシートポジションをカスタマイズするなど、完全な映画オリジナルにしている。  そして、本作のもうひとりの主人公ともいえる救急車は、民間消防会社の世界的大手・ファルクが所有する最高級クラスのもので、それを2台レンタルし、同時にスタント用のものを3台ほど撮影用にストックされた。しかし激しいアクションに車体をさらしながら、それらすべてを完璧な状態に保って返却せねばならなかったので、プロップマスターは相当神経を使ったという。また救急車の内装は病院同様に白が基調となっており、俳優のライティングが通常のカーアクションよりも難しかった。この問題を解決するため、照明や機器、そしてライトアップスイッチも追加され、こうして大幅に加工した内装も元に戻さねばならなかったのだ。  大破壊のための、細心に支えられた創造心。「ベイヘム」とは、この矛盾を正当化させる、エスプリの宿ったワードといえるかもしれない。『アンビュランス』は、それをさらに確信させる映画となったのだ。■ 『アンビュランス』© 2022 Universal Studios. All Rights Reserved.

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『スピード』が、キアヌ・リーヴス“アクションスター”への道を切り開いた!

松崎まこと

 1964年生まれ。今年還暦を迎えたキアヌ・リーヴスの、俳優としてのイメージを問われれば、代表作に『マトリックス』シリーズ(1999~2021)や『ジョン・ウィック』シリーズ(2014~23)等がある、“アクションスター”というのが、大勢だろう。 母はイギリス人、父は中国人とハワイアンのハーフ。東洋系を感じさせる風貌もあって、映画俳優として台頭し始めた20代中盤から、日本ではいち早く人気者となった。しかしその頃のキアヌには、“アクション”のイメージは、ほとんどない。 フィルモグラフィーを覗けば、ロックスターを夢見るおバカ高校生役の『ビルとテッドの大冒険』(89)、親友のリヴァー・フェニックスと共演し、男娼を演じた『マイ・プライベート・アイダホ』(91)、フランシス・フォード・コッポラ監督が手掛けたクラシックホラー『ドラキュラ』(92)、ベルナルド・ベルトルッチ監督の演出の下、仏教の開祖役にチャレンジした『リトル・ブッダ』(94)等々。彼がその頃に出演した中で、“アクション映画”と言えるのは、FBIの潜入捜査官を演じた、『ハートブルー』(91)ぐらいだ。 若き日のキアヌは、エッジが利いた、個性的な役どころを好んで演じていたのである。 そんなキアヌとアクションのイメージを強く結び付け、本人にとっても、恐らく開眼するきっかけになったと思われるのが、本作『スピード』(94)である。 *****  ロサンゼルス。オフィスビルのエレベーターに爆弾が仕掛けられ、乗客達が閉じ込められた。ロス市警SWAT隊員のジャック(演:キアヌ・リーヴス)は、相棒ハリーと、危機一髪で爆弾を除去。乗客達を救出した。 ジャックらは更に、犯人の爆弾魔(演:デニス・ホッパー)を追い詰める。ところが爆弾魔は、強烈な爆発と共に、姿を消す。 数日後、ジャックの眼の前で、知り合いが運転する路線バスが、大爆発。爆弾魔は生きていた。彼はジャックに直接電話を寄越し、別の路線バスにも爆弾を仕掛けた旨を伝え、370万㌦の身代金を要求する。 その爆弾は、バスが時速80㌔を超えると、起爆装置のスイッチが入り、その後は、時速80㌔を下回ると、大爆発を起こす…。 該当するバスに追いつき、ジャックが乗り移ると、すでに起爆装置のスイッチはオンに。更に予想外のアクシデントから、ドライバーが負傷。スピード違反で免停中のため、バス通勤していたアニー(演:サンドラ・ブロック)に、ハンドルを託すことになる。 次から次へとあわや爆発のピンチが訪れる。ジャックは、乗客たちの助けを借りて、危機を何とか乗り越えていく。 爆弾魔の正体が、警察に恨みを抱く元警官で爆発物処理班員だったハワード・ペインと判明。ハリーが逮捕に向かうが、ペインの罠に嵌って命を落とす。 危機を共に乗り越えていく中、ジャックとアニーは、お互いに好感を抱くようになる。 アニーがジャックに言う。「極限状況で始まった恋は長続きしない」 果して、止まれないバスの運命は!? *****  速度を落とすと、乗り物に仕掛けた爆弾が爆発するという設定。『スピード』の日本公開時、海外公開もされた日本映画『新幹線大爆破』(75)に酷似していることが、大きな話題になった。 しかし脚本を書いたグレアム・ヨストによると、元ネタは別。「世界のクロサワ」こと黒澤明監督が、ハリウッド進出作として1960年代後半に準備していた、「暴走機関車」だという。「暴走機関車」は、ブレーキ系統のトラブルによって止める術がなくなり、猛スピードで突っ走り続ける機関車を主軸にした物語。ヘンリー・フォンダが主演する予定だったが、諸事情から頓挫した。 この「暴走機関車」に、ヨストの父が関わっていた。そこで彼はアウトラインを知り、後にシナリオを目にしたのだという。 因みにこのシナリオを原案にして、1985年にアンドレイ・コンチャロフスキー監督、ジョン・ボイド主演の『暴走機関車』が製作されている。オリジナルに様々な改変を加えたこちらの作品については、ヨストは特に参考にすることはなかったという。 それまでTVシリーズの製作や百科事典の執筆などを手掛けていたヨストにとって、『スピード』は、初めて書いた映画の脚本。まずパラマウントに持ち込むものの、ペンディングとなって、最終的に20世紀フォックスに拾われた。 いざ映画化となって、監督候補が何人かいた内から決まったのが、オランダ出身のヤン・デ・ポン。