ザ・シネマ なかざわひでゆき
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COLUMN/コラム2025.02.03
ジョーダン・ピール監督のスピルバーグ愛も垣間見える異色の不条理SFホラー『NOPE/ノープ』
コメディアンからホラー映画監督へ転身を遂げたジョーダン・ピール デビュー作に当たるホラー映画『ゲット・アウト』(’17)でいきなりアカデミー賞の作品賞を含む4部門にノミネートされ、黒人として史上初の脚本賞を獲得したジョーダン・ピール監督。もともとスタンダップ・コメディアンとしてキャリアをスタートした彼は、全米で人気の長寿コメディ番組『マッドTV!』(‘95~’09)に’03年よりレギュラー出演して知名度を上げ、さらに同番組の共演者キーガン=マイケル・キーと組んだ冠番組『Key & Peele』(‘12~’15・日本未放送)ではエミー賞やピーボディ賞を受賞。役者としてドラマ『ファーゴ』(’14~)シーズン1や映画『キアヌ』(’16)などにも出演し、売れっ子のコメディ俳優として活躍するようになる。 その一方、幼少期から筋金入りの映画マニアだったピール監督は、後に映画制作のパートナーとなる幼馴染みイアン・クーパーと一緒に、B級ホラーからハリウッド・クラシックまで片っ端から映画を見まくる10代を過ごしたという。スティーブン・スピルバーグやジョン・カーペンター、アルフレッド・ヒッチコックにスタンリー・キューブリックなどから多大な影響を受け、予てより映画制作に強い関心を持っていた彼は、『ドニー・ダーコ』(’01)や『サウスランド・テイルズ』(’07)などで知られる映画製作者ショーン・マッキトリックをキーガン=マイケル・キーに紹介される。ニューオーリンズのカフェでマッキトリックと初めて会うことになったピール監督。その際に温めていた映画のあらすじを話して聞かせたところ、なんとその場で企画にゴーサインが出てビックリしたという。それが処女作『ゲット・アウト』だった。 多様性を重んじるリベラルなインテリ層ですら無自覚に持ち合わせる、アメリカ社会の黒人に対する根強い偏見を皮肉った風刺ホラー『ゲット・アウト』。製作費450万ドルの低予算映画ながら、世界興収2億5400万ドルを突破した同作の大ヒットによって、ピール監督は新たな才能としてハリウッド中が注目する存在となる。この思いがけない大成功を機に、彼は既にヴィジュアル・アーティストとして活動していた幼馴染みイアン・クーパーを誘って自身の製作会社モンキーパー・プロダクションズを設立。続く2作目『アス』(’19)では、アメリカの格差社会で存在が透明化されてしまった「持たざる人々」を不気味なドッペルゲンガーに投影し、世界一の経済大国アメリカの豊かさが恵まれない人々の搾取と犠牲の上に成り立っているという現実を不条理なホラー映画へと昇華する。 このように、ホラーという娯楽性の高いジャンルの映画をメジャー・スタジオのシステムを用いて撮りつつ、その中に差別や格差など現代アメリカの社会問題に対する批判や疑問を、独自の視点で巧みに織り込んでいくメッセージ性の高さがジョーダン・ピール作品の大きな特徴と言えよう。そんなピール監督の、今のところ最新作に当たる第3弾が、新たにSFホラーのジャンルを開拓したシュールな怪作『NOPE/ノープ』(’02)である。 未確認飛行物体の正体は未知の生物だった…!? 主人公はカリフォルニアの片田舎の広大な牧場で育った青年オーティス・ヘイウッド・ジュニア=通称OJ(ダニエル・カルーヤ)とその妹エメラルド(キキ・パーマー)。ヘイウッド家は代々に渡って、ハリウッドの映画やテレビなどの撮影に使われる馬を飼育している。牧場の顔として経営と営業をこなすのは父親オーティス・シニア(キース・デイヴィッド)。内向的で口数の少ないOJはもっぱら馬たちの世話と調教に専念し、そもそも家業に全く関心のないエメラルドは有名になりたい一心で役者やダンサーやユーチューバーなど様々な仕事に手を出していた。そんなある日、牧場の遥か上空に人間の悲鳴らしき音が響き渡り、次の瞬間に次々と落下物が空から降り注ぐ。呆気にとられるOJ、地面に倒れる父親。落下物のコインが頭に直撃した父親は、病院での治療もむなしく亡くなってしまう。 大黒柱の父親を失ったヘイウッド家。ひとまず子供たちで家業を引き継ぐものの、しかし人付き合いが苦手で不愛想なOJと口ばかり達者なエメラルドでは上手くいかず、たちまち経営難に陥ってしまう。牧場を維持するために仕方なく、近隣で人気を集める西部劇風テーマパークに10頭の馬を売却することにしたOJとエメラルド。テーマパークのアジア系経営者ジュープ(スティーブン・ユァン)は、’90年代の大ヒット西部劇映画『子供保安官』に出演して大ブレイクした元子役スター。その勢いに乗ってテレビのシットコム番組『ゴーディ 家に帰る』に主演するのだが、ペットのゴーディを演じるチンパンジーが撮影中に大暴れし、出演者数名が大怪我を負うという事件が発生。幸いにもジュープは無傷だったが、しかし番組はそのままキャンセルされ、残念ながらジュープのキャリアもそこで断たれてしまった。だが、かつての名声を未だに忘れられないジュープは、『子供保安官』の世界を再現したテーマパークを開業し、自らショータイムの司会進行役を務めることで再び世間の注目を浴びようとしていたのである。 その晩、牧場の名馬ゴーストが興奮したように柵を飛び越えて逃げ出し、追いかけようとしたOJは雲の間を猛スピードで移動する円盤型の物体を目撃する。ゴーストの鳴き声と共に光を放って消え去る未確認飛行物体。その瞬間、家の電気や携帯の電波もダウンする。宇宙から来たUFOが馬をさらっていったに違いない。そう考えたOJとエメラルドは、牧場を再建するための妙案を思いつく。UFOの映像を撮影して高値で売り飛ばそうというのだ。とはいえ、兄妹2人ともメカにも撮影技術にも疎い。そこで彼らは家電量販店の店員エンジェル(ブランドン・ペレア)に頼んで監視カメラを設置して貰ったところ、決して動かない雲が映っていることに気付く。UFOはそこにずっと隠れているのだ。さらにCM撮影で知り合ったカメラマンのアントレス・ホルスト(マイケル・ウィンコット)に撮影協力を依頼した兄妹だが、しかしUFOに半信半疑のホルストには断られてしまった。 一方その頃、同じくUFOの存在に気付いていたジュープは、テーマパークでUFOを呼び寄せるイベントを開催する。ところが、会場に現れたUFOはそこにいたジュープもスタッフも観客も丸ごと全員を吸い込んで貪り食ってしまう。誰もいなくなったテーマパークに足を踏み入れ茫然とするOJ。そこで彼は、以前からの疑問を確信に変える。UFOはそれ自体が生き物なのだ。それも地球上の人間や動物を捕食する肉食系の。縄張り意識と警戒心が強いUFOは、野生動物と同じように目が合うと襲いかかって来る。子供の頃に飼っていた馬に因んで、UFOを「ジージャン」と名付けたOJとエメラルドは、テーマパークの事件をテレビのニュースで知って駆けつけたホルスト、今やすっかり友達となったエンジェルの協力を得て特ダネ映像の撮影に挑むのだが…? 現代社会に蔓延る「見世物」と「搾取」、悪しき構造を支える現代人の承認欲求 UFOとのファーストコンタクトを描く西部劇風『未知との遭遇』だと思って見ていたら、最終的に大空から襲い来る獰猛な未知の肉食生物と死闘を繰り広げるSF版『ジョーズ』になっちゃった…!という1粒で2度おいしい映画。なるほど、スピルバーグ・ファンを自認するジョーダン・ピール監督らしい作品ですな。アメリカの果てしない荒野で得体の知れない怪物に襲われるというシチュエーションは『激突!』(’71)をも彷彿とさせるだろう。 いつもは円盤型の甲殻類生物みたいな形をしているジージャンが、状況によってクラゲや蘭の花のように形状を変えていくというアイディアは面白いし、普段から人間よりも動物と接することの多いOJがいち早くUFOの正体に気付き、その行動原理や特性を直感で理解していくという過程もよく考えられている。製作に当たっては、クラゲの専門家であるカリフォルニア工科大学のジョン・ダビリ博士や、分類学および機能形態学を専門とするUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)研究員ケルシ・ラトリッジがコンサルタントとして参加。生命体として科学的な矛盾がないかを徹底的に検証し、解剖学や行動学を基にしながらジージャンの形体や動きを描写したという。 