ザ・シネマ 尾崎一男
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COLUMN/コラム2024.07.22
韓国ホラーのルネッサンスを再考する ― 監督が語った恐怖へのこだわりと『ボイス』―
◆韓国学校ホラーの奇々たる分枝 韓国映画におけるホラージャンルのルネッサンスは、1998年公開の日本映画『リング』を端緒とするジャパン・ホラーの興隆が起爆剤になったものと傍証されている。しかし実のところ、韓国ホラーは独自の歩みを経て興隆の轍をたどっている。特に同年に公開された『囁く廊下-女校怪談-』の誕生は、興行的な成功を得て同作をシリーズ化させただけでなく、韓国映画内でジャンルとして衰退していたホラーを活性化。さらには分枝ともいえるホラー映画群の根幹となり、本稿で触れるアン・ビョンギのような、ジャンルに特化した監督の台頭をうながすきっかけとなったのだ。 では何故、前掲のような印象をもたらしたのだろう? それは本作『ボイス』(2002)が起因のひとつとして挙げられる。まずはストーリーを概説しよう。援助交際のルポを手がけたことから、脅迫電話に悩まされていたジャーナリストのジウォン(ハ・ジウォン)。そんな状況を見かねた親友ホジョン(キム・ユミ)の勧めで彼女は携帯番号を変えるが、誰も知らないはずのその番号に、謎の着信が寄せられる。しかも、その着信による通話を偶然に聴いてしまったホジュンの娘ヨンジュ(ウン・ソウ)が、まるで何かに取り憑かれたように豹変してしまうのだ。 このプロットからも明らかなように、携帯電話を媒介とし、人間を襲う怨霊を描いている点で、本作はビデオという近代ツールが伝染的な呪死をもたらす『リング』にインスパイアされたものと見なされていたからだ。恥ずかしいことに、筆者(尾崎)も『ボイス』が『リング』をネタ元にしていると決めてかかり、本作の日本公開プロモーションでアン・ビョンギと会ったさい、それをしつこく問いただした。そのような遠慮会釈のないクエスチョンに対して監督は、 「恐怖という概念を文学や映画、そしてコミックといった媒体で幅広く大衆化させたのは、東洋のなかでも日本だけなのではないかと一目置いている」 と我が国の恐怖文化に対して慎重な態度でリスペクトを示しながら、 「だから僕は『ボイス』を手がけるさい、日本の『リング』や他のホラーと違うモノを作ろうと努力しました。にも関わらず『リング』があまりにも秀逸であるため、観た人たちが似た作品のように印象を持たれても仕方がないのかな? と思っています」 と、『リング』の価値を認めつつ、『ボイス』がその傍流ではないことを強く主張している。もちろん、まったくの無縁だと抗弁するには共有材料か揃いすぎているが、むしろ強い影響力という点では、女子高生や学校というコミュニティをストーリーの根幹に置いた時点で『囁く廊下-女校怪談-』の系譜に連なる割合のほうが高い。そこを公開時に指摘できなかったのは、韓国映画史に理解の足りていなかった自分の怠慢として悔いが残る。しかも本作の携帯への言及は、同ツールを呪殺の媒介とした『着信アリ』(2003)というシリーズの成立をうながし、優れた恐怖描写で世界を震撼させながら、ジャパンホラーの文脈になかった日本の異才・三池崇史のジャンル的アリバイ作りに貢献したという捉え方もできるだろう。なので『ボイス』は韓国ホラールネッサンスのマスターピースとして、その存在価値を改めて見直す時期にきている。ちなみにアン・ビョンギは『着信アリ』を手がけた三池が1999年に発表した『オーディション』のリメイクを打診されたが、あの恐ろしさに自分が迫ることはできないとオファーを断っている。 だがなかなかどうして、アン・ビョンギの恐怖演出も、ホラーの先任監督として磨きのかかったものだ。ショットには常に消失点が置かれ、不安定な感情を煽りながらも構図は常に整い、ショッカー描写も一定の間合いと秩序を保ち、ふいな出会い頭や小細工で人を驚かしはしない、そこにはいっさいの妥協がなく、それはこの『ボイス』を観れば一目瞭然だ。 ◆サブジャンルを深化させる新世代の台頭 そんなビョンギのようにジャンルを固定した監督の台頭は、韓国映画ルネッサンス期の前説が無くては語れない。1996年、韓国の文民統制化にともない、同国の映画制度は大きく変化した。憲法裁判所が検閲行為を違憲とし、脚本と完成作品の提出を義務とした検閲システムが廃止となった。これによって映画製作に自由が設けられ、物語が制限されることなく描けるようになったのである。 それと並走するかのように、韓国民主化を旗印とする金大中は、国益のために映画産業を政府がバックアップすることを選挙公約として掲げた。そして98年に大統領当選が決まると、それまで国の機関だった「映画振興公社」を民間に委ね、映画の改革を始めるのである。こうした改革が大きな原動力となり、韓国映画は飛躍的な進化を遂げていく。 こうした変動に応じて韓国映画に流入したのは、ビデオの普及やシネマテーク運動が生んだ、シネフィル世代の監督である。『パラサイト 半地下の家族』(2019)のポン・ジュノや『別れる決心』(2022)のパク・チャヌク、さらには『モガディシュ 脱出までの14日間』(2021)のリュ・スンワンなど、いずれも特定のジャンルを深く追求し、優れた芸術性を持つ作品を生む新世代の作り手だ。 アン・ビョンギも、そうしたシネフィル世代の監督の一人に該当する。ソウル芸術大学映画科を出た彼は、所属していた同校の映画同好会で日本映画のビデオを浴びるように観たという。しかし日本映画との固いリンクとは逆に、ホラー映画への傾倒は欧米の『エクソシスト』(1973)が強く誘導したと語っている。 「無意識のうちに影響が出てくる、偉大な映画」 と同作を称賛し、なるほど、『ボイス』で霊に憑依されたヨンジュの凶暴化は、『エクソシスト』のリーガン(リンダ・ブレア)のそれと一致する。 ちなみに監督へのインタビューにおいて、好みのホラー映画を幾つか挙げて欲しいと頼んだところ、『エクソシスト』を筆頭に以下のようなラインナップとなった。 ①『エクソシスト』(1973 アメリカ) ②『オーメン』(1976 アメリカ) ③『サスペリア』(1977 イタリア) ④『シャイニング』(1980 アメリカ) ⑤『オーディション』(1999 日本) ①と⑤に関する心酔と影響に関しては前述したが、ほかいずれもホラー映画のマスターピースにして、それぞれが『ボイス』の恐怖演出に漆黒の影を落としている。②からは悪魔の子ダミアンに通ずる児童モンスターキャラクターの要素が散見されるし、また③の、美女が犠牲者となるジャーロ映画と監督ダリオ・アルジェントの嗜好を『ボイス』は共有している。そして④の高度なアート性と優れたイメージの数々は、ホラーも“芸術”になることを信じて取り組むビョンギの希求心を鼓舞させるものだったに違いない。 ◆ホラー映画に固執するのは、自身のプライド それにしても、なぜここまでビョンギはホラーというジャンルに固執してきたのだろう。そんな疑問に、彼は照れながらこう答えてくれた。 「自分がホラーを撮る理由は、個人的なプライドにあると思います。韓国映画界では商業的成功を重視し、人気スターに頼る傾向にありますが、ホラー映画は総合的に監督の演出力や、スタッフ全体の能力が優れていないと、撮ることが容易でないと実感しています。なによりホラーは、監督と観客との間で知恵比べができる手段であり、作り手にも刺激的なジャンルなんです」 『ボイス』が初公開されてから、現在までに22年の歳月が流れた。劇中で効果的に恐怖を演出した携帯電話は、より多機能性を有したスマートフォンへと進化し、本作をさらに古典の領域へと押し進めた。しかしそこにある恐怖哲学は、韓国ホラーの経典として普遍的な価値を放っているのではないだろうか。『ボイス』は今観てもなお、鑑賞者に高度な知恵比べを要求し、そして力強い刺激を与えてくれる。■ 『ボイス』© TOILET PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2024.08.12
誰が『ポルターガイスト』を監督したのか?
