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コラム・ニュース一覧
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COLUMN/コラム2015.08.15
来夏公開! リメイク版『ゴーストバスターズ』の偉大なる前日談〜『ブライズメイズ 史上最悪のウェディングプラン』〜
中西部の地方都市に住むアニーは、起業に失敗して貯金もゼロの30代半ばの独身女子。楽しみと言えば幼馴染みのリリアンとバカ話をすることだけだった。そんなある日、リリアンから結婚することを告白された彼女は、ブライズメイズ(新婦介添人)の代表を頼まれて、喜んで引き受ける。でも不器用な彼女は失敗ばかり。加えて新郎の上司のセレブ妻でなんでも器用にやってのけるヘレンの存在が引き金となって、リリアンに先を越された寂しさと焦りが爆発。ブランチ・パーティをぶち壊して、ついにはリリアンと大喧嘩をしてしまう。はたして二人の友情は元通りになるのだろうか…。 結婚式の介添人が大騒動を引き起こすというプロットが、『ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』を彷彿とさせたため、“女版ハングオーバー!”との前評判の中、2011年に米国で公開されてメガヒットを記録したのが『ブライズメイズ 史上最悪のウェディングプラン』である。でも見終わったあとで「『ハングオーバー! 』とそっくり」と感じる観客はまずいないはず。何て言うか、もっと痛くて切ないのだ。 ティーンの頃に思い描いた未来の可能性は年々閉ざされていく。その一方で同世代の友人たちは結婚して大人へのステップを上っていく。本作はあらゆる角度から追いつめられていくアニーの心理を執拗にほじくり返す。そこに男と女という違いは存在しない。三十代ボンクラというひとりの人間がただそこにいるだけである。バカの一つ覚えのように異性を「スイーツ」呼ばわりする男子も、この映画には魂の片割れを見いだして涙するかもしれない。コメディに冷淡なアカデミー賞で脚本賞にノミネートされたのも納得の完成度だ。 映画の発案者であり、主人公アニーを演じたのは「サタデー・ナイト・ライブ」史上最高の女性キャストとの呼び声高いコメディエンヌ、クリステン・ウィグ。彼女が、古くからの友人アニー・マモロと共同で書いた脚本を持ち込んだ先は、それまでも脇役として顔を出していた『無ケーカクの命中男/ノックトアップ』(07年)や『寝取られ男のラブ♂バカンス』(08年)といった映画の監督/プロデューサーだったジャド・アパトーだった。こうしたヒット作を通じて、男同士の友情をメインにした”ブロマンス映画”というジャンルを確立したアパトーは、その方程式を女子に応用したウィグの脚本を絶賛。テレビドラマ『フリークス学園』以来の盟友ポール・フェイグを監督に指名して映画を現実のものとしたのである。 コメディ映画としての本作の大きな特徴は、ギャグのボケをすべて女優がこなしているところにあるだろう。しかも生半可なギャグではなく、セックス、ゲロ、ウンコ絡みのギャグがふんだんに飛び出す過激なものだ。そんなコメディ映画はそれまでハリウッドには存在しなかった。「女性が悲惨な目に遭っても男のようには笑えない」という認識が世間では一般的だからである。普通の監督なら出演者の一部を男優に差し替えるところだろう。しかしポール・フェイグはウィグとともに「悲惨な目に遭っても笑える」最強の女性キャスト陣を選んだのである。 まずアニーの親友リリアンを演じたのはマヤ・ルドルフ。名曲「ラヴィング・ユー」で知られるミニー・リパートンの娘で、ポール・トーマス・アンダーソン夫人でもある彼女は、実生活ではロサンゼルスのコメディ劇団「グラウンドリングス」時代以来のクリステンの親友。だから映画内の二人の友情はとても真実味が感じられる。 劇中最も難しいキャラであるイヤミなヘレン役に指名されたのは、オーストラリア出身の正統派美女ローズ・バーンだ。それまで『トロイ』(04年)や『28週後…』(07年)といったシリアス映画に出演しながら、いまひとつパッとしなかった彼女は、アパトーのプロデュース作『伝説のロックスター再生計画!』(09年)でイカれたポップスター役を好演。コメディ・センスを全面開花させた本作以降は、『ネイバーズ』(14年)や『ANNIE/アニー』(14年)といった作品で活躍。コメディ界に欠かせない人材になっている。 同じオーストラリア出身でも、アニーのルームメイトの妹を演じたレベル・ウィルソンはこの時点ではアメリカでの知名度はゼロだった。だが強烈な存在感を本作で示した彼女は、『バチェロレッテ あの子が結婚するなんて!』(12年)やパワフルな歌声も披露した『ピッチ・パーフェクト』(12年)、『ナイト ミュージアム/エジプト王の秘密』(14年)によってスターへの階段を駆け上っていった。年末に日本公開が予定されている『ピッチ・パーフェクト』(15年)は、すでに本国でメガヒットを記録しており、パート3の製作が早々と決定している。 こうした才人揃いの出演者の中でも最も観客の目を引いたのは、一番ヨゴレなメーガンを演じたメリッサ・マッカーシーだろう。それまでも『ギルモア・ガールズ』(00〜07年)や『サマンサ Who?』(07〜09年)といったテレビ・コメディの脇役として知られていたものの、まさか洗面室のシンクに跨って、苦痛に顔を歪めて便意と戦う!なんてギャグをやってのける人だとは誰も思わなかったはず。本作における爆発的な演技によってアカデミー助演女優賞にノミネートされた彼女は、特別出演したアパトー監督作『40歳からの家族ケーカク』(12年)や『ハングオーバー!!! 最後の反省会』(13年)でもシーンを一気にさらう怪演を披露。また当初は男の設定で脚本が書かれていたにも関わらず「男同士じゃありきたりだ」とのジェイソン・ベイトマンのアイディアによって、急遽彼の相棒役を務めることになったダブル主演作『泥棒は幸せのはじまり』(13年)は大ヒット。彼女が映画館に客を呼べるスターであることを証明した。 こうしたメリッサのスター化に伴って、監督ポール・フェイグとのコンビがレギュラー化した。サンドラ・ブロックと組んだ刑事コメディ『デンジャラス・バディ』(13年)、ジェイソン・ステイサムやジュード・ロウといった大スターを従えて主演を張ったスパイ・コメディ『SPY』(15年)は連続大ヒットを記録。後者ではローズ・バーンとのリユニオンを果たしている。 こうした作品によって一躍コメディ界のヒットメイカーとなったフェイグのもとに『ゴーストバスターズ』リメイク版の監督がオファーされたのは昨年のことだ。ビル・マーレイやダン・エイクロイド、ハロルド・ライミスといった80年代を代表する才能が集結していた傑作コメディを現代に蘇らせるには、一体どんなメンツが必要なのだろうか? 考えた末にポール・フェイグが声をかけた相手はクリステン・ウィグ、メリッサ・マッカーシー、そしてレベル・ウィルソンだった。ちなみに他のキャストは「サタデー・ナイト・ライブ」の現レギュラーであるケイト・マッキノンとレスリー・ジョーンズ、セシリー・ストロングといった面々。そう、全員女性なのだ。 このキャスティングはハリウッド中に大きな話題と物議を呼んだ。しかしフェイグは「面白いコメディアンを集めたら、たまたま女性ばかりだっただけだよ」と全く気にしていないようだ。映画は現在撮影中で来年夏に公開予定である。フェイグは決して奇をてらったわけではなく、このキャスティングに圧倒的な自信を持っているはず。それは、この『ブライズメイズ 史上最悪のウェディングプラン』を観れば明らかだろう。■ Artwork © 2012 Universal Studios. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2015.08.10
