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COLUMN/コラム2019.11.30
巨匠監督による「愛こそすべて」なスペクタクル巨編 『ドクトル・ジバゴ』
舞台はロシア。19世紀の終わりに近い頃、幼くして父母を亡くしたユーリー・ジバゴ(演:オマー・シャリフ)は、モスクワに住む化学者のグロメーコの家庭に引き取られる。 成長したジバゴは、詩人として評価されると同時に、医学の道を志す。そしてグロメーコ夫妻のひとり娘で、共に育ったトーニャ(演:ジェラルディン・チャップリン)と愛し合うようになる。 一方同じモスクワに暮らし、仕立て屋の母に育てられたラーラ(演:ジュリー・クリスティー)。母の愛人のコマロフスキー(演:ロッド・スタイガー)の誘惑に屈し、やがてレイプされたことから、彼への発砲事件を起こす。 それはたまたま、ジバゴとトーニャの婚約が発表される、クリスマス・パーティの場だった…。 1914年、第1次世界大戦が勃発すると、ジバゴは軍医として出征。そこで、戦場で行方不明となった夫のパーシャ(演:トム・コートネー)を捜すため、従軍看護師となっていたラーラと再会する。惹かれ合っていく2人だが、お互いの家庭を想い、男女の関係にはならぬまま、それぞれの場所へと還っていく。 しかし大変革の嵐が吹き荒れ、内戦が続く広大なロシアの地で、ジバゴとラーラはまるで宿命のように、三度目の出会いを果たす。ラーラとトーニャ…2人の女性を愛してしまったジバゴの運命は、“ロシア革命”の激動の中で、大きく揺れ動いていくのだった…。 中学時代の1977年、地元の名画座で喜劇王チャールズ・チャップリンの名作『黄金狂時代』(1925)と併映で観たのが、本作『ドクトル・ジバゴ』(65)との出会い。…と記していて、父=チャールズの製作・監督・主演作と、娘=ジェラルディンのデビュー作という、チャップリン父娘をカップリングした2本立てだったのかと、40数年経って初めて気が付いた。当時の名画座の編成も、色々と考えていたわけである。 それはともかくとして、スクリーン上での2度目の対峙は80年代後半、大学生の時だった。後輩の女性と一緒に観たのだが、本作初見だった彼女の感想は、「いかにもアメリカ人から見た、ロシア革命」というもの。まあ監督や脚本家はイギリス人だし、プロデューサーのカルロ・ポンティはイタリア人だから正確な言ではないのだが、当時として諸々先鋭的だった彼女には、「西欧社会が、皮肉っぽくロシア革命を捉えている」と映ったのだろう。 それはまだ、社会主義国の魁であった、ソヴィエト連邦が崩壊に至る数年前のこと。“革命幻想”もまだぶすぶすと、燻ぶってはいたのだ。 本作の監督は、デヴィッド・リーン(1908~91)。かのスティーヴン・スピルバーグが最も尊敬する、“巨匠”である。その監督作品の中でもスピルバーグは、『アラビアのロレンス』(1957)と並べて、『戦場にかける橋』(62)と本作『ドクトル・ジバゴ』は、自作を撮影する前に必ず見直す作品だと語っている。 製作時は東西冷戦の最中で、もちろんソ連ではロケが出来ないため、スペインやフィンランドで大々的なロケ撮影を敢行。スペインのマドリード郊外には、1年がかりでモスクワ市街のセットを再現した。こうした広大な舞台で繰り広げられる人間ドラマは、正に『戦場にかける橋』『アラビアのロレンス』に続いて、「完全主義者の巨匠」リーンの面目躍如と言えるだろう。 しかし、現在では映画史に残る古典的な名作という位置付けの本作も、初公開時の評価は、決して高くはなかった。アメリカの「ニューズ・ウィーク」曰く、「安っぽいセットで、“生気ない映像”」。映画評論家のジュディス・クリストからは、「“壮大なるソープオペラ=昼メロ”」といった具合に酷評され、さしもの巨匠も大いに傷ついたという。 また本邦も例外ではなく、72年に「キネマ旬報社」から出版された、「世界の映画作家」シリーズでは本作に関して、「…スペクタクルの華麗さが目立っただけ、人間のドラマが充実を欠いていたといわざるを得ない。主人公の革命に立ち向う態度のあいまいさではなく、主人公の知識人としてのなやみの追及に対する不徹底が問題であった(登川直樹氏)」「主人公に対する共感だけでは、映画はつくれるものではない。とくに、リーンは、安っぽい人間的共感や分身を排除することによって、独自の世界を厳しくつくって来た。その厳しさが、『ドクトル・ジバゴ』にはないのである(岡田晋氏)」等々、散々な打たれようである。 このような酷評が頻出した背景としては、先に指摘したような“革命幻想”の残滓が、60~70年代には濃厚であったことも考えられる。しかしそれ以上に、ソ連の詩人ボリス・パステルナーク(1890~1960)の筆による本作の原作小説が、著しく“政治的”に取り扱われた案件であったことが、至極大きかったからだと思われる。 パステルナークの「ドクトル・ジバゴ」は本国ソ連では、当初予定されていた出版が中止になりながらも、1957年11月にイタリアで翻訳版が出版され、翌58年10月には、「ノーベル文学賞」が与えられている。当初は「ノーベル賞」の受賞を喜んだというパステルナークだったが、スウェーデンでの授賞式に赴けば、ソ連には「2度と帰国出来ない」と脅され、受賞を辞退せざるを得なくなった。 ソヴィエトの独裁政党だった「共産党」は、小説「ドクトル・ジバゴ」のことを、「革命が人類の進歩と幸福に必ずしも寄与しないことを証明しようとした無謀な試みである」と非難。当時は、「ロシア革命は人類史の大きな進歩である」というソ連政府の見解に疑問符をつけることは、許しがたいこととされていたのである。 「ドクトル・ジバゴ」が、ソ連で発禁とされる一方で、イタリアをはじめ西側諸国で続々と出版されるに当たっては、ロシア語原稿の奪取などに、「CIA=アメリカ中央情報局」が大きな役割を果したという。これは2000年代も後半になってから明らかにされたことだが、俗に“「ドクトル・ジバゴ」事件”と言われる一連の経緯は、東西両陣営の政治的思惑が、バチバチと火花を散らした結果なのであった。 そんなことまでは与り知らなかったであろうパステルナークは、その後失意の内に、1960年逝去。彼の名誉回復が行われたのは、ソ連がゴルバチョフの時代になってからの87年であり、国内で「ドクトル・ジバゴ」が出版されるには、88年まで待たなければならなかった。 このように原作小説は、高度に政治的なアイコンと化していた。それを東西冷戦が続く60年代中盤に、映画化する運びとなったわけである。 そんな時勢にも拘わらず、デヴィッド・リーンは、『アラビアのロレンス』に続いて組んだ脚本担当のロバート・ボルトに、長大な原作の内容を絞り込んでいくに当たっては、“愛”を軸にするよう指示を出した。リーン自身が本作に関して、「革命は背景にすぎず、その背景で語られるのは、感動的な一個人の愛情物語である」とまで言い切っている。極言すれば、「愛こそすべて」というわけだ。結果的に、「“壮大なる昼メロ”」などとディスる評が飛び出すのも、ある意味致し方のないことだったかも知れない。 またリーンの前2作が、『戦場にかける橋』『アラビアのロレンス』だったのも、本作が批判される下地になったものと思われる。 アカデミー賞ではそれぞれ作品賞、監督賞他を大量受賞するなど、赫々たる成果を上げた両作。その共通点としては、劇中にほぼ男性しか登場しないことに加え、前者は東南アジア、後者はアラブ世界を舞台にしながら、共に主人公のイギリス人男性が、そのアイデンティティー故に、希望と絶望の間で煩悶するストーリーが繰り広げられる。イギリス人のリーンだからこそ、「描けた」とも評価された。 それに比べると本作は、「軟弱なメロドラマ」に映る上に、主人公をはじめ登場人物は、すべてロシア人。しかもそれを演じる者たちは、エジプト人のオマー・シャリフをはじめ、非ロシア人ばかりである。 件の「世界の映画作家」から引用するならば、「そこにはどこにも、イギリス人としての、リーンの目がない/イギリス人の目でロシア人を見ようとしても、俳優自体がロシア人ではないのだから、視線が、空転するばかりである(岡田晋氏)」というわけだ。 本作は初公開時から暫くは、このように多くの批判を集めていた。しかし先にも記した通り、現在では映画史に残る古典的な名作となっている。評価が逆転していったことには、どんな作用があったのか? 一つは、初公開時から世界中で大ヒットとなり、その後も一貫して、多くの観客から支持され続けたということが挙げられる。それと同時に、デヴィッド・リーン亡き今となって、この稀代の“映画作家”の歩みを再点検すれば、自明の事実が浮かび上がるからであろう。 リーンにとって初のスペクタクル巨編と言える『戦場にかける橋』以前のフィルモグラフィーで、彼が得意としたジャンルの一つが、『逢びき』(45) 『旅情』(55)といった、「大人の恋愛もの」である。中年男女の一線を越えない不倫劇である『逢びき』は、後の『恋におちて』(84)の元ネタになったことでも知られる。 『旅情』では、キャサリン・ヘップバーン演じるアメリカ人の独身中年女性が、イタリアのベネチアで、旅先の恋に身を震わす。リーンは非イギリス人のヒロインを得たこの作品を、海外ロケで撮り上げたことによって、新たなステップに入っていく。 「アフリカやアメリカの西部や、アジア各地など、映画は世界中をスクリーンの上に再現して見せてくれ、私の心を躍らせた。私が『幸福なる種族』(44)や『逢びき』のようなイギリスの狭い現実に閉じこもった作品から脱皮して、『旅情』以後、世界各地にロケして歩くようになったのは、映画青年時代からの私の映画を通しての夢の反映であるわけだ。私は冒険者になった気持で、一作ごとに知らない国を旅行して歩いているのである」 こうしてリーンは、『戦場にかける橋』『アラビアのロレンス』という、異国の地を舞台にしたスペクタクル巨編へと臨んでいく。そして大成功を収め、“巨匠”の名を得た後に挑んだのが、『ドクトル・ジバゴ』であった。 異国の地を舞台に、スペクタキュラーな画面を作り出しながら、そこで“愛”の物語を展開する。これこそ正に、リーンの真骨頂!得意技の集大成とも言うべき作品だったわけである。 付記すればリーンが描いた『ドクトル・ジバゴ』の世界は、原作者のパステルナークが描こうとしたものとも、そんなにはかけ離れていない筈である。革命に共感する部分はありながらも、積極的な加担は出来ない政治的姿勢や、妻と愛人の間で揺れ動き続け、どちらを選ぶことも出来ない主人公のモデルは、パステルナークその人だったからである。最初の妻との結婚生活は、友人の妻に恋をしたことで破綻したパステルナーク。結果的に友人から奪って得た2度目の妻と暮らしながらも、更に別の女性と恋に落ち、妻と愛人との二重生活を、その生涯を閉じるまで送ったのである。 そしてリーン自身も、83年間の生涯で6回もの結婚をした、「恋多き男」であった。1950年代中盤、自らの監督作の主演に岸恵子を抜擢した際(その作品は結局製作されなかったが)、本気で彼女に惚れてしまい、その後を追い回してやまなかったエピソードなども伝えられている。 リーンは本作の後、脚本のボルトと三度コンビを組んで、歴史的背景をバックにした「愛こそすべて」路線に、今度はオリジナル脚本でチャレンジした。それは20世紀初頭、独立運動が秘かに行なわれているアイルランドの港町を舞台に、若妻とイギリス軍将校の許されない恋を描いた、『ライアンの娘』(70)である。■ 『ドクトル・ジバゴ』© Warner Bros. Entertainment Inc.
