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COLUMN/コラム2020.01.03
空前のディスコ・ブームに沸く’70年代アメリカの光と影。『サタデー・ナイト・フィーバー』
‘70年代最大のカルチャー・ムーブメントといえば、間違いなく「ディスコ」であろう。そのインパクトは’50年代のロックンロールや’60年代のブリティッシュ・インベージョンにも匹敵するほど強烈なものだったが、しかしディスコがそれらのユース・カルチャーと一線を画していたのは、人種や国境や年代の垣根を超えてあらゆる人々を巻き込みながら盛り上がったことだ。文字通り、世界中の老若男女が煌びやかなディスコに熱狂したのである。 それは音楽ジャンルの壁すらも軽く超越し、キッスやローリング・ストーンズといったロックバンドはもとより、フランク・シナトラやアンディ・ウィリアムスのようなクルーナー、果てはシャンソン歌手のダリダやミュージカル女優エセル・マーマン、演歌歌手の三橋美智也に至るまで、ありとあらゆるジャンルのアーティストが流行に遅れまいとディスコ・ナンバーを世に送り出した。そんなディスコ・ブームの頂点を極めたのが、ジョン・トラヴォルタの出世作ともなった映画『サタデー・ナイト・フィーバー』だ。 ディスコはただのブームではなかった ディスコ発祥の地はフランス。ジャズバンドの生演奏の代わりにDJの選んだレコードを演奏して客に躍らせるナイトクラブのことを、レコード盤の「Disc」とフランス語でライブラリーを意味する「Bibliothèque」をかけてディスコテーク(Discothèque)と呼んだのが始まりだ。アメリカには’60年代に上陸したが、しかし当初はニューヨークのル・クラブやアーサーに代表されるような、ジェットセッター御用達の特別な社交場に過ぎなかった。ディスコが本格的にアメリカ文化に根付き始めたのは、’60年代末~’70年代初頭にかけてのこと。ニューヨークやロサンゼルスなど大都市圏に住むゲイや黒人、ラティーノといった、マイノリティ向けのアンダーグランドなクラブ・シーンがその舞台となった。 折からの経済不況に苦しむ当時のアメリカの若者たち、中でも就職先に恵まれない貧しいマイノリティの若者たちは、せめて週末くらいは暗い日常を忘れて楽しもうとディスコに集い、DJのプレイする軽快なディスコ・ミュージックで踊り明かすようになる。また、当時はウーマンリブ運動の影響によって、都会では多くの若い独身女性が社会進出したわけだが、そんな彼女たちも気軽に遊べる場所としてディスコへ通うようになる。危ない目にあう心配がないからとゲイ・クラブを好んで利用する女性も多かったそうだ。そして、そんな彼ら・彼女らがディスコで踊ったダンサンブルなレコードを買い求めるようになり、やがて音楽業界もこの新たなムーブメントに注目するようになる。ほかのジャンルに比べてディスコに女性アーティストが多いのは、そうした背景もあったと言えよう。 さらに、’75年のベトナム戦争終結もディスコ人気が拡大するうえで重要なきっかけとなった。’60年代末から続く反戦とフォークと政治の暗い時代が終わりを告げ、アメリカ国民は明るくて楽しくてキラキラしたものを求めるようになったのである。フリーセックスやゲイ解放運動など、当時のリベラルで開放的な社会ムードも、本来はアンダーグランドなカルチャーだったディスコをメインストリームへ押し上げたと言えよう。ちょうどこの年、ヴァン・マッコイの「ハッスル」やドナ・サマーの「愛の誘惑」、KC&ザ・サンシャイン・バンドの「ザッツ・ザ・ウェイ」といった、ブームの幕開けを告げる金字塔的なディスコ・ヒットが矢継ぎ早に生まれたのは、決して偶然の出来事ではない。 かくして、全米各地でディスコ専門ラジオ局が次々と誕生し、’75年に放送の始まった「Disco Step-By-Step」のように最新のダンス・ステップをレクチャーするテレビ番組が人気を集め、ディスコから生まれたヒット曲が次々と音楽チャートを席巻する。地域のコミュニティセンターや街角のガレージなどでもディスコ・パーティが企画され、年齢制限でディスコに入れない子供から夜遊びに縁遠いお年寄りまで、そして白人も黒人もヒスパニックもアジア人も関係なく、幅広い人種と世代のアメリカ国民がディスコ・ミュージックで踊り狂ったのだ。 さらには、もともと歌劇場だった老舗スタジオ54が’77年にディスコとして新装開店し、芸能界から政財界に至るまで名だたるセレブ達の社交場として人気を集めたことから、ディスコはアメリカで最もホットなトレンドとなったのである。そして、まさにその年に劇場公開されて爆発的なヒットを記録したのが映画『サタデー・ナイト・フィーバー』だった。 時代のトレンドを通して社会の実像に迫る 舞台はニューヨークの下町ブルックリン。主人公は貧しいイタリア系の若者トニー(ジョン・トラヴォルタ)。街角の小さな工具店で真面目に働くも給料は雀の涙、家に帰れば両親からダメ息子扱いされて居場所がない。そんなトニーにとって唯一の気晴らしは、近所の不良仲間とつるんで週末の土曜日に出かける地元のディスコだ。普段はうだつの上がらない負け組のトニーも、ここへ来ればダンスフロアで華麗なステップを踏んで周囲の注目を集める「ディスコ・キング」。ハンサムでセクシーで抜群にダンスの上手い彼は、若い女性客たちが放っておかない正真正銘のスターだ。もちろん、所詮は一晩だけの夢と本人も分かっている。しかし、彼にとって虚しい現実から逃れられる場所はここ以外にないのだ。 そんなある日、トニーはひときわ目立つ若い女性ステファニー(カレン・リン・ゴーニイ)と知り合う。美人だしダンスは上手いし、なによりもほかの下町の女の子たちとは明らかに違う、洗練された都会的な雰囲気がある。実際、彼女はマンハッタンの芸能エージェントに勤めるキャリア・ウーマンで、トニーの周りにはいないタイプのインテリ女性だった。といっても、その喋り方には下町訛りがかなり残っているし、話す内容も有名な芸能人が出入りする華やかな職場の自慢話ばかり。どうやらまだ就職して日が浅いらしく、近々ブルックリンからマンハッタンのアパートへ移り住むらしい。「私はあなたたちと違うのよ」というエリート意識が鼻につく上昇志向の強い女性だ。 しかし、それゆえにトニーは自分にないバイタリティを彼女に感じ、ディスコで開催される恒例のダンス・コンテストのパートナーとして彼女と組むことにする。夢を追いかけて地元から出ていくステファニーの強さと行動力に刺激を受けるトニー。一方の自分はといえば、異なる人種グループとの無意味なケンカでストレスを発散し、現実逃避でしかない夜遊び・女遊びに明け暮れる毎日。外の世界のことなど殆ど知らない。このままで俺は本当にいいのだろうか?今の生活を続けることに疑問を抱き始めた彼は、やがて自分の将来を真剣に考えるようになる…。 ‘76年に雑誌「ニューヨーク」に掲載されたイギリス人音楽ジャーナリスト、ニック・コーンのルポルタージュ記事を基にした本作。加熱するディスコ・ブームに当て込んだ便乗企画であったろうことは想像に難くないし、そもそも主人公トニーのモデルになった男性が原作者の創作だったことをコーン自身が後に認めているものの、しかし貧困やマイノリティ、ウーマンリブにフリーセックスと、当時の文化的・社会的な背景をきっちりと盛り込んだ脚本は、ディスコ・ムーブメントの本質を的確に捉えていると言えよう。そこはやはり、ジョン・G・アヴィルドセンの『ジョー』(’69)やシドニー・ルメットの『セルピコ』(’73)で、大都会ニューヨークのストリートを通して現代アメリカの世相をリアルに描いた、名脚本家ノーマン・ウェクスラーならではの社会派的な視点が光る。 もちろん、社会性とエンタメ性のバランスをきっちりと踏まえたジョン・バダム監督の演出も絶妙で、中でも着飾った若者たちが踊り狂う煌びやかなダンスフロアと薄汚れたブルックリンの生々しい日常との対比は、ディスコ・ブームに沸く’70年代アメリカの光と影を鮮やかに活写して秀逸だ。本作の大成功を受けて、『イッツ・フライデー』(’78)や『ローラー・ブギ』(’79)、『ミュージック・ミュージック』(’80)など柳の下の泥鰌が雨後の筍のごとく登場したが、時代のトレンドを通して社会の実像に迫る本作は、やはり数多の「ディスコ映画」とは明らかに一線を画すると言えよう。 なお、本作は’80年代映画サントラブームのルーツとしても重要な役割を果たしている。「オーストラリアのビートルズ」からディスコ・グループへと華麗なる転身を遂げたビージーズが新曲を提供し、「ステイン・アライヴ」や「恋のナイト・フィーバー」「愛はきらめきの中に」の3曲が全米チャート1位を獲得した本作。さらにイヴォンヌ・エリマンの歌った「アイ・キャント・ハヴ・ユー」も全米1位となり、ほかにもトランプスの「ディスコ・インフェルノ」やKC&ザ・サンシャイン・バンドの「ブギー・シューズ」など数々のディスコ・ヒットを全編に使用。それらを収録した2枚組のアルバムは全世界で4000万枚以上を売り上げるほどの社会現象となった。この「最新ヒット曲を集めたオムニバス盤」的なサントラ戦略の成功が、後の『フラッシュダンス』や『フットルース』などの布石となったと考えられる。■ 『サタデー・ナイト・フィーバー』© 2013 PARAMOUNT PICTURES CORPORATION. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2020.01.01
—ジャンル融合による新ヴァンパイア映画の誕生— 『ニア・ダーク/月夜の出来事』
■RVカーで放浪する現代の吸血鬼 アリゾナ州フェニックスにある町で、美しい女性・メイと出会ったカウボーイのケイレブ・コルトンは、自分が恐ろしい運命に巻き込まれるとは思いもよらなかった。彼はキスを要求してきたメイに首を咬まれ、そして明けの陽光に当たると、いきなり体が燃え始めたのだ。 そんなケイレブを、とつぜん猛進してきたRVカーが引きずりこむ。中にはメイと行動を共にする、強面のリーダーであるジェシーと男勝りなダイヤモンドバック、そして気性の荒いセヴェレンと、大人びた少年ホーマーがいた。彼らは全員が生きるために人間の生き血を必要とする、ヴァンパイアの一団だったのだ——。 イラク戦争における爆弾処理兵の苦悩を描いた『ハート・ロッカー』(08)で、女性初となる米アカデミー賞監督賞を手中にした監督キャサリン・ビグロー。受賞後の発表作『ゼロ・ダーク・サーティ』(12)では、オサマ・ビンラディン暗殺計画の全容に迫り、また直近の作品となる『デトロイト』(17)においては、1967年にミシガン州デトロイトで発生した米史上最大の暴動と、その拡大の中で起こった白人警官による黒人の虐待殺人「アルジェ・モーテル事件」を克明に再現。観る者を人種差別の凄惨な現場へと導いている。 このように、今や社会派の巨匠となった感のあるビグローだが、キャリア初期はファンタジックな秀作を意欲的に手がけ、近年からは想像もつかないような作品展開でコアなファンを獲得している。1987年製作の『ニア・ダーク/月夜の出来事』は、そんな彼女の単独監督としての第1作目にあたる。 ジェシー率いるヴァンパイアたちはナイフと銃を武器に、廃屋やモーテルを転々とし、窓を黒く塗ったRVカーで移動する放浪者のような存在だ。ケイレブはそんな彼らの餌食になるも、メイは彼をヴァンパイア化させ、自分の血を与えて生かそうとする。いっぽうケイレブを目前でさらわれた父ロイと妹のサラは、かけがえのない身内を必死の思いで見つけ出そうとする。ケイレブはそんな父との再会を果たすとき、家族とメイとの間で絆の選択を迫られていく。 やがてフッカーたちはそんなロイや警察を相手に銃撃戦を交わし、バンガローの壁には銃弾が突き刺さり、陽光がレーザー照射のように部屋の中を切り裂いていく。そんなホラー映画史上最も特異な“吸血鬼ウエスタン”ともいうべきこの物語は、ホラーと西部劇、そしてアクションの融合作として、ビグローのスタイリッシュかつキネティックな映画制作を証明するものとなった。加えてブルーを基調とするクールな色の演出や逆光の効果的な使用など、後の作品に見られるビジュアルスタイルは、この『ニア・ダーク』によって完成されている。 ■女性監督キャスリン・ビグローの台頭 商業監督として一本立ちしたいと切望していたビグローは、『ヒッチャー』(86)の脚本家・エリック・レッドと共同して書いていた2本のスクリプトのうち『ニア・ダーク』を映画会社に送り、興味を示したプロデューサーのエドワード・S・フェルドマン(『エクスプロラーズ』(86)『ゴールデン・チャイルド』(87))と会う。ビグローが提示した映画化の条件は、「自分を監督させること」で、フェルドマンは「わたしがダメ出しすれば、途中交代もある」ことを引き換えに条件を受け入れるが、彼女の熱心な仕事ぶりと緻密な演出力に舌を巻き、完成を彼女に委ねることとなった。 こうしたジャンルの混合は当時の映画界の潮流としてあり、正統な吸血鬼ジャンルでは企画がとおりにくいという事情が横たわっている。そのため本作において「ヴァンパイア』や「吸血鬼」といった呼称は用いられず、また吸血鬼の映画に常在していたゴシック様式は取り払われ、十字架や聖水などのアイコンはこの映画には登場していない。 しかしビグローはそれらを取り除いたにもかかわらず、血が絆を結びつけるものとして「家族」を象徴的に描き、多くの点で意図的な家族への献身に形を変えて捉えている。筆者はビグローが2002年に発表した潜水艦映画『K-19』(02)のプロモーションで彼女と出会う機会に恵まれたが、同作のカメラワークが『U・ボート』(81)に似た動きをしていることを指摘すると、「この作品を(ウォルフガング・)ペーターゼンのマスターピースと比較してくれるなんて光栄なこと。でもわたしは潜水艦映画を撮ったという意識はないの。