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2015年9月】うず潮
「トランスフォーマー」シリーズのシャイア・ラブーフが同シリーズ前に主演したジェットコースター・スリラー!全米で3週連続No.1ヒットを記録。この大ヒットを受けて次作『イーグル・アイ』で本作の監督カルーソーと再びタッグを組むきっかけとなったそう。本作で彼が演じるのは、校内暴力事件を起こして自宅軟禁生活を送るはめになった高校生役。しかも一歩でも自宅から出ると、足首に強制的に装着されたセンサーが反応。直ちにパトカーがやってくるという、日本じゃあり得ない徹底ぶり!煩悩満タンの男子高校生には、キツイすぎるこの仕打ち…そこで彼は、溜まった欲望を吐き出すため、持っていた双眼鏡で近所を覗き見を開始。隣人の生活パターンや、引っ越してきた美少女を追いかけていくうちに、他人の私生活の覗き見から抜け出せなくなっていく。そんなある日、血まみれのゴミ袋を運ぶ隣人の姿を目撃。好奇心から隣人の行動を友人(なぜか美少女ともお友達に)と共に探り始め、引き返せない事態にハマっていく。「覗き」という非日常から徐々に物語に引き込まれていく本作。ド派手なアクションも無敵の殺人鬼も登場しませんが、普通の生活に潜む狂気が入りまじり、ハラハラドキドキが楽しめる1本です。ぜひご覧ください! COPYRIGHT © 2015 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2015.08.09
芸術性と優れた脚本でジャンル映画ファンを魅了する、スパニッシュ・ホラーの世界
世紀末から新世紀にかけて、Jホラーが世界的に注目を浴びていた。ハリウッド映画は、すぐさまリメイク化や新たな才能を欲し、日本版のリメイク『ザ・リング』(02年)を作り、その続編『ザ・リング2』(05年)では、オリジナル版の中田秀夫を監督に抜擢した。さらに清水崇も、ハリウッド版リメイク『THE JUON/呪怨』(04年)とその続編『呪怨 パンデミック』(06年)の監督を手がけた。それ以外にもJホラーの世界躍進は凄まじかったが、それに負けず劣らずの勢いにあったのが、スパニッシュ・ホラーだった。 それ以前のスパニッシュ・ホラーは、独特なテイストで強烈なインパクトを放つものが多かった。稀代の怪優ポール・ナッチー主演の『ヘルショック 戦慄の蘇生実験』(72年)、イギリスとの合作による怪作『ホラー・エクスプレス/ゾンビ特急“地獄”行』(72年)、オリジナリティ溢れる『エル・ゾンビ』シリーズ全4作(71~75年)、『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド/ゾンビの誕生』(68年)の換骨奪胎版といえる『悪魔の墓場』(74年)、ナルシソ・イバニエス・セラドール監督の伝説的名作『ザ・チャイルド』(76年)など。 でもJホラーと共に世界的に脚光を浴びてきた現代のスパニッシュ・ホラーは、画家サルバドール・ダリや映像作家ルイス・ブニュエルらシュールレアリスムの芸術家を多数生んだお国柄を反映してか、恐怖の秀逸な設定と共にキメの細かな映像を重視し、多かれ少なかれ芸術性を感じさせるような濃密なドラマを構築している。 ペドロ・アルモドバルが発掘した異才アレックス・デ・ラ・イグレシアも代表的な映像作家といえるだろうが、現代のスパニッシュ・ホラーの起爆剤になったのは、新進気鋭のジャウマ・バラゲロの監督デビュー作『ネイムレス 無名恐怖』(99年)が注目されてからだと思う。バラゲロは次いでアメリカとの合作『ダークネス』(02年)を手がけ、スパニッシュ・ホラーの次代を担う監督に急成長した。 そして、『次に私が殺される』(96年)のスペイン映画界の鬼才アレハンドロ・アメナーバル監督が、大スターのニコール・キッドマンを主演に据え、スペイン・アメリカ・フランス合作の心霊映画の傑作『アザーズ』(02年)を発表し、バラゲロも人気TVシリーズ『アリー・myラブ』(97~02年)のキャリスタ・フロックハートを主演に迎えた『機械じかけの小児病棟』(05年)を手がけた。またバラゲロ、セラドール、イグレシアら全6人の監督が競作したアンソロジー『スパニッシュ・ホラー・プロジェクト』(06年)が作られ話題にもなった。さらにメキシコ出身で世界的なヒットメイカーになったギレルモ・デル・トロはスペイン映画にも参画し、『デビルズ・バックボーン』(01年)やオスカー受賞作『パンズ・ラビリンス』(06年)を監督しつつ、『永遠のこどもたち』(07年)や『ロスト・アイズ』(10年)等でスペインの才能ある若手監督を抜擢してきた。 現代のスパニッシュ・ホラーは、比較的脚本が素晴らしく、作品のクオリティも高い。ジャンル系映画ファンの熱い支持を獲得し、なかでも中核をなすバラゲロの知名度は格段に高い。特に彼の『機械じかけの小児病棟』は、娯楽性と芸術性を融合させた秀作で、英国の小さな島にある閉鎖寸前の病院を舞台に、時の流れと切ない思いが繊細に練り込まれた濃密な恐怖ドラマを堪能することができる。 過去の失敗で心に傷を負った臨時の看護師エイミー(フロックハート)は、不治の病を患う少女マギーと親しくなり、彼女が言う、“機械の少女”の謎を調べてゆくと……。 長らく封鎖されている病院の2階、子供患者の骨が突然折れる怪異な現象、前に在籍した女性看護師の急死、古びた記録フィルム、アニメ『眠れる森の美女』(ディズニー・アニメではなく、本作のために製作)など、これら全ての要素がドラマを形作る要素になっていて、まったくもって無駄がない作りだった。 次いで、バラゲロがパコ・プラサ(別名義フランシスコ・プラサ)と共に、当時注目されていたPOV(主観映像)手法で監督したのが、『REC/レック』(07年)だった。若い女性リポーターのアンヘラとTVカメラマンが、一台のTVカメラのレンズを通して、未知の感染ウィルスによってアパートの住民らが次々とゾンビのように変貌してゆく様を捉えていて、切迫した恐怖がストレートに伝わってきた。一瞬の迷いや躊躇が命取りになる凄、まじい緊迫感と展開により、観ているコチラが疲労感を味わうほどだ。この作品は世界的に大成功を収め、複数台のPOVによって、アパート内外の状況を捉えた続編『REC/レック2』(09年)が作られた。 