それまでには、『ダイ・ハード』(88)『ブラック・レイン』(89)『氷の微笑』(92) 『リーサル・ウェポン3』(92)等々、多くのアクション映画で撮影を務めてきた。 とはいえ、監督するのは初めてであるヤン・デ・ポンに依頼したことからもわかる通り、本作『スピード』に関してフォックスは、他の映画の穴埋めをするような、小さなB級作品として扱う心積もりだった。当初組まれた予算は、2,600万㌦。最終的には3,000万㌦程度になったが、当時の大作の製作費は、6,000万から6,500万㌦ほど。 更に言えばフォックスは、本作と同じ年に、ジェームズ・キャメロン監督、アーノルド・シュワルツェネッガ―主演の『トゥルーライズ』に、1億2,000万㌦もの製作費を投じていた。それと比べれば、僅か4分の1である。  本作『スピード』主役のジャック役の有力候補だったのは、ジョニー・デップ。しかしデップは、脚本に魅力を感じないという理由で、オファーを蹴る。 その他にも何人かの若手スターが候補になる中で浮上したのが、キアヌ・リーヴス。キアヌは、ストーリーには凄く惹かれながらも、「筋肉ひとつない自分には、到底この役は務まらない」と思ったという。ちょうど前の主演作『リトル・ブッダ』で、ガウタマ・シッダールタ=若き日のお釈迦様を演じた際に、断食をして体力を落としていたタイミングでもあった。 ヤン・デ・ポンは、キアヌの運動能力に不安を感じていた。そこで、それまでのキアヌの出演作で、ほぼ唯一のアクション作品『ハートブルー』(91)での演技をチェック。サーフィンにガンアクション、アメフトにスカイダイビング等々、ほとんどノースタントでこなしたキアヌの姿を見て、「イケる」と判断を下した。 正式にジャック役に決まると、まずは2か月間ジムに通って、ウェイト・トレーニング。と言ってもヤン・デ・ポンは、当時の流行りだった、スタローンやシュワルツェネッガーのような、巨大な筋肉をつけたアクション俳優になって欲しかったわけではない。身体の均整と運動能力を高めるためのトレーニングを課したのである。 キアヌはSWAT隊員を演じるに当たって、本物の警官に会ったり、ビデオを見たりしてその仕事ぶりを研究するのと同時に、ヘアスタイルは、頭皮が見えるくらいまで刈り上げて、監督の前に現れた。それは少々短すぎたが、その時点から撮影まで2週間あったので、ちょうど良い塩梅の、クルーカットになったという。 ヤン・デ・ポンが思い描いた主人公は、観客が感情移入できる、リアルで等身大のアクションヒーロー。鍛えた胸の筋肉を晒すこともなく、悪人をバタバタと殺していくわけでもない。イメージ的には、ヒッチコック作品に於けるケーリー・グラントや、ウィリアム・ホールデンだったという。 ヤン・デ・ポンは、ヨストの脚本にはあった、主人公の暗い過去などはすべてカットした。観客はそんなものを観たいと思ってないし、そもそもキャラクターについて知りたいことは、その行動を見ていれば、「すべてわかるはず」という考えだ。主人公だけでなく、犯人も含めて主要キャラすべての背景や心理状態など、敢えて描かなかったという。 アニー役のサンドラ・ブロックは、1967年生まれ。本作出演時は20代後半で、まだまだ売り出し中の頃。キアヌとのやり取りもフレッシュに映え、一躍ブレイクに至る。因みに彼女は、役のためにバス専用の運転免許を取得したという。 本作のヴィランは、デニス・ホッパー(1936~2010)。監督・主演したアメリカン・ニューシネマ『イージー・ライダー』(69)で天下を取りながら、その後ドラッグ漬けで低迷。『ブルー・ベルベッド』(86)で奇跡の復活を遂げて以来、改めて俳優・監督・写真家として活躍中だった。ホッパーの怪演は、キアヌとのコントラストも良く、インパクト大である。  本作は15週間の撮影スケジュールの内、7週間は大掛かりなバスの走行シーンに費やされた。ロスの空港近くから28㌔に渡って走る、開通前の新しいハイウェイでは、大規模なロケが行われた。 フリーウェイの朝の交通渋滞を再現するため、車に乗った400人のエキストラが集められた。まだ建設中だったため、作業員がコンクリートを流し込んだり、標識を立てている傍で、撮影スタッフが仕事をすることも多々あったという。 そんな中で、バスの走行シーンは通常4~6台のカメラを使用。特に複雑なスタントシーンには、カメラ、照明の他にも様々な機材を装備した、12台の車両を使って撮影が行われた。 メインの舞台はバスだが、この映画のアクションの舞台は3段構え。エレベーターの中で繰り広げられるオープニング・アクション用には、フォックスの敷地内に、地上5階の高さで、実際にエレベーターと、4本のエレベーターシャフトが入ったセットを組んだ。 バスが一段落した後は、爆弾魔が乗っ取った地下鉄で大アクションが繰り広げられる。こちらは、当時新しく完成したメトロレール・レッドラインでロケを行った。  15週に渡る撮影のまさに中盤、8週目に大きなアクシデントが襲った。本作と直接関係ないが、キアヌの親友であるリヴァー・フェニックスが、薬物の過剰摂取のため、23歳の若さで命を落としたのだ。 キアヌのショックを考えて、スケジュールの調整などが行われた。しかしヤン・デ・ポンは、キアヌのことを考えると、逆に忙しくしておくのが最良と考え、撮影を中断せずに、続行した。  ポスト・プロダクション。フォックスの重役たちは大した期待はせずに編集に立ち会って、本作の出来の良さに吃驚した。それまで出し渋っていた、SFXの仕上げに掛かる追加費用を、ポンと手渡すほどに。また公開日も、より良い日程にするため、早めることとなった。『スピード』は1994年6月、アメリカで公開されると、TOPを独走。シーズン最大のヒットとなり、国内で1億2,000万ドル、全世界で3億5,000万ドルの興行収入を上げた。その年の12月に正月映画として公開された日本でも、大ヒット。