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COLUMN/コラム2016.03.03
ソフィア・コッポラ、彼女の瞳にうつるもの〜『ヴァージン・スーサイズ』、『ロスト・イン・トランスレーション』、『マリー・アントワネット』、『SOMEWHERE』、『ブリングリング』
パーソナルな魅力が溢れ出した知的で美しい容姿。決して派手ではないけれどシンプル&エレガンスな、1点1点上質なアイテムをさらりと着こなすファッションセンス。 さらにはアートや音楽の洗練された感性さえを持ち合わせ、世界を代表する映画監督フランシス・フォード・コッポラを父に持つという恵まれた家柄で育った。女の人生を生きる上で、欲しいものをすべて手に入れた女性である。 映画監督としてだけでなく、新進気鋭のカメラマンとしての実績や、ファッションデザイナーとして「ミルクフェド」を設立し、最近ではその活動は映画の域を越え、ハイブランドのCM監督もこなす。 クリスチャンディオールのキャンペーンではナタリー・ポートマンを起用した「MissDior」のCM(2013年)を手がけ、オシャレ女子から圧倒的な支持をうける「Marc Jacobs」の人気フレグランス「デイジー」シリーズなどのCMも監督し、まるで映画の1シーンのようなショートトリップに世の女性達をいざなってくれたのも記憶に新しい。 更に、今年2016年には「椿姫」の後援者でイタリアのデザイナーのヴァレンティノ・ガラヴァーニがソフィアの『マリー・アントワネット』に感激したことから、イタリアのローマ歌劇場でのオペラ「椿姫」の舞台監督に抜擢された。ソフィアは、今まさに、初の「オペラ監督」としての挑戦に奮闘中なのである(公園期間は5月24日〜6月30日)。 自分の可能性を花開かせ続けるその姿から勇気をもらうと同時に、1度は彼女のような人生歩んでみたいとソフィアに強い憧れを抱く女性は少なくないはずだ。 生まれもって宝くじを引き当てたかのような特権を持つ存在でありながらも、決して家柄におごることなく自分を貫き、夢を叶える。 20世紀の「与えてもらう」ような受け身のお姫様ではなく、自分の夢を自分でつかみ取る彼女こそ21世紀の女性の憧れの的なのである。 そんな彼女が「映画」という手段を選び、発信しようとしているメッセージとは何なのであろうか。作品に共通して描かれているものがあるとすれば、それは、誰しもの心にひっそりと潜むガラス細工のような「孤独」ではないだろうか。 ソフィアと言えば、作品に合わせた色彩を効果的に使った美しい色味で描かれる世界観も特徴の1つであるが、彼女は誰よりも知っていたのではなかろうか。孤独は、色のないからっぽの感情ではなく、カラフルな世界に身を置いたときによりいっそう滲み出るものだということを。 たくさんの色や光に囲まれた瞬間にこそ、自分のむなしさや寂しさがよりいっそう際立つことを。 だからいつだって彼女の作品は美しいのかもしれない。 ソフィアが描いてきたいくつかの孤独の表現について追ってみようと思う。 彼女の長編映画デビュー作でありながらも、彼女の作品の世界観を確立させたミシガン州に住む美しい5人姉妹の自殺を描いた『ヴァージン・スーサイズ(1999)』では、一緒に過ごしていても心は離れている姉妹達の孤独感。家族という間柄であっても、満たせない見えない人と人との間の距離感を垣間みた。 次にアカデミー脚本賞を受賞した『ロスト・イン・トランスレーション(2003)』では、言葉の通じない海外に行った時に味わう異邦人としての哀愁や異文化の中での孤独の感情に寄り添った。監督自身の東京での経験を下敷きにして、海外版でも日本語の字幕は一切つけず、観る者に孤独を疑似体験させた。 世界中で注目されてきたフランス王妃を描いた『マリー・アントワネット(2006)』では、下着すら自分でつけることを許されない生活の中で、仮面を付けるかのように洋服を何着も何着も着替えることで、不安、不満をモノで満たしていく孤独な女心をこれ以上ないほど愛らしい世界観の中、表現した。 続いて、父と娘のつかの間の休暇を描いた『SOMEWHERE(2010)』では 、ハリウッドスターを主人公とし、端から見たら人気者で多くの人に囲まれるうらやましがられる生活をしていても、充実感とは裏腹に空虚な気持ちを拭えない中年男性の孤独を映し出した。 また最新作『ブリングリング(2013)』では、全米を震撼させた実際の高校生窃盗団の事件を描き、犯罪が露見する可能性がゼロではないにも関わらず、誰かに認めてもらいたいという想いも消しきれないSNSの普及した現代社会に起こりうる、承認欲求という新しいタイプの孤独を描いた。 ちなみに、彼女がはじめて監督・脚本を務めたモノクロの16mmフィルムで撮影した14分の『Lick the Star(1998年)』もスクールカースト(階級社会)の中で生まれる思春期の「孤立感」がコンセプトだ。「ヴァージン・スーサイズ」を彷彿とさせる独特の芝生の使われ方など随所に彼女の才能を感じることが出来る作品で、白黒なものの登場人物達は活き活きと描かれている。字幕付きのものが日本では観られないのが残念だが、ネットに何件かアップされている動画を映画ができる友人と観るのがおすすめだ。 彼女のこれまでの作品の中で、私は特に「リック・ザ・スター」「ヴァージン・スーサイズ」「ブリングリング」といった10代の思春期の頃に抱える抑え切れない程の強いエネルギーや、集団心理を描いた作品に興味を持っている。 特に「ヴァージン・スーサイズ」には、女性が避けることができない人生の悲哀もひっそりと閉じ込められているように感じる。 女は他人から比較されずに生きていくことができないし、同時に自分も人と比較することをやめられない生き物である。 「私は私」と思うタイプの人でさえ、年を重ねれば若い頃の自分と「あの子も昔はかわいかった」なんて比較されていく。 一生続く、毒をもった甘い戦いが女の世界には存在しているのだ。 自分の部屋がまるで世界の中心のように思うことさえある思春期。1つの空間に閉じ込められた1歳ずつしか年齢の違わない姉妹達、そこにはまるで満開のバラが咲き乱れたような、異常なエネルギーが漂っていたのではなかろうか。 男性からすると一種の連帯感かもしれないが、まるで1つの花のように見えた彼女達は、それぞれ別の花びらの集合体だったのではないか。 だからこそ一致団結していたように見えた姉妹達も最期の瞬間は、バラバラの場所、それぞれの方法で死を選んだのかもしれない。 同時に、彼女達は、自分たちが1番美しい瞬間を永遠に閉じ込めようとしたのではないだろうか。「死」という選択肢を使って。彼女達にとって「死」とは、美しいままでいるための1つの手段だったようにも思えて仕方がないのである。 また、場所も時代もおかれている状況も違うけれど「ブリングリング」にも思春期の抑えられない強いエネルギーが描かれていると同時に、「自分は自分」でいることの難しさを伝えている。 10代の頃からSNSの普及によって、幸せの基準がわからなくなってしまったブリングリングのメンバー達は、罪の意識を抱くよりも、Facebookに窃盗したセレブの持ち物をアップし続け、周囲に注目される存在であることを望んだ。 被害者の1人でありながらも自宅を撮影場所として提供したパリス・ヒルトンが被害状況を語った際、「普通の泥棒はお金や宝石を盗むけど、彼らはお金ではなく、雑誌に出ているものを欲した」と語った。 そこに理屈は存在していない。「承認されたい」という欲望を抑えることができなくなった若者達の感情は、こんがらがってしまった電線のようだ。 他人の生活が必要以上に見えるようになってしまった現代を生きる上で、人に流されず自分らしくいることが難しくなっていることについて、小さな警鐘を鳴らしたのではないか。 それにしてもなぜ、彼女は性別年代問わず、人の感情を繊細にすくいとることができるのであろうか? 世界的な巨匠を父に持ち、1歳で乳児役として「ゴッドファーザー」に出演し、小さい頃から大人の目にさらされてきたソフィア。 人の顔色に敏感にならざるを得なかったであろうし、時に誰よりも比較されてきたのは、他でもなく、彼女自身だったからのかもしれない。 余談になるが、コッポラ一族の勢いはとどまることを知らない。 2013年、フランシス・フォード・コッポラの孫ジア・コッポラは、「パロアルト・ストーリー」で映画監督デビューを果たす。原作はハリウッドの若き開拓者的存在であるジェームズ・フランコが書いた短編小説。ジェームズ・フランコ自ら、ジアに監督を依頼し、ジュリア・ロバーツの姪であるエマ・ロバーツやヴァル・キルマーの息子のジャック・キルマーが起用され、青春の不安定さから来る思春期の若者達の繊細な気持ちを描いた。 インテリアやレースのカーテンといった小物等からもソフィアの感性を受け継いだことが肌で感じられる作品である。 甘くけだるく、耳に残る音楽は「ヴァージン・スーサイズ」の音楽でもおなじみのソフィアの従兄弟であり、フランシス・フォード・コッポラを叔父に持つシュワルツマンが担当。改めて、溢れんばかりの才能に恵まれた一族である。 「アメリカン・グラフィティ」「ラスト・ショー」「ヴァージン・スーサイズ」のようなタイプの10代の繊細な感情の機微を描いた青春映画を欲している人は、こちらの作品も観ても良いかもしれない。■ ©1999 by Paramount Classics, a division of Paramount Pictures, All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2016.03.01
男たちのシネマ愛⑤愛すべき、極私的偏愛映画たち(1)
飯森:今回の企画は、その名もズバリ「ザ・シネマSTAFFがもう一度どうしても観たかった激レア映画を買い付けてきました」という特集です。これ以上の説明はなんも要らない(笑)。映画好きの皆さんであれば、多感な年頃に見て影響を受けた作品が、いつの間にか見ることが出来なくなってしまったという経験って、多かれ少なかれありますよね? ザ・シネマ編成部 飯森盛良 なかざわ:それはもう、数え切れないくらいありますよ! 飯森:それはザ・シネマのスタッフも同じでして、それだったら僕を含めて社内のそうした声を集めた上で、買い付けてきて放送してしまおうと考えたわけです。でもね、こういう企画って実は滅多にできないことなんですよ。いわゆるハリウッド・メジャー(注1)と呼ばれる映画会社は、各社ともテレビ向けに旧作を配給していますよね。放送権販売です。我々はそこから買っているわけですが、まとめて20本とか30本を幾らで、という感じでパッケージ購入しているわけです。何社かから買って、その中から、今月はこれ、来月はこれといった具合で小出しに組み合わせながら番組編成する。CSの洋画チャンネルを見ていて、同じ映画がライバル・チャンネルの間をたらい回しみたいに何度も放送されていることに気付かれた視聴者も多いと思うのですが、なぜなら同じ配給元からこのようなシステムで旧作をまとめ買いしているからなんです。パッケージ購入の際に配給元がライバル・チャンネルに売ったものと同じ作品を入れてくる場合もあれば、その作品が視聴率を取れることを我々が予めリサーチしていて、こちらから要望する場合もある。いずれにせよ、基本は配給元の“テーブル”の上に並べられている映画なんですよ。そういう作品は既に字幕も付いていますから、新たにこっちで作業をする必要はほとんどない。いつでもすぐに放送できるんです。 なかざわ:要するに即戦力ですね。 飯森:その一方で、例えば「おたくは’60年代にこういう映画を製作していましたよね、最近見かけなくなりましたが、あれを放送したいんですけれど…」、というような問い合わせ、つまり、“テーブル”に載ってない作品を出してきてくれと配給元にリクエストした場合、まず放送用テープの有無の確認から始めることになります。元はフィルムでも当然ながら放送用ビデオテープになっていないとテレビではかけられない。つぎに日本向けに日本語字幕版や日本語吹き替え版があるのかどうか。大昔に劇場公開したっきりの作品もあれば、VHSでリリースしたっきりで何十年も販売実績がない作品もある。