COLUMN & NEWS
コラム・ニュース一覧
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COLUMN/コラム2014.02.23
2014年3月のシネマ・ソムリエ
■3月1日『死ぬまでにしたい10のこと』 カナダ人女優S・ポーリーが、スペインのI・コイシェ監督と組んだヒューマン・ドラマ。ガンで余命2、3ヵ月と宣告された23歳の女性の生の輝きを見つめていく。 妻であり母親でもあるヒロインは、誰にも病のことを告げず“死ぬまでにしたいこと”を実行していく。劇場公開時には、その10の秘密のリストの内容が物議を醸した。 脇役も含めたユニークな人物描写、小道具や音楽へのこだわりが感じられるディテールが魅力的。お涙頂戴の“余命もの”とは異なる視点で人生の哀歓を綴った秀作だ。 ■3月8日『第七の封印[HDデジタルリマスター版]』 十字軍の遠征からスウェーデンに帰還した騎士が、疫病や魔女狩りで荒廃した祖国の現実を目の当たりにする。そんな騎士の行く手には不気味な死神が現れるのだった。 中世ヨーロッパに死神を出現させ、信仰や人生の意味といった根源的なテーマを問いかける異色作。I・ベルイマン監督のファンに熱狂的に支持されている寓話である。 幻想的なイメージと哲学的な思索に富んだ映像世界は、巨匠のフィルモグラフィの中でも異彩を放つ。“死神とのチェス”や“死の舞踏”などの名場面も鮮烈な印象を残す。 ■3月22日『狩人と犬、最期の旅』 妻や愛犬とともにロッキー山脈の大自然のまっただ中で暮らす実在の猟師ノーマン・ウィンター。彼の一年間の生活ぶりを密着取材したドキュメンタリー・ドラマだ。 昔ながらの狩猟法を実践し、厳しい自然と共生する男の生き様を記録。とりわけ犬たちとの絆を育み、凍てつく湖上や山道をソリで走るエピソードが驚きと感動を呼ぶ。 ブリザードが吹き荒れる雪原やオーロラなどの雄大にして幻想的な風景も観る者を圧倒。著名な冒険家で、自然の魅力を熟知したN・ヴァニエ監督ならではの逸品である。 ■3月29日『コレラの時代の愛』 ラテンアメリカを代表するノーベル文学賞作家G・ガルシア=マルケスの同名小説を映画化。19世紀末から20世紀にかけてのコロンビアを舞台にした純愛映画である。 貧しい郵便局員の青年が裕福な商人の娘にひと目惚れ。身分違いゆえに離ればなれになりながらも、初恋の女性を50年以上も想い続ける主人公の数奇な人生を映し出す。 主演は『ノーカントリー』、『007 スカイフォール』のH・バルデム。一途な愛を貫く一方で多くの女性と関係を持つ男の悲哀や滑稽さを、老けメイクを施して体現する。 『死ぬまでにしたい10のこと』©2002 El Deseo D.A.S.L.U.& Milestone Productions Inc. 『第七の封印[HDデジタルリマスター版]』© 1957 AB Svensk Filmindustri 『あなたになら言える秘密のこと』©2005 El Deseo M-24952-2005 『狩人と犬、最後の旅』©2004 MC4 /TF1 International / National Film Board of Canada / Pandora / JMH / Mikado 『コレラの時代の愛』©Copyright 2007 Cholera Love Productions,LLC ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2014.02.07
『月刊エーカーズ』副編集長が紹介する、ハリウッドの名車たち
■72年型フォード・グラントリノ・ファストバック 昨年夏、ミシガン州デトロイト市の財政破綻が報じられた。デトロイトの周辺都市はアメリカの自動車メーカー、いわゆるビッグスリーとともに発展してきたが、自動車産業の斜陽化、製造工場の移転などにより衰退。デトロイト=モーターシティとして世界的に認識される一方で、80年代以降はダウンタウンのスラム化や犯罪率の高さなど、その治安の悪さでも広く知られるようになった。そんな“斜陽の街”と“人生の晩年”を重ね合わせたのがこの作品であり、主人公もデトロイトの華やかなりし時代を知る元フォードの従業員という設定で描かれている。そして、その主人公が大切にしている愛車として登場するのが、作品タイトルにもなっている72年型フォード・グラントリノ・ファストバックである。 作品を見ればすぐにわかることだが、ルーフからリアエンドへとなだらかな曲線を描くクーペボディこそがファストバックと呼ばれる形状である。敢えて車名の後にボディ形状を書いたのは、この72年型グラントリノにはこの他にも2ドア・ハードトップやステーションワゴンといったボディ形状が用意されていたからだが、作品中で主人公がグラントリノを眺めながら「美しい……」とつぶやくシーンは、やはりこの流麗なファストバックがそこにあってこそだと思う。 作品中、この車両の細かな仕様について描かれている部分はほとんど見当たらない。だが、街のギャングたちが羨望の眼差しで「コブラジェット」とつぶやくシーンから351cu.in.(※1)のコブラジェットV8エンジンを搭載していることだけはわかる。コブラジェットとは強制吸気システムに対するフォード固有の呼称で、簡単に言ってしまえばハイパフォーマンス・エンジンを意味する言葉。そして72年型グラントリノに用意された数種類のエンジンの中で、コブラジェット・エンジンは351が唯一だったのである。 ただ、前年の71年型グラントリノにはこれよりも断然パワーのある429cu.in.のコブラジェットV8が用意されていた。実は72年型というのは排ガス規制を先取りしてアメリカの自動車メーカーが一斉にエンジン出力を低下させ、多くのハイパフォーマンス・エンジンが内容を変えたり、その存在自体が消えたりしたモデルイヤーでもあった。429コブラジェットから351コブラジェットへと変化したのも、その影響と言っていいだろう。 60年代からビッグスリーが派手に繰り広げてきたエンジン出力競争、マッスルカーの時代が終焉を迎えたモデルイヤー。72年型の背景にあるそんな物寂しさもまた、この『グラン・トリノ』という作品に欠かせない演出に思えるのである。 ※1 cubic inches。近年はリットル表記も増えてきてはいるが、古くからアメリカ車のエンジン排気量はキュービックインチ=立方インチで表記されることが一般的。ちなみに351cu.in.は約5.7リットルで、429cu.in.は約7.0リットル。 ■67年型シェルビーGT500 伝説的な自動車泥棒を主役とした本作はリメイク作品であり、その元となった74年公開の『Gone in 60 seconds』(邦題は『バニシングIN60”』)も、以前から日本のアメリカ車ファンの間では語り草の作品だった。物語の準主役とも言えるのが最後の盗みのターゲットとなるエレノアだが、旧作ではイエローの73年型フォード・マスタング・マック1、そしてリメイクの本作では67年型シェルビーGT500となっている。 このシェルビーGT500は、ル・マン24時間などでも活躍したアメリカ人ドライバー、キャロル・シェルビー率いるシェルビー・アメリカンがフォード・マスタングをベースに製作、販売した車両。最高出力355hpを発揮する428cu.in.V8エンジンを搭載し、細部の仕様も通常のマスタングよりレーシーな内容で仕上げられている。だが、当時シェルビーは同じマスタングをベースとしながらも更にハードコアな内容のGT350もラインナップしており、それと比較するとエアコンやオートマチック・トランスミッションを選択できるなどGT500の方がよりストリートでの使用を考慮した内容となっていた。 そもそもGT350はレースでの使用を前提に開発されたモデルであり、GT350/GT500ともに現在言われるマッスルカーの代表的なモデルとして認識されているが、シェルビー・アメリカンが製作したスペシャル・モデルだけにその製造台数は少なく、この67年型GT500の製造台数は2000台程度、GT350はその半分程度でしかない。そうしたことから希少性が高く、特に2000年代に入ってからその価値は急騰。現在では10万ドルオーバーは当たり前で、その2倍、3倍する個体も珍しくなく、コレクターカーとしても代表的なモデルとなっている。