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COLUMN/コラム2024.05.31
南北統一への願いも込められた韓国発の超痛快バディ・アクション!『コンフィデンシャル/共助』
北と南の刑事がタッグを組んで悪に立ち向かう! 韓国と北朝鮮の刑事がコンビを組んで凶悪犯罪に立ち向かうという、それまでありそうでなかった斬新な設定が話題を呼び、韓国では’17年度の映画観客動員数で上半期No.1の大ヒットを記録したクライム・アクションである。現地で本作が劇場公開された’17年2月といえば、前年10月に発覚した「崔順実ゲート事件」で朴槿恵大統領が弾劾訴追され、韓国社会にリベラルな市民革命の波が押し寄せていた、いわば大きな転換期の真っ只中。その朴槿恵大統領は就任当初こそ北朝鮮と良好な関係を保っていたが、しかし政権後半になると両者の関係は著しく悪化してしまった。本作が当時の韓国で大成功を収めた背景には、もしかすると来るべき朴大統領退陣後の世界を見据えて、北との関係改善を望む国民感情が少なからず作用していたのかもしれない。 物語の始まりは北朝鮮。ピョンヤン近郊の第215工場では、秘かに米ドル紙幣の偽造が行われていた。工場の外では、人民保安部の特殊捜査隊チームが監視している。彼らは正体不明の犯罪グループを追って第215工場へと辿り着いたのだ。ほどなくして、工場内で銃声が鳴り響く。使命感の強いイム・チョルリョン少佐(ヒョンビン)は、明け方まで外で待機しろという上司チャ・ギソン大佐(キム・ジュヒョク)の指示を無視し、部下たちを引き連れて工場内へと急行。ところが、彼らの前に現れた犯罪グループの黒幕は、他でもない上司ギソンその人だった。武装した犯罪グループは、工場職員も特殊捜査隊もまとめて皆殺しに。チームの一員であるチョルリョンの妻もギソンの銃弾に倒れる。目の前で最愛の人を殺され、自身も銃撃戦で負傷したチョルリョンは、果てしない絶望の中で意識を失っていく。 ギソン率いる犯罪グループの目的は、北朝鮮の最新技術の粋を集めた偽造紙幣印刷用の銅版「明刀銭(ミョンドジョン)」の強奪。これのおかげで北朝鮮は、スーパーノートと呼ばれる100米ドル紙幣の超精巧な偽札を大量生産してきたのだ。その「明刀銭」を奪ったギソン一味は、中国を経由して韓国のソウルへ。恐らく高値で売りさばくつもりなのだろう。もし銅版の存在が世界に知れたら一大事だ。慌てた北朝鮮上層部は一計を案じる。北側からの提案で南北長官級会談を韓国ソウルでセッティングし、その使節団のメンバーとして捜査官を送り込もうというのだ。選ばれたのは九死に一生を得たチョルリョン。当初、ただひとり生き残ったことから逆に共犯を疑われて拷問を受けたチョルリョンだったが、妻を殺したギソンへの激しい復讐心に駆られて危険な任務を引き受ける。 一方その頃、ソウル警察庁の刑事カン・ジンテ(ユ・ヘジン)は、捜査中に娘からの電話に出て容疑者を取り逃がすという大失態を演じ、3ヶ月の停職処分を食らってしまう。人情に厚くて同僚や部下から愛されるジンテだが、しかしお人好しな性格から損な役回りばかり引き受けてしまい、おかげで出世コースとは縁のない万年ヒラ刑事。停職処分などと知れたら気の強い妻ソヨン(チャン・ヨンナム)から大目玉を食らってしまうし、そもそも育ち盛りの娘ヨナ(パク・ミナ)や居候の義妹ミニョン(ユナ)の生活費も稼がねばならない。さて困った…と頭を抱えていると、上司のピョ班長(イ・ヘヨン)から特別任務の相談を受ける。 その特別任務とは「南北共助捜査」。なんでも、脱北した殺人犯を秘密裏に捕らえるため、南北長官級会談に合わせて北の捜査官がソウルへ来るらしい。そこで、韓国側の刑事がパートナーとして合同捜査することになったというのだ。ただし、合同捜査はあくまでも形だけ。ジンテの役目は北の捜査官から犯人の詳しい情報を入手し、捜査に協力するふりをして遠ざけること。犯人逮捕の実務は韓国の国家情報院が行う。なぜなら、わざわざ北側が韓国まで追いかけて来るほど重要な犯罪者が、単なる殺人犯とは考えにくいから。それならば自分たちの手で捕え、犯人の正体と北側が躍起になる理由を突き止めようというわけだ。 詳細を聞いて一瞬ためらうジンテ。正直なところ、ピョ班長から厄介事を押し付けられたような形だが、しかし任務に成功すれば早期の復職が叶うばかりか出世も期待できる。そう考えて引き受けることにしたジンテだったが、想像以上にやり手だったチョルリョンの大胆で命知らずな捜査に次々と振り回されていく…。 見どころは超絶スタントばかりじゃない! 韓国映画お得意のハードなアクションとバイオレンスが満載。登場人物たちと一緒になって縦横無尽に駆け回るカメラワークの圧倒的な没入感を含め、それこそ「ジェイソン・ボーン」シリーズも顔負けの派手なスタントは、もはやハリウッド映画以外では韓国映画の独壇場と言えよう。見ていて思わず笑みがこぼれてしまうほどの迫力。日本人にもお馴染みのお洒落な繁華街・梨泰院(イテウォン)をはじめ、実際のストリートへ飛び出してのカーチェイスやら銃撃戦やらの危険なアクションは、そもそも日本では撮影許可自体が下りないはずだ。なおかつ、最大限CGに頼らないリアルなスタントを目指した本作では、その表情までもカメラに捉えるため役者自身が多くのスタントに挑戦しており、中でも主演のヒョンビンは全体の90%をスタントダブルなしで本人が演じているという。しかも、接近戦の肉弾バトル・シーンではロシア軍特殊部隊から生まれた格闘術「システマ」を採用。それこそ『イコライザー』シリーズのデンゼル・ワシントンの如く、身近にある日用品までも武器に変えてしまう驚異の格闘アクションを披露する。 ただし、本作の最大の魅力はそうした映像的に派手な見せ場の数々よりも、泥臭くて人間味のある登場人物たちのキャラクターと、サスペンスやユーモアの中に朝鮮半島の平和と南北統一への願いを込めた脚本の奥深さにあると言えよう。犯人逮捕のためなら手段を選ばない命知らずの若手エリート刑事チョルリョンと、グウタラなダメ人間だけど部下想いで家族を大事にする人情家のベテラン刑事ジンテの顔合わせは、さながら『リーサル・ウェポン』シリーズのリッグスとマータフの如し。気が強くて口も悪いけど誰よりも夫を愛するジンテの妻ソヨン、我がままだけど無邪気で愛くるしい娘ヨナ、美人だけどジンテ以上にグウタラなダメ人間の義妹ミニョンと、かなりクセ強めなジンテの家族も親しみやすくて魅力的だ。 もちろん、クールでストイックでハンサムなチョルリョンを演じる韓国のトップ俳優ヒョンビン、見るからに風采の上がらないオジサンだけどお人好しで憎めないジンテを演じる名脇役ユ・ヘジンと、実に好対照な主演コンビのキャスティングも強力な武器であろう。美女と野獣ならぬ美男と野獣(笑)。加えて、筋骨隆々の精悍な悪党ギソン役のキム・ジュヒョクがまたカッコいいのなんのって!韓流ノワール『毒戦BELIEVER』(’18)で演じた中国人麻薬商人も強烈だったが、それだけに45歳の若さで交通事故死してしまったことは本当に惜しまれる。なお、義妹ミニョン役を演じるユナは、K-POP第二世代を代表するガールズグループ、少女時代のメンバーだ。 殺された妻の復讐を果たすため、そして独裁国家へ絶対的な忠誠を誓った捜査官としての職責を全うするため、是が非でも宿敵ギソンを捕らえねばならないチョルリョン。一方のジンテはなるべく面倒なトラブルを避け、何事もなく穏便にミッションを終えて職場復帰したいのだが、しかし危険を顧みないチョルリョンの大胆不敵な行動力と、現場の刑事を便利な駒としか考えない国家情報院の理不尽な要求に振り回される。そんな2人の凸凹コンビぶりがスリルと笑いを生んでいくわけだが、同時に国家権力によって都合良く使い捨てにされる者の悲哀までもが滲み出る。だからこそ、互いに反発しつつも次第に共鳴し、やがて固い友情で結ばれていくことになるのだ。そういえば、妻を収容所で失ったことから共和国に恨みを持つようになったギソンも、よくよく考えると北朝鮮の全体主義が生み出したモンスターであり、国家権力の哀れな犠牲者とも言えますな。 そのうえで本作は、たとえ国は違ってもそこに住むのは同じ血の通った人間、しかも韓国と北朝鮮の場合は言語や文化を共有する同じ民族であることを再認識させ、両国民がお互いを理解して歩み寄ることの大切さ、朝鮮半島の平和と南北統一の実現へかける期待、そして権力者の思惑に踊らされて民衆同士が対立や分断を深めることの無益を訴える。同じようなことはロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナにも言えるだろう。表向きは超絶アクション満載の痛快・爽快なエンターテインメント映画でありながら、しかしその根底には万国共通の普遍的なヒューマニズムの精神が流れている。それこそが本作の圧倒的な強みだと言えよう。 なお、本作の韓国公開から約3ヶ月後に文在寅政権が誕生。翌’18年2月の平昌オリンピック開会式では韓国と北朝鮮の選手が統一旗を掲げで合同で入場し、4月には板門店での南北首脳会談が実現するなど、一時的にせよ南北の融和ムードが一気に高まることとなった。■ 『コンフィデンシャル/共助』© 2017 CJE&M CORPORATION, ALL RIGHTS RESERVED
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COLUMN/コラム2024.05.31
「いまつくらねば!」2017年のスピルバーグが『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』を撮った重み。
1971年6月。「ベトナムにおける政策決定の歴史、1945年-1968年」、後に“ペンタゴン・ペーパーズ”と呼ばれることになる、アメリカ政府の機密文書の存在を、「ニューヨーク・タイムズ」が、スクープした。 それはトルーマンからアイゼンハワー、ケネディ、ジョンソンといった、歴代の大統領とその政権が、泥沼化するベトナム戦争に関して、アメリカ国民に嘘をつき続けていたことを明らかにする内容だった。正義も勝算もない戦争に、多くの若者たちを兵士として送り、多大な犠牲を出してきたのである。「ワシントン・ポスト」編集主幹のベン・ブラッドリーは、「タイムズ」と同じ文書を手に入れ、この報道に参戦しようと、躍起になる。 しかし時のニクソン政権は、「タイムズ」を機密保護法違反で訴え、その続報は差し止められてしまう。ブラッドリーたちもスクープの後追いをすると、政府を敵に回し、「ポスト」も同じ憂き目に遭う可能性が高い。 折しも「ポスト」は株式公開に向けて、社主のキャサリン・グラハムはその準備に、余念がなかった。ブラッドリーたちの企ては、「ポスト」の経営を揺るがしかねないと、社の上層部や法律顧問から、猛反対を受ける。 報じるか否か、すべては社主のキャサリンに委ねられた。果して、彼女の決断は!? ***** 「いますぐこの映画をつくらなければいけない…」 実話に基づき実在の人物達を主人公にした、本作『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』(2017)の脚本を読んでそう考えたのは、巨匠スティーヴン・スピルバーグ。彼の動きは、果断だった。 製作中だったSF映画『レディ・プレイヤー1』(18)の撮影を、イタリアで終えると、アメリカに帰国。可能な限りスピーディに、本作を完成・公開するプロジェクトに取り組んだ。 彼をそうさせたのは、2017年1月の、トランプ政権の誕生。都合の悪い報道は、「フェイクニュース」と口汚く罵り、圧力を掛けることを辞さない新大統領と、メディアの関係は、極端に悪化していた。 スピルバーグはこうした状況に、強い危機感を覚えていた。その時に、「報道の自由」を高らかに謳い上げる、本作の脚本に出会ったのである。 元々この脚本はリズ・ハンナという、その時点ではまだ映画化作品がない、女性脚本家が執筆。「ブラックリスト」に登録したものだった。 この「ブラックリスト」とは、優れた脚本やその書き手を発掘するために、2005年にスタートしたシステム。登録された脚本は、限られた映画関係者だけがアクセスできるウェブサイトで公開される。 2016年に登録されたこの脚本を読んで、その年の10月に映画化権を獲得したのは、プロデューサーのエイミー・パスカル。そしてパスカルはこの脚本を、スピルバーグへと委ねたのだ。 元の脚本は、執筆したリズ・ハンナ曰く、「ソウルメイトたちのラブストーリー」。“ペンタゴン・ペーパーズ”の報道を巡って、「ワシントン・ポスト」の社主であるキャサリン・グラハムと編集主幹のベン・ブラッドリーの関係が培われ、育っていく。それが2人の、そして「ポスト」の強みになっていく様を描いている。 スピルバーグが「すぐに撮りたい」と思ったほどの脚本だったが、十全を期してブラッシュアップを図った。筆を加えたのは、やはり実話ベースで2015年度のアカデミー賞作品賞と脚本賞を受賞した、『スポットライト 世紀のスクープ』のジョシュ・シンガー。 彼の役割は、キャサリンが決断を下すまでの数日間を描く中で、観客が、舞台となった“1971年”に没入し、その時代に身を置けるようにすること。そこで、「歴史的な要素と時代背景」を書き加えるために、当時を知る多くの者に、リサーチを行った。 本作は、2017年5月30日にニューヨークでクランク・イン。メインの撮影は50日間で終了し、11月6日には作品が完成していた。 1993年には、革新的なVFX技術を用いたエンタメ超大作『ジュラシック・パーク』と、ナチスによるユダヤ人虐殺を描いた社会派作品『シンドラーのリスト』という、映画史に残る2本をほぼ並行して製作・監督するなど、「早撮り」で知られるスピルバーグであるが、本作は、彼が脚本を読んでから僅か9カ月での完成。その偉大なフィルモグラフィーの中でも、最も短期間で仕上げた作品となった。 そして『ペンタゴン・ペーパーズ』は、先行して製作していた『レディ・プレイヤー1』より3か月も早く、その年=2017年12月には、公開となったのである。 このハリウッド大作としては極めて短期間のプロジェクトに、主演として請われたのは、メリル・ストリープとトム・ハンクス。ハンクスがスピルバーグとタッグを組むのは、5度目だったが、メリルとスピルバーグ監督作の縁は、過去に『A.I.』(01)で声優を務めたことのみ。実質的には、スピルバーグ組への初参加と言えた。またメリルとハンクスの共演も、初めてのことだった。 メリルが演じたキャサリン・グラハム(1917~2001)は、期せずして「ワシントン・ポスト」の社主となった女性である。「ポスト」は元々、彼女の父が1933年に買収。46年にその娘婿、つまりキャサリンの夫であるフィル・グラハムが後を継いで、成長させた新聞社だった。 しかしフィルが、現在で言うところの双極性障害を悪化させて、63年に自殺。それまで4人の子どもを育てる“専業主婦”だったキャサリンは、46歳にして父と夫の会社を守るため、周囲の反対を押し切って、経営者の座に就いたのである。 アメリカの主要紙では初の女性TOP、しかもその手腕は未知数ということもあって、軽んじられることも少なくなかったというキャサリン。本作はそんな彼女が大きな決断を下し、成長していく物語と言える。 メリルは、キャサリン・グラハム自身が朗読した、自伝の録音を聴くなどして、撮影前の準備を行った。その際にキャサリンの、「エネルギー、知性、思いやり、ユーモア、そして謙虚さ」に、すっかり魅了されてしまったという。 ハンクスが演じたベン・ブラッドリー(1921~2014)は、キャサリンが「ニューズウィーク」誌から引き抜いて、「ポスト」の編集主幹に据えた人物。