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COLUMN/コラム2019.11.27
激レア映画『いちご白書』『カーニー』12月再放送
本サイトでもお馴染み、映画ライターなかざわひでゆきさんと、ザ・シネマ激レア発掘係だった飯森盛良による、不定期の映画対談「男たちのシネマ愛」が、ついに最終回。日本未公開/今や見られなくなっちゃった激レア映画などを発掘してきましたが、最後を飾る2本は… ・1970年の映画ながら今の香港情勢とダブりまくりの学生運動映画『いちご白書』 ・ジョディ・フォスターを奪い合う親友男子同士のブロマンス映画かと思いきや…ラストとんっでもない方向に転がっていくカーニバル映画『カーニー』 「男たちのシネマ愛」は前回からテキスト記事ではなく音声番組になりましたが、最終回もYouTubeに音声番組としてアップしてます。何かしながら“ながら聞き”で、是非お聞きください。 長すぎ!な怒涛の81分『いちご白書』トーク。この時代の映画を見る上で不可欠な背景知識“ベトナム戦争とは何だったのか!?”に言及しているため、長い!悪しからずご了承を。いちど聞いとけば、なんで当時あんなにデモや学園紛争で荒れたのかを解ってる人、になれます。 61分『カーニー』トーク。ザ・シネマでの放送が本邦初公開となっているはずです。ハタチ前のピッチピチのジョディ・フォスターが出ていて、ザ・バンドのロビー・ロバートソン渾身の自身主演・音楽・プロデュース作品、という、どう考えても絶対に見ておいた方がいい映画なのに、当時もその後も未公開…どんな作品かトークします。 それでは皆さん、いよいよ最後、さようなら皆さん、さようなら!最後にジョディ・フォスターのピッチピチの写真を見ながらお別れです。いゃ~映画って、本っ当にいいもんですね!またいつかどこかでお会いしましょう!■ © Warner Bros. Entertainment Inc.
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COLUMN/コラム2019.11.22
『セックス・アンド・ザ・シティ』の基ネタになった画期的なセックス・コメディ!
今回ご紹介する映画は『求婚専科』(65年)です。 原題は「SEX AND THE SINGLE GIRL=セックスとある独身女性」。ドラマ『セックス・アンド・ザ・シティ』のことを思い浮かべると思うんですが、実はあの原点が本作『求婚専科』なんですよ。 原作は同名の本で、著者はヘレン・ガーリー・ブラウン。後に女性誌『コスモポリタン』で32年も編集者をした女性で、彼女が独身女性が結婚前に男性とセックスする必要について書いたエッセイ集です。これが1962年に発売されるや、アメリカでは大事件になりました。当時は、結婚していない女性はセックスをしてはいけないと考えられていたからです。 「セックスとある独身女性」というタイトルはどうにも意味不明ですが、元の書名は「SEX FOR SINGLE GIRLS=独身女性のためのセックス」だったんです。ところが、それは直接的でまずい、という出版社の自主規制で「SEX AND THE SINGLE GIRL」に変えちゃったそうです。でも、『セックス・アンド・ザ・シティ』の原作も女性の体験的なエッセイ集で、この『セックス・アンド・ザ・シングル・ガール』を元にして書名がつけられたんですよ。 『求婚専科』は、大ベストセラーの映画化ということで、映画会社も非常に気合いを入れて、オールスターキャストになっています。ヒロインは『ウエスト・サイド物語』(61年)で世界的な大スターになったナタリー・ウッド。彼女が演じるのは原作者ヘレン・ガーリー・ブラウンなんですが、ライターではなく、精神分析医という設定です。つまり完全にフィクションです(笑)。 相手役はプレイボーイ俳優のトニー・カーティス。役はスキャンダル雑誌の編集長。彼のご近所さんの夫婦がヘンリー・フォンダとローレン・バコール。2人ともハリウッドの超ド一流スターですけど、フォンダの役は脚フェチの変態おじさん(笑)。大スターにひどい役をふってます。 監督はリチャード・クワイン。彼は同時期に『女房の殺し方教えます』(65年)という、これもまたセックス・コメディを作ってる人です。ただ、この当時のハリウッド映画はヘイズ・コードという自主規制があるので、セックスについては描いちゃいけない。だから、ものすごくおしゃれに作ってあります。あと、ギャグの量も多い。今観ても腹を抱えて笑えます。 でも、今観ると、女性に対しての扱いがひどい。トニー・カーティスは、自分の秘書やいろんな女性に手を付けまくっているくせに、ヒロインのナタリー・ウッドのことを「処女だ!」と騒いでスキャンダルにしたり、女性差別的なギャグが多い。当時は、男尊女卑から女性の地位向上に向っていく過渡期だったんですね。 「求婚」といっても、全然、結婚を申し込む話ではなくて、独身女性にセックスをすすめている処女の心理学者と、彼女を取材するうちに惚れてしまった雑誌記者のラブ・コメディですね。それで、クライマックスはなんとカーチェイス! 60年代ハリウッドの娯楽映画の技をお楽しみに!■ (談/町山智浩) MORE★INFO.●原作者のヘレン・ガーリー・ブラウンは、出版社の雑用係から文章力を買われてコピーライターに抜擢、40歳のときに出版した本作がベストセラーとなり、遂には世界的な女性誌「Cosmopolitan」誌の編集長にまでなった。ちなみに、彼女の夫は『JAWS /ジョーズ』(75年)を製作したプロデューサー、デヴィッド・ブラウン。●設定がニューヨーク市からカリフォルニア州ロサンゼルスに変更されているなど、映画はかなり脚色されている。●当初はレスリー・H・マーティンソン監督、ダイアン・マクベイン主演と発表された。●トニー・カーティスが女性のナイトガウンを着ているシーンは、まるで『お熱いのがお好き』(59年)で共演したジャック・レモンのパロディ。 © Warner Bros. Entertainment Inc.
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COLUMN/コラム2019.11.03
粋でニヒルでいなせな漆黒のマカロニ・ヒーロー、サバタ参上!
