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コラム・ニュース一覧
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COLUMN/コラム2014.06.03
映画の中のリゾートガイド
■『マンマ・ミーア!』 『マンマ・ミーア!』は、伝説のポップグループABBAの大ヒットナンバーでつづられた、最高にハートフルなミュージカル映画!結婚式を目前に控えた20歳の娘・ソフィと、メリル・ストリープ演じる母親のドナ、そして父親を名乗る3人の男性が繰り広げる騒動を描いた作品です。 舞台は、ギリシャの架空の小島・カロカイリ島。撮影の多くはエーゲ海に浮かぶ美しいリゾート地・スコペロス島で行われました。澄み切った海と白い砂、松やオリーブの木にいだかれたこの美しい島は、隠れ家的なリゾートとして、世界中の人々に愛されている場所。ソフィや婚約者のスカイたちが砂浜で激しく踊るシーン、ドナの親友・ターニャと島の若者のダンスシーンなど、美しい海辺の場面が撮られたのは、島の西側にあるカスタニビーチ。透明な海に浮かぶ印象的な桟橋は、撮影時に特別に作られたということです。ギリシャの青い空と海、そしてさんさんと降り注ぐ明るい太陽の下で繰り広げられる名シーンの数々は、見ているだけでハッピーな気分になれること請け合いです! ※『マンマ・ミーア!』桟橋シーン ※スコペロス島の風景 ▼「スコペロス島」プチ情報スコペロス島は、エーゲ海北西部のスポラデス諸島にあるギリシャの島。スコペロスはギリシャ語で「岩」の意味だが、肥沃な土地で緑も多く、アーモンドの産地として知られている。島内には350もの教会が点在している。 ▼アクセス方法日本からは、ヨーロッパの都市を経由してアテネへ向かい、国内線でスキアトス島へ。スキアトス島からスコペロス島へは船で1時間。(ほかに、ヨーロッパの都市からスキアトス島への直行便もある)ギリシャ中央に位置する港町・ヴォロスからスコペロス島へは船で2時間ほど。 ■『食べて、祈って、恋をして』 『食べて、祈って、恋をして』は、ジャーナリストとして活躍するヒロインが、離婚と失恋の後に、自分を見つめ直すために出かけた旅の日々を描いた作品です。 おいしい料理を堪能したイタリア、ヨガと瞑想に励んだインド…そしてジュリア・ロバーツ演じる主人公のリズが旅の最後に訪れたのが、「神々の島」と呼ばれるインドネシアのバリ島。彼女が過ごしたのが、バリ島の文化の中心地でもある山あいのリゾート地・ウブドです。ウブドでは稲作が盛んで、あちこちで青々とした美しいライステラス(棚田)を見ることができます。さらにはジュリアが颯爽と自転車で通り抜けるヤシの林、野生の猿が200匹も生息するという自然保護区「モンキーフォレスト」など、あふれる豊かな自然が人々を癒してくれるんです。パワフルなウブドの生活を肌で感じたければ、村のランドマーク、お土産や雑貨が揃う「パサール・ウブド」もはずせません! 見ているだけでリゾート地・バリ島の空気を満喫出来る、オススメの一本です! ※『食べて、祈って、恋をして』美しいライステラスシーン ※バリ島 ▼「ウブド」プチ情報ウブドは、バリ島中部にある古くからのリゾート地であり、バリ文化の中心地。ガムラン、バリ舞踊、バリ絵画、木彫り、石彫り、銀細工など、あらゆるバリの芸能・芸術を堪能出来る。豊かな自然でも知られ、素朴な田園風景や渓谷も大きな魅力。 ▼アクセス方法日本からはバリ島・デンパサール国際空港へ。空港から車で1時間。南部のリゾートエリアのクタまで車で1時間。さらにヌサドゥアから車で1時間半。 ■『黒いオルフェ』 『黒いオルフェ』は、ギリシャ神話の悲劇「オルフェウス伝説」を、現代のブラジルによみがえらせ、カンヌ国際映画祭でグランプリに輝いた名作です。舞台は、今年2014年、サッカーワールドカップが開催される情熱の街・ブラジルのリオデジャネイロ。作品では、この地で行われる世界最大の真夏の祭典・リオのカーニバルを軸での出来事が描かれています。 カーニバルは世界各地で行われていますが、その中でリオのカーニバルはもっとも熱狂的といわれています。年に一回、2月から3月上旬、土曜日から火曜日にかけての4日間にわたって繰り広げられるこのカーニバルには、世界中から観光客が押し寄せます。お目当ては、ほかでは体験できないダイナミックな音楽とリズム、そして華やかな衣装であふれるパレード!この作品では、随所に実際のカーニバルの映像が使われ、サンバのリズムに合わせて歌い、踊る人々の熱気がスクリーンから伝わってきます。地球の裏側で行われる華麗なカーニバルの気分を楽しむにはもってこいの映画です。 ※『黒いオルフェ』リオのカーニバルシーン ※リオのカーニバル ▼「リオデジャネイロ」プチ情報リオ・デ・ジャネイロは、サン・パウロに次ぐブラジル第二の都市。華やかなカーニバル、ビーチリゾート、世界三大美港のひとつと言われるグアナバラ湾の景観などで知られる観光地。2014年のサッカーワールドカップ、2016年の夏季オリンピックの開催地にも選ばれた。 ▼アクセス方法日本からはアメリカやカナダ、ヨーロッパの都市を経由してリオデジャネイロ国際空港へ。所要時間は25〜30時間ほど。 ■『マレーナ』 『マレーナ』は、第二次大戦中のシチリア島を舞台に、悲劇的な運命をたどる女性・マレーナの生き様を、彼女に恋する少年の目を通して描いた人間ドラマです。撮影の多くが行われたのは、地中海のリゾート・シチリア島にあるシラクーサ。美しいリゾート地として知られると同時に、3000年以上の歴史を持つ古都の魅力も持ち合わせています。随所に見られるギリシャ・ローマ時代の遺跡の多くは、2005年、世界遺産にも登録されました。シラクーサは、大きな橋をはさんで、新市街と旧市街のオルティージャに分かれています。オルティージャは、町の発祥の地といわれ、石造りの建物が立ち並ぶ風情あふれる場所です。オルティージャの中心にあるのが、街のシンボル・ドゥオーモ広場です。バロック様式の荘厳なドゥオーモが見下ろすこの広場は、少年がモニカ・ベルッチ演じるマレーナの思い出を心に刻み付ける印象的な場所として登場します。ゆったりとした時間が流れるロマンチックなリゾート・シラクーサを、作品を通じて味わってみては? ※『マレーナ』のワンシーン ※シラクーサ ドゥオーモ広場 ▼「シラクーサ」プチ情報シラクーサは、イタリアのシチリア島南東部に位置する都市。