全ては一から調べないとならないんです。それどころか、ハリウッド・メジャーならいいんですけど、インディペンデント系(注2)の作品だと、今どこが権利を持っているのか、どこと交渉すればいいのか、そこから調べなければならない。もちろん歴史上の全映画の権利元リストなんて存在するわけがない。それがいかに大変なことなのか、今回は身を持って実感しましたね。実現までにとにかく時間がかかった! なかざわ:そうした事情は映画ファンでもなかなか分かりませんからね。“テーブル”に載っていない作品の中にこそお宝が眠っていることが多いわけですけど、逆に、滅多に見ることが出来ないからこそ、お宝になってしまうとも言える。 飯森:そうなんです。“テーブル”の上に並んでいないと、わざわざ奥の方から出してきてもらわないといけない。 なかざわ:そうしたニッチなマーケットを掘り起こすために、アメリカではハリウッド・メジャーの映画各社がアーカイブ作品のオンデマンドDVDサービスを行っています。ワーナーやMGM、20世紀フォックス、ソニー・ピクチャーズなど、いずれも過去にDVD化されたことのある数々の作品とともに、VHSですら出したことのない貴重な作品も大量に放出しています。殆どがオリジナル・ネガ(注3)やインターポジ(注4)などからテレシネ(注5)しているので画質も良いですし。それらのラインアップの中から、ライセンスを借りてブルーレイ化しているインディペンデント系メーカー(注6)もあるくらいです。日本ではまず見られないだろうという作品が多いので、自分もよく利用していますよ。 雑食系映画ライター なかざわひでゆき 飯森:そりゃ、アメリカの場合は字幕や吹き替えを付ける必要がないですからね。ちなみにCSの日本映画系チャンネルさん各社がソフト化されたこともないような昔の貴重なお宝作品をよくテレビ初放送してたりするのも、そもそも日本語コンテンツだからだと思いますよ。具体的な金額までは申し上げませんが、字幕を付けるにはサラリーマンの月収くらい費用がかかります。字幕翻訳が残っていてその金額です。昔すぎて翻訳が残っておらず、新たに訳し直すところからだとその倍。5本、10本とそれにコストをかけられるか、それを12ヶ月やったらどうなるか、考えてみてください。さらに吹き替え新録ともなると年収くらいの費用がかかります。2011年に僕はウチのチャンネルでやった『ブレードランナー/ファイナル・カット』の新録吹き替え版(注7)をプロデュースしたことがあるんですが、あんなことは滅多にできることではない。あれ以来、ありがたいことに視聴者の皆さんにああいうことをもっとやれと期待されちゃってはいるんですけど、スンマセン、と(笑)。今の料金据え置きではそうしょっちゅうはやれない。昔、洋画番組をやられていて毎週吹き替え版を作って流していた民放さんとは、やっぱり資金力が違いますから。あれは映画の中に何発もCMをはさんで儲けていなければ無理です。でも、それやったら皆さん怒るでしょ?(笑) といったようなわけでして、日本で“テーブル”の上に並んでいないレアな外国映画を奥から出してきてもらって放送するのは、英語を母国語としているアメリカよりハードルが高いんです。ハードルというのは具体的にはコストがって意味です。“テーブル”の上のおなじみのタイトルならば、作品購入費以外のそうした追加コストが一切かからなくて済む。だから複数チャンネルの間を同じ映画がいつもグルグルグルグル回遊しているんですよ。まあ、それでも視聴率を取れてるんだから、別に悪いことではないとは思います。それって需要に対し我々がちゃんと供給できてるってことなので。 とはいえ、いくらコストがかからず視聴率も取れるからといって、同じような映画を何度も繰り返し放送するばかりでは映画ファンに失望されるということも、我々はよく理解しています。そもそも、こういう商売をしている本人がみんな商売抜きに映画好きですから、「そんなの面白くない!」という思いは同じなんです。なので、まあ、公私混同のきらいもありますけれど、まずは自分たちがなんとしてでも見たかった作品を探し出してきて放送し、さらに今後はみなさんからの要望にも耳を傾けながら続けていければと思っているんです。 なかざわ:でもですね、今回放送される作品の中で、「愛すれど心さびしく」だけは日本盤DVDが出ていますよね。 飯森:恐らくそれって、某レンタルチェーンさんがやられている、オンデマンドでDVDを焼いて届けてくれるというサービスですよね。確かにこの作品は仰る通り、そういう形で日本国内で観る手段は他に無くはありません。なのでお詫びの意味も込めて、そのうちテレビ吹き替え版も発掘して放送する予定です。これは文句なしに超貴重でしょ?そして「愛すれど心さびしく」以外の作品はもはや見ることができません。その中には今回ウチでもどうしてもコンディション良好とは言い難いSD素材しか手に入らなかったという作品もあります。HD化には相当なコストがかかるんです。古いSDテープが一応あるのに、それを捨てて新たにテレシネし放送用HDビデオテープを作り直すわけですから、それを数回しか放送しない我々チャンネル側の予算で負担することは、まぁ、なかなかできませんわな。作品の持ち主である配給元さんの方でそこは負担してもらうしかないんですが、配給元さんだってご商売ですし、採算の現実的なご判断は当然ありますよね。 注1:ワーナー・ブラザーズや20世紀フォックス、ソニー・ピクチャーズ、ユニバーサルなど、ハリウッドの大手映画会社の総称。注2:ハリウッド・メジャーではない中小様々な映画会社。注3:撮影フィルムを編集して作られたネガフィルムのこと。全ての映画はこれを元にプリントを重ねていく。注4:オリジナル・ネガからプリントされた中間素材用のポジフィルム。ここから、上映用フィルムを複製するためのインターネガが作成される。注5:フィルムに記録された映像をビデオに録画すること。これによりフィルムで撮られた映画をテレビで放送したりDVD等で再生できる。注6:前述のインディペンデント系映画会社とは異なり、ここではソフトメーカーのこと。代表的なメーカーとして、クライテリオンやキノ・ローバー、シャウト・ファクトリーなどが挙げられる。注7:2007年のリドリー・スコット監督による再編集・デジタル修復バージョン。この吹き替えを、ハリソン・フォードのフィックス声優である磯部勉を初めて起用して制作。ルトガー・ハウアーに谷口節、ショーン・ヤングに岡寛恵。 次ページ >> 愛すれど心さびしく 『愛すれど心さびしく』TM & © Warner Bros. Entertainment Inc. 『マジック・クリスチャン』COPYRIGHT © 2016 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED. 『ラスト・ウェディング』©2016 by Silver Turtle Films. All rights reserved. 『ビザと美徳』©1997 Cedar Grove Productions. 『暗い日曜日』LICENSED BY Global Screen GmbH 2016, ALL RIGHTS RESERVED
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COLUMN/コラム2016.02.29
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2016年3月】
28歳にして監督デビューを果たしたソフィア・コッポラの衝撃のデビュー作!父上はもちろんご存じのフランシス・フォード・コッポラ。本作でも製作に関わってます。主人公の姉妹5人が全員美人という奇跡から始まりますが、特に自由奔放な四女ラックス役のキルステン・ダンストは、17歳で色っぽすぎるだろ!と叫びたくなります。のちに彼女は、ソフィアの監督3作目『マリー・アントワネット(2006)』で主演を務め、ガーリーでキュートなマリー・アントワネットを好演!(もちろんこちらもザ・シネマで3月に放送します!)。 物語ですが、5人姉妹が全員自殺を図るというショッキングな事実から始まります。姉妹たちの繊細で瑞々しい世界をソフィアの独特のタッチで描き、自由への憧れ、異性への意識…大人になりきれない10代の揺れ動く心を美しく映し出していきます。これを見れば、みなさんもきっと青春時代のあの純粋な気持ちを思い出せるはず! ザ・シネマでは、ザ・シネマ10周年にちなんだ特集企画として、ソフィア・コッポラを大特集!【ソフィア・コッポラ全部やります!】と題して、デビュー作から最新作まで全5作品を放送! ©1999 by Paramount Classics, a division of Paramount Pictures, All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2016.02.20
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2016年3月】おふとん
全身麻痺で車椅子生活を送る大富豪フィリップとスラム街出身の黒人青年ドリス。出会うはずのなかった、何もかも対照的な2人が繰り広げる友情を実話ベースで描く。 こういう「感動」を謳う作品って、な~んか観る気がしない…というあなた。否!本作はコメディです!でも観終わったとき、爽やかで軽やかな感動がじんわり、ゆっくり滲むはず。そう、押し付けがましくないところが本当にすごいんです。世界各国で興行記録を塗り替えたのも納得。日本でもフランス映画歴代最大のヒット作となりました。 ポール・フェイグ監督、コリン・ファース×クリス・タッカー主演でのハリウッド・リメイクも決まっているようですが、その前にオリジナル版をチェック! © 2011 SPLENDIDO / GAUMONT / TF1 FILMS PRODUCTION / TEN FILMS / CHAOCORP
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COLUMN/コラム2016.02.16
ザ検閲官ストライクス・バック!〜『インモラル物語』後編、百合肉林とバチカン3P編、の巻〜
二度とやるまい、と心に決めていた、プロの映画ライターや評論家の方が映画評を書くべきこの場に、ザ・シネマのチャンネル関係者が分をわきまえず自ら駄文を寄せる、という禁を再び犯すことをお許しください。 前回、「ある検閲官の懺悔」と題して『インモラル物語』評を書いた際、文字数の関係で、4話オムニバスのこの作品のうち前半2話までしか言及できずに中途半端に終わったわけですが、今回、ヴァレリアン・ボロフチック監督特集という、ありえないマニアックな特集を組み、再び『インモラル物語』の放送権を買ってきてオンエアする運びとなりましたので、捲土重来、後半2話について書かせていただきます。 とはいえ、ボロフチック監督論といったようなことは、実は不肖ワタクシ、雑食系映画ライターなかざわひでゆき氏と、ザ・シネマ開局10周年記念シリーズ対談の第3回で、2時間以上にわたって語り尽くしておりますので、そちらの方もあわせてお読みいただきたく存じます。 今回ここでは、各エピソードで取り上げられている題材について解説します。ボロフチック監督、エロを描くのに夢中すぎて、題材にしている歴史上の人物の最低限の説明さえも省いており、その歴史的背景を多少は知っていないと物語がよく理解できないという嫌いが後半2話はありますので、解説する意義はあろうかと。 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ では早速、第3話から。第3話はエリザベート・バートリのお話です。 これは、劇中で何が起きているどういうストーリーなんだか、エリザベート・バートリ伝説を知らない人が見たらさっぱり解らなかろうと思うんで、そこを解説しましょう。 エリザベート・バートリ。オカルト愛好家や吸血鬼好きの人ならお馴染みの名前で、通称“血の伯爵夫人”。アンチエイジングにいささか熱心すぎちゃったオバサマでして、トランシルヴァニア公国の名門貴族バートリ家のご出身であらせられます。 