『K-19』は、男は難しい局面でどういう選択をし、どういう生きざまを見せるべきか。それを問う作品として捉えてほしい」 と、あくまでテーマ尊重の姿勢を目の当たりにしたことが思い出される。そしてこの家族に対するテーマへの 象徴的なハッピーエンドを迎えるに大きな作用をなすのである。 『ニア・ダーク』は製作元であるラウレンティス・エンタテインメント・グループ (De Laurentiis Entertainment Group) が倒産してしまったため、宣伝展開が思うようにいかず、ビグローは単独監督デビューを華々しいヒットで飾ることはできなかった。しかし評論家や観客の評価は高く、今でも本作を彼女の最高傑作と讃える者は少なくない。 ■『エイリアン2』との関係性 ビグローのホラージャンルを借りた深いテーマへの追求は、巧妙なキャスティングの試みによっても支えられている。 本作にはヴァンパイア役の主要キャストに、ランス・ヘンリクセンやジャネット・ゴールドステイン、そしてビル・パクストンといった『エイリアン2』(86)に出演した俳優が顔を揃えている。当時、ヘンリクセンとパクストンは役作りのためにブートキャンプを組んだジェームズ・キャメロン監督のアプローチを通じ、チームのような関係になっていた。これが映画にいい影響を与えるのではとビグローはもくろみ、ユニークなヴァンパイア一味のキャラクターを彼らで作り上げたのだ。 そのため前述のキャスティングに関し「ビグロー監督は、キャメロンから具体的な示唆が与えられたのでは?」という噂も飛び交ったという。 しかし実際のところ、パクストンらが自主的に『ニア・ダーク』の脚本を読んで出演を希望。それが『エイリアン2』チームの再結集だと気づいたビグローが急きょキャメロンに連絡をとり、承諾を得たのが事の次第である。ビグローが実際にキャメロンと会ったのは、新人女警官とサイコキラーとの壮絶な闘いを描いた『ブルー・スチール』(90)の製作中で、主演のジェイミー・リー・カーティスと次回作『トゥルー・ライズ』(94)について話し合うため、キャメロン自身がその現場を訪れたときだ。そのとき二人は互いの創作意識や、緻密なビジュアルスケッチを自分で描く共通点に意気投合。急速に仲を深め、同作の完成後に結婚することとなる(1991年に離婚)。 そんな彼らの関係を示し、『ニア・ダーク』を補足する映像資料が、ビル・パクストンがボーカルを務めるニューウェイブバンド「マティーニ・ランチ」のプロモーションビデオ"Reach"(88)だ。 売春宿の女を訪ね、荒れた小さな西部の町にやってきたバイカーが、女性ばかりの賞金稼ぎに命を狙われるこのPV。監督したのはジェームズ・キャメロンで、本作は『ニア・ダーク』とほぼ同時期に制作されている。そうした経緯もあって、劇中、女ガンマンの一人として出演しているのがキャスリン・ビグローだ。他にもランス・ヘンリクセンやジャネット・ゴールドステインが顔を出しており、また『ニア・ダーク』に見られるウエスタンの様式はパクストンの進言が大きく作用したとされているが、これを見れば明らかだろう。『ニア・ダーク』を観た後に参照していただきたい。■ 『ニア・ダーク/月夜の出来事』© 1987 Near Dark Joint Venture
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COLUMN/コラム2019.12.28
『ピースメーカー』でたどる民族問題地獄めぐり〜チェチェン、ナゴルノ・カラバフそしてユーゴ〜
97年の映画『ピースメーカー』は、ロシアで強奪された核弾頭を用いた核テロを防ぐため、アメリカ政府の核拡散防止グループのケリー博士(ニコール・キッドマン、以下ニコマン)が指揮を執り、ロシア軍にパイプを持つ米陸軍のデヴォー中佐(ジョージ・クルーニー)とコンビを組んで、世界中を東奔西走する、というポリティカル・ミリタリー・アクションだ。 01年の9.11翌々月から本国放送が始まった「24」シリーズを先取りしたかのような内容で、クルーニーの吹き替えには、声優デビュー作「ER」でクルーニーを担当していた小山力也がソフト版でもTV放送版でも起用された。後に「24」のジャック・バウアー役で小山に白羽の矢がたったのも本作あったればこそでは?と筆者は勝手に妄想しているのだが、確証はない。 本作、出来の良いアクション映画で、放送時間たっぷり楽しませてくれることは請け合う。だが、今や似たような映画は多い。映画をよく見る人ならば、未見の人であれ再見の人であれ、新鮮な驚きを今さらは感じられないかもしれない。 しかし、97年という時代背景から読み解くことで、深い見方ができる豊かなテクストに、期せずして今となってはなってしまっている。以下その読み解きを試みてみる。 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 1997年。良い時代だった!当時の筆者はそうは実感できず、60年代や70年代の過ぎ去りし時代に憧れ、その頃の映画を好んで見たりもしていたのだが、90年代もまた過ぎ去って歴史となった今の視点から客観的に見るなら、89年に始まるあの激動と希望の日々こそ、最良の時代だった。しばし、思い出話にお付き合い願いたい。 89年、日本はバブルの真っ只中で豊かさを楽しみ、バブル崩壊後も、今日ほど国民の貧困と国家の衰退が生々しい問題ではなく、祭りの後の余韻をまだしばらくは反芻できていた。 アメリカは91年の湾岸戦争で世界を導いて圧勝しベトナムで失くした体面を取り戻し、90年代後半からは日本とバトンタッチしてバブル景気へと突入。世界第1位と当時第2位の経済大国であった日米は、ともに西側にあって空前の繁栄を謳歌していた。 一方の東側は、80年代、貧しかった。東側のリーダーであるソ連は、一説では国家予算の4割を防衛費に回していたという。戦争が起こらなければ20年ほどでスクラップとなる無用の長物にである!ソ連の「衛星国」と呼ばれた東欧諸国では“資本主義の豚”たる西側の大手銀行に借金し、絶望的な貧困に人民が不満を抱かぬよう、消費財を買って市場に出回らせる(設備投資に充てるのではなく!)という、本末転倒な使い道のために借金に借金を重ねていた。こんなことは続かない!冷戦を今後も続けていける経済的余裕が、東側にはもう無くなっていた。 85年、その2年前にアメリカのレーガン大統領が「悪の帝国」と呼んで敵視したソ連に、ゴルバチョフ書記長が現れた。そして、改革開放を一個人のリーダーシップで、トップダウンで、内部から推し進めていった。もう冷戦は終わらせねばならなかった。 その自由化の波は東欧諸国にも伝わり(それとは無関係に反ロシア感情の根強いポーランドが先行して勝手に独自の民主化運動を起こしてはいたが)、89年、ハンガリーが先陣を切って共産党一党独裁体制を大政奉還する動きを見せ、鉄のカーテンの一部まで開いてしまった。ハンガリーはソ連(≒ロシア)とは縁が浅く、歴史的にはモーツァルトやクリムトやフロイトを生んだ先進文化大国オーストリアと深い縁で結ばれており、後進国ロシアで制度設計されたソ連型共産主義にはそもそも馴染めずにきた、“最も西側的な東側の国”だったためだ。 このハンガリーの動きが東ドイツ市民に伝播する。89年11月にベルリンの壁が崩壊。東欧のソ連衛星諸国は次々と、党が自主的に独裁(“指導”と自称していた)を返上するか、あるいは市民革命が起きて独裁者が打倒されるなどして、民主化していった。同89年12月、この時代の生みの親であるソ連のゴルバチョフは、アメリカのパパ・ブッシュと共に、マルタ会談にて冷戦の終結を宣言した。 これにより、いつか米ソ核戦争が起きて世界は滅びるかもしれない、という40年来の恐怖から、人類はようやく解放された。そして、選挙で有権者に選ばれたわけでもない特定イデオロギーの政党が憲法上唯一の“指導政党”として永久に君臨し続ける統治制度は改められ、それらの国々では複数政党制と、複数候補が立候補する自由選挙が導入されていった。興奮と歓喜の90年代が、希望と激動のうちに始まったのである。 それは、西側自由民主主義陣営の完勝だった。ソ連は91年末には地上から消滅し、中国の台頭はまだ。「唯一の超大国」と呼ばれたアメリカの“無双”状態が短期的には実現した。しかし、敵がいないと困るのがハリウッドだ。そこで、ロシアの政情と社会が混迷してきた90年代にハリウッドの脚本家たちが映画に登場させたのが、「ソ連の敗北を認めようとせず、米帝ズレの下風に立つことを潔しとしない、ロシアの保守強硬派」という、新たな敵役だった。たとえば97年の『エアフォース・ワン』などだ。 実際、91年の夏、ソ連ではクーデターが発生。ソ連初にして最後の大統領ゴルバチョフ(兼もともとソ連共産党書記長)が、副大統領、KGB議長、国防相ら「国家非常事態委員会」によって拘禁された。彼らは、ゴルバチョフによる改革開放路線がソ連を自壊に追いやると(特に、予定されていたソ連邦を構成する各共和国への大幅な自治権の移譲に)危機感を募らせていた、ソ連最高指導部内の保守強硬派たちだった。 しかし、ソ連邦を構成する国々のうち最大の共和国ロシアの大統領エリツィン(民主選挙で生まれたロシア初代大統領)が反クーデターの旗を振り、モスクワ市民に街頭に出て抗議に加わるよう呼びかけ、軍を掌握する国家非常事態委員会と対決した。ソ連邦の大統領を下部構成国ロシアの大統領が救おうと立ち上がったのだ。モスクワ市内に当時最新鋭のT-80戦車が陸続と列をなして進入し、2年前の天安門事件そっくりの緊迫した光景も見られたが、しかし、軍部もKGBもエリツィンと市民側に寝返り、もしくは静観したために、このクーデターは3日で失敗に終わる。 95年の映画『クリムゾン・タイド』は、このような保守反動クーデター勢力によるロシアの政変に端を発した核危機を背景に、全面核戦争に備えて出動した米海軍の戦略ミサイル原潜アラバマ内部で起こる、艦長と副長の指揮権をめぐる対立を描いている。 この「8月クーデター」によって、ロシア共和国とエリツィンの輿望は大いに高まった。反対に、ロシア共和国の上に立つソ連邦と、ソ連共産党、その両方の長であったゴルバチョフは、決定的に権威失墜し、クーデター終息の数日後にはゴルバチョフはソ連共産党書記長を辞任。ただしソ連大統領の座には留まった。それが、夏の終わり。 冬には、エリツィンのロシア共和国がソ連邦からの離脱を表明。ソ連の国土面積の大半を占めるロシアが脱退してソ連が存立できるわけがなく(日本国から本州が分離独立するようなものだ)、これはソ連邦の解体をただちに意味した。ゴルバチョフはついに連邦大統領職をも辞任。彼がクレムリンで上からの改革開放を始めてから6年、冷戦を終結させてから2年がたった91年の12月25日、ここに、ソ連は消滅。ロシアはじめ各共和国へと四分五裂していった。まさに、激動の時代であった。 ソ連を内部崩壊させ自由民主主義陣営に加わったロシアだが、世界を導くイデオロギーを自ら捨て去り、慣れない自由主義と資本主義には戸惑い、モラルも揺らぎ、さらにはハイパーインフレと金融危機に見舞われて経済まで破綻し、アメリカと世界のリーダーの座を競うどころでは到底なくなってきた。90年代の、ソ連崩壊後のロシアは、「混迷」の一語に尽きる。95年の『007 ゴールデンアイ』や、97年の本作『ピースメーカー』で描かれるのは、この、冷戦に負け、アメリカの軍門に下り、経済もモラルも崩壊してしまった、混迷するロシアの姿である。そして、この時期に台頭した「オリガルヒ」と呼ばれる政商的な巨大財閥(97年ヴァル・キルマー主演『セイント』における敵役)とプーチンによって、21世紀に入ると、超大国ソ連の栄光の復活を目指す、“強いロシア”の国家意志が露骨になり、自由民主主義諸国とは一線を画する独自の路線を歩み始め、今日に至るのである。 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 前置きが長くなりすぎた。そろそろ映画『ピースメーカー』を見ていこう。冒頭、ロシアのミサイルサイロが描かれる。軍人たちが見守る中で核ミサイルが搬出されていくのだが、よく見るとそこに2人だけ、ロシア軍のオリーブ色の軍服ではなく、青色の軍服を着た軍人の姿が認められる。まごうかたなきアメリカ空軍のドレスブルーユニフォームだ。これは、核兵器の削減を米ソ間で91年と93年に合意したSTART(戦略兵器削減条約)に基づき、その履行監視のためにロシア国内のミサイル基地に米軍の査察団が派遣されていることを表している。冷戦が終結し、ICBMを減らすため、かつての敵国の監視団を自国のふところに招き入れるというところにまで、米露は接近し、世界平和は実現しかけていた。筆者が90年代こそ最良の日々だったと懐かしむ所以である。 このシーンで、ロシア軍の下士官が将校に「自分は核兵器を解体しているところをアメ公に見せてやるためロシア軍に入隊したのではありません!」と愚痴り、将校は「皆そうだ。だが世界は変わった。我々も変わらねばな」と応じる。ここまで書いてきた89年以降の経緯を踏まえた上で、97年当時のロシア人の心情を想像しながら味わってほしいセリフだ。 余談だが、2019年、トランプとプーチンがINF(中距離核戦力全廃条約)を破棄した。地球が滅亡するICBM(戦略核。STARTの削減対象)の撃ち合いまでいかず、戦争や紛争で実際に局地的に使用されるリスクが高い中距離の戦域核の全廃から、世界は大きく後退してしまったのだ。これは、ロシアは抜け穴的に別の兵器だと装って実質的な中距離核ミサイル相当の飛翔体を開発しているではないか!という理由と、なにより、新たな超大国・中国がこの条約に加わっておらず、陸海空軍と並ぶ第四の軍である中国人民解放軍ロケット軍が、米露が核軍縮を進める裏で中距離核を開発しまくってきたため、もはや意味がない!という理由で、トランプが破棄を決めてしまったのである。まことに、あの最良の90年代の日々から、我々はどれほど遠くに来てしまったのか…溜息しか出ない。 