COLUMN & NEWS
コラム・ニュース一覧
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COLUMN/コラム2016.05.28
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2016年6月】キャロル
あらすじ:とある悪党一味の強盗現場を目撃してしまった牧場主ダン。他人事に首を突っ込む余裕などない彼でしたが、家族を守るためにどうしてもお金が必要だったので、200ドルの報奨金を目当てに一味の首領ジョン・ウェイドをユマにある牢獄まで護送する危険な役目を買って出ます。ところが、ダンは首領のジョンから「逃がしてくれたら1万ドルやる」と高額な話を持ちかけられます。ユマ行きの汽車が到着するのは3時間後の3時10分。ダンの心はお金と正義の間で揺れ動くのですが、やがて汽車が到着し・・・というお話。 主人公の牧場主ダンを演じるのは名作『シェーン』で父親を演じたヴァン・ヘフリン。カネのためだけに動いていた無愛想な男が、最後は正義のために決死の覚悟で任務を遂行する―・・・。移り行く心理の絶妙な表現や、迫真に迫る演技には思わず手に汗を握ってしまいます。 そして首領ジョン・ウェイドを演じた、当時ハリウッドで絶頂期を迎えていたグレン・フォードのカッコ良さといったらもう!最初の登場シーンから「何か違う」オーラをビンビンに放っていて、白黒の画面がどうしてこれほどまでに華やぐのでしょう。まるで吸い込まれてしまいそうなブルーの瞳に(色は妄想です)、一瞬で恋に落ちてしまいそうになります。悪党なのに!ダメなのに!でもどうにも止まらない! さてそんな二人が何度も何度も駆け引きを繰り広げ、最後に行き着いた結末とは―? 汽車が到着するまでの限られた時間の中で繰り広げられるサスペンスフルな心理戦、スリル満点の銃撃戦、そして最後に一撃喰らわされる驚きの結末。男気溢れる骨太なドラマを、日曜10時<シネマ・ウェスタン>で是非お楽しみ下さい。 Copyright © 1957, renewed 1985 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2016.05.18
ドリー・尾崎の映画技術概論 〜第2回:編集〜
■編集の成り立ち 「編集」は、映画を映画たらしめる最大の要素だ。ショットとショットを繋ぐことで、そこに意味を持つドラマやストーリーが生まれる。さらには時間や空間の跳躍を可能にし、無限の表現や可能性をもたらしてくれるのだ。 まず成り立ちだが、アメリカ映画を主体として考えた場合、起源は110年前にさかのぼる。『大列車強盗』(1903)で知られるエドウィン・S・ポーターが、イギリスで発展の途中にあった「ショットとショットを編んでストーリーを語る」という概念を自作に用い、編集のベースを築いたといっていい。さらにそれを『國民の創生』(1915)『イントレランス』(1916)のD・W・グリフィスが精巧に磨き上げた、というのが定説だ。前者は物事を順々に追っていく絵物語的な構成や、別地点を捉えたショットどうしを交差させるパラレル(並行)アクションなどを確立させ、後者は過去回想や、ショットからショットへのよりシームレスな連結、パラレルアクションのさらなる多層化など、ジャンルの草創期において編集技法の基礎を形作っている(グリフィスが「アメリカ映画の父」と称されるゆえんはそこにある)。 併せて1920年代のロシアでは、ショットのつなぎ方によって違う印象を観る者に抱かせる「クレショフの実験効果」や、ショットとショットの衝突が新たな要素や概念を生む「弁証法モンタージュ」など、レフ・クレショフやセルゲイ・エイゼンシュテイン(『戦艦ポチョムキン』(1925))といった映画作家たちの手で、編集が高度に理論化されていく(ロシアで編集理論が発達したのは、識字率の低い民衆に社会主義を啓蒙するためとも、またフィルムが高額だったためとも諸説ある)。 大略ではあるが、こうした世界各地での研究によって映画の編集は様々な方法を確立させ、より完成されたものになっていったのである。 ■アナログ編集からデジタル編集へ 編集の作業だが、映画がフィルムを媒体としていた頃は、フィルムを切り貼りして繋げるアナログなプロセスが踏まえられてきた。撮影したネガから編集用の素材プリントを焼き、それをもとにエディター(編集者)と以下スタッフらによって「粗編集」が施される。さらにはその粗編集を監督やプロデューサー、あるいは撮影監督らの意向にしたがい完成版へと整えていき、最終的には完成した形に沿ってネガを編集していく(ファイナル・カット)。こうしたスタイルの作業を「リニア(線形)編集」といい、「ムビオラ」や「ステインベック」「KEM」といった、スコープで映像を覗きながら編集点をチェックしていく専用機が、それを下支えしてきたのである。 デジタルを媒体とする現在、映画は撮影された映像をHDDに取り込んで管理し、コンピュータ上で専用ソフトを用いて編集作業をする「ノンリニア(非線形)編集」が主流となっている。初めの頃は撮像済みのフィルムをスキャンしてデジタルデータへと変換する必要があったが、カメラ自体がデジタル機器化し、フィルムレスになった現在、フルデジタルによるワークフローが確立されている。 ■デジタル・ノンリニア編集への布石~コッポラの「エレクトロニック・シネマ」構想とルーカスの「EditDroid」~ 映画におけるノンリニア編集の可能性は、デジタルの興隆以前から模索されてきた。初期のものでは1970年代に「CMX」という、ビデオベースのリニア、ならびにノンリニア編集システムが開発されている。しかし映画の世界へと持ち込むにはコストが高く、パフォーマンスも不充分であるなど問題が多かった。 こうしたビデオベースの編集システムが映画に用いられたのは、1982年、フランシス・フォード・コッポラ監督によるミュージカル恋愛劇『ワン・フロム・ザ・ハート』の製作現場においてだ。かねてより「エレクトロニック・シネマ」という構想を抱いてきたコッポラは、撮影から編集まで映画を一貫した体勢のもとに創造できないかという計画を練っていた。同作で実現したそれは、大型トレーラーに音響と映像コントロール機器を搭載し、それをスタジオと連動させることで、撮影から編集までを一括管理のもとに行なえるというものである。編集に関していえば、103CエディターとソニーのベータマックスSLO-383ビデオレコーダーを用い、オフライン編集(ネガ編集のためのデータ作成)を可能とするシステムが組まれている。同作の北米版2枚組DVDに収録された映像特典“Electronic Cinema”の中で、Avid社のデジタル編集システムの共同開発者であるトム・オハニアンは「このコンセプトこそが後のデジタル・ノンリニア編集の先駆け」だと称揚している。 また、そんなコッポラの弟子筋にあたる『スター・ウォーズ』(77〜)シリーズのジョージ・ルーカス監督が開発に関わった「EditDroid」という編集システムも無視できない。これは映像素材をレーザーディスクに保存し、それをコンピュータで操作し編集を実行するというものだった。高額やスローアクセスなどのデメリットもあり、残念ながら普及はしなかったものの、これもデジタル・ノンリニア編集のコンセプトを持ち、後のAvid編集システムのベースとなった重要なシステムといえる。 そう、そして時代はコンピュータとデジタル技術の発展を促し、それをベースとする編集システムを世に送り出していく。1989年、Avid社は自社製ワークステーションとソフトウェアによるノンリニア編集システム「Avid」を開発。映画に新たなデジタル編集の革命をもたらした。膨大な撮影素材に素早くアクセスできることで、作業に格段のスピードを与え、結果、フィルムプリントを繋いでいた頃と比べてショットの組み合わせが多様になり、より巧妙で複雑な編集を可能にしたのだ。 ■デジタル編集の功罪? カオス・シネマ こうしたデジタル編集システムを最大限に活かした監督に、オリバー・ストーンがいる。氏は伝説的ロックグループを描いた映画『ドアーズ』(91)でEditDroidを試験的に用い、最大8台のカメラで撮影した50万フィートに及ぶ素材を140分、約3900ショットにまとめている。さらにはAvidとしのぎを削ったデジタル編集システム「LIGHTWOEKS」を導入し、オプチカル合成ショットだけでなんと2000ものショット数を超える『JFK』(91)を手がけたのだ(ジョー・ハッシングとピエトロ・スカリアは本作で第64回米アカデミー編集賞を受賞)。さらにNFLの試合を圧倒的な迫力で演出した『エニィ・ギブン・サンデー』(99)では、6人もの編集担当が9台のワークステーションを駆使し、全編7000ショットに迫らんとする細切れのショット編集を極めている。70年代には1000~2000ショットを平均としたハリウッド映画に比べると、驚異的ともいうべき数字の膨れ上がり方だ。 こうしたストーンの編集アプローチは、近年「カオス・シネマ」と呼ばれ、一部では揶揄される傾向にあるようだ。『トランスフォーマー』(07〜)シリーズのマイケル・ベイや『ボーン・スプレマシー』(04)『キャプテン・フィリップス』(13)のポール・グリーングラスなど、ショットを細切れにさばいて編集する監督の存在は、今や決して珍しくはない。彼らがトライする、めまぐるしくショットの変わる編集はアクション・シークエンスをエキサイティングに表現し、観客の興奮を大いに高める。だがいっぽうで、一連の動きの流れを分かりづらくしているという批判も存在する。 ただ、デジタル・ノンリニア編集が「カオス・シネマ」の悪しき創造主なのかと問われれば、そこは微妙だ。かつてマイケル・ベイはアクション大作『ザ・ロック』(96)をAvidで編集し、上層部を招いてスクリーン試写をしたところ、ガチャガチャして画面上の状況がわかりづらいという指摘を受け、再編集を余儀なくされるという失敗を経験している。以来、当人はデジタル編集には警戒心を持って臨んでいると語っており、またポール・グリーングラスは「シネマヴェリテ」と呼ばれるドキュドラマの手法のもと『ブラディ・サンデー』(02)を手がけ、もとよりショットを積みかさねて臨場感を出すやり方は自己流のものだ。 映画編集の第一人者であり、Avid編集システムを用いた『イングリッシュ・ペイシェント』(96)で第69回米アカデミー編集賞を受賞したウォルター・マーチは、編集をテーマにした自著「映画の瞬き 映画編集という仕事」の中で以下のように語っている。 「ショット構成の素早い編集は、アメリカ映画において大きな流れとしてあり、CM(コマーシャル)やMV(ミュージックビデオ)など異なる映像分野からの人材起用が一因としてある」 また『カッティング・エッジ 映画編集のすべて』という、ハリウッド映画の編集史にフォーカスを定めた秀逸なドキュメンタリー(2004年制作)において、『未知との遭遇』(77)『シンドラーのリスト』(93)の巨匠スティーブン・スピルバーグは、 「映像が氾濫している時代の若者は、優れた映像処理能力を持っている。