配給収入45億円は、現在で言えば100億円興行と言っても良いだろう。 フォックスの失態は、本作契約時、続編がある場合の継続契約に、キアヌにサインさせるのを怠っていたこと。そのため、ヤン・デ・ポン監督とサンドラ・ブロックは続投した『スピード2』(97)に、キアヌは出演することなく、同時期に製作された『ディアボロス/悪魔の扉』(97)で、アル・パチーノと共演することを選んでいる。 仕方なく『スピード2』では、本作のセリフ「極限状況で始まった恋は長続きしない」を伏線(?)として、アニーはジャックとすでに別れている設定に。アニーの新たな恋人として、ジェイソン・パトリックが演じる別のSWAT隊員が登場した。 キアヌはこうした経緯について、「サンドラには悪いことをした…」と述懐している。サンドラの方はというと、本作の撮影終盤、ハイな状態が続いてストレスをすごく感じていた時にキアヌだけが、「…黙って隣に座って、そっと背中をなでてくれた」ことなどもあって、根に持つようなことはなかった模様。後に韓国映画のラブストーリーをリメイクした『イルマーレ』(2006)で、2人は再共演を果している。 さて本作に関して当時、「アクション・ヒーローになるつもりはないよ。ジャックのキャラクターもアクション重視の性格ではないからね」などと言ってたキアヌ。『マトリックス』や『ジョン・ウィック』を経た、現在の彼の在り方を考えると、これは恐らく「若気の至り」が言わせたセリフだったのだろう。■ 『スピード』© 1994 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.

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巨匠リドリー・スコットが描く、よくできた昼ドラのような、俗悪で愉快で悲劇的な物語『ハウス・オブ・グッチ』

松崎まこと

 知らぬ者は居ないであろう、イタリア発のファッションブランド、「グッチ」。 1921年にグッチオ・グッチが、フィレンツェに開いた靴屋が、その始まり。世界進出はその息子の代で、三男のアルド・グッチが父親の反対を押し切って成功させたもの。「グッチ」の有名なアイコンデザイン「GG柄」も、商才溢れるアルドが考案した。 アルドの後も、「グッチ」のTOPは、グッチ家の者が務め、その王国は引き継がれていく筈だった。しかし21世紀の今、「グッチ」の経営陣には、グッチ家の者はいない…。 2000年に出版されたサラ・ゲイ・フォーデンの著書「ハウス・オブ・グッチ」は、原題のサブタイトルが、「A Sensational Story of Murder, Madness, Glamour, and Greed(殺人、狂気、魅力、そして強欲のセンセーショナルな物語)」。この書籍でグッチ家の30年間を描いた彼女は、「グッチの話はいろいろな意味で、私のつくり話よりもずっととんでもない話だと思った」としている。 その「とんでもない話」に魅了され、ほぼ20年間、映画化を模索し続けたのが、プロデューサーのジャンニーナ・スコット。監督や出演者の候補には、様々な名前が浮かんでは消えた。結局メガフォンを握ることになったのは、ジャンニーナの夫で現代の巨匠、リドリー・スコットだった。 リドリーは、グッチ家はまるで「ファッション界のイタリア王室」のようで、その興亡には、「ボルジア家やメディチ家」を想起させられたという。即ちこの題材は、「面白くならないわけがない!」と。 2019年11月、リドリーの監督就任と時を同じくして、主演も決まった。”歌姫”にして、『アリー/スター誕生』(2018)で演技者としても一流なことを証明したばかりの、レディー・ガガである。 翌夏=2021年8月、アカデミー賞受賞者やノミネート経験者がズラリと並ぶ、豪華キャストが発表された。そして本作『ハウス・オブ・グッチ』は、2021年2月から5月まで主にイタリアで撮影を敢行。その年の11月に、公開に至った。 *****  1970年、父がオーナーの運送会社で働くパトリツィア(演:レディ・ガガ)は、弁護士を目指すマウリツィオ(演:アダム・ドライバー)と知り合い、交際を始める。彼は有名ブランド「グッチ」の、創業者一族だった。 マウリツィオは父ロドルフォ(演:ジェレミー・アイアンズ)から結婚を認められず、パトリツィアの実家へと転がり込む。2人はゴールインし、やがて娘が生まれる。 ロドルフォがこの世を去ると、彼の兄で「グッチ」の屋台骨を支えるアルド(演:アル・パチーノ)は、甥のマウリツィオを「グッチ」へと呼び寄せる。 アルドは、息子パオロ(演:ジャレッド・レト)の無能さに、悩んでいた。その一方で、高齢にも拘わらず、TOPを後進に譲る素振りを見せない。パトリツィアは夫が軽視されていることや、自分を「グッチ」の一員と認めないことに、不満を溜めていく。 パトリツィアは一計を案じ、パオロを味方とし、アルドの脱税を告発させる。アルドは獄中の人となり、またパオロも追放して、マウリツィオは、「グッチ」のTOPとなる。 しかし妻の振舞いに、徐々に嫌気がさしてきたマウリツィオは、家を出て、別の女性と暮らすようになる。パトリツィアは、もはや夫の愛情を取り戻すことはできなかった。 怪しげな女占い師のピーナ(演:サルマ・ハエック)に傾倒したパトリツィアは、彼女の力を借りて、夫を殺害する計画を立てる。一方で経営の才覚がなかったマウリツィオは、親の代からの腹心の部下の裏切りに遭って、社長の座を追われる。 1995年、マウリツィオは自宅の前で銃撃されて、命を落とす。悲劇の未亡人を装うパトリツィアだったが…。 *****  脚本家の1人に起用されたのは、イタリア育ちのロベルト・ベンティヴェーニャ。母がデザイナーだったこともあって、彼には馴染みのある世界だったという。 