ザ・シネマ なかざわひでゆき
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COLUMN/コラム2023.05.29
「カンフー映画の王様」の誕生を告げるブルース・リーの記念すべき初主演作!『ドラゴン危機一発』
ハリウッドを振り向かせるために香港へ戻ったブルース 永遠不滅のカンフー映画スター、ブルース・リーの初主演映画であり、’70年代カンフー映画ブームの原点とも呼ぶべき作品だ。’71年10月23日に香港で封切られるや大反響を巻き起こし、これを皮切りにアジア各国はもとより中東やヨーロッパ、アメリカでも大ヒットを記録。もともと予算10万ドルのB級映画だった本作だが、最終的には当時の香港映画として史上最高額となる5000万ドルの興行収入を稼ぎ出してしまう。 当時すでに香港のカンフー映画はアジア諸国で人気を博していたものの、しかし世界規模で成功した作品は『ドラゴン危機一発』が初めてだったとされる。おかげで、長いことハリウッドで燻っていたブルースは、一夜にして香港映画界を代表するトップスターへと飛躍。韓国や日本など一部の国では’73年7月20日のブルースの死後、ハリウッドでの初主演作『燃えよドラゴン』(’73)の爆発的ヒットを受けて劇場公開されているが、いずれにせよ『ドラゴン危機一発』の大成功が来るべきカンフー映画ブームの素地を作ったことは間違いないだろう。 アメリカ生まれで香港育ちのブルース・リー。日頃の素行不良を心配した両親の薦めもあって、13歳の頃から伝説的な武術家イップ・マンのもとに弟子入りをした彼は、そこで初めて生まれ持った武術の才能を開花させるわけだが、しかし喧嘩っ早い性格は一向に治らず問題ばかり起こすため、有名な俳優だった父親は当時まだ18歳のブルースに100ドルを持たせて渡米させる。「可愛い子には旅をさせよ」というわけだ。アメリカでは学業の傍らで武術道場を開いたブルース。やがて大学を中退した彼は道場の経営に専念し、自らが理想とする武術の追求と普及に邁進していくこととなる。 大きな転機が訪れたのは’66年。その2年前にカリフォルニアで開催された第1回ロングビーチ国際空手大会に参加したブルースは、そこで自らの編み出した驚異的な技を披露して観衆の度肝を抜いたのだが、これを見て強い感銘を受けたハリウッドのTVプロデューサー、ウィリアム・ドジャーの推薦によって、ドジャーが大ヒット作『バットマン』(‘66~’68)に続いて製作したヒーロー活劇ドラマ『グリーン・ホーネット』(‘66~’67)の準主演に抜擢されたのである。 ブルースが演じたのは覆面ヒーロー、グリーン・ホーネットの運転手兼助手である日本人カトー。残念ながら番組は1シーズンで打ち切りとなったが、しかし劇中でブルースが披露した中国武術のインパクトは大きく、これを機に彼のもとには脚本家スターリング・シリファントや俳優ジェームズ・コバーンにスティーヴ・マックイーンなどなど、ハリウッドの大物セレブたちが門下生として続々と集まってくる。中でもマックイーンとはお互いに固い友情で結ばれたというブルース。その一方で、彼はマックイーンに対して激しいライバル意識も燃やしていたという。なぜなら、自分もマックイーンのようなトップスターになりたかったからだ。 シリファントの紹介で映画のスタント監修やテレビドラマのゲスト出演をこなしつつ、ハリウッドでの成功を夢見て各スタジオに自らの企画を売り込んだというブルースだが、しかしどこへ行っても門前払いを食らってしまう。最大のネックは彼が中国人ということ。ドラマ『燃えよ!カンフー』(‘72~’75)がブルースの原案を下敷きにしているというのは実のところ誤情報だったらしいが、しかし当初は劇場用映画として企画された同作の主演スターとして、ワーナー・ブラザーズの重役フレッド・ワイントローブ(後に『燃えよドラゴン』をプロデュース)がブルース・リーに白羽の矢を立てていたことは事実だそうで、しかしやはり中国人が主役ではヒットが望めないとして却下されてしまったという。 一流の人材を求めているはずのハリウッドのスタジオが、なぜ一流の武術家である自分を受け入れてくれないのか?と思い悩んだというブルース。そんな彼にワイントローブやコバーンが香港行きを強く勧める。ハリウッド業界を振り向かせたいならば、映画スターとしての実力を証明しなくてはいけない。そのためには格闘技だけでなく演技力も磨かねばならないし、名刺代わりとなる主演映画だって必要だ。ハリウッドではハードルが高いかもしれないが、しかし香港であればそれも可能だろう。要するに「急がば回れ」である。そこでブルースは故郷・香港へ戻り、当時同地で最大の映画会社だったショウ・ブラザーズと交渉するのだが、しかしギャラの金額が折り合わずに決裂する。 そんな彼に声をかけたのが、’70年にショウブラから独立して新会社ゴールデン・ハーヴェストを立ち上げたばかりの製作者レイモンド・チョウ。ちょうど当時、香港では『グリーン・ホーネット』が再放送されており、ブルースの知名度も高かったことから商機ありと見込んだのだろう。かくして、’71年の夏にゴールデン・ハーヴェストとの契約を結んだブルース。その第1回出演作となったのが本作『ドラゴン危機一発』だった。 『燃えよドラゴン』へと繋がった舞台裏秘話とは? 舞台は東南アジアのタイ。親戚を頼って出稼ぎにきた中国人の若者チェン(ブルース・リー)は、初めて会う従兄弟シュウ(ジェームズ・ティエン)やその妹チャオ・メイ(マリア・イー)らと共同生活を送りつつ、彼らの勤務先である地元の製氷工場で働くことになる。ところがこの製氷工場、実は麻薬密売の拠点となっていた。社長マイ(ハン・インチェ)はマフィアのボスで、出荷される氷の中に麻薬を隠して売りさばいていたのである。そのことに気付いた従兄弟たちが次々と消され、ついにはシュウまで殺されてしまう。喧嘩はしないと母親に誓っていたチェンは、余計なトラブルに巻き込まれないよう事態を静観していたものの、兄の安否を心配するチャオ・メイのためにも真相を探り始めるのだったが…? もともと本作は当時すでにスターだったジェームズ・ティエンの主演作であり、新参者のブルースは準主演として起用されたという。しかし、格闘シーンの凄まじい迫力を目の当たりにし、感心した制作陣は彼を主演へ格上げすることを決定。おのずと脚本も書き直されることとなった。実際、映画そのものは必ずしも上出来とは言えず、脚本や演出にも突っ込みどころは少なくないのだが、しかしブルース・リーがいざ戦い始めると途端に雰囲気は一変。その圧倒的なスターのオーラと鍛え抜かれた肉体の美しさ、人並外れた身体能力に目が釘付けとなる。たとえ格闘技のことに詳しくなくとも、もはや彼が別格の存在であることは誰が見ても一目瞭然。ただひたすらカッコいいのである。当時は香港でもアメリカでも、興奮した観客がスクリーンのブルース・リーに向かって、声援や拍手を送って大騒ぎだったと伝えられているが、然もありなんといったところである。 ロケ地はタイのパークチョン郡。当時は劣悪な環境だったそうで、ホテルの水道の蛇口をひねれば黄色い水が出るわ、そこら中に蚊やゴキブリがいるわという状態だったらしい。そのうえ高温多湿の気候が厳しく、新鮮な食材も手に入りにくいため、さすがのブルースも体調管理に難儀したとされ、撮影中に体重が激減してしまったという。また、アクションシーンの撮影にトランポリンを使ったり、敵役が壁を突き抜けると人型の穴が開いたりといった、マンガ的に誇張されたロー・ウェイ監督の演出にもブルースは不満を示したと言われる。確かに、生真面目で本物志向なブルースの趣味でなかっただろうことは想像に難くないが、まあ、いかんせん荒唐無稽が身上のロー・ウェイ作品なので…。 そのアクションシーンの武術指導を手掛けたのが、俳優として製氷工場の極悪社長役を演じているハン・インチェ。巨匠キン・フー監督による一連の武侠映画でも俳優兼武術指導を担当した人物で、それこそトランポリンを用いたアクロバティックなスタントも彼の十八番だった。格闘シーンでブルースが口元で血を拭ってみせる仕草は、ハン・インチェが『残酷ドラゴン 血斗竜門の宿』(’67)で演じた刺客マオの真似だとも言われている。また、次回作『ドラゴン怒りの鉄拳』(’72)でヒロインを演じる女優ノラ・ミャオが、かき氷屋の娘としてゲスト出演しているのも見逃せない。 なお、本作は合計で3種類の音楽スコアが存在することでも知られている。まずは香港での初公開時に使用されたワン・フーリンの音楽スコア。良くも悪くも印象に残らない平凡なカンフー映画の音楽スコアなのだが、これを「東洋的すぎる」と考えた西ドイツの配給会社は、’60年代に同国の人気スパイ映画「ジェリー・コットン」シリーズのテーマ曲などを手掛け、ジャーマン・ラウンジミュージックの巨匠としても知られる作曲家ピーター・トーマスに新たな音楽スコアを発注。これがドイツ語吹替版のみならず全米公開された英語吹替版でも使われている。さらに、日本公開された別の英語吹替版でも独自の音楽スコアを使用。これは広東ポップスの作曲家としても有名なジョセフ・クーが手掛けたもので、エンディングには日本公開版オリジナルの主題歌「鋼鉄の男」(歌:マイク・レメディオス)が流れる。ただし、実際に聞き比べてみると分かるのだが、この日本公開版ではピーター・トーマスの音楽スコアも一部で使われている。 ちなみに、ゴールデン・ハーヴェストは’82年のリバイバル公開時に広東語吹替版を製作。これが現在に至るまでスタンダードなオリジナル音声として流通しているのだが、しかし一部の(特に日本の)ファンからはすこぶる評判が悪い。というのも、もともと本作ではまだブルース・リーのトレードマークである「怪鳥音」は存在しなかったのだが、このリバイバル公開版では別のブルース・リー作品から切り抜いたと思しき「怪鳥音」を無理やり被せているのだ。そればかりか、ピンク・フロイドやキング・クリムゾンの楽曲パーツまで勝手にサンプリング…というか無断使用(笑)。いったいどういう経緯でこうなったのか首を傾げるところではある。 とにもかくにも、ハリウッドでは見向きもされなかったブルース・リーにとって念願の映画初主演となった本作。彼に香港行きを勧めたワーナー重役フレッド・ワイントローブによると、本作の完成直後にブルースから本編フィルムが彼のもとへ送られてきたという。これを当時のワーナー会長テッド・アシュリーに見せると大変気に入ったらしく、すかさずワイントローブが「ブルースのために脚本を用意してはどうだろうか」と提言したところ、とんとん拍子で話がまとまって企画が実現する。それがワーナーとゴールデン・ハーヴェストの共同制作による、ブルース・リーのハリウッド初主演作『燃えよドラゴン』だったというわけだ。■ 『ドラゴン危機一発』© 2010 Fortune Star Media Limited. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2023.05.31
‘70年代アメリカの殺伐とした世相を映し出すパニック・サスペンス巨編『パニック・イン・スタジアム』
ディザスター映画ブームの最盛期に誕生した異色作 ‘70年代のハリウッドで大流行したディザスター映画。日本ではパニック映画とも呼ばれた同ジャンルは、地震や洪水のような自然災害からテロやハイジャックのような犯罪事件に至るまで、様々な危機的状況に巻き込まれた人々による決死のサバイバルを描き、’50年代半ばにスタジオシステムが崩壊して以降、斜陽の一途を辿っていたハリウッド映画の復興に一役買った。 トレンドの口火を切ったのは「エアポート」シリーズの第1弾『大空港』(’70)。これを皮切りに『ポセイドン・アドベンチャー』(’72)や『タワーリング・インフェルノ』(’74)、『大地震』(’74)に『カサンドラ・クロス』(’76)、さらには『大空港』の続編に当たる『エアポート’75』(’74)や『エアポート’77』(’77)などのディザスター映画が次々と大ヒットする。いずれも大掛かりな特撮やスタントを駆使した派手なスペクタクル描写と、新旧の有名スターを総動員した煌びやかなオールスターキャストの顔ぶれが人気の秘密。ブームの最盛期に登場した本作『パニック・イン・スタジアム』(’76)も同様だが、しかしこの作品がその他大勢のディザスター映画群と一線を画したのは、あくまでもスペクタクル描写はオマケに付いてくる豪華特典であり、基本的にはリアリズムを重視した社会派の犯罪サスペンスだったことだ。 舞台は現代のロサンゼルス。日曜日の早朝、市内のホテルに宿泊する正体不明の男が、おもむろに取り出したライフルでランニング中の中年夫婦を銃撃する。すぐにホテルをチェックアウトした男が向かったのは、アメフトの試合が行われるロサンゼルス・メモリアル・コロシアム。地元のロサンゼルス・ラムズ対ボルチモア・コルツの対戦だ。続々と入場する大勢の観客に紛れてコロシアムへ侵入した男は、会場全体を一望できる時計台の屋上に陣取り、試合の開始を待って静かに息をひそめる。 一方、会場には様々な事情を抱えつつも試合を心待ちにするアメフト・ファンたちが集まってくる。ワケアリな中年カップルのスティーヴ(デヴィッド・ジャンセン)とジャネット(ジーナ・ローランズ)、ギャンブル中毒で多額の借金を抱えた中年男スチュー(ジャック・クラグマン)、幼い子供が2人もいるのに失業した若い父親マイク(ボー・ブリッジス)と妻ペギー(パメラ・ベルウッド)、彼氏に誘われただけでアメフトには興味のない美女ルーシー(マリリン・ハセット)、そんな彼女に一目惚れして口説き始める男性アル(デヴィッド・グロー)、友人のスター選手チャーリー(ジョー・キャップ)を応援しに来た教会の牧師(ミッチェル・ライアン)、そして浮かれた観客のポケットから財布を盗むスリの老人(ウォルター・ピジョン)などなど。誰一人として会場に狙撃犯が潜んでいることなど気付かず、やがて大歓声に包まれて試合がスタートする。 ライフルの照射眼鏡を覗きながら客席の様子をじっと観察しつつ、しかし一向に行動を起こす様子のない狙撃犯。ほどなくしてテレビ中継カメラのひとつが彼の姿を捉え、不審に思ったスタッフが警備担当者サム(マーティン・バルサム)に報告する。ライフルを構えた狙撃犯の姿を見て戦慄し、慌ててロス市警の分署長ピーター・ホリー(チャールトン・ヘストン)に連絡するサム。通報を受けて現場へ到着したホリー署長と警官隊は、人目を引かぬよう注意深く時計台の男を観察する。 果たして彼は本気で凶行に及ぶつもりなのか。だとすれば単独犯なのか、それとも仲間がいるのか。会場には市長や議員も訪れているが、いったいターゲットは誰なのか。すると、事態を知った管理責任者ポール(ブロック・ピータース)が、時計台へ上がろうとして男に突き落とされ死亡する。すぐさまホリー署長はSWAT(特殊部隊)チームを招集。観客の安全を最優先に考えつつ、会場の各所に隊員を待機させて犯人確保のタイミングを狙うSWATのバトン隊長(ジョン・カサヴェテス)。やがてアメフトの試合はクライマックスへと差し掛かり、終了2分前のタイムアウト(ツー・ミニッツ・ウォーミング)が訪れる…。 ラリー・ピアース監督の代表作『ある戦慄』との類似性とは? 肝心の見せ場であるパニック・シーンは終盤の20分ほど。コロシアムに集まった9万1000人の観客が、次々と狙撃犯の凶弾に倒れる犠牲者や会場に響き渡る銃声に青ざめ、大混乱を起こして一斉にコロシアムの外へ向かって逃げ出す。もちろん、実際に9万人以上のエキストラを逃げ惑わせることなど不可能であるため、撮影はシーンやカットごとに何週間もかけて行われたのだが、それでもなお最大で1日3000人近くのエキストラを動員したという群衆パニックは圧倒的な迫力だ。これぞディザスター映画の醍醐味。しかも、ただスケールが大きいだけではなく、危機的状況に陥って冷静な判断力を失った人々の行動をつぶさに捉え、いざという時の群集心理の恐ろしさと危うさをこれでもかと見せつける。 とはいえ、本作のキモはそこへ至るまでの生々しいサスペンス描写にあると言えよう。狙撃犯の素性も動機も目的も劇中では一切明かされず、クライマックスへ至るまで顔すら殆んど映し出されず、辛うじて最後に所持品から名前が判明するだけ。その得体の知れなさが漠然とした不安と恐怖を徐々に煽り、ケネディ大統領暗殺事件やテキサスタワー乱射事件より以降の、アメリカ社会を包み込む殺伐とした空気をリアルに浮かび上がらせていく。’60年代末から顕著になったアメリカの治安悪化は、’70年代に入ってますます深刻となり、犯罪発生件数は増加の一途を辿っていた。もはやこの国に安全な場所など残されていない。平和な日常のどこに犯罪者が潜んでいるか分からないし、いつ凶悪犯罪に巻き込まれたっておかしくない。それこそが本作の核心的なテーマであり、あえて犯人像を透明化した理由であろう。 監督はテレビ出身のラリー・ピアース。黒人男性と再婚した白人女性に立ちはだかる困難に人種問題の根深さを投影した『わかれ道』(’64)や、富裕層のお嬢さまと平凡な若者の格差恋愛を通して階級間や世代間のギャップを描いた『さよならコロンバス』(’69)など、アメリカ社会の「今」を鮮やかに捉えた人間ドラマで定評のある名匠だが、中でも最高傑作との呼び声も高い『ある戦慄』(’67)と本作の類似性は見逃せない。 ニューヨークの地下鉄にたまたま乗り合わせた平凡な人々が、傍若無人なチンピラに絡まれるという理不尽な恐怖体験を描いた『ある戦慄』。『パニック・イン・スタジアム』でアメフトの試合会場に集まってくる観客たちと同様、『ある戦慄』の地下鉄乗客たちもそれぞれに複雑な事情を抱えており、そのひとつひとつに貧困や格差や差別などの社会問題が映し出される。