「トビー・フーパーは撮影現場にはいたが、演出の実権を握っていたのはスピルバーグだ。(中略)映画には多くの人の協力が必要だが、彼は人の仕事にも手を出したがるんだよ」 クレイグ・リアドン ー『ポルターガイスト』スペシャル・メイクアップ担当(米「Cinefantastique」誌より) ◆『E.T.』と血を分けたサバービア怨霊ホラー ゴーストホラーの偉大なクラシックとして『ポルターガイスト』(1982)は映画史にその名を刻みつけた。郊外のサバービア(新興住宅地)に引っ越してきた、幸福なフリーリング一家に降りかかる心霊現象の数々。やがてそれは猛威を増し、彼らを窮地へと引きずり込んでいく。 映画はそんな一家の恐るべき体験と、怨霊とゴーストハンターたちとの壮絶な戦いを描き、作品は全米興行収入約7000万ドルのヒットを記録した。そして同作はシリーズ化されて2本の続編を生み、2015年にはリメイク版も製作されている。『アクアマン』(2018〜)や『死霊館』(2013〜)シリーズでその名をとどろかす映画監督ジェームズ・ワンも「心霊スリラーの偉大なる傑作」と同作を称え、その影響のもとに彼の数あるホラーフランチャイズは存在する。 だがワンが『ポルターガイスト』に心酔する背景には、自身の敬愛するスティーブン・スピルバーグの作品であるという意識がはたらいているともいえる。もちろん、その考え方に間違いはない。本作を製作したのはスピルバーグであり、氏はこの映画で脚本も兼任している。しかし『ポルターガイスト』には、トビー・フーパというれっきとした監督が存在する。アメリカンホラーの歴史に燦然と輝く『悪魔のいけにえ』(1974)の生みの親であり、フィアメーカー(恐怖の創造者)としてジャンルのトップに立つ偉大なマエストロだ。そんな人物を差し置いて『ポルターガイスト』を、スピルバーグの作品として認識している人は少なくない。 まずは本作が生まれるに至った経緯を記しておきたい。『ポルターガイスト』の創造は、知的生命体とのコンタクトを描いた『未知との遭遇』(1977)の続編として、スピルバーグがコロンビア・ピクチャーズに監督を約束していた企画『ナイト・スカイズ』を起点とする。この企画を実現させるために、スピルバーグはまず脚本家と監督の選出をした。前者は『セコーカス・セブン』(1980)の監督や『ピラニア』(1978)『ハウリング』(1981)の脚本家として知られるジョン・セイルズ、そして後者がトビー・フーパーである。だが平和的ではない、異星人との侵略的な遭遇を描いたはずの『ナイト・スカイズ』の草稿は『E.T.』(1982)へと枝分かれし、こちらはユニバーサルで映画化が決まったのだ。そしてもう片方の枝をMGMに持っていき、こちらが『ポルターガイスト』として映画化が決定したのである。『E.T.』とのバッティングを懸念したスピルバーグは、異星人を悪霊に変えることでどちらも企画を通したのだ。この流れから、両作がサバービアを舞台とする共通の設定に合点がいくだろう。 ただ『E.T.』を監督する関係上、スピルバーグは『ポルターガイスト』では製作に専念し、同作はフーパーの監督作品としてプロジェクトが進行する。しかしユニバーサルで『ファンハウス/惨劇の館』(1981)を監督中だったフーパーと往復書簡で固めたストーリーをもとに、マイケル・グレースとマイク・ピーターが執筆した脚本をスピルバーグは気に入らず、製作のフランク・マーシャルやキャスリーン・ケネディの尽力を経て大幅に改変。ここから彼の作品に対する支配欲が萌芽する。 さらに『E.T.』との差異を強化するため、自身の監督作の座組とは異なるキャストやスタッフを『ポルターガイスト』に配した。だがそれもスピルバーグの意思が細かく絡んだことで、より企画へののめり込みに拍車がかかったのだ。加えて自分が初めてホラージャンルに関わることに対する高揚感が、演出への介入を強く後押ししたともされている。 そして事態をややこしくしたのは、撮影現場における両者の立ち回りだ。スピルバーグは毎日セット入りし、ストーリーボードもほとんどを自身で手がけ、フーパーの指揮権をときに無自覚に、そして無意識のもとに剥奪している。それは特殊効果においても同様で、スピルバーグは多くのアイディアを自分で提案し、そして改善を求め、ただでさえ困難を極めたリチャード・エドランド(視覚効果スーパーバイザー)のVFX/SpFX作業をより煩雑にしたのである。 ◆近年において混沌と化すスピルバーグ説 こうした越権行為はやがて表面化し、スピルバーグとフーパーは互いの領分に関してマスコミを通じて正当性を主張。演出家組合はフーパーの権利を重んじ、スピルバーグに罰金の支払いと、自身が演出しているかのように思わせるプロモーション映像を取り下げるよう指示した。さらに和解策の一つとしてスピルバーグは米「バラエティ」誌の全一面に詫び状を掲載。『ポルターガイスト』の監督はフーパーであることを、よそよそしく触れ回ったのである。 しかし結果として、完成した『ポルターガイスト』は演出やレイアウトや構図の特徴、ならびにキャメラムーブの規則性などが完全にスピルバーグのそれと各シーンで一致したものとなっていた。エディターにマイケル・カーンを起用したことによって、編集の呼吸とタイミングもスピルバーグのメソッドを踏襲しており、『ポルターガイスト』は完全に彼の他の監督作と同期していたのだ。また公開時、顔を掻きむしって皮膚がボロボロと欠落していくグロテスクな描写などをフーパー由来とする指摘もあったが、2024年現在までのフィルモグラフィを俯瞰した場合、その残酷性もスピルバーグに依拠するものと認識されている。 しかし、ここまで大胆に介入していながら、なぜスピルバーグは自身を監督としてクレジットしなかったのか? それは同時に2本以上の監督作を公開することを禁じる全米映画監督協会の取り決めや、ストライキを懸念した急務対応で監督変更の手続きを踏めなかったことなどが起因としてある。 『ポルターガイスト』の公開から42年を経た現在、こうした「監督=スピルバーグ」は、新たな証言によってより混沌としたものとなっているようだ。2017年、『アナベル 死霊館の人形』(2014)の監督として知られるジョン・R・レオネッティは、ブラムハウスのポッドキャスト「Shockwave」に出演したさい、「撮影現場を指揮していたのはスピルバーグ」だと証言(※1)。彼は当時、アシスタントカメラマンとして同作に参加し、撮影監督の兄マシュー・レオネッティを現場でサポートしており、発言にはそれなりの信憑性がある。 だがレオネッティは言葉を付け加え、「それでもトビー・フーパーが偉大な存在であることは疑いようがない」と強調している。 また2022年、米「Vanity Fair」に主演のグレイグ・T・ネルソンとジョベス・ウィリアムズへの最新インタビューがアップされ(※2)、それによると『ポルターガイスト』はスピルバーグの現場介入はあったとしながら、あくまで同作は「フーパーとのコラボレーションの産物」なのだという見解を示している。 ◆それでもトビー・フーパーの名声は揺るぎない こうしたフーパー擁護の動きは世界的に波及し、後年『ポルターガイスト』をフーパーの監督作としてみなす主張も散見されている。たとえば我が国においては『CURE』(1997)『スパイの妻〈劇場版〉』(2020)の名匠・黒沢清が、同作からフーパーの演出の形跡を見い出して検証し、『悪魔のいけにえ』の偉大な監督の名誉回復に努めている。黒沢自身もキャリア初期の自作ホラー『スウィートホーム』(1989)をめぐり、プロデューサーだった伊丹十三と揉めた経緯があり、フーパーの受難をとても他人事とは思えないのだろう。 トビー・フーパーは後年、『ポルターガイスト』における悶着に関して積極的な主張や抗弁を避け、そして2017年8月26日、惜しまれつつこの世を去っている。