そんな本作でピール監督が描かんとしたのは「搾取(Exploitation)」と「見世物(Spectacle)」についての考察である。冒頭で旧約聖書「ナホム書」の古代都市ニネベの滅亡を預言する第3章を引用したのもそれが理由であろう。ニネベが神の逆鱗に触れた理由のひとつが「見世物」による「搾取」だったからだ。このテーマを最も象徴するのが、一見したところストーリーの本筋とは関係なさそうな、シットコム『ゴーディ 家に帰る』の撮影現場で起きたチンパンジーの大暴走。動物を「見世物」としてテレビドラマに出演させて「搾取」しようとしたところ、うっかり野性本能を刺激してしまって思いがけないしっぺ返しを食らう。それはテーマパークのショータイムでジージャンを呼び出して金を稼ごうとしたジュープ、はたまたジージャンを撮影した「バズり動画」で一獲千金を目論んだエメラルドたちも同様。動物を支配しコントロールしようとすること自体が人類の傲慢である。そういえば、ピール監督が敬愛するスピルバーグの『ジュラシック・パーク』(’93)も似たような話でしたな。 そうした中で、子役時代のジュープをチンパンジーが襲わなかったのは、当時の彼もまたハリウッドの大人たちから「見世物」にされ「搾取」される存在だったから。要するに同じ犠牲者、同じ境遇の仲間だと思われたのだ。ただし、ジュープはチンパンジーではなく人間である。人間にとって「見世物」として「搾取」されて得られる名声は、時として麻薬のようなものとなり得る。注目を浴びる快感を覚えてしまった者は、往々にしてそれを求め続けてしまうのだ。その甘い蜜の味が忘れられないジュープは、事件によって心に深いトラウマを負ったにもかかわらず、再びスターの座に返り咲く夢を追い求め続け、それが最悪の結果を招いてしまう。 名声中毒に陥っているのはエメラルドも同様だ。彼女もまた「自分ではない素敵な誰かになりたい」「世間の注目を集めるセレブになりたい」という一心から、役者だ歌手だダンサーだユーチューバーだと様々な職にチャレンジするが、しかし何をやっても上手くいかず空回りしている。誰もがSNSを介して有名になれる可能性がある今の時代。むしろ人々は自ら進んで「見世物」となって「搾取」されようとする。肥大化した承認欲求はまさに現代病だ。 だいたい資本主義が発達した現代社会では、あらゆる場面で「見世物」と「搾取」の関係が成り立っている。それは映画というメディアも同様。そういえば、リュミエール兄弟の撮った『ラ・シオタ駅への列車の到着』(1895)は、駅に到着する列車の迫力ある風景映像が観客の度肝を抜いて大変な話題になったと伝えられているが、そもそも映画はその最初期から「見世物」であり「搾取」の道具だったと言えよう。本作でピール監督はその本質を明らかに自覚し、そこについて回るリスクや危険性に警鐘を鳴らしつつ、それでもなお映画という文化に対して大いなる愛情と敬意を捧げる。 ちなみに、オープニングのタイトル・シークエンスで映し出される馬に乗った黒人騎手の映像は、世界最初の映画とも言われる写真家エドワード・マイブリッジの連続写真「動く馬」。スタンフォード大学の創立者リーランド・スタンフォードが、馬の歩法を分析するためマイブリッジに撮影を依頼したと言われている。劇中では黒人騎手がヘイウッド家の先祖ということになっているが、しかし実際のところ黒人騎手の素性は今もなお分かっていない。■ 『NOPE/ノープ』© 2022 Universal Studios. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2025.02.05
ド迫力のパニック描写と感動の人間ドラマで一気に見せる韓流ディザスター映画の傑作!『奈落のマイホーム』
メインテーマは韓国でも日本でも深刻なシンクホール問題 韓国で近年社会問題となっているのがシンクホール。シンクホールとは地下水による土壌の浸食などが原因で地中に空洞が発生し、最終的に地上の表面が崩壊して出来てしまう陥没穴のこと。日本でも先ごろ(’25年1月28日)埼玉県八潮市で起きた交差点道路陥没事故が記憶に新しいだろう。以前にも’16年の福岡県博多市で起きた博多駅前道路陥没事故が大きなニュースとなったが、国土交通省の調べによると近年は日本全国で年間1万件前後もの道路陥没事故が起きているそうで、意外にも日本は知られざるシンクホール大国だったりする。 一方の韓国では、もともと朝鮮半島の大部分が花崗岩・片麻岩で構成されていることもあって、相対的にシンクホール発生の心配は少ないと考えられていたが、しかしこの十数年ほどで大都市圏を中心にシンクホール発生が頻発するようになったという。韓国国土交通部の統計によると、近ごろでは毎年100個以上のシンクホールが韓国各地で発生しているそうで、’19~’23年までの5年間の合計は957カ所に及ぶらしい。 ソウルや釜山、光州など韓国の大都市圏で発生するシンクホールの主な要因としては、地下水の流れの変化や上下水管の損傷による漏水、軟弱な地盤などが挙げられるそうだが、中でも最も多い(半数以上の57.4%)のが上下水管の損傷だという。その最大の原因は、やはりパイプの老朽化とのこと。また、人口の密集する大都市圏では、おのずと鉄道や商店街などの大規模施設を地下に増築することとなるが、その際に地下水の流れが変わって空洞が生じてしまうケースも少なくない。いずれにせよ、韓国で近年急増しているシンクホールは、大都市圏における無分別な地下空間開発が招いた「人災」だと言われている。そして、このタイムリーな社会問題をメインテーマとして取り上げ、ハリウッド映画も顔負けの手に汗握るディザスター映画へと昇華したのが、韓国で’21年度の年間興行収入ランキング2位の大ヒットを記録した『奈落のマイホーム』(’21)である。 夢にまで見た念願のマイホームが奈落の底へ…!? 舞台は大都会ソウル。中堅企業で中間管理職を務める平凡なサラリーマン、ドンウォン(キム・ソンギュン)は、地方からソウルへ移って苦節11年目にして、ようやく念願のマイホームをローンで手に入れる。ソウル市内 の下町に出来たささやかな新築マンションだ。優しくておっとりとした妻ヨンイ(クォン・ソヒョン)、誰にでも礼儀正しく挨拶する可愛い盛りの息子スチャン(キム・ゴヌ)を連れて引っ越しを終え、憧れのマイホームでキラキラの新生活を始めてウキウキのドンウォン。ぶっきらぼうで失礼な態度がイラつく何でも屋マンス(チャ・スンウォン)を除けば、隣人たちも朗らかで親切な人ばかりである。ただ気になるのは、マンションの安全性について。入居前には全く気付かなかったものの、いざ実際に生活してみると床が斜めだったり、共有部分の壁に亀裂が入っていたりするのだ。もしかすると欠陥住宅ではないのか?一抹の不安がよぎったドンウォンは、住民たちと相談して今後の対策を考え始めていた。 そんな矢先、週末に会社の部下たちを自宅へ招いて、引っ越し祝いのパーティを開くことになったドンウォン。日頃の不満が爆発したキム代理(イ・グァンス)とインターンのウンジュ(キム・ヘジュン)が酔いつぶれて泊っていく。その翌朝、爆睡しているドンウォンたちをそのままにして買い物に出かける妻ヨンイと息子スチャン。しかし荷物が大量で重たいことから、スチャンがショッピングカートを取りにひとりでマンションへ戻る。一方その頃、マンションでは深夜からの断水に困った住人たちの多くが朝から外出し、残ったマンスが断水の原因を調べようとしていた。その瞬間、大きな揺れと轟音が近隣一帯に響き渡り、大都会ソウルの住宅街に巨大シンクホールが発生。ドンウォンの住むマンションを丸ごと吞み込んでしまう。 すぐさま当局の救援隊が駆けつけて対策本部が設置され、テレビのニュース番組でも大々的に報じられた巨大シンクホール事故。しかし陥没は地下500メートルにまで達しており、携帯電話の電波はもとよりドローンのGPS信号すら届かないため、対策本部でも生存者の確認と救出をいかにして進めるのか頭を悩ませる。 一方、地底の奥深くまで一気に落下して大破したマンション。なんとか怪我をせずに済んだドンウォンとキム代理、ウンジュの3人は、こちらも屋上にて奇跡的に助かったマンスとその反抗期の息子スンテ(ナム・ダルム)と合流する。マンスから妻子が外出する姿を見かけたと聞いて安堵するドンウォン。必ず助けが来る。それまでなんとか持ちこたえねばと一致団結する5人だったが、しかしマンションの落下はさらに進んで次々と危機が襲い来る。そうした中、地上から届いた衛星電話で息子スチャンがマンション内にいることを知ったドンウォンは、危険を顧みず自ら救出へ向かうことに。しかも、他にもマンションに取り残された住人たちがいることも分かる。