そんなクルマがド派手なカーチェイスを繰り広げるのだから否が応にも注目は高まる訳で、この作品のエレノアにGT500をチョイスしたのは大正解だったと思う。 ■68年型ビュイック・スカイラーク 2011年の作品ながら、舞台は1979年のオハイオ。ストーリー的に目立つアメリカ車と言えば、ヒロインであるアリスの父のクルマである68年型ビュイック・スカイラークや、物語終盤で主人公たちの力になってくれる写真屋のダニーが乗る72年型ポンテアック・カタリナなどが挙げられるが、マニア的な視線で見ていると何気ないシーンに出てくるクルマたちが妙に気になる作品でもある。 特に物語中盤で出てくる中古車店のシーンでは初代フォード・マスタングやシボレー・エルカミーノなどが並び、フロント・ウィンドウに3299ドルという価格が書かれた68年型シボレー・カマロの姿があったと思ったら、通りの向こう側には68~69年型あたりのフォード・トリノが見えたり。さらに別のシーンでは71年型のトリノが横切っていったり、先述のアリスの父親が乗るスカイラークがAMCペーサーに突っ込んでいったり…。1979年の光景を描くにあたって自動車を非常に有効的に活用しているこの作品、アメリカ車のファンなら細部のディテールまで楽しめること請け合いだ。 ■71年型プリマス・バリアント スティーブン・スピルバーグの出世作となったこの作品。いまひとつ冴えないごく普通のサラリーマンが運転するクルマが、道中で追い抜いたトレーラー(50年代~60年代のピータービルド281)に執拗に追いかけられるというストーリーだが、ことクルマに関して言うならば、主人公の乗るクルマに71年型プリマス・バリアントをチョイスした点に尽きるだろう。 プリマスはクライスラー社のブランド。71年当時のクライスラーはインペリアル、クライスラー、ダッジ、プリマスと4ブランドを抱えていたが、そのうち最も大衆的な立ち位置にあったのがプリマスだった。そして71年型プリマスのラインナップで最も安い価格帯にあったのがコンパクトカーのバリアント。つまり敢えて最も大衆的なブランドの最もチープなモデルを起用することによって、主人公の“冴えなさ”と“普通”という部分をクルマで表現しているのだ。 当時ライバルメーカーが販売していた同等のクルマを挙げればシボレー・ノバ、フォード・マーベリックあたりになるだろうが、バリアントと比較すると、どちらも洗練され過ぎていて違う気がするのである。 ■63年型キャデラック・エルドラド・ビアリッツ 『激突』の主人公を表現しているのが71年型バリアントならば、この『48時間』はヤレた63年型キャデラック・エルドラド・ビアリッツが主人公を表現。巨大なボディのコンバーチブルは見るからに安っぽい水色でリペイントがなされており、無骨で野暮ったい白人の刑事という役柄に巧くマッチしている。 アメリカ人は伝統的にコンバーチブルを好む傾向にあり、60年代から70年代にかけては多くのモデルがボディバリエーションにコンバーチブルを設定していた。だが70年代に入って衝突時や転倒事故(ロールオーバー)時の乗員保護という観点からコンバーチブルは危険という声が高まり、76年型のキャデラック・エルドラドを最後にビッグスリー全てがコンバーチブルの製造を休止した。 アメリカ車にコンバーチブルが帰ってきたのは82年型のクライスラー・ルバロンからで、キャデラックでは84年型エルドラドから復活。そしてこの作品がアメリカで公開されたのは82年末のこと。そんな時代背景を踏まえて見れば、コンバーチブルを愛する主人公がまた少し違って見えるかもしれない。 ■73年型フォード・ファルコンXB 『マッドマックス』と言えば、主人公の最終兵器として登場したインターセプターに尽きるだろう。ベースは73年型フォード・ファルコンXBだが、フォードと言ってもアメリカではなくオーストラリア・フォードのモデルなので念のため。 だがそれでも、この映画が日本の自動車ファン、特にアメリカ車のファンに与えたインパクトは絶大だった。 真っ黒なボディ、不気味なフロントマスク、エンジンフードから頭を突き出したウェイアンドのブロワー(=スーパーチャージャー)。その姿に衝撃を受けて、アメリカ車に興味を持つようになったという人は想像以上に多い。 このインターセプターを実車で再現した例もオーストラリアを中心に世界各地で見られ、その影響は世界規模である。 ■67年型ポンテアックGTO 主人公の愛車として活躍するのは、いわゆる縦目4灯のフロントマスクが時代を感じさせる67年型のポンテアックGTO。年式を問わず日本での馴染みはいまひとつのGTOだが、アメリカでは現在に至るまで非常に高い人気を得ているモデルである。 このGTOがデビューしたのは64年で、安全性の問題から当時のゼネラルモーターズの規定ではミッドサイズには積めないことになっていた大排気量の高出力型エンジンを強引に搭載してデビューした。そんなことからマッスルカーの元祖的に語られることもあるが、そもそもマッスルカーという言葉自体が後の時代に生まれたもので、そこに明確な定義があるわけではなく、そのルーツも諸説あるのが実情だ。 ちなみに、このGTOの開発時にポンテアックの責任者の立場で会社に無理を押し通したのはジョン・Z・デロリアン。後の時代に独立し、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で広く知られるデロリアンことDMC12を生み出した人物である。 文/『月刊エーカーズ』副編集長 守屋明彦 『グラン・トリノ』©Matten Productions GmbH & Co. KG/『60セカンズ』©Touchstone Pictures/『SUPER 8/スーパーエイト』© 2013 PARAMOUNT PICTURES. All Rights Reserved./『マッドマックス』© Crossroads International Finance Company, N.V./『トリプルX』2002 Revolution Studios Distribution Company, LLC. All Rights Reserved. ■ ■ ■ ■ ■ アメリカン・カーライフ・マガジン 月刊エーカーズ 3月号好評発売中! 【ベールを脱いだフルサイズ・ピックアップ、フォードF150】新型エスカレード登場!!■巻頭特集/2014年モデル・オール・カタログ【トラック、バン、SUV編】 ◆第2特集/現代的なFEELで愉しむクラシックモデル/'64シェベル・マリブ&'68コロネット◆シェビー・クラシックス/'67シボレー・シェベル・コンバーチブル◆ニューカー・インプレッション/'14シボレー・シルバラード&'14フォード・フィエスタ
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COLUMN/コラム2014.01.31
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2014年2月】にしこ
原作は言わずと知れたアガサ・クリスティの代表作ですが、映画自体も原作同様、またそれ以上に有名な傑作かと思います。作品の素晴らしさはもちろんですが、なによりその「豪華さ」にうなる作品です。1974年のアカデミー賞受賞作品です。豪華。 まず、舞台のオリエント急行。ヨーロッパを横断する、あの王侯貴族や、お金持ちが利用した豪華寝台急行です。サービス、内装はもちろん超一流。豪華。そしてキャスト。まず、灰色の脳細胞・名探偵ポワロ役にアルバート・フィニー。彼のベルギーなまりの英語(という設定)のチャーミングさはこの上品な緊迫感漂うサスペンスの緩急の良い「緩」になっております。そしてアンソニー・パーキンス、ショーン・コネリー、ヴァネッサ・レッドグレイヴ!イングリッド・バーグマン、ローレン・バコール!!豪華の洪水です。ミステリーはやはり事件の核心に迫る登場人物はスターがキャストされがちですが、この豪華さ、観る前に誰が犯人なのかうっすらわかってしまうなんて心配はございません。しかし、この作品の緻密で巧妙なトリックとストーリーテリングの前では、キャスティングからのネタバレなど心配いらないのかもしれません。 未見の方は「あっ!」と驚く結末が待っている事をお約束します!名探偵ポワロが暴き出す、悲しくも美しい事件の真相。豪華列車で起こる華麗なる殺人の結末をザ・シネマで目撃して下さい!!ザ・シネマでは名探偵ポワロの活躍を描く『死海殺人事件』もご用意!!こちらも必見です!! ©2013 BY EMI FILM DISTRIBUTORS LTD. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2014.01.31