言明はしていないものの、劇中のゴーストさながらに自らを責め苛んだスピルバーグの存在を、苦衷に感じていたことは想像に難くない。 そもそも、フーパーが『ナイト・スカイズ』から継続して『ポルターガイスト』の監督に起用されたのはなぜか? それはスピルバーグが『エイリアン』(1979)に心酔しており、同作に匹敵するようなホラー映画を撮りたがっていたこと。そして『エイリアン』の監督であるリドリー・スコットが、この映画のリファレンスとして『悪魔のいけにえ』を参考にしたことが、フーパー起用の流れやベースとして指摘できる。 スピルバーグも彼なりにフーパーの存在と、彼が手がけた『悪魔のいけにえ』の重要性を認識していたのだ。■ 『ポルターガイスト』© Turner Entertainment Co. (※1)https://www.independent.co.uk/arts-entertainment/films/news/poltergeist-steven-spielberg-director-conspiracy-theory-confirmed-tobe-hooper-a7846651.html (※2)https://www.vanityfair.com/hollywood/2022/09/poltergeist-at-40?utm_source=nl&utm_brand=vf&utm_mailing=VF_HWD_092222&utm_medium=email&bxid=5bd66dcf2ddf9c61943828dc&cndid=16589592&hasha=3ca14bfe2471e504eb115db7a2ff9a91&hashb=96d9312f53605901937a354eea3b47c76deaeeab&hashc=0abd56a6ab006be60ae79d00fb9e9dfb304b62a672a172fab699c03633832c4d&esrc=manage-page&mbid=mbid%3DCRMVYF012019&source=EDT_VYF_NEWSLETTER_0_HWD_ZZ&utm_campaign=VF_HWD_092222&utm_term=VYF_HWD
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COLUMN/コラム2024.09.24
コロナ禍で追求された、全編アクションの可能性『アンビュランス』
◆破壊王マイケル・ベイの挑戦 機動力に満ちたカメラワークや、過剰なほどに爆発を散りばめたショットなど、それらを素早い編集で組み合わせ、監督マイケル・ベイはキャリア早期より迫力ある映像サーカスを展開してきた。「ベイヘム」と呼称されるそれは、氏を認識する視覚スタイルとして周知され、皮肉も尊敬も交えて氏を象徴する重要なワードとなっている。1995年の初長編監督作『バッドボーイズ』を起点に、ベイはそのほとんどを破壊的なアクションに費やし、さらには機械生命体が車に変形するSFシリーズ『トランスフォーマー』と関わりを持つことで、ベイヘムを必要不可欠とするステージへと自らを追いやっている。そしてショットの多くをCGキャラクターやVFXに依存する本シリーズにおいて、爆発や破壊のプラクティカルな要素をどこまで追求することができるのか、彼はそれを実践してきたのである。 そんなマイケル・ベイに、大きな試練と挑戦の機会が訪れる。それは2020年に起こった、世界的なパンデミックの拡大だ。いわゆる新型コロナウイルス(COVID-19)の蔓延によって、映画業界全体の作品製作や公開が頓挫してしまったのだ。 しかし、ベイはこうした困難の中で、どれだけ過激なアクション演出を成し遂げられるのかという実験に挑んだのだ。それが2022年に公開された『アンビュランス』である。 病に侵された妻を助けたいと、元軍人のウィル(ヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世)はカリスマ的な犯罪者ダニー(ジェイク・ギレンホール)の誘いにより、3,200万ドルの銀行強盗に加担する。 だがロサンゼルス史上かつてない巨額の奪取に成功したものの、彼らは捜査組織の容赦ない追跡を受けることになる。しかもウィルたちが逃亡のためにジャックしたのは、救命士キャム(エイザ・ゴンザレス)が負傷した警官を救護中のアンビュランス(救急車)だった……。ウィルとダニーは内も外も予断を許さぬ状況下で、二転三転する事態と、重くのしかかる善悪の葛藤に対処せねばならなくなる。 映画はこうした破壊と変転に満ちたカーチェイスを、わずか24時間のオンタイムで描いていく。ベイは配信を発表手段とした前監督作『6アンダーグラウンド』(2019)でも、開巻から延々20分間に及ぶカーチェイスを披露し、その様相は狂気を放っていた。しかし、今回は同作の規模を超えるものが、冒頭から終わりまで絶え間なく続くのである。 新型コロナウイルス感染によるロックダウンのなか、全編アクションの映画を撮影する—。そんな『アンビュランス』の叩き台となった脚本は、2005年にデンマークで製作されたスリラー『25ミニッツ』がベースとなっている。同作は心臓発作の患者を乗せた救急車をジャックした、2人の銀行強盗を主人公にしたものだ。『アンビュランス』の脚本を手がけたクリス・フェダックは、デンマーク人のマネージャーであるミケル・ボンデセンがオプション契約した『25ミニッツ』を紹介されたのだ。 『25ミニッツ』の核となるコンセプトが気に入ったフェダックは、本作をロサンゼルスへと置き変え、考えうる限りのカーチェイスや設定をクレイジーに拡張させたのである。 ミニマルを極めた状況設定から、やがて大きな展開へと発展していくアクション映画。そんな『アンビュランス』のストーリーこそ、ベイはコロナ禍で全編アクションの可能性を追求する、自分のアプローチと完璧にマッチしていると確信。生まれ故郷であるロサンゼルスを中心に、40日間のタイトな撮影を実践しようと、同作の撮影に踏み切ったのだ。 さいわいにも、本作のプロデューサーであるジェームズ・ヴァンダービルトとウィリアム・シェラックは、前プロデュース作品の『スクリーム』(2022)で、パンデミックの制限下における撮影プロトコルを確立させたばかりだった。この方法に従うことを前提にして、『アンビュランス』の製作にゴーサインが出たのである。 ◆FPVドローンをフル活用した撮影 前述どおり、本作の撮影はすべてロサンゼルスとその近郊でおこなわれた。こうした限定空間を安っぽいものに見せぬよう、クルーはエリア照明や色彩、ロケーションや撮影方法に至るまで、過去にないアプローチで手がけることを至上とした。また常時5台のマルチカメラによる態勢はベイのスタイルだが、これは限定空間を多面的に捉えることに役立つことになる。そしてすべての爆発ショットは、関係各部署と綿密なリハーサルを施行し、一秒単位で時間を計って綿密に調整された。カメラクルーには細かな安全装備が施され、さらに管理者が付き添うことで、万全を期した撮影が徹底されたのだ。 さらに今回はドローンを最大限に活用することで、多動的で視覚的な拡がりを持つショットをものにしている。 しかも『アンビュランス』で使用されたドローンは撮影用カメラを吊り下げて動くヘビーリフトタイプのものとは異なり、RED社の超小型6Kシネマカメラ「Komodo」を一体化させた最軽量・高画質の最新鋭ツールだ。それはFPV(ファースト・パーソン・ビークル)ドローンと呼ばれ、カメラと連動したゴーグル越しに操縦して撮像を得る、シミュレーションスタイルの撮影手段を持つギアである。