なんとかして、一人でも多くの命を救わねば。強い使命感に駆られるドンウォンだったが、折からの悪天候でシンクホールに大量の雨水が流れ込んでしまう…! 大都会ソウルの住宅事情やご近所事情から垣間見える現代韓国の世相 さながら人情コメディ×ディザスター・パニック×アドベンチャー・アクション。大胆不敵にジャンルをクロスオーバーしながら、これでもかと見どころを詰め込んだエンターテインメント性の高さは、さすが韓国映画!と言いたくなるところであろう。しかも、冒頭で言及したシンクホール問題だけでなく、大都会ソウルの住宅事情やご近所付き合いなど、我々日本人にとっても決して他人事ではない、現代韓国を取り巻く様々な社会問題への風刺も盛り込まれている。脚本が実に上手い。 ご存知の通り、人口が密集する大都会ソウルでは超高層マンションが次々と建設され、それに伴って不動産価格もうなぎ上りに高騰。劇中では主人公ドンウォンと部下たちが、遠くにそびえ立つ超高層マンションを眺めて溜息をつく場面があるが、そうした高級物件に手が届くのはごく一部の限られた富裕層や外国人のみ。日本の東京と似たような状況だ。ドンウォンのように平均的なサラリーマンにしてみれば、下町の小ぶりなマンションを買うだけで精いっぱいだ。それでも、実際にローンを組めるまでに11年もかかってしまった。キム代理が意中の同僚女性に告白できないでいるのも、恋敵の自宅マンションが家族から相続した持ち家なのに対し、自分は賃貸のワンルームマンション住まいだから。もはや、ソウルで理想の我が家を買うなんて夢のまた夢。そんなしがない庶民がようやく手に入れた念願のマイホームが、あろうことか無計画な地下空間開発によって発生した巨大シンクホールに吞み込まれてしまう。なんたる皮肉!なんたる悲哀!これこそが本作の核心と言えよう。 さらに、東京と同じく希薄になりがちな大都会ソウルのご近所付き合い。昔は濃密だったソウルの地域共同体も、昨今では50%以上の市民が隣人に挨拶することすらなくなったという。そもそも競争社会に揉まれる庶民は毎日の生活に精いっぱいで、なかなか周囲に気を配るだけの余裕がない。本作に出てくるマンションの住人や会社員も同様。みんな表面上は慇懃無礼で愛想よく振る舞ってはいるものの、しかし実際にはお互いに深入りせず距離を保っている。一緒に働いている同僚同士だって、実のところあまりお互いのことは知らない。一見したところ不愛想で図々しいマンスなどは、むしろ正直で裏表がない人間とも言えるだろう。そんな中で突然発生した未曽有の巨大シンクホール事故。取り残された人々は必然的に協力し合い、手を取り合って決死のサバイバルに挑む。 また、救出作戦の一環で隣接するマンションの一部を破壊する必要が生じるのだが、住民説明会に参加した居住者たちは、苦労して手に入れた我が家を守ることばかりに気を取られ、シンクホールに呑み込まれた人々の窮状にまで想像が及ばず、それゆえ救出作戦に真っ向から反対してしまう。だが、そこで一人の老人が声をあげる。隣のマンションが地中へ落下する瞬間に立ち会い、呑み込まれていく隣人の恐怖と絶望の表情を見てしまった老人。確かにこの家を買うのに20年もかかった。しかし、ここで反対したら天罰を受けるかもしれない。困っている誰かに手を差し伸べること、隣人の痛みや苦しみに想像を働かせること。スリルとサスペンスとスペクタクルを盛り上げながら、現代人が忘れがちな他者への共感や連帯の大切さを描いていく後半のサバイバル劇がまた感動的だ。観客の心を嫌がおうにも揺り動かすヒューマニズム。このエモーショナルな作劇の上手さも韓国映画ならではだろう。 監督と脚本を手掛けたのは、海洋モンスター映画『第7鉱区』(’11)や韓国版『タワーリング・インフェルノ』と呼ぶべき『ザ・タワー 超高層ビル大火災』(’12)を大ヒットさせたキム・ジフン。地下500メートルものシンクホールが韓国で発生することは現実的にあり得ない話だが、しかし’07年に南米グアテマラで深さ100メートルのシンクホールが発生したと知ったキム監督は、もしも同じくらいかそれ以上の規模のシンクホールが韓国で発生したらどうなるか?を想像してストーリーを考えたという。 やはり最大の見どころは最先端のCGを駆使した、迫力満点の大規模なディザスター・シーンだが、実は舞台となるソウル市内の住宅街はCGでもロケでもなく、撮影スタジオの敷地内に建設された実物大の巨大セット。つまり、住宅街の一角を丸ごとオープンセットとして一から建ててしまったのである。シンクホールにマンションが落下していくシーンはさすがにCGだが、しかし実際に俳優たちが演技をするマンション内部もまた実物大のセット。「CG技術がどれだけ優れていても、俳優や監督にとって最も重要なのは空間です」というキム監督は、役者が芝居に集中するためにはリアルな空間を作ることが大切だと考え、20種類以上もの実物大セットを組み合わせながら地下500メートルに転落したマンションを撮影スタジオに再現したのである。 ‘19年の夏から秋にかけて撮影された本作。当初は’20年のチュソク(お盆)の大型連休に合わせて公開されるはずだったが、しかし折からのコロナ禍で延期となってしまう。改めて’21年8月6日にスイスの第74回ロカルノ映画祭で初お披露目された本作は、同年8月11日より韓国で封切り。公開6日目で早くも観客動員数100万人を突破し、年間興収ランキングでも『モガディシュ 脱出までの14日間』(’21)に次ぐ堂々の第2位を記録したというわけだ。■ 『奈落のマイホーム』© 2021 SHOWBOX AND THE TOWER PICTURES, INC. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2025.03.04
鬼才ヴァーホーヴェンが全体主義・軍国主義を痛烈に皮肉った超グロテスクSFバトル・アクション!『スターシップ・トゥルーパーズ』
アメリカ社会の不都合な真実に斬り込み続けたハリウッド時代のヴァーホーヴェン ポール・ヴァーホーヴェンらしいエロスとバイオレンスとグロテスクが満載の、実に悪趣味かつ不真面目で皮肉に満ちたSFバトル・アクション映画である。折しも、当時のヴァーホーヴェンはハリウッド映画史上屈指の失敗作『ショーガール』(’95)が盛大にコケてしまったばかリ。同作が「中身のない低俗なポルノ映画!」「あまりにも不愉快だ!」と轟轟の非難を浴びたように、この『スターシップ・トゥルーパーズ』(’97)も「ファシズムを賛美する不届きな映画だ!」「戦争の恐怖や残酷を美化するのか!」などと厳しく批判されたのだが、しかしヴァーホーヴェン作品をこよなく愛する映画ファンであればお分かりの通り、オランダ時代から権威だの権力だの規範だのと呼ばれるものに容赦なく唾を吐き続け、幼少期に第二次世界大戦の地獄を経験してトラウマとなったヴァーホーヴェンが、ファシズムを賛美したり戦争を美化したりするはずなどなかろう。いやはや、これだから冗談や皮肉の通用しない一部の野暮な批評家には困ったもんですな。 とにもかくにも、実は興行的にまずまずの成功を収めた本作だったが、しかし一時はハリウッドを代表するヒットメーカーとも呼ばれたヴァーホーヴェン監督の地位と名誉を回復するには至らず、本作の直後あたりから本人もヨーロッパへ戻ることを考え始めたという。しかしながら、『ショーガール』がアメリカン・ドリームの下世話で醜い裏側を赤裸々に暴露した風刺映画として今ではカルトな人気を誇っているように、本作も公開から30年近くを経てようやく、アメリカ帝国主義を痛烈に揶揄した型破りな反戦映画として正当な評価を得るようになったと思う。 そもそも、オランダ時代から人間の醜悪な部分や社会の不都合な真実にズバズバと容赦なく斬り込み、あえて見る者の神経を逆なですることで問題提起していくような映画を作り続け、80歳を過ぎてもなお新作を発表するごとに物議を醸しているヴァーホーヴェン監督。その姿勢はハリウッド時代も基本的に変わらず、当時はアメリカのメディアでも「メジャー映画で最も挑発的な監督」などと呼ばれたもんである。例えば、出世作『ロボコップ』(’87)や『トータル・リコール』(’90)では金の力が倫理や道徳を凌駕するアメリカ型資本主義の行き着く先に警鐘を鳴らし、『氷の微笑』(’92)ではアメリカ人男性の根深いマチズモやミソジニーの問題を浮き彫りに。いずれの映画でもヨーロッパ人の視点から、アメリカ的なるものへ鋭い批判の目を向けてきたと言えよう。 