COLUMN & NEWS
コラム・ニュース一覧
-
COLUMN/コラム2023.12.07
デヴィッド・フィンチャーが再生!大都市の鬱屈から生まれた“サイコスリラー”『セブン』
本作『セブン』(1995)のはじまりは、地方出身で、ニューヨーク在住の男が抱いた、鬱屈した思いだった。「地下鉄に乗ると、不快な強盗やホームレスの実態が日常茶飯事のように目に飛び込んでくる。街を歩けば罪悪なんてものはどこでも目にできる…」「ありとあらゆる不快なものがすべて集中している」 そんなニューヨークでの暮らしは、「毎日毎日、惨めでしかたがなかった」という、その男の名は、アンドリュー・ケヴィン・ウォーカー。安物の映画専門の製作会社に勤め、ホラー作品の脚本を何本か手掛けた。 そんな彼が、1991年に半年以上掛けて、1本のオリジナル脚本を書き上げた。しかし、それを映画化しようという映画会社はなかなか現れず、結果的に4年もの間、たらい回しにされてしまう。 事が動き出したのは、脚本が、プロデューサーのアーノルド・コベルソンの手に渡ってから。ブルックリン育ちのコベルソンは、「これだけのものを書ける脚本家は何人もいない」と、感銘を受けたという。 映画化に手を挙げる製作会社も、ようやく現れる。ホラーシリーズ『エルム街の悪夢』(84~)を大ヒットさせたことから、「フレディが建てた家」と呼ばれた、「ニュー・ライン・シネマ」である。流行を見るに敏な「ニュー・ライン」は、『羊たちの沈黙』(91)の成功をきっかけに起こった、“サイコホラー”人気に乗ろうと、ウォーカーの脚本に、3,000万㌦を投じることを決めた。 そしてコベルソンが監督にと、白羽の矢を立てたのが、デヴィッド・フィンチャーだった。フィンチャーは20代にして、マドンナやローリング・ストーンズなどのMVや数多くのCMを手掛けた後、『エイリアン3』(92)で、劇場用映画の監督としてデビュー。 リドリー・スコットやジェームズ・キャメロンの後を受けての、人気シリーズ第3作だったが、製作中から数多のトラブルに見舞われた上、批評的にも興行的にも失敗。そのため当時のフィンチャーは、「新たに映画を撮るぐらいなら、大腸がんで死んだ方がマシだ」と、映画界とは距離を置いていたのである。 フィンチャーはウォーカーの脚本の、「凡庸な警察映画」の側面には、退屈を感じた。しかし、「とても残酷な作品」であることを至極気に入り、どんどんハマっていったという。 その一方で、疑問を感じた。こんな救いようがない“ラスト”が訪れる脚本を、そのまま映画化なんてできるのだろうか? 結局は「ニュー・ライン」の責任者に直談判。そのままの脚本でGOサインの言質を取り、劇場用映画復帰を決めたのである。 ***** 常に雨の降りしきる大都市で、刑事を続けることに疲れ果てた、サマセット(演:モーガン・フリーマン)。定年まであと1週間、赴任したての若手刑事ミルズ(演:ブラッド・ピット)とコンビで、想像を絶する“連続殺人”の捜査を担当することになった。 はじまりは、極度に肥満した男が、絶命するまで無理矢理食物を食べさせられたという事件。現場には「大食」と書かれた紙が、残されていた。 その翌日には、金次第で犯罪者の無罪を勝ち取ってきた大物弁護士が殺される。自ら腹の肉を抉ることを強要された遺体のそばには、血で書かれた「強欲」という文字が。 博学のサマセットはこれらの文字から、キリスト教に於ける、「七つの大罪」をモチーフにした“連続殺人”と看破。「大食」「強欲」に続いて、「怠惰」「肉欲」「高慢」「嫉妬」「憤怒」に則った、“猟奇殺人”が企てられることを予想する。 そんなサマセットを、ミルズの妻トレーシー(演:グウィネス・パルトロー)が、ディナーに招く。サマセットは改めて、定年までの数日間、ミルズと共に事件の解明に挑むことを決意する。 そんな彼にトレーシーは、悩みを打ち明ける。この街が嫌いなこと、そして、妊娠したのを夫のミルズにまだ告げられないこと…。 懸命の捜査にも拘わらず、犯人は“連続殺人”を着実に遂行していく。やがて残された「大罪」が、「嫉妬」と「憤怒」の2つになった時、事件は思いがけない展開となり、2人の刑事は、真の地獄を見ることとなる…。 ***** モーガン・フリーマンの起用は比較的簡単に決まったが、ミルズ役にはこれという候補がいなかった。演者としての実力を持ち合わせた上で、決して大作とは言えない総予算から出演料を捻出する必要があったからだ。 そうした理由から、フィンチャーの第一候補は、ブラピことブラッド・ピットではなかった。しかし彼が本作の脚本に関心を抱いていることを知らされると、フィンチャーは喜び勇んで、紹介してもらうことにしたという。 ロバート・レッドフォード監督の『リバー・ランズ・スルー・イット』(92)で注目の若手俳優となったブラピは、『レジェンド・オブ・フォール/果てしなき想い』(94)『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』(94)の2本で大ヒットを飛ばして、まさに絶好調。1995年1月には、「ピープル」誌で「最高にセクシーな男性」に選ばれ、スターとしての価値が、ぐんぐんと高まっている最中だった。 そんなブラピが、『アポロ13』(95)でのトム・ハンクスとの共演を蹴って、正式にミルズ刑事を演じることが決まると、次に待っていたのは、その妻トレーシーのキャスティング。フィンチャーは『フレッシュ・アンド・ボーン 〜渇いた愛のゆくえ〜』(93/日本では劇場未公開)で見たグウィネス・パルトローを考えた。 ブラピも数ヶ月前に偶然知り合ったパルトローを推しており、わざわざ彼女に電話を掛けて、プロデューサーのコベルソンに会いに来るように誘った。コベルソンも一目でパルトローを気に入ったため、起用はすんなり決まったという(撮影中、ブラピとパルトローは当然のように恋に落ち、結果的には映画の良い宣伝となった)。 こうしてコマが揃い、いよいよ撮影開始。本作は青空の広がる西海岸のイメージが強い、ロサンゼルスでロケしているのに、人工降雨機まで使って、ほとんどのシーンで雨が降っている。 これは売れっ子のブラピのスケジュールにも関連してのこと。次回作にテリー・ギリアム監督の『12モンキーズ』(95)が待っていた彼が、撮影に参加できるのは55日間と決まっていた。当時のロスの天気は雨が多かったため、常に雨降りの設定にしたのである。 またこれにより、ロサンゼルスで撮影しながらも、それとは別の、特定できない都市のように見えるという効果もあった。 こんなことをはじめ、撮影や編集などで、デジタル技術なども交えて、技巧を凝らすのが、フィンチャー作品。本作でも様々なテクニックが用いられている。 今回特徴的な例として挙げられるのが、“銀残し”というフィルム現像の際の特殊技法。画面に深みのある黒さと、より明るい白さを創り出して、明暗のコントラストを高めているのだが、撮影監督のダリウス・コンディ曰く、「まるで白黒映画を撮影しているよう」だったという。 よくヴィジュアル派の代表のように言われるフィンチャーだが、実際は、あくまでもストーリーを盛り立てるために、テクニックを使っているという。本人曰く、「…映画の本質と遊離した、ただただヴィジュアル命のものには絶対にしていない」とまで言い切っている。 さて本作はいわゆる「衝撃のラスト」が訪れる作品なのだが、それについても、触れなければなるまい。 ***** 「嫉妬」と「憤怒」を残して、“連続殺人”の犯人ジョン・ドゥー(演:ケヴィン・スペイシー)が、突然警察に自首。残る2つの遺体の隠し場所を、ミルズとサマセットだけに明かすという。 厳重な警備態勢の中、ジョンに導かれて、ある荒野へと車で向かった2人の刑事。その場に降り立つと、猛スピードで宅配便の車が訪れる。 運転手はジョンに託されていた小さな荷物を、指定の時間と場所に届けただけだった。中身を確認して、サマセットは唸る。 それはミルズの妻、トレイシーの生首だった。幸せな家庭を築く夫婦に対して、「嫉妬」の気持ちを以て殺害に及んだというジョン。 それに対して、「憤怒」の感情を引き出されたミルズは…。 ***** 先にも記したがフィンチャーは、この「救いようがない“ラスト”」をそのままやることを条件に、本作の監督を引き受けた。実はそれが決まった「ニュー・ライン」への直談判の前に、もうワンクッションがあった。 フィンチャーはまずは自分のエージェントに、「会社は本当にこの映画を作るつもりなのか?つまり、君はこれを読んだのか?」と問うた。ところがこの時点で、エージェントの読んだ脚本は、フィンチャーが読んだものを改稿したものだと判明。 それには、“生首”が届く描写などなかった。最後の場面は、トレーシーがシャワーを浴びていると、窓に連続殺人犯が忍び寄るという展開になっていたという。 これは自分の作りたい映画ではない!そう考えたフィンチャーが、直談判に及んで、元の脚本で映画化することが決まったわけだが、実はその後も、もっと穏当なヴァージョンを模索する動きは、止まなかった。 実際に製作に入ったところで用意されたのは、3つのパターン。“生首”が到着するところまでは同じだが、その後が違う。 映画はご覧の通り、ミルズが「憤怒」のままにジョンの頭を撃ち、最後はパトカーで連行されるのを、サマセットが見送るところで終わる。 これと別バージョンで用意されたのが、サマセットがジョンを撃ち殺すパターンと、ミルズがジョンを撃ち殺したところで、そのままジ・エンドとなるパターン。 前者は、犯人がミルズの「憤怒」を引き出して目的を果すことに失敗するという、後味の悪さを少しでも緩和するために用意されたものである。しかしフィンチャーもブラピも、当然同意しなかった。 後者の、より衝撃的なパターンは、フィンチャーの望んだ形。しかし覆面試写の結果、こちらだと、観客が混乱したまま映画が終わってしまうということが明らかになり、却下となった。 筆者は個人的には、フィンチャー案で最高級の「後味の悪さ」を体感したかった気もするが、それだとさすがに、観客の間で口コミなどが広がらなかった可能性もある。本作『セブン』は、現行のバージョンだからこそ、1995年9月22日、全米2,500館で公開と同時に大きな話題となり、4週連続興収TOPを記録する大ヒットとなったのかも知れない。 かくして本作で『エイリアン3』の後遺症から抜け出したデヴィッド・フィンチャーは、その後30年近く、アメリカ映画の第一線級監督として、活躍を続けている。ブラピとのコンビ作も、『ファイトクラブ』(99)『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』(2008)と続き、いずれも高評価を得ている。 フィンチャーはブラピについて、『ファイトクラブ』時のインタビューで、「…自分が変わることを恐れない人間との仕事は、いつだって刺激になるよ」と語っている。■ 『セブン』© New Line Productions, Inc.
