ザ・シネマ なかざわひでゆき
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COLUMN/コラム2016.04.16
男たちのシネマ愛⑥愛すべき、クレイグ・ボンド。そして、愛すべき洋画の未来。(4)
飯森:さて、ここからはざっくばらんにと申しますか、最終回ですので洋画チャンネルに今後要望することなどを忌憚なく提言としてお聞かせいただければ。もしかすると、あれは出来ない、これも出来ないという話になっちゃうかもしれませんが(笑)。 なかざわ:逆に、今の一般視聴者が洋画チャンネルに求めているものって何でしょうかね? 僕なんか完全にマニアなので少数意見にしかならないと思うんですが。 飯森:よく視聴率って問題になりますよね。恐らく、多くの方が視聴率というものに対してあまり良いイメージを持っていないと思うんですけど。どんなにいい映画を放送しても、視聴率が低いということは見られていないということであり、求められていないということを意味します。逆に、視聴率が取れているというのはニーズが満たされている証拠ですよね。だから、視聴率狙いというのは決して悪いことではない。ただ、視聴率を取れる映画というとほぼ決まっていて、うちの場合ですとアクション映画だけなんですよ。せいぜい遡って’70年代くらいまでの。圧倒的に数字を持っているのはジェイソン・ステイサム(注79)とスティーブン・セガール(注80)の二強。あとはスタローンとかシュワルツェネッガーですね。そういうものさえ放送していれば視聴率は取れてしまいます。チャンネルの収入は視聴率にかかっている部分もかなり大きいので、収益を上げようとするとそういう映画は欠かせない。でも同時に、本当にそれが視聴者が求めているものなの?満足してもらえてるのか?という疑問も頭をもたげてくるわけです。 なかざわ:もっと潜在的なポテンシャルのあるターゲット層もいるかもしれませんよ? 飯森:僕もステイサムはヘアスタイルを真似るぐらいリスペクトしてますから(笑)、ステイサム映画やセガール映画を低級とか低俗とか思う気持ちは微塵もない。むしろ、そういうことを言っては娯楽映画を見下す映画ブルジョワたちには反感を覚えるぐらいで、いつか革命起こして打倒してやるぞと思っている闘争的映画プロレタリアなんですが(笑)、それでもステイサム映画などの視聴率が取れる映画イコールみんなが本当に愛している映画、というわけではないんじゃないの!?とも疑っているんです。おそらく、ステイサムは“安心感”じゃないですかね。美味い店を開拓するのは、不味いリスクもあるし何より億劫ですけど、いつも行くファミレス全国チェーンのメニューなら、どれ頼んでも大ハズレはないだろ、的な発想。 ザ・シネマ編成 飯森盛良「あなたのハートには、何が残りましたか? それではみなさん、また会いましょうね、サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。」 なかざわ:暇つぶしに丁度いいということもある。ザ・シネマさんだと中高年の男性視聴者が多いですよね? だいたい人間ってみんなそうだと思うんですが、年を取ってくると小難しい映画は見たくなくなるんですよ。ただでさえ日常や社会の煩わしさに追われて、仕事だなんだと1日疲れきって家に帰ってテレビをつけたとき、さらに疲れるような映画は御免被りたいと思ってしまう。 飯森:良いこと仰った!それこそが善良なる勤労映画プロレタリアートの心情です!僕も商売柄なかなか本音をカミングアウトしづらいんですが、ここだけの話「勘弁してくれよ…難解なアートフィルムなんて見たくねえよ!」というのが、公人としてでなく私人としての偽らざる本心です(笑)。それに比べたらステイサムは本当に一億倍好きですよ。そういうレベルの奴がやっているチャンネルなんだということで、逆に信頼していただきたい(笑)。 なかざわ:年をとるとそれこそステイサムやセガールのように、勧善懲悪でドンパチがあって、綺麗なオネエちゃんが出てきて、大して実のある中身ではないかもしれないけど、楽しく1時間半ないし2時間を過ごせました。あー面白かった!という映画を求めるようになっていきますよね。 飯森:高校・大学の頃は小難しい映画を見てめんどくさい議論を人に吹っ掛けるのがオシャレで知的でカッコイイと思っていましたし、映画ファンの端くれとして退屈でも我慢して勉強する義務があるとも思っていましたけど、今はとてもじゃないけどそんな余裕はない。あれは良くも悪くも“若さ”でしたね。今や僕はまごうかたなき中年のオッサンですから、ひたすらエンターテインメントを希求切望してやまない。しがない疲れたサラリーマンのこの俺のことを腹の底から楽しませてくれ!と。でも、エンターテインメントだからといって必ずしもステイサムである必要はないんじゃないかとも思ったりもします。様々な選択肢を用意していかねばとは思っています。 なかざわ:視聴率という分かりやすい数字だけを拠り所にして、偏ったジャンルの映画ばかりを提供していくと、どんどんと尻すぼみになっていくと思いますよ。結果的に自分で自分の首を絞めることになってしまう。チャンネルの将来的な展望を考えても、多種多様な選択肢を提示していくことは必要不可欠だと思います。 飯森:まさにそれが深夜帯に放送している「シネマ解放区」(注81)です。未ソフト化映画とか激レア映画とか、いろいろと提供することで尻すぼみを回避しようと努力していて、そこの枠で映画好きな方々とのコミュニケーションはちゃんと取れていると思うんですよ。「ザ・キープ」(注82)をやるといえば大喜びしてくれる人はいますし、野沢那智版「ゴッドファーザー」三部作(注83)も反響が大きかった。でも、そこまで映画が大好きで詳しいわけじゃない、という視聴者の方が、実は圧倒的多数なんです。コア層というのは文字どおりコアですからね、決してマスじゃない。そうしたマス層にザ・シネマを便利に使ってもらおうとすると、現状どうしてもステイサムやセガールだらけになっちゃう。こうした悩みは、どこのチャンネルも抱えていると思いますよ。実に難しい! なかざわ:まさにジレンマですね。理想としては、そういう方々にも幅広い選択肢を認知してもらえればいいんでしょうけど。 注79:1967年生まれ。イギリスの俳優。代表作は「トランスポーター」(’02)シリーズ、「アドレナリン」(’06)、「エクスペンダブルズ」(’10)シリーズなど。注80:1952年生まれ。アメリカの俳優。日本で武道を学んだ親日家としても知られる。代表作は「刑事ニコ/法の死角」(’88)、「沈黙の戦艦」(’92)、「暴走特急」(’95)など。主演作の多くに「沈黙の~」という邦題が付けられる。注81:激レアなお宝映画や懐かしの日本語吹き替え、エロティック映画などを放送するザ・シネマの平日深夜枠。注82:1983年制作。アメリカ映画。東欧の古城に幽閉された悪霊をナチス軍が解放してしまう。熱烈なファンの多い作品だが、現在はソフト化などされていない。完成版に不満を持つマイケル・マン監督の意向だとされる。注83:ニューヨークのマフィア、コルレオーネ・ファミリーの軌跡を描くフランシス・フォード・コッポラ監督作品。「ゴッドファーザー」(’72)、「ゴッドファーザー PARTⅡ」(’74)、「ゴッドファーザー PARTⅢ」(’90)の3本が作られた。声優の野沢那智がアル・パチーノの声を担当した日本語吹替えバージョンが人気。 次ページ >> かつてのように人々がハリウッド映画だからといって興味を持たないような状況になってしまっている。(飯森) 『007/カジノ・ロワイヤル(2006)』CASINO ROYALE (2006) © 2006 DANJAQ, LLC, UNITED ARTISTS CORPORATION AND COLUMBIA PICTURES INDUSTRIES, INC.. All Rights Reserved. 『007/慰めの報酬』QUANTUM OF SOLACE © 2008 DANJAQ, LLC, UNITED ARTISTS CORPORATION AND COLUMBIA PICTURES INDUSTRIES, INC.. All Rights Reserved. 『007/スカイフォール 』Skyfall © 2012 Danjaq, LLC, United Artists Corporation, Columbia Pictures Industries, Inc. Skyfall, 007 Gun Logo andrelated James Bond Trademarks © 1962-2013 Danjaq, LLC and United Artists Corporation. Skyfall, 007 and related James Bond Trademarks are trademarks of Danjaq, LLC. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2016.04.20
男たちのシネマ愛⑥愛すべき、クレイグ・ボンド。そして、愛すべき洋画の未来。(5)
飯森:それをどうやるのかですよ。洋画と邦画の興行収入が逆転し邦高洋低と言われるようになって久しい今の日本では、洋画でも「アナ雪」のようなとんでもないモンスター・ヒットがたまに出る一方で、その他大勢が埋もれてしまい、かつてのように人々がハリウッド映画だからといって興味を持たないような状況になってしまっている。その現状からひっくり返していかないと、安パイ的なアクション映画依存からの脱却、脱ステイサム、脱セガールはできないでしょう。新しいことや未知のこと、世界のことに興味関心を持ってもらえないとね。 なかざわ:でも、映画の影響力が薄れているのは日本だけの問題ではないですけれどね。アメリカでもそうですよ。ロサンゼルスの街を車で飛ばせば一目瞭然ですが、ビルボード(注84)の大半がテレビドラマです。映画の看板は一部のエンターテインメント超大作だけで、それ以外はショッピングモールの壁にポスターが貼ってあればいいくらいのもの。ハリウッドのお膝元がそんな状況ですからね。 飯森:僕は個人的にはアメリカの映画とドラマを無理に区別する意味はないという考えなので、どっちが流行っていてもいいとは思うんですけれど、どっちかは常に流行っていてほしい。だけどどっちも流行ってない。今の日本では外国映画だけじゃなくて海外ドラマもそれほど注目はされていませんよね? 昔のように、日本で普通に暮らしているだけでそのドラマを知っちゃってる、見ちゃってるというほど世間一般大衆に広くは受容されてはいない気がする。ネット配信で選択肢は飛躍的に増大したけど、作品数ばかり増えてブームが起きない。 なかざわ:確かに一昔前の「24-TWENTY FOUR-」(注85)や「LOST」(注86)ほどの勢いはないかもしれません。 飯森:そのどちらにも当時ハマりましたし、僕はさらに前の「ビバリーヒルズほにゃらら白書」(注87)世代で、キャラの設定年齢と同学年なので当時は周りも全員ハマっていた。その前が「ツイン・ピークス」(注88)でその前は「エアーウルフ」(注89)とか「Aチーム」(注90)とか「ナイトライダー」(注91)を毎週見てた。まさに海ドラで育ってきた世代です。僕より上の人だとそれこそ「0011ナポレオン・ソロ」(注92)とかでしょ?さらにその前の’50年代のテレビ黎明期には国産コンテンツ不足で供給が追いつかないんで海外ドラマが盛んに輸入されていた。戦後日本人はそれらを浴びるように見ることによって、自由主義陣営の価値観を他の西側諸国と共有している国民になることができた。さきほどの「キングスマン」なんか良い例で、異民族異人種に対して公然と差別発言をするようなレイシストは、映画の中では最低の悪役として扱われるんだよ、それは議論の余地もなく悪だからねと。それが先進国の常識ってもんでしょ? アメリカ人に聞いてもイギリス人に聞いても、フランス人でもドイツ人でも、少数の変な人はさておき大多数のマトモな人なら必ずそう答えるであろう、戦後民主主義社会のモラル、自由世界の常識、映画やドラマが描く正義というものを、海外コンテンツを通じて、我々の親も、我々自身も、子供の頃からエンタメを通じ学んできた。単一民族社会だと思い込んでいる国産コンテンツにはそういう観点のメッセージ性は薄い。それが今では、映画を見る人も海外ドラマを見る人もごく一部というような状況になっちゃって、どんどん国産ドメスティック寄りになっているけど、オイオイ大丈夫なのか!?とつい心配になっちゃうんですよね。 なかざわ:それを言ったら、アメリカ人こそドメスティックな映画やドラマしか見ないですけどね(笑)。 飯森:だからトランプさんが人気なのか!まぁそれは冗談として(笑)、アメリカは世界の中心ですからそれでもいいんですよ。多民族移民社会ですからバカ娯楽作であってもそういうメッセージ性は強い。ただ、東の果ての小国の島国に暮らす我々日本国民が、国際スタンダードみたいなものに興味を示す、それが常に気がかりで仕方ない、俺って周りから浮いてないかどうか心配だ、という、かつてのような多少コンプレックスの入り混じった心理状態って、むしろ健全なことだと僕は思うんですよね。“ほどよきコンプレックス”ってのは在ると思いますよ。 なかざわ:僕なんかはまさに外国の映画、外国の音楽、外国のドラマにどっぷりと浸かって影響を受けてきた人間ですけれど、その一方でこれは外へ行ってみて初めて分かることなんですが、これだけ外国文化を貪欲に吸収してきた国というのは世界的に見ても希なんですよ。 飯森:かつてはねえ。 なかざわ:そういう意味では、日本も普通の国になっちゃったという風には思いますね。 飯森:日本はそもそもが普通の国ではないので、意識的に貪欲に吸収するぐらいで丁度いいんです。まず島国で孤立している。それだけならイギリスもニュージーランドも条件は同じですが、単一民族社会というのは勘違いにせよ確かに異民族は少ないし、何より、言語的に他と似たところが全く無い極めて特異な“孤立言語”を国語にしていることが決定的に普通とは違う。フランス人は似てるイタリア語をある程度は解る、だから習得するのも簡単だ、北欧がみんな英語ペラペラなのもそういうこと、ピンクと赤とオレンジの差ぐらいしか違わないからね、みたいな親戚言語が、日本語には存在しない。話者は1億2500万人くらいしかいなくて、その人口すら今後どんどん少子化で減っていく。ほっといたら言葉の壁で外の考え方なんて入ってこない。それなのにアンテナを外向きに張らずに今後やっていけるの!?と。世界の常識なんて知るか、俺は俺独自のルールで動くんだ、悪いか!というのは、北朝鮮とかISとかと同じ考え方ですけど、あんまりそっち系にはなっていってほしくないんだよな…。もっとも、日本の市場がドメスティックなコンテンツばかりになったとしても、ハリウッド映画と比べても全く遜色がない。いやむしろハリウッドより上!娯楽としても上だしメッセージ性も強いし、ということなんであれば、好きなだけ鎖国してガラパゴス列島に引き篭もったっていいかもしれない。栄光ある孤立というか、ソロ充でね。でも、そうじゃないでしょ? なかざわ:まあ、全くダメですね(笑)。百歩譲って、日本のユーザーが親しみを感じない外国コンテンツよりも自国コンテンツを選ぶのは、選択の自由です。でもね、日本は肝心の作り手が外国の優れた作品から積極的に学んでいるようには思えない。もちろん、全員がそうだとは言いません。でも、自己満足でしかない代物も多い。それが全体のクオリティーを下げている。そういう作品ばかり見せられる日本の観客の“見る目”も劣化してしまっている。そこが今の問題だと思います。 飯森:まさにそこですよ!駄作が生まれるのは作り手の恥、彼らの能力の問題で、防ぎようがないし我々の知ったことでもないんですが、それのヒットを許してしまったら観客の質の問題、民度の問題、我々自身の恥になりますから、その事態だけは防ぎたいですよね。