そのうえで、まるで自然災害のごとく理屈の通用しない凶暴なチンピラたちの脅威に晒されることによって、善良な市民の赤裸々な醜い本性が暴かれていくことになるのだ。 日常空間に突如として現れる得体の知れない暴力、極限状態に置かれた人間のパニック心理、そこから浮かび上がるアメリカ社会の殺伐とした暗い世相。クライマックスの衝撃へ向けて、少しずつ不安と恐怖を煽っていくヒリヒリとした演出も含め、犯罪の増加やベトナム戦争の泥沼化などに揺れる’60年代末アメリカのリアルな実像に迫る『ある戦慄』は、それゆえに『パニック・イン・スタジアム』と符合する点が少なくない。前作『あの空に太陽が』(’75)をきっかけに、本作を含めて4本の映画で組んだ製作者エドワード・S・フェルドマンが、『ある戦慄』を念頭に置いてオファーしたのかどうかは定かでないものの、しかしピアース監督が本作を演出するに最適な人物であったことは間違いないだろう。 主演のチャールトン・ヘストンを筆頭に、ジョン・カサヴェテスとジーナ・ローランズの夫婦、『十二人の怒れる男』(’57)でも共演したマーティン・バルサムにジャック・クラグマン、ハリウッド黄金時代を代表する二枚目スターのひとりウォルター・ピジョン、テレビ界の人気者だったデヴィッド・ジャンセンにデヴィッド・グローなどの名優たちを起用した豪華キャストも魅力。後にピアース監督夫人になったマリリン・ハセット、『ある戦慄』でも共演したボー・ブリッジスにブロック・ピータースなど、ピアース作品の常連組も揃う。ヘストンはピアース監督の仕事ぶりを気に入り、『原子力潜水艦浮上せず』(’78)の演出をオファーしたそうだが、しかし監督は好みのジャンルでないことを理由に断ったという。 当時まだ新人だったパメラ・ベルウッドは、その後一世を風靡したドラマ『ダイナスティ』(‘81~’89)でテレビ界のトップスターとなる。また、ウォルター・ピジョン扮するスリの相方を演じている女優ジュリー・ブリッジスは、当時すでに離婚していたボー・ブリッジスの元奥さんである。当時まだ無名だった『エクスタミネーター』(’80)のB級アクション俳優ロバート・ギンティが、売店のお兄ちゃん役で顔を出すのも見逃せない。それにしても、群衆に巻き込まれながらのメインキャストの芝居など、さぞかし大変だったろうと思うのだが、実は周囲に10~15名のスタントマンを配置してスペースを確保したり誘導したりしていたのだそうだ。 なお、劇中で展開するアメフトの試合は学生リーグで、ユニフォームを見れば一目瞭然だが、実はスタンフォード大学と南カリフォルニア大学の対戦。テレビ中継のディレクターとして登場するのは、当時実際にスポーツ中継ディレクターの第一人者だったアンディ・シダリス。そう、後に『グラマー・エンジェル危機一発』(’88)や『ピカソ・トリガー/殺しのコード・ネーム』(’88)など、一連のB級ビキニ・アクション映画を手掛けるアンディ・シダリス監督その人である。 幻のテレビ放送版も徹底検証! ちなみに、本作は1979年2月6日に米ネットワーク局NBCにて、3時間の特別枠でテレビ放送されたのだが、その際に大幅な追加撮影と再編集が行われている。かつてのアメリカでは劇場でヒットした話題作映画をテレビ放送する際、様々な理由から追加撮影や再編集を施したテレビ向けのロング・バージョンを作ることが少なくなかった。『大地震』や『キングコング』(’76)、『スーパーマン』(’78)などが有名であろう。この『パニック・イン・スタジアム』の場合は、理由なき無差別殺人という題材や血生臭い暴力描写が子供や老人も見るテレビには不向きと見做され、ゴールデンタイムの特別枠を欲しかった権利元ユニバーサルが独断で追加撮影と再編集に合意したらしい。 準備された予算は50万ドル。当時は低予算のインディーズ映画を1本撮れる金額だ。おのずと劇場版の監督であるラリー・ピアースに追加撮影の依頼があったそうだが、しかし『大地震』のテレビ放送版にも携わったフランチェスカ・ターナーの脚本が酷かったため断ったという。最終的に誰が追加撮影分の演出を担当したのか分かっていないが、完成版ではジーン・パーカーという匿名でクレジットされている。 このテレビ放送版と劇場公開版の最大の違いは、狙撃犯の正体が美術品強盗グループの一味と設定されていることだ。どういうことかというと、テレビ放送版には美術品強盗作戦というサブプロットが存在するのである。実はロサンゼルス・メモリアル・コロシアムの向かいに美術館があり、そこに展示されている国宝級の美術品を盗もうと画策する強盗グループが、目眩ましとして狙撃犯を試合会場に送り込んだというのだ。あくまでも目的は警察の注意をコロシアム側に引いて、その隙に仲間が美術品を盗み出すこと。人は殺さないというのが大前提だ。なので、狙撃犯のターゲットは会場の照明器具や誰も座っていない空席。その銃声で観客はパニックに陥るのだが、最後までメインの登場人物は誰一人として死なない。たまたま照明の陰に隠れていたSWAT隊員が1人、運悪く銃弾に当たって殺されるだけだ。 さらに、劇場公開版では最後に名前が判明するだけで、その素性も動機も目的も分からず、顔も殆んど見せなかった狙撃犯だが、テレビ放送版では最初から顔も名前も堂々と明らかにされ、美術品強盗グループの仲間であることはもちろん、実はベトナム帰還兵だったという設定まで加わっている。なるほど、ラリー・ピアース監督が関わり合いになることを拒否したのも納得。これじゃ映画本来の意図が台無しである。しかも、恐らく相当急ピッチで撮影された様子で、例えば車のリアウィンドウに映る景色がグリーンバックのままになっていたりする。これはさすがに不味いだろう(笑)。 こうした追加撮影分のサブプロットが本編に混ぜ込まれる一方、劇場公開版に存在するシーンの多くがテレビ放送版ではカットされている。例えば、ランニング中の夫婦が銃撃されるオープニングのホテル・シーンは丸ごと全て消えているし、狙撃犯が会場へ向かうドライブ・シーンや観客たちの背景を描く人間ドラマも大幅に短縮。バトン隊長の家族も一切出てこないし、狙撃犯の仲間と疑われた迷惑客を手荒に尋問するシーンも存在しない。その結果、最終的にCMを含む3時間の放送枠に収まるよう再編集された、合計で約2時間半のテレビ向けロング・バージョンが出来上がったのである。 追加撮影分に登場する主なキャストは以下の通り。美術品強盗グループのリーダー、リチャード役には『コマンドー』(’85)のカービー将軍役でお馴染みのジェームズ・オルソン。本作でもベトナム帰りの元陸軍将校という設定だ。同じく強盗グループのブレーンである美大教授には、ハリウッド・ミュージカル『南太平洋』(’58)でも有名なイタリアの名優ロッサノ・ブラッツィ。狙われる美術品のオーナーである大富豪アダムス氏は、『カーネギー・ホール』(’47)や『ガントレット』(’77)のウィリアム・プリンス。その恋人で実は強盗グループの仲間である美女パトリシアには、『007/カジノ・ロワイヤル』(’67)のマタ・ボンド役で知られるジョアンナ・ペティット。後に『スカーフェイス』(’83)で南米カルテルのボスを演じるポール・シェナーも強盗グループの一員、トニー役を演じている。なかなか豪華な顔ぶれだ。 さらに、主演のチャールトン・ヘストンも追加撮影に参加。強盗計画のタレこみ情報を受けた美術館の警備担当者からホリー署長が電話連絡を受けるシーンと、終盤でホリー署長が警官隊を美術館へ向かわせるシーンに登場するのだが、よく見ると劇場公開版の映像に比べて髪型が微妙に違う。そういえば、『大地震』のテレビ放送版でも、追加撮影シーンに出てくるヴィクトリア・プリンシパルのアフロ・ウィッグが明らかに別物だったっけ(笑)。また、追加撮影では狙撃犯役のウォーレン・ミラーも再登板。劇場公開版と同じ衣装を着用している。残念(?)ながら、日本では見ることのできない『パニック・イン・スタジアム』テレビ放送版だが、米盤ブルーレイの映像特典として収録されている。好事家の映画マニアであれば一見の価値くらいはアリだろう。■ ◆本作撮影中のラリー・ピアース監督 『パニック・イン・スタジアム』© 1976 Universal Pictures, Ltd. 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COLUMN/コラム2023.06.28
古き良きモンスター映画の魅力を現代に受け継いだ正統派ゴシック・ホラー『ウルフマン』
※本レビューには一部ネタバレが含まれるため、鑑賞後にお読み頂くことを推奨します。 狼男はいかにしてホラー映画のメジャースターとなったのか? ハリウッド産ホラー映画の殿堂ユニバーサルが、往年の名作『狼男』(’41)を21世紀に甦らせたリメイク映画『ウルフマン』(’10)。「吸血鬼」や「フランケンシュタインの怪物」などと並ぶ、古典的ホラー・モンスターの代表格「狼男」だが、しかし映画の世界では長いこと不遇の扱いを受けることが多かった。そこでまずは、狼男伝説の基本をおさらいしつつ、人狼映画の変遷を振り返ってみたい。 普段は平穏に暮らしている普通の人間が、満月の夜になると全身が狼のように毛むくじゃらの怪物へと変身し、文字通り野獣本能の赴くままに殺戮を繰り広げる狼男(=人狼)。襲われた人間もまた人狼となってしまう。唯一の弱点は銀製の弾丸や武器だが、この設定は19世紀に加わったものと言われる。ヨーロッパの民間伝承では古くから知られており、そのルーツは遠くギリシャ神話やローマ神話の時代にまで遡るという。アルカディア王リュカオンの伝説だ。詩人オウィディウスの叙事詩「変身物語」には、自分のもとへ訪れた最高神ゼウスを本物かどうか試そうとしたリュカオンが、そのことでゼウスの怒りを買って狼へ変えられたという記述がある。このリュカオンこそが、人狼=ライカンスロープの語源となったのだ。 さらに、中世ヨーロッパでは各地に人狼事件の記録が残っており、特に魔女狩りの嵐が吹き荒れた16世紀から17世紀にかけては、実に3万件もの人狼裁判が行われたそうだ。また、1764~67年にフランスのジェヴォーダン地方で100人近くが狼のような野獣に襲われたという、いわゆる「ジェヴォーダンの獣」事件にも人狼説が存在する。ただ、この頃になると「狼憑き」は精神疾患の一種と見做されるようになっていたようだ。実際、ライ麦パンを主食とする貧困層が、そのライ麦に寄生した麦角菌の中毒が原因で「狼憑き」状態に陥ったケースも多かったらしい。 かように長い歴史と伝統を誇る怪物・狼男(=人狼)だが、しかし映画のスクリーンで暴れまわるまでには時間がかかった。世界初の人狼映画と呼ばれるのは、ユニバーサルが配給した『The Werewolf』(’13)という短編サイレント映画。これは、先住民ナバホ族の呪術師が、白人侵略者を殺すため我が娘を狼に変えるという話だった。しかし、サイレント期に作られた人狼映画は、これとジョージ・チェセブロ主演の『Wolf Blood』(’25)くらいのもの。吸血鬼およびフランケンシュタインの怪物に比べて人狼が不人気だったのは、「吸血鬼ドラキュラ」や「フランケンシュタイン」のように著名な原作が存在しなかったからと考えられる。また、人間→モンスターへ変身する過程の描写が、当時の映像技術では極めて難しかったことも理由として挙げられるだろう。 やがて、’30年代に入ると『魔人ドラキュラ』(’31)と『フランケンシュタイン』(’31)の大ヒットを皮切りに、いわゆるユニバーサル・モンスター映画ブームが到来。フランケンシュタインの怪物を演じたボリス・カーロフが一躍注目されたことから、そのカーロフを単独主演に据えた次回作として、実はスタジオ側が人狼映画の企画を準備していたらしい。監督と脚本も『モルグ街の殺人』(’32)のロバート・フローリーに決まっていたという。ところが、人間が野獣に変身するのは冒涜的ではないか?と、カトリック系団体からの反発を恐れたユニバーサルが途中で企画を断念。その代わりとして製作したのが『倫敦の人狼』(’35)だった。ただし、人狼治癒効果のある希少な植物を研究する学者が人狼に変身するというストーリーは、「ジキル博士とハイド氏」のバリエーションという印象。劇中に登場する人狼の特殊メイク(ジャック・ピアースが担当)も、なるべくショッキングになり過ぎないよう配慮され、あえて野獣的なイメージが薄められてしまった。 そのユニバーサルが、ようやく本腰を入れて世に送り出した本格的な人狼映画がジョージ・ワグナー監督の『狼男』(’41)。兄の死をきっかけに故郷へ戻った名家の御曹司ローレンス・タルボット(ロン・チェイニー・ジュニア)が、夜の森で狼に襲われたことから、満月の夜になると人狼へと変身してしまう。普段は善良で心優しい青年が、理性なき凶暴なケダモノと化してしまう衝撃。そして、己の残酷な運命に苦悩した彼が、さらなる惨劇を防ぐため自らの死を望むという悲劇。そのドラマチックなストーリーは、原作小説のないオリジナル作品でありながら文学的な香りが色濃く漂う。脚本を手掛けたのはSF作家としても知られるカート・シオドマク。ジャック・ピアースによる野獣的な特殊メイクの仕上がりも素晴らしく、以降の人狼映画におけるプロトタイプとなる。技術的な粗を巧みに隠した変身シーンの演出も上出来だった。 この『狼男』が大ヒットしたおかげで、いよいよ人気ホラー・モンスターの仲間入りを果たした人狼。ユニバーサルは引き続きロン・チェイニー・ジュニアをローレンス・タルボット(=狼男)役に起用し、『フランケンシュタインと狼男』(’43)や『フランケンシュタインの館』(’44)、『ドラキュラとせむし女』(’45)などのモンスター競演映画を製作する。また、20世紀フォックスもジョン・ブラーム監督の『不死の怪物』(’42)という人狼映画の隠れた名作を発表。ただ、やはり特殊メイクに手間暇がかかるうえ、当時の技術では変身プロセスをリアルに見せることが困難だったためか、’50年代以降のハリウッドはあまり作られなくなっていく。 一方、ヨーロッパではオリヴァー・リードの出世作となったハマー・プロの英国ホラー『吸血狼男』(’60)や、『吸血鬼ドラキュラ対狼男』に始まるポール・ナッシー主演のスパニッシュ・ホラー「狼男ヴァルデマル・ダニンスキー」シリーズなどが登場し、アメリカへも上陸してヒットしている。さらに、’80年代になるとハリウッドの特殊メイクや視覚効果の技術が飛躍的に向上。ジョー・ダンテ監督の『ハウリング』(’81)とジョン・ランディス監督の『狼男アメリカン』(’81)が相次いで全米公開され、いずれも当時としては画期的な人狼の変身シーンが話題となった。人狼映画にとって長年の課題が遂に解決したのである。中でも、リック・ベイカーが特殊メイクを担当した『狼男アメリカン』は、人間から野獣へと変化していく過程を細部まで克明に表現。もはや特殊メイクの世界そのものに革命を巻き起こしたと言えよう。 こうして、長年に渡って進化を遂げてきた人狼映画。やがてCG全盛の時代が訪れると、毛の質感をいかにデジタルで表現するかが新たな課題となったが、しかし『アンダーワールド』(’03)シリーズや『トワイライト』(’05)シリーズを見ても分かるように、それもまた着実に改善されてきているだろう。とはいえ、デジタル処理された昨今の狼男に少なからず物足りなさを感じることも否定できまい。特に『トワイライト』シリーズの人狼は、もはや人狼というより狼そのものだし、なによりも変身シーンのあまりの呆気なさときたら(笑)。なので、『ドッグ・ソルジャー』(’02)や『ローンウルフ 真夜中の死闘』(’14)のような、極力CGを最小限に抑えてフィジカルな特殊メイクやアニマトロニクスにこだわった作品に、どうしてもシンパシーを覚えてしまう。いずれにせよ、そんな過渡期の時代にあえて登場したのが、人狼映画の古典にして金字塔『狼男』をリメイクした本作だった。 脚本・演出・特殊メイクの総てに溢れるオリジナルへのリスペクト! 舞台は19世紀末のイギリス。兄弟ベンが行方不明になったとの一報を、彼の婚約者グエン(エミリー・ブラント)より受けたシェイクスピア俳優ローレンス・タルボット(ベニチオ・デル・トロ)は、公演先のロンドンから故郷の村ブラックムーアへ25年ぶりに戻って来る。生家のタルボット城へ到着した彼を待っていたのは、長いこと複雑な関係にある父親ジョン(アンソニー・ホプキンス)。幼い頃に愛する母親を自殺で失い、その現場を目撃してしまったローレンスは、父親によって精神病院へと入れられ、退院後はアメリカに住む叔母のもとへ預けられたのだ。その父親ジョンの口から告げられたのはベンの訃報。遺体は無残にも引き裂かれており、まるで獰猛な野獣に襲われたようだった。いったいベンの身に何が起きたのか。ローレンスは真相を突き止めることを誓う。 実は、ローレンスの母親が亡くなった25年前の満月の夜にも、村では同様の事件が起きていた。一部の村人は人狼の仕業と信じているようだ。亡きベンが流浪民と関わっていたことを知ったローレンスは、手がかりを掴むために流浪民の野営地を訪ねるのだが、そこへ突然現れた人狼が大殺戮を繰り広げ、ローレンスもまた襲われて重傷を負ってしまう。瀕死の彼を助けたのは流浪民の占い師マレバ(ジェラルディン・チャップリン)。辛うじて一命を取り留めたローレンスは、驚くほどのスピードで回復。そんな彼の身辺を、警察庁のアバライン警部(ヒューゴ・ウィーヴィング)が調べ始める。精神疾患の過去があるローレンスに大量殺人の疑いを向けたのだ。徐々に自らの身体的な変化に違和感を覚えていくローレンス。そして訪れた満月の晩、彼はみるみるうちに狼人間へと姿を変えて村人を襲う。果たして、ベンを殺してローレンスを襲撃した人狼の思いがけない正体とは?