COLUMN & NEWS
コラム・ニュース一覧
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COLUMN/コラム2016.10.02
俺たちスーパー・ポリティシャン めざせ下院議員!
米国南東部のノースカロライナ州。カム・ブレイディ(ウィル・フェレル)は、5期目の当選が確実視される民主党下院議員。その人気をもってすれば、副大統領も夢ではないと言われていた…女癖が災いしてセックス・スキャンダルを巻き起こすまでは。 彼を支援してきた大企業モッチ・グローバル社のオーナー、モッチ兄弟は、このカムの破廉恥行為に激怒。代わりに地元の名士の次男坊ではあるけど出来が悪いことで有名なマーティ・ハギンス(ザック・ガリフィアナキス)を共和党候補として担ぎだす。かくしてバカ対バカによる、史上最低の選挙戦が開始されることになったのだった。 だがモッチ兄弟の真の狙いは、州内に、中国人が時給50セントで働く<米国内中国>を認める法案を通すことにあった。はたしてボンヤリしているにもほどがある二人は、モッチ兄弟の黒い野望を食い止めることが出来るのだろうか…。 2012年に全米公開されて大ヒットを記録した『俺たちスーパーポリティシャン!目指せ下院議員』で描かれる選挙戦は、コメディ映画だから当然なんだけど笑っちゃうほど最低のものだ。大物議員であるはずのカムは、具体的な政策は一切語らず、「アメリカ! キリスト! 自由!」「強いアメリカが復活する!」と連呼するばかり。マーティがパグを飼っているのを知ると「中国の犬を飼っているから、アイツは共産主義者だ」、ヒゲを生やしているのを見ると「アイツはアルカイダの仲間だ」とディスりまくる。 対するマーティも、カムが小学生のときに作った架空の国家レインボーランドを描いた童話をネタに「外国を愛する奴はアメリカから出ていけ!」と口撃し、自分の妻と浮気をしたカムをライフルで撃って支持率を急上昇させるのだから最低だ。 でもこうした光景って、どこかで見た記憶はないだろうか? そう、あらゆる演説が相手を貶めることに費やされた2016年の米国大統領選挙である。「メイク・アメリカ・グレイト・アゲイン(アメリカを再び偉大にする)」というあまりに漠然としたキャッチフレーズのもと、「メキシコとの国境に塀を作る(しかも費用はメキシコ持ち)」という実現不可能な公約を掲げ、「ヒラリー・クリントンがISISを作った」「オバマはアメリカで生まれていない」という嘘を公然と主張したドナルド・トランプと、カム&マーティは生き写しのようではないか。本作は、未来の大統領選を予言した戦慄すべきSF映画でもあるのだ。 だがこの<予言>は決してまぐれ当たりしたものではない。というのも、本作に関わったスタッフや俳優は政治への造詣が深い奴らばかりなのだから。 たとえば監督のジェイ・ローチ。『オースティン・パワーズ』と『ミート・ザ・ペアレンツ』の両シリーズで有名な男だけど、08年に撮ったテレビ映画『リカウント』は00年の大統領選におけるフロリダ州の投票集計について描いたシリアスな群像劇だった。 当時ジェブ・ブッシュが知事を務めていたフロリダ州では不可解な集計が各所で行われていて、もし正確に行われていたら共和党候補ジョージ・W・ブッシュ(ジェブの兄である)ではなく、民主党候補のアル・ゴアの方が大統領になっていたかもしれないと言われている。 ローチにとって『俺たちスーパーポリティシャン!』は、得意のコメディ映画ではあると同時に、『リカウント』続編としても見れる政治ドラマなのである。ちなみにローチの目下の最新作は、政府から赤狩りにあった実在の映画脚本家ダルトン・トランボの生涯を描いた伝記映画『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』(15年)だ。 原案のアダム・マッケイは『サタデー・ナイト・ライブ』のライター出身で、同時期に出演していたウィル・フェレルと二人三脚でキャリアを築いてきた監督兼脚本家だけど、リーマン・ショックを背景に置いた『アザー・ガイズ 俺たち踊るハイパー刑事!』(10年)あたりから社会派の側面を見せはじめてきた。 本作を経て作り上げた監督作『マネー・ショート 華麗なる大逆転』(15年)は、リーマン・ショックそのものを描いた濃厚な群像ドラマである。この作品でマッケイは庶民の生活を蔑ろにする金融資本、そしてそれをバックアップする政府への強い憤りを表明している。 そんなマッケイと長くコンビを組むウィル・フェレルも、かなりリベラルな思想の持ち主だ。自ら書き下ろし、ブロードウェイで上演した戯曲『You're Welcome America』では、『サタデー・ナイト・ライブ』時代から得意とするジョージ・W・ブッシュのモノマネをフル活用して、彼の失政を鋭く批判。またマッケイと共同で主宰するコメディ・サイト「Funny Or Die」では、これまでも性差別や同性愛嫌悪へのアンチを表明するビデオが数多く発表されており、2016年にはドラルド・トランプを茶化しまくった『The Art Of The Deal』(トランプを演じたのはジョニー・デップ!)が発表されている。 残るザック・ガリフィアナキスも一見何も考えていないように見えて、実は滅茶苦茶リベラルな男だ。なぜならガリフィアナキス家はノースカロライナ州で代々政治に関わっている一家として有名で(彼のおじさんは本当に下院議員だった)、『俺たちスーパーポリティシャン!』自体、彼の持ち込み企画なのだから。 つまり最高のコメディの作り手であると同時に、政治に多大な関心を持つ男たちが集まったからこそ、本作はとことん笑えるのと同時にぞっとさせる風刺劇に仕上がっているというわけだ。 最後に本作の悪役モッチ兄弟について触れておきたい。実は彼らにもモデルが存在する。石油や天然ガス関連の事業で天文学的な収益を上げる巨大企業コーク・インダストリーズのオーナー、コーク兄弟がそれだ。 日本で有名でないのは非上場企業だから。兄弟ふたりの資産を足すとビル・ゲイツのそれを上回るというトンデモない大富豪である彼らは、議員たちに多額の献金を行うことで、大企業への減税や環境汚染の規制緩和など行ってきた。 そんな彼らは近年、アメリカという国をより自分たちに有利なように作り変えるために、ある運動を影で後押ししていることでも知られている。政府のあらゆる規制や福祉政策を廃止し、政府の機能を最小限にする「ティー・パーティー運動」がそれだ。ティー・パーティー運動は、「お偉いさんだけがウマいことをやっている」と考えていた白人労働者階級を惹きつけ(実際は規制や福祉が無くなったら最も困るのは彼らなのだが)、一大ムーヴメントを起こし、特に共和党は半ば乗っ取られつつあるのが現状だ。もっともコーク兄弟にとっても、元々金持ちのためで他人の金では動かないトランプの登場は誤算だったようで、今回の選挙では積極的に共和党を応援してはいなかったようだが。 ちなみにモッチ兄弟の弟を演じているのがダン・エイクロイドなのは、彼がフェレルにとって『サタデー・ナイト・ライブ』の大先輩である以上に、『大逆転』(83年)の主演俳優のひとりだから。この作品でエイクロイド扮するエリート青年ウィンソープは、大富豪デューク兄弟によって、ホームレスの黒人青年バレンタイン(演じていたのは若き日のエディ・マーフィ)と立場を交換させられ、散々な目に遭う。当初ウィンソープはバレンタインを恨んでいたものの、終盤にデューク兄弟の陰謀を知ってバレンタインとタッグを組んで戦いを挑んでいく。つまり、エイクロイドの出演は、本作のクライマックスの展開を予言しているのだ。 TM & © Warner Bros. Entertainment Inc.
