ザ・シネマ なかざわひでゆき
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COLUMN/コラム2022.03.01
メキシコの生んだ伝説の悪霊ラ・ヨローナが甦る!『ラ・ヨローナ ~泣く女~』
映画界でも脈々と受け継がれたラ・ヨローナの恐怖 日本でも大人気のホラー映画『死霊館』ユニバースの第6弾に当たる作品だが、しかしストーリー上の直接的な関連性は薄いため、厳密には単独で成立するスピンオフ映画と見做しても構わないだろう。テーマはメキシコに古くから伝わる怪談「ラ・ヨローナ(泣く女)」伝説。ラテン・アメリカ圏では広く知られた話で、過去に幾度となく映画化もされてきているが、しかし日本でちゃんと紹介されたのは、これが初めてだったのではないかとも思う。そこでまずは、「ラ・ヨローナ」の伝説とはいかなるものなのか?というところから話を始めたい。 それは昔々のこと。メキシコの小さな村に美しい女性が住んでいた。ある時、彼女は村へやって来た裕福な男性と恋に落ちて結婚し、2人の子宝にも恵まれるものの、やがて夫は別の若い女性と浮気をしてしまう。これに怒り狂った女性は、仕返しとして子供たちを川で溺死させてしまった。すぐ我に返って子供らを助けようとしたもののすでに手遅れ。深い喪失感と後悔の念に打ちひしがれた女性は、自らも川に身投げをして命を絶つ。しかし、神の罰を受けた彼女は白いドレス姿の亡霊としてこの世に甦り、我が子を探し求めて泣きながら永遠に地上を彷徨うこととなる。そして、運悪くラ・ヨローナに遭遇してしまった人間は、亡き子供たちの身代わりとして連れ去られてしまうのだ。 地域によって多少の違いはあるものの、一般的に知られているラ・ヨローナ伝説の大まかな内容は以上の通り。メキシコのみならずプエルトリコやベネズエラなど中南米各国に似たような話が存在し、昔から大人が子供を躾けるための怪談として語り継がれてきたという。「悪いことをするとラ・ヨローナにさらわれちゃうよ」と。さらに、中南米からの移民によってアメリカへも伝説は持ち込まれ、かつて1990年代にはマイアミやニューオーリンズ、シカゴなどの各地で、ホームレスの子供たちが黒い涙を流すラ・ヨローナを目撃したという噂が広がったこともあった。 ラ・ヨローナのルーツについては諸説ある。そのひとつが、古代アステカの神話に出てくる女神シワコアトル。亡き息子を探し求めて泣きながら現れる、死の予兆を感じると泣きながら現れるなどの言い伝えがあるらしいが、いずれにせよ彼女がラ・ヨローナ伝説の元になったという説が最も有力だ。また、エウリピデスのギリシャ悲劇「メディア」との類似性を見出すこともできるだろう。夫の裏切りに怒り狂った王女メディアが、復讐のため我が子を手にかけるという下りは非常によく似ている。さらに、アステカ帝国を征服したスペインの侵略者エルナン・コルテスに棄てられたインディオの愛人マリンチェが、奪い去られそうになった息子をテスココ湖のほとりで殺害し、死後に亡霊となって泣きながら地上を彷徨ったという逸話もあるそうだが、しかし彼女とコルテスの息子マルティンはスペインでちゃんと育っているので、これは裏切り者の代名詞として憎まれたマリンチェを貶めるために生まれた作り話と思われる。 そんなラ・ヨローナが初めて映画に登場したのは、メキシコで最初のホラー映画とも呼ばれる『La Llorona(泣く女)』(’33)。これはラ・ヨローナの呪いをかけられた一家の話で、ホラーというよりもミステリー仕立てのメロドラマという印象だ。続く『La Herencia de la Llorona(泣く女の遺産)』(’47)は幻の映画とされており、筆者も見たことはないのだが、推理ミステリーの要素が強かったらしい。’60年代には有名なB級映画監督ルネ・カルドナが『La Llorona(泣く女)』(’60)という作品を残しているが、しかしラ・ヨローナ映画の最高傑作として名高いのは、メキシカン・ホラーの巨匠ラファエル・バレドンの『La Maldición de la Llorona(泣く女の呪い)』(’61)であろう。ここでは黒装束に黒い眼をしたラ・ヨローナが登場。ラ・ヨローナを復活させるための生贄に選ばれた女性の恐怖を描き、マリオ・バーヴァ監督の『血ぬられた墓標』(’60)を彷彿とさせるゴシックな映像美が素晴らしい。 以降も、覆面レスラーのサントがラ・ヨローナと対決するルチャ・リブレ映画『La Venganza de la Llorona(泣く女の復讐)』(’74)、ラ・ヨローナ伝説にフェミニズムを絡めたシリアスな幽霊譚『Las Lloronas(泣く女たち)』(’04)、珍しく日本でDVD発売された『31km』(’06)、マヤ語の方言でラ・ヨローナを意味する悪霊ジョッケルが出てくる『J-ok'el』、ラ・ヨローナ伝説を子供向けにアレンジしたアニメ『La leyenda de la Llorona(ラ・ヨローナの伝説)』(’11)が登場。その中でも『Las Lloronas』は女性監督らしい視点の光る秀作だ。また、アメリカでもラ・ヨローナ伝説にエクソシストを絡めた『Spirit Hunter: La Llorona』(’05)、『死霊のはらわた』風にアレンジした『The Wailer』(’05)、スラッシャー映画仕立ての『The River: Legend of La Llorona』(’06)などが作られており、『The Wailer』と『The River: Legend of La Llorona』はシリーズ化もされている。ただ、’00年代のアメリカ版ラ・ヨローナ映画は、いずれもウルトラ・ローバジェットのインディーズ映画で、残念ながら決して出来が良いとは言えない。 ハリウッドが初めて本格的に取り組んだラ・ヨローナ映画 そして、ハリウッドのメジャー映画が初めてラ・ヨローナを取り上げたのが本作『ラ・ヨローナ~泣く女~』(’19)。冒頭でも述べたように『死霊館』ユニバースのひとつとして作られたわけだが、しかしシリーズ作品との関連性は『アナベル 死霊館の人形』(’14)のペレズ神父がサブキャラとして出てくることと、フラッシュバックで一瞬だけアナベル人形が姿を見せるくらいしかない。 映画の冒頭はオリジン・ストーリー。1673年のメキシコで、夫に浮気された女性が復讐のため2人の息子を川で溺死させ、自らも命を絶って白いドレスの悪霊ラ・ヨローナとなる。舞台は移って1973年のロサンゼルス。時代設定は『アナベル 死霊博物館』(’19)の1年後に当たる。警官の夫に先立たれた女性アンナ(リンダ・カーデリーニ)は、ソーシャルワーカーとして働きながら2人の子供を女手ひとつで育てている。ある時、アンナは担当するメキシコ系のシングルマザー、パトリシア(パトリシア・ヴェラスケス)と連絡が取れないとの報告を受け、無事を確認するため彼女の自宅へ訪問すると、物置部屋に監禁されたパトリシアの息子たちを発見する。児童虐待を疑われて逮捕されたパトリシアだが、しかし本人は子供たちを守るためだと必死になって懇願する。そして翌晩、施設に預けられていたパトリシアの子供たちが、なぜか近くの川で溺死体となって発見された。 真夜中に亡き夫の元相棒クーパー刑事(ショーン・パトリック・トーマス)から呼び出され、息子クリス(ローマン・クリストウ)と娘サマンサ(ジェイニー・リン=キンチェン)を連れて現場へ駆けつけるアンナ。大きなショックを受ける彼女に、半狂乱になったパトリシアが「あんたのせいだ」と激しく詰め寄り、子供たちはラ・ヨローナに殺されたと主張する。その頃、車で待っていたクリスとサマンサは悪霊ラ・ヨローナ(マリソル・ラミレス)に襲われるが、言っても信じては貰えまいと母親には内緒にする。それ以来、アンナの自宅では奇妙な現象が相次ぎ、やがて彼女自身もラ・ヨローナの姿を目撃。悪霊は明らかに子供たちを狙っていた。恐ろしくなったアンナは教会のペレズ神父(トニー・アルメイダ)に相談し、強力なシャーマンである呪術医ラファエル(レイモンド・クルス)を紹介してもらう。愛する我が子を守るため、ラファエルの力を借りてラ・ヨローナに立ち向かうアンナだったが…? ロサンゼルスが舞台となっているのは、ここがかつてメキシコ領だったこと、現在に至るまでメキシコ系住民の多いことが主な理由であろう。’70年代を時代設定に選んだのは、もちろん当時のオカルト映画ブームへのオマージュという意味もあろうが、同時に本作が女性の映画、母親の映画であることにも深く関係しているように思う。ウーマンリブ運動の台頭によって女性の権利向上が飛躍的に進んだ’70年代のアメリカだが、それでもまだ女性の社会的地位は決して高いとは言えず、マーティン・スコセッシ監督の『アリスの恋』(’74)など当時の映画を見ても分かる通り、シングルマザーが子育てをするには依然として厳しい社会環境だった。周囲の理解やサポートをなかなか得られないシングルマザーが、子供を守るため悪霊に立ち向かっていくという本作のストーリーにとって、そうした時代背景はとても重要な要素とも言えるだろう。 アメリカでもラテン・コミュニティの間では誰もが知る有名な怪談だったラ・ヨローナの物語。これが長編映画デビューだったマイケル・チャベス監督も、ロサンゼルスで育ったことからラ・ヨローナを知っていたそうだが、しかし一般的な知名度はそれほど高くなかった。そのため、本作はラ・ヨローナ伝説の基本へと立ち返り、その存在を初めて知る平均的なアメリカ人女性を主人公に据えることで、予備知識のない観客でも理解できるオーソドックスなオカルト映画に仕立てられている。一部を除いてCGやグリーンバックの使用をなるべく避け、アナログな特殊メイクでラ・ヨローナを描写している点も、古き良きオカルト・ホラーの雰囲気を醸し出して効果的だ。ラ・ヨローナという題材以外に目新しさはないものの、そのぶん安心して楽しめる王道的なホラー・エンターテインメントと言えよう。 なお、本作の直後にはグアテマラ内戦時代に起きた先住民の大量虐殺事件とラ・ヨローナ伝説を結び付けたグアテマラ映画『La Llorona(泣く女)』(’19)が、さらに最近ではメキシコを旅した米国人一家がラ・ヨローナに襲われる『The Legend of La Llorona』(’22)が作られている。果たして、ラテン・アメリカの生んだ永遠不滅の亡霊ラ・ヨローナは、フレディやジェイソン、キャンディマンなどに続くホラー・アイコンとなり得るだろうか…?■ 『ラ・ヨローナ 〜泣く女〜』© Warner Bros. Entertainment Inc.