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2014年2月】招きネコ
コミック作家の卵コンビ、親友のホールデンとバンキーは、コミケで同じコミック作家を目指すキュートな女の子エイミーに出会う。奥手なホールデンはエイミーに一目惚れ。ところが、彼女はレズビアン。さらに実はバンキーはゲイで密かにホールデンに恋していた!この3人はどうなる??という、おかしくもちょっとほろ苦いオタクたちの青春ラブ・ストーリー。今や、海外でクール・ジャパンを支えるマンガオタクたちの生態や、アメリカン・カルチャーは、この映画を見るととてもよくわかります。1997年の作品ですが、今のほうが設定とかがすんなり入るかもしれません。ホールデンを演じるのはベン・アフレック。『アルゴ』で完全に映画人として認められるステップ・アップを果たした彼。その前は私生活を含めてなんちゃって俳優のイメージが定着してましたが、いい作品にも出てるんです。その中でもこの作品の彼は『グッド・ウィル・ハンティング』のいいヤツ・イメージのラインで、不器用なオタクを繊細に魅力的に演じています。実生活の親友マット・デイモンもカメオ出演しているのでお見逃しなく。 ©1996 Too Askew Productions, Inc. and Miramax
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COLUMN/コラム2014.01.31
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2014年2月】うず潮
1959年6月16日。人気TVシリーズ「スーパーマン」で主役を務める俳優ジョージ・リーブスが自宅で死亡。警察は自殺と断定するが、母ヘレンから独自の調査を依頼された私立探偵ルイス。リーブスの遺体に打撲痕を発見した彼は自殺を疑い、調査にのめり込んでいく。スーパーマン俳優として一世を風靡したジョージ・リーブスの栄光と苦悩、そして死の謎を追うミステリー作品。役のイメージに苦悩するリーブスをベン・アフレックが好演し、ヴェネチア国際映画祭男優賞を受賞。 ©2006 Focus Features LLC and Miramax
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COLUMN/コラム2014.01.31
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2014年2月】飯森盛良
車名がタイトルになってるくらいの本作。72年型フォード グラン・トリノというクラシック・カーが、物語上、重要な意味を担わされてます。ただしそのウンチクは、公開時からいろんな所で語られてきましたので各自ググっていただくとして、今回ここではもう一つの、あまり言及されてこなかった超重要アイテムが持たされてる意味について書きます。 イーストウッド演じる主人公が、若かりし軍隊時代に授与された、勲章。これは「シルバー・スター勲章(銀星章)」というもので、「敵武装勢力との戦闘中に示された勇敢さ」に贈られる、いわば“勇気の勲章”です。イーストウッド演じる主人公は、朝鮮戦争中、敵を独りで全部斃した。まるで若い頃イーストウッドが演じていたヒーロー役のように。で、この勲章を授与されたんですが、殺戮の記憶はトラウマとなって残り、戦後の長い歳月ずっと彼の心を蝕み続け、彼に最晩年はレイシストの偏屈ジジイになるしかない人生を歩ませてしまった…実は“呪いの勲章”なのです。 それを、近所の小僧にあげちゃう、という展開になります。なぜイーストウッドはこの勲章を小僧にあげちゃうのか? これを贈られるのは、敵との抗争において、普通の人間にはまず絶対に真似のできない勇気ある振る舞いを見せた者に限られます。イーストウッドのように敵を斃しまくる(そしてその後ずっと悪夢に苛まれる)、そのさらに上を行くほどの、真に“勇気の勲章”に相応しい途方もない勇敢さとは、一体どんな行いなのでしょう!? 余談ながら、ご存知ランボーって漢はシルバー・スターを2度授与され、その上の最高位勲章までもらってる。まさに超人。あと、以前当チャンネルにて放送した『アーマード 武装地帯』の主人公も、イラク戦争でシルバー・スターをもらってました。彼は強盗団と戦います。ビビりながらも、たった独り命を賭けて、何の得もないのに正義のため悪漢どもと戦う、という「オレなら絶対しねー」ということを主人公はやってのける。なぜならシルバー・スター受勲者だから!これだけでもう、ロジックとして十分成立しちゃうんです。説得力あるんです。と、いう訳で、勲章の意味をちょっと知ってると、アメリカ映画がさらによく解って楽しめるようになりますよ、というお話でした。 ©Matten Productions GmbH & Co. KG
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COLUMN/コラム2014.01.26
2014年2月のシネマ・ソムリエ
■2月1日『チェイシング・エイミー』 B・アフレックが恋にオクテな漫画家を演じたラブ・コメディ。レズビアンの女性にひと目惚れし、親友を巻き込んで奇妙な三角関係に陥っていく主人公の奮闘を綴る。 恋愛、友情、セックスというテーマを、赤裸々なストーリー展開と実感のこもったセリフで描出。米国インディーズの人気監督K・スミスの脚本が冴え渡っている。 開放的にセックスを語るエイミー役のJ・L・アダムスが魅力的。ヒロインと親友の板挟みになって苦悶する主人公が、最後に提案するまさかの解決策には誰もが仰天! ■2月8日『ゴーン・ベイビー・ゴーン』 『アルゴ』でアカデミー作品賞に輝いたB・アフレックの監督デビュー作。『ミスティック・リバー』などで知られるデニス・ルヘインの探偵小説に基づくミステリー劇だ。ボストンの住宅街で4歳の少女が失踪し、若き私立探偵とその恋人が捜索を開始。貧困や育児放棄などの社会問題を絡め、主人公が突きとめる意外な真相を描き出す。 渋い実力派キャストのアンサンブル、善と悪の境界が曖昧なテーマを観る者に問う骨太なドラマは見応え十分。日本で劇場未公開に終わったのが不思議なほどの秀作だ。 ■2月15日『パンズ・ラビリンス』 パシフィック・リム』も記憶に新しいG・デル・トロ監督によるダーク・ファンタジー。スペイン内戦後の1944年を背景に、空想力豊かな少女がたどる過酷な運命を描く。 残忍な将軍の養父に脅えるオフェリアが、迷宮の守り神パンと出会う。パンから3つの試練を課された彼女は、魔法の国に旅立つためにありったけの勇気を奮い起こす。 ギリシャ神話に登場する牧羊神パンの悪魔のごとき不気味さなど、クリーチャーの造形が圧巻。戦争の悲劇と少女の空想力の純真さを対比させたドラマも見事である。 ■2月22日『クラッシュ』 第78回アカデミー賞で下馬評を覆し、作品賞に輝いた社会派サスペンス。『ミリオンダラー・ベイビー』などの脚本家ポール・ハギスの鮮烈な監督デビュー作でもある。 白人の警官、黒人の強盗犯、ヒスパニック系の鍵屋など、さまざまな人種の人々の人生が交錯する2日間の物語。緻密で劇的なストーリー構成にぐいぐい引き込まれる。 ロサンゼルスを舞台にした群像劇に9.11以降の世相を反映させ、現代人の人間不信を鋭く描出。そこからあぶり出される“衝突”と“繋がり”というテーマが胸に響く。 『チェイシング・エイミー』©1996 Too Askew Productions, Inc. and Miramax 『ゴーン・ベイビー・ゴーン』©Miramax 『パンズ・ラビリンス』©2006 ESTUDIOS PICASSO,TEQUILA GANG Y ESPERANTO FILMOJ 『クラッシュ』©2004 ApolloProScreen GmbH & Co. Filmproduktion KG. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2014.01.24
2014年バレンタイン特別企画 LA発レポート!!
