ザ・シネマ 尾崎一男
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COLUMN/コラム2019.03.26
映画史上もっともリアルなエイリアン迎撃戦『世界侵略:ロサンゼルス決戦』
■観客を深い没入感へと誘導するSF戦争スリラー 『世界侵略:ロサンゼルス決戦』のコンセプトは明快だ。映画におけるリアルな戦闘描写が確立された時代に、エイリアンの侵略戦争を描いたらどのような展開ができるのだろう? そんな興味をとことんまで追求してみせた作品である。すべてのショットが誰かの視点ごしだったり、あるいはCNNニュースなど馴染みのメディアのフォーマットを介したディスプレイ映像であったりと、あたかも自分が戦場のオンタイムの目撃者であるかのような、没入感の高いビジュアル作りが施されている。 物語はいきなり核心から入っていく。東京湾に流星群が降り注ぎ、その2時間後に正体不明の敵が湾岸を包囲し、全世界で一斉攻撃を開始したという報道がなされる。映画はそんなエイリアンとの戦闘下において、アメリカ海兵隊による民間人救助の模様を拾い上げていく。そして同時にそこが、エイリアンの世界侵略に対する最後の防衛線となるのだ。 こうした性質上、本作はランニングタイム110分のうち、90分間ほぼオンタイムでストーリーが進行する。このような作りが、ドラマを能動的に読み解いていくのではない、自分がスクリーンと接続する乗り物にまたがり、劇中の主人公の体験を受動するかのような環境へと観る者を誘導していく。 ■『ロサンゼルス決戦』のリアリティ創出(1:歴史) まず『世界侵略:ロサンゼルス決戦』がこうしたスタイルを獲得するまでの、ハリウッド映画のリアル戦闘描写へのアクセスの道程をざっくりと記しておきたい。異論はあるかもしれないが、参考までにお付き合い願おう。 前述した「リアルな戦闘描写が確立された時代」というのは、スティーブン・スピルバーグによる第二次世界大戦映画『プライベート・ライアン』(98)を起点とする。が、それより少し前にリドリー・スコット監督が『G.I.ジェーン』(97)のリビア部隊の救出シーンにおいて「ジッター(クイック)ズーム」というカメラワークを導入し、リアルな戦闘描写の嚆矢となった。ジッターとは「ゆらぎ」や「乱れ」を指す言葉で、カメラのズーム機能を急速に前後させ、カメラ視点の定まらない様子を表現したものだ。 このカメラの動きを強調するスタイルが、ドキュメンタリーのような臨場感を示す記号のひとつとして定着していく。代表的な使用タイトルとして名作TVSFシリーズのリメイク『GALACTICA/ギャラクティカ』(03〜09)などが挙げられるが、同シリーズでは宇宙艦隊戦などの画を見せる場合にジッターズームを多用し、著しく迫真性を帯びたものへとビジュアルを昇華させている。 そして『G.I.ジェーン』の翌年に登場した『プライベート・ライアン』は、戦闘シーンをリアルに再現するスタイルを確立させ、映画に大きな革命をもたらした。40年代の記録映像のように手持ちカメラを徹底させることで、戦争という物理的実体を即物的に捉え、観客の視点とスクリーン上のアクションとを一体化させたのである。しかも同作に対抗意識を燃やしたリドリー・スコットが『ブラックホーク ダウン』(01)において90分ノンストップの戦闘シーンを展開させるなど、その模様はさらに激化していったのだ。 このようにスピルバーグのアプローチは多くの模倣を生み、戦闘描写の常套手段となった。また当時はフィルムからデジタルへと移行する過渡期にあり、デジタルのノンリニア編集は膨大な数の映像素材の接続を可能にし、またカメラのデジタル化はフィルムの限界を超え、その複雑な編集に足る映像素材を提供していったのだ。そしてCGIの進化は様々なカメラワークへの合成や加工を容易にするなど、それらの要素が絡んで一本の縄を編むかのように、映画の表現を膨らませていったのである。結果『トランスフォーマー』や『ジェイソン・ボーン』シリーズなど、アクションを主体とする作品の台頭や、『ゼロ・グラビティ』(13)『レヴェナント:蘇えりし者』(16)のように、劇中の主人公の体験を受動する「ライド・アトラクション」型映画の台頭をうながしたのである。 ■『ロサンゼルス決戦』のリアリティ創出(2:手法・VFX) 『世界侵略:ロサンゼルス決戦』も、こうしたライド・アトラクション型の系譜に連なる作品のひとつだ。そしてリアリティを目標とし、エイリアンの要素をこうした映画に適合させるために、数多くのVFX(視覚効果)が必要となった。 監督のジョナサン・リーベスマンと視覚効果スーパーバイザーのエベレット・バレル指揮のもと、VFXを担当したのはシネサイト、ハイドラックスといった大手VFXベンダー(製造元)で、特にシネサイトはエミー賞の視覚効果賞を受賞したTVミニシリーズ『ジェネレーション・キル 兵士たちのイラク戦争』(08)でクリエイトした、イラク侵攻作戦のビジュアルが起用の決め手となった。そのことからも分かるように「リアルな戦闘描写」という本作の方向性は徹底したものといえるだろう。(*1) ●シネサイトによる『ジェネレーション・キル 兵士たちのイラク戦争』VFXリールhttps://vimeo.com/163721486 またカナダのバンクーバーにあるVFXスタジオ、エンバシーVFXがエイリアンの創造に中心的な役割を果たし、最近でも『スパイダーマン:スパイダーバース』(18)で活用された3DCGソフト「Houdini」を用いてエフェクトの開発に努めた。またガレージバンドと呼ばれるVFXチームでは、暗視ゴーグルやライフルスコープごしに見る映像などノイズ系エフェクトソフトを駆使し、この映画の決め手となるルックを創造している。 しかし最も困難だったのは、手持ちカメラを一貫させた本作に数多くの合成処理を施さねばならなかったことだろう。現在はライブカメラの動きを把握するカメラトラッキングソフトウェアの開発によって、手持ちカメラで撮影した規則性のない複雑なカメラワークでも、CGエフェクトを追跡し合成することができるようになった。本作でもそうした「boujou」や「PFTrack」などの3Dトラッキングソフトを用いてマッチムーブに対応しているが、作業自体は非常に煩雑きわまるものだったようだ。しかしこうした困難への果敢なチャレンジこそが、この「映画史上もっともリアルなエイリアン迎撃戦」の描写を実現させたといえるだろう(*2)。ちなみに映画において、手持ちカメラのマッチムーブが大きくクローズアップされたのは1996年に製作・公開されたデザスターパニック『ツイスター』で、同作ではCGで生成された竜巻を、手持ちカメラのような不規則なライブ映像に適合させるため、コンピュータ上において手作業での合成がおこなわれている。前段の『プライベート・ライアン』然り、革新的な表現の開発には、それに挑んだ野心的な先行作があることを忘れてはいけない(*2)。 とはいえ軍事アドバイザー監修のもとブートキャンプを敢行した、この映画独自の作劇アプローチも賞賛に値するし、要求に応えた俳優たちの優れたパフォーマンスも映画に説得力を与えている。また説得力という点では、1990年代後半から2000年代初頭にテレビ界に台頭した「リアリティ番組」も同作のコンセプト・ならびに方法論や映像づくりに影響を及ぼしていることも付け加えておきたい。■ 参考文献/(*1) Cinefex 125 - Battle: Los Angeles / Rango / Black Swan / Sucker Punch(*2)BATTLE LOS ANGELES: BEN SHEPHERD – VFX SUPERVISOR – CINESITEhttps://www.artofvfx.com/battle-los-angeles-ben-shepherd-superviseur-vfx-cinesite(*3)日本版シネフェックス12(1996年・トイズプレス)
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COLUMN/コラム2019.04.24
【ロッキー一挙放送記念コラム:尾崎一男さん】再評価の兆しを感じる、我が人生を伴走した極熱の一本『ロッキー4/炎の友情』
しょっぱなから私ごとで恐縮だが、自分(尾崎)は『ロッキー』シリーズへの入り込みが遅かった。世代的な事情もあるが、第1作目の『ロッキー』(76)から『ロッキー3』(82)はテレビ放送で我が身に摂り入れ、封切り時に劇場で観たのは『ロッキー4/炎の友情』(85)からである。なので思い出の一本を問われれば同作に尽きる。いや思い出のみならず、シリーズ最高傑作を挙げろと言われても『4』が毅然として頂点に位置するのだ。後年『エクスペンダブルズ』(10)の取材でドルフ・ラングレンに会ったとき、仕事もそっちのけで自分がいかに『4』を愛しているかを熱く伝え、先方にドン引きされたものだ。 そう、本作はそのドルフ演じるロシアの超人イワン・ドラゴこそが、じつに憎々しい敵として圧倒的な魅力を放つ。科学トレーニングで造り上げた鉄の拳でアポロを撲殺し、ロッキーを苦境に立たせるシリーズ最強のヒールだ。ところが第1作目の原理主義者と『4』について話すと、自分の評価との温度差を感じることが多かった。「シリーズもあそこまでキワモノ化するとおしまいだな」とでも言いたげな先方の態度が、露骨に自分へと向けられるのである。 たしかに、当時ロッキーを演じたシルベスター・スタローンのマッチョな容姿は、強国アメリカを体現しすぎて滑稽の域に達しているし、米ソ新冷戦時代を露骨に意識したストーリーなど、随所で醸し出される微妙な空気が本作には漂っている。冒頭の星条旗とツチカマ旗をあしらったグローブがぶつかり合って爆発するオープニングに至っては、地に足のついた「ボクシング人情劇」である1作目との決別宣言ともとれたのだ。 だがロッキーとアポロ、かつては敵どうしだった相手が友となり、その友がリングの上でサイボーグのような敵に倒される少年マンガのような展開に、はたして冷笑を浴びせられる男がいるだろうか? なによりアポロの仇を討つため、単身ロシアに渡ってドラゴとのリベンジマッチに挑む。