ヴァーホーヴェンのオランダ時代からの盟友デレク・デ・リント曰く、オランダ人は良くも悪くも率直で、そこがアメリカ人には嫌われてしまう要素とのことだが、中でもヴァ―ホーヴェンはその傾向が特に強いのだとか(笑)。まるで悪戯好きな子供のように、人があまり触れられたくないところ、隠したがるようなところをわざと突っついて面白がってみせる。なるほど、そう言われると確かに、ヴァ―ホーヴェンの映画はどれも多かれ少なかれそんな感じですな!ただ、上記の3作品が少なくとも表面的にはハリウッド的な娯楽映画に徹していたのに対して、『ショーガール』と『スターシップ・トゥルーパーズ』は悪ノリ的な社会風刺がちょっと前面に出過ぎてしまった嫌いがある。そこが劇場公開時に誤解や反感を招いてしまった原因なのかもしれない。 巨大昆虫型エイリアンとの全面戦争に駆り出されていく若者たち 地球上で民主主義が崩壊してしまい、全体主義的・軍国主義的な世界統一政府「地球連邦」が樹立された近未来。男女平等が実現して貧富の格差も是正される一方、人々は軍隊経験のある市民(シチズン)とそれ以外の一般民(シビリアン)に分けられている。力こそが正義という価値観のもと、兵役で国家のために命を投げ出した市民のみに「市民権」や「選挙権」が与えられていたのだ。さらに銀河系の植民地化を図って宇宙進出を果たした人類だったが、しかしグレンダス星に棲息する凶暴かつ原始的な巨大昆虫型エイリアン(通称バグス)の縄張りを侵したことから紛争が勃発。なんとしてでもバグスを壊滅させるため、地球連邦軍は兵役志願者の若者を積極的に募っていた。 主人公は南米ブエノスアイレスに暮らす裕福な高校生ジョニー・リコ(キャスパー・ヴァン・ディーン)。才色兼備の優等生カルメン(デニス・リチャーズ)と交際し、テレパシー能力を持つ秀才カール(ニール・パトリック・ハリス)や同じアメフト部の女子選手ディジー(ディナ・メイヤー)らと青春を謳歌するジョニーは、彼らと同様に地球連邦軍への入隊を希望するものの、しかし大事な息子を危険に晒したくない両親から猛反対されてしまう。それでも決意の揺るがぬ彼はギリギリの成績で高校を卒業すると、元軍人の教師ラズチャック(マイケル・アイアンサイド)に背中を押されて兵役を志願し、起動歩兵隊へ配属されることとなる。また、カルメンは宇宙船パイロットを目指して艦隊アカデミーへ、カールはその特殊能力を活かせるエリート集団・軍事情報部へとそれぞれ進んでいくのだった。 起動歩兵隊のブートキャンプで若者らを待っていたのは、鬼のように厳しくも情に厚つい訓練教官ズィム(クランシー・ブラウン)によるウルトラハードなトレーニングの日々。そんな中でエース(ジェイク・ビジー)やシュガー(セス・ギリアム)など新しい仲間との友情を深め、自分を追いかけて転属してきたディジーとの再会を果たし、教官ズィムにも認められて分隊長に昇格したジョニーだったが、しかしキャリアを優先させるために恋愛が邪魔になったカルメンから別れを切り出され、そのショックから訓練中の判断ミスで死亡事故を招いてしまう。やはり自分には軍人など向いていなかったんだ。そう考えて除隊を申し出たジョニー。ところが、バグスによる奇襲攻撃で地球の各地へ小惑星が飛来し、ジョニーの故郷ブエノスアイレスも壊滅してしまう。これを受けて地球連邦軍はバグスとの全面戦争を開始。両親を殺された復讐に燃えるジョニーも起動歩兵隊へ復帰し、敵の本拠地・グレンダス星へと降り立つのだったが…? ある一面におけるアメリカの本質を見抜いていたヴァーホーヴェン ロバート・A・ハインラインのSF小説「宇宙の戦士」の実写映画化に当たる本作。しかし、実のところもともとは全くのオリジナル企画だったらしい。脚本を書いたのは『ロボコップ』のエド・ニューマイヤー。人類が昆虫型エイリアン(ニューマイヤーの妻が大の昆虫嫌いだったらしい)と戦うという基本コンセプトのもと、タカ派愛国主義や排外主義を風刺したコメディ色の強い「第7居留区の昆虫戦争」なるSF映画の概略を書き上げ、やはり『ロボコップ』で組んだプロデューサー、ジョン・デイヴィソンのもとへ持ち込んだところ、ハインラインの小説とソックリであるとの指摘を受けたという。そこで2人はストーリーの内容を「宇宙の戦士」寄りに大きく軌道修正し、同作の実写映画化作品として企画を進めることに。ただし、全体主義や軍国主義への風刺という根幹だけは変えなかった。また、原作の重要な要素であるパワードスーツを削除するなどの改変は、SFファンの間でも大きく賛否の別れるところである。 いずれにせよ、先にハインラインの小説を読んで「退屈」「右翼的」と嫌悪感を抱いていたヴァーホーヴェン監督は、出来上がった脚本を読んでナチス・ドイツ占領下のオランダにおける自身の戦争体験と重ね合わせ、これを全体主義や軍国主義、ファシズムの本質を炙り出す風刺コメディとして描くことを思いつく。本作に出てくる地球連邦軍の兵士や将校の制服がナチスっぽいのもそのため。銃で撃たれて脳みそが飛び散ったり、戦闘で人体がバラバラに破壊されたりのウルトラ・グロテスクな描写も、ヴァ―ホーヴェンの実体験に基づいた「戦争の真実」だと言えよう。さらにヴァーホーヴェンはレニー・リーフェンシュタールのナチス・プロパガンダ映画『意志の勝利』(’34)を参考にし、メインキャストにもいわゆる「アーリア人種」的な特徴を備えた白人俳優ばかりを集めた。『女王陛下の戦士』(’77)や『ブラック・ブック』(’06)のような戦争ドラマばかりでなく、例えば時代劇アクション『グレート・ウォリアーズ/欲望の剣』(’85)でもナチスを物語のモチーフに使っているヴァーホーヴェンだが、本作も同じだったというわけだ。 そのうえでヴァーホーヴェン監督は、『スターシップ・トゥルーパーズ』を「アメリカ社会の現実を投影した作品」だと語っている。誰もが銃器を簡単に手に入れることができ、金や権力などのパワーが倫理や道徳よりもモノを言い、自国の利益のためなら他国への内政干渉や侵略行為も平然と行う暴力的な国。しかし、本人たちには自分らがファシストだという自覚など一切なく、むしろ自由社会のリーダーだと自負している。これは、そんなマッチョで身勝手で独善的なアメリカ帝国主義を、思いっきり茶化して風刺した残酷なおとぎ話。いわば、ある一面におけるアメリカという国の本質を、当時からヴァーホーヴェン監督は鋭く見抜いていたわけですな。 ちなみに、本作の製作時にヴァーホーヴェンがアメリカのファシストとして危険視していたのが、当時まだテキサス州知事だった第43代合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュ。それから30年近くを経て、そのブッシュ氏が真っ当な常識人に見えるほどの危険人物が大統領(しかも二期目だよ!)となり、映画も真っ青のディストピア社会を作り上げていくことになろうとは、さすがのヴァーホーヴェンも予想していなかったに違いない。■ 『スターシップ・トゥルーパーズ』© 1997 TriStar Pictures, Inc. and Touchstone Pictures. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2025.03.05
アクションもユーモアも格段にパワーアップした大人気韓流バディ・アクションの第2弾!『コンフィデンシャル:国際共助捜査』
韓国と北朝鮮に、今度はアメリカも加わった最強タッグ! 2017年1月に韓国で公開されるや観客動員数781万人の大ヒットを記録し、年間興収ランキングでも『神と共に 第一章:罪と罰』や『タクシー運転手』に次ぐ堂々の第3位をマークした韓流クライム・アクション『コンフィデンシャル/共助』。韓国と北朝鮮の刑事がタッグを組んで凶悪犯罪に立ち向かうという意表を突くプロットも然ることながら、北朝鮮から来たエリート捜査員チョルリョンを演じるイケメン俳優ヒョンビンのクールなカッコ良さ、それとは対照的に不器用で冴えない韓国の叩き上げ刑事ジンテを演じる名脇役ユ・ヘジンとのユーモラスな凸凹コンビぶり、そして『ジェイソン・ボーン』シリーズも真っ青なド迫力のアクション・スタントなどが成功の要因と言えよう。 その後、’20年のコロナ禍にテレビシリーズ『愛の不時着』(‘19~’20)が大手動画配信サービスに提供され、これがアジアのみならず欧米・南米など世界各国で空前の大ヒットを記録したことから、同作に主演したヒョンビンの時ならぬ世界的ブームが到来。この機を逃がすまいと5年ぶりに制作されたのが、ファンからの要望の声も高かったシリーズ第2弾『コンフィデンシャル:国際共助捜査』(’22)だった。 物語の始まりはニューヨーク。