もちろん日本映画でも良いものや大傑作はありますよ?わざわざ言うまでもありません、当然です。でもその一方で、これぞまさしく「どうしてこうなった!?」としか言いようがない、それがその形で完成しちゃってる現実が信じられない、眼球が破裂し頭部が爆発しちゃいそうになる作品も、割と多いですよね。アーク《聖櫃》か! ここまでヒドいのはアメリカ映画では見た覚えがほとんどない級の駄作に、年に何本も出会う気がする。つまらないとかを通り越し、破綻・崩壊しちゃってる。良いものはあるが、極端に悪いものが極端に多すぎることが問題です。まともなチェック機能が働いてるのか!?と。なぜ、誰が、この状態でよしとしてしまったのか?これでいいかどうかどういう検証をしたのか?作ってる途中で改良や見直しはできなかったのか?と不思議で仕方ないものに、割かしよく遭遇する気がする(笑)。 なかざわ:これでオッケーだと思ったんだ!?っていうね。それこそ最近話題になった、人気コミックを実写化した、とある邦画とかですよね。あれなんかでは、この程度でいいだろう、というような作り手たちの意識すら透けて見えた気がします。 飯森:はて?漫画原作なんて今時いっぱいありますから、どの作品のことを仰られているのか僕にはさ〜っぱり見当もつきませんが(笑)。 なかざわ:エッ、普通この流れで逃げます!? わざとらしくトボけないでくださいよ(笑)。あれには僕も悪い意味で本当に度肝を抜かれました。怖いもの見たさで見に行った人も多いとは思いますが、それにしたって不健全な現象だと思いますよ。 飯森:まぁ、作り手さんにしてみれば努力もしてるだろうし、制作上の仕組みの問題のせいもあるんだろうと気の毒にも思いますけどね。優秀な人材はいるのに、その人が我を通せない。そのせいで本意ではないような作品に仕上がってしまうという。クリエーターのこだわり=良い意味での“ワガママ”が通らないと物作りはダメですよ。クリエイティブなんてどこかからはチームプレイじゃなく個人技になっていかないと本当はおかしいんですから。僕はなかざわさんの仰る業界人の不勉強ということ以上に、そういう構造的な問題や、メンタリティーや国民性、つまり悪い意味で「和を以て貴しとなす」という、ノーと言いづらい、我を通しづらい日本社会の同調圧力とかが原因じゃないのかと推測します。とはいえ「だから仕方ないよねえ…」と同情ばかりもしていられなくて、それが海外でも公開されるとなると…。 なかざわ:まさに、国辱もの(笑)。 飯森:例えばの話、仮にその日本の某人気コミックなるものが、お隣の韓国でも大人気だったりしちゃったりすると仮定します。あくまで仮の話ですよ(笑)? ならば当然、韓国人も「お、日本人があれを実写化したんだったら見てみるか」と思うでしょ?でも我々としては「いや〜ん、見ないで〜♥」って感じじゃないですか。もうまいっちんぐですよ。だって相手はあの韓国ですよ!? 韓国といえば、我々が嫉妬と羨望の入り混じった目で見せつけられている、とてつもない傑作を年に何本も生み出している映画先進国なわけじゃないですか。ついここ最近だけでも「コンフェッション/友の告白」(注93)とか「インサイダーズ/内部者たち」(注94)とか、生涯ベスト級の圧倒的な傑作を余裕で量産できちゃう。そんな国でその仮の映画が「ほっほう、これが日本映画界が放った噂の勝負作ですか、どれ、拝見しましょうか」と腕組んで足組んで見られちゃう、そして「…フッ、勝ったな!」と彼らをして勝ち誇らせちゃうというのは…実にまいっちんぐです。悔しすぎます!我々日本人には100年以上にわたってアジアの最先進国で一等国だというメンツがある。それが1ラウンドKO負けサンドバッグ状態みたいな負け方は、できればしたくないんですけどねぇ…。 なかざわ:いや、僕だって基本的には日本映画は好きですから。だからこそ、現状に対して言いたくなってしまうんです。なんとか頑張ってくれと。取材で各国を歩いていると確かに日本映画ファンは沢山います。でもね、彼らが影響を受けた監督、大好きな映画って、殆どが何十年も前の人や作品なんです。せいぜい北野武(注95)くらいですよ。存命なのは。 飯森:三池崇史(注96)さんとかはどうなんです? なかざわ:三池さんや園子温(注97)さんは、あくまでもカルトの領域を出ません。確かに熱狂的なファンはいるけれど、黒澤明(注98)や小津安二郎(注99)や溝口健二(注100)ほどの知名度はありませんし、市川崑(注101)や成瀬巳喜男(注102)らと並び称されているわけでもありません。 飯森:是枝裕和(注103)さんとかも、たとえばアッバス・キアロスタミ(注104)くらいには尊敬されているのかもしれないけれど、そういう芸術家みたいな人はどこの国にもいますしね。芸術作品やちょっと良い佳作良品を作っている人ならいますが、世界が常に新作を待ち望んでいる、世界がひれ伏すクラスの娯楽作家というのを、日本の映画界にも望みたいところです。 なかざわ:だから、日本映画の伝統云々を言う前に、そうした現実を日本の映画人は真摯に受け止めなくちゃいけないと思います。過去の栄光にすがっているようじゃダメですよ。 飯森:いやはや、深い対談になってまいりました!でも、これ今後の洋画チャンネルに期待することって話からはかなりズレてますよね。さすがにちょっと戻しましょうか(笑)。 注84:街中に掲げられた巨大広告看板のこと。注85:凄腕捜査官ジャック・バウアーがテロの脅威と戦うアメリカのテレビドラマ。’01年~’14年まで9シーズンが制作され、番外編のテレビ映画も作られた。注86:旅客機事故で謎の無人島に不時着した人々のサバイバルを描くアメリカのテレビドラマ。’04年~’10年まで放送された。注87:1990年から始まった「ビバリーヒルズ高校白書」。住所である「Beverly Hills, 90210」が元のタイトルだが、日本で勝手に「高校白書」と名付けたことで主人公たちが高校を卒業し大学に進学すると「ビバリーヒルズ青春白書」と途中改題した。2000年まで続き、’90年代を象徴する映像作品となった。注88:田舎町での女子高生死体遺棄事件を、デイヴィッド・リンチ監督が不条理かつシュールに描き、カルト的人気を博したアメリカのテレビドラマ。’90年~’91年まで放送され、映画版も作られた。注89:テレビドラマ「超音速攻撃ヘリ エアーウルフ」のこと。日本では’86年~’87年まで日本テレビで放送され、幾つかの長尺テレビムービー版が金曜ロードショーで放映された。注90:テレビドラマ「特攻野郎Aチーム」のこと。日本では’85年~’88年までテレビ朝日で放送され、何話かは日曜洋画劇場で放映された。注91:ドライバーのマイケル・ナイトが愛車兼相棒の人工知能搭載スーパーカー“ナイト2000”に乗って悪と戦う。日本では’87年~’88年までテレビ朝日で放送され、幾つかの長尺テレビムービー版が日曜洋画劇場で放映された。注92:日本では’66年~’70年まで日本テレビで放送されたテレビドラマで、映画「コードネーム U.N.C.L.E.」のオリジナル。注93:2014年制作。韓国映画。チソン、チュ・ジフン、イ・グァンス出演。誰も被害者が出ずに金だけ手に入るはずの自作自演保険金詐欺を企み、悲惨な被害を出してしまった友人グループが、のっぴきならない立場に追い込まれていく。イ・ドユン監督。注94:2015制作。韓国映画。イ・ビョンホン、チョ・スンウ出演。政界の汚れ仕事を担ってきたが裏切られ消されそうになるチンピラが、検事と組んで韓国政界最上層部に戦いを挑む。ウ・ミンホ監督。注95:1947年生まれ。日本のお笑い芸人、俳優、映画監督。監督としての代表作は「その男、凶暴につき」(’89)、「ソナチネ」(’93)、「菊次郎の夏」(’99)など。世界的な人気と知名度も高い。注96:1960年生まれ。日本の映画監督。代表作は「殺し屋1」(’01)や「ゼブラーマン」(’04)、「13人の刺客」(’10)など。クエンティン・タランティーノら各国の映画監督に多大な影響を与えている。注97:1961年生まれ。日本の映画監督。代表作は「愛のむきだし」(’08)、「冷たい熱帯魚」(’11)、「地獄でなぜ悪い」(’13)など。海外の映画祭でも数多く受賞している。注98:1910年生まれ。日本の映画監督。映画史上最も重要な映像作家であり、日本が世界に誇る巨匠中の巨匠。代表作は「羅生門」(’50)、「七人の侍」(’54)、「隠し砦の三悪人」(’58)、「用心棒」(’61)、「椿三十郎」(’61)、「影武者」(’80)などなど。スティーブン・スピルバーグやジョージ・ルーカスなど多くの映画監督が影響を受けた。1998年死去。注99:1903年生まれ。日本の映画監督。代表作「東京物語」(’53)は世界各国でたびたび不朽の名作リストの上位にランクされるなど、海外での人気と評価が圧倒的に高い。ヴィム・ヴェンダースやジム・ジャームッシュなど、小津に影響を受けた映画監督も数多い。1963年死去。注100:1898年生まれ。日本の映画監督。「西鶴一代女」(’52)と「雨月物語」(’53)、「山椒大夫」(’54)が3年連続でヴェネチア映画祭で受賞。「雨月物語」はアカデミー賞の衣装部門にもノミネートされた。ジャン=リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーなど、ヨーロッパの映画監督に影響を与えた。1956年死去。注101:1915年生まれ。日本の映画監督。アカデミー外国語映画賞候補になった「ビルマの竪琴」(’56)を筆頭に、「野火」(’59)や「東京オリンピック」(’65)、「細雪」(’83)などが海外で映画賞を獲得して高い評価を得た。日本では「犬神家の一族」(’76)に始まる金田一耕助シリーズでも有名。2008年死去。注102:1905年生まれ。日本の映画監督。代表作は「めし」(’51)、「浮雲」(’55)、「流れる」(’56)、「女が階段を上る時」(’60)など。女性映画の名手として知られ、ダニエル・シュミットやレオス・カラックスなどヨーロッパの映画監督に影響を与えている。1969年生まれ。注103:1962年生まれ。日本の映画監督。処女作「幻の光」(’95)が海外の映画祭などでも注目され、「誰も知らない」(’04)や「そして父になる」(’13)が国際的にも高い評価を得ている。注104:1940年生まれ。イランの映画監督。「桜桃の味」(’97)でカンヌ映画祭グランプリを受賞。 次ページ >> 今は業界全体が努力をして工夫を凝らさなくてはいけないでしょうね。(なかざわ) 『007/カジノ・ロワイヤル(2006)』CASINO ROYALE (2006) © 2006 DANJAQ, LLC, UNITED ARTISTS CORPORATION AND COLUMBIA PICTURES INDUSTRIES, INC.. All Rights Reserved. 『007/慰めの報酬』QUANTUM OF SOLACE © 2008 DANJAQ, LLC, UNITED ARTISTS CORPORATION AND COLUMBIA PICTURES INDUSTRIES, INC.. All Rights Reserved. 『007/スカイフォール 』Skyfall © 2012 Danjaq, LLC, United Artists Corporation, Columbia Pictures Industries, Inc. Skyfall, 007 Gun Logo andrelated James Bond Trademarks © 1962-2013 Danjaq, LLC and United Artists Corporation. Skyfall, 007 and related James Bond Trademarks are trademarks of Danjaq, LLC. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2016.04.27
男たちのシネマ愛⑥愛すべき、クレイグ・ボンド。そして、愛すべき洋画の未来。(6)
飯森:僕の立場から言うと、とりあえず邦画は人に任せるんで、やはり世界の優れたコンテンツを日本の消費者にも見てもらわなくてはいけない。我々の感性を世界標準の感性とこれらも一致させ続けていかなくてはならない。そのために、なんとかして洋画の市場を活性化させたいと思っています。ハリウッドの俳優が日本へやってきて、成田空港に黒山の人だかりができる。それってすごく健全なことだったと思うんですよ。 なかざわ:まあ、今だってワン・ダイレクション(注105)とかジャスティン・ビーバー(注106)が来日すれば大フィーバーになりますけれどね。映画の場合は、いまだにトム・クルーズ(注107)とかジョニー・デップ(注108)辺りで止まっている。そもそも、ハリウッド自体が彼ら以降の世代のスーパースターを生み出せないでいるんですよ。第二のトム・クルーズとか、第二のブラッド・ピット(注109)とか呼ばれるスターは数え切れないほど出てきましたけど、みんな人気短命で終わっていますから。 飯森:それでも、かつてはトム・クルーズほどの俳優じゃなくても、来日すれば話題になっていたと思うんですよね。 なかざわ:ちょうど先日、ハリウッドを拠点に活動している日本人の若手女優さんにインタビューしたんですね。いろいろと諸事情あって名前は出しませんけれど。彼女は最初から日本ではなくハリウッドを目指して外へ出ていった。そこで、今の日本の若者は内向きで外国に出て行かないと言われていますが、それについてどう思いますか?という質問をぶつけてみたんですよ。そうしたら、開口一番に「それって嘘だと思います」って答えが返ってきた。若い人を知らない大人が勝手に言っているだけだと。外へ出て行っている若者は沢山いますよ、と言うんですね。それはそうかもしれないと思いました。大人が若者の生の声を聞いていないだけなんじゃないかと。そう考えると、日本人に受け入れられる外国スターというのも、消費者の声にちゃんと耳を傾ければ、もしかすると新たに生み出せるかもしれません。 飯森:なるほど。実は意外に若い世代はドメスティック志向ではないのかもしれませんね。そうだとしたら少し安心だ。ただ、もう一つ大きな問題があると僕は感じていて、昔って、媒体の数が限られていましたでしょ?昭和の頃には今のネット媒体が一つも存在しない訳ですから、効率的に宣伝もできたでしょうし、その少数の媒体がそれぞれ今よりずっと影響力もあっただろうと思うんですよ。配給会社の宣伝マンがそうした限られた宣伝媒体に対していろいろなアプローチで仕込みをしていて、あるハリウッド大作が来る、ある大物外タレが来日するとなると、多くの媒体・多くのメディアが一斉にそれを報じていた。そもそもコンテンツを流すウインドウ自体が映画館とテレビ、せいぜい後にレンタルビデオぐらいしかなかった上に、そのように宣伝媒体の数も少ないのだから、情報発信で“選択と集中”が可能だった。それならばブームは起せるし、国民的関心も集められる。ただ、今の時代は媒体が複雑多岐に渡ってしまっているため、宣伝の足並みが揃わない。ウインドウも映画館からレンタル、ウチのような有料テレビ、ネット配信、無料BSや普通の地上波テレビと分散していて、同じハリウッド大作がその順番で「ついに登場!」のていで各ウインドウに何度も何度も出現する。お客さんも、映画館原理主義派、レンタル派、ウチみたいなCSにどっぷり派、ネット配信派、地上波だけで満足派、無料BSも見てる派に分裂している。これでは大きなうねりやブームは起きづらい。兵力分散や兵力の逐次投入、つまり“小出しにする”というのは愚策中の愚だと言われていて、戦いでそれをやった方は確実に負けるとされている。勝つためには“選択と集中”が不可欠な訳ですが、不本意ながらもメディアの多様化で結果として兵力の逐次投入みたいな格好に今の業界はなってしまっている。