そんな「満身創痍」や「孤立無援」を体現したロッキーの姿は、芸大受験で浪人中だった自分と重なり、不安定だった青春期の大きな支えとなっていたのだ。サバイバーが歌う主題歌『バーニング・ハート』は起床時のBGMとしてオレを奮い立たせ、長い時間をデッサンに費やす孤独な日々を、極寒の敵地でトレーニングに励むロッキーとダブらせた。それだけに『4』を否定されることは、イコールで自分の人生を否定されているように思えてならず、そんなけしからん否定派に出会うたび、オレは心の奥底でロッキー式のナマ肉パンチを浴びせて憎悪を示した。いや冷静になって思えば、その姿はロッキーというより、会見の席でロシア側の抑圧的な自国体制を罵倒し「オレは沈黙しない大衆だ!」とケンカ腰になるポーリー(バート・ヤング)のほうだったかもしれないが。 しかしそんな『4』も、ロッキー新章の嚆矢ともいうべき『クリード チャンプを継ぐ男』(15)により、大仰な笑える珍作から、再評価すべき古典として風向きが変わったように感じられてならない。アポロの遺児であるアドニス・クリードが、ロッキーの教えを経て全米チャンプの道を歩む同作。そんなプロットの性質上、ドラゴとアポロ、そしてロッキーとの因縁は避けて通れないものとなり、今やロッキー神話を語るうえで重要な位置づけを示している。そして昨年公開された続編『クリード 炎の宿敵』(17)において、クリードがドラゴの息子と戦うという、激アツな展開へと誘導していったのだ。 人生、何事かを信じ続けていれば形勢が変わり、逆転をもたらすこともある。それは図らずも『4』と自分とをめぐる関係であり、ひいてはロッキー・バルボアというキャラクターのファイティング・スピリットを体現している。ああ『4』の初公開時に戻れるものならば、同作を支持し続けてきたオレを決して間違っていなかったのだと褒めてやりたい。ついでに当時好んで着ていた『ロッキー4』のパチモンTシャツ。ドラゴをあしらった図柄には、併せてロシア語で「ランボー」と書かれていたことを伝え、識らずしてかいていた大恥をついでに回避しておきたい。 特集の記事はコチラ番組を視聴するにはこちら © 1985 METRO-GOLDWYN-MAYER STUDIOS INC.. All Rights Reserved © 2015 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. AND WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2019.05.13
マシスン原作の核に迫る映像化、そして幻となったシュワルツェネッガー版とは? ——『アイ・アム・レジェンド』——
■前映画化作品に勝る、地上に一人残された主人公の“孤独感” 2007年に公開された『アイ・アム・レジェンド』は、リチャード・マシスンによる終末パニックホラー小説「吸血鬼」(54)の3度目となる長編劇映画化だ。前回の映画化作品『地球最後の男/オメガマン』(71)のリメイクとして、ワーナーはこの企画を世紀をまたぎ息づかせてきた。 しかし本作はマシスンの小説に立ち返ることで、単なるリメイクではなく、原作と『オメガマン』両方の性質を持つ内容となっている。ウィル・スミス演じる主人公ネビルは『オメガマン』と同じく科学者に設定されており(原作のネビルは工場労働者)、ただ事態に翻弄されるのではない、原因究明の使命を帯びたキャラクターを受け継いでいる。また過去回想のインサートによって、ネビルの背景と感染パニックの起点が明らかになる構成は原作に準拠したものだ。 いっぽう『オメガマン』からの変更点は時代設定のほか、人類がウイルス感染し、吸血鬼症を引き起こす原因が同作とは異なっている。前者は製作年度よりもやや先の2012年が舞台となり(『オメガマン』の時代設定は1977年)、そして後者は癌の治療薬として有効視されていた新型ウイルスが、抑制不能の伝染性ウイルスに変化したため引き起こされたものと改められた(『オメガマン』では中ソ戦争での生物兵器使用が原因)。 それにともない感染者の容姿や症状にも、著しい変化がもたらされている。『オメガマン』では感染者は肌の色素を失い、視力の退化した新種のミュータントと化し、自分たちの生存権を主張していた。しかし『アイ・アム・レジェンド』の感染者は「ダーク・シーカー」と呼ばれ、本能的に人を襲う凶暴な夜行性肉食生物として描かれている。その変化は「コミュニケーションのとれない外敵」という性質をおのずと強いものにし、9.11同時多発テロ以降のハリウッド映画らしい、姿なきテロリズムを暗喩したものになっている。 そして過去の映画化作にはない『アイ・アム・レジェンド』固有の特徴として、主人公ネビルの「孤独」を強調する演出が挙げられる。怪物化した感染症者との戦いもさることながら、地上から自分以外の人間が消え、ネビルは自律によって理性を保ち、近代文明から切り離された極限状態での生存を余儀なくされていく。マシスンの原作は、こうした孤独との葛藤を緻密に綴ることで、シチェーションそのものが持つ恐怖をとことんまで追求し、そして後半部の驚くべき展開への布石として機能させている。こうした原作に対する細心の配慮が、原作の根強い支持者だけでなく『オメガマン』に批判的だったマシスンの信頼をも取り戻していくのである。 ■徹底した封鎖措置と、デジタルの駆使によるニューヨークの廃墟化 そんなネビルの孤独を引き立たせるため、本作は無人となって廃墟化した市街地のシーンに創造の力点が置かれている。『オメガマン』では、この都市が無人化するインパクトのある場面を、舞台となるロサンゼルスで撮影。歩行者の少ない休日のビジネス街を中心にゲリラ撮影をおこない、効果的なショットの数々を生み出した。『アイ・アム・レジェンド』もこのアプローチにならい、作品の舞台であるニューヨーク市で実際にロケ撮影が行なわれている。ただ異なるのはその規模と方法で、こちらは南北は五番街を挟んだマディソン街と六番街の間、そして東西は49丁目から57丁目の間で歩行者と車の交通を完全に遮断し、人が一人として存在しない同シチェーションを見事に視覚化したのだ。ネビルを演じたウィル・スミスは、当時の撮影状況を以下のように振り返っている。「一生かけても無人のニューヨークなんて目にすることは絶対にないからね。あれはパワフルな光景だった。五番街の一角を無人にしたとき、僕たちは前例のないことをやっているんだということを痛感したよ」(*1) このようにして得た廃墟のショットを、本作はさらにデジタルで修正し加工することで、映画は無人となった都市の景観が、経年によってどのように変貌していくのかをシミュレートしたものにもなっている。本作のプロデュースと脚本を兼任したアキヴァ・ゴールズマンは、なによりそのモチベーションが『オメガマン』にあったのだと、同作への対抗意識をあらわにしている。「ロサンゼルスと違って、ニューヨークは24時間ひっきりなしに人が動いている。そんな場所で無人のゴーストタウンを作り出すなんて、それだけで挑戦的な価値があるといえるね」(*2) リメイクの話が幾度となく出ては消える、そんなサイクルが常態化していた『アイ・アム・レジェンド』の映画化は、まさに作り手の企画に対する情熱的な思いと、映画技術の熟成こそが突破口を開けたのだ。 ■リドリー・スコット×シュワルツェネッガー版『アイ・アム・レジェンド』の幻影 そもそも『アイ・アム・レジェンド』は、本来ならば1990年代の中頃には完成が予定されていたものだ。当時アクション映画のトップスターだったアーノルド・シュワルツェネッガーが主演し、『エイリアン』(79)『テルマ&ルイーズ』(91)の巨匠リドリー・スコットが監督する形でプロジェクトが進んでいたのである。 リドリーはこの『アイ・アム・レジェンド』を『G.I.ジェーン』(97)の直後に手がけるつもりで、ワーナーとシュワルツェネッガー側からマーク・プロトセヴィッチ(『ザ・セル』(00))による脚本と、ジョン・ローガン(『ラストサムライ』(03)『007 スカイフォール』(12))による改訂稿を受け取っていた。リドリーは監督のオファーを承諾。その理由は意外なことに「アーノルドと一度仕事をしてみたかった」からだったという。 リドリーはローガンの改訂稿をもとにプロジェクトに着手。同稿はストーリーの流れがプロトセヴィッチの脚本(実際に映画化されたものはアキヴァ・ゴールズマンがこれを改訂)にほぼ近いが、ネビルの職業は科学者ではなく建築家で、また物語の後半、ネビルと、そして“カシーク”と名付けられた感染症者のリーダーとの壮絶な戦いが中心になっている。これは奇しくもリドリーの代表作『ブレードランナー』(82)における、デッカードとレプリカント・ロイとの異種同士の戦いを彷彿とさせ、図らずも同作を反復する刺激的な内容になっている。それでなくとも『アイ・アム・レジェンド』はリドリーの『ブレードランナー』以来のSF映画として、ファンの期待も相当に大きかったのだ。 しかし、予算計上が1億ドルを超えたあたりでワーナーは企画の進行に難色を示し、プロジェクトは暗礁に乗り上げた。シュワルツェネッガーの高額のギャラに加え、ロサンゼルス(企画時点での舞台設定)を封鎖して撮影をするという計画は、費用対効果の面で懸念の対象となったのだ。加えて当時はデジタル技術も過渡期にあり、物理的に廃墟を作り出すことを中心にする以外にない。同様の理由で吸血鬼症の感染者の表現も課題として、シュワルツェネッガー版の障害として立ちはだかった。リドリーの演出プランでは感染者は常時、皮膚を紫外線から隠すためにベドウィン(アラブの遊牧民族)のような外装をしていたが、実際に映画化されたクリーチャーに近いプロダクションデザインがなされ、その映像化にも多くの予算が費やされるであろうことが予測されたのだ。 とはいえ、このシュワルツェネッガー版、かなり長期にわたりプリプロダクション(撮影前の準備)がおこなわれていたようで、筆者(尾崎)が2000年代のリドリー・スコット作品の編集にたずさわった横山智佐子さんに取材したさい、編集室にひょっこりシュワルツェネッガーが顔を出すことがあったと語っていた。