国際的な犯罪組織のボス、チャン・ミョンジュン(チン・ソンギュ)がFBIに逮捕される。匿名の情報提供があったのだ。担当した韓国系アメリカ人のFBI捜査官ジャック(ダニエル・ヘニー)は得意顔だが、しかしその直後に北朝鮮から来た特殊捜査官リム・チョルリョン(ヒョンビン)にミョンジュンの身柄を横取りされてしまう。朝米合意のもとピョンヤンへ送還するというのだ。さすがにこればかりはFBIも手出しは出来ない。仕方なく、空港まで警備に当たるFBI。ところが、その途中に犯罪組織の差し向けた武装集団にマンハッタンのど真ん中で襲撃され、激しい銃撃戦の末にミョンジュンを逃がしてしまう。 北朝鮮の偵察総局がミョンジュンの足取りを追ったところ、偽造パスポートを使ってベトナムから韓国へと潜入していることが判明。かつて北朝鮮では軍が外貨稼ぎのため薬物を製造していたことがあった。チョルリョンの仲間でもあったミョンジュンは優秀な兵士だったが、金の魅力に取り憑かれて道を誤ってしまい、麻薬製造の技術者と10億ドルを持って国外へ消えてしまったのだ。恐らく韓国に麻薬ビジネスの元締めがいるのだろう。韓国でミョンジュンを探し出し、元締めを突き止めて10億ドルを取り返してこい。そう上司から命じられたチョルリョンは、5年ぶりに韓国のソウルへ赴くこととなる。 その頃、捜査中に頑張り過ぎて怪我をしてしまったソウル警察広域捜査隊のカン・ジンテ刑事(ユ・ヘジン)は、内勤業務であるサイバー捜査チームに転属されていた。そこへ元上司が現れ、1週間後に控えた米朝会議の準備でチョルリョンがソウルへ来ることを伝える。もちろんそれは表向きの理由であって、実際は麻薬密輸犯チャン・ミョンジュンの逮捕が目的だ。ところが、前回の相棒だったジンテとその家族が殺されかけたため、今回は相棒刑事の希望者が全くいないらしい。そこで、是非ともまたジンテにミョンジュンと組んで欲しいというわけだ。退屈な内勤仕事にウンザリしていたジンテには朗報だったが、しかし夫や家族の安全を気遣う妻ソヨン(チャン・ヨンナム)は猛反対。妻に頭の上がらないジンテは断らざるを得ないのだが、しかし結局は妻に内緒で引き受けてしまう。 久しぶりの再会を喜ぶチョルリョンとジンテ。ただし、チョルリョンは10億ドルの存在を隠しており、ジンテもまた国家情報院が常に監視していることを黙っている。最近になって市場へ出回り始めた新種ドラッグの販売網から、すぐに犯罪組織のしっぽを掴む2人だったが、しかしミョンジュン逮捕に執念を燃やすFBI捜査官ジャックが韓国へ上陸し、警察の捜査を横取りしようとする。おかげで、あともう一歩のところでミョンジュンを取り逃がすことに。お互いの存在が目の上のタンコブのように邪魔なチョルリョンとジンテ、ジャックの3人だが、しかし敵を捕らえるため一致団結せねばならない。そこへ、チョルリョンに猛アタックするジンテの義妹ミニョン(イム・ユナ)も紅一点メンバーとして加わり、大胆かつ奇想天外なアイディアを駆使しながら捜査を進めていく。当初は資金洗浄を担当する韓国系アメリカ人から、預けていた10億ドルを回収することが目的と思われたミョンジュン。ところが、その裏には全く別の恐るべき極秘テロ計画があった…。 朝鮮半島の平和、南北統一への夢と希望は今回も健在 前作よりも明らかにコメディ要素が強くなっているのは、キム・ソンフン監督から『2つの顔の猟奇的な彼女』(’07)や『ダンシング・クィーン』(’12)などのロマンティック・コメディで知られるイ・ソクフン監督へバトンタッチしたことの影響であろう。見た目は美人だが性格が非モテすぎるミニョンに「これでも少女の頃はイケてたの!」なんて言わせてみたり(演じるイム・ユナはアイドル・グループ少女時代の元メンバー)、キーボードで殴ったという理由で暴行事件をサイバー捜査隊へ持ち込んだボンクラ捜査官にジンテが「だったら札束で殴ったら金融犯罪?電卓ならデジタル犯罪か!?」と文句を垂れるシーンなど、切れ味抜群の捧腹絶倒なギャグ&ユーモアがテンコ盛り!前作では妻を殺されたチョルリョンの復讐というサブプロットがあったため、どう転んでも悲壮感が漂うことは避けられなかったのだが、今回のストーリーにはそうした悲劇的要素もあまりないことから、前作以上にコミカルで楽しい純然たるアクション・エンターテインメントに仕上がっている。 そのうえで本作は、北朝鮮のチョルリョンに韓国のジンテ、そしてアメリカのジャックと、それぞれのキャラクターに朝鮮半島の安全保障を巡る各国の思惑や立場の違いを投影させていくわけだが、最終的にどこの国も権力を握っている奴らはクソだらけ!いつだって現場の人間が振り回され犠牲にされるだけじゃん!もうさ、みんなお互いに腹を割って話し合って国民同士仲良くすればいいんじゃね!?という、極めてシンプルながらも普遍的で力強い友好と和平のメッセージをガッツリと打ち出してくれる。もちろん、そう簡単にいかないのが現実ではあるものの、しかし権力者たちの政治的な思惑によって国民同士までいがみ合うほどバカバカしいことはあるまい。たとえ国家間では相容れぬことがあったとしても、せめて民間レベルでは相互理解と親睦を深めて欲しい。さすれば、いずれは南北統一への道も切り拓かれよう。そんな、朝鮮半島の平和な未来へ対する作り手の希望が如実に伝わってくるような作品でもある。 もちろん、映画としての大きな売りであるアクションの演出にも一切の手抜きはない。最大の見どころのひとつが、オープニングにおけるマンハッタンでの大規模な市街戦シーン。実はこれ、コロナ禍でニューヨークでのロケが不可能だったため、なんと半年以上をかけて韓国のソウルにニューヨークの街角をオープンセットとして再現してしまったらしい。いやあ、これは全く分からなかった。また、クライマックスのアクションは実際に高層ビルの屋上やゴンドラの上で10日間に渡って撮影を敢行。もちろん危険な場面ではCGも使ってはいるものの、グリーンスクリーンだけでは出せないリアルなスリルと緊張感を高めている。前回のティッシュに代わって今度はハエ叩きを駆使した、ヒョンビンの超絶格闘アクションも見ものだ。 観客動員数698万人と前作よりも若干減らしたものの、それでも’22年度の年間興収ランキングでは再び第3位を獲得する大ヒットとなった『コンフィデンシャル:国際共助捜査』。今のところ何ら具体的なアナウンスはないものの、おのずと第3弾への期待も高まろうというもの。それこそマ・ドンソクの『犯罪都市』シリーズのように、今後も継続的に新作を出して欲しいアクション映画シリーズである。■ 『コンフィデンシャル:国際共助捜査』© 2022 CJ ENM CO., LTD., JK FILM ALL RIGHTS RESERVED
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COLUMN/コラム2025.04.02
デ・パルマ監督のヒッチコック愛が詰め込まれた賛否両論の問題作『ボディ・ダブル』
レーティング審査の限界に挑んだデ・パルマ アルフレッド・ヒッチコックを敬愛する熱心なヒッチコキアンとして知られ、『悪魔のシスター』(’72)や『愛のメモリー』(’76)、『殺しのドレス』(’80)に『ミッドナイト・クロス』(’81)など、ヒッチコック的な演出技法を駆使したサスペンス映画の数々で高い評価を得たブライアン・デ・パルマ監督。中でも、この『ボディ・ダブル』(’84)ほどヒッチコック映画からの引用で埋め尽くされた作品はないだろう。さながら、ヒッチコキアンとしての集大成的な一本である。 と同時に、本作はデ・パルマ監督が「私のキャリアでこれほど激しく非難された映画はない」と振り返るほど、劇場公開時に猛バッシングを受けた問題作でもあった。ちょうど当時のデ・パルマ監督は、『殺しのドレス』の大胆な性描写とショッキングな残酷描写が物議を醸し、ギャング映画『スカーフェイス』(’83)の血生臭い暴力描写や過激なセリフも問題視されたばかり。どちらの作品も映画協会のレーティング審査で大揉めし、一度受けた成人指定を取り消すために再編集を余儀なくされた。なにしろ、客層の限定される成人指定映画を上映してくれる映画館は少ない。興行を考えれば譲歩せざるを得ないだろう。苦渋の選択である。 で、これが大いに不満だったデ・パルマ監督は、本作で性描写と暴力描写の限界ギリギリに挑んでやろうと考えたらしい。『スカーフェイス』が暴力的だって?『殺しのドレス』がエロティックだって?舐めんなよ!これが本物のエロスとバイオレンスじゃい!!というわけだ。いやはや、ほぼ逆ギレみたいなもんですな(笑)。で、その結果またもやレーティング審査で成人指定を受けてしまい、それを撤回させるために再編集を施すことに。