セレブのボディは一日にして成らず!あの曲線美や割れた腹筋の陰に隠されているのは、日々のたゆまぬ努力。美貌維持のため、エクササイズから食事まで徹底したヘルシーライフを追及するセレブは、アンジェリーナ・ジョリー、グウィネス・パルトロー、ジェシカ・アルバ、マドンナなど数知れず。そこで、今年のバレンタイン特別企画レポートでは、美容・健康に敏感なLAのセレブ的ヘルシーライフをご紹介。さらに、お洒落に、そして楽しみながらのヘルシーライフにピッタリなグッズをLAから直送! ■『SoLA ビーチタオル』 エンターテイメントにスポットが当たりがちなLA、でも実は豊かな自然も魅力の一つ。海でサーフィンをして、そのまま雪山でスキーなんてことも。とにかく手軽にエクササイズを楽しめる環境が整っているのだ。溢れる日差しの下、海を眺めながらのエクササイズは気分爽快。ここサンタモニカには、ウォーキングからサイクリング、ヨガまで様々なアクティビティに励む人々の姿が。鉄棒などの器具が揃ったトレーニング場もあり、鍛え抜かれたボディに沢山お目にかかれる。そんなビーチシーンには、大ぶりサイズが便利なSoLAのタオルをピックアップ。汗を拭うもよし、砂浜にひいて休憩するもよし。 ■『Sundry タンクトップ+スウェットパンツ』 豪邸が立ち並ぶハリウッドヒルズの公園にあるハイキングコースは、いわばセレブ御用達の屋外フィットネスクラブ。シャーリーズ・セロンやジャスティン・ティンバーレイクなど、セレブ目撃率も高く、なるほど見回せばスタイル抜群のモデルや俳優の卵らしき人の多いこと。初心者から上級者まで自分に合わせたコースが選べ、無料ヨガレッスンを受ける事も可能。さらに犬の散歩にも最適ということで、平日の昼間から公園は大賑わい。息を切らしながら登った先には、ハリウッドサインからグリフィス天文台、ダウンタウン、海までを一望できる絶景が迎えてくれる。ここまで辿りつくには歩きやすいスニーカーがあれば大丈夫。服はSundryのタンクトップとスウェットパンツがおすすめ。メイドインUSAの素材は肌触りがよく、気もちいい汗を流すのにぴったり。 ■『ジュークスレンズ』 美容と健康は食生活から。スムージー?いえいえ、最近LAで熱いのはコールドプレスジュース。栄養成分を破壊しない手法で抽出されたこのジュースを飲めば、デトックス効果も抜群ということで、ハリウッドセレブ達がはまったのがジュースクレンズ。その影響でLAのお洒落界隈にも次々とジュースバーがオープン。ヘルシーライフの代名詞、Whole Foodsスーパーでも着実に棚面積を拡大している。継続したヘルシーライフのために、大抵のジュースバーに自宅配送サービスがあるのも最近の特徴。中には500ml弱で10ドル近いものもあり、ちょっと値は張るけれど、セレブボディ実現のためには投資も必要?人気は、アン・ハサウェイがパパラッチされたearthbar、チャニング・テイタムやドリュー・バリモアらを顧客に抱える栄養士、キンバリー・スナイダーが始めたGlow Bioなど。 ■『ファーマーズマーケット』 食生活のもう一つのセレブキーワードはオーガニック。Whole Foodsもいいけれど、スーパーマーケットよりも豊富なオーガニック食材が手に入り、作り手の顔が見えるファーマーズマーケットは、健康志向のセレブを惹き付けてやまない。そして、そんな時でもパパラッチされてしまうのがセレブ。どんな時だって気を抜けない、それがセレブの宿命。もしかして、この気の抜けなさが、引き締め効果の秘密かも。 ■『Beverly Hills CandleとDayna Decker キャンドル』 頑張った後はご褒美だって欲しい。リラクゼーションで美貌に更に磨きをかけるのは、ビバリーヒルズのど真ん中にそびえる高級ホテル、ビバリー・ウィルシャーで。この名前、ピンとくる映画ファンも多いのでは。そう、現代のシンデレラストーリーを描いてジュリア・ロバーツの出世作となった「プリティ・ウーマン」の舞台にもなったのがこのホテル。ここでは、バラエティ豊かなスパ・エステメニューを提供。オンとオフを上手に切り替えるのが、ヘルシーライフを持続させる秘訣でもある。ホテルで使われているBeverly Hills CandleとDayna Deckerのキャンドルで、ラグジュアリーな雰囲気を家にお持ち帰り。 ■『ビバリー・ヒルトン・ホテル ポーチ+バングル』 さあ、リラックスした後は、いよいよそのボディを披露する本番。セレブが日々努力するのも、全てはスクリーンで、そしてレッドカーペットで誰よりも輝くため。今月のゴールデン・グローブ賞授賞式では、そんな俳優業の厳しさを物語る一コマが。20キロ以上の減量で役作りにのぞんだ「ダラス・バイヤーズクラブ」で主演男優賞を受賞したマシュー・マコノヒーに、司会のティナ・フェイとエイミー・ポーラーが一言——減量なんて女優は毎日やってる事なのよ! さて、毎年そんなゴールデン・グローブ賞の会場となるビバリーヒルズのビバリー・ヒルトン・ホテルからは、バスローブ地が気持ちいいポーチを。また、華やかな授賞式で気になるのが、ノミネートセレブに会場で配られるギフトバッグ。中身は、リゾートアイランドへの旅からマタニティウェア、本、エステサービス、メイプルシロップまで実に様々。そこで今回は、総額4万5000ドルだったという去年のアカデミー賞授賞式のギフトバッグから、Jan Lewisのハンドメイド・バングルをセレクト。キュートな柄と形のバリエーションが魅力的。 この他にもセレブのヘルシーでラグジュアリーなライフを感じるグッズとして今回選んだのはこちら。 ▼Clair Vivierジュエリーケース ▼Nene Californiaクラッチ ▼Victoria’s Secretイヤフォンさあ、貴女もハリウッド・セレブをお手本に理想のスタイルを手に入れて、意中のハリウッド・スターを振り向かせよう! 【紹介したブランド・店舗のアドレス】 ▼SoLA (Kitson)115 S. Robertson Blvd., Los Angeles, CA 90048 ▼SundryおよびNene California (Ron Herman)8100 Melrose Ave., Los Angeles, CA 90046 ▼earthbar8365 Santa Monica Blvd., West Hollywood, CA 90069 ▼Glow Bio7473 Melrose Ave., Los Angeles, CA 90046 ▼Beverly Wilshire Hotel 9500 Wilshire Boulevard, Beverly Hills, CA 90212 ▼The Beverly Hilton 9876 Wilshire Boulevard Beverly Hills, CA 90210 ▼Clair Vivier3339 West Sunset Blvd., Los Angeles, CA 90026 ▼Victoria’s Secret328 N Beverly Dr., Beverly Hills, CA 90210
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COLUMN/コラム2014.01.01
2014年1月のシネマ・ソムリエ