有能で仕事熱心なジャーナリストであったが、その強引さから“海賊”と異名を取ってもいた。 スピルバーグは生前のブラッドリーと近所付き合いがあり、何度も話した経験があった。またハンクスもブラッドリーとは、90年代に何度か夕食会で会った間柄だった。 メリルとハンクスの役作りは、例によって完璧だった。キャサリンやブラッドリーを知る識者たちが撮影現場を訪れた際、「ミセス・グラハムそのまま」「彼そのもの」と折り紙を付けるほど、精緻を極めていたという。 そんな2人の名優を擁した現場でのスピルバーグ演出は、初顔合わせだったメリル曰く、「即興的な撮り方」で、リハーサルもなかったため、彼女をとても吃驚させた。スピルバーグから、“次は違うふうに”などと、色々な撮り方を試されたメリルは、それにアドリブを交えながら応えた。 そんな彼女の即応力に、スピルバーグ組ベテランのハンクスも、「メリルは共演者を決められた演技に誘導するのではなく、最高の演技を一緒に引き出そうとする」と感服。彼女との共演を、「素晴らしい経験だった」と、称賛を惜しまなかった。 メリルが初体験だった、この「とても自由な感じ」の撮影は、「すぐに始まり、すぐに終わった」印象だったという。 本作のキャストで、いわゆる“大スター”はメリルとトムだけだったが、脇を固める俳優陣も、こうしたスピルバーグ演出の下、素晴らしい演技を見せている。 さて細かいことは観てのお楽しみとするが、本作はメインのストーリー展開が終わって1年後の1972年6月、当時野党だった民主党本部に5人の男が不法侵入し逮捕された事件を映し出して、幕となる。世に言う、“ウォーターゲート事件”である。 後にこの犯罪行為に、ニクソン大統領の「再選委員会」が関わっていることが判明。結果的にニクソンは、辞任へと追い込まれる。 この件をスクープしたのが、本作ではハンクスが演じたベン・ブラッドリーの部下で、「ワシントン・ポスト」の若き記者、ボブ・ウッドワードとカール・バーンスタイン。そしてその顛末を映画化したのが、アラン・J・パクラが監督し、ロバート・レッドフォードとダスティン・ホフマンが共演した『大統領の陰謀』(1976)である。 つまり本作のエンディングは、41年前の名作『大統領の陰謀』のプロローグになっているという仕掛けだ。この特ダネの報道に挑むブラッドリーのチームを全面的にバックアップしたのも、キャサリン・グラハムだったが、残念ながら今から半世紀近く前に映画化された『大統領の陰謀』は、ほぼ完全に“男社会”の作品。彼女の名前は、触れられる程度に終わっている。 1976年の『大統領…』と2017年の『ペンタゴン・ペーパーズ』。製作年度の、彼我の差という他はない。 さてトランプ大統領の誕生が、スピルバーグに本作の製作を決意させた旨は、冒頭で記した通りである。それから7年経った現在、「もしトラ」~1度は野に下り、数々の犯罪行為で訴追されているトランプが、大統領に復帰する可能性が、喧伝される事態となっている。トランプ復帰が現実のものとなった場合、再びメディアとの対決姿勢を打ち出すのは、疑いあるまい。 一方で我が国の現状を鑑みると、「世界報道自由度ランキング」の2024年版では、前年の68位から順位を下げ、70位。G7では、最下位という体たらくである。長期政権とメディアの癒着や緊張関係のなさが、危機的状況を招いている。 本作『ペンタゴン・ペーパーズ』では、「報道の自由」を保証する、「アメリカ合衆国憲法修正第1条」が再三言及される。それに基づき、本作のクライマックスで連邦最高裁が下す判決の中にある一文が、これほどまでに重く響く時代になるとは…。「報道機関は国民に仕えるものであり、政権や政治家に仕えるものではない」■ 『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』© 2017 Storyteller Distribution Co., LLC. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2024.05.15
リドリー・スコット失地回復の1作『ブラック・レイン』でその“生き様”を輝かせた男
マイケル・ダグラスは、ノリに乗っていた。 元は『カッコーの巣の上で』(1975)などで、プロデューサーとしてその名を轟かせたが、80年代中盤以降は、俳優としても成功。1987年には、『危険な情事』が大ヒットとなり、続く『ウォール街』では、大スターの父カーク・ダグラスが生涯手にすることがなかった、アカデミー賞主演男優賞の獲得に至る。 そんな絶好調の彼に、1冊の脚本が届けられた。それは元々、エディ・マーフィ主演の『ビバリーヒルズ・コップ2』(87)のために書かれたものだったが、諸般の事情で没に。 その後その脚本は、『ビバリーヒルズ…』とは別企画の刑事アクションとして、映画化が模索された。ダグラスの元に辿り着くまでに、主演候補として、メル・ギブソンやカート・ラッセル、スタローンやシュワちゃん、ブルース・ウィリスやハリソン・フォード、ルトガー・ハウアーなどの名が挙がったという。 この脚本が気に入ったダグラスは、『危険な情事』のプロデューサーだった、スタンリー・R・ジャッフェとシェリー・ランシングの元に持っていく。かくして本作『ブラック・レイン』(89)は、製作費3,000万㌦=約59億円の、当時としてはビッグバジェットで、映画化されることとなった。 監督には、『ロボコップ』(87)でヒットを飛ばしたポール・ヴァーホーヴェンが、一旦決まる。しかし彼は『トータル・リコール』(90)のプロジェクトへと鞍替えし、降板。そこでジャッフェ&ランシングがオファーしたのが、リドリー・スコットだった。今日では“巨匠”として揺るぎない地位を築いているスコットだが、当時の立ち位置は、極めて微妙なものだった。 長編監督第2作にして、ハリウッド進出作だった『エイリアン』(79)で大成功を収めるも、後には伝説的な作品として語り継がれることになる『ブレードランナー』(82)は、初公開時は大コケ。続く『レジェンド/光と闇の伝説』(85)『誰かに見られてる』(87)も不発に終わっていた。『ブレードランナー』以降スコットは、プロデューサー的な役割も兼ねて作品作りを行ってきた。しかしそんな状態だったため、『ブラック・レイン』へは、純然たる“雇われ監督”として参加が決まる。 ■『ブラック・レイン』撮影中のマイケル・ダグラス(左)とリドリー・スコット監督 製作準備期間中スコットは、『ブラック・レイン』メインの舞台となる日本を、何度も訪問。ロケハンを行うと、もっと独特のものがあると思っていた日本の都市が、「近代的で合理的」であることに気付かされた。 そんなこともあって、東京をメインの舞台にするという、当初のプランは取りやめ。成田空港や銀座、新宿歌舞伎町などでロケを行うには、撮影許可を得るのが至極困難であるというのも、ロケ地変更へと繋がった。 日本を離れて香港で撮影するアイディアも検討されたが、最終的には大阪で大々的にロケーションが行われることとなった。東京よりは「融通が利く」という見込みからの決定だったが、これが大間違いで、後に撮影チームは、地獄を見ることとなる…。 ***** ニューヨーク市警の刑事ニック(演:マイケル・ダグラス)。内務調査班から汚職の疑いを掛けられ、なじみの店で相棒チャーリー(演:アンディ・ガルシア)に、愚痴をこぼす。 その時その店で、マフィアと日本のヤクザが商談を行っているのが、目に入る。そこに手下を引き連れ、横入りするように現れたのが、新興ヤクザの佐藤(演:松田優作)だった。 その荒っぽい振舞いを、年配のヤクザが揶揄すると、佐藤は鋭利な刃物で喉元を引き裂いて殺害。ニックとチャーリーは、逃亡を図る佐藤を追跡し、死闘の末に取り押さえる。 2人は逮捕した佐藤を、日本へと護送。空港到着と同時に、現れた警官隊に佐藤を引き渡し、任務完了の筈だったが、それは佐藤の配下が扮した、ニセ警官だった。 大阪府警からお目付け役に、閑職の警部補・松本(演:高倉健)を付けられ、厄介者扱いされる2人のアメリカ人刑事。しかしニックは一連の事態が、佐藤とその元親分の菅井(演:若山富三郎)との間の、偽ドル紙幣の原板を巡る抗争であることを突き止める。ニックは菅井が経営するクラブミヤコの外国人ホステス(演:ケイト・キャプショー)の協力を得て、佐藤の逮捕に執念を燃やす。 そんな時チャーリーが、佐藤の罠によって、ニックの眼前で惨殺される。その怒りと悲しみが、ニックと松本を結び付け、2人は共同で捜査に取り組む。 アメリカと日本。異なる文化をバックボーンに持つ2人の刑事は、果して佐藤を追い詰めることが出来るのか? ***** 本作のタイトル“ブラック・レイン=黒い雨”の由来は、日本ヤクザの大ボス菅井が、ニックに毒づく内容で示される。少年時代にアメリカ軍による空襲を経験した菅井は、その直後“黒い雨”に打たれる。日本は敗戦と共に、やって来た進駐軍に価値感を押しつけられ、それが今どきの、仁義もへったくれもない、佐藤のような奴らを創り出したのだと。 主演のマイケル・ダグラスは本作のクランク・イン前、ニューヨーク市警の刑事と行動を共にした。その際ハーレムの暴動現場に駆けつけたり、警官2人が殺害された現場の調査に加わったりして、リサーチ。しかし日本に行くことは、敢えて避けたという。初めて日本を訪れるニック刑事と、できるだけ同じ状況で撮影に臨もうとしたのである。 外国人ホステスを演じたケイト・キャプショーは、役作りのため、大阪の会員制クラブに勤務。「男性とダンスをしたり、甘えさせてあげたり、背中を撫でてやったり、お酒をついだり……、彼らの冗談に笑ったり」といった経験をした。 日本人キャストの多くは、大々的なオーディションによって、決められた。押しも押されぬ日本のTOPスターで、『燃える戦場』(70)『ザ・ヤクザ』(74)など、ハリウッド映画に出演経験のある“健さん”こと高倉健も、例外ではなかったようだ。高倉が亡くなった際、彼が演じた松本警部補役のオーディションを、泉谷しげるも受けていたことを明らかにしている。 一説によるとリドリー・スコットは、出世作『エイリアン』を撮る際にも、高倉の出演を望んだと言われている。そうした意味では健さんは、“特別枠”だった可能性もあるが。 本作の強烈なヴィラン佐藤役には、ジャッキー・チェンの名前も挙がったというが、どう考えても柄ではない。本人もそう思ったらしく、直々に断ったと言われる。 数多の有名俳優が佐藤役の獲得に挑んだ中で、最終的に勝ち残ったのが、松田優作だった。キャスティング・ディレクターが松田に興味を持ったのは、『家族ゲーム』(83)『それから』(85)といった、森田芳光監督作品を観てのこと。またリドリー・スコットは松田のことを、痛快な日本のテレビドラマ(「探偵物語」<79~80>のことと思われる)で知られる、「本質的にはコメディ俳優」と認識していた。 そんなこんなで、松田の起用が決まった時点では、アクションができることは、さほど期待されていなかったようである。彼を世に出した刑事ドラマ「太陽にほえろ」や、角川映画などの村川透監督作に触れてきた我々としては、吃驚するような話であるが…。 1988年10月28日、『ブラック・レイン』は、当時の大阪府庁のビルを、大阪府警に見立ててのシーンから、撮影開始。アメリカ側45人、日本側100人という大所帯のクルーは、続いて京橋地区の野外シーンや道頓堀地区のナイトシーン等々に取り組んでいく。しかしこれらの街頭撮影は制約が厳しく、困難を極めることとなった。 撮影許可が下りた筈だったのに、突然取り消されたり、建物内の撮影をしようとすると、それを監視する関係者が現れたり。 見物客にも、手を焼いた。通行人が平気でカメラの前を横切るわ、高倉健にサインを求めるギャラリーが殺到するわ。マイケル・ダグラスが、人々が高倉に接する様について、「アメリカでは、ブルース・スプリングスティーンの時だけだよ。あんなに尊敬される姿を見れるのは」とコメントしているが、これは半ば皮肉だったのかも知れない。 このような状況にストレスをためた撮影監督は、途中で降板。ピンチヒッターとして、後に『スピード』(94)などを監督する、ヤン・デ・ボンが呼ばれた。「日本社会というものを理解していなかった」そして「日本での撮影がどれだけ高くつくかもわかっていなかった」と悔やんでも、後の祭り。リドリー・スコットは後年、「二度と日本では撮らない!」と、コメントしている。 当初年の瀬近くまで予定していたロケは、12月上旬には切り上げ。結局大阪での撮影は、予定の半分もこなせなかった。 その後ニューヨークロケを済ませた後、撮れなかった日本のシーンは、ロスやカリフォルニア周辺で撮影。クライマックスは、ナパ・ヴァレーに在るブドウ農園を、コメの栽培地に作りかえ、そこで大物ヤクザたちの会合シーンや、ニックと佐藤のバイク・チェイスを撮り上げた。 1989年3月14日に、本作の主要な撮影は終了。ロケ地としての日本の評判は、本作で地に墜ちたと言えるが、その逆に高い評価を受けたのが、松田優作だった。 先にも記した通り、アクション面では期待されていなかった松田だが、いざ撮影に臨むと、スタントなしで自在に演じられることを知らしめた。そして撮影が進むにつれ、作品に対する発言権と信頼を得ていったのだ。 リドリー・スコットは松田を、「じつに良いやつ」「正真正銘の、ナイスガイ」とべた褒め。マイケル・ダグラスはアメリカでの撮影の合間に、松田を映画会社の重役に引き合わせ、今後ハリウッドで仕事をする際は、すべての面倒を見ると、太鼓判を捺した。 そして本作『ブラック・レイン』は、1989年9月22日に全米公開。№1ヒットとなると、キャスティング・ディレクターの元には、「ユーサク・マツダとは何者だ?」と問い合わせが殺到した。10月頭には具体的に、松田憧れの俳優、ロバート・デ・ニーロの主演作からオファーがあったという。 しかしその申し出が届いた際、松田は深刻な状況に陥っていた。実は本作への出演が決定した88年秋、松田は、膀胱がんの診断を受けていたのだ。ところが彼は、「“映画の父の国”で映画をやってみたかった」という、長年の夢を優先。本作の撮影に臨んだ。 それから1年…。松田は、10月7日の本作日本公開の頃には入院。がんの転移もあって、予断を許さない状態だった。そしてほぼ1か月後の11月6日には、この世を去ってしまう。享年40。 松田の身体ががんに侵されているのは、本作関係者のほとんどが知らされていなかった。その役どころとは正反対に、撮影中に松田と“親友”になった、チャーリー刑事役のアンディ・ガルシアは、『ゴッドファーザーPARTⅢ』(90)撮影中に松田の訃報を耳にした。ガルシアは真っ青になって、言葉も出なかったという。 本作は、監督のリドリー・スコットにとっては、失地回復の1作となった。そして次作では、プロデューサーを兼任。代表作の誉れ高い、『テルマ&ルイーズ』(91)を放つこととなる。 本作の撮影中、渾身の演技を見せた松田優作はスコットに、こんなことを言ったという。「これで俺は永遠に生きられる」■ 『ブラック・レイン』TM & Copyright © 2024 by Paramount Pictures Corporation. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2024.05.10
『グレムリン』 —変奏された『素晴らしき哉、人生』—