-
COLUMN/コラム2023.12.04
元祖『ミッドサマー』と呼ぶべきカルト映画の傑作『ウィッカーマン』
英国ホラーの衰退期に誕生した異色作 海外では「ホラー映画の『市民ケーン』」とも呼ばれている伝説的なカルト映画である。タイトルのウィッカーマンとは、古代ケルトの宗教・ドルイド教の生贄の儀式に使われた木製の檻のこと。それは巨大な人間の形をしており、中に生贄の動物や人間を入れたまま火をつけて燃やされたという。いわゆる人身御供というやつだ。ただし、本作の舞台は現代のイギリス。行方不明者の捜索のため田舎の警察官が小さな島を訪れたところ、島民たちはキリスト教でなくドルイド教を今なお信仰しており、やがて余所者である警察官は恐るべき伝統行事の渦中へと呑み込まれていく。 そう、これぞ元祖『ミッドサマー』(’19)!アリ・アスター監督が本作から影響を受けたのかどうかは定かでないものの、しかし『ホステル』(’05)シリーズのイーライ・ロスや『ウーマン・イン・ブラック 亡霊の館』(’12)のジェームズ・ワトキンス、『ハイ・ライズ』(’15)のベン・ホイートリーなど本作の熱烈なファンを公言する映画監督は少なくないし、結果としてオリジナルには遠く及ばなかったものの、ニコラス・ケイジ主演でハリウッド・リメイクされたこともある。恐らく、全く知らなかったということはなかろう。 本作の企画を発案したのは、ヒッチコック監督の『フレンジー』(’72)や自ら書いた舞台劇を映画化した『探偵スルース』(’72)、『オリエント急行殺人事件』(’74)に始まるアガサ・クリスティ・シリーズでも知られるイギリスの大物脚本家アンソニー・シェファー。実はもともと大のホラー映画ファンだったという彼は、ハマー・プロ作品のように吸血鬼やミイラ男やゾンビが出てくる古典的な怪奇映画ではなく、もっと知的で洗練されたモダン・ホラーを作ってみたいと考え、当時映画会社ブリティッシュ・ライオンの幹部だったピーター・スネルに相談したという。ちょうど当時は、『フランケンシュタインの逆襲』(’57)や『吸血鬼ドラキュラ』(’58)の大ヒットで火の付いた、英国ホラー映画ブームの勢いが急速に失われていった衰退期。ハマー・フィルムはエロス路線やサスペンス路線などを模索するが低迷し、アミカスやタイゴンもホラー映画からの脱却を試みるようになっていた。もはや古き良きゴシック・ホラーは通用しない。イギリスのホラー映画に新規路線が求められているのは明白だった。 そこでシェファーとスネルが辿り着いたのは古代宗教。イギリスではキリスト教が伝搬する以前にドルイド教が信仰されていた。しかし、ホラー映画に出てくる宗教といえばキリスト教ばかりである。これは題材として新しいだろう。そんな彼らが主演俳優として想定したのが、シェファーの友人でもあったホラー映画スター、クリストファー・リー。ハマー・プロの作品群によってホラー映画の帝王としての地位を確立したリーだが、しかしそれゆえにオファーされる仕事の幅も著しく狭められていた。いっそのこと長年に渡って培ってきたハマー・ホラーのイメージを返上し、もっとユニークな映画で興味深い役柄を演じてみたい。この切なる願いにはシェファーやスネルも大いに賛同し、リーをメインキャストに据えるという大前提で企画が進行することになったという。さらに、過去にシェファーとテレビ制作会社を共同経営していたこともあるロビン・ハーディ監督が加わり、およそ3年近くの歳月をかけて完成させたのが本作『ウィッカーマン』(’73)だったのである。 孤島に脈々と伝わる古代宗教と消えた少女の行方 スコットランド西岸のヘブリディーズ諸島。その中の小さな島サマーアイルに、本土からニール・ハウイ巡査部長(エドワード・ウッドワード)が訪れる。島に住む12歳の少女ローワン・モリソンが行方不明になったので探して欲しいと、ハウイ巡査部長宛てに匿名の捜索願が届いたのだ。サマーアイル島は領主であるサマーアイル卿(クリストファー・リー)が所有する私有地で、それを理由に島民たちはハウイ巡査部長の上陸を拒んだが、しかし彼は警察の捜査権を主張して強引に乗り込んでいく。ローワンの写真を見せても知らぬ存ぜぬを繰り返し、捜査に対して明らかに非協力的な島の人々。母親のメイ・モリソンも知らないのか?と詰め寄ると、渋々ながら島の住人であることを認めるが、しかし写真の少女はメイ・モリソンの娘じゃないと言い張る。 初っ端から島民たちの態度に不快感を覚えるハウイ巡査部長。島で唯一の郵便局を営むメイ・モリソンのもとを訪ね、娘ローワンの行方に心当たりがないのか問いただすが、しかし彼女もまた同じ答えを繰り返す。その子は私の娘なんかじゃないと。狐につままれたような心境で困惑を隠せないハウイ巡査部長。とりあえず島に留まって捜索を続けるため、地元の宿で小さな部屋を取るのだが、しかし1階のパブに集まる島民たちは酔っぱらって卑猥な歌を大合唱し、外へ散歩に出れば公園の暗がりで大勢の若い男女がセックスに興じ、部屋へ戻ると宿屋の主人マクレガー(リンゼイ・ケンプ)の娘ウィロー(ブリット・エクランド)が彼を誘惑する。敬虔なキリスト教徒で生真面目な禁欲主義者のハウイ巡査部長は、乱れ切った島民たちの倫理観に怒りを通り越して呆れてしまう。 翌朝、ローワンの通っていた学校へ聞き取り調査に向かうハウイ巡査部長。学校では五月祭の準備が進められていたのだが、祭りで使用されるメイポールを男根崇拝の象徴だと、女教師ローズ(ダイアン・シレント)が生徒たちに教える光景を見て憤慨する。そんな汚らわしいことを子供に教えるとは何事だ!というわけだ。しかも、生徒名簿にローワンの名前があるにも関わらず、教師も生徒もそんな子は知らないと白を切る。この島の住人は大人も子供も嘘つきばかりじゃないか!怒り心頭の巡査部長に対し、ようやく女教師ローズがローワンの存在を認めるも、しかしその行方については答えをはぐらかす。 こうなったら領主サマーアイル卿に問いただすしかなかろう。サマーアイル卿の邸宅に乗り込んでいったハウイ巡査部長。彼の到着を待ち受けていたサマーアイル卿は、島の住人たちが古代宗教を信仰していることを明かす。かつてこの島は食物の育たない不毛の地だったが、古代宗教の儀式を復活させたところ土地が豊かになり、リンゴの名産地として栄えるようになったのだという。現代のイギリスに異教徒の地が存在すると知って驚愕するハウイ巡査部長。やがて彼は、ローワンが昨年の五月祭で豊作を願う儀式の女王(メイクイーン)に選ばれていたこと、しかし結果的に昨年が過去に例のない凶作だったことを知り、彼女が神への生贄として殺されるのではないかと推測する。だから島民たちは終始一貫して嘘をついているのだろう。そう考えたハウイ巡査部長は、明日に控えた五月祭の儀式に潜入してローワンを救い出そうと考えるのだが…? 見る者の価値観や道徳観が問われるストーリーの本質 原作は作家デヴィッド・ピナーが’67年に発表したミステリー小説「Ritual」。ただし、そのまま映画化するには難しい内容だったため、警察官が捜査のため訪れた田舎で古代宗教の生贄の儀式が行われていた…という基本プロットを拝借しただけで、それ以外の設定やストーリーはほぼ本作のオリジナルだという。それゆえ、本編には原作クレジットがない。 アンソニー・シェファーの脚本が巧みなのは、同時代の社会トレンドや価値観の変化を物語の背景として随所に織り込みながら、見る者によって解釈や感想が大きく違ってくる作劇の妙であろう。当時は、’60年代末にアメリカで生まれた若者のカウンターカルチャーが世界へと広まった時代。ラブ&ピースにフリーセックス、反体制に反権力、自然への回帰にスピリチュアリズム。まさしくサマーアイル島の人々のライフスタイルそのものである。反対に主人公ハウイ巡査部長は、原理主義的なクリスチャンでガチガチに潔癖主義のモラリスト。そのうえ、警察権力を笠に着て島民のプライバシーを土足で踏み荒らす権威主義者だ。 なので、最初のうちは正義の味方である警察官が閉鎖的な島へ迷い込み、邪教信者の島民たちによって恐ろしい目に遭う話なのかと思っていると、だんだんとハウイ巡査部長の横柄な偽善者ぶりが鼻につくようになり、やがて気が付くと島民の方に肩入れしてしまうのだ。もちろん、そうじゃない観客もいることだろう。なので、見る者の価値観や道徳観によって受け止め方も大きく違ってくる。衝撃的なクライマックスも、人によっては恐怖よりもある種のカタルシスを強く覚えるはずだ。 また、本作の魅力を語るうえで外せないのが、ポール・ジョヴァンニによる劇中の挿入歌や伴奏スコア。なにしろ、もはや半ばミュージカル映画のようなものじゃないか?と思うくらい、本作では音楽が重要な役割を占めているのだ。ケルト音楽をベースにした牧歌的で美しいメロディは、それゆえにどこか不穏な空気を醸し出す。幾度となくCD化もされたサントラ盤アルバムはフォーク・ロック・ファンも必聴だ。 ちなみに、本作には大きく分けて3種類のバージョンが存在する。というのも、完成直後に製作会社のブリティッシュ・ライオンがEMIに買収され、プロデューサーのピーター・スネルがクビになってしまったのだ。解雇された映画会社重役の置き土産が、後継者によって杜撰な扱いを受けるのは業界アルアル。この手の映画に理解のあるアメリカのロジャー・コーマンに命運を託そうと、スネルはコーマンのもとへオリジナル編集版のフィルムを送付したが、しかし残念ながら配給契約は成立しなかった。結局、100分の本編はブリティッシュ・ライオンの指示で89分へと短縮。ハウイ巡査部長の人となりが分かる本土での仕事ぶりや生活ぶりを描いたシーンや、ブリット・エクランド扮する妖艶な美女ウィローが若者の筆おろしをするシーンなどが失われ、カットされたフィルムは廃棄されてしまったと言われる。 しかし、ロジャー・コーマンが保管していたオリジナル編集版フィルムを基に、ロビン・ハーディ監督自身が’79年に最も原型に近い99分バージョンを製作。これがディレクターズ・カット版として流通している。さらに、ハーヴァード大学のフィルム・アーカイブで本作の未公開バージョン・フィルムが発見され、それを基にした94分のファイナル・カット版も’13年に発表されている。今回、ザ・シネマで放送されるのは劇場公開時の89分バージョンだが、機会があれば是非、ディレクターズ・カット版やファイナル・カット版もチェックして頂きたい。本作が描かんとした文化対立的なテーマの本質を、より深く考察できるはずだ。■ 『ウィッカーマン』© 1973 STUDIOCANAL FILMS Ltd - All Rights Reserved
-
COLUMN/コラム2023.11.29
元CIA職員が描く冷酷非情なロシアン・スパイの世界!『レッド・スパロー』
ソ連時代のロシアに実在した「スパロー」とは? 『ハンガー・ゲーム』シリーズのヒロイン、カットニス役でトップスターとしての地位を不動にした女優ジェニファー・ローレンスが、同シリーズのフランシス・ローレンス監督と再びタッグを組んだスパイ映画『レッド・スパロー』(’18)。ちょうどこの時期、シャーリーズ・セロン主演の『アトミック・ブロンド』(’17)に韓流アクション『悪女/AKUJO』(’19)、リブート版『チャーリーズ・エンジェル』(’19)にリュック・ベッソン監督の『アンナ』(’19)など、いわゆる女性スパイ物が相次いで話題となっていたのだが、その中で本作が他と一線を画していたのは、一切の荒唐無稽を排したウルトラハードなリアリズム路線を貫いたことであろう。 なにしろ、原作者ジェイソン・マシューズは元CIA職員。表向きは外交官としてヨーロッパやアジアなど各国を渡り歩きながら、その裏で工作員のリクルートおよびマネージメントを担当していたという。33年間のCIA勤務を経て引退した彼は、退職後のセカンド・キャリアとして小説家を選択。国際諜報の世界に身を置いていた時代の知識と経験を基に、初めて出版した処女作が大ベストセラーとなったスパイ小説「レッド・スパロー」だったのである。 テーマはスパロー(雀)と呼ばれるロシアの女性スパイ。彼女たちの役割は敵国の諜報員にハニー・トラップを仕掛け、自らの美貌と肉体を駆使してターゲットを誘惑し、巧みな心理戦で相手を意のままに操ること。主人公のドミニカ・エゴロワというキャラクターそのものは完全なる創作だが、しかしマシューズによるとソ連時代のロシアにはスパローの養成学校まで実在したそうだ。当時はアメリカでも同様の試みがなされたが、しかし倫理的な問題から実現はしなかったとのこと。さすがにソ連解体後のロシア諜報機関にはスパローもスパロー・スクールも存在せず、よって本作のストーリーも過去の事実を基にしたフィクションと見做すべきだが、それでもプロの女性を外部から雇ったロシアのハニー・トラップ工作は今もなお行われているという。 国家によって武器へと仕立てられた女性のサバイバル劇 舞台は現代のロシア、主人公のドミニカ・エゴロワ(ジェニファー・ローレンス)は世界的に有名なバレリーナだ。ボリショイ劇場の舞台で華やかなスポットライトを浴びるドミニカだが、しかし私生活は極めて質素なもの。ソ連時代に建てられた郊外の古い集合住宅で、病気の母親(ジョエリー・リチャードソン)と2人きりで暮らしている。そんなある日、舞台の公演中に起きた事故で片脚を骨折した彼女は再起不能に。自分の名声を妬んだライバルの仕業と知ったドミニカは、相手を半殺しの目に遭わせて復讐を遂げるものの、しかしバレリーナとしてのキャリアが断たれたことで生活が立ち行かなくなる。そこで彼女が頼ったのは、亡き父親の年の離れた弟、つまり叔父に当たるワーニャ(マティアス・スーナールツ)だった。 KGB第1総局を前身とする諜報機関、ロシア対外情報庁(SVR)の副長官を務めるワーニャ叔父さん。アパートの家賃や母親の治療費と引き換えに、彼が姪のドミニカにオファーした仕事というのが、悪徳実業家ディミトリ・ウスチノフに色仕掛けで取り入るというハニトラ工作だった。ところが、相手の携帯電話をすり替えるだけの簡単な任務だったはずが、途中から加わったSVRの殺し屋マトリンがウスチノフを殺害。結果的に要人の暗殺現場を目撃してしまった彼女は、ワーニャ叔父さんの指示に従ってスパイ養成学校へ送られることとなる。さもなければ、国家に不都合な目撃者として抹殺されてしまう。例の復讐事件で姪に工作員の素質があると見抜いた叔父は、彼女をスパイの世界へ引きずり込むための罠を仕組んだのである。 ドミニカが送り込まれたのは、ハニー・トラップ専門の工作員「スパロー」を育成する第4学校。冷酷非情な監督官(シャーロット・ランプリング)によって、美しさと強さを兼ね備えた若い男女が、己の頭脳と肉体を武器にした諜報テクニックを叩きこまれていく。中でもドミニカの成長ぶりは目覚ましく、その才能に注目したSVRの重鎮コルチノイ(ジェレミー・アイアンズ)の抜擢によって、彼女は国際諜報の最前線へ羽ばたくこととなる。その最初の任務は、SVR上層部に潜むアメリカとの内通者を炙り出すことだった。 