そして、バラゲロがクリエイティヴ・プロデューサーにまわり、パコ・プラサの単独監督になった『REC/レック3 ジェネシス』(12年)では、雰囲気が一変。設定は、前2作とほぼ同時間帯の結婚披露宴会場に移り、そこがウィルスによって地獄の惨状になる。ジェネシス=“起源”といえる明確な描写はないものの、1作目で未知の病気にかかった犬の目撃情報があり、3作目では新郎側のペペ叔父さんが、「病院で犬に咬まれた」と言っていた。だから1作目でアパート周辺に徘徊していた犬と、3作目で病院に現れた犬は同じ犬だった可能性が高い。 1作目では、人間の凶暴化は未知のウィルスだと最初は思われていたが、2作目になると、アパート最上階の研究室が、悪魔によるウィルスに対抗するワクチン開発のための極秘施設だと判明する。バイオホラーからオカルトホラーへと奇妙な変貌を遂げる離れ技と、悪魔に憑依された少女メデイロスの血を求める神父を新たに登場させ、神父VS悪魔の図式を打ち立てていた。ここで1と3作目でウィルスを放った(と思われる)犬の存在が、ある意味、悪魔のしもべのような見方もできる。まるで『エクソシスト』(73年)や『オーメン』(76年)などの大好きなジャンル系映画のテイストを盛り込んだともいえるだろう。 3作目では、冒頭のみPOV構成だったが、途中から通常の演出に切りかわり、広い会場で離れ離れになってしまった新郎新婦の“逢いたい”というそれぞれの熱い想いが、感染者らを次々と駆逐する。特に純白の花嫁衣裳をまとった新婦クララが、チェーンソーで長いドレスの裾を切り落とし、感染者を次々と斬り刻みながら、白いドレスを鮮血で染めあげてゆく姿が美しかった。1~3は物語に関連性をもたせながらも、一作毎に異なる要素を盛り込んでいた。しかし3作目では、1、2作目のヒロインのアンヘラは出てこないし、舞台は違うし、前2作との雰囲気があまりに異なっていた。 でもタイトルのRECは、録画や記録の意味。1作目では、TV局の取材側が尋常ならざる渦中に陥り、撮影しなくてはならないという、アンヘラとカメラマンの半ば本能や使命みたいな気持ちが感じられた。2作目ではアパート内部に潜入した特殊部隊員らの小型携行カメラをはじめ、アパート外部の報道カメラや携帯電話のカメラなど、それぞれ異なる意図で撮影されたPOVで構成されていた。いまや動画カメラの氾濫により、誰もがいつ何どき、撮影する側や撮影される側になるとも限らない、異常な社会を感じさせる。 そして3作目では、おそらく人生で最も輝いているだろう“結婚と結婚披露宴”の幸せそうな主役(新郎新婦)を記録する(映す)ことで、その後の展開のみならず、前2作との違いが浮き彫りになってくる。そこに面白味があるし、3作目の物語の深みであろう。バラゲロ単独監督のシリーズ4作目もあるが、まずは1~3作目のそれぞれの魅力を堪能して欲しい。■ ©2007 CASTELAO PRODUCTIONS, S.A.
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COLUMN/コラム2015.08.03
サービス精神に溢れた究極の脱走映画〜『脱走特急』〜
戦争映画というジャンルの中でも、傑作率が非常に高いカテゴリーがいくつかある。よく言われるのが「“潜水艦モノ”にハズレ無し」。『眼下の敵』(1957年)、『Uボート』(1981年)、『U-571』(2000年)といった第二次世界大戦を舞台にした映画だけでなく、『レッド・オクトーバーを追え』(1990年)や『クリムゾン・タイド』(1995年)、『K-19』(2002年)のような現代劇でも潜水艦モノは傑作揃いだ。潜水艦という限定された空間で、登場人物も限定される潜水艦モノは、“密室劇”としてサスペンスフルな展開が作りやすく、その辺りがハズレの少ない映画となりやすい土壌となっているのであろう。また前述の『眼下の敵』や『Uボート』のようなジャンルを代表する大傑作によって、このカテゴリーの作品のフォーマットがある程度完成形となっていることも大きな要因であると思われる。 そして“脱走モノ”というカテゴリーもまた、戦争映画というジャンルの中では傑作率が高いカテゴリーとなっている。潜水艦モノとはまったく真逆で、バラエティ豊かな大量の登場人物と、まったく制約の無い完全なオープンフィールドで物語が進む脱走モノは、自由度が非常に高いことでともすれば難易度は上がることが想定される。しかし潜水艦モノと同じように、このカテゴリーの先達にして最高峰となる『大脱走』(1963年)という存在によって、脱走モノのフォーマットが完成してしまっていることもあり、後続の類似作品はそのフォーマットをなぞることでハズレの無い作品が成立しやすくなっているのだ。 しかし後続の作品群の中でも傑作とされる作品は、『大脱走』をなぞりながらも、差別化を図るために様々な蛇足(と言ったら失礼だが)を加えている。『脱走山脈』(1968年)は脱走するのが人だけではなく、動物園で殺処分されそうだった象と共にスイスを目指す映画であったし、収容所内で飛行機を作って脱出を図る実話を基に制作された『空中大脱走』(1971年)、『勝利への脱出』(1980年)は“脱走”にサッカーを組み合わせるというウルトラCを成功させた痛快作だった(『大脱走』フォロワーではないが、日本では黒澤明が脚本を担当した『暁の脱走』(1950年)や、正式には脱走モノではないが勝新太郎の人気シリーズ『兵隊やくざ 大脱走』(1966年)という作品もあった)。 斯様に傑作映画を生み出している脱走モノというカテゴリーの中で、実は『大脱走』と並び称すべき大傑作が存在しているのをご存じであろうか。それがこの『脱走特急』なのである。 第二次世界大戦の真っ最中の1943年。破竹の勢いでヨーロッパを席巻したナチスドイツとイタリアは、アメリカの参戦によって徐々に劣勢に立たされていた。そんなとき、アメリカ空軍パイロットのライアン大佐はイタリア軍によって撃墜され、捕虜収容所に送り込まれる。この収容所に収容されている捕虜はフィンチャム少佐率いるイギリス陸軍ばかりであったが、ライアンは捕虜の中で最も階級が高いこともあって捕虜収容所のリーダーとなる。この収容所から脱走することに執念を燃やすフィンチャムと、イタリアは遠からず降伏することを予見するライアンは対立するが、その頃連合軍のイタリア上陸に戦線が崩壊してついにイタリアが降伏する。一夜にして警備兵たちはいなくなったが、代わりにドイツ軍がやってくることを察知し、捕虜たちは全員で脱出を図る。しかしドイツ軍に補足され、捕虜たちは貨物列車に乗せられてドイツ本国に移送されることになるが、ライアンたちは隙をみて列車を奪うことに成功。中立国のスイスに向けて列車を走らせていくが…。 4,400万ドル(現価では3億ドル以上)という当時としてはあり得ない巨費を投入したエリザベス・テイラーの『クレオパトラ』(1963年)の影響で経営危機にあった20世紀フォックス社が、まだ経営が健全であることを証明するために会社の意地だけで大規模な予算を投じて制作された本作。