暮れも押し迫ったクリスマスの日。発明家のランドール(ホイト・アクストン)は息子のビリー(ザック・ギャリガン)にプレゼントを贈るため、チャイナタウンの奇妙な店から、モグワイと呼ばれる可愛らしくもエキゾチックなペットを購入する。彼らはその生き物を親しみ込めて「ギズモ」と名づけたが、飼うにはいくつかの条件を守らねばならなかった。それは明るい光を避けること、モグワイを決して濡らさないこと、そして真夜中すぎて餌を与えないことー。 1984年公開のアメリカ映画『グレムリン』は、これらの厳しいルールに対するビリーたちの不注意が、モグワイをいたずらに増殖させたあげく、街を大騒動に導く小さな凶暴モンスター=グレムリンへと変貌させ、混乱した事態の収拾を余儀なくされるクリーチャーコメディだ。 同作の監督を務めたジョー・ダンテは、彼の忠実なプロデューサーであるマイケル・フィネルとともに、新しいプロジェクトを模索していた。当時ダンテは『ハウリング』(1981)という、リアルな狼男の変身シーンが話題を呼んだダークコメディをヒットさせたものの、契約上の問題で自身に満足のいく成果がもたらされなかったのだ。 そんなある日、彼のもとにアンブリン・エンターテインメントという製作会社から、スティーブン・スピルバーグの名のついた郵便物が送られてくる。中に入っていたのは『グレムリン』と題されたタイトルの脚本で、執筆者はクリス・コロンバスという、二十代半ばの若者のものだったのだ。 ダンテはスピルバーグのようなビッグネームから、そのような脚本を送られてくる理由がわからなかった。しかし過去に彼は『ピラニア』(1978)という、殺人魚が人を襲う動物パニックを手がけたとき、雨後の筍のごとく出てきた『ジョーズ』(1975)のエピゴーネンの中で唯一「アイディアが秀逸で面白い」とスピルバーグからお墨付きをもらっていたのである。なにより『ピラニア』はヤノット・シュワルツ監督の『ジョーズ2』(1978)と競合する形でユナイテッド・アーティスツが公開を決めていた作品で、そんな商売敵でもスピルバーグは称賛したというのだから筋金入りだ(フィネルの発言によると、スピルバーグは『ハウリング』を依頼の動機としている)。 しかし、それでも『グレムリン』の脚本がスピルバーグから届けられたとき、監督は明らかに配送ミスだと思ったという。しかしこの配送ミスは、逆にハリウッドで目にモノ見せるための啓示なのだとダンテは考え、停滞したキャリアの打開策になるのではと、監督依頼に前向きな姿勢を示したのだ。 まず指名をしてくれたスピルバーグに演出の実力を示す段取りは、一緒に参加したオムニバスムービー『トワイライトゾーン/超次元の体験』(1983)が可能とした。しかし、それでもダンテの決断を鈍らせていたのは、スピルバーグが製作総指揮を担った『ポルターガイスト』(1982)の噂だった。いわく、同作の撮影中にハリウッドの一部で広まっていた、スピルバーグの危険な干渉と越権行為、それによって監督のトビー・フーパーが、現場での指揮権を奪われたというものだ。 そこでダンテは『グレムリン』の監督依頼に同意するとき、「自分はあくまで、キミの映画のパロディを作るつもりだ」とスピルバーグに宣言し、彼を共犯者として引き込むことで、余計な干渉をガードしたのだ。映画の冒頭シーンから『インディ・ジョーンズ』シリーズのパロディを披露したり、また発明品評会のシーンでスピルバーグをカメオ出演させたりと、積極的に作品に参加させて懐柔していったのである。 またクリス・コロンバスの手がけた初稿は、ザック・ギャリガン演じる青年ビリーが主人公ではなく、13歳の少年を想定していた(その役割はコリー・フェルドマン演じるキャラクターに組み込まれた)。しかし血なまぐさいホラーの要素が強く、グレムリンはその名のとおり貪欲で、犬を食べたり登場人物たちの命を危険にさらしたり、あげくビリーの母親の生首が転がるような描写もあったという。それが13歳の子どもを中心に展開するというのだから、相当に穏やかではなかったのだ。そのため脚本は大幅な改稿を強いられ、『ヤング・シャーロック/ピラミッドの謎』(1985)の開発に影響が出たというのは、同作のコラム「若き名探偵ホームズの冒険アクションがもたらした、三つの映画革命〜『ヤング・シャーロック/ピラミッドの謎』〜」で記しているとおりだ。 しかしこうした大幅な変更に直面しながらも、ダンテはこの映画の隠れた幼稚性や残虐性を正当化し、「予期せぬものがルールを無視して日常に侵入する」という、コロンバスの脚本の精神を損ねることはなかったのである。 それでもなお、レイティングの厳しい等級づけを免れないだろうと危惧していたところ、『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』(1984)制作時にスピルバーグとジョージ・ルーカスがMPAA(米国映画協会)に掛け合い、新たな等級「PG−13」を設けられたことで、多少のハードな描写も寛容に対処してもらえたのである。 ◆愛らしきスーパーキャラクター「ギズモ」の誕生 そして『グレムリン』の存在を永遠のものにしたのは、劇中に登場するクリーチャー、モグワイたちの創造に尽きるだろう。とりわけ「ギズモ」の存在は特別だ。本作のコンセプトデザイナーである特殊メイクアーティストのクリス・ウェイラスが、クルーと共におよそ100体に及ぶモグワイの実物大パペットを開発し、スクリーン上でのパフォーマンスをすべて操作したのである。スピルバーグはプロダクションデザインの準備期間をたっぷりと確保し、できる限りの予算を調達することで、素晴らしいデザインのグレムリンたちを生み出すことに成功したのだ。しかし彼は撮影直前の段階で、ギズモを映画の主人公として最後まで登場させるよう変更し、そのためウェイラスはギズモの表情や目の動きを細かく撮影せざるを得なくなり、メカニカル操作の比重を大きく置くことになった。とはいえ、こうしたスピルバーグの大きな決断は、ギズモをこの映画のスペシャルなヒーローへと変身させ、現在も愛され続けるキャラクターとして見事に世に送り出したのである。 なによりCG技術がそこまで発展していなかった時代、プラクティカルなエフェクトで創り出したグレムリンのフィジカルな存在感こそ、キャラクターの命として大きく作用したのだ。加えてそのローテクなアプローチは、たまらないノスタルジーを観る者に覚えさせる。同時にスタジオセットを中心に撮影した本作の人工性は、奇しくもクリスマスムービーの古典である『素晴らしき哉、人生』(1946)を復唱するものとなり、『グレムリン』は「自分はこのような人生を送るはずではなかった」という、同作のテーマを変奏するのである。 ◆トラウマを残す、フィービー・ケイツのモノローグ そして『グレムリン』を語る上で、ギズモよりも忘れられない印象を残したのが、劇中でフィービー・ケイツが滔々と語る、残酷で悲劇的なモノローグだろう。 フィービー演じるケートがクリスマスに対する憎悪と、その起因となった父親のおぞましいエピソードについて語るシーンは、製作内部で物議を醸し、同作のプロデューサーであるテリー・セメルを筆頭に、ワーナーの上層部たちは削除するよう指示した。編集のティナ・ハーシュもそれに従おうとしたうえ、スピルバーグでさえもが同シーンを嫌い、ダンテの演出を擁護しなかったのである。しかしダンテはカットを許さず編集を強行し、本編に残したのである。その判断が正しかったのは、同シーンが『グレムリン』において外せないものとなった現況からも明らかだ。 奇しくも『グレムリン』の劇場公開から1年後。ダンテは本作のベースに『素晴らしき哉、人生』があることを、同作の監督フランク・キャプラに直接説明する機会を得られた。そのときキャプラから、フィービーのモノローグがあまりにも悪趣味なことに絡め、「ジョー、きみは私の大事な映画を笑い物にしすぎだ」 と苦笑されたという。ダンテは自分の意図を完全に読みきった巨匠キャプラに敬服すると同時に、オマージュを捧げた作品の監督から否定され、複雑な心境に陥ってしまったと語っている(フランク・キャプラはその6年後、1991年に死去)。■ 『グレムリン』© Warner Bros. Entertainment Inc.
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COLUMN/コラム2024.05.02
いつの時代も変わらぬ自由と幸福への渇望を鮮やかに描いた‘80年代青春コメディ映画の傑作『フェリスはある朝突然に』
青春映画の巨匠ジョン・ヒューズの代表作 ‘80年代を代表するティーン向け青春映画のひとつである。当時のアメリカでは史上初めて、10代の若年層が映画観客の主流を占めるようになり、おのずと彼らをターゲットにした青春映画が量産されるようになった。’80年代が青春映画の黄金時代と呼ばれる所以だ。恐らくブームの火付け役はエイミー・ヘッカリング監督の『初体験/リッジモント・ハイ』(’82)か、フランシス・フォード・コッポラ監督の『アウトサイダー』(’83)辺りだろうと思われるが、しかしブームを牽引したのは間違いなくジョン・ヒューズ監督であろう。 デビュー作の学園ドラマ『すてきな片想い』(’84)が若者たちの間で大評判となり、続く『ブレックファスト・クラブ』(’85)や製作・脚本を担当した『プリティ・イン・ピンク/恋人たちの街角』(’86)のブロックバスター・ヒットで一躍時の人となったヒューズ監督。どこにでもいる今どきのティーンエージャーたちを主人公に、いつの時代も変わらぬ若者たちの夢と希望と悩みをユーモラスに描いた彼の作品群は、それゆえ大勢の同世代の若者から熱狂的に支持されたのである。そんなジョン・ヒューズ監督による一連の青春映画で最大のヒットとなったのが、500万ドルの予算に対して全米興行収入7000万ドルを記録した『フェリスはある朝突然に』(’86)だった。 主人公はシカゴ近郊の住宅街に住む高校3年生フェリス・ビューラー(マシュー・ブロデリック)。ハンサムで人懐こくてチャーミングで、なおかつ頭の回転が速くて口の達者なフェリスは、学校中の生徒はもとより町中の人々からも愛される人気者だ。それはとある晴れた日の朝のこと。こんな天気の良い日に学校へ行くなんてもったいない!と考えた彼は、仮病を使って学校をさぼることにする。息子を溺愛する共働きの両親(ライマン・ワード&シンディ・ピケット)が出勤し、世渡り上手な兄に嫉妬する妹ジーニー(ジェニファー・グレイ)が登校したところでズル休み作戦スタート!万が一、親が様子を見るため仕事の途中で戻ってきたり、学校の先生が訪ねてきたりした時のため、家中に様々な偽装工作を仕掛けておくフェリス。ついでに後輩たちへ大袈裟な嘘を吹き込んで、「どうやらフェリスが重病らしい」との噂を学校中どころか町中に広め、さらには学校のコンピューターをハッキングして欠席日数のデータもちゃっかりと誤魔化す。全ては今日を思いきり楽しむため。さすが、さぼりの常習犯だけあって計画に抜かりはない。 そのうえで、本当に体調が悪くて休んでいる悪友キャメロン(アラン・ラック)を呼び出し、さらには恋人スローン(ミア・サラ)のお祖母ちゃんが亡くなったと嘘の連絡を学校へ入れる。休日を存分に楽しむには、やはり気心の知れた仲間も必要だ。キャメロンの父親の愛車フェラーリに乗り込んだ2人は、学校前で帰宅許可の出たスローンをピックアップ。そのままシカゴの街へと繰り出したフェリスとキャメロン、スローンの3人は、野球スタジアムでシカゴ・カブスの試合を観戦したり、予約でいっぱいの高級レストランに予約客のふりして乗り込んで美食を堪能したり、シカゴ美術館で芸術鑑賞に浸ってみたり、さらには大通りのパレードに参加して歌とダンスを披露したりと、文字通りやりたい放題!最高に充実した休日を過ごしていく。 ところが、フェリスのズル休み作戦をまんまと見抜いた人物がいた。学校のルーニー校長(ジェフリー・ジョーンズ)である。生徒たちが教師を尊敬しなくなったのはヤツのせいだ!と一方的にフェリスを目の敵にするルーニー校長は、なんとかしてズル休みの証拠を掴んでやろうと、あの手この手を使ってフェリスの行方を追跡していく。さらに、お兄ちゃんばかりいつも得をしてズルい!と怒り心頭の妹ジーニーもまた、両親へ告げ口をするためにフェリスのズル休みを立証しようと奔走していた…! 誰の心にもフェリスは存在する というわけで、調子が良くて抜け目のない高校生フェリスが、果たして親にバレることなく、はたまた校長先生に捕まることもなく、無事にズル休みの1日を満喫できるのか?という実に他愛のないストーリーの青春コメディ。しかも、いやいや、それって出来過ぎだよね!?ってくらい万事が順調に運んでいく。そればかりか、フェリスを懲らしめてやろうと息巻くルーニー校長は、用意周到なフェリスの悪知恵に次々と出し抜かれ、そのうえ泥だらけになったり犬に追いかけられたりと散々な目に遭うし、誰からも愛される兄フェリスの化けの皮を剥がしてやろうとした妹ジーニーも、自身の愚かな嫉妬心に気付いて反省することになる。これをご都合主義と捉える向きもあるかもしれない。そもそも、「人生なんて短いんだから楽しまなくちゃ!」というフェリスの姿勢に異を唱える人だっているだろう。そりゃそうだ、人生というのは上手くいかないことの方が多いし、当然ながら楽しんでばかりもいられないのだから。 しかし、恐らくそんなこと作り手であるジョン・ヒューズはもちろん、主人公フェリスだって百も承知だろう。だからこそ、フェリスはスクリーンの向こうから観客に話しかけ、画面上には要点を説明するテロップが表示され、常にこれはあくまでも映画ですよ!ということを主張し続ける。こんな素敵な一日が過ごせたら、こんなに万事が順調にいったらどんなにいいだろう。しかし、現実にそんなことはあり得ない。それを十分過ぎるくらいに分かっているからこそ、スクリーンの中のフェリスたちの大冒険が眩しいくらいにキラキラと輝くのだ。そして、ルールやしきたりや常識で他人を縛ろうとする大人に平然とノーを突きつけるフェリスは、同時にルールやしきたりや常識に縛られた人間を「もっと肩の力を抜いていいんだよ!」と言って解放してくれる。自分もフェリスのように自由に振る舞えたら、フェリスのように大胆に行動できたら。若者はもちろん大人も同様、誰の心にも多かれ少なかれフェリスは存在するはずだ。しかし、大半の人は実行になど移せない。妹ジーニーが彼に対して腹を立てる本当の理由もそこにあるだろう。 自分は嫌でも我慢して学校へ行っているのに、平気で楽をしようとするお兄ちゃんが許せない。しかも、そんなお兄ちゃんばかりみんなから愛されるなんて不公平だ。不満と怒りを募らせたジーニーに、警察署でたまたま会った不良少年(チャーリー・シーン)がさりげなく指摘をする。それはフェリスじゃなくて君自身の問題ではないかと。自分が被害をこうむるわけでもないのに、なぜ兄のやることに腹が立つのか。ズルいと思うのなら自分もズル休みすればいい。嫌なことを我慢する必要などないだろう。でも、捕まることが怖いジーニーには出来ない相談である。そう、彼女がフェリスに対して抱く不満は、常識に縛られた自分自身に対する不満だ。それは単なる嫉妬と羨望の裏返しに過ぎない。彼女が我慢して学校へ行くのは彼女の選択であり、フェリスのズル休みとは何ら関係がないのだ。 フェリスの大親友でありながら、その一方で彼に引け目を感じているキャメロンにも似たようなことが言えるだろう。真面目で臆病で気の弱いキャメロンは、いつも厳しくて口うるさい父親の言いなり。言い返す勇気も自己主張する覚悟もなく、そのストレスからしょっちゅう体調不良で学校を休んでいる。そんなキャメロンにしてみれば、なんでも口八丁手八丁で思い通りにしてしまうフェリスは、そうなりたくても絶対になれない理想の存在でもある。実のところ、このフェリスとキャメロンの関係性こそが本作の核心ではないかと思う。要するに、フェリスは自分の殻に閉じこもったままのキャメロンを解放するため、自由奔放で大胆不敵なズル休みの1日に彼を誘ったのだ。 