フランク・クレイマーことジャンフランコ・パロリーニ監督が生み出した、カルトなマカロニ・ウエスタン・シリーズ「サバタ三部作」の第一弾『西部悪人伝』(’69)。サバタと言えば、ジャンゴやリンゴ、サルタナなどと並ぶマカロニ西部劇の人気ヒーローだが、その原型は同じくパロリーニ監督が生みの親となった西部の流れ者サルタナだった。 もともとアルベルト・カルドーネ監督の『砂塵に血を吐け』(’67)に登場する悪役だったサルタナ(ジャンニ・ガルコ)を、全身黒づくめのニヒルで洒落たアンチヒーローとして主人公に据えた、サルタナ・シリーズの1作目『Se incontri Sartana prega per la tua morte(サルタナに会ったら己の死を祈れ)』(’68・日本未公開)。この作品を手掛けたパロリーニ監督は、それまでマカロニ・ウエスタンの定番だった「復讐とバイオレンス」のペシミスティックな要素を徹底的に排除し、スパイ映画ばりのアップテンポで軽妙洒脱なアクション・エンターテインメントとして仕上げ、’70年代初頭にブームとなるコメディ・ウエスタンの先陣を切ったのである。 ところが、2作目以降はアンソニー・アスコットことジュリアーノ・カルニメオが演出を担当。シリーズ降板を余儀なくされたパロリーニ監督が、ならば自分の手で新たなマカロニ・ヒーローを作ってやろうじゃないか!…と意気込んだかどうかは定かでないものの、とにかくサルタナのキャラクターをそのままパクる…いえ、継承するような形で誕生させたのが、同じように全身黒づくめのニヒルな洒落者、どこからともなく現れては欲深い悪人どもをてんてこ舞いさせ、首尾よくちゃっかりと大金を奪って去っていく正体不明のガンマン、サバタだったというわけだ。 舞台は西部の町ドハティ。まるで旋風のようにふらりと現れた謎のガンマン、サバタ(リー・ヴァン・クリーフ)が、酒場でチンピラ、スリム(スパルタコ・コンヴェルシ)のいかさま賭博を見抜いてやり込めていると、無法者集団による大胆な銀行強盗事件が発生する。なんと、軍の資金10万ドルを含む預金がゴッソリと盗まれたのだ。すると、すぐさま先回りしたサバタが犯人グループを皆殺しにし、現金を積んだ荷馬車と共に町へ戻ってくる。歓喜に沸く町の人々。これを見てすっかりサバタを気に入った町一番のホラ吹き男カリンチャ(ペドロ・サンチェス)は、神出鬼没の相棒インディオ(ニック・ジョーダン)と共にサバタの仲間となる。 一方、銀行強盗事件の解決に内心穏やかでないのは、町の有力者ステンゲル(フランコ・レッセル)とファーガソン(アンソニー・グラッドウェル)、そしてオハラ判事(ジャンニ・リッツォ)の3人だ。実は彼らこそが犯人グループの黒幕。鉄道の線路が敷かれる近隣一体の土地を買い占めるため、銀行強盗を働いてその資金を集めようとしていたのだ。しかし、殺された実行犯の身元が分かれば、いずれ自分たちに軍の捜査の手が及ぶことは免れない。そこで、リーダー格のステンゲルは、強盗計画に加わった関係者全員を一人残らず抹殺し、証拠隠滅を図るよう部下たちに指示する。 これにいち早く気付いたサバタは、カリンチャたちの協力で証拠となる馬車を奪い取り、それをネタにしてステンゲル一味を脅迫。金よこさねえとあんたらの悪だくみバラしちゃうよ~と(笑)。慌てたステンゲルは、その要求を聞き入れるふりをしつつ、サバタを亡き者にするため次々と刺客を送り込むものの、しかしいずれも片っ端から難なく撃退されてしまい、そのたびにサバタからの要求金額は跳ね上がっていく。ニヤニヤと意地悪そうな笑顔を浮かべるサバタ、困り果ててオロオロする腹黒オジサンたち。いやあ、自業自得とはまさにこのことですな。 そこでステンゲル一味が目を付けたのは、酒場女ジェーン(リンダ・ヴェラス)のヒモをしている、さすらいのバンジョー弾きバンジョー(ウィリアム・バーガー)。実はこの男、バンジョー(楽器の方ね)にライフルを仕込んだ凄腕のガンマンで、過去にサバタとは因縁のある相手だった。しかも、5人の殺し屋を一瞬にして成敗してしまうような猛者。こいつなら、さすがのサバタも太刀打ちできまいと踏んだステンゲルたちだったが…!? やっぱりサバタと言えばリー・ヴァン・クリーフ! ということで、サルタナ映画で打ち出した荒唐無稽なコミカル路線をそのままに、トリッキーなガジェット満載、ピリッと毒の利いた大人のユーモア満載、アクロバティックなアクションも満載のノリノリなエンタメ作品に仕上げたパロリーニ監督。なにしろ、007ブームに便乗した西独産スパイ映画「コミッサールX」シリーズの『エメラルドの牙』(’65)や『キス!キス!キル!キル!』(’66)などをヒットさせた人だし、『戦場のガンマン』(’68)なんて戦争映画も蓋を開けたら戦場を舞台にしたジェームズ・ボンド映画みたいな感じだったので、恐らくもともとこの手の軽いノリが持ち味なのだろう。まさに水を得た魚のごとし。 マカロニ・ファン要注目なのが、やはり劇中に出てくる武器の数々だろう。リムの内側にウィンチェスター製ライフルを仕込み、ネックの先から銃弾を連射するバンジョーはもちろん、上下左右4連なうえにグリップ部分からも弾が3発出る7連発デリンジャー銃(こちらはサバタがご愛用)など、いかしたガジェットたちにもニンマリさせられる。ジュリアーノ・カルニメオ版「サルタナ」シリーズほど荒唐無稽ではない、適度なさじ加減が「サバタ」シリーズの特徴。いずれにせよ、こういう「なんちゃってね!」的なお遊びは素直に楽しい。 もちろん、サバタ役を演じるリー・ヴァン・クリーフのニヒルなダンディズムと、渋い大人の男の色気も最高!しかも、悪知恵に長けた悪人たちの、さらに上を行く狡猾なワルときたもんだからたまりません。町の権力を牛耳る極悪非道なオッサンたちが、手も足も出ずに慌てふためく姿を、ニヤニヤと眺めながらジワリジワリと追い詰めていくサバタのドSっぷりがまた痛快。一般的にはセルジオ・レオーネ監督のドル箱三部作が有名なヴァン・クリーフだが、なかなかどうして、こちらのサバタ三部作も負けていない。いや、むしろこちらこそが代表作と推したいほどのはまり役である。なぜか第2弾『大西部無頼列伝』(’71)ではユル・ブリンナーにサバタ役がバトンタッチされ、これはこれで面白いんだけど、なんかちょっと違うんだよねと思っていたら、第3弾『西部決闘史』(’72)では無事にリー・ヴァン・クリーフが復活。やっぱり、サバタの粋でいなせでお茶目なワル親父っぷりは、ヴァン・クリーフじゃなければ十分に発揮されないのだ。 なお、サバタのライバル、バンジョーを演じているのは、パロリーニ監督の「サルタナ」映画で悪役を演じたマカロニ・ウエスタンの名物俳優ウィリアム・バーガー。『地獄のバスターズ』(’78)でフランス人女性ニコルを演じたデブラ・バーガー、ロリコン映画『小さな唇』(’74)に主演したカティア・バーガーはどちらも彼の娘だ。悪党トリオのボス、ステンゲル役のフランコ・レッセルは、’60年代イタリア産スパイ映画には欠かせない顔だった悪役俳優。オハラ判事役のジャンニ・リッツォも、数々のマカロニ西部劇や史劇映画で小心者の卑怯な小悪党を演じた俳優だ。そうそう、イタリア産B級娯楽映画の名物俳優アラン・コリンズことルチアーノ・ピゴッツィが、サバタを殺すために送り込まれた偽牧師役で顔を出しているのも見逃せない。 しかし、やはり「サバタ」シリーズの名物といえば、大ぼら吹きで単細胞で超テキトーだけど、どうにも憎めない熊さんみたいな髭面男カリンチャをコミカルに演じているスペイン俳優ペドロ・サンチェスことイグナチオ・スパッラ。フェルナンド・サンチョと並ぶマカロニ西部劇きってのコメディ・リリーフで、「サバタ」シリーズでも役名を変えながら全作に出演している。その相棒インディオ役のニック・ジョーダンは、本名をアルド・カンティというイタリア人で、もともとはスタントマンだったものの、ルックスの良さと抜群の身体能力を買われて、数々の史劇映画やマカロニ西部劇で活躍した人だ。どうやらマフィアと関りがあったらしく、48歳の若さで怪死を遂げている。 そして、本作を語る上で外せないのが、音楽スコアを担当した作曲家マルチェロ・ジョンビーニの存在であろう。サバタとバンジョーのそれぞれにテーマ曲を設け、ストーリー展開に合わせてそれらを巧みに使い分けていくメソッドは、一連のセルジオ・レオーネ監督作品でエンニオ・モリコーネが用いた手法と全く一緒だが、しかしポップでグルーヴィーなノリの良さはモリコーネと明らかに一線を画する。中でも、ウルトラ・キャッチーなサバタのテーマは、まるでベンチャーズみたい。このワクワクするような高揚感は絶品だ。 なお、ジャンゴやサルタナなどと同様、「サバタ」も本家のヒットに便乗した非公式作品が幾つも作られている。正式なシリーズは本作『西部悪人伝』(’69)と『大西部無頼列伝』(’71)、そして『西部決闘史』(’72)の3本のみ。ほかにも、ブラッド・ハリス主演の『Wanted Sabata(指名手配犯サバタ)』(‘70・日本未公開)やアンソニー・ステファン主演の『Arriva Sabata!(サバタが来た!)』(‘70・日本未公開)などのサバタ映画が作られているものの、いずれもパチものなのでご注意を(笑)。■ 『西部悪人伝』© 1969 ALBERTO GRIMALDI PRODUCTIONS, S.A.. All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2019.11.01
『ジャッカルの日』と『ジャッカル』 24年の歳月を超えた隔たりとは…