そんな大作の主人公ライアン大佐に抜擢されたのは、歌手のフランク・シナトラだ。シナトラは本業が歌手とは思えないほど堂々たる演技で、『第三の男』『ライアンの娘』の名優トレヴァー・ハワードと渡り合っている(ちなみにハワードは実際にイギリス軍落下傘兵としてイタリア戦線に従軍し戦功十字章を受けている)。他にも『荒野の七人』のブラッド・デクスター、ジョシュ・ブローリンの父で『カプリコン1』のジェームズ・ブローリン、『ナイトライダー』のエドワード・マルヘア、『007サンダーボール作戦』のアドルフォ・チェリなどが出演し、映画に厚みを与えている。 また本作で唯一の女性出演者であるラファエラ・カラは、胸元が深く開いた開襟シャツとタイトスカート姿で縛られたままベッドに横になって身悶えたり、なまめかしくストッキングを履きかえるシーンなど、サービス精神満タンで、本作を観た思春期の小中学生に多大なるインパクトを与えている(こういうサービスは『大脱走』には無い)。 さらに本作が『大脱走』を凌駕していると言っても過言でない点は、怒涛の戦闘シーン。脱走モノは、ともすれば戦争映画でありながら戦闘シーンは省略傾向になりがちであるが、本作はその点においてもサービス満点だ。 特に、スイスに向かって特急列車で脱出をはかる主人公たちに対して、3機のメッサーシュミットBf108戦闘機(ホンモノ!!)が空から攻撃を繰り返し、数百人のドイツ兵を乗せた軍用列車が追いまくり、仲間たちを逃がすために激しい銃撃戦が展開されるクライマックスは必見。ドイツ軍の猛攻によって一人また一人と仲間を失いながらも、スイスに向かって脱出をはかる手に汗握る展開は、脱走モノというともすれば地味になりがちなカテゴリーの映画としては特筆に値するほどのサービス精神に溢れている。戦後20年が経った段階で制作された映画ではあるが、装備品などもよく整っておりマニアも納得の出来栄えだ。 またイタリア軍から始まって、ドイツ国防軍、ゲシュタポ、武装親衛隊と、敵のレベルもクリア難易度の高い敵へとエスカレートしていくという流れも素晴らしく、ステージクリア系のアドベンチャー映画としての体裁もしっかりと整っている点も素晴らしい。 さらにこの手の痛快娯楽映画としてはあり得ない、ある意味『大脱走』以来の定番を覆す衝撃的なラストも必見。シナトラ自身はこのラストに納得をしていなかったらしく、改変を求めていたようだが、このラストこそが本作を凡百の脱走モノとは一線を画する大傑作たらしめている名シーンなのだ(このシーンでのシナトラとハワードの演技はアカデミー賞ものだ)。 脱走モノとしての定番をしっかりとおさえ、さらに戦争映画のあらゆる要素をぶち込んだ脱走映画の究極系がこの『脱走特急』なのである。■ Motion Picture © 1965 Twentieth Century Fox Film Corporation and P‐R Productions. Renewed 1993 Twentieth Century Fox Film Corporation and P‐R Productions. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2015.07.24
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2015年8月】うず潮
死の運命に弄ばれる若者たちを描いた『ファイナル・デスティネーション』の続編となる本作。前作を見ていなくてもご安心を。どっぷりとハマれます! ウキウキ気分で車で旅行に出かけたキンバリーとその友人たち。ハイウェイの入り口で信号待ちしていたキンバリーの脳内に、ハイウェイで起こる悲惨な大事故の生々しい映像が映し出されてしまうのです。我に返ったキンバリーは、事故を防ごうとハイウェイの入り口を車で封鎖。クラクションと怒号が飛び交う中、キンバリーの目の前で大事故が発生。本当は死ぬはずだった皆様から感謝されるキンバリー。しかし、彼らの身に仕組まれたかのような死の恐怖が降りかかるのです。 ドミノ倒しのようなキッカケで始まる死の予感、唐突に訪れるショッキングシーン…時間を忘れて思わず見入ってしまうこの映画。あまりの人気でシリーズ化されてます!ザ・シネマでは、第3弾の『ファイナル・デッドコースター』、第4弾の『ファイナル・デッドサーキット』も合わせて放送します。続けて見ると面白さ倍増! ©MMIII NEW LINE PRODUCTIONS,INC.ALL RIGHTS RESERVED
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COLUMN/コラム2015.07.20
プレップファッションとギャル語が満載!!みんながノーテンキでいられた時代のカルト映画『クルーレス』。
1995年に全米公開され、"ハイスクール・ロリータ"とも言われたファンシーなファッションとメイク、連発されるギャル用語、そして、主人公のブルジョワ女子高生、シェールの一見ノーテンキに見えて実は知的でイノセントなキャラクターが受けて、今でも少女たちの間でカルトムービーとして君臨する『クルーレス』。その根強い人気は、日本公開後にVHSが発売された後も、繰り返しDVDがリリースされ、公開後10年が経った2005年には"コレクターズエディション"と題する特典付きDVDが再度発売されたことでも明らかだ。何がそんなに受けるのか? まずは、ファッション。ビバリーヒルズの高校に通うシェールと親友のディオンヌが通学服として愛用している必須アイテムは、トラッドをガーリーにアレンジした'90's風プレップスタイル。冒頭で登場するタータンチェックのミニスカスーツを始め、女子高生たちが劇中で着るチェックの柄はシェールの7種類を始めトータルで実に53種類。また、シェールが散らかったワードローブの中から探し出そうとするお気に入りのシャツは、1961年にアメリカ西海岸で開業以来、複合セレクトショップとして人気の"フレッド・シーガル"でゲットしたもの。その日本一号店が、ようやく今年4月、東京の代官山にオープンしたのは記憶に新しい。また、男友達とドライブ中に喧嘩して、危険エリアのサン・バレーに置き去りにされる時にシェールが着ているのは、ボディコンシャスの権化、アズディン・アライアの赤いミニドレスだったり、狙いを定めたイケメン男子と初デートに出かける時に彼女が選ぶのは、カルバン・クラインの白いボディコンミニだったりと、表情はまだ子供なのに服は男の視線を刺激しまくり。そんな娘を見たパパが、「下着みたいだ」と怒るのも無理はない。この映画に"ロリータ"と形容詞が付く理由は、そんなところに起因するのだ。因みに、衣装デザインを担当しているのは、25歳のヒロインが17歳の女子高生に化けて高校に潜入する『25年目のキス』(99)や、同じ高校の同窓生たちが13年ぶりに再会する『アメリカン・パイパイパイ!完結編 俺たちの同騒会』(12)等、キャンパスルックのパイオニア、モナ・メイ。服好きで映画好きの女子たちの間ではレジェンドなデザイナーだ。 