作品を流している我々ウインドウ側も、それを告知してくれる宣伝媒体側も、メディアの垣根を越えて大同団結して、まとめて海外コンテンツの大きなうねりを生み出すことができればいいんですけどねぇ。一社一社が各個にスタンドプレイでいくら頑張っても各個撃破されるだけ。撃破というか、自滅ですね。各個自滅。 なかざわ:昔は物事がシンプルだったから良かったんですよ。今は業界全体が努力をして工夫を凝らさなくてはいけないでしょうね。 飯森:そろそろ洋画も巻き返しを図らないとヤバい時が来たように思いますね。洋画専門チャンネルにしても、競合他社同士がお互いが良きライバルとして切磋琢磨することで、まずはCS全体を盛り上げていくことが大切だろうと思います。なんかCSで面白いことやっているな、映画ファンとしては注目しとかないと、と世間に思ってもらえるようにしなくては。今、自分たちはその段階にいると見ています。なので、うちとしては例えば、昭和のお宝吹き替え尊重路線だったりとか、激レア映画の発掘だったりとか、コアな洋画ファンに喜んでもらえるような企画は今後も続けていきたいと思っています。これだけネットを含めたメディアが増えたにも関わらず、いまだに見ることのできない映画は沢山ありますし。 なかざわ:それは是非ともお願いしたいところですね。それこそ、’80年代に一大旋風を巻き起こしたキャノン・フィルム(注110)の映画なんかも、今では全く見れなくなってしまった作品が多いですから。「ハンナ・セネシュ」(注111)とか「黄昏のブルックリン・ブリッジ」(注112)とか。それと、’70~’80年代に日本で劇場公開ないしビデオ発売されたイタリア産娯楽映画も、うもれてしまっている作品が本当に多い。「マリーナの甘い生活」(注113)とか「キャロルは真夜中に殺される」(注114)とか、もう一度見たいですもん。イタリア版DVDには英語の字幕すら付いていないので(笑)。 飯森:そして、マスの方たちに圧倒的にウケる新たな方策というものは引き続き宿題となっちゃいましたが、「俺のしかばねを乗り越えて行け!」じゃありませんけど、大きすぎるステイサムとセガールの存在を乗り越え、裾野を今一度大きく広げ直して、洋画そのものをリブートしなければいけませんね。「いや〜映画って、本っ当にいいものですね!」という、あの幸福にもう一回帰り着くためにはどうすればいいのか。そこに次の10年は挑戦していきます! なかざわ:…と、いったあたりですかね。いやはや、半年続けてきたこの対談連載も、とうとう終わってしまいましたね、お疲れ様でした。 飯森:なかざわさんの方こそお疲れ様でしたよ!いやマジで。僕はただくっちゃべっていただけですが、毎回このボリュームを原稿に書き起こしていたなかざわさんは堪ったもんじゃない!ただ、おかげさまで、自分で言うのもナンですけれど、非常に評判も良く反響も大変ありましたので、今回は10周年記念ということでやったんですが、アニバーサリーとかとは関係なしに、なかざわさんとはまた間を置かず近々にこの場でトークをさせていただきたいと思ってます。 なかざわ:是非そうしましょうよ!「続・男たちのシネマ愛」といった形でね。 飯森:それでは皆さん、また会いましょうね。サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。 (終) 注105:イギリス出身の男性アイドルグループ。’10年にデビューし、世界中のティーン女子の間で爆発的なブームを巻き起こした。注106:1994年生まれ。カナダ出身の男性アイドル歌手。’08年にデビューし、これまでに1500万枚以上のアルバムを売り上げている。ビリーヴァーと呼ばれる熱狂的ファンが世界中にいる一方、たびたびトラブルを起こす問題児としても有名。注107:1962年生まれ。アメリカの俳優。「トップ・ガン」(’86)でブレイクし、その後も「レインマン」(’88)や「ミッション・インポッシブル」(’96)、「ラスト・サムライ」(’03)などのヒットを出している。注108:1963年生まれ。アメリカの俳優。「シザーハンズ」(’90)でブレイクし、「ギルバート・グレイプ」(’93)や「エド・ウッド」(‘94)などで活躍。「パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち」(’03)のジャック・スパロウ役でも有名。注109:1963年生まれ。アメリカの俳優。「テルマ&ルイーズ」(’91)で注目され、「トゥルー・ロマンス」(’93)や「セブン」(’95)でブレイク。ブラピの愛称でも親しまれる。注110:アメリカの独立系映画会社。’79年に社長就任したイスラエル人の映画監督メナハム・ゴーランと従兄弟ヨーラム・グローバスのもと、チャック・ノリス主演のB級アクションから、ロマン・ポランスキーやジョン・カサヴェテスなど巨匠の芸術映画まで、数え切れないほどの作品を世に送り出した。’89年にゴーランが辞任してから急速に衰退。注111:1988年制作。アメリカ映画。ナチスドイツと戦った女性パルチザン、ハンナ・セネシュの実話を描く。マルーシュカ・デートメルス主演、メナハム・ゴーラン監督。注112:1983年制作。アメリカ映画。ニューヨークのブルックリンを舞台にした大人のラブロマンス。エリオット・グールド主演、メナハム・ゴーラン監督。注113:1989年制作。イタリア映画。自由奔放なセクシー美女マリーナの華麗なる男性遍歴を軸に、「甘い生活」(’60)などフェリーニ映画へオマージュを捧げた作品。キャロル・アルト主演、カルロ・ヴァンツィーナ監督。注114:1986年制作。イタリア映画。殺人鬼に狙われた女性心理学者を描く猟奇サスペンス。ララ・ウェンデル主演、ランベルト・バーヴァ監督。 『007/カジノ・ロワイヤル(2006)』CASINO ROYALE (2006) © 2006 DANJAQ, LLC, UNITED ARTISTS CORPORATION AND COLUMBIA PICTURES INDUSTRIES, INC.. All Rights Reserved. 『007/慰めの報酬』QUANTUM OF SOLACE © 2008 DANJAQ, LLC, UNITED ARTISTS CORPORATION AND COLUMBIA PICTURES INDUSTRIES, INC.. All Rights Reserved. 『007/スカイフォール 』Skyfall © 2012 Danjaq, LLC, United Artists Corporation, Columbia Pictures Industries, Inc. Skyfall, 007 Gun Logo andrelated James Bond Trademarks © 1962-2013 Danjaq, LLC and United Artists Corporation. Skyfall, 007 and related James Bond Trademarks are trademarks of Danjaq, LLC. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2016.02.15
男たちのシネマ愛④愛すべき、キラキラ★ソフィアたん(4)
なかざわ:ちなみに、これは全く個人的な感想なんですが、「ロスト~」は映画ライターとして非常に興味深い見所がありまして。まずはCM撮影で日本人監督の長い演技指導を、通訳がバッサリと一言で説明してしまうシーン。意訳しすぎ!っていう(笑)。 飯森:あそこは僕も爆笑しました。ウイスキーのCMで、ディレクターが「もっと感情を込めて!これ、サントリーの最上位のブランドなんだから、高級感を込めつつ、かつ、親友と再会した時のような、思いのこもった懐かしい口調(?)で、商品名を万感こめて言って」とか何とか無理難題を言って、熱っぽく指示を出しているのに、一言「もっとゆっくり言ってください」と通訳されちゃう。ビル・マーレイも「えっ、それだけ?彼は絶対もっと何か言ってたでしょ!」と当惑する。「高級感+懐かしい友と再会した時の感じ」は、確かに早口じゃダメにせよ、単に機械的にスローに言うだけでは表現できないでしょ! なかざわ:ああいう事態って、外タレの来日インタビューの現場において、さすがによくあるとまでは言いませんし、あそこまで大胆に端折る通訳さんもまずいませんけど、でも似たようなことはあるよね!とニンマリさせられました。私は多少なりとも英語が理解できるので、肝心な部分が省略されても外タレ本人のコメントから拾えますが、記者が全員英語が分かるわけではない。中にはだいぶ意訳してしまう通訳さんがいるんですよ。それでもせめてコメントの主旨が伝わればいいと思うのですが、省略しすぎたせいで発言内容の辻褄が合わなくなることもありますし、中には発音を聞き間違えて誤訳しているケースもあります。 飯森:僕も“記者会見あるある”だなと思いました。昔は来日記者会見にもよく行っていましたから。でも今の僕は、困ったことに、ああいう事態に当事者として巻き込まれちゃってるんですよ。まぁ、この CMディレクターさんみたいに偉くはないけど、僕もザ・シネマの様々な物作りをする上で、立場上は指示を出さないといけない側の人間じゃないですか。で、やはり「高級感を込めて」とか「親友と再会した感情を込めて」とか、そういった細かい感情のニュアンス指示は出しますよ。たとえや形容詞をあれこれ使い、映画のシーンやキャラを例に出して、どうにか細かいニュアンスまで相手に伝えようと長く話しちゃう。長い中のどこか一箇所でいいからピンときて、物を作る上で理解の鍵にしてくれたらと。しかしですねえ、15分も話したことが一言で済まされてしまう(笑)。そういう人が実際たまにいるんですよ!たとえば、「オシャレ」でも様々なニュアンスの「オシャレ」があるじゃないですか?「ブリングリング」のような今どきの若者っぽいオシャレさなのか、「ヴァージン・スーサイズ」のような’70年代っぽいレトロなオシャレさなのか。レトロと言ってもソフィアたん系か、それともタランティーノっぽいのがいいのか。その微妙な違いを伝えんがために15分も喋りまくって「そういうオシャレ感をもっとプラスして」と指示しているのに、「一言で言うともっとオシャレにってことですね!」で済まされちゃうと、「大丈夫かなぁ?」と心配になってくる。で、案の定、上がってきたものを見ると「そっちのオシャレじゃなくてこっちのオシャレだって説明したじゃんかよ!」みたいな齟齬が、よく生じる。一言で言えることなら15分も話してないって! なかざわ:日本語同士なのにロスト・イン・トランスレーションですか(笑)。 飯森:だから今回見直してみたら我がことのように共感できた。やたらめったら「一言で言うと」って話を単純化したがるのはよくない。それって「細かいことはどうでもいい」と言ってるのと同じですから。少なくとも、ウイスキーのCMとか映画チャンネルとかで、人と一緒に情感を視覚化するような表現の仕事においては、細かいことこそが重要なので大変よくない。いわんや通訳も。無口な通訳なんて、職場放棄ですよそれ。とにかく、そんなような、似たような経験のある人は、あそこでは笑えると思います。ただ、公開当時の僕には幸か不幸かまだそういう愉快な人生経験が足りなかったので、そこでは笑えず、全編東京ロケという点だけが唯一この映画の引きの部分だった。 なかざわ:その東京ロケの描写というのも、そこを日常の生活の場として暮らしている我々とはちょっと違う視点ですよね。確かに東京ではあるんだけれど、僕らの知っている東京とは印象が異なる。あれって、ホテルの窓から東京の表層だけを眺める異邦人の肌感覚なんですよ。取材で頻繁に海外を訪れる僕としても、それはすごく良くわかる。たとえばロサンゼルスには数え切れないほど行っていますが、僕の知っているロサンゼルスと、そこに住んでいる人のロサンゼルスは違うはずです。だから、公開当時あの作品に出てくる東京や日本人の描写に違和感を覚えた人も多かったと思うんですが、似たような経験をしている僕から見れば、逆に極めて正確だと思うんです。そもそも、生活習慣も考え方も違う外国人の見る日本が奇妙に見えるのも仕方がない。 飯森:監督自身も、短期間ではあるけど実際に日本に滞在していた経験があるらしいので、決して嘘臭い描写は無いんですよね。たとえば、「47RONIN」【注42】のように無茶苦茶な勘違いや間違いはない。逆に、そうした異邦人の感じるアウェイ感をちゃんと捉えている点は地味に凄いと思います。 あと、僕は長いこと日本のドラマやお笑い番組を全く見ていないんですけれど、この作品で「Matthew’s Best Hit TV」【注43】っていう日本のバラエティー番組が出てくるじゃないですか。そこにハリウッド俳優がゲストで出演するわけですけど、日本のお笑い文化を理解していないから、「これのどこが面白いの?」とキョトンとしてしまう。あれは普段バラエティーを見ない僕としては激しく同意しましたね。“日本のお笑いあるある”。 なかざわ:日本人では飯森さんくらいかもしれませんよ、そこで共感したの(笑)。 飯森:よく日本人で「アメリカのコメディーはつまらない」と言ってる人がいますが、それって単に「所変われば品変わる」ってだけの話で、相手からも同じことを逆に言われているんですよ。優劣じゃないってことですね。 あと面白いなと思ったのは、劇中でハリウッド俳優に付いて回る日本企業の担当者が、広告代理店の社員を紹介するシーン。スターは5~6人の日本人から次々と名刺を渡されて挨拶をするのだけれど、あれって日本人的にはよく見る光景ですよね。でも、よくよく考えると意味がなくて、無駄な習慣というか、はっきりと困った悪習だったりする。 なかざわ:ああいう、現場に直接関係のない人をズラズラと連れてくるのって、僕の知る限りでは日本特有の光景ですよ。たとえば、日本だとタレント1人につき事務所の関係者や広告代理店、スポンサー企業など、なんでこんなにいるの!?ってくらい大勢の人間が金魚のフンみたいについてくる。まあ、タレントの知名度によって人数も変わりますが。あんな光景、海外では見たことないですよ。それこそ、ハリウッドのベテラン大物俳優さんだって、自分で車を運転して1人で取材現場にぶらりとやってくることもありますし。基本的にマネジャーすら付いてこない。とあるエミー賞【注44】の主演女優賞を取ったこともある有名な女優さんなんか、取材が終わって会場ビルの玄関前に一人でタクシーを待っていましたから。「あれ!?何やっているの?」って聞いたら「車を修理に出しているから今日はタクシーなのよ。ガードマンに電話で呼んでもらったから、もうすぐ来るはず。車がないって不便よねえ」だって(笑)。 飯森:それ超カッコいい!自立してるというか大人というか。いや、僕もあの日本式の無駄な光景を見ていると「ガキの使いじゃあるまいし…」っていつも思いますよ。なんなんですかねあれは?これに限っては優劣の問題かもしれませんね。アメリカは良くて日本の悪い面。当ザ・シネマでは、ゾロゾロと連れ立って詣でるのは絶対厳禁にしている。だから今日のこの取材だって、いつも僕が独りぼっちで単身フラリと東京ニュース通信社さんにお邪魔してるぐらいです(笑)。そもそも相手に失礼じゃないですか。現場で何をするわけでもない随員から次々と名刺を貰ったって迷惑なだけですよ。 なかざわ:しかも、その人たちと今後何かしらの関わりがあるのかといったら、ほとんどないですからね。形式だけの習慣はやめて貰えますか?って思います。 飯森:本当にあんたの顔と名前も覚えなきゃいけないの?限りあるオジサンの記憶力を無駄遣いさせないでよ!と。でも、あの光景を普通のことだと思っている大方の日本人は、普通にスルーしてしまったシーンかもしれない。いや、あそこ笑うところですから!恐らくソフィアたんは日本滞在中に実際そういうことがあって衝撃を受けたからこそ、あのシーンを脚本で書いたんだろうと思います。