ジュリアス・シーザーの昔より、人の世で、数多実行されてきた“暗殺劇”。映画の世界でも古くより、“暗殺”を題材とした作品は枚挙に暇がない。 そんな中でも1970年代前半の映画界は、暗い世情と相まってか、“暗殺映画ブーム”とでも言うべき様相を呈していた。 リチャード・バートン演じるトロツキーを、アラン・ドロン扮するソ連の刺客が狙う、『暗殺者のメロディ』(72)、ケネディ大統領暗殺の裏にある陰謀劇を描いた、『ダラスの熱い日』(73)、大統領候補暗殺の陰に暗躍する秘密組織の存在を、ウォーレン・ベイティのジャーナリストが暴こうとする、『パララックス・ビュー』(74)、ロッド・スタイガー演じる元IRAの闘士が、エリザベス女王らイギリスの要人を爆弾テロで狙う、『怒りの日』(75)等々。虚実を織り交ぜた、様々な“暗殺映画”が製作・公開され、それぞれに話題となった。 そんな70年代前半の“暗殺映画”群の中でも、映画史に燦然と輝く存在。それが、『ジャッカルの日』(73)である。 本作の原作は、イギリス人作家のフレデリック・フォーサイスが執筆。71年に出版された。 フォーサイスは「ロイター通信」の特派員として、62年から3年間パリに駐在し、当時のフランス大統領、シャルル・ドゴールの担当記者を務めた経歴を持つ。そして『ジャッカルの日』は、正にその駐在期間中の63年を舞台に、ドゴール大統領の暗殺計画を描く。 ナチス・ドイツからフランスを取り戻した英雄的軍人であるドゴールだが、59年の大統領就任後に打ち出した、植民地のアルジェリア独立を認める方針が、軍部の極右勢力などの不興を買う。そのため暗殺計画のターゲットとなり、合わせて6回も、その命を狙われることとなった。 原作及び映画の冒頭で描かれるのは、実際に起こった、ドゴールの車列を狙った“暗殺未遂事件”の顛末。その失敗によって追い詰められた極右勢力の幹部が、正体不明の暗殺者“ジャッカル”を雇い入れ、新たな“暗殺計画”を発動する運びとなる。 “ジャッカル”の登場からは、“フィクション”の世界へと突入するわけだが、現実と地続きになっている。そんなアクチュアルな題材を映画化するに当たっては、どんな描き方が最適なのか? そこで白羽の矢が立てられたのが、フレッド・ジンネマン監督だった。『地上より永遠に』(53)『わが命つきるとも』(67)で2度アカデミー賞監督賞を受賞している他に、『真昼の決闘』(52)『尼僧物語』(59)『ジュリア』(77)などを手掛けた巨匠である。 ジンネマンは若き日、『極北のナヌーク』(1922)『モアナ』(26)などで「ドキュメンタリーの父」と謳われた、ロバート・フラハティの下で修業を積んだ。そんな彼の映画作家としての特性は、師匠フラハティ譲りと言える、ドキュメンタリー風なリアリズム描写にあった。 『ジャッカルの日』に於けるジンネマン演出の狙いは、「観客を目撃者にする」というもの。“ジャッカル”による“暗殺計画”の進行と、それを追う者たちの動きを、客観的なドキュメンタリータッチで追っていき、それを“目撃”させるわけである。 例えば本作のクライマックスには、パリの凱旋門の下での「解放記念日」の式典が登場する。これは、街を交通止めして撮影したものに、実際の式典の際の記録フィルムを加えて、構成したという。 こうした手法で映画を撮るに当たって、キャストから排除したのが、“スター”である。観客が「スティーブ・マックイーンだ」「アラン・ドロンだ」などと認識してしまうような、ネームバリューのある俳優は、本作には至極邪魔な存在というわけだ。 凄腕の暗殺者“ジャッカル”役に抜擢されたのは、当時はほとんど無名の存在だった、イギリス人俳優のエドワード・フォックス。そして彼を追うパリ警察のルベル警視役には、フランス映画の脇役俳優だった、マイケル・ロンズデールが起用された。 付記すれば、クライマックスに登場するドゴール大統領のそっくりさんも、アドリアン・ケイラ=ルグランという、無名の俳優。一言もセリフを喋らせずに、ドゴールの仕草を正確に再現させている。 もちろん本作の世界的ヒットの後には、フォックスもロンズデールも、有名俳優の仲間入りとなった。フォックスは、戦争映画大作『遠すぎた橋』(77)日本公開の際には、ロバート・レッドフォードやダーク・ボガートらと共に、14大スターの1人に数えられ、ショーン・コネリーがジェームズ・ボンド役に復帰した、「007番外編」の『ネバーセイ・ネバーアゲイン』(83)では、M役を演じた。またロンズデールは、正調「OO7」の第11作『ムーンレイカー』(79)で、ロジャー・ムーアのボンドと戦う、メイン悪役を務めている。 さて“暗殺映画”のマスターピースとなった『ジャッカルの日』を、24年後の1997年に復活させようとした試みが、今回フィーチャーするもう1本の、『ジャッカル』である。とは言っても97年になって、その34年前=63年のフランス大統領暗殺計画を再び描くのは、観客へのアピールが足りないと、『ジャッカル』のプロデューサー兼監督である、マイケル・ケイトン=ジョーンズは考えたのであろう。 『ジャッカルの日』の成功には、フォーサイスの原作の展開に忠実でありながらも、映画的なまとめや省略を大胆に行った、ケネス・ロスの脚本の功績も大きい。新版の『ジャッカル』の原作としてクレジットされるのは、フォーサイスの小説ではなく、ケネス・ロスの脚本である。ジョーンズ監督は、オリジナル版の脚本から活かせるシチュエーションだけ抽出して、97年的な“暗殺映画”を作るという選択を行ったのである。 97年という時勢は、まずはオープニングタイトルで表現される。これはピアース・ブロスナンが5代目ジェームズ・ボンドに就いた「007」シリーズ第17作の『ゴールデンアイ』(95)でも取られていた手法だが、ソ連と東側陣営の崩壊によって、“冷戦”が終結したことがまずは説明され、新たなる“混乱”の時代に突入したことが、物語られる。 そして97年のモスクワ。闇の世界で台頭する、チェチェン・マフィアの根城に、「MVD=ロシア内務省」と「FBI=アメリカ連邦捜査局」の合同捜査チームが強制捜査を掛ける。その際に、マフィアのボスであるテレクの弟が、捜査員に射殺される。激高したデレクは復讐を誓い、正体不明の暗殺者“ジャッカル”を雇う。 “暗殺”のターゲットが、「FBI」の長官だと判明したことから、合同捜査チームは“ジャッカル”の追跡に乗り出す。しかし彼の顔を見たことがある者は、ほとんど存在しなかった。 “ジャッカル”を知る1人として、地下組織「IRA=アイルランド共和国軍」のスナイパーで、現在はアメリカ国内の刑務所に収監されている、デクランという男の存在が浮かび上がる。捜査チームは特別措置として、デクランをチームに加えるが、実は彼は、“ジャッカル”に個人的な恨みを抱いていた…。 オリジナルの『ジャッカルの日』に於ける“暗殺作戦”の発動と、それを阻止せんとする捜査陣の追跡は、「“大義”vs“大義”」の対決であった。それが新版の『ジャッカル』では、「“私怨”vs“私怨”」となってしまっている。 新旧両作とも、“ジャッカル”自体には、政治的な主義主張はなく、金目当ての“暗殺者”であることに変わりはない。“ジャッカル”の成功報酬は、オリジナル版が50万㌦だったのに対し、新版は7,000万㌦!それぞれに、このミッションを成功させた後は「2度と仕事が出来ない」ため、引退するに足る金額と説明されるが、製作年度で24年間、物語の設定的に34年間離れた『ジャッカル』両作の大きな違いは、この金額の差だけではない。 「“無名”vs“無名”」であったオリジナルのキャストに対して、新版の最大の売りとされたのは、「ブルース・ウィリス vs リチャード・ギア」! “ジャッカル”役のブルース・ウィリスは、お馴染みの『ダイ・ハード』シリーズ(88~ )でスターダムにのし上がった。『ジャッカル』の前後の主演作も、『パルプ・フィクション』(94)『12モンキーズ』(96)『フィフス・エレメント』(97)『アルマゲドン』(98)『シックス・センス』(99)等々、メガヒット作が目白押し。 対抗するは、デクラン役のリチャード・ギア。『愛と青春の旅立ち』(82)『プリティ・ウーマン』(90)という、そのキャリアでの2大ヒット作を軸に、日本でも高い人気を誇るスター俳優であった。 脇役にも、スターを配している。捜査チームのリーダーである、「FBI」の副長官役を演じたのは、黒人俳優として初めてアカデミー賞主演男優賞を受賞した、シドニー・ポワチエ。 こんなキャスティングからもわかる通り、とにかく新版『ジャッカル』は、オリジナルの逆張りに、敢えて走った感が強い。この姿勢は、謎の暗殺者である筈の“ジャッカル”の行動にも表れる。 オリジナル同様、「変装の名人」という設定である“ジャッカル”。しかしエドワード・フォックスの“ジャッカル”が、空港でわざわざ自分と背格好が似た外国人を見付けて、パスポートを掏り取るという手間を掛けたのに対し、ウィリスの“ジャッカル”は、空港でたまたま居合わせた、自分とは似ても似つかない体型の者のパスポートを盗み出す。そしていざその者に成りすましても、我々観客からは、「ブルース・ウィリスが変装している」ようにしか見えないのである。 偽造パスポートや暗殺用の銃は、外注して用意する。その際に、“プロ”の仕事を誠実にこなす者に対しては敬意を見せ、逆に強請りたかりを働こうとした輩はあの世に送る。その姿勢は、新旧“ジャッカル”とも同じであるが、ケリの付け方が、ウィリスの“ジャッカル”は派手過ぎる。捜査チームにわざわざ、暗殺の手口や追跡のためのヒントを残しているかのようである。 捜査チーム内から“暗殺者”側に情報を漏らしている内通者が居ることが暴かれるのも、“ジャッカル”の取った態度が引き金となる。全般的にウィリスの“ジャッカル”は、自信満々な態度に反比例するかのように、かなり迂闊なのである。 その迂闊さは、“暗殺計画”実行直前にも、見受けられる。自分の顔を知る女性の居所を知ると、わざわざ殺しに馳せ参じる。しかもその女性は逃がしてしまって、代わりに(?)待ち伏せていた捜査員3名を惨殺する。“暗殺”本番直前に、こんな危険を冒す必要がどこにあるのか?何度観ても、まったく理解できない(笑)。 しかもその際に、“暗殺”の的が、実は「FBI」の長官ではないことを仄めかしたため、追っ手のデクランに、真のターゲットを気付かれてしまう。はっきり言って超一流の“プロ”と言うには、あるまじき軽率な所業の連続なのである。 オリジナル版では、お互いにプロの“仕事人”同士としてのライバル関係にある、暗殺者“ジャッカル”と追跡者のルベル警視。2人が顔を合わすのは、最後の最後に訪れる、直接対決の1度だけ。 新版の“ジャッカル”とデクランは、途中で1回ご対面があり、その際は“ジャッカル”の銃撃から、デクランが逃れる。そしてクライマックスでは逆に、デクランが“ジャッカル”を追跡。駅の構内で銃撃戦が繰り広げられる。 …と記したが、実は新版の『ジャッカル』は、“ジャッカル”とデクラン…と言うよりも、ブルース・ウィリスとリチャード・ギアの2大スターが、最後の最後まで撮影現場で顔を合わせてないのでは?…という疑惑が拭えない。 その辺りどうなのかは、皆さんに実際ご覧いただいた後の判断にお任せしたい。■ 『ジャッカルの日』© 1973 Universal City Studios, Inc. All Rights Reserved. 『ジャッカル』©TOHO-TOWA
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COLUMN/コラム2019.11.01
チャック・ノリス・ブームの頂点を極めた名作クライム・アクション
