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COLUMN/コラム2019.07.10
ザック・スナイダー監督が語った『300〈スリーハンドレッド〉』の様式美
■デジタル背景の正当性を示した古代戦闘劇 「『シン・シティ』は原作が大好きだし、映画だってもちろん好きだ。なぜならロバート(・ロドリゲス)の全デジタル環境での撮影は、主にアーティスティックな理由からくるもので、それはこの『300〈スリーハンドレッド〉』と同じ哲学を持っている。そういう意味でデジタル・バックロットという手法が本作によって正当化されたのではないか、と僕は思っているんだよ」 これは『300〈スリーハンドレッド〉』(以下『300』)が日本で2007年に公開されたとき、来日したザック・スナイダー監督に筆者(尾崎)が訊いた質問への答えだ。ロバート・ロドリゲス監督(『デスペラード』(95)『アリータ:バトル・エンジェル』(18))によって映画化がなされた『シン・シティ』は、『300』と同じフランク・ミラーのグラフィックノベルを原作とし、言うなれば兄弟のような存在である。 しかもそれだけではない。作品の撮影も『シン・シティ』と『300』とで、まったく同じスタイルが共有されている。そこでスナイダーにこう確認したのだ。 「同じミラーの原作を題材にし、なおかつ同じ[デジタル・バックロット]のアプローチをとった『シン・シティ』を、あなたはどう思うのか?」と。 デジタル・バックロットとは、俳優をグリーン(ブルー)スクリーンの前で演技させ、CGによって作られた仮想背景と合成する手法のことだ。映画製作においてデジタル環境の整った現在、それはもはや特殊なものではない。今やハリウッド映画は、俳優をCGの背景前に置いて映像を創り出すデジタル・バックロットが比重を占め、どこまでが実景でどこまでが仮想のものか、容易に判別できないクオリティへと達している。 しかし『300』においてスナイダーは、デジタル・バックロットを観客の目をあざむくために用いるのではなく、極度に誇張された幻想性の高い世界を創造しているのだ。 ■コミックを読む速度までもシミュレートした驚異の再現性 なぜスナイダーがこの手法にこだわったのかといえば、それは仕上げられた映像を見れば明らかだろう。彼はコミックのモノトーンのタッチを忠実に映像化した『シン・シティ』と同様、フランク・ミラーの意匠を実写に反映させるという課題を設けている。そしてミラーと彩色担当のリン・ヴァーリィによる描画スタイルを再現することで、おのずと他に類例のないビジュアルを観る者に提供し、わずか300人で100万人のペルシア軍を迎え撃つ、スパルタ戦士レオニダス(ジェラルド・バトラー)の熱い戦いをエモーショナルに、よりフェティッシュに描いたのである。 デジタル・バックロットはそのための最適な手段であり、現実的には無理が生じるアングルでも、これを駆使してスナイダーは、原作ひとコマひとコマの構図を的確に実写へと落とし込んでいる。そのこだわりは細部にまで及び、マーカーで荒々しく描かれた岩肌の筆致や、また原作では飛び散るインクで血しぶきを表現しているところ、これをスキャンし、飛沫の形状までも見事にミラーのタッチにしたがっている。このように残酷さも「様式美」と捉え、原作既読者に大きなインパクトを残した「死者の木」や「死者の壁」なども、じつにアーティスティックな表現がなされている。 だが、ここまでならば『300』は『シン・シティ』の轍を踏んだものでしかない。そこでスナイダーは、ロドリゲスが思いもしなかったアイディアにまで手を伸ばし、『シン・シティ』以上に原作のテイストに迫ったのだ。それがワンショットの中でスローからファスト(早い)モーションへ、そしてまたスローへと撮影速度が切り替わる「可変速度効果」である。 スナイダーは、この瞬時の出来事をゆっくりと引き延ばすテクニックによって、観客の視覚とカメラワークとを同化させている。ハイフレームレート(高コマ数)撮影を拡張させたこの手法が、グラフィックノベルの読み手がコマからコマへと目線を移すさいのスピードや、展開次第で感情の速度が速まったり遅くなったりするリズムをも創出し、そこは『シン・シティ』さえも及ばなかった高度な領域に『300』は及んだのである。 さらにスナイダーは、この可変速度効果ショットに急速にカメラが寄ったり引いたりするモーションを加え、より独創的な映像効果を追求している。 このテクニックは通称「クレイジーホース」と呼ばれ(クレアモント・カメラ社の特殊な撮影デバイスを使用したテレビ映画“Crazy Horse”(96)から呼称を得ている)、ワイド、ミディアム、タイトとそれぞれのアングルに固定した3台のカメラで、同一のハイフレームレートショットを撮影。それらを編集時に速度調整し、3つのアングルをシームレスに繋げることで生み出されている。そのアクロバティックな映像アプローチは、本作『300』のスタイルを受け継いだ続編『300〈スリーハンドレッド〉~帝国の進撃~』(14)でさえマネのできなかったものだ。スナイダーは映像作家としてのキャリアにおいて、このクレイジーホースを最初にゲータレードのCMに用いた。そして本作ではレオニダスが無数のペルシア軍に斬り込むショット(本編開始から約48分ごろ)や、ディリオス(デビッド・ウェナム)らが大軍を率いて一斉に進撃するラストショットに確認することができる。 ■『300』を手がけたことで確立した作家性 しかし、なぜそこまで細かくグラフィックノベルの再現に固執したのだろう? それがザック・スナイダー流の、原作に対するリスペクトの証だからだ。彼は言う。 「僕の商業映画デビュー作である『ドーン・オブ・ザ・デッド』(04)は、オリジナルの『ゾンビ』(78)がホラー映画の名作だし、そんなオリジンを監督したジョージ・A・ロメロも、そして『300』のミラーも、それぞれがジャンルのアイコンともいうべき存在だ。そんな彼らと、彼らの聖域をないがしろにすることに、ファンは強い抵抗を覚えるんだよ」 スナイダーの微に入り細に入って作り込んでいくスタイルは、なによりも原典を尊重する姿勢のあらわれだったのである。しかしそこまで従属的にならずとも、多少オリジナリティを投入するべきだったのでは? という筆者の問いには、 「『300』の複雑だったストーリーラインを一本化したのは、僕たちのオリジナル的な行為といっていいかもしれない。いちばん目立たない作業だけれど、それはそれで大変なものだったんだよ」 と笑いながら答えてくれた。 なにより『300』を原作により近づけるため、スナイダーがほどこした方法の数々は、おのずと彼自身のオリジナリティを形成する一助となっている。ハイフレームレートのためにフィルムカメラを使用したことは、その後の彼にフィルム主義をまっとうさせ、デジタルを主流とする現在の商業映画において、彼は最近作『ジャスティス・リーグ』(17)までフィルム撮影を敢行している。こうしたアプローチが、スーパーマンの存在を実録的に描こうとした『マン・オブ・スティール』(13)の支えとなり、また『エンジェル ウォーズ』(11)における、醜悪な現実を空想で駆逐する美少女たちの勇姿も、フィルムの活用あればこその説得力といえる。 ちなみにこの『300』は、スナイダー監督が『ドーン・オブ・ザ・デッド』を手がける以前より着手していた企画で、その証として『ドーン〜』にはフランク・ミラーという名のキャラクターが登場し、ゾンビと化して悲劇的に死んでしまう。あるいは『300』の後に監督した『ウォッチメン』(09)においても、スナイダーは冒頭でコメディアンが殺される部屋番号を「300」に設定するなど、リスペクトのわりに毒を効かせた引用が笑える。■
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COLUMN/コラム2019.06.30
1999年のデヴィッド・クローネンバーグ。『イグジステンズ』
かつて“プリンス・オブ・ホラー”と異名を取った、デヴィッド・クローネンバーグ監督(1943年生まれ)。彼が本作『イグジステンズ』の着想を得たのは、イギリスの作家サルマン・ラシュディとの出会いであった。 ラシュディと言えば、1988年に発表した小説「悪魔の詩」が、イスラム教を冒涜しているとして、当時のイランの最高指導者ホメイニから“死刑宣告≒暗殺指令”を受けた人物。そのため彼は、イギリス警察の厳重なる保護下に置かれ、長きに渡って隠遁生活を送ることとなった。 この“死刑宣告”はラシュディ本人に対してだけでなく、「悪魔の詩」の発行に関わった者なども対象とされたため、イギリスやアメリカでは多くの書店が爆破され、「悪魔の詩」のイタリア語版やトルコ語版の翻訳者は襲撃を受けることとなった。また、この“宣告”に異議を唱えた、サウジアラビアとチュニジアの聖職者が銃殺されるという事件も起こっている。 遠く異国の話ばかりではなく、日本でも大事件が起こった。1991年7月、「悪魔の詩」の日本語訳を行った「筑波大学」助教授の中東・イスラム学者が、キャンパス内で刺殺体で発見されたのである。この衝撃的な殺人事件は犯人が逮捕されることなく、迷宮入りに至った。 クローネンバーグは95年に、そんな「悪魔の詩」の著者であるラシュディと、雑誌で対談。芸術家がその芸術ゆえに“死刑宣告”を受けるという状況に強い衝撃を受け、本作の構想を練り始めたという。 己の作品が、特定の社会的・政治的解釈の餌食になることを好まないクローネンバーグだが、実際は新作発表の度に様々な事象と紐づけられては、物議を醸してきた過去がある。ラシュディとの邂逅にインスパイアされ、物語を編み出すなど、「いかにもクローネンバーグらしい」エピソードである。 そしてその後、紆余曲折を経て完成に至った本作も、「いかにもクローネンバーグらしい」作品と言える。 近未来の世界の人々の娯楽。それは、脊髄にバイオポートという穴を開け、生体ケーブルを挿し込み、両生類の有精卵で作った“ゲームポッド”に直接つないでプレイする、ヴァーチャル・リアリティーゲームだった。 新作ゲーム“イグジステンズ”の発表イベントにも、多くのファンが集結。開発者である、天才ゲームデザイナーの女性アレグラ・ゲラー(演:ジェニファー・ジェイソン・リー)を、拍手をもって迎えた。 しかしその会場に、“反イグジステンズ主義者”を名乗るテロリストが闖入。「“イグジステンズ”に死を!魔女アレグラ・ゲラーに死を!」と唱えると、隠し持っていた奇妙な銃でゲラーを撃ち、彼女の肩に重傷を負わせる。 その場に居合わせたのが、警備員見習いの青年テッド・パイクル(演:ジュード・ロウ)。彼はアレグラを保護するべく、彼女を連れて会場から脱出し、逃走する。 アレグラは、襲撃された時に傷ついたオリジナルの“ゲームポッド”が正常かどうかを、確かめるようとする。そこで、脊髄に穴を開けることを怖れてゲームを毛嫌いしていたテッドを強引に巻き込み、“イグジステンズ”のプレイをスタートする。 ルールもゴールも分からないまま、ゲーム世界のキャラクターになったテッドは、自意識はあるものの、進行に必要なセリフは勝手に口をついて出てくる状態になる。その中で、同行するアレグラとセックスを欲し合ったり、殺人を犯したりしながらステージをクリアして行く。 やがて“イグジステンズ”をプレイし続ける2人の、現実と非現実の境界は、大きく揺らいでいくのだった…。 本作『イグジステンズ』は公開当時、「クローネンバーグの“原点回帰”」ということが、まず指摘された。本作が製作・公開された1999年(日本公開は翌2000年)の時点での、クローネンバーグのフィルモグラフィーを振り返れば、誰もが『ヴィデオドローム』(83)を想起する内容だったからである。 ここで日本に於けるクローネンバーグの初期監督作品の紹介のされ方をまとめる。劇場公開された初めての作品は、『ラビッド』(77)。ハードコアポルノ『グリーンドア』(72)のマリリン・チェンバースが主演ということもあって、78年の日本公開当時は、一部好事家以外には届かなかった印象が強い。 続いての日本公開作は、超能力者同士の対決を描いた、『スキャナーズ』(81)。特殊効果による“人体頭部爆発”シーンを、配給会社が売りとして押し出したのが功を奏し、大きな話題となった。 そして、『ヴィデオドローム』(83)である。この作品の日本公開は、アメリカやクローネンバーグの母国カナダから2年遅れての、85年。しかし熱心な映画ファンの間では、そのタイムラグの間、劇場のスクリーンに届くより前に、かなりの話題となっていた。 ちょうどビデオテープに収録された映画ソフトを家庭で楽しむことが、ようやく一般化し始めた頃だった。私の『ヴィデオドローム』初体験にして、即ちクローネンバーグ作品初体験も、友人宅でのビデオ鑑賞。確か、字幕もない輸入ビデオだった。 本物の拷問・殺人が映し出された謎の海賊番組「ヴィデオドローム」に、恋人の女性と共に強く惹かれてしまった、ケーブルTV局の社長マックス。その秘密を知ろうと動く内、恋人は行方知れずになり、陰謀に巻き込まれたマックスの現実と幻覚の境界は、大きく崩れていく…。 英語を解せたわけでもないので、こうした筋立てが当時完全にわかっていたとも思えない。仮に言語の壁をクリアしても、「難解」と評する声が高かった作品である。「この映画監督は、狂っているのではないか?」と言う向きさえあった。 しかし、わけがわからないながらも、生き物のように蠢くビデオテープ、男の腹に出来る女性器、肉体とTV画面の融合等々、クローネンバーグの“変態ぶり”が炸裂するギミックや特殊効果に、まずは圧倒された。男ばかり数人で酒を飲みながらの鑑賞で、自らもブラウン管に呑み込まれていく思いがしたものである。 作品の性格上、これはむしろスクリーンより、TV画面で体感するのに適した作品かも知れないと感じた。その頃映画ファンの口の端に上り始めた“カルト映画”が、正にそこにあった。 『ヴィデオドローム』に関してはクローネンバーグ本人が、カナダの文明評論家マーシャル・マクルーハン(1911~1980)のメディア論を下敷きにしていることを語っている。その言説は至極簡単に言えば、「メディアは身体の拡張である」ということ。つまりテレビやビデオも、人間の機能の拡張したものになりうるという主張だ。 クローネンバーグは『ヴィデオドローム』でそれを、グチャドロを織り交ぜて、彼なりに端的に(!?)描いたわけだが、マクルーハンの言説は今どきなら、テレビやビデオをネットに置き換えるとわかり易いだろう。例えばネット検索さえ出来れば、その個人にとって未知の物事や事象であっても、知識を取り繕うことが可能になるという次第だ。 そしてヴァーチャル・リアリティーゲームの世界を舞台にした本作『イグジステンズ』は、『ヴィデオドローム』の16年後に製作された、正にそのアップデート版と言えた。両生類の有精卵を培養したバイオテクノロジー製品である“メタフレッシュ・ゲームポッド”、小動物の骨と軟骨から作られた銃で、銃弾には人間の歯を利用する“グリッスル・ガン”等々、登場するギミックの“変態ぶり”も含めて、「いかにもクローネンバーグらしい」作品だったわけである。 しかしながら『ヴィデオ…』よりは、だいぶわかり易く作られた本作は、実は公開当時、少なからぬ“失望感”をもって迎えられた。『ヴィデオ…』の時は「時代の先を行っていた」ように思われたクローネンバーグが、「時代に追いつかれた」いや「追い抜かれた」ように映ったのである。 電脳社会を描いた、押井守監督の『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』(95)が、96年にはアメリカではビルボード誌のビデオ週間売上げ1位となった。そしてその多大な影響を受けた、ウォシャウスキー兄弟(当時)の『マトリックス』が、「革新的なSF映画」として世界的な大ヒットを飛ばしたのは、本作『イグジステンズ』と同じ1999年だった。 本作の日本公開は、翌2000年のゴールデンウィーク。その直前には最新鋭のゲーム機として、「プレイステーション2」がリリースされている。 そうしたタイミング的な問題がまずある上、本作はわかり易く作られた分、『ヴィデオ…』の尖った感じも失われてしまっている。そんなこんなで当時のクローネンバーグの、「時代に追い抜かれた」感は半端なかったのである。 しかし本作の製作・公開から20年経った今となって、クローネンバーグの作品史を俯瞰してみると、見えてくることがある。『ヴィデオ…』で“カルト人気”を勝ち得たクローネンバーグは、その後ファンの多い『デッドゾーン』(83)や大ヒット作『ザ・フライ』(86)で、ポピュラーな人気をも得ることになる。続く作品群は、『戦慄の絆』(88)『裸のランチ』(91)『エム・バタフライ』(93)『クラッシュ』(96)と、ある意味“変態街道”まっしぐら。 そして21世紀を迎える直前に本作を手掛けるわけだが、映画作家としての自分がこれからどこに向かうのかを確認し、新たな道を切り開いていくためには、出世作とも言える『ヴィデオ…』の焼き直しという、「原点回帰」の必要があったのではないだろうか? 本作後、『スパイダー/少年は蜘蛛にキスをする』(02)の興行的失敗で破産寸前に追い込まれたクローネンバーグは、続いてヴィゴ・モーテンセン主演で、ギミックに頼らない生身の暴力を描いた『ヒストリー・オブ・バイオレンス』(05)『イースタン・プロミス』(07)を連続して放ち、絶賛をもって迎えられる。 私はこの2作に触れた際、「クローネンバーグみたいな監督でも、円熟するんだ~」と驚愕。そして彼が、「2人といない」映画監督であることを、再認識することに至った。 そうした意味でも本作『イグジステンズ』は、クローネンバーグが撮るべくして撮った作品であると、今は評価できる。製作・公開から20年を経たことで、製作当時の「追い抜かれた」感が逆に薄まっていることも、また事実である。■ 『イグジシテンズ』(C)1999 Screenventures XXIV Productions Ltd., an Alliance Atlantis company. And Existence Productions Limited.