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COLUMN/コラム2016.09.20
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2016年10月】キャロル
アカデミー作品、監督、主演男優、主演女優各賞に輝いたラブコメの古典的名作。 家出した富豪令嬢エリーと、彼女の特ダネを狙う新聞記者のピーターが、いつの間にか恋に落ちてしまうというお話。 現代のわたしたちに馴染みの“胸キュン”的ラブコメの典型を、80年以上も前にフランク・キャプラ監督が本作品で完成させていることに驚かされます。 あらすじは・・・ 富豪令嬢エリーは父親に黙って婚約。怒った父の監視を潜り抜け脱走、単身フィアンセのもとを目指す。彼女が乗った夜行バスにたまたま乗り合わせたのが、新聞記者のピーター。彼は富豪が娘を見つけるため出した新聞広告で、隣の女性がエリーその人であると知り、特ダネ記事を書くため素知らぬフリをしながらバスで一緒に旅を続ける。だが、旅の途中、2人は予期せず恋に落ちてしまった! ・・・というお話。 見ているこっちはエリーとピーターが両思いであることが分かっているのに、なかなかくっつかない二人。それどころか、度重なるすれちがいで相手の気持ちにすらなかなか気付かない・・・。 ああ運命のいたずらって。 神様のいじわる! 昔の映画って(今旬の映画と比べると)ゆ~っくり話が進むけれど、不思議なことに本作は軽快なテンポでぐいぐい引き込まれてしまう。しかも、お決まりのハッピーエンドは分かっているのに、それでも二人の行く末が気になって結局最後まで見てしまうという巧みな展開ときた。 『或る夜の出来事』は、さすがラブコメの原点と言われる作品だけあって、全ての胸キュン要素が凝縮されています。ああ皆さま、どうかクラシック映画を敬遠するなかれ。未見の方には、是非一度ご覧いただきたい。 今まで「白黒映画のラブロマンスなんてどうせ(ベタで奥手でつまらない)・・・」と思っていて、本当にごめんなさい!! Copyright © 1934, renewed 1962 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2016.09.17
ジャン・マレーの"陰"とルイ・ド・フュネスの"陽"がガチで渡り合う魅惑の「ファントマ」シリーズ
怪盗とドシな警視が端から勝敗が分かった出来レースを展開する。とても映画ファンフレンドリーなプロットだ。そこから、「ピンク・パンサー」の怪盗VSクルーゾー警部を思い浮かべる人もいるだろうし、一方で、スパイ・アクションとして切り取れば、ジェームズ・ボンドが世界制覇を狙うスペクターを追撃する「007」シリーズも想定内だろう。でも、ピーター・セラーズがシリーズ第1作『ピンクの豹』(64)でその天才的な"間の演技"で一世一代の当たり役、クルーゾーを世に送り出した同じ年、そして、『007 ドクター・ノオ』(63)でボンドが特命を受けてジャマイカに飛んだ翌年、フランスから発射された大ヒット怪盗シリーズがあった。それが「ファントマ」だ。 基の原作はピエール・スーヴェストルとマルセル・アラン共著による大衆小説で、後に母国フランスでサイレントやモノクロ映画にもなっているが、映画史的にはフランスのGaumont製作で20世紀フォックスによって世界配給されたシリーズが最も有名。でも、同じ時代のヒットシリーズ「ピンク・パンサー」や「007」に比べるとも知名度で劣る気がする。実際、映画マニアの中でも未見の人が多いと聞く。しかし、改めて観てみるとこれが楽しいことこの上ない。「007」と比較するのは申し訳ないような緩いアクションと俳優の個人芸、笑いの中に漂う不気味さと癒やし、それらが、シリーズの肝でもあるフランスのエスプリの皿に乗せられ、大衆食堂のテーブルにサーブされるかの如く。 神出鬼没の怪盗、ファントマが街を賑わせる中、パリ警視庁のジューヴ警部と新聞記者のファンドールが怪盗の素顔を暴き、逮捕に漕ぎ着けようとするが、ファントマは頭脳戦でこれに抵抗。両者の攻防はシリーズ第1作『ファントマ 危機脱出』のパリから、第2作『ファントマ 電光石火』のローマへ、さらに第3作『ファントマ ミサイル作戦』のスコットランドへと舞台を移して行く。そんなヒット映画のルーティンに則ったロケーション・ムービーとしての視覚効果はさておき、このシリーズ最大の楽しさは変装術にある。 ファントマの特技は野望達成のために生来の鉄仮面(設定上)の上に他人の顔をコピーして被り、相手を巧みに欺くこと。『危機脱出』の冒頭でヴァンドーム広場の宝石店からハイジュエリーを強奪するシェルドン卿と、物語の後半では刑務所の看守に化けて現れるファントマだが、『電光石火』では、ファントマによって拉致される科学者、ルフューヴル教授自身と、教授に化けたファントマ、さらに、ファントマを欺くために教授になりすましたファンドールが三つ巴で絡み合う。それらのキャラクターは、全員、主演のジャン・マレーが特殊メイクで1人2役、3役、またはそれ以上を演じているのを見逃す人はいないだろう。(勿論、ファントマは誰か?という秘密も)この種のシーンで当時常識とされていたのはスタンドイン。マレー演じる人物が同じ画面で対峙する時、片方はマレーが、もう片方は顔を隠して似た体型の他人が演じるお馴染みの手法だ。映画史に於いて、同じ人物同士が合成によって画面で対面した最初の作品は,恐らくケヴィン・クラインがアメリカ大統領とそのそっくりさんを1人2役で演じた『デーヴ』(93)ではなかったかと思う。いずれにせよ、「ファントマ」ほどスタンドインが堂々と、むしろ意図的に活躍する映画は少ないので、是非、その際の確信犯的カメラアングルに注目して観て欲しい。 変装するのはファントマやファンドールだけじゃない。『電光石火』では孤児院の子供がファントマのマスクを被って仲間を驚かせ、劇中のハイライトである仮装舞踏会では、ファントマが鉄仮面の上にアラブ王子のメイクを施して登場。『ミサイル作戦』では犬がキツネの着ぐるみを着てハイランドを疾走する。それを見てジューヴは『犬までが!?』と嘆くが、変装、仮装、仮面というアイテムは『オペラ座の怪人』『ジゴマ』『アルセーヌ・ルパン』を例に挙げるまでもなく、フランス大衆文学の必須要素。その脈々たる伝統を『ファントマ』も受け継いでいる。 出世作『美女と野獣』(46)で恩師、ジャン・コクトーから獣のメイクを施されたジャン・マレーが、20年後に巡ってきたヒットシリーズで、再びメイクを駆使した役で脚光を浴びるという宿命も感じないわけにはいかない。マレーが『危機脱出』で老紳士、シェルドン卿に扮して画面に現れた時、マレーの美貌にクラクラだった日本の女性ファンは、そのリアルな老けメイクを見て、彼が本当に老け込んでしまっと勘違いしてショックを受けたという逸話も。もし、それが本当なら、本人はさそがし愉快だったことだろう。 変装で魅せるマレーに対して、変幻自在の顔芸と、まるでコマ送りしたような俊敏な動きで笑いを取るのは、フレンチコメディ界のレジェンド、ルイ・ド・フュネスだ。ジューヴ警部に扮したフュネスは、画面にいる時は常時、喋りのスピードに合わせて顔の筋肉を躍動させ、体もそれに連動してまるで瞬間移動を繰り返しているかのよう。深夜、ベッドの上で奇怪な音に反応して飛び起きたり、防音のため耳栓をしていたのを忘れて、朝、寝室に音もなく現れた部下のベルトラン(『グリーンフィンガース』(00)等で知られるフランスのバイプレーヤー、ジャック・ディナムがフュネスと絶妙な掛け合いを見せる)に悲鳴を上げたり等々、人として普通の行動がフュネスの肉体を通すと問答無用で爆笑に繫がるシーンが、不気味なファントマとの対比で絶好のスパイスになっている。 スペイン、カスティーリャ地方の没落貴族の末裔から叩き上げ、フランス屈指のコメディアンになったフュネスの、これは『大混戦』(64)で始まる"サントロペ・シリーズと並ぶヒット作。様々な職業人の特徴を演じ分け、その人物独特の動きをパントマイムで表現する彼の演技手法は、俳優を正業にするまであらゆる仕事をこなしたというフュネスの実地体験から派生しているものだろう。 人気役者に美貌は決して求めず、人間味こそがエスプリの源と信じるフランス人にとって、フュネスがいかに偉大なアイコンだったかは、1964年の年間フランス国内興収の1位に『大混戦』、4位に『ファントマ 危機脱出』が、明けて1965年の1位に人気コメティアン、ブールヴィル共演の『大追跡』、4位にサントロペ・シリーズ第2弾『ニューヨーク大混戦』、6位に『ファントマ 電光石火』が同時ランクインしていることでも明らかだ。因みに、1966年に興収トップとなったフュネス&ブールヴィルの『大進撃』は、1997年に『タイタニック』に抜かれるまでフランス歴代興収最高位を維持し続けた。 そう考えると『ファントマ』シリーズは詩人、ジャン・コクトーに見出された美男俳優、ジャン・マレーの"陰"と、大衆に愛され続けたコメディアン、ルイ・ド・フュネスの"陽"がガチで渡り合った、別の意味での対決映画と取れなくもない。一説によると、撮影中マレーとフュネスの関係は良好ではなかったとか。それはもしかして本当かも知れない、と思ってみたりして。■ © 1964 Gaumont