‘80年代を代表するB級アクション映画スター、チャック・ノリスが、まさにその全盛期の真っただ中に放った大ヒット作であり、多くのファンが彼の最高傑作と太鼓判を押すクライム・アクションである。まあ、それもそのはず。既にご存じの映画ファンも少なくないとは思うが、もともと本作はクリント・イーストウッドのために用意された企画だった。 オリジナル脚本を書いたのは、マイケル・バトラーとデニス・シュリアックのコンビ。当時、イーストウッド主演のアクション映画『ガントレット』(’77)の脚本を手掛けた2人は、それに続く『ダーティ・ハリー』シリーズ第4弾として、本作の企画をイーストウッドに提案する。つまり、チャック・ノリス演じる主人公エディの原型はハリー・キャラハンだったのだ。当初はイーストウッド本人も関心を示していたそうだが、しかし出来上がった脚本がお気に召さなかったのだろう、しばらくすると連絡が途絶えてしまい、企画そのものがお蔵入りとなる。 その後、バトラーとシュリアックは西部劇『ペイル・ライダー』(’85)で再びイーストウッドと組むことになるのだが、その直前に2人が脚本に携わったのがクリス・クリストファーソン主演の犯罪ドラマ『フラッシュポイント』(’84)。その際、友人の製作者レイモンド・ワグナーから、クリストファーソン主演で本作の映画化をという提案があったらしいのだが、それがいつの間にかチャック・ノリス主演の企画として始動していたのだそうだ。 ただし、実際に映画化された脚本にはバトラーとシュリアックの2人は一切タッチしていない。2人の書いたオリジナル脚本をリライトして、最終的な決定稿を仕上げたのは名作『チャイナ・シンドローム』(’77)でオスカー候補になったマイク・グレイである。本作の演出に起用されたアンドリュー・デイヴィス監督は、無名時代に世話になって気心の知れた恩人グレイに脚本の書き直しを依頼。監督の生まれ育ったシカゴが舞台ということで、彼自身のアイディアも多分に盛り込まれているという。 主人公はシカゴ市警の腕利き警部エディ・キューサック(チャック・ノリス)。犯罪を憎み不正を絶対に許さない、頑固だが実直な刑事である。そんなエディが陣頭指揮を執っていたのが、ルイス・コマチョ(ヘンリー・シルヴァ)率いる南米系麻薬組織コマチョ一家の検挙。タレコミ屋をおとりに使ってコマチョ一家との麻薬取引をセッティングし、その現場へ警官隊が乗り込んで一網打尽にする手筈だったが、こともあろうか第三者のギャング組織が先回りして乱入。タレコミ屋を含む取引関係者が皆殺しにされ、大量の麻薬と現金が奪われてしまったのだ。 この急襲作戦を実行したのが、コマチョ一家と敵対する組織のボスであるトニー・ルナ(マイク・ジェノヴェーゼ)。トニーは裏社会の大物スカリース(ネイサン・デイヴィス)の甥っ子で、その御威光を笠に着て無茶ばかりするような男だった。まんまと成功したかに思えた横取り作戦だったが、しかし現場で殺したはずのルイスの実弟ヴィクター(ロン・ヘンリケス)が、実は生き延びていたことが判明。自分の犯行であることがバレるのも時間の問題と察したトニーは、子分たちに家族の警護を指示したうえで、荷物をまとめて高飛びする。 一方、思わぬ邪魔が入って作戦が失敗し、上司ケイツ署長(バート・レムゼン)から大目玉を食らうエディ。しかも、銃撃戦の際に飲んだくれの老いぼれ刑事クレイギー(ラルフ・フーディ)が、無関係の少年を射殺してしまったことも大問題となる。一貫して正当防衛を主張するクレイギーだが、実はこれ、丸腰の少年を誤って撃って慌てた彼が、いつも足元に隠し持っている護身用の拳銃を少年の手に握らせ、偽装工作を図ったもの。その一部始終を相棒の新米刑事ニック(ジョー・グザルド)が目撃していたが、しかし現場責任者であるエディに真実を言い出せないでいた。 なぜなら、同僚の不始末を庇うのは警察内における暗黙のうちの了解。いわゆる「沈黙の掟(=本作の原題Code of Silence)」だ。これを破れば署内で居場所がなくなってしまう。妻子を抱えたニックにとっては死活問題だ。以前からクレイギーの飲酒癖を問題視していたエディは、そうした事情を直感で察するものの、真実を告白するもしないもニックの良心に任せる。 ひとまず公聴会までクレイギーが停職処分となったため、ケイツ署長の指示でニックはエディとコンビを組むことに。すぐに2人はトニーが主犯であることを突き止め、高飛びした彼の行方を探ると同時に、宿敵コマチョ一家の動向も監視する。すると、コマチョ一家はトニーの留守宅を襲撃して家族を皆殺しに。たまたま仕事中で難を逃れた一人娘ダイアナ(モリー・ヘイガン)にも刺客が差し向けられる。間一髪のところでダイアナを保護し、引退した先輩テッド(アレン・ハミルトン)に彼女を預けるエディ。しかし、そこへもコマチョ一家の魔手が迫り、ダイアナは誘拐されてしまう。 ダイアナの命を助けたければ、トニーを探し出して連れてこいとルイスから言い渡されるエディ。ところが、公聴会でクレイギーに不利な証言をしたため、警察では誰一人としてエディに力を貸す者はなかった。唯一の協力者は、脚を怪我して現場を離れた親友刑事ドレイト(デニス・ファリーナ)のみ。かくして、ほぼ孤立無援な状態のまま、エディはダイアナを救出するため、コマチョ一家と対峙せねばならなくなる…。 シカゴへの愛情が溢れる豊かなローカル色も見どころ! プロの空手選手として無敵の実績を誇り、親交のあったブルース・リーの誘いで映画界へ足を踏み入れたチャック・ノリス。『フォース・オブ・ワン』(’79)や『オクタゴン』(’80)、『テキサスSWAT』(’83)といった低予算アクションで頭角を現した彼は、当時波に乗りつつあった映画会社キャノン・フィルムと初めて組んだ戦争アクション『地獄のヒーロー』(’84)が空前の大ヒット記録したことで、一躍ハリウッドのトップスターの座へと躍り出る。続く『地獄のヒーロー2』(‘5)や『地獄のコマンド』(’85)、そして『野獣捜査線』も全米興行収入ナンバーワンに。中でも、それまで批評家からは酷評されまくっていたノリスにとって、初めて真っ当な評価を受けた作品が本作だった。 実際、当時のチャック・ノリス主演作品の多くが、映画としては非常にビミョーな出来栄え。ぶっちゃけ、アクションはA級だけれど脚本はC級だよねと言わざるを得ない。出世作『地獄のヒーロー』にしてもそうだが、ストーリーがアクションを見せるための手段でしかなく、どうしてもご都合主義で安上がりな印象が否めないのだ。その点、本作はライバル組織同士の抗争に警察が絡むという三つ巴の対立構造がしっかりと練られており、なおかつ警察たるものの正義とモラルを問う明確なテーマも貫かれている。主人公エディとヒロインの、さり気ない心の触れ合いも悪くない。しかし、やはり一番の功績は、優れたB級アクション映画のお手本のようなアンドリュー・デイヴィス監督の演出であろう。 大都会シカゴのロケーションを最大限に生かすことで予算を抑え、あくまでもストーリーに重点を置きつつ、ここぞというピンポイントでダイナミックなアクションを挿入することで、テンポ良くスピーディに全体をまとめあげていく。その安定感のある職人技的な演出は、さながら名匠ドン・シーゲルのごとし。本作が初めてのメジャー・ヒットとなったデイヴィス監督は、続いて同じくシカゴで撮ったスティーヴン・セガール主演作『刑事ニコ/法の死角』(’88)も大成功させ、やがて『沈黙の戦艦』(’92)や『逃亡者』(’93)などの大型アクション映画を任されるようになる。 やはり最も印象に残るのは、ループと呼ばれるシカゴ名物の高架鉄道でロケされた追跡シーンであろう。実際に走行する車両の屋根へ役者を登らせたスタントも見もの。通常よりもスピードをだいぶ落としての撮影だったらしいが、それでもなお迫力は十分である。また、激しいカーチェイスの末にリムジンがクラッシュ&炎上するシーンは、これまたシカゴへ行ったことのある人ならお馴染み、市内に張り巡らされた多層道路の中でも最も有名なワッカー・ドライブの低層階でロケされている。この同じ場所は『ダークナイト』(’08)のクラッシュ・シーンにも使われているので、見覚えのある方も少なくないだろう。また、随所に出てくる警察署のオペレーター・ルームは、実際にシカゴ警察署本部で撮影されており、本物の刑事や職員も多数出演。こうした、普通なら撮影許可の下りにくい場所を使用できたのも、シカゴ出身で地元にコネの多いデイヴィス監督だからこそだったようだ。 ちなみに、主人公エディの親友ドレイト役のデニス・ファリーナ、サングラスをかけた同僚コバス役のジョセフ・コサラの2人も、当時シカゴ警察に勤務する現役の刑事だった。どちらも刑事を本職としながら、アルバイトで俳優の仕事もしていたらしい。ファリーナは本作の翌年、マイケル・マン製作のテレビドラマ『クライム・ストーリー』(‘86~’88)の主演に抜擢されたことで警察を辞職。プロの俳優として『ミッドナイト・ラン』(’88)や『スリー・リバーズ』(’93)、『プライベート・ライアン』(’98)など数多くの映画で活躍することになる。一方のコサラは「クレイジー・ジョー」のあだ名で知られたシカゴ警察の名物刑事だったらしく、プロの俳優には転向せず役者と刑事の二足の草鞋を履きつつ、定年まで勤めあげたそうだ。 ほかにも、本作はシカゴ出身の地元俳優が多数出演。もともとシカゴは、ニューヨークに次いで全米最大の演劇都市として知られ、ゲイリー・シニーズやジョン・マルコヴィッチなどを輩出した名門ステッペンウルフ劇団もシカゴが本拠地だった。ダイアナ役のモリー・ヘイガンも、彼女自身はミネアポリスの出身だが、当時はシカゴの劇団に所属して舞台に出演していた。暗黒街の大物スカリーセ役では、デイヴィス監督の実父ネイサン・デイヴィスが出演しているが、彼もまたシカゴ演劇界の重鎮だった人物。そのほか、刑事役やギャング役を演じている俳優たちもシカゴの舞台俳優で、その多くが本作をきっかけにデイヴィス監督作品の常連となる。そういう意味では、実にローカル色の強い作品なのだ。 なお、終盤で大活躍する警察ロボットは、コロラド州に実在した’83年創業のRobot Defense Systems Inc.という会社(’86年に倒産)が製作に協力。この「仲間に反感を買った刑事の新たな相棒がロボット」という設定は、マイケル・バトラーとデニス・シュリアックのオリジナル脚本の段階から存在したらしいが、恐らく本作で唯一賛否の分かれるポイントかもしれない。まあ、実際に開発した会社が本作の翌年に倒産しているのだから、あまり実用的とは言えない代物だったのだろう。■ 『野獣捜査線』© 1985 ORION PICTURES CORPORATION. All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2019.10.31
『いちご白書』吹き替え版が12月限定で「厳選!吹き替えシネマ」に登場。えっバージョン違い!?