リドリー・スコットはベンティヴェーニャとの打ち合わせに際し、登場人物たちをシェイクスピアのキャラクターに例えた。マウリツィオは、悩める王子ハムレット。パトリツィアは、奸計を巡らすマクベス夫人。そしてパオロは、道化だと。 実際に起こった事件をベースにした本作だが、『プロメテウス』(2012)以降、リドリー・スコット作品のカメラを任されている撮影監督のダリウス・ウォルスキーは、この作品はドキュメントドラマというよりも、「よくできた昼ドラのような、俗悪で愉快で悲劇的な惨事」だと語っている。 こうした世界観の中で、俳優陣は躍った。“カメレオン俳優”の名を恣にするアダム・ドライバーは、世間知らずの青年マウリツィオが、パトリツィアとの庶民的な生活に喜びを見出しながらも、名門ブランドTOPの地位を得て、己を見失っていく姿を的確に演じた。 ジャレッド・レトは、「グッチ」TOPのアルドの頭痛の種である、ボンクラ息子パオロ・グッチを演じるに当たって、自らのアイディアで、白髪交じりのハゲ頭で小太り体型に、特殊メイクで変身。毎日6時間のメイク時間は、集中してキャラクターについて瞑想するには、「最高の時間」だったという。 アル・パチーノ、ジェレミー・アイアンズの両ベテランも、それぞれの持ち味を生かしながら、見事に実在の人物を演じてみせた。  しかし本作で特筆すべきは、何とも言ってもパトリツィアを演じた、レディー・ガガであろう。 役作りのために、イタリア語なまりの英語を半年もの間訓練。パトリツィアについての文献を読み漁り、映像を見まくったというが、その際には、パトリツィアが実在の人物で、インタビューではよく嘘をつくことがあったため、ジャーナリストのような視点が必要だったという。ガガは正体を隠して、イタリアの街頭に立って、彼女のイメージの聞き込みまで行った。 役作りに於いては、3種類の動物をイメージした。30年近くに及ぶ物語の中で、20代前半の若き日々は、飼い猫。中盤は、遊び心を持って狩りをするキツネ。そして終盤は、獲物を引きつけてから飛び掛かる、ヒョウを観察して、パトリツィア像を作り上げた。 因みに稀代の悪女のイメージが強いパトリツィアだが、ガガはそうした既成のイメージからも距離を置いた。曰く「彼女がマウリツィオ・グッチと結婚したとき、彼は自分の一族全員に見放されたので、お金のために結婚したわけではなかった」。そして彼を殺害した時には、二人はすでに離婚しており、「金銭的なことが懸かっていたわけでは全くなかった」。即ち凶行に至ったのは、「彼女の心が傷ついたから、そして愛のために違いない」という解釈で、パトリツィアを演じているのである。 本作でパトリツィアは、「グッチ」の経営に参画したいと考え、自分にはその能力があると思っていたのに、“部外者”扱いされ、男性社会の中で疎外され続けた女性として描かれる。この辺りは、『エイリアン』(1979)のリプリーにはじまり、『テルマ&ルイーズ』(91)や近作『ゲティ家の身代金』(2017)『最後の決闘裁判』(21)等々、“男性優位社会”の現実に抗する女性像を描き続けてきた、リドリー・スコットの面目躍如でもある。 撮影に際し、ガガのためには、ウィッグが15種類用意された。それはパトリツィアの各時代の実際の髪のレプリカで、髪を染める化学薬品も、それぞれの時代のものを使用したという。 ファッション業界の物語の中で、ガガはシーン毎に衣装を変えた。劇中で披露したその数は、全部で54ルック。衣裳担当のジェンティ・イエーツによると、シーン毎に4~5着の候補を持ち寄ると、ガガからその組合せの提案が返され、コーディネートを「完璧に」仕上げていった。 こうして内面及び外見で、パトリツィアになり切ったレディー・ガガ。劇中に登場する「Father, Son, and House Of Gucci (父と子とグッチ家の御名において)」というセリフは、脚本にはなく、ガガが現場で放ったアドリブだったという。  2021年11月、本作が公開されると、アルド・グッチの子孫らは、本作では、グッチ家の人々が、「悪党で無知で無神経な者たち」として描かれ、事実が捻じ曲げられていると、異議を唱えた。パトリツィアが、「男性的でマッチョな企業文化」を乗り越えようとした「被害者」として描かれていることが「不愉快だ」とも、述べている。 それに対してリドリー・スコットは、「グッチ家の一人が殺され、もう一人が脱税で刑務所に入ったことを忘れてはならない」と、こうした異議を一蹴している。 因みにパトリツィアは、本作についてどんなリアクションを示しているのか?彼女は1998年、裁判で有罪判決を受け、29年の懲役を宣告されたが、2016年には出所。現在はミラノに住み、ペットのオウムを肩に乗せて街を歩いている姿が、よく目撃されているという。 70代となった彼女は、レディー・ガガが自分の役を演じることに対して、「…腹立たしいと思っている」と不快感を示している。ガガが自分に会いにも来なかったことが、いたく不愉快だったようだ。ついでにパトリツィアは、自分をモデルにした映画からは、1銭たりとも収益がもたらされないことも、明らかにした。 これに対してガガは、パトリツィアに会わなかったのは、「この女性はこの殺人を美化されたがっていて、犯罪者として記憶されたがっているとすぐに分かったから」だと語っている。演じるに当たって、そうした危険を察知。敢えて本人との面会を避けたわけである。「よくできた昼ドラのような、俗悪で愉快で悲劇的な惨事」を描いた『ハウス・オブ・グッチ』。スキャンダラスなヒロインのモデルと、演じた“歌姫”を巡る、インサイド・ストーリーである。■ 『ハウス・オブ・グッチ』© 2021 Metro-Goldwyn-Mayer Pictures Inc. All Rights Reserved.