嗚呼、トランシルヴァニア!浪漫ですなぁ!ドラキュラ伝説で有名ですね。ルーマニアに属し、「ルーマニアと言えばドラキュラ、ドラキュラと言えばトランシルヴァニア」といった連想が日本人でもすぐ頭に浮かんできますが、実はドラキュラ(のモデルとなった串刺し公ヴラドⅢ世)は、トランシルヴァニアとはあんまし関係なくって、ワラキア公だったんです。 ワラキア公国は今のルーマニアの前身で、一方トランシルヴァニアの方は、実は歴史的にはハンガリーの一部だったんですなぁ。 エリザベートはナーダシュディ家というこれまた名家の男と結婚するんですけど、あんまりにも名門すぎる実家バートリ家の姓を結婚後も名乗ったんでエリザベート・バートリと呼ばれ続けたのあります。 ちなみに、このトランシルヴァニア公国はハプスブルグ帝国と因縁が深く、ハプスブルグはドイツ語圏ということで「エリザベート・バートリ」はドイツ語読みでして、ハンガリー語では「バートリ・エルジェーベト」となります。我々日本人と同じで姓が先で名が後なんですな。ハンガリー人は民族大移動までさかのぼるともとはアジア系で、顔は白人化しても赤ちゃんにはいまだに蒙古斑があるぐらい。映画関連ですとユニバーサルの『魔人ドラキュラ』やエド・ウッドがらみで有名な元祖ドラキュラ俳優の英語名ベラ・ルゴシさんが、ハンガリーからの移民でして、本名はルーゴシ・ベーラと言うのです。 さて。伝説ではエルジェーベトは、召し使いに髪をとかしてもらっている時、たまたまグッと髪を引っ張られ、痛くてカッとなって手鏡かなんかで召し使いの顔面をしたたか殴打したところ、流血して血が垂れた。その血が付いた肌が若返って美肌になったような気がしたので、やがて領地の農民の娘を集めてきては殺し、その生き血を搾り取って風呂桶にためて半身浴する、という戦慄のエステを始めたと言われています。 映画ですと、美魔女もしくは美熟女ぐらいに見える美人女優さんをキャスティングしてきて、「美人だったからビューティーへの執着が強すぎて狂った方向へと暴走しちゃったんだ」という解釈に大抵はなってますが、実はこの時、史実のエルジェーベトは6人の子持ちの40代〜50歳(50でタイホ)という年齢だったのです…。あのスンマセン、ちょっとだけガッカリさせてもらってもよろしいでしょうか…。 この血まみれ美肌術の犠牲者は600人以上とも言われてます。スキンケア目的オンリーならせめて効率的に血だけ抜けばいいようなものを、被害者に対して無意味にサディスティックな拷問も加えており、いたぶって愉しんでもいたらしく、むしろそっちの方が主目的だったのかもしれない。典型的なサイコパスですな。 で、まずここです。普通、バートリ・エルジェーベトを映画化するんなら、このエロ・グロ・サドな出来事が当然メインとなり、観客の怖いもの見たさのゲスい好奇心を満たすのが常道というもの。作品はおのずとホラー映画のおもむきになっていく。それと、劣化を気にしていたエルジェーベトがピッカピカの美魔女として完璧に仕上がるビューティー殺シアムなくだりは、特殊メイクの見せ場になります(老舗ハマープロ作品なのにマンネリから脱するためヌードシーンを盛り込んだりと、挑戦的な内容になってる71年の『鮮血の処女狩り』なんかはそれ)。 しかし、本作では全然そこにウエイトを置いてないのが、さすがボロフチック監督。まず、処女たちがサディスティックに殺される場面は一切描かれません。そこを省略して、一気に話が飛んで血の風呂にエルジェーベトが浸かるところは出てきますが、これもホラーチックに演出するのではなく、わずかに脂肪が混じってるような、少しベタッとした鮮血が、入浴者の女体にどうまとわりつくか、をキャメラは舐め回すように追うだけで、エロティックであってもグロテスクではない。こんな描き方したのはボロフチックさんだけです。 さて、再び史実に戻りましょう。被害者の1人が脱出に成功したことからエルジェーベトの犯行が明るみに出る。いかんせん彼女が名門出身すぎて捜査も裁判も大がかりなものとなり、ハンガリー副王が自ら指揮を執ることに。エルジェーベトの犯行に加担した彼女の手下どもは拷問の末に自供させられて全員処刑されます。が、しかし。彼女はあんまりにも名門すぎちゃって処刑もできない。そこで仕方なく、城の自室に閉じ込めてブロックを積み上げドアをふさぎ、窓も塗り固め、ブロック1個分だけ穴を開けといてそこからメシだけは与える、という形で、死ぬまで拘禁することになります。便所もなくて尿は垂れ流し糞は山をなす。その状態で彼女は3年以上も生き続けたとのこと。 ここも、映画的には大変おいしいエンディングになるところですな。観客の処罰感情を大いに満たしてくれる。別の言い方をすれば、観客自身の内にも潜むサディズム的欲求を程よく満たしてくれるんですから、おいしいエンディングだと言っていいでしょう(73年のスパニッシュ・ホラー『悪魔の入浴・死霊の行水』はグロ描写も容赦なかったが、特にこのラストが秀逸!ブロック1個分の穴から差し入れられたメシの食い残しが数週間・数ヶ月分たまってハエがたかり青カビも生え、そんな室内で激しく劣化したエルジェーベトの老いさらばえた顔が映って終わり。後味悪くて超最高!)。 しかし、我らがボロフチック監督は、やはりそこも華麗にスルーです。そんな汚らしいとこは描こうとしない。とにかく本作の本エピソードで描かれるのは、女体・女体・女体! エルジェーベトがおぼこい田舎娘たちを集めてきて、全裸にして湯浴みで体を清潔にさせ(乙女たちは百合チックに違いの秘所を石鹸で洗いっこしたりする)、後で殺すってことを黙っておいて宝石とかを大盤振る舞いし、全裸の処女たち大喜び百合肉林の図が展開!そのうち、くんずほぐれつの宝石ひったくり合い全裸キャットファイトへとエスカレート!!といったところが本エピソードのクライマックスになるのです。 とにかく、こんなバートリ・エルジェーベトものは他には無い!悪名高き「血の伯爵夫人」を題材に、こんな映像に仕立てようと思うのはボロフチックさんだけです。唯一無二の、徹底的に耽美な、絢爛たる百合絵巻なのであります!嗚呼、眼福眼福! 最後に、ついでなので、近年のバートリ・エルジェーベト映画をあと2本ご紹介しときましょう。 日本で昨年DVDが出たばっかの08年製作『アイアン・メイデン 血の伯爵夫人バートリ』。スロヴァキア・ハンガリー・チェコ・英仏合作と、英仏はともかくとして本場で制作されてる作品です。凄惨な事件の舞台となったエルジェーベトの城がなんと今も残っていて現在はスロヴァキア領となってるんですが、その本物の城址でロケを行ったりもしています。本作は「エルジェーベトは悪くないもん!」的なストーリーで、すべては濡れ衣だった、政治的な陰謀だった、“血の風呂”というのも実は赤っぽい色のただの薬湯だったんだ(いくらなんでもそりゃ無理あるだろ!)、と、「血の伯爵夫人といっても、実は怪物などではなくて、1人の気高き女性政治家だったのだ」的ないわゆる“現代的再解釈”が試みられています。その場合に鍵となるのが、カトリックとプロテスタントの宗教対立。エルジェーベトはプロテスタントなんですが、カトリックのハプスブルグ家がこの地域に影響力を及ぼそうとしており、ハンガリー貴族の中にはカトリックの親ハプスブルグ派もいてエルジェーベトと対立しており、そこにさらにオスマン・トルコ帝国の侵略が重なって三つ巴でしっちゃかめっちゃかだったのが当時のハンガリー。そんな政治情勢下でエルジェーベトはカトリック派により濡れ衣を着せられたんだ、という解釈になっています。歴史的にはこういう説も確かにあるにはあるんです。 そしてもう1本、09年独仏合作『血の伯爵夫人』は、出演ジュリー・デルピー、ダニエル・ブリュール、ウィリアム・ハートと、バートリ・エルジェーベト映画史上最高の豪華キャスティングが実現。しかもジュリー・デルピーは主演のみならず脚本・製作・監督・音楽ぜんぶこなすというイーストウッドばりの入魂っぷりです。アート&エロとしては今回ウチで放送するボロフチックさんのやつがぶっちぎりトップですが、ドラマとしてはこれが一番よくできている。「恋に破れたのは劣化のせいだ、どうせ男は若い女の方がいいんでしょ」という苦悩をジュリー・デルピーが等身大に演じていて、ドラマがきちんと共感可能なリアリティをともなって描かれており、安いホラー専属女優なんかが出てるのとは格が違うさすがの出来栄え。歴代のバートリ・エルジェーベト映画で、この“恋に狂った鬼女の切なさ”を出せているのはデルピーだけかも。それにグロも満載で、ご存知でしょうか「鉄の処女」という有名な拷問器具があるんですが、それの使用シーンもバッチリ出てきて見所の一つになってます。その上、史実にも一番これが忠実と、バートリ・エルジェーベト映画で最初まず1本どれ見ようかというのならこれをお勧めしときます。 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 次いってみよ。第4話はルクレツィア・ボルジアのお話ですが、父アレクサンデルⅥ世、兄チェーザレ・ボルジアとの近親相姦3Pが延々と描かれます。ボロフチック監督はボルジア家についてや歴史的背景についてなんかは一切説明しようとせずに、ひたすら3P描写に徹してますんで、ワタクシとしてはちょっとそこらへんを補足説明することにいたしましょう。 時は15世紀ルネサンス期。ローマ教皇アレクサンデルⅥ世というとんでもない生臭坊主がおりました。イタリアという国は天下統一がなされず、後々まで小邦分立状態が続いたのですが、その群雄割拠のイタリアでは、ローマ教皇は「教皇国」という国家の元首でもあったのです。つまり、全カトリック世界の宗教上のトップであると同時にイタリアの一戦国大名でもあるという二重の立場だった。陰謀と暗殺を駆使する“イタリア版まむしの道三”か?将又、聖俗を自在に往き来し暗躍する“イタリアの後白河法皇”か?そんな感じの、とっても生臭〜い人です。 で、その教皇アレクサンデルⅥ世は、教皇国の勢力拡大、ゆくゆくはイタリア天下統一という野心を抱き、自分の子供たちをその目的のための駒として使いました。 まずはコネでカトリックの重職に就けた息子のチェーザレ・ボルジア。18歳の若さで枢機卿団に列せられ、24にして還俗してからは教皇軍の司令官として兵馬の権を握って能く軍を率い、あわせて、政治家としては権謀術数の限りを尽くしイタリア天下統一を推し進め、それを果たせないままわずか31で戦場に果てた漢。さしずめ“イタリアの織田信長”といったところですな。駒に使われたというよりも親父の権威をむしろ自分の野望のために利用したと言っていい、親父を上回るクセ者です。なお、余談ながら、同時代人の外交官マキャヴェリはチェーザレの敵国人としてチェーザレと直接外交交渉を繰り広げましたが、その政治的したたかさを高く評価し、著書『君主論』の中で絶賛。「マキャヴェリズム」とはイコール「チェーザレのような生き様」のことであり、チェーザレ・ボルジアは、人間の一典型、ステレオタイプとして永遠の存在となったのです。 そして、娘のルクレツィア・ボルジア。絶世の美女で、父と兄によって政略結婚の駒として使われ3度も嫁がされてます。まさに“イタリア版お市の方”。最初の夫はミラノの御曹司でした。映画の中で、黒い貴族風の衣装をまとっている、へなちょこ顔の男が出てきます。クッキーを勧められ毒殺をビビりまくって食べないというコントを披露する男です。まぁ毒殺はボルジア家のお家芸なのでビビるのも無理はないんですけど、あの男がその御曹司。で、父まむしの道三と兄の信長が、その御曹司の利用価値が低くなってルクレツィアを別の有力諸侯に嫁がせようと判断した時、強引に別れさせようとします。御曹司を暗殺しようとしたとも言われてる。 で、この時です。別れさせられそうになった御曹司が、「妻ルクレツィアは実の父・兄と近親相姦関係にある!」と爆弾発言をして逆襲に打って出た。ヨーロッパでは、誰かを貶めて政治的に失脚させようとする時「あいつは近親相姦してる!」と究極の誹謗中傷をするというゲスい伝統があるんです(はるか後の世にかのマリー・アントワネットも、逮捕された後「息子の王太子と近親相姦してた!」と革命裁判で濡れ衣を着せられそうになってます)。 