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COLUMN/コラム2022.03.08
同性愛者を矯正する「救済プログラム」の実態を描く問題作『ある少年の告白』
19歳で矯正施設へ送られた少年の実話 同性愛は精神疾患でも性倒錯でもなく、異性愛と同じく本人の意思で変えることのできない先天的性質である。これは世界保健機関やアメリカ精神医学会など世界中の専門組織が認めた事実であり、少なくとも現在の先進諸国においては共通の認識であるはずだが、しかしその一方で様々な理由(主に宗教的な偏見)から同性愛を犯罪として禁じる、あるいは心の病気だとして「治療」しようとする国や地域も依然として存在する。 実はLGBTQ先進国アメリカもそのひとつ。’15年に国内全州での同性婚が認められるなど、同性愛への社会的な理解が進んでいるアメリカだが、しかし今なお伝統的なキリスト教の価値観が根強い保守的な地域も多く、中には同性愛者を異性愛者に矯正する救済プログラムを実施している団体も存在する。これまでに70万人以上のアメリカ人が、そうした救済プラグラムを受けており、そのおよそ半分がティーンエージャーなのだそうだ。えっ、21世紀のアメリカで?未だに?と驚きたくもなる話だが、そんな前時代的かつ非人道的な救済プログラムの実態を、実際に体験した当事者の手記を基にして描いた作品が、この『ある少年の告白』(’18)である。 原作はNYタイムズのベストセラーにも選ばれた回顧録「Boy Erased: A Memoir」(’16年出版)。著者のガラード・コンリーは、大学生だった’04年に自らが同性愛者であることを両親に打ち明けたところ、父親の命令でキリスト教系団体Love In Action(LIA)が主催する同性愛者の救済プログラムに参加させられる。なにしろ、彼の故郷であるアメリカ南部アーカンソー州のマウンテン・ホームは保守的な田舎町で、なおかつ父親はバプテスト教会の牧師。福音派の指導者ビリー・グラハムを敬愛する原理主義者の父親によって、幼い頃から「天国と地獄は実在する」「進化論は邪悪な嘘だ」などと教え込まれた彼は、同性愛は罪深い病気だと本気で信じていたという。映画でも描かれている通り、そもそもカミングアウトの原因は大学の同級生男子にレイプされたことだったが、しかしその際にも「これは神が自分に与えた罰だ」と自分を責めたのだそうだ。いやはや、刷り込みというのは恐ろしいものである。しかも、家父長制的なクリスチャンの家庭では父親の言うことが絶対。母親も口出しは出来ない。それゆえ、当時まだ19歳のコンリーにしてみれば、父親の指示に従って救済プログラムを受ける以外に選択肢はなかったのである。 テネシー州のメンフィスにあるLIAの施設でコンリーを待ち受けていたのは、’86年から長きに渡って救済プログラムを指導してきた主任セラピストのジョン・スミッド。「同性愛は生まれつきではなく行動と選択の結果だ」と主張するスミッドは、同性愛の罪を悔いて異性愛者に生まれ変わらねば神から愛されないと若い参加者たちを脅し、君たちが同性愛者になったのは両親の育て方が悪かったからだ、家庭に欠陥があるからだ、母親が過保護なせいだなどとして、家族に憎悪を向けさせるようなセラピーを行ったという。いわば、同性愛が後天的な性質だと信じ込ませるための洗脳である。 さらに、施設内では髪型から下着まで「ゲイっぽい」かどうかのチェックが事細かく行われ、携帯電話やノートなどの私物も勝手に検閲される。男は男らしく、女は女らしく立ち振る舞わねばならない。スポーツトレーニング後に利用するシャワールームでは、マスターベーションを禁じるための砂時計まで用意されていたという。要するに、短時間でさっさとシャワーを終えろ、余計なことは一切するな、考えるなというわけだ。ほかにも、聴いてはいけない音楽や立ち寄ってはいけない場所など、施設の外で守らねばならないルールもあった。ただし、こうした救済プログラムの詳細は他言無用。家族に話すことすら禁じられていた。恐らく、プログラムの内容が重大な人権侵害であることをスミッド自身も認識していたのだろう。 もちろん、このような非科学的かつ非合理的な救済プログラムによって、同性愛者が異性愛者になれるはずなどない。実際、後にジョン・スミッド本人が「救済プログラムで変えられるのは上辺だけ」「実際に同性愛者から異性愛者への転換に成功した者はひとりもいない」と告白している。結局、救済プログラムの実態というのは、参加者に本来の自分を否定させ、強制的に異性愛者のふりをさせること。そのせいで、精神的に追い詰められた参加者が自殺するというケースも起きている。コンリーの場合は幸いにも、母親マーサが息子のSOSをちゃんと受け止め、施設へ乗り込んで救い出してくれた。「自分はまだ幸運だった」とコンリー本人も振り返っている。 皮肉なのは、同性愛者を矯正するという誤った使命感に取りつかれたジョン・スミッド自身が、実は同性愛者だったということだろう。世間からの批判を受けて’08年に教官を辞任してLIAを去った彼は、’14年にパートナー男性との同性婚を果たしている。若い頃に女性と結婚して子供をもうけたというスミッド。恐らく、彼自身が自らの性的指向に強い罪悪感を覚えていたのだろう。それゆえ、同性愛は矯正できると実証したかったのかもしれないが、結果的に身をもって「性的指向は変えられない」ことを証明してしまったのである。原作者の想いを丹念に汲み取ったジョエル・エドガートン監督 そんな日本人の知らないアメリカ社会の暗い一面を映し出す実話を描いた本作。演出を手掛けたのは、俳優のみならず映画監督としても高い評価を得ているジョエル・エドガートンだ。出版当時に原作を読んで自ら映画化することを熱望したそうだが、しかしひとつだけ大きな懸念材料があった。それは、異性愛者である自分に、果たして本作の監督が務まるのだろうか?ということ。ただ、彼にはガラード・コンリーの原作本に強く共感する理由があった。 ご存知の通り、オーストラリアの出身であるエドガートン。彼の故郷ニューサウス・ウェールズ州ブラックタウンは、コンリーの故郷マウンテン・ホームと同じく保守的かつ閉鎖的な田舎町で、エドガートン曰く「みんなが同じでなくてはならず、誰もが仲間外れにされることを恐れて、普通のふりをしながら暮らす町」だったという。しかも、両親は敬虔なカトリック教徒。当然のように彼自身も同性愛者への偏見を持っていた。「当時は周囲の価値観に染まっていただけで、実際は同性愛のことなど深くは考えていなかった」と振り返るエドガートン。しかし、16歳の時に初めて同性愛者の男性と知り合い、さらに演劇学校で学ぶため大都会シドニーへ出て視野が広がったことで、ようやくセクシャリティについてちゃんと理解するようになったという。異性愛者と同性愛者という違いこそあれ、コンリーの生い立ちには自らの生い立ちと重なる点が多かったのだ。 結局、諦めきれずに自ら映画化権を獲得したエドガートンは、原作者コンリーのみならず救済プログラムの関係者や体験者に直接会って話を聞き、さらに客観的な資料も徹底的にリサーチして脚本を書き上げたという。脚本だけでなく撮影した映像も全てコンリーの確認を取り、さらにはLGBTQのメディアモニタリングを行う組織GLAADにも本編をチェックしてもらった。なにしろ、センシティブな題材を門外漢が描くわけだから、間違った表現などがないよう細心の注意を払ったのである。 出来上がった作品は、登場人物の名前こそ架空のものに変更されているものの、それ以外は実際の出来事をほぼ忠実に再現。決してセンセーショナリズムに訴えることなく、あえて誰かを悪者に仕立てることもなく、無知や偏見に基づいた救済プログラムの危険性を訴えつつ、お互いを労わり合う親子の衝突と和解を描くファミリー・ドラマとしてまとめあげている。重苦しさよりも優しさ、憎しみや疑念よりも愛し合う家族の絆が際立つ。原作者自身が「両親を恨んでなどいない」と語っているが、その心情を丹念に汲み取ったエドガートン監督の慈しみ溢れる眼差しが印象的だ。中でも、ニコール・キッドマン演じる母親ナンシーの愛情深さには胸を打たれる。慎ましやかな南部の女性として常に夫や周囲の男性を立て、たとえ不平不満があっても黙って彼らに従ってきたナンシーが、最愛の息子を守るために「もう黙ったりしない」と夫に反旗を翻す。まさしく「母は強し」。これはクイアー映画であると同時にフェミニズム映画でもあるのだ。 結局のところ、「お前のためだ」という父親マーシャル(ラッセル・クロウ)も、「君のためだ」というセラピストのサイクス(ジョエル・エドガートン)も、実は自分の個人的なイデオロギーや信仰心のために主人公ジャレッド(ルーカス・ヘッジズ)を変えようとする。もちろん本人たちに悪意などなく、むしろ良かれと思ってやっているわけだが、それでもなお彼らが自分本位であることには変わりがない。他者が好むと好まざるとに関わらず、人にはそれぞれ持って生まれた特性というものがある。それはなにも性的指向だけに限らないだろう。本当に誰かのためを想うのならば、その人のありのままをまずは受け入れるべきではないのか。その大前提がないと、たとえ家族であっても信頼関係を構築することはできないだろう。 ちなみに、サイクス役を自らが演じるにあたって、エドガートン監督はモデルとなったジョン・スミッド本人にも面会したという。ニューヨークで行われた映画のプレミアにもスミッドは参加。救済プログラムのセラピストを辞任後、メディアを通じて公に謝罪をした彼だが、しかし原作者コンリーによると彼の家族への直接的な謝罪はされていないそうだ。父親はようやく息子の同性愛を受け入れたというが、それでも親子の関係には少なからぬ傷跡が残されたままだとも語っている。その後、LIAは名称を変えて救済プログラムも廃止されたが、現在は既に組織自体が解散してしまった模様。それでもなお、同種の救済プログラムを法律で禁じているのは、’20年の時点で全米50州中20州のみ。それ以外の地域では、いまだに行われているところがあるという。■ 『ある少年の告白』© 2018 FOCUS FEATURES LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2022.04.06
『ジョーズ』ブームの流れを汲むエログロ満載の海洋モンスター映画!『モンスター・パニック』
男は殺して女はレイプする!残酷でスケベな半魚人軍団が漁村を襲撃! ハリウッド映画にセックスとバイオレンスが溢れていた時代を象徴するようなモンスター映画である。1934年に映画界の自主規制条項ヘイズ・コードが実施されて以降、キリスト教のモラルに反するような性描写や暴力描写などが半ばご法度となってしまったハリウッド。ヘイズ・コード自体に法的な強制力があったわけではないが、しかし全米の映画館の大半はアメリカ映画製作者配給者協会(現在の映画協会)の承認した映画しか上映せず、その承認を得るためにはヘイズ・コードの条項を遵守したうえで審査を受ける必要があった。そのため、草創期のアメリカ映画には存在したセックスとバイオレンスが、30年以上に渡ってほとんど影をひそめてしまったのである。 もちろん、そうした実質上の「検閲」を意に介さないフィルムメーカーたちも存在はした。ハリウッドの映画業界とは縁もゆかりもなく、従ってヘイズ・コードの審査を通す必要もないインディペンデント映画の製作者たちだ。彼らはメジャーな映画をレンタルする経済的な余裕がない場末の映画館やドライブイン・シアターのため、安上がりで刺激的な内容の性教育映画やヌーディスト映画、スプラッター映画を供給したのである。ただ、それらの作品は上映できる場所が限られていたため、一般的な映画ファンの目に触れる機会はあまりなかった。しかし、社会の意識改革が進んだ’60年代半ばになるとヘイズ・コードの影響力も薄れ、’68年には廃止されて現在のレーティング・システムが導入されることに。’70年代以降はハリウッドのメインストリーム映画でもセックスとバイオレンスが本格的に解禁され、中でも商魂たくましいB級エンターテインメントの世界では我先にと過激さを競うようになる。血みどろの残酷描写とあられもない女体ヌードが満載の本作『モンスター・パニック』(’80)も、そんなハリウッドのエログロ全盛期に誕生した映画のひとつだった。 舞台はカリフォルニア州の小さな漁村ノヨ。豊かな自然に恵まれた平和な場所だが、しかしその水面下では住民同士の対立が深まっていた。というのも、数年前から地元に大きな缶詰工場の建設が計画され、その経済効果に期待する推進派と環境破壊を懸念する反対派が互いにいがみ合っていたのである。中でも推進派の代表格ハンク(ヴィック・モロー)と、反対派のリーダーであるネイティブ・アメリカンの青年ジョニー(アンソニー・ペーニャ)は犬猿の仲。人種差別主義者でもあるハンクはジョニーを目の敵にし、子分どもを率いてたびたび嫌がらせをしていたのだが、村人からの信頼も厚い中立派のジム(ダグ・マクルーア)の仲裁で、なんとか決定的な衝突が避けられているような状態だった。 そんなある日、沖合に出ていた漁船が正体不明の巨大生物に襲われて大破し、さらに地域で放し飼いにされていた犬たちが大量に殺される。これを反対派の仕業だと勝手に思い込んで報復を計画するハンク一味。しかし、真犯人は海から陸へ上がって来た半魚人の群れだった。やがて、海岸でデートをしている若いカップルが次々と半魚人に襲撃されていくのだが、しかし殺されるのは男性だけ。一方の女性は片っ端からレイプされてしまう。ジョニーの自宅でバーベキューを楽しんでいたジムの弟トミーと恋人リンダも被害に遭い、辛うじてトミーは一命を取り留めたものの、助けを呼ぶため車を走らせたリンダは、半魚人に襲われて端から転落死してしまった。ジョニーの証言によって村の危機を知ったジムは、缶詰工場の顧問を務める生物学者スーザン(アン・ターケル)の協力を得て真相究明に乗り出す。 以前から運営会社に環境破壊の危険性を警告していたスーザンは、会社が秘密裏に遺伝子操作で開発した新種のサーモンが工場から流出し、それを食べた海洋生物が突然変異でヒューマノイド化したと推測する。しかも、彼らは種を進化させるために人間の女性との交配を目論み、不要な男性は容赦なく殺していたのである。折しも、村では毎年恒例のサーモン祭が開かれようとしていた。住民や観光客に警戒を呼び掛けようとするジムとスーザン。しかし時すでに遅く、大量の半魚人軍団に襲撃されたサーモン祭は阿鼻叫喚の地獄と化してしまう…! 『モンスター・パニック』© 1980 New World Productions, Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2022.04.06