そして、やがて明らかとなる母親の死の真相とは…? オリジナル版のストーリーを下敷きにしつつ、主人公ローレンスを舞台俳優に変えるなど随所で様々な設定変更を施し、さらに母親の死という新たな設定を加えた本作。ヒロインのグウェンも、オリジナル版ではローレンスの恋人となる骨董品店の娘だった。しかし恐らく最大の違いは父親ジョンの設定であろう。旧作のジョンは息子を誰よりも愛する理知的で温厚な天文学者だったが、本作のジョンはシニカルで冷笑的な名門貴族の隠居老人で、息子に対してもどこか冷淡なところがある。そればかりか、実は彼こそがベンを殺してローレンスを襲った人狼だった。この大胆な新解釈によって、ストーリー後半の展開も旧作とは意味合いが異なるものとなっている。 人狼としての野獣的な本能を受け入れ、むしろ優越感をもってそれを愉しむようになったジョン。一方の息子ローレンスは、抗いたくても抗うことのできない野獣的な本能に苦悩し、全ての元凶である父親に復讐を果たして自らも死を選ぼうとする。本編後半で繰り広げられる両者の全面対決は、それすなわち人間的な理性と動物的な本能の葛藤だと言えよう。確かに、父と子の死闘は旧作のクライマックスでも描かれるが、しかしオリジナル版の父親ジョンは目の前の人狼が我が子ローレンスだとは知らなかった。血を分けた親子の戦いというのは多分にシェイクスピア的であり、このリメイク版ではその宿命的な悲劇性がなおさらのこと際立つ。ローレンスの職業をシェイクスピア俳優に変えたことには、そういう意図も含まれていたに違いない。『セブン』(’95)のアンドリュー・ケヴィン・ウォーカーが手掛けた脚本を、『ロード・トゥ・パーディション』(’02)のデヴィッド・セルフがリライトしたそうだが、この肉親同士の非情な対立と隔絶の要素には後者の個性が色濃く出ているようにも思う。 ちなみに、グエンのナレーションによって読み上げられる冒頭の「清らかな心を持ち/祈りを欠かさぬ者も/トリカブトの咲く/秋月の輝く夜に/人狼にその姿を変える」という一文は、旧作『狼男』を筆頭にユニバーサル・ホラーでたびたび登場する人狼伝説の有名なフレーズ。一部では実在する東欧系流浪民の言い伝えだとも噂されてきたが、実際はオリジナル版の脚本家カート・シオドマクが考え出したものだった。 かように文学的で品格のある脚本を、正統派のゴシック・ホラーとして映像化したジョー・ジョンストンの演出も評価されて然るべきだろう。濃い霧の立ち込めるダークで重厚な映像美は、オリジナル版のイメージを最大限に尊重したもの。さらに、舞台設定を旧作の現代から19世紀末に移し替えたことで、メアリー・シェリーやブラム・ストーカーの小説にも相通じるクラシカルな怪奇幻想譚の世界を創出している。VFXの使用を必要最小限に抑えたことも、物語にリアリズムを与える上で非常に効果的だったと言えよう。中でも特に、昔ながらのフィジカルな特殊メイクで人狼を表現したのは賢明な選択だ。 特殊メイクのデザインを担当したのは、先述した『狼男アメリカン』の画期的な人狼メイクで業界に革命を巻き起こした巨匠リック・ベイカー。なにしろ、少年時代に見た旧作『狼男』や『フランケンシュタイン』に感化されて、特殊メイク・アーティストを目指した人物である。これほど適した人選もなかろう。事実、本作の企画を知ったベイカーは、「何が何でも俺がやりたい!」と自ら名乗りをあげたそうだ。その『狼男アメリカン』や『ハウリング』の成功以来、人間よりも本物の狼に寄せたデザインが主流となっていたハリウッド映画の人狼だが、本作ではベイカーも尊敬するジャック・ピアースが手掛けた旧作の人間寄りデザインを採用。そこに最先端の特殊メイク技術を活用したアップデートを施している。 例えば、趾行動物の特徴を受け継いだ人狼の独特な歩き方。旧作では単純に役者がつま先立ちをしているだけだったが、本作では競技用義足を応用することで、より動物的な歩行を表現している。また、旧作の狼男は材質が固かったため表情を変えることが難しかったが、その点も本作では大きく改善されており、なおかつ役者本人の顔つきや身体的な特徴を生かしたデザインが考案された。おかげで、CG人狼にありがちなアニメっぽさが感じられないのは有難い。なにより、古き良き伝統的な狼男を甦らせてくれたことは、ホラー映画ファンとして素直に嬉しいと言えよう。とはいえ、さすがに変身プロセスではCGを使用。一応、見せるパーツを選ぶことでデジタルの粗を隠しているが、それでも部分的には隠しきれていないところも見受けられる。そこは本作で唯一不満の残る点であろう。 なお、今回ザ・シネマにて放送されるのは、劇場版よりも17分ほど長いディレクターズ・カット版。オープニングのスタジオ・ロゴも、オリジナル版が公開された’40年代当時のものを再現している。また、劇場版ではグウェンからベン失踪を告げる手紙を受け取ったローレンスが、故郷のブラックムーアへ急いで向かう様子を駆け足で手短にまとめていたが、ディレクターズ・カット版ではそこへ至るまでの過程が詳しく描かれる。注目すべきは、クレジットにない名優マックス・フォン・シドーの登場であろう。ローレンスが機関車のコンパートメントで知り合う謎めいた老人役。終盤のストーリーで重要な役割を果たす純銀製のステッキは、この老人から譲り受けたものだったのだ。しかも、ジェヴォーダンで作られたものだというのだから、分かる人なら思わずニンマリとするに違いない。 特殊メイクを手掛けたリック・ベイカーとデイヴ・エルシーが第83回アカデミー賞に輝いたものの、しかし公開当時の批評は決して高かったとは言えず、興行的にも残念な結果に終わってしまった本作。正直なところ、理不尽なほどの過小評価だったと言わざるを得まい。実際は極めて良質なゴシック・ホラー映画。特に、ローレンス・タルボットやヴァルデマル・ダニンスキーの名前を聞いて思わず胸がキュンとなるような、筋金入りのクラシック・モンスター映画ファンならば必見である。現在、ユニバーサルは新たなリブート版の企画を進めているとのこと。大いに期待して待ちたい。■ 『ウルフマン [ディレクターズカット版]』© 2010 Universal Studios. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2023.06.30
#MeTooとSNSの時代を映し出す古典的SFホラーの見事な新解釈版『透明人間』
かつて透明人間は日本映画でも人気者だった! 『ミイラ再生』(’32)をリメイクした『ハムナプトラ/失われた砂漠の都』(’99)の大成功とシリーズ化をきっかけに、『ヴァン・ヘルシング』(’04)や『ウルフマン』(’10)、『ドラキュラZERO』(’14)など、往年のクラシック・モンスター映画をコンスタントにリメイク&リブートしてきたユニバーサル・スタジオ。’14年にはフランチャイズ化(後に「ダーク・ユニバース」と命名)も発表され、MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)やDCEU(DCエクステンデッド・ユニバース)にも匹敵する壮大なシェアード・ユニバースが展開されるはずだった。 ところが、その第1弾『ザ・マミー/呪われた砂漠の女王』(’17)がまさかの大失敗に終わり、フランチャイズ化の計画は一転して白紙撤回されることに。トム・クルーズにジョニー・デップ、ハヴィエル・バルデムにラッセル・クロウと、錚々たるビッグネームを揃えた「ダーク・ユニバース」のコンセプト写真に、企画発表の当時からワクワクしていた筆者は思わずガッカリしたものである。そして、その代わりとなる単独映画として作られたのが、本作『透明人間』(’20)だった。 ご存知、オリジナルはSF小説の大家H・G・ウェルズの同名小説を、巨匠ジェームズ・ホエールが映画化したユニバーサル・ホラーの名作『透明人間』(’33)。人間を透明にする薬品を開発した科学者グリフィン博士(クロード・レインズ)が、自ら実験台となって透明化に成功するものの、しかし薬品の副作用によって狂暴化してしまう…というお話。いわば、「ジキル博士とハイド氏」の系譜に属するマッド・サイエンティスト物である。グリフィン博士が頭部に巻いていた包帯を解いていくと、なんと中身は透明で何も見えません!という特撮は、今となっては極めて原始的な合成技術に過ぎないのだが、しかし90年前の公開当時はこれが大変な評判となった。そもそも、この透明効果を映像化するのが技術的に困難ゆえ、それまでウェルズの原作は1度も映画化されたことがなかったのだ。1933年といえば、あの特撮怪獣映画の金字塔『キング・コング』(’33)も公開されている。ハリウッドの特撮技術が飛躍的な進化を遂げた記念すべき年だったと言えよう。 これ以降、ユニバーサルは『透明人間の逆襲』(’40)など合計で4本(1作目を含めると5本)の続編シリーズを製作。中でも最終作『The Invisible Man’s Revenge』(’44)は、徐々に透明化していく過程を移動撮影で描いたことが画期的だった。また、人気コメディアン・コンビ、アボット&コステロ主演の『凸凹透明人間』(’51)や、透明エイリアンが地球を侵略する『インベーダー侵略 ゾンビ来襲』(’59)、ギャング組織が透明技術を悪用する『驚異の透明人間』(’60)など、パロディ映画や亜流映画も各映画会社で続々と作られ、やがて透明人間はSFホラーの定番キャラクターへと成長する。 ちなみに、戦後の日本映画でも透明人間が流行った。その原点は円谷英二が特撮を手掛けた大映の『透明人間現わる』(’49)。ユニバーサルの『透明人間』を徹底的に研究した円谷は、透明人間が煙草をふかすシーンなど、当時としては画期的な特撮の見せ場を披露するも、しかし本人は「力量不足」と満足しなかったそうで、その後も東宝の『透明人間』(’54)で再挑戦している。また、大映は的場徹に特撮を任せた『透明人間と蠅男』(’57)を発表。興味深いのは、ハリウッド映画の透明人間が基本的にヴィランであるのに対し、国産の東宝版と大映版2作目は透明人間を正義の味方として描いていることだろう。いわば変身ヒーローの先駆けだ。そのほか、怪人二十面相が透明化する『少年探偵団 透明怪人』(’58)や、南蛮の秘薬で透明化した武士が復讐に走る特撮時代劇『透明天狗』(’60)などが作られている。 そもそも、ディズニー俳優ディーン・ジョーンズがイタリアで主演した『透明人間大冒険』(’70)や、ドイツの犯罪アクション映画「マブゼ博士」シリーズのひとつ『怪人マブゼ博士・姿なき恐怖』(’62)など、それこそ世界中の映画に登場してきた透明人間。やはり、透明になって姿を消すことは人類共通の夢みたいなものなのだろうか。また、ハイレベルな特撮技術を求められるため、透明人間映画は作り手の創造力を刺激するのかもしれない。そういう意味で、初めて透明人間をCGで描写したジョン・カーペンター監督の『透明人間』(’92)は画期的だったし、透明化していく過程の血管やら筋肉やら骨やらまで見せるポール・ヴァーホーヴェン監督の『インビジブル』(’01)はまたグロテスクでインパクト強烈だった。 なので、CG技術が飛躍的に進化した現代に『透明人間』のリメイクというのは理に適っているのかもしれないが、しかしこの2020年版『透明人間』で最も評価されるべき点は、実は最新のデジタル技術を駆使したVFXよりも、古典的な題材を現代的にアップデートした脚本の妙にあると言えよう。 ヒロインだけでなく観客も追いつめられるガスライティングの恐怖 真夜中に防犯システムを完備した大豪邸からこっそりと逃げ出す女性セシリア(エリザベス・モス)。彼女は世界的な光学研究の第一人者エイドリアン・グリフィン博士(オリヴァー・ジャクソン=コーエン)の恋人なのだが、しかし嫉妬深くて束縛が強くて支配的な彼との暮らしは生き地獄だったため、いよいよ覚悟を決めて脱出を企てたのである。睡眠薬で眠らせたはずのエイドリアンが、文字通り鬼の形相で追いかけてきたものの、電話連絡を受けて駆け付けた妹エミリー(ハリエット・ダイヤー)の車で逃げ切ることに成功したセシリア。その後、彼女は警察官である友人ジェームズ(オルディス・ホッジ)の自宅に匿われたが、しかしエイドリアンから受け続けた精神的な暴力によるトラウマはなかなか癒えなかった。 そんな折、驚くべきニュースが飛び込む。エイドリアンが自殺を遂げたというのだ。彼の兄である弁護士トム(マイケル・ドーマン)に呼び出され、500万ドルの遺産まで相続することになったセシリア。しかし、彼女はエイドリアンの死をにわかに信じることが出来ない。なぜなら、彼は自己愛の強いソシオパスで、全てを自分の思い通りにせねば気が済まない性格の持ち主。とてもじゃないが自殺をするような人間ではない。他人の目を欺くことにだって長けている。ましてや彼は世界的な科学者だ。自殺を偽装するなど朝飯前であろう。 やがて彼女の周辺では奇妙な出来事が起きるようになり、エイドリアンに見張られているのではないかと感じ始めるセシリア。当然、ジェームズやエミリーは思い過ごしだと受け流すが、しかしセシリアは送った覚えのない誹謗中傷メールでエミリーと絶縁する羽目になり、さらにジェームズの娘シドニー(ストーム・リード)を殴ったと疑われてしまう。私は何もしていない。エイドリアンが透明人間になって私を陥れようとしているのだ。証拠を掴むためエイドリアンの自宅へ行ったセシリアは、そこで人体を透明化する特殊スーツを発見。やはりそうだったのか。疑惑が確信へと変わった彼女は、エミリーに全てを打ち明けようとするのだが、しかしそこで最悪の悲劇が起きてしまう。果たして、エイドリアンは本当にまだ生きているのか、それとも全てはセシリアの被害妄想の産物なのか…? もちろん、一連の出来事は透明人間になったエイドリアンの仕組んだ罠なのだが、いずれにせよ主人公の名前(グリフィン博士)および透明人間という設定を継承しただけで、それ以外はほとんど原形をとどめていない大胆なアレンジに驚くホラー映画ファンも多いことだろう。オリジナル版の天才科学者グリフィン博士も、透明薬の副作用が少なからず影響しているとはいえ、優性思想に染まった誇大妄想狂のクソ野郎だったが、このリメイク版のグリフィン博士は典型的なDVモラハラ男として描かれる。まさしく、#MeToo時代に相応しい新解釈版『透明人間』だ。 被害者が精神的におかしいのではないか?と本人だけでなく周囲にも信じ込ませ、巧みに窮地へと追い詰めていく心理的虐待をガスライティングと呼ぶのだが、なるほど確かにガスライティングと透明人間は驚くほど親和性が高い。姿が見えなければやり放題だ。これまでありそうでなかった新しい切り口と言えよう。加えて、己の姿を一切見せることのないグリフィン博士の執拗な嫌がらせは、いわゆるソーシャルメディア・ハラスメントをも想起させる。SNSで匿名に隠れて他者を攻撃する加害者などは、まさに透明人間みたいなものだ。そういう意味でも、これは極めて今日的なテーマを扱った作品だ。 しかも、本作は透明人間ではなくその被害者の視点でストーリーが語られるため、観客はヒロインに降りかかる心理的な恐怖や絶望を生々しく追体験することになる。この息の詰まるような恐ろしさときたら!それゆえ、DVやハラスメントの被害者はフラッシュバックする恐れがあるので、鑑賞する際には注意が必要かもしれない。 監督と脚本を手掛けたのは、盟友ジェームズ・ワンと共に『ソウ』(’04)シリーズや『インシディアス』(’10)シリーズを生んだオーストラリア出身の脚本家リー・ワネル。前作『アップグレード』(’18)では、『狼よさらば』(’74)的なリベンジ・アクションを『ターミネーター』(’84)的な科学の暴走へと昇華させたていたワネル監督だが、本作ではその逆パターンを採用している。要するに、「科学の暴走」そのものである『透明人間』の物語を、『狼よさらば』というよりは『リップスティック』(’76)や『天使の復讐』(’81)的な性暴力被害者の復讐譚として仕上げたのだ。 さらに本作で目を引くのは透明人間のカラクリだ。ご存知の通り、H・G・ウェルズの原作小説や’33年版のグリフィン博士は、特殊な薬品を投与することで透明人間となる。その後の透明人間映画の多くも、この透明薬を採用してきた。その他にも、原子力を用いた放射能光線や透明化装置などもポピュラーだったが、本作では着用すると透明になれる特殊なボディスーツが使用される。 これがどういう仕組みかというと、スーツ全体に無数の小型カメラレンズが埋め込まれており、それぞれのレンズが周囲の様子をリアルタイムで細かくホログラム化。その映像で全身を覆い隠すことによって、周囲に溶け込んで透明化したように見える…ということらしい。なので、一度投与したら透明化したままの薬品と違って、それこそプレデターのように姿を見せたり隠したりが自在に出来るのだ。ある意味、CG加工と似たような原理である。実際、本作では透明人間役のスタントマンが全身グリーンのボディスーツを着用し、ポストプロダクションの際にはその部分だけをデジタル消去することで透明化している。なるほど、現実が空想科学にだんだんと追いついてきたわけだ。 ヒロインのセシリア役にエリザベス・モスを選んだのもドンピシャ。なにしろ、出世作『マッドメン』(‘07~’15)では男社会の会社組織で女性差別やセクハラに苦しむキャリア女性ペギー・オルセンを、初主演作『ハンドメイズ・テイル/侍女の物語』(‘17~)では全体主義国家アメリカで妊娠出産に奉仕させられる侍女ジューンを演じた、いわば#MeToo時代のハリウッドを象徴するような女優である。金持ち男性が囲い込む女性としては容姿が地味過ぎやしないか…との声も一部にあったようだが、しかし見た目が地味で大人しそうな女性ほど性暴力被害に遭いやすいとも言われる。まあ、そりゃそうだろう。DV男やモラハラ男は、自分に自信がなくて支配しやすい女性を狙うものだ。そう考えると、彼女の起用は十分に説得力があると思う。 ちなみに、『マトリックス』シリーズのゴースト役で知られる俳優アンソニー・ウォンが、交通事故に遭った車からフラフラしながら出てくるドライバー役でチラリと登場。その直後、セシリアが彼の車を奪って精神病院から逃走するのだが、その際にほんの一瞬だけ「ソウ人形」の落書きが画面に映る。くれぐれもお見逃しなきよう。 そんなこんなで、コロナ禍での劇場公開という圧倒的に不利な状況にも関わらず、世界興収1億4300万ドルというスマッシュヒットを記録し、ハリウッド批評家協会賞やサターン賞といった賞レースを席巻するなど、批評的にも極めて高い評価を得た本作。目下のところリー・ワネル監督による続編映画、そしてエリザベス・バンクスを監督に起用したスピンオフ映画の企画が進行しているという。それより前に、ホラー映画ファンとしては『スクリーム』製作チームによる、’24年春公開予定のタイトル未定ユニバーサル・モンスター映画というのが大いに気になるところですな!■ 『透明人間(2020)』© 2020 Universal City Studios Productions LLLP. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2023.07.26