それに応じて映画のショット構成も早くなっているのでは?」 と論じ、こうした傾向に理解を示しつつも懐疑的だ。 確かにマーチの指摘どおり、先述したマイケル・ベイや『ゴーン・ガール』(15)のデヴィッド・フィンチャー、あるいは『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』(16)のザック・スナイダーなど、現在活躍中の監督の多くはCM、MV分野を出自とし、80年代以降のブロックバスター・ムービーに大量投入された流派のクリエイターたちだ。またスピルバーグの論も、その懸念を含めて然りである。映画は構成された画の一つ一つに、読み解くことで成立する独自の記号や文法があり、CMやMVとは異なる編集時間を持つべきだ、とマーチは自著にて綴っている。 ただカメラがデジタル化され、記録容量の増大にともなって映像素材も膨大なものとなった現在、編集ショット数の増加傾向は「大きな流れ」としてあるものといえる。つまり「カオス・シネマ」も、それ自体が時代の趨勢によって確立されたものであり、デジタル・ノンリニア編集が生んだひとつの「成果」といえはしないだろうか? ■映画は観客の要求に応えるもの〜ロブ・コーエンが語る編集の極意〜 先の編集テンポ問題を提示した『カッティング・エッジ』において、ひとり面白い反応を見せていた人物がいる。『ワイルド・スピード』(01)の監督ロブ・コーエンだ。 ヴィン・ディーゼルをスターダムに押し上げた『トリプルX』(02)の中で、コーエン監督はあらゆる角度から捉えたエクストリームアクションのショットを構成し、独自の編集スタイルを打ち立てている。そして敵のレーダーに感知されない最新型ステルス戦闘機のエリート操縦士たちと、人工知能を搭載した無人ステルス戦闘機との壮絶なエアバトルを描いた『ステルス』(05)では、その超音速戦闘シーンを細切れのショット編集で見せ、「カオス・シネマ」を実践した一人といえる。当人はそのことを、以下のように語っている。 「僕の年齢は編集センスは70歳から始まり、どんどん逆行し、今や27歳くらいに思えてならない」 『ステルス』の日本公開時、筆者は来日インタビューで監督本人に会ったさい、先の抽象的な証言の真意を訊ねた。若返っていると感じる編集センスは、デジタル編集システムの恩恵なのか? とー。そこで氏はこう答えてくれたのである。 「デジタルの成果というよりも、若い観客に応えて作品を形成していったら、僕自身の編集センスが自然と若くなっていったのさ。お客さんが喜ぶものに従えば、自分のスタイルや方向性なんて自然と定まってくるものだよ」 編集スタイルの変化を時代の趨勢とせず、観客の声なき希求への返答と捉えたコーエン監督。ちょっとキザったらしく優等生っぽいが、編集という観点から商業映画の本質を捉えた、含蓄ある証言ではないだろうか。 ちなみにこのときのインタビュー、人工知能の反乱をスリリングに描いた点について、名作『2001年宇宙の旅』(68)の続編である『2010年』(84)からの影響ではないかと監督に指摘したところ、 「私を名匠キューブリックではなく、ピーター(ハイアムズ)と比較するのかキミは、ガッハッハ‼︎」 と豪快に笑いつつ、暴走ぎみな毒舌発言を連発していた。まぁ、そこは本テーマどおり「編集」をほどこし、あくまでも綺麗な美談として本項を閉じたい。■ Copyright © 2005 Columbia Pictures Industries, Inc. 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COLUMN/コラム2016.05.16
ハッピー・クリスマス
シカゴ。映画監督のジェフの家に、恋人と別れた妹ジェニーが転がり込んできた。「子どもの世話で忙しいこの家に住まれても、トラブルを生むだけなんじゃないの?」ジェフの妻ケリーのそうした不安は的中する。ジェニーは、パーティーで泥酔したり、ベビーシッター兼ハッパの売人のケヴィンと恋愛関係になったりと問題を起こし続ける。彼女に対して怒るケリーだったが、小説家の夢を中断して子育てを押しつけられている立場を同情されたことで、人間関係に変化が生じていく …。 『ピッチ・パーフェクト』シリーズ(12年〜)や『イントゥ・ザ・ウッズ』(14年)といった大ヒット作によってハリウッドのトップスターとなったアナ・ケンドリック。そんな彼女の出演作にしては、2014年の『ハッピー・クリスマス』はあまりに地味な映画である。彼女が演じているのは無職のトラブル ・メイカーだし、ジェフを演じているのは監督のジョー・スワンバーグ本人。子役は彼の実の長男だし撮影はロケばかり。セットを組まれて撮影したものは何ひとつないのだ。 ひょっとすると騙されて出演したのか?いや、そんなことはない。アナはスワンバーグの前作『ドリンキング・バディーズ 飲み友以上、恋人未満の甘い方程式』(13年)にも出演しており、彼女はやる気満々で本作に出演したのだ。理由は、スワンバーグが新しいアメリカ映画のムーヴメントのキー・パーソンだからだ。 ここで時計を9年前に巻き戻してみよう。スワンバーグは『ハンナだけど、生きていく!』(07年)というインディ映画を発表している。出演もしているアンドリュー・バジャルスキー、ライ・ルッソ=ヤング、そしてマーク・デュプラスらとスワンバーグは、ゼロ年代初頭から始まっていた映画ムーヴメント<マンブルコア>の担い手だった。 マンブルコア作品の特徴は、自主製作に近い環境下で経済面でも恋愛面でも恵まれていない自分の冴えない日常をビデオ撮りで描くという、地味にもほどがあるものだった。出演者は監督仲間ばかりでプロの俳優なんて殆どいなかった。メディアから<マンブルコア>なんて呼ばれるようになったのは、皆セリフをモゴモゴ言っていた(mumble)からだ。 映画学校を卒業したのはいいけど、シリーズ物の超大作ばかり製作するようになったハリウッドで仕事出来る可能性なんてゼロ。マンブルコア作品は、若者たちの小さな嘆き声であり、そこには明るい未来のヴィジョンなんて一切漂っていなかった。 だが『ハンナだけど、生きていく!』に出演したひとりの女子が、そんな現状を打開するきっかけを与えることになった。スワンバーグの前作『LOL』に端役で出演したことをきっかけに本作で主演と共同脚本を務めたグレタ・ガーウィグである。 大学を卒業したばかりで、美貌と才能を兼ね備えた彼女は、スワンバーグの次作『Nights and Weekends』(08年)では共同監督も務め(この時期ふたりは交際していたという話もある)、『ハンナ』で共演したマーク・デュプラスとその兄ジェイが監督した『Baghead』(08年)にも出演するなど、マンブルコアのミューズとして大活躍、運動をネクスト・レベルに持ち上げた。 こうした地下ムーヴメントに反応したのが、『彼女と僕のいた場所』(95年)でデビューし、『イカとクジラ』(05年)をはじめとする一連の半自伝作で知られていた映画監督ノア・バームバックだった。ウェス・アンダーソン作品の共同脚本家としてハリウッドでも評価を得ていた彼は、マンブルコアの作家たちを地上に引き上げようと、スワンバーグの『Alexander the Last』(09年)をプロデュース。遂にはマンブルコアのテイストを取り入れた作品を自ら監督しようと決意する。 それが『人生は最悪だ!』(10年)だった。コメディ界のスーパースター、ベン・スティラーが主演したこの作品には、相手役としてグレタ・ガーウィグが抜擢された。そして本作の撮影をきっかけにバームバックとガーウィグは恋に落ち、ふたりは『フランシス・ハ』(12年)『Mistress America 』(15年)といったコラボ作を作り続けている。 『人生は最悪だ!』に俳優として出演していたマーク・デュプラスも、兄のジェイと『僕の大切な人と、そのクソガキ』(10年)でメジャー進出を果たした。その後も監督業の傍ら、二人は俳優としても活躍(マークの代表作は『タミー Tammy』(14年)、ジェイの代表作はドラマ『トランスペアレント』(14年〜)だろう)、また兄弟でプロデュースして、マークが出演もした『彼女はパートタイムトラベラー』 (12年)は大評判を呼び、監督のコリン・トレヴォロウが『ジュラシック・ワールド』(15年)の監督に抜擢されるきっかけも作るなど、ふたりはエンタメ界で確固たる地位を築いている。 そんなかつての仲間たちから出遅れたかに見えたスワンバーグが、初めてまともな製作環境で撮ったのが『ドリンキング・バディーズ』だった。映画は絶賛を博し、クエンティン・タランティーノはその年のベスト10の一本にこの映画を選んでいる。シカゴの地ビール工場で働く男女の微妙な関係を描いたこの作品は、美人女優オリヴィア・ワイルドが主演していることもあってパッと見は「月9ドラマ」みたいな感じなのだけど、実はセリフが全て出演者による即興という前衛的な作りがされている。相手役は『New Girl / ダサかわ女子と三銃士』(11年〜)の人気者ジェイク・ジョンソンだが、彼は『彼女はパートタイムトラベラー』にも出演しており、マンブルコアのノリというものを理解している俳優なのだろう。 そんなジョンソンの恋人役を演じていたのがアナ・ケンドリックだった。彼女が『ハッピー・クリスマス』に出演したのも、即興演技の楽しさにヤミツキになったからに違いない。その『ハッピー・クリスマス』最大の見所も、アナとケリー役のメラニー・リンスキー、そしてレナ・ダナムの三人が即興で繰り広げる<官能小説のネタ出し会議>のシーンだ。 テレビドラマ『GIRLS/ガールズ』(12年〜)の製作・監督・脚本・主演の4役で多忙を極めるレナが本作の脇役で顔を出しているのには理由がある。彼女の出世作であるインディ映画『Tiny Furniture』(10年)はマンブルコアの影響下のもとで作られた作品だったからだ。『ハッピー・クリスマス』への出演は彼女なりの恩返しなのかもしれない。 一方でレナとグレタ・ガーウィグは長年の友人であり、『GIRLS/ガールズ』でレナが見出したアダム・ドライヴァーは『フランシス・ハ』とまもなく日本公開されるバームバックの監督作『ヤング・アダルト・ニューヨーク』にも出演している。 後者でアダムが演じているのは若く貧乏なアーティストだ。ベン・スティラー演じる主人公のドキュメンタリー監督は、社会的な評価を気にしない彼に感化されてツルむようになるが、やがて痛いしっぺ返しを食らうことになる。自らインディペンデントな立場を選んだスティラーと、成功への道があらかじめ閉ざされていたアダムは所詮異なる世代だったことが明らかになるのだ。 スティラーが再び主人公を演じていること、アマンダ・セイフライド扮するアダムの恋人役に当初グレタ・ガーウィグがキャスティングされていたことを考えると、『ヤング・アダルト・ニューヨーク』はバームバックがマンブルコアの作家たちと親しく交流していた時代をベースにしているに違いない。するとアダムのキャラのモデルはジョー・スワンバーグということになるのだが …。 COPYRIGHT © 2016 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2016.05.14