連発されるギャル語にも耳をそばだてよう。言葉は生きもの。時代の空気を映す鏡だ。今でもハリウッド映画やドラマでよく耳にする「whatever(どうでもいいじゃん)」や、「totally~(超なになに)」、「as if(サイテー~)」等々は、日本の女子高生用語としても転用できそうなフレーズだ。その場合は、シェールのように少しダレ気味に、相手を小馬鹿にする感じが必要だろう。また、お互いのパパとママが再婚し、2人が離婚した今も交流を続けている血が繋がらない兄のようなジョシュのことを、シェールが「ex-stepbrother(元・義兄)」なんて表現しているのも、アメリカの離婚事情の現れ。重ねて、言葉は生きもの。社会情勢の変化に伴い形を変えて当たり前なのだ。 シェールたちが学校で義務付けられているカリキュラムの中に、堂々と"ディベート"が組み込まれているのも、討論を重んじるアメリカならでは。ある日、国の移民政策に対して反対か賛成かを議論し合う授業で、シェールが賛成する理由を「パパが開くパーティにもっとたくさん人が呼べると楽しい。故に、移民も大歓迎」と発表してどん引きされるのだが、ロジックはどうであれ、反対意見と対決する姿勢こそが大事なわけだ。 監督と脚本を担当しているエイミー・ヘッカリングは、南カリフォルニアにある高校を舞台に、ロスト・ヴァージンを目指す女子高生の奮戦ぶりを描いた出世作『初体験 リッジモント・ハイ』(82)以来、不倫の末に産まれた赤ちゃん目線で母親や大人たちの騒動を眺める『ベイビー・トーク』(89)と、その赤ちゃんに妹ができる続編『リトルダイナマイツ★ベイビー・トークTOO』(90)、そして、年上の大学教授と不倫する女子大生に恋してしまう一途な男子学生の苦闘を綴る『恋は負けない』(00)等、愚かだけれど憎めない人々のささやかな物語を紡ぎ続け、今に至っている。ヘッカリング作品が時代や国境を超えて愛され続ける理由は、ファッションやカルチャーだけではない。難しい事は抜きにして楽しみ、時に懐かしみ、思い入れられるテーマが各々の作品のベースにあるからだ。それは、映画の公開後、『初体験 リッジモント・ハイ』『クルーレス』『ベイビー・トーク』の3作が次々とTVシリーズ化され、アメリカ国内のみならず全世界に拡散されていったことでも証明されている。 そして、『クルーレス』の世界観は、その後、シェールに負けず劣らずノーテンキなハイスクールギャルがハーバード大学に乗り込む大ヒット作『キューティ・ブロンド』(01)や、シェールたちの立ち位置をニューヨークのキャリアガールに置き換えた『セックス・アンド・ザ・シティ』(08)、さらに、ヘッカリング自身がエピソードの一部を監督したTVシリーズ『ゴシップガール』(12)にも引き継がれている。 偶然だが、シェール役の候補者の1人には、後に『キューティ・ブロンド』でブレイクするリース・ウィザースプーンがいたし、ライバルにはやはりブレイク前のアンジェリーナ・ジョリーやグウィネス・パルトロウ等、未来の大器がひしめいていた。そんな強者たちを押し退け、シェール役をゲットしたのがアリシア・シルバーストーンだ。15歳で映画デビュー後、18歳の時に出演した『クルーレス』でティーンエイジスターのトップに躍り出た彼女の、大人びたルックスと甘えた声のギャップは男女を問わず虜にし、一躍時代のアイコンにジャンプアップ。業界人としてもクレバーだったアリシアは直後、自ら製作プロ"ファースト・キス"を成立し、当時個性派俳優として注目され始めていたベネチオ・デル・トロを共演者に迎えた『エクセス・バケッジ シュガーに気持ち』(97)をプロデュースする等、活動の場を広げる。 しかし、9.11後、テーマ選びもバジェットに於いても守勢に回ったハリウッドに、アリシア等女優プロデューサーの出番は減り、かつて、エイミー・ヘッカリングが監督した、あのノーテンキなコメディ自体の需要が減ってしまったのは、実に嘆かわしいことだ。かつて、メディアの取材に応えて、「心が澱むから暗い話には興味がない」と明言したヘッカリングと、彼女の意図を汲み取ってお馬鹿だけど憎めない女子高生を好演したアリシアが、久々にコラボする機会を待ち焦がれているのは、何もファッションチェックに忙しい女子高生ばかりじゃない。夢見る男子だったオジサンたちだって、あの頃の自分に戻って泣き笑いしたいに違いないのだ。■ COPYRIGHT © 2015 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2015.07.17
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2015年8月】キャロル
「ロード・オブ・ザ・リング」のヴィゴ・モーテンセン主演、ナチス政権下の葛藤を描くヒューマンドラマ。 ベルリンの大学で教鞭をとるジョンは、ノイローゼ気味の妻に代わって家事と二人の子供たちの育児、そして母の介護に追われる日々。精神科医であり親友であるユダヤ人のモーリスと過ごす時間が唯一の息抜きだった。これといった主張も特徴もなく無難に生きてきたジョンだったが、昔書いた小説をヒトラーに気に入られたことをきっかけにナチ党に入党。そのことに愕然とするモーリスとの関係に亀裂が入る一方で、ジョンは教え子で愛人だったアンと再婚したり、出世し教授になったりと、これまでになく順調な人生を歩み始める。ナチ党のユダヤ人迫害が増していることを日々肌で感じているモーリスは決死の思いでジョンに助けを求めるのだが、ジョンは事態を深刻に受け止めず、自力で何とかしろと突き放す。数年後、いよいよ戦況が激化するなか強制収容所の実態を知ったジョンは、音信不通となったモーリスの行方を追うのだが・・・。 この映画は、ナチスを批判する勇者でもユダヤ人を救うヒーローでもない、自分の安全のために無難な選択をして時代に流されていく、真面目で誠実な一般市民の姿を描いています。どうしてユダヤ人の親友がいるのにナチ党に入ったの?なぜ親友を助けてあげようとしなかったの?と、ジョンのとった行動は理解しがたく、ただ流されていく姿に共感できないと感じる人は私を含め多いでしょう。しかし、「もしもジョンが自分だったら・・・?」そう置きかえると矛盾を感じてしまうところがこの映画を“面白くなく”しており、実はミソなのではないかと思うのです。「入党すれば昇進できて生活が安定する。それに社会的地位も上がる」「最近はユダヤ人への風当たりが強い。でも(モーリスは)裕福だし何とかなるだろう」と考えたジョンや、「これだけ沢山の人が支持している人気の政党なのだから大丈夫に決まってるじゃない」と深く考えない若者アン。ナチスの黎明期では、迫害の現実や変貌を遂げようとしている一国の未来の姿に恐怖するのは一部の有識者のみで、大半の一般市民がジョンやアンと同じだったのではないでしょうか。今の日本に置き換えると、そう他人事にも思えません。ちょっと痛いところ突かれた感じが、この映画を“面白くない”と感じさせる後味の悪さであり、本当の面白さのような気がするのです。 © 2007 Good Films Ltd.