映画の話に戻ろう。解体されているミサイルは「SS-18」。NATOコードネームで「サタン(悪魔の王)」と呼ばれた、1機のミサイルに10発の核弾頭を搭載でき、それをバラ撒いて10個の目標を攻撃できる、冷戦期を象徴する文字通り悪魔の多弾頭ICBMだ(ちなみに米軍側のライバルICBMは名前を「ピースキーパー」という)。10発の核弾頭は取り外されて、軍用列車で(おそらく処理施設に)運搬される。が、その途中で高度に訓練された武装勢力に襲撃され、全弾奪われてしまう。実は先のロシア軍将校も武装勢力の協力者であり、核をテロリストに横流しして儲けようとしている裏切り者なのだ。「世界は変わった。我々も変わらねば」と言ったのは、共産主義の理想もソ連時代のモラルも死んだ、今はカネが全ての世の中だ、という意味だったのだろう。当時、こういう考えの者も現れかねないと懸念されるほどに、ロシアは混迷の只中にあった(実際、北朝鮮のICBMのエンジンや移動発射台は旧ソ連軍の科学者が売った技術だとの指摘もある)。また、先の将校の上官であり、事件の黒幕であるロシアの将軍は、後のアメリカ側の身元調査によると「汚職疑惑で捜査されておりおそらく起訴される。演説の中でナショナリズムを煽り、失われたソ連の栄光を嘆き、スラヴ民族の団結を主張している。その上アル中で、女もはべらせている」とのことで、90年代ハリウッド映画に出てくる悪役の、ゴリゴリのステレオタイプだと言える。 彼ら強奪犯一味は、不慮の列車事故だと偽装し、10発の弾頭のうち1発を故意に起爆させて核爆発を起こし、現場検証を不可能にして追跡の目も撹乱しようとする。場所はウラル山脈の田舎だが農家も点在しており、証拠もろとも地元農民たちも地上から蒸発させられる。残る弾頭は9つ。 この核爆発を当然、アメリカの国防機関も即座に感知する。ワシントンは大騒ぎになり、核不拡散の専門家であるニコマンの耳にも速報が入る。爆発規模500~700キロトンと聞き、彼女は絶句。ちなみにヒロシマが15キロトンでナガサキが22キロトンだ。「チェルノブイリは忘れて!今回はもっと酷いから」とスタッフに言うほど、彼女も色を失う規模である。 報告を受けたホワイトハウスの国家安全保障担当大統領補佐官は「ロシア…なんたる混乱!冷戦が懐かしいよ」と罵る。そう。あの頃、誰もがロシアに「混乱」を見ていた。 ニコマンは補佐官に、この核爆発が列車事故では起こりえないことを解説する。まず、核弾頭は、プルトニウムを取り囲んで等量配置された火薬を同時に炸裂させ、爆圧を均等に中心部のプルトニウムに加えて核分裂を発生させる(これを「爆縮」と呼ぶ)以外には、決して核爆発は起こらない。専用の起爆装置を正しく用いない限り、事故や火事で「核爆発しちゃう」ことなど絶対にありえないのだ(この安全設計を「ワンポイントセーフ」と呼ぶ)。 そもそも、列車の衝突脱線事故と核爆発までに数分間のタイムラグがあったことも、衛星写真によって確認された。事故で爆発が起きたはずがないのだ。 「これはテロです!」とニコマンは断言する。補佐官は、ニコマンと彼女の核拡散防止グループに国防・安全保障関係各機関を指揮する権限を与えて大統領直属とし、ニコマンは核を盗まれたロシア軍とのリエゾン将校を一人つけてくれるよう要請する。リエゾン将校とは、相手の軍に派遣され自軍との連絡・調整にあたるパイプ役のこと。それが、クルーニーだ。 混迷の90年代ロシア軍とのリエゾンを務めた経歴を持つだけあって、型破りな軍人である。半分はジャック・バウアー型の漢だが、いつものセクシーなニヤケづらを絶やさず、バリバリのキャリアウーマンであるニコマンをいなすクルーニー演技のおかげで、余裕しゃくしゃくな印象もかもし、半分、ジェームズ・ボンドっぽさも漂う。 彼は、ちょうど議会の聴聞会に引き出されている最中だった。①神経ガスを②イラクに売ろうとしている③元KGBを捕らえるために、ロシア軍大佐と取引現場の④ディスコに行き、代金をめぐって店側とケンカになり自分は逮捕されたものの、おかげでロシア軍大佐が元KGB闇商人を発見して神経ガス密売を見事阻止。そのお礼としてクルーニーはアメ車をロシア軍大佐にプレゼントし(ここでもロシア軍のモラル崩壊を強調)、そのことで議会から吊し上げを喰らっているのだ。 ①神経ガスの恐ろしさを世界は2年前の地下鉄サリン事件で知ったばかりだった。②イラクはこの時期、湾岸戦争の後・イラク戦争の前で、フセインが大量破壊兵器を入手したがっているのではないか、とアメリカに疑われていた。③KGBはソ連崩壊の91年に解散。その任務は後にロシア連邦保安庁FSBに引き継がれたが、当時の混乱期には、反社会的勢力に“キャリア転職”して暗躍している元スパイがいるとも、まことしやかに囁かれていた。④ディスコはソ連崩壊後の退廃の資本主義モスクワを象徴するイメージで、この時期の映画ではしばしば描かれる(米FBIとロシア内務省が合同捜査でディスコにいるチェチェン・マフィアを逮捕するという幕開けで始まる97年のリメイク版『ジャッカル』など)。 また、本作では前半においてたびたび、今回の核爆発と「チェチェン情勢」が何らか関連しているのではないか?といったセリフが、複数のキャラクターの口から出てくる。 ソ連邦最大の構成国であったロシアだが、ロシアもまた連邦国家であり、マトリョーシカ構造になっていた。ロシア連邦の構成国の小さな一つが、コーカサス地方の一隅にあるイスラム系のチェチェン共和国である。91年ソ連崩壊直前の混乱のさなか、チェチェン共和国はソ連邦から、さらにはロシア連邦からも独立すると一方的に宣言。それは認めずと、ロシア連邦エリツィン大統領が94年に軍事侵攻し、第1次チェチェン紛争が勃発する。 西側自由世界は、民主化したロシアと、「8月クーデター」で自由を守るため市民を率いて立ち上がったエリツィンと、彼らによるチェチェンへの弾圧を、どう評価すべきか判断に窮する複雑な立場に置かれた。クリントン、ブッシュJr.両政権は一応は批判的な姿勢をとり、エリツィンと後のプーチンはそれには反発したが、米露間の大きな懸案となるところまではいかなかった。 さらに、戦争でロシア連邦軍に勝てなかったチェチェン独立派が、02年のモスクワ劇場占拠事件や04年のベスラン学校占拠事件など、ロシアの一般市民を狙った無差別大規模テロに訴えるようになり、しかもチェチェン側にアルカイダ系テロリストが合流しているとの説まで出てきて、9.11以降「テロとの戦い」に邁進していたアメリカとしては、ますますどう距離感をとっていいのか、どちらに肩入れすべきなのか、微妙な問題と化していった。 ハリウッド映画の中では、たとえば本作の場合だと、「ロシアにおけるゴタゴタの出元はたいがいチェチェンだが今回の核爆発とは無関係」と、チェチェン問題をどう評価するかからは逃げた中立のスタンスをとっている。一方、先に題名をあげた『ジャッカル』では、チェチェン・マフィアこそ良い自由主義国になるべく努力しているロシアの混迷と治安悪化の元凶であって、それを倒すためFBIとロシア内務省が合同捜査する、と、チェチェン側に批判的なスタンスをとっている。また『クリムゾン・タイド』では、チェチェンでのロシア連邦軍の住民弾圧を日米が非難すると、ロシアの極右指導者がクーデターを起こして極東の核ミサイル基地を掌握し、日米は黙って引っ込んでいないと核攻撃を加えるぞ!との声明を出したため、米海軍原潜に出動命令が下るというところから始まり、こちらは、親チェチェン・反ロシア的なスタンスだと言えなくもない。 『ピースメーカー』の話に戻る。例の神経ガス事件の時に組んでアメ車を贈った元相棒のロシア軍大佐から、元KGBを雇っているロシアン・マフィアのフロント企業がウィーンにあって本件に関与しているとの情報を得たクルーニーは、ニコマンと共にウィーンへ飛ぶ。そしてフロント企業のロシア担当ドイツ人社員を脅迫・拷問(!?)して情報を聞き出し、さらに、人の国の市街地でド派手なカーチェイスと銃撃戦をおっ始め、広場の真ん中で負傷して動けなくなった相手を射殺する、という、ハリウッド・アクション映画の定石を演じ(もちろんお咎めは無し)、このフロント企業が核爆発の発生地点近くで同日にトラックを配車していたメールを入手する。列車から奪われた核弾頭はそれに積み替えられたとみられ、トラックは今、イラン国境に向かっていることも確認がとれた。クルーニー、ここで「ファッキン・イラン!」と放送禁止用語を吐く。 2019年、イラン核開発問題をトランプが蒸し返し、またもキナ臭い空気が漂い、海上自衛隊まで巻き込まれかねない情勢となっているが、この時から、イランの核開発はアメリカの警戒の的であった。はたして核弾頭はイランが買おうとしているのか? ウィーンでの情報をもとに、偵察衛星でロシアからイランへの道路を監視するアメリカだが、車両が大量に渋滞しており、その中のどれが核弾頭を運んだトラックなのか見分けがつかない。そこでクルーニーはある一計を案じ問題のトラックを割り出すのだが、どうしてイラン国境付近がこんなに渋滞しているのかは、一言「アルメニアとアゼルバイジャンの戦闘から逃れる難民」との説明があるだけだが、これは「ナゴルノ・カラバフ戦争」のことをさしている。 地図をご覧いただきたい(チェチェンの場所もついでにご確認を)。クリックで拡大する。ロシアからイランに向け、コーカサス地方(この地図のエリア)を南下して抜けようとすれば、アゼルバイジャンを縦断するルートが一つだ。 アゼルバイジャンはイスラム教国だが、キリスト教少数民族も存在している。アルメニア系住民である。そのアルメニア系キリスト教住民が集中して暮らしているのが、ナゴルノ・カラバフだった。地図で「旧ナゴルノ・カラバフ自治州の境目」として点線で囲われている地域だ(クリックで拡大する)。イスラム教国の中に浮かぶキリスト教の離れ小島のようになっていた。西の隣国アルメニア(キリスト教国)の飛び地になっていたとも言える。ここが、例によってアゼルバイジャンからの分離と、アルメニアとの統合を求め、紛争が勃発。東欧革命で世界が生まれ変わる前年の88年に、ソ連体制下ですでに内戦状態に突入していた(つまり、別の文脈で起きた戦争だということ)。そして、住民を巻き込んだ戦闘、虐殺、レイプ、追放などが頻発した。 ご覧の08年の地図にある、このナゴルノ・カラバフを含むより大きなストライプ模様の領域「アルツァフ」という国は、「アゼルバイジャンから事実上独立した地域」とも地図中で説明されている。つまり、ナゴルノ・カラバフという飛び地にいたアルメニア系キリスト教住民は、飛び地であることに飽き足らず、アルメニア本国と境を接するまで土地を獲得していき、アルツァフ共和国として独立するまでに至ったのだ(ただし、アルメニアにも南部に「ナヒチェヴァン自治共和国」というアゼルバイジャンの飛び地が存在することに注目)。 再び話を映画に戻す。イラン国境近くの大渋滞の中から核を積んだ1台のトラックをあぶり出すシーンで、核密売の首謀者であるロシアの将軍が渋滞にイラつきながら「小汚い難民どもめ!アゼルバイジャン人にグルジア人(現ジョージア)にカザフ人!」とヘイトスピーチを吐き、トラックに同乗する核の買い手から「彼らを悪く言うな」と諌められても構わず「どこの生まれかは関係ない。ムスリム、セルビア、民族なんかどうでもいい。貧乏な奴らは嫌いだ!」と醜いヘイトを吐き続ける。買い手は旧ユーゴ出身者で「ムスリム」や「セルビア」という言葉に敏感に反応する。 この買い手は、弾頭を買って核テロを起こそうと計画している旧ユーゴ出身の男の弟なのだ。核弾頭の行き先はイランではなく、その兄の手元だった。クルーニーは国境を侵犯してロシア領内にヘリで侵入、ロシア国内で戦闘行為に及ぶという、近年まれに見る暴挙に出て核弾頭8発の回収に成功する。米露戦争に発展しなくて本当に良かった!だが、残念ながら1発足りない。最後の1発は、例の弟がクルーニーによる襲撃の混乱をかいくぐって持ち出し、最終的には兄に手渡すことに成功する。兄は旧ユーゴのボスニアの都市サラエヴォで暮らしている。どうやら妻子を亡くしたらしい。ユーゴ内戦で。 本稿では、89年東欧革命に始まる90年代を「最良の時代」だったと述懐してきた。東側の共産党一党独裁が終わり民主化され、東欧の旧ソ連衛星諸国は続々とEUに加盟し、ロシアも一時期は欧米型の自由民主主義国に生まれ変わってくれるかに見えた。これほどの大変革がおおむね平和裡に進展していったから「最良の時代」なのだが、何事にも例外は存在する。ソ連崩壊の混迷の中から生まれたチェチェン紛争がまず一つ。89年民主化とは違う文脈だがナゴルノ・カラバフ戦争が二つ目。そして、第三の悲劇がユーゴ内戦である。 そもそもからして複雑な地域だった。なにせ第一次世界大戦の火元となった「バルカンの火薬庫」とはここである。高校世界史の授業を思い出していただきたい。「汎ゲルマン主義」と「汎スラヴ主義」の対立。つまり、オーストリア帝国(ドイツ語圏)による統治の影響が色濃く残り、カトリックを信じ、ローマ字を使う民族と、ロシアに親近感を寄せキリル文字(ロシア文字)を使い、ロシアと同じ正教を信じる民族とが混在する土地だった。そこにさらに、オスマン・トルコ帝国の支配の置き土産でムスリムまでがいた。これらは全て、ほとんど同じ言葉を話す(方言のような違いはあるが)、遺伝的には同じ人種だ。だが、民族は違った。文字が違う。宗教が違う。習慣が違う。 彼らの間では民族対立が繰り返され、それが第一次世界大戦まで引き起こしたのだが、第二次大戦ではこの土地からナチスを追い払うためのゲリラ戦が闘われ、戦後、その闘争を率いたカリスマ指導者が大統領となって長らく国を治め、多民族を「ユーゴスラビア社会主義連邦共和国」という一国にまとめ上げてきた。しかし、80年に死去。だが、連邦の平和と栄光は尚しばらく続き、84年にはサラエヴォで冬季オリンピックが開催された。そして、89年の変革の時を迎えてしまう。 