実はドミニカがボリショイの舞台で事故に見舞われたのと同じ頃、モスクワ市内のゴーリキー公園でスパイ事件が発生。表向きはアメリカの商務参事官として米国大使館に勤務しつつ、その裏で諜報活動を行っていたCIA捜査官ネイト・ナッシュ(ジョエル・エドガートン)が、ロシア現地の内通者と接触している現場をパトロール中の警官に見つかったのである。ギリギリで米国大使館へ逃げ込んだナッシュは、外交官特権を使ってアメリカへと帰国。ロシア側は公園から立ち去った内通者がSVR内部の重要人物と睨むが、しかし身元を割り出すまでには至らなかったのだ。 そのナッシュが再び内通者と接触を図るべく、ハンガリーのブダペストに滞在中だと知ったSVRは、ドミニカを現地へ送り込むことに。ナッシュを誘惑して内通者の正体を聞き出すため、身分を偽って接触を図ったドミニカだったが、しかしすぐにSVRの工作員であることがバレてしまい、反対に二重スパイの取引を持ち掛けられる。自身と母親の身柄保護および生活保障を条件に、CIAの諜報工作に協力してSVRを出し抜こうとするドミニカだが…? ソ連時代のロシアで筆者が身近に感じたスパイの存在とは? 生き馬の目を抜く全体主義的なロシア社会にあって、国家の武器として利用され搾取されてきた女性が、自らの生き残りを賭けてロシアとアメリカの諜報機関を手玉に取っていく。多分に冷戦時代の香りがするのは、先述した通りソ連時代のスパイ工作が物語の下敷きとなっているからであろう。ハンガリーのブダペストやスロバキアのブラティスラヴァ、さらにウィーンやロンドンでも撮影されたエレガントなロケーションも、往年のスパイ映画を彷彿とさせる。ロングショットの多用やシンメトリーを意識した折り目正しい画面構図によって、冷酷非情なスパイの世界の心象風景を描いたフランシス・ローレンス監督の演出も極めてスタイリッシュだ。中でも、ドミニカの骨折事故とナッシュのスパイ事件が、インターカットによって同時進行していくプロローグの編集処理は圧巻!ヒッチコックの『見知らぬ乗客』(’51)をお手本にしたそうだが、ドミニカとナッシュが何者であるのかを観客へ的確に伝えつつ、やがて両者の運命が交錯していくことも暗示した見事なオープニングである。 そんな本作で何よりも驚かされるのは、昨今のハリウッド・メジャー映画としては極めて珍しい大胆な性描写と暴力描写であろう。なにしろセックスを武器にしたスパイの話である。そもそも原作小説の性描写や暴力描写が過激だったため、製作陣は最初からR指定を覚悟して企画に臨んだという。中でも主演のジェニファー・ローレンスには、一糸まとわぬヌードシーンが要求されたため、撮影された映像は真っ先にジェニファー本人のチェックを受けたそうで、それまではラッシュ映像の試写すら行われなかったらしい。 さらに、主人公ドミニカが元バレリーナという設定であるため、演じるジェニファーもバレエの猛特訓を受けたという。ボリショイ劇場のシーンはブダペストのオペラ座で撮影。スティーブン・スピルバーグ監督のリメイク版『ウエスト・サイド・ストーリー』(’21)も手掛けた、ニューヨーク・シティ・バレエのジャスティン・ペックが振付を担当している。ジェニファーのダンスコーチに任命されたのはダンサーのカート・フローマン。1日3時間、週6日間のレッスンを3カ月も続けたという。とはいえ、さすがにボリショイ級のレベルに到達するのは不可能であるため、ジェニファー本人のパフォーマンスは主にクロースアップショットで使用。ロングショットではアメリカン・バレエ・シアターのプリンシパル、イザベラ・ボイルストンが代役を務めている。 なお、バレエ・ファンにとって要注目なのは、その卓越したテクニックと美しい容姿から日本でも絶大な人気を誇るウクライナ人ダンサー、セルゲイ・ポルーニンが、ドミニカにケガをさせるダンス・パートナー役で顔を出していることであろう。また、七三分けのクリーンカットでワーニャ叔父さんを演じるベルギー人俳優マティアス・スーナールツが、恐ろしいくらいロシアのプーチン大統領と似ているのも興味深いところ。ご存知の通り、プーチン氏はSVRの前身であるKGBの元諜報員だった。ローレンス監督曰く、特定の人物に似せるという意図は全くなかったらしいが、普段は髪が長めで髭を伸ばしているマティアスの外見を整えたところ、意外にも「ある人物」に似てしまったのだそうだ(笑)。 ちなみに、ソ連時代のモスクワで育った筆者にとって、スパイは割と身近な存在だった。なんといっても筆者の父親はマスコミの特派員。情報を扱う仕事である。当然ながら自宅の電話には盗聴器が仕掛けられ、父親が外出すればKGBの尾行が付き、家の中も外から監視されていた。なので、父親が現地の情報提供者などと電話でコンタクトを取る際は、外国人が宿泊する市内の高級ホテルの公衆電話から英語ないし日本語で連絡してもらう。また、当時は日本の本社との通信手段として、国際電話と電報とテレックスを使い分けていた時代。ただし、国際電話は盗聴されているため、ソ連当局に都合の悪い内容の場合は途中で切られてしまう。ゆえに、短い連絡は電報で、長い文章はテレックスで。もしくは、ホテルで近日中に帰国する日本人を探して原稿入りの封筒を託し、羽田もしくは成田の空港でポストに投函してもらう。時には、うちの母親が子供たちを連れて旅行へ行くふりをし、父親に車で駅まで送り届けさせる。そのままKGBの尾行は父親の車を追いかけていくので、その隙を狙って母親が電報局から日本へ電報を打つなんてこともあったそうだ。 また、日本人のみならずモスクワに住む外国人の多くが、現地のメイドや運転手などを雇っていたのだが、その外国人向け人材派遣も実はKGBの管轄だった。筆者の家でも父親の秘書や子供の面倒を見るメイドさん、ピアノ教師などを雇っていたのだが、もちろん彼ら自身がスパイというわけではない。あくまでもKGBが管理しているというだけなのだが、その代わりに勤務先の外国人家庭や外国企業オフィスなどで見聞きしたことを上に報告する義務があったらしい。それでも、筆者の家に出入りしていたメイドのシーマは孫のように我々子供たちを可愛がってくれたし、日本語の達者な秘書オーリャも明るくて愉快な女性だった。なにか悪いことをされたという記憶は殆どない。とはいえ、その一方で現地職員を装った工作員によるものと思われる日本大使館での食中毒事件なども実際に起きていたので、当然ながらダークな部分もあることは子供ながらに認識していた。今になって振り返ると異質な世界だったとは思うが、当時はそれが当たり前だったため大きな違和感はなかったのである。ほかにも、モスクワ在住時代のスパイ・エピソードは、思いがけないトラブルも含めて多々あるのだが、それはまた別の機会に…。■ 『レッド・スパロー』© 2018 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.
-
COLUMN/コラム2023.11.10
“カルト王”リンチのメジャーへの道を開いたのは、名を伏せた、“コメディ王”だった。『エレファント・マン』
30代中盤に迫った、デヴィッド・リンチは、次のステップを模索していた。 彼が1人で、製作・監督・脚本・編集・美術・特殊効果を務め、20代後半から5年掛かりで完成させた初めての長編映画は、『イレイザーヘッド』(1977)。見るもおぞましい奇形の嬰児が登場する、シュールで理解不能な内容のため、悪評が先行したが、やがて独立系映画館の深夜上映で熱狂的な支持を集めるようになる。いわゆる“カルト映画”の代名詞的な作品となったが、リンチはその次の段階へは、なかなか歩を進められなかった。 作品の評判を聞いて、コンタクトを取ってきたメジャー映画スタジオもあった。しかし、やりたい企画について尋ねられたリンチが、「基本的に三本足で赤毛の男と電気の話だ」などと答えると、その後2度と電話は掛かってこなかったという。 この不思議な企画が進むようにと、色々と力添えしてくれる男が現れた。その名は、スチュアート・コーンフェルド。ロスでの深夜上映で『イレイザーヘッド』を観て、「…100%、ぶっ飛ばされた…」のだという。 しかし、リンチが発案したその企画は、どうにもうまく進まなかった。そこでリンチは、コーンフェルドに頼む。「…何か僕が監督できるような脚本を知っていたら、力になってくれないか?」 コーンフェルドは、4本の企画を持参した。その1本目のタイトルだけを聞くと、リンチの頭の中で何かが弾けた。そしてコーンフェルドに、「それだ!」と叫んだ。 それは19世紀後半、産業革命の時代のイギリスに実在した、異形の青年の哀しい物語。そうした内容をまったく知らないままに、リンチが惹かれたそのタイトルは、『エレファント・マン』だった。 ***** 「妊娠中の女性が、象の行進に巻き込まれ、恐怖を味わったため、お腹の子どもに畸形が生じ、世にも恐ろしい“象男”が生まれた」 こんな口上の見世物小屋を訪れた、ロンドン病院の外科医トリーヴス(演:アンソニー・ホプキンス)。彼が目の当たりにした“象男=エレファント・マン”は、肥大した頭蓋骨が額から突き出て、体の至るところに腫瘍があり、歪んだ唇からは明瞭な発音はされず、歩行も杖が無ければ困難という状態だった。 トリーヴスは、“象男”ジョン・メリック(演:ジョン・ハート)を、彼を虐待していた見世物小屋の主人から引き離す。そして医学的な興味と野心から、病院の一室に収容して、様子を見ることにした。 メリックは知能に遅れがあり、まともに会話もできないと思われたが、実際は聖書を暗唱し、本や芸術を愛する美しい心の持ち主だった。知的な障害など、なかったのだ。 ロンドン病院の院長(演:ジョン・ギールグッド)が、メリックについて新聞に寄稿したことから、著名な舞台俳優のケンドール夫人(演:アン・バンクロフト)が、見舞いに訪れた。それを機に上流階級の間で、メリックに会いに来るのが、ブームになる。 それに対して、メリックとの間に友情が生まれたトリーヴスは、自分も見世物小屋の主人と変わらないのではと思い悩む。 メリック本人は、そんな暮らしを楽しんでいた。しかしある時、病院の夜警の手引きで、彼を“見物”に来た外部からの闖入者たちに蹂躙されて、心身共に深く傷つく。 そんな彼を、更に残酷な悲劇が襲うのだった…。 ***** ジョン・メリック(1862年生まれ。実際の名前はジョゼフ・メリックだが、本稿では映画に合わせてジョン・メリックとする)の症状は、現在では特定の遺伝的疾患群=プロテウス症候群だったと見られる。 彼を診察し、交流を続けたトリーヴス医師は、後に回顧録をまとめている。それをベースに、まずは1977年、舞台版の『エレファント・マン』が制作された。 この舞台はロンドンでの初演後、ブロードウェイにも進出し、トニー賞を受賞するなど高評価を得た。こちらは幕開けに、実際のメリックの写真を提示。メリック役の俳優は、特殊メイクなどはせずに、生身で彼を演じる。 観客の想像に委ねる形でのこの演出の下で、ブルース・デイヴィソン、デヴィッド・ボウイ、マーク・ハミルなどがメリック役に挑んだ。日本で上演された際は、市村正親、藤原竜也などが、主役を務めている。 トリーヴスの著書を元にしているのは同じだが、舞台版とはまったく無関係に、映画化を目論む者たちが現れた。クリストファー・デヴォア、エリック・バーグレンという2人の脚本家である。そして彼らが書いたシナリオを、プロデューサーのジョナサン・サンガーが買い取る。 スチュアート・コーンフェルドは、サンガーがこの作品の監督を探しているのを知って、リンチを紹介。リンチは脚本家2人とサンガー、コーンフェルドと共に、製作してくれる映画会社を探すことにした。しかし彼らが回った6つのスタジオの答は、すべて「No!」。相手にされず、お先真っ暗な状態となった。 そんな時、コーンフェルドが渡していたシナリオを、『奇跡の人』(62)『卒業』(67)などで知られる大物女優のアン・バンクロフトが読んで、いたく気に入ってくれた。実はコーンフェルドは、アンの夫であるメル・ブルックスの下で働いていたのである。 メルは『プロデューサーズ』(1968) 『ヤング・フランケンシュタイン』(74)『メル・ブルックス/新サイコ』(77)等々の大ヒットコメディ映画の監督として知られる、いわばハリウッドの大物。ちょうどその頃、新しく興した「ブルックス・フィルムズ」でのプロデュース作を探していた。そしてアンから回された『エレファント・マン』のシナリオを読んで、彼も気に入ったため、その映画化を決断したのである。 メルはコーンフェルドに、このシナリオを描いた2人の脚本家と、プロデューサーのサンガーの採用を伝えた。すぐには決まらなかったのが、監督だった。メルは、『ミッドナイト・エクスプレス』(78)が評判となった、アラン・パーカーを据えたいと考えていたのだ。 しかしコーンフェルドが、「デヴィッド・リンチじゃなきゃだめなんだ」と、繰り返し強硬に主張。メルは未見だった、『イレイザーヘッド』を観てから、判断することにした。 運命の日、『イレイザーヘッド』をメルが鑑賞している劇場の外で、リンチは生きた心地がしないまま、上映が終わるのを待ち受けた。ドアがさっと開くと、メルが足早にリンチの方に向かってきて、そのまま抱きしめてこう言った。「君は狂ってるぞ。大いに気に入った!」 こうして『エレファント・マン』の監督に、リンチが正式に決まったのだった。 決定の瞬間の言でもわかる通り、メル・ブルックスは、リンチの特性を見抜いており、後に彼のことをこんな風に評している。「火星から来たジェームズ・スチュアート」と。折り目正しい外見のリンチが、実は他に類を見ないような“変態”であることを表す、ブルックスの至言である。 そして『エレファント・マン』は、メルの指揮の下、パラマウント映画として製作されることとなった。シナリオは、脚本家2人とリンチで再構成し、新しいシーンを多く書き加えた。そこにメルからの指摘も反映して、決定稿となった。 キャストは、アンソニー・ホプキンス、ジョン・ハート、そして“サー”の称号を持つジョン・ギールグッド、“デーム”と冠せられるウェンディ・ヒラーなど、イギリスを代表する大物俳優たちが揃った。 リンチは撮影中、朝起きては「さぁて、今日は、ジョン・ギールグッド卿を監督する日だぞ」などと自分に言い聞かせ、気後れしないようにしてから、撮影現場に出掛けたという。撮影終了後には、ギールグッドからリンチに手紙が届いた。そこには「貴殿は、私に、演技に関する指示を、一度もなさいませんでした」と書いてあり、リンチはその謙虚な書き方に、とても感動したという。 製作期間を通じて、メル・ブルックスはリンチに対し、ほとんど口を出さなかった。例外的に意見したのは、ジョン・メリックの顔と身体を観客に見せるタイミング。最初の編集では、トリーヴスが見世物小屋で彼を見た時から、メリックの姿をかなりはっきりと見せていた。 それをメルのサジェスチョンによって、暫しの間隠す方向にシフトした。