■1月11日『ザ・ローリング・ストーンズ・ア・ライト』 ロック通の巨匠M・スコセッシと、ザ・ローリング・ストーンズのコラボレーションが実現。2006年、ニューヨークのビーコン・シアターで行われたライブの記録映画だ。 『JFK』のロバート・リチャードソンなど、ハリウッドの一流撮影監督が多数参加。カメラ18台を駆使した見事なカット割りの映像で、ストーンズの熱い演奏を見せる。 バディ・ガイ、ジャック・ホワイトらのゲストを迎えたステージは臨場感満点。セットリストが直前まで届かずに苛立つスコセッシの姿を捉えたオープニングにも注目を。 ■1月18日『ブルーベルベット』 ハンサムな大学生ジェフリーが野原で人間の片耳を拾う。好奇心に駆られ、事件の関係者であるクラブ歌手ドロシーの自宅に侵入した彼は、そこで異常な光景を目撃する。鬼才D・リンチの世界的な名声を揺るぎないものにしたフィルムノワール。のどかな田舎町に潜む倒錯的な暴力とセックスを描き、賛否両論の大反響を呼び起こした。「この世は不思議なところだ」という劇中セリフに象徴される映像世界は、猟奇的かつ淫靡でありながら優雅でもある。変態のサディストを怪演したD・ホッパーも強烈! ■1月25日『アクロス・ザ・ユニバース』 ビートルズ・ナンバー33曲をフィーチャーした青春ミュージカル。ベトナム反戦運動に揺れる1960年代の米国を舞台に、若者たちの恋と挫折をドラマチックに描き出す。監督は独創的な舞台演出家でもあるJ・テイモア。サイケな視覚効果が圧巻の「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」など、名曲の数々を巧みに物語に融合した。美形女優E・R・ウッドらのキャストが見事な歌声を披露。登場人物にルーシー、ジュードといったビートルズの歌詞にちなんだ名前が付けられているのも要チェック。 『ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト』©2007 by SHINE A LIGHT, LLC and GRAND ENTERTAINMENT (ROW) LLC. All rights reserved./『ブルーベルベット』BLUE VELVET © 1986 STUDIOCANAL IMAGE. All Rights Reserved/『アクロス・ザ・ユニバース』© 2007 Revolution Studios Distribution Company, LLC. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2013.12.27
『愛と青春の旅だち』、正しくは「士官と紳士」、あるいは、エスケープ・フロム・KS(格差社会)
唐突ながら皆様、この世の中、というか日本には、邦題と原題がまるっきし似ても似つかない洋画、ってやつが昔から山ほどありますよね。その中には『ランボー』のように、「いや、むしろ原題のFirst Bloodよりキャッチーで、逆に良くないですか!?」というお見事なものもある。で『ランボーII』からは原題もランボーになっちゃった、本家に評価されて逆輸入までされちゃった、という伝説的な名ネーミングもあります(という伝説自体が東宝東和の誇大宣伝であるとの説もあり)。 First Bloodとは本来ボクシング用語で、殴り合ってる中での「最初の流血(を生じさせた一発)」を意味しました。それまで互角のパンチの応酬だったのが、一方が流血した瞬間から、流させた方がまずは優勢、流している方が劣勢、と、いちおう形勢が可視化されます。そこから転じて、今では「先制攻撃」を広く意味するようになりました。サッカーなどでも「日本がFirst Bloodを流させた」というのは「日本が先制ゴールをキメた」という意味です。ランボー1作目がこの原題だったのは、ランボーがトラウトマン大佐に「奴らから先に手を出してきた、俺じゃない。…奴らが先に手を出したんだ(They drew first blood, not me. They drew first blood.)」と、わざわざ2度リフレインして無線でチクるセリフがあるからです。ボクシング由来の慣用句としての本来の意味と、この映画で繰り広げられる、壮絶な準戦争状態での流血沙汰、というのをかけたWミーニングだったのですが、まぁ、そんな小難しいゴタクはいいので「ランボー」と一言でキメた方がよっぽどキャッチーだ、というのは、まったくもってして仰る通りですな。 ただ、こういう成功事例ばかりでもございません。変な邦題も山ほどあります。映画の中身といちじるしく掛け離れていて、作品の魅力を全く伝えてない、または誤解を与えかねない、逆に興味が削がれる、という失敗事例だって、枚挙にいとまがありません(“沈黙”シリーズのように、ネタとしてこの路線で行き続けるんだよ!もう中身と乖離してたって構わねんだよ!誰も困んねーよ!と開き直ってるものは、あれはあれで、いっそ清々しくて好き)。 さて、原題と似ても似つかない邦題の代表例として、わりかしよく名前のあがる映画が『愛と青春の旅だち』であるように思います(じゃないですか?)。 「この邦題はヒっドい…」ってものもいっぱいある中で、『愛と青春の旅だち』、これはまぁ、悪くない方でしょう。中身とタイトルが少なくとも一致している。っていうか一見一致しているように思える。でも「愛」、「青春」といったキーワードに引きずられ、この映画がラブストーリーであるかのような、極論すれば“錯覚”を、見る者に抱かせてしまうという嫌いが無くはない気もしています。 いや、『愛と青春の旅だち』がラブストーリーって、それは錯覚ではなくて半分は正しいかもしれない。ジャンル映画としてはラブストーリーに分類するしかないでしょう。でも、この映画がラブストーリーのジャンル様式を借りて描こうとしているのは、単に一組の男女の恋愛模様という以上に、「格差社会からの脱出」というモチーフであるように、ワタクシはかねて感じておるのであります。 原題は、An Officer and a Gentleman。直訳すれば「士官と紳士」ってタイトルなんですが、邦題と比べてこの原題、なんだかよく解らなくないですか? 実はこれ、ある慣用句を略したものなので、この部分とだけいくら睨めっこしたところで、意味はさっぱり解らんのです。 略された部分こそが重要でして、慣用句をフルで書くとConduct unbecoming an officer and a gentleman、「士官や紳士に相応しくない行為」となります。これ実は、慣用句と言うよりは法律用語と言った方が正確。しかも軍法用語。専門用語ですから一般の日本人にはピンとこなくて当然。なので日本では『愛と青春の旅だち』という全く違う甘〜いタイトルを付けるしかなかったのでしょう。この意味を解ってもらうためには長い説明が必要です。それを今回は試みてみようかと思います。長広舌、お正月休みにお付き合いいただけましたら幸いです。 ■「士官と紳士」の意味とは? さて。アメリカ全軍共通の法律である「統一軍事裁判法」というものには、以下のような条項が存在します。 133条.