古代ギリシャ時代にアテネと共に繁栄を誇ったと言われ、数学者アルキメデスの生地でもある。太宰治の『走れメロス』の舞台としても知られる。ギリシャ・ローマ時代の遺跡が数多く残り、世界遺産にも認定された。 ▼アクセス方法日本からはローマ、ミラノ経由でシチリア島のカターニャ空港へ。空港からシラクーサへはバスで1時間20分ほど。 ■『フレンチ・キス(1995)』 『フレンチ・キス(1995)』は、旅先で恋に落ちた婚約者を追いかけて、フランスをめぐるアメリカ人女性を描いたロマンチック・コメディです。メグ・ライアン演じる主人公・ケイトが、詐欺師のリュックと一緒に婚約者を追いかけた先は、南仏のカンヌ。国際映画祭が開催される街としても世界的に知られています。カンヌをふくむ地中海に面した一帯は「コート・ダジュール」=「紺碧海岸」と呼ばれ、その名の通り、紺碧の海に明るい太陽がふりそそぐ、ヨーロッパ随一のリゾート地!ケイトが大騒動を巻き起こすのが、カンヌの中心にそびえ立つセレブ御用達の豪華なリゾートホテル、インターコンチネンタル・カールトン・カンヌ。映画祭の開催期間中は著名な映画人がこぞって宿泊するとか。美しい建物とビーチ。その明るく開放的な空間が、ケイトとリュックの距離を急速に縮める大きな役割を果たしていると言えそうです。恋も実る憧れのリゾート、コート・ダジュール。あなたもぜひ一度、映画で体験してください。 ※『フレンチ・キス(1995)』様子を伺うメグ・ライアン ※コート・ダジュール ▼「カンヌ」プチ情報カンヌは、フランス南東部の地中海に面する都市のひとつ。もともとは小さな漁港だったが、今ではヨーロッパ有数のリゾート地として知られる。毎年5月のカンヌ国際映画祭の開催地として世界的に有名。 ▼アクセス方法日本からは、ヨーロッパの都市を経由してニース・コート・ダジュール国際空港へ。空港からカンヌへは車で1時間程度。 ■『太陽がいっぱい』 『太陽がいっぱい』は、アラン・ドロン演じる貧しい青年・トムが大富豪の放蕩息子・フィリップをねたんで犯罪を計画、彼になりすまして財産を奪おうと画策するサスペンス映画です。フィリップが住むというモンジベロは架空の町。撮影の多くは、ナポリ湾に浮かぶイスキア島で行われました。イスキア島は、青い海と輝く太陽、そしてリラックスを求める人々でにぎわう大人気のリゾート地です。この島に来たらはずせないのが、地中海の豊かな自然を満喫できるクルージング!トムとフィリップもヨットで美しい海へと繰り出しますが、眩しく明るい陽光と、その下で行われる恐ろしい犯罪が、見事な対比を生み出しています。魚市場の場面は、「ナポリを見て死ね」と言われるほど風光明媚な港町・ナポリで撮影されています。人々の活気と彩りに満ちた市場で、アラン・ドロンの持つ影と、憂いを帯びた美しさが際立つ名シーンが生まれました。スリリングな犯罪と一緒に味わう地中海の明るい大自然、いつもとひと味違うリゾート体験ができるのでは? ※『太陽がいっぱい』ヨットのワンシーン ※イスキア島 ▼「イスキア島」プチ情報イスキア島は、イタリア・ナポリ湾内で一番大きな島。火山活動で出来た島で、別名「緑の島」と呼ばれるほど自然が豊か。至る所にわく温泉でのんびりできるほか、ビーチも楽しめる人気のリゾート地。 ▼アクセス方法日本からは、ローマやミラノ経由でナポリ・カポディキーノ空港へ。ナポリ港からイスキア島へは高速船で50分ほど。 『マンマ・ミーア!』© 2008 Universal Studios. All Rights Reserved.『食べて、祈って、恋をして』© 2010 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.『黒いオルフェ』ORFEU NEGRO ©1959 Dispat Film. All Rights Reserved.『マレーナ』© 2000 Medusa Film spa—Roma『フレンチ・キス(1995)』FRENCH KISS ©1995 ORION PICTURES CORPORATION. All Rights Reserved『太陽がいっぱい』© ROBERT ET RAYMOND HAKIM PRO. / Plaza Production International / Comstock Group
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COLUMN/コラム2014.05.27
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2014年6月】駒騒 貫八
ジョージ・A・ロメロ監督の「ゾンビ」へのオマージュとして知られ、ホラーとコメディとラブストーリーのミックスを試みた映画「ショーン・オブ・ザ・デッド」。ゾンビ映画好きならご存知の方も多いでしょう。今回紹介させていただくのは、その監督である”映画オタク”エドガー・ライトの2010年の作品。物語の舞台はまだ雪が残るトロント。どこか冴えないバンドのベースを務めるスコット・ピルグリムはゲイの同居人や年下の彼女らと共に、バンド同様冴えない生活を送っていた。しかし、ある日パーティーで出会った(その前に夢の中で会っている)ラモーナに一目惚れをしてから、彼の生活は良くも悪くも激変していく…主演はマイケル・セラ。カナダの若手俳優で、出演作「JUNO/ジュノ」はまだ記憶に新しい。そして彼の同居人役のキーラン・カルキン。カルキンと聞いてあのいたずらっ子を思い浮かべる人も多いと思いますが、その通りマコーレー・カルキンの弟でございます。彼ら二人の台詞の掛け合いも見所の一つ。他にも「キャプテン・アメリカ」のクリス・エヴァンス、アカデミー賞助演女優賞にノミネート経験のあるアナ・ケンドリック、ウェス・アンダーソン作品常連メンバーのジェイソン・シュワルツマンといったそうそうたる面々が名をつらね、日本ではお馴染みの斉藤慶太・祥太も邪悪な元カレ軍団の一員として出演している。冒頭からエドガー節が炸裂します。デジタル化したユニバーサルのロゴ、RPGを思わせるナレーション、軽快なSE(サウンド・エフェクト)によって観客たちをゲームの世界に誘う。どこかで聞いたことのあるゲーム音楽(ゼルダの伝説)、ゲームのステージを連想させる展開、ストリートファイターや鉄拳を彷彿とさせるファイトシーン、ライフゲージ等の演出は観る者にあたかも自らが仮想現実の世界にいるような錯覚をも起こさせる。またこの映画には他にも様々な要素が詰まっています。