これに対し「御曹司はインポだからこの結婚は無効だ」とボルジア家の方でも反撃に出て、近親相姦疑惑vsインポ疑惑という、これぞまさしくゲスの極みな論戦が巻き起こり、結局、最終的には勝負はボルジア家の勝ち。しぶしぶ「はい、私はインポでございます」と公式に認めさせられて御曹司が引っこむ形になりました。 この時ですね、映画で描かれているのは。発情した種馬の絵を父と兄妹でイヤらしくニヤニヤ眺めながら、娘婿をからかう、というくだりが出てきますが、そういう経緯があったのです。 御曹司と正式に別れる前、ルクレツィアは、パパの部下で自分とパパとの連絡係を務めてた美男とSEXしてデキちゃった、との風説が出回ります。お相手の美男は哀れ兄貴チェーザレに叩き殺されちゃう。チェーザレからしてみれば「絶世の美女の妹ルクレツィアなら政略結婚の駒として使い道がいくらもあるのに、それを連絡係風情が手出して孕ませて使い物にならなくしちゃいやがってコノ!」ということで、全身政治家としては激怒するのも無理はない。しかしこの時も「チェーザレが妹萌えで、だから嫉妬に狂って美男を叩き殺しんたんだ」というデマが飛びます。 なお、映画の中でチェーザレは赤い服をまとっていますが、これは「緋の衣」といって枢機卿のユニフォームですんで、この劇中の時点で“イタリアの信長”ことチェーザレはまだ還俗して軍人になってはおらず、枢機卿としてバチカンにあったということですな。写真の奥、枢機卿の「緋の衣」を着ているのがチェーザレです。一番右の「三重冠」というやつをかぶっているのが教皇、つまり“パパ”です。 とにかくですねぇ、ルクレツィアが父親が誰かよくわからない子供を出産した、というデマが存在しますので、それがこのエピソードの終わりの方では描かれているんですわ。 といったようなことでして、彼らの生前から噂されていた下世話な噂を、ボロフチック監督はこの第4話で映像化してみせたわけです。登場人物たちが、そういう歴史上の実在の人物なんだ、“イタリアの信長”、“イタリアのお市”、さらに“イタリアの道三”みたいな連中なんだ、ということは、踏まえた上でご覧いただいた方がいいでしょう。 あと、このエピソードでは時おり教皇庁の腐敗を叫ぶ狂信者みたいな男が出てきますが、これはサヴォナローラというドミニコ会の修道士。メディチ家が栄華を極めたルネサンス芸術の都フィレンツェで、メディチ家に取って替わって実権を握り、神権政治を実施。「虚栄の焼却」なぞと称してルネサンス美術を燃やしたり焚書したりした、まぁ、ISみたいな男です。こいつが燃やしてなかったら今日に伝わるルネサンスの人類的遺産はもっと多かったはず。ボロフチック監督、こういう手合いが生理的に大っ嫌いなんでしょうなぁ。ボルジア家の3Pは批判的に描かないくせに、この男のことは一片の同情もなく描き捨てている。まぁ、近親相姦のタブーを犯すよりも、芸術を焼き滅ぼす方が、後世への罪ははるかに重い、ということなんでしょう。 「本を焼く者はやがて人間を焼く」と言ったのはドイツのユダヤ人ロマン主義詩人ハイネで、それはナチスの所業を予言しましたが、サヴォナローラさんは他人を焼き殺す前に自分が焼かれちゃった。“イタリア版まむしの道三”教皇アレクサンデルⅥ世によって教会を破門されて、最期は自分が火刑台の灰になるという末路をたどったのです。 もし将来、「ボロフチック監督の映画は猥褻で不道徳だからフィルムを焼け!」なんて言い出す輩が現れた時には要注意、ってことですな。■ "CONTES IMMORAUX" by Walerian Borowczyk © 1974 Argos Films
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COLUMN/コラム2016.02.15
ふたりのパラダイス
ニューヨーク。会社員のジョージ(ポール・ラッド)は、自分探し中の妻リンダ(ジェニファー・アニストン)を養うために仕事に励んでいた。ところがある日、会社がFBIによる業務停止処分を受けたことであえなくクビになってしまう。 やむなくアトランタに住む兄を頼って都落ちする二人だったが途中、偶然立ち寄ったヒッピー・コミューンで金銭に縛られない生き方を知り、これまで感じたことがない喜びを経験する。「ここがパラダイスだ!」コミューンへの永住を決意したジョージとリンダだったが、ニューヨーカーだった二人には理解不能なコミューンの風習や掟がその前に立ち塞がる。遂には二人の間にも隙間風が吹くようになってしまい …。 それまでの常識が崩れ落ちる瞬間に、人は笑う。だからコメディ映画にとって、2008年の世界的金融危機(いわゆるリーマン・ショック)は格好の題材だった。何故なら今まで「頭が良い人たちがマジメに働いている」と信じられていたアメリカの金融業界が、素人を騙すことしか考えていない詐欺まがいの集団だったことが明るみになってしまったのだから。 その証拠と言うわけではないけれど、あの事件から現在までわずか8年ほどしか経ってないにも関わらず、金融危機を題材にしたコメディ映画の多さと言ったらない。例えばベン・スティラーとエディ・マーフィの共演が話題を呼んだ『ペントハウス』(11年)。一見すると単なる泥棒コメディなのだけど、実際はスティラー扮する高級タワーマンションの管理人が、従業員仲間の年金を詐欺まがいの投資で台無しにしてしまった悪徳投資家へのリベンジを描いたものだった。 やはり一見お気楽な刑事コメディに見えるウィル・フェレルとマーク・ウォールバーグの共演作『アザー・ガイズ 俺たち踊るハイパー刑事!』(10年)も地道に働く庶民を食い物にする金融機関の横暴がテーマだった。エンド・タイトルでは金融危機を引き起こしながら、法律で裁かれた金融関係者が殆ど居ないことが具体的なデータで挙げられている。 この隠れた意欲作の監督兼脚本家を務めたアダム・マッケイが、クリスチャン・ベールやスティーヴ・カレル、ブラッド・ピットといった豪華キャストを迎えて撮ったのが、今年のオスカー賞レースで数多くのノミネートを獲得した『マネー・ショート 華麗なる大逆転』(15年)だった。 サブプライム市場の崩壊を事前に予測した金融トレーダーたちの活躍を描いた実録映画ではあるものの、巨額の利益を上げながら主人公たちの表情がいずれも冴えなかったのが印象的だった。無理もない。金融市場が崩壊したことで確かに銀行の首脳陣は退陣を余儀なくされたけど、その際に彼らが億単位の退職金を得ていたのに対して、庶民は不況の影響で仕事を失い、巨額の負債に苦しむことになったのだから。 ブラック・コメディとしても鑑賞可能なデヴィッド・フィンチャー監督作品『ゴーン・ガール』(14年)の主人公であるニックとエイミーも、金融危機をきっかけにマスコミ界の仕事を失い、夫の故郷のミズーリ州に都落ちせざるを得なくなった夫婦だ。引っ越し先で妻のエイミーが引き起こす事件は、元の生活に戻ろうとするあまりの行為だったことを考えると、たしかにヒドい人ではあるものの(詳しくは映画を見れば分かる)彼女だってある意味、金融危機の被害者だったと言えないこともないのである。 そして『ふたりのパラダイス』の主人公であるジョージとリンダもまた金融危機の被害者といえる。しかも都落ちを決意するまでの経緯は『ゴーン・ガール』のニックとエイミーそっくり。但しその行き先をヒッピー・コミューンにしたことで、もっとブライトな笑いに満ちた仕上がりになっている。 資本主義から逃れて自由な生き方を模索するヒッピーたちが、都会から離れて農村や山奥に集団で住むことによって自給自足を試みた共同体がヒッピー・コミューンである。 「ヒッピー・コミューン?『イージーライダー』には出てきたけど、そもそも今も実在するの?」そう思ってしまう日本人は多いかもしれない。たしかに全盛期である60〜70年代に比べると随分と数は減ってしまったけど、ヒッピー・コミューンは今もあちこちで存続中だ。ウィノナ・ライダーやジャック・ブラックのようにコミューン育ちのハリウッド・スターがいるくらいだし、その思想はシリコン・ヴァレーのIT起業家やブルックリンのヒップスターにも受け継がれている。 本作では、幻覚剤や無農薬農業、菜食主義、フリーセックス、そして新生児の胎盤食い(ヒッピーは動物が出産後に胎盤を食べることを真似て、煮たり焼いたりして食べているらしい。もっともとてもマズいらしいけど)といった<コミューンの儀式あるある>がことごとくギャグになっていて、ヒッピー・カルチャーを知っていたら最高に笑えること間違いなしだ。 こうしたヒッピー・カルチャーに翻弄される主人公のジョージとリンダを演じているのは、ポール・ラッドとジェニファー・アニストン。ふたりの共演は、『私の愛情の対象』(98年)で既に実現しており、アニストンの人気を決定づけたシットコム『フレンズ』の末期(02〜04年)にはラッドも準レギュラーで出演していたりと、その交流歴は長い。但し前者ではゲイの男とストレートの女性の親友同士、後者では「アニストンの親友の恋人がラッド」という間接的な関係だったので、今回が初めての男女関係を演じることになる。 何でも、ラッドの親友で本作の監督兼脚本家であるデヴィッド・ウェインから本作のアイディアを初めて聞いた際に、ラッドは「遂にジェニファーと本格共演する時が来た」と直感し、彼女を誘ったのだそう。多忙なジェニファーもそれに応えて、念願の共演が実現したというわけだ。私生活でも友人同士というだけあって、さすがに息はぴったりで、途中二人の間に隙間風が吹く際には、ハッピーエンドが分かってはいてもハラハラしてしまう。 そんな二人を、『『M*A*S*H』』(72〜83年)やウディ・アレン作品で知られるベテランのアラン・アルダ(奇しくも彼は『ペントハウス』で悪得投資家を演じている)や『ライラにお手あげ』(07年)の怪演が未だに忘れられないマリン・アッカーマン、『シックス・フィート・アンダー』(01〜05年)のローレン・アンブローズら個性派たちが好サポート。中でもコミューンのリーダー格のセスを演じるジャスティン・セローは、いかがわしさ満点で強烈な印象を残してくれる。 日本の映画ファンには『マルホランド・ドライブ』(01年)の映画監督役や『チャーリーズ・エンジェル フルスロットル』(03年)の悪役くらいでしか知られていないセローだけど、近年は『LOST』のクリエイター、デイモン・リンデロフが手掛けるミステリー・ドラマ『LEFTOVERS / 残された世界』に主演したことで人気爆発。また『トロピック・サンダー/史上最低の作戦』(08年)や『アイアンマン2』(10年)、『ロック・オブ・エイジズ』 (12年)の脚本も書いている才人である。 そんな多才な才能に惹かれたのか、アニストンとセローは本作での共演をきっかけに交際をスタート。昨年遂にゴールインを果たしている。結果的にポール・ラッドは親友のジェニファーに家庭という名のパラダイスをもたらしたのだった。 こうした事実を踏まえながら、リンダとセスの2ショット・シーンを観てみるのも本作の隠れた楽しみだろう。 Film © 2012 Universal Studios. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2016.02.15
男たちのシネマ愛④愛すべき、キラキラ★ソフィアたん(6)