89年東欧革命の良き影響をダイレクトに受けたのが、ユーゴ連邦の中で最も西欧・中欧に近く、オーストリアと国境を接し(つまり汎ゲルマン主義圏)その支配下に置かれてきた、スロヴェニア共和国だった(89年東欧革命のそもそもの震源地も、オーストリア文化圏のハンガリーであったことを思い出していただきたい。東欧革命は、もともと先進オーストリア文化圏に属していた国々の、ロシア的後進性から離脱し古巣に回帰したい、という民族的衝動としての側面がある)。 また、クロアチア共和国も、進んだ海洋都市国家ヴェネツィア(イタリア半島の付け根)の支配下に長く置かれてきた歴史があり、西欧文明と親しかった(『紅の豚』に出てくるような土地である)。 両共和国とも、カトリックを信じローマ字を使う民族が住み、それゆえ、ヨーロッパでの変革がダイレクトに波及した。この2共和国は、東欧革命のように共産党一党独裁の放棄と複数政党制による自由選挙を実施し、ユーゴ連邦の各共和国の自治権と独立性を大幅に拡大しようと試みた。 しかし、ロシアに親近感を持ち、キリル文字も使う(ローマ字も使うが)、汎スラヴ主義圏のセルビア共和国(地図の青色全域)とモンテネグロ共和国が、これに強く反発。連邦の中でもセルビアはリーダー格であり、その連邦を分裂させるような動きに反対するのは、セルビアの立場では当然であった。そこでスロヴェニアとクロアチアは、ユーゴ連邦からの分離独立を宣言する。かくして91年6月、ユーゴ内戦が始まってしまう。 連邦離脱の先頭を切ったスロヴェニアは、ユーゴ連邦のリーダー格セルビアとは隣接していないため大した戦闘も起きず、混乱を知らぬままとっとと独立を成し遂げ、経済的にも繁栄。いわば“逃げ得”のような格好で早々に古巣の中欧オーストリア文化圏に再合流を果たしてしまった。今ではおとぎ話のようにメルヘンチックな観光立国となっている。 だがクロアチアの方には、流血の事態が待っていた。セルビアと隣接していたため、セルビア軍(当時まだ「ユーゴ連邦軍」だったが事実上はセルビア軍)の侵攻を受けたのだ。そもそもクロアチア領内にはセルビア系住民も数多く暮らしており、クロアチアが独立してしまってはそのセルビア系住民はどうなるのか?という懸念もあって、セルビアとしては座視できなかった(スロヴェニアにはセルビア系住民はほぼいない)。クロアチアとセルビアの紛争は血で血を洗う様相を呈し、91年から95年まで続く。 さらに悲惨だったのは、クロアチア人、セルビア人、さらにムスリムが混在して暮らしていたボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国だ。内戦という次元を越えて「民族浄化」が行われるまでに至った。「民族浄化」とは、対立する民族を地域から根絶やしにすることで(直訳すると「民族クレンジング」、「民族クリーニング」という意味)、良くて強制退去、最悪の場合は「スレブレニツァの虐殺」、「フォチャの虐殺」、「ラシュヴァ渓谷の民族浄化」のようなジェノサイドやレイプ収容所など、ナチスも顔負けの方法までとられた。レイプ収容所とは、強姦被害女性にムスリム社会が理解をあまり示さず村八分にすると百も承知の上で、ムスリム女性を大量に拉致してきて妊娠するまで犯し続け、中絶できなくなる妊娠後期まで監禁しておいてから解放する、という鬼畜の所業である。 『ピースメーカー』で核テロを起こそうとしているのは、この旧ユーゴ人だった。彼は、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国の中心都市サラエヴォの廃墟の中で、独り暮らしている。かつては妻子もいたようだ。町には、崩れかけた建物の外壁に84年サラエヴォ五輪の色褪せた看板がまだ残っている。そんな廃墟で、彼は幼い少女にピアノを教えており、少女からは「教授」と呼ばれている。彼らが、アメリカ人や日本人が憧れてやまない、ヨーロッパ文明の普遍的な洗練と本物の教養を身につけていることが、映画的に示される。さらに、彼は独りになった時、哀感を込めショパンを見事に奏で上げる。「夜想曲第20番 嬰ハ短調(遺作)」だ。映画ファンには02年の『戦場のピアニスト』でエイドリアン・ブロディが廃墟のワルシャワ・ゲットーで弾いていた曲と紹介すれば、ピンとくる人は多いかもしれないが、とにかく、ヨーロッパ型の知識人であることが、ここサラエヴォ市の廃墟のシーンでは強調される。 彼は政治家でもあり、「ボスニア議会」に議員として参加している。日本語テロップでは「ボスニア議会」としか記されておらず、英語テロップでも「Serbian Parliament, Pale, Bosnia(ボスニア・パレ市のセルビア議会)」と記されているだけだ。だが、映像では議会に横断幕が掲げられており、セルビア語で「Република Српска」と書かれている。「スルプスカ共和国」という意味だ。 ボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国の中でもセルビア共和国に接し、セルビア系ボスニア住民が数多く暮らしている地域であり、そこはボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国がユーゴ連邦から独立すると、そこからさらに独立し、セルビアとの統合を求めていった。この経緯、チェチェン紛争やナゴルノ・カラバフ戦争と瓜二つであることを思い出していただきたい。多民族雑居地域における民族紛争の、これは典型的なパターンなのだ。なお、このスルプスカ共和国軍が、前述の民族浄化などの人道犯罪を犯したのであった(ラシュヴァ渓谷の民族浄化はクロアチアの仕業だが)。 本作で核テロを起こそうと企んでいるボスニアの政治家、教授は、このようなヘイト・クライムを起こすタイプではない。スルプスカ共和国の会議に出席しているのは、セルビア系だからか、それともセルビア系をなだめるために加わっているのか、はっきりしない。ただ、核テロ犯行声明のVTRで彼は、 「私はセルビア人、私はクロアチア人、私はムスリム」 と名乗りを上げている。つまり、「私はユーゴスラビア人だ!」と言いたいのだろう。旧ユーゴでは、セルビア人とクロアチア人とムスリムの間に、分断はなかった。ユーゴスラビアという一つの統一国家の同じ国民だったのだ。それがバラバラに分裂し、憎しみ合っている現状への批判が、「私はセルビア人、私はクロアチア人、私はムスリム」という犯行声明の名乗りには込められている。 筆者は、89年からのダイナミックな東欧革命とソ連崩壊の劇的なドラマに魅了され、この分野を大学では学んだ。旧ユーゴについてもユーゴから来た女性講師がおり、そのもとで学んだが、彼女も決して自分がセルビア人なのかクロアチア人なのか(おそらくムスリムではなかったと思うが)明かさず、「私はユーゴ人だ」と自己規定していた。ちょうど母国が分裂し殺し合いをしていた時期だった。 彼らは、ヘイトに染まるような無教養層ではない。筆者の大学時代の恩師である、成績優秀でユーゴ共産党の国費留学生として中国の大学で学び、日本にまで興味を広げて来日し移住したような国家のトップエリートや、この映画に出てくる、ショパンを弾きこなす政治家の教授のようなインテリゲンツィアならば、そこは当然、他民族へのヘイトスピーチなど吐くわけがなく、「いや、自分はユーゴ人だ!」と言うに決まっているのである。 男は、外交官特権を隠れみのにNYに核を持ち込んでテロを起こそうとしているのだった。なぜNYで?犯行声明で彼は理由を語る。 「我々(旧ユーゴ)は長く共生を試みてきた。我々の間での戦争が始るまでは。戦争を仕掛けたのは我々の指導者らだ。だがセルビアの爆弾は誰が供給した?クロアチアの戦車は?ムスリムの砲弾はどうだ?それで子供たちが死んだ。我々の国境線を引いたのは西側諸国の政府なのだ。時にはインクで、時には血で。人民の血で…。 いま平和維持軍(ピースキーパー)が派遣され、再び我々の運命を定める。こんな平和は要らない!我々に苦痛しかもたらさない!この苦痛を和平調停者(ピースメーカー)にも感じてもらう。彼らの妻、子供たち、彼らの議会、そして教会…そうすればあなた方も理解しよう、我々の運命は我々自身の手に委ねよ!皆に神のご慈悲あれ」 この映画の深刻な問題点が、この犯行動機だ。これは、おかしい!不本意ながら本稿の終わりに、この点をつぶさに批判して、筆を擱くことにしよう。 まず、セルビアの爆弾もクロアチアの戦車もムスリムの砲弾も、元はユーゴ連邦軍の所有物であって、別にアメリカが武器輸出をしたわけでも何でもない。ユーゴ内戦と同時に、安保理決議713号によって旧ユーゴ圏への武器全面禁輸措置がとられていたのだから。彼ら元ユーゴ人たちは、自分たちが税金で買い揃え、武器庫に貯め込んできた兵器で、互いに殺し合いを始めてしまったのだ。アメリカのせいではない。 また「我々の国境線を引いたのは西側諸国の政府」というのも、とんでもない事実誤認で、こんな勘違いをする本物のユーゴ人など一人もいないはずだ。すでに見てきた通り、旧ユーゴ構成各国の国境線は、オーストリア帝国の汎ゲルマン主義やイタリアとの繋がり、あるいは汎スラヴ主義、そしてトルコ支配によるイスラム化と、複雑な歴史的経緯に基づいて線引きされてきたもので、西側、たとえばイギリスだのフランスだの、まして新興国アメリカだのとは、一切関係が無い。言いがかりにも程がある。西側が国境線を人工的に引いたという批判は、アフリカや中東、朝鮮半島には当てはまるが、ユーゴには全く当てはまらない。 従って、NYで核テロを起こさなければならない理由が、さっぱりわからない。「この苦痛をピースメーカーたちにも感じてもらう。彼らの妻、子供たち、彼らの議会、そして教会…」というのは完全に「そばづえを食う」というやつだし、挙げ句の果てに「いま平和維持軍(ピースキーパー)が派遣され、再び我々の運命を定める。こんな平和は要らない!我々に苦痛しかもたらさない!」などと言うのは、実際に現地で家族を虐殺されたりレイプされたりした戦災犠牲者が聞いたら激怒するのではないか!? というぐらいに、ピントがズレまくっている。 最後、核弾頭と起爆装置を持ったこの男を、クルーニーとニコマンはNYのド真ん中で追い詰める。男は再び筋違いの恨み言をまくし立て、それに対してクルーニーが一言「我々の戦争じゃない」と突き放したようなことをつぶやくが、仰る通りなのである!映画としてアメリカが巻き込まれる理由を強引にひねり出してきたな…というのが感想だ。『クリムゾン・タイド』でも知られる脚本家マイケル・シファー、本作では少々詰めが甘かった。なおシファーはこの後、ゲーム「コール オブ デュー」シリーズのスクリプト担当に収まったそうな。 なお、本作は『ONE POINT SAFE(原題)』という、ジャーナリストが書いたノンフィクションが着想の元となっている。その梗概に目を通すと、ロシアの核管理の甘さや核流出・核拡散のリスクを検証したルポルタージュであったようだ。本作前段のロシア関連のくだりにその影響が残っているのだろうが、当時、世界の関心の的であったユーゴ問題を割と消化不良のままでシナリオに持ち込んでしまったのは、誰の責任なのか…。 ユーゴ内戦を描いた映画は様々に、しかもリアルタイムでも制作され、優れた作品も数多い。旧ユーゴの国々で製作された作品もある。ここでそれらを紹介する紙幅はもはや無いが、筆者としては、いつか機会を与えられれば取り組んでみたい作品群だ。 さて、男は起爆装置を起動させてしまう。はたして、解除できるのか!?というサスペンスがクライマックスには用意されているのだが、そこまでネタバレする必要はないだろう。 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 以上見てきた通り、この『ピースメーカー』は、混迷のロシアのモラルを失くした腐敗軍人、ソ連の栄光の復活を望む保守強硬派、という当時のハリウッド映画のステレオタイプ的な悪役を登場させつつ、さらにその先で、冷戦後の世界が直面することになった「民族問題」についてメインで取り上げようとしているのだと、終盤にいたって明らかになる。少々ピントはずれなところはあっても、問題喚起として高い志を抱いて制作された映画であることは認めたい(ドリームワークスの1作目だ)。チェチェンとナゴルノ・カラバフ、そしてユーゴと、90年代「民族問題」地獄めぐりのような構成は、クライマックスにおいて、NYで核自爆テロを計画する男の悲しみと怒りへと収歛していく。 39年からの第二次世界大戦は(少なくともヨーロッパ戦線は)、この「民族問題」によって引き起こされた。チェコのドイツ系住民が多く暮らす土地をドイツ本国に併合したい、ポーランドにあるドイツの飛び地まで続く土地を奪ってドイツ本国と連絡させたい…まさに、チェチェン紛争、ナゴルノ・カラバフ戦争、ユーゴ内戦と全く同じ理由で、あれほどの惨禍が起こったのだ。 戦後の冷戦では、替わって理念の戦いが繰り広げられた。だが冷戦の終結によって、90年代、再び「民族問題」が蘇ってしまった。最良の日々90年代に、世界のいくつかの場所で凄惨な殺し合いにまで発展したこの「民族問題」は、その後、希釈され、西側先進国を含む全世界に、広くあまねく浸透した。今そこにあるヘイト。会いに行けるヘイト。市井のヘイトは我々のすぐ身近にまで忍び寄ってきている。それが、我々が暮らした2010年代の世界の有り様だった。 あと数日で始まる2020年代の世界は、はたして、どうなってしまうのだろうか。同じ過ちを繰り返さぬ唯一の方法は、歴史から学ぶことしかない。映画は、その最良の入り口としての役割も担っているのである。■ TM & © 2020 DREAMWORKS LLC. 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COLUMN/コラム2019.12.27
遅れてきたアクション映画界の大型ルーキー、快進撃を続けるジェイソン・ステイ サム!