そのさいシュワは守秘義務などどこ吹く風で「今度リドリーと『アイ・アム・レジェンド』をやるんだよ、ガハハハハ!」と自慢げに話していたというから、本人もさぞや乗り気だったのだろう。ちなみに改訂稿にはネビルが葉巻を好むなど、実際のシュワルツェネッガーを想定して執筆したような痕跡が見られる。それだけシュワ自身としても肝煎りの企画だっただけに、個人的心情としては彼のバージョンも観てみたかった気がする。 ■シュワルツェネッガー版に異を唱えたギレルモ・デル・トロ ところが、もう一人『アイ・アム・レジェンド』の監督に名乗りをあげた人物は、こうしたシュワルツェネッガーのキャスティングに異を唱えている。人間と半魚人との恋を描いた『シェイプ・オブ・ウォーター』(17)で、後にアカデミー賞を手中にするギレルモ・デル・トロだ。 ギレルモは当時、長編デビュー作『クロノス』(93)を完成させ、ジェームズ・キャメロン(『タイタニック』(97)『アバター』(09)監督)の米国での支援を受けながら、メジャーデビューへの糸口を探っていた。そして同作のために収集した吸血鬼の研究素材を『アイ・アム・レジェンド』に活かし、同作を企画中のワーナーに自ら監督の売り込みをかけたのだ。しかし既にシュワルツェネッガー主演で企画が検討されていることを知ったギレルモは、そのキャスティング案に違和感を覚え、マシスンの原作の精神に反するとワーナーの担当者に説いたという。彼は言う。「マシスンの原作は、普通の男が感染者たちから伝説として恐れられるところに意味を持たせている。シュワルツェネッガーの超人的なイメージは、それに合致するものとは思えないよ」(*3) これらのリジェクト(却下された)企画に対し、実際に完成した『アイ・アム・レジェンド』以上に解説を費やした気もするが、その存在の正当性を示すには、背後に消えたものが何よりも強く声を放つことがある。とはいえジョン・ローガンの改訂稿にあった鹿の群れと遭遇する場面や、ネビルが罠に足をとられてしまう展開などは完成版でも引き継がれているし、リドリー・スコットはローガンと共に、SFに向けていた創作の熱意を古代ローマへと舵修正し、英雄史劇『グラディエーター』(00)という一大成果を生んだ。そしてギレルモ・デル・トロは、温めていた『アイ・アム・レジェンド』のアイディアを『ブレイド2』(02)に活かし、型破りで新しいヴァンパイアヒーローのさらなる洗練に成功している。そしてギレルモの危惧したネビル像は、アクションスターではあるが自然な演技感覚を持つウィル・スミスにより、理想的な形で具体化されたといっていい。 当人たちにはたまったものではないだろうが、こうしてリジェクト企画を振り返るのも、作品を知るうえで決して後ろ向きな行為ではないのだ。■
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COLUMN/コラム2019.05.13
吸血鬼を恐れぬ現代に、どんな恐怖を暗示させるのか—? 『地球最後の男 オメガマン』
■チャールトン・ヘストンのディストピア三部作 『地球最後の男 オメガマン』(71)は、TVシリーズ『ミステリーゾーン』(58〜64)における数多くのエピソードや、スティーブン・スピルバーグの出世作『激突!』(71)の原作を手がけた作家リチャード・マシスンが、1954年に発表した同名長編小説の映画化だ。日本で翻訳が出版されたときの邦題が「吸血鬼」で、そのタイトルどおり、ウイルスの蔓延によって人類は夜行性の吸血鬼と化し、抗体として人間のまま生き残った主人公ロバート・ネビルが、孤独に耐えながら彼らと戦う物語だ。 もっとも「吸血鬼」は過去に3度映画化されており、『オメガマン』はその2本目にあたる。1本目は怪奇俳優として名高いヴィンセント・プライスが主演した『地球最後の男』(64)。マシスンが偽名で脚本執筆に加わっただけあって、物語は原作にきわめて忠実だ。またタイトルからもわかるように、『オメガマン』はギリシャ語アルファベットの最後となる文字「Ω(オメガ)」を用い、『地球最後の男』を婉曲的に踏襲している(ちなみに3本目の『アイ・アム・レジェンド』(07)はこちらを参照) この『オメガマン』はネビルを演じたチャールトン・ヘストンがワーナー・ブラザースに売り込んだ企画で、その頃の彼の立ち位置を知ると動機がわかりやすい。『十戒』(56)や『ベン・ハー』(59)など、宗教啓蒙的な性質を持つ史劇大作で世界に名を広めたヘストンだが、60年代後期は俳優としての変革期にあった。そこで先述の作品で得たパブリックイメージを保たせながら、自身のキャリアに柔軟性をもたせるための、既成でない対勢力にあらがう新たなヒーロー像を模索したのだ。中でも際立ったのが、人類が猿に支配される『猿の惑星』(68)や、人間を食料加工品にする『ソイレント・グリーン』(73)といった、時代の機微に応じて製作されたディストピア(暗黒郷)SFへのアクセスである。 当時、アメリカはインフレが加速して石油価格が上昇し、景気が後退。ベトナム戦争の長期化によってNASAの宇宙開発は凍結され、社会を暗く揺れ動かしていた。これらの事象に対する動揺を反映するかのように、アメリカ映画界にはダークで終末感に満ちた作品が群発したのである。ヘストンはそんなムーブメントに対し、自らディストピアSFに活路を見出し、マシスンの原作の現代的アレンジに強い関心を示していたのだ。 ヘストンは「吸血鬼」を主演作『黒い罠』(58)の撮影時、監督のオーソン・ウェルズから勧められて手にとっている。そして原作に惹き込まれた彼は1969年11月、プロデューサーのウォルター・M・ミリッシュ(『荒野の七人』(60)『夜の大捜査線』(67))と話し合い、ワーナーと接触。翌1970年1月には『地球最後の男』にあたってアウトライン研究を始め、同年2月8日に脚本担当のジョン・ウィリアム・コリントンと、彼の妻ジョイスらと共に脚本開発に移行している。 ■作品の背後にあるゼノフォビア コリントン夫妻は『地球最後の男』と同様、ネビルが科学者である設定を引き継ぎ、また異なるポイントとして、ウイルスの影響によって変貌した人間の描写を更新させた。『オメガマン』において彼らは黒衣をまとい、自分たちの共同体を「ファミリー」と呼び、生存権を主張する“ミュータント”に変えたのである。 映画はこうした形で、人種のカテゴリーが崩壊し、社会的優位をが脅かされていくことへの警戒心を内在させ、そこには当時すさまじい勢いでアメリカを席巻していた公民権運動(黒人が自由と平等を獲得するためにおこした運動)や、ベトナム戦争への不審が生んだカウンターカルチャー(対抗文化)の存在がうかがえる(ヘストン自身は公民権運動の支持者であり、ベトナム戦争に反対の立場をとっていた)。あるいは若い信徒を「ファミリー」と称して引き連れ、映画女優シャロン・テートの殺害に及んだチャールズ・マンソンのような、カウンターカルチャーが誘引した反社会勢力を連想させるものとなっているのだ。またウイルス感染の起因が「中ソ戦争による科学兵器の使用」と設定づけられたのも、1969年3月2日に起こった中ソ国境紛争(中国人民解放軍がダマンスキー島のソ連国境警備隊55人を攻撃した紛争)が背景にあり、そこに当時の共産主義に対するアレルギーが見え隠れしている。 他にも物語の要となるヒロインにロザリンド・キャッシュを起用し、当時のハリウッドメジャー作品としては異例の異人種間のロマンスを展開させたことで、そこに公民権運動を牽引するブラックパワーや、ウーマンリブ(女性解放運動)の影響を指摘することもできる。つまり『オメガマン』は、総じてアメリカが同時代に抱えていた「ゼノフォビア(外来恐怖症)」を反映したものになっているのである。 もっとも、こうしたゼノフォビアは原作が生まれた段階から宿命のようにつきまとっている。マシスンの「吸血鬼」が世に出た1950年代、アメリカは米ソ冷戦や共産主義への深刻な脅威にさらされ、ゼノフォビアは侵略SFという形を借りて描かれてきた。それを象徴するようにジャック・フィニィの「盗まれた街」や、ロバート・A・ハインラインの「宇宙の戦士」など侵略SFのマスターピースが発表され、また映画においては数多くのエクスプロイテーションな侵略SFものが量産されている。 マシスンは幼い頃、ベラ・ルゴシ主演のモンスター映画『魔人ドラキュラ』(31)を観たとき「個体でさえ恐ろしい吸血鬼が集団化したらどうなるのか?」という思いに駆られ、それが「吸血鬼」を手がける発端だったと語っている(*1)。多数派によるカテゴリーの侵食や崩壊がイメージの根にある本作が、映画化によってその時々のゼノフォビアに感応するのは自明の理といえるだろう。 ■原作者マシスンの『オメガマン』に対する反応 そんな『オメガマン』を、原作者であるリチャード・マシスン自身はどう思ったのか? マシスンは後年のインタビュー(*2)において、「チャールトン・ヘストンはいい俳優だし、マンソンファミリーのようなカルトを皮肉るなど、映画は時代性をよくあらわしている。だが個人的には好ましくない映画化だ」 と述べている。製作当時、ワーナーは改変のためにマシスン本人からの権利譲渡を避けたようで、こうした先方の態度に思うところがあったのだろう。ちなみにマシスンが「吸血鬼」の映画化作品で認める姿勢を示したのは、意外なことに傍流というべき食人ゾンビ映画の嚆矢『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(68)だ。同作は「吸血鬼」をイメージソースとしており、監督のジョージ・A・ロメロは『ナイト〜』の商標権を取り戻すために動いていたときにマシスンと会い、アイディアを拝借したことを彼に白状している。そこで商標権の登録ミスにより、自分がこの映画で儲けていないことを告げると「あなたがお金持ちになっていないなら、それ(アイディアの流用)は無問題さ」とロメロに同情を寄せたという(*3)。 さいわいにも2007年の映画化『アイ・アム・レジェンド』のときは、マーク・プロトセヴィッチの手による脚色がよく出来ていると賞賛。プロモーションにも協力するなど、ワーナーとの関係を回復させて彼はこの世を去っている。 とはいえ、こうした原作者の感情がどうであれ、『地球最後の男 オメガマン』はカルト映画として支持され、恒久的にファンを獲得し続けている。それは本作が、1970年代ディストピアものとして他にはない独特の雰囲気を放ち、また前述のようなメッセージ性をはらむ作品構造が、いつの時代の社会問題にも置き換え可能だからだろう。欧州の難民問題、トランプ政権下の移民政策etc.はたして我々はいま、この映画に何を見るのだろう?■