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大ヒットホラー『X エックス』と『Pearl パール』の生みの親タイ・ウェストの魅力に迫る!

なかざわひでゆき

出世作は惜しくも日本未公開 『ヘレディタリー/継承』(’18)や『ミッドサマー』(’19)の製作会社A24が新たに放つホラー映画として、ここ日本でも話題となったタイ・ウェスト監督のスラッシャー映画『X エックス』(’22)と、その前日譚に当たるサイコホラー『Pearl パール』(’22)が、7月のザ・シネマにて一挙放送される。そこで今回は、アメリカでは高く評価されながらも日本ではまだ知名度の低いタイ・ウェスト監督の作家性を紐解きつつ、その代表作となった『X エックス』と『Pearl パール』の見どころをご紹介したい。 アメリカ東海岸はデラウェア州の商業都市ウィルミントンに生まれ、本人曰く「典型的な郊外の中流家庭」に育ったというタイ・ウェスト監督。1980年生まれの「ミレニアル世代」だが、しかし少年時代にレンタル・ビデオで見た’70~’80年代のホラー映画に影響を受けて映画監督を志すようになった。本人が最も好きな映画として度々挙げているのは、ピーター・メダック監督の『チェンジリング』(’80)にニコラス・ローグ監督の『赤い影』(’73)、スタンリー・キューブリック監督の『シャイニング』(’80)にウィリアム・フリードキン監督の『エクソシスト』(’73)。なるほど、好みの傾向が分かろうというものですな。派手なショック演出よりも禍々しい雰囲気を重視し、ホラー要素よりも人間ドラマやテーマ性に比重が置かれ、じっくりと時間をかけて徐々に恐怖を盛り上げていく知的なホラー映画。それは、後のタイ・ウェスト監督作品にも共通する特徴と言えよう。 ニューヨークのスクール・オブ・ビジュアル・アーツで映画作りを学んだウェスト監督は、恩師ケリー・ライカート(!)に紹介されたニューヨーク・インディーズ界の鬼才ラリー・フェッセンデンのプロデュースで、自身初の商業用長編作品となるヴァンパイア映画『The Roost』(’05・日本未公開)を発表。これがテキサス州で毎年開催される映画と音楽の大規模見本市「サウス・バイ・サウスウェスト」で評判となり、さらにハリウッド大手のパラマウントからDVD発売されたことから、ウェスト監督はイーライ・ロス監督の大ヒット・ホラー『キャビン・フィーバー』(’03)の続編『キャビン・フィーバー2』(’09)の演出を任されることとなる。 ところが、作品の方向性を巡ってウェスト監督とプロデューサー陣が真っ向から対立。あえてブラック・コメディ路線を狙った監督だが、しかしプロデューサーたちはその意図を理解してくれなかったという。『キャビン・フィーバー2』の撮影自体は’07年4月にクランクアップしていたそうだが、しかし劇場公開まで2年以上もお蔵入りすることに。その間に、プロデューサー側はウェスト監督に無断で追加撮影と再編集を行っており、これに強い不満を持ったウェスト監督は「アラン・スミシー名義」の使用を要求したが、しかし当時まだ彼は全米監督協会の会員でなかったために使用許可が下りなかったという。すこぶる評判の悪い同作だが、実はこういう裏事情があったのだ。 そんなタイ・ウェスト監督の出世作となったのが、’80年代のスラッシャー映画ブームにオマージュを捧げた『The House of the Devil』(‘09年・日本未公開)。これは、筆者がウェスト監督の才能に注目するきっかけとなった作品でもある。舞台は「悪魔崇拝者が子供たちを誘拐・虐待している」という噂が全米に広まり、いわゆる「サタニック・パニック」と呼ばれる集団ヒステリーが巻き起こった’80年代前半のアメリカ北東部。アパートの家賃支払いに困った10代の女子大生が、やけに時給の高いベビーシッターのアルバイトに応募したところ、それは生贄を求める悪魔崇拝カルトの仕掛けた罠だった…というお話だ。 生まれて初めて独り暮らしをすることになった貧乏学生のヒロイン。そんな彼女の抱える不安や心細さが、いかにも怪しげな古い大豪邸で過ごすひとりぼっちのアルバイトの不安や心細さと絶妙にシンクロし、やがてその漠然とした恐怖が現実のものとなっていく。細やかなディテールの積み重ねで、徐々に恐怖を煽っていくストーリーは地味ながらも圧倒的な真実味がある。なによりも、まるで本当に’80年代に作られた映画のような雰囲気に驚かされた。撮影では16ミリフィルムを使用。セットや衣装はもちろんのこと、オープニング・クレジットのフォントデザインからエンディング・クレジットの表示形式、劇中のカメラワークからチープな音楽スコアまで、’80年代の低予算スラッシャー映画のクリシェを徹底して模倣することで、当時の空気感までリアルに再現してしまうウェスト監督の演出力に感心させられる。この見事な作品が、いまだ日本で見ることが出来ないというのは実に惜しい。 タイ・ウェストの描くホラー映画の真髄とは? ちなみに、ここで注目したいのが『The House of the Devil』で主人公の親友を演じたグレタ・ガーウィグと、同作で911オペレーターの声を担当したレナ・ダナムの存在だ。ダナムは次作『インキーパーズ』(’11)にも脇役で出演している。