操縦者たちはFPVドローンの操作テクニックと撮影技を競うドローン・レーシングリーグで上位を占める精鋭たちが集められ、例えばカメラアイが時速160キロのスピードでオフィスビルの屋上から壁面をつたい、地上からわずか1フィートスレスレまで潜り込んだり、あるいはロサンゼルス・コンベンションセンターの地下駐車場でのワンショットによるチェイスシーンなど、通常のカメラ撮影では不可能な移動ショットを可能にしたのだ。 このように、FPVドローンの全面投入はパンデミック制限下での撮影に貢献しただけでなく、これまでのアクション映画にない視覚領域へと我々をいざなう、全く新しい空撮の概念を映画の世界にもたらしたのである。 ◆『トランスフォーマー』を凌駕する車の投入 しかしロックダウンのプロトコルに基づく作品とはいえ、本作には30台を超すパトカーやアンダーカバー車、それに主人公の救急車と複数のスタントカーが用意され、車をキーアイテムとする『トランスフォーマー』さえも凌駕する台数が『アンビュランス』に投入されている。 なによりアメリカ国防総省と太いパイプで繋がり、最新の現用兵器や重火器類を自作に投入してきた初物好きのベイらしく、本作で登場する警察と消防要員のオフサイト本部として機能するMCU(移動コマンドユニット)は市場に出ていない最新式だ。加えて同台に複数のモニターを設置し、後部座席やシートポジションをカスタマイズするなど、完全な映画オリジナルにしている。 そして、本作のもうひとりの主人公ともいえる救急車は、民間消防会社の世界的大手・ファルクが所有する最高級クラスのもので、それを2台レンタルし、同時にスタント用のものを3台ほど撮影用にストックされた。しかし激しいアクションに車体をさらしながら、それらすべてを完璧な状態に保って返却せねばならなかったので、プロップマスターは相当神経を使ったという。また救急車の内装は病院同様に白が基調となっており、俳優のライティングが通常のカーアクションよりも難しかった。この問題を解決するため、照明や機器、そしてライトアップスイッチも追加され、こうして大幅に加工した内装も元に戻さねばならなかったのだ。 大破壊のための、細心に支えられた創造心。「ベイヘム」とは、この矛盾を正当化させる、エスプリの宿ったワードといえるかもしれない。『アンビュランス』は、それをさらに確信させる映画となったのだ。■ 『アンビュランス』© 2022 Universal Studios. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2024.11.11
インハウスで可視化された「幼年期の終わり」──『インデペンデンス・デイ』の独立性(インデペンデント)
「その一瞬 ── 永遠とも思える一瞬ののち、ラインホールドが見守り、そして全世界が見守るうちに、その巨大な宇宙船の群は圧倒的な威厳をもって降下してきた。そして、ついに彼の耳にも、それらが成層圏の稀薄な大気の中を通過するかすかな悲鳴のような音が聞こえてきた」 アーサー・C・クラーク「幼年期の終わり」(福島正美:訳 早川書房)より ◆A picture is worth a thousand, words.(1枚の絵は1000の言葉に値する) 1996年に公開された侵略SFスペクタクル『インデペンデンス・デイ』(以下『ID4』)を観たとき、世界主要都市上空に降り立つ異星からの訪問者──巨大デストロイヤー艦の登場ショットに、文頭に掲げた小説のプロローグが脳内をよぎった。稀代のSF作家アーサー・C・クラークが、持てる叙述力と知性あふれる表現力を費やして描いた異星人コンタクトを、この映画はものの見事に視覚化していたのだ。これこそまさに英語の慣用句「一枚の絵は1000の言葉に相当す」を示した格好のケースといえるだろう。 もっとも、劇中の展開はクラークの代表作のようにスノッブでもなければ深遠なものでもない。そこには愛国心を高らかに謳う、エイリアン対人類の一大決戦が描かれる。むろん、その迫力あるスペクタクルシーンこそが本作の売りであり、そして目玉であるのだが。 ヒット作だけに多くの人がストーリーを既知しているだろうが、改めて概説しておきたい。1996年7月2日、無数の巨大なスペースクラフトが世界各国の上空に出現。アメリカ合衆国ホイットモア大統領(ビル・プルマン)は未知の来訪者とのコンタクトをはかるも、地球侵略を目的とする彼らは主要都市を一斉攻撃する。都市は大破し機能を失い、ヒラー大尉(ウィル・スミス)率いるF-18戦闘機の攻撃チームは報復を開始するも、無数のデストロイヤー機の襲撃を受けてあえなく撤退し、人類の命運は尽きたかに見えた。 映画はコンピュータ技師デイビッド(ジェフ・ゴールドブラム)の機転で難を逃れた大統領と、からくも生き残ったヒラーらがエイリアンの極秘研究を進めるネバダ州エリア51に集結し、そこで再攻撃のための計画を進めていく。そしてアメリカの独立記念日7月4日、人類の存亡を賭けた最終決戦がおこなわれるのである。 本作の監督ローランド・エメリッヒは、母国ドイツのミュンヘン映画学校でプロダクション・デザインを学び、監督業に着手して学生映画『スペースノア』(1984)を発表。同作はべルリン映画祭で上映されるや絶賛を浴び、世界20カ国以上で公開された。 その後、米独合作による2本目の監督作『MOON44』(1981)に出演したディーン・デヴリンと「セントロポリス・フィルム・プロダクション」という製作会社を設立し、ジャン=クロード・ヴァン・ダムとドルフ・ラングレンの共演による『ユニバーサル・ソルジャー』(1992)で世界市場を相手とした商業映画製作に乗り出す。そして同作のヒットを機にアメリカへと創作の拠点を移し、砂漠の惑星を舞台にした時空間SFスペクタクル『スターゲイト』(1994)を手がけ、多様なVFXが内外の話題を呼び映画は大ヒットとなった。 ◆インハウスによる視覚効果への取り組み そんなエメリッヒにとって、『ID4』は初のメジャー(20世紀フォックス)資本による映画となったが、企画を買う代わりとして製作費7.000万ドルという、低い額を必須としたのである。 しかし彼は『スターゲイト』で、一億ドルはかかると試算された同作を5000万ドルで仕上げた実績を持ち、要求は想定内だった。そこでエメリッヒは製作にあたり、視覚効果を当時主流だったILMやデジタルドメイン、ソニーピクチャーズイメージワークスといった既存のVFXのスタジオに外注するのではなく、インハウス(社内)で製作することにしたのだ。 加えて20世紀フォックスが宣伝効果をねらって劇場公開を1996年7月4日(アメリカ独立記念日)に設定したため、製作日程は1年あまりに限られてしまう。うち視覚効果ショットの撮影準備期間は、わずか3カ月しかなかったのである。 そこでエメリッヒは一点集中によって生産効率が高まることを熟慮し、模型制作部やハイスピード&モーションコントロールのミニチュア撮影ステージ、編集室に製作オフィスをすべてをカリフォルニア州カルバー・シティのヒューズ空港跡地にまとめようとした。同時にそこのいくつかの格納庫にセットが作られ、周辺地域でロケ撮影を組むことで、慌ただしい撮影スケジュールの間も、あらゆる側面に目を配ることができると考えたのだ。 まずは映画の視覚的な方向性を決定するために、『スターゲイト』でコンセプチュアルイラストレーターを務めたパトリック・タトプロスとオリヴァー・ショールをプロダクションデザイナーとして起用。ショールはエメリッヒのドイツ時代からの友人で、『MOON44』ではプロダクションデザイナーを担当。いっぽうタトプロスはヨーロッパでコミックアーティストとイラストレーターを兼任し、アメリカに渡ってからは『ドラキュラ』(1992)や『デモリションマン』(1993)『ダークシティ』(1998)などさまざまな映画でコンセプチュアルイラストレーターを担当。