そのうえ、全米公開されるや「女性蔑視」「暴力的」「変態ポルノ」などとマスコミから猛攻撃を食らい、デ・パルマ監督自身も「ミソジニスト」のレッテルを張られることとなってしまった。今でこそカルト映画として熱烈なファンのいる「ボディ・ダブル」だが、劇場公開時は興行的にも批評的にも惨敗だったのだ。 売れないハリウッド俳優がハマっていく巧妙な罠…! 舞台は映画産業のメッカ、ロサンゼルス。売れない俳優ジェイク・スカリー(クレイグ・ワッソン)は、昔なじみの映画監督ルービン(デニス・フランツ)が手掛けるB級ホラー映画のバンパイア役に起用されるも、撮影中に閉所恐怖症の発作を起こしてクビになってしまう。しかも、自宅アパートへ帰ると恋人キャロル(バーバラ・クランプトン)の浮気現場に遭遇。居候だったジェイクが部屋を出ることになる。踏んだり蹴ったりとはまさにこのこと。ホームレスになったジェイクは友人の家を転々としながら、仕事を求めて幾つものオーディションを受けるのだが、しかしここは生き馬の目を抜くハリウッド。若くもない地味な無名俳優にチャンスなどなかなか転がっていない。 そんなある日、ジェイクはオーディション会場でよく見かける俳優サム(グレッグ・ヘンリー)と親しくなる。ジェイクの窮状を知ったサムは、自分が留守の間に住み込みで家の管理を頼めないかと相談を持ち掛ける。そこはL.A.一帯を見渡せる高台のお洒落な豪邸。本来の家主はヨーロッパへ旅行中の金持ちなのだという。ただ、植物の水やりが毎日欠かせないため、友人であるサムが留守番を任されていたのだが、急に地方巡業の仕事が決まったため困っていたらしい。宿なしのジェイクにとっては願ってもない話。まるで宇宙船のような建物から眺めるL.A.の夜景に見とれていると、サムが望遠鏡を覗いて見るように勧める。言われた通りの方角を望遠鏡で眺めると、その先には大豪邸の寝室でストリップダンスを踊る女性(デボラ・シェルトン)の姿が。薄暗くて顔はよく見えないが、かなりの美人と思われる。サムによると、彼女は毎晩きっちり同じ時刻に裸で踊っているらしい。 かくして、見知らぬ他人の家の留守番代行をすることになったジェイクは、例のストリップダンスをこっそり眺めるのが秘かな愉しみとなる。ところがある晩、彼は先住民と思しき怪しげなの男が女性の家を見張っていることに気付く。その翌日、たまたま女性の家の前を車で通りかかったジェイクは、その怪しい男が彼女の車を尾行する現場を目撃。思わず自分も彼らの後を追いかける。高級ショッピングモールから海沿いのお洒落なモーテルへと、先住民の男の不穏な動きを監視しつつ、女性の行く先を延々とつけて回るジェイク。すると、先住民の男が女性のハンドバッグを奪って走り去る。必死になって追いかけるジェイク。しかし、トンネルに差し掛かったところで、ジェイクは再び閉所恐怖症の発作に襲われ、ハンドバッグから何かを抜き取った犯人を取り逃がしてしまった。 女性の名前はグロリア・レヴェル。その後も引き続き、グロリアの自宅を望遠鏡で覗いていたジェイクは、いよいよ先住民の男がグロリアの邸宅へ侵入する様子を目撃。男は巨大なドリルを手にグロリアへ襲いかかる。慌てて彼女の家へ助けに駆け付けるジェイクだったが、既にグロリアは殺されてしまっていた。警察の現場検証に立ち会うジェイク。マクリーン刑事(ガイ・ボイド)は大富豪であるグロリアの資産を狙った夫による犯行の線を疑う。しかし、ジェイクの目撃証言によると犯人は正体不明の先住民。ハンドバッグから盗んだのは豪邸のカギだったようだ。捜査は難航すること必至だった。 グロリアを救えなかった罪悪感で酒浸りになったジェイクだが、放心状態で眺めていたケーブルテレビの映像に目を奪われる。新作ポルノ映画の予告編に出てくる女優の独特なストリップダンスが、死んだグロリアのものとソックリだったのだ。そこでポルノ映画の撮影現場に潜入した彼は、例のダンスを踊る人気ポルノ女優ホリー・ボディ(メラニー・グリフィス)に接近。やがて、ジェイクはホリーがグロリアのボディ・ダブル=替え玉であったことに気付く。つまり、毎晩同じ時間に薄暗い寝室でストリップを踊っていた女性はグロリアではなく、正体不明のリッチな依頼人から「友人をからかうため」との理由で雇われたホリーだったのだ。果たして、その依頼人とはいったい誰なのか…? 観客の目を欺き混乱させるデ・パルマ監督の巧妙な演出 いやあ、全編これヒッチコック映画へのオマージュのオンパレードですな!全体的なコンセプトとしては、『裏窓』(’54)と『めまい』(’58)を足して『ダイヤルMを廻せ!』(’54)で割った感じと言えよう。主人公が極度の閉所恐怖症を抱えていて、それがいざという時の弱点になってしまうのは、『めまい』における高所恐怖症のバリエーション。望遠鏡で殺人事件を目撃してしまう展開は『裏窓』そのままだ。『ダイヤルMを廻せ!』の要素については、謎解きの種明かしにも深く関わるので明言を避けるものの、これまた分かりやすい引用である。前半と後半でヒロインが入れ替わるのは勿論『サイコ』('60)。海岸で抱き合うジェイクとグロリアの周囲をカメラが360度グルグル回るのは、『めまい』や『トパーズ』(’69)などで使われたヒッチコックお得意の演出。クライマックスには、カメラをトラックバックしながらズームアップするという、あの有名な「めまいショット」も再現している。いずれにせよ、元ネタは誰が見ても一目瞭然だ。そこがサスペンス映画ファンにとっては面白い点だが、しかし同時に弱点でもあったように思う。というのも、いずれもデ・パルマ自身が過去の作品で引用してきたネタばかリだからだ。 『裏窓』ネタは『悪魔のシスター』や『ミッドナイト・クロス』で、『めまい』ネタは『愛のメモリー』でより明確にガッツリと応用されていたし、『サイコ』を模倣したヒロインの交代は『殺しのドレス』でもやっている。360度回転するカメラは『ミッドナイト・クロス』のクライマックスの方が効果的だったし、劇中劇のB級ホラー映画をオープニングとエンディングに使用するのも同作と全く同じ。複雑に入り組んだショッピングモール内でジェイクがグロリアを追跡するシーンは、『殺しのドレス』の美術館シーンの再現である。デ・パルマ作品を追いかけてきたファンにしてみれば、それもこれも既視感のあるシーンばかリ。これが、劇場公開時に当たらなかった原因のひとつではないかと思う。実際、日本公開時に劇場へ足を運んだ筆者が少なからずガッカリした理由はこれだった。 とはいえ、久しぶりに見直すとこれがなかなか面白い。確かに新鮮味こそないものの、しかし全編に渡ってこれでもかと溢れ出るデ・パルマ監督のヒッチコック愛が微笑ましいし、何よりも繰り返し見るたびに新しい発見がある。なるほど、ここもあの映画からの引用だったのか!ここが実はあのシーンの伏線になっていたのね!などなど、何度も見直すことで初めて気付かされる仕掛けがそこかしこに隠されているのだ。また、先述したように過激な性描写と残酷描写で物議を醸した本作だが、よくよく見ると直接的な描写が殆どないことにも気付かされるだろう。これは『スカーフェイス』で問題になった電動ノコギリ・シーンにも言えることだが、デ・パルマ監督は実際にスクリーンに映っていないものを観客に生々しく想像させることで映っていると思い込ませ、まるでそのものズバリの場面を見てしまったかのように錯覚させるのが非常に上手いのだ。本作はまさにその好例である。 そして、この「思い込み」と「錯覚」こそが全編を通して貫かれる本作のテーマだったりする。オープニングからして、どこかの砂漠かな?それにしてはやけに作り物っぽいなと思ったら映画のセット。でもあれ?これってバンパイア映画だったっけ?と思ったら劇中劇でした…といった具合に、見る者の思い込みと錯覚を誘発するようなトリックをそこかしこに仕込むことで、観客を巧みに翻弄して混乱させていく。まあ、唐突に始まるジェイクとグロリアの抱擁シーンなど、映像的な見せ場を優先したご都合主義な場面がないわけではないが、しかし全体的にはデ・パルマ監督の技巧派ぶりを堪能できる作品と言えよう。 窮地を救った女優メラニー・グリフィスの大胆な演技にも要注目! デ・パルマ監督が本作のアイディアを思いついたのは『殺しのドレス』の撮影中。ベテラン大物女優アンジー・ディッキンソンの大胆なヌード・シーンが話題となった同作だが、実はクロース・アップショットはヴィクトリア・ジョンソンという若い無名女優のヌードが使われていた。要するに代役=ボディ・ダブルだ。このボディ・ダブルが犯罪の重要なカギとなるような映画を作ろうと考えたのである。