ヌーヴェルヴァーグの先駆者シャブロルの代表作『いとこ同志』
「フランスのヒッチコック」とも呼ばれたシャブロルとは? ‘50年代後半から’60年代にかけて、フランス映画界を席巻した「ヌーヴェルヴァーグ」の大きな波。当時のヨーロッパではイギリスのフリー・シネマやドイツのニュー・ジャーマン・シネマなど、各国で新世代の先進的な若手映像作家が急速に台頭し、旧態依然とした映画界に変革を起こしつつあった。それはヨーロッパ最大の映画大国フランスでも同様。従来のスタジオシステムに囚われない若い才能が次々と登場し、その大きなうねりを人々は「新たな波=ヌーヴェルヴァーグ」と呼んだのである。 このヌーヴェルヴァーグのムーブメントには、大きく分けて「カイエ・デュ・シネマ派」と「セーヌ左岸派」が存在した。前者は雑誌「カイエ・デュ・シネマ」に寄稿していたフランソワ・トリュフォーやジャン・リュック・ゴダール、ジャック・リヴェット、エリック・ロメールなどの映画批評家たち、後者はパリのセーヌ左岸に集ったアラン・レネやアニエス・ヴァルダ、ルイ・マルなど主にドキュメンタリー出身の作家たち。その「カイエ・デュ・シネマ派」の中でも先陣を切って映画制作に乗り出し、トリュフォーやゴダールと並んでヌーヴェルヴァーグの旗手と目されたのがクロード・シャブロルだった。 とはいえ、当時のヌーヴェルヴァーグ作家群の中でも、シャブロルは少なからず異質な存在だったと言えよう。ゴダールは自己表現のために映画を利用し、シャブロルは映画そのものに奉仕すると言われるように、彼は特定のジャンルやイデオロギーに囚われることなく様々なタイプの映画に取り組む、純粋な意味での「映画作家」だった。なので、やがてヌーヴェルヴァーグの勢いが落ち着いていくと、商業映画に背を向けたゴダールやリヴェットが政治的に先鋭化し、資金繰りに窮したロメールはテレビへ活路を見出し、トリュフォーはメインストリームのアート映画を志向するなど、ヌーヴェルヴァーグの仲間たちが各々別の道を模索していく中、シャブロルは折から流行のスパイ・コメディなど大衆娯楽映画に進出する。恐らく彼にとっては、たとえ低予算のプログラム・ピクチャーであろうと、大好きな映画を撮り続けることが重要だったのだろう。 中でも彼が最も得意としたのはミステリー映画。アルフレッド・ヒッチコックやフリッツ・ラング、ジョゼフ・L・マンキーウィッツなどをこよなく愛し、ロメールと共著でヒッチコックの研究書も執筆したことのあるシャブロルは、’60年代後半から’70年代にかけて『女鹿』(’68)や『肉屋』(’69)など数々の優れたミステリー映画を発表し、一時は「フランスのヒッチコック」とも評されるようになる。ヌーヴェルヴァーグを一躍世に知らしめたと言われ、ベルリン国際映画祭では金熊賞を獲得した監督2作目『いとこ同志』(’59)にも、既にその兆候を垣間見ることが出来るだろう。 明暗を分ける「いとこ同志」の青春残酷物語 法学の試験を受けるため、田舎から大都会パリへとやって来た若者シャルル(ジェラール・ブラン)。真面目でシャイなお人好しの彼は、同じく法律を学ぶ従兄弟ポール(ジャン=クロード・ブリアリー)と同居することを条件に、過保護な母親の許しを得ることが出来たのだ。そのポールは、シャルルとまるで正反対の破天荒で不真面目なプレイボーイ。広い高級アパートに遊び仲間を集めては、夜な夜なドンチャン騒ぎを繰り広げている。その贅沢な暮らしぶりに圧倒される田舎者のシャルルだったが、少しずつグループの輪にも慣れていき、大都会での暮らしを満喫しつつ勉学に励む。日頃から傲慢で自堕落なポールも、実のところ根は悪い人間ではなかった。 そんなある日、シャルルはポールの取り巻きグループの女性フロランス(ジュリエット・メニエル)に一目惚れする。恋に落ちると周りが見えなくなってしまう初心で不器用なシャルル。それなりに恋愛遍歴を重ねてきたフロランスも、今どき珍しく純情で一途なシャルルに好感を抱き、デートの誘いに応じるようになる。ところがある時、約束の時間を間違えたフロランスがアパートでシャルルを待っていたところ、ポールとその悪友クロヴィス(クロード・セルヴァル)に忠告される。真面目過ぎるシャルルと遊び慣れた君とでは絶対に合わない、いずれ退屈して彼を傷つけることになるだけだ…と。なんとなくその場の雰囲気でポールとキスしたフロランスは、そのまま彼の恋人として同居することになる。 この予期せぬ展開に大きなショックを受けるシャルルだったが、それでもなんとか平静を装い、試験に合格して見返してやろうとする。なにより、女手ひとつで育ててくれた母親の恩に報いるためにも、試験に落ちるわけにはいかなかった。とはいえ、目の前でいちゃつく2人との共同生活はストレスで、なかなか勉強にも身が入らない。そんなシャルルの複雑な心境も考えず、勉強ばかりしないで一緒に遊ぼうよ!と無邪気に誘うポールとフロランス。おかげで、シャルルはあえなく試験に落第してしまう。一方、ろくに勉強などしなかったポールは、賄賂とコネを使ってちゃっかり合格を手に入れていた。恋人を横取りされたうえに、試験でも負けてしまったシャルル。やはり貧乏人は金持ちに敵わないのか。無力感と敗北感に苛まれた彼の心に、やがてポールへの殺意が芽生えていく…。 また、本作はシャブロルにとって最大の協力者である脚本家ポール・ジェゴフとの初仕事でもあった。ルイ・マル監督の『太陽がいっぱい』(’60)の脚本家としても知られ、シャブロルとは「カイエ・デュ・シネマ」時代からの親友だったジェゴフ。実は『美しきセルジュ』でも彼に手伝ってもらうつもりだったシャブロルだが、しかし当時のジェゴフは20世紀フォックス広報部の業務で忙しかったために叶わなかった。まあ、もとはといえば先にフォックスで仕事をしていたシャブロルが、スタッフ増員の際にジェゴフを引き入れたので、その経緯を考えれば無理を言えた義理ではなかったのだろう。その後、仕事に嫌気のさしたジェゴフはフォックスを退社。めでたく(?)本作での初コラボが実現することとなったわけだ。 基本的にジェゴフが草稿を書き上げ、そこにシャブロルが加筆・修正を加えていくというスタイルで完成した本作の脚本。元になったあらすじはシャブロルのものだが、しかし出来上がった脚本の99.5%はジェゴフのものだという。そんなジェゴフは相当に破天荒な人物だったそうで、なおかつ女性関係にもだらしなかったという。もしかすると、ポールのモデルは彼だったのかもしれない。ただまあ、若い頃のシャブロルもなかなかのヤンチャ坊主で、しかも女癖の悪さを治すために結婚したというほどの遊び人だったらしいので、反対にジェゴフがシャブロルをもとにしてポールの人物像を作り上げたとも考え得る。その辺りも興味深いところだ。 ちなみに、本作は後にシャブロルのミューズとして数々の映画に主演し、2番目の妻ともなる女優ステファーヌ・オードランとの初仕事でもある。ポールの友人で生真面目すぎる若者フィリップを振り回す、プラチナブロンドの浮気性女フランソワーズを演じているのがオードランだ。主演のジェラール・ブランとジャン=クロード・ブリアリーは、前作『美しきセルジュ』からの再登板。これが本格的な映画デビューだったフロランス役のジュリエット・メニエルは、化粧石鹸の広告で彼女を見かけたシャブロルによってスカウトされたという。■ 『いとこ同志』© 1959 GAUMONT
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COLUMN/コラム2022.04.28
「スウィンギン・ロンドン」前夜の自由な空気を今に伝えるお洒落でシュールなコメディ『ナック』
ユース・カルチャーが台頭した’60年代半ばのロンドン 時代の空気と息吹を鮮やかに封じ込めた、さながらタイムカプセルのような映画である。時は1960年代半ば、場所はイギリスのロンドン。ヨーロッパ諸国に比べて第二次世界大戦後の経済復興が遅れたイギリスだが、しかし’60年代に入ると国民生活も次第に豊かとなり、さらにベビーブーム世代に当たる中流層の若者が経済力を持つことで、本格的な消費社会が到来する。’64年にはそれまでの保守党に代わって、中道左派の労働党政権が誕生。そうした中でファッションやポピュラー音楽などの若者文化が大きく花開き、首都ロンドンは世界に冠たるトレンド発信地へと成長する。 ビートルズにミニスカート、モッズ・カルチャーにカーナビー・ストリート。いわゆる「スウィンギン・ロンドン」の時代だ。’50年代を通して重苦しい空気に包まれたロンドンは、見違えるほど華やかでカラフルな街へと生まれ変わる。欧米のマスコミがロンドンをスウィンギン・シティ(イケてる都市)と呼ぶようになるのは’65~’66年にかけてのこと。’64年に撮影されて’65年に公開された映画『ナック』は、新たな時代へ向けて急速に変わりゆくロンドンの、若さ溢れる楽天的なエネルギーを思う存分に吸い込んだ作品だったのである。 主人公はちょっとばかり神経質な若き学校教師コリン(マイケル・クロフォード)。自宅の部屋を他人に貸している彼は、女性の出入りが激しいモテ男の下宿人トーレン(レイ・ブルックス)にイラっとしており、そのせいで無関係な女性たちにも厳しく当たってしまうのだが、しかし本音を言うと自分もモテたくて仕方がない。女性をゲットするにはどうすればいいのか。このままじゃ将来は欲求不満のスケベおじさんになってしまう! 思いつめた彼は恥を忍んで、トーレンに女性からモテる「コツ(英語でナック)」を伝授してもらおうとする。ところが、面倒くさがりで無責任なトーレンは、「んー、やっぱ食い物じゃね? チーズとかミルクとか肉とか。要するにプロテインよ」「っていうか、直感は大事だよね。でも、こればっかりは生まれつきの才能だからなあ」とテキトーなことばかり。最終的に「女は強気で支配するに限るね」などと言い出す。 その頃、故郷の田舎から長距離バスでロンドンへやって来た若い女性ナンシー(リタ・トゥシンハム)。右も左も分からない大都会に少々面喰いつつも、とりあえずYWCA(キリスト教女子青年会)を探して歩き回るナンシーだったが、しかしなかなか辿り着くことが出来ない。すれ違う人々に道を尋ねても、知らないと首を横に振られたり、間違った道順を教えられたり。そればかりか、見るからに田舎者といった感じの彼女を言いくるめて騙そうとしたり、バカにして軽んじたりする威圧的な男性ばかりに出会う。とはいえ、純朴そうに見えて実は意外としたたかなナンシーは、天性の勘と機転で「女性の危機」を上手いことやり過ごしていく。 一方、女性にモテたいならまずはベッドを大きくしなくちゃね!というナゾ理論に落ち着いたコリンは、部屋を真っ白に塗り替えないと気が済まない新たな下宿人トム(ドナル・ドネリー)に付き添われてベッドを新調することに。スクラップ置場で理想の中古ベッドを発見した彼は、そこへ迷い込んできたナンシーと仲良くなり、3人で意気揚々とロンドンの街を駆け抜けながら自宅へベッドを運ぶ。そこへ現れたトーレンはナンシーに興味津々。コリンも彼女に気があるものの、そんなこと全くお構いなしのトーレンは、チョロそうな田舎娘ナンシーを強気で口説こうとするのだが…!? 