士官や紳士に相応しくない行為(Conduct unbecoming an officer and a gentleman):士官や紳士に相応しくない行為で有罪判決を受けたすべての士官・将校ならびに陸軍士官学校生徒、海軍兵学校生徒は、軍法会議の命令によって処罰される 日本語ですと「士官」ってのは海軍の呼び方で、陸軍だと「将校」と呼び、言い分けていますが(「陸軍士官学校」と言う時だけは陸軍でも「士官」なのがややこしい)、英語では士官・将校どちらも「オフィサー」です。オフィサーってのは、一般企業で言う管理職ですな。一番下の少尉で、まぁ課長ぐらいだと思ってください。オフィサーの一番上の大佐なら本部長クラス(一般企業と対照するのはかなり無理がありますが)。つまり、課長以上の管理職に就いてる人は、人間としても立派な紳士でありなさいよ、それに反したら罰しますからね、という法律なのです。 さて。「士官や紳士に相応しくない行為」という軍事法律用語があり、後ろ半分を略して「士官や紳士」という箇所だけをわざわざ抜き出して、この映画は原題タイトルに掲げている訳です。 士官や紳士に相応しくない行動とは、一体? 逆に相応しい行動とは何か? その両方を、同時に、言外に、このタイトルは問うているのです。リチャード・ギア演じる主人公の行動は、あるいはその人柄は、士官・紳士として相応しいのか?相応しくないのか?どっちなんでしょうか? 映画冒頭では、もう明らかに、相応しくないんですね。少年の彼は母親に死なれ、水兵の父親を頼って、世界最大の海軍基地の町として有名な米本土のノーフォークから、フィリピンにあった海外最大の米海軍基地オロンガポ(現在はフィリピンに返還されている)へとやって来ます。これ、脚本のト書きに明記されている情報。基地から基地へ。彼は、基地だけで育った子供で、基地の外を知らない。 父親は露骨に面倒臭がって、家に連れ込んでいた娼婦2人を母親代わりとして初対面の息子にあてがいます。と言うか娼婦2人に息子を押し付けます(父親は昼間っから女2人相手に何してたんでしょうねえ…)。以降、何年か十何年か、実父に育児放棄され、父が買ってきた外国人娼婦たちを母親代わりに基地の町で成長し、喧嘩も場数を踏んでめっぽう強くなり、終いには二の腕に鷲のスジ彫りを入れてヨタってる、紳士とはおよそ真逆の、ヤンチャな一匹のドチンピラに、ギア様は育っちゃった訳ですな。 彼は、そんな身の上がイヤでイヤで堪らない。早く社会的ステータスのある人間になりた〜い!だったら軍隊で決まりだ!海軍士官だ!! 彼は基地外のことは何も知らないので、思いつく紳士っぽい職業といったら、それしかない。 彼のようなお悩みの持ち主には、軍隊で正解です。階級社会そのものの軍隊ほど、自分の社会的ランクがハッキリする場所はこの世にありません。一般企業だと、社長と言ってもどの程度の会社の経営者か判りませんし、ただの平社員でも超一流企業のペーペーなら世間的に聞こえが良いということだってある。肩書きだけじゃよく分からない。しかし海軍で少尉と言えば、どの程度の社会的な偉さなのかは一発で分かるのです。さらに米軍は、階級が給与等級と連動していて、その給与等級と勤続年数とで収入が決まるという明朗会計っぷり。自分の社会的地位にコンプレックスを抱いているギア様には、まさにうってつけの職業なのです。だから彼は海軍飛行士官養成学校に入ることを決意します。「入れ墨した士官がいるか?」と親父の嘲笑を背中に浴びながら。そこからこの映画は始まっていきます。 この学校を卒業すれば、彼は国家から何千万ドルもするジェット戦闘機を1機委ねられる立場になれるのです。仕事で何千万ドルもの責任を任される漢なんて、世間にどれほどいるでしょう?ワタクシはせいぜい数万円ぐらいなので情けなくなりますが…それほどの社会的地位に就ける時こそ、彼が格差社会でのし上がり、晴れて「士官や紳士に相応しい」漢になれる瞬間なのです。 実は脚本を読むと、最終稿までは、父子再会の場面が盛り込まれていたことが判ります。シアトルの安ホテルで娼婦を抱き疲れ、昼日中まで高いびきの親父のところに、突然ギア様は転がり込んで来るんです。びっくりさせようとして。カレッジを卒業したことを報告しに来たのです。親父は「最後に聞いた時はブラジルかどっかで建築の仕事してるって言ってただろ?」と驚く。そして「言ってくれりゃ卒業式行ったのによ。やい!(と寝てる娼婦を起こし)、おめぇの友達の巨乳グロリアも呼べ。今夜は息子のお祝いだ!!」とはしゃぎ出して、その晩、一台のベッドの右半分で親父とさっきの娼婦が、左半分ではギア様と巨乳グロリアが、乱痴気騒ぎを繰り広げる。ギア様もノリノリです。 以上は完成した映画には存在しないシークェンス。撮影されなかったのかカットされたのか…とにかく、そういう父子なんですね。この翌朝が、親父がトイレで嘔吐しゲロをぬぐいながら「昨日の夜はすげー面白かったな」なんて言っているシーンにつながるのです。前夜の乱痴気騒ぎのシークェンスがごっそりカットされているので、映画ではギア様が酔っぱらいの親父を軽蔑し恨んでいるようにも見えるのですが、実は同類。同レベルの仲良しDQN父子なんです。親父個人を恨んでいるというよりは、こういう激安にチープな日々とチープなオレという存在に、ギア様はほとほと嫌気がさしているだけなのです。1日も早く「士官や紳士に相応しい」漢になって、こんな人生からは這い上がりたい! さて。で、入った養成学校で13週間にわたりシゴかれる訳ですが、ギア様は「絶対に諦めません!」と鬼軍曹に言って、必死でシゴキに耐えます。格差社会からの脱出ということが彼の強烈なモチベーションになっているからですね。「カッコいいからジェット戦闘機の飛行士になりたい」とか「うちは軍人の家系だから仕方なく」といった中流出身者的なヌルい理由とは、彼の場合は切迫度が違います。 でも、一晩でドチンピラが紳士にはなれません。最初のうちは地金が出ちゃいます。養成学校で一人闇市のような商売を始め、仲間から小ゼニをセコく巻き上げようとする。こんな紳士なんていませんわ。そのバイトが鬼軍曹にバレて、休暇返上でさらに徹底的にシゴき抜かれる。 ちなみにその“鬼軍曹”。正しくは「ドリル・サージェント」と言います。直訳すれば「訓練軍曹」。よく戦争映画に出てきますよね。映画の中の海兵隊の鬼軍曹と言えば、『ハートブレイク・リッジ』に『フルメタル・ジャケット』…馴染み深い顔が何人も思い浮かびますが、本作に登場するフォーリー一等軍曹もそうで、ルイス・ゴセット・Jrは82年度アカデミー助演男優賞に輝く名演を見せました。 このシゴキに耐えながら、13週間かけて、ギア様は士官や紳士に相応しい行動とそうでない行動との区別を、だんだんとつけていきます。ドチンピラが紳士になるのに何故シゴキが必要か?別にテーブルマナーや敬語の使い方をスパルタ式に教わる訳でもありませんから、少々疑問ですが、だけどまぁ、やっぱり必要なんでしょうな。 正しいテーブルマナーを身に付けたら紳士になれます、と言われたところで、そんなのは信じられない。完璧なテーブルマナーを披露した途端に皆に持ち上げられて「ヨッ!紳士!!」と周囲から認定されても、誰よりドチンピラ自身が全然納得できないでしょう。その点、シゴキ13週間ですからね!脱落率もハンパない。間違いなく人生最大のハードルでしょう。それをクリアすればオレも紳士だ、と信じ、耐えて耐えて耐え抜けば、それは13週後に「今日からオレも紳士だ!」と自分で信じられるというものでしょう。オレはどんな誘惑にも惑わされず、己の弱さを克服できるんだ!という絶対の自信、自分という人間への強い信頼感が、13週目まで残った生徒には必ず身に付くはずです。