だから、この作品は我々日本人が気付かない日本独特の不条理を描いたコメディーとしても楽しめるんです。 ソフィアたんの映画って、お高くとまっているようでいて結構お茶目なんですよね。「SOMEWHERE」でも、主人公が次の映画で老けメイクが必要だというので、石膏を使ってマスクの型どりをすることになる。で、顔中に石膏を塗られるんだけど、その鼻の穴だけ開いて喋れない状態のまま、カメラはずーっと主人公の顔だけを撮り続けるんです。聴こえてくるのはスーコースーコー鼻息だけ。あそこはなんとも間抜けで笑える。「長えよ!」って。 なかざわ:子供の頃から慣れ親しんだハリウッド業界の、実は間抜けで笑える裏側というのを随所でさらっと描くのも彼女の映画の面白さかもしれません。 飯森:そういう絶妙なギャグセンスも彼女にはありますね。ある面ではコメディーなんです。 なかざわ:だから、特定のカテゴライズが出来ない監督ですよね。 飯森:いわゆるハリウッド・メジャー【注45】とは違う点だと思います。ラブコメとか、アクションとか、お決まりの型にはまらないところが。ジャンル・ムービーじゃないんですよね。 <注42>2013年制作、アメリカ映画。日本の「忠臣蔵」を独自に解釈して映像化したものの、もはや日本ですらない無国籍な風景や美術デザイン、衣装デザインなどが失笑を買った。 <注43>2001年~2002年に放送された音楽バラエティー番組。藤井隆の扮するキャラクター、マシュー南が司会を務める。<注44>テレビ番組などに関する様々な業績を称える賞で、1949年より毎年開催されている。世界のテレビ業界で最も権威があり、テレビ版アカデミー賞とも呼ばれる。 <注45>ワーナー・ブラザーズや20世紀フォックスなどハリウッドの大手映画会社、およびそこで作られる映画作品のこと。 次ページ>> 「マリー・アントワネット」 『ヴァージン・スーサイズ』©1999 by Paramount Classics, a division of Paramount Pictures, All Rights Reserved『ロスト・イン・トランスレーション』©2003, Focus Features all rights reserved『マリー・アントワネット(2006)』©2005 I Want Candy LLC.『SOMEWHERE』© 2010 - Somewhere LLC『ブリングリング』© 2013 Somewhere Else, LLC. All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2016.02.15
男たちのシネマ愛④愛すべき、キラキラ★ソフィアたん(5)
なかざわ:そろそろ「マリー・アントワネット」に行きましょうか。 飯森:これまでに説明したソフィアたんの良いところが全部詰まっていて、製作費的にも一番お金がかけられていて、しかもマリー・アントワネットという日本人にも馴染みのある題材を取り上げている、個人的なイチオシです。と同時に、実は僕が一時的にソフィアたんを嫌いになる決定的要因となった作品でもあるんですよ。というのも、司馬遼太郎【注46】なんかを好んで読んでいる僕みたいなオジサンが、マリー・アントワネットの映画を見に行くということは、当然のことながらドラマチックな歴史大作を期待していたわけです。ところが、お話は確かにみんなが知っているマリー・アントワネットの伝記なんですけれど、この映画にはドラマチックな要素が全くない。なので、歴史にロマンを求めるオジサンとしては、これにはカチンときちゃいましてね。「いいとこのお嬢ちゃんが俺の領分にまでチャラチャラ入ってきたな!あんたに歴史が分かるの!?」と。 なかざわ:実際、当時はそういった批判もありましたよね。 飯森:しかし、今となってはそんな自分の見る目の無さを恥じ入るばかりです。ソフィアたん、ごめんね…。彼女の作家性の核となるのが“キラキラ感”であることは申してきましたが、「マリー・アントワネット」も同じだったんですよ。歴史のロマンを描こうとしていなくて、見どころは“キラキラ感”なんです。特にこの作品は、彼女の作品群の中でもダントツに眩しい。見た目的にはキャンディ・ポップ【注47】で、サーティワン・アイスクリーム【注48】みたいなというか、マカロン【注49】みたいなというか、そういう色彩に溢れている。 なかざわ:実際にマカロンも出てきますしね。 飯森:衣装の色彩設計も本当にマカロンを参考にしたらしいです。でも、そんなドレスは当時存在しない。 なかざわ:時代考証的には完全に間違っていますよね。靴だってマノロ・ブラニク【注50】だし。 飯森:だから、公開当時は「こんなものけしからん!キューブリックの『バリー・リンドン』【注51】を見習え!」って無茶なキレ方をしていたんですが、でも見習わなくて本当によかった!だって、忠実な時代考証に基づいたドラマチックな歴史映画を見たければ、まさに「バリー・リンドン」を見ればいいんだから。ソフィアたんは確信犯で「従来のような歴史映画には絶対したくない」とはっきり宣言している。つまり、司馬遼好きの歴史オジサンなんて、はなっから相手にしていないんですよ。だから、本作で衣装を担当したのは「バリー・リンドン」でオスカーを獲ったミレーナ・カノネロ【注52】なんです。ミレーナ・カノネロ本人が、その、時代考証的には間違っているマカロン色の衣装も本作では手がけている。で、またアカデミー衣装デザイン賞を獲った。人と同じことを真似してやっても無価値ってことなんです。その当たり前のことに今回僕は初めて気づいた。 なかざわ:音楽だって’80年代のニューロマ系【注53】が中心ですし。バウ・ワウ・ワウ【注54】とかアダム・アント【注55】とかですよね。 飯森:そのバウ・ワウ・ワウのヒット曲「アイ・ウォント・キャンディ」【注56】が流れるシーンが、“キラキラ感MAX”なんです。フランス宮廷での生活に慣れてきて、楽しくて楽しくて仕方ないマリーは、めいっぱい浪費をするわけです。高いものや綺麗なものが大好き。どんどんお買い物をして、靴やらマカロンやらが堆く積み上がっていく。パーティーやって夜遊びもやる。そういう映像をパッパとつないでいくミュージックビデオのようなイメージシーンでその「アイ・ウォント・キャンディ」が流れる。あと、「ブリングリング」でパリス・ヒルトンの豪華なクローゼットを披露したように、本作でもありとあらゆるお洒落アイテムを収蔵したマリー・アントワネットのウォークイン・クローゼットが出てくる。 なかざわ:ファッション好きな人が見たら興奮が止まらないでしょうね! 飯森:“クローゼット・パラダイス”って言葉もまた作ってみたんですが、そろそろ作りすぎですかね(笑)。“クローゼット・パラダイス”は着道楽の人には堪らない、いつまででも見ていたいシーンですよ。あんなクローゼットがあったら、もうどれを着ていこうか悩まなくて済む。あらゆる色、素材の衣類やアクセサリーが自宅にある。「これと合う色がない」とか「素材感がチグハグ」とかいった朝の悩みから永久に解消される!どんなコーディネートも自由自在で、思いついたことが即・形にできる。パラダイスは天上になくてもよくて、自宅のあの程度の空間で十分なんだ、それを眺めているだけで観客は多幸感に満たされるんだ、って演出を最初に発明したのは「SATC」【注57】の方が先かもしれませんけど、ソフィアたんはこの「クローゼット・パラダイス」表現をさらに一歩進めてみせた。 あと、マリー・アントワネットは夜遊びにもはまって、夜な夜な無断外泊をしてパリの舞踏会で踊りまくるんですけれど、この朝帰りのシーンにも注目して欲しい。馬車に揺られたマリーが、徹夜明けでちょっとグッタリし、ガラス窓にもたれかかって朝焼けを眺めながら、パリの盛り場から自宅であるベルサイユ宮殿【注58】へと戻っていく。この感覚がね、渋谷で夜遊びをした若い子が始発の山手線に乗って、電車に揺られながら、東から昇る朝日の暖かさを頬に受けて自宅へと帰っていく、あの二十歳前後にしかない達成感と虚脱感の入り混じった感覚そのものなんですよ。オジサンになった今となっては遊びで徹夜なんて楽しくもなんともないから極力御免被りたい。体力的にあとを引くし仕事にも支障が出るし。でも若い頃は楽しかったでしょ?世界に対する征服感というか、つい数年前まで許されなかった夜遊びをして、見たことのなかった朝焼けを見るわけです。あの朝焼けは間違いなくキラキラしていたでしょ?その“キラキラ感”を、18世紀のフランスを舞台にした映画で再現しちゃっている。凄いことですよ! しかも、それが重要な意味を持つことを示すかのように、同じようなシーンは二度出てきます。同性・異性の友人たちグループと夜っぴて遊び疲れ、一緒に昇る朝日を見に屋外に行く時、疲れ切ってて会話もろくに無い状態で、朝焼けに刻々かわる空をグッタリ虚脱しつつウットリ陶然としながら、惚けたようにみんなで見つめる。その、彼ら込みの風景の、なんとキラキラしていることか! あと、オールナイトの夜会で旦那のルイ16世【注59】がベルサイユ宮殿へ帰りたがるくだりが出てくるんですよ。眠いし疲れたと。でも、マリーにとって夜はこれから。そこで彼女はこう言うわけです。「あなた、朝日の昇るところ見たことないでしょ?」と。朝日童貞だと。すると、旦那は「朝日くらい見たことあるさ!」と切り返す。「夜も明けきらないうちから公務で狩りに行くから、朝日なんて何度でも見たことがある」と言い返すわけです。野暮天としか言い様がないんですよ!するとマリーは「その朝日じゃないのよね…」という呆れ顔をしてみせる。つまり彼女が言っているのは、午前4時台の山手線の車窓から見える朝日、冒険の成果として獲得した朝日のことなんだけれど、ルイ16世にはその違いが分からない。 なかざわ:それもまた、ある年齢の若者だけが見ることのできる“キラキラ感”ですね。 飯森:ルイ16世が言っているのは、「部活の朝練で俺はいつも夜明け前に起きてる」とか「新聞配達のバイトで夜明け前に起きてる」とかですよね。どんだけ野暮天なんだよ陛下は!まぁ、遊び好きの女の子にとっては、あんまり一緒にいて楽しい奴じゃないだろうとは思いますね。 だから、ということでもないんですけど、先ほども言ったように、本作では「ベルばら」でもお馴染みのスウェーデン貴族フェルゼンが出てきます。マリー・アントワネットと運命の大恋愛を繰り広げた人物ですね。ところが、アンチ恋愛主義者と思われるソフィアたんは、まるっきりと言っていいほど彼との恋愛を描かない。ちょっとした恋の駆け引き的なセリフこそあれど、特にそこ広げるでもなくフェルゼンはフェードアウトしていきます。「ベルばら」だと例の野沢那智さん【注60】が声をやっていて、止め絵【注61】とか3回パン【注62】とかの出崎演出【注63】が大げさに炸裂して、一世一代、運命の恋が劇的に描かれているんですけどね。 なかざわ:ソフィアのロマンスに対する無関心って、清々しいくらいに一貫していますね。 飯森:そして、最後はフランス革命【注64】が起こるわけですが、そこは異常にアッサリ。これに僕なんかは公開時に噛み付いたんですが、ソフィアたんはそこを描きたいわけじゃないからアッサリだったんです。民衆がベルサイユ宮殿になだれ込んできて、マリー・アントワネットは彼らに対して深々と頭を下げる。それでも許されずにベルサイユを追放されてパリで幽閉されることになる。その際、馬車に乗せられて連れて行かれるのだけれど、同じ馬車に子供たちと野暮天の旦那もいる。その旦那さんとマリーは優しく見つめ合ってね、「酷いことになっちゃったけど、一人で連れて行かれるわけじゃないからお互いに良かったわよね、貴方もいるし子供たちもいるし…」みたいなことを、ふっと苦笑いみたいな微笑みで表現する。ルイ16世も同じように微笑み返す。幼いうちに政略結婚させられた上、ルイ16世は性的不能者だったらしいので、マリーは結婚後も7年くらいに渡って処女だったと言われています。つまり、好きで結ばれたわけではないし、二人の間に恋愛要素はなかった、一人は派手好きの遊び好きで一人は野暮天。だけど、それでも一応はいたわりあいながら共に生きてきた異性のパートナーとして描かれている。ラブストーリー一歩手前の男女を描いてきたソフィアたんの面目躍如たるところだと思います。ここにも“ラブストーリー一歩手前キラキラ”の眩しさがちょっとあったように記憶してます。この眩しさが描きたかったんでしょうね。どぎつい革命の流血沙汰なんか描きたくなかったんだろうと今なら分かります。 なかざわ:そう言われると確かにそうです。 飯森:ちなみに、マリー・アントワネットの夜遊び仲間として、ポリニャック夫人【注65】とランバル公妃【注66】が出てきます。ポリニャック夫人は仲間の中でも一番賑やかで騒々しくて、ランバル公妃はいつもニコニコしながら黙っている控えめな女性。そんな彼女たちが、その後どうなったのか。この映画では描かれていませんが、うるさい女ポリニャック夫人は真っ先にマリーを見捨てて亡命します。一方の大人しいランバル公妃はマリーのことをかばい、最期までともに行動をしたせいで暴徒に惨殺されてしまった。民衆はその首を棒に突き刺して、マリーのいる監獄の窓へ向かって掲げて見せたと言われています。お前もこうしてやるから覚悟しろ、ってことですね。フランス革命というのは、ある面では今のIS【注67】みたいな状態になっていたわけですよ。「余談ながら」とこういうエピソードをどうしても付け足したくなるのが、司馬遼オジサンの悪い盛り癖なんですけれど(笑)。 なかざわ:ポリニャック夫人を演じているのはローズ・バーン【注68】ですね。彼女はドラマ「ダメージ」【注69】の真面目な若手弁護士とか、映画「インシディアス」【注70】シリーズのお母さんの印象が強いので、しとやかで清楚なイメージだったのですが、そういう意味では異色のキャスティングでしたね。まあ、「ブライズメイズ 史上最悪のウェディングプラン」【注71】ではビッチな役どころでしたけど。 飯森:ランバル公妃役はメアリー・ナイって女優さんで、「誰だお前!?」って感じですけど、なんとビル・ナイ【注72】の娘さんということで、ソフィアたんとは七光りつながりのお友達なのかな?ふくよかで温厚そうで、セリフも大してない割にはすごく印象的で美味しい役でしたね。こんな女性が生首を串刺しにされたとはねぇ…劇中では出てきませんけど。 とにかく、フランス王国の国家財政を遊興で破綻させたという悪名高い歴史上の人物マリー・アントワネットを、ソフィアたんは“10代キラキラ”の次元まで引き戻してくることで、ちょっとはヤンチャもした全ての元10代が共感できる少女として見せているんです。買い物しまくって夜遊びして朝帰りしただけの女の子のお話。誰でも身に覚えのある若さゆえの放逸。「それって首まで斬られなくちゃいけないほどの悪かよ!?」と見終わった後で思わずにはいられない。今“お馬鹿セレブ”なんて呼ばれて叩かれている、パリス・ヒルトンとかそれに続く向こうの若い有名人の派手で無軌道なライフスタイルにしたって、彼らはマリー・アントワネット同様、我々庶民と違いカネを持ってるから乱痴気騒ぎのスケールがおのずと大きくなってしまうだけで、カネの無い我々にしても無いなりのスケールで若い頃は乱痴気騒ぎをしてたじゃないか。カネに比例したスケールの大小こそあれ、やってることの性質は同じ。誉められたものではないにしても、そこまで叩かれるべき悪なのか?大人ぶって常識ぶって叩けるほど我々元10代のオジサンは潔白だったっけ?なんてことまで思います。 いずれにしても、ソフィアたんの作品を振り返ってみると、彼女は単なる親の七光りでもなければ、ガーリーという言葉で片付けられる監督でもない。10代後半のキラキラをもう一度追体験してみたいという、全ての老若男女が見る価値のある映画を作り続けている、唯一無二の映像作家です。 なかざわ:それが彼女の作家性というものですね。 <注46>1923年生まれ。日本の小説家。「梟の城」で直木賞を受賞。歴史を題材にした小説で知られる。その他の代表作に「龍馬がゆく」「国盗り物語」など。