‘80年代最強のゾンビ・コメディ映画!その見どころと製作舞台裏を徹底解説!『バタリアン』
知られざる『バタリアン』誕生秘話 日本でも大変な話題となった’80年代ゾンビ映画の傑作である。いわゆる「走るゾンビ」の先駆け的な存在。そればかりか、本作の「生ける屍」たちは言葉を喋るうえに知恵だって働く。食料(=人間の脳みそ)をまとめて調達するために罠を仕掛けるなんて芸当も朝飯前だ。これぞまさしくゾンビ界の新人類(?)。『エイリアン』(’79)の脚本で一躍頭角を現し、本作が満を持しての監督デビューとなったダン・オバノンは、ゾンビ映画の巨匠ジョージ・A・ロメロ監督作品との差別化を図ってコメディ路線を採用したのだが、その際にホラー映画として肝心要である「恐怖」にも手を抜かなかったことが成功の秘訣だったと言えよう。シニカルな皮肉を効かせたブラック・ユーモアのセンスも抜群。賑やかで楽しいけれど怖いところはしっかりと怖い。もちろん、血みどろのゴア描写も容赦なし!やはりメリハリって大事ですな。 また、日本では『バタリアン』という邦題をはじめ、劇中に登場するオバンバやらタールマンやらハーゲンタフやらのゾンビ・キャラなど、キャッチーなネーミングを駆使したプロモーション作戦も大いに功を奏したと思う。そこはさすが、『サランドラ』(’77)のジョギリ・ショックに『バーニング』(’81)の絶叫保険など、とりあえず目立ってナンボのハッタリ宣伝で鳴らした配給会社・東宝東和である。そういえば、本作も「バイオSFX方式上映」とか勝手に銘打ってたっけ。なんじゃそりゃですよ(笑)。いずれにせよ、ちょうど当時は『狼男アメリカン』(’81)や『死霊のはらわた』(’81)、『死霊のしたたり』(’85)に『ガバリン』(’86)などなど、シリアスな恐怖とブラックな笑いのハイブリッドはホラー映画界のちょっとしたトレンドだったわけで、その中でも本作は最も成功した作品のひとつだった。 原題は「The Return of the Living Dead」。勘の鋭いホラー映画ファンであれば、このタイトルだけで本作がジョージ・A・ロメロ監督によるゾンビ映画の金字塔『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(’68・以下『NOTLD』と表記)の続編的な作品であることに気付くはずだ。実際、劇中では『NOTLD』の存在がセリフで言及され、その内容が実話であったとされている。つまり、これは間接的な後日譚に当たるのだ。とはいえ、製作陣が公式に「続編」を名乗ったことは一度もない。そもそも、本作には『NOTLD』の「続編」を名乗ることのできない理由があった。その辺の裏事情も含め、まずは『バタリアン』の知られざる生い立ちから振り返ってみよう。 本作の生みの親はジョン・A・ルッソ。そう、『NOTLD』の脚本を共同執筆したロメロの盟友である。『There’s Always Vanilla』(’71・日本未公開)を最後にロメロと袂を分かったルッソは、その直後にラッセル・ストレイナー(『NOTLD』のプロデューサー)やルディ・リッチと共に製作会社ニュー・アメリカン・フィルムズを立ち上げ、独自に『NOTLD』続編の企画を準備し始めたという。なにしろ彼にとっては唯一にして最大の代表作である。しかも、共同脚本家として著作権はロメロとルッソの双方が所有。なので、続編を作る権利はルッソにもあったのだ。しかも、一連のアル・アダムソン監督作品で知られる配給会社インディペンデント=インターナショナル・ピクチャーズの社長サム・シャーマンから、『NOTLD』の続編があればうちで配給したいと声をかけられていたらしい。そりゃ、ご要望にお応えしないわけにはいくまい。 かくして、ストレイナーやリッチの協力のもと『The Return of the Living Dead』のタイトルで脚本執筆に取りかかったルッソ。しかし、幾度となく修正を重ねたために時間がかかり、なおかつ製作資金の調達も難航したという。そこで、ルッソは企画の宣伝も兼ねてノベライズ本を’77年に発表。ホラー・マニアの間では評判となったが、あいにく出版社が弱小だったため5万部しか売れなかった。そんな折、ロメロが『NOTLD』の続編『ゾンビ』(’78)を撮ることになり、ルッソとの間で著作権を巡って裁判が勃発。当人同士は穏便に済ませたかったそうだが、しかし第三者も関わるビジネスの問題なのでそうもいかなかったのだろう。その結果、ロメロの『ゾンビ』が『NOTLD』の正式な続編となり、そのためルッソの脚本は対外的に続編を名乗ることが出来なくなったのである。 それから3年後の’81年、ルッソは『The Return of the Living Dead』の映画化権を知人の紹介で無名の映画製作者ポール・フォックスへ売却する。もともとシカゴ出身の投資銀行家だったというフォックスは、その傍らで映画界への進出を目論んでいたらしく、安上がりに儲けることが出来るホラー映画は優良な投資物件と考えたのだろう。とはいえ、金融の世界ではプロかもしれないが、しかし映画作りに関しては素人も同然。あちこちの製作会社へ企画を売り込んだものの、手を組んでくれる相手はなかなか現れなかった。ようやく企画が動き始めたのは’83年のこと。後に『ターミネーター』(’84)や『プラトーン』(’86)で大当たりを取る製作会社ヘムデイルがパートナーとして名乗りをあげ、同社と提携を結んでいたオライオンが配給を担当することになったのだ。監督にはオカルト映画『ポルターガイスト』(’82)を大ヒットさせたばかりのトビー・フーパーも決定。そこで、予てよりオリジナル脚本に不満を持っていたフォックスは、『エイリアン』でお馴染みのダン・オバノンに脚本のリライトを依頼したのだ。 ところが…!である。ヘムデイルの資金調達に思いがけず時間がかかったため、その間にトビー・フーパーはキャノン・フィルムと専属契約を結んで、やはりダン・オバノンが脚本に参加したSFホラー『スペースバンパイア』(’85)をロンドンで撮影することとなってしまったのだ。そこで制作陣は、代打としてオバノンに監督のポジションをオファー。自分で作るのであればロメロの真似だけは避けたいと考えたオバノンは、全面的な脚本の書き直しを条件にオファーを引き受け、実質的に『NOTLD』の続編的な内容だったオリジナル脚本のストーリーを刷新する。ルッソやオバノンの証言によれば、オリジナル版と完成版の脚本はタイトル以外に殆ど共通点がないそうだ。 ‘69年に起きたゾンビ・パニックの真実とは…!? オープニング・テロップ曰く、「この映画で描かれる出来事は全て事実であり、登場する人物や組織の名前も実在する」とのこと。時は1984年7月3日、場所はケンタッキー州ルイビル。人体標本などの医療用品を供給する会社に就職した若者フレディ(トム・マシューズ)は、先輩のベテラン社員フランク(ジェームズ・カレン)から信じられないような話を聞かされる。有名なゾンビ映画『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』が、実際に起きた出来事を基にしているというのだ。 それは1969年のこと。ピッツバーグの陸軍病院で「トライオキシン245」という化学兵器がガス漏れを起こし、その影響で墓地に埋められた死者が次々と甦って生者を食い殺したのである。事態を収拾した陸軍は事件の隠蔽工作を図ったのだが、しかし配送ミスによって闇へ葬られるはずのゾンビがこの会社へ届いてしまい、今もなお倉庫の地下室に保管されているのだという。半信半疑のフレディを納得させるため、実際に地下室へ案内して本物のゾンビを見せるフランク。ところが、調子に乗ったフランクがゾンビを保管するタンクを叩いたところ、中に充満していた「トライオキシン245」が外へ漏れ出してしまい、思いきりガスを吸ったフレディとフランクは気を失ってしまう。 暫くして意識を取り戻したフレディとフランク。よく見るとタンクの中のゾンビは姿を消し、倉庫の冷凍室では実験用の死体が甦って大暴れしている。警察に通報しても信じてもらえないだろうし、ましてや軍隊に知れたら口封じのため何をされるか分からない。慌てた2人は社長バート(クルー・ギャラガー)を呼び出し、ゾンビ化した実験用の死体を捕らえて頭部を破壊する。「ゾンビを殺すなら頭を狙え」はゾンビ映画の鉄則だ。ところが、頭を破壊しても首を切断してもゾンビは元気いっぱいに走り回っている。「なにこれ!まさか映画は嘘だったわけ!?」と困り果てる3人。バラバラにしても死なないゾンビをどう始末すればいいのか。そこでバートは近所の葬儀屋アーニー(ドン・カルファ)に相談し、ゾンビを焼却炉で火葬してもらう。さすがのゾンビも焼かれて灰になったらオシマイだ。ところが、ゾンビを焼いた煙には「トライオキシン245」が含まれており、折からの悪天候によって雨と一緒に地上へ降り注いでしまう。 その頃、倉庫近くの古い墓地では、フレディの仕事終わりを待つ友人たちがパーティを開いていた。そこへ急に雨が降ってくるのだが、しかしこれがどうもおかしい。酸性雨なのか何なのか分からないが、肌に触れるとヒリヒリして痛いのだ。慌てて雨宿りをする若者たち。そんな彼らの目の前で、墓場の底から次々と死者が甦る。雨に含まれた「トライオキシン245」が埋葬された遺体をゾンビ化させてしまったのだ。やがて大群となって襲いかかってくるゾンビたち。生存者は会社の倉庫や葬儀屋のビルに立て籠もるのだが、しかし動きが速くて言葉を理解して知能の高いゾンビ軍団に警察もまるで歯が立たない。そのうえ、ガスを吸い込んだフレディとフランクも体調に異変をきたし、生きながらにしてゾンビへと変貌しつつあった。果たして、この未曽有のゾンビ・パニックを無事に収集することは出来るのだろうか…!? 撮影現場では嫌われてしまったオバノン監督 この軽妙洒脱なテンポの良さ、適度に抑制を効かせたテンションの高さ。これみよがしなドタバタのスラップスティック・コメディではなく、極限の状況下に置かれた人々による必死のリアクションが笑いを生み出していくというスクリューボール・コメディ的なオバノン監督の演出は、それゆえにシリアスで残酷で血生臭いホラー要素との相性も抜群だ。ジャンルのクリシェを逆手に取ったジョークを含め、その語り口は実にインテリジェントである。しかも、カメラの動きから役者のポジションに至るまで、全編これ徹底的に計算されていることがひと目で分かる。実際、オバノン監督は撮影前の2週間に渡って入念なリハーサルを行い、役者の立ち位置や動作、セリフのスピードやタイミングなどを細かく決め、相談のない勝手なアドリブは許さなかったらしい。少々大袈裟で演劇的な群像劇も監督の指示通り。あえて「わざとらしさ」を狙ったという。根っからの完璧主義者である彼は、どうやら映画の総てを自分のコントロール下に置こうとしたようだ。 そして、その強権的な姿勢が現場でトラブルを招いてしまう。あまりにも注文が多いうえに要求レベルが高いため、オバノン監督はスタッフやキャストから総スカンを食らってしまったのだ。当時を振り返って口々に「現場は地獄だった」と言う関係者たち。予算も時間も無視したオバノン監督の要求に対応できなくなった特殊メイク担当のビル・マンズは途中降板することになり、その代役としてケニー・マイヤーズとクレイグ・ケントンが呼び出されたのだが、彼らもまたいきなり初日からオバノン監督に怒鳴り散らされて面食らったという。 また、演じる役柄と同様に大人しくて控えめなティナ役のビヴァリー・ランドルフも、もしかするとそれゆえターゲットにされたのかもしれないが、監督が人一倍厳しく接した相手のひとりだったらしい。タールマンと遭遇したティナが逃げようとしたところ、階段から落ちて怪我をするシーンでは、オバノン監督は演じるビヴァリーに階段の板が外れることを黙っていたという。いやあ、現在のハリウッドでそんなことしたら大問題になりますな。結局、何も知らないビヴァリーは、本当に階段から転落して足を捻挫してしまった。なかなか起き上がれずに苦悶の表情を浮かべているのは芝居じゃないのだ。 さらに、撮影開始の直前になってキャスティングされ、そのためリハーサルに参加できなかったベテラン俳優クルー・ギャラガーは、監督からの有無を言わせぬ一方的な要求に「俳優への敬意がない!」とブチ切れ、小道具のバットだか何かを振り回しながら監督を追いかけたこともあったという。それを見て、ビヴァリーら若手俳優たちは内心スカッとしたのだとか(笑)。生前のオバノン監督自身も当時の自分がサイテーだったことを素直に認めており、監督としての初仕事ゆえ多大なプレッシャーを抱えていたとはいえ、あんな態度でスタッフやキャストに接するべきではなかった、もっと自分の感情をコントロールすべきだった、みんなから嫌われたのは私の自業自得だと大いに反省していたようだ。 そんな本作で抜きん出て良い仕事をしたのは、上半身裸の老女ゾンビ=オバンバのデザイン・造形・操演を担当した特殊メイクマン、トニー・ガードナー。ダフト・パンクのロボット・ヘルメットなどのデザイナーとして、名前を聞いたことのある人も少なくないだろう。もともとリック・ベイカーのアシスタントで、撮影当時まだ19歳の若者だった彼にとって、本作は初めて名前がクレジットされた大仕事だった。実はモヒカン頭のパンク少年スクーズを演じるブライアン・ペックの友人だったガードナー。普段はナード系のペックをパンク少年らしくイメチェンさせるため、コワモテっぽく見えるような義歯をオーディション用に作ってあげたところ、これがオバノン監督の目に留まって特殊メイク班に起用されたのである。ちなみに、トビー・フーパーが本作を降りて『スペースバンパイア』を撮ったことは先述した通りだが、そういえば『スペースバンパイア』に出てくる精気を吸われてミイラ化した女性被害者とオバンバがどことなく似ているような…? おっちょこちょいなダメオジサン、フランクの切ない名場面は脚本になかった? そうそう、人間味あふれるベテラン俳優たちの顔ぶれも、本作の大きな強みだったように思う。中でもフランク役を演じるジェームズ・カレンはマジ最高ですな!ゾンビ化していくことに絶望したフランクが、自らの意思によって焼却炉で焼かれるシーンの切なさは筆舌に尽くしがたい。実はこのシーン、ジェームズ・カレン自身のアイディアだったという。もともとオバノンの書いた脚本では、フレディと同じくフランクも凶暴なゾンビとなってしまうはずだったのだが、それでは面白くないとカレン本人が出した代案をオバノンが採用したのだそうだ。そのカレンをフランク役に起用したのは、実はトビー・フーパー監督だったとのこと。いわば置き土産だったわけだ。前作『ポルターガイスト』にも登場し、幽霊騒動の元凶を作った強欲な不動産会社社長を演じていたカレンを、恐らくフーパー監督は贔屓にしていたのだろう。この翌年、フーパー監督は『スペースバンパイア』に続いて『スペースインベーダー』(’86)でも再びオバノンとタッグを組むのだが、そこではジェームズ・カレンもまた海兵隊の将軍役で大活躍することになる。 なお、ハリウッド業界で人望が厚く交友関係の広かったカレンは、本作の撮影中に親しい友人だった天下の名優ジェイソン・ロバーズをロケ現場へ招いているのだが、その際に撮影されたスナップ写真をプロデューサー陣はロビーカードなどの宣材として使っている。全く、ちゃっかりとしてますな(笑)。 医療品会社の社長バート役には、ドン・シーゲルの『殺人者たち』(’64)やピーター・ボグダノヴィッチの『ラスト・ショー』(’71)でもお馴染みの名優クルー・ギャラガー。もともとこの役は往年のB級西部劇スター、スコット・ブレイディに決まっていたものの病気で降板し、レスリー・ニールセンなど複数の俳優に断られた末にギャラガーが引き受けた。これが初めてのホラー映画出演だった彼は、その後『エルム街の悪夢2 フレディの復讐』(’85)や『ヒドゥン』(’87)など数々のホラー映画へ出ることになる。また、アーニー役のドン・カルファはボグダノヴィッチの『ニッケルオデオン』(’76)やスピルバーグの『1941』(’79)などに端役で出ていた人で、その強烈なマスクと芝居で印象を残す「名前は知らないけど顔は知っている俳優」のひとりだったが、本作以降はメジャーどころの役柄も増えていく。実際、この人が出てくると一挙一動から目が離せない。