ご無沙汰しております。懐かし系の吹き替えをお手伝いしております飯森です。ワタクシ、団塊ジュニア世代で、『いちご白書』といったら親の世代の映画。しかし、個人的に90年代の大学時代に60年代末のカウンター・カルチャーにかぶれていたことがありまして、今を去ること20年以上前に、目を輝かせてレンタルVHSで見たものです。 ソフト化されてたら絶対に買っていたでしょう。でも未DVD化。なのでザ・シネマの激レア担当だった頃に、仕事にかこつけて自分のために買った作品です。もっとも、あまりにも超有名作なので「ずっと見たかった」、「懐かしい」という人は、ワタクシだけでなくめちゃくちゃいると思いますが。 1970年の映画で、舞台は学園紛争まっただ中の某大学。政治にはあまり関心なかった男子大学生が、可愛い女学生が講堂占拠デモ隊の中にいるのを見かけそれに釣られて学生運動に参加し、ちょっと学園祭の準備のような非日常の楽しさ(『うる星やつら2ビューティフル・ドリーマー』的な)もただよう青春の日々を謳歌する中で、次第に政治意識が芽生えてくる。やがて、大学当局は学生デモ隊を強制排除することに。講堂内に催涙ガスが撒かれると同時に、ガスマスクを着けた警官隊がキャンパスに突入し学生たちを警棒で滅多打ちに… と、いうお話で、この時代やこの作品に特段の興味がなくても、「うっわ〜何これ!? まんま今の香港じゃん!」と、誰もが間違いなく感じる、変な形でタイムリーすぎる映画になっちゃっており(俺が買った2年前は、2年後がまさかこんな未来になっていようとは…)、今こそ必見なのです! さて、今回は、素材(放送するテープのマスター素材のこと。それのコピーを作って放送している)が届くのに時間がかかったので、20年以上ぶりに旧レンタルVHSをまずゲットして試写し、後から皆様にもお届けする放送用素材が届いたのでそっちも見てみたのですが、 バージョンが違うじゃねえか! VHS版では映画中盤で、ちょっとエッチなシーンが出てきます。占拠している講堂のコピー室は学生デモ隊男女のヤリ部屋と化しており、よくカップルがしけ込んでいるのですが、主人公は知らないセクシー女から呼び出され、「やろう❤」と誘われ、やられちゃう、というシーン。そこが、放送用HD素材には丸ごとない。 エロいおねえさん。カットされちゃって今回の放送版には登場しません。残念! 2台のモニターで同時再生し見比べてみると、他に、気づかないような細かいところもチョコチョコ違う。 これは、今回の放送素材が、もともとどこかの国(本国?)のTV放映用としてテレシネされたHDマスターで、それが旧VHSのSDマスターテープと別バージョンだから、との回答を、映画会社からいただきました。「TV放映用にエロはまずい」という忖度が働いたのでしょうか?エッチなおねえさん、お口を大きく開けてパックンチョ、みたいなことを積極的にしてくるので、現代の感覚でもかなりエッチすぎる。それが理由か? しかしザ・シネマの方で映画をカットすることはなくて、もらったものがカット版であればノーカット版を再度要求するんですが、カット版しかありませんと言われてしまったら仕方がない。今回はそのパターンです。 旧VHSは1時間49分で、これはIMDbに書かれている「Runtime:109 min」という情報と一致します。が、TV放映用HDは1時間42分と、7分短くされちゃった。 また、今回のTV用HD版はビスタサイズですが、この映画は元が4:3のスタンダードサイズで(とIMDbに書いてある)、旧VHS版もそうでした。その上下をカットして横長にし、擬似的ワイドにしたもので、オリジナルや旧VHS版に比べて絵の情報量がむしろ減っているという問題も。 ということで、本当は、4:3スタンダードでフル尺が1時間49分の、HDとか4Kの素材があれば、それがオリジナルに一番近いバージョンになるようですが、無いんだから仕方ない、今回はこの別バージョンHD素材で放送します。 左がオリジナル4:3で右がワイド風に見せかけるため上下をカットしたもの。なんでもかんでもワイドが良いとは限らない。が今回は右で放送。 さらに12月は、「厳選!吹き替えシネマ」として、昭和51年1月8日木曜洋画劇場放映の富山敬による吹き替え版もお届けすることにし、これはワタクシにとっても初見でしたが、こっちはさらにこまごまと編集が違っています。無い絵が追加されているとか、あった絵が無くなっているとか。エロシーンがごっそり抜かれてるというのはカット理由として解りやすいですが、普通の雑観ショットとか、どうでもいいところがほんのちょっとだけ、しかも大量に別編集になっているのは、理由が解らない。どなたか知りませんか? この昭和51年の吹き替え版、87分50秒だったのですが、40年以上前のボっケボケのテープにはあったがHD素材には存在しない映像が、合計1分36秒分あり(それも、ほんの1カットとかこまごまとした映像)、その部分はきれいなHD映像が存在しないため再現が不可能で、泣く泣くカットとなりました。不幸中の幸いはセリフのあるシーンではなかったこと。富山敬さん以下のセリフは一切カットしておりません。 以上、ちょっと技術的なことばかり書いて退屈だったでしょうが、後世の歴史家のためにどこかにちゃんと経緯を残しておくべきかと思いまして。 とにかく、2019年の今の、香港・チリ・バルセロナの状況と、異常にダブって見えてしまう、あまりにもタイムリーすぎる映画『いちご白書』。それ自体が未DVD化の激レア作なのでHD字幕版も必見ですが、さらに昭和51年のスーパー激レア音源をHD映像に乗せて蘇らせるってんですから、これはマストで視聴して「なんだこれは、まるっきし香港じゃないか」とみんなで驚くべきでしょう。 この映画を気に入った、という人には、原作の日記文学『いちご白書』の方もお薦めします。原作者ジェームズ・クネン君は映画のモデルになったコロンビア大学の学園紛争に参加し、リーダーではないのですが当時マスコミによく登場して学生運動側の意見をメディアで語ったりと、今の香港で言うならジョシュア・ウォン君っぽいポジション。映画版にもカメオ出演しています。 子門真人、じゃなかった、「コロンビア大のジョシュア・ウォン」こと原作者のジェームズ・クネン君。 原作は日記体でつづられていて、その断片が映画本編に使われていたりするのですが、まったく違った表現物で、原作は原作で良いんです。警察から催涙ガスを浴びせられたり警棒でボコボコにされたりする二十歳前後のデモ参加者側が、何を考え革命をしているのか、若者らしいみずみずしい感性で言語化されており、今の時代を考える上で何かの役に立つかもしれません。 この映画については、他でも何ヶ所かでワタクシ紹介してるんですよね。長すぎ80分の音声解説、というか映画ライターのなかざわひでゆきさんと対談した「男たちのシネマ愛」が、YouTubeに上がっています。このブログ記事では映画の内容についてはあまり言及しませんでしたが、そっちの80分音声の方で思い残すことなく喋り倒しておりますので、何かしながらついでに聴いていただけましたら幸甚。そこでは、この時代を知る上で絶対に理解しておかないとダメなベトナム戦争について、特に力を入れて語らせていただきました。 あと、ふきカエル大作戦!!の連載では、『…you…』についても書いています。『…you…』と『いちご白書』はコンビのようなそっくりな映画なのでセットでウチでは放送してきました。『…you…』はもうザ・シネマでの放送は終わっちゃいましたが、そちらも、あわせてご笑読いただければ幸いです。我が人生五指に入る傑作吹き替え、石田太郎エリオット・グールド大演説を、テキストで再現しました(ウチでの放送見れた方はラッキーでしたね。これはお宝モンですよ?あと、タランティーノによる解説番組ってのも放送しましたんで、あっちも永久保存版です)。 ああそうそう、ついでながら、まるっきし関係ない話だけど、『求婚専科』も吹き替え版やりますんで、そちらもお楽しみに。■ © Warner Bros. Entertainment Inc.
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COLUMN/コラム2019.10.28
リチャード・ラッシュ監督が観客のモラルに挑戦した大量破壊アクション・コメディ
『フリービーとビーン/大乱戦』は、元祖『リーサル・ウェポン』(87年)のバディ・ムービーです。サンフランシスコを舞台に、ジェームズ・カーン扮する荒くれ刑事のフリービーと、アラン・アーキンが演じるあんまりやる気のない、家庭のほうが大事な中年刑事のビーンがケンカしながら事件を解決していくアクションコメディです。こういう凸凹刑事ものっていっぱいありそうで、実はこの『フリービーとビーン』の前にはなかったんですね。この映画の前は、刑事のバディものといえば、この番組で紹介した『ロールスロイスに銀の銃』(70年)くらいしかなかったんですね。 まず、この映画、とにかくカーチェイスが凄まじい。この数年前に『ブリット』(68年)で刑事に扮したスティーヴ・マックイーンがサンフランシスコで凄まじいスピードのカーチェイスを見せて、ハリウッドで刑事アクションのブームが起こりました。でも、この『フリービーとビーン』はスピードよりも数で勝負なんです。もう70台以上の車をスクラップにします。つまり『ブルース・ブラザース』(80年)の元祖なんですよ。 しかも、その撮り方がえぐい。例えば白いバンが高いところから落ちてグシャッとつぶれるところで、わずか2メートルくらい離れたところに人がいるんですよ。その人のすぐ横にバーンって落ちるんです、車が。危ねぇだろ(笑)!! 当時、コンピュータ・グラフィックスとかないですから、本当にそれをやってるんですよ。 それだけじゃない。『フリービーとビーン』はとんでもない暴力刑事です。カーチェイスや銃撃戦に周囲の一般人を平気で巻き込んで行きます。チアリーダーを車ではね飛ばし、普通の人のアパートの寝室に車で突っ込み、看護婦を間違って撃ってしまいます。それどころか、トイレに追い詰めた敵に二丁拳銃で何十発もの弾丸を撃ち込んで文字通り蜂の巣にします。ふざけながら。そんな残酷シーンをギャグとして演出してるんですよ! 監督はリチャード・ラッシュ。ハリウッドの異端の人で、独立プロデューサー、ロジャー・コーマンの下で、暴走族もの『爆走!ヘルズ・エンジェルス』(67年)を作り、学生運動を描いた『…YOU…』(70年)で注目された、フランスのヌーヴェル・ヴァーグの影響を受けた、左翼、反体制、ヒッピー系の監督です。 その反権力の人がなぜ、国家権力による暴力をジョークとして撮影したのか。ラッシュ監督自身がインタビューで答えているんですけど、当時のベトナム戦争であるとか、刑事映画ブームであるとかの、映画や現実にあふれているバイオレンスそのものを茶化したかったというんですよ。「観客は笑いながら、笑っているうちに、自分が笑っていることにゾッとする」そういう映画を撮りたかったと。ところが当時はこの実験は強烈すぎた。流れ弾で看護婦さんが血だらけになるのを観て笑えないですよ。 ただ、80年代に入ると、ジョエル・シルバー製作のアクション映画が暴力で笑わせる映画を作り始めます。『48時間』(82年)、『ダイ・ハード』(88)、そして『リーサル・ウェポン』ですね。で、そこからクエンティン・タランティーノが『パルプ・フィクション』(94年)で人の脳みそを吹き飛ばしてギャグ扱いするわけですが。『フリービーとビーン』は早過ぎたんです。タランティーノも『フリービーとビーン』に影響されたと言っています。 観ていて非常に困る映画ですが、それは、作り手の狙い通りです。これは観客のモラルに対する挑戦ですから。ある程度覚悟をしてご覧ください。俺に苦情を言わないでくださいね。作ったのは俺じゃないからね(笑)! ということで、今では考えられない、とんでもない映画ですよ!■ (談/町山智浩) MORE★INFO.●脚本は当初、コメディ要素のない“バディ・ムービー”だったのだが、スタッフと主演の2人が協議してアクション・コメディとなった。だが監督は、カーチェイスばかりに重点を置いていたため、主演の2人は「撮影をボイコットするぞ」と監督を脅したという。●主人公の刑事たちが使う車は、1972年型の白いフォード・カスタム500の警察車用インターセプター・セダン。スタントに使われたのは、廃棄された警察車両が1ダース以上。これはそのまま『ダーティハリー2』(73年)にも使われている。●同時期に撮影されていた『破壊!』(74年)との競合を避けるため公開時期を74年の春からクリスマスに変更した。●主演2人が続投し、監督にアーキンを迎えた正式な続編の企画があったという。 © Warner Bros. Entertainment Inc.