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2016年6月】うず潮
『パラノーマル・アクティビティ』『インシディアス』のスタッフと名匠バリー・レヴィンソン監督がタッグを組み、、POVショットやフッテージの生々しい映像を駆使したフェイクドキュメンタリー形式のパニック・ホラー。米国メリーランド州チェサピーク湾で実際に起きた汚染問題を題材に、同州出身のバリー・レヴィンソン監督がこの映画を通して環境破壊への警告を鳴らしています。 舞台はメリーランド州チェサピーク湾の町クラリッジ。海の汚染状態を調査していた2人の海洋学者の調査動画と、独立記念日の祝祭の賑わいをレポートする女子大生を軸に展開していきます。平和な街のシンボルを通して、ヒタヒタと人体を浸食していく寄生虫…気が付いた時には体も精神も崩壊…誰にも止められない感染連鎖。吸い込まれるようなリアル感と目をそむけたくなるような映像、そして下される非常な決断。正直、リアル感が半端ないです(ホントに、まーーーーー怖い!)。 この映画を見た後は、もし自分がその場にいたらと思わず考えてしまうほど。日常が激変するパンデミックを疑似体験できる貴重な作品です。ちなみに昆虫が苦手な方はご注意を。 ©2012 ALLIANCE FILMS (UK) LIMITED
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COLUMN/コラム2016.05.11
【DVD/BD未発売】"モンティ・パイソン"チーム、デビュー当時の渾身の一撃は、主役がジョン・レノンからリンゴに急遽スイッチ!?〜『マジック・クリスチャン』〜
映画は時代を映す鏡!それを、けっこうリアルに実感させてくれる作品がこれ。別に何か崇高なテーマがあるわけじゃない。でも、1960年代末期のイギリスに充満していた既存の文化や価値観(それは今でも変わらないのだが)をぶち壊そうとする勢いがあって、まるでハリウッドに吸収合併されたかのような最近のイギリス映画を憂うUKファンにとって、多分、意外な強壮剤になるはず。 怪しげなタイトルの『マジック・クリスチャン』とは、クライマックスに登場する"クィーン・エリザベス二世号"を思わせる豪華客船の名前。主人公の富豪、ガイ・グラント卿が閃きで養子にした元ホームレスの青年、ヤングマンやその他セレブたちと乗船し、タワーブリッジから北大西洋を横断しニューヨークへと船出するまでに、有り余る金を湯水の如く買収に注ぎこみまくる。 以上が、映画のプロットと言えばプロットで、その間をナンセンスなギャグで繋ぐのは、1969年にBBCで放送をスタートしたコメディ番組『空飛ぶモンティ・パイソン』が高視聴率を獲得し、勢いづいていたコメディグループ"モンティ・パイソン"の一員、グレアム・チャップマンとジョン・クリーズ(共に脚本&出演)。また、原作&脚本のデリー・サザーンは当時一世を風靡したカウンターカルチャー"スウィンギング・ロンドン"の中心的存在で、本作と同じ年に公開された『イージー・ライダー』の脚本でハリウッド映画に革命を起こした人物だ。 そして、サザーンをスタンリー・キューブリックに紹介し、『博士の異常な愛情』(64)で脚本家デビューへの道筋をつけたのが、グラント卿を怪演するピーター・セラーズ。言わずと知れた、UKコメディを代表する天才コメディアンだ。さらに、ジョン・レノンの代役だったとは言え(その経緯は後ほど)、『ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!』(64)での演技が評価され、俳優業に興味津々だったリンゴ・スターがヤングマン役で急遽参加する。つまり、各方面で時代の寵児だった面々が、必然と偶然によって集い合った"徒花的怪作"。それが『マジック・クリスチャン』なのだ。 劇中で炸裂するギャグには"コメディ界のビートルズ"と表現された"モンティ・パイソン"流の風刺と笑いがごちゃ混ぜにブレンドされている。いきなりナレーションで『金、使います!』と宣言してスタートする物語は、跡継ぎを探していたグラント卿が偶然ハイドパークで出会い、養子縁組したヤングマンを伴い、宣言通り、札束で人々のホッペを叩きながら放蕩三昧に明け暮れる日々を追って行く。 まず、やり玉に挙げられるのはイギリスが誇る伝統文化だ。グラント親子がタキシードでドレスアップしてヘリコプターからリムジンを乗り継ぎ、一族が確保する劇場の桟敷席に到着するのは『ハムレット』の第3幕目から。ご存知"生きるべきか、死ぬべきか"の名場面だ。中抜き、いいとこ取りも甚だしいのだが、舞台は突然、悲劇からミュージカルへと転調。ハムレット(演じるのは王立演劇学校出身の舞台俳優でもあったローレンス・ハーヴェイ。イギリス人かと思いきや、実はリトアニア出身)がいきなりズボンのジッパーを下げ、ストリップをおっぱじめる。最後にはパンツまで脱いてすっぽんぽんになる転調ハムレットを、これを当たり役にしていたイギリス演劇界のドン、サー・ローレンス・オリビエがどんな顔で眺めていたか?それを想像するだけで楽しくなるではないか!? それはさて起き、次にグラントとヤングマンは"サザビーズ"のオークションヘ。そこで競りにかかる前のレンブラントを破格の3万ポンドで強引に競り落とした卿は、絵画の顔をナイフでくり抜いてしまう。3万ポンドにまんまと屈するオークションハウス職員、ダグデールに扮するのは、撮影当時39歳のジョン・クリーズ。若々しく意外にイケメンなので『ミラクル・ニール!』(15)等、近作での彼しか知らない若いファンはちょっと気づかないかも知れない。 極めつけは、卿に買収され、どんでもない事態に発展するテムズ川のレガッタレース。伝統と格式を重んじるプライベートスクールの両巨頭、オックスフォードとケンブリッジの対抗戦を前に、グラントはオックスフォードのコーチを金で買収。結果、レースは両艇沈没の大惨事へと雪崩れ込むのだが、買収されるコーチを演じるのが、これまた後にエリザベス女王からサーの称号を授与されるリチャード・アッテンボロー。実はケンブリッジ生まれのアッテンボローがオックスフォード側に付いて不正に荷担する。これも"モンティ"流のブラックユーモアなのかどうかについては、申し訳ないが定かではない。 セレブリティたちが挙って乗船する"マジック・クリスチャン号"では、ブラックなユーモアとあからさまな風刺がさらに凝縮して連発される。船内にはボーイに化けた吸血鬼(演じるのは勿論、御大クリストファー・リー)が潜んでいて、女たちを咬みまくるわ、船底ではグラマラスなムチ監督(グラマー女優の権化、ラクエル・ウェルチ)がオールを漕ぐ裸体の女奴隷たちを鞭打つわ、バーではドラッグクィーンがハンサムな男性客を色仕掛けで落とそうとするわ、等々。 ドラッグクィーンに『王様と私』(56)以来、マッチョスターとして君臨したユル・ブリナーを、男性客役にハリウッドデビュー直後の巨匠、ロマン・ポランスキーを各々配した点、鞭打ち奴隷船が『ベン・ハー』(59)を、NY行きの船内で暴れ回るゴリラに『キング・コング』(33)を各々イメージさせる部分は、すべてアンチ・ハリウッド的なメッセージ。全編を通して映画が発する反拝金主義と合わせて、それは原作者で脚本家でもあるテリー・サザーンが意図したもの。生粋のアメリカ人でありながら、古いハリウッドスタイルの映画作りに反発し、外部から革新を目指したその姿勢は、雑誌のインタビューを機にサザーンと交流を深め、自作に脚本家として招き入れたキューブリック(マンハッタンに生まれるもハリウッドとソリが合わず、移住したイギリス、ハートフォードシャーで生涯を終える)の影響が濃厚だと思う。 とまあ、おちゃらけ映画にはそこそこシリアスな一面も覗くのだが、最後にジョン・レノン→リンゴ・スターの経緯を。プロデューサーが狙っていたヤングマン役の第一候補はレノンだったが、クランクイン目前の1968年10月、レノンがマリファナ所持の罪で逮捕されたため、リンゴにスイッチ。結果、レノンはミュージシャンとして伝説の中に君臨し続け、リンゴは同じテリー・サザーン原作小説を映画化した『キャンディ』(68)、現在も夫人の女優、バーバラ・バックと出会うきっかけになった特撮コメディ『おかしなおかしな石器人』(81)等で、さらに映画俳優としてのキャリアを積むことになる。 そして、映画『マジック・クリスチャン』は、既存の価値観をぶち壊そうとした希代の風刺作家とギャグメーカーたちのために映画会社が大枚を叩いた、ある意味、古き良き時代のB級遺産。特に映画マニアは、グラント卿が走る列車内の会議室で重役を集めて経営方針を説明するシーンで、ピーター・セラーズが少しだけ垣間見せる"クルーゾー的動き"にほくそ笑むはず。突然、椅子から立ってかと思うと、すぐ座る。付け髭、近視メガネ等、変装術も忘れてない。堪えても堪えきれないコメディアンの性が覗く瞬間を、どうかお見逃しなく!■ COPYRIGHT © 2016 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2016.05.10
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2016年6月】にしこ
あの前代未聞のバチェラー・パーティ旅行を描いたコメディ「ハングオーバー!」シリーズの製作陣が今度は前代未聞のおうちパーティを描く、壮大なる若気の至りムービー。それが「プロジェクトX」です! 高校生のトーマスはスクール・カーストの中でも割とイケてないグループに属しているが、そのカーストを一気に上まで駆け上ろうと親友のコスタとJBはトーマスの両親が不在の週末にトーマスの誕生会を、トーマスの家で企画!最初は寒々しい参加人数だったにもかかわらず、お調子者のコスタがSNSを駆使し盛りに盛った宣伝を繰り広げて、あれよあれよと学校中の全カースト民が参加。なんだかよくわからない大学野球のスターなんかもやってきて、トーマスの家はとんでもない事に!酔っ払いのご乱行がここまでの大惨事をもたらすとは… というのがない様なある様なストーリーなのですが、「ハングオーバー!」シリーズしかり、徹底的に酔っぱらった人間のありえない行動を笑い飛ばす描写が秀逸です!アメリカの青春映画では不可避のスクール・カーストも「酔っぱらっちまえばみんな同じだ!」的な笑い飛ばしを感じられて好感!! 主演の、トーマス・マンは2015年のサンダンス映画祭で2冠に輝いた「Me and Earl and the Dying Girl」でもとても印象的な演技をしていた次世代スターのニオイがぷんぷんの青田買い必至の俳優!お見逃しなく!! TM & © Warner Bros. Entertainment Inc.