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COLUMN/コラム2019.07.10
ザック・スナイダー監督が語った『300〈スリーハンドレッド〉』の様式美
■デジタル背景の正当性を示した古代戦闘劇 「『シン・シティ』は原作が大好きだし、映画だってもちろん好きだ。なぜならロバート(・ロドリゲス)の全デジタル環境での撮影は、主にアーティスティックな理由からくるもので、それはこの『300〈スリーハンドレッド〉』と同じ哲学を持っている。そういう意味でデジタル・バックロットという手法が本作によって正当化されたのではないか、と僕は思っているんだよ」 これは『300〈スリーハンドレッド〉』(以下『300』)が日本で2007年に公開されたとき、来日したザック・スナイダー監督に筆者(尾崎)が訊いた質問への答えだ。ロバート・ロドリゲス監督(『デスペラード』(95)『アリータ:バトル・エンジェル』(18))によって映画化がなされた『シン・シティ』は、『300』と同じフランク・ミラーのグラフィックノベルを原作とし、言うなれば兄弟のような存在である。 しかもそれだけではない。作品の撮影も『シン・シティ』と『300』とで、まったく同じスタイルが共有されている。そこでスナイダーにこう確認したのだ。 「同じミラーの原作を題材にし、なおかつ同じ[デジタル・バックロット]のアプローチをとった『シン・シティ』を、あなたはどう思うのか?」と。 デジタル・バックロットとは、俳優をグリーン(ブルー)スクリーンの前で演技させ、CGによって作られた仮想背景と合成する手法のことだ。映画製作においてデジタル環境の整った現在、それはもはや特殊なものではない。今やハリウッド映画は、俳優をCGの背景前に置いて映像を創り出すデジタル・バックロットが比重を占め、どこまでが実景でどこまでが仮想のものか、容易に判別できないクオリティへと達している。 しかし『300』においてスナイダーは、デジタル・バックロットを観客の目をあざむくために用いるのではなく、極度に誇張された幻想性の高い世界を創造しているのだ。 ■コミックを読む速度までもシミュレートした驚異の再現性 なぜスナイダーがこの手法にこだわったのかといえば、それは仕上げられた映像を見れば明らかだろう。彼はコミックのモノトーンのタッチを忠実に映像化した『シン・シティ』と同様、フランク・ミラーの意匠を実写に反映させるという課題を設けている。そしてミラーと彩色担当のリン・ヴァーリィによる描画スタイルを再現することで、おのずと他に類例のないビジュアルを観る者に提供し、わずか300人で100万人のペルシア軍を迎え撃つ、スパルタ戦士レオニダス(ジェラルド・バトラー)の熱い戦いをエモーショナルに、よりフェティッシュに描いたのである。 デジタル・バックロットはそのための最適な手段であり、現実的には無理が生じるアングルでも、これを駆使してスナイダーは、原作ひとコマひとコマの構図を的確に実写へと落とし込んでいる。そのこだわりは細部にまで及び、マーカーで荒々しく描かれた岩肌の筆致や、また原作では飛び散るインクで血しぶきを表現しているところ、これをスキャンし、飛沫の形状までも見事にミラーのタッチにしたがっている。このように残酷さも「様式美」と捉え、原作既読者に大きなインパクトを残した「死者の木」や「死者の壁」なども、じつにアーティスティックな表現がなされている。 だが、ここまでならば『300』は『シン・シティ』の轍を踏んだものでしかない。そこでスナイダーは、ロドリゲスが思いもしなかったアイディアにまで手を伸ばし、『シン・シティ』以上に原作のテイストに迫ったのだ。それがワンショットの中でスローからファスト(早い)モーションへ、そしてまたスローへと撮影速度が切り替わる「可変速度効果」である。 スナイダーは、この瞬時の出来事をゆっくりと引き延ばすテクニックによって、観客の視覚とカメラワークとを同化させている。ハイフレームレート(高コマ数)撮影を拡張させたこの手法が、グラフィックノベルの読み手がコマからコマへと目線を移すさいのスピードや、展開次第で感情の速度が速まったり遅くなったりするリズムをも創出し、そこは『シン・シティ』さえも及ばなかった高度な領域に『300』は及んだのである。 さらにスナイダーは、この可変速度効果ショットに急速にカメラが寄ったり引いたりするモーションを加え、より独創的な映像効果を追求している。 このテクニックは通称「クレイジーホース」と呼ばれ(クレアモント・カメラ社の特殊な撮影デバイスを使用したテレビ映画“Crazy Horse”(96)から呼称を得ている)、ワイド、ミディアム、タイトとそれぞれのアングルに固定した3台のカメラで、同一のハイフレームレートショットを撮影。それらを編集時に速度調整し、3つのアングルをシームレスに繋げることで生み出されている。そのアクロバティックな映像アプローチは、本作『300』のスタイルを受け継いだ続編『300〈スリーハンドレッド〉~帝国の進撃~』(14)でさえマネのできなかったものだ。スナイダーは映像作家としてのキャリアにおいて、このクレイジーホースを最初にゲータレードのCMに用いた。そして本作ではレオニダスが無数のペルシア軍に斬り込むショット(本編開始から約48分ごろ)や、ディリオス(デビッド・ウェナム)らが大軍を率いて一斉に進撃するラストショットに確認することができる。 ■『300』を手がけたことで確立した作家性 しかし、なぜそこまで細かくグラフィックノベルの再現に固執したのだろう? それがザック・スナイダー流の、原作に対するリスペクトの証だからだ。彼は言う。 「僕の商業映画デビュー作である『ドーン・オブ・ザ・デッド』(04)は、オリジナルの『ゾンビ』(78)がホラー映画の名作だし、そんなオリジンを監督したジョージ・A・ロメロも、そして『300』のミラーも、それぞれがジャンルのアイコンともいうべき存在だ。そんな彼らと、彼らの聖域をないがしろにすることに、ファンは強い抵抗を覚えるんだよ」 スナイダーの微に入り細に入って作り込んでいくスタイルは、なによりも原典を尊重する姿勢のあらわれだったのである。しかしそこまで従属的にならずとも、多少オリジナリティを投入するべきだったのでは? という筆者の問いには、 「『300』の複雑だったストーリーラインを一本化したのは、僕たちのオリジナル的な行為といっていいかもしれない。いちばん目立たない作業だけれど、それはそれで大変なものだったんだよ」 と笑いながら答えてくれた。 なにより『300』を原作により近づけるため、スナイダーがほどこした方法の数々は、おのずと彼自身のオリジナリティを形成する一助となっている。ハイフレームレートのためにフィルムカメラを使用したことは、その後の彼にフィルム主義をまっとうさせ、デジタルを主流とする現在の商業映画において、彼は最近作『ジャスティス・リーグ』(17)までフィルム撮影を敢行している。こうしたアプローチが、スーパーマンの存在を実録的に描こうとした『マン・オブ・スティール』(13)の支えとなり、また『エンジェル ウォーズ』(11)における、醜悪な現実を空想で駆逐する美少女たちの勇姿も、フィルムの活用あればこその説得力といえる。 ちなみにこの『300』は、スナイダー監督が『ドーン・オブ・ザ・デッド』を手がける以前より着手していた企画で、その証として『ドーン〜』にはフランク・ミラーという名のキャラクターが登場し、ゾンビと化して悲劇的に死んでしまう。あるいは『300』の後に監督した『ウォッチメン』(09)においても、スナイダーは冒頭でコメディアンが殺される部屋番号を「300」に設定するなど、リスペクトのわりに毒を効かせた引用が笑える。■
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COLUMN/コラム2019.08.06
前作のスタイルを継承し、そして拡張させた『300〈スリーハンドレッド〉~帝国の進撃~』