いやあ、実に芸達者! 一方の若手俳優に目を移すと、『13日の金曜日 PART6/ジェイソンは生きていた!』(’86)と『13日の金曜日 PART7/新しい恐怖』(’87)でトミー・ジャーヴィス(ジェイソンと対峙したトラウマからジェイソン化していく若者)を演じたトム・マシューズ、『新・13日の金曜日』(’85)の屋外トイレでジェイソンに殺される黒人の不良デーモンを演じたミゲル・A・ヌネス・ジュニア(スパイダー役)、同じく『新・13日の金曜日』で患者仲間を殺してしまう精神病患者ヴィックを演じたマーク・ヴェンチュリーニ(スーサイド役)と、『13金』シリーズ繋がりのキャストが目立つ。要するに、それくらい当時は大勢の無名若手俳優が『13金』シリーズに出ていたのである。 ちなみに、トム・マシューズが劇中で着用しているノースリーブシャツ。「DOMO ARIGATO」と日本語をあしらった旭日旗デザインが印象的なのだが、これは当時マシューズが広告モデルを務めていた衣料品メーカー、VISAGEのもの。なぜ「DOMO ARIGATO」なのかというと、やはりスティックスの全米トップ10ヒット「ミスター・ロボット」の影響力でしょうな。当時のアメリカではニンジャ映画が流行るなど日本ブームの真っ只中だったわけだし。で、マシューズはそのVISAGE関係者を『バタリアン』の試写会にも招いたそうなのだが、どうやら相手はホラー映画が大の苦手だったらしく機嫌を損ねてしまい、それっきり広告モデルに呼ばれなくなったという。なんたる藪蛇…。 とはいえ、やはり若手キャストの中で最も目立つのは、露出狂のパンク娘トラッシュを演じたスクリーム・クィーン、リニア・クイグリーであろう。彼女が夜の墓地で繰り広げる全裸ストリップは本作の名場面のひとつだ。もちろん、撮影では前貼りで局部を隠しているのだが、当初は何も付けない文字通りのスッポンポンだったらしい。しかし、たまたま現場を見学に訪れた製作者ポール・フォックスがビックリして、「ダメダメ!毛が丸出しじゃないか!」と注意。ところが、何を考えたのかオバノン監督はリニアにアンダーヘアを剃らせたという。いやいや、そうじゃないだろう(笑)。案の定、「違うってば!それもっとダメじゃん!」とフォックスに突っ込まれ、特殊メイク班に前貼りを作らせることに。その結果、リニアの股間はツルッツルで何もない「バービー人形状態」となったのである。ちなみに、パーティガールのケイシーを演じているジュエル・シェパードは、もともとオバノン監督が常連客だった会員制高級クラブのストリッパーで、当初は彼女にトラッシュ役がオファーされていたそうだが、映画では脱ぎたくないという理由から断ったらしい。 ジョージ・A・ロメロのゾンビ3部作最終編『死霊のえじき』(’85)が全米で封切られたのは’85年7月。当初は年末公開を目指していたという『バタリアン』だが、しかし本家の話題性に便乗せんとばかり8月に繰り上げ公開され、予算300万ドルに対して興行収入1400万ドル以上というスマッシュヒットを記録する。これまでに5本の『バタリアン』シリーズが制作されており、「ロミオとジュリエット」を下敷きにしたブライアン・ユズナ監督の3作目『バタリアン・リターンズ』(’93)は個人的に隠れた傑作だと思っているが、しかしそうは言ってもやはり、この1作目がベストであることに変わりはないだろう。結局、H・P・ラヴクラフト原作の監督第2弾『ヘルハザード・禁断の黙示録』(’91)が製作会社から勝手に編集されたうえ、アメリカ本国では劇場未公開のビデオスルーという憂き目に遭ってしまい(それでも数あるラヴクラフト映画の中では傑出した1本)、映画監督として必ずしも大成することの出来なかったオバノン。それでもなお、みんなが大好きな『バタリアン』を世に送り出してくれたことの功績は計り知れない。■ 『バタリアン』© 1984 Metro-Goldwyn-Mayer Studios Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2023.08.01
ディレクターズ・カット版で味わいに深みを増した’80年代青春映画の金字塔『アウトサイダー』
アメリカの光と影を映し出す、貧しい若者たちの群像劇 巨匠フランシス・フォード・コッポラが監督を手掛け、アメリカはもとより日本でも爆発的な大ヒットを記録した、’80年代を象徴する青春映画の金字塔『アウトサイダー』(’83)。いつまでも若かりし頃の輝きを失わないで…と歌う、スティーヴィー・ワンダーの主題歌「ステイ・ゴールド」の美しくも抒情的なメロディと共に記憶している映画ファンも多いことだろう。 ‘80年代のハリウッドといえば青春映画の全盛期。『初体験リッジモント・ハイ』(’82)や『プライベート・スクール』(’83)のようなセックス・コメディから、ジョン・ヒューズ監督の『すてきな片想い』(’84)や『ブレックファスト・クラブ』(’85)のようにお洒落な学園ドラマ、さらには『セント・エルモス・ファイアー』(’85)に『プリティ・イン・ピンク』(’86)に『ダーティ・ダンシング』(’87)に『ヘザース/ベロニカの熱い日』(’88)にと、等身大の若者たちを鮮やかに描いた青春映画が次から次へと大ヒットし、ブラット・パック(悪ガキ集団)と呼ばれる若手の青春映画スターたちがハリウッドのニュー・セレブとして持て囃された時代だ。そのブラット・パック第一世代(マット・ディロンやC・トーマス・ハウエル、ラルフ・マッチオ、トム・クルーズなど)の俳優たちがズラリ勢ぞろいした本作は、さしずめ’80年代青春映画ブームの原点にして頂点と呼べるかもしれない。 原作はデビュー当時まだ18歳だった女性作家S・E・ヒントンが高校在学中に執筆し、処女作として’67年に発表してベストセラーとなった同名のヤングアダルト小説。ヒントン自身が生まれ育ったオクラホマ州の町タルサを舞台に、行き場のない怒りや不満や哀しみをぶつけるかのごとく、喧嘩ばかりに明け暮れる貧しい若者たちの青春群像が描かれる。まずはそのストーリーから振り返ってみよう。 時は’60年代半ば。主人公はリーダー格のクールなタフガイ、ダラス(マット・ディロン)を筆頭に、両親を交通事故で亡くした14歳の最年少ポニーボーイ(C・トーマス・ハウエル)、その兄貴のダレル(パトリック・スウェイジ)とソーダポップ(ロブ・ロウ)、親からの虐待に苦しむジョニー(ラルフ・マッチオ)、ひょうきんで明るいツー・ビット(エミリオ・エステベス)に筋肉バカのお調子者スティーヴ(トム・クルーズ)など、「グリース」と呼ばれる貧困層の不良少年グループだ。肩で風を切るようにしてイキがっている彼らだが、しかしその素顔はごくごく平凡な普通の若者たち。中でも、物語の語り部であるポニーボーイは映画と本をこよなく愛する芸術家肌の秀才で、その親友ジョニーも争いごとを嫌う繊細で心優しい少年だ。しかし、たまたま運悪くスラム地区の貧困層に生まれ育ってしまった彼らは、普段からタフを装わなくては弱肉強食の世界を生き抜くことが出来ないのである。 そんな「グリース」の面々にとって最大のライバルは、山手の高級住宅地を根城にする富裕層の不良グループ「ソッシュ」。普段から小競り合いの絶えない「グリース」と「ソッシュ」だが、ある晩ドライブイン・シアターでポニーボーイたちが「ソッシュ」の美少女チェリー(ダイアン・レイン)と親しくなったことから、これに嫉妬した「ソッシュ」のリーダー格ボブ(レイフ・ギャレット)が仲間を引き連れてポニーボーイとジョニーを襲撃。目の前でリンチされるポニーボーイを助けようとしたジョニーだったが、しかし無我夢中だったために勢い余ってボブをナイフで刺し殺してしまう。恐れをなして一目散に逃げだした「ソッシュ」の連中。ボブの死体と共に取り残されて途方に暮れるポニーボーイとジョニー。2人はダラスの助言で遠く離れた古い教会の廃墟へ身を隠し、熱(ほとぼり)がさめるのを待つことにするのだが、そんな彼らを皮肉な運命が待ち受ける…。 巨匠コッポラを突き動かした原作ファンのティーンたち 『風と共に去りぬ』(’39)のキッズ版をコンセプトにしたというコッポラ監督。なるほど、確かに夕焼けの空を背景にしたオープニングのタイトル・シークエンスをはじめ、明らかに『風と共に去りぬ』からインスパイアされたと思しきシーンは少なくない。さらに言えば、愛情に飢えた不良少年たちを巡る切なくもほろ苦い青春ストーリーは、まるでジェームズ・ディーンの『理由なき反抗』(’55)や『エデンの東』(’55)の如し。興行的に大惨敗を喫した前作『ワン・フロム・ザ・ハート』(’82)でも垣間見せた、ハリウッド黄金期のスタジオ映画に対するコッポラ監督の愛情と憧憬が滲み出ている映画と言えるだろう。 それにしても、『ゴッドファーザー』(’72)シリーズでマフィアの熾烈な権力争いを描き、『地獄の黙示録』(’79)では戦場の地獄と狂気をスクリーンにぶちまけたフランシス・フォード・コッポラが、一転してなぜ、これほどまでに瑞々しい正統派の青春メロドラマを世に送り出したのか。その経緯がまたちょっと興味深い。 そもそもの始まりは、’80年の春にコッポラのもとへ届いた一通の手紙。それは、カリフォルニア州フレズノ市のローン・スター小学校に勤める図書館司書ジョー・エレン・ミサキアンが、8年生の生徒たちに代わって代筆したもの。封筒にはS・E・ヒントンの小説「アウトサイダー」が同梱され、手紙には「これを貴方に映画化して欲しい」との旨がしたためられていた。どうやら、原作の熱心なファンで映画化を望んでいた8年生の生徒たちは、『ゴッドファーザー』の映画化に成功したコッポラであれば適任だろうと考えたようだ。手紙には生徒たちの署名まで添えられていたらしい。そこで、当時はS・E・ヒントンの名前すら知らなかったコッポラ監督だが、子供たちの熱意に心を動かされて原作本を読み、さらにオクラホマ州タルサにも足を運んで作者ヒントンと親しくなり、最終的に映画化へ踏み切ることにしたのである。要するに、きっかけは原作ファンからのご指名ラブコールだったのだ。 また、先述したようにブラット・パックと呼ばれる新世代の若手スターを数多く輩出した本作だが、配役選考の際にコッポラ監督が採用したユニークな形式のオーディションも今や語り草となっている。キャスティング・ディレクターを任されたのは、『ゴッドファーザー』以来の付き合いである盟友フレッド・ルース。なるべく手垢の付いていない無名俳優を中心に、ルースは数十名の候補者を全米各地から探し出してきたという。その中には、最終的に合格したメイン・キャスト陣はもちろんのこと、次作『ランブルフィッシュ』(’83)で起用されるミッキー・ロークやヴィンセント・スパーノをはじめ、デニス・クエイドにスコット・ベイオ、アンソニー・マイケル・ホール、アダム・ボールドウィン、ヘレン・スレイターにキャサリン・メアリー・スチュワート、ケイト・キャプショーなどなど、後に映画界で名を成す有望な新人が多数含まれていた。 若手俳優たちを戸惑わせた前代未聞のオーディションとは? で、そんな才能あふれる候補者たちをコッポラ監督がどうしたかというと、まずはオーディション会場に全員集めて複数のグループに分け、その場で指定したシーンを交代で演じさせたという。通常、オーディションというのは審査員を前に個別で行うものなので、この前代未聞のグループ・オーディションには多くの参加者が戸惑った。なにしろ、審査員だけでなく他の参加者も見ている前で芝居をしなくてはならない。駆け出しの若手俳優にとっては相当なプレッシャーだったはずだ。しかも、コッポラは各人の適性や相性をチェックするため、あえて全員に複数の役柄を演じさせた。実際、トム・クルーズがダラス役を、エミリオ・エステベスがソーダポップ役を演じたオーディション映像も残っている。最初からジョニー役を希望していたというラルフ・マッチオは、ポニーボーイやツー・ビットのセリフ読みをさせられるたび、「このままだとジョニー役は貰えないかもしれない」と不安になったそうだ。 こうした実験的なプロセスを経て選ばれたのが、本作を機にスターダムを駆け上がったブラット・パック第一世代の面々。ただし、ダラス役のマット・ディロンはすでにティーン・スターとして頭角を現しており、中でも特に日本では『リトル・ダーリング』(’80)や『マイ・ボディガード』(’80)のヒットで絶大な人気を誇っていた。筆者はこれまでに2回ほどマット・ディロンに単独インタビューをしているが、若い女性ファンから追いかけられるような経験をしたのは日本だけだと語っていたのが印象的。当時はアメリカ本国よりも日本での人気の方が高かったのだ。 それはともかく、コッポラ監督がオーディションで最初に手応えを感じたのもマット・ディロンだったという。なにしろ、本人は高校の授業をさぼってまでS・E・ヒントンの小説を貪り読むほどの熱烈なファン。役柄だけでなく作品の世界も誰より理解していた。しかも、当時はヒントンの小説を映画化した『テックス』(’82)に主演したばかり。その過程で原作者ヒントンとも大親友になっていた。もはや、『アウトサイダー』に出ることは彼の宿命みたいなものだったと言えよう。実際、かなり早い段階でコッポラは彼をダラス役に決めたらしいのだが、しかし監督から「もう帰っていいよ」と言われたディロンは、オーディションに落ちたものと勘違いしてムチャクチャ凹んだそうだ。 当時すでにスターだったといえば、ヒロインのチェリー役を演じているダイアン・レインも同様。なんたって、13歳の時に主演した映画デビュー作『リトル・ロマンス』(’79)で天下の名優ローレンス・オリヴィエと渡り合い、マスコミから「第二のグレース・ケリー」とまで呼ばれた逸材である。また、富裕層グループ「ソッシュ」のリーダー、ボブ役のレイフ・ギャレットも、当時すでに全盛期を過ぎて落ち目だったとはいえ、’70年代に全米で絶大な人気を誇ったスーパー・ティーンアイドル。歌手としてもシングル「ダンスに夢中」が全米チャート・トップ10に入り、日本のお菓子メーカーのTVCMにも起用された。田原俊彦のデビュー曲「哀愁でいと」も、実はレイフ・ギャレットのカバー曲である。 ちなみに、本作は若手俳優のオーディションだけでなく演技指導もかなり実験的。まずメイン・キャストは撮影開始の3~4週間前にロケ地のタルサへ入り、本番さながらのリハーサルを行い、その様子を全てビデオ撮影&デジタル編集していたという。そうすることによって、撮影本番へ入る頃には役柄と同じような信頼関係がキャストの間にも生まれたのだとか。さらに、コッポラ監督は「グリース」役の俳優たちをホテルの安い部屋へ泊らせ、反対に「ソッシュ」役の俳優たちは高い部屋に泊まらせる、「グリース」役の役者たちの台本はプラスチック製のバインダーで、「ソッシュ」役の役者たちには革製のバインダーを与えるなど、両者の扱いに差をつけることで互いへのライバル意識を芽生えさせたのだそうだ。まあ、このやり方には恐らく賛否あることだろう。実際、撮影現場の外でも喧嘩沙汰が起きたらしいので、少なからず問題のある演技指導だったのではないかとも思う。 「ディレクターズ・カット版」の見どころもチェック こうして出来上がった映画『アウトサイダー』は、世界中のティーンエージャーたちの共感を集めて大ヒットを飛ばし、『ワン・フロム・ザ・ハート』の大失敗で危機に陥ったコッポラのキャリアを救ったわけだが、その一方で原作ファンにとって大事なシーンが幾つも抜けていることから、監督のもとには「もっと原作に忠実であった方が良かった」との不満を示すファン・レターが長年に渡って多く届いていたらしい。そう言われると、筆者も初見時はノスタルジックな映像の美しさや旬な若手俳優たちの魅力に心酔しつつ、どことなくストーリーに物足りなさを感じていたことは否めない。それゆえ、同じくコッポラがヒントンの小説を忠実に映画化した次回作『ランブルフィッシュ』の方が、作品の出来栄えに軍配が上がると考えていたのだが、どうやらコッポラ監督自身も劇場公開版には不満があったらしい。 というのも、もともと本作は原作小説に出来る限り忠実な内容で、上映時間も当初は2時間近くあったのだが、これを長すぎると感じた配給元ワーナーの指示によって91分に短縮させられていたのだ。そこで劇場公開から23年後の’05年、コッポラ監督は削除シーンを再編集で復元した「ディレクターズ・カット版」を初めて発表。これが劇場公開版を遥かに凌駕するほど素晴らしい出来栄えだった。 まずはメインキャラクターやストーリーの設定背景を詳しく掘り下げた導入部分が復活。おかげで、劇場公開版ではなんとなく浅く感じられた彼らの友情と絆の描写に、圧倒的な深みと説得力が加わっている。これは恐らく誰の目にも明らかであろう。さらに、ポニーボーイとソーダポップ、ダレルのカーティス3兄弟に関するシーンも大幅に復活し、どれだけの困難に見舞われようともお互いに助け合う兄弟愛の美しさと尊さが描かれる。中でも、ポニーボーイとソーダポップが同じベッドでお互いを抱きしめながら、人生の様々なことについて本音で語り合うシーンは素直に感動的だ。そういえば、ポニーボーイは親友ジョニーともよくハグしていたっけ。ゲイではないストレートの男同士だって抱きしめ合うことは恥ずかしいことじゃないし、辛いときにお互いを慰めたっていい。もちろん、男が弱音を吐いたって泣いたって構わないし、男だからって強くなくてはいけないわけじゃない。そもそも、男同士がいちいちマウントを取って強さを競ったりするの、ホントに無益で下らないからやめようよ。そんな「有害な男らしさ」からの脱却を、今から40年も前にハッキリと描いていたことは本作の先見の明であろう。 さらに、劇場公開版では『風と共に去りぬ』のキッズ版というコンセプトのもと、コッポラ監督の実父カーマインが甘美で壮麗な音楽スコアを作曲したのだが、これがまたあまりにもメロドラマ的過ぎた。そのため、「ディレクターズ・カット版」ではオリジナル・スコアを大幅にカットし、代わりにビートルズ上陸以前のアメリカのティーンたちに愛されたエルヴィス・プレスリーやカール・パーキンス、ジェリー・リー・ルイスなどのヒットソングをたっぷりとフィーチャー。そこへ、当時のロックンロールやR&Bをベースにしたマイケル・セイファートとデイヴ・パドラットのクールな音楽スコアを新たに追加することで、映画そのものがリアルな時代性をまとい、作品全体の印象も引き締まったように感じられる。 しばしば商業的な理由を最重要視して編集された「劇場公開版」に対して、監督自身が本来ならこうあるべきと考える理想形を追求した「ディレクターズ・カット版」は、それゆえ自己満足に陥りがちだったりもするのだが、少なくとも本作の場合はセルジオ・レオーネ監督の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(’84)と同じくオリジナルの完成度を確実に上回っている。初公開時に映画館で見て夢中になったという人はもちろんのこと、実は周りの評判ほど感動しなかったという人にもぜひ、この「ディレクターズ・カット版」を見て頂きたいと切に願う。■ 『アウトサイダー【ディレクターズ・カット版】』© 2005 / ZOETROPE CORPORATION - Tous Droits Réservés