エメリッヒがエイリアンの宇宙船にストレートなUFO型のイメージを要求してきたものを、ひとつの都市が隠れるくらい巨大にしたのはタトポロスの提案によるものだ。 それらを可視化する特殊効果スーパーバイザーに、『ユニバーサル・ソルジャー』でモデルユニットを担当したヴォルカー・エンゲルと、ジェームズ・キャメロン監督の諜報コメディアクション『トゥルー・ライズ』(1994)でモーションコントロールの撮影監督をつとめたダグラス・スミスが就任した。特に後者の採用は重要で、当時はまだデジタルによる合成処理などにコストがかかることと、合成素材に必要な、露出を保ちながら撮影するにはモーションコトロールが不可欠だったからだ。 そんな両者が時間を有効に使うために仕事を分担して進めるよう指示。前者はF-18戦闘機とエイリアン・アタッカーとの空中戦や、マザーシップの屋内と屋外場面、それ以外の地球側とエイリアン側のさまざまな航空機などだった。後者はクルーとデストロイヤーのモーションコントロール撮影とハイスピード撮影による合成ショット、他には都市破壊や戦闘機や宇宙船を飛ばすなどプラクティカル・エフェクトを担当した。 撮影期間はわずか7カ月。その間にエンゲルとスミスの撮影班は4チームに分けられ、400種ものミニチュアショットを期限内に完成させた。合成素材は8パーフォレーションのヴィスタヴィジョンではなく、4パーフォレーションのスーパー35フィルムを用いることでコストを抑え、粒状性の問題は高感度フィルムを用途に応じて使い分けて解決へと導いている。 しかし撮影開始と同時に、デヴリンとエメリッヒはデジタル合成の必要性に直面し、デジタル効果スーパーバイザー兼プロデューサーのトリシア・アシュフォードに、社内で臨時のコンピュータ・グラフィックスの施設を作るよう要請。データ輸送の手間を惜しみ、合成作業の大半を依頼してあったパシフィック・オーシャン・ポスト社(以下 POP)の中に部門を設けた。 それでもCG効果ショットの数は日ましに増え、アシュフォードはCG画像と合成作業の監督をいくつかの会社に振り分けた。350ショットに及ぶ合成作業はPOPでおこない、うち200はコダック、デジスープ、ポストグループ、OCSそれぞれが担当し、ヴィジョン・アートがそれを引き受けた。 いっぽうで本編の撮影は1995年7月28日にニューヨーク市で開始。その後カリフォルニア州フォンタナの旧カイザー製鉄所に移ってロサンゼルス攻撃後のシーンを撮影する前に、ニュージャージー州近くのクリフサイドパークで撮影。併せてセカンドユニットがワシントンD.C.のマンハッタン、アリゾナ州フラッグスタッフのRVコミュニティ、ニューメキシコ州サンアグスティン平原でプレートショットを撮るという効率的、かつ効果的な撮影がおこなわれている。 ◆爆破の芸術 また視覚効果に戻って言及を続けるなら、本作の素晴らしいポイントは、地球全体で一斉にエイリアンの攻撃が始まるシークエンスだろう。デストロイヤーによるパイロエフェクト(爆破効果)を駆使した都市の大破壊は、火薬技術の第一人者であるジョー・ヴィスコシルと彼のクルーが手がけたものだ。 火球がごうごうと盛り上がりながら、エンパイア・ステート・ビルやホワイトハウスに迫り来る破壊ショットを作るために、ヴィスコシルは火が上昇する性質を活用。ミニチュアセットを90度に傾け、その下に火薬を配置し、セット上から構えるカメラで高速度撮影をおこなった。それを正常再生することで、フェティッシュな破壊映像が得られるのだ。こうして生まれたシーンの影響力は絶大で、日本でも『ガメラ3 邪神覚醒』(1999)の渋谷で起こった巨大怪獣による都市破壊のシーンで、本作に触発されたとおぼしきパイロエフェクトを見ることができる。そしてなにより、映画は第69回(1997)米アカデミー賞の視覚効果賞を受賞し、『ID4』のインハウスによる特殊効果のアプローチは、アカデミックな場でその価値を認められたのである。 そんな『インデペンデンス・デイ』が公開されて、はや28年の歳月が経つ。当時はエイリアン侵略SFの先鋒たる輝きを放っていたが、もはや同ジャンルを代表する立派なクラシックだ。そして監督エメリッヒは本作を機に『デイ・アフター・トゥモロー』(2004)や『ムーンフォール』(2022)などデザスタームービーの量産者となり、愛憎込めて「破壊王」の名を欲しいままにしている。 本作の成功の後、デブリンとエメリッヒは、監督を降りたヤン・デ・ボンに代わって『GODZILLA』(1998)のプロジェクトに参加。同作を8.000万ドルで仕上げることをプレゼンし、エメリッヒは監督の座についた。ゴジラが登場するエリアをニューヨークに限定するなど、設定をマイナーチェンジしてコストダウンをはかり、『ID4』で活用した手段を活かし、(最終的には1億2000万ドルかかった)、肝心のゴジラが日本のものと大きくかけ離れていたために、多くのファンから否定的見解を示されたが、スケールの巨大な怪獣映画として観た場合、そこに『インデペンデンス・デイ』の独立性(インデペンデント)が正しく活かされていると肯定的に捉えられるだろう。■ 『インデペンデンス・デイ』© 2016 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2024.11.11
フランチャイズを避けた監督の「続編」秘史『インデペンデンス・デイ:リサージェンス』
◆続編嫌いを返上して手がけたパート2 「僕は続編ものが嫌いなんだ。もし撮れと言われたならば、いっそホームドラマでも手がけたほうがいいと思っているよ」 この発言は、筆者(尾崎)が映画『2012』(2009)の取材で監督のローランド・エメリッヒにインタビューしたさい、「自作の続編をやる気はないのですか?」という問いに、ユーモアを交えて答えたものだ。じつはこの質問の前に「あなたは映画の中でいろんなものを壊してきたから、もう破壊する対象など残ってないですね」と訊いたところ、「そうだね、これからは心を入れ替え、ホームドラマにでも着手するしかないのかも」とおどけながら答えており、それを枕にして「自分は続編映画を監督しない主義」というのを主張したのだ。 意外に思われるかもしれないが、彼は『スペースノア』(1984)を起点とする自身のフィルモグラフィにおいて、2015年の『ストーンウォール』の時点まで、続編映画を手がけたことが一度もなかった。もっとも、同作はLGBT社会運動の嚆矢と定義されている"ストーンウォールの反乱"を描いたもので、エメリッヒが言うところのホームドラマには近いのかもしれない。だがそうした歩み寄りとは対照的に、他自作の別なくシリーズに着手することに関して、頑なに拒み続けてきたのだ。 しかし例外的に続編製作が囁かれていた作品が『インデペンデンス・デイ』(以下『ID4』)である。エメリッヒにとって初のハリウッドメジャー進出作品であり、20世紀フォックスを大いにうるおわせた、世界的な大ヒット映画だ。エイリアンの地球侵略をかつてないスケールで描き、また黙示録のような終末的世界観を提供しながら、そんな深刻さとは裏腹な呆然とさせる展開など、その独自性が多くの観客の心を奪ったのである。 続編『インデペンデンス・デイ:リサージェンス』は、前作から20年という製作スパンを劇中に活かし、著しく発展した設定が観客の耳目をさらう。エイリアンの科学技術力を取得し、地球防衛を強固にしてきた人類と、さらに凶暴なテクノロジーを我が物にし、リベンジをかけるエイリアンとの、エスカレートを極めた激戦が繰り広げられるのだ。 ◆続編が動いていた『GODZILLA』 前チャプターでエメリッヒは筆者に「続編は好きではない」と告げたが、まったく開発に関与していないかというと、さにあらずだ。