実はスピンオフ映画の企画が進行中…!? さながら、いつの時代も人々が抱く自由と幸福への渇望を、お茶目で愉快な青春コメディとして仕立てた現代の御伽噺。現実にはあり得ないからこそ愛おしい。この見事な脚本を、ジョン・ヒューズ監督はたったの6日間で書き上げたというのだから驚きである。後の『ホームアローン』(’90)を彷彿とさせるポップで軽妙洒脱な演出がまた実に楽しい。最初からフェリス役の第1候補だったというマシュー・ブロデリック、彼とはブロードウェイの舞台「ビロクシー・ブルース」で共演して私生活でも親友だったアラン・ラック、そしてトム・クルーズと共演した『レジェンド』(’85)の美少女ぶりも話題になったミア・サラと、主演キャストたちも大変魅力的だ。っていうか、この頃のマシュー・ブロデリックは本当にキラッキラの美少年でしたな!しかも、飄々とした個性と軽やかな芝居がフェリス役にピッタリ。最高のキャスティングである。 もちろん、『ハワード・ザ・ダック』(’87)や『ビートルジュース』など悪役俳優として引っ張りだこだったジェフリー・ジョーンズ、翌年の『ダーティダンシング』(’87)で大ブレイクするジェニファー・グレイ、そのジェニファーの紹介で不良少年役に起用されたチャーリー・シーンなど脇役陣も充実。フェリスの両親を演じたのは、ロジェ・ヴァディム監督の『ナイトゲーム』(’80)で売り出されたシンディ・ピケットとジョン・ヒューズ監督作品の常連ライマン・ウォードで、2人は本作での共演がきっかけで結婚した。また、校長秘書グレース役のイーディ・マクルーグは、『キャリー』(’76)のいじめっ子グループのひとりを演じた女優さんだが、本作ではそのとぼけた味わいが実に絶妙!フェリスのクラスメート役で、当時まだ15歳だった無名時代のクリスティ・スワンソンが出ているのも見のがせない。 なお、本作の大ヒット受けて続編企画も浮上したが実現せず。その代わりにテレビシリーズ版『Ferris Bueller』が’90年に放送されたが、たったの13話でキャンセルされてしまった。このテレビ版では、無名時代のジェニファー・アニストンがジーニー役を演じている。ちなみに、’22年にアメリカの動画配信サービスParamount+が本作のスピンオフ映画の製作を発表。劇中でキャメロンの父親のフェラーリを勝手に乗り回す駐車係2人組が出てくるが、目下進行中だというスピンオフ映画は彼らを主人公にしたアクション・コメディとなるようだ。■ 『フェリスはある朝突然に』Copyright © 2024 by Paramount Pictures Corporation. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2024.05.02
“香港映画”最後の輝き!? 新世紀の警察映画『インファナル・アフェア』三部作
香港では現実でも、潜入刑事によるおとり捜査が頻繁に行われていたという。そのためもあってか、香港のアクション映画やノアール=犯罪映画では、“潜入捜査官”ものが数多く製作されてきた。 刑事がその正体を隠して、黒社会=マフィアの一員となり、犯罪組織を追い込んでいく。リンゴ・ラム監督、チョウ・ユンファ主演の『友は風の彼方に』(86)などは、あのクエンティン・タランティーノが、長編デビュー作『レザボア・ドッグス』(92)で、丸パクリしたことでも有名である。 20世紀の終わり近くに、この“潜入捜査官もの”を、新たな切り口で再生することを思いついたのが、アラン・マック。しかしそのアイディアを売り込んでも、香港製警察映画としては、銃撃戦もアクションも「少なすぎる」と、多くの映画会社やプロデューサーから難色を示された。 2001年になって、アンドリュー・ラウの元に持ち込んでから、この企画は大きく動き出す。ラウは、ウォン・カーウァイ監督作『恋する惑星』(94)の撮影で注目を浴び、監督としても『欲望の街/古惑仔』シリーズ(95〜00)や『風雲/ストーム・ライダース』(98)といったヒット作がある。そのラウが、マックのアイディアに惚れ込んで、プロデューサーを買って出たのだ。 そこに映画会社のメディアアジアが乗った。製作に正式にGOサインが出たのだ。 ラウとマック、そしてメディアアジアの目標は、決まっていた。それは従来とは一味違った、「新世紀の警察映画」を作ることだった。 パクり対策もあって脚本は作らない、撮影現場では、その日の撮影分だけをコピーして配るなどと言われてきた香港映画としては、異例の製作準備が行われた。リサーチも含めると脚本の執筆に、3年もの歳月が掛けられたのだ。 こうして2002年に撮影・公開されることとなったのが、『インファナル・アフェア』の“第1作”である。中国語での原題は、「無間道」。最も辛い地獄である、絶え間なく続く“無間地獄”を行くという意味である。 ***** 黒社会のボス、サムの配下であるヤンは、くたびれ果てていた。彼は10年前、警察学校の生徒だった時、その能力を見込んだウォン警視によって、“潜入捜査官”の役割を与えられ、マフィアに潜り込んでいたのである。いつ終わるとも知れないスパイの使命に、ヤンは心身を蝕まれていた。 一方警察官のラウは、ヤンとは逆に、サムから警察に送り込まれた、“潜入マフィア”だった。捜査情報を流しながらも、警察内で順調に出世の階段を上っていくラウは、愛する婚約者も得て、今ある地位と名誉を、手放したくなくなっていた。 ある時の麻薬取引をきっかけに、ウォン警視とサムは、自分の組織の中に内通者がいることを、共に気付く。その炙り出しの命を受けたのは、それぞれ当事者である、ヤンとラウだった。 お互いの正体を知らない2人の運命が、大きくクロスしていく…。 ***** “潜入捜査官”と“潜入マフィア”。対称となる存在を配置して、両者の地獄の苦しみを、等分に描いていく。従来の“潜入捜査官”ものの枠を超えた、「新世紀の警察映画」の企画段階から製作に携わった大スターが、アンディ・ラウだった。脚本にも「全面的に参加」したという。 アンディを含めて、どうせならメインキャストを、“影帝”で固めようということになった。“影帝”とは、主要映画賞での主演男優賞受賞経験者を指す。 こうして、“潜入マフィア”ラウ役には、アンディ、“潜入捜査官”ヤンには、トニー・レオン、サムにはエリック・ツァン、ウォン警視には、アンソニー・ウォンが決まる。マスコミからは、「破天荒な共演」と騒がれた「4大影帝」の揃い踏みだったが、いずれも脚本を送ったら、即出演OKだったという。 9年振りの共演ということも話題になった、アンディとトニーに関わる女性キャラとしてキャスティングされたのは、歌手としても活躍する、サミー・チェンとケリー・チャン。また台湾の歌姫エルバ・シャオが、ヤンが別れた恋人役として1シーンのみだが、重要な役で出演している。 主人公2人の若き日を演じる俳優を選出するのには、大々的な新人オーディションを行った。結果としては、すでに若手スターとして注目の存在だった、エディソン・チャンとショーン・ユーが決まる。 当時の香港映画界きっての“オールスター映画”となって、当初アラン・マックが単独で監督する予定が、実績のあるアンドリュー・ラウとの共同監督へと変わった。役割分担としては、マックは俳優の演出や、共同脚本のフェリックス・チョンと共に、シナリオをブラッシュアップする方向に尽力。撮影も兼ねたラウは、ヴィジュアル面に力を注いだことになっている。 しかしアンディ・ラウの証言では、現場では主にマックがモニター前に陣取るのに対し、ラウは俳優に指示を出すなど、実質的な演出を担当。また意見が割れた時の最終決定権は、プロデューサーも兼ねたラウにあったという。 トニー・レオンはヤン役を演じるに当たっては、かつてジョン・ウー監督の『ハード・ボイルド/新・男たちの挽歌』(92)で演じた“潜入捜査官“役と変わらないとしながらも、もうこれ以上続けたくない悩んでいる感じを出し、退廃的に演じてみたという。 一方アンディ・ラウは、観客は黒社会の手先だとわかっているのに、劇中では警察として、同僚らにまったく怪しまれることなく自然に振舞うという役作りに腐心した。因みに、事前に警察を取材するなどの準備はしなかった。仮に“潜入マフィア”が居たとしても、取材しようがないのだから、確かに事前リサーチは不要であっただろう。 ダニー・パンとパン・チンヘイによる、ハイテンポの編集もピタッとハマった『インファナル・アフェア』は、2002年最大のブロックバスター作品として、クリスマス・シーズンに公開。興収5,000万香港㌦を超え、2002年度の香港映画全体の売上げの17%を占めるメガヒットとなった。 こうなると当然、“続編”の動きが持ち上がる。第1作の製作期間からその後日談を描いた脚本が、執筆されていた。それに対してメディアアジアグループの会長ピーター・ラムが、大きく過去に遡る話の映画化を提案。ヤンとラウは、人生のスタートの地点で、いかにして“潜入捜査官”“潜入マフィア”となったのか?ウォン警視とサムは、はじめはどんな仲で、なぜお互いの命を狙うような敵対関係になってしまったのか? この構想は具体化。第1作よりも10年遡り、主人公たちの若き日を描く『II』、第1作の前後の顛末を詳らかにする『III』が、第1作とほぼ同じスタッフによって、続けて製作されることとなった。 第2作である『インファナル・アフェア 無間序曲』(03)のラウとヤン役には、第1作でその若き日を演じた、エディソン・チャンとショーン・ユーが、そのまま起用された。アンソニー・ウォンとエリック・ツァンは続投。そのまま10年若返ってみせた。 新たに加わったのは、フランシス・ンとフー・ジュン。それにカリーナ・ラウ。 フランシス・ンは、最大マフィアの若き後継者にして、ヤンの腹違いの兄であるハウ役。ヤンはこうした血筋故に、警察学校に居られなくなり、尚且つ“潜入警察官”として白羽の矢を立てられたのだった。 フー・ジュンは、ウォン警視の同僚にして親友役。彼に降りかかった災厄があってこそ、ウォン警視のマフィアへの憎悪は深まることとなる。 そしてカリーナ・ラウは、サムの愛妻にて、若きラウの想い人役。彼女への愛故に、ラウは“潜入マフィア”に志願し、また折々の“裏切り”や“殺し”に対して、躊躇のない者となってしまう。 この作品の舞台となったのは、1991年、95年、そして香港が、長年の統治者イギリスから中国へと返還される、97年。香港の黄金時代であると同時に、返還を前にした激動の時代である。そんな時の流れの中で、それぞれのキャラクターが負った“業”が複雑に絡み合って、数々の悲劇が生まれていく。 中国への返還を機に、黒社会から表の世界へと移り住むことを企てるも、夢破れて命を落とすハウが、象徴的と言える。死の間際に、信頼していた“弟”ヤンが、“裏切者”だと気付く。フランシス・ンが見事な表情、見事なキャラ造型で見せてくれる。 “プリクエル=前日譚”として、まるで当初から構想されたとしか思えない、素晴らしい完成度!『インファナル・アフェア 無間序曲』は、2003年10月の公開と共に大評判となり、多くの観客を集めた。 そしてその2カ月後、第1作の公開からちょうど1年を経て公開されたのが、『インファナル・アフェアIII 終極無間』。“三部作”の完結編である。 ネタバレになるが、そもそも“第1作”で、アンディ・ラウの“潜入マフィア”以外の主要キャラは、すべて命を落としている。“前日譚”はともかく、その続きなどどうやって描くのか?それが大いに注目された。 かつての香港映画ならば、大ヒット作『男たちの挽歌』(86)で命を落としたチョウ・ユンファが、その続編『男たちの挽歌Ⅱ』(87)では、「双子の弟」という設定で、シレッと戻ってきたりする。 もちろん緻密な構成で編まれた『インファナル・アフェア』シリーズでそんなことをするわけはなく、ヤン、ウォン警視、サムらは、“第1作”に至る数ヶ月前からの攻防に登場。生き残ったラウはそれに加えて、“第1作”の事件の後始末に追われる中で、精神の平衡を崩していく。 ここで“潜入マフィア”ラウは、自らの合わせ鏡のような存在だった、今は亡き“潜入捜査官”ヤンへと同化していく。ラウの妄想の中で、アンディとトニーの競演が行われる仕掛けだ。そしてラウは、自らの“マフィア”としての本性を消し去り、“警察官”として「善人でいたかった」と思うがあまり、“破滅”へと向かって行くのである。 この『III』の脚本には、「統括する形で携わっている」という、アンディ・ラウ。精神的にバランスが崩れたラウを演じるに当たって、「3カ月程度」様々なリサーチを行い、その細かい描写に関しては、自らのアイディアに基づいて演じている。 しかしラウの迎える“結末”は、アンドリュー・ラウ監督が考えたもの。「なんて、残忍な監督なんだろう」と、演じるアンディは思ったという。 『III』で新たに登場するのは、冷徹なエリート刑事役のレオン・ライと、中国本土から香港に来る麻薬商人役のチェン・ダオミン。この2人が、“生前”のヤン、そして狂っていくラウと関わる、重要な役割を果す。 記憶や時制を、混乱しかねないスレスレのつながりで積み上げて構成された、『インファナル・アフェアIII』。“三部作”の完結編として、「見事」という他ない仕上がりとなった。そして当然のように、公開と共に大ヒットを記録した。 『インファナル・アフェア』のリメイク権は、当時としての最高記録で、ハリウッドに売れたのは、あまりにも有名なエピソード。レオナルド・ディカプリオとマット・デイモンの主演、マーティン・スコセッシの監督で『ディパーテッド』(06)というタイトルで映画化され、アカデミー賞の最優秀作品賞・監督賞・脚色賞・編集賞と、4部門を制した。 また日本でも、西島秀俊と香川照之共演で「ダブルフェイス」(12)というタイトルでドラマ化された。 “三部作”の製作・公開当時は、中国返還の前後から元気がなくなっていた香港映画の「復活の狼煙」のようにも評された。しかし20年余経って振り返れば、これが「最後の輝き」となってしまった感が強い。 2003年SARS=重症急性呼吸器症候群によって、大打撃を受けた香港経済。当然映画界の被害も大きく、これ以降に『インファナル・アフェア』並みの製作規模やオールスターキャストを実現するためには、中国本土での公開を前提とした“合作”というスタイルを取る必然性が生じた。 そうなると中国共産党の検閲の下、いわゆる「表現の自由」が大きく狭められる。“黒社会”に属する主人公が、警察や公安を相手に勝利を収めるような作品は、一切許可が下りなくなったのである。 そうこうする内に、習近平政権による、昨今の弾圧である。香港から、『インファナル・アフェア』のような、ビッグバジェット且つ革新的作品が生まれるのは、完全な“夢物語”となってしまった。 付記すれば本作の出演者でも、エリック・ツァンが、ジャッキー・チェンなどど同様に、今や“親中派”の代表的な俳優となったのに対し、アンソニー・ウォンは、2014年の雨傘運動=香港反政府デモを支持して以降は、メジャー作品からは締出されたような形となっている。 様々な意味で、『インファナル・アフェア』三部作は、香港の「今は昔」のレクイエムのような作品と言えるかも知れない。■ 『インファナル・アフェア』© 2002 Media Asia Films (BVI) Ltd. All Rights Reserved『インファナル・アフェアII 無間序曲』『インファナル・アフェアIII 終極無間』© 2003 Media Asia Films (BVI) Ltd. All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2024.04.30
鬼才クライヴ・バーカーが生んだカルトホラー映画の傑作『ヘルレイザー』シリーズの魅力を紐解く!