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COLUMN/コラム2023.08.28
ヨーロッパ映画を彷彿とさせる骨太で硬派な政治スリラーの隠れた名作『アンダー・ファイア』
物語の背景となるニカラグア革命とは? 惜しくも、劇場公開時は興行的に全くの不発だったものの、しかしその一方でロジャー・エバートやジョン・サイモンなど名だたる映画評論家から高く評価され、映画ファンの間でも今なおカルト的な人気を誇っている政治スリラー映画の隠れた名作である。 1981年1月20日、アメリカでは元ハリウッド俳優ロナルド・レーガンが第40代アメリカ合衆国大統領に就任する。ご存知の通り、当時は東西冷戦の真っ只中。’60年代末から続いていたデタント(米ソの緊張緩和)は’79年のソ連によるアフガニスタン侵攻で崩壊し、人権問題を重視した先代・カーター大統領の穏健な外交政策はおのずと「弱腰外交」と批判される。そうした中で誕生したレーガン政権は、一転してタカ派的な強気の外交政策を展開。ソ連を「悪の帝国」と呼んで激しく非難し、反共の理念を旗印にして中南米や中近東などの不安定な政情にも介入していく。折しも’80年代のハリウッドでは、アカデミー賞を賑わせた『レッズ』(’81)や『ミッシング』(’82)などを筆頭に、世界各地の革命や紛争を題材にした政治スリラー映画が静かなブームを呼んでいたが、その背景にはこうした東西冷戦の激化が影響していたと考えてもおかしくはないだろう。 中でも当時流行ったのが、様々な情報が錯綜する革命や紛争、圧政の渦中にあって、真実を追求するために命がけで奔走するジャーナリストを描いた映画群だ。恐らくそのきっかけとなったのは、メル・ギブソンがスカルノ政権末期のインドネシアに派遣されたテレビ特派員を演じる『危険な年』(’82)。オーストラリア映画だがアメリカでも大ヒットを記録し、男性カメラマン役を演じたリンダ・ハントがアカデミー助演女優賞を獲得した同作の成功を皮切りに、カンボジア内戦を舞台にした『キリング・フィールド』(’84)やエルサルバドル内戦を題材にした『サルバドル/遥かなる日々』(’86)、アパルトヘイト政策の弾圧に立ち向かった南アフリカの黒人活動家と新聞記者の戦いを描く『遠い夜明け』(’87)など、ジャーナリズムの使命とその重要性を改めて知らしめるような政治スリラー映画の力作が次々と公開される。『エア★アメリカ』(’90)や『007/トゥモロー・ネバー・ダイ』(’97)でお馴染み、ロジャー・スポティスウッド監督の出世作となった『アンダー・ファイア』(’83)もそのひとつだ。 本作の題材はニカラグア革命。さすがに筆者も国際紛争や中南米史の専門家ではないため、ここでは一般常識的な基礎知識をサクッと振り返ってみたい。自国の覇権を拡大・維持するため、20世紀初頭から中南米諸国の政治に介入してきたアメリカ合衆国。ニカラグアもそのひとつで、1927年に親米的な保守党政権に対し自由党が内戦を仕掛けると、米国は海兵隊を送り込んで鎮圧しようとする。結局、世界大恐慌の影響で米海兵隊は撤退するも、’34年に自由党軍のサンディーノ将軍はアメリカに支援された国家警備隊に暗殺され、その首謀者であるアナスタシオ・ソモサ・ガルシアは’37年に大統領へ就任。以降、ソモサ親子3名は43年間に渡って国家権力を私物化し、「ソモサ王朝」と呼ばれる独裁的な強権政治を敷いたのである。 ‘72年にニカラグアで起きたマナグア大地震。世界中から多くの支援金や支援物資が集まったものの、その大半をソモサ一家が着服して身内企業などに分配。さらに、’78年には反体制派新聞の社長が政府によって暗殺され、いよいよソモサ王朝に対する国民の怒りが頂点へと達する。’79年にはサンディーノ将軍の遺志を継ぐ左翼革命組織・サンディニスタ民族解放戦線が武装蜂起。現地での取材を試みた米テレビ局ABCのレポーター、ビル・スチュワートが国家警備隊に射殺され、その様子をたまたま撮影したニュース映像が世界中で報道されるに至り、それまで「親米」を理由にソモサ政権を支援してきた米政府も看過できなくなる。かくして、アメリカから見放されたアナスタシオ・ソモサ・デバイレ(ガルシアの次男)大統領は失脚。マイアミを経て各地を転々とした挙句、’80年に亡命先のパラグアイで暗殺された。 以上が、本作の背景となる史実のあらまし。基本的には登場人物もストーリーもフィクションだが、しかしビル・スチュワート事件を下敷きにした出来事が物語の重要なカギとなり、劇中ではソモサ大統領まで登場してドラマに絡んでくる。やはり本作を鑑賞するにあたって、ある程度の予備知識は必要であろう。 ジャーナリストはどこまで中立であるべきなのか 時は1979年。物語の始まりは、軍事政権と反政府軍の内戦が収束に向かいつつあるアフリカのチャド共和国。命知らずのタフな報道カメラマンのラッセル・プライス(ニック・ノルティ)は、旧知の傭兵オーツ(エド・ハリス)と戦場で偶然再会する。政府軍に雇われたはずなのに、間違えて反政府軍と行動を共にしているオーツ。そのいい加減さに、2人は思わず笑い転げる。この戦場はマジでクソだ!全く金にならん!今どき稼ぐならニカラグアだな!そう愚痴をこぼすオーツと別れてホテルへ戻ったラッセルは、敬愛する先輩であり親友でもある記者アレックス・グレイザー(ジーン・ハックマン)の送別パーティに参加する。野心家のアレックスは、念願だったニュース番組のアンカーマンに抜擢され、晴れてニューヨークへ戻ることになったのだ。しかし、恋人のラジオ報道記者クレア・ストライダー(ジョアナ・キャシディ)はアレックスに同行することを拒否。ジャーナリストとしての使命感に燃える彼女は、現場から足を洗う気などさらさらなかったのだ。次の行き先は革命の動乱に揺れるニカラグア。意地を張ったアレックスは、自分もニカラグアに付いていくと言い出す。 それから暫くの後、中米ニカラグアには世界中から報道関係者が集まり、その中にはラッセルやアレックス、クレアの姿もあった。政府関係者やマスコミ関係者が行きつけのナイトクラブでディナーを楽しむ3人。ソモサ政権のスパイと噂のフランス人ビジネスマン、マルセル・ジャジー(ジャン=ルイ・トラティニャン)の姿もあった。すると、革命軍によってナイトクラブが爆撃を受け、ラッセルはその惨状をカメラに収める。ところがその直後、彼は理由もなく国家警備隊に逮捕され、翌朝には釈放されたもののカメラを壊されてしまった。マルセルが嫌がらせで仕組んだものと睨むラッセル。自分がソモサ大統領直属のスパイだと認めるマルセル。ラッセルとクレアを自宅へ招いた彼は、革命軍のリーダー、ラファエルが地方都市レオンにいるとの極秘情報を伝える。これまで一度も写真に撮られたことがなく、その存在自体が半ば伝説化したラファエルは、ラッセルがニカラグア入りしてからずっと追いかけていた人物だ。ラファエルを写真に収めることが出来れば特ダネである。半信半疑ながらも、ラッセルとクレアは一路レオンへと向かう。 まるで戦場のようなレオンの町。ラッセルとクレアは革命軍の若者たちと親しくなり、市街戦の様子を間近から取材することに成功する。ふと気づくと、政府側の兵士の中に傭兵オーツの姿が。ジャーナリストとして「中立の立場」が信条のラッセルは、死体の山に隠れたオーツの存在を革命軍に黙っていたが、そのせいで革命軍の気さくな指揮官ペドロがオーツに射殺されてしまう。果たして、自分の判断は正しかったのか。深い罪の意識を覚えるラッセル。そんな彼を慰めるクレア。志を同じくする仲間として共鳴し、やがて男女関係の一線を超えてしまうラッセルとクレア。彼らの変化になんとなく気付いていたアレックスだが、しかしキャリアを優先してニューヨークへ戻ってしまう。そんな折、ラファエルの暗殺に成功したことをソモサ大統領(ルネ・エンリケス)が記者会見で発表。当然ながら革命軍側はこれを否定し、その証拠としてラファエル本人が取材に応じるとラッセルに申し出る。指定された場所へ向かうラッセルとクレア。そこで彼らは、ジャーナリストとしての職業倫理に関わる重大な決断を迫られる…。 基本的なプロットは、戦時下を舞台にした大人のラブストーリー。戦争の動乱に揺れるエキゾチックな異国の地を舞台に、強い信念を持つ勇敢な2人の男性が同じようにタフな1人の女性を愛し、そんな彼らの三角関係に周辺の政治的な思惑が絡んでいく。まるで『カサブランカ』(’42)のごとし。そういえば、チャールズ・ブロンソン主演の『太陽のエトランゼ』(’79)やショーン・コネリー主演の『さらばキューバ』(’79)も似たような話だったと思うが、本作がそうした『カサブランカ』症候群的なハリウッド映画と一線を画すのは、あくまでもラブストーリーがメインテーマを浮き彫りにするための道具のひとつに過ぎない点であろう。 本作が真に描かんとするのは報道記者の在り方だ。ジャーナリストは「中立の立場」が基本だとして、権力側にも抵抗勢力側にも肩入れすることなく、世界各地の紛争地帯を取材してきた報道カメラマンのラッセル。しかしニカラグアでは少々勝手が違ってくる。国民を弾圧して反対派を迫害するソモサ政権下のニカラグア。革命軍と実際に行動を共にしたラッセルは、彼らが独裁者へ対する憤怒の念に駆られた平凡な若者たちに過ぎず、その背後には人権を蹂躙された大勢の市民たちの支持があることを知識ではなく肌で実感し、やがて「中立の立場」というジャーナリストの職業倫理が、むしろ独裁者の悪事に加担することになっているのでは?との疑問を抱くようになるのだ。 そもそも、本作には「仕事だから」と割り切って悪へ加担するプロたちが大勢出てくる。金払いの良い相手なら誰のもとでも働く傭兵オーツに、ソモサ政権のスパイ活動を一手に担うフランス人実業家マルセル、ソモサ政権の対外的なイメージ向上に奔走するアメリカ人の広報官キトル(リチャード・メイジャー)などなど。そのキトルは「ソモサ大統領にだって言い分はある」と独裁者を擁護し、マルセルも「誰が正しいのか分かるのは20年後だ」と嘯く。まるで正義の概念など立場によって変わるとでも言わんばかりに。しかし、果たして本当にそうなのだろうか?世の中には普遍的な正義というものが確かに存在し、それを我々は「良心」と呼ぶのではないか。そして、それこそ野心家の親友アレックスには不似合いな現場主義の女性記者クレアと似た者同士のラッセルが結ばれたように、職業倫理などという建前に縛られることなく、己の「心の声」に従って行動することも、時として報道記者にとって必要なのではないかと問いかける。 映画のリアリズムを支えたキャスト陣の存在 さらに、本作では撮影監督ジョン・オルコットのカメラがドキュメンタリーさながらのリアリズムを醸し出す。オルコットといえば、『2001年宇宙の旅』(’68)から『シャイニング』(’80)までのスタンリー・キューブリック作品を手掛け、『バリー・リンドン』(’75)でオスカーに輝いた伝説的な名カメラマン。本作でも『バリー・リンドン』さながらの自然光を活かした撮影に徹しており、実際にスポティスウッド監督はジッロ・ポンテコルヴォやコスタ=ガヴラスの影響を受けたそうだが、それこそヨーロッパの左翼系インテリ映像作家による社会派映画のような風情すら漂わせている。実に骨太な作品だと言えよう。 もちろん、役者の顔ぶれも素晴らしい。ベトナム戦争の従軍記者を演じた『ドッグ・ソルジャー』(’78)を見て、ラッセル役には彼しかいない!と初めからニック・ノルティ一択だったというスポティスウッド監督だが、しかし当時のノルティは超の付く売れっ子。そのうえマイペースな人だったそうで、自宅に山ほど届く出演オファーの脚本も土日しか目を通さないため、大半が読まれることなく埋もれていたらしい。そこで、スポティスウッド監督は本作の脚本を50部もコピーし、ノルティの親友ビル・クロスに頼んで彼の自宅に置いてもらったという。当時は家じゅうのあちこちに未読脚本の山があったそうで、そのどこに手を出しても本作の脚本が最初に来るよう配置したのだそうだ(笑)。おかげで、週明けにはノルティから出演を熱望する連絡があり、アレックス役のジーン・ハックマンもオファーを快諾したという。 しかし、本作におけるキャスティングの要は、やはりクレア役のジョアナ・キャシディであろう。『ブレードランナー』(’82)のレプリカント役で脚光を浴びたばかりのキャシディだが、実は当時すでに38歳。そもそも女優デビューした時点で27歳、2人の子供を持つ母親だった彼女は、その人生経験や下積みのおかげもあるのだろう、クレア役に説得力を持たせるに十分な逞しさと生活感を兼ね備えていた。いわゆるハリウッド的な若い美人女優が演じていたら、決してこうはならなかったはずだ。筋金入りのタフガイ、ノルティとの相性も抜群。というか、ノルティと互角に渡り合えるほどタフな女優は、彼女かチューズデイ・ウェルドしか考えられない。 さらに、コスタ=ガヴラスの『Z』(’69)でカンヌ国際映画祭の男優賞に輝いたフランスの名優ジャン=ルイ・トラティニャンが、本作でハリウッド映画デビューを飾っているのも要注目。ニック・ノルティはトラティニャンが何者なのか知らなかったらしく、あまりの演技の巧さに現場でビックリして、「ジーン・ハックマンを相手にするだけでも大変なのに、あんな凄い奴まで連れてきやがって!」と監督に文句を言ったそうだ。なお、トラティニャンのハリウッド映画出演は、結果的にこれが最初で最後となった。 なお、映画でも描かれるようにソモサ大統領の国外逃亡によって独裁政権は崩壊し、富の再分配や貧困の解消を掲げる革命政府が樹立したニカラグア。アメリカのカーター政権もその存在を容認したわけだが、しかしレーガン大統領になって状況は一変。アメリカに好都合な傀儡政権の樹立を目指したレーガン政権は、ニカラグアの革命政府を倒すためにCIAや統一教会を使って親米反革命勢力「コントラ」を支援。ニカラグアの内戦は再び泥沼化していくことになる。■ 『アンダー・ファイア』© 1983 Metro-Goldwyn-Mayer Studios Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2023.09.04
SF映画ブームの真っ只中に登場した異色作は、古き良き宇宙冒険活劇の魅力が満載!『フラッシュ・ゴードン』