飯森:最後に語っておきたいのが、ザ・シネマ社内で勃発した“「ブリングリング」ゲイ論争”です。 なかざわ:へ? どういうことです? 飯森:いや、あの作品が公開された時に、いつもの調子でうちのスタッフと感想や解釈について雑談していたんですけれど、僕は主人公の男の子がゲイだとは全く気付かなかったんです。本国のティーザー【注73】版ポスターには、主人公たちが格好つけてかけるサングラスだけが縦に並んでいて、そこに各キャラクターそれぞれの肩書きが書いてあるんですね。こいつが「首謀者」、こいつは「スター」みたいな感じに。で、この男の子のサングラスにはThe Right-Hand Manと書かれているんです。直訳すると「右手男」。これはどういう意味だろうと。日本では頼りにしている手下のことなどを「ボスの右腕」なんて呼んだりしますが、果たして英語の慣用表現でもそう言うのか?まあ、辞書で調べれば一発で分かったものを、調べるまでもなく、僕はマスタベーションのことだろうと即・思ったわけです(笑)。「右手が恋人」って表現が日本語にはあるじゃないですか。 なかざわ:はいはい、だったら左利きの人はどうするんだって話ですけどね(笑)。 飯森:左手だと他人に手コキされてるみたいでもっと気持ちいいという真面目な学説もありますが(笑)。まあ、それはいいとして、僕はThe Right-Hand Manというのを、オナニーしまくっている童貞野郎という意味に曲解したんです。 なかざわ:いやいや、英語でも「右腕」で正解ですよ(笑)。 飯森:首謀者である中国系の娘の右腕ってことが正解だったんですけどね。僕は、転校生で友達のいない主人公が、たまたま仲良くなった女の子とつるんで女子グループに入れてもらい、あわよくば誰でもいいから一発やらせてくれ!一番気が合う中国娘だったら最高だけれど、ハーマイオニー【注74】でも相手にとって不足はない、他の名も無き脇役みたいな娘たちでも一手ご指南願えるんだったら選り好みはしないんで是非とも!というわけで、彼女たちに気に入られようとワンチャン狙いでパシリとして仕える“童貞残酷物語”だと勘違いしちゃったんですよ。これがね、うちの女性スタッフによると「違う!彼はもともと男子グループよりむしろ女子グループにこそ入りたいようなメンタルの持ち主なんだ」と。男同士つるんでマッチョにスポーツなんかするよりは、女子に混じってファッションの話をしたいゲイの男の子なんだと言うんですが、悔しいことに僕には1ミリたりともゲイの要素がないので、当時はその解釈に納得いかなくて大論争にハッテン、もとい発展したんですよ。僕はゲイの考えは分からないけど、童貞の考え方なら理解できる。っていうか残念ながらそれしか理解できない。なので、主人公と主犯格の中国系の女子とは波長の合う親友、という描き方をソフィアたんはしていただけだったんですが、僕には主人公が彼女に惚れていて、やりたがっているようにしか見えなかった。そして、最後には捕まって刑務所送りになる。刑務所行きの護送車で、ダニー・トレホ顔【注75】とかアイス・キューブ顔【注76】が並ぶ囚人の中、ツルンとした顔の紅顔の美少年がただ1人。これはもう… なかざわ:完全にやられちゃうなと(笑)。 飯森:女子とやりたい一心で犯罪にまで手を染めちゃった童貞小僧が最後はダニー・トレホにやられちゃうという、まことに皮肉な、因果応報なお話でしたとさ!と綺麗にオチがつく解釈のはずだったんですけれど、うちの女性スタッフからは「どこをどう見たらそんな話になるんだ!ソフィアを汚すな!!」って憤慨されましてね(笑)。その後で、いろんな人の話を聞いても、僕以外は全員、あの子はどう見てもゲイじゃん?って言うんですよね。 なかざわ:まあ、確かに彼の立ち位置は微妙ですけれどね。明確に彼はゲイです、っていう直接的な描写もありませんし。 飯森:でも、彼がパリス・ヒルトンの家から盗んだ靴を、下着姿になって履くシーンがありますよね。 なかざわ:とはいえ、世の中にはノンケでも女装が好きな人は結構いますし、なにしろ、パリス・ヒルトンの靴ですから、思わず履いてみるっていうのも有り得ますよね。シャンパンを注いで飲む奴もいそうですけど(笑)。 飯森:それじゃ元彼のタランティーノじゃないですか(笑)。でも、ですよねえ!僕だって絶対に履いちゃいます。綺麗な女性芸能人の靴が手元にあったら、そりゃノンケだって普通は履いてみるでしょう。でもね、今となっては、この論争は勝負アリなんですよ。僕の完敗です。まず過去の監督やキャストのインタビューを見ると、「彼はゲイ」と明言していたんですよ。もちろん、映画は作り手のものではなく我々観客のものなので、受け手によって解釈は自由です。見る方がノンケだと感じたのならそれがその人にとっては唯一絶対の正しい解釈なんですけど、ただしこの論争に関しては、僕が全面的に間違っていたと負けを認めざるをえない。というのも、もしこいつがノンケだとしたら、今まで述べてきたソフィアたんの作家性と合致しなくなってしまうから。 最後に刑務所へ護送車で送られていく彼の表情がその決定的証拠です。罪の意識や後悔の念を感じているようには見えない。女子たちの誰かに童貞を捧げられなかった無念さも無論ありません。彼が脱童貞のために女子のパシリをしていたノンケなんだったら、ここで「女とやりたくて犯罪にまで手を染めたのに、結局やれず終いで、逆に男にやられちゃうのかよ、チキショー!」という顔をしていなければならない。でも、 それどころか、満足気な達成感すら見て取れるんです。微妙に眩しそうに微笑んでいるように見える。たまたま異性だった、恋愛には発展しえない親友の女子と、思いっきりやりたい放題を楽しんだ、そのキラキラした瞬間の数々、“10代キラキラ”と“ラブストーリー一歩手前キラキラ”を思い返して眩しそうに目を細めている。そう解釈したほうがよほどソフィアたんらしい。 なかざわ:そう考えると、彼女はセックスというものを、結構どうでもいいものに分類しているように思えますね。 飯森:だから、前月のヴァレリアン・ボロフチック特集の次にソフィア・コッポラを特集できるというのは、本当に良かったと思うんです。セックスというものが人間にとって欠くべからざる重要なファクターだというボロフチックに対して、セックス?恋愛?どーでもいいわ!というのがソフィアたん。彼女はそういう白か黒かみたいなことには興味がなくて、その中庸にこそホンワカとした機微のようなものを見出している。ここはぜひ、オジサンたちもボロフチックは見るでしょうから、今回ソフィアたんの作品にも触れていただいて、十代の頃に戻ってもう一度“キラキラ感”を体感して欲しいと思いますね。うおっまぶしっ! (終) <注73>一般的には本格的な広告展開を行う前の段階として、商品などの詳細を明かさないことで消費者の注意を喚起する宣伝手法のこと。映画やテレビドラマなどにおいても、作品のタイトルやイメージ画像のみを使用したポスターや予告編を流布し、その次に展開する正式なポスターや予告編へと繋げていく。 <注74>「ハリー・ポッター」シリーズのキャラクター。演じるのはエマ・ワトソン。1990年生まれ。イギリスの女優。「ブリングリング」では、空き巣に積極的に加わりながら家庭では良い子を演じ、事件発覚後は巻き込まれただけと主張する悪役を好演している。<注75>1944年生まれ。アメリカ出身の俳優。元ギャング。コワモテの悪役俳優として活躍し、「マチェーテ」シリーズ(’10、’13)で主演し注目される。<注76>1969年生まれ。アメリカ出身のラッパー、俳優。伝説のヒップホップグループN.W.A.の元メンバーで、映画に進出してからは出演だけでなく、製作、脚本、監督までこなす。 『ヴァージン・スーサイズ』©1999 by Paramount Classics, a division of Paramount Pictures, All Rights Reserved『ロスト・イン・トランスレーション』©2003, Focus Features all rights reserved『マリー・アントワネット(2006)』©2005 I Want Candy LLC.『SOMEWHERE』© 2010 - Somewhere LLC『ブリングリング』© 2013 Somewhere Else, LLC. All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2016.02.15
男たちのシネマ愛④愛すべき、キラキラ★ソフィアたん(5)
なかざわ:そろそろ「マリー・アントワネット」に行きましょうか。 飯森:これまでに説明したソフィアたんの良いところが全部詰まっていて、製作費的にも一番お金がかけられていて、しかもマリー・アントワネットという日本人にも馴染みのある題材を取り上げている、個人的なイチオシです。と同時に、実は僕が一時的にソフィアたんを嫌いになる決定的要因となった作品でもあるんですよ。というのも、司馬遼太郎【注46】なんかを好んで読んでいる僕みたいなオジサンが、マリー・アントワネットの映画を見に行くということは、当然のことながらドラマチックな歴史大作を期待していたわけです。ところが、お話は確かにみんなが知っているマリー・アントワネットの伝記なんですけれど、この映画にはドラマチックな要素が全くない。なので、歴史にロマンを求めるオジサンとしては、これにはカチンときちゃいましてね。「いいとこのお嬢ちゃんが俺の領分にまでチャラチャラ入ってきたな!あんたに歴史が分かるの!?」と。 なかざわ:実際、当時はそういった批判もありましたよね。 飯森:しかし、今となってはそんな自分の見る目の無さを恥じ入るばかりです。ソフィアたん、ごめんね…。彼女の作家性の核となるのが“キラキラ感”であることは申してきましたが、「マリー・アントワネット」も同じだったんですよ。歴史のロマンを描こうとしていなくて、見どころは“キラキラ感”なんです。特にこの作品は、彼女の作品群の中でもダントツに眩しい。見た目的にはキャンディ・ポップ【注47】で、サーティワン・アイスクリーム【注48】みたいなというか、マカロン【注49】みたいなというか、そういう色彩に溢れている。 なかざわ:実際にマカロンも出てきますしね。 飯森:衣装の色彩設計も本当にマカロンを参考にしたらしいです。でも、そんなドレスは当時存在しない。 なかざわ:時代考証的には完全に間違っていますよね。靴だってマノロ・ブラニク【注50】だし。 飯森:だから、公開当時は「こんなものけしからん!キューブリックの『バリー・リンドン』【注51】を見習え!」って無茶なキレ方をしていたんですが、でも見習わなくて本当によかった!だって、忠実な時代考証に基づいたドラマチックな歴史映画を見たければ、まさに「バリー・リンドン」を見ればいいんだから。ソフィアたんは確信犯で「従来のような歴史映画には絶対したくない」とはっきり宣言している。つまり、司馬遼好きの歴史オジサンなんて、はなっから相手にしていないんですよ。だから、本作で衣装を担当したのは「バリー・リンドン」でオスカーを獲ったミレーナ・カノネロ【注52】なんです。ミレーナ・カノネロ本人が、その、時代考証的には間違っているマカロン色の衣装も本作では手がけている。で、またアカデミー衣装デザイン賞を獲った。人と同じことを真似してやっても無価値ってことなんです。その当たり前のことに今回僕は初めて気づいた。 なかざわ:音楽だって’80年代のニューロマ系【注53】が中心ですし。バウ・ワウ・ワウ【注54】とかアダム・アント【注55】とかですよね。 飯森:そのバウ・ワウ・ワウのヒット曲「アイ・ウォント・キャンディ」【注56】が流れるシーンが、“キラキラ感MAX”なんです。フランス宮廷での生活に慣れてきて、楽しくて楽しくて仕方ないマリーは、めいっぱい浪費をするわけです。高いものや綺麗なものが大好き。どんどんお買い物をして、靴やらマカロンやらが堆く積み上がっていく。パーティーやって夜遊びもやる。そういう映像をパッパとつないでいくミュージックビデオのようなイメージシーンでその「アイ・ウォント・キャンディ」が流れる。あと、「ブリングリング」でパリス・ヒルトンの豪華なクローゼットを披露したように、本作でもありとあらゆるお洒落アイテムを収蔵したマリー・アントワネットのウォークイン・クローゼットが出てくる。 なかざわ:ファッション好きな人が見たら興奮が止まらないでしょうね! 飯森:“クローゼット・パラダイス”って言葉もまた作ってみたんですが、そろそろ作りすぎですかね(笑)。“クローゼット・パラダイス”は着道楽の人には堪らない、いつまででも見ていたいシーンですよ。あんなクローゼットがあったら、もうどれを着ていこうか悩まなくて済む。あらゆる色、素材の衣類やアクセサリーが自宅にある。「これと合う色がない」とか「素材感がチグハグ」とかいった朝の悩みから永久に解消される!どんなコーディネートも自由自在で、思いついたことが即・形にできる。パラダイスは天上になくてもよくて、自宅のあの程度の空間で十分なんだ、それを眺めているだけで観客は多幸感に満たされるんだ、って演出を最初に発明したのは「SATC」【注57】の方が先かもしれませんけど、ソフィアたんはこの「クローゼット・パラダイス」表現をさらに一歩進めてみせた。 