1996年死去。 <注47>キャンディのようにカラフルでポップなアイテムなどのことを指す俗称。<注48>アメリカ発祥のアイスクリームのチェーン店。<注49>フランスを代表する焼き菓子。メレンゲに砂糖とアーモンドパウダーを加えたもの。カラフルな色合いと風味が人気。<注50>イギリスの高級靴ブランド。故ダイアナ妃やマドンナなどのセレブも愛用。 <注51>1975年制作、イギリス映画。全編をロウソクの光や自然光のみで撮影するなどし、18世紀ヨーロッパの雰囲気を忠実に再現した。アカデミー賞で4部門を獲得。スタンリー・キューブリック監督。 <注52>1946年生まれ、イタリアの映画衣装デザイナー。「バリー・リンドン」(’75)、「炎のランナー」(’81)、「マリー・アントワネット」(’01)、「グランド・ブダペスト・ホテル」(’14)で4たびアカデミー衣裳デザイン賞に輝く。<注53>正式名称はニューロマンティック。’70年代末から’80年代にかけて、イギリスから生まれたロック音楽のジャンル。代表的なアーティストはカルチャー・クラブやデュラン・デュランなど。 <注54>1980年に結成されたイギリスのロックバンド。日本でもTVCMに出演するなど大ブレイクした。 <注55>1954年生まれ。イギリスのロック歌手。’77年に結成したバンド、アダム&ジ・アンツでブレイクし、’82年の解散後はソロとしても活躍。 <注56>1982年に全英チャート9位をマークしたヒット曲。 <注57>1998〜2004年制作。アメリカのテレビドラマと、それをもとにした2008年と2010年の映画。NYに暮らすキャリア女性4人組の、奔放、かつ、お買い物中毒・ファッション・アディクトともいえる派手な暮らしぶりが話題となりヒット。<注58>1682年に建築されたフランスの宮殿。王族らが住んでいた。現在は世界遺産に指定されている。 <注59>1754年生まれ。フランスの国王。フランス革命で捕らえられて処刑された。1792年死去。 <注60>1938年生まれ。声優。2010年没。その代表作でありながらDVD/BD未収録だった『ゴッドファーザー』吹き替え特集をザ・シネマ10周年特集として放送し話題を集めた。前々回の対談のトークテーマ。 <注61>出崎演出の特徴の一つで、劇的なシーンでアニメの動きを止め、セル画調のベタ塗りではなく水彩画のような濃淡のムラのある一枚絵で印象を強調する手法。 <注62>出崎演出の特徴の一つで、映像で、キャメラを横に振ることが「パン」。それを同じ短い絵で3回リフレインして、印象を強調する手法。 <注63>止め絵や3回パン、透過光による逆光表現などを用いて、アニメにドラマチックな効果をもたらす演出術。出崎統は1943年生まれのアニメ監督。代表作は「あしたのジョー」(’70)や『エースをねらえ!』(’73)、「ベルサイユのばら」(’79)など。2011年死去。 <注64>18世紀後半に起きたフランスの市民革命。それまでの絶対王政から共和制へと移行した。 <注65>1749年生まれ。マリー・アントワネットの取り巻きとして、その優位な立場を私利私欲に使ったことで悪名高い。1793年、亡命先のウィーンで死去。<注66>1749年生まれ。マリー・アントワネットの女官。フランス革命時には国王一家を救うために奔走し、そのせいで1792年、暴徒に首を切り落とされた。 <注67>イスラミック・ステートの略。イラクやシリアの一部を支配しているイスラム過激派組織。 <注68>1979年生まれ。オーストラリア出身の女優。「トロイ」(’04)でブラッド・ピットの相手役を演じて注目される。 <注69>2007年から2012年まで放送されたアメリカのテレビドラマ。冷酷非情なベテラン弁護士パティと真面目な若手弁護士エレンの女同士の対決を描く。 <注70>2010年制作、アメリカ映画。怪奇現象に見舞われた一家の恐怖を描く。<注71>2011年制作、アメリカ映画。親友の花嫁介添え人に選ばれた女性を描くコメディ。アカデミー賞2部門ノミネート。 <注72>1949年生まれ、イギリスの俳優。「ラブ・アクチュアリー」(’03)の高齢者ロックシンガー役で英国アカデミー助演男優賞を受賞。代表作に「パイレーツ・ロック」(’09)、「マリーゴールド・ホテル」シリーズ(’12、’15)など。 次ページ>> ザ・シネマ社内で勃発!“「ブリングリング」ゲイ論争”の顛末 『ヴァージン・スーサイズ』©1999 by Paramount Classics, a division of Paramount Pictures, All Rights Reserved『ロスト・イン・トランスレーション』©2003, Focus Features all rights reserved『マリー・アントワネット(2006)』©2005 I Want Candy LLC.『SOMEWHERE』© 2010 - Somewhere LLC『ブリングリング』© 2013 Somewhere Else, LLC. 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COLUMN/コラム2016.02.15
男たちのシネマ愛④愛すべき、キラキラ★ソフィアたん(6)
飯森:最後に語っておきたいのが、ザ・シネマ社内で勃発した“「ブリングリング」ゲイ論争”です。 なかざわ:へ? どういうことです? 飯森:いや、あの作品が公開された時に、いつもの調子でうちのスタッフと感想や解釈について雑談していたんですけれど、僕は主人公の男の子がゲイだとは全く気付かなかったんです。本国のティーザー【注73】版ポスターには、主人公たちが格好つけてかけるサングラスだけが縦に並んでいて、そこに各キャラクターそれぞれの肩書きが書いてあるんですね。こいつが「首謀者」、こいつは「スター」みたいな感じに。で、この男の子のサングラスにはThe Right-Hand Manと書かれているんです。直訳すると「右手男」。これはどういう意味だろうと。日本では頼りにしている手下のことなどを「ボスの右腕」なんて呼んだりしますが、果たして英語の慣用表現でもそう言うのか?まあ、辞書で調べれば一発で分かったものを、調べるまでもなく、僕はマスタベーションのことだろうと即・思ったわけです(笑)。「右手が恋人」って表現が日本語にはあるじゃないですか。 なかざわ:はいはい、だったら左利きの人はどうするんだって話ですけどね(笑)。 飯森:左手だと他人に手コキされてるみたいでもっと気持ちいいという真面目な学説もありますが(笑)。まあ、それはいいとして、僕はThe Right-Hand Manというのを、オナニーしまくっている童貞野郎という意味に曲解したんです。 なかざわ:いやいや、英語でも「右腕」で正解ですよ(笑)。 飯森:首謀者である中国系の娘の右腕ってことが正解だったんですけどね。僕は、転校生で友達のいない主人公が、たまたま仲良くなった女の子とつるんで女子グループに入れてもらい、あわよくば誰でもいいから一発やらせてくれ!一番気が合う中国娘だったら最高だけれど、ハーマイオニー【注74】でも相手にとって不足はない、他の名も無き脇役みたいな娘たちでも一手ご指南願えるんだったら選り好みはしないんで是非とも!というわけで、彼女たちに気に入られようとワンチャン狙いでパシリとして仕える“童貞残酷物語”だと勘違いしちゃったんですよ。これがね、うちの女性スタッフによると「違う!彼はもともと男子グループよりむしろ女子グループにこそ入りたいようなメンタルの持ち主なんだ」と。男同士つるんでマッチョにスポーツなんかするよりは、女子に混じってファッションの話をしたいゲイの男の子なんだと言うんですが、悔しいことに僕には1ミリたりともゲイの要素がないので、当時はその解釈に納得いかなくて大論争にハッテン、もとい発展したんですよ。僕はゲイの考えは分からないけど、童貞の考え方なら理解できる。っていうか残念ながらそれしか理解できない。なので、主人公と主犯格の中国系の女子とは波長の合う親友、という描き方をソフィアたんはしていただけだったんですが、僕には主人公が彼女に惚れていて、やりたがっているようにしか見えなかった。そして、最後には捕まって刑務所送りになる。刑務所行きの護送車で、ダニー・トレホ顔【注75】とかアイス・キューブ顔【注76】が並ぶ囚人の中、ツルンとした顔の紅顔の美少年がただ1人。これはもう… なかざわ:完全にやられちゃうなと(笑)。 飯森:女子とやりたい一心で犯罪にまで手を染めちゃった童貞小僧が最後はダニー・トレホにやられちゃうという、まことに皮肉な、因果応報なお話でしたとさ!と綺麗にオチがつく解釈のはずだったんですけれど、うちの女性スタッフからは「どこをどう見たらそんな話になるんだ!ソフィアを汚すな!!」って憤慨されましてね(笑)。その後で、いろんな人の話を聞いても、僕以外は全員、あの子はどう見てもゲイじゃん?って言うんですよね。 なかざわ:まあ、確かに彼の立ち位置は微妙ですけれどね。明確に彼はゲイです、っていう直接的な描写もありませんし。 飯森:でも、彼がパリス・ヒルトンの家から盗んだ靴を、下着姿になって履くシーンがありますよね。 なかざわ:とはいえ、世の中にはノンケでも女装が好きな人は結構いますし、なにしろ、パリス・ヒルトンの靴ですから、思わず履いてみるっていうのも有り得ますよね。シャンパンを注いで飲む奴もいそうですけど(笑)。 飯森:それじゃ元彼のタランティーノじゃないですか(笑)。でも、ですよねえ!僕だって絶対に履いちゃいます。綺麗な女性芸能人の靴が手元にあったら、そりゃノンケだって普通は履いてみるでしょう。でもね、今となっては、この論争は勝負アリなんですよ。僕の完敗です。まず過去の監督やキャストのインタビューを見ると、「彼はゲイ」と明言していたんですよ。もちろん、映画は作り手のものではなく我々観客のものなので、受け手によって解釈は自由です。見る方がノンケだと感じたのならそれがその人にとっては唯一絶対の正しい解釈なんですけど、ただしこの論争に関しては、僕が全面的に間違っていたと負けを認めざるをえない。というのも、もしこいつがノンケだとしたら、今まで述べてきたソフィアたんの作家性と合致しなくなってしまうから。 最後に刑務所へ護送車で送られていく彼の表情がその決定的証拠です。罪の意識や後悔の念を感じているようには見えない。女子たちの誰かに童貞を捧げられなかった無念さも無論ありません。彼が脱童貞のために女子のパシリをしていたノンケなんだったら、ここで「女とやりたくて犯罪にまで手を染めたのに、結局やれず終いで、逆に男にやられちゃうのかよ、チキショー!」という顔をしていなければならない。でも、 それどころか、満足気な達成感すら見て取れるんです。微妙に眩しそうに微笑んでいるように見える。たまたま異性だった、恋愛には発展しえない親友の女子と、思いっきりやりたい放題を楽しんだ、そのキラキラした瞬間の数々、“10代キラキラ”と“ラブストーリー一歩手前キラキラ”を思い返して眩しそうに目を細めている。そう解釈したほうがよほどソフィアたんらしい。 なかざわ:そう考えると、彼女はセックスというものを、結構どうでもいいものに分類しているように思えますね。 飯森:だから、前月のヴァレリアン・ボロフチック特集の次にソフィア・コッポラを特集できるというのは、本当に良かったと思うんです。セックスというものが人間にとって欠くべからざる重要なファクターだというボロフチックに対して、セックス?恋愛?どーでもいいわ!というのがソフィアたん。彼女はそういう白か黒かみたいなことには興味がなくて、その中庸にこそホンワカとした機微のようなものを見出している。ここはぜひ、オジサンたちもボロフチックは見るでしょうから、今回ソフィアたんの作品にも触れていただいて、十代の頃に戻ってもう一度“キラキラ感”を体感して欲しいと思いますね。うおっまぶしっ! (終) <注73>一般的には本格的な広告展開を行う前の段階として、商品などの詳細を明かさないことで消費者の注意を喚起する宣伝手法のこと。映画やテレビドラマなどにおいても、作品のタイトルやイメージ画像のみを使用したポスターや予告編を流布し、その次に展開する正式なポスターや予告編へと繋げていく。 <注74>「ハリー・ポッター」シリーズのキャラクター。演じるのはエマ・ワトソン。1990年生まれ。イギリスの女優。「ブリングリング」では、空き巣に積極的に加わりながら家庭では良い子を演じ、事件発覚後は巻き込まれただけと主張する悪役を好演している。<注75>1944年生まれ。アメリカ出身の俳優。元ギャング。コワモテの悪役俳優として活躍し、「マチェーテ」シリーズ(’10、’13)で主演し注目される。<注76>1969年生まれ。アメリカ出身のラッパー、俳優。伝説のヒップホップグループN.W.A.の元メンバーで、映画に進出してからは出演だけでなく、製作、脚本、監督までこなす。 『ヴァージン・スーサイズ』©1999 by Paramount Classics, a division of Paramount Pictures, All Rights Reserved『ロスト・イン・トランスレーション』©2003, Focus Features all rights reserved『マリー・アントワネット(2006)』©2005 I Want Candy LLC.『SOMEWHERE』© 2010 - Somewhere LLC『ブリングリング』© 2013 Somewhere Else, LLC. All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2018.04.01
【男たちのシネマ愛ZZ⑥】『フランソワの青春』