今、最も旬なアクションスターは誰か? アクション映画界は長らくシルベスター・スタローン、アーノルド・シュワルツェネッガー、ジャッキー・チェン、スティーヴン・セガール、チャック・ノリスといったメンバーが、寡占ともいえるほ業界を牛耳ってきた。しかし、スタローンは73歳、シュワルツェネッガーは72歳、ジャッキー65歳、セガールは67歳で、ノリスに至っては79歳なのである。人類の平均寿命が延び、年金の支給開始がどんどん後ろ倒しになり、定年後も再雇用やセカンドキャリアが当たり前になっている昨今だとしても、いくらなんでも70代の後期高齢者にアクション映画界をいつまで背負わせているのかと怒られても致し方なしの状況は非常に問題だ。アクションスターの後継者問題は非常に深刻なレベルにあり、特に欧米のアクションスターの人材枯渇っぷりはみていて心配になるレベル。アクションスターという存在が、絶滅危惧種と言われても否定できない状態になっている。 しかしぼくのように年がら年中アクション映画ばかり観ている輩からすると、「心配ご無用!」と太鼓判を押したくなる新進気鋭の若手アクションスターがここにいる。ジェイソン・ステイサムである。 1967年、イングランド中部ダービーシャーで生まれたステイサムは、地元の露店で働きながら、カンフー、キックボクシング、空手といった武道を習得。またサッカー選手としても活躍し、のちに映画で共演することになる元プロサッカー選手ヴィニー・ジョーンズと共にフィールドを駆け回っていた時期もあった。しかし何と言ってもステイサムの才能が開花したのは、水泳の飛び込み競技。イギリス代表候補になるほど卓越した成績を残していたが、ステイサムはアスリートの道ではなくファッションモデルとしてキャリアを積み始める。トミー・ヒルフィガー、グリフィン、リーバイスといった有名ブランドのモデルを務めるだけでなく、シェイメンやイレイジャーといったバンドのミュージックビデオにも出演。そしてステイサムがモデルとして契約していたブランドのフレンチ・コネクションがある映画のスポンサーとなっており、その宣伝もかねてステイサムはその映画に出演することになる。新人監督ガイ・リッチーの長編監督デビュー作であり、ステイサムの映画デビュー作でもある『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』(98年)は、その年のイギリス映画のナンバー1ヒット作となり、主人公グループの一人を演じたステイサムも映画俳優として注目を集めるようになっていく。さらに続くガイ・リッチー監督作『スナッチ』(00年)にも引き続き出演。本作では狂言回しの主人公を演じ、俳優としてのステータスは一気に上がったのであった。 ステイサムの転機となったのは2001年に公開された『ザ・ワン』(01年)。ジェット・リーという稀代のアクションスターと共演したこの映画を皮切りに、ステイサムは本格的にアクション俳優としての活動を開始。リュック・ベッソン率いるヨーロッパ・コープ社制作の『トランスポーター』シリーズ(02年~)では、無敵の運び屋フランク・マーティンに扮し、ステイサムの身体能力をフルに発揮したアクションとド派手なカースタンを披露。ステイサム主演で第3作まで作られる人気シリーズとなり、興行収入もうなぎ上りで『トランスポーター3 アンリミテッド』(08年)ではついに世界興収が1億ドルを突破することになる。他にも、アドレナリンを出し続けないと死んでしまう劇薬を投与された殺し屋の活躍を描く『アドレナリン』シリーズ(06年~)、シルベスター・スタローンが消耗品扱いをされてきたかつてのアクションスターを結集して制作した大傑作『エクスペンダブルズ』シリーズ(10年~)、チャールズ・ブロンソン主演作のリメイクとなる『メカニック』シリーズ(11年~)といった人気シリーズに次々と出演。確実に数字を見込めるアクションスターとしてその方向性は確定していくことになる。 しかし興収が1億ドルを突破するようなアクション大作にだけ出演する、単なるアクション俳優で終わらないのがステイサム。『バンク・ジョブ』(08年)や『ブリッツ』(11年)といった渋めのスリラーでもその存在感をアピールし、『SAFE/セイフ』『キラー・エリート』(共に11年)、『PARKER/パーカー』『バトルフロント』(共に13年)のような単発の佳作アクション映画にも主演。まさに八面六臂の大活躍で、アクション映画俳優としての地位を確立したのだった。 ステイサムのアクションの魅力は、幼少期に経験した様々な格闘技をベースにしたガチンコのファイトコレオグラフィと、抜群の身体能力を活かしたスタント。さらに水泳競技で鍛え上げた無駄のない肉体美の躍動だ。大先輩のスタローンやシュワルツェネッガーのように巨大な筋肉の鎧ではなく、最盛期の総合格闘家ヴァンダレイ・シウバのように発達した広背筋と強くしなやかな筋肉がステイサムの強さの説得力となっているのだ。 閑話休題。ここでアクション映画界に存在する“もう一つの頂”、『ワイルド・スピード』シリーズ(01年~)に話を移そう。元々ヴィン・ディーゼルと故ポール・ウォーカーのコンビが繰り出すド派手なカーアクションで人気になったこのシリーズだが、シリーズ第5弾『ワイルド・スピード MEGA MAX』(11年)からDSS捜査官ルーク・ホブス(ドウェイン・ジョンソン)が参戦した辺りから肉弾アクションも増量。それに伴って興行収入も倍々ゲーム状態で増加している人気シリーズである。 そんな人気シリーズの第6弾『ワイルド・スピード EURO MISSION』(13年)では、これまでアメリカ、日本、ブラジルといった世界をまたにかけて活躍するワイスピ一家が、ついにヨーロッパに乗り込んだ作品で、イギリス特殊部隊出身のオーウェン・ショウ率いる犯罪集団との激闘を描くアクション大作だ。ハイウェイで戦車とのカーチェイスや、巨大輸送機とのカーチェイスなどド派手なアクションが続く本作は、ワイスピ一家がオーウェンを逮捕して終わるのだったが、エンドクレジット後に流れた映像は、まさに世界を震撼させるものであった。そこでは東京で瀕死の重傷を負ったワイスピ一家の主要メンバーであるハンの姿が。シリーズ第3弾『ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT』(06年)で事故死したとされていたハンは、謎の人物によって殺されていたのだった。その人物こそオーウェンの実兄であり元SAS最強の男デッカード・ショウ、演じるのはジェイソン・ステイサムその人であったのだ! ステイサムのワイスピシリーズ参戦のニュースは衝撃をもって世界で迎えられた。続く『ワイルド・スピード SKY MISSION』(15年)では、ステイサム演じるデッカードが本格的に参戦。タイマンでホブスをボコり、カーチェイスでもワイスピ一家の強豪を上回る腕前を披露。たった一人でこれまでの主要登場人物全員を出し抜くチート状態で、ワイスピ一家はシリーズ最大の危機を迎えることになる。 主演陣のひとりであるポール・ウォーカーが撮影中に事故死するという悲劇を乗り越えて制作された『SKY MISSION』は、世界興収15億ドルを突破するというシリーズ最大の興収を記録。殺されずに逮捕されて刑務所に収監されたデッカードは、必ずや後続のシリーズでふたたび最強の敵としてワイスピ一家の前に立ちふさがるに違いない……映画を観たすべての観客がそう思ったはずだ。 しかし続く『ワイルド・スピード ICE BREAK』(17年)ではいきなりデッカードは弟のオーウェンと共にワイスピ一家側として参戦。さらにデッカード兄弟の母親であるマグダレーン(オスカー女優ヘレン・ミレン!)まで登場し、ショウ家は家族総出で謎のハッカー・サイファー(オスカー女優シャーリーズ・セロン!)と激戦を繰り広げることになる。この前作最強の敵が、次作では強力な味方となって、さらにコメディ的な役割も担う展開を、ぼくは勝手に“魁!男塾システム”と呼んでいるのだが、このシステムによってステイサムは前述の人気シリーズに加えてワイスピシリーズにもレギュラー参戦することになったのだ。 そしてワイスピシリーズ初の長編スピンオフ『ワイルド・スピード/スーパーコンボ』では、デッカードはいきなり主役に昇格。ホブスとともに無敵の改造人間ブリクストン(イドリス・エルバ!)と激闘を展開するデッカードには、さらに強力な助っ人MI6エージェントのハッティ(ヴァネッサ・カービー)が登場。しかも何とハッティはデッカードの妹ということで、ワイスピ一家の増殖スピード以上にショウ家の増殖スピードが早すぎて、ますますステイサムはワイスピに必要不可欠な人材になっているのである。 という感じで、自身のシリーズ物を何作も抱えつつ、『エクスペンダブルズ』『ワイルド・スピード』という世界的なメガヒットシリーズでも重要な登場人物を演じ、さらに小粋なサスペンスや小品アクション映画にも多数出演。つまり今のアクション映画界はステイサム抜きでは語れない状態なのである。52歳にして意気軒高なステイサム。あと20年はその活躍から目が離せないぞ。■ 『ワイルド・スピード EURO MISSION』©2013 Universal Studios. ALL RIGHTS RESERVED. 『ワイルド・スピード SKY MISSION』© 2015 Universal Studios. ALL RIGHTS RESERVED. 『ワイルド・スピード ICE BREAK』© 2017 Universal City Studios Productions LLLP. All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2019.12.26
“モダンホラーの帝王”が描いた、 おぞましくも恐ろしい物語 『ペット・セメタリー』
“モダンホラーの帝王”として知られ、日本でも、その著作の多くが翻訳・出版されている、アメリカの小説家スティーヴン・キング。彼が1974年に発表して出世作となったのが、いじめられっ子の少女の超能力が覚醒し、プロムの夜に大殺戮を起こす物語「キャリー」である。 翌75年には、日本でも出版。ブライアン・デ・パルマ監督、シシー・スペイセク主演による映画化作品は、76年の全米ヒット作の1本となった。映画版の日本公開は、77年春。1964年生まれの筆者の世代は、“青春ホラー”の傑作である、映画版『キャリー』によって、原作者であるキングの名を知った者が多い。 キング作品で続いて映画化されたのは、巨匠スタンリー・キューブリックが監督した、『シャイニング』(80)。キューブリックによる原作からの改変が目立つこの作品は、大ヒットに反比例するかのように批評は芳しくなく、キングからも「エンジンが付いてないキャデラック」と忌み嫌われた。しかし現在では、ホラー映画の“古典”という評価が定着している。 『キャリー』『シャイニング』両作の興行的成功によって、キングの小説は発表と同時に、次々と映画化やTVドラマ化されるようになった。最近では「キャリー」や「IT」のように、過去に映像化された作品のリメイクも多くなっている。 そんな中の1本であるのが、『ペット・セメタリー』。日本語に訳せば“ペット霊園”というタイトルのこの作品は、1983年に出版され、89年に最初の映画化。30年後の2019年にリメイク作品が製作された。 因みに原作及び新旧映画作品のオリジナルタイトルは、「ペット・セメタリー=PET CEMETARY」ではなく、「ペット・セマタリー=PET SEMATARY」。子どもの綴り間違いという劇中の設定によるもので、日本での出版タイトルもオリジナルに準拠して、「ペット・セマタリー」となっている。 さて今回「ザ・シネマ」で紹介するのは、『ペット・セメタリー』の最初の映画版である。1980年代に『クジョー』(83)『デッドゾーン』(83)『クリスティーン』(83)『炎の少女チャーリー』(84)『スタンド・バイ・ミー』(86)『バトルランナー』(87)等々、キングの原作が次々と映画化された中では、『シャイニング』以来の大ヒットとなった。3年後の92年には、原作のストーリーからは離れた続編、『ペット・セメタリー2』が製作されたほどである。 そんな大ヒット作の原作に関して、キングは出版されるより前に、こんな述懐をしている。「あまりにも恐ろしくて忌まわしいのでこれまで出版を見送ってきた作品がある…」。