原作コミックは『スター・ウォーズ』のルーツでもあった! ジョージ・ルーカス監督による『スター・ウォーズ』(’77)の大ヒットをきっかけに、文字通り世界中で巻き起こったSF映画ブーム。同作の大きな功績といえば、飛躍的に進化した特撮技術や洗練された美術デザインによって、それまで子供騙しと揶揄されることの多かったSF映画に超現実的な説得力をもたらし、なにかとB級扱いされがちだった同ジャンルの地位をAクラスへ押し上げたことだと思うが、もうひとつ忘れてならないのは、長いことハリウッドで途絶えていた「スペース・オペラ」の伝統を見事に復活させたことであろう。 スペース・オペラ(=宇宙冒険活劇)とは、宇宙空間を舞台にした騎士道物語的なヒロイック・ファンタジーのこと。SF(空想科学)のサブジャンルではあるものの、しかし比率としては「科学」よりも「空想」の占める割合が圧倒的に大きく、どちらかというと神話や英雄伝説の類に近いと言えよう。かつてのハリウッドでは、「フラッシュ・ゴードン」や「バック・ロジャース」などコミック原作のスペース・オペラが、子供向けの連続活劇映画として大変な人気を博していたのだが、しかし第二次世界大戦後に米ソの宇宙開発競争が本格化し、一般市民でも科学技術に強い関心を持つようになると、どこまでも非現実的なスペース・オペラは急速に衰退してしまう。そんな古式ゆかしいSFジャンルを、有人宇宙飛行が夢物語ではなくなった時代に相応しくアップデートしたのが『スター・ウォーズ』だったわけだが、それに端を発するSF映画ブームもそろそろひと段落かと思われた矢先の’80年、あえて古き良き時代の荒唐無稽をそのまま現代に再現した王道的スペース・オペラ映画が登場する。それが、本作『フラッシュ・ゴードン』(’80)だ。 原作は’34年1月7日に全米で連載が始まったアレックス・レイモンドの新聞漫画「フラッシュ・ゴードン」。イェール大学を卒業した有名スポーツ選手(連載開始当初はポロ選手だった)フラッシュ・ゴードンと恋人デイル・アーデンが、天才科学者ザーコフ博士の開発した宇宙ロケットで地球から飛び出し、惑星モンゴの冷酷非情な独裁者ミン皇帝などのヴィランを相手に戦いを繰り広げる…というお話だ。当時のアメリカでは、同じく新聞の連載漫画だった「25世紀のバック・ロジャース」やパルプ小説「キャプテン・フューチャー」などのスペース・オペラが盛り上がっており、その人気にあやかるべくハリウッドの映画会社ユニバーサルが、いわゆる連続活劇映画として「フラッシュ・ゴードン」の映画化を企画する。その第1弾『超人対火星人』(’36)は、ユニバーサルにとって年間第2位の売り上げを誇る大ヒットを記録。フラッシュ・ゴードン役を演じた俳優バスター・クラッブは一躍トップスターとなり、『フラッシュ・ゴードンの火星旅行』(’38)に『宇宙征服』(‘40)と続編映画も作られた。 ちなみに連続活劇映画(=シリアル)とは、全12~15話で完結する連続ドラマ形式のアクション映画のこと。各エピソードは20分前後なので、だいたい1作品の総尺は4~5時間。新しいエピソードは週替わりで上映され、いずれもクリフハンガー形式で次回への期待を煽る。いわばテレビ・シリーズのご先祖様みたいなものだ。映画界でスペース・オペラが途絶えた’50年代以降、『スペース・パトロール』(‘50~’55)や『進め!宇宙パトロール』(’54)、『宇宙戦士コディ』(’55)など、スペース・オペラは子供向けの特撮テレビ・シリーズとして生き延びたのだが、それなりにスケールの大きな冒険活劇を描くにあたって、やはり連続ドラマ形式はフォーマットとして向いていたのかもしれない。 いずれにせよ、ハリウッドで最初のスペース・オペラ映画とされるのが連続活劇版「フラッシュ・ゴードン」シリーズ。その大成功のおかげで、「25世紀のバック・ロジャース」も同じく連続活劇として映画化された。実はジョージ・ルーカスも、もともとは「フラッシュ・ゴードン」の映画化を希望していたものの、先に映画化権が押さえられていたため断念し、代わりにオリジナルの『スター・ウォーズ』を作ったと言われている。その映画化権を先に取得していたのが、ほかでもないイタリアの誇る大物映画製作者ディノ・デ・ラウレンティスだったのである。 実は製作者ディノ・デ・ラウレンティスの趣味が全開だった!? 巨匠フェデリコ・フェリーニの『道』(’54)や『カビリアの夜』(’56)を筆頭に、ソフィア・ローレン主演の『河の女』(’55)にオードリー・ヘプバーン主演の『戦争と平和』(’56)、アル・パチーノ主演の『セルピコ』(’73)にチャールズ・ブロンソン主演の『狼よさらば』(’74)などなど、文字通り世界を股にかけて数々の名作・話題作を世に送り出してきた映画界の巨人ディノ・デ・ラウレンディス。実は彼、フランスの大人向けバンド・デシネを映画化した『バーバレラ』(’68)やイタリアのフメッティ・ネリを映画化した『黄金の眼』(’68)、「英雄コナン」を原作とする『コナン・ザ・グレート』(’82)を手掛けていることからも推察できるように、古き良き時代のコミックやパルプ小説の大ファンだったらしい。「フラッシュ・ゴードン」についても、イタリア語版の原作コミックを全巻コレクションするほどのマニアだったそうだ。 当初、彼はフェリーニに演出を任せようとしたが実現せず、代わりとしてニコラス・ローグに白羽の矢を立てるもののソリが合わず、セルジオ・レオーネに依頼したところ脚本にダメ出しをされて断られ、最終的に『狙撃者』(’71)以来目ぼしいヒットに恵まれなかったマイク・ホッジス監督が選ばれる。恐らく、プロデューサー的に使い勝手が良かったのだろう。脚本を手掛けたロレンツォ・センプル・ジュニアによると、ストーリーからビジュアルまで全てがデ・ラウレンティスの一存で決められていたのだとか。言うなれば、マイク・ホッジスは現場監督に過ぎず、実質的にはディノ・デ・ラウレンティスの映画だったのである。 そのロレンツォ・センプル・ジュニアの手掛けた脚本が実に荒唐無稽でナンセンス!当時は『キング・コング』(’76)や『ハリケーン』(’79)で立て続けにデ・ラウレンティスと組んでいたセンプル・ジュニアだが、もともとはテレビ版『バットマン』(‘66~’68)で名を成した人である。キッチュでコミカルでバカバカしくて、だからこそ理屈抜きに楽しいテレビ版『バットマン』。実はそれこそ、デ・ラウレンティスが本作に求めたものだったという。 暇を持て余した惑星モンゴの邪悪なミン皇帝は、たまたま見つけた平和な惑星・地球を滅亡させることにする。一気に滅ぼしてはつまらないからと、次々に自然災害を起こしていくミン皇帝(マックス・フォン・シドー)。一体どうやるのかというと、「地震」とか「ハリケーン」とか「竜巻」とか「火山噴火」とか英語で書かれたボタンを押していくだけなのだからズッコケる(笑)。あれですね、この時点で真面目に見ちゃいけない映画なのがマル分かりですな。で、地球が天変地異に見舞われる中、たまたま同じ飛行機に乗り合わせたのが、アメフトのスター選手フラッシュ・ゴードン(サム・ジョーンズ)と旅行会社の社員デイル・アーデン(メロディ・アンダーソン)。やむなく飛行機を不時着させたところ、そこは偶然にも宇宙科学者ザーコフ博士(トポル)の研究所だったという都合の良さ!以前より異星人からの攻撃を予見していたザーコフ博士は、自ら開発した宇宙ロケットにフラッシュとデイルを無理やり乗せ、和平交渉のため惑星モンゴへと旅立つ。 とはいえ、当然ながらミン皇帝は話の通じる相手ではなく、3人はあえなく捕虜の身となってしまうことに。こうなったらミン皇帝を倒す以外に地球を救う方法はない!ということで、フラッシュたちはミン皇帝の圧政に苦しむ森の国アーボリアのバリン公(ティモシー・ダルトン)や鳥人集団ホークマンの王ヴァルタン公(ブライアン・ブレスド)、父親であるミン皇帝に反抗するオーラ姫(オルネラ・ムーティ)らを味方につけ、大規模な反乱計画を企てるのだった…! というわけで、往年の子供向け宇宙冒険活劇そのままのレトロフューチャーな世界観といい、『スター・ウォーズ』以前の時代と大して変わらないローテクな特撮技術といい、劇場公開から40年以上を経た今でこそ新鮮な面白さがあるものの、当時は賛否両論だったというのも頷ける話ではある。確かにこれは好き嫌いが真っ二つに分かれるはずだ。悪趣味スレスレのキャンプな美的センスとキャッチーで痛快なロック・ミュージックの組み合わせは、さながらスペース・オペラ版『ロッキー・ホラー・ショー』。まさにミッドナイト・シネマのノリである。その音楽を手掛けたのが、イギリスを代表する人気ロックバンド、クイーン。これがまた底抜けにカッコ良いのですよ。今でも根強い本作のカルト人気は、このクイーンによるサントラに負うところも大きいはずだ。 さらに、デ・ラウレンティスはフェリーニの『サテリコン』(’69)や『アマルコルド』(’73)、『カサノバ』(’76)などで有名な美術監督ダニロ・ドナーティの大ファンで、本作ではセットから衣装に至るまで全てのビジュアル・デザインを彼に一任。エロティックでフェティッシュなニュアンスをたっぷりと含んだ、ドナーティの豪華絢爛で大胆不敵で退廃的なデザインは極めてヨーロッパ的である。当時、イギリスやイタリアでは興行的に大成功したものの、アメリカでは全くの不評だったというのも分からないではない。そういえば、よくよく見ているとビジュアル的に『バーバレラ』を彷彿とさせるような点も少なくありませんな。なるほど、そういう意味でもデ・ラウレンティスの趣味に合致していたのだろう。 いずれにせよ、人によって合う合わないがハッキリと分かれる作品ではあるものの、しかし古き良き「宇宙冒険活劇」を愛する映画ファンであればハマること間違いなし!あのエドガー・ライト監督やタイカ・ワイティティ監督もファンであることを公言し、セス・マクファーレン監督も『テッド』(’12)でオマージュを捧げている。本作の製作舞台裏と主演俳優サム・ジョーンズのキャリアにスポットを当てた「Life After Flash」(’19)というドキュメンタリー映画まで作られた。今回、ザ・シネマではデジタル修復された超高画質の4Kレストア版を放送。改めて、そのレトロだけど新鮮で、悪趣味だけどポップで、荒唐無稽だけど愉快で楽しい『フラッシュ・ゴードン』の魅力を再確認して欲しい。■ 『フラッシュ・ゴードン』© 1980 STUDIOCANAL
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COLUMN/コラム2023.09.29
マブリーの魅力が炸裂する韓流クライム・アクション・シリーズ!『犯罪都市』『犯罪都市 THE ROUNDUP』
遅咲きのスーパースター、マ・ドンソクとは? 今や韓国を代表する国際的スターへと成長した俳優マ・ドンソク(ハリウッドではドン・リー名義)。ボクシング仕込みの人並外れたマッチョな体格と、親しみやすくて愛らしい個性のギャップから、韓国ではマブリー(マ・ドンソク×ラブリー)という相性も定着。「気は優しくて力持ち」なヒーローを演じたら右に出る者はなく、アクション映画だけでなくコメディや人間ドラマもいけるところが強みだ。諸外国では「韓国のドウェイン・ジョンソン」と呼ばれているそうだが、しかしどこか昭和の映画スター、勝新太郎を彷彿とさせるような泥臭い魅力もある。その辺りが日本でも絶大な人気を誇る理由かもしれない。 生まれも育ちも韓国のソウルで、15歳の時に見た映画『ロッキー』に触発されてプロ・ボクサーを目指すものの、しかし父親の事業が傾いて家庭が困窮したことから、18歳でモンタナ州に住む親戚を頼って渡米。アメリカの大学で体育学を学びつつ、レストランの皿洗いからビルの清掃員、雑貨屋のレジ係から粉ミルクのセールスマン、さらにはナイトクラブの用心棒にフィットネスジムのトレーナーなど、数えきれないほどの職を転々とした苦労人だ。 総合格闘家のマーク・コールマンやケヴィン・ランデルマンのパーソナル・トレーナーを経て、’02年にオーディションを受けて合格したSF歴史大作『天軍』(’05)で本格的に俳優へ転向。あいにく同作の完成が遅れたため、出演2作目に当たる『風の伝説』(’04)がデビュー作となったものの、いずれにせよ「アクション俳優になる」という少年時代の夢を叶えるためとはいえ、30歳を過ぎてからのキャリア・チェンジは大きな決断だったはずだ。さらに、規格外の体型ゆえに適した役がなかなかなく、俳優として軌道に乗るまで時間もかかってしまった。 ・『犯罪都市』('17) 大きなブレイクを果たしたのは、世界的な大ヒットを記録したゾンビ映画『新感染 ファイナル・エクスプレス』(’16)。見た目は厳ついけど心優しくて正義感が強い男性で、身重の妻を守るためゾンビの犠牲になるという役どころはまさに「儲け役」で、これを機に韓国のみならず世界から注目を集めることになる。以降、アメリカでのリメイクも決まった韓流ノワール『悪人伝』(’18)などの主演作が続々と作られ、マーベル映画『エターナルズ』(’21)では念願のハリウッド進出も果たしたマ・ドンソク。そんな彼の代表作にしてライフワークとも呼べるのが、韓国の年間興収ランキングで3位をマークした『犯罪都市』(’17)に始まるバイオレンス・アクション映画「犯罪都市」シリーズである。 実は苦労人同士の友情から生まれた企画だった! まずは記念すべき1作目から振り返ってみよう。 舞台は’04年のソウル。クムチョン警察の凶悪犯罪対策部署「強力班」に所属するマ・ソクト副班長(マ・ドンソク)は、相手が屈強な男でもパンチ一撃で失神させるほどの怪力の持ち主だ。彼が管轄とするのはカリボンドン地区のチャイナタウン。ここは’90年代に中国から大勢の同胞が移住した街で、今では乱立する朝鮮族の暴力団が縄張りを巡って争っている。基本的に、警察とヤクザは持ちつ持たれつの間柄。血気盛んな暴力団員たちが一線を超えぬよう睨みをきかせつつ、パワーバランスの均衡とチャイナタウンの平和を守るのが強力班の主な役割だ。ところが、そんな折に朝鮮族系暴力団・毒蛇組の組長がバラバラ死体で発見され、地域最大の韓国系暴力団の縄張りまで荒らされてしまう。 犯人は中国のハルビンを根城にする朝鮮族系チャイニーズ・マフィア、黒竜組のボス、チャン・チェン(ユン・ゲサン)。幹部2人と借金の取り立てに密入国したチャンは、毒蛇組の組長を殺害して組織を乗っ取り、チャイナタウンで乱暴狼藉の限りを尽くしていく。その狂犬のごとき残忍さと無鉄砲な横暴さには、さすがのマ副班長も手を焼いてしまうのだった。警察上層部から一刻も早い解決を迫られる強力班。そこでマ副班長はチャイナタウンの住民たちに協力を仰ぎ、チャンに乗っ取られた毒蛇組の一斉検挙に乗り出そうとするのだが…? ・『犯罪都市』('17) いやあ、これはまんま’70年代東映の実録ヤクザ路線ですな!その辣腕で暴力団組織と真っ向から対峙しつつ、一方で賄賂や接待も平然と受けている不良刑事役のマ・ドンソクは、さながら『県警対組織暴力』(’75)の菅原文太である。必要とあれば、暴行尋問に不法侵入などの違法捜査なんぞ朝飯前。清廉潔白なヒーローとは口が裂けても言えないが、しかしその反面、部下思いで女性や子供にも優しく、杓子定規なルールよりも人情を重んじる懐の深い刑事だ。しかも、ハンパなく強いのだよね!どれだけ凶暴かつ凶悪なヤクザだろうとも、マ副班長の超重量級パンチや背負い投げを食らったらひとたまりもない。『イコライザー』シリーズのデンゼル・ワシントン同様、絶対に負けない男だ。マ・ドンソクが最も得意とする「気は優しくて力持ち」を極めたような、最高に愛すべきスーパー・ダーティ・ヒーロー。このキャラクターを主人公に据えた時点で、本作の成功は約束されたも同然だったと言えよう。 2004年のクムチョン警察による朝鮮族系組織の一掃作戦を基にしたフィクション、と冒頭テロップで解説されている通り、実際に起きた事件からヒントを得た作品。ただし、劇中の黒竜組のモデルになったチャイニーズ・マフィア、黒死病組の検挙は’07年のことだったという。恐らく、現実には映画よりも長いスパンがかかったのだろう。チャイニーズ・マフィアの連中がカラオケボックスで従業員の片腕を切り落としたのも、チャイナタウンの住民が警察の捜査に協力したのも実話。そういう意味でも、本作は韓国版・実録ヤクザ映画と呼ぶに相応しいだろう。 監督と脚本を手掛けたのはマ・ドンソクと同い年で、お互いに無名時代からの親友だったカン・ユンソン。’98年に留学先のアメリカで撮った短編映画が釜山国際映画祭などで高く評価されたカン監督は、韓国の投資会社から出資の申し出を受けてメキシコを舞台にした長編映画を企画するものの、あろうことか投資会社の会長が逮捕されたために断念。その後、再び持ち上がった長編映画のプロジェクトも投資会社の倒産でお蔵入りし、奥さんと衣料品店を経営しながら映画製作のチャンスを待ち続けたところ、準備に3年をかけた本作『犯罪都市』で念願の長編デビューを果たしたという苦労人だ。まさに3度目の正直というヤツですな。そもそも、本作の企画自体がマ・ドンソクの提案だったそうなので、恐らく長年の親友の監督デビューを手助けしたいという気持ちもあったのだろう。清濁併せ呑んだマ副班長ら強力班チーム面々の、少々荒っぽくも人間味があって憎めない魅力は、世の酸いも甘いも噛み分けたカン監督だからこそ、説得力を持って描くことが出来たのかもしれない。 ちなみに、実際のカリボンドンのチャイナタウンは賑やかな商店街で、さすがに映画のロケ撮影を行うのは難しかったため、ちょうど再開発中だったシンギルドン地区の空き地に本物ソックリのチャイナタウンを丸ごと再現したのだそうだ。さすがは韓国映画、やることが大胆である。 ・『犯罪都市 THE ROUNDUP』('22) 2作目はユーモアもバイオレンスも格段にスケールアップ! 先述したように、韓国ではその年の年間興収ランキングで3位という大ヒットを記録した『犯罪都市』。実は、マ・ドンソクによると当初からシリーズ化の構想はあったらしく、自身が韓国で設立した製作会社ビッグ・パンチ・ピクチャーズも制作に加わり、マ副班長と強力班メンバーのその後を描いた続編『犯罪都市 THE ROUNDUP』(’22)が完成する。 前作から4年後の2008年。かつてカリボンドンの宝石強盗事件に関わった下っ端のチンピラ、ジョンフンが、なぜか逃亡先であるベトナムのホーチミンで自首したとの報告が入り、クムチョン警察強力班のマ・ソクト副班長(マ・ドンソク)は、上司のチョン・イルマン班長(チェ・グィファ)の付き添いとして、凶悪犯罪者の引き渡しのために現地へ赴くことになる。「いやあ、海外出張なんて久しぶりだね!」「休暇を兼ねて思い切り羽を伸ばそうぜ!」とルンルン気分の2人。しかし、実際にジョンフンを目の前にしたマ副班長は、優秀なベテラン刑事としての鋭い勘が働く。こいつ、何か隠してやがるな。白を切り続けるジョフンにイラっとした彼は、チョン班長の積極的な黙認のもとで得意の暴行尋問を決行。その結果、ジョンフンがベトナムで韓国人の誘拐殺人事件に関わっていたことが判明する。 韓国では年間300人を超える犯罪者が海外へ逃亡し、その多くは東南アジアに潜伏。同胞の韓国人を狙った犯罪を引き起こしているという。ジョンフンもそんな逃亡犯のひとり。今回、ベトナムに潜伏していた彼は、同じような韓国人逃亡犯カン・ヘサン(ソン・ソック)と組んで、ベトナムで派手に金を使っていた韓国の青年実業家チェ・ヨンギを誘拐したのだが、しかし残忍極まりないサイコパスのカンは逃げようとした人質を呆気なく殺害。