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COLUMN/コラム2015.07.11
ある検閲官の懺悔〜『インモラル物語』〜
ワタクシ、ザ・シネマ中の人です。どうしてもこの作品については自分で書きたかったため、プロのライターさんに執筆をお願いしているこの神聖な場にまで、しゃしゃり出てきてしまいました。 こんな商売やってる人間ではありますがワタクシ、家に映画のポスター類はたったの1枚しか貼ってません。映画のスチール写真がいっぱい手に入る立場なので、役得で、そういうのを安いIKEAのフォトフレームに入れて壁中に飾りまくる、という、ちょっと一般の方には真似のできないインテリア・コーディネイトができちゃいますんで(イヤらしい自慢話でスイヤセンねぇ)、市販のポスターは要らんのです。ただ1枚の例外、それが『インモラル物語』のものでして、それぐらい心酔しとる作品なのであります。 この映画を作ったのは、Walerian Borowczykというポーランド人の監督です。Wikiによると「ワレリアン・ボロズウィック」、過去に出たDVDでは「ワレリアン・ボロウズウィック」、「ヴァレリアン・ボロヴツィク」などと不統一にカタカナ表記されてきましたが、我がザ・シネマでは、原音に近い「ヴァレリアン・ボロフチック」と表記することにしました。今後これで定着させていきたいです。よろしくお願いします。 ザックリ言ってエロ映画の人です。ラス・メイヤーとか、ティント・ブラスとか、カトリーヌ・ブレイヤとか、ポルノと映画の境界線上にいるような映像監督っていますよね。そっち系の人です(我ながら乱暴なレッテル貼り…)。 もちろん、上記の銘々がそれぞれ確固たる作家性とか個性とかを持ってる。ではこのヴァレリアン・ボロフチック監督ならではの味とは何か?それが一番効率よくわかるのが今回放送する代表作『インモラル物語』なんですな。なんとなれば本作、オムニバスだからです。ショーケース的に全部が詰まってるんで。 まずオープニング・クレジット。黒背景に白のセリフ体フォントで文字が書かれ、それが細い罫線で囲まれているデザイン。シンプルだけどカッコいい!絵画を学んできた人だけにセンスある!この洗練されたデザインは各話のタイトルとしても出てきます(他作でも)。そしてオープニング・クレジット最後=本編直前に、「いかに愛が心地よくとも、愛の多様な形の方がはるかに心地よいーーラ・ロシュフーコー」という箴言の引用が入って、いよいよ4つの“愛の多様な形”を描いていく本編の幕が上がるのであります。 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 第1話は「満潮」。20歳の男子が、16歳の従姉妹を連れてチャリで海へと出かけます。男子は命令調で支配的なタイプ。女子はとことん従順タイプ。2人とも線が細くて色白な、似ている従兄妹同士。その日、空は曇天、波は荒れ模様。男の方はM-37デニムハット風の帽子に、パーカーにジーンズにHUNTER風ゴム長という出で立ちで、女子の方は黒ビキニの水着の上から透け感のあるリネンのチュニックを羽織って、チャリで出かけていきます。2人ともオシャレですなぁ。可愛らしいカップル。 あえて衣装について詳述したのは、まったく時代を感じさせないベーシックなスタイルだから。いま見てもちっとも色褪せてなくて、流行を超越してる。女子は髪型・眉型ナチュラルだしスッピンなので時代を感じさせる手がかりはほとんど無く、今年の映画だと言っても通用するぐらいですが、実は1974年製作なのです。幼さを残すヌードが忘れがたい、ソバカスも可愛い16歳従姉妹役のこの若い女優さんも、今は50を軽く超すオバチャンのはずですが、その2015年現在の姿をまるで想像できない。不思議な不朽感を持った映画です。劣化してない。 この従兄妹同士2人が海辺に着きまして、断崖絶壁がそそり立つひと気の無い岩陰で2人きりになり、何をするのかと言えば、「いとこ同士は鴨の味」なぞと申しますけれど、まぁ、その手のことですわ。満潮になるその一瞬のタイミングに合わせて、男子が従姉妹に“お口でイカせてもらおう”という、しょうもないことを試みるのです。年の近い若い親戚男女2人による、秘めやかなセクシャル・チャレンジであります。 お話の中身は、以上です。話は有って無きようなもの。あとは、チャリのペダルを漕ぐほどに増す海の気配、やがて目の前に一気に開ける海岸、草がなびく砂丘を駆け下り、海藻の付着した岩場を踏み越え、コケて足を切って血を流したりしながらも、断崖絶壁の真下までたどり着き、そこで男子はジーンズのポケットから潮汐表を取り出して時間を調べ、満潮時の波打ち際MAXギリギリに2人して寝転んで、男子はジーンズのチャックを下ろし、そしてついに、従姉妹は、横たえた全身に波をかぶって口内に塩味を感じながら、従兄弟に“お口でご奉仕”を始める、という、ただそれだけのエピソードなのです。 そこにはドラマも何もないんですけど、これを、とことん美しく描き上げようというのが、ヴァレリアン・ボロフチックという監督の味。監督・脚本だけでなく、編集も手がけているんですけど、ドン引きのロングショットや、身体のセクシーな部位に寄った極端なクローズアップが頻繁に差し挟まれるのが、この監督の特徴です。第1話の場合ですと、従姉妹の唇の異常なまでのアップが何度も何度も入ってきます。唇の縦ジワ、薄い色のホクロやソバカス、薄っすら生える可愛らしい産毛=女子ヒゲ、舌のザラザラ感や舌裏のなんとも卑猥な構造までも、監督は執拗に撮り続け、デカデカと全画面に映し出します。 ワタクシが唯一の例外として部屋に飾っているポスターは、この、従姉妹の唇のどアップという絵柄でして、これは本作を象徴するメイン・ヴィジュアルでもあるのです。 美しい。美しすぎるエロであります。時は90年代。VHSでの初見時、ワタクシは大学生。AVは山ほど見ておりました。自慢じゃないが童貞でもありませんでした。しかし、エロとは、性とは、これほどまでに美しい営みだったのか!ということを知らずに二十歳過ぎまで生きてきちゃってたのです。なんたる無知!エロは美しかったのであります!なんたる衝撃! ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 第2話は「哲学者テレーズ」。舞台は19世紀末。宗教的に厳格な家庭の子女テレーズは、厳しい母親に外出を咎められ、物置部屋=お仕置き部屋に閉じ込められますが、そこで見つけてしまったカビ臭い古書が、フランス革命期(劇中の時点からさらに100年以上前)に流行った作者不明の有名なエロ小説『女哲学者テレーズ』。ページを繰るごとにあらわれる100年前の猥褻な挿絵に興奮した彼女は、密室なのをいいことに、ひとりHに夢中になる、という、これまたストーリーなど有って無きがごときエピソードであります。でも、いいんです。それ求めてないし。 この第2話は、とりわけヴァレリアン・ボロフチックらしさ全開のエピソードになっています。「宗教的に禁圧しても抑えきれない女性の自然な性欲」ということが割とよくテーマとして取り上げられるボロフチック作品。代表作『罪物語』(1975年)とか『修道女の悶え』(1977年)なんかはまさにそのテーマを膨らませドラマ性を持たせた作品と言えます。テーマ的に、いかにも“らしい”のが本エピソードなのです。 それと、ボロフチックさんは監督・脚本・編集だけに飽き足らず、さらに美術まで手がけているワンマンぶりなのですが、ヴィジュアル面の趣味こだわりもハッキリしてる人でして、特にこのエピソードにはボロフチック流プロダクション・デザインが横溢していて趣味性全開。お仕置き物置にある、薄っすらチリの積もったような、19世紀末ヴィクトリアン調の古道具の数々の、なんとも味のあるレトロ趣味に、見ている方も思わずウットリです。 