この再編集で、観客の「彼を見たい」という気持ちが、どんどん高められることとなった。 リンチは、ジョン・ハートを“象男”に変身させる特殊メイクを、自分で担当するつもりで、撮影前に準備を進めた。ところが彼が作った“スーツ”は、素材に柔軟性がなく、ハートの顔や身体と“融合”させることができなかったのである。 この大失態は、メルやサンガーが手を尽くして、専門のスタッフを呼び寄せることで、事なきを得た。とはいえリンチは、クビを覚悟した。 しかしメルは、リンチを叱責しなかった。彼が言ったのは、「二度とこういうことに手を出しちゃだめだ。君は監督の仕事だけでも十分大変なんだから」だけだったという。 メルは自分の名をプロデューサーとしてクレジットすると、観客からコメディだと勘違いされることを危惧して、敢えて名前を外した。それなのに、誰よりも頼もしいプロデューサーとして、製作会社や出資者からの圧力や口出しを、監督に届く前に、ほぼねじ伏せた。 最終的にパラマウントに作品を見せた際も、「出だしの象と、ラストの母親はカットすべき」との意見には、断固無視を決め込んだ。実際に公開後も、象の行進にメリックの母親らしい女性が蹂躙される、冒頭のイメージと、昇天するメリックの視覚らしい、ラストの母親のアップは、「不要では?」という声が、評論家や観客からも相次いだ。 しかしそれから40数年経ってみると、これらのシーンは、絶対的に必要だ。なぜなら、後年のリンチ作品と比べると、至極真っ当に作られている『エレファント・マン』の中で、これらほど、“リンチらしさ”が横溢しているシーンはないからだ。 リンチを監督させることにこだわったスチュアート・コーンフェルドと、リンチの本質を見極めて、それを受け入れたメル・ブルックス。この2人は後年似たような経緯で、デヴィッド・クローネンバーグに『ザ・フライ』(86)を撮らせている。2大カルト監督にメジャーへの道を切り開いた功績は、至極大きい。『エレファント・マン』は、1980年度のアカデミー賞で、作品賞、監督賞、主演男優賞など8部門にノミネート。しかしこの年は、ロバート・レッドフォード初監督の『普通の人々』や、マーティン・スコセッシ×ロバート・デ・ニーロのコンビ作『レイジング・ブル』など強力なライバルがあったため、オスカー像を1本たりとも勝ち取ることはできなかった。 それに対してメル・ブルックスは、こう言い放ったという。「今から10年経てば『普通の人々』は雑学クイズの解答だが、『エレファント・マン』は相変わらずみんなが見ているさ」 さて日本では本作『エレファント・マン』は、「東宝東和マジック」などと言われる、ゼロから100を生み出す、配給会社のプロモーションの大成功例としても、名高い。 メインの惹句は、~「真実」は―語りつくせないドラマを生んだ~。こうして“感動大作”であることをグッと押し出すと同時に、ジョン・メリックの顔や身体のヴィジュアルを、とにかく隠した。公開前のプロモーションでは徹底して、彼が一つ目のマスクを被った姿しか見せなかったのだ。 “エレファント・マン”が、一体どんな顔をしているのか?観客の関心を、とことん煽る、まさに“見世物小屋”のような仕掛け。これが功を奏して、本作は配給収入23億円超と、この年の日本での、№1ヒットとなった。 ある意味本作に、これほど相応しいプロモーションは、なかったかも知れない。今はもう考えられない、遠い遠い昔…の話である。■ 『エレファント・マン』© 1980 Brooksfilms Ltd
-
COLUMN/コラム2023.11.08
ここからキャメロン・ディアスの快進撃が始まる!ファレリー兄弟“おバカ映画”の最高傑作!!『メリーに首ったけ』
2018年度のアメリカ映画賞レース。その頂点とも言うべき「アカデミー賞」で、アルフォンソ・キュアロン監督の『ROMA/ローマ』やスパイク・リーの『ブラック・クランズマン』等々、強力なライバルを打ち破って“最優秀作品賞”に輝いたのは、『グリーンブック』だった。 この作品は、人種差別が激しかった1962年のアメリカを舞台に、実話をベースとした内容。ツアーに出た、黒人ピアニストのドン・シャーリーと、その運転手兼ボディガードに雇われた、粗野な白人トニー・ヴァレロンガの間に生まれる、友情と絆を描いた、感動的な物語である。 作品のクオリティとしては、賞レースを制したことに、何の不思議もない。トニー役のヴィゴ・モーテンセン、トニー役のマハーシャラ・アリがそれぞれアカデミー賞にノミネートされ、後者が助演男優賞に輝いたのも、納得でしかない。 しかし少なくない数の映画ファンが、大きな驚きと違和感を禁じ得なかった。この作品の製作・監督・脚本を務め、作品賞と監督賞のオスカーを手にしたのが、ピーター・ファレリーであったことに。 ピーターは、1990年代中盤から、アメリカン・コメディ・ムービーのTOPランナーとして、数々の“バカ映画”を手掛けてきた、“ファレリー兄弟”の兄の方。そんな彼が、まさか“オスカー監督”になってしまうなんて! 私の場合、アカデミー賞でのピーター・ファレリーの歓喜の表情を見ながら、彼と弟のフィルモグラフィーの中でも、特に笑い転げた傑作コメディを思い出していた。『グリーンブック』のちょうど20年前に製作・公開された、本作『メリーに首ったけ』(1998)である。 ***** 高校生のテッド(演:ベン・スティラー)は、同級生のメリー(演:キャメロン・ディアス)に恋している。しかしキュートで人気者の彼女に、冴えない自分が相手にされるなど、想像もつかないことだった ところが、知的障害のある男の子をイジメから救ったことで、幸運が訪れる。何と彼は、メリーの弟。テッドに大感謝のメリーは、彼をプロム・パーティーへと誘った。 しかしプロム当日、メリーを迎えに行ったテッドを悲劇が襲う。トイレでジッパーに、大事なイチモツを挟み、救急車で搬送されるハメに。すべては台無しとなった…。 それから13年。テッドはメリーのことが、忘れられない。そこで親友のドムから紹介された、ヒーリー(演:マット・ディロン)という胡散臭い男を、調査に雇うことに。 ヒーリーは、今はマイアミで整形外科医となったメリーを見つけ出す。彼女は眩しいほどに美しく、ヒーリーは一目惚れ。テッドには現在の彼女のことを、「体重120㌔で車椅子生活」「父親の違う4人の子の母親」などと虚偽報告を行う。その上で自らは、マイアミへと引っ越し。メリーに近づこうと、様々な策を講じる。 報告が嘘であることを知ったテッドも、マイアミへ向かう。そして再会を喜ぶメリーから、首尾良くデートの約束を取り付ける。 しかしメリーに首ったけなのは、テッドやヒーリーだけではなかった。それも皆、ストーカー行為を辞さない、一癖も二癖もある男ばかり。テッドの13年に渡る片想いの行方は!? ステキなメリーは一体、誰を選ぶのか!? ***** ロードアイランド州出身で、1956年生まれのピーター・ファレリーと、58年生まれのボビー・ファレリーの兄弟。90年代に全米で大人気だったシットコム、「となりのサインフェルド」に、2人の書いた脚本が売れたことから、業界でのキャリアが始まる。 クレジット上は、ピーターが監督、ボビーが共同製作になっている、『ジム・キャリーはMr.ダマー』(94)が、映画界に於ける2人の共同監督のはじまり。邦題通りにジム・キャリーと、ジェフ・ダニエルズが大バカコンビを演じるこの作品は、全米で製作費の10倍以上、2億5,000万㌦もの興収を上げる大ヒットとなった。 続いての作品は、ウッディ・ハレルソンとランディ・クエイド主演のボウリング・コメディ『キングピン/ストライクへの道』(96)。今度はちゃんと、ファレリー兄弟共同監督名義の作品となった。 そして第3作が、本作『メリーに首ったけ』である。元は89年に、TVのベテラン作家だった、エド・デクターとジョン・J・ストラウスが書いたオリジナルストーリー。それを、新作企画を探していたファレリー兄弟が、友人のエドから貰ったのが、はじまりだった。 本作のストーリーだけを追うと、ある意味「普遍的なラブストーリー」にも見える。それをオリジナルの作者であるエドとジョン、そしてファレリー兄弟の4人で、少しずつ書き変えた。その際に、物語の序盤でテッドを襲う“悲劇”をはじめ、ファレリー兄弟お得意の、「低俗なユーモア」を次々と盛り込んでいったのである。 因みにこの“悲劇”の元ネタとなったのは、ファレリー家で実際に起こったアクシデント。兄弟の姉がパーティを開いた際、客のひとりが同じようにジッパーにイチモツを挟んでしまい、兄弟の母がそれを助けたのだという。 そんなリライトを経て、出来上がったのは、ボビー・ファレリー曰く、「『恋人たちの予感』と『ブレージング・サドル』を足して2で割ったような…」内容。『恋人たちの予感』(89)は、“ロマコメの女王”メグ・ライアンとビリー・クリスタルが共演した、恋愛コメディの名作である。それに対して『ブレージング・サドル』(74)は、“アメリカン・コメディの巨匠”メル・ブルックスによる、西部劇をパロディにした、大バカなスラップスティックコメディだ。 因みにボビーは本作について、『恋人たちの予感』の原題“When Harry Met Sally(ハリーがサリーに出会った時)”をもじって、『ハリーがサリーをストーキングした時』と呼んでもいいとも、語っている。 配役に関しては、テッド役のベン・スティラーは、ファレリー兄弟の第一希望が通ったもの。しかし当初、製作会社側はベンでは弱いと考えたのか、他にオーウェン・ウィルソンやジム・キャリーの名前も上がったという。 結果的にベンは適役だったが、本作を成功に導いたのは、何と言っても、メリー役にキャメロン・ディアスを得たことが大きい。 十代からモデルとして活動していたキャメロンの俳優デビューは、21才の時。『マスク』(94)で、主演のジム・キャリーの相手役を務めたのが、ほぼ初めての演技だった。 この作品は大ヒット。キャメロンの知名度も上がったが、『マスク』での役どころは、あくまでも、ジム・キャリーの付属物。そこで彼女は、演技の経験を積む意味もあって、暫しの間、低予算のインディペンデント映画への出演を続けた。 そして97年、ジュリア・ロバーツ主演の『ベスト・フレンズ・ウェディング』、ダニー・ボイル監督の『普通じゃない』と、話題作に立て続けに出演。評価が高まったところでの“主演”が、本作だった。 しかしキャメロンのエージェントは、本作の脚本を一目見て、これには関わらないように、彼女に忠告したという。下ネタが目白押しで、障害者をネタにしたり、動物虐待ギャグもふんだんに入った作品に出るなど、「正気の沙汰じゃない」「キャリアが終わる」と、考えたからだ。 一方でファレリー兄弟は、キャメロンの出演を熱望。メリーのキャラには、実在のモデルが居たという。それは、ファレリー兄弟の近くにいた魅力的な女の子。ところがその子は、若くして事故で亡くなってしまった。兄弟は彼女への想いをたっぷりと籠めて、美しくも心優しいメリーのキャラを造型した。そしてキャメロンは、その役にピッタリだったのだ! 彼女のスケジュールに合わせて、撮影開始を遅らせるなどの配慮も、心に響いたのか?キャメロンは周囲の反対を押し切って、本作のオファーを受けることとなった。 実は当時のキャメロンは、ヒーリー役のマット・ディロンと交際中で、恋人同士での共演となった。しかし共演は、これが最初で最後となる。本作公開後、2人に別離が訪れたのは、キャメロンのキャリアが本作で急上昇し、ディロンと逆転してしまったことが、無関係とは言えまい。 そうした以外でも、キャメロンにとって『メリーに首ったけ』は、至極大切な作品となった。本作から10年後、キャメロンの父エミリオが、58歳の若さでこの世を去った際、彼女は本作の場面を使って、父の追悼映像を作ったのである。『メリーに首ったけ』の撮影現場で娘に同行していたエミリオは、マイアミに向かうテッドが、誤って逮捕された後の警察でのシーンにカメオ出演している。その役どころは、テッドが釈放される際に囃し立てて見送る、赤い服を着た囚人達の内の1人。長髪で髭をはやしたエミリオが、スクリーン上にはっきりと確認できる。 エキストラに友人・知人を多く起用するなど、ファレリー兄弟の撮影現場は、非常に楽しく和やかな雰囲気だったという。そんな中で、キャメロンが「懐疑的」になったのは、本作で最も有名だと言っても良い、“ヘアジェル”のギャグ。未見の方のために詳細は伏せるが、テッドとのデートに出掛ける前、メリーがある体液を、ヘアジェルと間違えて髪に付けて…というシーンである。 キャメロン曰く、これはさすがに「…行き過ぎかも」と思ったそうで、ファレリー兄弟に、「女の子がデート時に自分の髪の異変に気付かないはずがない」と異を唱えた。しかしそれに対する兄弟の答は、「…これは誰も見たことがないようなサイコーに笑えるシーンになるんだから、やってくれなくちゃダメだ!」だった。 他のやり方も試しながら、最終的にはキャメロンも納得して、このシーンを演じた。そして、「映画史に残る」…と言っても過言ではない、観てのお楽しみの、あのヴィジュアルが生まれたのである。 本作で少なくない者から不興を買ったのは、メリーの弟が知的障害であったり、メリーに惚れている男の1人が、脚が悪いのを装っているシーンなど。「障害者をバカにしている」というわけだ。 しかしながら、障害はあくまでも個性の一部であり、健常者であろうと障害者であろうと、良い奴もいれば悪い奴もいる…というのが、ファレリー兄弟のスタンス。本当に障害のある者をキャスティングすることも多い彼らによると、こうした描写にクレームを付ける者のほとんどは健常者で、障害者の側からは、むしろ強く支持されることが多いという。 『メリーに首ったけ』は公開されるや大ヒットとなり、3億7,000万㌦もの興収を上げた。自信を深めたファレリー兄弟は本作以降、“解離性同一性障害”の男をジム・キャリーが演じる、『ふたりの男とひとりの女』(2000)、美しい心を持った100㌔超の女性がヒロインである、『愛しのローズマリー』(01)、結合双生児の恋模様を描く『ふたりにクギづけ』(03)等々、“おバカコメディ”の体裁の中で、常に人々の“差別意識”を問い続けていく そして2019年2月24日、アカデミー賞の授賞式。『グリーンブック』で作品賞に輝いたピーター・ファレリーは、次のようなスピーチを行った。「…この映画は愛についての物語です。お互いに違いがありながらも愛すること。そして自分を知り、我々は同じ人間なんだと知ることです…」『メリーに首ったけ』など、弟のボビーと共に“おバカ映画”の数々で扱ってきたテーマを、ピーターがより普遍的にブラッシュアップさせたのが、『グリーンブック』だったのである。■ ◆『メリーに首ったけ』撮影中のキャメロン・ディアス(左)と、ボビー・ファレリー(中央)&ピーター・ファレリー監督(右) 『メリーに首ったけ』© 1998 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.