あと、マリー・アントワネットは夜遊びにもはまって、夜な夜な無断外泊をしてパリの舞踏会で踊りまくるんですけれど、この朝帰りのシーンにも注目して欲しい。馬車に揺られたマリーが、徹夜明けでちょっとグッタリし、ガラス窓にもたれかかって朝焼けを眺めながら、パリの盛り場から自宅であるベルサイユ宮殿【注58】へと戻っていく。この感覚がね、渋谷で夜遊びをした若い子が始発の山手線に乗って、電車に揺られながら、東から昇る朝日の暖かさを頬に受けて自宅へと帰っていく、あの二十歳前後にしかない達成感と虚脱感の入り混じった感覚そのものなんですよ。オジサンになった今となっては遊びで徹夜なんて楽しくもなんともないから極力御免被りたい。体力的にあとを引くし仕事にも支障が出るし。でも若い頃は楽しかったでしょ?世界に対する征服感というか、つい数年前まで許されなかった夜遊びをして、見たことのなかった朝焼けを見るわけです。あの朝焼けは間違いなくキラキラしていたでしょ?その“キラキラ感”を、18世紀のフランスを舞台にした映画で再現しちゃっている。凄いことですよ! しかも、それが重要な意味を持つことを示すかのように、同じようなシーンは二度出てきます。同性・異性の友人たちグループと夜っぴて遊び疲れ、一緒に昇る朝日を見に屋外に行く時、疲れ切ってて会話もろくに無い状態で、朝焼けに刻々かわる空をグッタリ虚脱しつつウットリ陶然としながら、惚けたようにみんなで見つめる。その、彼ら込みの風景の、なんとキラキラしていることか! あと、オールナイトの夜会で旦那のルイ16世【注59】がベルサイユ宮殿へ帰りたがるくだりが出てくるんですよ。眠いし疲れたと。でも、マリーにとって夜はこれから。そこで彼女はこう言うわけです。「あなた、朝日の昇るところ見たことないでしょ?」と。朝日童貞だと。すると、旦那は「朝日くらい見たことあるさ!」と切り返す。「夜も明けきらないうちから公務で狩りに行くから、朝日なんて何度でも見たことがある」と言い返すわけです。野暮天としか言い様がないんですよ!するとマリーは「その朝日じゃないのよね…」という呆れ顔をしてみせる。つまり彼女が言っているのは、午前4時台の山手線の車窓から見える朝日、冒険の成果として獲得した朝日のことなんだけれど、ルイ16世にはその違いが分からない。 なかざわ:それもまた、ある年齢の若者だけが見ることのできる“キラキラ感”ですね。 飯森:ルイ16世が言っているのは、「部活の朝練で俺はいつも夜明け前に起きてる」とか「新聞配達のバイトで夜明け前に起きてる」とかですよね。どんだけ野暮天なんだよ陛下は!まぁ、遊び好きの女の子にとっては、あんまり一緒にいて楽しい奴じゃないだろうとは思いますね。 だから、ということでもないんですけど、先ほども言ったように、本作では「ベルばら」でもお馴染みのスウェーデン貴族フェルゼンが出てきます。マリー・アントワネットと運命の大恋愛を繰り広げた人物ですね。ところが、アンチ恋愛主義者と思われるソフィアたんは、まるっきりと言っていいほど彼との恋愛を描かない。ちょっとした恋の駆け引き的なセリフこそあれど、特にそこ広げるでもなくフェルゼンはフェードアウトしていきます。「ベルばら」だと例の野沢那智さん【注60】が声をやっていて、止め絵【注61】とか3回パン【注62】とかの出崎演出【注63】が大げさに炸裂して、一世一代、運命の恋が劇的に描かれているんですけどね。 なかざわ:ソフィアのロマンスに対する無関心って、清々しいくらいに一貫していますね。 飯森:そして、最後はフランス革命【注64】が起こるわけですが、そこは異常にアッサリ。これに僕なんかは公開時に噛み付いたんですが、ソフィアたんはそこを描きたいわけじゃないからアッサリだったんです。民衆がベルサイユ宮殿になだれ込んできて、マリー・アントワネットは彼らに対して深々と頭を下げる。それでも許されずにベルサイユを追放されてパリで幽閉されることになる。その際、馬車に乗せられて連れて行かれるのだけれど、同じ馬車に子供たちと野暮天の旦那もいる。その旦那さんとマリーは優しく見つめ合ってね、「酷いことになっちゃったけど、一人で連れて行かれるわけじゃないからお互いに良かったわよね、貴方もいるし子供たちもいるし…」みたいなことを、ふっと苦笑いみたいな微笑みで表現する。ルイ16世も同じように微笑み返す。幼いうちに政略結婚させられた上、ルイ16世は性的不能者だったらしいので、マリーは結婚後も7年くらいに渡って処女だったと言われています。つまり、好きで結ばれたわけではないし、二人の間に恋愛要素はなかった、一人は派手好きの遊び好きで一人は野暮天。だけど、それでも一応はいたわりあいながら共に生きてきた異性のパートナーとして描かれている。ラブストーリー一歩手前の男女を描いてきたソフィアたんの面目躍如たるところだと思います。ここにも“ラブストーリー一歩手前キラキラ”の眩しさがちょっとあったように記憶してます。この眩しさが描きたかったんでしょうね。どぎつい革命の流血沙汰なんか描きたくなかったんだろうと今なら分かります。 なかざわ:そう言われると確かにそうです。 飯森:ちなみに、マリー・アントワネットの夜遊び仲間として、ポリニャック夫人【注65】とランバル公妃【注66】が出てきます。ポリニャック夫人は仲間の中でも一番賑やかで騒々しくて、ランバル公妃はいつもニコニコしながら黙っている控えめな女性。そんな彼女たちが、その後どうなったのか。この映画では描かれていませんが、うるさい女ポリニャック夫人は真っ先にマリーを見捨てて亡命します。一方の大人しいランバル公妃はマリーのことをかばい、最期までともに行動をしたせいで暴徒に惨殺されてしまった。民衆はその首を棒に突き刺して、マリーのいる監獄の窓へ向かって掲げて見せたと言われています。お前もこうしてやるから覚悟しろ、ってことですね。フランス革命というのは、ある面では今のIS【注67】みたいな状態になっていたわけですよ。「余談ながら」とこういうエピソードをどうしても付け足したくなるのが、司馬遼オジサンの悪い盛り癖なんですけれど(笑)。 なかざわ:ポリニャック夫人を演じているのはローズ・バーン【注68】ですね。彼女はドラマ「ダメージ」【注69】の真面目な若手弁護士とか、映画「インシディアス」【注70】シリーズのお母さんの印象が強いので、しとやかで清楚なイメージだったのですが、そういう意味では異色のキャスティングでしたね。まあ、「ブライズメイズ 史上最悪のウェディングプラン」【注71】ではビッチな役どころでしたけど。 飯森:ランバル公妃役はメアリー・ナイって女優さんで、「誰だお前!?」って感じですけど、なんとビル・ナイ【注72】の娘さんということで、ソフィアたんとは七光りつながりのお友達なのかな?ふくよかで温厚そうで、セリフも大してない割にはすごく印象的で美味しい役でしたね。こんな女性が生首を串刺しにされたとはねぇ…劇中では出てきませんけど。 とにかく、フランス王国の国家財政を遊興で破綻させたという悪名高い歴史上の人物マリー・アントワネットを、ソフィアたんは“10代キラキラ”の次元まで引き戻してくることで、ちょっとはヤンチャもした全ての元10代が共感できる少女として見せているんです。買い物しまくって夜遊びして朝帰りしただけの女の子のお話。誰でも身に覚えのある若さゆえの放逸。「それって首まで斬られなくちゃいけないほどの悪かよ!?」と見終わった後で思わずにはいられない。今“お馬鹿セレブ”なんて呼ばれて叩かれている、パリス・ヒルトンとかそれに続く向こうの若い有名人の派手で無軌道なライフスタイルにしたって、彼らはマリー・アントワネット同様、我々庶民と違いカネを持ってるから乱痴気騒ぎのスケールがおのずと大きくなってしまうだけで、カネの無い我々にしても無いなりのスケールで若い頃は乱痴気騒ぎをしてたじゃないか。カネに比例したスケールの大小こそあれ、やってることの性質は同じ。誉められたものではないにしても、そこまで叩かれるべき悪なのか?大人ぶって常識ぶって叩けるほど我々元10代のオジサンは潔白だったっけ?なんてことまで思います。 いずれにしても、ソフィアたんの作品を振り返ってみると、彼女は単なる親の七光りでもなければ、ガーリーという言葉で片付けられる監督でもない。10代後半のキラキラをもう一度追体験してみたいという、全ての老若男女が見る価値のある映画を作り続けている、唯一無二の映像作家です。 なかざわ:それが彼女の作家性というものですね。 <注46>1923年生まれ。日本の小説家。「梟の城」で直木賞を受賞。歴史を題材にした小説で知られる。その他の代表作に「龍馬がゆく」「国盗り物語」など。1996年死去。 <注47>キャンディのようにカラフルでポップなアイテムなどのことを指す俗称。<注48>アメリカ発祥のアイスクリームのチェーン店。<注49>フランスを代表する焼き菓子。メレンゲに砂糖とアーモンドパウダーを加えたもの。カラフルな色合いと風味が人気。<注50>イギリスの高級靴ブランド。故ダイアナ妃やマドンナなどのセレブも愛用。 <注51>1975年制作、イギリス映画。全編をロウソクの光や自然光のみで撮影するなどし、18世紀ヨーロッパの雰囲気を忠実に再現した。アカデミー賞で4部門を獲得。スタンリー・キューブリック監督。 <注52>1946年生まれ、イタリアの映画衣装デザイナー。「バリー・リンドン」(’75)、「炎のランナー」(’81)、「マリー・アントワネット」(’01)、「グランド・ブダペスト・ホテル」(’14)で4たびアカデミー衣裳デザイン賞に輝く。<注53>正式名称はニューロマンティック。’70年代末から’80年代にかけて、イギリスから生まれたロック音楽のジャンル。代表的なアーティストはカルチャー・クラブやデュラン・デュランなど。 <注54>1980年に結成されたイギリスのロックバンド。日本でもTVCMに出演するなど大ブレイクした。 <注55>1954年生まれ。イギリスのロック歌手。’77年に結成したバンド、アダム&ジ・アンツでブレイクし、’82年の解散後はソロとしても活躍。 <注56>1982年に全英チャート9位をマークしたヒット曲。 <注57>1998〜2004年制作。アメリカのテレビドラマと、それをもとにした2008年と2010年の映画。NYに暮らすキャリア女性4人組の、奔放、かつ、お買い物中毒・ファッション・アディクトともいえる派手な暮らしぶりが話題となりヒット。<注58>1682年に建築されたフランスの宮殿。王族らが住んでいた。現在は世界遺産に指定されている。 <注59>1754年生まれ。フランスの国王。フランス革命で捕らえられて処刑された。1792年死去。 <注60>1938年生まれ。声優。2010年没。その代表作でありながらDVD/BD未収録だった『ゴッドファーザー』吹き替え特集をザ・シネマ10周年特集として放送し話題を集めた。前々回の対談のトークテーマ。 <注61>出崎演出の特徴の一つで、劇的なシーンでアニメの動きを止め、セル画調のベタ塗りではなく水彩画のような濃淡のムラのある一枚絵で印象を強調する手法。 <注62>出崎演出の特徴の一つで、映像で、キャメラを横に振ることが「パン」。それを同じ短い絵で3回リフレインして、印象を強調する手法。 <注63>止め絵や3回パン、透過光による逆光表現などを用いて、アニメにドラマチックな効果をもたらす演出術。出崎統は1943年生まれのアニメ監督。代表作は「あしたのジョー」(’70)や『エースをねらえ!』(’73)、「ベルサイユのばら」(’79)など。2011年死去。 <注64>18世紀後半に起きたフランスの市民革命。それまでの絶対王政から共和制へと移行した。 <注65>1749年生まれ。マリー・アントワネットの取り巻きとして、その優位な立場を私利私欲に使ったことで悪名高い。1793年、亡命先のウィーンで死去。<注66>1749年生まれ。マリー・アントワネットの女官。フランス革命時には国王一家を救うために奔走し、そのせいで1792年、暴徒に首を切り落とされた。 <注67>イスラミック・ステートの略。イラクやシリアの一部を支配しているイスラム過激派組織。 <注68>1979年生まれ。オーストラリア出身の女優。「トロイ」(’04)でブラッド・ピットの相手役を演じて注目される。 <注69>2007年から2012年まで放送されたアメリカのテレビドラマ。冷酷非情なベテラン弁護士パティと真面目な若手弁護士エレンの女同士の対決を描く。 <注70>2010年制作、アメリカ映画。怪奇現象に見舞われた一家の恐怖を描く。<注71>2011年制作、アメリカ映画。親友の花嫁介添え人に選ばれた女性を描くコメディ。アカデミー賞2部門ノミネート。 <注72>1949年生まれ、イギリスの俳優。「ラブ・アクチュアリー」(’03)の高齢者ロックシンガー役で英国アカデミー助演男優賞を受賞。代表作に「パイレーツ・ロック」(’09)、「マリーゴールド・ホテル」シリーズ(’12、’15)など。 次ページ>> ザ・シネマ社内で勃発!“「ブリングリング」ゲイ論争”の顛末 『ヴァージン・スーサイズ』©1999 by Paramount Classics, a division of Paramount Pictures, All Rights Reserved『ロスト・イン・トランスレーション』©2003, Focus Features all rights reserved『マリー・アントワネット(2006)』©2005 I Want Candy LLC.『SOMEWHERE』© 2010 - Somewhere LLC『ブリングリング』© 2013 Somewhere Else, LLC. 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COLUMN/コラム2016.02.15