当初は『殺しのドレス』と同じく学生時代を過ごしたニューヨークを舞台にするつもりだったデ・パルマ監督だが、しかし長いことロサンゼルスに住んでいながら一度もロサンゼルスを舞台にした映画を撮ったことがないことに気付き、舞台設定をロサンゼルスの映画業界およびポルノ業界に変更したという。そう、本作は映画業界もポルノ業界も文字通りイケイケだった、’80年代のバブリーで華やかなロサンゼルスを鮮やかに記録した、さながらタイムカプセル的な作品としても見逃せないのだ。 冒頭でジェイクがホットドッグを買い食いする店は、ロサンゼルスの観光名所として有名なテイル・オー・ザ・パルプ。その向こう側には大型ショッピングモール、ビバリーセンターが見える。今ではその前に別の建物が出来てしまい、さらには高層ホテルのソフィテルも建っているため、あの場所からビバリーセンターが背景に映ることはもはや不可能だろう。また、ジェイクがグロリアを追跡してランジェリーの試着室を覗き見するのは、超高級ショッピング街ロデオ・ドライヴにある富裕層向けのショッピングモール、ロデオ・コレクション。当時はまだオープンしたばかりで、映画のロケに使われたのは本作が初めてだったらしい。自宅を追い出されたジェイクが居候する友人宅のアパートは、かつてジョージ・ラフトやユージン・パレットなどのハリウッドスターも住んでいた映画業界人専用の高級アパート、ハリウッド・タワー。また、サムの紹介でジェイクが住み込む高台の豪邸は、ハリウッド・ヒルズに実在するケモスフィアと呼ばれる有名なモダン建築で、ロサンゼルスの歴史文化記念物にも指定されている。ほかにも、今はなきタワー・レコードのビデオ店や、すっかり様変わりしてしまったファーマーズ・マーケットなども出てくる。35年以上に渡ってロサンゼルスと日本の間を行き来し、その移り変わりを見てきた筆者にとっては感慨深いことこのうえなし。そうでなくともL.A.好きにはたまらないはずだ。 謎解きの重要なカギを握るヒロイン、ホリー役として、デ・パルマが最初に白羽の矢を立てたのは、当時ハードコア・ポルノ映画の女王として日本でも人気だった女優アネット・ヘヴン。なにしろ、ストリップ・シーンやオナニー・シーンなど脱ぎまくらねばならない役柄なので、ハリウッドで引き受けてくれる女優がいるとはとても考えられなかったからだ。実際に本人と会って話をしたデ・パルマ監督は、頭も切れるしセリフの覚えもいいし演技も上手いヘヴンにいたく感心して出演をオファー。デ・パルマが何者か知らなかったヘヴンは、当初は会ってもくれなかったらしいが、関係者の仲介でミーティングが実現し、本人も出演に乗り気だった。ところが、カメラテストのためヘヴンがハリウッドの撮影スタジオを訪れた際に、彼女がポルノ女優だと知ったコロンビア映画幹部が激怒。重役会の猛反対で白紙撤回されてしまう。改めて何人もの女優に声をかけたが、軒並み断らたらしい。そんな窮地を救ったのがメラニー・グリフィスだった。 当時、俳優スティーブン・バウアーの妻だったメラニーは、夫が『スカーフェイス』に出演していた縁でデ・パルマ監督とも親しい間柄だったという。デ・パルマ本人から『ボディ・ダブル』のヒロイン探しに困っていると聞いた彼女は、「だったらあたしがやる!」とその場で名乗りを上げたのだそうだ。まさに灯台下暗しである。結果的に、これが絶妙なキャスティングだった。『殺しのドレス』や『ミッドナイト・クロス』のナンシー・アレンに相当するような役柄で、少女のように無邪気でキュートな親しみやすさを残しながら、一方でセックスには自由奔放かつ大胆。役作りにはアネット・ヘヴンも協力し、ポルノ女優ならではの立ち振る舞いを勉強したという。コメディエンヌとしての勘の良さも垣間見せるメラニーは素晴らしい好演で、全米批評家協会賞では見事に助演女優賞を獲得している。これを機に、それまで女優としていまひとつ芽の出なかった彼女は一気に注目されるようになった。メラニー本人も、本作がなければ『サムシング・ワイルド』('86)や『ワーキング・ガール』('88)の成功はなかっただろうと語っている。 一方、なにかと主演俳優が地味過ぎるという批判される本作だが、しかしジェイク役のクレイグ・ワッソンもサム役のグレッグ・ヘンリーも役柄のイメージにはピッタリだ。確かにどちらも有名スターではないものの、だからこそ本作の売れない俳優という設定にハマると言えよう。これが例えばジョン・トラヴォルタやアル・パチーノのようなスターだったら全くもって説得力がない。残念ながらワッソンはその後『エルム街の悪夢3/惨劇の館』('87)くらいしか代表作はないが、既に前作『スカーフェイス』でデ・パルマに起用されていたヘンリーは、その後も『レイジング・ケイン』('92)や『ファム・ファタール』('02)でもデ・パルマと組み、最近では『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズの祖父役としてもお馴染みだ。デ・パルマ組と言えば、B級映画監督ルービン役のデニス・フランツも忘れてはならない。『フューリー』(’78)以来、デ・パルマ映画には欠かせない顔だったフランツ。本作の映画監督ルービンはデ・パルマ監督をモデルに役作りしたそうで、劇中で着用している衣装も実はデ・パルマ監督の私服を借りたらしい。その後、シーズン6から途中参加した国民的警察ドラマ『ヒルストリート・ブルース』(‘81~’87)の好演が評価されたフランツは、これまた国民的人気を誇った警察ドラマ『NYPDブルー』(‘93~’05)に主演。エミー賞のドラマ・シリーズ部門主演男優賞を4度も受賞し、すっかりテレビ界の大物スターとなった。 個人的に当時お気に入りだったのは、グロリア役を演じているデボラ・シェルトン。元ミスUSAのビューティー・クィーンで、正直なところ演技力はそれほどでもないのだが、ジェイクが一目惚れするのも無理ないくらいに美人で、なおかつ後姿がゴージャスだという理由で起用されたという。ただ、やはりセリフに難があったためか、デ・パルマ監督の判断で声は名女優ヘレン・シェイヴァーが吹き替えている。また、本作はフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドの大ヒット曲「リラックス」が劇中でミュージック・ビデオ風に使用され、リード・ボーカリストのホリー・ジョンソンらバンド・メンバーが劇中のポルノ映画に出演していることでも当時話題になった。同じく劇中のポルノ映画には、後にスクリーム・クィーンとして有名になるB級映画女優ブリンク・スティーヴンスも登場。当時はメジャー映画の脱ぎ役エキストラとして引っ張りだこだった彼女だが、実は『サイコ3』('86)などでヌード・シーンのボディ・ダブルを請け負っていた。あと、『ゴーストバスターズ』('84)の破壊神ゴーザを演じていた女優スラヴィトザ・ジャヴァンが、ジェイクを怪しんで警備員に通報するランジェリーショップ店員役で顔を出しているのも見逃せない。■ 『ボディ・ダブル』© 1984 Columbia Pictures Industries, Inc. 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COLUMN/コラム2025.04.03
香港アクション映画の伝統に対するリスペクトが込められた、ドニー・イェン主演の猟奇犯罪カンフー・スリラー!『カンフー・ジャングル』