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COLUMN/コラム2019.06.30
あのクエンティン・タランティーノをして、「映画史上最も胸を打つクロージング・ショットのひとつ」と言わしめたエンディング。『ミッドナイトクロス』
日本を含む世界中に熱狂的なファンの存在する巨匠ブライアン・デ・パルマ。出世作『悪魔のシスター』(’72)を筆頭に、『ファントム・オブ・パラダイス』(’74)や『キャリー』(’76)、『殺しのドレス』(’80)、『スカーフェイス』(’83)に『アンタッチャブル』(’86)、『ミッション:インポッシブル』(’96)などなど、代表作は枚挙にいとまない。その中でどれが一番好きかと訊かれると、困ってしまうファンも少なくないかもしれないが、筆者ならば迷うことなくこの『ミッドナイトクロス』(’81)を選ぶ。あのクエンティン・タランティーノをして、「映画史上最も胸を打つクロージング・ショットのひとつ(one of the most heart-breaking closing shots in the history of cinema)」と言わしめたエンディングの痛ましさ。事実、これほど切なくも哀しいサスペンス映画は他にないだろう。 ストーリーの設定自体は、『パララックス・ビュー』(’74)や『大統領の陰謀』(’76)など、’70年代に流行したポリティカル・サスペンスの系譜に属する。舞台はフィラデルフィア、主人公はB級ホラー専門の映画会社で働く音響効果マン、ジャック(ジョン・トラヴォルタ)。最新作で使用する効果音を拾うため、夜中に川辺の自然公園を訪れていた彼は、偶然にも自動車事故の現場を目撃してしまう。川へ転落した車から、助手席に乗っていた若い女性サリー(ナンシー・アレン)を救出するジャック。しかし運転席の男性は既に死亡していた。 その男性というのが、実は次期アメリカ大統領選の有力候補者であるペンシルバニア州知事。知事の関係者からマスコミへの口止めをされたジャックだったが、改めて録音したテープを聴き直したところ、ある意外なことに気付く。事故の直前に聞こえる僅かな銃声とタイヤのパンク音。そう、警察もマスコミも飲酒運転が原因と考えていた不幸な自動車事故は、実のところ知事の政敵によって仕組まれた暗殺事件だったのだ。乗り気でないサリーに協力を頼み、この衝撃的な真実を世間に訴えようと奔走するジャック。しかし、既に自動車のパンクしたタイヤは実行犯の殺し屋バーク(ジョン・リスゴー)によって差し替えられていた。そればかりか、バークは事件の真相を闇に葬るべく、邪魔者であるジャックとサリーをつけ狙う。 知事暗殺事件のモデルになったのは、’69年に起きたチャパキディック事件だ。ケネディ兄弟の末弟エドワード・ケネディ上院議員が、マサチューセッツ州のチャパキディック島で飲酒運転の末に自動車事故を起こし、橋から海へ転落した車の中に取り残された不倫相手の女性が死亡。ケネディ上院議員は辛うじて脱出し助かったものの、警察などに救助を求めることなく逃げたうえ、不倫だけでなく薬物使用まで明るみとなり、大統領選への出馬を断念せざるを得なくなった。また、政敵による政治家の暗殺はジョン・F・ケネディ暗殺事件の陰謀説を、殺し屋バークが連続殺人鬼の犯行を装って不都合な証人を消そうとする設定は切り裂きジャック事件のフリーメイソン陰謀説を、そのバークが仕組む証拠隠滅工作はウォーターゲート事件を連想させる。 ただし、そうした社会派的なポリティカル要素も、全体を通して見るとさほど重要ではない。むしろ、ストーリーを追うごとに政治的な陰謀よりも殺し屋バークのサイコパスぶりが際立っていき、その恐るべき魔手からサリーを救うべくジャックが奮闘するという、純然たるサスペンス・スリラーの性格が強くなっていく。 本作のベースになったと言われているのが、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の『欲望』(’66)である。『欲望』の原題は「Blow Up」、『ミッドナイトクロス』の原題は「Blow Out」。デヴィッド・ヘミングが演じた『欲望』の主人公であるカメラマンは、たまたま公園で撮影した男女の逢引き写真をBlow Up…つまり大きく引き伸ばしたところ、殺人の瞬間が映り込んでいることを発見する。そして、『ミッドナイトクロス』の主人公ジャックは、たまたま公園で録音した音声テープに記録されたタイヤのパンク(Blow Out)音を分析したところ、自動車事故が実は暗殺事件だったことに気付く。デ・パルマが『欲望』のコンセプトを応用したことは、ほぼ間違いないだろう。 そして、その『欲望』でアントニオーニがスウィンギン・ロンドンの時代の倦怠と退廃を描いたように、本作はレーガン政権(第1期)下におけるアメリカの世相を浮き彫りにする。ベトナム戦争終結後の自由で開放的なリベラルの時代も束の間、深刻化するインフレと拡大する失業率はロナルド・レーガン大統領の保守政権を’81年に誕生させた。本作では、もともとゴダールに感化された左翼革命世代の映像作家であるデ・パルマの、ある種の敗北感のようなものを映し出すように、音響スタッフとして映画という虚構の世界を作り上げるジャックは、しかし現実の世界で起きた邪悪な陰謀を白日のもとに晒すことは出来ず、闇に葬り去られた真実の断片だけが映画の中で悲痛な「叫び声」を響かせる。 現実はジャックの携わるホラー映画よりも残酷であり、その残酷な社会に対して個人の理想や正義はあまりにも無力だ。もちろん、自由と平等を謳ったアメリカ独立宣言が起草された、アメリカ建国の理想精神を象徴するフィラデルフィアを舞台にしていることにも、そこがデ・パルマ監督の育ったホームタウンだという事実以上の意味があるだろう。本作を自身にとって「最もパーソナルな作品」だとするデ・パルマ監督の言葉は重い。 そんな本作のペシミスティックな悲壮感をドラマチックに盛り上げるのが、ピノ・ドナッジョによるあまりにも美しい音楽スコアだ。もともとイタリアの人気カンツォーネ歌手(シンガー・ソングライター)であり、ダスティ・スプリングフィールドやエルヴィス・プレスリーの英語カバーで大ヒットした「この胸のときめきを」のオリジナル・アーティストとして有名なドナッジョは、ヴェネツィアで撮影されたニコラス・ローグ監督のイギリス映画『赤い影』(’72)で映画音楽の分野に進出。そのサントラ盤レコードをたまたまデ・パルマの友人がロンドンで購入し、当時亡くなったばかりのバーナード・ハーマンの代わりを探していたデ・パルマに紹介したことが、その後長年に渡る2人のコラボレーションの始まりだった。 ハリウッドの映画音楽家にはない感性をドナッジョに求めたというデ・パルマ。その期待通り、初コンビ作『キャリー』においてドナッジョは、およそハリウッドのホラー映画には似つかわしくない、センチメンタルでメランコリックなスコアをオープニングに用意した。「たとえサスペンス映画でも、私はメロディを大切にする。それがイタリアン・スタイルだ」というドナッジョ。そう、エンニオ・モリコーネやニノ・ロータ、ステルヴィオ・チプリアーニの名前を挙げるまでもなく、美しいメロディこそがイタリア映画音楽の命である。長いことカンツォーネの世界で甘いラブソングを得意としたドナッジョは、そのイタリア映画音楽の伝統をそのままハリウッドに持ち込んだのだ。 『殺しのドレス』の艶めかしくも官能的なテーマ曲も素晴らしかったが、やはりトータルの完成度の高さでいえば、この『ミッドナイトクロス』がドナッジョの最高傑作と呼べるだろう。もの哀しいピアノの音色で綴られる甘く切ないメロディ、ストリングスを多用したエモーショナルなオーケストラアレンジ。まるでヨーロッパのメロドラマ映画のようなメインテーマは、残酷な運命をたどるサリーへの憐れみに満ち溢れ、見る者の感情をこれでもかと掻き立てる。ラストの胸に迫るような哀切と抒情的な余韻は、ドナッジョの見事な音楽があってこそと言えよう。 ちなみに劇場公開当時、日本だけでサントラ盤LPが発売された。筆者も銀座の山野楽器で手に入れたのだが、実はこれ、ドナッジョがニューヨークで録音したオリジナル・サウンドトラックではなく、スタジオミュージシャンによって再現されたカバー・アルバムだった。その後、オリジナル・サウンドトラックは’02年にベルギーで、’14年にアメリカでCD発売されている。 なお、日本ではブラジル出身のファッション・モデル、シルヴァーナが歌う、ベタな歌謡曲風バラード「愛はルミネ(Love is Illumination)」が主題歌として起用され、先述した疑似サントラ盤LPにも収録されていた。もちろん、デ・パルマもドナッジョも一切関係なし。例えばカナダ映画『イエスタデイ』(’81)に使用されたニュートン・ファミリーの「スマイル・アゲイン」や、ダリオ・アルジェント監督作『シャドー』(’82)に使用されたキム・ワイルドの「テイク・ミー・トゥナイト」など、当時は配給会社がプロモーション用に仕込んだ、本国オリジナル版には存在しない主題歌が少なくなかった。 閑話休題。『ミッドナイトクロス』は『愛のメモリー』に続いてこれが2度目のデ・パルマとのコンビになる、撮影監督ヴィルモス・ジグモンドによる計算し尽くされたカメラワークも見どころだ。画面左右に分かれた手前と奥の被写体に同時にピントを合わせたスプリット・フォーカス、デ・パルマ映画のトレードマークともいえるスプリット・スクリーン、そしてカメラが室内や被写体の周囲を360度回転するトラッキングショットなど、まさしく凝りに凝りまくった映像テクニックのオンパレードである。 また、物語の背景となる「自由の日」祝賀イベントをモチーフに、赤・青・白の星条旗カラーが全編に散りばめられている。例えば、映画冒頭でジャックとサリーが宿泊するモーテルの外観は、白い壁に青いドア、赤いネオンで統一されている。それは室内も同様。カーテンやベッドカバーは青、マットレスや電話機は赤、イスとテーブルは白く、壁紙の模様は白地に赤と青の幾何学模様が描かれている。ジャックがテレビレポーターに電話するシーンでは、ジャックのシャツが赤で電話機が青、背景は白いスクリーンだ。ほかにも、この3色がキーカラーとなったシーンが多いので、是非探してみて欲しい。 オープニングを飾るB級スラッシャー映画のワンシーンでステディカムを担当したのは、『シャイニング』(’80)や『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』(’84)などでお馴染み、ステディカムの開発者にして第一人者のギャレット・ブラウン。その映画会社の廊下には、『死霊の鏡/ブギーマン』(’80)や『溶解人間』(’77)、『エンブリヨ』(’76)、『スクワーム』(’76)など、カルトなB級ホラー映画のポスターがずらりと並ぶ。果たして、これはデ・パルマ自身のチョイスなのだろうか。■ 『ミッドナイトクロス』BLOW OUT © 1981 VISCOUNT ASSOCIATES. All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2019.06.25
芸達者で非常にキャラクターが強い俳優を集めた、遺産相続を巡る悪辣なコメディ
今回紹介するのは『三人の女性への招待状』(67年)というアメリカ映画です。日本では現在、観ることができなくなっている作品ですね。 監督はジョセフ・L・マンキウィッツ。彼は『三人の妻への手紙』(49年)で、アカデミー賞の監督&脚色賞をW受賞し、翌年の『イヴの総て』(50年)でも監督&脚色賞をW受賞。2年間に4つのオスカーを獲った記録を持っている名監督です。 『三人の妻への手紙』という映画は、3人の奥さんに「私はこれからあなたの旦那と駆け落ちする」という手紙が届くんですが、どの旦那なのかわからない……という、不思議なミステリーでした。 今回の『三人の女性への招待状』は、イタリアはヴェネツィアから始まります。主演はレックス・ハリソン。『マイ・フェア・レディ』(64年)のヒギンズ教授役や、『ドリトル先生不思議な旅』(67年)のドリトル先生で日本でもお馴染みですね。彼が演じるM r.フォックスという男は億万長者で、自分だけのために、劇場を借り切って芝居をやらせるような大金持ちです。 その演目はシェイクスピアと同時代の劇作家ベン・ジョンソンの『ヴォルポーネ』という芝居なんですが、それを観たフォックスはタチの悪いイタズラを思いつきます。自分が病気でもうすぐ死ぬと嘘を言って、遺産を誰に分けたいか考えるから来てくれという招待状を、過去に付き合った3人の女性に書くんです。そして、この3人が、遺産目当てどんな醜い争いをするか、自分にどんなおべっかを使うのかを見てやろうというわけです。 その芝居の手伝いとしてフォックスは、アメリカ人の俳優を雇います。これを演じるのはクリフ・ロバートソン。「アルジャーノンに花束を」を映画化した『まごころを君に』(68年)で主人公を演じたことで有名ですね。 招待される3人の女性は、まず、イーディ・アダムス。マリリン・モンローみたいな、当時のセクシー女優です。2人目は、ヨーロッパの貴族と結婚したフランス人。キャプシーヌが演じています。冷たい感じの美貌の人ですね。3人目はスーザン・ヘイワードが演じる、アメリカの田舎のお金持ちシェリダン夫人。ヘイワードは『私は死にたくない』(58年)という映画で死刑囚に扮して高く評価された演技派ですが、ここでは完全にお笑い演技をしています。 そして、そのシェリダン夫人の付き人にマギー・スミス。TVシリーズの『ダウントン・アビー』の年老いた伯爵夫人として日本でも非常に親しまれている女優さんですが、若い頃はこんなにかわいかったんですよ。 こんな芸達者で濃いキャラクターたちが1カ所に集まって、遺産相続をめぐってどんなコメディを演じるのか?と思って観ていると、この映画、あさっての方向へ話が行きますから! 登場人物のキャラクターもどんどん覆されていくんです。どんでん返しはジョセフ・L・マンキウィッツ監督の得意技ですから。いったいどこに着地するのか、お楽しみに!■ (談/町山智浩) MORE★INFO.●原作は邦訳もあるトーマス・スターリングの『一日の悪』。これを『Mr. Fox of Venice』として戯曲化したフレデリック・ノットの台本を監督が映画用脚本化。それにベン・ジョンソンの1605年の戯曲「ヴォルポーネ」を加えたもの。『三人の妻への手紙』(49年)に似てはいるがリメイクではない。●メリル・マッギル役は当初アン・バンクロフトにオファーされたが、彼女が舞台出演と重なったため、イーディ・アダムスに変更になった。●撮影当初からの撮影監督ピエロ・ポルタルピをクビにして、ジャンニ・ディ・ヴェナンツォに変えたが、撮影半ばで肝炎により死去(わずか45歳)、弟子でカメラ・オペレーターのパスクァリーノ・デ・サンティスが引き継いだが、クレジットは辞退した。 © 1967 METRO-GOLDWYN-MAYER STUDIOS INC.. All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2019.06.24