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COLUMN/コラム2019.10.21
現場目撃のないテロ行為の再現『ユナイテッド93』
■最初の9.11アメリカ同時多発テロ映画 2006年に製作された『ユナイテッド93』は、アルカイダのテロリストによって機体を占拠された「ユナイテッド航空93便ハイジャック事件」を、ドキュメンタリー仕立てのドラマにした作品だ。2001年9月11日、この旅客機を含む4機のうち2機がニューヨークの世界貿易センタービルに、そして1機がペンタゴン(アメリカ合衆国国防総省)へと同時に撃墜した、いわゆる「9.11アメリカ同時多発テロ」を劇映画へとアダプトした最初のハリウッド作品である。ユナイテッド航空93便(以下:UA93便)もワシントンD.C.のアメリカ合衆国議会議事堂への突入がテロリストによって策動していたが、乗客たちの我が身を犠牲にした抵抗が、彼らの目的を未遂に終わらせたといわれている。 物語はUA93便のニューアーク・リバティー国際空港からの離陸を起点に、当日の旅客機内での出来事と、テロ攻撃を追うさまざまな連邦や州機関など複数の視点を交え、ことの推移をリアルタイムで克明に描写していく。そのような作品の性質上、目撃者全員が亡くなった機内の様子など、想定に頼らざるをえない部分もある。しかし乗客たちによる勇気ある決断と行動を、遺族や関係者への取材、そして膨大な資料収集と可能な限りのリサーチを尽くし、迫真的な演出によって明らかにしていく。加えてリアリティを徹底させるために、乗客はスター性を排した俳優によって演じられ、また客室乗務員やパイロット、その他の航空会社のキャストは、実際の航空会社の従業員が集められた。 だが映画はテロを未然に防いだことへの称賛に比重を置くのではなく、あくまでテロ攻撃という未曽有の事態に対し、それぞれの立場の者がそれぞれの役割を果たし、ひたすら回答を出していく姿が捉えられている。現実には政府機関の官僚的な手続きが事態を混乱に陥れるなどネガティブな要素も見られたが、劇中の演出はそれを強く批判したりすることはなく、監督であるポール・グリーングラスは、あくまでもフラットな演出に徹している。 ■アクション映画に革命を起こしたグリーングラス監督の実録スタイル そう、こうした困難な演出へのアクセスが可能となったのは、本作の監督であるポール・グリーングラスの力量によるところが大きい。 記憶をなくしたエージェント、ジェイソン・ボーンを主人公としたマット・デイモン主演のスパイスリラー『ボーン』シリーズのうち3作(『ボーン・スプレマシー』(04)『ボーン・アルティメイタム』(07)『ジェイソン・ボーン』(16))を手がけ、ダイナミックなハンドヘルト(手持ち)のカメラワークやショットを細かく構成した高速編集など、ハリウッド・アクションのシークエンスをより機動性の高いものにしたグリーングラス。そんな彼の特徴的なスタイルは本作においてもいかんなく発揮され、観る者を混乱の渦中に置き、そして息をのませるような没入感を生み出している。 もともとグリーングラスはテレビディレクターをキャリアの出発点としており、アクティブな手持ちカメラによる没入型のテクニックは、英グラナダテレビが制作し、ITVネットワークが長年放送してきたドキュメンタリープログラム「World in Action」(1963~98)のディレクター時代に培われてきたものだ。 ◇ポール・グリーングラス自身が「world in action」に言及したグラナダテレビのドキュメンタリー“Granada: From the North” そんな彼のスタイルが広く評価されたのは、1999年に自身が手がけたドラマ『The Murder of Stephen Lawrence(ステファン・ローレンスの殺人)』(原題)を起点とする。ロンドン南部のエルサムで、18歳の学生が白人青年の一団に殺害された事件を描いた本作は、グリーングラスがドキュメンタリーで実践してきた映像スタイルを本格的に投入。人種差別を起因とするこの事件の核心に迫り、BAFTA(英国映画テレビ芸術アカデミー)が主催する英国アカデミー賞テレビ部門で単発ドラマ賞を得たのである。 そしてグリーングラスはこのスタイルを、1972年の北アイルランドのロンドンデリーでデモをしていた抗議者たちが、イギリス軍によって射殺された事件を描いた『ブラディ・サンデー』(02)に適応。『ユナイテッド93』に通底する実録的な再現スタイルの鋳型を作ったのである。その記録映像を思わせるような高い完成度によって、本作は劇場公開へと拡大され、第52回ベルリン国際映画祭で金熊賞を獲得したのだ。 この『ブラディ・サンデー』を劇場で観た映画製作者のフランク・マーシャルは、グリーングラスの米商業映画の世界へとスカウトし、そして彼は『ボーン・スプレマシー』でハリウッド進出をはたすことになる。 ■『ユナイテッド93』を成立へと誘導した『アルジェの戦い』 グリーングラスのこうしたアプローチを下支えするものとして、『ユナイテッド93』にはもうひとつ、その存在に影響を与えた作品がある。それは1966年に製作された、イタリアとアルジェリアの合作映画『アルジェの戦い』だ。 同作は第二次世界大戦後に起こったアルジェリア戦争(1954~62)を主題にしたもので、アルジェリアが独立を勝ち取るまでの歴史を描いた政治的傑作のひとつだ。特に1957年に同国の首都でおこなわれたタイトルの「アルジェの戦い」(フランス軍が国民解放戦線(FIN)の抵抗を打ち砕こうとした紛争)に焦点が定められており、その映像演出はニュースリールのようなドキュメンタリー形式を装い、リアリティを徹底させたものになっている。また俳優もプロではなく素人を中心に起用し、両軍に公正な審理を与えるフラットな語り口など、これら要素を『ユナイテッド93』と共有しているといっていい。 ◇“The Battle of Algiers' trailer” グリーングラス自身『アルジェの戦い』に関しての言及は少なくない。代表的なものとしてはBFI(British Film Institute=英国映画協会)がおこなった「映画人の選ぶ映画ベスト10」において、選者の一人として同作を筆頭に挙げているし、また同作のBlu-rayに収録されたインタビューにおいて、この『アルジェの戦い』に対して以下のように所感をあらわしている。 「情報の伝達力が格段に飛躍し、世界情勢への理解が充分に及んだ現代においても、『アルジェの戦い』が放つ力は素晴らしい。そこには真実を超えた映像の説得力がある」 『ユナイテッド93』には、こうしてグリーングラスの瞠目した『アルジェの戦い』の創造性が細かく反映されている。そのため映画のクライマックスとなる乗客たちのテロリストへの反撃シーンは正視に耐えないほどの現場体験を観る者に強い、暴力描写への取り組み方は尋常ではない。たとえば同作の予告編が劇場で流れたさいも、席を立つ観客が後を絶たなかったという。グリーングラス自身はあくまでも遺族感情を考慮し、テロ事件から5年という経過が発表時期として妥当なのかどうかを懸念しながら、暴力の現場をどのように描くべきかに深い迷いを抱えていたという。しかし遺族から「あなたの感じたままに描いてくれればいい。どんなに描いてもわたしたちの想像を超えることはないのだ」という助言を受け、腹を決めたのだとしている。 もっとも、この『アルジェの戦い』とて、ロベルト・ロッセリーニ監督の『無防備都市』(45)に代表されるネオ・リアリズム映画(社会的テーマと写実的な演出を特徴とする作品動向)の系譜に連なるもので、その実録調のスタイルには、先んじて存在するひとつの潮流がある。くしくもグリーングラスがBFIのベスト10で同時に選出したイタリアの『自転車泥棒』(48 監督/ヴィットリオ・デ・シーカ)なども、このネオ・リアリズム映画の流れに身を置く作品だ。こうした映画史からの連続性、ならびに相互的な関連においても『ユナイテッド93』の位置付けを求めることもできる。 なによりグリーングラス自身、ラディカルといわれた自分のスタイルも非常に古典的なものであり、それは先述した「World in Action」に代表されるような、社会的リアリズムに肉薄した英国ドキュメンタリーの伝統のうえにあるという自覚を抱いている。そのため他のハリウッドの監督が彼のスタイルに追随したとき、その影響力の大きさに驚いたのは他ならぬ彼自身だったという。 ただ「こうであっただろう」というひとつの仮定のもと、現場目撃のないテロ行為の阻止をここまで描ききったことに、本作『ユナイテッド93』は固有の価値と意義を有している。グリーングラスはその後も、ソマリアの海賊が米国船籍の貨物船マースク・アラバマ号をハイジャックした『キャプテン・フィリップス』(13)や、2011年にノルウェーの首都ウトヤ島で起こった銃撃爆破テロを描いた『7月22日』(18)など、娯楽アクションと並行し、この実録的な検証路線を追求している。それらの嚆矢として、この『ユナイテッド93』は存在するのだ。■ 『ユナイテッド93』© 2006 Universal Studios. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2019.10.08
巨匠ブニュエルの老いへの恐れを描いた哀しき恋愛残酷譚