そもそも『ヘルレイザー』シリーズとは? 謎のパズルボックス「ルマルシャンの箱」を解くと地獄へ通じる門が開き、セノバイト(魔道士)と呼ばれる世にも恐ろしい魔界の使者たちが出現、好奇心で彼らを召喚した人間は地獄へと引きずり込まれ、肉体的な快楽と苦痛を極限まで追究するための実験台にされてしまう。そんな一種独特の都市伝説的な怪奇幻想の世界を描き、以降も数々の続編やリブート版が作られるほどの人気シリーズとなったのが、あのスティーブン・キングとも並び称されるイギリスのホラー小説家にして舞台演出家、劇作家、イラストレーターにコミック・アーティスト、ビジュアル・アーティストなど、マルチな肩書を持つ鬼才クライヴ・バーカーが監督したホラー映画『ヘル・レイザー』(’87)である。 原作は’86年に出版されたダーク・ハーヴェスト社のホラー・アンソロジー「Night Visions」第3集にバーカーが寄稿した小説「ヘルバウンド・ハート」(’88年に単独でペーパーバック化)。『13日の金曜日』(’80)の大ヒットに端を発する空前のホラー映画ブームに沸いた’80年代、その牽引役となったのは殺人鬼がティーン男女を血祭りに挙げるスラッシャー映画と生ける屍が人間を食い殺すゾンビ映画だが、しかし’80年代半ばにもなるとどちらも供給過多で飽和状態に陥ってしまう。そのタイミングで登場したのが本作だった。 古典的なゴシックホラーとアングラなパンク&ニューウェーヴを融合したエッジーな世界観、ボディピアシングやボディサスペンションなどのSM的なフェティシズムを取り込んだ過激なスプラッター描写。当時量産されていたスラッシャー映画やゾンビ映画と一線を画す独創性こそが成功の秘訣だったように思う。中でも、身体改造とボンデージの魅力を兼ね備えたセノバイトたちの変態チックなキャラ造形(バーカー自身がデザイン)はインパクト強烈。そのリーダー格であるピンヘッドはシリーズの実質的な看板スターとして、『エルム街の悪夢』シリーズのフレディや『13日の金曜日』シリーズのジェイソン、『悪魔のいけにえ』シリーズのレザーフェイスなどと並ぶホラー・アイコンとなった。 今のところ合計で11本を数える『ヘル・レイザー』シリーズだが、5月のザ・シネマでは初期の1作目~4作目までを一挙放送。そこで、今回は該当する4作品を中心にシリーズの見どころを振り返ってみたい。 『ヘル・レイザー』(1987) 物語の始まりは北アフリカのモロッコ。快楽主義者のフランク・コットン(ショーン・チャップマン)は、究極の快楽世界への扉を開くと言われる伝説のパズルボックス「ルマルシャンの箱」を手に入れ、実家へ持ち帰ってパズルを解いたところ、地獄から現れたセノバイト(魔導士)たちによって八つ裂きにされる。彼らにとって究極の快楽とは究極の苦痛でもあるのだ。 それから数年後、フランクの兄ラリー(アンドリュー・ロビンソン)が妻ジュリア(クレア・ヒギンズ)を連れて実家へ戻って来る。屋根裏部屋には消息を絶ったフランクの私物がそのままになっていた。漂うフランクの残り香に身悶えるジュリア。実は彼女とフランクはかつて不倫の関係にあり、ジュリアは今もなお彼の肉体を忘れられないでいたのだ。すると引っ越し作業中にラリーが手を汚してしまい、屋根裏部屋の床に零れた血液からフランクが復活してしまう。ジュリアの目の前に現れたのは、まだ完全体ではない「再生途中」のフランク。元の姿へ戻るためには生贄が必要だ。そう言われたジュリアは、ラリーの留守中に行きずりの男性を家へ連れ込んでは殺害し、フランクは犠牲者たちの精気を吸収していく。 一方、ラリーと前妻の娘カースティ(アシュレイ・ローレンス)はジュリアの怪しげな行動に気付き、屋根裏部屋で何が行われているのか確認しようとしたところ、世にも醜悪な姿の叔父フランクと遭遇。驚いた彼女はパズルボックスを奪って逃げるも途中で気を失ってしまう。病院で意識を取り戻したカースティは、好奇心に駆られてパズルボックスを解いたところ、ピンヘッド(ダグ・ブラッドレイ)をリーダーとするセノバイトたちが地獄より出現。フランクが地獄から逃げたことを知ったピンヘッドは、カースティを使って彼を再び地獄へ引き戻そうとするのだが…? これが長編劇映画デビューだったクライヴ・バーカー監督。それまで2本の短編映画を撮った経験しかなかったバーカーだが、しかし脚本に携わった自著の映画化『アンダーワールド』(’85)や『ロウヘッド・レックス』(’86)の出来栄えに不満足だったことから、自分自身の手で演出まで手掛けることにしたというわけだ。もともとヴァージン・レコード傘下のヴァージン・フィルムが出資を検討したが最終的に手を引き、アメリカのB級映画専門会社ニューワールド・ピクチャーズが全額出資することに。ラリー役に『ダーティハリー』(’71)の殺人鬼スコルピオ役で有名なアンディ・ロビンソン、その娘カースティ役に新人アシュレイ・ローレンスと、メインキャストにアメリカ人が起用されたのはアメリカ資本が入っているため。さらにアメリカ市場で売りやすくするべく、ニューワールド幹部の指示で一部イギリス人キャストのセリフをアメリカ人俳優が吹き替え、舞台設定もイギリスなのかアメリカなのかをあえて曖昧(撮影地はロンドン)にしている。 飽くなき欲望に取り憑かれた男女による、世にも残酷で醜悪なラブストーリー。見ているだけで痛そうな生々しい残酷シーンの不快感も然ることながら、この人間の嫌な部分をまざまざと見せつけられるような後味の悪さは、いわゆるハリウッド製ホラーと一線を画す英国ホラーらしい点であろう。そう、実のところ本作におけるメイン・ヴィランはジュリアとフランクであり、あくまでもピンヘッドやセノバイトたちは彼らに審判を下す存在、いわば「地獄の判事」とも呼ぶべきサブキャラに過ぎなかったりする。そもそも、この1作目ではまだ「ピンヘッド」という呼称すら使われていない。どうやら、少なくとも本作の製作時においては、バーカー監督も製作陣もピンヘッドがフレディやジェイソンに匹敵するほどの人気キャラになるとは想像もしていなかったようだ。 そのピンヘッド役を演じたのが、バーカー監督の高校時代の後輩で演劇部の仲間、彼が主催した前衛劇団「ザ・ドッグ・カンパニー」にも参加した盟友ダグ・ブラッドレー。頭部全体に待ち針を刺した異様な見た目のインパクトも然ることながら、舞台俳優ならではの発声法を活かした独特の喋り方やクールで知的な立ち振る舞いなど、その他大勢のホラーモンスターと一線を画すピンヘッドのカッコ良さは、間違いなくブラッドレーの役作りと芝居に負う部分が大きい。恐らく、演者が彼でなければピンヘッドもこれほどの人気キャラにはなっていなかったろう。当初、バーカー監督からピンヘッド役か引っ越し業者役のどちらかを選んでいいと言われたというブラッドレー。これが映画初出演だった彼は、「素顔のはっきりと分かる役柄の方が、あの映画のあの役をやっていたと証明しやすいため、自分のキャリアにとってプラスになるのではないか」と考え、一度は引っ越し業者役を選ぼうとしたらしい。いやあ、最終的に考え直してくれて良かった! 『ヘルレイザー2』(’88) 前作の予想を上回るスマッシュヒットを受け、矢継ぎ早に作られたシリーズ第2弾。日本語タイトルはこれ以降「・(ナカポツ)」が消えて「ヘルレイザー」となる。そもそもアメリカ側の出資元ニューワールド・ピクチャーズは1作目の仕上がりに大変満足したそうで、実は劇場公開前のタイミングで既に続編のゴーサインが出ていたらしい。ただし、当時のクライヴ・バーカーはちょうど『ミディアン』の製作に取り掛かったばかりで手が離せず、その代役として白羽の矢が立てられたマイケル・マクダウェルも健康問題などで降板せざるを得なくなったため、1作目の編集にノークレジットで参加した元ニューワールド・ピクチャーズ重役のトニー・ランデルが監督に抜擢される。また、脚本はバーカーと劇団時代からの友人であるピーター・アトキンスが担当。当時、売れないバンドのリードボーカリストだったアトキンスは、さすがに30代にもなって芽が出ないのは厳しいだろうと音楽のキャリアに見切りをつけ、これを機に映画脚本家へ転向することとなった。 時は1920年代。パズルボックス「ルマルシャンの箱」を手に入れた英国軍人エリオット・スペンサー大尉(ダグ・ブラッドレー)は、箱のパズルを解いたばかりに地獄へと引きずり込まれ、セノバイト(魔道士)のリーダー、ピンヘッドとなる。 そして現在。地獄から甦った叔父フランクと継母ジュリアに最愛の父ラリーを殺されたカースティ(アシュレイ・ローレンス)は、邪悪なフランクとジュリアに復讐を果たしたものの、しかしトラウマを抱えて精神病院へ収容されていた。担当医のチャナード医師(ケネス・クラナム)と助手カイル(ウィリアム・ホープ)に事の次第を説明し、恐るべきパズルボックスやセノバイトの存在に警鐘を鳴らすカースティ。いくら説明しても信じてもらえないことに苛立つ彼女は、せめてジュリアが死んだベッドのマットレスだけは処分して欲しいと訴える。死に場所の屋根裏部屋で甦った叔父フランクのように、ジュリアもそこから復活する可能性があるからだ。 ところが、実はこのチャナード医師、長いこと「ルマルシャンの箱」を研究してきた危険人物だった。カースティの話にヒントを得た彼は、問題のマットレスを病院のオフィスへ持ち込み、そこへ患者の血を垂らしたところ地獄からジュリア(クレア・ヒギンズ)が復活。たまたまその様子を目撃したカイルは、カースティの話が本当だったことに気付いて彼女を病室から逃がす。父親ラリーが地獄に囚われていると信じ、なんとかして救い出す方法を考えるカースティ。一方、ジュリアの復活に手を貸したチャナード医師は、パズルの才能がある精神病患者の少女ティファニー(イモジェン・ブアマン)を使って「ルマルシャンの箱」を解き、長年の夢だった地獄へと足を踏み入れる。その後を追って地獄入りし、父親を探し求めるカースティ。そこは、聖書に出てくる魔物リバイアサンが支配する迷宮のような異世界だった…! ということで、地獄から甦った魔性の女ジュリアが、魔物リバイアサンの手先として大暴れするという完全に「ジュリア推し」のシリーズ第2弾。実際、ストーリー原案と製作総指揮に関わったクライヴ・バーカーは、悪女ジュリアをシリーズの顔にするつもりだったらしい。ところが、そんな思惑とは裏腹にファンが熱狂したのはピンヘッドとセノバイト軍団。そのうえ、ジュリア役のクレア・ヒギンズが3作目への出演オファーを断ったため、ピンヘッドを看板に据えたシリーズの方向性が固まったのである。 そのピンヘッドやセノバイトたちが、実はもともと人間だったことが明かされる本作。1作目の段階では「裏設定」としてスタッフやキャストに共有されていたそうだが、今回はきっちりとストーリーに組み込まれている。そのうえで本作は、地獄とはいったいどのような空間でどういう仕組みになっているのか、どうやって人間がセノバイトへと生まれ変わるのかなど、シリーズの背景となるベーシックな世界観を掘り下げていく。そのぶん、前作で見られた背徳的かつ変態的なアングラ感はだいぶ薄れたようにも感じる。恐らく、そこは評価の分かれ目かもしれない。 『ヘルレイザー3』(‘92) 前作『ヘルレイザー2』を上回る大ヒットを記録し、いわばシリーズの人気を決定づけた第3弾。しかしその一方で、ファンの間では激しく賛否の分かれる作品でもある。恐らくその最大の理由は、初めて舞台設定をアメリカのニューヨークと明確にし、実際にイギリスではなくアメリカ(ロケ地はノース・カロライナとロサンゼルス)で撮影を行ったことで、映画全体がすっかりアメリカンな雰囲気になったことであろう。しかも監督はアンソニー・ヒコックスである。前2作と著しく毛色の違う映画になったのも無理はない。 『電撃脱走 地獄のターゲット』(’72)や『ブラニガン』(’75)で知られる娯楽職人ダグラス・ヒコックス監督と、『アラビアのロレンス』(’62)でアカデミー賞に輝く伝説的な映画編集技師アン・V・コーツを両親に持つ映画界のサラブレッド、アンソニー・ヒコックス。少年時代よりハマー・ホラーを熱愛する根っからのホラー映画マニアで、そのオタクっぷりを遺憾なく発揮した『ワックス・ワーク』(’88)シリーズや『サンダウン』(’91)は筆者も大好きなのだが、しかしスタジオシステムが健在だった時代の古き良きクラシック映画の伝統を踏襲した彼の王道的な作風は、パンク&ニューウェーヴの時代の申し子であるクライヴ・バーカーのエクスペリメンタルでアナーキーな感性とは対極にあると言えよう。どちらも同じイギリス人とはいえ、持ち味はまるで違うのだ。しかもヒコックス監督によると、本作のオファーを受けた際にプロデューサーのローレンス・モートーフから、「カルト映画的なイメージを捨てたい、思いっきりメインストリーム映画にして欲しい」と指示されたという。その結果、前2作とは一線を画す極めてハリウッド的なB級ホラー映画に仕上がったのだ。 プレイボーイの若き実業家J・P・モンロー(ケヴィン・バーンハルト)は、ふと立ち寄った画廊で奇妙な彫刻の施された柱に魅了されて衝動買いし、自身が経営する流行りのナイトクラブ「ボイラー・ルーム」のプライベートスペースに飾る。だがそれは、前作のラストでピンヘッド(ダグ・ブラッドレー)とパズルボックスを封印した魔界の柱だった。それからほどなくして、テレビの新米レポーター、ジョーイ(テリー・ファレル)は病院の緊急救命室を取材していたところ、怪我で担ぎ込まれた若者が怪現象によって惨死する現場を目撃してしまう。付き添いの女性テリー(ポーラ・マーシャル)によると、ナイトクラブ「ボイラー・ルーム」にある奇妙な柱から出現したパズルボックスが事件に関係しているらしい。そのテリーと一緒に奇妙な柱の出所を調べ始めたジョーイは、やがて一本のビデオテープを発見する。そこに映されていたのは、パズルボックスとセノバイトの危険性を訴える女性カースティ(アシュレイ・ローレンス)の姿だった。 その頃、いつものようにクラブの女性客と適当にセックスを楽しんで追い返そうとしたモンロー。すると、柱から飛び出した鎖が女性客を惨殺し、封印されていたピンヘッドが覚醒する。