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COLUMN/コラム2016.09.14
俺たちニュースキャスター 史上最低!?の視聴率バトルinニューヨーク
70年代後半のサンディエゴ。ローカルテレビ局のキャスター、ロン・バーガンディーは仲間の野郎どもと和気あいあいとニュース番組を作って、我が世の春を謳歌していた。だが才能と野心に満ちた女性レポーター、ヴェロニカが入社したことで状況は一変する。自分たちの無能ぶりがバレそうになったロンは、「このままでは俺たちの立つ瀬がない!」と、彼女にいやがらせをして追い出そうとするが、逆にキャスターの座を失う羽目に。果たしてロンはかつての栄光を取り戻すことが出来るのだろうか? 『俺たちニュースキャスター』は、老舗お笑い番組『サタデー・ナイト・ライブ(SNL)』で、90年代後半にエースとして活躍していたウィル・フェレル(主演&脚本)と、ヘッドライター(脚本家グループのリーダーで番組のかじ取り役)だったアダム・マッケイ(監督&脚本)のコンビが、番組卒業後に取り組んだ本格的な映画進出作だった。フェレルとマッケイは本作のアイディアを、ネットワーク局で最初のアンカー・ウーマンになったジェシカ・サヴィッチの自伝を読んでひらめいたという。70年代のサヴィッチは、ローカル局でキャスターを務めていたのだが、当時のテレビ局は超マッチョな世界で、ネットワーク局のアンカー・ウーマンになる夢を語ると笑われたというのだ。 そんな本に感銘を受けたのなら、普通は女性を主役にするところだろうけど(事実この本をベースに、96年にミシェル・ファイファー主演で『アンカー・ウーマン』という映画が作られている)、流石『SNL』でトップになる奴らは発想のレベルが違う。敢えて<才能ある女子をバカにするマッチョな性差別主義者>の方を主人公にして、それをフェレルが演じるというアイディアを思いついたのだ。 こうして最低で最高の迷キャラクター、ロン・バーガンディーが誕生した。まるでバート・レイノルズのようなワイルドな口ヒゲを蓄え、真っ赤なスーツに身を包んだロンは、未だに一度もリバイバルしたことがない70年代後半のイカれたセンスを体現したかのような男。しかもキャスターとしての才能はゼロで、見当外れの言動を繰り返し、興に乗るとフルートを吹きまくるのだ! 『SNL』の大先輩マイク・マイヤーズが扮した60年代の化身、オースティン・パワーズが、実はオシャレなのと比べるとマジでダサすぎる。でもこれが逆にウケた。イイところがひとつもないのに何故か憎めないロンになりきることで、フェレルはダサさを突き抜けたクールなコメディ・スターになったのである。 全くの私見だが、フェレルはこうしたキャラ造形術をベン・スティラーから学んだのではないだろうか。コメディ番組の5分間のスケッチと、上映時間が90分以上にも及ぶコメディ映画は同じお笑いでも全くの別モノだ。いくら笑いのコンセプトが良くても、その裏に人間性が感じられないと映画の観客は飽きてしまう。マイヤーズほどの天才コメディアンが、『オースティン・パワーズ』以降ヒット作を生み出せなかった理由もそこにある。 『SNL』在籍時に『オースティン・パワーズ』に脇役でゲスト出演したフェレルは、こうした問題点に気づいたのだろう。別の手本を探すようになり、その結果スティラーと共演した『ズーランダー』の中にヒントを見出したのだ。あの作品の<栄光の頂点に君臨して得意顔だった主人公が、才能が無いのがバレてドン底まで落ち、そこから何とか這い上がろうと頑張る>という基本プロットは、『タラデガ・ナイト オーバルの狼』(06年)や『俺たちフィギュアスケーター』(07年)といった以降のフェレル主演作の多くに共通するものだ。 前作から9年の歳月を経て、『俺たちニュースキャスター 史上最低!?の視聴率バトルinニューヨーク』で、フェレルがロン・バーガンディーを再び演じた理由のひとつは、ここいらでこの路線の集大成的な作品を作りたいとフェレルとマッケイが考えたからに違いない。 今作の舞台は1979年のニューヨーク。前作のラストでヴェロニカと共同でネットワーク局のアンカーマンに就任したロンが、ひとりクビになってしまうところから物語は始まる。失意の日々を送る彼のもとに、新規開局する24時間ニュースチャンネル、GNNからキャスター就任の誘いが舞い込む。 喜んだロンは、サンディエゴ時代の仲間を集めて番組に臨むが、担当の時間帯は午前2時から5時という、誰も観ていない時間帯だった。だがメゲないロンは「視聴者が聞くべきことを伝えるのではなく、彼らが聞きたいことを伝えるんだ」と政治的に偏向したニュースを放映したり、カーチェイスの中継を延々行うことで記録的な高視聴率を獲得していく。 GNNという名前自体は、1980年に開局したCNNのパロディだけど、むしろ本作の笑いの対象はフォックス・ニュースの方に向けられている。1996年に開局したフォックス・ニュースは、国際的な問題(視聴者が聞くべきこと)を多く報道するリベラル色が強いCNNに対し、保守的なアメリカ人のプライドをくすぐるような内容(彼らが聞きたいこと)を意識的に報道。リベラル派を「アンチ・アメリカ」とディスり、大統領選では共和党候補を熱烈に支持することで、あっという間にナンバーワン・ニュース局にのし上がった。フェレルとマッケイは、そのコンセプトを知性ゼロのロンが考えついたことにすることによって、強烈な批判を浴びせているのだ。 一見アホなギャグを追求し続けてきたかに見えるフェレルとマッケイだが、実はかなりのリベラル派。政治的なメッセージは、刑事アクション『アザー・ガイズ 俺たち踊るハイパー刑事!』(10年)あたりから表面化しはじめ、政治そのものを描いた『俺たちスーパー・ポリティシャン めざせ下院議員! 』(12年)で一層深まった。『史上最低!?の視聴率バトルinニューヨーク』も作品としてはあくまでその延長線上にある。 ちなみに本作の後、マッケイは初めてフェレル主演作ではない映画を監督したのだが、その作品こそが、リーマン・ショックの裏側を描いて評論家にも絶賛された『マネー・ショート 華麗なる大逆転 』(15年)だったりする。アカデミー賞脚色賞を獲得した同作のプロトタイプは『史上最低!?の視聴率バトルinニューヨーク』にあるのだ。 また本作はある種の同窓会映画でもある。第一作で、挙動不審なお天気キャスターを怪演したスティーブ・カレルや、モテ男の屋外レポーターを演じたポール・ラッドは、当時はまだスターと言える存在では無かった。プロデューサーを務めたジャド・アパトーに至っては殆ど仕事が無い状態。しかし『ニュースキャスター』で手応えを感じた彼らは『40歳の童貞男』の製作へとなだれ込んでいった。その後の活躍はここに書くまでもないだろう。そんな彼らが本作でフェレルとマッケイのもとに帰ってきた。全編にパーティ・ムードが漂っているのはそのためだ。 こうしたパーティ・ムードにさらに輪をかけているのが大量のカメオ出演だ。ざっと紹介するだけでも、ハリソン・フォード、ドレイク、サシャ・バロン・コーエン、カニエ・ウエスト、ティナ・フェイ、エイミー・ポーラー、ジム・キャリー、マリオン・コティヤール、ウィル・スミス、リーアム・ニースン、ジョン・C・ライリー、キルスティン・ダンスト、そして第一作にも顔出ししたヴィンス・ヴォーンが登場する。映画ファンなら、誰がどのシーンに出るのかを固唾を飲みながら観るのも一興だろう…まあ、その固唾は笑いで吐き出してしまうだろうけど。 © 2016 Paramount Pictures. All Rights Reserved.
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NEWS/ニュース2016.09.12
公開最新作『ハドソン川の奇跡』 トム・ハンクス、アーロン・エッカート来日記者会見レポート!