新進気鋭の鬼才リチャード・レスターとフリー・シネマの総本山ウッドフォール 本作の基になったのはアン・ジェリコーの同名舞台劇。’62年にロンドンのロイヤル・コートで初演されて評判になった同作は、古い貞操観念や男女の役割に凝り固まった旧世代の保守的なモラルを笑い飛ばす風刺喜劇だった。この舞台版をプロデュースしたのがオスカー・レウェンスタイン。ロンドンの有名な舞台製作者だったレウェンスタインは、その一方で友人トニー・リチャードソンやジョン・オズボーンの設立した映画会社ウッドフォール・フィルムにも深く関わっていた。 ウッドフォール・フィルムといえば、『怒りをこめて振り返れ』(’56)や『土曜の夜と日曜の朝』(’60)、『長距離ランナーの孤独』(’62)などの名作を次々と生み出し、同時期に起きたフランスのヌーヴェルヴァーグと並ぶ重要な映画運動「フリー・シネマ」の中心的な役割を果たしたスタジオである。この舞台版を見て映画化を思いついたリチャードソンは、舞台演出家時代から気心の知れたレウェンスタインに映画版のプロデュースも任せることに。そんな彼らが本作の演出に白羽の矢を立てたのが、当時ビートルズ映画で大当たりを取っていた新進気鋭の映画監督リチャード・レスターだった。 フィラデルフィアで生まれた生粋のアメリカ人だが、少年時代からハリウッド映画よりもヨーロッパ映画を好んで育ったというレスター。19歳で大学を卒業して大手テレビ局CBSに就職したものの、なんとなくアメリカの水が肌に合わないと感じていた彼は、’55年に開局したイギリスのテレビ局ITVの立ち上げに携わり、そのまま同局の番組ディレクターとしてロンドンに居ついてしまう。やがてテレビCMの世界にも進出し、仕事を通じてピーター・セラーズと意気投合したレスターは、セラーズ主演の短編コメディ『とんだりはねたりとまったり』(’59)で映画監督デビュー。そして、この映画の大ファンだったビートルズの指名によって、『ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!』(’64)と『ヘルプ!4人はアイドル』(’65)の監督に起用され、テレビCMで培ったポップで斬新な映像感覚が注目される。本作はその合間に手掛けた作品だった。 当時まだ32歳のフレッシュな才能リチャード・レスターと、フリー・シネマの総本山ウッドフォール・フィルム。「スウィンギン・ロンドン」時代の幕開けを告げる映画として、これほど理想的な顔合わせはないだろう。根っからのビジュアリストであるレスター監督は、原作の舞台劇をそのまま映画化するのではなく大胆に改変。重要な要素である「性の解放」と「世代間ギャップ」というテーマはしっかり残しつつ、現実と妄想が巧みに交錯するシュールでお洒落なブラック・コメディへと昇華させている。 早回しや逆再生、ジャンプカットなどの映像技法を凝らした自由奔放な演出は、まさしくビートルズ映画で世に知らしめた当時の彼のトレードマーク。早口で飛び交うリズミカルなセリフのやり取りは、まるでメロディのないミュージカル映画のようだ。バスター・キートンやジャック・タチを彷彿とさせる、とぼけたビジュアル・ギャグの数々も皮肉が効いている。自分たちを縛ろうとする固定概念にノーを突きつけ、今まさに生まれ変わろうとするロンドンの街を、自由気ままに駆け抜けていく4人の若い男女に思わずウキウキワクワク。そんな彼らを見て眉をひそめ、陰口をたたくオジサンやオバサンたちの様子がまた面白い。実はこれ、ロケ現場でたまたま居合わせた通行人を隠し撮りした映像を使っている。そこへ後からセリフを被せているのだ。当時のイギリスの中高年層が、ベビーブーム世代の若者たちをどのような目で見ていたのか分かるだろう。 ヒロインのナンシーを演じるのは、舞台版に引き続いてのリタ・トゥシンハム。当時の彼女はトニー・リチャードソンの『蜜の味』(’61)やデズモンド・デイヴィスの『みどりの瞳』(’64)に主演し、文字通り「フリー・シネマのミューズ」とも呼ぶべき存在だった。そういえば彼女、’60年代のロンドンを描いた『ラストナイト・イン・ソーホー』(’21)にも出ていたが、あの映画のヒロイン、エリーとサンディは本作のナンシーの暗黒バージョンみたいなものと言えよう。後にロンドンとブロードウェイの初演版『オペラ座の怪人』などに主演し、ミュージカル界の大スターとなるマイケル・クロフォードもウルトラ・チャーミング。そのピュアな少年っぽさは、どことなくエディ・レッドメインを彷彿とさせる。 さらに本作は、無名時代のジェーン・バーキンにジャクリーン・ビセット、シャーロット・ランプリングが出演していることでも知られている。夢とも現実ともつかぬオープニング・シーンで、モテ男トーレンに会うため階段にズラリと並んで列を作っている美女たち。ドアを開けたコリンの目の前に立っている女性がジャクリーン・ビセットだ。さらに、コリンの部屋に椅子を借りに来て、その後トーレンのバイクに乗って颯爽と去っていく美女がジェーン・バーキン。また、トーレンやコリンと水上スキーを楽しむダイビングスーツ美女2人の片割れがシャーロット・ランプリングである。 同年のカンヌ国際映画祭ではパルム・ドールと青少年向映画国際批評家賞の2部門に輝き、リチャード・レスター監督の名声を決定的なものにした『ナック』。当時は斬新だった映像技法やユーモアも、時代と共に色褪せてしまった感は否めないものの、しかし「スウィンギン・ロンドン」前夜の活気溢れるロンドンの空気を今に伝える作品として、映画ファンならずとも見逃せない作品だ。■ 『ナック』© 1965 Woodfall Film Productions Limited. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2022.05.02
‘70年代ブラックスプロイテーション映画ブームが生んだ異色の犯罪アクション映画『110番街交差点』
「ブラック・パワー」ムーブメントから生まれたブラックスプロイテーション映画 いわゆるブラックスプロイテーション映画を代表する名作のひとつである。’70年代前半のハリウッドで巻き起こったブラックスプロイテーション映画のブーム。折しも公民権運動や左翼革命の嵐が吹き荒れた当時のアメリカにあって、ファンキーなソウル・ミュージックに乗せて反権力的な黒人ヒーローが活躍するブラックスプロイテーション映画は、黒人だけでなく白人の若者たちからも熱狂的に支持された。まずは、そのブラックスプロイテーション映画の歴史から簡単に紐解いてみよう。 ご存知の通り、もともとハリウッド業界では、カメラの前でも後でも黒人の地位が低かった。なにしろ、サイレント期には白人俳優が黒塗りで黒人を演じる「ブラックフェイス」が当たり前にまかり通っていたくらいだ。『風と共に去りぬ』(’39)ではスカーレット・オハラの乳母を演じた女優ハッティ・マクダニエルが、黒人として史上初のオスカーを獲得するものの、それで黒人俳優に大きな役が回ってくるようなこともなかった。彼らに割り当てられるのは、良くて白人の引き立て役かコミック・リリーフ。その一方で、黒人観客層に向けて黒人キャストを揃えた「人種映画」も作られたが、その殆どが弱小スタジオによるマイナー映画で、上映される映画館も非常に限られていた。 やがて、’50年代に入ると公民権運動の気運が徐々に高まり、ハリウッドでも遂に本格的な黒人の映画スターが登場する。シドニー・ポワチエだ。紳士的でクリーンなイメージのポワチエは、キング牧師が推し進めた当時の公民権運動における、「黒人も白人と同じ普通の人間だ」という主張を体現するような存在だったと言えよう。しかし、こうした穏健派の活動には限界があり、’65年に公民権法は制定されたものの、しかし人種差別が収まる気配は全くなかった。そのうえ、指導者であるマルコムXとキング牧師が相次いで暗殺され、やがて目的のためなら暴力も辞さない急進派の活動家が台頭していく。その象徴がマルコムXの影響を受けたブラック・パンサー党だ。彼らはむしろ「黒人は白人と違う」「黒人は美しい」と主張し、長いこと虐げられてきた黒人の民族的な誇りを取り戻そうとした。いわゆる「ブラック・パワー」の時代の到来だ。 そうした中、1本の映画が公開される。ブラックスプロイテーション映画第1号と呼ばれる、黒人監督メルヴィン・ヴァン・ピープルズの名作『スウィート・スウィートバック』(’71)だ。白人警官殺しの容疑で追われる貧しい黒人青年の逃避行を描いたこの映画は、反体制的な「ブラック・パワー」のムーブメントに後押しされるようにして大ヒットを記録。ヴァン・ピープルズ監督が私財を投じたインディーズ映画ながら、1500万ドルという大作映画も顔負けの興行収入を稼ぎ出した。その数か月後には、黒人アクション映画『黒いジャガー』(’71)も興収ランキング1位を獲得。かくしてメジャーからインディーズまで、ハリウッドの各スタジオが競うようにして黒人映画、すなわちブラックスプロイテーション映画を作るようになったのである。 ブラックスプロイテーション映画の定義とは? それでは、何をもってブラックスプロイテーション映画と定義するのか。舞台の多くはニューヨークやロサンゼルスなどの大都会。主人公は刑事から私立探偵、麻薬の売人からヒットマンまで様々だが、いずれも既存の価値観やルールに縛られないアンチヒーローで、ハーレムやスラム街に蔓延る悪を相手に戦うこととなる。敵は必ずしも白人ばかりではなく、むしろ同胞を搾取する黒人の犯罪者も多かった。基本的には大衆向けの娯楽映画だが、しかし物語の背景には多かれ少なかれ黒人を取り巻く貧困や差別などの社会問題が投影され、白人の作り上げた資本主義社会や格差社会に対する痛烈な批判が含まれていることも多い。ブームが広がるにしたがってジャンルも多様化し、犯罪アクションのみならずセックス・コメディやホラー映画なども作られるようになった。 もちろん、キャストは黒人俳優がメイン。その中から、フレッド・ウィリアムソンやリチャード・ラウンドツリー、ロン・オニール、ジム・ブラウンなどのタフガイ的な黒人スターが次々と登場。パム・グリアやグロリア・ヘンドリーなど女優の活躍も目立つようになる。その一方で、作り手は黒人でないことの方が多かった。メルヴィン・ヴァン・ピープルズやゴードン・パークス、オシー・デイヴィスなど重要な役割を果たした黒人監督もいるにはいたが、しかし当時のハリウッドではまだ経験豊富な黒人フィルムメーカーが不足していたため、ジャック・スターレットやラリー・コーエン、ジャック・ヒルなど、既に実績のある白人監督が起用されがちだったのである。 そして、ブラックスプロイテーション映画を語るうえで絶対に外せないのが音楽である。『スウィート・スウィートバック』ではアース・ウィンド&ファイア、『黒いジャガー』ではアイザック・ヘイズ、『スーパーフライ』(’72)ではカーティス・メイフィールド、『コフィー』(’73)ではロイ・エイヤーズといった具合に、今を時めく大物黒人アーティストがテーマ曲や音楽スコアを担当。それらのファンキーなサウンドも、ブラックスプロイテーション映画が人気を博した大きな理由のひとつだった。 ハーレムの悲惨な日常をリアルに映し出す社会派映画 いよいよここからが本題。大手ユナイテッド・アーティスツがフレッド・ウィリアムソン主演の『ハンマー』(’72)に続いて配給したブラックスプロイテーション映画『110番街交差点』である。舞台はニューヨークのハーレム。アパートの一室が警官に変装した黒人3人組の強盗に襲撃され、イタリアン・マフィアの裏金30万ドルが奪われてしまう。ニューヨーク市警のベテラン刑事マテリ警部(アンソニー・クイン)が現場に駆け付けるも、地元住民は警察を嫌っているため有力な情報は出てこない。そればかりか、事件が人種問題に発展することを恐れた上層部の指示で、大学出のエリート黒人刑事ポープ警部(ヤフェット・コット―)が捜査の陣頭指揮を任されることに。暴行や恐喝など朝飯前の昔気質な叩き上げ刑事マテリと、ルールや人権を尊重するリベラル派のインテリ刑事ポープは、その捜査方針の違いからたびたび衝突することになる。 一方、110番街交差点を挟んでセントラルパークの反対側に拠点を構えるイタリアン・マフィアは、現金を奪い返して組織の威厳を回復するため、ボスの娘婿ニック(アンソニー・フランシオサ)をハーレムへ送り込む。出来の悪いニックは組織の厄介者で、これが彼に与えられた最後のチャンスだった。そんな彼を迎え入れるのは、ハーレムを仕切る黒人ギャングのボス、ドック・ジョンソン(リチャード・ウォード)。彼らもまた現金強奪事件で痛手を負っていた。とはいえ、あくまでもイタリアン・マフィアの下働き。それゆえニックは偉そうな態度を取るのだが、もちろんドックはそれが気に食わない。ここは俺たちのシマだ。お前らに好き勝手などさせない。所詮は金だけで繋がった組織同士、決して一枚岩ではなかったのだ。 その頃、現金強奪事件の犯人たちは、何事もなかったように普段通りの生活を送っていた。