彼は『ID4』の後に発表した監督作『GODZILLA』(1998)の続編開発をしていたことが明らかにされている。 というのも、ソニーがゴジラのキャラクターを中心に映画を制作する権利を取得したとき、同社はフランチャイズ化を企図していた。そして映画公開に併せ、続編に関するプリプロダクションをデヴリンとエメリッヒは始めている。続編にはマシュー・ブロデリック演じるニック・タトプロスが続投し、前作に布石として示されていたら複数のゴジラと、モスラとラドンが登場するプロットが開発されていた。 しかし肝心の映画はアメリカ国内で1億3631万ドルのトータル収益しか得られず(製作費は1億3000万ドル)、ソニーは大幅に予算を抑えて続編を推し進めたが、これにデヴリンとエメリッヒは興味を失いプロジェクトを離脱。エメリッヒはSFジャンルに固執していたことによるストレスとキャリアに箔をつけるため、現実に基づく歴史大作に着手することを標榜。『ミッドウェイ』と、アメリカ独立戦争を描いた『パトリオット』を開発し、ソニーは代わりに後者を監督するよう依頼したのが実際の流れだ(後者は2019年に映画化)。 こうした経緯から推測するに、続編製作に良い思い出がないというのも、冒頭の発言に遠因していると思われる。 ◆三部作構想だった『リサージェンス』 そもそも『インデペンデンス・デイ』は後に三部作として構想され、単に正続という解釈には収まらないところ、エメリッヒの続編アレルギーには説得力がない。 『リサージェンス』のプロジェクトが動き出したのは、2011年6月。エメリッヒとプロデューサーのディーン・デヴリンは『ID4』を3部作として再構築するための、2つの続編のスクリプトを書いたことをマスコミに触れ回った(タイトルは“ID:Forever PART I“ならびに“ID:Forever PART II“)。ところが前作でヒラー大尉を演じたウィル・スミスが、続投のために5000万ドルのギャラを要求し、20世紀フォックスがこれを拒否。企画は暗礁に乗り上げる。 だがエメリッヒはウィルの関与に関係なく、映画の製作を遂行することを公にし、続編は『インデペンデンス・デイ:リサージェンス』とタイトルを変えて正式に発表されたのだ。 余談だが、先述したこの三部作構想。ジェフ・ゴールドブラムのインタビューで彼が証言者して語っており、「ローランドは僕にもシリーズの構造に関して話をしてくれていて、今の段階ではまだ誰にも言えないんだけど、興奮するようなアイディアを彼はいっぱい持っている。今回の作品が成功すれば、3作目の製作も大きく進展すると思うよ」と話してくれた。 ◆望まれる再評価 『リサージェンス』は2016年6月24日に公開され、1億6500万ドルの製作費に対して全米興行成績が1億300万ドルと、大幅な赤字となった。また批評面に関しても賛否が分かれ、たとえば「ロジャー・エバート.com」のクリスティ・レミールは「望んでいなかった、あるいは必要とされていなかった続編。(中略)エメリッヒは、これらすべてのさまざまなキャラクターとストーリーラインを、ペースや一貫性の感覚をほとんどなく横断している」(※1)と手厳しいものや、米「バラエティ」のガイ・ロッジのように「本作はエメリッヒ監督が、現代映画で最もポップコーン・カオスの気鋭の指揮者であることを裏付けている。おそらく彼は作品のターゲットとなる観客にとって“遠い記憶“であるはずの前作のレガシーを盛り上げることに気を遣っているのだろうが、この映画的ビッグマックは、それ自体の良さで十分に楽しませてくれる」(※2)と称賛するものなどまちまちだ。 さらには後年、新作『ミッドウェイ』のプロモーション時にエメリッヒは、ウィル・スミスが『リサージェンス』に出ないと知った段階で、続編の制作を中止するべきだったと米「yahoo! entertainment」に述べた(※3)。監督はヒラー大尉が劇中に登場する当初の脚本のほうがはるかに優れていると言葉を費やし、ウィルの撤退に伴うリライトが映画の不調の原因に繋がったと後悔の念を示している。そのせいもあって、本作はすっかり失敗作として世間に周知されているようだ。 しかし、筆者は本作を決して悪いようには解釈していない。 例えば『リサージェンス』にはセカンドユニットを置かず、エメリッヒを筆頭とするメインユニットだけで撮影をおこなった作品として画期性を放っている。通常、本作のような規模の映画ではセカンドユニットやサードユニットが撮影して編集素材をカバーするものだが、監督は今回それを廃し、全てのショットを自身の管理下に置くことで、作家的な純度の高いものにしている。 そしてプロダクションデザインの数々も秀逸で、地球人が勝利を手にした『ID4』から20年間に及ぶ世界観の推移や発展、そしてレガシーの数々を、飛躍せず丹念に描いていて違和感がない。敵の科学技術で防衛網を強化した人類の、新型兵器や迎撃システム類などは機能美と創意にあふれ、それらは決して見飽きることがない。 なにより前回の、アナログとデジタルの混在したVFXが完全デジタルになったことで、物理法則を無視した破壊がリアルに描写され、そこにも驚きを禁じえない。特にエイリアンが街ごと引っぺがし、それを逆落としする凄まじい攻撃シーンや、クライマックスで登場するエイリアン女王は、その巨大さと暴れっぷりで、果たせなかった『GODZILLA』の続編を仮想的に展開させているかのようだ。 このように、大状況的なドラマとは真逆な細心さをもって、映画は充分に作り込まれているのだ。 なによりエメリッヒの、こうしたミニマムに収めようとする管理体制は、インデペンデントをホームとしながら大作規模の作品製作を可能にし、後の『ミッドウェイ』や『ムーンフォール』(2022)へと繋げる良好なスタイルを導き出している。当人が卑下するほどに、この『インデペンデンス・デイ:リサージェンス』は決して悪いものではないのだ。■ (※1)https://www.rogerebert.com/reviews/independence-day-resurgence-2016 (※2)https://variety.com/2016/film/reviews/independence-day-resurgence-review-1201800114/ (※3)https://www.yahoo.com/entertainment/independence-day-director-roland-emmerich-regrets-making-sequel-170655100.html 『インデペンデンス・デイ:リサージェンス』© 2016 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2024.12.30
真珠湾攻撃、その再現方法を比較する『パール・ハーバー』と『トラ・トラ・トラ!』