■続編成立の困難な作品に挑む 「我々はひざまずいて生きるのではない。自由のために立ったまま死ぬのだ!」 紀元前480年、ギリシアに対してペルシア帝国が突き付けてきた「降伏か、戦いか」の最終通告に、陸戦部隊を率いてペルシア軍の前に立ちはだかり、応戦という回答を突きつけたスパルタ戦士レオニダス。わずか300人の兵士で100万人の大軍勢を迎え撃つという、向こう見ずな男たちの生きざまを描いた『300〈スリーハンドレッド〉』(以下:『300』)は、全米興行収入2億1,160万ドルを稼ぎ出し、監督であるザック・スナイダーに初のメガヒットをもたらした。 もちろん作品が成功すれば、続編という話が浮上して当然だろう。だがその気運とは裏腹に、シリーズを展開させるには困難が生じる映画として『300』は製作者たちの前に立ちはだかったのである。 まずフランク・ミラーの原作にシリーズ化の足がかりとなるものが存在しないという、現実的な制約があった。一説にはこの『300〈スリーハンドレッド〉~帝国の進撃~』(以下:『帝国の進撃』)、ミラーのグラフィックノベル作品「クセルクセス」が原作としての役割を担っているのではないかと言われているが、『帝国の進撃』の脚本はこの「クセルクセス」と同時に執筆されており、直接の関連はない。 なにより多勢で少数を屈服させようとする侵略主義を否定するために、死を賭して戦いに挑んだ者たちの崇高な精神を、続編という形で反復するのには疑問が残る。それはすなわち、作品の精神を汚し、陳腐なものにしてしまいかねないのでは? 加えてこの『300』が、唯一無二の映像スタイルを持っていることも、おのずと続編製作のハードルを上げている。際立ったデジタルグレーディングのコントロールや、超高輝度のカラーパレットによって生み出される独特の色調。暗黒時代を象徴するまがまがしいランドスケープに、アートのように洗練されたシンメトリックな構図など、どの場面も荘厳かつダークな美に充ち満ちている。そんな個性の塊のような世界観を、はたしてザック・スナイダー以外に成立させられるのか? しかし『帝国の進撃』は、こうした懸念を一蹴するかのように、前作とは違うアプローチと新たな方法論で、難しいと思われた続編製作を見事に成功させたのである。レオニダスの300人部隊が散ったテルモピュライの戦いとは異なる戦局を描き、映画はペルシア帝国の大艦隊に立ち向かった軍師テミストクレス(サリヴァン・ステイプルトン)に焦点を定め、描写のメインは地上戦から海上戦へと移行。さらにはペルシア側の背景にも視点を潜り込ませるという、別なるアプローチで全方位を固めた『300』となったのだ。 ■可変速度効果の向上、平面から立体への追求 そして視覚面においても『帝国の進撃』は、『300』の様式をきっちりと受け継ぎつつ、要所にてそれを見事にアップデートさせている。 前回の『300』のコラムでも触れたが、本シリーズの映像レイアウトの特徴をなすひとつに「可変速度効果」がある。これはひとつのショット内において、被写体の動きがスローモーションからファストモーションへとスピードアップしたり、逆にテンポダウンする特殊なカメラワークのことで、それを作り出すために同作では「フィルム撮影」という選択がとられていた。これは当時、デジタルHDカメラに納得のいくハイフレームレート(高コマ数)撮影機能がカバーされてなかったと、撮影監督を担当したラリー・フォンは語っている。高速度で撮像を得ないと、例えば通常スピードで撮られた映像を合成編集ソフトのエフェクトツールで引き延ばしてスローモーションにした場合、動きがカクカクしてなめらかさを欠くためである。 しかし前作から9年間の間にデジタルカメラの性能が著しく上がり、フィルムカメラを凌駕する高速度撮影が可能となったのだ。そこで『帝国の進撃』はフィルム撮影からデジタル撮影へとシフトさせ、RED EPICやファントムといったハイスペックなカメラ機種を現場に導入。1秒24fpsから96fps、最大で1200fpsというフレームレートによって、すさまじいスローモーション・フッテージをモノにしている。 だがこうした効果が、デジタル・バックロットによって合成を多く必要とする本作のVFXを、より複雑化させるものとなった。そこで本作の視覚効果を担当したVFXファシリティのひとつであるMPCは、合成チームが調整した映像のリタイムカーブ(速度曲線)情報を、本作の画像処理をつかさどるディレクトリ構造にパイプラインで共有する「3Dリタイム・パイプライン」を独自に開発。創作にともなうリタイムカーブ情報の変更を、随時可能にする利便性を得ている(ちなみにデジタル合成ソフトによるリタイムカーブ調整は前作『300』ではafter effectでおこなわれ、『帝国の進撃』ではMayaやnukeなどが用いられている)。 そしてなによりデジタルへの移行は、本作にデジタル3Dという表現形式を同時に与えることとなった。 もっとも『帝国の進撃』は専用カメラを用いて撮像したピュア3Dではなく、後処理によって3D化が図られている。そのためストーリーボードの段階から立体視を強調する画面構成やレイアウトがなされ、劇場で3Dメガネを介さずとも、おのずと前後空間を意識した画作りが感じられる。主観を思わせるカメラレンズに流血が降りかかり、血の飛沫が付着するところや、あるいは射った矢が眼前に迫ってきたり、また無数の軍艦が手前に進行してくるショットなど、こうした前後空間を意識したカメラモーションが「ミラーのコミックを映像に徹底置換する」という平面的従属から解放させ、奥行きを感じさせる新たな表現領域へと本作を誘導したのである。 ■監督ノーム・ムーロの功績 じつはこの前後方向へのカメラ移動、『帝国の進撃』の監督であるノーム・ムーロの、映像作家としてのスタイル的な特性でもある。 ムーロは1961年8月16日、イスラエルのエルサレムで生まれ、大学卒業後に広告の世界でキャリアを始めてから、CMやプロモーション映像など数多くのフィルム(ビデオ)クリップを手がけてきた。そして2003年にはGot Milk?の「Birthday」で世界最大規模を誇る広告賞「カンヌライオンズ」アワードのゴールドライオン賞を受賞し、一気に注目の存在となった。 こうして広告業界で商業的な成功を得たムーロは、大手広告製作会社ビスケット・フィルムワークスを設立。同社のオフィシャルサイトにはムーロの手がけてきたCM作品がアップされており、代表的なものをいくつか観ることができる。どの作品もゆるやかな前後のカメラ移動が特徴をなし、観る者を惹きつけていく。これらを見ると改めて、『帝国の進撃』の映像スタイルは、氏の演出的な法則に従ったものだとわかるだろう。 映画監督としてはデニス・クエイド主演によるファミリーコメディ『賢く生きる恋のレシピ』(08/日本未公開)で初の商業長編作品を手がけるが、日本でその名が意識されたのは『ザ・リング2』の監督に抜擢されたというニュースからだろう。日本由来のコンテンツに関わるということもあり、ムーロの手腕に大きな期待が寄せられたが、この企画は残念ながら途中降板となってしまった。 そんなおり、スーパーマン神話の再構築『マン・オブ・スティール』(13)の監督を依頼されたスナイダーに代わり、彼は『帝国の進撃』を手がけることとなったのだ。CMディレクター出身としてスナイダーと同じ血を体内に通わせ、同種の才能を共有するムーロだが、彼は確立された作品スタイルを、単に右から左へと流すような引き継ぎはしていない。戦闘場面などショットの精度はスナイダーよりも格段に磨き上げられ、よりスタイリッシュになっているし(残酷さも増したが)、前述したように平面世界から前後空間へとカメラモーションに奥行きが加わり、絵画的だった『300』ワールドに生々しいリアリティがもたらされたのだ。 だがなにより、こうした難しい続編に挑む姿勢そのものが、自由のために戦いを選んだ『300』という作品のテーマを体現しているかのようである。ムーロは本作の後、オリジナル配信コンテンツのリミテッドシリーズとして昨年『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち』(18)のCGアニメドラマを監督。原作のみならず、2Dアニメの古典として知られている同作にCGで挑むチャレンジャーぶりを示すも、劇場用映画の領域からは久しく遠のいている。創造において発表媒体に優劣などないが、できることならば再び大きなスクリーンで、彼の描き出すヴィジョンを堪能したいものだ。■ 参考文献・資料・ASC“American Cinematographer”APRIL 2007 ・『300 〈スリーハンドレッド〉~帝国の進撃~』劇場用パンフレット(松竹事業部) ・300 – RISE OF AN EMPIRE: CHARLEY HENLEY (VFX SUPERVISOR) WITH SHELDON STOPSACK AND ADAM DAVIS (CG SUPERVISORS) – MPC
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COLUMN/コラム2019.08.30
ドラゴン・クリーチャー映画の技術史『ドラゴンハート』
■フルスケールモデルが主流だったドラゴンの創造 本稿では1996年にロブ・コーエン監督が手がけたファンタジー映画『ドラゴンハート』にちなみ、西洋を代表する空想の怪物「ドラゴン」が実写作品の中でどのように可視化されてきたのかを振り返り、その技術的手法と本作とを文脈づけていく。 映画におけるドラゴンの初登場は諸説あるが、代表的なものとして名匠フリッツ・ラングが手がけた独サイレント映画『ニーベルンゲン』(24)が挙げられるだろう。北欧神話とゲルマン民族説話をブレンドさせ、二部構成で映画化した本作において、英雄ジークフリートとドラゴンとの戦いが描写されている。その表現はフルスケールの着ぐるみに複数の役者が入り、可動部を内部で操作していくスタイルだが、ドイツの一大製作会社ウーファの当時の資本力を象徴する、大がかりでスペクタキュラーな画作りには誰もが瞠目させられるだろう。またロシアの英雄イリア・ムウロメツの活躍を描いた同国作品『豪勇イリヤ 巨竜と魔王征服』(56)に出てくる三つ首のドラゴンもフルスケールモデルで作られ、火炎放射器で火を吐くギミックが仕込まれている。他にもB級モンスター映画を量産したバート・I・ゴードンの『魔法の剣』(61)にもフルスケールのドラゴンが登場。あまり満足とはいえない動きを見せるが、本作のドラゴンも大型クリーチャーならではの醍醐味を堪能させてくれる。 こうしたフルスケールモデルはドラゴン描写の常道であるかのように受け継がれ、『未来世紀ブラジル』(85)『12モンキーズ』(96)の鬼才テリー・ギリアムが監督した中世コメディ『ジャバーウォッキー』(77)のドラゴンや、ミヒャエル・エンデ原作の児童ファンタジー『ネバーエンディング・ストーリー』(84)の白毛におおわれたファルコンなど、80年代初頭くらいまで比較的多く見ることができた。その後こうしたフルスケール効果は、体の一部をメカニカルパペットとして造形するなどパーツ的な活用へと縮小され、徐々に主流を外れていく。 またフルスケールモデルと並行してドラゴン描写を支えたのが、人形を一コマずつ動かして撮影するストップモーション・アニメーションである。同手法の第一人者であるレイ・ハリーハウゼンが手がけた『シンバッド七回目の航海』(58)に登場する無翼のドラゴンや、3台のカメラで撮影した映像を三面スクリーンに投影する「シネラマ」方式の劇映画『不思議な世界の物語』(62)においても、特撮の神様と謳われたジョージ・パル製作・監督のもと、ジム・ダンフォースら優れたモデルアニメーション作家たちが個性的なドラゴンをクリエイトしている。 