ご存知、どちらも現在のアメリカのインディペンデント映画界を代表する女性作家にして、’00年代初頭にインディーズ映画のメジャー化に対抗する形で派生したサブジャンル「マンブルコア」(これを映画運動と見る向きもある)の代表的なフィルムメーカーに数えられている人たちだ。 マンブルコアとは自主製作映画の原点に立ち返り、現代アメリカ社会の日常に根差した身近なテーマを、自然体の即興芝居やモゴモゴとした聞き取りにくいセリフ(=マンブルコアの語源)、シンプルかつ自由な演出などを駆使して描いた、ウルトラ低予算の私小説的な映画群のこと。そのルーツはジョン・カサヴェテスやウディ・アレン、ミケランジェロ・アントニオーニやエリック・ロメールに求められる。アメリカでは’00年代に一世を風靡したマンブルコアだが、しかし日本では多くの作品が未公開のため認知度はそれほど高くない。とりあえず、ガーウィグが主演したノア・バームバック監督の『フランシス・ハ』(’12)や、そのガーウィグが監督した『レディ・バード』(’17)辺りは、’10年代以降のいわゆる「ポスト・マンブルコア」の系譜に属する作品。レナ・ダナムのテレビシリーズ『GIRLS/ガールズ』(‘12~’17)もマンブルコアの影響下にあると言えよう。他にもアダム・ウィンガードやジョー・スワンバーグ、デュプラス兄弟にアーロン・カッツ、「マンブルコアのゴッドファーザー」と呼ばれるアンドリュー・ブジャルスキーなどがマンブルコアの重要な作家と言われているが、実はタイ・ウェストもその仲間だった。 まあ、よくよく考えてみれば学生時代の恩師からして、マンブルコアの作家たちと親和性の高そうな「アメリカン・インディーズの至宝」ケリー・ライカートである。ガーウィグやダナムがウェスト作品に関わったように、ウェスト監督もウィンガードやスワンバーグの作品に役者として出演。マンブルコアの作家たちは互いの交流が活発だ。そもそもウェスト監督の『The House of the Devil』や『インキーパーズ』、ウィンガード監督の『サプライズ』(’11)や『ザ・ゲスト』(’14)などはマンブルコアのホラー版とも見做され、マンブルコアならぬ「マンブルゴア(マンブルコア+ゴア)」という造語まで生まれた。そういう視点でウェスト監督作品を改めて見返すと、「自分をホラー映画監督だとは思っていない」という彼の言葉にも少なからず納得できるだろう。 「恐怖というのは日常の延長線上にあるもの」というタイ・ウェスト監督。そのうえで、自身が作っているのはホラー映画ではなく、「ホラー映画へと変化する普通の映画」だと述べている。そういえば彼は『エクソシスト』や『シャイニング』を評価する理由として、前者は「病気の娘を抱えた女性」を描いており、後者は「家族を憎むアル中男」を描いている、どちらも「まずはドラマが優先でホラーは2番目」であることを挙げていたが、確かに彼自身の作品もホラー要素と同じかそれ以上にドラマ要素が重視される。そこはホラー映画ファンの間でも賛否の分かれるところで、実際にウェスト監督自身は「ハードコアなホラー映画マニアは僕のことを嫌っている」と感じているそうだ。 さて、その『The House of the Devil』でスクリームフェストやサターン賞などのジャンル系賞レースを賑わせたウェスト監督は、続くお化け屋敷映画『インキーパーズ』が初めて興行収入100万ドルを超えるスマッシュヒットを記録。友人のウィンガードやスワンバーグも参加したオムニバス・ホラー『V/H/Sシンドローム』(’12)や『ABC・オブ・デス』(’12)にも短編作品を提供し、かの有名な人民寺院の集団自殺事件をモデルにした実録恐怖譚『サクラメント 死の楽園』(’13)も話題となったが、しかし「ホラー映画だけの監督と思われたくない」との理由から挑んだ西部劇『バレー・オブ・バイオレンス』(’16)がまさかの大コケ。なんと、興行収入6万ドル強という桁外れ(?)の大失敗作となってしまったのだ。 それっきり、暫く映画の世界から姿を消してしまったウェスト監督。その間、『ウェイワード・パインズ 出口のない街』シーズン2や『アウトキャスト』、『エクソシスト』に『チェンバース:邪悪なハート』などなど、ホラー系やミステリー系のテレビシリーズのエピソード監督として活躍。脚本の執筆から資金集め、予算のやり繰りから完成後のプロモーションまで監督自身が奔走せねばならないインディペンデント映画に対して、完全なる雇われ仕事のテレビシリーズは余計なストレスが少ないため、色々な意味で良い骨休めになったという。そうして長い充電期間を過ごしたタイ・ウェスト監督が、およそ6年ぶりに挑んだ映画復帰作が『X エックス』だった。 極めてアメリカ的なメンタリティが根底に流れる『X エックス』 舞台は1979年。有名になることを夢見るポルノ女優志望のストリッパー、マキシーン(ミア・ゴス)は、映画プロデューサーを自称する恋人ウェイン(マーティン・ヘンダーソン)やその仲間たちと共に、自主制作のハードコアポルノ映画を撮影するためにテキサスの田舎へと向かう。彼らが辿り着いた先は、ハワード(スティーブン・ユーレ)にパール(ミア・ゴス)という高齢の老夫婦が暮らす広大な農場。