男たちのシネマ愛④愛すべき、キラキラ★ソフィアたん(4)
なかざわ:ちなみに、これは全く個人的な感想なんですが、「ロスト~」は映画ライターとして非常に興味深い見所がありまして。まずはCM撮影で日本人監督の長い演技指導を、通訳がバッサリと一言で説明してしまうシーン。意訳しすぎ!っていう(笑)。 飯森:あそこは僕も爆笑しました。ウイスキーのCMで、ディレクターが「もっと感情を込めて!これ、サントリーの最上位のブランドなんだから、高級感を込めつつ、かつ、親友と再会した時のような、思いのこもった懐かしい口調(?)で、商品名を万感こめて言って」とか何とか無理難題を言って、熱っぽく指示を出しているのに、一言「もっとゆっくり言ってください」と通訳されちゃう。ビル・マーレイも「えっ、それだけ?彼は絶対もっと何か言ってたでしょ!」と当惑する。「高級感+懐かしい友と再会した時の感じ」は、確かに早口じゃダメにせよ、単に機械的にスローに言うだけでは表現できないでしょ! なかざわ:ああいう事態って、外タレの来日インタビューの現場において、さすがによくあるとまでは言いませんし、あそこまで大胆に端折る通訳さんもまずいませんけど、でも似たようなことはあるよね!とニンマリさせられました。私は多少なりとも英語が理解できるので、肝心な部分が省略されても外タレ本人のコメントから拾えますが、記者が全員英語が分かるわけではない。中にはだいぶ意訳してしまう通訳さんがいるんですよ。それでもせめてコメントの主旨が伝わればいいと思うのですが、省略しすぎたせいで発言内容の辻褄が合わなくなることもありますし、中には発音を聞き間違えて誤訳しているケースもあります。 飯森:僕も“記者会見あるある”だなと思いました。昔は来日記者会見にもよく行っていましたから。でも今の僕は、困ったことに、ああいう事態に当事者として巻き込まれちゃってるんですよ。まぁ、この CMディレクターさんみたいに偉くはないけど、僕もザ・シネマの様々な物作りをする上で、立場上は指示を出さないといけない側の人間じゃないですか。で、やはり「高級感を込めて」とか「親友と再会した感情を込めて」とか、そういった細かい感情のニュアンス指示は出しますよ。たとえや形容詞をあれこれ使い、映画のシーンやキャラを例に出して、どうにか細かいニュアンスまで相手に伝えようと長く話しちゃう。長い中のどこか一箇所でいいからピンときて、物を作る上で理解の鍵にしてくれたらと。しかしですねえ、15分も話したことが一言で済まされてしまう(笑)。そういう人が実際たまにいるんですよ!たとえば、「オシャレ」でも様々なニュアンスの「オシャレ」があるじゃないですか?「ブリングリング」のような今どきの若者っぽいオシャレさなのか、「ヴァージン・スーサイズ」のような’70年代っぽいレトロなオシャレさなのか。レトロと言ってもソフィアたん系か、それともタランティーノっぽいのがいいのか。その微妙な違いを伝えんがために15分も喋りまくって「そういうオシャレ感をもっとプラスして」と指示しているのに、「一言で言うともっとオシャレにってことですね!」で済まされちゃうと、「大丈夫かなぁ?」と心配になってくる。で、案の定、上がってきたものを見ると「そっちのオシャレじゃなくてこっちのオシャレだって説明したじゃんかよ!」みたいな齟齬が、よく生じる。一言で言えることなら15分も話してないって! なかざわ:日本語同士なのにロスト・イン・トランスレーションですか(笑)。 飯森:だから今回見直してみたら我がことのように共感できた。やたらめったら「一言で言うと」って話を単純化したがるのはよくない。それって「細かいことはどうでもいい」と言ってるのと同じですから。少なくとも、ウイスキーのCMとか映画チャンネルとかで、人と一緒に情感を視覚化するような表現の仕事においては、細かいことこそが重要なので大変よくない。いわんや通訳も。無口な通訳なんて、職場放棄ですよそれ。とにかく、そんなような、似たような経験のある人は、あそこでは笑えると思います。ただ、公開当時の僕には幸か不幸かまだそういう愉快な人生経験が足りなかったので、そこでは笑えず、全編東京ロケという点だけが唯一この映画の引きの部分だった。 なかざわ:その東京ロケの描写というのも、そこを日常の生活の場として暮らしている我々とはちょっと違う視点ですよね。確かに東京ではあるんだけれど、僕らの知っている東京とは印象が異なる。あれって、ホテルの窓から東京の表層だけを眺める異邦人の肌感覚なんですよ。取材で頻繁に海外を訪れる僕としても、それはすごく良くわかる。たとえばロサンゼルスには数え切れないほど行っていますが、僕の知っているロサンゼルスと、そこに住んでいる人のロサンゼルスは違うはずです。だから、公開当時あの作品に出てくる東京や日本人の描写に違和感を覚えた人も多かったと思うんですが、似たような経験をしている僕から見れば、逆に極めて正確だと思うんです。そもそも、生活習慣も考え方も違う外国人の見る日本が奇妙に見えるのも仕方がない。 飯森:監督自身も、短期間ではあるけど実際に日本に滞在していた経験があるらしいので、決して嘘臭い描写は無いんですよね。たとえば、「47RONIN」【注42】のように無茶苦茶な勘違いや間違いはない。逆に、そうした異邦人の感じるアウェイ感をちゃんと捉えている点は地味に凄いと思います。 あと、僕は長いこと日本のドラマやお笑い番組を全く見ていないんですけれど、この作品で「Matthew’s Best Hit TV」【注43】っていう日本のバラエティー番組が出てくるじゃないですか。そこにハリウッド俳優がゲストで出演するわけですけど、日本のお笑い文化を理解していないから、「これのどこが面白いの?」とキョトンとしてしまう。あれは普段バラエティーを見ない僕としては激しく同意しましたね。“日本のお笑いあるある”。 なかざわ:日本人では飯森さんくらいかもしれませんよ、そこで共感したの(笑)。 飯森:よく日本人で「アメリカのコメディーはつまらない」と言ってる人がいますが、それって単に「所変われば品変わる」ってだけの話で、相手からも同じことを逆に言われているんですよ。優劣じゃないってことですね。 あと面白いなと思ったのは、劇中でハリウッド俳優に付いて回る日本企業の担当者が、広告代理店の社員を紹介するシーン。スターは5~6人の日本人から次々と名刺を渡されて挨拶をするのだけれど、あれって日本人的にはよく見る光景ですよね。でも、よくよく考えると意味がなくて、無駄な習慣というか、はっきりと困った悪習だったりする。 なかざわ:ああいう、現場に直接関係のない人をズラズラと連れてくるのって、僕の知る限りでは日本特有の光景ですよ。たとえば、日本だとタレント1人につき事務所の関係者や広告代理店、スポンサー企業など、なんでこんなにいるの!?ってくらい大勢の人間が金魚のフンみたいについてくる。まあ、タレントの知名度によって人数も変わりますが。あんな光景、海外では見たことないですよ。それこそ、ハリウッドのベテラン大物俳優さんだって、自分で車を運転して1人で取材現場にぶらりとやってくることもありますし。基本的にマネジャーすら付いてこない。とあるエミー賞【注44】の主演女優賞を取ったこともある有名な女優さんなんか、取材が終わって会場ビルの玄関前に一人でタクシーを待っていましたから。「あれ!?何やっているの?」って聞いたら「車を修理に出しているから今日はタクシーなのよ。ガードマンに電話で呼んでもらったから、もうすぐ来るはず。車がないって不便よねえ」だって(笑)。 飯森:それ超カッコいい!自立してるというか大人というか。いや、僕もあの日本式の無駄な光景を見ていると「ガキの使いじゃあるまいし…」っていつも思いますよ。なんなんですかねあれは?これに限っては優劣の問題かもしれませんね。アメリカは良くて日本の悪い面。当ザ・シネマでは、ゾロゾロと連れ立って詣でるのは絶対厳禁にしている。だから今日のこの取材だって、いつも僕が独りぼっちで単身フラリと東京ニュース通信社さんにお邪魔してるぐらいです(笑)。そもそも相手に失礼じゃないですか。現場で何をするわけでもない随員から次々と名刺を貰ったって迷惑なだけですよ。 なかざわ:しかも、その人たちと今後何かしらの関わりがあるのかといったら、ほとんどないですからね。形式だけの習慣はやめて貰えますか?って思います。 飯森:本当にあんたの顔と名前も覚えなきゃいけないの?限りあるオジサンの記憶力を無駄遣いさせないでよ!と。でも、あの光景を普通のことだと思っている大方の日本人は、普通にスルーしてしまったシーンかもしれない。いや、あそこ笑うところですから!恐らくソフィアたんは日本滞在中に実際そういうことがあって衝撃を受けたからこそ、あのシーンを脚本で書いたんだろうと思います。だから、この作品は我々日本人が気付かない日本独特の不条理を描いたコメディーとしても楽しめるんです。 ソフィアたんの映画って、お高くとまっているようでいて結構お茶目なんですよね。「SOMEWHERE」でも、主人公が次の映画で老けメイクが必要だというので、石膏を使ってマスクの型どりをすることになる。で、顔中に石膏を塗られるんだけど、その鼻の穴だけ開いて喋れない状態のまま、カメラはずーっと主人公の顔だけを撮り続けるんです。聴こえてくるのはスーコースーコー鼻息だけ。あそこはなんとも間抜けで笑える。「長えよ!」って。 なかざわ:子供の頃から慣れ親しんだハリウッド業界の、実は間抜けで笑える裏側というのを随所でさらっと描くのも彼女の映画の面白さかもしれません。 飯森:そういう絶妙なギャグセンスも彼女にはありますね。ある面ではコメディーなんです。 なかざわ:だから、特定のカテゴライズが出来ない監督ですよね。 飯森:いわゆるハリウッド・メジャー【注45】とは違う点だと思います。ラブコメとか、アクションとか、お決まりの型にはまらないところが。ジャンル・ムービーじゃないんですよね。 <注42>2013年制作、アメリカ映画。日本の「忠臣蔵」を独自に解釈して映像化したものの、もはや日本ですらない無国籍な風景や美術デザイン、衣装デザインなどが失笑を買った。 <注43>2001年~2002年に放送された音楽バラエティー番組。藤井隆の扮するキャラクター、マシュー南が司会を務める。<注44>テレビ番組などに関する様々な業績を称える賞で、1949年より毎年開催されている。世界のテレビ業界で最も権威があり、テレビ版アカデミー賞とも呼ばれる。 <注45>ワーナー・ブラザーズや20世紀フォックスなどハリウッドの大手映画会社、およびそこで作られる映画作品のこと。 次ページ>> 「マリー・アントワネット」 『ヴァージン・スーサイズ』©1999 by Paramount Classics, a division of Paramount Pictures, All Rights Reserved『ロスト・イン・トランスレーション』©2003, Focus Features all rights reserved『マリー・アントワネット(2006)』©2005 I Want Candy LLC.『SOMEWHERE』© 2010 - Somewhere LLC『ブリングリング』© 2013 Somewhere Else, LLC. All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2016.02.15