そんな話を裏付けるかのように、本作の原作は、キングが79年に一旦完成させながら、出版されたのは、4年後の83年だった。 実はその後キングは別のインタビューで、「恐ろしくて忌まわしい」から「出版を見送ってきた」わけではなく、「原稿に手を入れる気にもならないほど恐ろしい作品を書いた」というのが真意であったと、明かしている。わかり易く言えば、文章の推敲を日延べしている内に、出版が遅くなったというわけだ。 しかし原作者本人が、「恐ろしくて忌まわしい」或いは「おぞましくて恐ろしい」ことを作品にしたと、語っていたのは事実である。時が経つ内に、『ペット・セメタリー』原作に関しては、「あまりの恐ろしさに発表を見あわせていた」という風評が、いつしか伝説化してしまった。 確かにこの原作に関しては、キングが「出版を見送ってきた」ことが(実際には“伝説”に過ぎないにしても)、なるほどと頷けてしまう。こんなに「おぞましい」ストーリーは、ない。特に、子どもを持つ親にとっては…。 メイン州の小さな町ラドローに越してきた、ルイス・クリードと妻のレイチェル、娘のエリーと息子のゲイジ。そんな一家を、向かいに住む老人ジャドは、温かく迎えた。 クリード家の新居の前を走る道路は、日夜大型トラックが猛スピードで行きかい、そのため犬や猫など、数多くのペットが轢かれて死んでいた。そしてその多くが、クリード邸の裏の小道から続く、森の中の“ペット霊園”に葬られていた。 医師として大学の医療センターに勤務を始めたルイスは、大事故で頭の一部が削られるほどの大怪我をした若者ヴィクター・パスコーが、息を引き取る瞬間に立ち会う。ところが、死んだ筈のパスコーが突然目を開け、知る筈のないルイスの名を呼んだ。 夢か現か、亡者のパスコーがその夜、ルイスの寝室へと現れる。パスコーはルイスを“ペット霊園”へと誘い、この更に奥に在る忌まわしき地には、絶対足を踏み入れてはならないと警告する。 それから少し経って、一家の飼い猫であるチャーチが、車にはねられて死んでいるのが見付かる。幼いエリーがチャーチを可愛がっていたことを知る隣人のジャドは、ルイスを“ペット霊園”の先の地に案内し、そこに自らの手で埋めるよう指示する。 翌朝、家族に内緒で埋葬した筈のチャーチが戻ってきた。まるで違う猫になったかのように、凶暴性を帯びて。 ジャドは、エリーを悲しませないために、先住民の間で語り伝えられてきた秘密の森の力を利用したことを、ルイスに教える。「死んだ人間を埋めたことはあるのか?」と尋ねるルイスに、「そんな恐ろしいことを、誰がするか!」と、色をなして否定するジャド…。 やがてクリード家を、どん底へと叩き落す悲劇が起こる。一家の団らん中、ちょっと目を離した隙に、ヨチヨチ歩きのゲイジが道路へと飛び出し、トラックにはねられて死んでしまったのだ。 失った幼子のことを諦められないルイスは、ジャドの警告を振り切って、一旦埋葬した息子の遺体を掘り起こす。そして禁断の森へと、足を踏み入れていく…。 翻訳版で、上下巻合わせて700頁以上という長大な原作を映画化するに当たっては、改変された部分や割愛されたキャラクターなども居る。しかし、原作者のキング自らが執筆した脚本による最初の映画版は、概ね原作に忠実な展開となっている。 それにしてもキングはなぜ、こんな「おぞましい」話を書いたのだろうか?実は『ペット・セメタリー』原作は、キングの家庭に振りかかったアクシデントを基にして、描かれた物語だったのである。 キングとその家族は一時期、メイン州のオリントンという町の、車通りの多い道沿いの家に暮らしていた。そしてその近所には、交通事故で死んだペットのために、地元の子ども達が作った墓地があった。 ある時キングの幼い娘が飼っていた猫が、その道路で轢かれて死んだ。更にはその後、2歳の息子が、同じ道路でトラックに轢かれかかるという“事件”があった。その時、我が子が道路に飛び出す直前に、その体を掴んだというキングは、「5秒遅かったら、子どもを1人失っていた」と、後に語っている。 この経験をベースに、『ペット・セメタリー』原作は書かれたわけだが、キングはそれ以前に発表された作中で既に、子どもを殺した“前科”があった。81年に出版された、狂犬病に罹ったセントバーナードが人を襲う『クジョー』の原作でも、主人公である母親の眼前で、幼い息子が命を落としてしまう(83年の映画化作品では結末が改変され、息子は助かる)。なぜキングは自作で、子どもを殺してしまうのだろうか? それについて彼は、こんな風に語っている。 「ある晩、親ならだれでもするように、子どもたちがちゃんと寝てるかいるかどうか見にいったときに、とんでもないことを考えます。子どもたちのひとりが死んでいるのを発見するんじゃないかってね。 …優れた想像力は、持ち主によいことばかりもたらしてくれるわけではない。想像力は、自分の子どもが死んでいるのを見つけることを、たんなる小説のアイデアだけにとどめておいてはくれないのです。そうした状況を総天然色で鮮明に描いて見せる。 …そして、自分の子どもの死という、考えに取りつかれてしまうわけです。こうしたことが、考えつくことで最悪のことであれば、作家はそのアイデアを作品に書き込むことによって、一種の悪魔祓いをするのです」 キングは幼い頃に、実の父親が失踪。そのために女手一つでキングとその兄を育て上げた母が、いつも口にしていた教えがある。 「最悪のことを考えていれば、それが現実となることはないよ」 キングはそれに倣って、作中で子どもの命を奪う。彼の言葉を借りれば、「もし、ブギーマンが誰かの子どもを餌食にする小説を書けば、自分の子どもにはそんなことは起こらないだろう…」というわけだ。キングにとって“モダンホラー”を書くという行為は、即ち、彼と家族を守るための、魔法陣を描くようなことであったのだ。 だからこそ『ペット・セメタリー』は、ここまで「おぞましい」ストーリーになったわけである。 因みに本作の大ヒットを受け、先述したように原作を離れて製作された『ペット・セメタリー2』は、第1作のクリード家の悲劇から、何年か経った後のラドローが舞台。先住民からの語り伝えに則り、死せるものを蘇らせる筋立ては同じだが、原作や第1作で打ち出されていた~蘇らせる側の“想い”が重要~という“ルール”が無視されている。 劇中で最初に蘇らせるのは、メインの登場人物の1人が可愛がっていたペットというのは同じだが、その後は憎悪の対象としていた人物が眼前で死んだのを、「ヤバい」「困った」という理由で蘇らせる。 更には蘇った死者が、仲間を増やすつもりなのか、わざわざ殺した相手を埋める、「死者が死者を蘇らせる」仰天の展開となる。第1作と同じメアリー・ランバート監督のメガフォンだが、B級・C級感がより強い…。 ここで間もなく公開される、ケビン・コルシュ&デニス・ウィドマイヤーという2人の監督が共同で手掛けた、“リメイク版”の『ペット・セメタリー』にも触れておこう。オリジナル版の配役が、ほぼノースターだったのに対し、こちらのメインキャストは、ジェイソン・クラーク、エイミー・サイメッツ、ジョン・リスゴーといった有名俳優である。 原作やオリジナル版からの、最も大きな改変点は、不慮の事故で亡くなるのが、息子のゲイジではなく、娘のエリーであること。ヨチヨチ歩きの息子よりも、人や動物の“死”に怖れを抱き出す年頃の、小学生の娘が犠牲になる方が、より痛ましさが増す。また、蘇った後の“凶行”に関しても、演出がし易いという、作り手側の計算が働いたものと思える。 監督の1人が、「リメイク版というよりは、…キングの小説を再解釈した作品」と語っているが、最も驚いたのは、一部『ペット・セメタリー2』の方の、“ルール破り”ぶりを援用しているかのような描写があること。ネタバレを避けるために、これ以上の詳述は控えるが…。 いずれにしろ“子どもの死”という、原作者キングが最も怖れたことがテーマになっているのは、同じである。原作が最初に書かれてから40年、オリジナルの映画版が公開されてから30年経っても、それが人にとって、普遍的に「おぞましい」ことであるのは、絶対的に変わりようがない…。■ 『ペット・セメタリー』TM & COPYRIGHT © 2020 BY PARAMOUNT PICTURES CORPORATION. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2019.12.26
自然破壊による絶望に閉ざされた近未来の極限状況を描いた、デストピアSFの問題作!!
今回ご紹介する映画は『最後の脱出』(70年)です。 原題は「No Blade Of Grass(もう草はない)」。近未来、謎のウィルスによって全世界の植物が死に、その草を食べた家畜まで死に、食糧危機で世界の終末が迫るS Fです。 冒頭、世界各地の環境破壊のドキュメント映像で始まります。それを見ながら、この映画の舞台であるロンドンの金持ちたちは、ものすごいご馳走を食べています。「いやー、アフリカ人やアジア人たちは、食べ物がないことに慣れてるからな!」とバカにしていますが、食糧危機はすぐにイギリスにも迫っていきます。 主人公ジョン・カスタンス(ナイジェル・ダヴェンポート)は英国政府関係の仕事で、飢餓問題について研究しているので、誰よりも早く危機の情報を知り、妻や子供を連れて、食料が調達できそうな農村地帯に逃げようとする。彼は危機から人々を救う仕事なのに自分たちのことしか考えていないんです。 製作・監督はコーネル・ワイルド。俳優出身で、ハリウッドから離れて独立プロデューサーとして映画を作り続けた孤高の映画作家です。『裸のジャングル』(65年)はアフリカの現地民に囚われた白人が人間狩りの標的として追われる映画でしたが、最後は追う者と追われる者の間に尊敬が生まれていくのが感動的でした。続く『ビーチレッド戦記』(67年)では、太平洋の孤島をめぐって殺し合う米兵と日本兵の間に一瞬の友情が芽生えます。殺し合いのなかにヒューマニズムやヒロイズムを描いてきたコーネル・ワイルド監督ですが、この『最後の脱出』では、主人公さえ英雄でも正義でもなく、サバイバルのためのケダモノになります。 まずカスタンス一家は銃を手に入れようとします。だけど、銃砲店のオヤジが売ろうとしないので、いきなり主人公は人の道を外れてしまいます。 このへんの展開、ジョージ・A・ロメロの監督の『ゾンビ』(78年)に大きな影響を与えているはずです。カスタンスはどんな理由か不明ですが、アイパッチをしています。『ゾンビ』で、T Vでディスカッションをしている人もなぜかアイパッチをしているんですよ。 で、文明が崩壊すると、どちらも暴走族が暴れまわるんです。『最後の脱出』は、文明崩壊後の世界で暴走族がヒャッハーする映画の元祖だと思います。『ゾンビ』の後の『マッドマックス』(79年)もそうですね。『マッドマックス』に主演したメル・ギブソンが監督した『アポカリプト』(06年)は、コーネル・ワイルドが監督した『裸のジャングル』(65年)の、なんというかその、丸パクリなんですよ。 僕は子どものころ、テレビで『最後の脱出』を観たんですが、トラウマになりましたね。というのも、強烈なレイプシーンがあるんです。アメリカやイギリスではこのシーンはかなりカットされていたそうですが、日本では普通にテレビで放送してました。なぜそのシーンがつらかったかというと、レイプされるのが、主人公の娘で美少女なんです。撮影当時15 ~ 16歳だったリン・フレデリック、いきなりデビュー作でこれですよ。しかも、この映画で父娘を演じたナイジェル・ダヴェンポートとリン・フレデリックは、4年後の『フェイズI V 戦慄!昆虫パニック』(73 年)では、なんとセックスするんですから、観ていた町山少年もいろいろ大変でした。そんなトラウマ映画、覚悟してご覧ください! (談/町山智浩) MORE★INFO. ●原作を気に入っていたコーネル・ワイルドは、69年に自らこの企画をMGM持ち込んで製作・監督したいと申し出た。●ワイルドは脚本家ショーン・フォレスタルを雇うと、仕上げを自らジェファーソン・パスカル名義で担当した。●ワイルドによると、有名スターを起用しなかったのは、“ハプニング”を期待したからだという。はラストに、少女が不毛な地で一葉の“草の葉”が育っているのを発見する、というシーンが当初の脚本には書いていたそうだが、予算の関係で撮影されなかった。●本作はMGMが英国に所有していたボアハムウッド・スタジオで最後に撮られた作品。 © Warner Bros. Entertainment Inc.