その後先を考えない凶暴さに恐れをなしたジョンフンは、韓国領事館に自首することで自分の身を守ろうとしたのだ。そうと知ったマ副班長とチョン班長は、韓国警察に捜査権のないベトナムで勝手に独自の捜査を開始。すると、チェ・ヨンギを含む4名の遺体が発見される。カンは他にも人を殺していたのだ。 その頃、カンはチェ・ヨンギが既に死んでいることを隠し、その父親である大企業経営者チェ・チャンベクに身代金を要求。しかし裏社会に通じたチェ社長は脅しに屈する相手ではなく、それどころか反対にカンを抹殺するべくプロの殺し屋組織をベトナムへ送り込んでいた。潜伏先のアパートを見つけ出し、カンとその相棒に襲い掛かる殺し屋一味。ところが、狂犬のようなカンたちは見境なく暴れまくり、たった2人で大勢の敵を皆殺しにしてしまう。そこへ乗り込んできたマ副班長とチョン班長だが、あと一歩のところでカンを取り逃がしてしまった。彼が韓国へ密入国したとの情報を得た2人は、すぐさま帰国して捜査網を張り巡らせるのだったが…? 『犯罪都市 THE ROUNDUP』('22) 国際規模にスケールアップしたシリーズ第2弾。前作と同様、今度もストーリーの元ネタとなった実際の事件がある。それが’08~’12年にかけてフィリピンで起きた韓国人の連続誘拐殺人事件。フィリピンへ逃げた韓国人の殺人犯たちが誘拐グループを組織し、同胞である韓国人の旅行者を誘拐しては身代金を要求していたという。事件として表面化した犯行は19件だが、実際はそれを遥かに上回る未発覚の余罪があるとのこと。一部の被害者は身代金の支払い後に解放されたが、しかし殺されてしまった被害者も多かったそうで、その正確な数はいまだに掴めていないらしい。 演出は前作のカン・ユンソン監督から、その助監督だったイ・サンヨンへとバトンタッチ。要するに、2作続けて新人監督が演出を担当している。シニカルなブラック・ユーモアとハードなバイオレンスを絶妙なバランスで交えつつ、いかにもアジア的で湿度の高い義理人情の世界を描いていた前作に対し、本作はよりハリウッド的とも言えるドライなアプローチが印象的だ。中でも、ルール無視の暴れん坊刑事・マ副班長と、なにかと愚痴をこぼしながらも意外と積極的に協力する上司・チョン班長の、『リーサル・ウェポン』さながらの名コンビっぷりは最高だ。何を考えているのか全く分からない狂犬カン・ヘサンの、未知の怪物的な得体の知れなさも強烈である。 なお、ストーリー前半でベトナムを舞台にしている本作だが、実は撮影に入る前の段階でコロナ感染が拡大してしまい、当初予定されていたベトナム・ロケを一旦延期。海外スタッフを集めた現地の撮影部隊を別途編成し、イ・サンヨン監督ら韓国のメイン部隊がリモートで指示を送り、その通りに撮影されたベトナムの風景映像に役者をCGで合成して仕上げたという。つまり、従来の意味における現地ロケは行っていないのである。いやあ、これは全く気付きませんでしたな! かくして、韓国歴代興行収入ランキング3位という前作以上の大ヒットを記録し、コロナ禍の影響で停滞していた韓国映画界が再び活性化する起爆剤になったとも言われる『犯罪都市 THE ROUNDUP』。本国では既に青木崇高や國村隼も出演している3作目『犯罪都市3』(‘23・邦題未定)も公開済み。来年には4作目の公開も控えている。最終的にはシリーズ8本、スピンオフ2本の合計10本が作られる予定で、韓国版『ワイルド・スピード』的なフランチャイズ化を目指しているのだそうだ。■ 『犯罪都市』© 2017 KIWI MEDIA GROUP & VANTAGE E&M. ALL RIGHTS RESERVED『犯罪都市 THE ROUNDUP』© 2022 ABO Entertainment Co., Ltd. & BIGPUNCH PICTURES & HONG FILM & B.A.ENTERTAINMENT CORPORATION, ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2023.10.02
ティム・バートン印のポップでキッチュでブラックなSFコメディの傑作!『マーズ・アタック!』
それは友情から始まった 1950年代のB級SF映画と1970年代のディザスター映画にオマージュを捧げた、ティム・バートン監督のシュールでクレイジーな愛すべきSFコメディ映画である。劇場公開時は文字通り賛否両論。アメリカでは3週間で上映が打ち切られるほど客入りが悪かったが、しかしヨーロッパでは反対にロングランの大ヒットを記録。筆者の記憶だと日本でも評判はとても良かったはずだ。まあ、いかにもティム・バートンらしいオタク趣味丸出しのポップでキッチュなビジュアルや、時として残酷なくらいシニカルなブラック・ユーモアのセンスは、なるほど確かに見る人を選ぶであろうことは想像に難くない。 元ネタになったのはベースボール・カードの老舗トップス社が、1962年にアメリカで発売した子供向けトレーディング・カード「Mars Attacks!」。グロテスクな火星人の造形やリアルな残酷描写が子供たちに受けたものの、それゆえ保護者からの猛反発を食らって呆気なく販売が中止されてしまった。その後、「Mars Attacks!」は人気のコレクターズ・アイテムとなり、高額のプレミア価格で取引されるようになったことから、トップス社は’84年と’94年に復刻版をリリース。その’94年の復刻版を購入して、ティム・バートンにプレゼントしたのが脚本家ジョナサン・ジェムズだったのである。 イギリスの著名な劇作家パム・ジェムズを母親に持ち、マイケル・ラドフォード監督の『1984』(’84)と『白い炎の女』(’87)の脚本で頭角を現したジョナサン・ジェムズ。実はティム・バートン監督の出世作『バットマン』(’89)の脚本修正にノークレジットで携わっていた。ロンドン郊外のパインウッド・スタジオで撮影された『バットマン』。撮影中に幾度となく脚本修正の必要が生じたものの、当時ちょうど全米脚本家組合がストライキの最中だったため、オリジナル脚本を手掛けたサム・ハムが手を加えることは許されず、代わりに英国人の脚本家たちが修正に駆り出された。ジェムズはその中のひとりだったのだ。 お互いに趣味や好みの似ていた2人はたちまち意気投合。ほどなくしてロサンゼルスへ活動の拠点を移したジェムズは、バートン監督のもとで幾つも脚本を書いているのだが、残念ながら『マーズ・アタック!』以外は全てお蔵入りになっている。また、バートン監督と恋人リサ・マリーのキューピッド役を務めたのもジェムズ。ロンドンのモデル時代からリサ・マリーを知っているジェムズは、たまたま共通の友人を介してロサンゼルスで彼女と再会し、バツイチの独身だったバートン監督と引き合わせたという。いずれにせよ、当時の2人は無二の親友も同然だったようだ。 ストーリーの下敷きは『タワーリング・インフェルノ』!? 時は1994年の8月。バートン監督への誕生日プレゼント(8月25日が誕生日)を探していたジェムズは、ロサンゼルスのメルローズ通りにあるギフトショップへ入ったところ、そこでトップス社の「Mars Attacks!」と「Dinosaurs Attack!」のトレカ・ボックスを発見。これはティムの好みに違いない!と思った彼は両方とも購入してプレゼントしたという。それから1週間ほどしてバートン監督から連絡を受けたそうだが、当初は「Dinosaurs Attack!」の方を映画化するつもりだったらしい。巨大な恐竜がロサンゼルスの街を破壊するなんて最高にクールじゃん!?と。しかし、打ち合わせを進めるうちに2人は気が付いてしまう。それが『ジュラシック・パーク』の二番煎じであることに。そこでバートン監督は「Mars Attacks!」の映画化に鞍替えし、まずは映画会社ワーナーに提案するためのシノプシスを書くようジェムズに依頼したのである。 その際にバートン監督から指示されたのは、’70年代にアーウィン・アレンが製作したディザスター映画群、中でも『タワーリング・インフェルノ』(’74)を参考にすること。そこから「人々が醜悪な火星人に追いかけられて右往左往するオールスター・キャスト映画」という基本コンセプトが出来上がったという。すぐさま、ハイランド大通りにあった有名なレンタル・ビデオ店ロケット・ビデオで『タワーリング・インフェルノ』のVHSをレンタルしたというバートン監督とジェムズの2人。特に印象的だったのは、ロバート・ワグナーが火だるまになって死ぬシーンだったという。悪役でもない主演級の大物スターが悲惨な死に方をするなんて最高にクールじゃん?と感動したジェムズは、『マーズ・アタック!』でもオールスター・キャストの大半を悲惨な方法で殺すことに(笑)。さらに、『大地震』(’74)や『スウォーム』(’78)などをお手本にして、アメリカ各地に暮らす様々な社会階層の人々が登場する大規模な群像劇に仕上げたのである。 ストーリーは極めてシンプル。ある日突然、火星からのUFO軍団が地球へと飛来する。果たして火星人の目的は何なのか?友好の使者なのか、それとも侵略者なのか。この状況を政治利用しようとするアメリカ大統領、核爆弾による先制攻撃を主張するタカ派軍人、火星人ブーム(?)に乗って一儲けしようとするビジネスマンなど、様々な人々の思惑が交錯する中、いよいよ火星人とのファースト・コンタクトが実現。なんだ、むっちゃ友好的じゃん!とみんながホッと胸をなでおろしたのも束の間、たちまち本性を現した火星人たちの地球侵略攻撃が始まる。 火星人のキャラ造形が極端にグロテスクであることから、地球人のキャラクターも極端なカリカチュアとして描けば、うまい具合にバランスが取れると考えたというジェムズ。メインの登場人物だけでおよそ20名、幾つものプロットが同時進行するという脚本の構成は複雑だが、そこはスタンリー・クレイマー監督のコメディ巨編『おかしなおかしなおかしな世界』(’63)が大いに参考になったという。 テーマはズバリ「権力者を信用するな」。米国大統領にせよ、科学者にせよ、軍人にせよ、はたまたテレビの人気司会者にせよ、本作に登場する権力者たちは揃いも揃って、愚かで浅はかでバカで軽薄なクズばかり。世界の危機を救うどころか事態を悪化させ、いずれも自業自得の悲惨な最期を遂げる。むしろ世界を救うのは、家庭に居場所のない孤独な少年や老人ホームに追いやられた老婆、借金返済のためカジノで働く元プロボクサーなど、名もなき普通の人々。要するに、どこにでもいる平凡で善良なアメリカ市民こそが真のヒーローなのだ。 ギクシャクし始めたスタジオとの関係 およそ1週間でプレゼン用のシノプシスを書き上げたというジェムズ。『マーズ・アタック!』の企画は無事に通り、ワーナーは’95年8月の撮影開始、’96年8月の封切というスケジュールを立てたのだが、しかし制作陣はすぐに大きな壁にぶつかってしまう。というのも、レイ・ハリーハウゼンの特撮映画を熱愛するバートン監督は、本作の特撮もストップモーション・アニメでやろうと考えたのだ。当初は『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』(’93)のヘンリー・セリックに任せるつもりだったが、しかし当時のセリックは『ジャイアント・ピーチ』(’96)に取り掛かっていたため都合がつかず、セリックの推薦でイギリスのアニメ作家バリー・パーヴスに白羽の矢が立ったという。 しかし、英国人のパーヴスがアメリカでスタッフを集めて工房を作り、さらにテストフィルムを製作するまでに予想以上の時間がかかってしまった。おかげで、予定していたスケジュールが押してしまうことに。そこでプロデューサーのラリー・フランコがサンフランシスコへ飛び、ジョージ・ルーカスの特撮工房ILMと直談判。ストップモーション風のCGアニメを開発してもらうこととなる。本当にそんなことが出来るのか?とバートン監督は半信半疑だったが、しかしテスト映像の仕上がりを見て大いに納得。結局、CGを使うことでアニメ制作の時間短縮が可能になったが、その代わりに予算も膨れ上がってしまい、この頃から製作陣とワーナーの関係がギクシャクし始めたようだ。 さらに、脚本家ジェムズとワーナーの対立も表面化していく。撮影に向けて脚本のドラフトを書き始めたジェムズ。ワーナー経営陣には「クリエイティブ・チーム」と呼ばれる人々がおり、原稿は全て彼らのチェックを受けなくてはならなかったのだが、そこで様々な意見の相違が出てきたのである。それ自体はよくあることなのだが、しかしあるシーンを巡ってお互いが絶対譲らなくなってしまう。それが、本編冒頭の「燃える牛軍団」シーン。のどかな田舎で火の付いた牛の群れが暴走するという場面なのだが、これをクリエイティブ・チームは「動物愛護法に反する」としてNGにしたのだ。しかし、当然ながら実際に撮影で牛を燃やすわけじゃない。当たり前だが特撮で処理をする。「なにをバカなこと言ってるんだ!?」と呆れたというジェムズ。このシーンは観客にインパクトを与えるためにも絶対に必要だ。そう考えた彼は、何度NGを出されても無視し続けたそうだが、その結果ワーナーからクビを言い渡されてしまった。 ドラフト原稿を提出すること12回。すっかり疲れ切っていたジェムズは、むしろクビになってホッとしたという。代役には『エド・ウッド』(’94)の脚本家コンビ、スコット・アレクサンダーとラリー・カラゼウスキーを推薦。ところが、今度はワーナー経営陣の意向通りに修正した彼らの脚本をバートン監督が気に入らず、クビになってから5週間後にジェムズは呼び戻される。バートン監督の自宅で専用部屋を用意された彼は、なんとたったの5日間で新たな修正版を完成。「燃える牛軍団」シーンもシレッと復活させたのだが、どういうわけかこれが最終的に通ってしまったという。全く、いい加減なもんである(笑)。 あの役は本来ならディカプリオが演じるはずだった! こうしてなんとか脚本を完成させたバートン監督とジェムズだったが、今度はオールスターのキャスティングに難航する。スムースに決まったのは、科学者役のピアース・ブロスナンと大統領補佐官役のマーティン・ショート。どちらもナンセンスで毒っ気のある脚本の趣旨を理解し、最初から出演にとても前向きだったという。世界を救うフローレンスお婆ちゃんは、もともとシルヴィア・シドニーを念頭に置いた役柄。シルヴィア・シドニーと言えば、’30~’40年代にパラマウントの看板スターだった清純派のトップ女優。その一方で、かの大女優ベティ・デイヴィスをして「ハリウッドには私よりもタフな女優が2人だけいる。アイダ・ルピノとシルヴィア・シドニーよ」と言わしめたほどの女傑である。『ビートルジュース』(’88)でもシドニーと組んだバートン監督は、まるで自分の祖母のように彼女を敬愛していたそうだ。 しかし、それ以外のキャストはなかなか決まらなかった。アメリカ大統領役はウォーレン・ベイティに決まりかけたが、しかしワーナーが難色を示したため白紙撤回。成金の不動産業者役をオファーされたジャック・ニコルソンが、アメリカ大統領役も兼ねることで落ち着いた。このニコルソンの出演が決まった途端、ハリウッド中のスターが手のひらを返したように出演を希望するようになったという。恐らく、一歩間違えるとキワモノになりかねない映画だけあって、みんな様子を窺っていたのだろう。 ちなみに、フローレンスお婆ちゃんの孫リッチー役は、なんとレオナルド・ディカプリオが演じるはずだったが、しかし撮影スケジュールが押したせいで出演が不可能になったという。そのディカプリオが代役として推薦したのがルーカス・ハースだった。また、最後のギリギリまで見つからなかったのがフランス大統領役の俳優。撮影前日に「どうしよう!誰か知らない!?」とバートン監督から連絡を受けたジェムズは、たまたまご近所さんだった名匠バーベット・シュローダー監督を推薦。厳密にはスイス人だけとフランス国籍だし、見た目もド・ゴール大統領に似ているから適任だと考えたらしい。ダメもとで連絡してみたところ、自宅まで迎えの車が来るならオッケーとの返答。バートン監督はシュローダーが何者か全く知らなかったらしいが、あまりの芝居の上手さに舌を巻いたそうだ。 こうして当初の予定よりも大幅に遅れたものの、’96年12月に全米公開されることとなった『マーズ・アタック!』。疲労困憊したティム・バートン監督は恋人リサ・マリーとインド旅行へと出かけ、ジョナサン・ジェムズはロサンゼルスで宣伝キャンペーンが始まるのを待っていたが、しかし封切の3週間前になっても何も起こらなかったという。不安になったジェムズはワーナーに問い合わせるも、向こうは「宣伝なら1000万ドル規模の予算をかけてますから!」の一点張り。ようやく1週間前になってサンセット大通りに看板が掲げられ、映画館やテレビでも予告編が流れるようになったが、しかしジェムズに言わせれば遅すぎた。まるで自社作品を潰しにかかっているようだ。そういえば、プレビュー試写でも一般客から大好評だったにもかかわらず、同席したワーナー経営陣の反応は冷ややかだった。最初から売るつもりなどなかったんじゃないか?とジェムズは疑ったが、しかしその理由はいまだに見当がつかないという。 まあ、CGの使用による予算の増額や、脚本を巡るジェムズとの対立などで、ワーナー経営陣の心証を悪くした可能性はあるが、しかしだからといって多額の予算を投じた自社作品の宣伝をあえて放棄するようなことはしないだろう。恐らく、「ワーナー宣伝部はこの映画の売り方を分からなかっただけだ」というバートン監督の見解が正しいかもしれない。たとえ出来損ないの映画でも宣伝が上手ければ成功するが、反対にどれだけ出来の良い映画でも宣伝が下手ならば失敗する。今も昔も変わらぬ鉄則である。■ 『マーズ・アタック!』© Warner Bros. Entertainment Inc.