ストップモーション・アニメーションはフルスケールでは難しい飛行描写や四足歩行の人間型でない動きを表現できるなど、この手法ならではの利点もある。しかし生物的リアリティという観点からは、どちらもやや画竜点睛を欠く印象は否めなかった。だが1981年、このストップモーション・アニメの手法を拡張させ、ドラゴンの描写に革命をおよぼす作品が登場する。それが『ドラゴンスレイヤー』である。 生贄の悪習を終わらせるべく、魔法使いとその弟子がドラゴン討伐をするこの映画には、生物学的な法則にのっとったリアルな動きのドラゴン「ヴァーミスラックス」が登場する。可動のミニチュアモデルを使用するところまでは従来どおりだが、モデルにロッド(支持棒)を取り付け、コマ撮りではなくモーション・コントロール・システムで動かすことで、モーションブラー(動きのぶれ)を発現させて動きを自然にしているのである。ストップモーション特有のカクカクした視覚現象を取り払ったその技法は「ゴーモーション」と名付けられ、架空の怪物に恐ろしいまでの現実感を付与させたのである。 本作以降、ドラゴンの基本的な容姿や動きの法則は、本作のヴァーミスラックスに準じたものと言っても大げさではない。例えばピーター・ジャクソン監督が手がけた『ホビット』三部作(12〜14)において、原作では細身の四つ足だった巨竜スマウグが二足型に改変されたのも、また最近の例として『ゴジラ/キング・オブ・モンスターズ』(19)に登場するキングギドラのクロールスタイルの動きも、全てが『ドラゴンスレイヤー』にその影響を感じることができる。 ■映画初となるCGドラゴンの登場 『ドラゴンハート』に登場するドラゴン「ドレイコ」は、そんな『ドラゴンスレイヤー』のクリエイターたちが生み出したドラゴンの進化系だ。先の『ドラゴンスレイヤー』でヴァーミスラックスの原型制作を担当したモデルアニメーターのフィル・ティペットがプロジェクトへと招かれ、よりリアリティを突き詰めるべく制作に乗り出したのである。 なによりドレイコは、CGによって創造された初のドラゴンとして特筆に値する。恐竜映画『ジュラシック・パーク』(93)が無機的な表現にとどまっていったCGアニメーションを生物表現へと発展させ、約6分間におよぶデジタル恐竜のショット群を作り出した。しかし『ドラゴンハート』はその4倍となる182ショット、約23分間に及ぶ登場場面を生み出し、しかもその製作費用だけで2200万ドルが費やされ、その額はドレイコの声を担当したショーン・コネリーの出演料をも凌駕する。 この『ドラゴンハート』の誕生によって、映画に登場するドラゴン映画は技術的な死角を克服し、神話的なモンスターがリアリティを伴って観客の眼前に迫るのを難しいものとはしなくなった。そして本作以降、ドラゴン・クリーチャー映画はその製作本数を大幅に増やすこととなる。しかもただ出てくるだけでなく、劇中における役割にも変化をもたらし、今となってはドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』(11〜19)のような、作品テーマの根幹に関わってくるような扱いにまで発展しているのだ。 ■技術の劣化を感じさせない物語 とはいえ、今の成熟したデジタル技術に目慣れた視点から見れば、ドレイコはテクスチャー(質感)の甘さや カメラムーブにマッチしきれていない合成処理におぼつかなさを覚えるだろう。全体的なルックは実写とアニメーションの中点に留まっており、現実にそこに存在するというリアリティはまだ完全には追いきれていない。 しかし『ドラゴンハート』は、CGキャラクターの生成に飛躍的な成果をもたらした作品として、ドラゴンという枠のみならず映画の歴史にそのタイトルを刻んでいる。技術の画期性は経年とともに薄れてきているが、それを1990年代に創り出すのは容易なことでなかったし、現在の観点や価値基準に照らし合わせて当時の技術や演出スタイルを批判するのはフェアではない。このコラムの冒頭で詳述した『ニーベルンゲン』のように、ベーシックではあるが表現の歩み出しとして圧倒的なインパクトを放っている。 なにより本作は、こうした経年とは関係なく、観る者を魅了するドラマがある。人間の王子を蘇らせるために、自らの心臓(ドラゴンハート)を与えたドレイコ。だが彼の心を共有した王子は残酷な暴君へと変貌し、ドレイコは人間への不信をつのらせていく。映画は彼がデニス・クエイド演じるドラゴンスレイヤーとの接触を経て、人間との関係を修復させ、そして未来に希望を託すのである。ドラゴンが人語を解し、会話するというユニークな設定。そしてその設定を活かしたドラマの妙。誰もその魅力を否定することはできない。 ちなみに監督のロブ・コーエンと、筆者は『ステルス』(05)の取材で会っている。そのとき彼に自分が『ドラゴンハート』のファンだと伝えると、 「あの映画のドレイコの飛翔シーンや、彼が吐く火球がもたらす爆発効果は、本作や『デイライト』そして『トリプルX』などに活かされている。なによりも自分がVFXを多用する作品のきっかけとなった映画だから、とても嬉しいよ」 と、取材時間がつきそうになるとメールアドレスを筆者に渡し「聞き足りないことがあればメールくれ」とまで言ってフォローしてくれた。そんな監督の思慮深さが、この作品を観ると併せて思い出されるのだ。■
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COLUMN/コラム2019.10.21
現場目撃のないテロ行為の再現『ユナイテッド93』
■最初の9.11アメリカ同時多発テロ映画 2006年に製作された『ユナイテッド93』は、アルカイダのテロリストによって機体を占拠された「ユナイテッド航空93便ハイジャック事件」を、ドキュメンタリー仕立てのドラマにした作品だ。2001年9月11日、この旅客機を含む4機のうち2機がニューヨークの世界貿易センタービルに、そして1機がペンタゴン(アメリカ合衆国国防総省)へと同時に撃墜した、いわゆる「9.11アメリカ同時多発テロ」を劇映画へとアダプトした最初のハリウッド作品である。ユナイテッド航空93便(以下:UA93便)もワシントンD.C.のアメリカ合衆国議会議事堂への突入がテロリストによって策動していたが、乗客たちの我が身を犠牲にした抵抗が、彼らの目的を未遂に終わらせたといわれている。 物語はUA93便のニューアーク・リバティー国際空港からの離陸を起点に、当日の旅客機内での出来事と、テロ攻撃を追うさまざまな連邦や州機関など複数の視点を交え、ことの推移をリアルタイムで克明に描写していく。そのような作品の性質上、目撃者全員が亡くなった機内の様子など、想定に頼らざるをえない部分もある。しかし乗客たちによる勇気ある決断と行動を、遺族や関係者への取材、そして膨大な資料収集と可能な限りのリサーチを尽くし、迫真的な演出によって明らかにしていく。加えてリアリティを徹底させるために、乗客はスター性を排した俳優によって演じられ、また客室乗務員やパイロット、その他の航空会社のキャストは、実際の航空会社の従業員が集められた。 だが映画はテロを未然に防いだことへの称賛に比重を置くのではなく、あくまでテロ攻撃という未曽有の事態に対し、それぞれの立場の者がそれぞれの役割を果たし、ひたすら回答を出していく姿が捉えられている。現実には政府機関の官僚的な手続きが事態を混乱に陥れるなどネガティブな要素も見られたが、劇中の演出はそれを強く批判したりすることはなく、監督であるポール・グリーングラスは、あくまでもフラットな演出に徹している。 ■アクション映画に革命を起こしたグリーングラス監督の実録スタイル そう、こうした困難な演出へのアクセスが可能となったのは、本作の監督であるポール・グリーングラスの力量によるところが大きい。 記憶をなくしたエージェント、ジェイソン・ボーンを主人公としたマット・デイモン主演のスパイスリラー『ボーン』シリーズのうち3作(『ボーン・スプレマシー』(04)『ボーン・アルティメイタム』(07)『ジェイソン・ボーン』(16))を手がけ、ダイナミックなハンドヘルト(手持ち)のカメラワークやショットを細かく構成した高速編集など、ハリウッド・アクションのシークエンスをより機動性の高いものにしたグリーングラス。そんな彼の特徴的なスタイルは本作においてもいかんなく発揮され、観る者を混乱の渦中に置き、そして息をのませるような没入感を生み出している。 もともとグリーングラスはテレビディレクターをキャリアの出発点としており、アクティブな手持ちカメラによる没入型のテクニックは、英グラナダテレビが制作し、ITVネットワークが長年放送してきたドキュメンタリープログラム「World in Action」(1963~98)のディレクター時代に培われてきたものだ。 ◇ポール・グリーングラス自身が「world in action」に言及したグラナダテレビのドキュメンタリー“Granada: From the North” そんな彼のスタイルが広く評価されたのは、1999年に自身が手がけたドラマ『The Murder of Stephen Lawrence(ステファン・ローレンスの殺人)』(原題)を起点とする。ロンドン南部のエルサムで、18歳の学生が白人青年の一団に殺害された事件を描いた本作は、グリーングラスがドキュメンタリーで実践してきた映像スタイルを本格的に投入。人種差別を起因とするこの事件の核心に迫り、BAFTA(英国映画テレビ芸術アカデミー)が主催する英国アカデミー賞テレビ部門で単発ドラマ賞を得たのである。 そしてグリーングラスはこのスタイルを、1972年の北アイルランドのロンドンデリーでデモをしていた抗議者たちが、イギリス軍によって射殺された事件を描いた『ブラディ・サンデー』(02)に適応。『ユナイテッド93』に通底する実録的な再現スタイルの鋳型を作ったのである。その記録映像を思わせるような高い完成度によって、本作は劇場公開へと拡大され、第52回ベルリン国際映画祭で金熊賞を獲得したのだ。 