外の世界へ出るためには更なる生贄が必要だ。そこで、モンローは強大な権力と引き換えに、ピンヘッドのため生贄を捧げることを約束する。一方、徐々にパズルボックスの謎を解き明かして来たジョーイの夢の中に、ピンヘッドの前世であるエリオット・スペンサー大尉(ダグ・ブラッドレー)が出現。実は前作でチャナード医師に倒されたピンヘッドは、その際に善(=スペンサー大尉)と悪(=ピンヘッド)が完全に分離していたのだ。自らがセノバイト(魔道士)となるまでの複雑な過去を明かしたスペンサー大尉は、今や純然たる悪と化したピンヘッドの暴走を阻止すべく力を貸して欲しいとジョーイに告げる…。 冒頭の手術室で看護師が器具を並べるシーンはデヴィッド・クローネンバーグの『戦慄の絆』(’88)、怪我をした若者が病院へ担ぎ込まれるシーンはエイドリアン・ラインの『ジェイコブス・ラダー』(’90)、ジョーイが自宅の窓ガラスを通り抜けて異世界へ迷い込むシーンはジャン・コクトーの『詩人の血』(’30)に『オルフェ』(‘50)といった具合に、全編に渡って大好きな映画へのオマージュが散りばめられているのはヒコックス監督らしいところ。ダリオ・アルジェントの『サスペリア』(’77)へのオマージュの元ネタが、よりによってジェシカ・ハーパーがウド・キアーを訪ねるシーンなのは、さすがにマニアック過ぎてニヤリとさせられる。さらに、ナイトクラブでの虐殺シーンをはじめとして、過激なスプラッター描写は前2作以上にてんこ盛り。CDJセノバイトにカメラマン・セノバイトなど、ややコミカル寄りな新キャラの造形は少々悪乗りし過ぎという気もするが、それもまたヒコックス監督一流の「サービス精神」の為せる業と言えよう。間違いなく、シリーズ中で最もエンタメ性の高い作品だ。 ちなみに、製作会社との意見の相違からメイン撮影に一切ノータッチだったクライヴ・バーカーだが、しかしプロモーション戦略の上で原作者のお墨付きが欲しいプロデューサー陣に懇願され、製作総指揮として追加撮影およびポスプロの段階から関わったらしい。一方、前作に続いて脚本を書いたバーカーの盟友アトキンスはヒコックス監督とすっかり意気投合し、俳優としてもナイトクラブ「ボイラー・ルーム」のバーテン役&有刺鉄線セノバイト役で出演。また、これ以降『ヘルレイザー』シリーズの製作は、ミラマックス傘下のディメンション・フィルムズが担当することになる。 『ヘルレイザー4』(’96) 監督を手掛けた大物特殊メイクマン、ケヴィン・イェーガーが編集を巡る争いで降板したことから、『THE WIRE/ザ・ワイヤー』や『FRINGE/フリンジ』などのテレビシリーズで知られるジョー・チャペルが追加撮影を行い、最終的にアラン・スミシー名義で公開されたという曰く付きのシリーズ第4弾である。 映画はいきなり2127年の近未来から始まる。自らが設計した宇宙ステーション「ミノス」を占拠した科学者ポール・マーチャント博士(ブルース・ラムゼイ)は、ロボットアームで慎重にパズルボックスを解いてピンヘッド(ダグ・ブラッドレー)を召喚する。それにはある目的があったのだが、しかしそこへ武装した特殊部隊が突入。身柄を拘束されたマーチャント博士は、パズルボックス「ルマルシャンの箱」と自身の家系の忌まわしい歴史について語り始める。 時は遡って1796年のフランスはパリ。マーチャント博士の先祖に当たる玩具職人フィリップ・ルマルシャン(ブルース・ラムゼイ)は、快楽主義者の不良貴族デ・リール公爵(ミッキー・コットレル)の依頼でパズルボックス「ルマルシャンの箱」を製作する。ところが、邪悪なデ・リール公爵は道で拾った貧しい女性アンジェリーク(ヴァレンティナ・ヴァルガス)を生贄にし、「ルマルシャンの箱」を介して地獄の門を開こうとしていた。その様子をたまたま目撃したフィリップは深く後悔し、逆に地獄の門を封じるためのパズルボックスを新たに作ろうとするものの失敗。そのためルマルシャン家は末代まで呪われることとなる。 再び時は移って1996年、アメリカへ移住したルマルシャン家の子孫ジョン・マーチャント(ブルース・ラムゼイ)は建築デザイナーとして大成し、ニューヨークのマンハッタンに「ルマルシャンの箱」をモチーフにした超高層ビルを建てる。彼は秘かに全ての地獄の門を閉じるためのパズルボックスを研究開発していたのだが、そんな彼の前にセノバイトと化したアンジェリークが現れ、召喚したピンヘッドと共にジョンを亡き者にしようと画策。しかし、お互いに信念の相違からピンヘッドとアンジェリークは敵対していく…。 過去・現在・未来と3つの時間軸を跨いで、パズルボックス「ルマルシャンの箱」を作った一族の数奇な運命を描いた大河ドラマ的なエピックストーリー。クラシカルなコスチュームプレイやスペース・オペラ的なサイエンス・フィクションの要素を兼ね備えたプロットは実に贅沢だが、しかしその割にコンパクトでチープな仕上がりなのは、脚本はおろか粗筋すら読まずにゴーサインを出したミラマックス幹部が、後からスケールの大きさに気付いて予算を出し惜しみしたせいだと言われている。 それでもなお、パズルボックスのルーツが解き明かされる中世編はロマンティックな怪奇幻想の香りが漂って秀逸だし、前作のクライマックスで登場した高層ビルの正体が判明する現代編も面白い。恐らく、宇宙ステーションを舞台にした近未来編は、もっとスケールの大きな話になるはずだったのだろう。そう考えると、予算との兼ね合いでクライヴ・バーカーの初期構想を破棄せねばならなかったことが惜しまれる。 その後の『ヘルレイザー』シリーズ 興行成績はまずまずの結果を残したものの、しかし批評的には大惨敗だった『ヘルレイザー4』。これを最後に生みの親クライヴ・バーカーも手を引いてしまうのだが、しかし製作会社ディメンション・フィルムズにとって『ヘルレイザー』シリーズは依然として金の生る木だったため、これ以降もビデオスルー作品として順調に継続していくこととなる。最後にその変遷をザッと辿ってみよう。 21世紀を迎えて早々に作られた『ヘルレイザー/ゲート・オブ・インフェルノ』(’00)は、連続殺人事件を追う汚職警官の心の闇にピンヘッドが付けこむネオノワール風ホラー。これがまるで、『ジェイコブス・ラダー』×『ロスト・ハイウェイ』と呼ぶべきシュール&ダークな仕上がりで、間違いなくシリーズ屈指の傑作となった。監督は『フッテージ』(‘12)や『ブラック・フォン』(’22)などの小品ホラーで高く評価され、マーベルの『ドクター・ストレンジ』(’16)も手掛けたスコット・デリクソン。これがデビュー作だったが、当時からその才能は抜きん出ていた。 続く『ヘルレイザー/リターン・オブ・ナイトメア』(’02)ではアシュレイ・ローレンス演じるカースティが久々に復活。’02年にルーマニアで同時撮影された『ヘルレイザー/ワールド・オブ・ペイン』(’05)と『ヘルレイザー/ヘルワールド』(’05)は、前者ではルマルシャン家の子孫の率いるカルト集団がセノバイトを支配しようとし、後者ではゲーム版『ヘルレイザー』に熱中する若者たちが次々とピンヘッドに殺されていくメタ設定を採用するなど、どちらも創意工夫を凝らしているものの、残念ながら成功しているとは言えなかった。ちなみに、『ヘルレイザー/ヘルワールド』には無名時代のキャサリン・ウィニックと、撮影当時まだ19歳の初々しいヘンリー・カヴィルが出ている。 その後、6年ぶりに『ヘルレイザー:レベレーション』(’11)が登場するのだが、しかしこれがなんとも酷かった!いよいよダグ・ブラッドレーがピンヘッド役を降板し、新たにステファン・スミス・コリンズという俳優を起用、特殊メイクのデザインも一新されたのだが、残念ながらダグ・ブラッドレー版ピンヘッドのオーラもカリスマ性も皆無。そのうえ、メキシコへヤンチャしに行った不良坊ちゃんコンビがうっかりピンヘッドを召喚してしまうというストーリーもダメダメで、明らかにシリーズ最低の出来栄え。続く『ヘルレイザー:ジャッジメント』(’18)は、『ヘルレイザー/ゲート・オブ・インフェルノ』に倣ったネオノワール・スタイルの犯罪サスペンス・ホラーで、『バートン・フィンク』や『セブン』を彷彿とさせる作風は悪くなかったが、いかんせん安っぽすぎた。 そして、満を持して発表された1作目のリブート版…というよりも原作「ヘルバウンド・ハート」の再映画化が、ディメンション・フィルムズから新たに20世紀スタジオへ権利が移って制作された『ヘル・レイザー』(’22)。といっても、ストーリーは原作とも1作目とも大きく違っている。ピンヘッドも男性から女性へ。セノバイトたちのデザインも刷新された。どうしても「誰か」に「何か」に依存してしまうリハビリ中の薬物中毒患者と、あらゆる悪徳と快楽に溺れてもなお満足できない大富豪を主人公に、人間の弱さと強さ、善と悪、理性と欲望の葛藤を描くストーリーは、『ダークナイト』三部作のデヴィッド・S・ゴイヤーも脚本原案に携わっているだけあって良質な仕上がり。同じデヴィッド・ブルックナー監督で続編も企画されているそうなので、期待して待ちたい。■ 『ヘル・レイザー』『ヘルレイザー2』『ヘルレイザー3』© 2019 VINE LSE INTERNATIONAL IV, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.『ヘルレイザー4』© 2021 VINE LSE INTERNATIONAL IV, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2024.04.10
ブライアン・デ・パルマ復活!ケヴィン・コスナーをスターに押し上げた“西部劇”『アンタッチャブル』
アメリカに禁酒法が敷かれていた、1920年代から30年代はじめ。悪名高きギャングのアル・カポネは、酒の密造と密輸で莫大な利益を上げ、シカゴで「影の市長」と呼ばれるほどの権勢を誇っていた。 警察や議会、裁判所までがカポネの影響下に置かれる中、孤独な戦いを始めた男が居た。財務省から派遣された若き捜査官、エリオット・ネスである。 ネスは意気盛んに、密造酒摘発に乗り出す。しかし配下の警官は買収されており、捜査情報の漏洩で、初陣は大失敗に終わる。 世間の失笑を買ったネスは、初老の警官マローンと偶然知り合う。彼が信頼に値する男だと見定めたネスは、カポネに対抗するためのチーム作りへの協力を依頼する。 躊躇するマローンだったが、ネスのまっすぐな正義感に打たれ、警官の本分を通すことを決意。 マローンの指導の下、新人警官のストーン、財務省から派遣された簿記係のウォレスという仲間を得たネスは、大掛かりな摘発を成功させる。早速カポネの側から買収や脅迫などが仕掛けられるが、ネスは断固はねのけるのだった。 賄賂や脅しに決して屈しない4人のチーム“アンタッチャブル”と、カポネの築いた帝国は、血で血を洗う戦いへと、突入していく…。 ***** 「アンタッチャブル」というタイトルは、元々は本のタイトル。その内容は、実在の財務省捜査官だったエリオット・ネスが、アル・カポネ逮捕までの顛末を語ったインタビューを元に、構成されたものである。 この本によると、ネスたち“アンタッチャブル”は、デスクワーク中心の捜査官。銃を撃ったなどという話は、登場しない。 ところがこれを原作にしたTVシリーズの「アンタッチャブル」(1959~63/全118話)では、事実を大幅に脚色。ロバート・スタック演じるネスは、FBIの捜査官とされ、彼とその部下が毎回のように銃撃戦に臨んでは、ギャングを射殺するシーンが登場した。このシリーズはアメリカだけではなく、日本でも大人気となり、70年代頃までは度々再放送が行われていた。 TVシリーズの制作から、時は流れて20年余。1980年代中盤になって、このTVシリーズの放映権を持っていたハリウッドメジャーのパラマウントが、自社の75周年を記念する企画として、「アンタッチャブル」の“映画化”に取り組むことを決めた。 担当となったのは、パラマウントの契約プロデューサーだった、アート・リンソン。しかし彼は、原作となったTVシリーズを見ていなかった。 そんな彼が脚本を依頼したのは、デヴィッド・マメット。映画の脚本は、『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(81)『評決』(82)を担当。後者ではアカデミー賞にノミネートされている。それ以上に評価されていたのは、劇作家として。「アメリカン・バッファロー」(76)「グレンガリー・グレン・ロス」(84)などを手掛け、後者ではピューリッツァー賞やトニー賞を受賞している。「アンタッチャブル」のTVシリーズは、リアルタイムで見ていたというマメット。シカゴ育ちで故郷をこよなく愛し、また“禁酒法”の時代に関しては、「マニア」と自負するほど詳しかった。 マメットはリンソンと打ち合わせながら、脚本の執筆を始める。実在の“アンタッチャブル”のメンバーが10人だったのを、4人に絞るのは、TVシリーズに倣いながらも、2人は端から、TVの映画版にする気はなかった。「75周年作品」にも拘わらず、パラマウントは1,500万㌦という、当時としても“大作”とは言えない製作費しか提供しなかった。そんな状況でリンソンが監督として声を掛けたのは、スローモーションや長回し、360度回転カメラ等々、技巧を凝らした映像美で熱狂的なファンを持っていた、ブライアン・デ・パルマ。 サイコサスペンスの『キャリー』(76)『殺しのドレス』(80)、ギャング映画の『スカーフェイス』(83)などではヒットを飛ばしたデ・パルマだが、その頃はちょうどキャリアの曲がり角。敬愛するヒッチコックにオマージュを捧げた『ボディ・ダブル』(84)、初のコメディに挑戦した 『Wise Guys』(86/日本では劇場未公開)が続けて大コケしたため、メジャーヒットを欲していた。 そんなデ・パルマが本作『アンタッチャブル』(87)の監督を引き受ける決め手となったのは、マメットが8か月掛けて書いた、その時点では第3稿となる脚本。これまで自分が手掛けてきた作品と違って、例えばジョン・フォード作品のような「伝統的なアメリカ映画の流れ」を汲んでいると感じたのである。 