バックに笑い声が入るホームドラマのようなシーンがあったり、ボリウッドを思わせるダンスシーンがあったり、原作が漫画なこともあり擬音文字が宙を舞ったり。それでいてリアルなところはリアル。過度な演出とリアル、そのギャップがまた僕らを夢中にさせます。前述したように、主人公はバンドマン。そのせいもあってかこの映画は音楽が非常に豪華。レディオヘッドのプロデューサーとしても名高いナイジェル・ゴドリッチを音楽監督に迎え、ブロークン・ソーシャル・シーン、ローリング・ストーンズ、T・レックスらが楽曲を提供、主人公のバンド「Sex Bob-omb」が演奏する曲はベックが作詞作曲している。是非音楽にも”注耳”したい。やりすぎ感がたまらない。いかにもエドガー・ライトな作品ではないでしょうか。この作品、1回観ただけでは味わいきれない面白さがあります。何度も観てほしいです。毎回新しい気付きがあるでしょう。マイケルの可愛いTシャツには注目です。 ©2010 Universal Studios. All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2014.05.27
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2014年6月】うず潮
エディ・マーフィが、エディ・マーフィー型宇宙船と体長数cmの宇宙人の2役に挑戦。エディ・マーフィー扮する宇宙人は、危機に瀕した自分の星を救うのに必要な塩を得るため、地球の海水の略奪を狙っていた!そのためには、まず地球人に紛れ込むことから!エディ・マーフィにそっくりな宇宙船でニューヨークの街へ!しかし、おのぼりさん状態の彼らに、車にはねられるという試練が!その車を運転していた親子に介抱され、人間たちの文化に触れた宇宙人がとった行動とは…。エディお得意のパフォーマンス満載の異色SFコメディ!ザ・シネマでは【これで見納め!STAR WARS】と題して、6月もスター・ウォーズを一挙放送! ©2008 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2014.05.27
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2014年6月】キャロル
『ラブ・アクチュアリー』のリチャード・カーティス監督が、60年代英国に実在した海賊ラジオ局をモチーフに描く傑作エンターテインメント。個性豊かな8人のDJたちが織りなす自由でクレイジーな日々が、どうしようもなくアホで、カッコ悪くて、気まずいけど、そんな彼らのどこか悲しげな姿が「これぞロック・スピリットだ」と言わんばかりで最高にカッコ良く見えてきます。当然ながら音楽も最高!鑑賞後の後味もスッキリな映画NO.1なので、是非見てほしい一本です。 © 2009 Universal Studios. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2014.05.27
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2014年6月】にしこ
かわいいルックス+優しくてチャーミングな性格+ものすごい優柔不断→女性にモテる!という女性ならば「悔しい、でもかわいい!」と思ってしまう主人公チャールズを演じるヒュー・グラントのかわいさが絶頂だった無敵のモテ時代のモテ映画です。そんなモテ男の→が向いているのはこれまた問答無用のモテ女・キャリー。ミステリアスで駆け引き上手で美しい。冷静に考えると「やな女!」なのですが、魔性系ながらも暖かみを感じさせ「友達になれそうかも」と思える様なキャリーというキャラクターを作り上げたのはアンディ・マクダウェルのどこか包容力を感じさせる存在感なのでしょうか?1つめの結婚式で運命的に出逢い、3つの結婚式と1つのお葬式を経て、彼らがたどり着いた「自分たちの恋愛の形」とは?わかっているけど、くやしいけれど、チャールズはやっぱり魅力的だし、キャリーはやっぱりいい女なんです。そして脇を固めるチャールズの友人たちのまた魅力的なこと!少し風変わりで、シニカルで、でも愛情深い。「愛」を感じる映画です。ちなみに、3つの結婚式すべてに登場する神父役のローワン・アトキンソンの抱腹絶倒のマスター・オブ・セレモニーっぷりにも注目!!そしてそしてネタバレになってしまうかもしれませんが、1つのお葬式で、登場人物の1人が愛する恋人へ「funeral blues」という詩を捧げるシーンは、本当に胸を打つ映画史に残るお葬式シーンだと思います。必見!! FOUR WEDDINGS AND A FUNERAL © 1994 ORION PICTURES CORPORATION. All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2014.05.25
2014年6月のシネマ・ソムリエ
■6月1日『ロリータ』 ロリータ・コンプレックスの語源となったナボコフの小説を映画化。巨匠S・キューブリックが『スパルタカス』と『博士の異常な愛情?』の間に発表した異色恋愛劇だ。 中年の文学者が下宿先の未亡人の娘ロリータに心奪われ、人生を狂わされていく。物語は原作に忠実だが、ヒロインの年齢設定などが変更され、モノクロで撮影された。 規制が厳しかった時代の作品ゆえに性描写は一切なく、犯罪映画風の冒頭に続いて、人間のエゴをえぐる破滅的なドラマが展開。脇役P・セラーズの怪演も見逃せない。 ■6月8日『砂漠でサーモン・フィッシング』 中東イエメンの砂漠に川を造り、鮭釣りができるようにしたい。大富豪からそんな壮大なプロジェクトの実現を依頼された、英国人水産学者の奮闘を描くコメディである。 原作はポール・トーディの小説『イエメンで鮭釣りを』。イメージアップをもくろむ英国政府の思惑も絡む物語はシニカルなユーモア満載で、恋愛映画としても楽しめる。 堅物の学者に扮したE・マクレガーと、投資コンサルタント役のE・ブラントの機知に富んだ掛け合いが魅力的。夢や理想といったテーマを爽やかに謳い上げた珠玉作だ。 ■6月15日『スコット・ピルグリムVS.邪悪な元カレ軍団』 『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!』の俊英E・ライトが放ったラブ・コメディ。理想の女の子と交際するため、彼女の元カレ7人と対決する青年の物語だ。 