25歳の時にマドリードからパリへ出てシュールレアリズム運動に感化され、学生時代からの親友サルヴァトール・ダリと撮った大傑作『アンダルシアの犬』(’29)で監督デビューしたスペイン出身の巨匠ルイス・ブニュエル。スペイン内戦の勃発と共にヨーロッパを離れた彼は、アメリカを経由して同じスペイン語圏のメキシコへ。『忘れられた人々』(’50)がカンヌ国際映画祭の監督賞に輝いたことで再び国際的な注目を集め、20数年ぶりにスペインへ戻って撮った『ビリディアナ』(’61)でついにカンヌのパルム・ドールを受賞する。 その後フランスへ拠点を移したブニュエルは、当時のフランス映画界を代表するトップスター、カトリーヌ・ドヌーヴを主演に迎えた『昼顔』(’67)でヴェネチア国際映画祭の金獅子賞を獲得し、興行的にも自身のフィルモグラフィーで最大のヒットを記録。そんなブニュエルが再びドヌーヴとタッグを組み、『ビリディアナ』以来およそ9年ぶりに母国スペインで作った映画が『哀しみのトリスターナ』(’70)である。 舞台はブニュエルが学生時代に愛したスペインの古都トレド。世界遺産にも登録されているこの小さな町は、ルネッサンス期の高名な画家エル・グレコが拠点としていた場所としても知られている。若きブニュエルは親友のダリやガルシア・ロルカと連れ立って毎週のようにトレドを訪れ、地元の豊かな食文化やエル・グレコの絵画などを堪能していたという。そんな青春時代の思い出の地で彼が撮った作品は、親子ほど年齢の離れた女性の若さと美貌に執着し、老いの醜態を晒していく哀れな男の物語である。 そう、便宜上はドヌーヴ演じる美女トリスターナを中心にドラマの展開する本作だが、しかし実質的な主人公はフェルナンド・レイふんする初老の貴族ドン・レペである。広い邸宅でメイドのサトゥルナ(ロラ・ガオス)と暮らすドン・レペ。社会的な弱者を守るのが上流階級の使命だと考えている彼は、常日頃から貧しい労働者の味方として庶民から尊敬されているが、しかし実際のところ家計は火の車で、先祖代々受け継がれてきた美術品や食器などを切り売りして生計を立てている。というのも、ドン・レペは無神論者であるため、財産を管理している敬虔なカトリック教徒の姉と折り合いが悪く、金を無心しても断られてしまうのだ。 ならば商売でもすればいいのだけれど、しかし古き良き貴族の慣習やプライドを捨てきれない彼は、金儲けを卑しい者のすることと考えている。ましてや労働者を搾取する資本家などもってのほか!奴らの奴隷になんぞなるものか!と意地を張っているが、しかし自分はメイドに身の回りのことを全て任せ、昼間からカフェに入り浸る毎日。いやはや、無神論者・社会主義者・貴族という3足の草鞋をバランスよく成立させるのは、なかなかこれ矛盾だらけで難しいことらしい(笑)。 かように高潔で誇り高い紳士のドン・レペではあるのだが、しかしそんな彼にも恐らく唯一にして最大の欠点がある。なにを隠そう、部類の女好きなのだ。道を歩いていて好みの若い美女を見つければ、ついついナンパせずにはいられない性分。独身を貫いているのは自由恋愛主義者だからだ。しかし、どう見たって50歳は過ぎている白髪交じりの立派なオジサン。さすがにもはや若い女性からは相手にされないものの、本人はいつまでも若いつもりなので一向にめげない。いわゆるポジティブ・シンキングってやつですな(笑)。そんな永遠の恋する若者(?)ドン・レペを虜にしてしまうのが、父親代わりの後見人として長年成長を見守ってきた処女トリスターナだったのである。 幼い頃に資産家の父親を失い、その父親の残した莫大な借金で苦労した母親を今また亡くした16歳のトリスターナ。身寄りのない彼女を引き取ったドン・レペだが、いつの間にやら大きくなったトリスターナの胸元に目を奪われ、彼女が自分へ向ける娘としての親愛の情を恋愛感情だと勝手に勘違いし、男女の駆け引きもろくに分からない未成年の彼女を強引に押し倒して自分の妻にしてしまう。しかし、無垢な処女だったトリスターナにもだんだんと自我が芽生え、愛してもいないオジサンとの夫婦生活に不満を募らせるようになり、しまいには外出先で知り合った若い画家オラーシオ(フランコ・ネロ)と恋に落ちてしまう。 はじめこそ嫉妬に怒り狂ったドン・レペだが、しかしライバルが若くてハンサムな男とくれば到底勝ち目はない。ならばいっそのこと外で自由に恋愛してくればいい、でもどうか私の元からは離れないでくれと哀願するドン・レペ。今度は泣き落としにかかったわけですな。とはいえ、若い男女の恋の炎は燃え上がるばかり。こんな情けないオジサンとはもう一緒にいられない!とトリスターナが考えたとしても不思議ない。結局、彼女はオラーシオと一緒に出ていってしまい、またもやドン・レペはメイドのサトゥルナと2人きりで広い邸宅に残されることとなる。 それから数年後、姉が亡くなったことで莫大な遺産を手に入れたドン・レペだが、しかしトリスターナのいない生活は今なお侘しく、すっかり弱々しげな老人になってしまった。そんな折、彼はトリスターナが町に戻ってきたことを知る。聞けば、脚にできた腫瘍のせいで寝たきりになってしまい、父親代わりであるドン・レペの加護を求めているらしい。すぐさまトリスターナをわが家へ招き入れ、至れり尽くせりの看護をするドン・レペ。しかし、手術で右脚を失ったトリスターナは、すっかり人生や世の中を恨んだ苦々しい女性となってしまい、年老いたドン・レペに対しても憎しみをぶつけるように冷たい仕打ちを繰り返すのだった…。 ドヌーヴと喧嘩したブニュエルの信じられない発言とは!? 無神論者でアナーキストの老人ドン・レペに、撮影当時69歳だったブニュエルが自らを投影していたであることは想像に難くないだろう。実際、17歳年下のフェルナンド・レイをことのほか気に入っていた彼は、本作と似たような内容の『ビリディアナ』や『欲望のあいまいな対象』でも自らの分身をレイに演じさせている。我が子同然の若い娘に対する、ドン・レペの報われぬ情愛を通じて描かれる老いの残酷。終盤で、過激な無神論者だったはずの彼がすっかり丸くなり、教会の神父たちを自宅へ招いて、ホットチョコレートやケーキを楽しむ微笑ましい団欒シーンがあるが、実はあれこそが永遠の反逆児ブニュエルの思い描く、是が非でも避けたい悪夢のような老後風景だったのだそうだ。すなわちこれは、既に老いが目の前の現実となったブニュエルの、これから待ち受ける自らの老後に対する恐怖心を具現化した作品だったとも言えよう。 と同時に本作は、必ずしも夢や願いが叶うわけではない、残酷な現実から逃れようとも逃れられない、そんな満たされぬ人生とどうにか折り合いを付けなければならない人々の物語でもある。まだ初恋も知らぬまま愛してもいない年上の男ドン・レペに青春時代を奪われたトリスターナは、ようやく出会った最愛の男性と人生をやり直そうとするも、不幸な病によって再びドン・レペの元へ戻る羽目となる。そのドン・レペもまた、どれだけトリスターナのことを愛し、彼女のために全身全霊を捧げて尽くしまくっても、その気持ちが彼女に通じることは決してない。「こんな寒い吹雪の晩に、暖かい我が家があるだけでも幸せなのかもしれない」と呟く彼の言葉が沁みる。それだけに、このクライマックスはあまりにも残酷だ。 ちなみに、スペインとフランス、イタリアからの共同出資で製作された本作。トリスターナ役のドヌーヴはフランス側出資者の強い要望で、またブニュエル自身も『昼顔』で彼女と仕事をしてその実力を認めていたことから、すんなりと決まったキャスティングだったという。ただ、ドヌーヴもブニュエルもお互いに人一倍頑固であることから、『昼顔』の時と同様に撮影現場ではピリピリすることも多かったらしく、ある時などはドヌーヴに対して激怒したブニュエルが、その場にいたフランコ・ネロに「事故のふりして彼女をバルコニーから突き落とせ!」と言ったのだとか(笑)。 一方のフランコ・ネロは、当時一連のマカロニ・ウエスタンで大ブレイクしていたことから、イタリア側出資者がブニュエルに強く推薦して決まったとのこと。スペインの独裁者フランコ将軍が大嫌いだったブニュエルは、彼のことを“フランコ”ではなく“ネロ”と呼んでいたそうだ。その後、ブニュエルとジャン=クロード・カリエールが脚本を書いたもののお蔵入りになっていた『サタンの誘惑』(’72)が、アド・キルー監督のもとフランス資本で制作されることになった際、ブニュエルは映画化を許可する条件として“ネロ”を主演に起用するようプロデューサーに注文を付けたという。それほど彼のことを気に入っていたらしい。 なお、フェルナンド・レイはスペイン人、カトリーヌ・ドヌーヴはフランス人、フランコ・ネロはイタリア人ということで、撮影現場ではそれぞれが母国語でセリフを喋っている。そのため、フランス語版ではドヌーヴだけが本人の声、スペイン語版ではレイだけが本人の声、イタリア語版ではネロだけが本人の声を当て、それ以外は別人がアフレコを担当しているのだ。 これは当時ヨーロッパの多国籍プロダクションではよく見られたパターン。例えば巨匠ヴィスコンティの『山猫』(’63)はアメリカ人のバート・ランカスター、フランス人のアラン・ドロン、イタリア人のクラウディア・カルディナーレが主演を務めているが、オリジナルのイタリア語版ではいずれも本人の声は使用されていない。えっ!カルディナーレまで!?と驚く方も多いかもしれないが、彼女のイタリア語の発音は訛りが強いため、シチリア貴族の声には相応しくないと別人が吹き替えたのだそうだ。その代わり、フランス語版ではドロンとカルディナーレがそれぞれ本人の声を担当し、英語版ではランカスターが自分の声を当てた。今となってはなかなかあり得ない話だが、当時はそれが普通だったのである。■ 『哀しみのトリスターナ』© 1970 STUDIOCANAL – TALIA FILMS. All Rights reserved.