飯森:先月に続く激レア映画対談、もとい映画闇鍋対談の後半戦ですね。今回は4月にお届けする20世紀FOXの激レア映画3本について、またまた熱く語り合いたいと思います! なかざわ:宜しくお願いいたします! 飯森:じゃあまずは『フランソワの青春』から始めましょうか。 なかざわ:いかにもあの時代、’60年代末の、ヨーロッパ映画、フランス映画の抒情的な香りを漂わす作品だと思いました。ジャンル的にいうと、いわゆる初恋ものですよね。童貞の少年が年上の大人の女性に恋をするというジャンル。ただし、主人公が年齢的にまだ小学生なので、『青い体験』とか『おもいでの夏』みたいに筆おろしまではいかない。 飯森:そこまでいったら『思春の森』になっちゃいますって(笑)。 なかざわ:主人公は、おじさん夫婦のもとで育てられている孤独なフランスの少年。ある出来事のせいで心に傷を負っている。その彼が、イギリスからやって来た、おじさんの戦友の娘だという美しい大人の女性に秘かな恋心を寄せる。この女性を演じているのがジャクリーン・ビセットなんですよね。 飯森:これですよ!僕は今回初めてこの作品を見たんですが、ずっと前からタイトルだけは知ってて見たいと思ってたんですけど、日本ではソフト化自体一度もされたことがないようで、中古VHSをヤフオク!で落とすという奥の手さえも使えずに困っていたんです。だったら最終手段、仕事にかこつけて(笑)買っちまおうと。全盛期ジャクリーン・ビセットの美貌を拝んでみたかったんですが、さすがにウルトラ綺麗っすね! なかざわ:ちょうどこの直前辺りが『ブリット』なんですけど、今まさに美貌の大輪が花開かんとする時期ですからね。ここから『大空港』や『映画に愛をこめて アメリカの夜』などを経て、’70年代を代表する美人女優となる。 飯森:濡れTシャツから乳首が透ける海洋アドベンチャー『ザ・ディープ』も眼福だったなぁ。だいたい、各時代に1人いるんですよね、彼女みたいな絶世の美人って。俺のタイプとか、好きな系統の顔とか、そんな個人的なつまらん趣味をはるかに超越した存在で、誰もが認めざるを得ない美人。言うなれば、美人の基準標本ですよ。「一般論として美人の典型例がこれです」と、例として示せるぐらいの。 なかざわ:ちょうど去年かな、『ナインイレヴン 運命を分けた日』という映画に出ていましたけど、お婆さんになっても絶世の美人でしたよ。 飯森:それは見れてないな。お婆さんになったジャクリーン・ビセットかぁ、う~ん、見たくないような…。見ても言われないと気づかないかもしれませんね。 なかざわ:いや一目で彼女だって分かります。恐らくリフトアップやボトックス注射などしてないので、皴の数なんかは年相応という感じですけれど、とても上品で美しい年齢の重ね方をしている。 飯森:おお、ほんとだ!iPhoneで検索したら、まんまですね。この人が道を歩いてたら「何者だあの婆さんは!?」とザワつきますな。 なかざわ:そのジャクリーン・ビセットが、主人公の11歳の少年がおじさん夫婦と暮らすフランスの田舎にある古いお屋敷に泊まりに来るわけです。 飯森:あれがまた、凄い大豪邸ですよね! なかざわ:いわゆるシャトーですよ。フランスの王侯貴族が、田舎の田園に別荘として建てたお屋敷です。 飯森:あのシャトーに暮らすおじさん夫婦って、王侯貴族にしちゃ地味に見えますけど? なかざわ:これってイギリスやイタリアもそうなんですが、ああいう古いお屋敷って維持費がかかるので、経済的に苦しい没落貴族だと比較的安く手放したりするケースもあるんですよね。田舎だと過疎化で人も少なくなってしまいますし。それを、裕福な中産階級や金持ちが買うことはよくあるんです。 飯森:確かに過疎化というのはその通りで、この映画の舞台って、本当に、凄まじい田舎ですもんね!ほぼ無人の世界に近い。 なかざわ:でも、それがいいんですよ。寂しげで哀愁が漂って。あの時代のフランス映画ならではの雰囲気だと思います。個人的な印象で言うと、ちょうどジャン=ガブリエル・アルビコッコの『さすらいの青春』辺りを彷彿とさせるような。で、監督のロバート・フリーマンという人、もともとは有名な写真家なんですね。 飯森:それもビートルズのアルバム・ジャケットなどを撮っていた。ちらっとネットで名前を検索してみたら、ビートルズの見たことのあるお馴染みの写真ばかりだったんで、あーこれこれ!とビックリしました。 なかざわ:確か映画監督としては、これを含めて数本しか撮っていない。 飯森:でも、言われてみると納得ですよね。これは確かに写真家の撮った映画だと。 なかざわ:そうです。セリフよりも映像の醸し出す雰囲気で淡々とストーリーを紡いでいく作品なんですよ。実際、初恋のほろ苦さをテーマにしたプロットそのものはシンプルでたわいない。 飯森:ただ、『おもいでの夏』みたいな映画と違うのは、一夏の思い出、童貞卒業、みたいなスッキリとしたヌキ所が無くって、最後まで見ても、なんとも言えないモヤモヤした未消化感と、あとはゾワゾワと心を波立たせるような不穏さがある。それが味ですよね。 例えば、風景がとても綺麗な映画で、これ今回ウチでHDで放送できますので(※HDサービス環境でご視聴の方は)、その綺麗さを存分にご堪能いただけると思うんですが、ただ、綺麗なだけじゃなくて、すごくシンメトリーな構図で画を捉えようとしますでしょ?お屋敷の門の真正面にカメラを置いて、まるで絵画のように全て左右対称に撮らえて。 なかざわ:視覚的なアプローチが写真家らしいですよね。 飯森:絵の中のような世界で、逆に、綺麗すぎて薄ら寒いんですよ。絵に閉じ込められて出られなくなったら怖いよな…と思わせる。綺麗なんだけど非日常的な感じに思わずゾワっとする。あと、主人公もすごい美少年で、女の子みたいな顔した男の子なんだけど、どこか暗い影があるというか、感情が乏しいというか。 なかざわ:いわゆる可愛らしい少年というより、ちょっと普通とは違う子だよねって雰囲気を醸し出している。 飯森:それがなぜか、ボロッボロの穴だらけの汚いセーターを着ているんですよね。あそこにもゾワっとくる。綺麗な風景の中にボロをまとった美少年。なんなんだこれは、と。 なかざわ:そう、あれがまた不思議なんだけど。別に虐待されているわけではない。確かにおばさんの接し方はちょっと冷たいけれど、虐められているわけじゃないですからね。 飯森:彼は普段は学校にも行かず家庭教師に勉強を教わっていて、しかも家にはおじさんとおばさん、召使のお爺さんがいるだけ。日常的な遊び相手がいないから、ずっとペットのウサギちゃんを抱っこしてて、ツリーハウスに上って独りぼっちで工作をしたりと、本当に孤独なんですよ。滅亡後の世界に独り取り残されたボロをまとった子、みたいなゾワゾワ感がある。 なかざわ:同年代の子供との交流もほんの僅かですもんね。 飯森:友達はちょっと出てくるけれど、学校に通ってないからたまにしか会ってないようだし、遊び場となると、東映特撮の採石場のような、あまり綺麗じゃない所で、あそこにもゾワっとする。そこへ行く道は、雑草の生い茂る野っ原で、そこにはセメントで護岸された汚い用水路が通ってるんだけど、水は濁ってて、なんか得体の知れん物が浮いてて、そこにドブ板みたいなのが橋として渡したあるだけで、まあ薄汚い。ゾワゾワする不穏な絵がチョイチョイ差し挟まれてくる。 これがこの子の世界の全てなのかよ、なんか閉じた世界だな…と。そんな、絵の中に閉じ込められたような、崩壊後の世界のような毎日が、来る日も来る日も繰り返される永劫の中で、ある日ジャクリーン・ビセットがお泊りにやって来て、彼は彼女に恋して、日常に変化の兆しが訪れるわけだけど、その恋の仕方がどうにも子供らしくない。 なかざわ:夜中にベッドで寝ているジャクリーン・ビセットにこっそり忍び寄っていってね。 飯森:おーはーよーございまーす、って感じで。マーシーか! なかざわ:でも布団にソッと入り込むのではなくて、髪の毛をハサミでちょん切る(笑)。 飯森:女の髪にフェティッシュな執着はあまり抱かんだろ、あの歳で。ジャクリーン・ビセットもビビりますよね。 なかざわ:あれがもうちょっとエスカレートして、バスルームでオッパイを触ったりするようになると『ナイト・チャイルド』のマーク・レスター君になるんですよ(笑)。あどけない美少年が実は変態サイコパスだったと。これはそういう映画じゃありませんが。ジャクリーン・ビセットはそんな少年を大人の対応で優しくたしなめるわけですけど。 飯森:でも理想的な大人の女性なのかというと、実はそんな女でもなさそうだということを、映画は徐々にほのめかしていく。僕が、ここ上手いなぁ!と感心したのは、男の子がジャクリーン・ビセットの部屋に忍び込んでクローゼットを漁る。下着でも盗むのかと思いきや、そういう変態マセガキ『ナイト・チャイルド』行為はせずに、香水だけ失敬して、あとは彼女の服をただウットリ眺めるだけなんですよね。大人の女の人のお洋服って綺麗だなぁ、ポォ~って。その中に、金属のドレスが一着ある。鎧かたびらのようなAラインのマイクロミニのノースリーブワンピね。当時流行ってた。あれって、パコ・ラバンヌというデザイナーのプレタポルテで、この頃のフランスだとフランソワーズ・アルディがよく着てたイメージですよ。映画だと『冒険者たち』でジョアンナ・シムカスも着てた。あの中でジョアンナ・シムカスは女流写真家で、自分の個展かなにかを開くときに、これからは私の時代よ!ってなノリであの派手な勝負ドレスで着飾って会場に乗り込みフラッシュを浴びる。でも、結局は大して注目されず鳴かず飛ばずで、中年負け犬男2人とトリオを組んで海洋トレジャーハントに夢をかけるようになる。つまりあの服って、虚栄心の象徴だと思うんですよ。自らを飾り立てて盛り立てて。でないとあんな金属で出来たドレスなんか着ませんよ普通! なかざわ:そもそも、あの頃のスウィンギン・ロンドンな最先端モードって、例えば全身が鎖で出来ているドレスとか、汗かいたら絶対に蒸れるビニール素材の『ブレードランナー』みたいなドレスとか、およそ実用的とは思えないようなファッションが多かったじゃないですか。 飯森:パコ・ラバンヌはその中でも極めつけで。なんせ『バーバレラ』の衣装担当ですからね。あれを生身の一般人が着るか普通!?という話ですよ。あの金属ドレスで、ジャクリーン・ビセットがどんな女か監督は描こうとしていると思うんですよね。当時のパコ・ラバンヌが持っていた意味合いは、ビートルズに付いて回ってたフォトグラファーなんだから百も承知してたはず。あれを着てる芸能人気取りの目立ちたがりの女を飽きるほど見てきたはず。その意味合いは何かと言えば、意外と、派手な場が好きな浮っついたチャラ女なんですよ、ということ。要はパリピなのよ。純真な少年の初恋に値するような、清純なマトモな女じゃないんですと。そのことを観客にだけ知らせるためのサインじゃないかと思うんです。子供は見てもわからない。でも当時の観客なら、あれ見ただけで一発でピンときたんだろうと想像するんですが、子供は誤解するんだ。金属の服を着ているから彼女はスパイだと(笑)。外国から来たって聞いたもんでソビエトによって追われてきたチェコの女スパイじゃないかって、『007』の見過ぎみたいなことを言う。 なかざわ:無知って素晴らしいですよね(笑)。 飯森:なぜに唐突にチェコと言い出したかというと、この映画の前年がプラハの春でしたからね。TVでプラハの春のニュース映像を見て、映画館では『007』を見て、おそらくその2つがゴッチャになっちゃってる。ちょっと夢見がちなところがあるんですかね、あの少年は。 なかざわ:ああいう周りに何もない環境で、しかも普段から独りぼっちということであれば、あらぬ空想や妄想を逞しくしてしまうのも頷ける話ではありますけどね。 飯森:で、ここから先はネタバレになりますが、 【この先ネタバレが含まれます。】 ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ 飯森:優しく綺麗なお姉さんだなぁと思っていたら、実はおじさんの知人の娘でもなんでもなくて、若い愛人だったと観客には後半でバーンと明かされる。パコ・ラバンヌの伏線、汚い用水路の伏線、もろもろここで回収です。 なかざわ:大人の世界は汚いですからねえ…。 飯森:あとは、少年を冷遇しているおばさん。少年のことを、息子も独立し久しぶりに夫婦水入らずだったはずの生活を台無しにするお邪魔虫として目の敵にしていて、すごくトゲトゲしく接するんですよね。だから彼は気にして家ではなくツリーハウスの方にずっといるんですが、この人がまたちょっと痛くて、成人した息子もいるのに未だに変に乙女なところがある。ヤな感じで色気づいているんですよね。大昔に旦那がくれたラブレターを引っ張り出してきて読み上げたりとか。妙な恋愛モードなのね。 なかざわ:髪を染めたりとかもして。ジャクリーン・ビセットに対抗意識燃やして。でも結局、旦那には「次に髪染めるときは色を変えろ」とか言われちゃうし(笑)。 飯森:まあ、あの奥さんの、大人になりきれていない、いつまでも腰を据えない乙女チッックテンションに、旦那はウンザリしてたのかもしれませんね。そして、そんな理由でおばさんに意地悪されてるあの男の子は一番可哀想。おばちゃん、いい歳なんだからもう落ち着いてくれよと。キャピキャピしてる暇があるんだったら俺のことちゃんと育てろよって(笑)。 なかざわ:悪い人じゃないんだけど自己中。 飯森:でもって最後はチャラ男ですよ。ジャクリーン・ビセットの滞在と時を同じくして、おじさん夫婦のチャラい放蕩息子が家に帰ってくる。 なかざわ:マルク・ポレルですね。彼はルキノ・ヴィスコンティ監督の『ルードウィヒ/神々の黄昏』と『イノセント』に出ていて、恐らく晩年のヴィスコンティが第2のヘルムート・バーガーに育てようとしていたのだろうと思うんですけど、結局はB級アクション俳優みたいになっちゃった。 飯森:次に寵愛しようとしてたのかな?(笑) まあ、ヘルムート・バーガーもB級ポルノ俳優みたいになっちゃいましたけどね。そう言われると、この主人公の男の子もヴィスコンティ映画に出ていてもおかしくないような彫刻的な超絶美少年ですね。で、チャラ男に話を戻しますが、奴は親父の愛人だとはつゆ知らずにジャクリーン・ビセットを口説きまくるんだけど、ことごとくソデにされる。 こうして狂騒曲を、滑稽に、愚かしく、しかしこの映画ですから静謐に、大人どもが演じた挙句に、とうとうジャクリーン・ビセットが帰る日がやって来る。そして、これは究極のネタバレだな、でもハッキリ言っちゃいますけど… 少年の恋は最後まで実りませんよ。そりゃ当然でしょ!まだ11歳なんだもの、付き合ったり結婚したりというオチになろうはずがない。筆下ろしにしたって早すぎる。恋は実らず終い、結局は、全てが元に戻って終わる。 なかざわ:そうなんですよね。あそこで少年が何か突拍子もない行動にでも出るのかなと思ったら、まるで全てを受け入れるかのような表情でしたからね。 飯森:彼女のクローゼットからパクった香水を頭から1瓶丸ごとかぶるという奇行には出ますけどね。せいぜいがそれで、むせるような彼女の香りに全身包まれて、お終い。ゾッとする終わり方ですよ。絶望的になんにもない日常に戻る。「べた凪」って言葉あるじゃないですか。風や波がやんで、海の水面が鏡のように静まり返ってしまう。昔の帆船時代なら死ぬところ。そういう状態に戻っちゃう怖さですよ。綺麗なお姉さんがやって来て、性の目覚めではないかもしれないけど、少なくとも恋を知り、何かが変わってくれるかと思ったら、何一つ変わらなかった!ほろ苦い初恋というより救いのない絶望ですよ。せめて別れ際にエヴァでミサトさんがシンちゃんにしてくれたようなご褒美のチューでもくれてやって、「大人のキスよ。帰ってきたら続きをしましょ♥」とでもリップサービスの1つも言ってやればいいのに、それさえあげない。けっこう絶望的な、怖い怖い終わり方だなーとゾワッとしましたね。 なかざわ:でも、この映画の場合はそれで正しいんだ思いますよ。こういう、ほんのりと暗くて寂しくてセンチメンタルな作品は好きですね。 飯森:そう。褒めてます。胸にグッと迫る哀感があると思います。 なかざわ:この手の映画ってヨーロッパではいつの時代にも作られていて、なおかつ常に一定の映画ファン層に受け入れられる土壌があるように思います。 飯森:孤独と閉塞感というテーマに興味がある人にもオススメな1本ですね。 なかざわ:日常の中で何か決定的な不満があるわけじゃないんだけれど、漠然と満たされないものや息苦しさを抱えている人が、共感できるような部分はあるかもしれません。 飯森:人生のうちそういう瞬間って、誰しもあるかもしれません。僕も今こういう業界にいると、目まぐるしすぎてそれが悩みなんですけど、その前の仕事では、毎日が同じことの繰り返しで全く変化がない、という生活を送っていたことがあるんです。そうするとやがて閉塞感に襲われるんですよ。あれはなかなかしんどい!出口のない怖さを感じるんですね。あの息苦しさを上手く描出している映画だと思いました。それと、ジャクリーン・ビセットはとにかく綺麗と! なかざわ:歌手のシャンタル・ゴヤも出てきますよね。’60年代フレンチ・ポップス界のイエイエ・ガール。 飯森:プールのシーンですね。水着姿で。ジャクリーン・ビセットとシャンタル・ゴヤって、よくよく考えるとすごい顔合わせですよね!そういうキューティーたちの’60年代ヨーロッパ・カルチャーにアイドルを探せって感じで憧れてずっと見たいと願い続けてきた作品なんで、ほんとに、念願叶って良かった!! なかざわ:それと、あの意地悪なおばさん役をやっているジゼル・パスカルという女優さん、モナコ公国のレーニエ公がグレース・ケリーと結婚する前に付き合っていた元カノなんですよ。 飯森:ええっ!? マジですか?ほんとに王侯貴族予備軍だったのかよ! なかざわ:若い頃はムチャクチャ美人だったらしくて、あのゲイリー・クーパーと付き合っていたこともあるそうです。レーニエ公とはお互いに結婚まで考えたらしいんですけど、自分の息子を跡継ぎにしたいレーニエ公の姉アントワネット公女に「ジゼルは子供が生めない体だ」って根も葉もない噂を流されて、それが原因で破局してしまったと言われています。 飯森:そりゃまた、エグい話ですなあ…。意地悪バアさんどころか、気の毒な人だったのね…。 なかざわ:オードリー・ヘプバーンの『シャレード』で切手鑑定士を演じていたポール・ボニファスも、召使のお爺さんとして出てきますし、脇役のキャスティングにも注目して欲しいですね。■ © 1969 Les Productions Fox-Europa S.A.R.L. and Les Films du Siecle. Renewed 1997 Twentieth Century Fox Film Corporation and Les Films du Siecle. All rights reserved. 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存