ポップカルチャーから多大な影響を受けた監督の漫画やロックへの偏愛が爆発。主人公が次々と出現する元カレとのバトルを突破していく展開は、まさにゲームのよう! 凝った視覚効果や編集テクを駆使し、ファミコンのチープな電子音まで導入。マニアックな小ネタとギャグも詰め込んだ映像世界は、これぞ究極のオタクワールドである。 ■6月22日『パーフェクト・センス』 人間の嗅覚や聴覚といった五感が順次失われていく奇病が世界中で蔓延。そのさなかに恋に落ちたシェフのマイケルと感染症学者スーザンの身体も異変に見舞われていく。 CGによるディザスター描写に依存せず、人類存亡の危機を描いた英国製の終末映画。五感の喪失という現象が一般市民の日常を混乱に陥れる過程をリアルに映し出す。 世界が静寂と暗闇に覆われていく悲劇的な物語が問いかけるのは、愛と希望というテーマ。他者を“感じる”ことの尊さを感動的に映像化したラブストーリーでもある。 『ロリータ』TM & © Warner Bros. Entertainment Inc. 『砂漠でサーモン・フィッシング』©2011 Yemen Distributions LTD. BBC and The British Film Institute All Rights Reserved. 『スコット・ピルグリムVS.邪悪な元カレ軍団』©2010 Universal Studios. All Rights Reserved. 『パーフェクト・センス』© Sigma Films Limited/Zentropa Entertainments5 ApS/Subotica Ltd/BBC 2010
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COLUMN/コラム2014.05.17
【ネタバレ】イザベル・コイシェ監督の2作品に隠された秘密、それは、“もうひとりの別の存在”
サラ・ポーリーと組んだ『死ぬまでにしたい10のこと』『あなたになら言える秘密のこと』の2作品で日本でも広く知られるようになったスペイン人監督イザベル・コイシェは、自らの制作会社を“ミス・ワサビ”と名付け、菊地凛子主演作『ナイト・トーキョー・デイ』を東京で撮ったほどの親日家だ。筆者は過去に二度インタビューしたことがあるが、とてもお洒落でユーモラスかつフレンドリーな女性で、つねに新作を楽しみにしている監督のひとりである。 2007年に日本公開された『あなたになら言える秘密のこと』は、筆者がその年の洋画ベストワンに選んだ思い入れの深い作品なのだが、題名から連想されるようなロマンティックな映画ではない。主人公ハンナ(サラ・ポーリー)はつねに思い詰めたような険しい顔つきをしており、極度の潔癖症で、あからさまに他人を拒絶するオーラを放っている。そんな彼女が勤務先の工場の上司から半ば強制的に休暇を取るよう勧められ、ひょんなことから海上に浮かぶ石油掘削施設で大火傷を負ったジョゼフ(ティム・ロビンス)の看護をすることになる。一時的に視力を失っているジョゼフは、ぶっきらぼうなハンナになぜか好意を抱き、少しずつ彼女の頑なな心を溶かしていく。しかしハンナは、ジョゼフの想像も及ばない衝撃的な“秘密”を抱えていた……。 ここから先はネタバレで恐縮だが、実はハンナはバルカン半島からイギリスに移住してきたクロアチア人で、ボスニア紛争における拷問被害者である。映画のクライマックスで語られるハンナの告白の内容は残酷なまでに悲劇的で、公開当時、そのような重い題材が扱われているとは夢にも思わなかった筆者を含む観客は心底驚愕し、戦慄さえ覚えることになった。ハンナの心身の耐えがたい痛みを知ったジョゼフが、それでも彼女とともに未来を歩もうとする物語はこのうえなく感動的で、極めて純度の高いラブ・ストーリーに仕上がっている。 ところが筆者が本当に驚かされたのは、しばらくしてから本作をもう一度観直したときだった。この映画の初鑑賞時に漠然と感じていた違和感のようなものが具体化し、大いなる謎が浮かび上がってきたのだ。 もともとこの映画には、誰もが気づくスーパーナチュラルなエッセンスがちりばめられている。物語の語り手というべき少女の“声”である。「ハンナは私の顔を知らない。でも唯一の友だちよ」と語るこの正体不明の“声”は何者なのか。前述したハンナの“秘密”を踏まえると、(1)拷問のトラウマゆえに幼児退行したハンナ自身の声である、(2)ハンナが紛争中に亡くした子供の声である、など幾つかの推測が可能だ。筆者は精神分析の知識が乏しいうえに、映画はあえて“声”の主を曖昧にしているので、明快な答えは見つからない。 二度目に観て気づいたのは、物語の主な舞台となる石油掘削施設の一室でハンナとジョゼフが心を通わせていくシーンに、これまた正体不明の何者かの視線のショットが何度か挿入されていることだ。物陰からひっそりとハンナとジョゼフのやりとりを見つめているかのような、そこにいるはずのない第三者の存在が感じられてしょうがないのだ。こうなるともはや心霊映画の領域だし、「たまたま手持ちカメラのアングルがそう思えるだけではないか?」という向きもあろう。しかし、この映画はコイシェ監督自身がカメラ・オペレーターを兼任(撮影監督はジャン=クロード・ラリュー)しており、物陰に潜む何者かの視線を感じさせるような主観ショットが“たまたま”撮られたとは思えない。むしろ監督は明確な意思をもって超自然的な存在がハンナにつきまとっていて、その部屋に存在していることを表現したのではないかと考える。この世を見ぬまま生命を絶たれたハンナの子供なのか、それとも非業の死を遂げた大勢の拷問被害者の魂なのか、筆者には断定しようがない。ここではまず霊的な何かが“そこにいる”可能性を指摘しておきたい。この映画の原題は『The Secret Life of Words』であり、正体不明の“声”が語る言葉が極めて重要であることは疑いようがないのだから。 ■最大の謎はラスト・シーンの“窓”の向こう側にある そして筆者が最も驚き、未だ脳裏に焼きついて離れないのがラスト・シーンである。石油掘削施設から工場勤めの孤独な日常に戻ったハンナは、再会したジョゼフからのひたむきな求愛を受け入れ、ふたりは情熱的な抱擁を交わす。続いて映し出されるのは、ハンナがキッチンでひとりたたずんでいる光景だ。どうやらハンナは、この家でジョゼフと穏やかに暮らしているらしい。ストーリーの流れとしては、明らかにハッピーエンドである。 しかし、ここにもあの少女の“声”が聞こえてくる。