ハリウッド・レジェンドたちのターニング・ポイント 『栄光への脱出』
今から60年近く前に、70㎜超大作映画として華々しく製作・公開された、『栄光への脱出』。その物語は、第2次世界大戦終結から2年経った1947年、当時はイギリスの直轄統治領だった、東地中海に浮かぶキプロス島から始まる。 この島には難民キャンプが設けられており、3万人を超えるユダヤ人が収容されていた。彼ら彼女らは、ヨーロッパでナチス・ドイツのホロコーストを生き延びた後、戦後に聖地の復興を目指し、パレスチナへと移住しようとした人々。しかし周辺のアラブ諸国を刺激したくないイギリスに捕まり、キャンプへと送り込まれたのであった。 そんなキプロス島に、ユダヤ人地下組織のリーダー、アリ・ベン・カナン(演;ポール・ニューマン)が、潜入した。彼の計画は、キャンプの同胞2,800人を、エクソダス(脱出)号と名付けた貨物船で、パレスチナの地へと送り込もうというもの。 イギリス軍による出港阻止など紆余曲折を経ながらも、アリの作戦は国際世論も味方に付けて、見事に成功。そして2,800人は、パレスチナへと辿り着く。 しかしイギリス、そしてアラブを敵に回して、祖国の建国を目指すアリらの苦難の戦いは、この後更に激しさを増していくのであった…。 1958年に発表されたレオン・ユリスの小説を映画化し、その2年後=1960年に公開(日本では翌61年)された本作『栄光への脱出』。“イスラエル建国”という、20世紀の歴史的事件をヒロイックに描いて、世界的な大ヒットとなった。 ご存知の通り“イスラエル”という国家は、建国を巡る経緯やその後の歩みが、国際社会で常に物議を醸し続けている。それによって引き起こされた“パレスチナ問題”など、「親イスラエル」を強く打ち出した、アメリカのトランプ大統領の強硬な外交姿勢もあって、悪化の一途を辿っている感が強い。 そうした点から、間違っても「公平な描写とは言えない」本作の今日的意味を探るのも大変意義深いことではある。しかし本稿では、後にハリウッドのレジェンドとなる偉大な2人の映画人にとって、本作がどんな役割を果たしたかを紹介したいと思う。 レジェンドの1人目は、脚本を担当したダルトン・トランボ(1905~76)。1930年代後半より脚本家として活躍していたトランボだったが、戦後のハリウッドに吹き荒れた“赤狩り=マッカーシズム”の直撃を受ける。 47年にトランボは、ハリウッドの労働組合への共産主義の影響を調査していた「非米活動委員会」の聴聞会に呼び出された際に、証言を拒否。そのため実刑判決を受けて、禁固刑に服す。同時にハリウッドの“ブラックリスト”に載せられ、映画界から長らく追放されることとなった。 その後彼が書いた脚本を、友人のイアン・マクラレン・ハンター名義でクレジットした『ローマの休日』(53)、ロバート・リッチという偽名を用いて執筆した『黒い牡牛』(56)の2作が、アカデミー賞原案賞を受賞したものの、トランボの名は秘せられたまま。しかし彼が偽名で仕事しているという噂は徐々に広まり、カーク・ダグラスの依頼で59年に『スパルタカス』(60)の脚本を担当する頃には、「公然の秘密」となっていた。 そのタイミングで、トランボとは旧知の仲だった、オットー・プレミンジャー監督が59年の12月に、脚本のリライトを依頼してきた。それが本作、『栄光への脱出』である。本作の脚本はそれ以前に、原作者のレオン・ユリスともう1人の脚本家によって、何度も書き直しが行われていたのだが、映画化に適した仕上がりにならなかったのである。 翌60年の4月には製作に入る予定で、主要キャストとの契約も済ませていたため、プロデューサーも兼任するプレミンジャーは焦った。そこで以前から、切迫した状況での素早い仕事ぶりを高く評価していたトランボに、白羽の矢を立てたわけである。 本作の原作小説は、旧約聖書の時代に遡り、そこからホロコーストに至るまで、何世紀にも渡るユダヤ人の苦難の歴史を描く。そして最後にパレスチナへ戻って、イスラエルという近代国家の誕生に至るという筋立てであった。前任の2人は、この小説全体をスクリーンに移そうとして、失敗したのである。 トランボは原作にはあまりにも多くの物語が盛り込まれているため、このまま映画化するのは不可能であると判断。プレミンジャーにどの物語を映画にしたいのかと尋ねた。ウィーン出身のユダヤ人であるプレミンジャーから、「イスラエルの建国を描きたい」という答を得ると、その後は彼と密に連携しながら執筆を進め、明けて60年の1月半ばには、脚本を完成させた。 プレミンジャーは、こうしたトランボの功績に報いる意味も籠めて、サプライズを用意した。1月20日の「ニューヨーク・タイムズ」の一面で、『栄光への脱出』の脚本家に、ダルトン・トランボを起用した旨を公表したのである。同年秋に『スパルタカス』が公開された際に、トランボの名がクレジットされたのも、こうした流れを受けてのことである。 『スパルタカス』そして『栄光への脱出』は、腕利きの脚本家だったトランボを、正式に表舞台へとカムバックさせた記念碑的な作品と言える。そして“赤狩り”によってハリウッドにもたらされた“ブラックリスト”の時代も、遂に終わりを告げた。 本作が記念碑的な作品となった、ハリウッド・レジェンドの2人目。それは、主役のアリ・ベン・カナンを演じた、ポール・ニューマン(1925~2008)である。 アクターズ・スタジオ出身という出自もあって、銀幕デビュー時は「マーロン・ブランドの亜流」扱いされ、燻ぶっていたニューマン。しかし三十歳を過ぎて出演した、ロバート・ワイズ監督の『傷だらけの栄光』(56)で、実在のプロボクシング元世界チャンピオン、ロッキー・グラジアノを演じて高い評価を受け、一躍スターダムにのし上がった。 その後1950年代後半に、着実にキャリアを積み上げたニューマンが、60年代を迎えて、遂に“スーパースター”の地位を築く第一歩となったのが、架空の存在ではあるが、イスラエル建国のヒーローを演じた、『栄光への脱出』である。この作品は記録的な大ヒットとなって、ニューマンの出演作の中では長らく、TOPに位置する興収を稼ぎ出した。因みにこの記録を塗り替えたのは、アメリカン・ニューシネマの代表的な作品で、ロバート・レッドフォードと共演した、『明日に向って撃て!』(69)である。 父がハンガリー系ユダヤ人であるニューマンは、本作ロケ地のイスラエルに、クランク・イン数週間前に入って、その風土や国民の生い立ちを身をもって感じ取ろうとした。本作は、父方のユダヤの血のルーツを探るという意味でも、彼にとっては意義深い仕事となる筈だった。 そうした記念碑的作品であるにも拘らず、実は本作についてニューマンが後年語ることは、ほとんどなかった。あるインタビューで一言だけ、「寒々としたものだった」と素っ気なく述べたのみである。 なぜそうなったかと言えば、偏にオットー・プレミンジャー監督との“相性”。それまでに『帰らざる河』(54)『悲しみよこんにちは』(57)など数々のヒット作や秀作を手掛けてきたプレミンジャーだが、撮影現場では俳優に対する専制的な態度を取ることで知られ、「ろくでなしのファシスト」呼ばわりされるほど、悪名が高い監督であった。 そしてプロデューサーを兼ねた本作では、スケジュール通りに撮り上げるために、膨大な技術スタッフのチームを組織し、パノラマ的群衆シーンを動かすことばかりに集中。それまでにも増して、俳優の役作りに気を配ろうとはしなかった。 それに対しニューマンの演技は、アクターズ・スタジオ仕込み。演技の細部にまで深い関心を示してくれたり、準備に掛ける時間と空間を十分に提供してくれるような監督以外とは、なかなか良好な関係を築きにくい。 例を挙げるならば、ニューマンが最も敬愛した監督は、『ロイ・ビーン』(72)『マッキントッシュの男』(73)で組んだジョン・ヒューストン。それらの現場でのニューマンは、頻繁にヒューストンに話しかけに行って、様々な提案を行ったという。ニューマン曰く「とにかく彼(ヒューストン)はどんなときでも引き金を捜してるよ。名案を撃ち出す引き金だな。それを誰が引くかは関係ない。彼自身でもいいし、役者か、スクリプト・ガールだっていいわけだ。そこに連帯感というものが生まれてくるだろう」 本作撮影に当たって、ニューマンはロケ地到着後、プレミンジャーとの打合せで数頁に渡る提案を差し出した。するとプレミンジャーは、こう言ったという。 「非常に興味深い提案だ。君が監督する作品ならぜひ使いたまえ。しかし、この作品の監督を務める私がこれを使うことはないね」 本作関係者の証言では、このやり取りがあった後、ニューマンは要求されたことだけをするようになり、それ以上の努力をやめてしまったという…。 そんなこともあってだろう。本作の主人公アリ・ベン・カナンは、預言者モーゼに準えられるヒーローでありながらも、陰影に乏しく、その葛藤や煩悶が真に迫ってこないキャラクターになってしまっている。超大作として製作年度が近い『アラビアのロレンス』(62)などと比べると、人物描写が浅いことが、一目瞭然である。 そうした点も含めて、初公開当時は業界受けも評論家受けも決して良くはなかった本作だが、繰り返し記すように、大ヒットを記録した。プレミンジャーが個々の俳優の演技を蔑ろにしてまでこだわったスペクタクル感の強調や、ハリウッドを長年追われていたダルトン・トランボが脚本を手掛けたこともあってか、ユダヤ人たちの「自由への希求」が、ロマンスも交えてドラマチックに打ち出される仕上がりとなったことが、大衆の心を捉えたのであろうか。ニューマン演じる主人公も、薄っぺらさは否めないながら、実に格好良く描かれていることは、紛れもない事実である。 この作品の大ヒットは、“イスラエル”という国家の存在を、アメリカの世論が好意的に捉えるきっかけになったとも言われる。そうした意味でも、“映画史”的な語りしろが、意外に多い作品なのである。■ 『栄光への脱出』EXODUS © 1960 METRO-GOLDWYN-MAYER STUDIOS INC.. All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2019.06.02
マルセル・カルネとナチス・ドイツ占領下のフランス映画
フランス映画史上の最高傑作との呼び声高い映画であり、巨匠マルセル・カルネによる「詩的リアリズム映画」の集大成とも呼ばれる『天井桟敷の人々』(’45)。詩的リアリズム映画とは’30年代のフランス映画黄金期を牽引した代表的ジャンルのこと。その主な特徴は、貧しい市井の人々の生活に目を向けたリアリスティックな題材と、スタイリッシュで洗練されたポエティックなアプローチである。日常的でありながら非日常的。そのペシミスティックな傾向は、世界大戦の足音が近づく時代の社会不安を如実に反映していた。スタジオ撮影によって再現された疑似的なリアリズムは、実際の街中へカメラが飛び出したイタリアのネオレアリスモとの最大の違いと言えるだろう。 その先駆けはジャン・グレミヨンの『父帰らず』(’30)とも、ジャン・ヴィゴの『アトラント号』(’34)とも言われるが、立役者と呼べるのは間違いなくジャック・フェデーの『外人部隊』(’34)と『ミモザ館』(’34)であろう。ジュリアン・デュヴィヴィエの『我等の仲間』(’36)や『望郷』(’37)、ジャン・ルノワールの『大いなる幻影』(’37)や『獣人』(’38)などが後に続くわけだが、フェデーの愛弟子だったカルネもまた、『ジェニイの家』(’36)や『霧の波止場』(’38)、『北ホテル』(’38)などの名作を連発する。しかし、そんな「詩的リアリズム映画」のムーブメントも、実は’30年代が終わりを告げるとともに下火となった。その最大の理由は第二次世界大戦である。 ナチス占領下のフランス映画界 ‘39年のナチス・ドイツによるポーランド侵攻を受けて、フランスはドイツに宣戦布告。翌’40年にドイツはフランスへと侵攻し、6月22日の独仏休戦協定をもってフランスは実質的にナチスの占領下に置かれる。辛うじて国家の主権は保たれたが、しかし独裁者ペタン元帥によって樹立されたヴィシー政府はナチスの影響下にあった。おのずとナチスもヴィシー政府も映画のプロパガンダ利用を考え、実際にナチスの国家啓蒙・宣伝大臣ゲッペルスはパリに映画会社コンチネンタル社を設立。ヴィシー政府も映画産業組織委員会(COIC)を創設した。 一方の映画界では、ルノワールやデュヴィヴィエなどの巨匠たちが次々と国外へ脱出。マルセル・カルネは祖国に留まって抵抗を試みたが、しかし「ユダヤ人と結託してフランスの道徳精神を堕落させた」張本人として名指しで非難されるなど、その活動は困難を伴うこととなった。道徳回復運動によって国家体制の秩序を整えようとしていたヴィシー政府にとって、犯罪者や売春婦、浮浪者などを含む底辺の人々に同情や共感の眼差しを向けたカルネの作品群は、やり玉にあげるには格好の材料だったのだろう。 ただ興味深いのは、この約4年間に渡るヴィシー政府時代のフランスにおいて、いわゆる国家プロパガンダ的な映画はほとんど存在しなかったこと。そもそも、ナチスは国家主義的な啓蒙映画の製作をフランスに強要するつもりなどなかった。ゲッペルスの日記には「フランス人は軽い、内容のない、バカげた映画で満足するべき」と明記されている。いわば愚民政策だ。ところが…である。ナチス配下のコンチネンタル社はゲッペルスの意向を汲まず、自社の映画人たちに対しては基本的に「監視はすれど強要はしない」という限定的な自由を与えた。それはヴィシー政府の姿勢も同様で、映画の道徳的・思想的な検閲はしても具体的な介入はしなかった。むしろ、あからさまなプロパガンダは逆効果になると考えたようだ。 