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COLUMN/コラム2018.04.11
【男たちのシネマ愛ZZ⑦】『MOVE』
飯森:次にご紹介するのが、先月の『イカサマ貴婦人とうぬぼれ詐欺師』と同じく、これが恐らく本邦初公開となる激レア未公開作品で邦題もまだ付いてない『MOVE』ですね。 なかざわ:のっけから人を食ったような展開で、思わず呆気にとられましたよ(笑)。マーヴィン・ハムリッシュによる、いかにも’70年代らしいポップなテーマ曲がまた良いんだよなあ。 飯森:マーヴィン・ハムリッシュとは? なかざわ:作曲家です。恐らく一番有名なのはバーブラ・ストレイサンド主演の『追憶』と、ポール・ニューマン&ロバート・レッドフォードの『スティング』ですかね。あとはブロードウェイ・ミュージカル『コーラスライン』の音楽も彼の仕事ですよ。 飯森:うわっ!ものすごい超大物じゃないですか!! この映画では、それほど耳に残る音楽がなかったような気もしますけど…(笑)。 なかざわ:いや、僕はこういう’70年代的なイージーリスニング風の爽やかサウンドは好きですね。確かに『追憶』や『スティング』ほどの強烈なインパクトはないかもしれませんが。で、冒頭で主演のエリオット・グールドが道を歩いていると、反対側から道路工事のローラー車が近づいてきて、とんでもないことになっちゃう。 飯森:両足がアスファルトにくっついちゃって動けなくなる。そこへローラー車がどんどんと近づいてきて、「動けねーよー!」と叫んでいるうちにペッチャンコに轢き潰されるという(笑)。まるっきし漫画。あれって夢落ちでしたっけ? なかざわ:いや、これが白日夢というか、要するにストレスを抱えた主人公の妄想で、全編に渡ってあちこちで、こういった妄想が差し込まれるんですよ。 飯森:しかも、どこまでが現実でどこからが妄想なのか、その境界線が全く分からないような描き方がわざとされていますよね。 なかざわ:そう!他にもほら、近所の奥さんが赤ちゃんにオッパイをあげていると… 飯森:胸が3つあるという。『トータル・リコール』かっつーの(笑)。赤ん坊嫌いという意味なのか、エリオット・グールドいつもイラついてますからね。 なかざわ:現実と妄想の線引きが全くなされないまま、いきなりあれが出てくるからビックリしますよ。これが『暴力脱獄』や『マシンガン・パニック』のスチュアート・ローゼンバーグ監督の作品だっていうんだから、なおさら狐につままれたような気分になっちゃいます。 飯森:以前になかざわさんとの対談でも語った『マジック・クリスチャン』に通じる雰囲気がありますよね。あの時代特有のシュールな空気感は似ているんだけど、でもあそこまでぶっ飛んでいるわけでもない。本作には物語のすじはちゃんとありますからね。エリオット・グールド扮する主人公は脚本家を目指しているんだけどスランプ気味で、今現在はエロ小説の執筆で生計を立てている。それと犬の散歩バイト。 なかざわ:犬の散歩のアルバイトって他の映画でも見たことあるんですけど、実際にああいう仕事があるんですかね? 飯森:それがアメリカでは今もバリバリあるらしいです。中堅以下の大学を卒業しても就職口が見つからない、とはいえ学費ローンは卒業後すぐから返済せねばならない、ということで卒業して犬の散歩師になった若者の話題を、どこかの経済ニュースでここ数年以内に見た記憶がありますから。お客さんから預かったペットの犬を外へ連れ出し、散歩がてらウンチやオシッコをさせる仕事らしんですが、アメリカは家の中に犬用のトイレはないのかよ!?と。 なかざわ:ない方がおかしいような気もしますけどね。 飯森:でしょ?にしても、当時の日本では考えられないことですよね。今だと普通ですが。 なかざわ:確かに、昔のマンションはペット厳禁のところが多かったと思います。 飯森:さすがアメリカは進んでいて、あの頃からすでにマンハッタンのマンションでは大型犬が飼われていた。 なかざわ:その依頼人のお婆ちゃんをメエ・クェステルがやっているんですよね。アニメの『ベティ・ブープ』の声優として有名な。 飯森:ああ!そういえば、そんな声のお婆ちゃん出てきましたね。 なかざわ:彼女は晩年にウディ・アレンの『ニューヨーク・ストーリー』にも出ているので、恐らくニューヨーク在住だったんでしょうね。 飯森:で、まあ、エロ小説書いて犬を散歩させて、それで食っていけて本人も自由で楽しい人生だと言うんだったら別に一向に構わないと思うんですけど、彼自身は「こんな人生クソだ…」と、あせりとイラ立ちを覚えてる。 なかざわ:上昇志向というか、より豊かな生活をしたいという野心は強いんでしょうね。というのも、これからもっと広いアパートに引っ越しをするという設定じゃないですか。 飯森:美人の奥さんもいますし、いずれ子供もできるかもしれないし、エロ小説と犬の散歩だけで一家を養っていくというのは、さすがに自由奔放すぎるかもしれない、それじゃダメだと。脚本家として認められたいと思いつつ、嫌々ながらも食うために今の仕事をやっているんですよね。しかもエロ小説書いてるわりに自身の下半身はインポ。そういう環境の中で自信を失っているのかな。 なかざわ:男性としてってことですね。 飯森:それでも奥さんは文句を言わない。いい奥さんなんですよね。自分で仕事も持っていて。旦那さんに「もっと稼いできなさいよ!」なんてガミガミ言うこともないし。むしろ、夫がインポ気味でセックスレスになっていることに寂しさを感じている。とても優しい奥さんなんだけど、エリオット・グールドはイライラして八つ当たりするんですよね。で、よりによってそんな時に引っ越しをしようとしている。 なかざわ:で、よりによってその引っ越し屋がなかなか来ない(笑)。そればかりか、彼の思い通りにならないようなことが次から次に起きる。 飯森:あれを見ていて『インサイド・ヘッド』を思い出したんですけど、あの映画でも引っ越し屋が約束の日になかなか来ないじゃないですか。 なかざわ:日本だったらあり得ませんね。そんな業者はすぐに廃業ですよ。 飯森:確かに、賃貸契約が明日までっていう時に引っ越し屋が来なかったら大事になっちゃいますもんね。そういうわけで、主人公が引っ越したいのに肝心の引っ越し屋は来ず、家中段ボールだらけで困った!という中でイライラもますます募り、しかも現状の自分には不満だし性的にも萎えちゃっている。そんな八方塞がりで悩んでいる時に、すげえ良い女から逆ナンされちゃうわけですけど、あのシーンって現実なんですかね?妄想なんですかね? なかざわ:それがこの映画だと分からないんです。あと、ちょいちょい社会風刺をぶっ込んでくるじゃないですか。 飯森:拳銃夫婦とかね。これ最近だと笑うに笑えないタイムリーすぎるギャグになっちゃってるんだけど、当時NYは治安が凄まじく悪かったじゃないですか、’60年代に政治の季節で荒れた名残りで。で、ここら辺は物騒だから銃規制すべき!ではなくて、むしろ物騒だから逆に銃武装しよう!という、アメリカ人以外には納得しづらいワイルドウエストの論理で拳銃を持った夫婦が、アパートで賊と銃撃戦を始めちゃう。 なかざわ:40年以上経った今もアメリカそこは全く変わってませんね。 飯森:ってか200年変わってない(笑)。せめてこの時代に手を打っていればねぇ…。でも、この映画の良いところは、そういうこと言っている奴らをおちょくっている点ですよ。エリオット・グールドが買い物から帰ってくると、アパートの踊り場で、拳銃夫婦の奥さんがどっかの田舎州の元ミスだったからとミスコンの格好をしていて、旦那の方は西部劇のガンマンみたいないで立ちで、同じく西部のアウトローみたいな格好しているチンピラと銃撃戦していて、自衛のために銃武装ってお前ら西部劇か!と風刺している。このシーンは現実ではなく妄想だって分かりやすいんですけど、そういう社会風刺的な見どころも多いですね。 なかざわ:この映画って’70年の7月にアメリカで封切られていて、ちょうど『ボブ&キャロル&テッド&アリス』や『M★A★S★H』でエリオット・グールドがブレイクしたばかりの時期なんですよね。それにもかかわらず、なぜかアメリカ本国でも滅多に見ることが出来ない。 飯森:そうなんですよ。残念ながら今回はあまり画質が良いとは言えない4:3の、つまりブラウン管時代の古いTV用マスターかVHSマスターで放送するんですが、その理由はアメリカ本国でもワイドのニューマスターのテープを作っていないから。それだけ貴重な作品をウチが発掘してきたということの証ではあるのですけどね。 なかざわ:もしかすると、当時の観客もこれを見て困惑してしまったのかな。それが理由でマイナーのまま? 飯森:いや、’70年代の観客であれば、この映画を理解できるだけのリテラシーは持ち合わせていたと思いますよ。 なかざわ:とはいえ、IMDbのユーザー・レビューも数えるほどしかない。よっぽど見ている人が少ないんでしょうね。 飯森:僕的には、「そんな映画も見れるザ・シネマって凄くないですか!?」とは、声を大にして訴えたい。そういえば、逆ナンしてくる女の子を演じているジュヌヴィエーヴ・ウェイトって、『ジョアンナ』に出ていた女優さんですよね。あの娘も’60年代~’70年代らしいというか、あまり肉感的ではなくて、ツィッギーみたいに細くてキュートな娘なんだけど、ここでは惜しげもなくヌードを披露している。 なかざわ:しかもエリオット・グールド相手に(笑)。 飯森:背中まで毛だらけで、あれは衝撃的!でも、エリオット・グールドがカッコいいっていうのも、いかにも’70年代っぽいですよね。 なかざわ:服を着ていても脱いでも、どこからどう見たってただのメタボ気味なオッサン。今のハリウッドではあり得ない体型ですよ。 飯森:でも、あの斜に構えたところと、その中に漂うシニカルな知性というのが、’70年代ならではの「いい男」なんでしょうね。彼とか『ソルジャー・ボーイ』のジョー・ドン・ベイカーとか、ブサイクなモッサいオッサンが最高にカッコ良かった、古き良き時代。俺もあの頃生まれていたら相当モテてたな(笑)、なんて言ったら怒られますが。 なかざわ:’70年代に持て囃されたスターたちって、’80年代以降の落ちぶれ方が激しい人も多いですもんね。エリオット・グールドだって、最近でこそテレビドラマで復活していますけど、一時期はまるでそっぽ向かれていましたから。 飯森:’70年年代後半、『スター・ウォーズ』とか日本だとピンク・レディーとか、あそこらへんを境に時代の求める顔や性格がガラリと一変しましたよね。それこそ、反体制の知的なムードやニヒリズムを売りにしていた人は、’80年代以降は悲惨だったかもしれない。エリオット・グールドだって、反体制的でやさぐれた感じが売りでしたからね。 なかざわ:そう、その不健康な感じが’80年代以降、彼にとって不利になったのかもしれません。 飯森:それにしても、こういうナンセンスな不条理コメディってのも、最近ではすっかり見かけなくなりましたねぇ…。 なかざわ:僕の記憶にある限りでは『マルコビッチの穴』が最後ですかね。 飯森:それだってもうずいぶん昔ですよ。 なかざわ:そういうちょっと首を傾げるようなユーモアの中にこそ、実は社会風刺なり人間風刺なりを滑り込ませやすいと思うんですけどね。そう考えると、これは非常に知的で様々な解釈を許容する大人向けの不条理コメディと言えるかもしれません。 飯森:この映画って、最後の終わり方もまたちょっと不思議なんですよね。ここから先はネタバレですけど、 【この先ネタバレが含まれます。】 ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ 引っ越し業者が来ないせいで無駄に何日も過ごしてしまい、外泊したエリオット・グールドが自宅へ帰ってみたら荷物はなくなっているし、奥さんの姿もないし、次の入居者がもう入っちゃってた。どうしよう!俺の居場所はもうない!とパニクって、一応ためしに新居の方を覗いてみたら、既に引っ越しは終わっていて奥さんがお風呂に入って待っていて、彼はなあんだとホッとする。 なかざわ:あの奥さん役の女優、ポーラ・プレンティスっていう’60年代の青春映画のスターだったんですよ。コニー・フランシスの主題歌で有名な『ボーイハント』とか。コメディエンヌとしても人気で、ピーター・セラーズの映画にも出ていましたね。 飯森:本作の頃にはいい具合に熟してます(笑)。その奥さんとエリオット・グールドが仲良く泡風呂で体を洗いっこしていると、カメラが俯瞰で真上から2人の姿を捉えながらグーッと上昇していってTHE ENDとなるんですが、カメラはいつまでも天井に突き当らず無限に上昇していく。浴室の四方の壁もそれにともなってビョ~ンと上に伸びていくんですよね。つまり、天井高が数百メートルもある縦穴みたいなありえない形の浴室で、最初は役者の数メートル上にあったカメラが、上昇して浴槽の夫婦からどんどん遠ざかり、穴の底の2人は点みたいになっていく。 これって、とりあえず引っ越しは終わったし、何か差し迫って困っているわけでもない、食ってはいけてるんだし、新居で夫婦水入らずで、幸せだから別にいいんじゃないの?ってことなんですかね?世界の底の狭い穴蔵に2人きりだけど、案外これも良いもんじゃないか、と。 なかざわ:いずれにせよ、この映画が非常に寓話的であることを物語るシーンですよね。 飯森:僕としては、『フランソワの青春』と同じテーマを逆から描いて正反対の結論に持っていってる映画だという気がするんですよ。要するに、閉塞感。閉塞感のある日常がまた無限に繰り返されて、主人公は脚本家として成功することもなく、これまで通り不本意なエロ小説の執筆と犬の散歩をずっと続けていくのかもしれないけれど、ちょっとMOVEして気分も変わり、今の俺の人生にも満足すべき要素だってあるじゃないか、そこに喜びを見出せばいいじゃないか、ってことに気が付いた。奥さんの存在ですね。 なかざわ:ささやかな幸せを噛み締めるというやつですね。 飯森:そう、閉塞感とささやかな幸せって、実は≒なのかもしれませんよね。日々激動するドラマチックすぎる人生に、ささやかな幸せなんて無いでしょう?『フランソワの青春』でネガティヴに描かれたテーマを、ここでは「それもまた良し」とポジティヴに描いている。その違いのように思うんですよね。だから、この2本はセットで見ていただいて確かめてもらえるといいかもしれませんね。 最後に、今回僕が20世紀フォックスから貰った画像の中にはなくて、本編の中でも出てこないんですけど、この映画の宣材写真で、奥さんのポーラ・プレンティスがヌードになっているお宝カットをネット上で発見したんですよ。エリオット・グールドと一緒に泡風呂に入っていて、泡にまみれながらオッパイ丸出しでカメラ目線。これがまた形の良いオッパイなんだ!さすがに商売柄、ネットで拾ってきた画像をここに著作権侵害で晒すわけにもいきませんので、リンクを貼ったツイートを僕のツイッターのトップに期間限定で4月いっぱい固定しておきますから、見たい人は見にきてください(笑)。 なかざわ:そうだ、あと今回も『イカサマ貴婦人とうぬぼれ詐欺師』と同様に、邦題も決めなければいけないんだった!しかし、これは難しいですね…。 飯森:僕も今回は降参ですわ。原題の『MOVE』には「動き出す」という意味と、「引っ越し」という意味の両方が含まれているわけですが、この英語のダブルミーニングを上手いこと邦題に生かそうとするのは無理!もう『MOVE』のまんまでいいんじゃないかと。 なかざわ:それは私も同感です。前回、飯森さんが仰っていたように、独創的過ぎるタイトルを考えても配給元からNGを喰らう可能性がありますしね。■ © 1970 Pandro S. Berman Productions, Inc. and Twentieth Century Fox Film Corporation. Renewed 1998 Twentieth Century Fox Film Corporation and Pandro S. Berman Productions, Inc. All rights reserved. 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存