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COLUMN/コラム2019.12.26
なぜハル・ハートリーはクラウドファンディングをするのか? ~新作プロジェクト『WHERE TO LAND』に寄せて~
ハル・ハートリーが現在、2014年の『ネッド・ライフル』以来となる新作長編プロジェクト『WHERE TO LAND』を立ち上げて、クラウドファンディングを募っている。『ネッド・ライフル』もクラファンで製作費を集めた作品であり、つまりハートリーは2作続けて、映画ファン個人の出資によって新作を届けようとしているのだ。まさに“インディペンデントの権化”の通り名(勝手に付けた)に偽りなしである。 今年でデビュー30周年、還暦も迎えたハートリーだが、大手スタジオにファイナルカット(最終編集権)を明け渡す気がさらさらないのは1989年のデビュー作『アンビリーバブル・トゥルース』の時から変わっていない。『アンビリーバブル~』はミラマックス社が全米配給し、悪名高きハーヴェイ・ワインスタインから「お色気シーンを増やせ」と要求されたが、ハートリーは断って皿を投げつけられたらしい。 実は2000年頃、ハートリーが最も大手スタジオと接近したことがある。ユナイテッド・アーティスツの製作で『No Such Thing』(01、日本未公開)を監督したのだ。主演は当時注目の若手だったサラ・ポーリー。ジュリー・クリスティやヘレン・ミレンのような大女優も参加し、ハートリーにとって間違いなく大きな飛躍のチャンスだった。 しかしユナイテッド・アーティスツ側はもっとキャッチーな作品に手直しするようにと再編集を要求し、ハートリーはまたもはねつけた。結果、映画は一年間お蔵入りにされた後、ろくに宣伝もされず申し訳程度に限定上映されて、実質的に葬られた。ハートリー自身は「でも監督料はちゃんともらえたよ」と冗談めかして語っているが。 ハートリーが『No Such Thing』の顛末についてはらわたが煮えくり返るような怒りを表明したりはしていない。しかし以降のハートリーは、ファイナンスも含めて自分自身でコントロールできる範囲で活動するようになる(例外的に、旧知の仲であるグレゴリー・ジェイコブズがクリエイターを務めた青春ドラマ「レッド・オークス」ではエピソード監督は引き受けている)。 もちろん、自分が書きたいように脚本を書き、撮りたいように撮り、自分が望む形に仕上げるというフィルムメイカーにとっては夢のような状況は簡単に実現したりはしない。ハートリーはあくまでもそれが実現可能な規模で映画作りができればいいと腹をくくり、直接ひとりひとりの観客と繋がるクラウドファンディングを始めたのだ。 インディーズ映画というカテゴリーの中でも非常に小さな商いだが、少なくとも創作の自由は確保できる。今回『WHERE TO LAND』のために集めようとしている目標額3300万円についても、「予算は多いに超したことはないけれど、“いい映画”を作るには十分な額だよ」と語っている。いじらしい理想主義者と取るべきか、頑固な偏屈者と取るべきか。 “理想主義を掲げる偏屈者”は、ハートリーの映画にしばしば登場するおなじみの人物像でもある。ハートリーの作品も、どれも理想と現実との軋轢を描いていると言える。そしてハートリーは、年齢を重ねて現実と折り合いをつけながらも、決して理想を手放すまいとしているように見えるのだ。 前置きが長くなったが、新作プロジェクトの『WHERE TO LAND』は、理想と現実に間で揺れながら、魂は売り渡すまいと踏ん張ってきたハートリーのキャリアの総括のような作品になる。断言できるのは、いち早く脚本を読む機会を得たからなのだが、ハートリーがいかに成熟を遂げ、それでいて30年前と同じ純粋さを失っていないことを、軽やかなコメディとして伝えてくれる120%ハートリー印の作品ができるはずだ。 すでに出演を表明しているのは『シンプルメン』のビル・セイジ、ロバート・ジョン・バーク、エリナ・レーヴェンソン、《ヘンリー・フール・トリロジー》のパーカー・ポージーらで、ファンには旧知の顔ぶれが再結集することになる。ただし最大の難関は、低予算のインディーズ映画とはいえ一般人の有志だけで3300万円を集めるのは容易ではないこと。正直、この原稿を書いている時点で募集金額の達成にはまだ遠い。 しかし「ハル・ハートリーの新作」が実現することは、ただファンのためだけでなく、インディペンデントムービー全体にとっても大きな勝利であるはずだ。なにせハートリーは“インディペンデントの権化”なのだから。■ 主演のビル・セイジ 2019年11月撮影/Bill Sage at Possible Films, Nov. 2019 ©POSSIBLE FILMS, LLC
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COLUMN/コラム2019.12.04
ティム・バートンがリメイクしたホラー・コメディのルーツを探る!
監督ティム・バートン×主演ジョニー・デップという黄金コンビの顔合わせで、200年の時を経て現代へ甦ったヴァンパイアの巻き起こす珍騒動を描いたホラー・コメディ『ダーク・シャドウ』(’12)。本作がかつてアメリカで一世を風靡したソープオペラ(昼帯ドラマ)「Dark Shadows」の映画版リメイクであることはご存じの映画ファンも少なくないと思うが、しかし残念ながら日本では未放送に終わっているため、オリジナルのテレビ版がどのような作品だったのかは殆ど知られていないのが実情だろう。 それでも一応、テレビ版のストーリーを再構築した劇場版として、リアルタイムで制作された映画『血の唇』(’70)および『血の唇2』(’71)は日本でも見ることが出来る。とはいえ、どちらも劇場用に新しく撮り直しをしたリブート版であり、キャストの顔ぶれこそテレビ版を踏襲しているものの、設定は改変されているし、演出スタイルも劇場用モードに切り替わっているので、必ずしもテレビ版の雰囲気や魅力をそのまま伝えるものではない。そこで、まずは原点であるテレビ版「Dark Shadows」の詳細から振り返っていこう。 伝説のゴシック・ソープオペラ「Dark Shadows」とは? ‘66年6月27日から’71年4月2日まで、全米ネットワーク局ABCの昼帯ドラマとして放送された「Dark Shadows」は、今も昔も王道的なメロドラマで占められる同時間帯にあって、『嵐が丘』や『ジェーン・エア』を彷彿とさせるゴシック・ロマン・スタイルを全面に押し出した唯一無二の作品だった。企画・製作を担当したのは、『凄惨!狂血鬼ドラキュラ』(’73)や『残酷・魔性!ジキルとハイド』(’73)などテレビ向けのホラー映画を幾つも生み出し、劇場用映画としては幽霊屋敷物の佳作『家』(’76)を手掛けたダン・カーティス監督。もともとカーティスはプライムタイム向けの企画としてテレビ局幹部にプレゼンしたのだが、当時3大ネットワークで最も昼帯ドラマの視聴率が弱かったABCは、いわば現状打破するための起爆剤として、本作を月曜~金曜までの週5日間、昼間の時間帯に放送される30分番組としてピックアップしたのだ。 ただし、当初はそれこそ『嵐が丘』の系譜に属する純然たるゴシック・ロマンで、後に本作のトレードマークとなるスーパーナチュラルな要素は皆無だった。だが、放送開始から2ヶ月経っても3ヶ月経っても視聴率は低迷したまま。番組の打ち切りも囁かれ始めた頃、カーティスは思い切った勝負に出る。ドラマに幽霊や魔物を登場させたのだ。ここから徐々に視聴率が上り調子となるものの、しかしまだ決め手に欠ける。そこでカーティスが切り札として用意したのが、200年の時を経て蘇った孤高の吸血鬼バーナバス・コリンズだった。このバーナバスの登場によって番組の人気に火が付き、それまで4%台だった視聴率も一気に倍へと跳ね上がった。中でもカーティスやネットワーク局にとって嬉しい誤算だったのは、昼帯ドラマとしては異例とも言える若年層への人気拡大だ。 とういうのも、中部標準時間で午後3時、東部標準時間では午後4時から放送されたこの番組、ちょうど子供たちが学校から帰宅する時間帯に当たったのである。通常、この時間帯はテレビを付けても子供たちが楽しめるような番組は殆どない。しかし実は、そこにこそ想定外のニッチなマーケットが存在したのだ。吸血鬼やら幽霊やら魔女やらが登場する番組のホラー風味はたちまち若年層のハートを捕え、劇場版の制作はもとよりノベライズ本やコミック本、ボードゲームにジグソーパズルなどの関連商品も発売されるほどのブームを巻き起こす。さらには、サントラ盤LPが全米アルバムチャートのトップ20内にランキングされるという、テレビドラマとしては史上初の快挙まで成し遂げた。ただ、この若年層における人気が結果的に番組の弱点ともなる。なぜなら、当時のテレビ業界において昼間の時間帯のスポンサーは、主婦層向けの家庭用品メーカーや食品メーカーが主流。若年層の視聴者が中心の「Dark Shadows」はスポンサー企業のニーズと合致せず、テレビ局はCM枠を埋めるのに苦労した。そのため、’68~’69年のシーズンをピークに視聴率が下がり始めると、たちまちキャンセルが決まってしまったのである。 さて、放送期間およそ4年、総エピソード数1225本という、気の遠くなるほど膨大なストーリーから、重要な要素だけをかいつまむと以下のようになる。 ①メイン州の古い港町コリンズポート。その郊外に広大な屋敷コリンウッドを所有する由緒正しいコリンズ家の家庭教師として、身寄りのない女性ヴィクトリア(アレクサンドラ・モルトケ)が着任する。女主人エリザベス(ジョーン・ベネット)を筆頭に、愛憎の入り混じる複雑な事情を抱えたコリンズ家の人々。謎めいた前科者バーク(ライアン・ミッチェル)やウェイトレスのマギー(キャスリン・リー・スコット)と親しくなるヴィクトリアだったが、やがてエリザベスの弟ロジャー(ルイス・エドモンズ)を巡る暗い秘密が明らかとなっていく。さらに、コリンズポートで殺人事件が発生。犯人に捕らえられたヴィクトリアを救ったのは、200年前に自殺した令嬢ジョゼットの幽霊だった。 ②コリンズ家を脅迫していた男ウィリー・ルーミス(ジョン・カーレン)が、先祖の遺体と一緒に埋葬された宝石類を盗もうとコリンズ家の霊廟を暴いたところ、200年前に死んだ吸血鬼バーナバス・コリンズ(ジョナサン・フリッド)を蘇らせてしまう。イギリスからやって来た親戚を装ってコリンズ家に接近し、自分の下僕にしたウィリーを手足として使うバーナバスは、たまたま見かけたマギーに一目で心を奪われてしまう。200年前に自殺した恋人ジョゼットと瓜二つだったからだ。マギーを自分と同じ吸血鬼に変えようとするバーナバスを、ヴィクトリアやエリザベスの娘キャロリン(ナンシー・バレット)が阻止。正気を失ったマギーの治療を任された医師ジュリア(グレイソン・ホール)は、吸血鬼の治療法を探ってバーナバスを人間に戻そうとする。 ③交霊会の最中にヴィクトリアが忽然と姿を消す。気が付いた彼女は、1795年のコリンウッドで家庭教師となっていた。まだ吸血鬼になる前のバーナバスは、恋人ジョゼット(キャスリン・リー・スコット)との結婚を控えていたのだが、これに嫉妬を燃やしていたのがジョゼットの召使アンジェリーク(ララ・パーカー)。実は強大な力を持つ魔女であるアンジェリークは、秘かに横恋慕するバーナバスとジョゼットの結婚を邪魔するべく、様々な呪いを駆使するものの失敗。そこで彼女はジョゼットを自殺へ追い込み、バーナバスを吸血鬼へと変えてしまう。 ④辛うじて現代へ戻ってきたヴィクトリア。すると今度はロジャーが姿を消し、カサンドラ(ララ・パーカー)という女性と再婚してコリンウッドへ帰還する。そのカサンドラの正体が魔女アンジェリークであると一目で気付くバーナバスとヴィクトリア。アンジェリークはバーナバスに復讐するべく再び呪いをかけようとする。 ⑤1897年へタイムスリップしたバーナバス。イギリスから訪れた親戚を装い、コリンズ家の若き跡継クエンティン(デヴィッド・セルビー)に接近するバーナバスだが、彼の正体に気付いたクエンティンは魔女アンジェリークを復活させる。さらには、フェニックスの化身ローラまで登場し、コリンウッドは次から次へと危機に見舞われることに。さらに、クエンティンはアンジェリークの呪いで狼男となってしまう。 ⑥パラレルワールドの現代へ迷い込んでしまったバーナバス。そこではクエンティンがコリンウッドの当主で、前妻アンジェリークと死別した彼はマギーと再婚する。また、ウィリーは売れない作家でキャロリンと結婚していた。吸血鬼として処刑されかけたバーナバスを、現実世界から現れた医師ジュリアが救出し、全ては魔女アンジェリークの企みだと明かす。 ⑦1995年へタイムリップしたバーナバスと医師ジュリアは、ジェラルド・スタイルズという幽霊の呪いでコリンズ家が滅亡したと知る。1970年へ戻った2人は、現代に輪廻転生したクエンティンと一緒に呪いを食い止めようとするものの失敗。辛うじて1840年へ逃げたバーナバスとジュリアは、この時代のクエンティンに復讐を企てる魔法使いザカリーが呪いの元凶と気付くが、そんな彼らの前に再び魔女アンジェリークが立ち塞がる。 …とまあ、ザックリとしたポイントを要約しただけでも、テレビ版「Dark Shadows」がどれだけ荒唐無稽かつ奇想天外なドラマであったかがお分かりいただけるだろう。