第1話で見られた極端なクローズアップも健在で、本エピソードでは、部屋にかけられた古いエッチングの肖像画(万札の諭吉みたいな絵)が、どアップのインサートカットで時折映し出されます。プライバシーで守られるべき個人の性的な秘め事をジッと見つめる他者視線、という禁忌感を出そうとしてるのでしょうか?それとも、取り澄ました顔したこの肖像画の人物たちも、生前は性的な営みに励んでいたんだ、人間みんな同じだ、と言いたいのか? とにかくこの「肖像画や彫像がインサートでアップで入ってくる」という演出も、ボロフチック映画の顕著な特徴です。 さて、古道具や古い肖像画のアップを短切に切り返しながら、キャメラはやがて、この物置部屋に漂っている、かすかなホコリ臭さカビ臭さまでをも撮らえていきます。これなんかもボロフチック映画の持つたまらない魅力ですな。先にもあげた代表作『罪物語』(1975年)や、『邪淫の館・獣人』(1975年)などでも見ることができますが、「ホコリ美」とでも造語を作って呼びたくなるような独特の空気感。枯れ感。それは、ハリウッド映画ではもちろん、イギリス、フランスあたりのヨーロッパ映画でさえお目にかかったことのない、本物のヨーロッパ感です。強いて言えばヴィスコンティやベルトルッチといったイタリア勢の描く“西洋の没落”感にはちょっとは近いかもしれませんが、あれらはゴージャスすぎて「ホコリ美」じゃありませんからやっぱり別モノです。もっと蒼枯としていてホコリの漂う、そして、そのホコリさえも美しいと思わせるような、本物のヨーロッパの枯れ感なのです。 同じ中欧ということで強引に十把一絡げに扱うつもりは毛頭ないのですが、たとえば、チェコの、シュヴァンクマイエルやカレル・ゼマンのアニメーションにある、あるいは『闇のバイブル 聖少女の詩』や『カルパテ城の謎』といったチェコ怪奇ファンタジー映画にある、あの独特のレトロな美。あれに近いものがあって、あの感じから幻想風味を抜いてヒストリカル&リアリスティック風味を足したような感じの映像表現なのです。 そんな空気感に包まれて、ひとり息を弾ませ指遊びに耽るいけないテレーズ嬢。テレーズを演じるシャルロット・アレクサンドラは、女流エロ監督カトリーヌ・ブレイヤの『本当に若い娘』(1976年)でもヒロインを演じているポチャリ姫。彼女の豊満な真っ白いプニョンプニョンな肌が、カビ臭い、ホコリ臭い、乾いた室内で次第にピンク色に上気していき、汗ばんでいきます。ホコリ臭さに体臭がまじったにおいを確かに嗅いだような錯覚を、映画を見ていて禁じえません。 美しい。美しすぎるエロであります。ただ女のオナニーを描いただけの、物語性のまったくないお話なんですが、いいんです。それを求めてはいけない。美を求めてください。 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 第3話以降をこの調子で紹介していくには紙幅が尽きてしまいましたので、最後にイヤらしい自慢話をもう一発。前述の、性的な身体部位に寄ったクローズアップの頻繁な挿入、というボロフチック流演出ですが、この演出において監督がいちばんアップにしたがるのは、実は女性のヘアなんです。この映画、ヘアがどアップで映る映る!で、ここからが自慢話なんですが、立場上、ワタクシ、ノーモザイクで字幕も入っていない、業界用語で言う“白素材”という状態でこの映画を見る立場なワケです。そこからモザイクをかけたり字幕を入れたりするのが仕事ですからね。ということでノーモザイクで見ちゃいました!いいのでしょうか?良い仕事に就いたもんだ。 美しい。美しすぎるヘアなのであります。モザイクから解き放たれた陰毛は、モジャモジャと萌えいづる生のたくましさを感じさせます。性=生の営みを描く映画として、この、萌えるようなヘアをアップで映すということには、ちゃんとした意味がある。 そのヘアにモザイクをかけないと、いちおうテレビですので、現在の日本国ではそのまま放送はできませんから、強烈な冒涜感と罪悪感に苛まれながらも、泣く泣く仕事としてモザイクをかけたのであります。検閲官の苦悩であります。 この映画、美しすぎるエロだと評しました。つまり、それっていうのはとりもなおさずアートということに他なりません。かつて、16世紀、ミケランジェロの作品の股間を葉っぱで隠そうという“イチジクの葉運動”という馬鹿げたムーブメントがありました。19世紀、マネの裸婦画「オランピア」がサロン・ド・パリでナンセンスな批判の対象になりました。攻撃する側はいつの世も「有害だ」と言って叩くワケですが、叩く側と叩かれる側と、どちらの側が人類の文明にとって有害な/有益な存在か、歴史の出すファイナル・アンサーはたいがいの場合、決まっとるのです。検閲官は常に歴史の敗者です。 ヴァレリアン・ボロフチック監督の作品は歴史ものが多い。本作も第1話は現代ですが、第2話は1890年、第3話1610年、第4話1498年と、様々な時代を舞台にしています。いつの時代も人間存在は性的欲望に悶えている、ということがボロフチック監督の一大テーマであり、さらに作品によっては、「それを抑圧しようとするヒステリックな勢力と、抑圧されまいとする人間の自由な性欲」といういつの世にも通じる対立構造を描いてもいます(本作なら第2話と4話)。 …抑圧したくてしてるんじゃないんですけどねぇ。仕事なんです勘弁してください。ボロフチック監督、スンマセン!いつかワタクシの方が間違っていたと、歴史の審判が下ると覚悟しとります。■ "CONTES IMMORAUX" by Walerian Borowczyk © 1974 Argos Films
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COLUMN/コラム2015.07.06
フランスの気鋭監督が創出した“立てこもり活劇”の醍醐味~『スズメバチ』
本作が2002年の秋に日本公開された際に、ポスターやチラシに添えられたキャッチコピーは今でもよく覚えている。「12000発喰らえ」。しかし謳い文句通りの“ド派手なドンパチ”を期待して劇場に足を運んだ観客は、実際に本編を目の当たりにして面食らったのではないか。何せ序盤の約30分、これといった見せ場がほとんどない。観客を退屈させないための“方程式”に則った昨今のハリウッド・アクションや、本家のハリウッド以上にハリウッド的な娯楽性に富んだヨーロッパ・コープ製のフレンチ・アクションに慣れ親しんだ映画ファンは、本作のいささか冗長で無愛想にも映る導入部に焦れったさを感じるかもしれない。 正直なところ決して洗練されたタッチの導入部ではないが、作り手の狙いははっきりしている。「荒野の七人」のテーマ曲を口笛とアカペラで奏でながら、練りに練った犯罪計画を実行に移そうとしている若い窃盗犯グループ。人身売買、武器密輸などの凶悪犯罪を繰り返してきたアルバニア・マフィアのボスを、物々しい装甲車で護送しているフランス警察の特殊部隊。そして職場に向かおうとしている元消防士のしがない中年警備員。7月14日のパリ祭を背景に、そんな見ず知らずの登場人物たちが偶然にも“ある場所”に集結していく過程が描かれる。そう、この映画は冒頭30分を長々と費やして、アクション映画を形成する重要な要素のひとつであるシチュエーション=状況設定を組み立てているのだ。その30分を乗りきった観客には、ご褒美として中盤以降に怒濤のシークエンスが待っている。 その“ある場所”とは、ストラスブールの工業地帯にたたずむ黒い外壁の巨大な倉庫だ。ここに忍び込んだ窃盗犯グループは、前述の中年男ともうひとりの若い警備員を拘束し、大量のノートパソコンを強奪してトンズラしようともくろんでいる。ところが時同じくしてストラスブール近郊の別地点で、ボスを奪還しようとするマフィアの武装軍団が特殊部隊の護送車を襲撃。からくも生き延びた女性中尉リボリと数名の部下は、まだ窃盗犯グループがとどまっている倉庫に一時避難する。