とはいえ、暗い時代ゆえに大衆は深刻な芸術映画よりも、明るい娯楽映画を好むようになった。もちろん検閲だってある。そのため、たとえプロパガンダ的な要素は含まれずとも、なるべく「無害」であることを志向する作品が多かったことは否定できないだろう。カルネもまた、検閲を考慮して『悪魔が夜来る』(’42)をファンタジックな中世の御伽噺に仕立てた。しかし、それはあくまでも表向きの装いであり、悪魔(=ナチス)によって石にされた若い恋人たちの、それでもなお脈打つ心臓の鼓動に「フランス人の誇り」と「支配者への抵抗」の意味を込めたのである。 『天井桟敷の人々』に込めたカルネとプレヴェールの意図とは このような状況下で作られた映画が『天井桟敷の人々』だった。物語の設定は19世紀前半のパリ。数多くの劇場や見世物小屋が立ち並ぶ犯罪大通り(現在のタンプル大通り)を舞台に、1人の美女を巡って4人の男たちが、燃えるような愛と友情と嫉妬のドラマを繰り広げていく。ヒロインである宿命の美女ガランス(アルレッティ)こそ架空の人物だが、彼女を取り巻く男たちはいずれも実在の人物をモデルにしている。 ガランスに一途な純愛を向ける主人公バチスト(ジャン=ルイ・バロー)は、ボヘミア出身の有名なパントマイム俳優ジャン=ガスパール・ドビュローが元ネタ。そのバチストと友情を育みつつ、恋敵となるプレイボーイの不良俳優フレデリック・ルメートル(ピエール・ブラッスール)は、当時の犯罪大通りを代表する人気スターにして劇作家だった。殺人や強盗を繰り返す犯罪者ピエール・フランソワ(マルセル・エラン)のモデルは、ブルジョワの出自でありながら特権階級への抗議として凶悪犯罪を重ね、バルザックやドストエフスキーにも影響を与えた犯罪者ピエール・フランソワ・ラスネール。また、財力にものを言わせてガランスを囲うモントレー伯爵(ルイ・サルー)は、ナポレオン3世の異父弟シャルル・ド・モルニー公爵を下敷きにしているという。 脚本を手掛けたのは、当時のマルセル・カルネ作品には欠かせない盟友にして、「民衆の詩人」「抵抗の詩人」とも呼ばれたジャック・プレヴェール。誰もが知るシャンソンの名曲「枯葉」は、カルネの次回作『夜の門』(’46)のテーマ曲として、ジョゼフ・コズマのメロディにプレヴェールが詩を付けたものだ。一見したところ、愛すれども決して結ばれることのない男女の哀しきラブロマンス。しかし、カルネとプレヴェールはその背景として、貧しいフランス庶民の猥雑な日常を「詩的リアリズム」の手法で大胆に活写し、雑草のごとき彼らの逞しい生命力やバイタリティを描き込むことで、この宿命的なメロドラマを紛うことなき民衆派映画へと昇華している。 本作の原題は「天国の子供たち」。昔のフランスでは最上階の天井に近い観客席を「天国」(邦題では天井桟敷)と呼び、観劇料が安いことから貧しい庶民の人々が利用。彼らはまるで子供のように、舞台へ向かって野次や歓声を飛ばしていたという。幼い頃に親しんだ大衆演劇を自身の芸術的ルーツと考えていたカルネは、恐らくその伝統にフランス民衆の普遍的なエネルギーを感じていたのだろう。 また、プレヴェールは犯罪者ラスネールに、ある種の義賊的な魅力を見出していたとも言わる。「(ナチスは)ラスネールの映画を作ることは許さないだろうが、ドビュローの物語にラスネールが出てくる分には構わないだろう」とも述べていたそうだが、もしかすると彼のキャラクターに、フランス革命以来の庶民の抵抗と反骨の精神を投影していたのかもしれない。いずれにせよ、本作がナチス・ドイツに支配されたフランスの国民ヘ受けて、いま一度民族の誇りを取り戻させる意図が少なからずあったと思われる。 製作期間はおよそ3年と3か月。物資不足の戦時下にも関わらず、南仏ニースの巨大セットに19世紀のパリを丸ごと再現し、総勢1800人にも及ぶエキストラが投入された。実はその多くが反独レジスタンスで、映画撮影を抵抗活動の隠れ蓑にしていたという。その一方でヴィシー政府のスパイも現場に紛れており、そのことがバレて撮影中に逃亡した役者もいた。困難を極めた撮影の終盤にはノルマンディー上陸作戦の一報も入り、カルネは連合軍によるフランスの解放を待つため、わざと制作を長引かせたとも言われている。そして’44年8月26日にパリが解放され、その直後に『天井桟敷の人々』も完成。翌年5月にパリで封切られた本作は、世界へ向けてフランス映画の底力を見せつけたのである。■
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COLUMN/コラム2019.06.01
アクション連発!ガジェット満載!マカロニ版ジェームズ・ボンド、サルタナの勇姿に痺れろ!
数えきれないほどの荒くれ者たちが、アメリカの大西部ならぬスペインはアルメリア地方の荒野を駆け抜けていったイタリア産西部劇=マカロニ・ウエスタン。クリント・イーストウッドが演じた「Man with No Name」(名無しの男)を筆頭に、数多くのマカロニ・ヒーローも誕生したが、その中でもジャンゴやリンゴと並んで高い人気を誇る名物キャラクターが、本作『サルタナがやって来る~虐殺の一匹狼~』の主人公サルタナである。 まずは基本的な情報から整理しておこう。ジャンゴ・シリーズやリンゴ・シリーズと同様、数多のパチもの映画を生んだサルタナ・シリーズだが、正式なシリーズ作品は下記の5本とされている。 ・1作目 Se incontri Sartana prega per la tua morte(サルタナに会ったら己の死に祈れ)1968年制作 本邦未公開監督:フランク・クレイマー(ジャンフランコ・パロリーニ)主演:ジョン・ガルコ(ジャンニ・ガルコ) ・2作目 Sono Sartana, il vostro becchino(俺はサルタナ、お前の死の天使)1969年制作 本邦未公開監督:アンソニー・アスコット(ジュリアーノ・カルニメオ)主演:ジョン・ガルコ(ジャンニ・ガルコ) ・3作目 C'è Sartana... vendi la pistola e comprati la bara(サルタナが来た…お前の拳銃を棺桶と交換しろ)1970年制作 邦題『俺はサルタナ/銃と棺桶の交換』 本邦劇場未公開・DVD発売監督:アンソニー・アスコット(ジュリアーノ・カルニメオ)主演:ジョージ・ヒルトン ・4作目 Buon funerale amigos!... paga Sartana(良い葬儀を、友よ…サルタナが支払う)1970年制作 本邦未公開監督:アンソニー・アスコット(ジュリアーノ・カルニメオ)主演:ジャンニ・ガルコ ・5作目 Una nuvola di polvere... un grido di morte... arriva Sartana(埃の雲…死の叫び…サルタナが来る)1970年制作 邦題『サルタナがやって来る~虐殺の一匹狼~』 本邦劇場未公開・DVD発売監督:アンソニー・アスコット(ジュリアーノ・カルニメオ)主演:ジャンニ・ガルコ シリーズ中で唯一、ジョージ・ヒルトンがサルタナを演じた『俺はサルタナ/銃と棺桶の交換』を5作目とする説もあるが、少なくともイタリア本国での劇場公開日を基準にすると、上記のような順番になる。いずれにせよ、残念ながら今のところ日本で見ることが出来るのは全5本中2本だけ。しかも、どちらもリアルタイムでは日本へ輸入されなかった。それゆえ、日本のマカロニ・ファンにとってサルタナは、長いこと幻のヒーローだったのである。 サルタナ・シリーズの特徴を一言で表すならば、ずばり「西部劇版ジェームズ・ボンド」であろう。お洒落でエレガント、荒唐無稽にして軽妙洒脱。全身黒づくめのギャンブラー風に決めたニヒルな謎のガンマン、サルタナが、愛用の小型リボルバーと数々の秘密兵器を駆使して悪党たちを一網打尽にする。レオーネやコルブッチなどのシリアス路線や、リアリズム志向のガンプレイを愛するマカロニ・ファンには賛否あろうと思うが、しかし猫も杓子もレオーネのエピゴーネンを競っていた当時のマカロニ業界にあって、あえて差別化を図るという意味で正解だったと言えよう。しかも文句なしに面白い。所詮、マカロニなんてハリウッド西部劇のパクリなんだからさ、楽しけりゃそれでいいじゃん!というB級エンターテインメント的開き直りが功を奏した結果だろう。 そもそもの始まりは’67年に公開されたマカロニ・ウエスタン『砂塵に血を吐け』。この作品でアンソニー・ステファン演じる主人公ジョニーよりも目立ってしまったのが、強烈な存在感を放つサイコパスな弟サルタナ(ジャンニ・ガルコ)だった。そう、もともとサルタナは悪人キャラだったのである。しかし、この映画が当時の西ドイツを中心に大受けし、ことにガルコ演じるサルタナの評判が高かったことから、ならばこいつをメインに映画を作れば当たるに違いない!ということで誕生したのがサルタナ・シリーズだったわけだ。 ただし、今回はれっきとした主人公なので、さすがにサルタナが悪党のままでは困る。ゆえにキャラ設定は初めから仕切り直し。ジャンゴみたいな悲壮感漂う復讐ドラマは御免こうむりたい、もっとシニカルでユーモラスなヒーローがいい、衣装も小汚いカウボーイじゃなくて粋でお洒落なイメージで!というジャンニ・ガルコ自身の意向を汲みながら、新たなサルタナ像が形作られていったという。各作品の劇中で使用される秘密兵器なども、主に彼がアイディアを出していたらしい。会計帳簿にピストルを隠した帳簿GUN(4作目)、車輪の穴にダイナマイトを仕込んだ車輪BOMB(2作目)、時にはトランプカードやダーツの矢、懐中時計まで起用に武器として使うサルタナの華麗なアクションは、ジャンニ・ガルコが演じてこその賜物だったのである。 そのジャンニ・ガルコは旧ユーゴスラビアの出身。もともと『太陽の下の18歳』(’62)や『狂ったバカンス』(’62)でカトリーヌ・スパークの相手役を演じて注目された二枚目スターだったが、結果的に一連のサルタナ役が最大の代表作となった。ジャンフランコ・パロリーニ監督と再びタッグを組んだ、痛快軽快な戦争アクション『戦場のガンマン』(’68)もなかなかの佳作。また、パチものジャンゴ映画『二匹の流れ星』(68)では、ゲイリー・ハドソンの偽名でジャンゴ役を演じている。 シリーズ全体のトーンを設定したのは1作目のパロリーニ監督。マカロニにありがちな情念やペシミズムは一切なし。毒を持って毒を制するかのごとく、狡猾で抜け目のないサルタナは常に敵の一歩先を行き、腹黒い悪党どもをてんてこ舞いにして、最後はまんまと金塊の山をかすめ取っていく。ストーリー展開は極めてアップテンポ。アクションも一切出し惜しみせず。続く2作目でバトンタッチした、アンソニー・アスコットことジュリア―ノ・カルニメオ監督は、基本的にパロリーニ監督のライトな路線を継承しつつ、よりコミカルでナンセンスなユーモアを盛り込んだ。’70年代初頭に流行するコメディ・ウェスタンの先駆けである。ただ、E・B・クラッチャーことエンツォ・バルボーニ監督の『風来坊』シリーズなどと違って、粋で洗練されたユーモアセンスこそがカルニメオ監督の醍醐味。ベタな大衆喜劇的コメディに走らないサジ加減が絶妙だ。そういう意味で、このシリーズ最終作『サルタナがやって来る~虐殺の一匹狼~』などは真骨頂と言えるだろう。 何と言っても最大の見どころは、シリーズ中屈指とも呼ぶべき奇想天外なガジェットの数々だ。ミサイル砲を仕込んだインディアン人形型ロボット、アルフィーもなかなかのインパクトだが、パイプオルガンのパイプが倒れてカチューシャ型のロケット砲マシンガンに変身する通称「皆殺しオルGUN」にはぶったまげた(笑)。んなもん西部開拓時代にあるわけねえだろ!という突っ込みは野暮というもの。さすがにここまで大胆不敵な秘密兵器は前作までなかった。カルニメオ監督はこれに味を占めたのか、続くニューヒーロー、アレルヤを登場させた『荒野の無頼漢』(’71)では、ミシンとマシンガンを合体させたミシンGUNとか、バラライカに拳銃を仕込んだバラライGUNとか、もはや何でもアリのやりたい放題状態に。こういう悪ノリは大歓迎である。 消えた大金を巡って、三つ巴・四つ巴・五つ巴の裏切りと騙し合いが繰り広げられるストーリーも悪くない。まあ、厳密に言うと1作目の焼き直し的な印象は否めないのだけれど、恐らく視聴者のみなさんの多くが未見だと思うので問題ないでしょう(笑)。悪党どもをお互いに対立させて、漁夫の利を得ようとするサルタナのずる賢さ(?)も相変わらず。ある種のピカレスクロマン的な魅力すら感じられる。脚本はティト・カルピとエルネスト・ガスタルディ。どちらもイタリア産B級娯楽映画の黄金時代を代表する名脚本家だ。 ヒロインの悪女ジョンソン夫人を演じるのは、ジャッロ映画ファンにもお馴染みのスペイン女優スーザン・スコットことニエヴェス・ナヴァロ。ジュリアーノ・ジェンマと共演したスパイ・コメディ『キス・キス・バン・バン』(’66)や、ジャッロ映画の隠れた傑作『ストリッパー殺人事件』(’71)も忘れ難い美女だが、決定的な代表作に恵まれなかったのが惜しまれる。『猟奇変態地獄』(’77)のぞんざいな扱われ方とか、ちょっと気の毒だったもんなあ。悪徳保安官ジム役はファシスト時代のロマンティックな二枚目スター、マッシモ・セラート。また、サルタナと親しくなる詐欺師の好々爺プロン役の老優フランコ・ペスチェは、3作目以外のシリーズ全作に出演している。 なお、1作目限りで降板したジャンフランコ・パロリーニ監督は、サルタナのキャラをそのままパクった新ヒーロー、サバタ(リー・ヴァン・クリーフ)を主人公にした『西部悪人伝』(’69)をヒットさせ、その後『大西部無頼列伝』(’70・これのみユル・ブリンナーがサバタ役)、『西部決闘史』(’71)とシリーズ化。そのサバタは、サルタナ・シリーズ3作目『俺はサルタナ/銃と棺桶の交換』でサルタナと共演している。ただし、こちらは先述したようにサルタナ役がジョージ・ヒルトン、サバタ役は『荒野の無頼漢』のチャールズ・サウスウッド。そうそう、『荒野の無頼漢』の主人公アレルヤ役はヒルトンだったっけ。なんか、マカロニ界隈は世間が狭いのでややこしい(笑)。 で、その『荒野の無頼漢』でコメディ・ウェスタンの真髄を極めたジュリア―ノ・カルニメオ監督は、マカロニ衰退後も様々なジャンルの娯楽映画で活躍。イタリア版マッドマックスとして一部で有名な世紀末アクション『マッドライダー』(’83)や、悪名高いキワモノ映画としてカルトな人気を誇るホラー『ラットマン』(’88)は彼の仕事だ。■