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COLUMN/コラム2016.05.03
【DVD絶版】男子、厨房に入って散らかすシリーズ第1弾(2弾はあるのか!?) 『暗い日曜日』に出てくる“ビーフロール”ことルラードを作る!
「ザ・シネマSTAFFがもう一度どうしても見たかった激レア映画を買い付けてきました」特集で、ワタクシが激烈に推薦しております『暗い日曜日』。DVD絶版で鑑賞しづらい作品なのですが、これを買い付けてきてHDでザ・シネマでは放送します。 「暗い日曜日」という自殺ソング、これは実際にある曲なんですが、それに着想を得た物語です。この作品はサイトの解説もワタクシ自分で書きましたんで、まんまコピペしてきます。 「今もブダペストにあるレストラン、サボー。戦前、ユダヤ系の支配人サボーは父娘ほど歳の離れたウェイトレスのイロナと愛し合い、幸せな日々を送っていた。新たに雇ったピアニストのアンドラーシュにイロナが惚れたので、サボーは奪い合うより男2人で彼女をシェアする大人の関係を提案。だがその関係は次第にアンドラーシュの心を蝕み、ナチの脅威が迫ってハンガリーも右傾化し、社会が狂ってくる中、彼は、ある曲を作ってしまう。」 という物語でして、ザ・シネマ10周年記念対談の方ではさらに踏み込んだトークをしておりますんで、よろしければそちらも覗きに来てください。 さて、劇中でレストランのオーナーである主人公サボーさんが、ドイツから来た観光客のハンスに「ルラード」という料理の作り方について説明するくだりがあります。ハンスは「ビーフロール」と呼んでルラードをいたく気に入っているので、奴が非常に凹んでいる時に、親切なサボーさんは秘密のレシピを教えてやるのです。 「まず柔らかいヒレ肉を薄くスライスしてたたいておく。鍋にバターを溶かし、いい香りがしてきたらニンニクを入れる。丸ごとね。バターにニンニクの香りがついたら肉を入れてソテーする。中身は覚えているかい?ハンガリーのハムとチーズだ。薄くスライスしておく。だから一口切って食べると、舌に3つの味が広がる。その3つの全く違った味が、ふた口めで1つに溶け合うというわけだ」 ぐぬぅ!実に美味そうですなぁ!! 食えるもんなら食ってみたいが、日本でこれを食わせてくれるレストランがそうそう在る気がしない…。東京にはハンガリー・レストランが何件かありますが、本日(4/30)はゴールデン・ウィーク初日ってことで、こんな日には時間をかけて、ヘタの横好きで手ずから作ってみるとしましょうか。映画を見て美味そうな食い物を知り、そいつを食す、作る、ってのもまた、映画マニアの大いなる愉しみの1つなのであります。ではありませんか?俺だけか? このルラード、日本ではマイナーすぎるんで、レシピが全然見つかりません。「ルラード(Roulade)」自体は「巻いた物」って意味らしいので、ネットで検索するとチキンのやつとかいろいろと見つかるんですが(ロールケーキもRouladeと呼ばれてるようで、ヒットしちゃう)、上記のサボーさんの言っているようなルラード、ハンスが言う「ビーフロール」みたいなハンガリー料理のレシピが、これが容易に見つからないんだなぁ。なので、今回は海外のサイトを何カ所か参考にしました。特にパクリ元にしたのがココのブログ。 このメインぱくり元に加え、他のサイトと、サボーさんの前出のセリフと、あと本編映像を一時停止して何度も何度も観察する、ということで、劇中に近いルラードの再現を試みております。以下、当コーナー初となる、レシピです。 【材料(男のデタラメ料理なので分量は超適当)】 ニンニク レモン 赤いパプリカ ほうれん草のベイビーリーフ 生マッシュルーム エシャロット イタリアン・パセリ 牛ヒレステーキ肉 マンガリッツァ・ハム ハヴァティ・チーズ パルメザン・チーズ 生クリーム ニョッキ 白ワイン バルサミコ酢 チキン・スープ・ストック ディジョン・マスタード 【作り方】 ①まずマリネ液を作っておく。大きめのタッパーにレモン1個を絞り、バルサミコ同量を加え、そこに細かく刻んだニンニクを入れ、混ぜる。 ②牛ヒレステーキ肉をラップで包んで、ミートハンマーで均一に薄くなるまで叩く。できれば形よく長方形に整えたい。塩と挽きたての黒胡椒で両面をシーズニングする。 ③マリネ液に肉を漬け込む。少なくとも30分、できれば数時間、ニンニク風味の強さがお好みならば一晩、冷蔵庫に置いて両面をよくマリネする。 ④焼きナスと同じ要領で“焼きパプリカ”を作る。アルミホイルで二重に包んだレッド・パプリカを、ガスコンロに直に置いて直火で20分間焼く。5分おきにトングで少しずつ回転させていく。20分たったらホイルをめくり、真っ黒に炭化した皮を丁寧に剥がしていき(これが骨が折れる)、ヘタと種を取り除く。これを細切りにし、後で使う具材として横に取り置いておく。 ⑤十分にマリネされた肉をまな板に広げ、たっぷりのディジョン・マスタードを裏側(具を乗せる面)全面に塗る。 ⑥肉の上に具を乗せていく。ほうれん草のベイビーリーフ、マンガリッツァ・ハム、パプリカ細切り(最後の飾り用に少し残しておく)、ハヴァティ・チーズの順に。ヘリは2〜3cmほど具を乗せずに空けておく。最後にパルメザンをチーズおろしでふりかける。 ⑦肉をきつく巻いていく。こぼれた具も拾って肉巻きの中に押し込もう。まな板の上に閉じ目を下にして置き、ほつれないようタコ糸でしっかりと縛る。 ⑧オーヴン対応の中鍋を中火で熱し、大きなバターひとかたまりとオリーブ・オイル同量を入れ、バターが溶けて鍋に油がよく回ったら、潰したニンニク1かけを入れて香りを十分に引き出す。 ⑨その鍋に肉巻きを投入し、時おり回転させて全面に色がつき渡ったら、鍋ごと230℃に予熱したオーヴンに入れて20分間熱する。それと⑩で作るニョッキ用の湯をここらで大鍋で沸かし始めること。20分たったらオーヴンから鍋を出し、肉巻きを取り出してアルミホイルで包んでおき、ソースを作る間の10〜15分間冷ましておく(冷まさないと切り分けられない)。 ⑩その10〜15分間にソースを作り、ニョッキも茹でる。ニョッキは出来合いのものをパッケージの指示通りに茹でるだけ。ソースは、ソースパンでバターを溶かし、マッシュルームとエシャロットをソテーする。マッシュルームから水分が流れ出し、その水気が飛んで色が茶色くなりクタっとなってきたら、白ワイン1/4カップとチキン・スープ・ストック1/4カップを加え、分量が半分に減るまで煮詰めていく。最後に生クリーム1/4カップを加えてトロミが出るまでかき混ぜ、塩胡椒で味を整える。これでだいたい15分。 ⑪盛り付け。肉巻きのタコ糸を外して切り分ける。皿の真ん中にまずマッシュルーム・ソースを広げ、切り分けた肉巻きを置き、周囲に付け合わせのニョッキを盛り付けて、最後に彩りを加えるため、ニョッキの上にイタリアン・パセリを、肉巻きの上には残しておいたレッド・パプリカを飾る。 完成!実食!! こ、これはマジでシャレになってないですぞ!美味い!そして、食ったことのない味だ!まず、ニンニクを合計2カケも使ってますが、香りの主役は完全に焼きパプリカに持ってかれてる。口にするとパンチの効いたスモーキーフレーバーと、あの焼きナス的ビター感がまず広がります。次いで、レモン汁とバルサミコでマリネした牛肉の酸味の爽快サッパリ感が満ちていき、結構バターを使いまくってるにも関わらず意外としつこくはない。そして、マッシュルーム・クリームソースがこのワイルドな焼きパプリカの香りと攻撃的な酸味をマイルドにまとめ上げる、という絶妙な具合。こいつはイケる! と手前味噌ばかり言うのもさすがに恥ずかしいので、NEXTに活かすため、今回の反省点も記しておきましょう。まず、牛ヒレステーキ肉がウチの近所の肉屋に無かったので、実は今回は肩ロース肉を用いてる。安上がりに済んだけど、そりゃヒレよりかは多少硬い。ヒレ使っていれば、ナイフがスッと入るような柔らかさになったかもしれず、上品感がかなり増したでしょう。でも、それは大した問題ではない。次に、「ほうれん草のベイビーリーフ」なんて物は見たことも聞いたこともないので、冷蔵庫のサニーレタスで代用しました。さりとてこれも、だからといって大した問題ではない。 一番大きな問題は、ハヴァティ・チーズとマンガリッツァ・ハムです。この2つはTHE輸入食材!という感じなので値も張りました。ほぼ2000円近くがこれだけにかかってるんですが、費用対効果が薄すぎて、ハッキリ言って不経済。まずチーズ。元のレシピで2つ使えと指示されているうち、今回ハヴァティ・チーズが手に入らずパルメザン一種類だけでチャレンジしたんですが、焼き色を付けている時とその後のオーヴンで熱を入れる過程で、液状化したチーズが肉巻きからすっかり流れ出てしまうので、意味ねー!チーズの風味や、あのピザのような糸を引く感じが今回ほとんどありませんでした。 それとマンガリッツァですが、これもそんな生ハムみたいなものを内側に巻き込んだのでは、熱が入る過程で溶けて無くなっちゃって、食っていてどこにハム状のものがあるのか、サッパリわからないぐらいでした。 劇中のセリフでサボーさんは「舌に3つの味が広がる」と言っていました。チーズとハムと、そして牛肉のことですが、そのうちの2つがほとんど消えて無くなっちゃってるというのは、美味い不味いとは別の話として、失敗といえば大失敗でしょう! これを踏また上で、次に作る時には、まずチーズはハヴァティか、少なくとも「とろけるチーズ」的なものは必須で具材に加えるようにします。パルメザンだけでは不十分です。そしてハムは、マンガリッツァのような生ハム系ではなくて、ボンレスハムなどの熱が加わっても牛肉にも負けない食感がしっかりと残りそうなタイプのものを選ぶことにします。 にしても、一回目で失敗して、捲土重来を誓い、次回、雪辱戦!というのも、映画マニアのオッサンののん気な食道楽としては、なかなかに楽しみなものなのです。「おっ、あの時、軽く失敗したレシピに、今週末あたりもう一回トライしてみよう」ってスケジュールが土日の欄に書き加わるのは、毎日にちょっとした充実をもたらしてくれますぞ。■ LICENSED BY Global Screen GmbH 2016, ALL RIGHTS RESERVED