9.24(土)公開PRのため、サリー機長役のトム・ハンクス、ジェフ副操縦士役のアーロン・エッカートが9/16に来日。都内ホテルでおこなわれた記者会見の模様をお届けします。会見では、実際に事故機に搭乗していた日本人の方もサプライズゲストで登場。 ザ・シネマでは、トム・ハンクスの代表作『ターミナル』『キャスト・アウェイ』『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』の3作品を絶賛9月放送中です。また、10月には『アポロ13』を放送。最新作を見る前に、もう一度トムの勇姿を要チェック! トム・ハンクス(以下T・H)、アーロン・エッカート(以下A・E)がにこやかに登壇し、記者会見がスタート。 T・H:非常に喜んでいます。今日は皆さんにお会いできてうれしいです。この映画には誇りをもっています。実際にこの便に搭乗していた日本人の方にお会いしました。私たちを嫌ってないようなので、安心しました(笑)それは良いサインだと思います。 A・E:皆さん、こんにちは。そして、東京に来られたことを大変うれしく思っております。まだホテルにこもりきりで何も見られていないのですが、皆様から歓迎を受けて、大変うれしく思っています。素晴らしい映画ができたと思いますので、是非、日本のみなさん、見て楽しんでください。 T・H:リッツカールトンは、とても素敵なホテルです。ペニンシュラもとてもいいホテルですし、パークハイアットもすてきなホテルです。インペリアルホテルも第一級のホテルです。でも私たちは今、リッツカールトンにいて、皆さんとご一緒できて、とってもうれしいです。 司会者:たくさんのホテル名を出して頂いて、一泊無料になるかもしれませんね。 T・H:それが狙いでした(笑) ※クリント・イーストウッド監督のビデオメッセージが流れる。 クリント・イーストウッド監督のコメント「日本の皆さんこんにちは。今回、東京に伺えず残念です。でもトムとアーロンがそちらにいることを嬉しく思っています。そして、『ハドソン川の奇跡』を皆様にご覧頂けることを楽しみにしております。」 T・H:(あまりに短いコメントで、顔を押さえて爆笑) A・E:ずっとそういうふうに監督に言われて作っていました。 T・H:えー彼との仕事ぶりが、こういう感じだったと、よくわかると思います。非常に彼は口数が少なく、寡黙な男。でもちゃんと言葉を選んで大事なことは言っています。アンダーラインは、‘非常に少ない’です(笑) A・E:彼と仕事をしている楽しさを今思い出しました。いつも笑っていらして、目をキラキラと輝かせて、私たちが映画を作ることを、苦も無くできるそういう現場でした。 ■初めてクリント・イーストウッド監督と仕事をされてみて、どうだったのか?もう少しお聞かせください。 T・H:とにかく、彼が偉大な俳優であり監督であることは、すでに知っています。何年にあの映画を見たとか、今でも鮮明に覚えています。彼が監督になってからの作品は、目を見張るものがありまして、多分、20世紀に残る代表作5、6本は彼の手によるものだと思います。(眉間に皺をよせ、監督の顔マネをしながら)こういうふうに見て、非常に驚異を感じる。あの顔ですから(笑) でもこれは機嫌がいいときです。私たちに非常に期待をもってくださっている。俳優のことを思ってくださって、本当に俳優のことが好きなんですね。とにかく俳優によって映画が作られるということで、俳優を大事にしてくださる方です。 A・E:そうですね、彼は、映画の私のヒーロー的な存在です。今でも大変覚えているのですが、撮影の初日、ハドソン川の側で何百人ものスタッフと共に撮影をしていました。雨が降っていたのですが、監督はずっと私たちの側にいてくれたんですね。ウインドブレーカーを着て、帽子をかぶって、一瞬たりとも室内に入ることなく、一日中、私たちの側にいて指示してくださって、そういうところは本当に力になります。 ■危機を向かえた時に、それを乗り越えさせてくれるものは何か。今の日本人の心に響くとても希望に満ちたメッセージがこの映画には含まれていると思っています。実際にこのUSエアウェイズ1549便に日本人搭乗者がいたということは、ご存じでしたか?T・H:本当に驚きで、先程この裏でお会いして、初めて知りました。荷物は戻ったか?と彼らに確認しました。一番知りたかったことです。その答えは、彼らから聞いてください。 A・E:私も知りませんでした。どういう経験をされたかっていうのを、聞くのがとても興味深いです。すごい衝撃があって、それからとてもスムーズに着水したとお答えになっていました。実際に映画を作っていた時、サリー機長本人が私たちと一緒に撮影に参加されていました。最初に救助に来てくれた方々も撮影に参加されて、何が起こったのかということを、私が直接聞くことができました。これは大変重要でした。 ■今回、演じられるにあたって、事実に忠実に過剰な脚色を加えないように演じているとお伺いしました。実際に乗客の皆様も映画を見ると思いますが、乗客の方々に何ていう風に言ってもらえたら、この映画をやってよかったと思いますか? T・H:とにかく、実際に経験した乗客がその場にいたわけですから、何を言われても私は受け入れます。彼らが見てくださった時に、我々が装飾したりとかドラマチックにしたりだとか、事実を事実としてちゃんと伝えたか、正確かというとこを感じて頂きたい。そういうところを見て頂きたい。 A・E:すごく面白かったって言って頂きたいですよね。やはり、見ている観客の方、全てに対して、自分がまさに経験したと思って頂きたいですよね。着水の時も、国家運輸安全委員会の調査もそうですけど、あたかも自分が経験したというふうに観客の方に思って頂きたい。 ■最近、実在の偉大な人物の役を演じることが多いですが、そういった役を演じる困難さ、なぜそういった役を演じ続けられるのか。また、悪役をやっておられないようにお見受けしますが、そういったことは考えたことはありますか? T・H:実際の人物ばかり続いたのは、理由はわからないです。トイストーリーのウッディも演じていますが、彼にはインタビューに行ったり調査したりはしてないです(笑)どういう風に物語が解釈されているのかに非常に興味ありまして、神話として残っている部分がありますが、そこに私たちが知らない事実が隠されていたり、二幕まで知っていたけれども三幕四幕があった、そういう面白さに興味があります。 本当にディテールにこだわるということ、実際に起きたことですから。何かが起きて、作っているわけでないですから、監督たちが勝手に作っているわけではないです。 俳優の仕事でとても大切な部分は、あまり飾り付けをしないことですね。この物語自体を、自分で編集したり作り上げたり、作り直したり、実際に体験したり感じたものがあるわけで、我々はそれを映画として正確に描きたかったということです。 できるだけノンフィクションにしたいということもあり、詳細にこだわるというのもあります。やはり多少作りあげる部分はあるのですが、やはり真実のDNAが含まれているかどうかが非常に大事なことです。 ■不時着事故があった当時、二人はどのように事件を知り、どのように感じたのか教えてください。 A・E:テレビで見ました。私は当時、ヨーロッパで映画を撮影してテレビで見たときの映像は、皆さん毛布に包まって、飛行機に乗った状態でした。その時、最初に思ったことは、ものすごく悪いことが起きてしまった。もしかしたら、9.11のようなテロが起きたかもしれないと頭をよぎりました実際はまったく反対で、NYというひとつの都市が一体となって155名を一生懸命、一緒になって助けたという素晴らしい出来事になったわけです。 T・H:私はアメリカにいて、テレビを見てニュースで初めて知ったのですが、まさに救援活動が行われていました。もうすでに救援隊が来ていて、水の中から乗客が救助している映像を見ていました。ニュージャージで実際に目撃した人たちは、低空飛行するこの飛行機を見て、またテロだと全員が感じたと思います。その後は多分ビルに突撃するのではないかとか何千人も死ぬのではないとか、ホントに悪いことを考えたと。ですから、私はこれを目撃しなくて良かったです。もし私が目撃していたら、多分大声で叫んでいたと思いますし、絶叫したと思います。完全に9.11の繰り返しと思ったに違いないです。 ■『アポロ13』、『キャスト・アウェイ』、『キャプテン・フィリップス』までトムさんの旅には困難が付き物ですが、今回またこの困難な旅に出てみようと思った最大の魅力はなんですか?また、アーロンさんは今回トムさんと旅に出られた感想を教えてください。 T・H:東京へ飛行機に乗ってやって来た男が最悪な事にスーツケースを無くした!という様な映画を撮りたいんですが、そういう映画だと誰も資金援助してくれないのです(笑)良い題材を常に求めていて、俳優としてはかなり競争心が強いタイプですし、一番大事なのは脚本だといつも思っています。本作のトッド・コマーニキの脚本は、17分くらいで読んだのではないか感じるほど、誰も知らなかった様々なサプライズが詰まっていました。理解していたと思っていたニュースの裏側にこんな事があったんだ!という気持ちは、私にとって良い映画を作るのに欠かせないレシピだといましたし、特に共演者がアーロン・エッカートだしね(笑) A・E:トムと一緒のフライトでちゃんと到着しましたよ!(笑)悪い事は何も起きませんでした(笑)トムと監督はもちろんですが、スタッフの方も自分達のやる事に非常に長けた集団だったので、本当に良い経験になりました。 