◆史実ベースの映画に初めて挑んだマイケル・ベイ 1941年12月、ハワイ時間の7日早朝6時ー。日本軍によるハワイ島・真珠湾への攻撃が、停泊していたアメリカ軍の太平洋艦隊に向けておこなわれ、2403人の米軍人と民間人が尊い命を失った。この奇襲によって太平洋戦争の幕が開き、アメリカと日本は約4年間にわたる長き苦衷と、混沌とした戦いの時代へと突入していく。 2001年にマイケル・ベイが発表した『パール・ハーバー』は、この真珠湾攻撃を背景に、三人の男女の友情と恋愛を描いた戦争ロマンスだ。共に夢を叶えてパイロットになった、幼馴染のレイフ(ベン・アフレック)とダニー(ジョシュ・ハートネット)。だがレイフは英空軍の米人編成飛行隊として応戦中に撃墜され、悲しみに沈んだ恋人のイヴリン(ケイト・ベッキンセール)とダニーは共に励まし合い、いつしか関係を深めていく。 ところが、死んだと思われたダニーは九死に一生を得て帰還し、三人の関係は複雑なものとなる。そして、そんな彼らのもとに、運命となる1941年12月8日が訪れる……。 ◆時代と技術に応じた戦闘描写の違い 真珠湾攻撃を描いた映画には、さまざまな先行作品が存在する。中でも即座に挙げられるのは、1970年に公開されたアメリカ映画『トラ・トラ・トラ!』だろう。作戦の決行成立を伝える日本軍の暗号電文をタイトルとする本作は、日米双方の政治的・軍事的な立場を俯瞰し、真珠湾攻撃の全体像を捉えていく内容だ。そのためラブストーリーの背景の一つとして真珠湾攻撃が用いられる『パール・ハーバー』とは性質を異にするが、いずれも同作戦の描写において、似たようなスケールと制作規模を有すること。そして時代に応じた技術的アプローチの違いから 比較対象として持ち出されることも少なくない。 『トラ・トラ・トラ!』では復元された航空機を飛行させて撮像を得ていたが、その点に関しては『パール・ハーバー』も踏襲している。しかし約33機を実際に飛ばした前者に比べ、後者はコンピューターのプログラミングで画像生成されるCG(コンピュータ・グラフィック)によるデジタルレプリカが比重を占め、撮影に必要だった180機の大半をCGでおぎなっている。 ただ旧機の再現において、ライブアクションを基準とする『トラ・トラ・トラ!』の場合、機動部隊の主力機である九七零式艦攻特別攻撃機ならびに九九式艦上爆撃機、そして零式艦上戦闘機はカナダ空軍所有のT-6テキサンとBT-13パイロット訓練機を大幅に改造した偽装機が用いられている。『パール・ハーバー』では現存する零戦が一機と、実際に飛行が可能な9機の偽装機をプロダクション側が所有していたが、撮影のためにそれらを飛ばしたのは3機から4機で、ショットのほとんどはデジタルレプリカによるものだ。 この本物と同じような外観を持つCG戦闘機の開発は、光源から発せられた光が物体に当たったときの反射や屈折、拡散する様子を計算し、物体から放たれる複数の光の影響を考慮した「グローバルイルミネーションライティング」のプログラムソフトが可能にした。これはCGの戦艦用に開発されたものだが、戦闘機にも応用できたのだ。 そして『トラ・トラ・トラ!』では日本の軍艦がオアフ島に向けて太平洋を横断するシーンを、主にミニチュアによる特殊効果撮影で生み出してている。戦闘機が空母「加賀」の甲板から出撃していくシーンは、米海軍の航空母艦USSヨークタウンを加賀に偽装して撮影がおこなわれた。これが『パール・ハーバー』の場合、環太平洋海軍合同軍事演習を利用し、海上進行する30隻の空母をヘリで空撮。それによって得られた実写プレートをデジタルペイントで日本艦隊のように加工し、同シーンを得ている。 そんな『トラ・トラ・トラ!』のミニチュアワークは真珠湾攻撃シーンでも効果的に用いられ、前述の復元実機を主体とするプラクティカルエフェクトとの併用により、効果的な映像を生み出している。同作のミニチュア特撮を担当したL・B・アボットは後に『ポセイドン・アドベンチャー』(1972)や「タワーリング・インフェルノ』(1974)などのパニック大作でも特撮監督を務め、『トラ・トラ・トラ!』では先の日本軍の艦艇と10隻と、真珠湾に停泊する10隻のアメリカ海軍艦艇のミニチュアをサラセン湖にあるオープンセットのプールで再現したものが使用された。ただしミニチュア船に自走機能がないため、トラックにワイヤーを取り付けて牽引させた。また九七艦攻が放つ魚雷の航跡は水中のパイプから圧縮空気を噴出させ、航跡を再現している。 『パール・ハーバー』も日本軍による真珠湾攻撃の描写はプラクティカルな効果を用いたライブアクション撮影をベースに、必要に応じてCGによるプレートとのコンポジットや、あるいはスケールモデルを使ったスタジオ撮影によるプレートをシームレスに融合させている。特にスケールモデルを用いた後者は、『タイタニック』(1997)で使用したメキシコ・バハカリフォルニアにあるロザリト・ビーチ・スタジオの巨大水槽に、世界最大のジンバルにUSSオクラホマの大規模な船首モデルをくくりつけ、同戦艦の横転と水没を表現した。 ちなみに『トラ・トラ・トラ!』においても、USSオクラホマのミニチュアモデルには180度横転できる仕掛けが取り付けられてはいたし、真珠湾攻撃における被害を象徴したUSSアリゾナの傾いた艦橋も、同艦のミニチュアには40度の角度まで倒すことができるギミックが取り付けられていた。しかし水槽の深さの関係で完全に機能させることができず、編集によって傾きや転覆をかろうじて表現できた。こうした描写はいずれも『トラ・トラ・トラ!』では技術と予算の限界から正確できなかっただけに、とかく同作と比較して低く見られがちな『パール・ハーバー』の優位点と言えるかも知れない。 先のメイキングプロセスを経て創造された『パール・ハーバー』と『トラ・トラ・トラ!』の真珠湾攻撃描写を、どちらか優劣を決めるとなると難しい。前者は実機を飛行させた映像の生々しいライブ感に秀でているし、後者は死角のないカメラワークでより対象に迫り、戦争の物理的な凄惨さがまざまざと感じられる。なにより、いずれも当時の技術を最大限に活かしながら挑んだ痕跡が強く残っており、その努力には言葉を失うばかりだ。 ◆描写の違いを問わず、戦争とは恐ろしいもの ただ『パール・ハーバー』の場合、クラシカルなラブストーリーを制作目標とし、1940年代の映画のスタイルや色調を模した古典主義的な全体像を心がけながら、いっぽうで戦闘場面においては、迫真的でリアルな視覚アプローチへと作りを転調させている。そこにはマイケル・ベイの「戦争は恐ろしいものである」という揺るぎない主張が感じられ、多くの観る者にその意識を強く与えるのだ。 もっとも、本作における真珠湾攻撃の凄まじい描写は、後にアメリカ側が報復として日本本土を空撃した「ドーリットル空襲」の布石として機能し、その描写が凄惨であればあるほど、復讐を果たすドラマとしての高揚感は増す。それはアメリカサイドの映画としてやむをえない作りだが、本作でさえ四半世紀前の古典となりつつある現況、当時の生存者の証言や史実にあたって徹底させた描写に、改めて考えを巡らせてしまう。特にこのコラムを作成した当日、真珠湾攻撃の最高齢となる生存者ウォーレン・アプトン氏の訃報に触れ(https://www.cnn.co.jp/usa/35227783.html)、残る生存者がわずか15人となった現況に接すると、同作に対する思いはより深くなっていくのだ。■ 『パール・ハーバー』© 2001 Touchstone Pictures. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2025.02.27
監督リドリー・スコット、SFジャンルへの凱旋—『プロメテウス』