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COLUMN/コラム2019.05.28
ひとたびハマると、その多層的な魅力に惹き込まれて何回ともなく観てしまう 。“観る者の心を平静ではいさせてくれない”作品
広告代理店で働くサム(ビリー・クラダップ)のもとに飛び込んだ突然の悲報。大学生の息子ジョシュがキャンパス内で発生した銃乱射事件で死亡してしまったのだ。二年後、酒びたりの暮らしを送っていたサムは、ジョシュが自作の曲を書きためていたことを知り、息子の曲を地元のバーで弾き語る。そしてサムの演奏を聴いた若者クエンティン(アントン・イェルチン)から、一緒にバンドをやろうと持ちかけられるのだが……。 “埋もれた名作”とは、紛うことなくこの映画のことである。実際のところ、『君が生きた証』(2014年)は本国アメリカでも日本でもさしてヒットしておらず、知名度も高くない。しかし、ひとたびこの映画にハマってしまうと、その多層的な魅力に惹き込まれて何回ともなく観てしまうのだ。 また作品そのもの評価とはズレるが、主演のひとりのアントン・イェルチンが2016年に不幸な事故で亡くなったことで、物語と絡み合ったさらなるレイヤーが生まれてしまったという事情もある。本作は、もはや“観る者の心を平静ではいさせてくれない作品”と言っていい。 多層的、と書いたように、本作をひとつのジャンルで括ることは困難だ。孤独な中年男と若者が織りなす音楽映画であり、(中年男にも青春を許すならば)純度の高い青春映画であり、また「いったい死んだ息子はどんな人間だったのか?」をめぐるミステリーでもある。ネタバレを避けようとすると何も言えなくなってしまうのだが、二度目にはまったく異なる視点から観ることになり、演出と演技の細密さと繊細さに、嘆息せずにいられない。 監督と共同脚本を務めたのはウィリアム・H・メイシー。コーエン兄弟、ポール・トーマス・アンダーソン、デヴィッド・R・エリスら才能あふれる映画監督たちに重宝されてきた名優であり、捨てられた犬みたいな困り顔がトレードマークのベテランである。 そのメイシーが監督業に挑戦したいと考えていたところに、たまたま送られてきたのが本作の脚本だった。オクラホマ在住の無名コンビ、ケイシー・トゥウェンターとジェフ・ロビソンが書いた物語に可能性を見出したメイシーは、二人と共同で一年以上かけて改稿を重ね、“遺族である父親の再生”という当初の構想よりも、はるかに複雑なテーマを含んだ決定稿を完成させた。 メイシーが本作を選んだ理由のひとつに“音楽”があった。メイシーは実は大の音楽好きで、ギターやピアノを嗜み、撮影現場では出演者みんなにウクレレをプレゼントしたという。 メイシーが関わる以前に『ナッシュビル』(1975年)のキース・キャラダインとシンガーソングライターのベン・クウェラーが主演する話が進んでいたこともあったらしいが(キャラダインも俳優兼ミュージシャンだ)、サム役には『あの頃ペニー・レインと』(2000年)でロックスターを演じたビリー・クラダップに、クエンティン役は『スター・トレック』(2009年)でロシア系の操縦士チェコフを演じていたアントン・イェルチンに決まる。 主人公サム役のクラダップには『あの頃ペニー・レインと』の時にギターを猛特訓した経験があったが、今回はギターだけでなく本格的に歌に挑戦することになった。イェルチンは私生活でバンド活動をしており、歌にもギターにも心得があった。ドラマー役のライアン・ディーンはイェルチンのバンド仲間。そして一時はクエンティン役の候補だったミュージシャンのベン・クウェラーが、ベーシストのウィリー役で参加。この四人は実際に劇中のバンド“ラダレス(Rudderless)”として演奏を担当することになる。 クラダップとイェルチンの心を震わせる歌声、サポート役に徹したクウェラーの巧みなコーラス、そして四人の演奏が一体となったライブシーンは本作のハイライトだ。ジョシュが遺した楽曲はシンプルで味わい深い名曲ぞろいだが、歌詞にはどこかしらに孤独や不安感が宿っている。しかし四人が演奏することで楽曲は喜びの翼を与えられ、劇中でも“ラダレス”は地元で評判の存在へとなっていく(この「地元で評判」という匙加減の絶妙さも、本作に得難い説得力を与えている)。 この映画のミステリーが「死んだ息子はどんな人間だったのか?」であるということは先にも書いた。ジョシュは映画の冒頭で亡くなってしまい、回想シーンは一切ない。したがってミステリーを解くカギは“ラダレス”が演奏する曲の中にしかない。 ストーリーの主軸はサムとクエンティンが育む疑似親子的な絆へと移っていき、ジョシュの“謎”がはっきりと明かされることはない。だからこそ、歌の行間を読もうとして、何度も観て、聴いてしまう。そして咀嚼しようとすればするほど、新しい解釈が浮かび上がってくる。観賞を重ねるごとに豊かさを増すエンドレスな映画体験。筆者などは何度観返したかもはや思い出せないが、ラストの暗転後にこみあげる涙の理由を、いまだに測り兼ねているのである。 追記:2019年3月12日に、メイシーの実生活の妻で、『君が生きた証』ではサムの元妻を演じていた女優のフェリシティ・ハフマンがFBIに逮捕されたとのニュース速報が駆け巡った。娘を名門大学に入学させるために、大量裏口入学事件に関わった容疑で起訴されたのだ。メイシーもある程度は関与していたようだが、現時点で起訴には至っていない。いずれにせよ、この不名誉な事態のせいで『君が生きた証』がさらに“埋もれた”存在になってしまう可能性が大いにある。そもそも『気が生きた証』が「親は子供に対してどうあるべきか?」というテーマを含んでいることを思うと大きな皮肉を感じるほかないが、作品の価値や俳優陣の演技の素晴らしさが損なわれるものではないので、「親バカがバカなことしやがって!」という叱咤の気持ちを抱えつつ、平静に今後の展開を注視していこうと思っています。(2019年3月15日)■
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COLUMN/コラム2019.05.28
『君が生きた証』:映画ライター・村山章氏によるちょっと引くほど詳細な全曲紹介
まずはこちらから ひとたびハマると、その多層的な魅力に惹き込まれて何回ともなく観てしまう 。“観る者の心を平静ではいさせてくれない”作品 『君が生きた証』全47曲解説 〇はじめに音楽映画『君が生きた証』(2014年)で流れる楽曲すべてについて、映画の冒頭から順番に可能な限り解説します。もともとは2016年6月にアントン・イェルチンが急逝した際に個人的にまとめたものですが、その後の経過や新たに判明したことも含めてアップデートしてみました。『君が生きた証』をご覧いなっていない方にはほぼ意味をなさないと思いますので、ネタバレ御免でお届けいたします。 M01:ASSHOLEWritten by Simon Steadman & Charlton PettusPerformed by Ben LimpicProduced by SolidStateCourtesy of Nakatomi Plaza Publishing/Margerine Music映画の冒頭を飾るアコギ一本の弾き語り。主人公サム(ビリー・クラダップ)の息子ジョシュ(マイルズ・ハイザー)のオリジナル曲という設定。「Home」と同じく、劇中歌の作詞作曲を担当したコンビ「ソリッドステート」がストックしていた曲で、監督のウィリアム・H・メイシーがこの2曲を聴いて「いかにもジョシュが書きそう」と感じたことが起用の決め手となった。ジョシュを演じたのは若手俳優のマイルズ・ハイザーだが、歌声を担当したのはサンディエゴ在住のミュージシャン、ベン・リンピック(https://benlimpic.bandcamp.com/)。余談だが、ソリッドステートの版権を管理している会社の名義は「ナカトミ・プラザ・パブリッシング」。『ダイ・ハード』由来のふざけた名前である。 M02:SING ALONG Josh versionWritten by Simon Steadman & Charlton PettusPerformed by Ben LimpicProduced by SolidStateCourtesy of Nakatomi Plaza Publishing/Margerine Music未完成のまま遺されたジョシュの最期のレコーディング。この時点ではサビのパートが存在しておらず、まだタイトルも付いていない。ジョシュの曲はどれも鬱屈、混乱、孤独が感じられると同時に、シニカルなユーモアが宿っているのだが、この曲だけは、ネガティブな気持ちをストレートに吐き出している。ジョシュが曲作りに行き詰ったのも当然だったのかも知れない。 M03:(曲名不明)Written and produced by Eef Barzleyジョシュの葬式の後、サムがジョシュの部屋にいるシーンで流れるピアノ曲。『君が生きた証』の音楽(劇伴)はオルタナカントリーバンド、クレム・スナイドのイーフ・バーズレイが手がけているが、この曲はサントラには収録されておらず、詳細不明。哀しい旋律を持ち、楽器の編成を増やした別バージョンも存在する。『君が生きた証』には胸が苦しくなるような悲壮なシーンも少なくないが、実はマイナー調のBGMはこの一曲だけ。 M04:SAM SPIRALSWritten and produced by Eef Barzleyシンプルなギターとコーラスが印象的な、本作のスコアを代表する軽妙なタッチの一曲。ジョシュの死を受け入れられず、マスコミに追い回されて混乱しているサムの姿を追ったモンタージュのバックで流れる。メイシー曰く、編集が上手くいかずに悩んでいたが、イーフ・バーズレイが書いた曲を乗せたとたんにシーンがまとまって見えて驚いたという。サントラCDに収録されているバージョンとは微妙にアレンジが異なる。 M05:TWO YEARS HUNG OVERWritten and produced by Eef Barzleyジョシュの死から2年後。広告代理店の仕事を失い(クビになったのか退職したのかは不明)、湖に停泊させたヨットで暮らすサムの姿にかぶるBGM。イーフ・バーズレイらしい、ウクレレの音色で情景をスケッチしたような小曲。ロケ撮影が行われたのはオクラホマシティ郊外にあるヘフナー湖。少女がサムの立小便を目撃して笑うレストランは撮影のために建てられた仮設のセットで、現実には存在しない。 M06:(曲名不明)Written and produced by Eef Barzley映画の序盤、サムが自転車で通勤する時に流れるBGM。後半に登場するM32「A DAYS ON THE WATER」のコーラスパートがない別バージョン。サントラCDには未収録。 M07 :WHORE IN THE MORNINGWritten by Kate MicucciPerformed by Kate Micucci (as Peaches)Produced by SolidState監督のメイシーが店主を演じたライブバー「トリル・タヴァーン」のオープンマイク(飛び入りステージ)のシーンで、最初に登場する“ピーチズ”と名乗る女性が、自分を裏切った浮気男への怒りと呪詛をエレキウクレレで弾き語る。やさぐれたビッチ風にピーチズを怪演したのは女優、ミュージシャン、コメディアンのケイト・ミクーチ。メイシーとは旧知の友人同士で、2人でウクレレデュエットを披露したこともある(https://youtu.be/-zJHMad1ZsM)。女優仲間のリキ・リンドホーム(『ミリオンダラー・ベイビー』『アンダー・ザ・シルバーレイク』)を相方にして「ガーファンクル&オーツ」(https://www.garfunkelandoates.com/)というコミックソングコンビでも活動している。コンビ名は有名デュオの“じゃない方”2人を足したもの。 〇サムの小ネタ、ジョン・ゴッティとは?トリルの店でクイック(ペンキ塗装の仕事仲間のヒゲの男、ただし劇中で名前を呼ばれるシーンはない)から素性を訪ねられ、サムは「マフィアを密告して証人保護下にある」と答えている。原語では「マフィア」とは言っておらず、「ゴッティを密告して」と説明している。ゴッティとは、2002年に獄中で亡くなったイタリアンマフィア、ジョン・ゴッティのこと。ジョン・ゴッティは1990年に逮捕され、手下の密告によって終身刑を言い渡された。ゴッティを密告したサミー・グラヴァーノは、実際に1994年から1995年までFBIの証人保護プログラムに入っていた。 M08:SHOULDER TO THE WHEELWritten and Performed by Travis Linville (as Nick Harvard)Produced by Brad Heinrichsトリル・タヴァーンのオープンマイクで、ニック・ハーヴァードと紹介される青年がバンジョーとハーモニカで弾き語る。カントリーブルース調の名曲だが、Aメロの最初の一節しか流れないのが残念。演奏と歌はオクラホマ州タルサのミュージシャン、トラヴィス・リンヴィル(http://www.travislinvillemusic.com/)。本人が映画に出演した経緯を語っているライブ映像があるのでリンクを貼っておきます(https://youtu.be/kwvta3LL-lg)。劇中ではメガネをかけたオタクっぽい風貌だったが、実際はそこそこイケメン。 M09:SOME THING CAN’T BE THROWN AWAYWritten and produced by Eef Barzleyサムが、元妻エミリー(フェリシティ・ハフマン)が置いて行ったジョシュの遺品を前にして、逡巡するシーンで流れるBGM。曲のタイトルがいちいちシーンの説明になっていてわかりやすいのはサントラならでは。スコアを手がけたイーフ・バーズレイについて、メイシーは「天才だよ、彼が曲を付けてくれたことで映画の完成形が見えたんだ」と絶賛しているが、曲のアイデアをウクレレと鼻歌だけで送ってくるので、どんな曲に仕上がるのかが想像できずに戸惑ったとも語っている。「でもイーフは「大丈夫、レコーディングしたらオーケストラみたいに聴こえるからさ」って言うんだよ(笑)」。