「私はもういない。ときどき日曜日の朝に来るだけ」。そう語る“声”は「彼女には子供がふたりいる。私の弟たち」と呟き、ハンナとジョゼフが2児をもうけたことを告げる。そして“声”が「子供たちが帰ってくる。もう行くわ」と消えようとするなか、キッチンの窓の向こうには隣家に遊びに行っていたハンナの子供たちの姿が映る。ここにこそ本作の最大の謎がある。“声”いわく“私の弟たち”なのだから、窓の向こう側を歩いてくるのは“ふたりの男の子”でなくてはならない。それなのに何度もスロー再生して確認した筆者が見るに、そこに映っているのは赤い服を着た“ふたりの女の子”なのだ! いったい、これはどういうことなのか。明らかにつじつまが合わない。おまけにこの窓の外を捉えたショットは微妙にフォーカスがずれており、子供たちがおぼろげに映っている。その撮り方から察するに、コイシェ監督はそれが女の子かどうか観客が気づかなくても構わない、というスタンスでこのショットを設計している。しかし、どうしても女の子でなくてはならかった何らかの理由があるのではないか。そうとしか考えようがない。 このあまりにも奇妙で、不可解なミステリーに関しても、筆者は答えを持ち合わせていない。ただし想像することはできる。ハンナがたたずむキッチンはまぎれもなく“現実”のシーンだが、ひょっとする窓の向こう側は“幻”なのではないかと。では、ふたりの女の子は誰なのだろう。ひょっとすると祖国のクロアチアでまだ無邪気だった幼少期のハンナと、その友だちなのかもしれない。もう幸せだったあの頃には帰れない。そんなスーパーナチュラルな心霊的ニュアンスがこもったエピローグは、表面的にはジョゼフと結ばれたことで心の平穏を取り戻したように見えるハンナの奥底に残る、もうひとつの複雑にして不穏な“秘密”を表現したシーンとして、何年経っても筆者の中で謎めき続けているのだ。 ■頻出する“ダブル”=“もうひとりの別の存在”のイメージ もう一点、筆者にとって興味深いのは、なぜ“ふたり”なのか、ということだ。ここで言う“ふたり”とは“もうひとりの別の存在”に置き換えることもできる。エピローグにおける窓の向こうの子供はなぜか“ふたり”であり、劇中には戦時中の拷問体験で精神を病んだハンナが“もうひとりのハンナ(=おそらく彼女自身)”について涙ながらに語るシーンもある。 こうした疑問を抱いた後に、コイシェ監督の前作にあたる『死ぬまでにしたい10のこと』を観直してみると面白い。この映画の冒頭では、ガンに蝕まれて死にゆく運命にある主人公アンが雨の中にたたずんでいる。そのオープニングに被さる彼女自身のモノローグは、日本語字幕では「私」という一人称で訳されているが、なぜかサラ・ポーリーがしゃべる英語セリフでは「You」という二人称になっているのだ。つまり「これが私」という日本語字幕は、本来「これはあなた」と訳されるべきなのだが、想像するに字幕担当者はそれでは不自然と判断して「私」にしたのだろう。ウィキペディアを参照してみると、代名詞に「You」が使われた理由についてこんな記述がある。「あたかも映画を観ているあなたが、この映画の主人公だ、あなたの余命が2ヵ月なのだ、と訴えかけるようになっている」。確かにそうかもしれない。しかし筆者には、超自然的な霊魂のような“もうひとりの別の存在”がアンを客観的に見つめながら、このモノローグを語っているように思えてならない。 “ふたり”もしくは“もうひとりの別の存在”、すなわちペアともダブルともいえる概念は、『死ぬまでにしたい10のこと』にさらに盛り込まれている。自らの死期が迫ったことを悟ったアンは、この世に残される夫にふさわしい再婚相手を見つけ出そうとするのだが、タイミングよく空き家だった隣家に美しく心優しい女性が引っ越してくる。レオノール・ワトリングが演じるその女性の名前は、何と主人公と同じ“アン”である。しかも隣人の“アン”はかつて看護師だった頃、患者が出産後にまもなく死亡したペアの赤ん坊=シャム双生児を看取った悲痛な体験をアンに打ち明けるのだ! 以上の文章には筆者の妄想も少々入り混じっているかもしれないが、コイシェ監督がダブルのイメージに執着しているという指摘は、まんざら的外れではないと思う。なぜなら2013年に彼女が撮ったばかりの最新作の題名は『Another Me』。“もうひとりの自分”につきまとわれる若い女性(ソフィー・ターナー)を主人公に据え、まさしくダブルをモチーフにしたミステリー・スリラーらしいのだ。現時点で日本公開は未定だが、すでに期待が膨れ上がりっぱなしの筆者は観る気満々である。■ ©2005 El Deseo M-24952-2005
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COLUMN/コラム2014.05.10
「聖なる映画」から遠く離れて ― ポール・シュレイダーのピンキー・バイオレンス世界
スケベ心と野次馬根性に満ちた好き者ならばいざ知らず、原題がズバリ『HARDCORE』、邦題も『ハードコアの夜』(1979)と、いかにも煽情的でキワモノめいた題名につい思わず腰が引けて、さてどうしたものかと、いざこの作品を前にして見るのをためらってしまう人は、結構多いのではないだろうか。しかも監督がポール・シュレイダーだというのも、いまどきあまりピンとこないし…。 しかし、そういえば、待てよ、シュレイダーといえば、マーティン・スコセッシ監督と初めてコンビを組んで生み出した衝撃作『タクシードライバー』(1976)の脚本を手がけた人物であり、あの映画の中には、ロバート・デ・ニーロに初デートに誘われたものの、それが映画館で一緒にポルノ映画を鑑賞することだと知って、インテリ美女のシビル・シェパードが憤然とその場を立ち去っていく噴飯ものの場面があったっけ…、と思い出す映画ファンならば、きっとこの映画へ対する関心と興味が沸いてくるはずだ。 そう、この『ハードコアの夜』は、『タクシードライバー』と同様、ハリウッドの商業娯楽映画でありながら、シュレイダーの自伝的要素や生の肉声が随所にちりばめられたきわめてパーソナルな作品であり、スコセッシに代わってシュレイダー本人が自ら演出のメガホンを握って監督した、いわば『タクシードライバー』のパート2でもある(その後2人でまた監督・脚本家コンビを組んだ『救命士』(1999)は、さしずめパート3といったところか)。