その一角に建つ古い納屋を借りた一行は、老夫婦に内緒でこっそりとポルノ映画の撮影を始めるのだが、しかしマキシーンだけは老女パールの怪しげな様子が気にかかる。 実は、若い頃はマキシーンと同じくスターになることを夢見ていたパール。しかし、夢を実行に移すだけの勇気が彼女にはなく、田舎の片隅で後悔と不満を抱えたまま年老いていたのだ。そして今、フレッシュな若者たちの出現がパールの歪んだ承認欲求を刺激し、彼女を狂気へと駆り立てていく…。 以前から「いつか一緒に仕事をしよう」と言いながら実現しなかったA24の重役ノア・サッコに、ダメもとで脚本を送ったところすんなり企画が通ってしまったというウェスト監督。トビー・フーパー監督の『悪魔のいけにえ』(’74)から多大な影響を受けた作品であることは明白だが、それにしても’70年代のインディペンデント系ホラー映画の雰囲気が驚くほど忠実に再現されている。さすがはタイ・ウェスト監督。『The House of the Devil』と同じく、まるで実際に当時作られた映画みたいだ。ただし、今回は16ミリフィルムでの撮影は叶わなかった。’70~’80年代のインディーズ系ホラー映画の多くがそうだったように、当初は16ミリフィルムの使用を検討したというウェスト監督。しかし、本作が撮影されたのはコロナ禍のニュージーランド。通常よりもフィルムを現像するのに時間がかかるため、撮影期間中にラッシュを確認することが難しいことから断念、デジタルカメラで撮影せざるを得なかったという。 そんな本作でウェスト監督が描かんとしたのは、いわばアメリカ的な「起業家精神」。舞台となる’79年といえば、いわゆる「ポルノ黄金時代」の真っ只中である。今となっては信じられない話かもしれないが、当時は成人指定のハードコアポルノが映画市場を席巻し、中には『ディープ・スロート』(’72)や『ミス・ジョーンズの背徳』(’73)、『Debbie Does Dallas』(‘78・日本未公開)などのように、それこそメジャー映画並みの興行収入を稼ぐ作品まで登場、その『ディープ・スロート』の主演女優リンダ・ラヴレースや『グリーンドア』(’72)のマリリン・チェンバースなどはハリウッド・スターばりのセレブとなった。しかも、大半の作品は自主製作映画も同然のものばかり。つまり、無名の素人でも成功への足掛かりを掴むことが可能だったのだ。そんな一獲千金のチャンスを夢見てポルノ映画を撮影する、いわば「起業家精神」溢れるハングリーな若者たちを、田舎の片隅で叶わなかった若い頃の夢と満たされぬ欲望を抱えたまま年齢を重ね、静かに狂ってしまった老女パールがひとりまたひとりと殺していく不条理に、ある種の憐れみを込めた本作の恐怖の根源があると言えよう。 ちなみに、主人公をポルノ映画の撮影隊にした理由について、ウェスト監督は「ポルノとホラーは似ているから」と答えている。なるほど確かにその通り。どちらも低予算で作れるうえに、キャストやスタッフが無名でも客入りが期待できるため、他のジャンルに比べると極めて敷居が低い。特に’70年代当時は、それこそ本作に影響を与えた自主制作映画『悪魔のいけにえ』がメジャー級の大ヒットを記録し、そのおかげでトビー・フーパー監督もハリウッド入りしたように、ホラー映画はポルノ映画と同じく、映画界にコネのない人間がキャリアをスタートするに最適なジャンルだった。と同時に、その気軽さゆえ安易に量産されやすく、なおかつ金儲けのためにポルノなら本番シーン、ホラーならゴアシーンと刺激ばかりを追究するようになり、映画として大事なストーリー性や芸術性が蔑ろにされやすいという点でも似たものがあると言えよう。 ‘22年3月に全米公開され、興行収入1500万ドル超えというタイ・ウェスト監督のキャリアで最大のヒットを記録した『X エックス』。その半年後という異例のスピードで封切られたのが、若き日のパールを主人公にした前日譚『Pearl パール』である。 古き良きアメリカのダークサイドを浮き彫りにする『Pearl パール』 時は第一次世界大戦下の1918年。テキサスの田舎の農場に暮らす若い女性パール(ミア・ゴス)はハリウッド映画が大好きで、秘かに自分もスターとなることを夢見ている。しかし現実の彼女は保守的で厳格な母親(タンディ・ライト)に支配され、体の不自由な父親(マシュー・サンダーランド)の介護と農場の仕事に忙しく追われる毎日。そのうえ、若くして結婚した彼女は戦地へ出征した夫ハワード(アリステア・シーウェル)の帰りを待たねばならない。妻として娘として家庭に縛り付けられたパールに、自分の夢を追いかける自由などなかったのだ。 彼女の抑圧された願望や承認欲求を刺激するのが、街の小さな映画館のハンサムな若い映写技師(デヴィッド・コレンスウェット)。彼から「夢を追いかけるべきだ」と励まされるパールだが、しかし彼女にはそれだけの勇気も行動力もなかった。そんな折、義妹ミッツィ(エマ・ジェンキンス=プーロ)から軍隊慰問ショーのダンサーのオーディションがあると聞いたパール。この狭くて息苦しい田舎町から出ていく千載一遇のチャンスだ。ようやく人生に希望の光を見出した彼女は、親に内緒でミッツィと一緒にオーディションを受けることを決意。なにがなんでも合格して、スターになる夢を叶えたい。もはやそれしか考えられなくなったパールは、邪魔になる人間を次々と殺して狂気を暴走させていく…。 