(※あと凡ミスを指摘すると、このシーンでサムがジョシュに贈るはずだった誕生日プレゼントの箱を捨てようとするのだが、後に中身がマーシャルのギターアンプだと判明するので、あんなに軽々と持ち上げるのは不可能だと思う) M10:STAY WITH YOU Josh versionWritten by Simon Steadman & Charlton PettusPerformed by Ben LimpicProduced by SolidStateCourtesy of Nakatomi Plaza Publishing/Margerine Musicサムが最初に聴いたジョシュのデモ音源。後にバンド“ラダレス”のレパートリーになる。アッパーでキャッチーな名曲なのだが、サムはわりと簡単に見切ったのか、曲が終わる前に再生をやめてしまっている。ここで流れるのはサントラ未収録のベン・リンピックが歌うバージョン。コーラスパートはリンピックによるオーバーダビングだろうか。 M11:HOME Josh versionWritten by Simon Steadman & Charlton PettusPerformed by Ben LimpicProduced by SolidStateCourtesy of Nakatomi Plaza Publishing/Margerine Musicサムが最初に歌うことになるジョシュのデモ音源。生ギターと打ち込みドラムの宅録仕上げ。「家に帰りたいけれど帰れない」と孤独や郷愁を歌った内容で、サムが「STAY WITH YOU」より強く反応したのは、こちらの方がジョシュの心の内を覗く手がかりになると直感したからかも知れない。前述したように、映画のために書き下ろされたオリジナルではなく、もともとソリッドステートの2人がストックしていた曲だが、歌詞も含めて本作で非常に重要な役割を果たしている。ベン・リンピックが歌っている本バージョンはサントラCDには未収録。 M12:I DON'T GIVE A DAMNWritten and Performed by Matthew Stratton (as Bryan)Produced by Brad Heinrichsサムが初めてオープンマイクに出演するシーンで、会社員と思しきスーツ姿の常連客ブライアンが歌っていたカントリー風の失恋ソング。ブライアンを演じたのは、撮影が行われたオクラホマ在住のミュージシャン、マシュー・ストラットン(http://matthewstratton.com/)で、作詞作曲も彼自身が手がけている。 M13:GOT A LOT OF NERVEWritten by Chelsey CopePerformed by Chelsey Cope and Tara Dillard (as Tolly and Tina)Produced by Brad Heinrichsオープンマイクのシーンで「トリーとティナ」という女性デュオが歌っていた曲。トリーを演じたミュージシャン、チェルシー・コープ(https://www.facebook.com/ChelseyCopeMusic/)のオリジナル(https://youtu.be/Im9RWPN3MJ4)。デュエットしているタラ・ディラード(https://www.facebook.com/Tara.Dillard.Music/)もオクラホマシティ在住のミュージシャンで、地元のライブハウスで共演している音楽仲間。サムの最初の演奏に反応したのはクエンティン(アントン・イェルチン)1人だけだったように勘違いしがちだが、トリーもサムの歌を耳にして好意的な視線をステージに向けている。ちなみにトリーはエイケンの彼女的な立ち位置で、後のシーンに再登場。 M14 :HOMEWritten by Simon Steadman & Charlton PettusPerformed by Billy CrudupProduced by SolidStateCourtesy of Nakatomi Plaza Publishing/Margerine Musicサムがオープンマイクに出場し、人前で初めて披露するジョシュの曲。この時は、湖の神経質な管理人アレアドを皮肉って“アラード・ディック”という名義でエントリーしている。サム役のビリー・クラダップは『あの頃ペニー・レインと』(2000年・米)でロックバンドのギタリスト役を演じた際、ロックギタリストであるピーター・フランプトンのコーチを受けてエレキギターを猛特訓した。『あの頃ペニー・レインと』のキャメロン・クロウ監督は、「撮影後もビリーから電話がかかってきて「こんなフレーズが弾けるようになったんだ!」と電話越しに聴かされたよ(笑)」と同作のDVDコメンタリーで回想していた。サントラCDに収録されている「HOME」は、M11に近いバックトラックにクラダップのボーカルを乗せた別バージョン。 ◇ジョシュのギターの話サムが弾いているアコースティックギターはジョシュの遺品であるエピフォン製のアコギ、DR-100(色はビンテージサンバースト)。ボディには王冠のマークが付いているが、カッティングシートを使った手製のもの。自分のギターに王様の印を貼りつけていたジョシュの意図は劇中では語られることがないが、ジョシュという若者の一面を覗く手がかりのひとつかも知れない。ちなみに映画後半に楽器屋のデルがサムに「あの古いエピフォンはどうした?(Thought you played that old Epiphone.)」と訊ねているのはこのDR-100のこと。(字幕では「エレキギターは(やめたのか)?」となっているが意訳でありエレキの話はしていない) M15:REAL FRIENDS Josh versionWritten by Simon Steadman & Charlton PettusPerformed by Ben limpicProduced by SolidStateCourtesy of Nakatomi Plaza Publishing/Margerine Musicクエンティンに「ほかの曲もあるでしょう?」と問われたサムが、ジョシュのデモ音源を漁るように聴き込むきっかけになる曲。ジョシュの歌声を担当したベン・リンピックのフォーキーな歌唱に味わいがあるのだが、残念ながらこのバージョンもサントラCD未収録。明るい曲調ながらもブラックな諧謔に満ちた歌詞で、ユーモアと不穏さが共存しているのがいい。 M16:HOME sessionWritten by Simon Steadman & Charlton PettusPerformed by Billy Crudup and Anton YelchinProduced by SolidStateCourtesy of Nakatomi Plaza Publishing/Margerine Musicサムが歌った「Home」に魅せられたクエンティンが、サムのヨットに押しかけて初めてセッションをするシーンでのバージョン。「派手じゃなくシンプルにコーラスを入れるべき」と主張するクエンティンがさらりと重ねてみせるハーモニーはサムならずともグッとくる。まさにサムが「誰かと演奏する喜び」に目覚めた瞬間なのだろう。このシーン一度きりしか聴けないのがもったいない。 M17:BE BY YOUWritten by Minna Biggs & Drava MillvojevicPerformed by Honkey Tonk StepChildProduced by Brad Heinrichsサムとクエンティンが一緒に組んでオープンマイクに出場した夜に、先に演奏していた夫婦風デュオの曲。演奏はウッドベースとバイオリン。コンビを組んでいるのはオクラホマシティのカントリーデュオ、ホンキー・トンク・ステップチャイルド。“ケイシー&ミナ”(Casey & Minna)という別名義でも活動中。 M18:REAL FRIENDSWritten by Simon Steadman & Charlton PettusPerformed by Billy Crudup, Anton and Ryan DeanProduced by SolidStateCourtesy of Nakatomi Plaza Publishing/Margerine Musicサムとクエンティンが初めて一緒にステージに立ったシーンの楽曲。クエンティンの仕込みでドラムのエイケンも途中から参加。メインボーカルはサム(クラダップ)で、コーラスはクエンティン(イェルチン)。エイケン役のライアン・ディーンはイェルチンのバンド「The Hammerheads」にも参加していた本職のミュージシャンで、9歳でアメリカ国内のヨーヨーチャンピオンになったというヘンな経歴の持ち主。サントラCDに収録されているバージョンは、イェルチンが弾くエレキギターが大きく異なっており、よりスタジオ録音風に仕上がっている。 ◇ラダレス(Rudderless)の楽曲について劇中で結成されるバンド“ラダレス”の演奏は、基本的にはメンバーを演じた出演者4人が実際に楽器を演奏し、歌っている。プロデュースは楽曲のほとんどを作詞作曲したサイモン・ステッドマンとチャールトン・ペッタスのコンビ「ソリッドステート」。当初メイシーは役者たちに実際にライブ演奏させながら撮影しようと考えていたが、ステッドマンとペッタスが強硬に反対した。「前にも経験があるが、絶対に先にレコーディングしてあて振りをするべき、例えローリング・ストーンズをキャスティングできたとしてもライブ撮影はやめた方がいい」とメイシーを説得したという。演奏の間違いやアドリブ風の部分も事前にスタジオで録音されており、スカイウォーカーサウンドの敏腕音響スタッフがライブの演奏に聞こえるように、ギターのスクラッチノイズなどを足しながら最終ミックスを行った。 M19:DEVIL EYESWritten and Performed by Gary Michael Schultz and Brad HeinrichsProduced by Brad Heinrichs劇中で姿が映らないが、サムとクエンティンが「Real Friends」を披露した後にステージに立ったミュージシャンが演奏しているブルース曲。クレジットによるとパフォーマンスしているのは本作の共同プロデューサーで映画監督でもあるゲイリー・マイケル・シュルツと、本作の脚本家コンビが監督したインディーズ映画『ランニング・マン』(原題The Jogger/2013・米、日本未公開)で音楽を担当していたブラッド・ハインリクス。ハインリクスはトリルの店に出演したミュージシャン全般のプロデュースも担当している。 M20:OVER YOUR SHOULDERWritten by Finian Greenall (FINK)Performed by RudderlessProduced by SolidStateCourtesy of Tenyor Music (BMI)「天使と悪魔に挟まれている」と歌う出だしから如実に表れているように、作曲者であるジョシュの引き裂かれた内面を象徴している曲。ラダレスが演奏する曲では例外的にソリッドステートの2人ではなくイギリスのシンガーソングライターFINKのペンによるもの。メインボーカルはクエンティン(イェルチン)で、サムはアコギではなくエレキギター(クエンティン所有のメーカー不明のレスポール)を弾いている。映画では、この曲からベーシストのウィリー(ベン・クウェラー https://benkweller.com/)が参加し、メロディアスなベースとコーラスで大活躍する。本職がシンガーソングライター/ギタリストであるクウェラーは、脚本を書いたケイシー・トゥウェンターとジェフ・ロビンソンのコンビから早い段階でアプローチを受け、メイシーが企画に関わる前から本作への参加を快諾していた。一時はキース・キャラダインがサム役で主演、クウェラーがクエンティンを演じる案もあったという。劇中ではジョシュが歌うバージョンが出てこないので、ベン・リンピックの声で録音されたバージョンは存在しない可能性が高い。 M21:STAY WITH YOUWritten by Simon Steadman & Charlton PettusPerformed by RudderlessProduced by SolidStateCourtesy of Nakatomi Plaza Publishing/Margerine Musicラダレスの曲では唯一、サムもクエンティンもアコギで演奏する楽曲。メインボーカルがクエンティン(イェルチン)、コーラスのメインはウィリー(クウェラー)だが、2回目のAメロのみ2人の役割が入れ替わっているように聴こえる。 M22:GIRLS THOUGHTSWritten by Fancois RousseauPerformed by CircCourtesy of Extreme Musicバンド名“ラダレス”の名義で初ライブを成功させた後に、トリルの店でかかっているクラブミュージック。劇中では目立たない曲だが、奥手すぎて女の子に声をかけられないクエンティンの戸惑いが曲名とシンクロしているのが可笑しい。 M23:HOLD ON Josh and Kate versionWritten by Simon Steadman & Charlton PettusPerformed by Ben Limpic and Selena GomezProduced by SolidStateCourtesy of Nakatomi Plaza Publishing/Margerine Music仕事中のサムがウォークマンで聴いているジョシュのデモ音源。ジョシュと恋人だったケイト(セレーナ・ゴメス https://www.selenagomez.com/)のデュエットで、ベン・リンピックとセレーナ・ゴメスが歌っている。ただしサントラCDに収録されているのは、リンピックではなくウィリー役のベン・クゥエラーがジョシュのパートを受け持った別バージョン。ドラムとしてエイケン役のライアン・ディーンが、キーボードとコーラスでウィリアム・H・メイシーが参加し、メイシーが監督・出演したミュージックビデオ(https://youtu.be/labx-Bn5GWA)も制作された。またネット上には微妙に歌詞が異なる初期バージョンと思しき音源も出回っていて、歌う前にセレーナ・ゴメスとベン・クウェラーのふざけたやり取りが聴けるのが微笑ましい。 