この『ブラディ・サンデー』を劇場で観た映画製作者のフランク・マーシャルは、グリーングラスの米商業映画の世界へとスカウトし、そして彼は『ボーン・スプレマシー』でハリウッド進出をはたすことになる。 ■『ユナイテッド93』を成立へと誘導した『アルジェの戦い』 グリーングラスのこうしたアプローチを下支えするものとして、『ユナイテッド93』にはもうひとつ、その存在に影響を与えた作品がある。それは1966年に製作された、イタリアとアルジェリアの合作映画『アルジェの戦い』だ。 同作は第二次世界大戦後に起こったアルジェリア戦争(1954~62)を主題にしたもので、アルジェリアが独立を勝ち取るまでの歴史を描いた政治的傑作のひとつだ。特に1957年に同国の首都でおこなわれたタイトルの「アルジェの戦い」(フランス軍が国民解放戦線(FIN)の抵抗を打ち砕こうとした紛争)に焦点が定められており、その映像演出はニュースリールのようなドキュメンタリー形式を装い、リアリティを徹底させたものになっている。また俳優もプロではなく素人を中心に起用し、両軍に公正な審理を与えるフラットな語り口など、これら要素を『ユナイテッド93』と共有しているといっていい。 ◇“The Battle of Algiers' trailer” グリーングラス自身『アルジェの戦い』に関しての言及は少なくない。代表的なものとしてはBFI(British Film Institute=英国映画協会)がおこなった「映画人の選ぶ映画ベスト10」において、選者の一人として同作を筆頭に挙げているし、また同作のBlu-rayに収録されたインタビューにおいて、この『アルジェの戦い』に対して以下のように所感をあらわしている。 「情報の伝達力が格段に飛躍し、世界情勢への理解が充分に及んだ現代においても、『アルジェの戦い』が放つ力は素晴らしい。そこには真実を超えた映像の説得力がある」 『ユナイテッド93』には、こうしてグリーングラスの瞠目した『アルジェの戦い』の創造性が細かく反映されている。そのため映画のクライマックスとなる乗客たちのテロリストへの反撃シーンは正視に耐えないほどの現場体験を観る者に強い、暴力描写への取り組み方は尋常ではない。たとえば同作の予告編が劇場で流れたさいも、席を立つ観客が後を絶たなかったという。グリーングラス自身はあくまでも遺族感情を考慮し、テロ事件から5年という経過が発表時期として妥当なのかどうかを懸念しながら、暴力の現場をどのように描くべきかに深い迷いを抱えていたという。しかし遺族から「あなたの感じたままに描いてくれればいい。どんなに描いてもわたしたちの想像を超えることはないのだ」という助言を受け、腹を決めたのだとしている。 もっとも、この『アルジェの戦い』とて、ロベルト・ロッセリーニ監督の『無防備都市』(45)に代表されるネオ・リアリズム映画(社会的テーマと写実的な演出を特徴とする作品動向)の系譜に連なるもので、その実録調のスタイルには、先んじて存在するひとつの潮流がある。くしくもグリーングラスがBFIのベスト10で同時に選出したイタリアの『自転車泥棒』(48 監督/ヴィットリオ・デ・シーカ)なども、このネオ・リアリズム映画の流れに身を置く作品だ。こうした映画史からの連続性、ならびに相互的な関連においても『ユナイテッド93』の位置付けを求めることもできる。 なによりグリーングラス自身、ラディカルといわれた自分のスタイルも非常に古典的なものであり、それは先述した「World in Action」に代表されるような、社会的リアリズムに肉薄した英国ドキュメンタリーの伝統のうえにあるという自覚を抱いている。そのため他のハリウッドの監督が彼のスタイルに追随したとき、その影響力の大きさに驚いたのは他ならぬ彼自身だったという。 ただ「こうであっただろう」というひとつの仮定のもと、現場目撃のないテロ行為の阻止をここまで描ききったことに、本作『ユナイテッド93』は固有の価値と意義を有している。グリーングラスはその後も、ソマリアの海賊が米国船籍の貨物船マースク・アラバマ号をハイジャックした『キャプテン・フィリップス』(13)や、2011年にノルウェーの首都ウトヤ島で起こった銃撃爆破テロを描いた『7月22日』(18)など、娯楽アクションと並行し、この実録的な検証路線を追求している。それらの嚆矢として、この『ユナイテッド93』は存在するのだ。■ 『ユナイテッド93』© 2006 Universal Studios. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2020.01.01
—ジャンル融合による新ヴァンパイア映画の誕生— 『ニア・ダーク/月夜の出来事』
■RVカーで放浪する現代の吸血鬼 アリゾナ州フェニックスにある町で、美しい女性・メイと出会ったカウボーイのケイレブ・コルトンは、自分が恐ろしい運命に巻き込まれるとは思いもよらなかった。彼はキスを要求してきたメイに首を咬まれ、そして明けの陽光に当たると、いきなり体が燃え始めたのだ。 そんなケイレブを、とつぜん猛進してきたRVカーが引きずりこむ。中にはメイと行動を共にする、強面のリーダーであるジェシーと男勝りなダイヤモンドバック、そして気性の荒いセヴェレンと、大人びた少年ホーマーがいた。彼らは全員が生きるために人間の生き血を必要とする、ヴァンパイアの一団だったのだ——。 イラク戦争における爆弾処理兵の苦悩を描いた『ハート・ロッカー』(08)で、女性初となる米アカデミー賞監督賞を手中にした監督キャサリン・ビグロー。受賞後の発表作『ゼロ・ダーク・サーティ』(12)では、オサマ・ビンラディン暗殺計画の全容に迫り、また直近の作品となる『デトロイト』(17)においては、1967年にミシガン州デトロイトで発生した米史上最大の暴動と、その拡大の中で起こった白人警官による黒人の虐待殺人「アルジェ・モーテル事件」を克明に再現。観る者を人種差別の凄惨な現場へと導いている。 このように、今や社会派の巨匠となった感のあるビグローだが、キャリア初期はファンタジックな秀作を意欲的に手がけ、近年からは想像もつかないような作品展開でコアなファンを獲得している。1987年製作の『ニア・ダーク/月夜の出来事』は、そんな彼女の単独監督としての第1作目にあたる。 ジェシー率いるヴァンパイアたちはナイフと銃を武器に、廃屋やモーテルを転々とし、窓を黒く塗ったRVカーで移動する放浪者のような存在だ。ケイレブはそんな彼らの餌食になるも、メイは彼をヴァンパイア化させ、自分の血を与えて生かそうとする。いっぽうケイレブを目前でさらわれた父ロイと妹のサラは、かけがえのない身内を必死の思いで見つけ出そうとする。ケイレブはそんな父との再会を果たすとき、家族とメイとの間で絆の選択を迫られていく。 やがてフッカーたちはそんなロイや警察を相手に銃撃戦を交わし、バンガローの壁には銃弾が突き刺さり、陽光がレーザー照射のように部屋の中を切り裂いていく。そんなホラー映画史上最も特異な“吸血鬼ウエスタン”ともいうべきこの物語は、ホラーと西部劇、そしてアクションの融合作として、ビグローのスタイリッシュかつキネティックな映画制作を証明するものとなった。加えてブルーを基調とするクールな色の演出や逆光の効果的な使用など、後の作品に見られるビジュアルスタイルは、この『ニア・ダーク』によって完成されている。 ■女性監督キャスリン・ビグローの台頭 商業監督として一本立ちしたいと切望していたビグローは、『ヒッチャー』(86)の脚本家・エリック・レッドと共同して書いていた2本のスクリプトのうち『ニア・ダーク』を映画会社に送り、興味を示したプロデューサーのエドワード・S・フェルドマン(『エクスプロラーズ』(86)『ゴールデン・チャイルド』(87))と会う。ビグローが提示した映画化の条件は、「自分を監督させること」で、フェルドマンは「わたしがダメ出しすれば、途中交代もある」ことを引き換えに条件を受け入れるが、彼女の熱心な仕事ぶりと緻密な演出力に舌を巻き、完成を彼女に委ねることとなった。 こうしたジャンルの混合は当時の映画界の潮流としてあり、正統な吸血鬼ジャンルでは企画がとおりにくいという事情が横たわっている。そのため本作において「ヴァンパイア』や「吸血鬼」といった呼称は用いられず、また吸血鬼の映画に常在していたゴシック様式は取り払われ、十字架や聖水などのアイコンはこの映画には登場していない。 しかしビグローはそれらを取り除いたにもかかわらず、血が絆を結びつけるものとして「家族」を象徴的に描き、多くの点で意図的な家族への献身に形を変えて捉えている。筆者はビグローが2002年に発表した潜水艦映画『K-19』(02)のプロモーションで彼女と出会う機会に恵まれたが、同作のカメラワークが『U・ボート』(81)に似た動きをしていることを指摘すると、「この作品を(ウォルフガング・)ペーターゼンのマスターピースと比較してくれるなんて光栄なこと。でもわたしは潜水艦映画を撮ったという意識はないの。『K-19』は、男は難しい局面でどういう選択をし、どういう生きざまを見せるべきか。それを問う作品として捉えてほしい」 と、あくまでテーマ尊重の姿勢を目の当たりにしたことが思い出される。そしてこの家族に対するテーマへの 象徴的なハッピーエンドを迎えるに大きな作用をなすのである。 『ニア・ダーク』は製作元であるラウレンティス・エンタテインメント・グループ (De Laurentiis Entertainment Group) が倒産してしまったため、宣伝展開が思うようにいかず、ビグローは単独監督デビューを華々しいヒットで飾ることはできなかった。しかし評論家や観客の評価は高く、今でも本作を彼女の最高傑作と讃える者は少なくない。 ■『エイリアン2』との関係性 ビグローのホラージャンルを借りた深いテーマへの追求は、巧妙なキャスティングの試みによっても支えられている。 本作にはヴァンパイア役の主要キャストに、ランス・ヘンリクセンやジャネット・ゴールドステイン、そしてビル・パクストンといった『エイリアン2』(86)に出演した俳優が顔を揃えている。