-
COLUMN/コラム2023.10.31
アメリカ社会の分断を痛烈に風刺した衝撃の問題作!『ザ・ハント』
※注:以下のレビューには一部ネタバレが含まれます。 人間狩りの獲物はトランプ支持者!? トランプ政権以降のアメリカで進行するイデオロギーの極端な二極化。右派と左派がお互いへの敵意や憎悪をどんどんとエスカレートさせ、社会の分断と対立はかつてないほど深刻なものとなってきた。それを率先して煽ったのが、本来なら両者の溝を埋めねばならぬ立場のトランプ元大統領だったというのは、まるで趣味の悪いジョークみたいな話であろう。そんな混沌とした現代アメリカの世相を、ブラックなユーモアとハードなコンバット・アクション、さらには血みどろ満載のバイオレンスを交えながら、痛烈な皮肉を込めて風刺した社会派スプラッター・コメディが本作『ザ・ハント』(’20)である。 物語の始まりは、とあるリッチなビジネス・エリート集団のグループ・チャット。メンバー同士の他愛ない会話は、「領地(マナー)で哀れな連中を殺すのが楽しみ!」という不穏な話題で締めくくられる。その後、豪華なプライベート・ジェットで「領地(マナー)」へと向かうエリート男女。すると、意識のもうろうとした男性が貨物室から迷い出てくる。驚いてパニックに陥る乗客たち。男性を落ち着かせようとした医者テッドは、「予定より早く起きてしまった君が悪い」と言って男性をボールペンで刺し殺そうとし、プライベート・ジェットのオーナーである女性アシーナ(ヒラリー・スワンク)が男性の息の根を止める。「このレッドネックめ!」と忌々しそうに吐き捨てながら、遺体を貨物室へ戻すテッド。すると、そこには眠らされたまま運ばれる人々の姿があった。 場所は移って広い森の中。猿ぐつわをかませられた十数名の男女が目を覚ます。ここはいったいどこなのか?なぜ猿ぐつわをしているのだろうか?自分の置かれた状況が理解できず戸惑う人々。よく見ると草原のど真ん中に大きな木箱が置かれている。中を開けてみると、出てきたのは一匹の子豚と大量の武器。直感で事態を悟り始めた男女は、それらの武器をみんなで分ける。するとその瞬間、どこからともなく浴びせられる銃弾、血しぶきをあげながら次々と倒れていく人々。これで彼らは確信する。これは「マナーゲートだ!」と。 マナーゲートとは、ネット上でまことしやかに噂される陰謀論のこと。アメリカの富と権力を牛耳るリベラル・エリートたちが、領地(マナー)と呼ばれる私有地に集まっては、娯楽目的で善良な保守派の一般庶民を狩る。要するに「人間狩り」だ。やはりマナーゲートは実在したのだ!辛うじて森からの脱出に成功した一部の人々は、近くにある古びたガソリン・スタンドへと逃げ込む。親切そうな初老の店主夫婦によると、ここはアーカンソー州だという。店の電話で警察へ通報した彼らは、そこで助けが来るのを待つことにする。ところが、このガソリン・スタンド自体が人間狩りの罠だった。 あえなく店主夫妻(その正体は狩る側のエリート)に殺されてしまう男女。すると、そこへ一人でやって来た女性クリスタル(ベティ・ギルピン)。鋭い観察力と判断力でこれが罠だと見抜いた彼女は、一瞬の隙をついて店主夫妻を殺害し、やがて驚異的な戦闘能力とサバイバル能力を駆使して反撃へ転じていく。果たして、この謎めいた女戦士クリスタルの正体とは何者なのか?狩りの獲物となった男女が選ばれた理由とは?そもそも、なぜエリートたちは残虐な人間狩りを行うのか…? リッチでリベラルな意識高い系のエリート集団が、まるでトランプ支持者みたいなレッドネックの右翼レイシストたちを誘拐し、人間狩りの獲物として血祭りにあげていく。当初、本作の予告編が公開されると保守系メディアから「我々を一方的に悪者と決めつけて殺しまくる酷い映画だ!」と非難され、トランプ大統領も作品名こそ出さなかったものの「ハリウッドのリベラルどもこそレイシストだ!」と怒りのツイートを投稿。ところが、蓋を開けてみるとエリート集団の方も、傲慢で選民意識が強くて一般庶民を見下した偽善者として描かれており、一部のリベラル系メディアからは「アンチ・リベラルの右翼的な映画」とも批判されている。言わば左右の双方から不興を買ってしまったわけだが、しかし実のところどちらの批判も的外れだったと言えよう。 本作にはトランプ支持者を一方的に貶める意図もなければ、もちろんリベラル・エリートの偽善を揶揄するような意図もない。むしろ、彼らの思想なり信念なりを劇中では殆ど掘り下げておらず、その是非を問うたりすることもなければ、どちらかに肩入れしたりすることもないのである。脚本家のニック・キューズとデイモン・リンデロフがフォーカスしたのは、左右の双方が相手グループに対して抱いている「思い込み」。この被害妄想的な間違った「思い込み」が、アメリカの分断と対立を招いているのではないか。それこそが本作の核心的なメッセージなのだと言えよう。そう考えると、上記の左右メディア双方からの批判は極めて象徴的かつ皮肉である。 陰謀論を甘く見てはいけない! そもそも、本作のストーリー自体が「思い込み」の上に成り立っている。きっかけとなったのは「マナーゲート」なる陰謀論。「エリートが庶民を狩る」なんて極めてバカげた荒唐無稽であり、実のところそんなものは存在しなかったのだが、しかしその噂を本当だと思い込んだ陰謀論者たちが特定の人々をやり玉にあげ、そのせいで仕事を奪われたエリートたちが復讐のために陰謀論者をまとめて拉致し、本当に人間狩りを始めてしまったというわけだ。まさしく「思い込み」が招いた因果応報の物語。しかも、主人公クリスタルが獲物に選ばれたのも、実は「人違い」という名の思い込みだったというのだから念が入っている。なんとも滑稽としか言いようのいない話だが、しかしこの手の思い込みや陰謀論を笑ってバカにできないのは、Qアノンと呼ばれるトランプ支持の陰謀論者たちが勝手に暴走し、本作が公開された翌年の’21年に合衆国議会議事堂の襲撃という前代未聞の事件を起こしたことからも明らかであろう。 ただ、これを大真面目な政治スリラーや、ストレートな猟奇ホラーとして描こうとすると、社会風刺という本作の根本的な意図がボヤケてしまいかねない。そういう意味で、コミカル路線を採ったのは大正解だったと言えよう。血生臭いスプラッター・シーンも、ノリは殆んどスラップスティック・コメディ。その荒唐無稽でナンセンスな阿鼻叫喚の地獄絵図が、笑うに笑えない現代アメリカの滑稽なカオスぶりを浮かび上がらせるのだ。脚本の出来の良さも然ることながら、クレイグ・ゾベル監督の毒っ気ある演出もセンスが良い。 さらに、本作は観客が抱くであろう「思い込み」までも巧みに利用し、ストーリーに新鮮なスリルと意外性を与えることに成功している。例えば、冒頭に登場する獲物の若い美男美女。演じるのはテレビを中心に活躍するジャスティン・ハートリーにエマ・ロバーツという人気スターだ。当然、この2人が主人公なのだろうなと思い込んでいたら、ものの一瞬で呆気なく殺されてしまう。その後も、ならばこいつがヒーローか?と思われるキャラが早々に消され、ようやく本編開始から25分を過ぎた辺りから、それ以前に一瞬だけ登場したけどすっかり忘れていた地味キャラ、クリスタルが本作の主人公であることが分かってくる。すると今度は、それまでの展開を踏まえて「やはり彼女もそのうち殺されるのでは…?」と疑ってしまうのだから、なるほど人間心理って面白いものですな。映画の観客というのはどうしても先の展開を読もうとするものだが、当然ながらそこには過去の映画体験に基づく「思い込み」が紛れ込む。本作はその習性を逆手に取って、観客の予想を次々と裏切っていくのだ。 その主人公クリスタルを演じているのは、女子プロレスの世界を描いたNetflixオリジナル・シリーズ『GLOW:ゴージャス・レディ・オブ・レスリング』(‘17~’19)で大ブレイクした女優ベティ・ギルピン。アクション・シーンの俊敏な動きとハードな格闘技は、3年に渡って女子プロレスラー役を演じ続けたおかげなのかもしれない。しかしそれ以上に素晴らしいのは、劇中では殆ど言及されないクリスタルの人生背景を、その表情や佇まいやふとした瞬間の動作だけで雄弁に物語るような役作りである。タフで寡黙でストイック。質素な身なりや険しい顔つきからも、相当な苦労を重ねてきたことが伺える。それでいて、鋭い眼差しには高い知性と思慮深さが宿り、きりっと引き締まった口元が揺るぎない意志の強さを物語る。恐らく、恵まれない環境のせいで才能を発揮できず、辛酸を舐めてきたのだろう。夢や理想を抱くような余裕もなければ、陰謀論にのめり込んでいるような暇もない。そんな一切の大義名分を持ち合わせていないヒロインが、純然たる生存本能に突き動かされて戦い抜くというのがまた痛快なのだ。 本作が劇場公開されてから早3年。合衆国大統領はドナルド・トランプからジョー・バイデンへと交代し、いわゆるQアノンの勢いも一時期ほどではなくなったが、しかしアメリカ社会の分断は依然として解消されず、むしろコロナ禍の混乱を経て左右間の溝はなお一層のこと深くなったように思える。それはアメリカだけの問題ではなく、日本を含む世界中が同じような危機的状況に置かれていると言えよう。もはや映画以上に先の読めない時代。より良い世界を目指して生き抜くためには、分断よりも融和、対立よりも対話が肝心。ゆめゆめ「思い込み」などに惑わされてはいけない。■ 『ザ・ハント』© 2019 Universal City Studios LLLP & Perfect Universe Investment Inc. All Rights Reserved.
-
COLUMN/コラム2023.10.30
元祖カンフー映画スター、ジミー・ウォングの代表作は、荒唐無稽&血まみれ上等のB級エンターテインメント!『片腕ドラゴン』
天皇巨星と呼ばれた伝説のスター、ジミー・ウォング ジャッキー・チェンの前にブルース・リーあり、そしてブルース・リーの前にジミー・ウォングあり。香港映画界の歴史に燦然と輝く元祖カンフー映画俳優にして、畏敬の念を込めて「天皇巨星」と呼ばれた伝説のスーパースター、ジミー・ウォングの、これは名刺代わりとも言うべき代表作である。といっても、近ごろは「ジミー・ウォングって名前くらいなら聞いたことあるけれど…」という映画ファンも少なくないだろう。後輩であるブルース・リーやジャッキー・チェンの世界的な名声によって、すっかりその存在がかき消されてしまった感は否めない。実際、’22年4月5日に79歳でこの世を去った時も、残念ながら日本ではあまり大きな話題にはならなかった。そこでまずは、唯一無二にして不世出の映画スター、ジミー・ウォングの華麗なる足跡を辿ってみたい。 生まれも育ちも中国の上海というジミーは、まだ18歳だった’61年に香港へと移住。高校時代から水泳および水球の選手として活躍し、香港の大学でも水球チームに所属していたのだが、しかし公式戦でルール違反を起こして1年間の出場停止を食らってしまう。おかげで何もすることがない。溢れんばかりのエネルギーと暇を持て余してしまった若きジミー。そんな折、彼の目に飛び込んできたのが、香港最大の映画会社ショウ・ブラザーズが新人俳優を募集しているとの新聞記事だったのである。 ‘58年にラン・ラン・ショウとランメ・ショウの兄弟が設立した映画会社ショウ・ブラザーズ(以下、ショウブラと省略)。当初、伝統的な中国歌劇の要素を取り入れた歌謡時代劇=黄梅調映画に力を入れていた同社だが、やがて中国版チャンバラ時代劇、いわゆる武侠映画への路線変更を模索するようになり、当時はそのためのニューフェイスを探していたのである。オーディションに集まった応募者は4000名以上。その中から最終的に選ばれたのが、後に渋い名脇役となるチェン・ライ、『キング・ボクサー/大逆転』(’72)でもお馴染みのロー・リエ、そして我らがジミー・ウォングの3名だった。 かくして、俳優養成所での訓練を経て’65年に映画デビューを果たし、翌年には当時まだ無名だったチャン・チェ監督の武侠映画『虎侠殲仇』(‘66・日本未公開)で初主演を果たしたジミー・ウォング。しかし彼の名声を一躍高めたのは、同じくチャン・チェ監督と組んだ『片腕必殺剣』(’67)だったと言えよう。不幸な出来事によって右腕を失った若き天才武道家が、親代わりである師匠とその一門を邪悪な勢力から救うべく、秘伝の片腕剣法を極めて敵に立ち向かっていく。チャン・チェ監督らしいストイックかつマッチョなヒロイズムと、黒澤明作品など日本の時代劇映画からの影響も色濃いハードなバイオレンス描写は、それまでの様式化されマンネリ化した武侠映画のジャンルに新風を吹き込み、なんと香港映画として初めて国内興収が100万香港ドルを突破する大ヒットを記録。同時期に公開されたキン・フー監督の傑作『大酔侠』(’67)と並んで、’60年代武侠映画ブームの起爆剤となったのである。 この『片腕必殺剣』の大成功によって、一躍ショウブラの看板スターとなったジミーは、引き続きチャン・チェ監督との名コンビで『大女侠』(’68)や『続・片腕必殺剣』(’69)などの武侠映画でヒットを連発。こうして地位と名声を固めた彼は、満を持して映画監督へ進出するべく、自ら書いた脚本を社長ラン・ラン・ショウと恩師チャン・チェ監督のもとへ持ち込む。それが、剣術ではなく格闘技をメインに据えたアクション映画=カンフー映画の元祖と呼ばれる『吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー』(’70)だった。 全盛期が長続きしなかった理由とは? ところが、この初監督企画にショウ社長もチャン監督も揃って難色を示す。当時まだ20代半ばだったジミーの若さと経験不足を心配したショウ社長。一方、チャン監督は格闘技映画なんて流行らない、今まで通りの武侠映画でいいんじゃないかと再考を促したらしい。もともと香港には格闘技映画の伝統もあり、中でも実在した伝説的な格闘家ウォン・フェイホンを題材にしたカンフー映画が’50年代に大流行したのだが、しかしやはり様式化とマンネリ化で若い世代からそっぽを向かれるようになり、’60年代にはすっかり下火となっていたのである。それでも信念を曲げなかったジミーは台湾移住をほのめかし、看板スターを失うことを恐れたショウ社長は渋々ながらも『吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー』の企画にゴーサインを出したというわけだ。 道場破りの柔道家と日本から来た空手家に師匠や仲間を殺され、自らも瀕死の重傷を負った若き格闘家が、空手に対抗する秘術・鉄沙掌と軽功の鍛錬を極めて復讐に立ち上がる。