デ・パルマはこの作品を、“ギャング映画”ではなく、『荒野の七人』のような“西部劇”だと捉えた。実際マメットは、「老いたガンファイターと若いガンファイターの物語」としてストーリーを組み立てたと語っている。「神話的なアメリカのヒーローにまつわるスケールの大きな話」。これがプロデューサーのリンソン、脚本のマメット、監督のデ・パルマの間で一致した、本作の方向性となった。 主役のエリオット・ネスは、かつてなら、ゲーリー・クーパー、ジェームズ・スチュアート、ヘンリー・フォンダが演じたような役柄。望まれるのは、理想主義と強さを合わせ持つ、良い意味でクラシックな個性だった。 まずメル・ギブソンの名前が挙がったが、『リーサル・ウェポン』(87)の撮影が重なっていた。続いてウィリアム・ハートやハリスン・フォードなど、当時の売れっ子俳優が候補となった。 しかし、予算が折り合わない。そこで浮上したのが、売り出し中ではあったが、かなり知名度が落ちる、ケヴィン・コスナーだった。 コスナーの起用に懐疑的だったデ・パルマは、監督仲間のローレンス・カスダンとスティーヴン・スピルバーグに相談したという。 カスダンは、『再会の時』(83)でコスナーを起用しながらも、上映時間の関係で彼の出番を全カット。その後西部劇『シルバラード』(85)で正義のガンマンの役を与えている。スピルバーグは、プロデュースしたTVシリーズ「世にも不思議なアメージングストーリー」(85~87)の中で、自分が監督した一編で、コスナーを主役にしている。「彼はクリーンかつ素直で将来性がある」2人の監督のコスナーに対する評価は、まったく同じもので、デ・パルマもコスナー抜擢の踏ん切りがついた。 ネスの仲間のキャスティングも、重要だった。カポネを脱税で摘発することを提案する経理のエキスパート、ウォレス役には、『アメリカン・グラフィティ』(73)で知られた、チャールズ・マーティン・スミス。彼はこの「真面目でおかしな男」を、「漫画チックにしてはならない」と、肝に銘じながら演じたという。 アンディ・ガルシアは当初、カポネの用心棒で殺し屋のフランク・二ティ役の候補だった。しかし本人の希望もあって、新人警官ストーンのセリフを読んだらハマったため、“正義”の側に身を置くこととなった。 さてベテラン警官のマローンである。何とか“大作”の装いにしたいと考えたデ・パルマは、かねてからファンだった、元祖ジェームズ・ボンド俳優のショーン・コネリーにオファーした。「初めて脚本を読んだ時は“まるで天の啓示”のように感じた…」という、当時50代後半のコネリー。コスナーとの組み合わせは、まさに「老いたガンファイターと若いガンファイター」であった。 コネリーに対して、「いつも遠くから彼の仕事は素晴らしいと思っていた」コスナーは、この共演について、「プロの俳優としての、そして個人としての彼のスタイルには影響されたし、そこから学ぶこともあった」と語っている。まさに役の上での、ネスとマローンの関係に重なる。コスナーにとってコネリーは「特別な人」となり、後に自らの主演作『ロビン・フッド』(91)に、特別出演してもらっている。 コスナーはメソッド式で、ネスの役作りを行ったという。カポネについて、あらゆる文献を読み漁り、財務省関係、FBIなどで実際にネスを知っていた人々から話を聞いた。その中には実際の“アンタッチャブル”の、その時点でただ一人の生存者も含まれている。 ただマメットが、ネスのタフガイのイメージを和らげようと、守るべき愛する家族を持つ男としたことに関しては、役作りは容易だった。コスナーには当時、3歳と1歳の子どもがいたからである。 本当はデスクワークが似合う男なのに、成り行きで深みにはまっていく。シカゴの暗黒街の現実を知るにつれ、段々とタフになっていく。コスナーの役作りで、そんなエリオット・ネス像が出来上がっていった。それはデ・パルマによるネスのイメージ、「下水に落ちた白い騎士」と、正に合致していた。 「白い騎士」に対抗して、“悪”を体現するアル・カポネ役に、デ・パルマが切望したのは、ロバート・デ・ニーロだった。1960年代末、無名時代の2人は何度も組んでいたが、それから15年以上。アカデミー賞を2度受賞して、すでに名優の誉れ高かったデ・ニーロを起用するには、僅か2週間の拘束で、製作費の1割に当たる150万㌦も払わなければならなかった。 デ・パルマは、渋る映画会社の重役たちに、己の降板まで仄めかして起用を承諾させた。しかしデ・ニーロ本人から、なかなか出演のOKが届かない。 宙ぶらりんの状態でデ・パルマが頼ったのが、ボブ・ホスキンス。『モナリザ』(86)の演技で、カンヌ国際映画祭やゴールデングローブ賞で俳優賞を受賞して波に乗っていた彼にデ・パルマは、「もしデ・ニーロがやらなかったら、やってくれるか?」と、失礼を承知でオファーを行ったのである。 結局デ・ニーロが出演に応じ、デ・パルマはホスキンスに謝罪の電話を入れることとなった。数週間後、ホスキンスには詫び料として、20万㌦の小切手が届いたという。 正式な契約の日に、デ・ニーロに初めて会ったアート・リンソンは、酷いショックを受けた。出演していたブロードウェイの舞台の出で立ちで現れたデ・ニーロが、「七十キロもなくて、ポニーテイルをしている上に、三十歳ぐらいにしか見えない」状態で、ろくに口をききもしなかったのだ。カポネは太っていて四十歳、騒々しい男なのに…。 リンソンはデ・パルマを罵った。「あんな奴のためにボブ・ホスキンスを断ったなんて!もうおしまいだ」 そんなリンソンをデ・パルマはなだめながら、太鼓判を押した。次に会う時のデ・ニーロは、別人のようになっていると。 それから5週間。現れたデ・ニーロは、すっかり変わっていた。彼は契約後、すぐにイタリアに飛び、そこでパスタやポテトやピザ、ビール、牛乳を詰め込んで11㌔増量。更にカポネの出身地、ナポリ風のアクセントを身に着けて帰ってきたのだ。いわゆる“デ・ニーロアプローチ”だ。 更には古いニュースを見て、本物のカポネそっくりの声と動作、癖を身に付けた。外見的にも、髪の生え際を剃ることで、カポネの月のように丸い顔を作り上げた上、撮影中はローマから来たメイクアップ・アーティストが毎日3時間掛けて、顔の左側にカポネの有名な古傷を再現。更にはボディ・スーツを着込むことで、万全を期した。 本作の衣裳は、ジョルジョ・アルマーニが担当したが、デ・ニーロはリトル・イタリーの洋服屋に頼み、もっと本物らしくリメイク。更には画面には映らないにも拘わらず、絹の下着を、カポネが注文していた店に発注。それに加えて、カポネ愛用ブランドの葉巻や靴も手に入れた。 リンソンは、これらの経費の請求書に肝を冷やしながらも、デ・ニーロの役作りに関しては、不安を抱くことはなくなっていった。 本作のクランクインは、1986年の8月上旬。13週間の撮影で、使用されたロケ地は25以上。その多くが30年代前半には、カポネ行きつけの場所だったという。 クライマックスで、カポネの脱税の証拠である、帳簿係を拘束するための銃撃戦が撮影されたのは、シカゴのユニオン駅。20人のスタッフが2週間掛けて準備を行い、照明のために、電力会社が一時的に駅への電気の供給を増やした。 ここでデ・パルマは、映画史に残る『戦艦ポチョムキン』(1925)の“オデッサの階段”を引用。赤ん坊の乗ったベビーカーが階段を滑り落ちていく中で、激しい銃撃戦をデ・パルマの十八番、スローモーションで捉える。 実はこのシーンは、本作が“大作”の装いながら、製作費が抑えられたための、“代案”だった。本来は、列車に乗った帳簿係を車で追った上に、列車に乗り移って銃撃戦が繰り広げられる筈だったのが、予算の都合で実現不可能。代わりに撮られたこのシーンが、結果的にデ・パルマらしさが横溢する、本作を代表する名シーンとなったのである。 新旧問わずデ・パルマ作品には、“映像美”に走る反面、ストーリーがおざなりになる傾向がある。しかし本作は、マメットのストレート且つ説得力のある脚本によって、そうした欠点を解消。更には、デ・パルマが以前から仕事をしたかったという、エンニオ・モリコーネ作曲のスコアも素晴らしい響きを見せ、1987年に作られた“西部劇”としては、これ以上にない仕上がりとなった。 当初予定されていた製作費1,500万㌦はオーバーして、2,400万㌦が費やされたが、87年6月に公開されると、北米だけで7,500万㌦を稼ぎ出した。その秋に公開された日本でも、配給収入が18億円に達する大ヒットとなった。 アカデミー賞では、ショーン・コネリーに助演男優賞が贈られた。そしてケヴィン・コスナーはこの後、『フィールド・オブ・ドリームス』(89)『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(90)『JFK』(91)『ボディガード』(92)等々、ヒット作・話題作への出演が続く。特にプロデューサーと監督を兼ねた『ダンス・ウィズ…』では、アカデミー賞作品賞と監督賞の獲得に至り、大スターの地位を手にした。 監督のデ・パルマは、本作のヒットでせっかく取り戻した“信用”を、続く『カジュアリティーズ』(89)『虚栄のかがり火』(90)両作の大コケで無化する。次に復活するのは、やはり人気TVドラマシリーズを、オリジンを軽視して映画化するという、本作のパターンを踏襲した、『ミッション:インポッシブル』(96)となる。■ 『アンタッチャブル』™ & Copyright © 2024 by Paramount Pictures Corporation. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2024.04.10
ピーター・ジャクソンとWETAの躍進ー『さまよう魂たち』
◆カルトな支持を誇るマイケル・J・フォックス主演作 1996年に公開された映画『さまよう魂たち』は、マイケル・J・フォックスの『バック・トゥ・ザ・フューチャー』トリロジー(1985〜1989)を別格とする主演作の中でも、とりわけカルトな人気を誇る異色のゴーストコメディだ。 マイケルが演じるのは、臨死体験の後に妻を亡くしてしまった中年男のフランク。彼はその体験によって、最近に亡くなった人の霊体と接触する能力を得る。そしてこのスキルを悪用し、ゴースト仲間の助けを借りてニセの幽霊騒ぎを演出し、ゴーストバスタービジネスで大儲けを実行していたのだが……。 映画は恐ろしい悪霊やクレイジーなキャラクターの登場、そしてコメディとシリアスの配分に優れたストーリーなどの好要素にあふれ、加えてプラクティカルエフェクトとデジタルエフェクトの融合による、大胆な視覚スペクタクルを存分に堪能することができる。 なにより本作は、ニュージーランドを拠点に活動していた映画監督ピーター・ジャクソンの、初めて手がけたハリウッド作品として映画ファンの熱い支持を得ているのだ。 『ロード・オブ・ザ・リング』(2001〜2003)そして『ホビット』(2012〜2014)両三部作で世界的な映画作家となったジャクソンだが、キャリア初期は『バッド・テイスト』(1987)『ミート・ザ・フィーブル 怒りのヒポポタマス』(1989)など、残酷だが絶妙にコミカルな、嗜好性の強いホラーSFやブラックコメディを手がけ、特に彼が1992年に発表した『ブレインデッド』は、ゾンビの軍団が芝刈り機で粉々に粉砕されるという、映画史上最も血量の多いシーンで世界に悪名をとどろせていた。 ・『さまよう魂たち』撮影現場でのマイケル・J・フォックス(中央左)とピーター・ジャクソン監督(中央右)。最左はロバート・ゼメキス。 こうした初期3作では、造形物や特殊メイク、特殊効果が多用されていたが、作品ごとにファシリティを編成しては解散するという非効率さにジャクソンは疑問を覚え、『ブレインデッド』公開後の1992年12 月、視覚効果の制作チームを結成する方向に舵を向けた。それがWETAである。名前のコンセプトは 「Wingnut Effects and Technical Allusions」の頭文字をとったものだが、頑丈な姿をした、ニュージーランド生息のコオロギにちなんで付けられたものだ。 そんなジャクソンの転機となったのが、ケイト・ウィンスレット主演『乙女の祈り』(1994)で、これは1950年代のキリスト教会で2人の少女が親友になり、後に母親を殺害したパーカー・ハルム事件に基づくクライムファンタジー。彼は同作でCGを用いた場面を設定し、開発のための設備導入を、この映画の製作費でおこなったのだ。これが2000年に分社化する「WETAデジタル」の起点である。ちなみに同スタジオはフィジカルエフェクト部門の「WETAワークショップ」と、CGなどデジタルエフェクトを専門に扱う「WETAデジタル」の2部門で編成されている。 ◆WETAデジタルの確立 『乙女の祈り』が事実に基づく話だったことから、その反動でジャクソンは次回作を、映画的な創意に満ちた話にしようと模索した。そこで以前より原案として考えていた、ペテン師が幽霊を使って人を怖がらせ、金を稼ぐ話を膨らませようとしたのである。 そのあらすじが代理人を通して『テールズ・フロム・ザ・クリプト』の劇場版を開発中だったロバート・ゼメキスの目に止まり、発想に感心したゼメキスは単独の作品として『さまよう魂たち』の映画化を進行させたのだ。 フランク役にマイケル・J・フォックスが選ばれたのもゼメキス由来で、彼は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で仕事をしたマイケルはどうかとジャクソン側に提案し、ジャクソンはこれを快諾。マイケルに脚本を送り、彼はその面白さを称賛して出演OKを出したのだ。 同時にWETAは世界市場を舞台にすることで、自社の規模を急速に拡大する必要があった。脚本から想定されたVFXショットは約570(『乙女の祈り』は30ショット)。今日の基準に照らし合わせると決して多くはないが、新進気鋭の監督とニュージーランドの小さなVFXスタジオにとっては膨大なものだった。加えて公開が1996年10月のハロウィン期から7月のサマーシーズンへと早められ、製作は急務となったのである。 