さらには、筋金入りの映画狂たるシュレイダー自身が公言している通り、あの巨匠ジョン・フォードの傑作西部劇『捜索者』(1956)を大胆不敵にも物語の骨格に借用して現代風に翻案するなど、さまざまな映画からの影響が随所に看て取れるハイブリッドな作品ともなっていて、映画ファンならばやはり見逃せない、なんとも興味深い一作に仕上がっているのだ。 映画は、アメリカ中西部ミシガン州の都市グランド・ラピッズに暮らす敬虔なプロテスタント信者の一家が、クリスマスで親戚一同、老若男女みな顔を揃え、賑やかに家族団欒を過ごす平和な家庭風景から幕を開ける。ところが翌朝、信者たちの若者集会に出席するためカリフォルニアへと旅立った十代の愛娘が、不意に失踪したとの知らせがジョージ・C・スコット扮する父親のもとに間もなく届き、その捜索に乗り出した彼は、それから数週間後、雇った私立探偵の案内で場末のポルノ映画館に足を運び、そこで思いも寄らぬ意外な光景と対面。いかがわしいブルーフィルムの中で淫らな痴態をさらけ出していたのは、ほかならぬ彼の可愛いひとり娘だった! 苦悶と絶望にあえぎながら悲痛な叫び声を上げたスコットは、しかしその後、決死の覚悟を決め、娘の居場所を突き止めて我が家に無事連れ帰るべく、彼にとってはまるで未知の異世界である風俗産業の危険でディープな猟奇地帯へ、自ら足を踏み入れていくこととなる…。 平和と安らぎに満ちた神聖な家庭風景から卑俗の極みたるポルノ映画の闇の世界へとメーターの針が一気に大きく揺れ動く、本作の何とも両極端な物語をざっと簡単に書き綴ってみたが、ここで最初に留意すべきなのは、この映画の舞台の出発点となるミシガン州グランド・ラピッズが、シュレイダー自身の生まれ故郷であるという点だろう。そして、スコット扮する主人公の一家は敬虔なプロテスタント信者の家庭と設定されているが、これもシュレイダーの家庭環境をそのまま劇中に再現したもの。シュレイダーの一家は、プロテスタントの中でもとりわけ厳格で禁欲的なオランダ・カルヴィン派を信奉し、この宗派は、飲酒や喫煙はおろか、映画やダンスも"世俗的な楽しみ"であるとして禁じていた。 1950~60年代のフランスのヌーヴェル・ヴァーグの登場に呼応する形で、アメリカでも1960~70年代、熱狂的な映画好きが嵩じて自ら映画作りに関わるようになる新しい世代の映画作家たちが台頭し、1946年生まれのシュレイダーは、4歳年上のスコセッシや、『愛のメモリー』(1976)でコンビを組んだ6歳年上のブライアン・デ・パルマらと同様、そんなシネフィル映画作家世代のひとりに属するわけだが、子供の頃から映画狂だったスコセッシなどとは異なり、シュレイダーは、前述の宗教的な戒律のため、なんと17歳になるまで映画を1本も見たことがなかった。 将来、聖職者となるべく厳しい宗教的修練を受けた家庭と教会の束縛から逃れようと、青年となってからようやく映画を見始めた彼は、やがてすっかりその魅力に取りつかれて人生が大きく急旋回。高名な映画批評家ポーリン・ケイル女史との運命的な出会いに啓示を受けてその弟子を目指すようになり、UCLAの映画学科に進んだ彼は、在学中から数々の映画評を執筆し、小津安二郎、ロベール・ブレッソン、カール・テホ・ドライヤーという3人の神聖な映画作家たちの超越的スタイルを論じた「聖なる映画」を修士論文として発表。また、アメリカにおけるフィルム・ノワール評価の火付け役となった「フィルム・ノワール注解」や、日本の東映ヤクザ映画を体系的に英語圏に紹介した「ヤクザ映画―入門」など、古今東西の映画を幅広く論じる一方で、私生活では同棲していた恋人と喧嘩して家を追い出され、昼間は酒に酔いつぶれて、車の中で寝泊まりしたり、オールナイトのポルノ映画館で一夜を明かしたりする、孤独でみじめなどん底生活を送る一時期もあったという。本来は聖なる世界を目指していたはずのシュレイダーの、そこからの離反と逃走、そして地獄への転落。ここで彼が自ら味わった孤独や疎外感をバネにシュレイダーが一気呵成に書き上げたのが、ほかならぬ『タクシードライバー』の映画脚本だった。 『タクシードライバー』のデ・ニーロ演じる主人公は、自分を取り巻く周囲の卑俗にまみれた汚い現実社会に吐き気や嫌悪感を催し、これを自らの手ですっかり一掃して洗い清め、その中から、街娼の少女たるジョディ・フォスターを清純な天使に勝手に見立てて救い出そうと、常軌を逸した暴力的行動にうってでる。そしてこの『ハードコアの夜』では、ポルノ映画の世界に身を落とした我が娘をその汚らわしい世界から奪還すべく、敬虔なカルヴィン教徒たるスコットが、薄汚い街路=ミーン・ストリートの中を必死で駆けずり回るのだ。 しかしまた、この映画でシュレイダーは、自らの父親をモデルに、聖なる世界を代表する父権主義的なスコットの主人公像を造型する一方、彼本人はむしろ、そこから逃走を図って映画の俗世界に身を投じる娘の側に、自らを深く投影させていたはずだ。シュレイダーのその自己分裂症的な傾向は、『タクシードライバー』のデ・ニーロが、「オレに向かって話してるのか?」と、鏡の中に映るもう一人の自分と、対話ならぬ奇妙な自問自答を繰り広げる、あのあまりにも有名な場面に既にくっきりと明示されていた。聖と俗、理想と現実の二項対立として、お互いに激しく反発し合いつつ、実は自分とは反対側にある世界に次第に魅力を覚えて微妙に惹かれ合う、アンビヴァレントな関係性。ここに、シュレイダーの映画世界が絶えず孕む、奇妙なジレンマと不思議な魅力の謎が潜んでいるように筆者には思われる。消息不明の娘の手掛かりを得るため、夜の風俗街の探訪に乗り出した『ハードコアの夜』の主人公スコットは、はじめのうちこそ、若い裸の女性を前にしても石部金吉的な堅物の姿勢を崩さなかったのが、やがてかつらに付け髭までしてポルノ映画のプロデューサーへとすっかり様変わりし、自ら俳優のオーディションをこなしていくあたりは、もう何ともおかしくて爆笑もの。一見高尚で気難しい芸術派の映画作家を気取ってはいるものの、なんだかんだ言って、やっぱりシュレイダーは下世話で卑俗な裏世界の話が大好きなのだ。彼がその後も、性の快楽を題材にした『アメリカン・ジゴロ』(1980)や『ボブ・クレイン 快楽を知ったTVスター』(2002)といった作品を撮り続け、目下のところの最新作たる『ザ・ハリウッド』(2013)では、「アメリカン・サイコ」の作家ブレット・イーストン・スミスのオリジナル脚本、そして主役陣にはあの全米お騒がせ女優のリンジー・ローハンと現役の人気ポルノ男優という異色の顔合わせによる官能的スリラーに挑んでいることも、そのことをよく物語っていると言えるだろう。 