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COLUMN/コラム2016.04.27
男たちのシネマ愛⑥愛すべき、クレイグ・ボンド。そして、愛すべき洋画の未来。(6)
飯森:僕の立場から言うと、とりあえず邦画は人に任せるんで、やはり世界の優れたコンテンツを日本の消費者にも見てもらわなくてはいけない。我々の感性を世界標準の感性とこれらも一致させ続けていかなくてはならない。そのために、なんとかして洋画の市場を活性化させたいと思っています。ハリウッドの俳優が日本へやってきて、成田空港に黒山の人だかりができる。それってすごく健全なことだったと思うんですよ。 なかざわ:まあ、今だってワン・ダイレクション(注105)とかジャスティン・ビーバー(注106)が来日すれば大フィーバーになりますけれどね。映画の場合は、いまだにトム・クルーズ(注107)とかジョニー・デップ(注108)辺りで止まっている。そもそも、ハリウッド自体が彼ら以降の世代のスーパースターを生み出せないでいるんですよ。第二のトム・クルーズとか、第二のブラッド・ピット(注109)とか呼ばれるスターは数え切れないほど出てきましたけど、みんな人気短命で終わっていますから。 飯森:それでも、かつてはトム・クルーズほどの俳優じゃなくても、来日すれば話題になっていたと思うんですよね。 なかざわ:ちょうど先日、ハリウッドを拠点に活動している日本人の若手女優さんにインタビューしたんですね。いろいろと諸事情あって名前は出しませんけれど。彼女は最初から日本ではなくハリウッドを目指して外へ出ていった。そこで、今の日本の若者は内向きで外国に出て行かないと言われていますが、それについてどう思いますか?という質問をぶつけてみたんですよ。そうしたら、開口一番に「それって嘘だと思います」って答えが返ってきた。若い人を知らない大人が勝手に言っているだけだと。外へ出て行っている若者は沢山いますよ、と言うんですね。それはそうかもしれないと思いました。大人が若者の生の声を聞いていないだけなんじゃないかと。そう考えると、日本人に受け入れられる外国スターというのも、消費者の声にちゃんと耳を傾ければ、もしかすると新たに生み出せるかもしれません。 飯森:なるほど。実は意外に若い世代はドメスティック志向ではないのかもしれませんね。そうだとしたら少し安心だ。ただ、もう一つ大きな問題があると僕は感じていて、昔って、媒体の数が限られていましたでしょ?昭和の頃には今のネット媒体が一つも存在しない訳ですから、効率的に宣伝もできたでしょうし、その少数の媒体がそれぞれ今よりずっと影響力もあっただろうと思うんですよ。配給会社の宣伝マンがそうした限られた宣伝媒体に対していろいろなアプローチで仕込みをしていて、あるハリウッド大作が来る、ある大物外タレが来日するとなると、多くの媒体・多くのメディアが一斉にそれを報じていた。そもそもコンテンツを流すウインドウ自体が映画館とテレビ、せいぜい後にレンタルビデオぐらいしかなかった上に、そのように宣伝媒体の数も少ないのだから、情報発信で“選択と集中”が可能だった。それならばブームは起せるし、国民的関心も集められる。ただ、今の時代は媒体が複雑多岐に渡ってしまっているため、宣伝の足並みが揃わない。ウインドウも映画館からレンタル、ウチのような有料テレビ、ネット配信、無料BSや普通の地上波テレビと分散していて、同じハリウッド大作がその順番で「ついに登場!」のていで各ウインドウに何度も何度も出現する。お客さんも、映画館原理主義派、レンタル派、ウチみたいなCSにどっぷり派、ネット配信派、地上波だけで満足派、無料BSも見てる派に分裂している。これでは大きなうねりやブームは起きづらい。兵力分散や兵力の逐次投入、つまり“小出しにする”というのは愚策中の愚だと言われていて、戦いでそれをやった方は確実に負けるとされている。勝つためには“選択と集中”が不可欠な訳ですが、不本意ながらもメディアの多様化で結果として兵力の逐次投入みたいな格好に今の業界はなってしまっている。作品を流している我々ウインドウ側も、それを告知してくれる宣伝媒体側も、メディアの垣根を越えて大同団結して、まとめて海外コンテンツの大きなうねりを生み出すことができればいいんですけどねぇ。一社一社が各個にスタンドプレイでいくら頑張っても各個撃破されるだけ。撃破というか、自滅ですね。各個自滅。 なかざわ:昔は物事がシンプルだったから良かったんですよ。今は業界全体が努力をして工夫を凝らさなくてはいけないでしょうね。 飯森:そろそろ洋画も巻き返しを図らないとヤバい時が来たように思いますね。洋画専門チャンネルにしても、競合他社同士がお互いが良きライバルとして切磋琢磨することで、まずはCS全体を盛り上げていくことが大切だろうと思います。なんかCSで面白いことやっているな、映画ファンとしては注目しとかないと、と世間に思ってもらえるようにしなくては。今、自分たちはその段階にいると見ています。なので、うちとしては例えば、昭和のお宝吹き替え尊重路線だったりとか、激レア映画の発掘だったりとか、コアな洋画ファンに喜んでもらえるような企画は今後も続けていきたいと思っています。これだけネットを含めたメディアが増えたにも関わらず、いまだに見ることのできない映画は沢山ありますし。 なかざわ:それは是非ともお願いしたいところですね。それこそ、’80年代に一大旋風を巻き起こしたキャノン・フィルム(注110)の映画なんかも、今では全く見れなくなってしまった作品が多いですから。「ハンナ・セネシュ」(注111)とか「黄昏のブルックリン・ブリッジ」(注112)とか。それと、’70~’80年代に日本で劇場公開ないしビデオ発売されたイタリア産娯楽映画も、うもれてしまっている作品が本当に多い。「マリーナの甘い生活」(注113)とか「キャロルは真夜中に殺される」(注114)とか、もう一度見たいですもん。イタリア版DVDには英語の字幕すら付いていないので(笑)。 飯森:そして、マスの方たちに圧倒的にウケる新たな方策というものは引き続き宿題となっちゃいましたが、「俺のしかばねを乗り越えて行け!」じゃありませんけど、大きすぎるステイサムとセガールの存在を乗り越え、裾野を今一度大きく広げ直して、洋画そのものをリブートしなければいけませんね。「いや〜映画って、本っ当にいいものですね!」という、あの幸福にもう一回帰り着くためにはどうすればいいのか。そこに次の10年は挑戦していきます! なかざわ:…と、いったあたりですかね。いやはや、半年続けてきたこの対談連載も、とうとう終わってしまいましたね、お疲れ様でした。 飯森:なかざわさんの方こそお疲れ様でしたよ!いやマジで。僕はただくっちゃべっていただけですが、毎回このボリュームを原稿に書き起こしていたなかざわさんは堪ったもんじゃない!ただ、おかげさまで、自分で言うのもナンですけれど、非常に評判も良く反響も大変ありましたので、今回は10周年記念ということでやったんですが、アニバーサリーとかとは関係なしに、なかざわさんとはまた間を置かず近々にこの場でトークをさせていただきたいと思ってます。 なかざわ:是非そうしましょうよ!「続・男たちのシネマ愛」といった形でね。 飯森:それでは皆さん、また会いましょうね。サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。 (終) 注105:イギリス出身の男性アイドルグループ。’10年にデビューし、世界中のティーン女子の間で爆発的なブームを巻き起こした。注106:1994年生まれ。カナダ出身の男性アイドル歌手。’08年にデビューし、これまでに1500万枚以上のアルバムを売り上げている。ビリーヴァーと呼ばれる熱狂的ファンが世界中にいる一方、たびたびトラブルを起こす問題児としても有名。注107:1962年生まれ。アメリカの俳優。「トップ・ガン」(’86)でブレイクし、その後も「レインマン」(’88)や「ミッション・インポッシブル」(’96)、「ラスト・サムライ」(’03)などのヒットを出している。注108:1963年生まれ。アメリカの俳優。「シザーハンズ」(’90)でブレイクし、「ギルバート・グレイプ」(’93)や「エド・ウッド」(‘94)などで活躍。「パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち」(’03)のジャック・スパロウ役でも有名。注109:1963年生まれ。アメリカの俳優。「テルマ&ルイーズ」(’91)で注目され、「トゥルー・ロマンス」(’93)や「セブン」(’95)でブレイク。ブラピの愛称でも親しまれる。注110:アメリカの独立系映画会社。’79年に社長就任したイスラエル人の映画監督メナハム・ゴーランと従兄弟ヨーラム・グローバスのもと、チャック・ノリス主演のB級アクションから、ロマン・ポランスキーやジョン・カサヴェテスなど巨匠の芸術映画まで、数え切れないほどの作品を世に送り出した。’