M24:(曲名不明)デル(ローレンス・フィッシュバーン)が経営する楽器屋で、デルとサムが会話しているバックに1人でギターを試し引きしている客がいる。IMDBでキャストのリストを見る限り、ザッカリー・ターナーという俳優ではないかと推察されるが、実際に撮影現場で演奏していたのか後にオーバーダビングされた音なのかは不明。 M25:BEAUTIFUL MESS (インストゥルメンタル)Written by Simon Steadman & Charlton PettusPerformed by QuentinProduced by SolidStateCourtesy of Nakatomi Plaza Publishing/Margerine Musicクエンティンが自宅で宅録しているデモ曲。クエンティンはバイオリンを演奏しているが、演じるアントン・イェルチンはバイオリンが弾けないので、音源に合わせてフリをしている。しかしクエンティンは一時はホームレス同然の生活を送っていたりバイオリンの素養があったりと、生い立ちに謎が多い。 M26 :LA POMME DE LAMO(推測)Written by Jim BlakeCourtesy of Extreme Music音楽クレジットから推察するに、サムとクエンティンがショッピングモールにやってきたシーンでモール側が流しているBGMと思われる。インディーズレーベルのコンピレーションCDに収録されていた曲らしいが、入手が難しく確認はできなかった。映画のクレジットでは「LA POMME DE LAMO」と表記されているが、誤記であり、「LA POMME DE L’AMORE(愛の林檎)」が正式タイトルだと思われる。ちなみにショッピングモールのシーンが撮影されたのはオクラホマシティ郊外にあるQuail Springs Mall(住所:2501 W Memorial Road, Oklahoma City)。 M27 :SUNRISE(推測)Written by Peter AxelradPerformed by DJ AXELCourtesy of Holden Records Inc.おそらくショッピングモールのアパレルショップでかかっているクラブ風BGMと推測されるのだが、DJ AXELの「SUNRISE」をネット上で聴いてみたところ、どうも同じ曲のようには聞こえない。別バージョンなのか、それともミックスのせいで違って聞こえるのか、そもそも別の曲ではないのか、情報が少なくてよくわからない。 M28:WHEELS ON THE BUSTraditionalPerformed by RudderlessArrangement by Charlton Pettus & Simon SteadmanProduced by SolidStateサムによる「クエンティンに彼女を作ってやろう」作戦のために、美人の客のリクエストに応えて演奏した童謡のカバー。まんまとクエンティンの彼女になるリジーを演じたゾーイ・グラハムはリチャード・リンクレーター監督作『6才のぼくが、大人になるまで』でもヒロインを演じていた。メインボーカルはサム(クラダップ)、部分的にウィリー(クウェラー)。サントラCDで聴くと、店主トリル(メイシー)の掛け声「Drain your glass!!(グラスを飲み干せ!)」が入っていない。サム、クエンティンともにエレキギターを演奏している。 M29 :(曲名不明)Written and produced by Eef Barzleyケイトから改めてジョシュの事件の真相を突き付けられたサムの苦悩を反映したような曲で、ライブ後の打ち上げ的なホームパーティのシーンで流れるBGM。序盤の葬式のシーンのBGMの別バージョンであり、編成はピアノ、エレキギター、アコギ、チェロ、ドラム。前述の通り、イーフ・バーズレイが本作のために手がけたスコアの中で、唯一暗い印象を持った曲だ。しかしこのパーティではクエンティンもエイケンもガールフレンドを膝の上に載せているのだが、アメリカではカップルの標準的なポジションなのだろうか。サントラCDには未収録。 M30 :(曲名不明)Written and produced by Eef Barzleyジョシュの誕生日に墓参に来たサムと元妻のエミリーが墓を掃除するときのBGM。短いギター(もしくはウクレレ)の曲で、サントラCDには未収録。 M31:ELLA ARRESTOWritten by Daniel Guzman Loyzaga & Osnel Odit BavastroArranged by Loyzaga & BavastroCourtesy of Extreme Musicサムがペンキ塗りの仕事を辞めるシーンで、ラテン系の仕事仲間カルロスが聴いていたサルサ。クレジット上ではパフォーマーの記載がなく、詳細不明。 M32:A DAY ON THE WATERWritten and produced by Eef BarzleyM06とほぼ同じ曲で、コーラス等が追加されている。ラダレスのバンドメンバーとガールフレンドたちがヨットクルーズに出るシーンのBGM。 M33:(曲名不明)Performed by Chelsey Copeヨットのシーンでトリー役のチェルシー・コープがギターで爪弾いている曲。曲というよりもその場でのアドリブか。 M34:DON'T YOU WORRYWritten by Ben KwellerPerformed by Willie and Friends演者の名義は「ウィリー&フレンズ」となっているが、ヨットの上でウィリーとトリーが2人でハモっている小曲。作曲はウィリー役のベン・クウェラーで、クウェラーはウクレレを弾いている。(※ちなみにトリーは最初エイケン(ドラム)のガールフレンドとして登場するのに、ホームパーティのシーン辺りからウィリーに鞍替えしており、エイケンにはまた別の恋人(リジーの職場仲間のエイプリル)ができている。表立っては語られないが、水面下ではいかにもバンドマンらしい恋愛劇がちゃっかりと繰り広げられていたようである) M35:SOFTLY (LIKE SWINE)(推測)Written by Holter & StandalCourtesy of Extreme Musicサムがデルから「なぜフェスに出たくないのか?」と質問される時に楽器店で流れているBGM。小さい音量なのでよくわからないが、フリージャズ風味。これもクレジットからの推測であり、曲の正体がつかめていないので間違っていたらごめんなさい。 M36:BEAUTIFUL MESSWritten by Simon Steadman & Charlton PettusPerformed by RudderlessProduced by SolidStateCourtesy of Nakatomi Plaza Publish ing/Margerine Music劇中で唯一、ジョシュではなくクエンティンが作曲した楽曲。ジョシュの曲がどれもアコギで作ったように聞こえるのと対照的に、エレキギターのリフが曲の軸になっている。歌詞の多幸感や弾けるようなノリのよさも他のラダレスの曲とは一線を画しており、ソリッドステートの2人の職人技が効いている。クエンティンとサムはどちらもエレキギターを弾いている。 M37 :UN RATICOWritten by Fonesca & NinoCourtesy of Extreme Musicフェス会場のBGMとして流れているラテン曲。同じくサルサ調の「ELLA ARRESTO」などと権利を持っているレーベルが同じなので、まとめて安く使えた音源なのかも知れない。『君が生きた証』のような低予算映画だと、有名曲は使用料がバカにならない。 M38: THE GIG IS OFFWritten and produced by Eef Barzleyケイト=アンの告発でフェス出演を取りやめるシーンで流れるBGM。イーフ・バーズレイが演奏していると思しきレイドバックしたウクレレにペダルスティールが絡む。サントラCG収録のバージョンは、なぜか唐突に終わる。 M39:THE WASHINGTON POSTWritten by John Philip SousaPerformed by Boulevard Brass Quintetヨットレースでブラスバンドが演奏している行進曲。誰もがどこかで耳にしたことがある有名曲その1。 M40: STARS AND STRIPES FOREVERWritten by John Philip SousaPerformed by Boulevard Brass Quintetヨットレースでブラスバンドが演奏している行進曲。誰もがどこかで耳にしたことがある有名曲その2。 M41:1812年序曲(1812 OVERTURE)Written by TchaikovskyPerformed by Charlton Pettusチャイコフスキーが1880年に作曲したオーケストラ用の序曲。1812という年号はナポレオンのロシア遠征の年を示しているらしい。サムがヨットの舳先にギターアンプを固定して、ヨットレースをぶち壊すべく掻き鳴らすエレキギターの演奏はこの序曲のアレンジ。実際に弾いているのはビリー・クラダップではなく、劇中曲の作詞作曲とプロデュースを担当したソリッドステートの1人、チャールトン・ペッタス。 M42:(曲名不明)サムが銃乱射事件の現場を訪れ、慰霊碑の前で崩れ落ちるシーンのBGM。アコギ、コーラス、スライドギターなどを重ねながら「Sing Along」のコード進行を繰り返しており、ジョシュのことを想うサムの心情と繋がっている。クラダップのエモーショナルな演技も素晴らしいが、感傷をセンチメンタルに煽り立てるのではなく、優しく包み込むような曲をのせたイーフ・バーズレイ&メイシーにも拍手。 M43:ALREADY THEREWritten and Performed by George ByrneCourtesy of Extreme Musicクエンティンがバイトをしているドーナツ店「Buck's Space Age Donuts」で流れているBGM。オーストラリア出身、LA在住のミュージシャン、ジョージ・バーンの曲。内省的なシンガーソングライター然とした曲調はクエンティンの趣味なのかも知れない。これも権利元がExtreme Music。また、劇中では「Buck's Space Age Donuts」のスタッフTシャツを着る女性ファンたちが登場する。ぜひ販売して欲しいアイテム。 M44:SING ALONGWritten by Simon Steadman & Charlton PettusPerformed by Billy CrudupProduced by SolidStateCourtesy of Nakatomi Plaza Publishing/Margerine Music映画のラストシーンを飾る、最重要曲。ジョシュの未完成曲(M02)に、サムがサビのメロディと追加の歌詞をつけて完成させたもの。基本的にはサムの弾き語りだが、後半からはエレキギター、ベース、ドラム、キーボード、ストリングが加わる。曲と物語があまりにも密接に繋がっているので、ここで多くを語ることはしないが、歌声と表情の説得力だけでクライマックスを成立させてしまったクラダップの演技+演奏が本当に素晴らしい。サムが弾くギターは、デルの店で購入した中古のアコギに代わっている。※ネタバレ注意このシーンで、客が泣いている姿をインサートした演出を、お涙頂戴の誘導だと批判する意見がある。しかし、実は客席で涙ぐんでいるのは、サムの仕事仲間だったクイック(Joey Bicicchi)と店員の女性(Cacky Poarch)だけであり、どちらもサムのことをずっと見ていた人物であることは指摘しておきたい。一方で店長のトリル(メイシー)が終始厳しい表情を崩さない描写も、この複雑なテーマを扱った作品が安易な結論に走っていない証拠だろう。客席でクイックと座っている黒髪の女性は、ラダレスのファンだという妹かも知れないし、テーブルの上で手を繋いでいるのでガールフレンドの可能性もある) M45:ALWAYS GOLDWritten by Benjamin CooperPerformed by Radical FacePublished by Penny Farthing Music obo Roy Berry Works At Planet RadioCourtesy of Bear Machine LLCアメリカのシンガーソングライター、ベン・クーパーがソロユニット「ラジカル・フェイス」(http://www.radicalface.com/)名義で発表した楽曲。大切な誰かとの絆と別れを歌った詞もエンドクレジットの余韻にピタリとハマり、作品のエンディングテーマ的な役割を果たしている。 M46:OVER YOUR SHOULDERエンドクレジットの2曲目はラダレスの曲のリプライズ。「僕を見張って、見守っていて」という詞が、2度目にはまた違った感慨を持って響いてくる。 M47:SAM SPIRALSエンドクレジットの最後の曲は、イーフ・バーズレイのスコアからM04を再び。微妙にアレンジが違う別バージョンの可能性あり。この曲だけでなく、『君が生きた証』の曲は、映画とサントラCDでアレンジやミックスが違っていたり、劇中ではジョシュ(ベン・リンピック)が歌っているデモバージョンがほぼ収録されていなかったりするので、いつか「完全版サントラCD」が発売されて欲しい。 以下、余談。 ◇映画のロケ地・本作のロケは、脚本を執筆したケイシー・トゥウェンターとジェフ・ロビソンのホームタウンであるオクラホマ州オクラホマシティと、その北部にあるガスリーという街で行われた。サムがヨット暮らしをしているヘフナー湖も、オクラホマシティの北西に実際にある湖で、撮影に使われたヨットハーバーも実在する。・劇中でオーナー役をウィリアム・H・メイシーが演じていたライブバー「トリル・タヴァーン」はガスリーという町のダウンタウンの空き物件に作られた撮影用のセット(住所は202 W Harrison Ave, Guthrie, OK 73044)。・しかし本作の公開後に、ガスリーで“Trill Tavern”という名前のライブスペースとしてオープン。