恋人に食わせてもらっている前科者ジム(ポール・ベンジャミン)にクリーニング店員ジョー(エド・バーナード)、そして無職の妻子持ちジョンソン(アントニオ・ファーガス)。彼らはみんなハーレムに生まれ育った幼馴染みだった。夢も希望もないこの街から出ていきたい。しかし、学歴も資格もない無教養な彼らには、外の世界で人生を立て直すだけの資金もなかった。そんな3人にとって、現金強奪はまさに最後の賭けだったのである。ほとぼりが冷めるまで静かにしているはずだったが、しかし調子に乗って浮かれたジョンソンが派手に女遊びを始めたことから、ニックとドックの一味に存在を気付かれてしまう。マフィアよりも先に犯人グループを逮捕せんとする警察だったが…? どん底の経済不況と犯罪の増加に悩まされた’70年代初頭のニューヨーク。中でも黒人居住区ハーレムの治安悪化は深刻で、余裕のある中流層はクイーンズやブルックリン、ブロンクスなどへ移り住んでしまった。つまり、当時のハーレム住民の大半は、本作の現金強奪犯グループと同様、ハーレムから出たくても出られない、ここ以外に住む場所のない最底辺の貧困層ばかりだったのだ。そんな暗い世相を背景にした本作では、白人マフィアが黒人ギャングを搾取し、その黒人ギャングが同胞である黒人住民を搾取するという、まるでアメリカ社会の縮図のような構造が浮き彫りになっていく。しかも移民の歴史が浅いイタリア系は、支配階級の白人層から見れば差別の対象であった。要するにこれは、弱者がさらなる弱者を抑圧するという負のサイクルを描いた作品でもあるのだ。 この人種間および階級間の軋轢と衝突は、警察組織にもおおよそ当てはめることが出来る。その象徴が、主人公であるハーレム分署のマテリ警部とポープ警部だ。容疑者には殴る蹴るの暴行を加えて自白を強要し、ギャングには軽犯罪を見逃す代わりとして賄賂を要求するマテリ警部。汚職まみれの典型的な不良刑事だが、しかし根っからの悪人ではない。警部という役職など名ばかり。安月給で朝から晩までこき使われ、守っているはずの住民からは嫌われる。心が荒んでしまうのも不思議ではない。しかも、50代にさしかかって昇進も見込めないマテリ警部は、ここ以外に行く当てがない。つまり、彼もまたハーレムから出たくても出られないのである。 そこへ、外部からやって来たエリート刑事に捜査の指揮権を奪われたのだから、心穏やかではいられないだろう。しかも、相手は普段から彼が見下している黒人だ。そのポープ警部は大学出のインテリ・リベラル。政治家や警察上層部からの覚えもめでたく、出世コースは約束されたも同然だ。そもそも立派な身なりからして違う。粗野でみすぼらしいマテリ警部とはまるで正反対だ。しかしそんなポープ警部も、自らの崇高な理想がまるで通用しないハーレムの現実に阻まれ、警察官としての強い信念が少しずつ揺らいでいく。この2人の対立と和解が、モラルの崩壊した世界における正義の在り方を見る者に問いかけるのだ。 ブラックスプロイテーション映画の枠に収まらない特異な作品 こうして見ると、本作は当時作られた数多のブラックスプロイテーション映画群にあって、かなりユニークな立ち位置にある作品だと言えよう。確かにキャストの大半は黒人だし、ハーレムに暮らす貧しい黒人を取り巻く様々な問題に焦点を当てている。血生臭いハードなバイオレンス描写や、ボビー・ウーマックによるソウルフルなテーマ曲と音楽スコアもブラックスプロイテーション映画のトレードマークみたいなものだ。しかしその一方で、社会の底辺に生きる庶民の日常を、徹底したリアリズムで描いていくバリー・シアー監督の演出は、ジュールズ・ダッシン監督の『裸の町』(’48)に代表される社会派フィルムノワールの影響を強く感じさせる。優等生の黒人警官と堕落した白人警官の組み合わせはシドニー・ポワチエ主演の『夜の大捜査線』(’67)を、ニューヨーク市警の腐敗や暴力に斬り込む視点はフランク・シナトラ主演の『刑事』(’68)を彷彿とさせるだろう。 これは恐らく、本作がもともとはブラックスプロイテーション映画として企画されたわけではないからなのだろう。ユナイテッド・アーティスツがウォリー・フェリスの原作小説の権利を入手したのは’70年の夏。同年9月には俳優アンソニー・クインが製作総指揮に関わることが決まったが、しかしマテリ警部役のキャスティングは難航した。第1候補のジョン・ウェインに却下され、さらにはバート・ランカスターやカーク・ダグラスにも断られ、仕方なくクイン自らが演じることになった。また、ポープ警部役も当初はシドニー・ポワチエの予定だったが、黒人コミュニティからの「イメージに相応しくない」との声を受けて変更されている。白人であるバリー・シアー監督の登板にも疑問の声があったようだ。さらに、ハーレムでのロケ撮影や黒人住民の描写について、ニューヨークの様々な黒人団体と事前に協議を重ね、意見を取り入れる必要があった。こうした事情から準備に時間がかかり、そうこうしているうちブラックスプロイテーション映画のブームが到来。やはりジャンル的に意識せざるを得ない…というのが実際のところだったようだ。 劇場公開時は賛否両論。残酷すぎる暴力描写に批判が集まったものの、しかし当時のブラックスプロイテーション映画群の多くがB級エンターテインメントに徹していたのに対し、シリアスな社会派ドラマを志向した本作は、特に黒人の批評家や知識人から高い評価を受けている。ボビー・ウーマックのテーマ曲もビルボードのR&Bチャートで19位をマーク。クエンティン・タランティーノ監督がブラックスプロイテーション映画にオマージュを捧げた『ジャッキー・ブラウン』(‘97)のサントラでも使用されている。■ 『110番街交差点』© 1972 Metro-Goldwyn-Mayer Studios Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2022.06.01
‘50年代の「空飛ぶ円盤」騒動が生んだハリーハウゼンの名作SF映画『世紀の謎・空飛ぶ円盤地球を襲撃す』
米軍も注目した「空飛ぶ円盤」騒動とは? 1950年代のハリウッドで沸いたSF映画ブーム。その背景には、東西冷戦下で加熱する米ソの宇宙開発競争によって、アメリカ国民の宇宙に対する関心が高まったことが挙げられるだろう。さらに、当時のアメリカで吹き荒れた反共産主義運動、いわゆるマッカーシズムの嵐も少なからず影響を及ぼしていた。アメリカがソ連や中国のスパイに侵略されて「赤化」するのではないか? その過剰な恐怖心や警戒心に基づくパラノイアが、遠い宇宙から地球を侵略しにやって来るエイリアンとして映画に投影されたのである。そしてもうひとつ忘れてならないのが、当時のアメリカで巻き起こった「空飛ぶ円盤」騒動である。 事件が起きたのは’47年6月24日のこと。アメリカの実業家ケネス・アーノルドが、ワシントン州の上空で高速編成飛行を行う9つの発光体を発見し、これにアメリカ空軍が興味を示したことから、全米のメディアを騒然とさせる大騒動へと発展したのだ。この際、マスコミの取材に対して、飛行物体のことを「コーヒーカップの受け皿を重ねたみたいだった」とアーノルドが語ったことから、「空飛ぶ円盤(Flying Saucer=空飛ぶ皿)」という単語が初めて生まれたのである。 ただし米軍部は当初、アーノルドの目撃証言を幻覚、もしくは蜃気楼ではないかとコメントしていた。ところが、その翌’48年1月7日、空飛ぶ円盤と思しき飛行物体を追跡していたマンテル空軍大尉が謎の死を遂げたことから、ほどなくして米空軍は未確認飛行物体の調査機関「プロジェクト・サイン」(後のプロジェクト・ブルーブック)を発足。これほど軍部が「空飛ぶ円盤」に強い関心を示したのは、なにも彼らが宇宙人の存在を本気で信じていたからではなく、やはり共産圏のスパイ活動に対する国家安全保障上の懸念が高まっていたためではないかと思われる。 そして’49年12月、元米海軍中尉でパルプ小説家のドナルド・キーホーが、雑誌トゥルーに「空飛ぶ円盤は実在する」という論文を発表。これは翌年にペーパーバック化されて50万部以上を売り上げ、たちまちキーホーはUFO研究の第一人者として有名になる。このキーホーのUFO関連本第2弾「外宇宙からの空飛ぶ円盤」を原作に、特撮映画の神様レイ・ハリーハウゼンと盟友チャールズ・シュニーアが手掛けたSF映画が、この『世紀の謎・空飛ぶ円盤地球を襲撃す』(’56)だったのである。 実はブームに当て込んだ便乗企画だった!? 大ヒットした特撮怪獣映画『水爆と深海の怪物』(’55)で初めてコンビを組み、それ以降数々の名作を生み出したハリーハウゼンと製作者シュニーア。当時、アーウィン・アレン監督のドキュメンタリー映画『動物の世界』(’56)に、恐竜シークエンスのアニメーターとして参加したハリーハウゼンは、そちらの撮影を終えてすぐにシュニーアと合流。折からの「空飛ぶ円盤」ブームに便乗して一儲け出来ないかと考えていたシュニーアと、以前から「空飛ぶ円盤」を題材にしたアドベンチャー映画の構想を温めていたハリーハウゼンの意見が一致し、異星人が空飛ぶ円盤で地球を襲撃するという侵略型SF映画を作ることになる。 脚本は『透明人間の逆襲』(’40)や『狼男』(’41)、『ドノヴァンの脳髄』(’53)などのジャンル系映画で高い評価を得ていたカート・シオドマクに依頼。特撮を担当することになったハリーハウゼンと共同でストーリーのアウトラインを考えていたが、その途中でシュニーアがキーホーの著作の権利を取得したことから、そこに記された様々な「空飛ぶ円盤」の調査結果を脚本に取り入れることとなった。さらに、ジョージ・ワーシング・イェーツが第2稿を、バーナード・ゴードン(レイモンド・T・マーカスの変名を使用)が最終稿を手掛けて脚本は完成。コロムビア映画のB級専門監督フレッド・F・シアーズが演出を手掛けることとなった。 ストーリーは至ってシンプル。世界各地で「空飛ぶ円盤」の目撃情報が相次ぐ中、宇宙線観測所の責任者マーヴィン博士(ヒュー・マーロウ)と妻で秘書のキャロル(ジョーン・テイラー)もドライブ中に円盤と遭遇。観測所ではこれまでに打ち上げた人工衛星が通信不能となっていたが、実は「空飛ぶ円盤」によって全て破壊されていたのだ。そうとは知らぬマーヴィン博士は、新たな衛星ロケットの打ち上げを敢行。するとそこへ「空飛ぶ円盤」が飛来し、その中から異様な姿をした異星人が姿を現す。警備に当たっていた軍隊は先制攻撃を開始。すると、異星人も殺人光線を使って反撃し、軍隊ばかりか衛星ロケットも研究所も焼き尽くしてしまう。 辛うじて難を逃れたマーヴィン博士とキャロルは、観測所が「空飛ぶ円盤」によって破壊されたことを報告。たまたま録音されていた異星人のメッセージから、彼らが地球人との対話を望んでいることを知った2人だが、しかし他に生存者がいないこともあって、軍幹部はマーヴィン博士とキャロルの証言に懐疑的だった。そこで、博士たちは異星人とコンタクトを取って彼らと直接面会する。異星人は滅亡した惑星の生き残りで、地球への移住を希望していた。衛星ロケットを墜落させたのは、それが自分たちを攻撃する武器ではないかと疑ったからだ。ワシントンD.C.で各国首脳と面談することを要求する異星人。しかし、彼らの目的が地球侵略ではないかと疑ったマーヴィン博士は、軍と協力して新兵器「高周波砲」を開発し、万が一の事態に備えるのだったが…!? 低予算をものともしないハリーハウゼンの創意工夫とは? 平和的な使者かと思われた異星人が実は侵略者だった…というのは、SF映画ブームの火付け役になった名作『地球の静止する日』(’51)の逆バージョン。当時すでに大量生産されていた侵略型SF映画のひとつに過ぎず、そういう点で特筆すべきものはあまりないだろう。やはり本作の最大の見どころは、レイ・ハリーハウゼンによるストップモーションを用いた特撮である。もともと「空飛ぶ円盤」に関心を持っていたハリーハウゼンは、実際の目撃者や研究グループに会って話を聞いたうえで、劇中に登場する円盤モデルをデザイン。表面にスリットを幾つか入れることで、ツルンとした印象の円盤が回転していることも一目瞭然となり、なおかつアニメート作業がしやすくなったという。この「空飛ぶ円盤」の洗練された造形とリアルな浮遊感が秀逸。ストップモーション撮影ではワイヤーを使って吊るしているが、実は現像されたフィルムを1コマずつチェックし、モノクロの背景に合わせてワイヤーを丁寧に塗りつぶしている。この実に面倒な細かい作業のおかげで、低予算映画らしからぬハイクオリティな特撮に仕上がったのだ。 円盤が実際のロケーションに登場するシーンは、予め35mmフィルムで風景映像を撮影し、それを背景に投影しながらコマ撮りで「空飛ぶ円盤」をアニメートするリアプロジェクション方式を採用。ホワイトハウスの敷地に円盤が着地する場面では、撮影許可の手続きを省略するため、フェンスの隙間にカメラのレンズを押し込んで撮影したという。要するに、無許可のゲリラ撮影だったのだ。今だったら大問題になっていただろう。 