89年にゴーランが辞任してから急速に衰退。注111:1988年制作。アメリカ映画。ナチスドイツと戦った女性パルチザン、ハンナ・セネシュの実話を描く。マルーシュカ・デートメルス主演、メナハム・ゴーラン監督。注112:1983年制作。アメリカ映画。ニューヨークのブルックリンを舞台にした大人のラブロマンス。エリオット・グールド主演、メナハム・ゴーラン監督。注113:1989年制作。イタリア映画。自由奔放なセクシー美女マリーナの華麗なる男性遍歴を軸に、「甘い生活」(’60)などフェリーニ映画へオマージュを捧げた作品。キャロル・アルト主演、カルロ・ヴァンツィーナ監督。注114:1986年制作。イタリア映画。殺人鬼に狙われた女性心理学者を描く猟奇サスペンス。ララ・ウェンデル主演、ランベルト・バーヴァ監督。 『007/カジノ・ロワイヤル(2006)』CASINO ROYALE (2006) © 2006 DANJAQ, LLC, UNITED ARTISTS CORPORATION AND COLUMBIA PICTURES INDUSTRIES, INC.. All Rights Reserved. 『007/慰めの報酬』QUANTUM OF SOLACE © 2008 DANJAQ, LLC, UNITED ARTISTS CORPORATION AND COLUMBIA PICTURES INDUSTRIES, INC.. All Rights Reserved. 『007/スカイフォール 』Skyfall © 2012 Danjaq, LLC, United Artists Corporation, Columbia Pictures Industries, Inc. Skyfall, 007 Gun Logo andrelated James Bond Trademarks © 1962-2013 Danjaq, LLC and United Artists Corporation. Skyfall, 007 and related James Bond Trademarks are trademarks of Danjaq, LLC. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2016.04.20
男たちのシネマ愛⑥愛すべき、クレイグ・ボンド。そして、愛すべき洋画の未来。(5)
飯森:それをどうやるのかですよ。洋画と邦画の興行収入が逆転し邦高洋低と言われるようになって久しい今の日本では、洋画でも「アナ雪」のようなとんでもないモンスター・ヒットがたまに出る一方で、その他大勢が埋もれてしまい、かつてのように人々がハリウッド映画だからといって興味を持たないような状況になってしまっている。その現状からひっくり返していかないと、安パイ的なアクション映画依存からの脱却、脱ステイサム、脱セガールはできないでしょう。新しいことや未知のこと、世界のことに興味関心を持ってもらえないとね。 なかざわ:でも、映画の影響力が薄れているのは日本だけの問題ではないですけれどね。アメリカでもそうですよ。ロサンゼルスの街を車で飛ばせば一目瞭然ですが、ビルボード(注84)の大半がテレビドラマです。映画の看板は一部のエンターテインメント超大作だけで、それ以外はショッピングモールの壁にポスターが貼ってあればいいくらいのもの。ハリウッドのお膝元がそんな状況ですからね。 飯森:僕は個人的にはアメリカの映画とドラマを無理に区別する意味はないという考えなので、どっちが流行っていてもいいとは思うんですけれど、どっちかは常に流行っていてほしい。だけどどっちも流行ってない。今の日本では外国映画だけじゃなくて海外ドラマもそれほど注目はされていませんよね? 昔のように、日本で普通に暮らしているだけでそのドラマを知っちゃってる、見ちゃってるというほど世間一般大衆に広くは受容されてはいない気がする。ネット配信で選択肢は飛躍的に増大したけど、作品数ばかり増えてブームが起きない。 なかざわ:確かに一昔前の「24-TWENTY FOUR-」(注85)や「LOST」(注86)ほどの勢いはないかもしれません。 飯森:そのどちらにも当時ハマりましたし、僕はさらに前の「ビバリーヒルズほにゃらら白書」(注87)世代で、キャラの設定年齢と同学年なので当時は周りも全員ハマっていた。その前が「ツイン・ピークス」(注88)でその前は「エアーウルフ」(注89)とか「Aチーム」(注90)とか「ナイトライダー」(注91)を毎週見てた。まさに海ドラで育ってきた世代です。僕より上の人だとそれこそ「0011ナポレオン・ソロ」(注92)とかでしょ?さらにその前の’50年代のテレビ黎明期には国産コンテンツ不足で供給が追いつかないんで海外ドラマが盛んに輸入されていた。戦後日本人はそれらを浴びるように見ることによって、自由主義陣営の価値観を他の西側諸国と共有している国民になることができた。さきほどの「キングスマン」なんか良い例で、異民族異人種に対して公然と差別発言をするようなレイシストは、映画の中では最低の悪役として扱われるんだよ、それは議論の余地もなく悪だからねと。それが先進国の常識ってもんでしょ? アメリカ人に聞いてもイギリス人に聞いても、フランス人でもドイツ人でも、少数の変な人はさておき大多数のマトモな人なら必ずそう答えるであろう、戦後民主主義社会のモラル、自由世界の常識、映画やドラマが描く正義というものを、海外コンテンツを通じて、我々の親も、我々自身も、子供の頃からエンタメを通じ学んできた。単一民族社会だと思い込んでいる国産コンテンツにはそういう観点のメッセージ性は薄い。それが今では、映画を見る人も海外ドラマを見る人もごく一部というような状況になっちゃって、どんどん国産ドメスティック寄りになっているけど、オイオイ大丈夫なのか!?とつい心配になっちゃうんですよね。 なかざわ:それを言ったら、アメリカ人こそドメスティックな映画やドラマしか見ないですけどね(笑)。 飯森:だからトランプさんが人気なのか!まぁそれは冗談として(笑)、アメリカは世界の中心ですからそれでもいいんですよ。多民族移民社会ですからバカ娯楽作であってもそういうメッセージ性は強い。ただ、東の果ての小国の島国に暮らす我々日本国民が、国際スタンダードみたいなものに興味を示す、それが常に気がかりで仕方ない、俺って周りから浮いてないかどうか心配だ、という、かつてのような多少コンプレックスの入り混じった心理状態って、むしろ健全なことだと僕は思うんですよね。“ほどよきコンプレックス”ってのは在ると思いますよ。 なかざわ:僕なんかはまさに外国の映画、外国の音楽、外国のドラマにどっぷりと浸かって影響を受けてきた人間ですけれど、その一方でこれは外へ行ってみて初めて分かることなんですが、これだけ外国文化を貪欲に吸収してきた国というのは世界的に見ても希なんですよ。 飯森:かつてはねえ。 なかざわ:そういう意味では、日本も普通の国になっちゃったという風には思いますね。 飯森:日本はそもそもが普通の国ではないので、意識的に貪欲に吸収するぐらいで丁度いいんです。まず島国で孤立している。それだけならイギリスもニュージーランドも条件は同じですが、単一民族社会というのは勘違いにせよ確かに異民族は少ないし、何より、言語的に他と似たところが全く無い極めて特異な“孤立言語”を国語にしていることが決定的に普通とは違う。フランス人は似てるイタリア語をある程度は解る、だから習得するのも簡単だ、北欧がみんな英語ペラペラなのもそういうこと、ピンクと赤とオレンジの差ぐらいしか違わないからね、みたいな親戚言語が、日本語には存在しない。話者は1億2500万人くらいしかいなくて、その人口すら今後どんどん少子化で減っていく。ほっといたら言葉の壁で外の考え方なんて入ってこない。それなのにアンテナを外向きに張らずに今後やっていけるの!?と。世界の常識なんて知るか、俺は俺独自のルールで動くんだ、悪いか!というのは、北朝鮮とかISとかと同じ考え方ですけど、あんまりそっち系にはなっていってほしくないんだよな…。もっとも、日本の市場がドメスティックなコンテンツばかりになったとしても、ハリウッド映画と比べても全く遜色がない。いやむしろハリウッドより上!娯楽としても上だしメッセージ性も強いし、ということなんであれば、好きなだけ鎖国してガラパゴス列島に引き篭もったっていいかもしれない。栄光ある孤立というか、ソロ充でね。でも、そうじゃないでしょ? なかざわ:まあ、全くダメですね(笑)。百歩譲って、日本のユーザーが親しみを感じない外国コンテンツよりも自国コンテンツを選ぶのは、選択の自由です。でもね、日本は肝心の作り手が外国の優れた作品から積極的に学んでいるようには思えない。もちろん、全員がそうだとは言いません。でも、自己満足でしかない代物も多い。それが全体のクオリティーを下げている。そういう作品ばかり見せられる日本の観客の“見る目”も劣化してしまっている。そこが今の問題だと思います。 飯森:まさにそこですよ!駄作が生まれるのは作り手の恥、彼らの能力の問題で、防ぎようがないし我々の知ったことでもないんですが、それのヒットを許してしまったら観客の質の問題、民度の問題、我々自身の恥になりますから、その事態だけは防ぎたいですよね。もちろん日本映画でも良いものや大傑作はありますよ?わざわざ言うまでもありません、当然です。でもその一方で、これぞまさしく「どうしてこうなった!?」としか言いようがない、それがその形で完成しちゃってる現実が信じられない、眼球が破裂し頭部が爆発しちゃいそうになる作品も、割と多いですよね。