チャン・チェ監督譲りの血生臭いバイオレンス描写に加えて、天井や壁を突き破って縦横無尽に暴れまくるという、ジミー・ウォング監督の劇画的でケレン味たっぷりの荒唐無稽なアクション演出はインパクト強烈で、蓋を開けてみれば『片腕必殺剣』を遥かに凌ぐ興行収入200万香港ドルのメガヒットを記録。これがきっかけとなって、’70年代の香港映画界はカンフー映画ブームが席巻することになる。 その一方で、本作をアメリカで見たブルース・リーが「こんなのは格闘技じゃない!」と憤慨し、それが香港へ戻って本格的なカンフー映画に出演する動機のひとつになったとも伝えられているように、ブルース・リー以降のリアルな格闘技アクションを見慣れた現代の観客からすると、一連のジミー・ウォング作品で披露されるカンフー技は単なるダンスにしか見えないだろう。まあ、それは仕方あるまい。確かに学生時代は水球選手として活躍し、アスリートとしての素地はあったジミーだが、しかし格闘技に関しては殆んど素人も同然。そのうえ、可愛らしいベビーフェイスで体格も華奢なため、なるほど動きこそ俊敏かつシャープであるものの、しかし残念ながら全く強く見えないというのが玉に瑕だった。 それゆえ、武術指導者として道場まで持っていたブルース・リーやスタントマン出身のデヴィッド・チャン、詠春拳の心得があるティ・ロンなど「本物」のカンフー・スターたちが台頭すると、あっという間に人気を取って代わられてしまう。もちろん、黒社会との癒着や傷害事件などのスキャンダルが足を引っ張ったという側面もあったろう。とはいえ、『吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー』がなければカンフー映画ブームは起きず、ブルース・リーが香港映画を足掛かりに世界へ羽ばたくこともなかったかもしれない。生前のジミー・ウォング自身、「遅かれ早かれ、誰かがこういう映画を作っていただろうとは思う。それでも、このタイミングで自分がこの映画を作らなかったら、もしかするとブルース・リーが活躍することもなかったかもしれない」と語っている。 とにもかくにも、『吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー』でカンフー映画の新規路線を開拓し、俳優としてのみならず監督としても輝かしい名声を手に入れたジミー・ウォング。ところが、当時のショウブラとの契約は月給制で、ジミーほどの大スターでも月額2000香港ドルという薄給のままだった。これに不満を募らせた彼は、’71年にライバル会社ゴールデン・ハーヴェストへと移籍する。当時まだ新興スタジオだったゴールデン・ハーヴェストは、ショウブラの元製作本部長レイモンド・チョウが設立した会社。ジミー・ウォング曰く、映画界入りした当初から最も世話になったのがチョウ氏だったそうで、そのチョウ氏に対する忠誠心とショウ社長やチャン監督への不信感が彼に移籍を決意させたようだ。 ところが、当然ながらショウブラ側はこの背信行為に激怒。裁判の結果、ジミーは香港での活動が不可能になってしまう。そこで、レイモンド・チョウの助言もあって台湾へ移住した彼は、主に同地を拠点としながらゴールデン・ハーヴェストや中小プロダクションの映画へ出演するようになる。その新天地で再びジミー・ウォングが監督・脚本・主演の3役にチャレンジし、当時まだ創業して間もないゴールデン・ハーヴェストに初めての成功をもたらした作品が、香港・台湾はもとより欧州やアメリカでも大ヒットしたカルト映画『片腕ドラゴン』(’72)だった。 インパクト強烈なヴィランたちにも要注目! 質実剛健で礼儀を重んじる正徳武館に、金儲けのためなら麻薬密売や売春も厭わない鉄鈎門という、相対する武道流派が勢力を二分する小さな町が舞台。街頭で森下仁丹の広告が見受けられることから察するに、恐らく大日本帝国を含む列強諸国による半植民地化が進んだ北京政府時代の中国本土という設定なのだろう。ある日、罪もない一般庶民に暴力を振るう鉄鈎門一味の狼藉を見るに見かねた正徳武館の二番弟子ティエンロン(ジミー・ウォング)は、一緒にいた弟弟子たちと共に連中をコテンパンに成敗してしまう。メンツを潰された鉄鈎門のザオ師匠(ティエン・イエー)は一門を引き連れて正徳武館へ殴り込みをかけるも、今度は正徳武館のハン師匠(マー・チ)に撃退されてしまった。 どうにも腹の虫がおさまらないザオ師匠。そこで彼は、麻薬密売の売上金をエサにして、諸外国の格闘家を殺し屋として雇うことにする。その頂点に立つのが、ケダモノのような牙が生えた日本の空手家・二谷太郎(ロン・フェイ)、その愛弟子である長谷川と坂田。そのほか、同じく日本の柔道家・高橋にテコンドー師範の朝鮮人キム、ムエタイ選手のタイ人兄弟ナイとミー、インドのヨガ師匠モナにチベットのラマ僧ズオロンとズオフーなど、いずれ劣らぬ凶暴な極悪人ばかりだ。 かくして、金で集めた殺し屋軍団を従えて正徳武館を襲撃するザオ師匠の鉄鈎門一味。外国の格闘技に知識のない正徳武館の面々は劣勢に立たされ、門下生たちはおろかハン師匠まで皆殺しにされてしまう。唯一、奇跡的に生き残ったティエンロンも、怪力の二谷に右腕をもぎ取られてしまった。瀕死の状態を通りがかった町医者親子に救われ、医者の娘シャオユー(タン・シン)の献身的な介護のおかげで回復したティエンロン。しかし、片腕だけでは殺された師匠や仲間たちの復讐もできない。生きる気力を失ったティエンロンだったが、そんな彼にシャオユーが言う。古くから伝わる薬草を使って秘伝の片腕拳法「残拳」を修得すれば、石を割るほどの破壊力を持つ鋼鉄の拳を手に入れることが出来るというのだ。そのために左腕の神経を焼き切り、血の滲むような猛特訓を重ねたティエンロンは、鉄鈎門の一味と殺し屋軍団にたった一人で立ち向かっていく…。 基本的なあらすじは『吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー』とほぼ一緒。そこに『片腕必殺剣』で確立した片腕アクションの要素を盛り込んだだけである。いやあ、なんというか、セルフ・パロディならぬセルフ・コピー(笑)。要は使い回しってやつですな。ちなみに、『吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー』のあらすじは、チャン・チェ監督も『キング・ボクサー/大逆転』でちゃっかりとパクっている。これはジミーのゴールデン・ハーヴェスト移籍に腹を立てたチャン監督が、ジミーへの腹いせとしてパクったとも言われているが、いずれにせよこの『キング・ボクサー/大逆転』が結果として、欧米でヒットした初めての香港カンフー映画となったのだから皮肉なもんである。 閑話休題。『吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー』で劇画的な荒唐無稽を打ち出したジミー・ウォング監督だが、本作ではさらにその傾向がエスカレート。もはや格闘技とは呼べないような超人技が次々と飛び出し、血飛沫の乱れ飛ぶ阿鼻叫喚の肉弾バトルが異常なテンションで展開していく。指一本の片腕逆立ちでピョンピョン飛び跳ねるなんてのは、『柔道一直線』の足の指先で「猫ふんじゃった」をピアノ演奏する近藤正臣も真っ青の離れ業(笑)。そう、基本的なノリは『柔道一直線』なのですよ。それもウルトラ・バイオレントな!なので、アジア各国から集まった殺し屋の格闘家たちもマンガ的なキャラばかり。いや待てよ、ヨガって格闘技だったっけ!?と突っ込む間もなく、個性豊かなヴィランたちが次々と登場する。 中でも特に強烈なのが日本の空手家・二谷太郎。吸血鬼のごとき牙の生えた御面相は、もはやケダモノというよりはバケモノである。『吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー』に出てくる日本の空手家3人組もなかなか異様だったが、しかし本作はその比じゃないだろう。そういえば、二谷太郎役の俳優ロン・フェイは、本作の続編『片腕カンフー対空飛ぶギロチン』(’76)でも日本人の悪役を演じていた。当時の香港のカンフー映画において、悪役といえば日本人、日本人といえば悪役が定番。かつての大日本帝国は、アジア近隣諸国の人々に恨まれて当然の悪事をしでかしたのだから、まあ、こればかりは仕方あるまい。当時は日本占領時代を経験した香港人も大勢存命だったろうしね。 ただ、そうした中において本作がユニークなのは、日本人のみならずタイ人や朝鮮人、チベット人にインド人など外国人全般を脅威として描くことで、香港のナショナリズムを煽るような意図が少なからず感じられることだろう。この傾向は続編『片腕カンフー対空飛ぶギロチン』にも引き継がれる。ジミー・ウォング作品といえば女性キャラの扱いが男尊女卑的だったりもするのだが、その辺を含めて彼の作家性みたいなものが何となく垣間見えるようにも思う。 なお、本作のタイトル・クレジットのBGMを聴いてビックリする人もいるだろう。なにしろ、ハリウッド映画『黒いジャガー』(’71)のテーマ曲が堂々と鳴り響くのですからね(笑)!その後も、ここぞという見せ場で繰り返し『黒いジャガー』のテーマが流れてくるのだが、もちろん著作権無視の無断使用。『キング・ボクサー/大逆転』の『鬼警部アイアンサイド』のテーマも有名だが、既存の有名な映画音楽やヒット曲などを勝手に使うのは、当時の香港映画の常とう手段みたいなものだったのである。 ということで、グラインドハウス映画的ないかがわしさがプンプンとする極上のB級アクション・エンターテインメント。相変わらずジミー・ウォングの格闘技も胡散臭いのだけど、なんだか妙に可愛らしくて憎めないのだよね(笑)。このそこはかとなく漂う場末感こそが、’70年代の香港カンフー映画の大きな魅力ではないかとも思う。■ 『片腕ドラゴン』© 2010 Fortune Star Media Limited. All Rights Reserved.
-
COLUMN/コラム2023.10.11
イーストウッドに俳優業引退を翻意させた、 新人脚本家との出会い 『グラン・トリノ』
クリント・イーストウッドは、1930年5月生まれ。齢70を越えた2000年代に、9本もの劇映画を監督している。 引退を考えてもおかしくない年頃になって、この驚異的なペース。しかも、自身2度目のアカデミー賞作品賞・監督賞を獲得した『ミリオンダラー・ベイビー』(04)をはじめ、その多くが高評価を勝ち取っている。 しかしながら、『荒野の用心棒』(1964)や『ダーティハリー』(71)等々で、“大スター”のイーストウッドに親しんできたファンたちは、2000年代中盤以降、些か淋しい気持ちにも襲われていた。かつては自らの監督作の多くに主演していたイーストウッドだったが、『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』(共に06)、『チェンジリング』(08)と、この頃に製作・監督した3作品では、スクリーン上に姿を見せなかったのだ。 イーストウッド自身、『ミリオンダラー・ベイビー』を演じ終えた際には、「…もう十分だ。再び演技はしたくない…」と考えるようになっていたという。それから4年、演じる役柄を特に探すこともなく、監督業に専念していた彼は、ある脚本との出会いによって、翻意する。 イーストウッドが主宰する製作会社マルパソ・プロダクションに届けられたその脚本は、無名の新人脚本家が執筆したもの。まずはプロデューサーのロバート・ロレンツが目を通してから、イーストウッドに手渡した。「これが君の監督作になるか出演作になるかはわからないけれど、とにかくおもしろいよ」と言い添えて。 一読したイーストウッドも、すぐに気に入った。その物語の主人公ウォルト・コワルスキーは、それまでイーストウッドが演じてきたキャラクターが、老境を迎えたかのような人物で、まるで“当て書き”と見紛うばかりだった。 そして本作『グラン・トリノ』(08)の映画化が、動き始めた。 ***** ミシガン州デトロイトに住む、ポーランド系アメリカ人のウォルトは、頑固で偏狭な老人。亡き妻が頼った神父にも、「頭でっかちの童貞」と毒づく始末で、2人の息子やその家族ともうまくいっていない。 若き日に従軍した朝鮮戦争で、敵を殺したトラウマを長年抱えてきたウォルト。近隣には、かつて勤務した自動車工場の仲間たちの姿は消え、今やアジア系の移民ばかりが暮らすように。人種的な偏見の持ち主である彼は、そのことにも腹を立てていた。 ある時、隣に住むモン族の少年タオが、不良の従兄弟に強要されて、ウォルトの愛車“グラン・トリノ”を盗みに入る。タオはウォルトにライフルを突きつけられて、這々の体で逃げ出す。 その後行きがかりから、タオやその姉スーが、不良に絡まれているところを救ったウォルト。はじめは嫌っていた彼らと交流を深めていく中で、孤独が癒やされるのを感じる。 折しも自分が死病に侵されているのを知ったウォルトだが、近隣の家の修繕を手伝わせたり、建設現場の仕事を紹介するなどして、タオを“一人前の男”にすることに生きがいを感じるようになる。それに応えるタオも、ウォルトを“師”と慕うように。 そんな時に、タオの従兄弟ら不良たちからの嫌がらせが、再び始まる。ウォルトが彼らの1人に制裁を加えたことから、事態は悪化。タオとスーの一家は危機に立たされる。 復讐心に燃えるタオを制して、ウォルトは言う。「人を殺す気持ちを知りたいのか?最悪だ」 そしてウォルトは、タオたちを守るために、ある決断をする…。 ***** 本作『グラン・トリノ』の脚本は、それまでローカルケーブルTVのコメディ用台本を手掛けてきたというニック・シェンクが、初めて映画用に書いたもの。主人公のモデルになったのは、シェンクが育ったアメリカ中西部のミネソタ州で、たくさん見てきた男たちだという。 曰く、彼らは「感情を全く見せず、何に対しても喜んだりはしない」「多くはベテラン(帰還兵)で、惨たらしいものをたくさん見てきて、自分の感情を奥に深くしまい込むようになってしまった…」 その結果として、「他人にはいつもタフできつく当たり、特に自分の子供に対しめちゃくちゃ厳しい」。そんな男たちの特徴を組み合わせて練り上げたのが、ウォルト・コワルスキーだった。 因みにウォルトと、馴染みの散髪屋のイタリア系店主が、お互い差別語を交えながら会話するシーンも、シェンクの実体験をベースに書かれたもの。長い間工事現場でトラック運転手として働いていたというシェンクは、その外見からいつも、「ハゲチンポ」と呼ばれていたのだという。 