ところで、先にも軽く触れたように、シュレイダーはこの『タクシードライバー』と『ハードコアの夜』両者の作品の主人公に、コマンチ族にさらわれた姪を何とか見つけて連れ戻すべく、執念深くその居場所を探し続ける『捜索者』の主人公ジョン・ウェインの姿を重ね合わせている。と同時に、実はシュレイダーが、この『ハードコアの夜』の物語を考案するにあたって、必ずや大きな影響を受けたに違いないと筆者がにらむ、もう1本の映画がある。それは、ロバート・アルドリッチ監督の『ハッスル』(1975)。この映画の中にも、自分の愛娘をブルーフィルムの中に見出して苦悶する、哀れな父親の姿が登場する。演じるのはベン・ジョンソンで、『捜索者』にこそ出ていないが、彼もまたフォードの西部劇には欠かせない常連役者のひとりだった。ちなみにシュレイダーが、東映ヤクザ映画の研究成果を生かして、兄のレナードと2人で共作し、当時空前の高値でワーナーに買い上げられた『ザ・ヤクザ』の映画脚本は、当初アルドリッチが監督する予定となっていたが、企画の交渉段階で交代を余儀なくされ、結局シドニー・ポラックが監督を務めて1974年に映画化された。それ以前にもシュレイダーは、アルドリッチ監督の『キッスで殺せ』(1955)をフィルム・ノワールの精華たる傑作として高く評価していて、自らの監督作『アメリカン・ジゴロ』の中に、既によく知られたブレッソンの名作『スリ』(1959)からの借用以外に、この『キッスで殺せ』からも幾つかの場面をパクッている。 そしてまた、シュレイダーが、日本のヤクザ映画研究から汲み取った、このジャンル必須のお約束事というべきクライマックスの殴り込みシーンは、『ザ・ヤクザ』のみならず、『タクシードライバー』や本作などにしっかり転用されていることも、ここで言い添えておく必要があるだろう。あのクエンティン・タランティーノが偏愛するバイオレンス・アクションで、彼がかつて創設したカルト映画専門の配給会社にこの名を冠したことでも一部の映画ファンにはよく知られた、シュレイダー脚本、ジョン・フリン監督のカルト映画『ローリング・サンダー』(1977)も、やはりこの系譜に連なる1本。ヴェトナム帰還兵の主人公が、孤独や疎外感、苦難を味わった末、後半、その怒りを爆発させる展開は、これまた『タクシードライバー』の姉妹編的作品ではあるが、シュレイダーが当初書き上げた脚本に、後から別人の手が大幅に加えられており、彼はこれを自作とは認めていない。 シュレイダーが約50本にものぼる日本の東映ヤクザ映画をまとめて見て、先に述べた研究論文「ヤクザ映画―入門」を発表した際、そこに『網走番外地』や『緋牡丹博徒』シリーズが含まれていたことは、その文中に言及されていることからおそらく確かだろうが、はたして彼はその時、昨今海外でもすっかり人気の、石井輝男や鈴木則文らのいわゆる東映ピンキー・バイオレンス映画も目にしていたのだろうか? いずれにせよ、シュレイダーは既に1970年代、タランティーノらに先駆けて、映画史上に輝く古典的名作から、セクスプロイテーション映画や日本のヤクザ映画にいたるまで、古今東西のさまざまな映画ジャンルを独自に混ぜ合わせて、ハイブリッドで面白い映画世界を生み出していたことは、今日、もっと多くの映画ファンに知られて再評価されてもいいのではないだろうか。■ ©1978 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2014.05.03
【DVD吹き替え未収録】役者エディ・マーフィをどう解釈し、どう演じ直すか。日本が誇るべき文化、“吹き替え”の真髄がそこにある。
海外で作られた映画・ドラマ・アニメなどの台詞を翻訳し、新たに俳優陣が演じ直す “吹き替え”。日本の映画ファンには、様々な理由を挙げて“字幕派”を標榜する人がいるが、中には只の原語至上主義者もいて、これらを一緒くたにすることには違和感がある。一方、“吹き替え派”は、字幕より吹き替えのほうが作品を理解するのに必要な情報量が多いことに加え、吹き替えを手がけた日本のスタッフ・キャストがどう作品を解釈したかも味わうという大きなお楽しみを共有している。 外国作品を吹き替えで見るのが当たり前という国は多い。アートの国フランスもそうだし、米国こそ、まるで字幕を毛嫌いしているかのようだ。たとえば日本の宮崎駿監督のアニメには、そうそうたる顔ぶれのハリウッドスターが英語吹き替えに集結している。 よく日本の吹き替えは世界最高レベルといわれるが、1本の作品に声優として参加する俳優の数が多い事実は確かだ。米国アニメ「ザ・シンプソンズ」のオリジナル・キャストは主要6人で30人を超えるキャラを演じるが、日本の吹き替えでも台詞が一言しかない複数のキャラを少数の俳優が演じ分けることが多いとはいえ、最終的に映画1本に20人以上が出演することも。こんな“吹き替え”を、文化と呼ばずしてなんと呼ぶのだろう。 前置きが長くなった。エディ・マーフィ。1980年代のハリウッドに彗星のごとく現れ、多数のヒット作に主演しているスーパースターだ。近年では『ドリームガールズ』でアカデミー助演男優賞にノミネートされながら、自分が受賞を逃したと知ってすぐ授賞式の会場を後にするというホットなエピソードを残した。そんな破格の才能マーフィを、日本の吹き替え文化はどう解釈してきたのか。 マーフィが全米で注目を集めたのは、人気バラエティ番組「サタデーナイトライブ」でのこと。初出演当時はまだ19歳で脇役扱いだったが、その芸達者ぶりが認められ、そのシーズンが終わる頃には史上最年少でレギュラーに格上げされた。自身と同じアフリカ系をからかい、セレブたちも同等にコケにするという独自の過激な芸風で人気を博した。 そんなマーフィが映画デビューを飾ったのが1982年の『48時間』。相棒を殺されたジャック刑事(ニック・ノルティ)は、犯人について詳しい受刑者レジー(マーフィ)を48時間だけ釈放させ、捜査に同行させる。ザ・ポリスのヒット曲「ロクサーヌ」をエキセントリックに歌いながら、マーフィは登場。それまでのシリアスな空気を一瞬でユーモラスに変えてしまうだけでなく、主演のノルティを食いかねない、圧倒的存在感を見せた。 『48時間』が日本テレビ系で、続編『48時間PART2/帰って来たふたり』がフジテレビ系で放送された際、レジーを演じたのは下條アトム。実力派俳優だが、海外ドラマ『刑事スタスキー&ハッチ』でスタスキーの声を演じ続けた、吹き替えの名手でもある。