倉庫はあれよあれよという間に武装マフィアに包囲され、外界への連絡手段を断たれたリボリに残された道はただひとつ。その倉庫に身を潜めたまま窃盗犯や警備員たちと力を合わせ、軍隊並みの重装備を誇るマフィアを迎え撃つことだ。 言わば、これは倉庫を“砦”に見立てた伝統的な“立てこもり型”のアクション映画である。逃げるという選択肢を奪われた登場人物が、閉塞した限定空間に籠城して必死の抵抗を試みる。孤立無援にして、圧倒的な多勢に無勢。まともに闘ったら絶対に勝ち目はない。ゆえに登場人物がすべきことは敵の侵入を“防ぐ”ことであり、そこにヒリヒリするような極限状況のスリルが生まれる。スカッとした爽快さ&豪快さを売りにしたアクション大作とは真逆の、首を真綿で締められるがごときマゾヒスティックな緊張感。生き抜くためには命知らずの度胸や腕っぷしの強さよりも、ひたすら忍耐力と臨機応変の対応力が求められる。そこに立てこもり活劇の醍醐味がある。 このジャンルの代表作というと、ジョン・カーペンター監督の『要塞警察』(76)とその原点であるハワード・ホークス監督の西部劇『リオ・ブラボー』(59)がすぐさま思い浮かぶ。とりわけこの映画と『要塞警察』の類似性は誰の目にも明らかだ。しかしながら本作には「このシチュエーションの活劇が撮りたかった!」という作り手の並々ならぬ意欲が全編にみなぎっており、パクリや二番煎じと誹る向きはどこにもいないだろう。浮ついたギャグや、二丁拳銃などのアクロバティックな描写は一切ない。その代わりに戦闘中の登場人物が残りの弾薬数を確認したり、状況がじわじわと切羽詰まっていくプロセスをリアルに見せる工夫が随所に盛り込まれ、本格的な立てこもり活劇に仕上がっている。 『スズメバチ』というタイトルも言い得て妙だ(原題は『Nid de guêpes(スズメバチの巣)』)。目の部分が不気味に赤く光る暗視ゴーグルを装着した武装マフィアが、暗闇の中からうようよと無数にわき出ては、容赦なく倉庫に群がってくるイメージは、まさしくスズメバチを想起させる。生憎、筆者はその筋には詳しくないが、銃器の演出にもそうとうこだわりがあるのだろう。立てこもる側の登場人物にはそれぞれのキャラクターの個性に合わせてショットガン、カービン銃、自動小銃といった新旧織り交ぜた武器を持たせ、武装マフィアはサイレンサー付きの銃でひたひたと攻め入ってくる。撃ち抜かれた壁の銃痕の穴から光が差し込むというガン・アクション映画には定番のショットにも、“スズメバチの巣”のヴィジュアル化を意識した美学が宿っている。ちなみに監督は本作の成功がきっかけでハリウッドに招かれ、ブルース・ウィリス主演の『ホステージ』(05)を発表し、最近では「マイウェイ」の共作者として名高いポップスター、クロード・フランソワの伝記映画『最後のマイ・ウェイ』(12)を手がけたフローラン・エミリオ・シリ。『スズメバチ』は彼の長編第2作であり、本邦初登場作品である。 「ここを突破されたらヤバい!」というギリギリの切迫感が少々物足りず、クライマックスへのなだれ込み方が大味になってしまったことなど難点はいくつか見受けられるが、『TAXi』(97~07)シリーズで名を馳せた某俳優が演じるキャラクターが早々に戦闘不能に陥ったり、誰が最後まで生き残るのかは予測不可能。「12000発喰らえ」のキャッチコピーに引かれた観客の期待にも応えるであろう“フレンチ立てこもりアクション”のカタルシスを、ぜひ堪能してほしい。■ © 2002 - CINEMANE FILMS - CARRERE GROUP - PATHE IMAGE PRODUCTION - FRANCE 2 CINEMA
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COLUMN/コラム2015.06.27
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2015年7月】にしこ
ヒゲボーボーで酒瓶を持っているキアヌや、映画祭で激太りしているキアヌを見て落胆する日々をお過ごしの皆様に朗報です。(主に女性の皆様)ザ・シネマに7月。満を持して私たちがトキメきに胸を焦がした超絶かっこいいキアヌが帰ってきます。そう!『スピード』放送いたします!! この作品でキアヌが問答無用のハリウッドスターになった事は周知の事実ですが、あと2人、この作品はスターダムに押し上げています。1人は監督のヤン・デ・ボン。もう1人は今やキアヌ以上のスターですがサンドラ・ブロックです。 ヤン・デ・ボンは「ダイ・ハード」や「ブラック・レイン」、「リーサル・ウェポン3」や「レッド・オクトーバーを追え!」など、ザ・シネマをご覧頂いている皆様にはお馴染みの大大大ヒットアクション映画の撮影監督を務めたアクションを知り尽くした男。撮影現場で一番偉い!?と言われる撮影監督を長年務めてきた彼が初監督として選んだのがこの『スピード』だったわけです。 高層ビルのエレベーターに爆破犯から脅迫電話が入るも、SWATチームの活躍で事態は収束。しかし犯人はその事を恨みに思い、今度は路線バスに爆発を仕掛ける。時速80キロ以下になると爆発する路線バス。人質となったバスの乗客を1人でも下ろしても爆発させる、バスを止める事も許されず…エレベーターのテロを見事に解決したSWAT隊員のジャック(キアヌ・リーヴス)に爆破犯ハワード(デニス・ホッパー)からの挑戦状が叩きつけられる・・・ というシンプルなストーリーではありますが、アクションを知るつくした男、ヤン・デ・ボン。1分と観客をほっとさせないくすぐる仕掛けをいたるところに埋め込んでいます。さらに特筆すべきはこの映画のアクションの「手作り」感。急ブレーキに横転しそうになるバスを乗客の全体重を使って防いだり、可動式の板に寝っころがったキアヌが時速80キロ以上で走るバスの下に入り込んだりと、まぁ「がっはっは」と声を出して爽快感を表現したくなる様な素晴らしい手作りアクションが満載なのです!!観る者のツボをつきまくるアクション演出。ありがとうございます。 もう1人の主役。この作品を最高に魅力的にしているヒロインのサンドラ・ブロック。彼女はアクシデントで運転手が運転不能になってしまったバスを、行きがかり上運転する事になった免停中のアニーを演じていますが、素晴らしい!「なんで私がこんな目に!」とかか弱い事は一切言いません。かといって冷静すぎるのでもなく、等身大の女の子らしいパニクりが実にチャーミングで、さらに温かいユーモアで主人公のジャックを励まし、乗客たちをなだめ、とにかく「超・一生懸命」にバスを運転します。この一生懸命さが最高です。みんな彼女を好きならずにはいられない。サンディ最高、ありがとう。 キアヌですが、あのナイーヴさで出来た彼が、血気盛んなロス市警のSWAT隊員なんて・・・大丈夫かしら・・・という気持ちと共にこの映画を観に劇場に足を運んだファンの方も多かったと思いますが、なんのなんの!!これ以上ないハマリ役ではないですか!ちょっと大根ぽい(ごくごく個人的意見です)ところもまたこの不器用そうなジャックという役にぴったり。長髪のイメージが強かった彼にクルーカットをさせた人に、未だに感謝の念が止まりません。ありがとうございます。レンタルビデオ屋さんで、等身大のキアヌの宣伝用スタンディーをもらって、ベッドの横に飾って寝ていた自分とも再会する事が出来ました。 私にとっていろいろなありがとうが詰まった映画であり、さらにアクション映画史上の名作としても名高い本作。まだ見てない皆様、ラッキーです。本物のアクション映画を見逃すところでした。ふぅ。既にご覧になった皆様も、何度見ても同じところでドキドキハラハラできる事請け合いです!!絶対に見逃してはいけない1本です!!ありがとうございます!! © 1994 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.