私も皆さん同様、イーストウッド監督やトムの大ファンで、この現場で自分が常々知りたいと思っていた事を全部自分の目で見ることができたので、私にとっては本作に関わることは大きな特権だったと思っています。 ■盟友・ロバート・ゼメキス監督の『フライト(2013)』をご覧になっていたらどう思われたか率直な感想をお聞かせ下さい。サリー機長を演じるにあたって、どんな俳優を思い描いて演じられましたか? T・H:ボブ(ゼメキス監督)とは長い付き合いで、彼の映画は大好きだし、『フライト』は脚本段階で読ませてもらっていました。彼自身もパイロットなので、パイロットの様々な心理を想定して書いた脚本は素晴らしいと思いました。 まぁ、飛行機の映画は本作以前にもまぁまぁあります。今回はどの映画・俳優を参考にするというのではなく、この「ハドソン川の奇跡」を忠実に再現することを心掛けました。パイロットが何をすべきかという様な、脚本に書いてあることをサリー機長自身から細かく教えてもらいましたし、国家運輸安全委員会の公聴会の話しも聞きました。 原作を読んだところ、公聴会の事が全然描かれていないので、何故なのかをサリー機長に聞いたところ、小説の発行後に公聴会があったと事を知りました。この様な、サリー機長から直接情報を得た事も多く、本作の事実に集中する事を考えました。 ■サリーさんとジェフさんが信頼し合い、誇りに思い合っている部分に感動したのですが、実際のサリー機長にお会いした際に、彼から二人の関係性についてお聞きになったのかどうか、また、友情についてどう考え演じられたか教えてください。 T・H:実際は、サリーさんとジェフさんはチームになってたったの4日目で、知り合ったばかりだったのです。それ以前は会った事もなく、それはフライトアテンダントの方たちも全く同じでした。ただ、二人は知り合ったばかりだったにも関わらず、お互いのキャリアを尊敬していたし、経験も豊富でした。3日間の間にお互いが「良いパートナーだ」という事を理解していたんだと思います。 あの日、ジェフさんが離陸を担当していたのは何故なのか、サリーさんに聞いたところ、機長になる為には、数回に1回は離陸を体験しなければならないというのが理由でした。そういう事も含めて、サリーさんの説明は非常に納得がいくものでした。 A・E:当時コックピットにいたのは本当に2人だけだったとジェフさんも言っていました。プロとしての仕事にお互い敬意を持っていたのですが、この事件を経験することによって友達になっていったとい経緯があります。ジェフさん本人に当時の事を聞いて、よりいろいろな事が理解できたと思います。今でもサリーさんとジェフさんはとても良い友達ですよ。 ■最後にご挨拶をお願いします。 A・E:ありがとうございます(笑)今日は来てくれてありがとうございます。映画を愛してくれてありがとうございます。みなさんのお友達にも伝えてくださってありがとうございます。またお会いしましょう! T・H:今日はリッツカールトンにお越しくださりありがとうございます!(笑)ペニンシュラももちろん良いホテルですし、リッツは高い建物なので、窓から全てを見渡せます。とても生き生きとした会見になりました!ちょっと喧嘩になるかと思いましたが、とても平和的に終わる事ができて良かったです(笑)。ご協力に感謝します。 ※記者会見が終了し、トム・ハンクスとアーロン・エッカートは手を振って会場を後にしました。 --USエアウェイズ1549便に搭乗されていた日本人乗客の滝川裕己さんと出口適さんが登場。当時の様子を語ってくださいました。 ※左から、アーロン・エッカートさん、出口適さん、滝川裕己さん、トム・ハンクスさん ■事故に遭われた経緯を教えて頂けますでしょうか? 滝川さん:仕事でアラバマ州の方に出張があり、シャーロットで乗り継ぐ必要があり、あの事故に遭いました。 ■機内の様子はいかがでしたでしょうか? 出口さん:とても普通でした。バードストライクがあり、なんだなんだと騒ぎ出した事はありましたが、最後の最後までとても普通な感じでした。 滝川さん:出口君が言った様に、皆さん落ち着かれていたと思います。特に、落ちてから脱出するまでの順序も、とても秩序だっておりパニックになることもなく、順番に救助されていました。 ■作品をご覧になっていかがでしたか? 出口さん:一番びっくりしたのは、我々の命を救ってくれたヒーローであるサリー機長が容疑者扱いされていた事です。全く知らなかったので驚きました。 滝川さん:事故直後から出口君が言った様な事が起きていた事を知らなかったのでびっくりしたのと、映画の中身がすごくリアルで、実際に体験した者から見ても事実を忠実に再現されているなと感じました。 ■トムさんからどうしても聞いてほしい質問ということで「実際に荷物は戻ってきたのか?」というのがありますが、いかがでしたか?(笑) 出口さん:何か月後か忘れましたが、間違いなく戻ってきました。 滝川さん:私も、スーパーの会員カードまで戻ってきました(笑) 出口さん:すべてクリーニングがかかって、きれいに包装がされた状態で戻ってきてびっくりしました(笑)。<終了> ■ ■ ■ ■ ■ 『ハドソン川の奇跡』監督:クリント・イーストウッド出演:トム・ハンクス、アーロン・エッカート、ローラ・リニーほか9/24(土)より丸の内ピカデリー、新宿ピカデリー他全国ロードショー オフィシャル・サイトhttp://wwws.warnerbros.co.jp/hudson-kiseki/ <あらすじ>09年1月15日、極寒のNY上空850mで155名を乗せた旅客機を襲った全エンジン停止。近隣の空港に着陸するよう管制室から指示が飛ぶが、機長サリーはそれを不可能と判断し、ハドソン川への不時着を決断。航空史上誰も予想できない状況下の中、見事水面不時着を成功させ、全員生存の偉業成し遂げる。それは「ハドソン川の奇跡」と呼ばれ、サリーは英雄と称賛されるはずだった。ところが機長の究極の決断に疑惑がかけられる。 ©2016 Warner Bros. 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COLUMN/コラム2016.09.10
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2016年10月】うず潮
48時間だけゾンビ化を防ぐワクチンを巡る、人間たちのエゴを描くサスペンス・ホラー。監督は『エクソシズム』のマヌエル・カルバージョ。世界三大ファンタスティック映画祭の一つ“シッチェス映画祭”出品作。ゾンビウイルスが世界中に蔓延し、その感染者を“リターンド”と呼ぶ世界。ゾンビ化を48時間だけ抑制するワクチンで、彼らは非感染者と一緒に日常生活を送っていました。主人公の女医ケイトは、ゾンビウイルスに感染した患者を治療する一方、リターンドの恋人アレックスのため、ワクチンの不正入手を続けていました。リターンドを恐れる人々の差別が高まる中、アレックスはケイトと共に親友夫婦に真実を打ち明けます。しかし、材料不足からワクチンの生産が止まってしまうという噂が流れ、政府はリターンドたちの隔離政策を開始。追手から逃れるため、ケイトとアレックスは数少ないワクチンをもって逃避行するのですが…。二転三転するストーリーに目が離せず、結末に思わず「まじか…」とつぶやいてしまいます。ザ・シネマでは、本作と共にシッチェス映画祭出品作を特集放送!バラエティに富んだホラー作品たちをお見逃しなく! © 2013 CASTELAO PICTURES, S.L. AND RAMACO MEDIA I, INC.. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2016.09.09
泥棒は幸せのはじまり
生真面目なサラリーマンのサンディは、無駄使いを一切していないにも関わらず、ある日突然クレジットカードが限度額に達して使えなくなってしまう。どうやら個人情報を盗まれていたらしい。おまけに彼の名を騙った犯罪が多発。このままでは会社からクビにされてしまう! 焦ったサンディは、容疑者である詐欺師を、警察に引き渡すためにデンバーからはるばるフロリダへと向かうのだが……。 『泥棒は幸せのはじまり』は、個人IDの盗難をテーマにした今どきのコメディだ。主人公のサンディを演じるのは、ジェイソン・ベイトマン。つい最近スターになったように思える彼だけど、そのキャリアはとても長い。何しろ最初のブレイク作が、あの伝説的なテレビドラマ『大草原の小さな家』なのだから。 当時11歳だったベイトマンが登場したのは、81年から翌年にかけての最終シーズンで、インガルス家の養子になるジェイムスを演じた彼は、アイドル的人気を博した。ところがその後が続かなかった。大人になっても童顔のままだったことも災いして、90年代には早くも“あの人は今”状態になってしまったのだ。 だが捨てる神あれば拾う神あり。やはり元子役ということで過去に苦労していたことがある映画監督ロン・ハワードに助けられ、彼が製作総指揮を手掛けたテレビコメディ『ブル~ス一家は大暴走! 』(03年〜)に抜擢。奇人変人揃いの登場人物の中で、唯一マトモな主人公マイケルを演じて大復活を遂げたのだった。 ドラマは、視聴率低迷によって06年に打ち切りになったものの、カルト的な人気を背景に13年にネットフリックスで新シーズンが製作されるなど、今も継続中だ。ちなみにこのドラマで彼の息子役を演じたことをきっかけにブレイクしたのがマイケル・セラである。 