“スタハチ”はバディもののお手本のようなドラマだが、そこで三枚目に近いスタスキーを演じた下條にマーフィ演じるレジーをアテさせたのは、下條のネームバリューとバディものを演じるスキルの高さ、両方が生む相乗効果を計算してのキャスティングだったと思う。相手役のノルティをアテたのが、『48時間』では故・石田太郎(吹き替えでは『新刑事コロンボ』も有名)、『48時間PART2~』ではアーノルド・シュワルツェネッガーなどタフガイ役を得意とする玄田哲章というのも、下條の軽妙さをより際立たせる。ちなみに、第1作と第2作の両方で樋浦勉が異なる悪役を演じているが、こんな洒落っ気も吹き替えの魅力だ。 そしてマーフィにとって、今なお語り継がれる代表作になったのが『ビバリーヒルズ・コップ』の3部作。マーフィが演じるのは、不況の町デトロイトで働く刑事アクセル。頭の回転が速く腕っぷしも強い、しかしユーモアを大事にする愛すべき男だ。そんなアクセルが友人を殺した犯人を追って高級住宅街ビバリーヒルズへ。そこでルールやモラルを重んじる地元警察の刑事たちと対立する。第1作の見ものはデトロイトとビバリーヒルズの文化ギャップを軽々と乗り越えるアクセルの活躍。冒頭の違法取引でのマシンガントークから、まさにマーフィの独壇場となっている。 気にしたいのは、『48時間』第1作ではまだ準主演だったマーフィが、『ビバリーヒルズ・コップ』では主演に格上げされている点。マーフィ自身のプロダクションも製作に名を連ねている。『48時間』の大ヒットを受け、映画会社パラマウントはマーフィと独占契約を結んだ(一説によれば5本の出演に対し1500万ドルも払うという破格の待遇だった)。なお余談だが、当初はシルヴェスター・スタローンの主演が予定されたが、スタローンは脚本を直したいといういつもの悪い癖(?)を出し、マーフィがアクセル役に抜擢された。 第1作がテレビ朝日系で放送された際、マーフィの声を演じたのは富山敬。アニメ界において『宇宙戦艦ヤマト』の古代進役といった二枚目役から『タイムボカン』シリーズのコミカルなナレーションまで幅広い役柄を演じた伝説の名優だ。洋画吹き替えでも二枚目から三枚目(TV『特攻野郎Aチーム』のクレージーモンキー役など)まで幅広くこなしたが、『ビバリーヒルズ・コップ』のアクセルもまた二枚目と三枚目の二面性を持ち、名人・富山の豊かな表現力がフルに発揮された。 しかし続編の『ビバリーヒルズ・コップ2』は、放送したのが第1作と異なりフジテレビ系だったためか、『48時間』2部作の下條アトムがアクセル役に。下條にとってもマーフィに慣れたのか、安定した吹き替えとなった。下條はマーフィのヒット作『星の王子ニューヨークへ行く』がフジテレビ系で放送された際も、主人公アキーム王子を好演した。 そして、いよいよこの人の出番だ。山寺宏一。最終的にマーフィのほとんどの作品で彼の声をアテる、まさに真打ちになっていく。ザ・シネマが放送する『ビバリーヒルズ・コップ3』は、山寺がアクセルを演じたテレビ朝日バーションだ。 なぜ山寺マーフィが待望されたか。それはマーフィ自身の芸風の変化に理由がある。往年の喜劇スター、ジェリー・ルイスに影響を受けたのか、少年時代から物真似の天才といわれたマーフィは、1人で何役も演じる芸を売りにすることが増える。『星の王子ニューヨークへ行く』でマーフィは、特殊メイクの力も借りて1人4役に挑戦。また、ルイス主演の『底抜け大学教授』をリメイクした『ナッティ・プロフェッサー クランプ教授の場合』では1人7役に挑み、続編『ナッティ・プロフェッサー2 クランプ家の面々』ではマーフィ本人を含むとはいえ、1人9役にエスカレート。こうなるとマーフィの声は、“七色の声を持つ男”、山寺にしか演じられないというように評価が定まってしまう。 そんな山寺だが、実はマーフィ以外の仕事でも亡くなった富山敬の後を継いでキャスティングされることが多い。こうして星と星はつながり、マーフィは“吹き替え”界の大きな星座になっているのだ。 以上を通じ、“吹き替え”のスタッフやキャストが、作品や出演者をどう解釈し、それをどう日本語に乗せようと苦労しているのが、何となくでも見えてくるだろう。コンピュータの自動翻訳なんて足元にも及ばない、“吹き替え”の真髄がここにはある。■ Copyright © 2014 by PARAMOUNT PICTURES CORPORATION. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2014.05.02
「スター・ウォーズの日」特別ミニ映像のスケジュールをチェック!
朝6時から、翌日朝6時まで、ぶっ続けでシリーズ6作品や、関連作品を放送します。そして、なんと、当日は「スター・ウォーズの日」を盛り上げる本邦初放送のルーカス・フィルム製作の特別ミニ映像も、映画本編と本編の間で放送します。お見逃しなく!また、ザ・シネマで実施しました「マイ・ベスト・スター・ウォーズ 日本人の心に残る名シーンべスト10」キャンペーンの結果も当日オンエア内で発表します。第1位に輝くのは、どのシーンでしょうか? ■「スター・ウォーズの日」必見の特別ミニ映像![制作:ルーカス・フィルム] ▼特別映像1『突撃レポート!5月4日はスター・ウォーズの日』 初回放送:7時45分から放送の『(吹)スター・ウォーズ / イウォーク・アドベンチャー 勇気のキャラバン』直前 ▼特別映像2『5月4日の楽しみかた』 初回放送:9時30分から放送の『(吹)スター・ウォーズ / イウォーク・アドベンチャー 決戦!エンドアの森』直前 ▼特別映像3『R2-D2、NASAへ行く』 初回放送:11時15分から放送の『(吹)スター・ウォーズ エピソード4 / 新たなる希望』直前 ■「マイ・ベスト・スター・ウォーズ 日本人の心に残る名シーンベスト10」キャンペーン結果 ▼「マイ・ベスト・スター・ウォーズ」ベスト10-4位発表! 13時30分から放送の『(吹)スター・ウォーズ エピソード5 / 帝国の逆襲』直前 ▼「マイ・ベスト・スター・ウォーズ」ベストシーン3位発表! 15時45分から放送の『(吹)スター・ウォーズ エピソード6 / ジェダイの帰還』直前 ▼「マイ・ベスト・スター・ウォーズ」ベストシーン2位発表! 18時30分から放送の『(吹)スター・ウォーズ エピソード1 / ファントム・メナス』直前 ▼「マイ・ベスト・スター・ウォーズ」ベストシーン1位発表! 21時から放送の『(吹)スター・ウォーズ エピソード2 / クローンの攻撃』直前 フォースと共にあらんことを。