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COLUMN/コラム2016.12.29
飲んで食ってファックしてゲロ吐いて糞尿まき散らして死んでいく、ブルジョワたちの快楽自殺。エログロなブラックコメディ〜『最後の晩餐』〜01月11日(水)深夜ほか
フェデリコ・フェリーニ監督の『甘い生活』('60)とミケランジェロ・アントニオーニ監督の『情事』('59)が、'60年の第13回カンヌ国際映画祭でそれぞれパルムドールと審査員特別賞を獲得。黄金期を迎えた'60年代のイタリア映画界は、巨匠の芸術映画からハリウッドばりの娯楽映画まで本格的な量産体制に入り、文字通り百花繚乱の様相を呈した。 そうした中で、戦後イタリア映画の復興を支えたネオレアリスモの精神を、新たな形で高度経済成長の時代へと受け継ぐ新世代の社会派監督たちが台頭する。『テオレマ』('68)や『豚小屋』('69)のピエル・パオロ・パゾリーニ、『悪い奴ほど手が白い』('67)や『殺人捜査』('70)のエリオ・ペトリ、『アルジェの戦い』('66)のジッロ・ポンテコルヴォ、『ポケットの中の握り拳』('65)のマルコ・ベロッキオ、『殺し』('62)や『革命前夜』('64)のベルナルド・ベルトルッチなどなど。権力の腐敗や社会の不正に物申す彼らは、保守的なイタリア社会の伝統や良識に対しても積極的に嚙みついた。 中でもパゾリーニと並んで特に異彩を放ったのが、当初は『女王蜂』('63)や『歓びのテクニック』('65)といったセックス・コメディで注目された鬼才マルコ・フェレ―リだ。 美人で貞淑な理想の女性(マリナ・ヴラディ)を嫁に貰った中年男(ウーゴ・トニャッツィ)が、子供を欲しがる嫁や女の親戚たちにプレッシャーをかけられ、頑張ってセックスに励んだ末にポックリ死んじゃう『女王蜂』。 全身毛むくじゃらの女性(アニー・ジラルド)と結婚した男(ウーゴ・トニャッツィ)が、嫁を見世物にして客から金を取ったり、その処女を物好きな金持ちに売ったりして荒稼ぎした挙句、難産で死んだ後も彼女をミイラにして金を儲けるという『La donna scimma(類人猿女)』('64)。 イタリア映画お得意のセックス・コメディを装いながら、イタリア社会に蔓延る偽善や拝金主義、さらには家族制度や男尊女卑などの伝統的価値観を痛烈に皮肉りまくったフェレ―リ。 その後も、女王然とした女(キャロル・ベイカー)が愛人の男たちを足蹴にする『ハーレム』('68)や、逆に男(マルチェロ・マストロヤンニ)が女(カトリーヌ・ドヌーヴ)を犬扱いする『ひきしお』('70)、男尊女卑の男(ジェラール・ドパルデュー)が妻にも恋人にも見捨てられ最後は自分のペニスを切り落とす『L'ultima donna(最後の女)』('76)など、'60年代から'70年代にかけてエキセントリックかつ強烈な反骨映画を撮り続けたフェレーリだが、その最大の問題作にして代表作と呼べるのが、カンヌでも賛否両論を巻き起こした『最後の晩餐』('74)である。 あらすじを簡単にご紹介しよう。パリのとある大邸宅に4人の裕福な中年男たちが集まって来る。有名レストランの料理長ウーゴ(ウーゴ・トニャッツィ)、テレビ・ディレクターのミシェル(ミシェル・ピッコリ)、裁判官のフィリップ(フィリップ・ノワレ)、国際線機長のマルチェロ(マルチェロ・マストロヤンニ)。美食家の彼らは大量の食料品を屋敷に運び込み、連日連夜に渡って豪華な晩餐会を開くことになる。その目的は、美食三昧の果てに死ぬこと。しかし、食欲だけでは飽き足らなくなった彼らは、たまたま屋敷を訪れた豊満な女教師アンドレア(アンドレア・フェレオル)と3人の娼婦たちを招き、やがて事態は美食とセックスと汚物にまみれた酒池肉林のグロテスクな宴へと変貌していく。 要するに、人生に悲観したブルジョワたちが快楽の果ての自殺を目論み、飲んで食ってファックしてゲロ吐いて糞尿まき散らして死んでいく姿を赤裸々に描いた、エログロなブラックコメディ。見る者の神経をあえて逆撫でして不愉快にさせるフェレーリ監督の、悪趣味全開な演出が圧倒的だ。今となって見れば性描写もグロ描写もさほど露骨な印象は受けないものの、'70年代当時としては相当にショッキングであったろうことは想像に難くない。 しかも主人公4人を演じるのは、いずれもイタリアとフランスを代表する一流の大御所スターばかり。そのネームバリューにつられて見に行った観客はビックリ仰天したはずだ。これが一部からは大変なブーイングを受けつつも、カンヌで審査員特別賞を受賞したというのは、やはり'70年代のリベラルな社会気運の賜物だったと言えるのかもしれない。 面白いのは、主人公たちが自殺をする理由というのが最後まで明確ではないという点だろう。とりあえず、ウーゴが女房の尻に敷かれて頭が上がらない、フィリップは女にモテず独身で年老いた乳母に性処理してもらっているっていうのは冒頭で描かれるが、それ以外の2人が抱えた事情については全く触れられていない。いずれにしても、恐らく取るに足らないような漠然とした理由であることが想像できる。そんな甘ったるいブルジョワ親父たちが、快楽の限りを尽くして死のうとするわけだ。全くもってバカバカしい話なのだが、その根底には行きつくところまで行きついた現代西欧文明の物質主義に対する大いなる皮肉が込められていると見ていいだろう。 そんな男たちの愚かで滑稽な最期を見届けるのが、プロレタリアートの女教師だというのがまた皮肉だ。しかも、これがフェリーニの映画に出てくるようなアクの強い巨体女。食欲も性欲も底なしの怪物で、終始男たちを圧倒する。それでいて、母性の塊のような優しさで男たちを包み込む。まるで庶民の強さ、女の強さを象徴するような存在だ。演じているアンドレア・フェレオルは、なんと当時まだ20代半ば。いやはや、その若くしての貫録には恐れ入るばかりだ。その後もフォルカー・シュレンドルフやリリアーナ・カヴァーニ、フランソワ・トリュフォーらの巨匠たちに愛され、ヨーロッパ映画を代表する怪女優として活躍していくことになる。ちなみに、舞台となる屋敷の管理人をしている老人を演じているのはアンリ・ピッコリ。そう、ミシェル・ピッコリの実父だ。 恐らくルイス・ブニュエルの『皆殺しの天使』('62)や『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』('72)にインスパイアされたものと思われる本作。マルコ・フェレ―リならではの社会批判や文明批判が、最も極端かつ過激な形で結実した希代の怪作と言えるだろう。その後の彼は酔いどれた詩人(ベン・ギャザラ)の苦悩と再生を描く『町でいちばんの美女/ありきたりな狂気の物語』('81)、自由奔放な母親(ハンナ・シグラ)とその娘(イザベル・ユペール)の複雑な愛憎を描く『ピエラ 愛の遍歴』('83)と、より内省的なテーマへと移行していく。日本ではあまり注目されることなく'97年に他界したフェレーリだが、もっと評価されてしかるべき孤高の映像作家だと思う。■
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COLUMN/コラム2016.11.01
官能的で背徳的、かつ、繊細で美しく上品な青春残酷物語。イタリアン・エロス激レア作『アパッショナータ』(旧題『欲望の果実/許されぬ愛の過ち』)
映画の楽しみ方というのは人によって様々だとは思うが、恐らく“女優で見る”という映画ファンも少なくないだろう。かくいう筆者もその一人。スクリーンに美しくも神々しい大輪の花を咲かせる女優は、その存在自体がまさしく芸術だ。もちろん、なにも若けりゃいいってもんじゃないし、綺麗なだけで中身のないマネキンを女優と呼ぶのも憚られる。美しさにだっていろいろ。肝心なのはスターのオーラであり、立ち振る舞いであり、スタイルであり、そして演技者としての表現力だ。優れた女優は時として平凡な映画を傑作に変えることだってあるし、作り手に思いがけないインスピレーションを与えることもある。 それぞれの時代のそれぞれの国で素晴らしい女優が存在してきたが、中でも’50~’70年代にかけてのイタリア映画は世界に冠たる女優の宝庫だったと言えよう。ソフィア・ローレンにジーナ・ロロブリジーダ、アンナ・マニャーニ、ロッサナ・ポデスタ、ヴィルナ・リージ、クラウディア・カルディナーレ、ステファニア・サンドレッリ、ラウラ・アントネッリなどなど枚挙にいとまない。ウルスラ・アンドレスやマリーザ・メル、アニタ・エクバーグなどの外国女優も、イタリア映画に出演すると格段に輝いて見えた。さすがは、ディーヴァの語源となった国である。 前置きがすっかり長くなってしまったが、今回のお題目であるイタリア映画『アパッショナータ』(’74)もまた、女優で魅せる映画だと言える。主演はオルネラ・ムーティとエレオノラ・ジョルジ。クールな佇まいに情熱的な瞳のブルネット美女ムーティに対し、淑やかでどこかアンニュイなブロンド美女ジョルジ。この絶妙な好対照ぶり。抜群のコンビネーションである。しかも、’70年代のイタリア映画らしく大胆なヌードシーンもてんこ盛り。なんていうと下世話に聞こえるかもしれないが、必要とあらばいくらでも脱ぐ…いや、必要がなくても脱いでいいのだけど、とにかくそれくらいの気骨があってこそプロの女優だろう。 まずは簡単にストーリーの解説から入るとしよう。舞台は現代のローマ。女学生のエウジェニア(オルネラ・ムーティ)とニコラ(エレオノラ・ジョルジ)は大の親友で、どちらも思春期の多感な年頃だ。エウジェニアの父親エミリオ(ガブリエル・フェルゼッティ)は裕福な歯科医、母親エリザ(ヴァレンティナ・コルテーゼ)は元コンサート・ピアニスト。傍から見ると何不自由のない幸せな家族のようだが、父親は仕事で忙しく家庭を顧みる余裕がなく、母親はノイローゼ気味で情緒不安定。家の中には、いつもどこか気まずい空気が漂っている。一方のニコラは外交官の娘だが、今は伯母のもとで暮らしており、両親の愛情に飢えている複雑な少女だ。 ある日、エミリオの治療を受けたニコラが彼を誘惑する。相手は娘の親友だ。戸惑うエミリオだが、しかし若くて美しい彼女の魅力には抗し難いものがあった。そんな2人の危うい関係を察知したエウジェニアは、まるで対抗心を燃やすかのように父親を性的に挑発。エミリオもエミリオで、実の娘をこれまでとは同じようには見れなくなっていく。近親相姦すら匂わせる危険な三角関係。その不穏な空気は母親エリザの精神をも蝕み、やがて美しくも完璧なブルジョワ家庭は静かに、だが確実に崩壊していく…。 いわゆるイタリアン・エロスの系譜に属する作品ではあるものの、それだけで片付けられないのは、本作がマルコ・ベロッキオの『ポケットの中の握り拳』(’65)やピエル・パオロ・パゾリーニの『テオレマ』の流れを汲む映画でもあるからだ。要するに、家族の崩壊というテーマである。’68年にフランスで起きた学生運動、いわゆる五月革命はたちまちイタリアへと飛び火し、その前後に“新イタリア派”と呼ばれる反体制的な映像作家や、そうした時代の傾向を敏感に取り入れた作品がイタリア映画界を席巻する。彼らが異議を申し立てたのは、旧態然とした政治であり、宗教であり、社会階級であり、そして家族だったのだ。 『ポケットの中の握り拳』で家族を崩壊に導いたのは伝統的な家族制度、『テオレマ』ではセックスがブルジョワ家庭の空虚な仮面を剥がしたわけだが、本作でエウジェニアの家庭を破壊するのは若さである。若さゆえに気まぐれで魅力的で残酷な少女たち。そして、若さへの憧憬から道を踏み外してしまう父親エミリオ、若さへの嫉妬と渇望から狂っていく母親エリザ。そういう意味では、ヴィスコンティの『ベニスに死す』(’71)を彷彿させるものもあると言えるかもしれない。 監督は『楡の木陰の愛』(’75)でも知られるジャンルイジ・カルデローネ。一歩間違えるとただのソフトポルノ映画になりかねない題材を、まるでマウロ・ボロニーニやジュゼッペ・パトローニ・グリッフィの文芸エロスかのごとく、官能的で背徳的でありながら繊細で美しく上品な青春残酷物語として仕上げている。ヴィスコンティ映画の撮影監督としても有名なアルマンド・ナヌッツィによる瑞々しい映像美、モリコーネやロータと並ぶイタリア映画界のマエストロ、ピエロ・ピッチョーニの手がけた華麗な音楽スコアも素晴らしい。主演女優の魅力も然ることながら、映画作品としても紛れもない一級品だ。 当時まだ19歳だったオルネラ・ムーティ。初期の『シシリアの恋人』(’70)や『ふたりだけの恋の島』(’71)もそうだが、彼女は怒りや不満、欲望など沸々としたものを内に秘めた、物静かながらも情熱的なイタリア女性を演じさせたら右に出る者のない存在だ。その個性はカルディナーレにも通じるものがあると言えよう。本作のエウジェニア役もまさにその延長線上だ。恐らく彼女は決して父親に恋心を抱いているわけではないし、当然ながら性的な欲望を感じているわけでもない。若さゆえの心理的な衝動が彼女を突き動かすのであり、それが何なのかは本人も分かっていないはずだ。そんな少女の複雑な危うさを演じて見事である。 一方のニコラ役を演じているエレオノラ・ジョルジは、日本では恐らくアルジェントの『インフェルノ』(’80)くらいでしか知られていないかもしれない。なにしろ、出演作の大半が日本だと劇場未公開なので仕方ないのだが、’70~’80年代のイタリア映画界ではグロリア・グイダやモニカ・ゲリトーレなどと並ぶ売れっ子スター女優の一人だった。父親は映画プロデューサー。本作の当時は21歳。少女のようなあどけなさと豊満な肉体のアンバランスが魅力で、本作でもそれが大きな武器となっている。 また、本作で見逃せないのは母親エリザ役の大女優ヴァレンティナ・コルテーゼの存在だ。ファシスト政権末期のイタリア映画界でお姫様女優として活躍し、戦後はルイジ・ザンパやミケランジェロ・アントニオーニら巨匠にも愛され、一時はハリウッド映画でも活躍した。トリュフォーの『アメリカの夜』(’73)では落ちぶれたスター女優を演じてアカデミー助演女優賞候補となり、『オリエント急行殺人事件』で受賞したイングリッド・バーグマンが“本来ならあなたが受け取るべきよ”と会場にいたコルテーゼへ賛辞を贈ったのは有名な話。若かりし頃の彼女は、まるで中世ヨーロッパの貴婦人画から抜け出てきたような美女だったが、本作の当時もその美貌は十分に片鱗をとどめており、だからこそ失われてしまった若さを渇望し、老いゆく自分が夫から愛されているのかどうか自信を持てず、その不安から精神を病んでいくエリザを演じてすこぶる説得力があるのだ。 なお、父親エミリオを演じているのはアントニオーニの傑作『情事』(’60)で有名な伊達男俳優ガブリエル・フェルゼッッティ。迷子になったエリザの愛犬を拾ってくる肉屋の丁稚役として、パゾリーニ映画の常連だった二ネット・ダヴォリも顔を出している。 【こんな百合シーン本編に無い!サービス宣材写真館】 ■ @REWIND 1975 P.A.C. Produzioni Atlas Consorziate1975 e REWIND FILM 2000.