ここからベイトマンの活躍が始まる。このドラマにゲスト出演していたベン・スティラーからコメディ・センスを認められて、『スタスキー&ハッチ』や『ドッジボール』(ともに04年)、『ハニーVS.ダーリン 2年目の駆け引き』(06年)『南の島のリゾート式恋愛セラピー』(09年)といったスティラーやヴィンス・ヴォーンの主演作に相次いで出演し、フラットパック準メンバーとなったのだ。 加えて、大人になりきれない中年男を演じて絶賛された『JUNO/ジュノ』(07年)や、ケヴィン・スペイシーやジェニファー・アニストンを従えて堂々主演を務めた『モンスター上司』(11年)がヒットしたことで、40代にしてコメディ・スターの地位を獲得したのだった。その後も監督も兼務した『バッドガイ 反抗期の中年男』(13年)や、『モンスター上司2』(14年)といった作品に主演。最近では、メガヒット・アニメ『ズートピア』(16年)でキツネのニックの声を担当したことが記憶に新しい。 『泥棒は幸せのはじまり』は、前述の『モンスター上司』の監督セス・ゴードンとのコンビによる第二弾だった。本来は無関係にも関わらず、トラブルに巻き込まれる小心者キャラは、ベイトマンが得意とするもので、今作でも次々起きる災難を前にして、死んだ目で呆然と佇む演技で笑わせてくれる。 但し、ベイトマンは、本作の脚本を最初に読んだ時、「このままで大丈夫か」と危機感を抱いたそうだ。無理もない、トラブルメイカーを連れた主人公が、約束の日までに家に帰ってこれるかどうかでハラハラさせる本作のプロットは、あのコメディ界のレジェンド、ジョン・ヒューズが監督と脚本を手がけ、スティーヴ・マーティンとジョン・キャンディが共演した大傑作『大災難P.T.A.』(87年)にあまりにも似ていたからだ。 それだけならまだしも、この作品を事実上リメイクしたコメディが10年に公開され、既に大ヒットを記録していたのだ。その映画こそが、ロバート・ダウニー・ジュニアとザック・ガリフィアナキスが共演した『デュー・デート 〜出産まであと5日!史上最悪のアメリカ横断〜』だった。『泥棒は幸せのはじまり』との類似点はそれだけではなかった。『デュー・デート』の監督トッド・フィリップスは、『ハングオーバー! 』三部作(09〜13年)で知られるヒットメイカーだが、元々ドキュメンタリー畑の出身だった。対する『泥棒は幸せのはじまり』の監督セス・ゴードンもドキュメンタリー出身であり、脚本家のクレイグ・メイジンに至っては、『ハングオーバー! 』の第二作と第三作の脚本家でもあった。そのため詐欺師のキャラクターは完全にザック・ガリフィアナキスを意識して書かれていた。そう、このまま作ったら、そっくりになってしまうのだ。 危機感を抱きながらベイトマンは、偶然あるコメディ映画を観たことで、打開策を思いついた。その映画のタイトルは『ブライズメイズ 史上最悪のウェディングプラン』(11年)。、詐欺師のキャラを男から女に変更して、同作でヨゴレ系ギャグを一手に引き受けるメイガン役を好演していたメリッサ・マッカーシーに演じさせればいい!こうしてキャラの立ちまくった女詐欺師ダイアナが誕生したのだった。 マッカーシーは元々『ギルモア・ガールズ』(00〜07年、今年11月にNetflixで復活)や『サマンサ Who?』(07〜09年)といったテレビドラマで、主人公の気のいい友人役を演じて人気を博していた脇役女優で、『ブライズメイズ』のメイガンのような破壊的で不穏なオチ担当のキャラを演じたことはそれまで無かった。 しかしこの挑戦は、彼女にアカデミー助演女優賞ノミネートをもたらし、新たなキャリアを切り開いた。『ブライズメイズ』以降のマッカーシーは、同作の監督ポール・フェイグとの二人三脚で、コップ・アクション『デンジャラス・バディ』(13年)や『007』へのオマージュに満ちたスパイ・アクション『SPY/スパイ』(15年)、そしてオール・フィメール・キャストが話題を呼んだ『ゴースト・バスターズ』(16年)といったアクション・コメディ作でヒットを飛ばし続けている。また夫でもあるコメディ俳優ベン・ファルコーンがメガホンを取った『タミー/Tammy』(14年)では脚本にも挑戦するなど、クリエイターとしての才能も発揮している。 そんなマッカーシーは本作で、悪気は無いけど、最悪のタイミングでトラブルを巻き起こすダイアナを熱演。一見、極悪そうなキャラクターの奥底に善人の素顔を覗かせるあたり、つくづく演技が巧い人だなと感心させられる。 ちなみに彼女は、『ハングオーバー!!! 最後の反省会』にも特別出演している。そこで彼女は、ザック・ガリフィアナキス扮するトラブルメイカー、アランと最終的に結ばれる女子を演じているのだが、おそらくこれは『デュー・デート』と『泥棒は幸せのはじまり』が似ていることから思いついたストーリーのはず。本作は『ハングオーバー』シリーズの結末に逆影響を与えていることになる。 散々『デュー・デート』との類似ばかり語ってしまったけど、最後に本作ならではの要素を紹介しておこう。それはダイアナが犯した別の詐欺が原因で、彼女とサンディが賞金稼ぎに追われるというサスペンス的な展開だ。しかも追っ手を演じるのは、ラッパーのT.I.とウィル・フェレル主演作『俺たちサボテン・アミーゴ』(12年)でヒロインを演じていた美女ジェネシス・ロドリゲス、そして『ターミネイター2』のT-1000役で映画史に名を残すロバート・パトリックという豪華な面々! そんなわけで、笑いと涙とカー・アクション全部盛りのエンタメ作を楽しんでほしい。 © 2013 Universal Studios. ALL RIGHTS RESERVED
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COLUMN/コラム2016.09.07
Don’t play it again, Steven.(おイタをするのはもうやめて、スティーヴン)ソダーバーグがハリウッドの古典的映画作りと倒錯的に戯れた実験作『さらば、ベルリン』
「基本的にソダーバーグはコンセプト先行型の監督で、作品ごとの狙いがヴィジュアルにも反映されている」と、先の記事の中で村山氏が指摘しているが、この『さらば、ベルリン』(2006)は、まさにその言葉がよく当てはまる、ソダーバーグならではの野心的な実験作と言えるだろう。ここでのソダーバーグの狙いは、第2次世界大戦終戦直後の1945年、ドイツのベルリンを舞台に、それぞれワケありの複数の男女が繰り広げる愛憎と犯罪劇の行く末を、1940年代当時のハリウッド映画の視覚的スタイルに則って作り上げるというもの。 ソダーバーグはかつて『蒼い記憶』(1995)で、フィルム・ノワールの名作『裏切りの街角』(1949 ロバート・シオドマク)を、ブルーを基調とした照明やフィルターを多用してスタイリッシュかつ現代風にリメイクするという試みに挑んでいたが、ピーター・アンドリュース名義で撮影監督、さらにはメアリー・アン・バーナード名義で編集も自ら兼ねたこの『さらば、ベルリン』では、全編をシックでレトロなモノクロ画面で統一(ただし、実際にはカラーフィルムを使用して撮影を行い、ポスト・プロダクションの段階でデジタル処理をして色彩を抜く手法が採用された。同様の手法を用いたモノクロ映画の前例として、コーエン兄弟による現代版ノワール『バーバー』(2001)や、ソダーバーグ自身が共同製作総指揮を務めたジョージ・クルーニーの監督第2作『グッドナイト&グッドラック』(2005)などがある)。 また、スタジオ内のセット撮影を主体にした本作の製作現場では、複数のキャメラを同時に回して多彩なアングルのショットをいちどきに得る現代的な撮影スタイルを排して、基本的にキャメラを1台のみ使用してマスター・ショットを撮り、必要に応じて切り返しやクロースアップを活用するという、古典的な撮影スタイルを遵守。キャメラのレンズもかつて用いられていた標準的なサイズのものだけを使用し、照明も蛍光灯などは使わずに白熱光だけを用いるなど、あくまで往年のハリウッド映画の伝統的な視覚的スタイルにこだわった映画作りが推し進められた。 かくして、2006年に製作・発表されたものの、軽く一瞥しただけでは1945年に作られたハリウッド映画とつい見まがうような擬古調のモノクロ映画、『さらば、ベルリン』がここに誕生することになった。 さらに、製作・配給元のワーナーは、この『さらば、ベルリン』の売り出しにあたって、念の入ったことに、映画ファンならずとも誰もがよく知るあのお馴染みの名作、『カサブランカ』(1942 マイケル・カーティス)の劇場公開用ポスターのデザインや題名の字体をほぼそのまま踏襲した本作のポスターを作って、両者の類似を強く匂わせるイメージ戦略を取り、懸命の宣伝キャンペーンを展開した。 これでは、現代の観客が、本作の主役の男女に起用されたジョージ・クルーニー&ケイト・ブランシェットに、ハリウッドの黄金期を代表する神話的スター、ハンフリー・ボガート&イングリッド・バーグマンのロマンチックなオーラと輝きを期待しない方が、おかしいというものだろう。しかしその甘美な期待は、いざ映画を見始めるや、すぐさま手ひどく裏切られることになる…。 映画『さらば、ベルリン』は、まず冒頭、昔懐かしいワーナー映画のロゴマークが登場するのに続いて、第2次世界大戦における欧州戦線終戦直後、戦争による破壊の爪痕が何とも痛々しく、すっかり荒廃して至るところが瓦礫の山と化したベルリンの光景と街角に佇む人々の姿を、終戦直後に連合軍の撮影部隊が実際に同地で撮影した記録映像を通じて赤裸々に映し出すところから始まる。