「エイリアンが最初に発見された場所に戻り、それらがどのように生み出されたのかを説明する必要がある。私はいつも、兵器になる可能性を秘めた生物を積んだ宇宙船と、滅ぼされたスペースジョッキーの存在に気を配っていたんだ」 リドリー・スコット -2003年「シカゴ・サンタイムズ」のインタビューにて- ◆『エイリアン』以来、33年ぶりとなる自作SF 西暦2089年、数学者エリザベス・ショウ(ノオミ・ラパス)ら考古学チームは、地球上の場所も年代も異なる数々の遺跡から、共通のサインを発見する。それを知的生命体からの招待状だと判断した彼女は、サインが示す惑星へと、クルーと共に宇宙船プロメテウス号で旅立つのだが……。 映画界に燦たり輝く巨匠、リドリー・スコットが2012年に発表した長編『プロメテウス』は、未確認生命体の恐怖を描いた1979年の監督作『エイリアン』の設定を活かし、同作に登場した、エイリアンに滅ぼされたとおぼしき巨大生命体の文明と、遺棄された蹄鉄型の宇宙船内で発見された奇像「スペースジョッキー」についてストーリーを展開させていく。しかしスタジオサイドの要求により、本作は開発の過程で巨大生命体=エンジニアの存在がメインとして扱われ、エイリアンは彼らがもたらす脅威の一部となった。定義としては「『エイリアン』と同じ世界観を共有したオリジナル作品」となっている。 なによりこの『プロメテウス』は、スコット監督が約33年ぶりに発表したSF映画として、多くのファンの印象に強くとどまっている。現代劇やアクションスリラー、そして史劇など、さまざまな題材に取り組んできたハリウッドの巨人が、長いスパンを経て再び自らの出発点となったジャンルへと戻ってきたのだ。 先に言及した『エイリアン』、そして近未来の退廃的なランドスケープを視覚的特徴とする『ブレードランナー』(1982)など、SF映画の歴史に残る重要作を手がけ、スコットは独自の感性で固有のファンを獲得してきた。だが彼は、このジャンルに極めて早い段階で見切りをつけたのだ。 理由は至って明白で、このジャンルは高い費用と創作の熱量を要求されるわりに、商業的な成功を得ることが難しかったからだ。彼の長編映画2作目にあたる『エイリアン』は、初公開時に約1億500万ドルに及ぶ世界的な大ヒットを記録したたものの、続く『ブレードランナー』は2800万ドルの製作費に対して全米興行成績は約3000万ドルと振るわず、同作の利益と定まった評価は、後年に時間を経てもたらされたものだ。加えて次作となったファンタジー大作『レジェンド 光と闇の伝説』(1985)では2450万ドルの製作費に対して1500万ドルの総収益しか得ることができず、興行は惨敗に終わった。こうしたジャンルに背を向けるようにして、通算5本目となる『誰かに見られてる』(1987)では現代を舞台に、ロケーション主体の刑事サスペンスへと着手。以降SFとは無関係な作品でキャリアを築いてきた。3本続けての興行的失敗は、商業映画監督にとって命取りだ。そこで自身のキャリアを慎重に積み上げようと、リスクの大きいSF映画に背を向けたのである。 しかし皮肉なことに、この『エイリアン』そして『ブレードランナー』が放つ威光はあまりにも強く、スコットはファンから常に同種の作品に着手することを求められた。こうした希求の高さも手伝い、スコットがSFジャンルに戻ることが、あたかも命題であるかのように唱えられてきたのである。 ◆スコット監督、完成できなかったSF作品の歴史 とはいえ『ブレードランナー』から『プロメテウス』までの間、スコットがSFジャンルに帰還する熱意やチャンスが完全に奪われてきたワケではない。たとえば1980年代後半、スコットは『ファイト・クラブ』(1999)の脚本家として知られるジム・ウールズのSFアクション・スリラー“The Train”を、『エイリアン』のクリーチャーデザイン&造形を担当したH・R・ギーガーと再タッグを組み、監督したいと切望していた。しかし彼はプロデュースで動いていた『テルマ&ルイーズ』(1991)を自ら監督することになり、プロジェクトを離脱。代わりに当時の敏腕プロデューサーであるジョエル・シルバーが権利を取得し、スティーブン・E・デ・ソウザによる幾度かのリライトを重ねて、タイトルを“Isobar”と変更。プロジェクトは『インデペンデンス・デイ』(1991)のローランド・エメリッヒ監督へと受け継がれた(残念ながら映画は完成せず)。 そして1998年には、リチャード・マシスン原作による『地球最後の男』の再映画化に着手している。詳細はザ・シネマの同作に触れたコラム(https://www.thecinema.jp/article/799)のチャプター2「リドリー・スコット×シュワルツェネッガー版『アイ・アム・レジェンド』の幻影」にて触れているので参考にしてほしい。最終的にプロダクションはスコットの手を離れ、2012年にウィル・スミス主演によって映画化されたが、それを踏まえたうえで、スコット版のアイディアも決して捨てたものではない。 またこれは純粋なサイエンス・フィクションではないが、1993年1月24日、スコットは20世紀フォックスと契約を結び、リチャード・プレストンが1992年に米「ニューヨーカー」誌に掲載した記事「ホット・ゾーン」の映画化を発表している。エボラ出血熱の感染拡大と、その制圧に命をかけた医療関係者たちの戦いを描いたこのノンフィクションは、ロバート・レッドフォードとジョディ・フォスターの共演でプロジェクトが動いていた。しかしフォスターの離脱と創作の方向性の違いから、スコットは本作の監督から身を引き、プロジェクトは暗礁に乗り上げた。その方向性の違いの中には、彼はこの映画を「サイエンス・ファクト」と位置付け、現実色と社会性の強いリアルな科学映画を実現させようとしていたことが挙げられる。こうした傾向の科学映画は後年、アストロノーツによる火星でのサバイバル生活を描いた『オデッセイ』(2015)で身を結ぶこととなるが、結果としていずれも実現には至らず、『プロメテウス』が世に出るまでに、四半世紀以上もの歳月が流れてしまったのだ。 ◆『アバター』が呼び起こしたSFへの帰還 そんなスコットのSF映画への再アクセスは、同時に自らが創造の手綱を引いていた『エイリアン』への再アクセスとなった。そして、その流れを誘導したのが、誰あろうジェームズ・キャメロンだ。 キャメロンといえば『エイリアン』の直接的な続編にあたる『エイリアン2』(1986)を撮り、2作目の長編監督作『ターミネーター』(1984)で得た名声をさらに高めた監督であり、スコットとはエイリアン・コンテンツの共有者という前提にある。しかしスコットは自身の関与しないところでプロジェクトが進められてきた『2』とキャメロンに対し 積極的に与しない印象を周囲に抱かせてきた。しかし実際にはキャメロンがスコットに対し、『エイリアン』の生みの親として尊崇の念を強く抱いており、また2014年にキャメロンがインタラクティブ質疑応答インタビュー「Reddit AMA」でのセッションにおいて、『エイリアン』の5作目に関して共同で動いていたことを明かしている。いわく、 「私はその脚本を書いてプロデュースし、リドリーがそれを監督すると売り込みがあり、互いにランチをとりながら、これについて話し合ったんだ。でもフォックスは『エイリアンvsプレデター』(2004)を先に進めてしまい、僕は企画に興味を失ってしまったんだ」 こうしたやり取りのもとに派生した、スコットとキャメロンの友好的な関係から、後年スコットはキャメロンの野心作『アバター』(2009)の撮影現場を訪れている。そこで最新ともいえるパフォーマンス・キャプチャー・スタジオを目の当たりにしたスコットはキャメロンに対し、 「私も、そろそろこの世界に本格的に戻るときが来たのかもしれない」 と語ったという。以上が『プロメテウス』の有力な起点となったことを念頭に置き、実際に作品をご覧になっていただきたい。デジタルによる巨大な世界の創造、そして生命の起源への探求という点で『プロメテウス』と『アバター』は同種の要素を共有している。なにより『エイリアン2』の監督が『エイリアン』の監督のセンシビリティを刺激し、再びSF映画の世界へと足を向けさせたことに、筆者は大きな成果を感じるのである。 『プロメテウス』以降、リドリー・スコットは堰を切ったように『オデッセイ』そして『エイリアン:コヴェナント』(2017)と、それまでの沈黙期間が嘘だったかのようにSF映画を量産していく。■ 『プロメテウス』© 2012 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.