そこでユニバーサル側は他の視覚効果スタジオにVFXを分担させることを提案したが、WETAはショウリール用に自社で手がけた100のVFXショットをユニバーサルに見せ、自社をメインとする資金提供をものにした。1台しかなかったコンピューターを40台に増設し、技術的インフラを整え、CGアーティストを12人から40人に増員。壁紙やカーペットの下を滑空して犠牲者を襲う恐ろしい死神や、最も困難をともなうクライマックスのワームホールシークエンスなど、複雑で膨大なエフェクトの創造に対応したのである。 『さまよう魂たち』はジャクソンが取り組んできた作品の中で、あまり大ヒット作とは言えなかったものの、プロジェクトにおける投資とシステムの拡張が功を奏し、1996年公開の商業長編映画で使用されたデジタル効果が、これまでで最も多く含まれた作品となった。そしてWETAはハリウッドの外側にいながら、世界トップクラスの特殊効果が実現可能であることを証明したのだ。 ◆WETAを支えたゼメキスとの友情 『さまよう魂たち』でユニバーサルにささやかな利益をもたらしたピーター・ジャクソンとWETAは、念願だった『キング・コング』映画化の権利を同スタジオから得て、このプロジェクトに1年間近く取り組んだ。WETAワークショップが制作したマケットをスキャンし、CGのコングやスカルアイランドに生息する恐竜たち、そして正確を極めたデジタルによるマンハッタンをWETAデジタルが生み出すという創造のバトンパスが理想的に交わされ、またコングの毛並みの描写を極めるアニメーションテストが徹底しておこなわれるなど、いつ制作にGOが出てもいいようクルーたちは準備していたのだ。 しかしユニバーサルの経営陣が交代し、当時『GODZILLA』や『マイティ・ジョー』(1998)といった巨大クリーチャー映画が同時に製作されていたため、撤退を余儀なくされたのだ。そして企画の棚上げはWETAの存続に危険信号を灯し、危うく生き残れなくなるところだったのである。 しかし『さまよう魂たち』でプロデューサーを務めたロバート・ゼメキスが、ジョージ・ミラーから企画を譲り受けた監督作『コンタクト』(1997)のVFXにWETAを起用し、いくつかの視覚効果シーケンスを担当させた。それが同スタジオの維持につながったのである。ゼメキスはジャクソンを信頼しており、彼と作品を通じて良好な関係を築いていた。『さまよう魂たち』はそんな信頼関係の証であり、WETAを救った映画でもあったのだ(『キング・コング』が実現するのは、それから約9年後のこととなる)。 『コンタクト』で数ヶ月間、WETAのクルーは全員が忙しくしていたが、その間にジャクソンは映画会社ミラマックスと、別のプロジェクトを始動させることになる。原作はファンタジー文学の古典「指輪物語」。そう、後の『ロード・オブ・ザ・リング』なのは言を俟たない。■ 『さまよう魂たち』© 1996 Universal City Studios,Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2024.04.08
ジョン・フォード&ヘンリー・フォンダ。名コンビの傑作西部劇には、ヴァージョン違いが存在した!?『荒野の決闘』
“西部劇の神様”ジョン・フォード(1894~1973)。アカデミー賞監督賞を史上最多の4回受賞している彼は、1年に3本監督するのが、仕事のパターンだった。 1本は税金のため、2本目は自分の船の維持のため、そして3本目は翌年まで暮らしていくためなどと言われたが、1910年代から60年代まで半世紀を超えるキャリアで、実に136本もの監督作品を残している。 そんなフォード作品の主演俳優で、まず思い浮かぶのは、ジョン・ウェイン。『駅馬車』(39)をはじめ、『アパッチ砦』(48)『黄色いリボン』(49)『リオ・グランデの砦』(50)の“騎兵隊三部作”や『捜索者』(56) 『リバティ・バランスを射った男』(62)等々、20数本に渡って出演している。 しかし先に記した通り、フォードの膨大なフィルモグラフィーから見れば、ウェイン主演作も、ごく一部。全盛時のフォード作品で存在感を示した、もう1人の主演俳優としては、名優の誉れ高い、ヘンリー・フォンダ(1905~82)の名が上がる。 フォンダは、トータルでは7本、フォード作品に主演している。2人の出会いとなったのは、『若き日のリンカン』(39)。アメリカの第16代大統領で、奴隷解放に力を尽くした、エイブラハム・リンカーンの弁護士時代を描いたものである。 フォンダはリンカーン通を自認し、彼に関する書物は「7割がた」読んでいたという。映画会社から送られた、『若き日の…』の脚本を読んだ際は、「素晴らしい」とは思いながらも、オファーを受けることには、尻込みした。リンカーンを演じることは、「神とかキリストとかを演じる様なもの」と、フォンダには感じられたのだ。 プロデューサーの説得で、とりあえずはリンカーンそっくりにメイクして、スクリーン・テストを受けてみた。現像された映像を目の当たりにして、フォンダは大きなショックを受けたという。「あの人がわたしの声でしゃべるのは、どうにもがまんがならない」そして、「この話はなかったことにしてほしい」と申し出た。 そこで映画会社は、この作品の監督を務めるジョン・フォードの元へ、フォンダを連れて行った。フォンダは以前、フォードがジョン・ウェインに演技をつけるのを後方から見物したことはあったが、この時がほぼ初対面。そんなフォンダに、フォードはこう言い放ったという。「お前さんは偉大なる解放者を演じるつもりなんだろうが、そんなものは糞くらえだ」「奴はスプリングフィールドからやってきたケツの青い新米弁護士に過ぎないんだ」 この言を受け、リンカーンを演じることを決めたフォンダは、結果として、「ニューヨーク・タイムズ」から絶賛を受けるなど、映画俳優としての声価を大いに高めることとなった。 フォードの監督作品では、1つのカットを2回以上撮ることは、ほとんどない。フォードは、俳優に演技を繰り返させすぎると、「…ロッカールームに演技を置き忘れてきてしまう…」と言って、ファーストテイクの新鮮さを求めたという。 現代で言えば、イーストウッドやスピルバーグのオリジンとも言えるこの演出法が、フォンダの性にも合ったのか。『若き日の…』の後には、『モホークの太鼓』(39)『怒りの葡萄』(40)と、フォード作品への主演が続いた。 特に『怒りの葡萄』は、フォンダがジョン・スタインベックの原作に惚れ込んで、出演を熱望した作品。その主人公トム・ジョードは、フォンダの当たり役となり、初めてアカデミー賞主演男優賞にノミネートされた(彼が実際に主演男優賞のオスカー像を手にするのは、遺作となる『黄昏』(81)まで、40年以上待たねばならなかったが…)。 その後フォンダは、第2次世界大戦に従軍。戦後に帰国して主演第1作となったのも、ジョン・フォードの監督作品。それが本作、『荒野の決闘』(46)だった。 ***** 西暦1882年の西部。ワイアット・アープ(演:ヘンリー・フォンダ)と3人の弟は、メキシコから牛を数千頭連れて、カリフォルニアへ向かっていた。その途中、アリゾナのトゥームストン近くで、クラントン父子に会う。ワイアットは、クラントンから安値での牛の買い取りを申し込まれるが、断わる。 末弟のジェームスを留守番に残し、ワイアットらがトゥームストンに出掛けると、酒場で銃の乱射騒動が起こった。その場を見事に収めたワイアットに、町長は保安官就任を頼むが、彼は断わって辞去する。 ところが野営地に戻ると、末弟は殺され、すべての牛は盗まれていた。クラントンの仕業とにらんだワイアットは、トゥームストンに戻り、保安官就任を受ける。 酒場で賭博を仕切るのは、凄腕のガンマンでもあるドク・ホリディ(演:ヴィクター・マチュア)。彼の情婦チワワ(演:リンダ・ダーネル)も絡んで、ワイアットとホリディの間に“一触即発”の空気も流れたが、やがて2人は酒を酌み交わし、親しい仲となった。 ホリディの許婚だった美しい女性クレメンタイン(演:キャシー・ダウンズ)が、駅馬車でトゥームストンに着く。ホリディはボストンで、優秀な外科医だったが、肺結核に罹って自暴自棄となり、クレメンタインの前から姿を消したのだった。その後西部を渡り歩いた結果が、今の姿だった。 清楚で気品のあるクレメンタインに、心惹かれるワイアット。ホリディはクレメンタインを追い返そうとするが、帰ろうとしない彼女に業を煮やし、自分がトゥームストーンを出ていこうとさえする。 しかしそれがきっかけで、牛泥棒と末弟殺しの犯人が、クラントン一家だったことが明らかに。ワイアットとホリディらは、クラントン一家との“OKコラルの決闘”へと臨む。 ***** 本作『荒野の決闘』は、実在の人物だったワイアット・アープ(1848~1929)からの聞き書きを原作とする、3度目の映画化作品である。アープはサイレント期のハリウッドで、西部劇の決闘の演技を指導する仕事に就いており、その際にこの“OKコラルの決闘”を、題材として売り込んだと言われている。 ジョン・フォード自身も、まだ監督になる以前、進行係の助手を務めている頃に、ワイアット・アープと面識があった。年老いたアープがスタジオの知り合いを訪ねてくると、「よくアープさんに椅子を運び、コーヒーを届けた」という。そしてアープから、“OKコラルの決闘”のことを直接聞いたとも語っている。 フォードは、『荒野の決闘』に関して、「現実にあった通りのことを正確に再現したつもりだ」と語っている。しかし、そんなわけはない。真実の“OKコラルの決闘”は、「末弟の敵討ち」などというキレイな話ではなく、アープら保安官側とクラントン一家らカウボーイ側の、様々な確執の結果に起こった“私闘”であった。そしてむしろこの決闘の後に、両サイドが互いの命をつけ狙うという、血みどろの復讐劇・暗殺劇が繰り広げられることとなるのである フォードも、そんなことは百も承知だったと思われる。そもそも劇中に登場するチワワやクレメンタインといった女性キャラは、架空の人物なのである。 何はともあれ本作は、数々のフォード西部劇の中でも、『駅馬車』と並んで“傑作”と謳われることが多い作品となった。映画史に残るチェイスアクションが売りの『駅馬車』が“動”とするならば、本作はまさに、“静”の魅力を湛えた西部劇と言える。 クライマックスこそ、“OKコラルの決闘”となるが、そこに至るまで本作で何よりも印象に残るのは、叙情豊かに描かれた西部の町と、その中でのワイアットの振舞いである。 実際にはメキシコ国境近くに在るトゥームストーンだが、本作でのオープンセットは、ジョン・フォード西部劇ではお馴染みの、ユタ州とアリゾナ州に跨るモニュメントバレーの地に25万㌦を掛けて建設された。そこで長期ロケを行い撮影された中でも、特に名シーンとして知られるのは、ワイアットが、軒先に持ち出した椅子に腰かけたまま、傍の柱に長い足を掛け、椅子を浮かせてぷらぷらとくつろぐシーン。そして日曜の朝、クレメンタインに誘われたワイアットが、建設中の教会の広場へと出掛け、彼女とダンスに興じるシーン。 “静”の西部劇として世評の高い本作『荒野の決闘』であるが、ジョン・フォード自身は後年のインタビューなどで、あまり触れたがらなかった。また一般公開された“完成版”に関しては、「一回も見とらんね」などと言っている。 これには事情がある。フォードは本作に関して、粗編集したものをプロデューサーのダリル・F・ザナックに渡した後は、諸々の判断を彼に任せてしまったのである。ザナックはそこから30分カットした上に、不足に思った部分に関しては、別の監督を呼んで追加撮影させている。 後にわかったことだが、ザナックが完成させたバージョンと、フォードによる粗編集版は、なぜか製作した20世紀フォックスのフィルム倉庫には、混ざって保管されていた。即ち劇場公開の際に、誤って(?)粗編集版のフィルムが送られて、そちらを上映した映画館もあったことが考えられるわけである。 ・『荒野の決闘』の撮影風景。中央、ステージ上にパイプをくわえたジョン・フォード監督の姿が見える。 実はこうした経緯が、本作が本国の翌年=1947年に公開された、日本の映画ファンにも、混乱を及ぼしたと言われる。本作のラスト、故郷に帰るワイアット・アープを、町に残ることを決めたクレメンタインが、トゥームストーンの外れまで見送りに来る。その別れ際にワイアットが、「私はクレメンタインという名前が大好きです」と、映画史に残る名セリフを吐くが、その前に彼が、クレメンタインの頬に口づけをするシーンがあったかなかったか、公開から暫く経ってから、議論になったのだ。 当時はもちろんビデオなどなく、またTVの洋画劇場なども始まる前だったため、口づけの有無を確かめるためには、リバイバルを待たねばならなかった。1930年代生まれの熱心な映画ファンとして知られる、コラムニストの小林信彦氏やイラストレーターの故・和田誠氏などは、「口づけはしていない」派だったというが、本作再上映の際に「口づけをしている」のを目の当たりにして、己の記憶違いに大いなるショックを受けたという。 しかしこれは、実は記憶違いではなかったらしい。ワイアットの口づけは、ザナックが追加撮影で足したカットであった。つまり初公開時に小林氏や和田氏は、フォード主導の「口づけをしていない」粗編集版を観ていたものと思われる。 こうした混乱も、ささやかながら、映画史の一頁と言えるだろう。そして名コンビであったジョン・フォードとヘンリー・フォンダが、その後『ミスタア・ロバーツ』(55)を最後に、16年、7作に及んだパートナーシップを解消し、訣別してしまうのもまた、映画史の一頁である。 今コラムでは、そこを深掘りすることはしない。今はただ、フォード&フォンダコンビのピークと言える『荒野の決闘』に、製作から80年近く経っても、触れられる至福を祝いたい。完成版として放送されるのが、ザナックが介在したバージョンであることを鑑みると、これもまた微妙な話ではあるが…。■ 『荒野の決闘』© 1946 Twentieth Century Fox Film Corporation.