武術の達人ばかりを狙った連続殺人鬼の正体とは!? どちらも香港電影金像奨の最優秀作品賞に輝く『イップ・マン 序章』(’08)と『孫文の義士団』(’09)の大ヒットで名実ともにアジアを代表するトップスターとなり、幼少期から訓練を積んだ中国武術に裏打ちされた圧倒的な身体能力で「宇宙最強」とも呼ばれるようになったアクション俳優ドニー・イェンが、その『孫文の義士団』のテディ・チャン監督と再びタッグを組んだ本格的なカンフー映画である。 なおかつ、エンディングに表示される「アクション映画の出演者とスタッフに敬意を表して」とのテロップ通り、全編に渡って香港アクション映画の新旧レジェンドたちがゲスト出演および裏方スタッフとして携わっており、長きに渡って香港映画界を支えてきた武侠映画やカンフー映画の伝統に対するオマージュが捧げれている。巨匠ツイ・ハークが製作した『ガンメン/狼たちのバラッド』(’88)や『チャイニーズ・ゴースト・ストーリーⅡ』(’90)などで助監督を務め、香港版『ミッション・インポッシブル』と呼ばれた『ダウンタウン・シャドー』(’97)やジャッキー・チェン主演の『アクシデンタル・スパイ』(’01)などのアクション映画を手掛けてきたチャン監督の、偉大なる先輩や仲間たちへの大いなる愛情とリスペクトが詰め込まれた作品とも言えよう。 香港の中区警察本部に大怪我をした男性がひとりで訪れる。男性の名前はハーハウ・モウ(ドニー・イェン)。中国本土出身のハーハウは広東省仏山にある武術館・合一門(ごういつもん)の館主で、今は香港で警察学校の教官をしているのだが、一門の名声をあげるため他流派の武術家に試合を挑んだところ誤って相手を殺してしまい、自ら警察に自首してきたのである。裁判で有罪判決を受けたハーハウは、5年の懲役刑に服すこととなった。 それから3年後、拳術の達人マック・ウィンヤンが殺される。現場の状況から当初は交通事故だと思われたのだが、しかし検視の結果、マックは全身を素手で殴られて撲殺されたことが判明。この謎めいた事件に世間は騒然とする。その頃、刑務所のテレビでニュースを見たハーハウは、事件捜査を担当するロク警部(チャーリー・ヤン)に連絡したいと看守に訴えるも、無視されたことから刑務所内で大乱闘を起こす。3年間ずっと模範囚だったハーハウが、なぜ乱闘騒ぎを起こしてまで会いたがっているのか。面会に訪れたロク警部とタイ刑事(ディープ・ン)に、ハーハウは「犯人は必ずまた人を殺す」「7人の武術家たちが危ない」「捜査に協力させてくれ」と言って釈放を求めるが、ロウ警部は犯罪者の戯言だと考えて相手にしなかった。 ところがその直後、ハーハウが名前を挙げていた7人の武術家のひとり、脚技の達人タム・キンイウ(シー・シンユー)の死体が発見される。今度は蹴り殺されていた。拳術の達人が殴り殺され、脚技の達人が蹴り殺される。決して偶然ではなかろう。恐らく同一人物の犯行だ。警察の捜査に協力するため仮釈放されたハーハウは、「犯人が狙う順番はカンフーの決まり文句通り」「拳術、脚技、擒拿(きんな)術、武器、内家、五門合など」「各技のトップを殺していく」と連続殺人犯の犯行動機を分析し、次のターゲットは擒拿術の達人ワン・チー(ユー・カン)と推理するが、一歩遅くワンの職場に駆け付けると既に殺された後だった。ところが、そこでハーハウは犯人と思しき怪しげな男を発見。懸命に追いかけるも逃がしてしまい、そのままハーハウ自身も忽然と行方をくらましてしまう。 ハーハウは故郷の仏山を訪れていた。武術館をひとりで守っている亡き師匠の娘で妹弟子のシン・イン(ミシェル・バイ)に会うためだ。ふと見ると、連続殺人犯が現場に残した武器と同じものがあった。それは清代の武術対決にて、敗者に送られた恩賞「堂前の燕」のレプリカ。数か月前に武術館へ来た男が残していったという。男の名前はフォン・ユィシウ(ワン・バオチャン)。果たして、なぜフォンは武術の達人ばかり狙って人殺しを繰り返すのか。大きな手掛かりを得たハーハウは妹弟子シンを伴ってロク警部と合流し、連続殺人を食い止めるためフォンを捕らえようとするも、犠牲者はさらに増えていく…。 そこかしこに顔を出す香港アクションのレジェンドたちも見逃すな! 功名心のあまり対戦相手を殺してしまった無敵の武術家の前に立ちはだかる連続殺人鬼が、武術を殺すか殺されるかの真剣勝負だと信じて疑わず、武術界を勝ち抜いて頂点を極めるという妄執に取り憑かれたモンスターだったという皮肉な話。原題の「一個人的武林」の武林とは武侠小説に出てくる言葉で、いわゆる「武術界」のことを指す。タイトル全体の日本語訳は「ひとりで向き合う武術界」。そもそも「武林」とは武術家ひとりひとりの心の中にあるべきもの、つまり武術家それぞれに己の理想世界があることを意味するのだが、しかし自信過剰で慢心した者は最強の武術家である自分が文字通りの武術界をひとりで制しようと考えるわけで、その心の持ちようによって「ひとりで向き合う」の意味が大きく変わってしまう。現在のフォンが後者であるように、かつてのハーハウも後者だった。これは、大きな過ちを犯したことで「勝つことが全てじゃない」「名を成すことなど重要じゃない」と気付き、人生にはもっと大切なものがあると悟ったベテラン武術家が、過去の自分を怪物化したような強敵に立ち向かうことで、己の罪に決着をつけて心の平安を得る物語だと言えよう。 『孫文の義士団』の大成功を受けて、引き続き歴史劇アクションに挑もうと考えたというテディ・チャン監督。しかし脚本の執筆に時間がかかってしまい、その間に同種の作品が次々と公開されたため、当初の構想をそのまま現代劇に移し替えることにしたという。その結果生まれたのが、武侠物的な概念や精神を21世紀に落としこんだカンフー・アクション『カンフー・ジャングル』だったというわけだ。彼がそこまで武侠物やカンフーに強くこだわったのは、長らく香港映画の屋台骨を支えたそれらのジャンルがすっかり衰退してしまったから。かつて’60~’80年代にかけて、ショウ・ブラザーズの武侠アクションやゴールデン・ハーヴェストのカンフー・アクション、ジョン・ウー監督らによるノワール映画などで黄金時代を築いた香港映画界。しかし’90年代に入ってジャッキー・チェンやチョウ・ユンファ、ジョン・ウー監督にリンゴ・ラム監督など、優秀な人材が次々にハリウッドへ流出すると斜陽の時代へ突入し、さらには香港の中国返還と中国本土の経済成長によって規模の小さな香港映画界は巨大な中国映画市場へ呑み込まれ、香港独自のアクション映画の伝統ももはや風前の灯となった。そんな現状に対する忸怩たる思いと、それでもなお伝統の灯を絶やさんとする仲間たちや偉大なる先輩たちに対する深い尊敬の念が、恐らくチャン監督を突き動かしたのかもしれない。 冒頭でも言及したように、本作にはそんな香港アクション映画の新旧レジェンドたちが大挙して参加。中でも古くからの香港映画ファンにとって感慨深いのは、’70年代ショウ・ブラザーズの看板スターにして「アジアの映画王」とも呼ばれた伝説のアクション俳優デヴィッド・チャンが屋台のオヤジさん役を演じ、屋台の常連客にふんしたゴールデン・ハーヴェストの創業社長レイモンド・チョウと顔を合わせる場面であろう。他にも、『インファナル・アフェア』(’02)シリーズのアンドリュー・ラウ監督や『新ポリス・ストーリー Pom Pom』('84)や『チョウ・ユンファのマカオ極道ブルース』('87)のジョー・チョン監督、『マトリックス』('99)シリーズの武術指導でも有名なディオン・ラムに『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』('91)や『チャーリーズ・エンジェル』('00)の武術指導で知られるユエン・チュンヤン、『ワイルド・ブリット』('90)や『狼たちの絆』('91)などジョン・ウー作品でもお馴染みのカースタント監督ブルース・ローなどが登場。本編のラストに全員紹介されるので要チェックだ。 もちろん、主人公ハーハウを演じるドニー・イェンと狂気に取り憑かれた殺人犯フォン役のワン・バオチャンによる、もはや壮絶としか言いようのない圧巻のカンフー・バトルも見逃せない。シリアスからコメディまで幅広くこなせる芸達者な中国本土出身の俳優で、当時はアクション映画のイメージなどほぼなかったワン・バオチャンだが、実は幼少期から少林寺に入門して訓練を積んだという本格的な武術家。『イノセントワールド-天下無賊-』('04)のプロモーションで香港を訪れた際に憧れのドニー・イェンと初対面し、是非一緒にアクション映画をやりたいと猛アピールしていたらしい。念願叶って前作『アイスマン』(’14)でドニーと初共演。続く本作で敵役としてガッツリと全面対決することとなったのだ。 そのドニー・イェン自身がアクション監督を担当。当初の構想ではドニーがひとりで全てのアクションを振りつけるつもりだったが、しかし別の作品とスケジュールが被ったため不可能となり、代わりに香港アクション協会の会長でもある『男たちの挽歌』(’86)や『チャイニーズ・ウォリアーズ』(’87)のトン・ワイ、『ドラゴン・イン/新龍門客棧』(’92)や『ドラゴンゲート 空飛ぶ剣と幻の秘宝』(’11)のユン・ブンなど超一流の武術指導者たちが、それぞれの持ち味を生かした振り付けを担当。おかげでバラエティも個性も豊かなカンフー・アクションを存分に楽しむことが出来る。中でも、車やトラックの行き交う公道を舞台にして繰り広げられるクライマックスの頂上決戦は手に汗握る迫力だ。■ 『カンフー・ジャングル』© 2014 Emperor Film Production Company Limited Sun Entertainment Culture Limited All Rights Reserved