その境地にまで達した人間が「紳士的に生きよう」、「士官らしく振る舞おう」と思えば、たちどころにそうすることも容易いはず。というわけで、ギア様がステータスを獲得し、格差社会でのし上がり、自分で自分を紳士だと信じ行動できる強い意志力を備えた人間として、第2の人生を再スタートさせるためには、この13週間はどうしても必要なイニシエーションなのです。 本作で描かれるのは、主にこのイニシエーションの過程。ラブシーンよりもイニシエーションシーンの方が比重が圧倒的に大きいのです。ワタクシがこの映画を、ラブストーリーではなく“格差社会からの脱出ムービー”と認定する理由がこれです。 鬼軍曹は、海兵隊の一等軍曹。ギア様の親父は、海軍の一等兵曹。1階級差で、どちらも士官より下(「下士官」と言います)の、一般企業であれば係長クラスですな。給与等級も1ランク差と、ほとんど同じ階級(軍隊でその差はデカいですが)。この2人が異口同音に、ギア様に向かって言い放ちます。「オレもお前も、士官なんて柄じゃないんだ。人種が違うんだ」と。父親は本気でそう思っている。ルイス・ゴセット・Jrは…本気ではなく、そう言って生徒たちにハッパをかけているんだろうとワタクシは感じますが、とにかくそういう思想なんです。士官・紳士になるには生まれ育ちが重要で、それが無い奴は一生なれないんだ、と言うのです。でも、そうではない!努力すればなれるんだ!這い上がれるんだ!ということを、この映画は描いています。もっとも良い意味において、実にアメリカ的なテーマを描いている映画のように思えるのです。 13週後、ギア様が晴れてここを卒業したあかつきには、その瞬間から、父親でさえ自分に向かっては敬礼しなければならなくなります。もちろん鬼軍曹も敬礼しなければならない。卒業式閉会後、新任少尉たちは海軍の伝統にのっとって、1ドル硬貨を誰か“目下”の軍人に手渡し、彼から最初の敬礼を受けることになります。この学校の卒業生=新任少尉=紳士たちの場合、最初に敬礼を受けるのは“目下”の鬼軍曹からとなるでしょう。 閉会式の後、鬼軍曹は独り、ポケットに数十ドル分たまったジャラ銭でビールでも呑みに行くかもしれない。彼にバーでビールを呑む習慣があることは、劇中、台詞で出てきますから。ただし、特に思い出に残る生徒から受け取った1ドル硬貨だけは、そんな風には使わない。記念にとっておくでしょう。そのために、その生徒から渡されたコインだけは、他と混じってしまわないよう、きっと、注意して見てなければ気づかないくらいのさりげなさで、反対のポケットに入れるはずです。 ■余談ながら、海軍と海兵隊は違います! ここらでちょっと余談を。これ、アメリカ映画を見る上で是非これからも覚えておいて欲しいポイントです。つまり、海軍と海兵隊、この2つは違うってこと。ギア様は海軍で、ルイス・ゴセット・Jrは海兵隊です。別組織なのです。 海兵隊ってのは、通称「殴り込み部隊」などとも言われていて、一朝有事が起きた時、最初に現地に乗り込んで行く専門の軍隊です。陸軍さんなどは海兵隊の後から押っ取り刀で来ます。ゆえに①、陸軍の兵隊さんより海兵隊の海兵さんの方が、気性が荒いイメージがある(トムクルの『アウトロー』参照)。 また、ゆえに②、海兵隊は戦車っぽいのに空母っぽいのに戦闘機っぽいのと、陸・海・空の装備を一通り備えており、単独でも戦争ができちゃいます。海兵隊以外の、たとえば陸・海・空軍という縦割り(ってか完全に別組織)の3軍で統合作戦をやる場合、指揮系統が混乱しがちとか面倒くさい問題があって、準備や調整があれこれ必要なのですが、海兵隊は1人陸・海・空3役ですから準備も調整も不要。「とりあえずこっちの準備ができるまで、お前が先に現地入りして、当面は1人で踏ん張り、なんだったら一暴れしといてくれ」ということで先発を任されるのです。 あと、大使館の警備(『ボーン・アイデンティティー』参照)やホワイトハウスの警備(『ホワイトハウス・ダウン』参照)なんかも海兵隊の任務ですな。あと大統領専用機は空軍のご存知「エアフォース1」ですが、大統領専用ヘリは海兵隊の「マリーン1」です(これも『ホワイトハウス・ダウン』参照)。 一方、海軍とは、言うまでもなく船乗りさんのこと。空母に飛行機を載せて海の上で離発着させたりもしてますから、飛行機を操縦する仕事の人も海軍にはおりまして、「飛行士(アビエーター)」と呼ばれており、厳密には「パイロット」とは呼ばれません。海でPilotと言うと「水先案内人」のことも意味していて紛らわしいからです。ギア様がなりたがっているのが、この海軍アビエーター。さらに、ご存知トップガンって所では海軍アビエーターのエースたちを養成しておりまして、決して空軍パイロットではありません。トムクル演じるマーベリックも、もちろん空軍パイロットではなく海軍アビエーターでありました。腕が良ければギア様も将来トップガンに入れるでしょう。 とはいえやはり、海兵隊と海軍とは歴史的に見ても関係浅からぬものがありまして、その昔、海戦が接舷斬り込み戦だった帆船時代には(『パイレーツ・オブ・カリビアン』参照)、海兵隊は海軍さんの戦列艦に乗り組み、敵艦に接舷と同時に、索具(ロープ)に掴まるなどしてピョーンと向こう側に跳び移り、チャンバラを繰り広げる役目の人たちのことでした。 あと、海軍の港湾基地の警備なんかも任されております。海軍艦艇の艦内警備も海兵隊のお仕事です(『沈黙の戦艦』参照)。その昔は長く苛酷な航海の中で水兵さん(海軍)の叛乱っていう事件がよく起きましたから(『戦艦バウンティ』参照)、それを防ぐため艦内警備を海兵隊が任されていた、その頃の名残りですな。げに、海軍と海兵隊は繋がりが深いのです。 だからこの映画では、海軍兵学校に海兵隊の教官がいて、海軍の士官候補生をシゴいてるのですが、別におかしな話ではないのです。あと懐かしいところだと、軍法会議法廷サスペンス『ア・フュー・グッドメン』で、海軍の弁護士が海兵隊員の容疑者を弁護したりもしてましたね。海軍と海兵隊は、別組織とはいえ繋がりは大変深いのです。という、以上、海軍と海兵隊は違う、という一席。お粗末様でございました。 ■ここらでヒロインの話を始めましょう。 都市生活を謳歌する都会人。自然が大好きな田舎者。これほど幸福な人はいません。そして、この組み合わせがズレてしまうほど不幸なことはない。都会が好きなのに辺鄙な片田舎に生まれちゃった、とか、田舎暮らしに憧れているのにゴミゴミした都会で生活している、とかです。なんたる不幸! 個人的にワタクシの場合は完全に後者タイプでして、東京のド真ん中で働いておりますが、もう、イヤでイヤで堪らない。昔『アドベンチャー・ファミリー』って映画がありました。あれには激しく同意しましたねぇ。冒頭、LAに住む一家の父ちゃんが、娘が公害で喘息にかかり、「こんな所は人間の暮らす所じゃねえ!」と呪うように叫んで、熊とかが出没するロッキー山脈の山小屋に引っ越し、挙げ句の果てには熊ちゃんとお友達になっちゃうのですが、都会のボーイスカウト団員だったワタクシ、ゴールデン洋画劇場で観ていて、これには大いに憧れたもんです。ヘヴィーデューティーな父ちゃんの服装がまたカッコ良かったのなんの!あのスタイルで何でもDIYしちゃうんですから、憧れずにはいられない。ま、実際の田舎暮らしはそんなに甘っちょろいもんじゃなく、『おおかみこどもの雨と雪』をさらに過酷にしたようなものなんでしょうけどね。