朝鮮戦争で凄惨な体験をして、人殺しをしたことに深い悔恨の念を抱く老人ウォルトの隣人となるのは、“モン族”の少年とその家族。これも、シェンクが工場勤務の頃の同僚に、“モン族”が多くいたことがベースになっている。 “モン族”は元々、中国に居た民族。しかし19世紀に清朝に追われて、ラオスやベトナムなど東南アジアに分布するようになった。 1970年代のベトナム戦争時、山岳地の戦いに強い“モン族”の一派を、アメリカ軍がゲリラとして活用。しかし75年、アメリカが戦争に敗れて撤退すると、ラオスでは“モン族”は敵と見なされて、迫害されるようになる。そのため難民として、アメリカまで逃げる者が多数に上った。 2015年時点で、アメリカに暮らす“モン族”は、二世も含めて26万人余りという。『グラン・トリノ』は、ベトナム戦争でアメリカの犠牲となって、アジアの地から移り住んできた“モン族”が、朝鮮戦争で心の傷を負い、長年罪の意識に囚われてきた男ウォルトの、“救い”となり“贖罪”の対象となる物語だ。 本作を監督し、ウォルトを演じたイーストウッドは、それまで“モン族”のことをほとんど知らなかった。そのため文献に目を通すなど、様々なことを学んだ上で、キャストには本物の“モン族”の人々を起用することに、こだわった。 タオ役のビー・バンやスー役のアーニー・ハーは、演技は学校の演劇部や地元の劇団で経験した程度だったが、非常に勘が良く、イーストウッド曰く「作品に確かなリアリティを出してくれた」。英語が全く話せない“モン族”の老人などもキャスティングする中で、イーストウッドは、彼らのことに詳しいエキスパートを招聘。全ての表現が適切かどうかをチェックしながら、撮影を進めたという。 ウォルトは、何かにつけてはライフルを持ち出し、不良たちを相手に一歩も退かない姿勢を見せる。そのキャラに、イーストウッド最大の当たり役『ダーティハリー』シリーズのハリー・キャラハン刑事を重ね合わせ、その老後のように捉える向きも、少なくないだろう。 イーストウッド自身は、「自分ではハリーだとは思わなかった」と笑いながらも、『ミリオンダラー・ベイビー』や『ハートブレイク・リッジ/勝利の戦場』(86)などで、自分が演じてきた主人公たちと重なるところがあることを認めている。「社会や今の世の中から外れた男」で、「人との接し方がわからないし、あらゆることが昔と変わってしまったことにもすねている」のだ。 そんなウォルトである。不良たちのエスカレートする暴力に対しては、ハリー・キャラハンのように銃をぶっ放して、一人残らず殲滅する選択をしても、不思議ではない。いやむしろ、イーストウッド映画のファンとしては、それを期待してしまうだろう。 しかし、“モン族”の若者との交流で、“寛容さ”を学んだ彼は、暴力の連鎖をいかに断つかに腐心。タオたちが、後顧の憂いなく生きていける道を、見つけ出そうとするのだ。 詳しくは本作を、実際に観ていただく他はないが、初公開時にウォルトが採った道を目の当たりにした多くの観客は、まさかの展開に唖然。それでいて、胸を熱くする他はなかったのである。 それにしても、元はイーストウッド主演を前提に書かれたものではない、本作の脚本。実際に映画化権を手にしたイーストウッドが、どれだけ自分自身や己が演じてきたキャラに寄せて、書き直させたのだろうか? ニック・シェンクによると、「脚本から一つか二つシーンをカットして、ロケ地をミネソタ州ミネアポリスからミシガン州デトロイトに移した以外は、ほぼ脚本、一字一句違わずそのまま」イーストウッドは撮り上げたのだという。特にウォルトのセリフは、シェンクが「書いたとおり」に、イーストウッドは演じたのである。 最初に記した通り、1930年生まれのイーストウッドは、ウォルトとほぼ同年代。朝鮮戦争時には、実際に兵役に就いている。幸いにして戦場に出ることはなかったというが。 また本作に取り掛かる直前は折しも、イーストウッドが日本兵を主人公にした『硫黄島からの手紙』を監督して、アジアへの視点が開けたと思しき頃。そんなタイミングで、自分の年代で演じるにはベストと言える、『グラン・トリノ』の脚本と出会ったわけである。 イーストウッドのそうした強運さは、彼が長命にして頑健な肉体を誇ることと合わせて、「天からのプレゼント」という他はない。それは。彼の映画を見続けてきた我々にとってもである。 かくして世に送り出された『グラン・トリノ』は、当時としてはイーストウッド映画史上、最大のヒットを記録した。■ 『グラン・トリノ』© Matten Productions GmbH & Co. KG
-
COLUMN/コラム2023.10.10
ブラピとベネット・ミラー。野球好きでない製作者と監督が生み出した、21世紀型野球映画『マネーボール』
“ブラピ”ことブラッド・ピット(1963~ )が、『リバー・ランズ・スルー・イット』(1992)で、一躍注目の存在となった時、その作品を監督した稀代の二枚目スターに因んで、「第2のロバート・レッドフォード」と謳われた。それからもう、30年余。 ブラピはその間、ハリウッドのTOPランナーの1人として、主演・助演交えて数多くのヒット作・話題作に出演してきた。アカデミー賞は、4度目のノミネートとなった『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019)で、助演男優賞を遂に掌中に収めた。 俳優として以上に評価が高く、辣腕振りを見せているのは、プロデューサー業である。2001年に映画製作会社「プランBエンターテインメント」を設立すると、製作を務めた『ディパーテッド』(06)と『それでも夜は明ける』(14)、製作総指揮とクレジットされている『ムーンライト』(16)の3作品で、アカデミー賞作品賞を受賞。また、製作・主演を務めた、テレンス・マリック監督作『ツリー・オブ・ライフ』(11)は、カンヌ国際映画祭の最高賞=パルム・ドールに輝いている。 そんな彼が2000年代後半、“映画化”に執心。4年の準備期間で幾多もの障害を乗り越え、2011年にリリースしたのが、実在の人物ビリー・ビーンを自ら演じた、本作『マネーボール』である。 ***** 2001年のメジャーリーグベースボール。アメリカン・リーグのオークランド・アスレティックスは、地区シリーズ優勝目前で、ニューヨーク・ヤンキースに敗退。そのシーズンオフには、チームの主力選手3人が、フリーエージェントにより、大金を積んだ他チームへ移籍することが決まった。 チームの編成を担当するのは、GM=ジェネラル・マネージャーのビリー・ビーン。選手の年棒総額が1億~2億にも達する、ヤンキースのような金満球団と違って、アスレチックスが割けるのは、4,000万㌦程度。抜けた選手たちの穴を、金ずくで埋めるなど、不可能だった。 補強に当たってビリーは、球団の古参スカウトらが上げてくる、「主観的」な選手情報に、不信を感じていた。彼自身が高校卒業と同時に、スカウトの「主観的」な高評価と、多額の契約金に目が眩んで、大学進学を取りやめ、メジャーリーグへと進んだ。その結果として、プロの“適性”がなく、惨憺たる現役生活を送った経験があったのである。 ビリーは、トレード交渉でインディアンス球団を訪ねた際、イエール大卒の若きフロントスタッフ、ピーター・ブランドに出会う。ビリーはピーターが、データに基づいて選手たちを「客観的」に評価する「セイバーメトリクス」理論を駆使していることを知り、自分のアシスタントに引き抜く。 二人三脚で、データ分析に基づいたチームの補強に乗り出した、ビリーとピーター。彼らが欲した選手の多くは、元の所属球団からの評価が低いため、「安く」入手できた。 ビリーたちのそんな常識外れのやり方に、監督も含む周囲との軋轢が生まれていく。そのままシーズンへと突入するも、勝利にはなかなか、結びつかない。 それまでのメジャーの常識を打ち破らんとする、ビリーたちの挑戦の行方は果して!? ***** 原作は、マイケル・ルイスが2003年に出版した、ノンフィクションのベストセラー。ここで紹介される「セイバーメトリクス」とは、1970年代にビル・ジェイムズなる人物が生み出した、データを駆使した野球理論である。 その内容から、主なものをごく簡単に紹介する。打者を評価するに当たっては、つい目が惹かれてしまう、ホームランの本数や打点、打率などよりも、四球なども含んだ出塁率や長打率を重視する。実はその方が、「相手チームより多く得点を記録する」ことに結びつく。即ち“勝利”のためには、有効であるというのだ。 投手の評価に関しては、「ホームラン以外のフェア打球は、それが安打になろうとなるまいと投手の力量とは関係ない」と、割り切る。 送りバントや盗塁といった伝統的な戦略については、「アウト数を増やす可能性が高い攻撃はどれも、賢明ではない」と酷評し、斬って捨てている。このように、「セイバーメトリクス」は、それまでの球界の常識をことごとく覆すものだった。 この理論は、野球ファンの一部から注目されながらも、メジャー球団の関係者からは、長らく無視された。そして、ドラフトやトレードでの補強や、実際の試合に於ける選手起用などでは、データに基づいた「客観」よりも、スカウトや監督などの「主観」が優先され続けたのである。 そうした旧弊を打ち破ったのが、アスレチックス球団だった。映画ではその辺りの流れは割愛・改変されているが、まずは90年代前半、当時のGMだったサンディ・アルダーソンが、「セイバーメトリクス」をチーム作りに応用し始めた。そしてその後任となったビリー・ビーンが、本格的な実践に踏み切ったのである。 その絶大な成果、「セイバーメトリクス」がいかに球界を変えたかについては、本編で是非ご覧いただくとして、実はプロデューサー兼主演俳優のブラピは、野球自体は「あまり観ない」上、本作に関わるまでは、知識もそれほどなかったという。それは彼が子どもの頃に出場した、野球の試合での経験に起因する。 フライを捕ろうとしたら、太陽に目が眩んで、ボールが顔を直撃。病院送りとなって、18針も縫ったのである。 それ以来野球に関わらなかったブラピが、本作の原作に惹かれたのは、「負け犬が返り咲いて自分の持ってるすべてを、あるいはそれ以上のものを発揮する部分」だったという。更に主人公であるビリー・ビーンの、「長いものにまかれない…」「人がノーマルだと思うことに疑問を持つ…」「何年も継続されているからとそれを受け入れてしまわない…」そういった“精神”に魅了されたのである。 しかしながら先にも記した通り、“映画化”が実現するまでの道のりは平坦ではなかった。とりわけ大きかったのは、2度に渡る監督の交代劇。 最初に決まっていたデイヴィッド・フランケルが降板すると、スティーヴン・ソダーバーグが後任の監督に。ところが、準備が進んで、いよいよ撮影開始数日前というタイミングで、スタジオ側から製作中止を申し渡される。 それでもブラピの心は、「このストーリーに取り憑かれてしまっていて」、本作の企画を「手放すなんてとてもできなかった」のだという。何としてでも、ビリー・ビーンを演じたかったのだ。 最終的に監督は、前作『カポーティ』(05)でアカデミー賞監督賞にノミネートされた、ベネット・ミラーに決まる。実はミラーも、野球自体はまったく好きではなかった。原作本に関しても、「スポーツビジネスの専門書みたいな本で、はじめはあまり読むのに気が進まなかった…」という。 ところが読み進む内に、「この物語にとって、野球はとっかかりでしかない」と気付く。そしてブラピと同様に、ビリー・ビーンの生き様に心惹かれ、「ぜひ掘り下げてみたい」という気持ちになったのだ。 脚本は、監督がソダーバーグだった時点では、スティーヴン・ザイリアンが執筆。その後ミラーが監督になってから、アーロン・ソーキンによるリライトが行われた。 ザイリアンは『レナードの朝』(90) 『シンドラーのリスト』(93)など、ソーキンは『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』(07)『ソーシャル・ネットワーク』(10)など、それぞれ実話をベースとした脚色に定評があり、そうした作品でオスカー受賞経験のある2人。それをドキュメンタリー出身のミラー監督が演出することで、ビリー・ビーンの裏舞台での戦いが、リアルに浮き彫りになる。 同時に、チームが勝利に向かって邁進するという、ある意味王道が描かれる。こうして本作は、それまでの“野球映画”では見たことがなかったような、何とも絶妙なバランスの作品に仕上がったのである。 原作者のマイケル・ルイスは、「一本の筋あるいはドラマチックな展開があるとは必ずしも言えない」自作を、「きちんと映画化するのは非常に困難」と認識。「本と全然違う映画にするのか、あるいは本のとおり映画にしてひどい映画になるのか」どちらかだろうと考えていた。しかし完成作を観てミラー監督に、「この映画は(とても良いのに)本のとおりでした」と、大満足の評価を伝えている。 実在のビリー・ビーンは、ブラピが自分の役を演じると聞いて、少し意外な気がしたという。しかし実際に彼と接して、その役作りへの努力を目の当たりにする中で、ブラピが明確なヴィジョンを持ち、この上なく礼儀正しい人物だったことに、感銘を受けた。 一方で、この映画化に最も不満を覚えたのは、本作でのビリー・ビーンの片腕、ピーターのモデルとなった、ポール・デポデスタであった。デポデスタは己の役を、自分とは似てもにつかない太っちょのコメディアン、ジョナ・ヒルが演じることに、納得がいかなかった。またそのキャラが、オタクのように描かれることにも、我慢ならなかったようだ。 結果としてデポデスタは、実名を使うことの許可を出さなかった。そのため彼に当たるキャラは、ピーター・ブランドと、改名されたのである。 そのピーターを演じたジョナ・ヒルは、シリアスな演技が出来ることも披露した本作で、アカデミー賞助演男優賞にノミネート。高評価を得て、その後役の幅を広げていく。 因みに“野球映画”としてのクオリティを高めるのに効果的だったのは、メジャーリーグやマイナーリーグなどの元プロや大学野球の経験者などを、選手役にキャスティングしたこと。そんな本物の元野球選手たちの中で、一塁手スコット・ハッテバーグを演じたクリス・プラットは、唯一人野球経験のない俳優だった。 そのためプラットは、かなりハードなトレーニングに積んだ上で、実在のハッテバーグの特徴をよく捉えた役作りを行った。結果として本作のベースボール・コーディネーターからは、「野球選手としての成長ぶりには目覚ましいものがあった」と、高評価を勝ち取った。 この時のプラットは、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズ(14~ )や『ジュラシック・ワールド』シリーズ(15~ )で、主演スターにのし上がる前夜。そんなプラットの野球選手ぶりをウォッチするのも、本作を今日観る上での、楽しみ方の一つと言えるだろう。 ブラッド・ピットは本作で、「21世紀型」とも言える、それまでになかった、新たな“野球映画”をクリエイトした。アカデミー賞では作品賞や主演男優賞など6部門にノミネートされながら、残念ながら受賞は逃したものの、ブラピにとって『マネーボール』が、俳優としてもプロデューサーとしても、代表作の1本となったことは、間違いあるまい。■ 『マネーボール』© 2011 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