アーク《聖櫃》か! ここまでヒドいのはアメリカ映画では見た覚えがほとんどない級の駄作に、年に何本も出会う気がする。つまらないとかを通り越し、破綻・崩壊しちゃってる。良いものはあるが、極端に悪いものが極端に多すぎることが問題です。まともなチェック機能が働いてるのか!?と。なぜ、誰が、この状態でよしとしてしまったのか?これでいいかどうかどういう検証をしたのか?作ってる途中で改良や見直しはできなかったのか?と不思議で仕方ないものに、割かしよく遭遇する気がする(笑)。 なかざわ:これでオッケーだと思ったんだ!?っていうね。それこそ最近話題になった、人気コミックを実写化した、とある邦画とかですよね。あれなんかでは、この程度でいいだろう、というような作り手たちの意識すら透けて見えた気がします。 飯森:はて?漫画原作なんて今時いっぱいありますから、どの作品のことを仰られているのか僕にはさ〜っぱり見当もつきませんが(笑)。 なかざわ:エッ、普通この流れで逃げます!? わざとらしくトボけないでくださいよ(笑)。あれには僕も悪い意味で本当に度肝を抜かれました。怖いもの見たさで見に行った人も多いとは思いますが、それにしたって不健全な現象だと思いますよ。 飯森:まぁ、作り手さんにしてみれば努力もしてるだろうし、制作上の仕組みの問題のせいもあるんだろうと気の毒にも思いますけどね。優秀な人材はいるのに、その人が我を通せない。そのせいで本意ではないような作品に仕上がってしまうという。クリエーターのこだわり=良い意味での“ワガママ”が通らないと物作りはダメですよ。クリエイティブなんてどこかからはチームプレイじゃなく個人技になっていかないと本当はおかしいんですから。僕はなかざわさんの仰る業界人の不勉強ということ以上に、そういう構造的な問題や、メンタリティーや国民性、つまり悪い意味で「和を以て貴しとなす」という、ノーと言いづらい、我を通しづらい日本社会の同調圧力とかが原因じゃないのかと推測します。とはいえ「だから仕方ないよねえ…」と同情ばかりもしていられなくて、それが海外でも公開されるとなると…。 なかざわ:まさに、国辱もの(笑)。 飯森:例えばの話、仮にその日本の某人気コミックなるものが、お隣の韓国でも大人気だったりしちゃったりすると仮定します。あくまで仮の話ですよ(笑)? ならば当然、韓国人も「お、日本人があれを実写化したんだったら見てみるか」と思うでしょ?でも我々としては「いや〜ん、見ないで〜♥」って感じじゃないですか。もうまいっちんぐですよ。だって相手はあの韓国ですよ!? 韓国といえば、我々が嫉妬と羨望の入り混じった目で見せつけられている、とてつもない傑作を年に何本も生み出している映画先進国なわけじゃないですか。ついここ最近だけでも「コンフェッション/友の告白」(注93)とか「インサイダーズ/内部者たち」(注94)とか、生涯ベスト級の圧倒的な傑作を余裕で量産できちゃう。そんな国でその仮の映画が「ほっほう、これが日本映画界が放った噂の勝負作ですか、どれ、拝見しましょうか」と腕組んで足組んで見られちゃう、そして「…フッ、勝ったな!」と彼らをして勝ち誇らせちゃうというのは…実にまいっちんぐです。悔しすぎます!我々日本人には100年以上にわたってアジアの最先進国で一等国だというメンツがある。それが1ラウンドKO負けサンドバッグ状態みたいな負け方は、できればしたくないんですけどねぇ…。 なかざわ:いや、僕だって基本的には日本映画は好きですから。だからこそ、現状に対して言いたくなってしまうんです。なんとか頑張ってくれと。取材で各国を歩いていると確かに日本映画ファンは沢山います。でもね、彼らが影響を受けた監督、大好きな映画って、殆どが何十年も前の人や作品なんです。せいぜい北野武(注95)くらいですよ。存命なのは。 飯森:三池崇史(注96)さんとかはどうなんです? なかざわ:三池さんや園子温(注97)さんは、あくまでもカルトの領域を出ません。確かに熱狂的なファンはいるけれど、黒澤明(注98)や小津安二郎(注99)や溝口健二(注100)ほどの知名度はありませんし、市川崑(注101)や成瀬巳喜男(注102)らと並び称されているわけでもありません。 飯森:是枝裕和(注103)さんとかも、たとえばアッバス・キアロスタミ(注104)くらいには尊敬されているのかもしれないけれど、そういう芸術家みたいな人はどこの国にもいますしね。芸術作品やちょっと良い佳作良品を作っている人ならいますが、世界が常に新作を待ち望んでいる、世界がひれ伏すクラスの娯楽作家というのを、日本の映画界にも望みたいところです。 なかざわ:だから、日本映画の伝統云々を言う前に、そうした現実を日本の映画人は真摯に受け止めなくちゃいけないと思います。過去の栄光にすがっているようじゃダメですよ。 飯森:いやはや、深い対談になってまいりました!でも、これ今後の洋画チャンネルに期待することって話からはかなりズレてますよね。さすがにちょっと戻しましょうか(笑)。 注84:街中に掲げられた巨大広告看板のこと。注85:凄腕捜査官ジャック・バウアーがテロの脅威と戦うアメリカのテレビドラマ。’01年~’14年まで9シーズンが制作され、番外編のテレビ映画も作られた。注86:旅客機事故で謎の無人島に不時着した人々のサバイバルを描くアメリカのテレビドラマ。’04年~’10年まで放送された。注87:1990年から始まった「ビバリーヒルズ高校白書」。住所である「Beverly Hills, 90210」が元のタイトルだが、日本で勝手に「高校白書」と名付けたことで主人公たちが高校を卒業し大学に進学すると「ビバリーヒルズ青春白書」と途中改題した。2000年まで続き、’90年代を象徴する映像作品となった。注88:田舎町での女子高生死体遺棄事件を、デイヴィッド・リンチ監督が不条理かつシュールに描き、カルト的人気を博したアメリカのテレビドラマ。’90年~’91年まで放送され、映画版も作られた。注89:テレビドラマ「超音速攻撃ヘリ エアーウルフ」のこと。日本では’86年~’87年まで日本テレビで放送され、幾つかの長尺テレビムービー版が金曜ロードショーで放映された。注90:テレビドラマ「特攻野郎Aチーム」のこと。日本では’85年~’88年までテレビ朝日で放送され、何話かは日曜洋画劇場で放映された。注91:ドライバーのマイケル・ナイトが愛車兼相棒の人工知能搭載スーパーカー“ナイト2000”に乗って悪と戦う。日本では’87年~’88年までテレビ朝日で放送され、幾つかの長尺テレビムービー版が日曜洋画劇場で放映された。注92:日本では’66年~’70年まで日本テレビで放送されたテレビドラマで、映画「コードネーム U.N.C.L.E.」のオリジナル。注93:2014年制作。韓国映画。チソン、チュ・ジフン、イ・グァンス出演。誰も被害者が出ずに金だけ手に入るはずの自作自演保険金詐欺を企み、悲惨な被害を出してしまった友人グループが、のっぴきならない立場に追い込まれていく。イ・ドユン監督。注94:2015制作。韓国映画。イ・ビョンホン、チョ・スンウ出演。政界の汚れ仕事を担ってきたが裏切られ消されそうになるチンピラが、検事と組んで韓国政界最上層部に戦いを挑む。ウ・ミンホ監督。注95:1947年生まれ。日本のお笑い芸人、俳優、映画監督。監督としての代表作は「その男、凶暴につき」(’89)、「ソナチネ」(’93)、「菊次郎の夏」(’99)など。世界的な人気と知名度も高い。注96:1960年生まれ。日本の映画監督。代表作は「殺し屋1」(’01)や「ゼブラーマン」(’04)、「13人の刺客」(’10)など。クエンティン・タランティーノら各国の映画監督に多大な影響を与えている。注97:1961年生まれ。日本の映画監督。代表作は「愛のむきだし」(’08)、「冷たい熱帯魚」(’11)、「地獄でなぜ悪い」(’13)など。海外の映画祭でも数多く受賞している。注98:1910年生まれ。日本の映画監督。映画史上最も重要な映像作家であり、日本が世界に誇る巨匠中の巨匠。代表作は「羅生門」(’50)、「七人の侍」(’54)、「隠し砦の三悪人」(’58)、「用心棒」(’61)、「椿三十郎」(’61)、「影武者」(’80)などなど。スティーブン・スピルバーグやジョージ・ルーカスなど多くの映画監督が影響を受けた。1998年死去。注99:1903年生まれ。日本の映画監督。代表作「東京物語」(’53)は世界各国でたびたび不朽の名作リストの上位にランクされるなど、海外での人気と評価が圧倒的に高い。ヴィム・ヴェンダースやジム・ジャームッシュなど、小津に影響を受けた映画監督も数多い。1963年死去。注100:1898年生まれ。日本の映画監督。「西鶴一代女」(’52)と「雨月物語」(’53)、「山椒大夫」(’54)が3年連続でヴェネチア映画祭で受賞。「雨月物語」はアカデミー賞の衣装部門にもノミネートされた。ジャン=リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーなど、ヨーロッパの映画監督に影響を与えた。1956年死去。注101:1915年生まれ。日本の映画監督。アカデミー外国語映画賞候補になった「ビルマの竪琴」(’56)を筆頭に、「野火」(’59)や「東京オリンピック」(’65)、「細雪」(’83)などが海外で映画賞を獲得して高い評価を得た。日本では「犬神家の一族」(’76)に始まる金田一耕助シリーズでも有名。2008年死去。注102:1905年生まれ。日本の映画監督。代表作は「めし」(’51)、「浮雲」(’55)、「流れる」(’56)、「女が階段を上る時」(’60)など。女性映画の名手として知られ、ダニエル・シュミットやレオス・カラックスなどヨーロッパの映画監督に影響を与えている。