男たちのシネマ愛④愛すべき、キラキラ★ソフィアたん(3)
飯森:次に「ロスト・イン・トランスレーション」【注29】と「SOMEWHERE」【注30】をセットで喋らせて頂きたいと思います。「ロスト~」はアカデミー脚本賞に輝いた作品ですが、日本人にとっても「マリー・アントワネット」【注31】と並ぶソフィアたんの代表作として知られているかもしれません。なにしろ東京が舞台ですし。主人公はウイスキーのCMに出演するため来日したベテランのハリウッド俳優と、お洒落なファッション・フォトグラファーの夫にくっついてきた大学出たばかりの新婚奥さん。この2人がたまたま同じホテルに宿泊するわけです。 なかざわ:新宿のパークハイアット東京【注32】ですね。 飯森:このハリウッド俳優の置かれた状況がまさにロスト・イン・トランスレーション状態で、言葉が通じなかったり、日本人の習慣や感性が分からなかったりする。CM撮影やスチール撮影の現場で、どうにも歯車の噛み合わないもどかしさを感じているわけです。一方の若妻の方も旦那がさっさと一人で撮影旅行に出かけちゃって、いきなり右も左もわからない新宿に一人で放置される。そんな彼らがホテルのラウンジ・バーで知り合い、お互いにアメリカ人だってことで言葉を交わしていくうち、だんだんと仲良くなっていくわけです。で、誰かと一緒にいるってハッピーなことだな、と噛み締めながら、あっという間に東京滞在の期間が終わってしまい、それぞれの人生へと戻っていく。 なかざわ:面白いのは、お互いに親近感というか、惹かれあうものがありながらも、具体的にロマンスへは踏み込まないんですよね。 飯森:そこですよ!決してロマンスには行かない。でもベッドシーンはあるんです。そこは後ほど説明しますね。で、もう一方の「SOMEWHERE」ですけれど、これもハリウッド俳優の話。主人公は人気のアクションスターで、ロサンゼルスのシャトー・マーモント【注33】という実在するセレブ御用達の高級ホテルで暮らしながら、自堕落な生活を送っている。暇になると部屋にポールダンサー【注34】を呼んでエロ踊りを踊らせたり、映画スターの余得で向かいの部屋の宿泊客とセックスしちゃったり。そこへ、離婚した奥さんが連れて行った中学生くらいの愛娘が転がり込む。元奥さんの都合で、しばらく娘を預かることになるんです。それで一緒にお出かけして、一緒にご飯を食べて、一緒にTVゲームをする。なんてことはない娘との時間を過ごす。最後も別にドラマチックに娘と死に別れたりするわけでもなく、ただ単に預かり期間が終わったので娘が去っていくだけで、映画はアッサリおしまい。 なかざわ:確かサマーキャンプに行くんですよね。 飯森:で、その娘といた時間というのがまた、なんともキラキラしているんですよ。「ロスト~」の主人公たちの東京滞在もキラキラしていた。このキラキラは先ほどの「ヴァージン・スーサイズ」や「ブリングリング」の“10代キラキラ”とはちょっと性質が違うので、“ラブストーリー一歩手前キラキラ”と名付けたい。ショッキングなことを言うと、実は「SOMEWHERE」にもベッドシーンはある。父娘の間で。「ロスト~」でもハリウッド俳優と若妻のベッドシーンがある。 なかざわ:ただ一緒にベッドで横になっているだけでしょ? 飯森:そう!そういう意味での文字通りの“ベッドシーン”で、これは意図的だろうと思うんですよ。ラブストーリー一歩手前だからベッドの上では何も起きない。そもそも「SOMEWHERE」でそれが起きたら大変です!ボロフチック【注35】になってしまいますから(笑)。主人公はラブストーリーには絶対に発展するはずのない男女。「SOMEWHERE」は父娘だから当たり前ですが、「ロスト~」だってそうだと思いますよ。あの映画を恋愛映画だと言っている人もいますけど、本当か!?と。スカーレット・ヨハンソン【注36】がビル・マーレイ【注37】に恋愛的な意味で惚れていたと思いますか? なかざわ:思わないですよ。親愛の情は抱いていたと思いますけど。 飯森:そう!まさに「親愛の情」としか表しようのない感情ですよね。ビル・マーレイにしたって、確かに一般論として男は下心が最優先になる不便な生き物だけれど、彼という役者の場合、そんな印象をほとんど受けない。若い頃からそういう俳優で、女を食っちゃうにしても飄々とした斜に構えた感じを若いのに漂わせてましたけど、この歳になるとその方面では完全に枯れ果てた出涸らしに見える(笑)。あの天下のスカヨハのプリケツを前にして、しかもベッドで一緒に寝るのに!だから、恋に落ちることは絶対ないカップルに見えるんです。 なかざわ:最後にキスをして別れますけど、あれも恋愛のキスではなく親子のキスみたいな印象でしたし。 飯森:どちらの作品でも主人公たちは“デート”をしますが、でも、「今日はパパとデート」、「今日は異性の知人とデート」っていうノリですよね。〆でホテルに行かない方のデート。その楽しそうな時間を支配しているのは、またしても“キラキラ感”。ベッドを共にしても、例えば「ロスト~」の場合だと寝転がってお悩み相談大会になっちゃうし、「SOMEWHERE」ではベッドの背もたれに寄りかかって一緒にアイス食いながらテレビを見ている。恋愛一歩手前とか、父娘とか、男女のフレンドリーな関係の心地よさが、この2作品ではキラキラした感じで描かれているんです。 なかざわ:他者と繋がって心が触れ合うことで、前向きに生きていけるようになるというテーマが、どちらでも共通しているように思いますね。 飯森:「SOMEWHERE」の父親は泣いていましたよね。娘がいなくなったことで、またあの空っぽな生活に戻らねばならないのかと慄然とする。娘とのあのキラキラした日々が、いかに充実していたかを思い知らされるわけです。 なかざわ:確か最後に車を乗り捨てますよね。 飯森:そう、最初のシーンではフェラーリらしき車に乗ってグルグル回っていて、あれは解釈に苦しみましたが、ラストではフェラーリを乗り捨てていました。 なかざわ:あれって、それまでの自堕落な生活との決別を心に決めた瞬間だと思うんですよ。 飯森:だから冒頭ではフェラーリで同じ所を無意味にグルグル回ってたんだ!フェラーリは虚栄の象徴か! なかざわ:そういうことだと思います。 飯森:あとね、これは僕の私見なんですけれど、ソフィアたんは恋愛が嫌いだと思うんです。「ヴァージン・スーサイズ」でも、確かに近所の小僧どもはリスボン家の美人姉妹に憧れますけれど、彼女らは自分たちだけの閉鎖された世界でキャッキャしていて、外の男子と恋愛する気がなさそう。小僧どもはそれを遠くから指をくわえて見守ることしかできない。 なかざわ:彼女たちはさながら妖精のサークルですよね。 飯森:唯一恋愛っぽくなるのは、ジョシュ・ハートネット【注38】演じるイケメンの不良に三女のキルステン・ダンスト【注39】が憧れる展開ですけど、これにはとんでもないオチが付く。あの美少年が25年後にはどうなっているか。「あんた少女時代にイケメンから何か酷い目にでも遭わされたの!?」とソフィアたんの恋愛相談に乗ってあげたくなる、それくらい、憎悪さえ込めたような衝撃の展開(笑)。だから、彼女は恋愛が嫌いなんじゃないかと思えるんです。まあ、小僧どももジョシュ・ハートネットも原作通りではあるんですが。 なかざわ:そういえば、ソフィア・コッポラの作品で純然たる恋愛映画ってないですよね。 飯森:「ブリングリング」も主人公の転校生はゲイだから、親友の女子と意気投合こそすれ恋愛には発展しえない。あとで話す「マリー・アントワネット」ではフェルゼン【注40】が出てきますけど、「ベルサイユのばら」【注41】とは大違いで、何も起こらない。もしかすると、ソフィアたんの理想というのは、この人とは恋に落ちることはないけれど一緒にいるとすごくハッピーになれる、そんな異性のパートナーがいるって素敵じゃない?ってことなのかもしれない。女だからってラブストーリーを描くと思ったら大間違い、恋だの愛だのなんて私大っ嫌いなのよ!ダサっ!!とでも言わんばかりの剣幕を感じてしまう。勝手にそう僕が感じてるだけなんですが、本当に、過去に何かあったのか(笑)? <注29>2003年制作、アメリカ映画。アカデミー賞では作品賞など4部門にノミネートされ、脚本賞を獲得。 <注30>2010年制作、アメリカ映画。ヴェネチア国際映画祭では最高賞の金獅子賞を受賞。 <注31>2006年制作、アメリカ映画。アカデミー賞の衣装デザイン賞を受賞。 <注32>新宿新都心の新宿パークタワーに入居しているホテル。 <注33>1929年に創業したロサンゼルスのホテル。フランスの古城シャトー・アンボワーズを模したヨーロッパ風建築で、古くからハリウッド映画人に人気がある。 <注34>垂直の柱を使用したアクロバティックなダンスを踊るダンサーのこと。現在ではダンス競技の一種として認められているが、もともとはストリップクラブの出し物の一つで、本作に登場するポールダンサーもストリッパー。 <注35>ヴァレリアン・ボロフチック。1923年生まれ。ポーランド出身のフランスの映画監督。タブーを恐れない大胆な性描写で有名。代表作は「インモラル物語」(’74)など。2006年死去。ザ・シネマ10周年記念として前月に特集を組んだ。前回対談のトークテーマ。 <注36>1984年生まれ。アメリカの女優。本作では若妻役を演じる。そのほかの代表作には「真珠の耳飾りの少女」(’03)や「それでも恋するバルセロナ」(’08)、「アベンジャーズ」(’12)など。 <注37>1950年生まれ。アメリカの俳優。本作では中年のハリウッド俳優役。その他の代表作には「ゴーストバスターズ」(’84)や「3人のゴースト」(’88)、「天才マックスの世界」(’98)など。 <注38>1978年生まれ。アメリカの俳優。代表作は「パール・ハーバー」(’01)や「ブラックホーク・ダウン」(’01)、「ブラック・ダリア」(’06)など。 <注39>1982年生まれ。アメリカの女優。代表作は「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」(’94)、「スパイダーマン」(’02)、「メランコリア」(’11)など。 <注40>「ベルサイユのばら」に登場するスウェーデン貴族。モデルとなったフェルセン伯爵もマリー・アントワネットの愛人だった。映画に登場するのは、こちらのフェルセン伯爵の方。 <注41>池田理代子による日本の漫画。フランス革命前後を舞台に、マリー・アントワネットら実在の人物と男装の麗人オスカルなど架空キャラクターの激動の運命を描く。宝塚歌劇団による舞台化を契機に空前の大ブームを巻き起こし、テレビアニメや実写映画にもなった。 次ページ>> 「ロスト・イン・トランスレーション」&「SOMEWHERE」(続き) 『ヴァージン・スーサイズ』©1999 by Paramount Classics, a division of Paramount Pictures, All Rights Reserved『ロスト・イン・トランスレーション』©2003, Focus Features all rights reserved『マリー・アントワネット(2006)』©2005 I Want Candy LLC.『SOMEWHERE』© 2010 - Somewhere LLC『ブリングリング』© 2013 Somewhere Else, LLC. All Rights Reserved