前作が’70年代のインディーズ系ホラー映画風だとすると、今回はハリウッド黄金期のテクニカラー映画風。中でも『オズの魔法使い』(’39)や’50年代のダグラス・サーク映画からの影響はかなり濃厚だ。当初はドイツ表現主義風のモノクロ映画にするという案もあったという。確かに、精神を病んだ人間の心象世界を表現するのにドイツ表現主義は適したスタイルだが、しかしパールの場合はちょっと病み方が違う。華やかな映画スターに憧れる彼女の心象世界は、むしろカラフルで煌びやかで狂気に満ちたものと考える方がしっくりとくる。ウェスト監督が言うところの「歪んだディズニー映画」だ。そこで落ちついたのが、ハリウッド黄金期のテクニカラー映画風スタイル。まだ映画がモノクロ&サイレントだった1910年代という時代設定からはズレるが、まあ、同時代を舞台にした『武器よさらば』(’57)とか『マイ・フェア・レディ』(‘64)みたいなものと受け止めればよかろう。 もともと『X エックス』の製作がスタートした当初は、シリーズ化の企画などなかったというウェスト監督。しかし以前に『サクラメント 死の楽園』で、撮影のために何もないところから建てた新興宗教コミュニティの巨大セットを取り壊した際に「勿体ない」と感じた彼は、今回もテキサスに見立ててニュージーランドに建てた農場のセットを、映画一本だけで取り壊してしまうのは惜しいと考え、同じセットを使ってもう一本映画を撮ろうと考えたという。そこで思いついたのが、殺人鬼の老婆パールがなぜサイコパスと化したか?を描く前日譚だったというわけだ。 脚本の執筆にはパール役のミア・ゴスも参加。たったの2週間で書き上げたそうで、『X エックス』の撮影が始まる前には既に『Pearl パール』の脚本も完成していたという。おかげで、後者のネタを前者に忍び込ませることも出来た。例えば、『X エックス』でパールは「ブロンドが嫌い」だと呟くが、その理由は続編『Pearl パール』で詳らかにされる。ほぼ同時に作られたからこそ可能になった仕掛けだ。実際、『X エックス』のクランクアップから3週間後に『Pearl パール』の撮影は始まっている。 浮かび上がるのは保守的な田舎の伝統的な家父長制にがんじがらめとなり、女というだけで人生の選択肢を狭められてしまったヒロイン、パールの痛みと哀しみだ。一見したところ平和で長閑な日常の裏で抑圧され、少しずつ狂気を醸成させていくパール。古き良き理想のアメリカが、誰のどんな犠牲の上に成り立っていたのか分かろうというものだろう。演じるミア・ゴスは、「もしパールが別の時代に生まれていて、もっと理解のある両親に恵まれていたら、あんな殺人鬼にはなっていなかったと思う」と語っているが、確かにその通りかもしれない。いわば、周りの環境が彼女をモンスターにしてしまったようなもの。だからこそ、本作は恐ろしくも哀しく切ないのだ。 そうそう、主演女優のミア・ゴスについても触れねばならないだろう。ラース・フォン・トリアーの『ニンフォマニアック』(’13)でデビューした頃から、そのクセの強い個性と大胆不敵な芝居が映画ファンの間で評判となりながら、しかし決定打と呼べるような代表作になかなか恵まれなかったゴス。この『X エックス』と『Pearl パール』の2作品で初の単独主演を果たし、ようやく女優としてブレイクすることとなった。「ミアが引き受けてくれなければ(『X エックス』も『Pearl パール』も)作ることはなかっただろう」というウェスト監督だが、なるほどマキシーン役もパール役も彼女以外に考えられないほどハマっている。ミア・ゴスなしではシリーズの成功もなかったはずだ。 なお、『X エックス』の後日譚に当たるトリロジー最終章『MaXXXine』(‘24・日本公開未定)もすでに完成しており、去る’24年6月24日にロサンゼルスのチャイニーズ・シアターでプレミア上映が行われたばかり。今回は1985年のロサンゼルスが舞台で、夢を叶えて有名なポルノ・スターとなったマキシーン(ミア・ゴス)が、一般作へのステップアップに挑む一方で謎の連続殺人鬼に命を狙われる。ウェスト監督曰く、ポール・シュレイダー監督の『ハードコアの夜』(’79)やゲイリー・シャーマン監督の『ザ・モンスター』(’82)、さらにはジェームズ・キャメロン監督の『ターミネーター』(’84)やイタリアのジャッロ映画などに影響を受けたとのこと。共演陣もエリザベス・デビッキにケヴィン・ベーコン、ミシェル・モナハン、リリー・コリンズ、ジャンカルロ・エスポジトなどシリーズ中で最も豪華だ。’80年代キッズの映画マニアとしては期待度満点!日本公開の時期はまだ未定だが、とりあえずトリロジーの最終章をしっかりと見届けるためにも、ぜひこの機会にザ・シネマで『X エックス』と『Pearl パール』を楽しんでおいて頂きたい。■ 『X エックス』© 2022 Over The Hill Pictures LLC All Rights Reserved. 『Pearl パール』© 2022 ORIGIN PICTURE SHOW LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

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