そして1945年7月、米英ソという連合国の3大国の首脳陣が、戦後処理のための会談を開くべくベルリン郊外のポツダムに集結し、その取材のためにベルリンを再訪した記者役のクルーニーが、かつての愛人ブランシェットと意外な形で再会を果たしたことから、本作のドラマはいよいよ本格的に動き出す。やがて物語が進むにつれ、次々と意外な事実が浮かび上がることになるわけだが、そのあたりの展開を追っていくとあれこれネタバレになってしまうので、ここではあえて詳述を避けることにしよう。 しかし、それにしても、主役2人の宿命の再会に先立って、ブランシェットが初めて劇中に本格的に姿を現す場面での、我々観客にいきなり冷水を浴びせかけるような、ソダーバーグの何ともシニカルで挑発的な演出ぶりは一体どうだろう。部屋の奥から不意に黒い人影が姿を見せ、緩やかに歩を前に進めるにつれ、ようやくその顔に光が射し、人物の正体がほかならぬブランシェットと判明するさまを、同軸のキャメラポジションからショットを2つに割って、寄りの画面で的確に描き出すところは、なるほど、ハリウッドの古典的な演出作法のお手本ともいえるもので、それ自体は見事なものだ。しかし実は何を隠そう、これには話の続き、というより前段階があって、この場面の直前に、クルーニーから財布をちょろまかした運転手の青年が、すっかり自分だけ悦に入りながら、ある女性と後背位で性交するさまをあけすけに描く場面があり、そこではベッドにうつ伏せとなって顔や表情が一切見えない彼女こそが、生活苦のために今では米兵相手の娼婦に身を落とした哀れなヒロインたるブランシェットだったと、先述の場面で初めて分かるというショッキングな仕掛け。 以前、筆者が本サイトで『白いドレスの女』(1981 ローレンス・カスダン)の紹介記事を書いた際、ノワール今昔比較と題してそこでも述べた通り、かつてハリウッドの黄金期には、〈映画製作倫理規定〉なる映画表現上のさまざまな自主規制ルールが設けられていて、性や暴力の赤裸々で直截的な描写は厳しく制限されていた。古典的なハリウッド映画において性交場面が画面に登場することなど一切ありえず、ましてや主役級の人気スターがそこに絡むことなど、もってのほか。 ソダーバーグが、古典的なハリウッド映画の視覚的スタイルを模して作ったと称する『さらば、ベルリン』は、この時点で早くも当時の制約を大きく食み出し、禁断の領域に土足で踏み込む不敬を働いていることになる(ただし、無論これは、1945年製のハリウッド映画なら完全にアウトだが、2006年のハリウッド映画ならば一応OK、という話ではあるが)。それにしても、ここで、ブランシェットの登場のさせ方のみならず、モラルや節操を一切欠いた無神経なゲス野郎の運転手の役に、当時『スパイダーマン』シリーズ3部作(2002-2007 サム・ライミ)で好感度抜群の青年主人公を演じていた人気者のトビー・マグワイアをわざわざ起用するあたり、ソダーバーグの底意地の悪さもここに極まれり、といった感がある。 ちなみに、本作のブランシェットのキャラ設定に関しては、第2次世界大戦の終結後間もなく、やはりベルリンの荒廃した地を舞台に撮られた映画、『異国の出来事』(1948 ビリー・ワイルダー)でマレーネ・ディートリッヒが演じたヒロインの影響も色濃く感じられる。ただし、この諷刺喜劇において、ワイルダー監督がディートリッヒ扮するしたたかなヒロインを軽妙に描き出しているのに引き換え、この『さらば、ベルリン』でのブランシェットは、いかにも演技派女優らしく、深い絶望と諦念を滲ませながらどこまでも暗くシリアスに役を演じていて、往年のスター女優のように、我々観客を決して甘い陶酔や忘我の世界へ誘うことはない。 結局、この『さらば、ベルリン』は、古典的なハリウッド映画を彷彿とさせるスタイリッシュな視覚的表現の達成という点においてはそこそこ評価されたものの、ソダーバーグやワーナーの意気込みとは裏腹に、世間一般からは芳しい評判を得ることが出来ず、興行的に惨敗を喫することとなった。ソダーバーグは、下手に『カサブランカ』の名前なんかを持ち出したから、誰もがそれと引き比べることになって失敗した、と後にインタビューで告白しているが、ジョゼフ・キャノンの原作小説を大きく改変し、映画のクライマックスに、『カサブランカ』をつい想起させずにはおかない空港での一場面を自ら付け加えておいて、いまさらその言い草はないだろう。やはり、自業自得というほかない。そして哀しいかな、「君の瞳に乾杯!」という賞賛の言葉が、皮肉抜きで『さらば、ベルリン』に投げかけられることはなかった。You must remember this.■ © Warner Bros. Entertainment Inc. & Virtual Studios, LLC
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COLUMN/コラム2016.09.05
小さな巨人ルイ・ド・フィネスの大げさな身ぶりを観るがいい。イヴ・モンタンとのくされ縁的主従関係で笑わてくれる。〜『大乱戦』〜
フランスの喜劇俳優ルイ・ド・フィネス(1914-1983) は、1960年代から1980年代初頭まで、フランス国内の興行収入ナンバーワンの俳優だった。ジャン=ポール・ベルモンドでもなく、アラン・ドロンでもなく、ジャン・ギャバンでもなく、みんな彼を観に行ったのだ。 実際に、1966年のジェラール・ウーリー監督の、ルイ・ド・フィネスとプールヴァル(1917-1970) 主演作品『大進撃』(原題La Grand Vadrouille〔大ブラブラ歩き〕) が1,700万人を動員。これは、1997年にジェームズ・キャメロン監督のアメリカ映画『タイタニック』(およそ2,075万人) に抜かれるまで、30年以上もフランスにおける興行収入の最高位だった。フランス映画では、2008年にダニー・ムーン監督の『Bienvenue chez les Ch'tis』(およそ2,048万人) に抜かれるまで、42年間も最高位を保ち続けた。いまだに(2015年現在)、本作はフランスでは興行収入第5位なのだ。 ルイ・ド・フィネスのユーモアの原動力は「パントマイムとしかめっ面」にあった。何を演じるにしても大げさにジェスチャーした。彼は164センチという低身長ながら、そうした大げさな身ぶりでスクリーンを所狭しと動きまわり、目上にはへつらいながら目下には厳しく叱るというキャラクターで大人気だった。彼はまた、「役者泥棒」として有名だった。彼がスクリーンに出てきたらおしまいで、人々は彼しか見なくなるのだ。 1971年のジェラール・ウーリー監督・脚本、マルセル・ジュリアンとダニエル・トンプソン脚本によるフランス映画『大乱戦』(原題La Folie des Grandeurs〔誇大妄想〕)は、企画当初はこのルイ・ド・フィネスと、『大追跡』(原題Le Corniaud〔馬鹿者〕) や『大進撃』の迷コンビだったプールヴィルの再会として注目されたが、後者の死によってこの撮影計画は中止になった。フランスの女優シモーヌ・シニョレが、夫である俳優・歌手イヴ・モンタン(1921-1991) に新たなコンビの可能性を見いだし、モンタンを監督のジェラール・ウーリーに推薦した。 監督のジェラール・ウーリーによると、「私はプールヴィルにスナガレルの召使役を構想していた。モンタンにはスカバンのほうが適役だった」 「スナガレル」と「スカバン」はともに17世紀の劇作家モリエールが創り出した喜劇のキャラクターで、スナガレルは『スナガレル: 疑りぶかい亭主』(1661年初演) の主人公でパリの商人。スカバンは『スカバンの悪だくみ』(1671年初演) のレアンドルの従僕で、悪だくみの名人。恐るべきことに、フランス映画は実に奥が深い。すべてのキャラクターがモリエールの傑作喜劇を下敷きにしているのだ。 おもしろさの証といえる、タイトルに「大」が付いている。だから1974年1月の日本公開時、かすかな記憶だが、ルイ・ド・フィネスに笑わせてもらいたくて、観たと思う。実際に観たら、従者役イヴ・モンタンのほうが主役だった‼︎ たしかに、ミシェル・ポルナレフのフランス盤サウンドトラックを本作を観た10年後くらいに買ったが、イヴ・モンタンの名前が左に書いてあり、ルイ・ド・フィネスの名前は右だった。 映画はスペインの宮廷劇のようで、中学1年生の僕には少々退屈だったが、フランスのシンガーソングライター、ミシェル・ポルナレフによる音楽のシンセサイザーの音が胸に刺さり(何てメロウなんだ!)、ものすごく良かった。ポルナレフの父レイブ・ポルナレフもユダヤ系ウクライナ人の音楽家で(1923年フランスに移住) 、なんと、この映画の主演であるシャンソン歌手イヴ・モンタンに親子二代で楽曲を提供したことになる。 『大乱戦』は、中世スペインを舞台にした抱腹絶倒コメディである。強欲な大蔵大臣サリュスト(ルイ・ド・フィネス) は、その悪評ゆえに王妃から爵位も剥奪され追放される。彼は自分の従者(イヴ・モンタン) をイケメン伯爵に仕立てて、彼に王妃を誘惑させて、宮廷への復帰を図るが‥‥‥。 僕のかすかな記憶によると、ルイ・ド・フィネスがいつものように大げさなジェスチャーとパントマイムで笑わせてくれた。威張り屋の大臣ルイ・ド・フィネスに、従者イヴ・モンタンという顔ぶれのスラップスティック(ドタバタ) コメディだった。