恐らく最大の見せ場は、「空飛ぶ円盤」の大編隊がワシントンD.C.を襲撃するクライマックス。基本的に予算が少ないため、大掛かりなミニチュアセットを組むことが難しかった本作だが、このパニック・シーンだけはそうはいかなかった。全部で7つのミニチュアを作成。連邦議会議事堂のドームに円盤が突っ込むシーンでは、予め壊しておいたドームの破片をひとつひとつワイヤーで繋ぎ合わせて形を整えたうえで、円盤が突っ込んでドームが粉々になる様子を4日がかりでアニメートしている。ただしこのシーン、実はドームより下の議事堂本体はスチール写真。なので、特定のアングルからしか撮影することが出来なかった。とはいえ、仕上がりの完成度が非常に高いため、言われなければ分からないだろう。低予算をものともしないハリーハウゼンの技術力に舌を巻く。 その一方で、低予算が裏目に出てしまったのが異星人のデザインである。本来ならばクリーチャーモデルをアニメートするところだが、しかし予算の都合で不可能だったため、俳優にスーツを着せることとなった。このスーツもハリーハウゼン自身がデザインしたのだが、しかし急いで考えたために満足のいくものではなかった。ラテックスゴム製の質感も、正直なところちょっと安っぽい。予算も時間もないという悪条件ゆえ仕方ないとはいえ、大いに惜しまれる弱点と言えよう。 個人的に印象深い特撮は、異星人の監視カメラである球体「聖エルモの火」。これは電気ドリルの先に長い棒を繋げ、その棒の先に小さな電球を付けた円形のプラスチック板を装着。スタジオの明かりを消して暗くしたうえで、電気ドリルのスイッチを入れて電球を回して撮影している。そうすることによって、回転する電球の光だけがフィルムに映し出されるという。これを俳優が演技をしている実写フィルムに重ね焼きしたのである。現代のCG技術などとは比べるべくもない、極めてアナログな特撮ではあるものの、しかし出来上がった映像を見ると驚くほどリアル。本当に光る球体が宙を浮いているようにしか見えない。 ちなみに、宇宙線研究所の地下コントロール・センター内部は、スタジオのセットではなくロサンゼルスのヘルモサ・ビーチにあるプレヤ・デル・レイ下水処理施設でロケされている。地下パイプが幾つも通った複雑な造りが科学研究所にピッタリで、ダミーのコントロールパネルを幾つか加えるだけでそれらしく見えるようになったという。その際、ハリーハウゼンとシュニーアは分解タンクが排水を処理する不気味な音に着目し、これを音響スタッフに録音させて「空飛ぶ円盤」の音として使用したのだそうだ。 ‘56年の夏休みにホラー映画『The Werewolf』(日本未公開)との2本立てで全米公開された本作は、中でもハリーハウゼンによる特撮が各方面から大絶賛され、彼の名声をなお一層のこと高めることとなった。余計な人間ドラマや恋愛要素を最小限に抑え、特撮の見せ場をふんだんに盛り込みながらサクサクと展開していくスピード感も魅力的だ。出し惜しみをしないところがいい。ただ、ハリーハウゼン自身はシリアスなSF物よりも夢と冒険溢れるファンタジーが好みだったらしく、純然たるSF映画は本作と『月世界探検』(’64)の2本しか残していない。■ 『世紀の謎・空飛ぶ円盤地球を襲撃す』© 1956, renewed 1984 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2022.06.07
インディペンデント映画の巨匠ジョン・カサヴェテスの原点『アメリカの影』
始まりは演劇ワークショップだった アメリカにおける「インディペンデント映画のパイオニア」と呼ばれるジョン・カサヴェテス監督の処女作である。時は1950年代末。折しもイギリスではフリーシネマ、フランスではヌーヴェルヴァーグが興隆し、世界各地で旧態依然とした映画界に抗う若い映像作家たちが新たなムーブメントを起こしつつあった時代だ。無名の役者ばかりを起用して即興演出で撮影され、映画会社や製作会社の資本に頼らず作られた完全なる自主製作映画だった本作も、ヴェネチア国際映画祭や英国アカデミー賞などで高く評価され、映画の都ハリウッドを擁するアメリカでも新世代の独立系作家が台頭するきっかけを作った。 ご存知の通り、もともとは俳優としてキャリアをスタートしたカサヴェテス。大学を中退してニューヨークのアメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティック・アーツで演劇を学んだカサヴェテスは、卒業と同時に舞台やテレビで頭角を現すようになり、映画でも黒人青年と白人青年の友情を描いた『暴力波止場』(’57)に主演して注目されるようになる。その傍ら、彼は友人の演劇コーチ、バート・レイン(女優ダイアン・レインの父親)と共に演劇ワークショップを立ち上げて後進の指導に当たっていた。集まったのは19名の無名俳優たち。当時アメリカの演劇界で主流だったアクターズ・スタジオのメソッド演技に懐疑的だったカサヴェテスは、メソッド演技のように俳優が役柄と一体化して別人になり切るのではなく、俳優自身の内側から湧き出るものを役柄に活かす即興演技の訓練を行った。生徒それぞれの実像に近いキャラクターを設定し、それを基にみんなでストーリーを考案していったという。実は、このワークショップの課題を映画化したのが本作『アメリカの影』だった。 映画の製作資金は一般からの寄付。今で言うクラウドファンディングである。ニューヨークのローカル・ラジオ局WORでジーン・シェパードがDJを務めるトーク番組「Night People」にゲスト出演した際、カサヴェテスがリスナーに寄付を呼び掛けたところ、当時としては決して少なくない金額の2000ドルが集まったという。さらに、ウィリアム・ワイラー監督やジョシュア・ローガン監督など映画界の友人からも寄付を募り、映画を作るのに十分なだけの資金を揃えることが出来た。そういえば、近ごろ日本では役と引き換えに受講者の無名俳優から製作費の一部を徴収するワークショップが問題視されたが、本来はこのように主催者が自らの責任のもとでスポンサーから資金を集め、俳優にもスタッフにも金銭的な負担をかけないというのが筋であろう。 大都会の中心で愛を求める人々の群像劇 物語は大都会ニューヨークに暮らす3兄妹を中心に展開する。売れないジャズ歌手の長男ヒュー(ヒュー・ハード)に自称ジャズ・ミュージシャンの次男ベン(ベン・カルザース)、そして作家志望の妹レリア(レリア・ゴルドーニ)。実は3人とも黒人の血を引いているのだが、しかしベンとレリアは肌の色が薄いため白人にしか見えない。同じアパートで生活する彼らは普段から仲睦まじいが、しかしビートニックを気取った次男ベンは不良仲間と遊び呆けてばかりで、真面目な兄にしょっちゅう金を無心している。放蕩者の弟を心配する長男ヒューは家族思いのしっかり者だが、思い通りにならないキャリアに悩んでいた。そんな2人から大事にされている妹レリアは、おかげでどこか世間知らずなところがあり、年上の恋人デヴィッド(デヴィッド・ポキティロー)からも子ども扱いされている。 そんなある日、レリアはパーティでトニー(アンソニー・レイ)という若い白人男性と知り合い、デヴィッドへの当てつけのつもりで彼と寝てしまう。実は処女だったレリア。初体験のセックスは想像と違って苦痛だった。それでもトニーと付き合おうと考えたレリアは、彼を自宅へ招くのだったが、しかし兄ヒューを一目見たトニーは凍りつく。まさか彼女が黒人だとは思わなかったのだ。苦し紛れの言い訳をするトニーをアパートから追い出すヒュー。ショックを受けてふさぎ込むレリアだったが、ヒューとベンに慰められて気を取りなおし、友達から紹介された黒人の若者デヴィッド(デヴィッド・ジョーンズ)とデートをする。一方、自らの失礼な態度を反省したトニーは、レリアに謝罪しようとするのだったが…。 公民権運動やウーマンリブが芽生え始めた’50年代末アメリカの世相を敏感に捉えつつ、混沌とする大都会のど真ん中で愛と幸福を求めて彷徨う若者たちのリアルな日常を切り取った群像劇。登場人物の誰もが矛盾を抱えた不完全な存在で、誰かに愛されたい認められたいと願いながらも、どうすればよいのか分からずにもがき苦しんで互いを傷つけてしまう。これは、その後の『フェイシズ』(’68)や『こわれゆく女』(’74)、『オープニング・ナイト』(’78)などのカサヴェテス作品にも共通するテーマだ。いわゆる起承転結の明確なストーリーがないのは、もちろん即興性を重視してアウトラインしか用意しなかった演出の方向性に因るところも大きいが、なによりも多種多様な人物像を描くことで愛と人生について考察し、その真理を見極めようとしたカサヴェテスの作家性ゆえとも言えるだろう。彼の映画ではストーリーそのものよりもキャラクター、つまり人間が最も重要なのだ。 また、実は予てから映画での仕事に少なからぬ不満を持っていたカサヴェテスは、本作を通して彼が理想とする映画の芝居を追求しようとしたようだ。舞台やテレビの生放送は自由で楽しいのに、なぜ映画だと窮屈に感じてしまうのか。映画というメディアは好きだが、しかし映画での芝居はどうしても好きになれない。どうすれば映画でも自由な演技が可能になるのか。その方法を模索するための実験という側面もあったという。なので、もともとカサヴェテスは本作を商業用映画として劇場公開するつもりはなかったらしい。 そこでカサヴェテスの取った手段が即興演出だった。一般的な映画だと役者の動作やポジションはリハーサルで事細かく決められ、撮影が始まるとカメラの動きや照明の当たる範囲に気を配って演技をすることになる。しかし本作では役者が直感で自由自在に動き回り、カメラはそれに合わせて移動したという。監督は余計な口を挟まない。セリフも芝居も即興ならカメラも即興。俳優は演じる役柄を生きることに集中し、監督とカメラマンはその様子を映像に捉える。そうすることによって、映画全体に自然なリズムが生まれたとカサヴェテスは振り返っている。 実は全体の半分以上が差し替えだった ただし、結果的に本作は大幅な撮り直しを余儀なくされた。1957年2月~5月半ばにかけて16ミリフィルムで撮影され、編集作業に予想外の時間がかかったものの、’58年にはマンハッタンのパリス・シアターで初お披露目された『アメリカの影』。実験映画の巨匠ジョナス・メカスからは大絶賛されたらしいが、それ以外の観客には大層不評だったようで、途中で席を立つ人も多かったという。カサヴェテス曰く、最初のバージョンは映画的な技巧ばかりに囚われており、確かに知的な映画ではあったが人間味に欠けていたとのこと。 そこで彼は再びキャストとスタッフを招集し、10日間のスケジュールで追加撮影を敢行。今回はちゃんとした脚本も用意したそうだ。新たに追加されたのは、レリアが兄ヒューを駅で見送るシーン、その帰り道で42番街の映画館に立ち寄るシーン、トニーとレリアが肉体関係を結ぶベッドシーン、レリアが黒人のデヴィッドとチークダンスを踊るナイトクラブ・シーンなど。実質的に全体の半分以上が差し替えられたという。おかげでメインとなる3人兄妹、中でも特に妹レリアの人物像や心理描写に深みが与えられることとなった。以降の作品でも女性キャラに焦点を定めることの多いカサヴェテスだが、その傾向は初監督作品から健在だったわけだ。こうして’59年に完成したセカンド・バージョンが、現在我々が見ることの出来る『アメリカの影』なのである。 先述した通り、撮影当時は無名だった役者ばかりだが、ヒロインのレリア・ゴルドーニはマーティン・スコセッシ監督の『アリスの恋』(’74)やフィリップ・カウフマン監督の『SF/ボディ・スナッチャー』(’78)などに出演し、地味ながらも息の長い名脇役女優となった。ヒューのエージェント役を演じたルパート・クロスも、スティーヴ・マックイーン主演の『華麗なる週末』(’69)でアカデミー助演男優賞候補となったが、惜しくも癌のため45歳の若さで亡くなっている。トニー役のアンソニー・レイは、あの名匠ニコラス・レイの息子で、後にプロデューサーへ転向して『結婚しない女』(’78)を手掛けている。 ちなみに、42番街でレリアを尾行してちょっかい出そうとする怪しげな男は、フランスを拠点としていたギリシャ人の映画監督ニコ・パパタキス。あのジャン・ジュネの親友にして、反体制派の極左活動家でもあった彼は、当時は政治的な理由からニューヨークで逃亡生活を送っており、アンディ・ウォーホルとも付き合いがあったという。ヴェルヴェット・アンダーグランドの女性ボーカリスト、ニコの芸名は、元恋人だったパパタキスから取られている。しかも、最初の奥さんは『男と女』(’66)のアヌーク・エーメで、再婚相手はルチオ・フルチ作品でもお馴染みのオルガ・カルラトス。とんでもないモテ男である。そんな彼がどういう経緯でカサヴェテスと知り合ったのか定かでないが、本作の追加撮影にあたって資金集めに協力したらしい。■ 『アメリカの影』© 1958 Gena Enterprises.