ネットで写真を検索すると天井やレンガの壁や映画と同じに見えるので、残されていたロケ用のセットを再利用した可能性が高い。ただ、2016年以降、営業している情報がなく、Twitterアカウントも怪しげなサングラスのセールス会社に乗っ取られてしまった模様。・ローレンス・フィッシュバーン演じるデルの楽器店も、トリルの店のロケ地から歩いてすぐの場所にある(住所は100-198 N 2nd St, Guthrie, OK 73044)。ただし楽器店なのは映画だけの話で、実際には中古車ディーラー。デルがキャンピングカーの運転に四苦八苦した路地も、ロケ地の建物の真裏にある。・サムが働いていた広告代理店は、オクラホマシティにあるFunnel Design Groupという事務所の外観を使っている。所在地はオクラホマシティ(17 NW 6th St、Oklahoma City, OK 73102) ◇ジョシュとクエンティンが貼っていたポスタージョシュの実家の部屋と、クエンティンの家のガレージに貼ってあったポスターは、ニューヨーク州シラキュースで毎年行われているイベント「The Great New York State Fair」の一環で、2006年9月1日にウィーン、フレイミング・リップス、ソニックユース、ザ・マジック・ナンバーズが出演したライブイベントの宣伝ポスター。(ちなみに2011年のNew York State Fairにはケイト役のセレーナ・ゴメスが出演している)。目を止めたサムに、クエンティンが「リップス好き?」と訊くシーンがあるが、リップスとはフレイミング・リップスのこと。リップスと名乗るバンドはベルリンやブルックリン、東京にも存在しているようだが本件との関連はない。 ◇ラダレスのメンバーが弾く楽器の話・本作に登場するギターはギブソン系が多く、クエンティンに至っては完全にギブソン派だと言っていい。クエンティンが憧れる緑のエレキギターは、劇中のセリフによると「1978年製のレスポール、ローズウッドのソリッドボディ、ピックアップはゴールドプレートのハムバッカーで、指板に埋まっているインレイはパール製」とのこと。・クエンティン所有のサンバーストのアコースティックギターもギブソン製。ロゴが現在とは違う古いもので、ヘッドに「ONLY A GIBSON IS GOOD ENOUGH」と書かれたバナーが入っている。このタイプは第二次大戦中に男性が戦地に行って人手不足となり、代わりにミシガン州カラマズーにあったギブソンのギター工場で働いた女性たちによって作られたモデル。1942~1945年の限られた期間にしか生産されていない珍しいものなので、もしかするとクエンティンが憧れる緑のレスポールよりもはるかに高価なのではないか(ただし1995年に発売された復刻版の可能性もある)。戦時中にミシガン州カラマズーにあったギブソン工場で働いた女性たちの実話については「Kalamazoo Gals」という書籍が2013年に出版されている(http://kalamazoogals.com/)。・ラダレスのベース、ウィリー(ベン・クウェラー)が使っているのもギブソン社製のSGベース。本来ベーシストではないからか、指引きではなくピック弾き。・クエンティンが「Real Friends」などで弾いている白いエレキギターはエピフォン製。「Real Friends」のシーンで判別できたエフェクター類は、ERNIEBALLのボリュームペダル「VP JUNIOR 250K」、IBANEZの「STEREO CHORUS CS9」、BOSSの「Digital Delay DD-3」。下段の3つはよくわからないのだが、スチール製のエフェクターボードはペダルトレイン社の「PEDALTRAIN-2」。・リハーサルやラダレスのステージでサムが使っているエレキギターは黒のレスポールタイプだが、ロゴが判読できずメーカーがわからない。これはクエンティンのガレージに置いてあったクエンティンの私物であり、サムはエレキが必要な時だけ借りて使っている模様。ヘッドのロゴはハートマークをあしらったちょっと気恥ずかしいデザイン。・サムがヨットレースをぶち壊すシーンで弾いているのはグレッチの廉価版シリーズ、エレクトロマチックのPro Jet with Bigsby。劇中でのこのギターの由来は不明。もともとサムが持っていて、ヨットの中にずっと置いていたのだろうか。キャンピングカーを動かす賭けに勝ったことでデルからせしめたのかも知れない。・エピフォンのギターを失ったサムがラストシーンで弾いているアコースティックギターはデルの店で入手した中古。「X」に似たロゴマーク。このギターも含めて、どうもサムは黒いギターが好きなようである。 ◇「Rudderless」という曲のことエヴァン・ダンド率いるオルタナロックバンド、レモンヘッズが1992年に「Rudderless」という曲をリリースしている。劇中で言及されることはないが、レモンヘッズはアメリカのインディロックシーンでは重要な存在で、クエンティンが聴いていないはずがない。またジャンルや歌詞が映画の世界観と通じるものがあるので、映画のタイトルに影響は与えている可能性は高い。ちなみにエヴァン・ダンドとウィリー役のベン・クウェラーは一緒にツアーを回るなど以前から交流がある。■
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COLUMN/コラム2019.05.26
巨匠コッポラの“救い”から“地獄”への道程 『ワン・フロム・ザ・ハート』
1939年生まれのフランシス・フォード・コッポラは、UCLAに学んだ後、60年代に“B級映画の帝王”ロジャー・コーマンの下で、低予算映画の監督としてキャリアをスタートさせた。その頃のコッポラは、時に才能の片鱗は見せながらも、ヒット作もなく、数多いる若手監督、若手脚本家の1人に過ぎなかった。 そして70年代、三十路を迎えた頃から、「コッポラの時代」が始まった。フランクリン・J・シャフナー監督、ジョージ・C・スコット主演の『パットン大戦車軍団』(70)の脚本で、初めてアカデミー賞を受賞。それと前後して、イタリア系マフィアのファミリーを描く、『ゴッドファーザー』(72)の監督に抜擢された。 『ゴッドファーザー』は、コッポラの提案で起用に至った、主演のマーロン・ブランドの名演などもあって大評判となり、当時の興行記録を塗り替える興行成績を残した。アカデミー賞では、作品賞、主演男優賞、脚色賞を受賞。原作者と共同で脚本も担当したコッポラは、早くも2個目のオスカーを手にした。 盟友のジョージ・ルーカスが監督する。『アメリカン・グラフィティ』(73)でプロデューサーを務め、“大ヒット”の成果を得た後、コッポラは74年に、『カンバセーション…盗聴…』『ゴッドファーザー PARTⅡ』という2本の作品の製作・監督・脚本を手掛けた。前者では、「カンヌ映画祭」の当時の最高賞である“グランプリ”を獲得。後者は1作目の興収には及ばなかったものの、批評的にはより高い評価を得て、アカデミー賞では6部門を受賞。コッポラの元には、作品賞、監督賞、脚色賞と、3個のオスカーが渡った。 正に向かうところ敵なしの勢いだったコッポラが、次なる作品として取り組んだのが、あの『地獄の黙示録』(79)である。原案は、ジョン・コンラッドの小説「闇の奥」(1902)だが、舞台をベトナム戦争に移して、アメリカの侵略を批判的に描くという、当時としては野心的な試みであった。 しかしロケ地のフィリピンで、ハリケーンによりセットが打ち壊されたのをはじめ、様々なトラブルに襲われたことによって、スケジュールが大幅に遅延。76年3月にクランクインして、当初17週を予定していた撮影期間が、何とほぼ1年間オーバー。67週も掛かってしまった。 編集も、コッポラの完璧主義などにより、2年余りの歳月が掛けられた。そのため、同じベトナム戦争を題材にした、マイケル・チミノ監督の『ディア・ハンター』(78)が、製作が始まったのは『地獄の…』の後だったにも拘らず、先に完成してしまった。 公開された『ディア…』は、絶賛を集め、79年4月に開催されたアカデミー賞で、作品賞をはじめ5部門を受賞した。そしてその際には、監督賞のプレゼンターとして、未だ完成していなかった、『地獄の…』の監督であるコッポラが登場。チミノ監督にオスカーを贈呈するという、皮肉な巡り合わせとなった。 映画の完成が遅れれば遅れるほど、嵩むのが、製作費である。当初の予算は1,200万ドル、当時の日本円にして約35億円だったが、最終的には3,100万ドル=約90億円まで膨らむこととなった。 コッポラは『地獄の…』のあまりにも難産ぶりに、“大失敗”そして“財政破綻”を覚悟するようになった。そして、次のような考えかたをするようになっていった。 「…甚大な大失敗の次に作る作品は、急いで手早くまとめよう。手堅く、成功が保証された、エンターテインメント色が強く、一般の人々の興味を引くものにしよう…」と。 具体的に思い浮かんだのが、ミュージカル・ロマンス。これが本作『ワン・フロム・ザ・ハート』のプロジェクトへと繋がっていく。 そしてコッポラは、いつしかそのプロジェクトが、やがて振りかかってくる筈の『地獄の…』の負債という、避けられぬ災厄から自分を救ってくれるに違いないという思い込みに捉われるようになる。後にコッポラはその時のことを、次のように述懐している。 「間違いなく私は狂っていたのである」 ここで、諸々の結果から先に記そう。『地獄の…』は、79年の「カンヌ映画祭」に未完成のまま出品され、コッポラに2度目の最高賞=パルム・ドールをもたらした。そしてその年の8月に公開されると、大方の予想を裏切って、最終的には莫大な製作費の回収に至ったのである。 コッポラに真の“地獄”をもたらしたのは、彼が“救い”になると考えた、『ワン・フロム・ザ・ハート』の方であった。 80年3月にクランクインし、81年の暮れに完成。82年2月にアメリカ公開に至った『ワン・フロム・ザ・ハート』の舞台は、現代のラスベガス。7月4日の独立記念日を翌日に控え、街は観光客でごった返している。 物語の主人公は、旅行会社に勤めるフラニー(演;テリー・ガー)と、郊外の小さな自動車解体工場を友人と共同で経営するハンク(演;フレデリック・フォレスト)の、もう若くはないカップル。同棲生活が5年目を迎えた2人は、倦怠期へと突入。お互いの想いがすれ違ったことから、大喧嘩となった。 そんなタイミングで、フラニーは伊達男のレイ(演;ラウル・ジュリア)と、ハンクは美しい踊り子のライラ(演;ナスターシャ・キンスキー)と出会う。そして共に、熱い一夜を過ごし、己のパートナーを裏切ってしまう。 先に我に返ったのは、ハンクの方だった。何とかフラニーを捜し出すが、その時彼女は、レイと旅に出ようとしていた。 果して2人の仲は、元の鞘に収まるのか…。 男心はトム・ウェイツ、女心はクリスタル・ゲイルという2人のシンガーのヴォーカルによって説明されながら、こうしたシンプルなストーリーが展開する。登場人物が歌って踊るのが一般的なミュージカルだとすれば、本作は“かげ歌ミュージカル”とでも言うべきか。 当初予定していた通り、低予算の軽いミュージカル・ロマンスとして仕上げれば、何も問題はなかった筈である。ではなぜ本作は、コッポラに大きな災厄をもたらしてしまったのだろうか? 間違いの第一歩は、前作『地獄の…』で、ロケ撮影の様々なトラブルを経験したことから、本作を完全にスタジオ内で撮ろうと考えたことだった。そこでコッポラは、撮影開始直前の1980年初頭に、670万ドル=約19億円を投じて、ハリウッドのスタジオを買収した。 4万4,000平方メートルの敷地内に、ステージが9つ。このステージにどんなセットを組んだかは、日本公開時に劇場で販売されたプログラムから引用する。 「ドラマの舞台になるラスベガスの街は、はじめにビデオカメラで撮影され、それをもとに、コッポラをオーナーとするゾエトロープ撮影所内に作られたセットで鮮やかに復元されている。建物も道路も樹木も、そして郊外の砂漠さえ復元されているのだが、この砂漠に女体の曲線を求めるあまり、本物の女性を砂に求めて撮影したというのだから、巨人コッポラの面目躍如である」 9つのステージに、巨大なラスベガスの街を作り上げたわけだが、よくよく考えてみれば、ハリケーンが襲ってくる、フィリピンの密林とは違う。実際のラスベガスに、ロケに行けば済む話なのである…。 何はともあれ、こうしたセットを舞台に、コッポラがどのような製作方法を取ろうとしたかを、ざっと紹介しよう。 まずは“エレクトリック・ストーリーボード”と称する、シナリオのビデオ映像化を行う。具体的には、全ショットを1枚ずつ、合計で数百枚の絵コンテを作成し、舞台となるラスベガスの実景スチール写真と合わせて、ビデオで撮影・編集を行う。 ここに効果音と全セリフを入れた、ラジオドラマのようなサウンド・テープをダビング。“エレクトリック・ストーリーボード”が出来上がる。 このビデオに収められたコンテに合わせて、俳優たちはアテレコの要領でリハーサルを行い、大体の動きを決めていく。 そして本番。ラスベガスのセットの中で、俳優たちはあらかじめ決められた通りの動きをし、これをフィルムで撮影する。同時に同じ映像をビデオで収録する。 コッポラは現場には姿を見せず、トラックを改造したビデオ調整室、通称“ウォー・ルーム=戦争部屋”に居て、TVモニターと睨めっこ。本番が終わると、次々とビデオ編集を行っていく。そしてフィルムの現像が上がったら、ビデオ編集したものを基に、ネガ編集を行っていくという算段であった…。 しかし実際は、実用段階になっていない新技術をそのまま使おうとしたことから、失敗続きになってしまった。ラスベガスを再現したセットに掛かった巨費と合わせて、コッポラ監督作品の製作費は、又もや嵩んでいった。 当初1,200万ドル=約35億円の予算だったのが、2,700万ドル=約78億円にまで跳ね上がった。ある意味『地獄の…』の二の舞であったが、前作と違ったのは、『ワン・フロム・ザ・ハート』は、劇場にまったくお客を呼ぶことが出来ず、コッポラはそのまま“破産”に至ってしまったことだ。 本作の劇場用プログラムには、次のような一節が書かれている。 「ゾエトロープ・スタジオある限り、映像魔術師フランシス・コッポラの活躍は続く。 逆もまた、真なり」 しかしゾエトロープ・スタジオは、本作によって瓦解。コッポラはこの後暫し、“雇われ仕事”で莫大な借金の返済に追われることとなったのである。■