他の共演は、アルベルト・デ・メンドーサ、ガブリエル・ティンティ、カリン・シューベルト、アリス・サプリッチ、ポール・プレボワ、ドン・ハイメ・デ・モラなど。中世スペインが舞台で、ほとんどの登場人物が「えりまき」(正しくは、襞襟) をしている。 イヴ・モンタンといえば、ジョン・フランケンハイマー監督のカーレースアクション『グラン・プリ』(1966)や、コンスタンタン・コスタ=ガヴラス監督のサスペンス『Z』(1969) や同監督のサスペンス『告白』(1969) や、ジャン=ピエール・メルヴィル監督のフィルムノワール『仁義』(1970) や、クロード・ベリ監督のドラマ『愛と宿命の泉』(1986) に代表される「シリアスな顔」が有名だがそれはここにはなく(シブさがあり、アメリカのスティーヴ・マックィーン並にカッコいい)、彼はコメディ路線で大いに笑わせてくれた。たとえば風呂で鼻歌を歌いながら、タオルを左耳に入れ、右耳に通して、左右ゴシゴシするギャグは40年経っても忘れられない。 撮影監督は、ルイ・マル監督の『死刑台のエレベーター』(1958) 、フランソワ・トリュフォー監督の『大人は判ってくれない』(1959) 、クロード・シャブロル監督の『いとこ同士』(1959) 、ルネ・クレマン監督の『太陽がいっぱい』(1960) や『危険がいっぱい』(1964)、ルイ・マル監督の『ビバ!マリア』(1965) 、ジャン=ピエール・メルヴィル監督の『サムライ』(1967) の名手アンリ・ドカエだった。■ © 1971 Gaumont (France) / Coral Producciones (Espagne) / Mars Film Produzione (Italie) / Orion Film (Allemagne)
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COLUMN/コラム2016.08.16
モンスター上司
「アメリカでは自分は自分、人は人」 これは和製ミュージカル映画としてカルト的な人気を誇る『君も出世ができる』で、アメリカ帰りの合理主義者に扮した雪村いづみが歌う「アメリカでは」という挿入曲の歌詞の一節だ。1964年公開作なので、今から半世紀以上も前の映画だけど、日本人がアメリカ企業について思い浮かべるイメージはあまり変わっていないんじゃないかと思う。 ところが、そんな幻想を粉々に打ち砕くコメディ映画がアメリカには存在する。『モンスター上司』がそれだ。テレビコメディで活躍していたマイケル・マーコウィッツが草稿を書き、『BONES』の精神科医ランス・スイーツ博士役で知られる俳優ジョン・フランシス・デイリーとジョナサン・ゴールドスタインのコンビが仕上げた同作の脚本(アメリカの映画界ではよくリレー形式で脚本が書かれる)は、ブラックリスト(映画化が決まっていない脚本で有望と目されているもの)として扱われ、各社が争奪戦を繰り広げたそうだ。では、その内容はというと…。 主人公はニック(ジェイソン・ベイトマン)とデール(チャーリー・デイ)とカート(ジェイソン・サダイキス)の三十代男子3人。親友同士の彼らは、立場はちがってもヒドい上司に悩まされているという共通点があった。金融業界で働くニックの上司デビッド(ケヴィン・スペイシー)は、朝6時から深夜まで部下をこき使うパワハラ野郎。しかも妻の浮気をやたらと疑うサイコ的な性格を持つヤバい男だった。歯科助手のデールの上司の歯科医ジュリア(ジェニファー・アニストン)は、デールに婚約者がいながらセクハラ攻撃をしかけてくる色情狂。職場で始終迫られ、デールの忍耐は限界に達していた。化学薬品会社の経理マンを務めるカートは、ドラッグ中毒の社長の息子ボビー(コリン・ファレル)が直上司なことに手を焼いていた。それでも社長がいい人だったから耐えていたものの、彼の急死によってボビーが社長に。リストラや環境廃棄物の第三世界への投棄を推し進めるのを目の当たりにして、怒りのゲージが振り切れてしまう。 かくして追いつめられた3人は、場末のバーでムショ帰りの謎めいた男ディーン(ジェイミー・フォックス)の指導を受け、互いの上司を暗殺する計画に乗り出すのだった。そのためには敵の弱点を掴むのが大事と、3人は上司たちの留守中に家宅侵入するものの、それだけで罪の意識を覚えてしまい計画をうち切ろうとする。ところが、デビッドの部屋にボビーのスマホを置き忘れたことが原因で、妻の浮気を疑うデビッドが、ボビーを射殺するという事件が勃発してしまう。現場の近くにいた3人は警察にマークされはじめ、殺人を考えていただけで殺人容疑で逮捕されるという絶対絶命のピンチに陥ってしまう! 今作の監督を任されたのはセス・ゴードン。超名門イェール大学を卒業したあと、国連のケニア支援プロジェクトに従事。そこからドキュメンタリー映画のプロデューサー兼監督に転じ、そこでの演出の腕が見込まれてヴィンス・ヴォーンとリース・ウィザースプーン共演のクリスマス映画『フォー・クリスマス』(08年)で長編映画デビュー。いきなり1億ドル以上のメガヒットを記録してしまったという変わり種監督だ。 この監督の人選で分かる通り、当初はヴィンス・ヴォーンやオーウェン・ウィルソンらがキャスティングの候補にのぼっていたらしい。しかし最終的には中堅俳優で固める布陣に落ち着いた。このキャスティングこそが、本作成功の最大のファクターになったと思う。主人公がスター俳優すぎると、職場でのイジメにリアリティがなくなってしまうからだ。 その点、本作のジェイソン・ベイトマン、チャーリー・デイ、ジェイソン・サダイキスのトリオは絶妙なところを突いていると思う。ベイトマンについては他作品の記事で、何回か書いているので、ここでは残り2名について書いておこう。チャーリー・デイとジェイソン・サダイキスはドリュー・バリモアとジャスティン・ロングが共演したロマンティック・コメディ『遠距離恋愛 彼女の決断』(10年)でロングの友人役として共演しており、そこでのコンビネーションが認められて本作で再共演することになったと思われる。 デイは76年生まれ。アメリカでは、2005年から放映が開始され、今も続いている人気シットコム『It's Always Sunny in Philadelphia』の主演俳優兼脚本家として知られている。映画俳優としては、怪獣の撃退方法を偶然発見する科学者に扮した『パシフィック・リム』(13年)でのコミカルな演技が記憶に新しい。 ジェイソン・サダイキスは75年生まれ。セカンド・シティやアップ・シチズン・ブリゲイドといったコメディ劇団を経て、03年に『サタデー・ナイト・ライブ(SNL)』のライターに採用。05年からパフォーマーとして出演するようになり、13年の卒業まで8シーズンにわたって活躍し続けた。09年からはセス・マクファーレンが手がけるアニメシリーズ『The Cleveland Show』(09〜13年)にも声優として出演。『SNL』は基本的に出演者にはテレビ番組の掛け持ちを許されないので、これは異例のことだ。 コメディアンとしてはアイディア一発で笑わすというより、巧みな演技で笑わせるタイプのため映画進出も早く、『SNL』のレギュラー昇格直後にデヴィッド・ウェイン監督の『幸せになるための10のバイブル』(07年)に出演。前述の『遠距離恋愛 彼女の決断』を経て、ファレリー兄弟の『ホール・パス/帰ってきた夢の独身生活<1週間限定>』(11年)ではオーウェン・ウィルソンとダブル主演を果たした。そして本作やウィル・フェレル主演作『俺たちスーパー・ポリティシャン めざせ下院議員!』(12年)を経て、本作でも共演しているジェニファー・アニストンとリユニオンして、堂々主演を務めた『なんちゃって家族』(13年)が大ヒット。名実ともにスター俳優となった。 アニメ『アングリーバード』(16年)では主人公レッドの声を務めたほか、『栄光のランナー/1936ベルリン』(16年)といったシリアス物から、レベッカ・ホール共演の『Tumbledown』(15年)やゲイリー・マーシャルの遺作『Mother's Day』(16年)といったロマンティック・コメディまで幅広く出演している。本作を含めて、特別イケメンというわけでもないのにモテ男を演じることが意外と多いのは、私生活の反映なのかもしれない。サダイキスのパートナーは、テレビドラマ『Dr.HOUSE』や『トロン: レガシー』(10年)で知られる美人女優オリヴィア・ワイルドなのだから。 そんな実力はあるけど、まだ「知る人ぞ知る」状態の彼らをイジメまくるのが、『アメリカン・ビューティー』(99年)でアカデミー主演男優賞を獲得し、近年は『ハウス・オブ・カード 野望の階段』(13年〜)で悪の大統領フランシス・アンダーウッド役で知られるケヴィン・スペイシー、国民的人気を誇ったテレビ・シットコム『フレンズ』(94〜04年)のレイチェル役でブレイクし、以後もロマンティック・コメディ界の頂点に君臨し続ける鉄人ジェニファー・アニストン、そして『ヒットマンズ・レクイエム』(08年)でゴールデン・グローブ賞をゲットし、超大作『トータル・リコール』(12年)からオフビートな『ロブスター』(15年)まで幅広い活躍を続けるコリン・ファレルといったスター俳優たちだ。この「格差」があるからこそ、イジメが実感を持って伝わってくるのだ。 というわけで、主人公3人がこの「格差」をどのようにひっくり返すのかを、ワクワクしながら観て欲しい。 © New Line Productions, Inc.