-
COLUMN/コラム2023.10.02
ティム・バートン印のポップでキッチュでブラックなSFコメディの傑作!『マーズ・アタック!』
それは友情から始まった 1950年代のB級SF映画と1970年代のディザスター映画にオマージュを捧げた、ティム・バートン監督のシュールでクレイジーな愛すべきSFコメディ映画である。劇場公開時は文字通り賛否両論。アメリカでは3週間で上映が打ち切られるほど客入りが悪かったが、しかしヨーロッパでは反対にロングランの大ヒットを記録。筆者の記憶だと日本でも評判はとても良かったはずだ。まあ、いかにもティム・バートンらしいオタク趣味丸出しのポップでキッチュなビジュアルや、時として残酷なくらいシニカルなブラック・ユーモアのセンスは、なるほど確かに見る人を選ぶであろうことは想像に難くない。 元ネタになったのはベースボール・カードの老舗トップス社が、1962年にアメリカで発売した子供向けトレーディング・カード「Mars Attacks!」。グロテスクな火星人の造形やリアルな残酷描写が子供たちに受けたものの、それゆえ保護者からの猛反発を食らって呆気なく販売が中止されてしまった。その後、「Mars Attacks!」は人気のコレクターズ・アイテムとなり、高額のプレミア価格で取引されるようになったことから、トップス社は’84年と’94年に復刻版をリリース。その’94年の復刻版を購入して、ティム・バートンにプレゼントしたのが脚本家ジョナサン・ジェムズだったのである。 イギリスの著名な劇作家パム・ジェムズを母親に持ち、マイケル・ラドフォード監督の『1984』(’84)と『白い炎の女』(’87)の脚本で頭角を現したジョナサン・ジェムズ。実はティム・バートン監督の出世作『バットマン』(’89)の脚本修正にノークレジットで携わっていた。ロンドン郊外のパインウッド・スタジオで撮影された『バットマン』。撮影中に幾度となく脚本修正の必要が生じたものの、当時ちょうど全米脚本家組合がストライキの最中だったため、オリジナル脚本を手掛けたサム・ハムが手を加えることは許されず、代わりに英国人の脚本家たちが修正に駆り出された。ジェムズはその中のひとりだったのだ。 お互いに趣味や好みの似ていた2人はたちまち意気投合。ほどなくしてロサンゼルスへ活動の拠点を移したジェムズは、バートン監督のもとで幾つも脚本を書いているのだが、残念ながら『マーズ・アタック!』以外は全てお蔵入りになっている。また、バートン監督と恋人リサ・マリーのキューピッド役を務めたのもジェムズ。ロンドンのモデル時代からリサ・マリーを知っているジェムズは、たまたま共通の友人を介してロサンゼルスで彼女と再会し、バツイチの独身だったバートン監督と引き合わせたという。いずれにせよ、当時の2人は無二の親友も同然だったようだ。 ストーリーの下敷きは『タワーリング・インフェルノ』!? 時は1994年の8月。バートン監督への誕生日プレゼント(8月25日が誕生日)を探していたジェムズは、ロサンゼルスのメルローズ通りにあるギフトショップへ入ったところ、そこでトップス社の「Mars Attacks!」と「Dinosaurs Attack!」のトレカ・ボックスを発見。これはティムの好みに違いない!と思った彼は両方とも購入してプレゼントしたという。それから1週間ほどしてバートン監督から連絡を受けたそうだが、当初は「Dinosaurs Attack!」の方を映画化するつもりだったらしい。巨大な恐竜がロサンゼルスの街を破壊するなんて最高にクールじゃん!?と。しかし、打ち合わせを進めるうちに2人は気が付いてしまう。それが『ジュラシック・パーク』の二番煎じであることに。そこでバートン監督は「Mars Attacks!」の映画化に鞍替えし、まずは映画会社ワーナーに提案するためのシノプシスを書くようジェムズに依頼したのである。 その際にバートン監督から指示されたのは、’70年代にアーウィン・アレンが製作したディザスター映画群、中でも『タワーリング・インフェルノ』(’74)を参考にすること。そこから「人々が醜悪な火星人に追いかけられて右往左往するオールスター・キャスト映画」という基本コンセプトが出来上がったという。すぐさま、ハイランド大通りにあった有名なレンタル・ビデオ店ロケット・ビデオで『タワーリング・インフェルノ』のVHSをレンタルしたというバートン監督とジェムズの2人。特に印象的だったのは、ロバート・ワグナーが火だるまになって死ぬシーンだったという。悪役でもない主演級の大物スターが悲惨な死に方をするなんて最高にクールじゃん?と感動したジェムズは、『マーズ・アタック!』でもオールスター・キャストの大半を悲惨な方法で殺すことに(笑)。さらに、『大地震』(’74)や『スウォーム』(’78)などをお手本にして、アメリカ各地に暮らす様々な社会階層の人々が登場する大規模な群像劇に仕上げたのである。 ストーリーは極めてシンプル。ある日突然、火星からのUFO軍団が地球へと飛来する。果たして火星人の目的は何なのか?友好の使者なのか、それとも侵略者なのか。この状況を政治利用しようとするアメリカ大統領、核爆弾による先制攻撃を主張するタカ派軍人、火星人ブーム(?)に乗って一儲けしようとするビジネスマンなど、様々な人々の思惑が交錯する中、いよいよ火星人とのファースト・コンタクトが実現。なんだ、むっちゃ友好的じゃん!とみんながホッと胸をなでおろしたのも束の間、たちまち本性を現した火星人たちの地球侵略攻撃が始まる。 火星人のキャラ造形が極端にグロテスクであることから、地球人のキャラクターも極端なカリカチュアとして描けば、うまい具合にバランスが取れると考えたというジェムズ。メインの登場人物だけでおよそ20名、幾つものプロットが同時進行するという脚本の構成は複雑だが、そこはスタンリー・クレイマー監督のコメディ巨編『おかしなおかしなおかしな世界』(’63)が大いに参考になったという。 テーマはズバリ「権力者を信用するな」。米国大統領にせよ、科学者にせよ、軍人にせよ、はたまたテレビの人気司会者にせよ、本作に登場する権力者たちは揃いも揃って、愚かで浅はかでバカで軽薄なクズばかり。世界の危機を救うどころか事態を悪化させ、いずれも自業自得の悲惨な最期を遂げる。むしろ世界を救うのは、家庭に居場所のない孤独な少年や老人ホームに追いやられた老婆、借金返済のためカジノで働く元プロボクサーなど、名もなき普通の人々。要するに、どこにでもいる平凡で善良なアメリカ市民こそが真のヒーローなのだ。 ギクシャクし始めたスタジオとの関係 およそ1週間でプレゼン用のシノプシスを書き上げたというジェムズ。『マーズ・アタック!』の企画は無事に通り、ワーナーは’95年8月の撮影開始、’96年8月の封切というスケジュールを立てたのだが、しかし制作陣はすぐに大きな壁にぶつかってしまう。というのも、レイ・ハリーハウゼンの特撮映画を熱愛するバートン監督は、本作の特撮もストップモーション・アニメでやろうと考えたのだ。当初は『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』(’93)のヘンリー・セリックに任せるつもりだったが、しかし当時のセリックは『ジャイアント・ピーチ』(’96)に取り掛かっていたため都合がつかず、セリックの推薦でイギリスのアニメ作家バリー・パーヴスに白羽の矢が立ったという。 しかし、英国人のパーヴスがアメリカでスタッフを集めて工房を作り、さらにテストフィルムを製作するまでに予想以上の時間がかかってしまった。おかげで、予定していたスケジュールが押してしまうことに。そこでプロデューサーのラリー・フランコがサンフランシスコへ飛び、ジョージ・ルーカスの特撮工房ILMと直談判。ストップモーション風のCGアニメを開発してもらうこととなる。本当にそんなことが出来るのか?とバートン監督は半信半疑だったが、しかしテスト映像の仕上がりを見て大いに納得。結局、CGを使うことでアニメ制作の時間短縮が可能になったが、その代わりに予算も膨れ上がってしまい、この頃から製作陣とワーナーの関係がギクシャクし始めたようだ。 さらに、脚本家ジェムズとワーナーの対立も表面化していく。撮影に向けて脚本のドラフトを書き始めたジェムズ。ワーナー経営陣には「クリエイティブ・チーム」と呼ばれる人々がおり、原稿は全て彼らのチェックを受けなくてはならなかったのだが、そこで様々な意見の相違が出てきたのである。それ自体はよくあることなのだが、しかしあるシーンを巡ってお互いが絶対譲らなくなってしまう。それが、本編冒頭の「燃える牛軍団」シーン。のどかな田舎で火の付いた牛の群れが暴走するという場面なのだが、これをクリエイティブ・チームは「動物愛護法に反する」としてNGにしたのだ。しかし、当然ながら実際に撮影で牛を燃やすわけじゃない。当たり前だが特撮で処理をする。「なにをバカなこと言ってるんだ!?」と呆れたというジェムズ。このシーンは観客にインパクトを与えるためにも絶対に必要だ。そう考えた彼は、何度NGを出されても無視し続けたそうだが、その結果ワーナーからクビを言い渡されてしまった。 ドラフト原稿を提出すること12回。すっかり疲れ切っていたジェムズは、むしろクビになってホッとしたという。代役には『エド・ウッド』(’94)の脚本家コンビ、スコット・アレクサンダーとラリー・カラゼウスキーを推薦。ところが、今度はワーナー経営陣の意向通りに修正した彼らの脚本をバートン監督が気に入らず、クビになってから5週間後にジェムズは呼び戻される。バートン監督の自宅で専用部屋を用意された彼は、なんとたったの5日間で新たな修正版を完成。「燃える牛軍団」シーンもシレッと復活させたのだが、どういうわけかこれが最終的に通ってしまったという。全く、いい加減なもんである(笑)。 あの役は本来ならディカプリオが演じるはずだった! こうしてなんとか脚本を完成させたバートン監督とジェムズだったが、今度はオールスターのキャスティングに難航する。スムースに決まったのは、科学者役のピアース・ブロスナンと大統領補佐官役のマーティン・ショート。どちらもナンセンスで毒っ気のある脚本の趣旨を理解し、最初から出演にとても前向きだったという。世界を救うフローレンスお婆ちゃんは、もともとシルヴィア・シドニーを念頭に置いた役柄。シルヴィア・シドニーと言えば、’30~’40年代にパラマウントの看板スターだった清純派のトップ女優。その一方で、かの大女優ベティ・デイヴィスをして「ハリウッドには私よりもタフな女優が2人だけいる。アイダ・ルピノとシルヴィア・シドニーよ」と言わしめたほどの女傑である。『ビートルジュース』(’88)でもシドニーと組んだバートン監督は、まるで自分の祖母のように彼女を敬愛していたそうだ。 しかし、それ以外のキャストはなかなか決まらなかった。アメリカ大統領役はウォーレン・ベイティに決まりかけたが、しかしワーナーが難色を示したため白紙撤回。成金の不動産業者役をオファーされたジャック・ニコルソンが、アメリカ大統領役も兼ねることで落ち着いた。このニコルソンの出演が決まった途端、ハリウッド中のスターが手のひらを返したように出演を希望するようになったという。恐らく、一歩間違えるとキワモノになりかねない映画だけあって、みんな様子を窺っていたのだろう。 ちなみに、フローレンスお婆ちゃんの孫リッチー役は、なんとレオナルド・ディカプリオが演じるはずだったが、しかし撮影スケジュールが押したせいで出演が不可能になったという。そのディカプリオが代役として推薦したのがルーカス・ハースだった。また、最後のギリギリまで見つからなかったのがフランス大統領役の俳優。撮影前日に「どうしよう!誰か知らない!?」とバートン監督から連絡を受けたジェムズは、たまたまご近所さんだった名匠バーベット・シュローダー監督を推薦。厳密にはスイス人だけとフランス国籍だし、見た目もド・ゴール大統領に似ているから適任だと考えたらしい。ダメもとで連絡してみたところ、自宅まで迎えの車が来るならオッケーとの返答。バートン監督はシュローダーが何者か全く知らなかったらしいが、あまりの芝居の上手さに舌を巻いたそうだ。 こうして当初の予定よりも大幅に遅れたものの、’96年12月に全米公開されることとなった『マーズ・アタック!』。疲労困憊したティム・バートン監督は恋人リサ・マリーとインド旅行へと出かけ、ジョナサン・ジェムズはロサンゼルスで宣伝キャンペーンが始まるのを待っていたが、しかし封切の3週間前になっても何も起こらなかったという。不安になったジェムズはワーナーに問い合わせるも、向こうは「宣伝なら1000万ドル規模の予算をかけてますから!」の一点張り。ようやく1週間前になってサンセット大通りに看板が掲げられ、映画館やテレビでも予告編が流れるようになったが、しかしジェムズに言わせれば遅すぎた。まるで自社作品を潰しにかかっているようだ。そういえば、プレビュー試写でも一般客から大好評だったにもかかわらず、同席したワーナー経営陣の反応は冷ややかだった。最初から売るつもりなどなかったんじゃないか?とジェムズは疑ったが、しかしその理由はいまだに見当がつかないという。 まあ、CGの使用による予算の増額や、脚本を巡るジェムズとの対立などで、ワーナー経営陣の心証を悪くした可能性はあるが、しかしだからといって多額の予算を投じた自社作品の宣伝をあえて放棄するようなことはしないだろう。恐らく、「ワーナー宣伝部はこの映画の売り方を分からなかっただけだ」というバートン監督の見解が正しいかもしれない。たとえ出来損ないの映画でも宣伝が上手ければ成功するが、反対にどれだけ出来の良い映画でも宣伝が下手ならば失敗する。今も昔も変わらぬ鉄則である。■ 『マーズ・アタック!』© Warner Bros. Entertainment Inc.