1969年生まれ。注103:1962年生まれ。日本の映画監督。処女作「幻の光」(’95)が海外の映画祭などでも注目され、「誰も知らない」(’04)や「そして父になる」(’13)が国際的にも高い評価を得ている。注104:1940年生まれ。イランの映画監督。「桜桃の味」(’97)でカンヌ映画祭グランプリを受賞。 次ページ >> 今は業界全体が努力をして工夫を凝らさなくてはいけないでしょうね。(なかざわ) 『007/カジノ・ロワイヤル(2006)』CASINO ROYALE (2006) © 2006 DANJAQ, LLC, UNITED ARTISTS CORPORATION AND COLUMBIA PICTURES INDUSTRIES, INC.. All Rights Reserved. 『007/慰めの報酬』QUANTUM OF SOLACE © 2008 DANJAQ, LLC, UNITED ARTISTS CORPORATION AND COLUMBIA PICTURES INDUSTRIES, INC.. All Rights Reserved. 『007/スカイフォール 』Skyfall © 2012 Danjaq, LLC, United Artists Corporation, Columbia Pictures Industries, Inc. Skyfall, 007 Gun Logo andrelated James Bond Trademarks © 1962-2013 Danjaq, LLC and United Artists Corporation. Skyfall, 007 and related James Bond Trademarks are trademarks of Danjaq, LLC. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2016.04.20
軽妙なヒッチコック風ジャンルミックス映画を、時代を代表するコメディ俳優ゴールディ・ホーンとチェヴィー・チェイスの好相性が輝かせる〜『ファール・プレイ』〜
図書館で働くバツイチ女子グロリア(ゴールディ・ホーン)は、ドライブ中にスコッティと名乗る男を拾う。成り行きで一緒に映画を観る約束をさせられるが、映画館内で再会した時には彼は既に息も絶え絶え。「用心しろ、ドワーフに」と謎の言葉を残して絶命してしまう。 驚くグロリアは映画館の支配人を呼ぶが、座席に戻った時には何故か死体は消えていた。 それ以来、彼女は白スーツのスナイパーに追われるように。助けを求めるグロリアだったが警察からは逆に不審者扱いされる始末。唯一、信じてくれた刑事は、かつて彼女をナンパしたことがあるイイ加減男のトニー(チェヴィー・チェイス)だった。やがて一連の事件の裏に、アメリカ訪問中のローマ教皇を暗殺する陰謀が横たわっていることを二人は知るのだが ……。 大学の卒業制作に、あの『ハロルドとモード』(71年)の脚本を書き、そのままハリウッド・デビューを果たした逸話を持つ才人コリー・ヒギンズが、『大陸横断超特急』(76年)で試した手法をさらに発展させたのが『ファールプレイ』である。その手法とは、コメディ、ミステリー、ロマンス、サスペンスといった様々なジャンル映画の要素をヒッチコック・タッチのもとでミックスさせるというもの。 その証拠に、本作の舞台は『めまい』の舞台であるサンフランシスコ。ほかにも『ダイヤルMを廻せ!』や『知りすぎていた男』といったヒッチコック作品へのオマージュがふんだんに盛り込まれている。 こうしたヒッチコックへのオマージュは、『殺しのドレス』 (80年)や『ボディ・ダブル』 (84年)といった同時代のブライアン・デ・パルマ作品にも見られるものだけど、『ファールプレイ』はいい意味でもっと軽い。 というのも、グロリアとトニーのやりとりはロマンティック・コメディ調だし、ふたりが複数の自動車を乗り継いでローマ教皇がオペラ鑑賞をしているオペラハウスに向かうシーンは、同じサンフランシスコを舞台にしたスティーブ・マックイーンの刑事アクション『ブリット』(68年)の様。ベテラン俳優バージェス・メレディス(テレビドラマ版『バットマン』のペンギンや『ロッキー』シリーズのトレーナー、ミッキー役で有名)がカンフーで敵と延々と戦うシーンが設けられるなど、同時代の流行への目配せも行き届いているし、何よりグロリアを演じているのがゴールディ・ホーンだからだ。 1945年生まれのゴールディは、ブロードウェイでのダンサーとしての活動を経て、伝説的なコメディ番組『Laugh-In』(68〜73年)にレギュラー出演したことで人気を獲得。映画進出作『サボテンの花』(69年)ではあの大女優イングリッド・バーグマンの恋敵役だったものの魅力で圧倒、ハジけた演技を披露してアカデミー助演女優賞をゲットしてしまった。この下克上的偉業において比較できるのは『ベスト・フレンズ・ウェディング』(97年)におけるジュリア・ロバーツに対するキャメロン・ディアスくらいのものだろう。 70年代に入るとスティーヴン・スピルバーグの初の劇場作『続・激突!/カージャック』(74年)やハル・アシュビーの監督作『シャンプー』(75年)といった話題作に次々と出演。満を持して挑んだ主演コメディが『ファールプレイ』だったというわけだ。その後は制作総指揮を兼ねる形で『プライベート・ベンジャミン』(80年)や『アメリカ万歳』(84年)といったヒット作に主演。90年代半ばまで主演を張れるコメディ女優として活躍を続けた(彼女のポジションは娘のケイト・ハドソンがそのまま引き継いだ)。 そんなゴールディの相手役を本作でチェヴィー・チェイスが務めたのはある種の必然かもしれない。チェイスは『Laugh-In』の後継番組といえる『サタデー・ナイト・ライブ(SNL)』(75年〜)の初期レギュラーだったからだ(ついでに言うと『サボテンの花』は90年代『SNL』のレギュラーだったアダム・サンドラーが『ウソツキは結婚のはじまり』(11年)としてリメイクしている)。 そのチェイスのバイオグラフィーはとてもユニークだ。1943年ニューヨーク生まれの彼の本名はコーネリアス・クレーン・チェイス。そう、とても重々しいのである。それもそのはず、彼は重機メーカー、クレーン社の創業家の血を引く富豪一族のボンボンで、総資産は5000万ドルにも及ぶらしい。 なのにチェイスはロックンロールに夢中になり、バード大学ではスティーリー・ダンの前身バンドでドラムスを叩いていたという。その後、ソフトロック・バンド、カメレオン・チャーチのメンバーとしてメジャー・デビュー。しかし徐々にお笑いに関心を持ち始め、70年代に入るとパロディ雑誌「ナショナル・ランプーン」が始めたお笑いライブやラジオ番組で活動するようになった。これが認められて『SNL』スタート時にメンバーに迎えられたというわけだ。 現在も伝説として語り継がれる第1シーズンは、採用されるネタが殆どチェイスのものだったことから、彼の独壇場(あのジョン・ベルーシとダン・エイクロイドも脇に押しやられていた)。すぐさまハリウッドから映画出演のオファーが殺到したため、チェイスは最初の1年であっさり番組を降板(ちなみに彼の後任がビル・マーレーである)、今作がハリウッド進出第一作となった。 いかなる時でも余裕を感じさせる得難い個性は、アッパーなゴールディを包み込むかのよう。『昔みたい』(80年)で再共演したのも頷ける相性の良さだ。40代を迎えたあたりから急速にオッサン化し(しかしハングリー精神が薄いせいか、加齢と戦おうとはしなかった)なぜ『SNL』でダントツのスターだったのかが謎になってしまったチェイスだけど、本作では天下を取ったその魅力が伝わってくると思う。 そして『ファールプレイ』を語る上で欠かせない第三の存在が、ある時はバー、ある時はいかがわしい館、そしてオペラハウスにも登場する謎の英国人スタンレーを怪演するダドリー・ムーアだ。 1935年生まれと、ゴールディやチェイスより一世代上にあたる彼のキャリアは60年代初頭まで遡る。主演映画『悪いことしましョ!』(67年)もあったものの、意外にも本作がハリウッドへの本格進出作となる。 変態チックだけど愛すべき男である本作のスタンレー役で、成功への足掛かりを掴んだ彼は、ブレイク・エドワーズ監督作『テン』(79年)、そして『ミスター・アーサー』(81年)といったヒット作に立て続けに主演してトップ・スターとなったのだった。 しかしこの二作の彼はいずれもアルコール中毒の設定だった。ムーアの手足の動きがアル中のそれにしか見えなかったからだった。当初は、酒好きの本人すらそう思っていたというが、やがてこうした症状が進行性核上性麻痺という病が原因であることが判明した。 これが次第に日常生活にまで支障をきたすようになり、90年代以降は一線を退くことを余儀なくされたムーアは、長い闘病生活の末に02年に亡くなっている。本作こそがコンディションが万全だった頃のムーアの演技が観れる数少ない作品といえるだろう。 なお本作の監督のコリン・ヒギンズも『9時から5時まで 』(80年)など大ヒット作を放ちながら、88年にHIVで47歳の若さで亡くなっている。ムーアとヒギンズが病に倒れなければ、90年代以降のコメディ映画界はもっと華やかになったかもしれない。『ファールプレイ』は、そんなありえたかもしれない未来を妄想させてくれる映画でもあるのだ。■ COPYRIGHT © 2016 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.