当時、ヘンリクセンとパクストンは役作りのためにブートキャンプを組んだジェームズ・キャメロン監督のアプローチを通じ、チームのような関係になっていた。これが映画にいい影響を与えるのではとビグローはもくろみ、ユニークなヴァンパイア一味のキャラクターを彼らで作り上げたのだ。 そのため前述のキャスティングに関し「ビグロー監督は、キャメロンから具体的な示唆が与えられたのでは?」という噂も飛び交ったという。 しかし実際のところ、パクストンらが自主的に『ニア・ダーク』の脚本を読んで出演を希望。それが『エイリアン2』チームの再結集だと気づいたビグローが急きょキャメロンに連絡をとり、承諾を得たのが事の次第である。ビグローが実際にキャメロンと会ったのは、新人女警官とサイコキラーとの壮絶な闘いを描いた『ブルー・スチール』(90)の製作中で、主演のジェイミー・リー・カーティスと次回作『トゥルー・ライズ』(94)について話し合うため、キャメロン自身がその現場を訪れたときだ。そのとき二人は互いの創作意識や、緻密なビジュアルスケッチを自分で描く共通点に意気投合。急速に仲を深め、同作の完成後に結婚することとなる(1991年に離婚)。 そんな彼らの関係を示し、『ニア・ダーク』を補足する映像資料が、ビル・パクストンがボーカルを務めるニューウェイブバンド「マティーニ・ランチ」のプロモーションビデオ"Reach"(88)だ。 売春宿の女を訪ね、荒れた小さな西部の町にやってきたバイカーが、女性ばかりの賞金稼ぎに命を狙われるこのPV。監督したのはジェームズ・キャメロンで、本作は『ニア・ダーク』とほぼ同時期に制作されている。そうした経緯もあって、劇中、女ガンマンの一人として出演しているのがキャスリン・ビグローだ。他にもランス・ヘンリクセンやジャネット・ゴールドステインが顔を出しており、また『ニア・ダーク』に見られるウエスタンの様式はパクストンの進言が大きく作用したとされているが、これを見れば明らかだろう。『ニア・ダーク』を観た後に参照していただきたい。■ 『ニア・ダーク/月夜の出来事』© 1987 Near Dark Joint Venture
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COLUMN/コラム2020.02.01
—絶対悪を原子理論で立証する— 『パラダイム』
■暗黒の王子が“神に反するもの”を召喚する終末ホラー ルーミス司祭(ドナルド・プレザンス)は、ハワード・バイラック教授(ビクター・ウォン)と大学院生のグループに、廃墟となった聖ゴダード教会の地下にある謎の円柱の調査を依頼する。円柱の内側には緑色の液体が渦を巻き、それは日が経つにつれ、内部で拡がる活発的な動きを見せていた。しかも分析と同時に院生たちは、就寝中に悪夢に取り憑かれ、加えて教会の外ではホームレスの群衆が増大し、得体の知れない誘引力によって組織化していく——。 ジョン・カーペンター監督が1987年に発表した『パラダイム』は、同時代のロサンゼルスを舞台にしたバッドテイストな終末ホラーだ。監督のキャリア的には未知の地球外生命体による地球侵略を描いた『遊星からの物体X』(88)を嚆矢とし、クトゥルフ神話をベースとした怪異譚『マウス・オブ・マッドネス』(94)へと続く「黙示録3部作」の中間作品として、カルトな支持を得ている重要作である。 円柱の近くで見つかった古文書の解読を経て、ルーミスたちはその緑色の液体が“神に反するもの”の息子=暗黒の王子(原題の“Prince of Darkness”)であり、何千年もの間、教会によって封じ込められていた存在であることを明らかにする。いっぽうでその息子は鏡を通じ、父たる邪悪な反神(アンチ・ゴッド)を現実の世界に召喚しようとたくらみ、院生たちは一人ずつ、行動を支配されていくのだ。 本作ではイエス・キリストは実は地球外に存在し、反神について人類に警告するためにやってきたと解釈がなされている。だがイエスは十字架にかけられ、彼の弟子たちがその存在を円柱に封じ込め、キリスト教の教義にはその真実が隠されている……。そんな飛躍した宗教観もまた、本作を構成する興味深い要素といえるだろう。 しかし無神論者であるカーペンター自身は信仰に大きな関心を示しているわけではなく、映画の起草は、当時彼が物理学と原子理論を研究していたときに生まれのだと監督は語っている。 「ある種の究極の悪を生み出し、そこに宗教の考えを取り入れ、それらを物質や反物質の概念と組み合わせるのは興味深いことだと思ったんだ」 カーペンターは原子を構成する陽子や中性子、電子などそれぞれの素粒子に、性質を反させた「反粒子」があることを本作のアイディアの基幹としている。劇中における、神に対しての「反神」という設定がその最たるものだ。 脚本でクレジットされているマーティン・クォーターマスはカーペンター自身のペンネームで、これはイギリスの脚本家であるナイジェル・ニールと、彼が生み出した架空のキャラクター「バーナード・クォーターマス博士」に由来するものだ。ストーリーもニールの創作に関する要素を盛り込んでおり、『パラダイム』のプロットラインは、1967年の“Quatermass and the Pit”と非常に似ている。同作ではロンドン地下鉄の工事中、地中に埋もれていた宇宙カプセルが発掘され、それは人類が悪魔として認識する、火星の邪悪な存在だったというもの。それがひいては我々の起源に関する疑問を検証していく点で、『パラダイム』の良質なオマージュといえる。 マーティン・クォーターマスに関してカーペンターはあくまで他人であることを徹底しており、『パラダイム』Blu-rayソフトのオーディオコメンタリーの中で「個人的に親しい友人だが、アルコール中毒で業界を去ったと聞いたよ」とうそぶいている。しかし『パラダイム』の脚本へと発展するこの知見に満ちたアイディアは、20世紀フォックスで手がけたアクション大作『ゴーストハンターズ』(86)の興行的失敗によってハリウッドから締め出しをくらったカーペンターの創作意欲を活性化させ、インデペンデントを主戦場とするアライブ・ピクチャーズとの自由なクリエイティブ・コントロール権の締結を経て実現するものとなった。 このように『パラダイム』は純粋な悪の存在を理詰めで解釈すると同時に「我々の森羅万象についての理解は、じつはこの世界のほんの外殻にすぎないのでは?」ということを、先人へのオマージュを含め想像力豊かに示唆している。加えて秩序に対する我々の信念は、原子レベルで解読すれば簡単に崩壊することを言及してもいる。 しかし公開時の米ニューヨークタイムズ紙のレビューにおいて本作は「セリフに科学的な参考文献を詰め込みすぎ、映画は最終的な驚きに対して禁欲的だ」と評され、またワシントンポスト紙では「カーペンターは宗教の恐ろしさや悪の根源について何かを言っていると思っているのかもしれないが、結局は安っぽいスリルを求めているだけだ」となかなかに手厳しいレビューが載った。しかし後者の締めくくりはこうだ。 「だが彼がそれを提供しているからといって、映画が安いものになるわけではない」 この結びどおり、映画の前半は総毛がざわざわと逆立つほどに面白い。自然界が世界の混乱にいち早く反応するかのように、虫の群れが触媒となって不吉な展開を盛り上げる。と同時にゾンビのようなホームレスが教会の外に集まり、そして円柱の分析と古文書の解読によって夢の意味が明らかになるにつれ、いやがうえにも映画の緊張感は高まっていく。そして円柱の封印が破られ、多くの院生たちが闇に陥り、残された院生たちは教会から脱出する方法を模索し、悪夢が明らかにした世界救済の戦いを制しなければならないのである。 なによりこうしたフォーマットはカーペンター映画の典型的な「包囲下にあるグループの戦い」で、『ジョン・カーペンターの要塞警察』(76)や『遊星からの物体X』などの秀作に通底し、最も氏が得意とするものだ。すなわち本作をもって、カーペンター映画の極上の味を堪能できるだろう。 ■低予算をカバーするための効率化体制 『パラダイム』はわずか48日の撮影期間を経て完成へとこぎつけた。製作費は300万ドルと低予算だったため、とにかくカーペンターは効率化とインパクトを重んじ、気心の知れたキャストやスタッフを起用。自身の母校である南カリフォルニア大学をロケ地に用いたりと、映画学科の学生だった頃の気鋭的な回帰も兼ねている。またビクター・ウォン、デニス・ダンといった『ゴーストハンターズ』で起用した俳優を引き継いでオファーし、またドナルド・プレザンス(『ハロウィン』(78)『ニューヨーク1997』(81))など、かつて一緒に働いていた俳優を自作に呼び戻す形となった。 異色のキャストとして浮浪者のリーダー役にロックミュージシャンのアリス・クーパーが扮しているが、本作のエグゼクティブ・プロデューサーを務めたシェップ・ゴードンが彼のマネジャーで、当初は映画の音楽を担当するようクーパーに提案している。しかしカーペンターはクーパーのアーティストとしてのカリスマ性や人柄に惹かれ、彼を役者として起用。クーパーは自身のライブで用いていた「突き刺し装置」を映画に貸与し、それを彼が院生のエッチンソン(トム・ブレイ)を殺すシーンにおいて使用するなど、本編において多大な貢献をはたしている。 ■『パラダイム』のホームレス・ゾンビ役と突き刺し場面について語るアリス・クーパー 結果的に音楽は1983年の『クリスティーン』以降、カーペンターと数多くのスコアに共同で取り組んだアラン・ハワースが担当。エレクトリック・メロディ・スタジオ収録でこのスコアに臨んでいる。同スタジオは当時としては高度なMIDIシーケンシングと自動ミキシング機能を備えたマルチトラック・レコーディングを可能とし、カーペンターの独創的な音楽スタイルをサポートするのにうってつけだった。いつものカーペンター&ハワーズ節に加え、女性合唱のデジタルサンプルをサウンドパレットに追加したテーマ曲のインパクトは、この映画の存在とともに忘れがたいものとなっている。 そう、開巻から誰の耳にも聞こえるはずだ、暗黒の王子の胎動が……。■ 『パラダイム』© 1987 STUDIOCANAL