でも世の中には、これとは真逆の立場・考え方の人というのもいるでしょう。つまり、ロッキーの山奥とまでいかずとも、田舎に今現在は住んでおり、心底、その田舎にウンザリし果てている人たちのことです。 デブラ・ウィンガー演じるヒロインがそうです。 その上、彼女が生まれ育った町は、寂れた工場が唯一の産業としてあるだけの、鄙びた田舎の貧しい港町。彼女も貧しい家庭に育っている。母親はその唯一の工場の女工で、彼女自身もそう。友達もそう。みんなそう。職業選択の自由が事実上かぎりなく無いに等しい町なのです。この環境から脱出する方法で、いちばんの正攻法は勉強することでしょうな。勉強して“良い大学”なるものに入り、いわゆる“良い企業”とやらに就職して、自ら中流階級へのチケットをゲットすることです。そうすれば、望んだ土地で、儲かる職業や好きな職業に就ける…かもしれない。少なくともチャンスは増える。でも、そんな社会の残酷な仕組みに子供の頃に気付くことができなかったとしても、それはその子の罪ではないでしょう。小学生の頃には遊ぶ。それのどこが悪いのか!ハイスクールで色気付き、異性とキャッキャ戯れる。それのどこが悪いのか!しかしそれをやっていると、ハイスクールを卒業した後、この町から逃れるすべはなくなる。人生そこで決まってしまう。きっとデブラ・ウィンガーや彼女の女友達はそうだったのでしょう。 地元が好きならそれでも良い。そうでないなら、彼女たちにとって良くはないでしょう。勢いで地元を飛び出し、裸一貫都会に出てみたところで、かなりの幸運に恵まれない限り、そう簡単にリッチにはなれない。都会で憧れのライフスタイルを築くカネもない。ぜんぜん解決にならない。 しかしこの町の女子には、裏技的にもう一つだけ、この町を出て中流階級に昇格できる、一発逆転の奥の手があります。それが、海軍兵学校の生徒と結婚すること。彼らは卒業すれば少尉に任官します。いきなり課長クラスです。しかもアメリカ海軍という、これ以上ない超“大企業”、安定的な職場の課長職です。不況だろうが何だろうが潰れることはありません(戦争が起きたら旦那が“労災”で死ぬことはありそうですが…)。その妻となり、夫にくっついて世界中の米軍基地にある、国家から支給された官舎に住み、主婦として暮らす。古風かもしれませんが、そうなればもう立派な中流階級です。 だから、この町の娘たちは、工場で働きながら、全員が同じ夢を見ている。付き合っている飛行士官養成学校の生徒が、卒業式を終えたその足で、真っ白のドレスユニフォームに、金のラインが1本入った真新しい少尉の階級章を付けた格好のまま、工場まで迎えに来てくれる。というか救い出しに来てくれる(男の方が白い“ドレス”ってのが面白い)。彼にお姫様抱っこされて、仲間の女子工員たちが羨ましそうに見守る中を、開け放たれた工場の扉から広大な外の世界に連れ出してもらうのです。薄暗い工場内から見ても、陽光があまりに燦々と眩しく輝いていて、外の景色はよくわからない。不確か。でも、夢と希望に満ちていることは確かです。待っているのは世界のどこの海軍基地での新婚生活だろう?アメリカ本土のどこかか?ハワイのパールハーバーか?あるいはヨコスカか?エキゾチックでエキサイティングな毎日がもうすぐ始まるのです。薄暗い工場の扉をお姫様抱っこで出て行く時、それは、彼女にとっても、そして今、士官となり紳士となり、さらに生涯の伴侶まで得た彼にとっても、まさに、愛と青春の旅だちの瞬間です。 男たちは13週間、地獄の努力をして“旅だち”をする。では女たちは?中には、とにかくデキちゃった結婚でも何でもすりゃ妊娠したモン勝ちだ、と思っているフシの娘もいて、どうにかして前途有望な生徒の子種をいただこうと、男の隙をうかがっている。もう、ゴムに針で穴を開けるといったような感じの話ですなぁ…恐い恐い。でも、そういう魂胆で最後に彼の愛を勝ち取れるの?という話じゃないですか。 ヒロインのデブラ・ウィンガーは、それをしない。ひたむきにギア様と恋愛するのです。ひたむきに恋愛しようが、腹にイチモツ閨房術を駆使して籠絡しようが、夜、ベッドの中でやることは同じなんですが、それとこれとは話が全然違う、とデブラ・ウィンガーは考えている。やることは同じなんだから、こっそり策略をめぐらしてメオトになってやろうか、という悪女な気持ちも無いではないが、それを押し殺して、裏の無い、清く正しい肉体関係(?)を続けるのです。 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ この映画が日本で公開されたのは1982年。31年前の今と同じ師走でした。60年代の所得倍増、高度経済成長を達成して就いた“世界第2の経済大国”の座を、すっかり自分の指定席だと思い込むことにも慣れた日本国民の間では、この時代もまだまだ、70年代から続く“一億総中流”というのん気な意識が生きていました。日本人の誰もが横並びに「自分は中流階級である」と自己規定していた、まぁ黄金時代と言っていい時代です。もちろん実際には当時だって貧しい方もいたでしょうが、個々の世帯ではなく国民総体の気分として、確かに我々は中流意識を抱いていた。 1982年。時はまさに日米貿易摩擦の真っ最中。アメリカをも経済的におびやかした我々は、この後一時、プラザ合意により円高不況というのに見舞われはしますがさしたるダメージにもならず、その後すぐに、いよいよバブルへと突入していくのです。82年は、21世紀の日本に長い長い不況が待ってようなど、20年が失われようなど、“世界第2の経済大国”の座から追い落とされようなど、まさか経済不安が永遠に消えない未来が到来しようなど、1つたりとも誰も想像できない、前途に経済的な不安など無い(ように多くの国民が思い込んでいた)時代、だったのです。 当時の日本人の大半は、ギア様の「いつかのし上がってやる」という切迫したハングリー精神にも、デブラ・ウィンガーの貧困と閉塞感への切実なあせりにも共感できず、この映画を、ただのロマンティックなラブストーリーとしか受け止められない、今からすれば実に羨ましい時代に生きていました。 しかし、こんにち、あれから31度目の年末を迎えた日本。長く続いた不況で「自分は中流だ」という意識をかつて一度も持ったことがなく、いつか中流になれるという将来の希望も持てず、いま中流でも一生そのままでいられる保証も無く、アベノミクスの好況感も他人事、消費増税困ったなぁ…そんな日本の、特に経済が疲弊しきった地方で探せば、そこには和製ギア様や和製デブラ・ウィンガーが、おそらく大勢いるはずなのです。 もし、あなたが若者で、この映画を一度も観たことがないのなら、むしろ80年代にリアルタイムで観た世代よりも、この映画が訴えている本来のメッセージをより正しく受け取ることができるのではないでしょうか。もしあなたが80年代にリアルタイムでこの映画を観た世代なら、いま改めて見直すことで、当時とは違った受け止め方をできることでしょう。欲を言えば、経済的に不安がある方が、この映画の鑑賞者としては望ましい。この映画は、やっぱりラブストーリーなんかではない。この映画は、現状貧しき人たちに捧げられた、最高のアンセムなのです!皆さん、来年も頑張りましょう!かく言うオレもな!! 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