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COLUMN/コラム2022.07.01
美しい表層の裏に隠された魑魅魍魎を炙り出すデヴィッド・リンチの悪夢的世界『ブルーベルベット』
※下記レビューには一部ネタバレが含まれます。 『砂の惑星』での苦い経験から学んだリンチ監督 1980年代の半ば、映画監督デヴィッド・リンチはキャリアのどん底を経験していた。前衛アーティストして絵画や短編映画を作っていたリンチは、4年の歳月をかけて自主製作した長編処女作『イレイザーヘッド』(’76)がカルト映画として評判となり、アカデミー賞で8部門にノミネートされた名作『エレファント・マン』(’80)にてメジャーデビュー。この成功を受けて、イタリア出身の世界的大物プロデューサー、ディノ・デ・ラウレンティスが製作する超大作SF映画『砂の惑星』(’84)の監督に起用されるものの、しかし脚本の準備段階から様々な困難に見舞われる。そのうえ、最終的な編集権がスタジオ側にあったことから勝手な編集が施され、出来上がった映画はリンチ本人にとって不本意なものとなってしまい、結果として批評的にも興行的にも大惨敗を喫してしまったのである。 しかし、この失敗に全く懲りる様子のない人物がいた。金銭的に大損をしたはずのディノ・デ・ラウレンティスである。てっきり見限られたと思っていたリンチだが、そんな彼にデ・ラウレンティスは次回作の話を持ち掛けてきた。以前に見せてもらった脚本、あれは面白いから映画化しようと言われ、えっ?興味ないとか言ってなかったっけ?と驚いたというリンチ。その脚本というのが『ブルーベルベット』(’86)だった。 実は『イレイザーヘッド』を発表する以前から、リンチが温めていた企画だったという『ブルーベルベット』。といっても、最初は劇中でも流れるボビー・ヴィントンのヒット曲に由来するタイトルだけで、草むらに落ちている切断された人間の耳、クローゼットの隙間から覗き見る女性の部屋など、そのつど断片的に浮かび上がるイメージを、長い時間をかけながらひとつの脚本にまとめあげていったのだそうだ。 デ・ラウレンティスがプロデュースの実務を任せたのは、かつて彼の製作アシスタントだったフレッド・カルーソ。最初に算出された予算額は1000万ドルだったが、しかし当時のデ・ラウレンティスはアメリカに新会社を設立したばかりで、なおかつ自社スタジオの建設に着手していたため、それだけの資金を用立てている余裕がなかった。そこでリンチは自身のギャラをはじめとする製作コストを大幅に削減する代わり、編集権を含む全ての現場決定権を自分に与えるよう提案。これにデ・ラウレンティスが合意したことから、リンチは思い描いた通りの映画を自由に作るという権利を手に入れたのである。恐らく『砂の惑星』での苦い経験から学んだのであろう。ただし、同時期にデ・ラウレンティスが手掛けている他作品の監督たちに配慮して、あくまでも契約書には記載されない口約束だったらしい。それでもデ・ラウレンティスは最後まで現場に口出しをせず、リンチとの約束をしっかり守ったという。 リンチ監督の潜在意識を具現化したダークファンタジー 舞台はノースカロライナ州の風光明媚な田舎町ランバートン。大学進学のために町を出ていた若者ジェフリー(カイル・マクラクラン)は、父親が急病で倒れてしまったことから、家業である金物店の経営を手伝うため実家へ戻ってくる。病院へ父親を見舞った帰り道、家の近くの草むらで切断された人間の耳を発見するジェフリー。父親の友人であるウィリアムズ刑事(ジョージ・ディッカーソン)のもとへ耳を届けた彼は、「これ以上この事件には深入りしないように」と忠告を受けるのだが、しかしウィリアムズ刑事の娘サンディ(ローラ・ダーン)から「クラブ歌手のドロシー・ヴァレンズが事件に関係しているらしい」と聞いて好奇心を掻き立てられる。 ナイトクラブ「スロー・クラブ」で名曲「ブルーベルベット」を歌って評判の美人歌手ドロシー(イザベラ・ロッセリーニ)は、ジェフリーの実家のすぐ近所に住んでいるという。サンディの協力で合鍵を手に入れたジェフリーは、事件に繋がる手がかりを探すためドロシーの留守宅にこっそりと忍び込むのだが、そこへクラブでの仕事を終えた本人が帰ってきてしまう。慌ててクローゼットに身を隠すジェフリー。そこで彼が目にしたものは、狂暴なサイコパスのギャング、フランク・ブース(デニス・ホッパー)とドロシーの変態的な性行為だった。どうやらドロシーは夫と息子をフランクの一味に拉致され、強制的に愛人にされているらしい。警察に通報すべきなのかもしれないが、しかし現時点では盗み聞きした情報しかない。さらなる具体的な証拠を求め、ドロシーやフランクの周辺を探り始めたジェフリーは、次第にめくるめく暴力と倒錯の世界へ足を踏み入れていく…。 まるで1950年代辺りで時が止まってしまったようなアメリカの田舎町ランバートン。そこに住む人たちの服装や髪型は明らかに’80年代のものだが、しかし住宅街に並ぶ家々は’50年代のホームドラマ『パパは何でも知っている』や『うちのママは世界一』からそのまま抜け出てきたみたいだし、街角のダイナーや道路を走る車もレトロスタイルで、ヒロインのサンディの部屋には’50年代の映画スター、モンゴメリー・クリフトのポスターが貼ってある。さらに言えば、ナイトクラブのステージでドロシーが使うマイクは’20年代のヴィンテージだし、ドロシーの住むアパートメントは’30年代のアールデコ建築。さながら古き良きアメリカの集大成的な異次元空間、デヴィッド・リンチの創り出した完璧な理想郷である。これは、その美しい表層の裏に隠された醜い闇をじわじわと炙り出していく作品。何事にも表と裏があり、光と影がある。本作のオープニングで、綺麗に手入れされた庭の芝生にカメラが近づいていくと、草むらの暗い陰に無数の虫たちが蠢いている。これこそが本作のテーマと言えるだろう。 鮮やかな色彩やドラマチックな音楽の使い方などを含め、’50年代にダグラス・サーク監督が撮った一連のメロドラマ映画をも彷彿とさせる本作。もちろん、同時代のフィルム・ノワール映画からの影響も大きいだろう。しかし、筆者が真っ先に連想するのはラナ・ターナー主演の『青春物語』(’57)である。同じく風光明媚な古き良きアメリカの田舎町を舞台にした同作では、さすがに本作のように倒錯的なセックスや暴力こそ出てこないものの、まるで絵葉書のように美しい田舎町の裏側に隠された貧困や差別、不倫やレイプなどの醜い実態を次々と暴き、神に祝福された理想郷アメリカの歪んだ病理を描いて全米にセンセーションを巻き起こした。その『青春物語』で母親の再婚相手にレイプされて妊娠する貧困層の少女セレーナを演じ、アカデミー賞助演女優賞にノミネートされた名女優ホープ・ラングが、本作でサンディの母親役を演じているのは恐らく偶然ではないだろう。 実は自身も本作に出てくるような’50年代のサバービアで育ったリンチ監督。ある時彼は、桜の木から滲み出る樹液に無数の蟻が群がっている様子を発見し、美しい風景もよく目を凝らすとその下に必ず何かが隠れていることを悟ったという。恐らく彼は、物事の美しく取り繕われた表層に居心地の悪さを感じ、その裏側に隠された魑魅魍魎の世界に魅せられるのだろう。そういえば、純粋さと危うさが同居する主人公ジェフリーといい、厚化粧でクールを装ったドロシーといい、本作の登場人物は誰もが表の顔と裏の顔を併せ持つ。これは、そんなリンチ監督自身の潜在意識を具現化したシュールなダークファンタジーであり、ある意味で『ツイン・ピークス』の原型ともなった作品と言えよう。 見過ごせないディノ・デ・ラウレンティスの功績 また、本作はデヴィッド・リンチ作品に欠かせない作曲家アンジェロ・バダラメンティが初めて関わった作品でもある。当初は、クラブ歌手ドロシーを演じるイザベラ・ロッセリーニのサポートとして呼ばれたというバダラメンティ。というのも、プロの歌手ではないロッセリーニのレコーディングが難航し、困った製作者のフレッド・カルーソがボーカル指導に定評のある友人バダラメンティに助け舟を求めたのだ。これが上手くいったことから、カルーソはエンディング・テーマの作曲も彼に任せることに。リンチ監督自身はUKのドリームポップ・バンド、ディス・モータル・コイルのヒット曲「警告の歌(Song to the Siren)」を使いたがったのだが、著作権使用料が高すぎるという理由でディノ・デ・ラウレンティスが首を縦に振らず、ならば似たようなオリジナル曲を作ってしまおうということになったらしい。 それ自体は大して難題ではなかったものの、バダラメンティを悩ませたのはリンチ監督から渡された歌詞。韻文やリフレインなどの定型ルールを無視しているため、歌詞として全く成立していなかったのである。なんとか楽曲を完成させたバダラメンティに、リンチ監督は「天使のように囁く歌声」のボーカリストを希望。そこで彼は当時関わっていたステージの歌手ジュリー・クルーズに、誰か条件に合致する候補者はいないかと相談したという。そこで3~4人の歌手を紹介してもらったものの、どれもいまひとつだったらしい。すると、ジュリーが「私にトライさせて貰えない?」と言い出した。しかし、当時の彼女はエセル・マーマンのようにパワフルに歌いあげる熱唱型歌手。さすがにイメージと違い過ぎると考えたバダラメンティだったが、「天使のように囁く歌声」を徹底的に研究したジュリーは、見事に希望通りの歌唱を披露してくれたのである。 このテーマ曲「愛のミステリー(Mysteries of Love)」でリンチ監督の信頼を得たことから、バダラメンティは本編の音楽スコア全般も任されることとなり、これをきっかけにバダラメンティの音楽はリンチ作品に欠かせない要素となる。ジュリー・クルーズも引き続き『ツイン・ピークス』のテーマ曲に起用された。 そういえば、本作はリンチ監督と女優イザベラ・ロッセリーニが付き合うきっかけになった映画でもある。当初リンチはドロシー役にヘレン・ミレンを希望していたらしい。ある時、デ・ラウレンティスの経営するイタリアン・レストランへ行ったリンチは、そこでたまたま知人に遭遇したのだが、その知人の連れがロッセリーニだったという。ちょうど当時、彼女は映画『ホワイトナイツ/白夜』(’85)でヘレン・ミレンと共演したばかり。これは奇遇とばかりにヘレンを紹介してもらうことになったのだが、ロッセリーニ曰くその2日後にリンチ監督からドロシー役をオファーされたのだそうだ。当時『エレファント・マン』は見たことがあったものの、それ以外はあまりリンチ監督のことを知らなかった彼女は、前夫マーティン・スコセッシに相談したところ『イレイザーヘッド』を見るように勧められたという。それで彼の才能を確信して出演を決めたのだとか。で、これを機に私生活でも親密な関係になったというわけだ。 ちなみに、劇中でジェフリーが発見する切断された耳はシリコン製で、最初は特殊メイク担当ジェフ・グッドウィンが自分の耳で型取りしたものの、リンチ監督から「小さすぎる」と指摘されたことから、プロデューサーのフレッド・カルーソの耳をモデルにして製作したという。さらに、リンチ監督がトレーラーで散髪した際にその髪を集め、シリコン製の耳に貼り付けたとのこと。撮影では耳に蜂蜜を塗ったうえで草むらに置き、そこへ冷凍で仮死状態にした蟻をバラまき、気温で蟻が蘇生して動き出すまで待ってカメラを回したそうだ。また驚くべきは、クライマックスで銃殺されたフランクの頭から脳みそが飛び出すシーンで、本当に人間の脳みそを使用していること。リンチ監督の希望で西ドイツから取り寄せたらしい。 当初のオリジナルカットは3時間57分もあったらしいが、リンチ監督自身が再編集を施して2時間ちょうどに収まった本作。初号試写で「これを配給する会社はないだろう」と判断したディノ・デ・ラウレンティスは、本作のために新たな配給部門を立ち上げたという。さらに、ロサンゼルスのサンフェルナンド・ヴァレーで一般試写を行ったのだが、これが関係者も頭を抱えるほどの大不評で、アンケート用紙には監督への非難や罵詈雑言のコメントが並んだらしい。しかし、これに全くたじろがなかったのが、またもやディノ・デ・ラウレンティス。「彼らは何も分かっていない、これは素晴らしい映画だ、1フレームたりともカットするつもりはない」と作品を全面擁護し、「予定通りに公開する、批評家は絶対に気に入るだろうし、そうなれば観客だってついてくるさ」と予見したという。実際にその言葉通り、本作は最初こそ世間からブーイングを浴びたものの、やがて口コミで評判が広がって大ヒットを記録。リンチ監督はアカデミー賞監督賞にノミネートされ、現代ハリウッドを代表する鬼才とも評されることとなる。こうした『ブルーベルベット』の成功を振り返るにあたって、やはりディノ・デ・ラウレンティスの功績を忘れてはならないだろう。■ 『ブルーベルベット』© 1986 Orion Pictures Corporation. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2022.07.11
ホラー映画文化とそのファンへ大いなる愛を込めた吸血鬼映画の傑作!『フライトナイト』
自身も熱烈なホラー映画ファンだったトム・ホランド監督 ハリウッドが空前のホラー映画ブームに沸いた’80年代。ジェイソンにフレディにマイケル・マイヤーズにレザーフェイスなどなど、数々の血に飢えた連続殺人鬼がスクリーンを縦横無尽に暴れ回り、日進月歩で進化する特殊メイク技術を駆使した血みどろの残酷描写がファンを大いに沸かせた。その一方で、吸血鬼ドラキュラやフランケンシュタインの怪物やミイラ男といった、いわゆる古典的なホラー・モンスターは半ば絶滅の危機にあったと言えよう。唯一の例外は狼人間。『狼男アメリカン』(’81)でリック・ベイカーが披露した狼男の変身シーンは特殊メイクの世界に革命を巻き起こし、同じ年に公開された『ハウリング』(’81)と並んで人狼映画リバイバルの起爆剤となった。 それに対して、かつてホラー・モンスターの王様だった吸血鬼は、せいぜいコメディ映画でパロディにされるくらいが関の山。『ザ・キープ』(’83)や『スペース・バンパイア』(’85)のように変化球的な作品もあったが、しかし正統派の吸血鬼映画とは一線を画していた。そうした中、古典的な吸血鬼を現代風にアップデートし、誰も予想しなかったサプライズ・ヒットを記録した作品が『フライトナイト』(’85)だった。 産みの親は『チャイルド・プレイ』(’88)でもお馴染みのトム・ホランド監督。俳優としてキャリアをスタートしたホランドは、映画監督を志してまずは脚本家へと転身。カルト的な人気を誇るテレビ映画『のろわれた美人学生寮』(’78)が評判となり、リチャード・フランクリン監督の『サイコ2』(’83)の脚本で高い評価を得たホランドだったが、しかしマイケル・ウィナー監督の『Scream For Help』(’84・日本未公開)で脚本をズタズタにされてしまったことから、自分の書いたオリジナル脚本を自分自身の手で忠実に映画化したいと考えるようになる。 予てより、古典的ホラー・モンスターを現代に復活させたいと願っていたホランド監督。元ネタとなったのは、ある時思い浮かんだ「ホラー映画ファンの高校生が、隣家の住人が本物の吸血鬼であることに気付く」というアイディアだ。これは面白い映画になる!と思ったものの、しかしそこから1年近くもストーリーを発展させることが出来なかった。そこでホランドは「こういう場合に高校生の少年だったらどうするだろう?」と考える。恐らく周囲の大人に訴えても信じてもらえないはずだ。ならば誰に相談する?そこで彼は突然ひらめいたという。そうだ!ヴィンセント・プライスだ!と(笑)。こうして生まれたのが、ホランドにとって永遠の憧れであるピーター・カッシングとヴィンセント・プライスの名前を合体させた、ピーター・ヴィンセントというキャラクターだった。そう、トム・ホランド監督自身が、実は主人公の少年と同じく熱狂的なホラー映画ファンだったのだ。 アメリカのホラー映画文化に欠かせない「ホラー・ホスト」とは? アメリカの小さな田舎町に住む平凡な高校生チャーリー・ブリュースター(ウィリアム・ラグズデール)は、毎週金曜日の深夜にテレビで放送されるホラー映画番組「フライトナイト」を欠かさず見ている大のホラー映画ファン。ある晩彼は、長いこと空き家だった隣家に新しい住人が引っ越してきたことに気付くのだが、しかしよく見ると地下室に棺桶を運び込んでいた。ちょっと不思議に思うものの、その時は大して気にしなかったチャーリー。しかし、その日から町の周辺で若い女性の変死体が発見されるようになり、ニュース報道で犠牲者の顔写真を見たチャーリーは思わず目を疑う。前日に隣家を訪れたコールガールだったのだ。 新しい住人はジェリー・ダンドリッジ(クリス・サランドン)とビリー・コール(ジョナサン・スターク)の男性2人。しかし、ジェリーは日中ずっと留守にしているようだ。どう考えても怪しい。夜になって自室から隣家を覗き見にしていたチャーリーは、ダンドリッジが若い女性の血を吸おうとしている様子を目撃してしまう。あれは絶対に吸血鬼だ!そう確信したチャーリーは母親や警察に訴え出るも信じてもらえず、恋人エイミー(アマンダ・ビアース)や筋金入りのホラー映画マニアである親友エド(スティーブン・ジェフリーズ)から心配されてしまう。一方、正体がバレたことに気付いたダンドリッジは、これ以上ことを荒立てると殺すぞとチャーリーを脅迫。窮地に追い込まれたチャーリーが、最後の頼みの綱として相談したのは、テレビ「フライトナイト」のホスト役ピーター・ヴィンセント(ロディ・マクドウォール)だった。 吸血鬼ハンターを名乗っているヴィンセントだが、もちろんあくまでも番組内の設定であり、実際は落ちぶれた往年のホラー映画スターに過ぎない。しかも、視聴率不振で番組をクビになってしまった。ドラキュラだのフランケンシュタインだのといった、ヴィンセントが愛する古き良きホラー・モンスターはもう時代遅れなのだ。最初はチャーリーの訴えを真に受けず、大人をからかうのもいい加減にしなさいと突き放したヴィンセント。しかし、エイミーとエドから「チャーリーを正気に戻したい」と相談され、現金と引き換えに一肌脱ぐこととなる。番組の小道具である吸血鬼ハンター・グッズを使って、ダンドリッジが吸血鬼ではないことをチャーリーの目の前で証明しようというのだ。ところが、実際にチャーリーたちを連れてダンドリッジの屋敷を訪れたヴィンセントは、そこで彼が本物の吸血鬼であることに気付いてしまう…! 本作のことを「古き良きホラー映画とそのファンへ贈るラブレター」と呼ぶトム・ホランド監督。先述したように大のホラー映画ファンだった彼は、劇中のチャーリーと同じようにテレビのホラー映画番組をこよなく愛していたという。’50年代に古い映画のテレビ放送が始まったアメリカ。予算のないローカル局では、主に権利料の安いB級ホラー映画を毎週金曜の深夜に放送し、ティーンの視聴者から人気を集めた。そうした番組に欠かせなかったのが「ホラー・ホスト」。地元の売れない役者やタレント、局アナなどが、それぞれ独自に考え出したホラー・キャラクターに扮し、番組のプロローグとエピローグで今週のホラー映画を紹介するのだ。エド・ウッド映画にも出演した女吸血鬼ヴァンピラや、歌手デビューまでした妖怪ザッカリーなどがその代表格。’80年代にはエルヴァイラが大ブレイクし、主演映画まで作られた。 アメリカでは子供時代~青春時代にかけて、こうした番組でユニバーサル・モンスター映画やロジャー・コーマン映画、RKOホラーやハマー・ホラーなどの古典を見て育ったというホラー映画マニアがとても多い。もちろん、ホランド監督もそのひとり。主人チャーリーはまさに学生時代のホランド監督であり、その親友エドは当時のホラー映画ファン仲間であり、ヴィンセントは彼らの世代が夢中になったホラー映画番組ホストの象徴なのだ。しかも、’80年代半ば当時はホラー映画マニアが市民権を得始めた時代。今ほどではないにせよ、ファンの祭典であるホラー・コンベンションも増えつつあった。ホラー映画好きを公言しただけで白い目で見られた、ホランド監督の学生時代とは大違い。恐らく感慨もひとしおだったに違いない。これは言わば、脈々と受け継がれるアメリカのホラー映画文化と、それを形成してきたファンへの愛情がたっぷり詰まった作品。それこそが『フライトナイト』の本質的な魅力であり、’11年に作られたリメイク版で決定的に足りなかった点だと言えよう。 新時代の吸血鬼像を作り上げた気鋭の特殊効果チーム そんな本作の魅力を支える最大の功労者は、間違いなくヴィンセント役のロディ・マクドウォールであろう。彼の演じるヴィンセントなくして、本作は成立しなかったと言っても過言ではない。当初、ホランド監督はヴィンセント・プライスにオファーするつもりだったそうだが、しかし当時のプライスは高齢なうえに健康問題を抱えており、それなりの運動量を要求される本作は物理的に不可能だった。そこで浮上したのが、ホランドが脚本に携わった映画『処刑教室』(’82)に出ていたマクドウォールだったという。 ご存知の通り、12歳の時に出演したジョン・フォード監督の名作『我が谷は緑なりき』(’41)でスターダムを駆け上がり、本作の当時すでに40年以上のキャリアを誇っていたマクドウォール。その間に幾度となく浮き沈みを経験していたことから、「ヴィンセントは私そのものだ」と語るほど役柄に深い思い入れを持っていたという。しかも、プライベートでは膨大な数の映画フィルムをコレクションし、古き良き時代のハリウッド映画をこよなく愛した筋金入りの映画マニア。本作に込めたホランド監督の想いを、恐らく誰よりも理解していたに違いない。ちなみに、サイレント時代から同時代まで幅広い映画人と交友関係のあった彼は、週に2回自宅へ友人を招いてパーティを開いていたらしい。ただし、毎週火曜日がストレート向け、金曜日がゲイ向けと分けていたのだとか。ホランド監督や主演のウィリアム・ラグズデールも、そのストレート向けパーティに何度も招待され、そこで憧れのヴィンセント・プライスとコーラル・ブラウンの夫妻に紹介されて舞い上がったそうだ。 このように懐かしい時代へのノスタルジーが込められた作品だが、その一方で古式ゆかしい吸血鬼のイメージを’80年代仕様にアップデートした点も特筆すべきであろう。それまでの映画に出てくる吸血鬼と言えば、顔を青白く塗って牙を付けただけのベラ・ルゴシ型か、もしくは特殊メイクで野獣のように獰猛な顔をしたノスフェラトゥ型のどちらかだったが、本作の吸血鬼ダンドリッジはその両者を合体・進化させたハイブリッド型。普段はセクシーでハンサムな普通の人間だが、しかし血を吸う際には目を光らせて牙が飛び出し、さらに本性を現すと醜悪なノスフェラトゥ型モンスターへと変身する。中でも、当時最先端の特殊メイク技術を駆使して作られたノスフェラトゥ型は、それまでの吸血鬼映画とは比べ物にならないくらいリアルで凶悪だった。 これはやはり、『ポルターガイスト』(’82)や『ゴーストバスターズ』(’84)でもお馴染みのリチャード・エドランド率いる視覚効果&特殊メイク・チームの功績が大きいだろう。中でも、当時まだ駆け出しだったスティーヴ・ジョンソンが素晴らしい仕事をしている。もともとエドランドはリック・ベイカーに声をかけていたのだが、働き過ぎで休みが欲しいことを理由に断られたため、『ゴーストバスターズ』で実力を発揮したジョンソンに白羽の矢を立てたという。そのほか、『ロード・オブ・ザ・リング』三部作でオスカーに輝くランドール・ウィリアム・クックや、『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズのケン・ディアスなど、後にハリウッドの大御所となる特殊効果マンたちが名を連ねている。本作で彼らが生み出した新時代の吸血鬼は、その後『ロスト・ボーイ』(’87)や『フロム・ダスク・ティル・ドーン』(’96)などに受け継がれていくこととなる。■ 『フライトナイト』© 1985 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.