脚本のセリフも大袈裟なら役者の演技も大袈裟。しかも、週5日放送のタイトなスケジュールであるため、撮影は基本的にワンテイクで済ませたため、セリフを間違えたり小道具が落下したりなどのハプニングもそのまま残されている。ストーリーが大真面目であればあるほど、意図せずして笑えるシーンが少なくない。それがまた、番組のカルトな人気に拍車をかけたものと思われる。 オリジナルのエッセンスを拡大解釈した映画版リメイク そんな往年の人気ドラマを21世紀に映画として復活させたティム・バートン監督の『ダーク・シャドウ』は、あえてオリジナルの「意図せずして笑える」という要素に焦点を絞ることで、いわばパロディ的なテイストのホラー・コメディとして仕上げている。そこがアメリカでも大きく賛否の分かれたポイントと言えるだろう。 物語は18世紀から始まる。水産会社を経営する大富豪の家庭に生まれ、イギリスからアメリカへ移住して育ったバーナバス・コリンズ(ジョニー・デップ)。しかし、火遊びをしたメイドのアンジェリーク(エヴァ・グリーン)が実は魔女で、その呪いによって最愛の恋人ジョゼット(ベラ・ヒースコート)は自殺を遂げ、バーナバス自身も吸血鬼に変えられて生きたまま地中へ埋められてしまう。 それから200年後の1972年。ある秘密を抱えた女性マギー・エヴァンズ(ベラ・ヒースコート)は、ヴィクトリア・ウィンターズと名前を変えてメイン州のコリンズポートへと到着し、今はすっかり没落したコリンズ家の家庭教師となる。その頃、近隣の森で工事業者が土地を掘り起こしていたところ、偶然にもバーナバスを復活させてしまった。初めて見る電光掲示板や車に戦々恐々としつつ、変わり果てた我が家コリンウッドへと戻ってくるバーナバス。召使ウィリー(ジャッキー・アール・ヘイリー)に催眠術をかけた彼は、イギリスから来た親戚としてコリンズ家に身を寄せることとなる。 コリンズ家の末裔は誇り高き女主人エリザベス(ミシェル・ファイファー)と不肖の弟ロジャー(ジョニー・リー・ミラー)、エリザベスの反抗的な娘キャロリン(クロエ・グレース・モレッツ)、そして母親を亡くして情緒不安定なロジャーの息子デヴィッド(ガリー・マグラス)。さらに、主治医ジュリア・ホフマン(ヘレナ・ボナム・カーター)が同居している。早々に自らの素性をエリザベスだけに明かしたバーナバスは、秘密の隠し部屋に眠る財宝を元手にコリンズ家の再興を計画。ところが、そんな彼の前に立ちはだかるのが、今や町を牛耳る女性経営者となった不老不死の魔女アンジェリークだった…! オリジナル・ストーリーにおける①~③の要素を融合し、独自の設定を加味しながら2時間以内にまとめ上げた本作。最大の特徴は、オリジナル版のキャラ、マギーとヴィクトリアを1人に集約させている点であろう。キャロリンが実は狼人間だったという設定は、オリジナル版のキャロリンが狼男クリスと交際するというサブプロットに、⑤で描かれた祖先クエンティン・コリンズの運命を融合させたもの。ウィリーがコリンズ家の召使となっているのは、映画版『血の唇』で採用された新設定を踏襲している。テレビ版では最後まで活躍する名物キャラの女医ジュリアが、バーナバスを裏切って報復されるという流れも、『血の唇』で改変された新設定をなぞったものだ。そのほか、オリジナル版ではフェニックスの化身という魔物だったデヴィッドの母親が本作では息子を守る幽霊に、生まれ変わりを繰り返していたアンジェリークが不老不死にといった具合で、こまごまと変更された設定は枚挙にいとまない。 溢れ出んばかりの家族愛に燃えるバーナバスが、かつての栄光を再びコリンズ家にもたらすべく、一族の宿敵である魔女アンジェリークと壮絶な戦いを繰り広げるというのが物語の主軸だが、やはり最大の見どころは20世紀の現代社会についていけない時代遅れな吸血鬼バーナバスの巻き起こす珍騒動、そのバーナバスとアンジェリークによるトゥー・マッチな愛憎ドラマの生み出すシュールな笑いだ。お互いの持つ魔力がぶつかり合い、部屋中を破壊しまくる濃密(?)なラブシーンなどはその好例。善と悪の魅力を兼ね備えたバーナバスのキャラを含め、オリジナル版の拡大解釈とも呼ぶべきコミカルな味付けは、確かに賛否あるのは当然だと思うものの、しかしティム・バートン監督がテレビ版のカルト人気の本質をちゃんと見抜いた証だとも言える。 なお、オリジナル版の熱狂的なファンで、本作の監督にバートンを推薦したのが主演のジョニー・デップ。エリザベス役のミシェル・ファイファーも番組のファンで、リメイク版の企画を知ってすぐに自らをバートン監督へ売り込んだという。また、アリス・クーパーもゲスト出演するパーティ・シーンでは、オリジナル版のバーナバス役ジョナサン・フリッド、アンジェリーク役ララ・パーカー、クエンティン役デヴィッド・シェルビー、マギー役キャスリン・リー・スコットがカメオ出演。「お招きどうも」と挨拶して来場する男女4人が彼らだ。 ‘91年にリメイク版が全米放送されて話題となった「Dark Shadows」。’04年にも新たなリメイク版シリーズの企画が立ち上がり、パイロット版まで制作されたがお蔵入りとなった。生みの親ダン・カーティスは’06年に亡くなり、バーナバス役ジョナサン・フリッドも映画版完成の直後に急逝。当初予定された映画版の続編企画は立ち消えたが、先ごろワーナー・テレビジョンがオリジナル版の続編シリーズ「Dark Shadows: Reincarnation」の制作を発表したばかりで、シリーズのレガシーはまだまだ今後も続きそうだ。■ 『ダーク・シャドウ』© Warner Bros. Entertainment Inc.
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COLUMN/コラム2019.12.04
映画『ドリームガールズ』で、“夢”をつかんだ女、“夢”を見せてくれた男
本作『ドリームガールズ』(2006)のベースとなったのは、同名のブロードウェイ・ミュージカルである。原案・振付・演出を手掛けたのは、「コーラスライン」などで知られるマイケル・ベネット。1981年12月20日に、幕開けとなった。 その翌日、「ニューヨーク・タイムズ」に載った劇評は、次の通り。「ブロードウェイの歴史が作られるときは、客席にいても肌で感じられるものだ。それが、昨晩インペリアル・シアターで現実になったことを、私は報告したい」 激賞された「ドリームガールズ」は大ヒットとなり、翌82年の「トニー賞」では13部門にノミネートされ、6部門を受賞。その後85年まで、4年間のロングラン公演となった。 これだけの評判となった舞台である。ハリウッドからの“映画化”のオファーも多々あったと見られるが、映画会社の「ドリームワークス」創始者の1人で、『ドリームガールズ』の権利を持つデヴィッド・ゲフィンが、ヘタな“映画化”は「伝説的なショーとマイケル・ベネット(1987年に44歳で死去)の素晴らしい遺産を汚すことになりかねない」として、なかなか首を縦に振らなかった。 ゲフィンの心を動かしたのは。プロデューサーのローレンス・マークと、監督のビル・コンドン。ブロードウェイでのオープニング当日、後方の席で鑑賞していて「忘れがたい体験」をしたというコンドンによる、“映画化”へのアプローチは、ゲフィンから「やってみるべきだな」という一言を引き出した。 やはりブロードウェイの大ヒットミュージカルの“映画化”だった『シカゴ』(02)の脚本を担当し、オスカーを獲得したコンドンが語る、ミュージカルの舞台を映画にする上で「大切なこと」の一つは、「歌の間もストーリーは止めない」こと。映画の流れを止めて、出演者に歌うことだけをさせてしまうと、その曲が気に入らなかった観客は、歌が終わるまで置いてけぼりになってしまう。「歌の最初と最後で何かが変わっていなければいけない」というのが、コンドン流ミュージカル映画の演出法というわけだ。こうしたアプローチを基本にしつつ、本作の“映画化”に当たっては、マイケル・ベネットが残したものに「忠実であること」を、いつも心に留めていたという。 さてショービジネスの世界を描いた本作のストーリーが、「モータウン・レコーズ」とその関係者をモデルにしているのは、あまりにも有名な話。「モータウン」は、1960年代から70年代に掛けて、ソウルミュージックやブラックミュージックを世に広く伝播させる役割を果たした、伝説的なレコード・レーベルである。 本作では、「モータウン」ならぬ「レインボー・レコード」が、伝説的な音楽プロデューサーの“ベリー・ゴーディ・Jr”ならぬカーティス・テイラー・Jrによって、興隆の日を迎える姿が描かれる。実際のベリー・ゴーディ・Jrが、マーヴィン・ゲイ、スティービー・ワンダー、テンプテーションズ、コモドアーズ、そしてマイケル・ジャクソン等々、ブラックミュージックの数多のアーティストを発掘し、スターへと育てたように、劇中のカーティス・テイラー・Jrも、きらびやかなスター達を、何組も生み出していく。 そんな中で、本作の主軸となるアーティストは、「ザ・ドリームズ」。モデルは、3人組の女性ヴォーカル「ザ・シュープリームス」である。60年代中盤から後半に掛けて一時代を築き、「ビートルズと対抗できるのは、シュープリームスしか居ない」とまで言われた伝説のグループは、メインヴォーカルとして、後にブラックミュージックの大御所的な存在となる、ダイアナ・ロスを擁していた。 そんなこともあって、本作製作に当たっては、ベリー・ゴーディ・Jrに当たる“カーティス・テイラー・Jr”役と、アメリカで最も成功した黒人女性歌手の1人と言われる、ダイアナ・ロスに当たる“ディーナ・ジョーンズ”役を誰が演じるかに、大きな注目が集まった。そしてテイラーは、ジェイミー・フォックス、ディーナは、ビヨンセ・ノウルズが演じることとなった。 当時のジェイミー・フォックスは、『Ray/レイ』(04)で、“ソウルの神様”レイ・チャールズを演じて、アカデミー賞主演男優賞を獲得。シドニー・ポワチエ、デンゼル・ワシントンに続く、黒人俳優としては史上3人目の快挙を成し遂げたばかりで、正に上り調子であった。そのためギャラが高騰し、本作では1,500万ドルを要求したため、危うく出演がチャラになってしまう寸前だったという。 しかし結局テイラー役を演じることになったのは、ジェイミーがギャラのダンピングに応じたためである。なぜ彼が折れてまで、本作に出演したのか?その理由は後述する。 ディーナ役のビヨンセに関しては、説明するまでもないかも知れぬが、90年代からR&Bグループ「デスチャ」こと「デスティニーズ・チャイルド」のリードヴォーカルとして人気を博してきた、“ディーバ=歌姫”。女性ヴォーカルの4人組としてスタートし、内部でのイザコザでメンバーチェンジなどもあった「デスチャ」が、「シュープリームス」と重なる部分もあって、このキャスティングも大きな話題となった。 しかし実際に本作が公開となって、主演格のジェイミーやビヨンセ以上に注目を集めたのは、“助演”の2人だった。ジェニファー・ハドソンとエディ・マーフィーである。 ハドソンが演じたのは、「ザ・ドリームズ」の前身グループの頃から、パワフルな歌唱力でリードヴォーカルを務めていたエフィー役。主なモデルは、「シュープリームス」のメンバーだった、フローレンス・バラードとされる。 エフィーは、「ザ・ドリームズ」がメジャー路線に乗る際に、プロデューサーのテイラーによって、リードヴォーカルからバックへと回されてしまう。その上で、愛し合っていた筈のテイラーの視線が、リードヴォーカルとなったディーナに釘付けになっているのにも気付き、荒れてトラブルを起こすようになる。やがて「ザ・ドリームズ」を放逐されたエフィーは、波乱の人生を送ることになるが…。 ハドソンはこのエフィー役を、全米各地で6カ月間、780人以上を対象としたオーディションを勝ち抜いて、ゲットした。元々彼女は、有名な公開オーディション番組「アメリカン・アイドル」の“負け組”だったが、25才で得たこのエフィー役で、大ブレイク!主要映画賞の“助演女優賞”と“新人俳優賞”を総なめし、遂にはアカデミー賞の“最優秀助演女優賞”まで手にするに至った。 本作がデビュー作だったハドソンは、類いまれなる歌声を武器に、既にスーパースターだった主演のビヨンセを、見事に「喰ってしまった」わけである。ハドソンは本作の2年後の2008年には、歌手としてのデビューアルバムで、「ビルボード」誌のR&B/ヒップホップ・チャート第1位を獲得している。正に『ドリームガールズ』によって、夢を掴んだわけである。 ハドソンの“スター誕生”物語の一方で、長年スーパースターでありながらも、演技の面では、本作で初めて高く評価をされたと言えるのが、エディ・マーフィー。 エディは弱冠21歳にして、『48時間』(82)に出演以来、『大逆転』(83)『ビバリーヒルズコップ』シリーズ(84~)などで瞬く間にスターダムにのし上がった。一時期の低迷を経て、90年代後半には、『ナッティ・プロフェッサー クランプ教授の場合』(96)や『ドクター・ドリトル』(98)など、特殊メイクを駆使したコメディで、人気が復活。『ムーラン』(98)や『シュレック』シリーズ(00~10)などで、声優としても高い評価を勝ち得ていった。しかしながら出演作品のジャンルやクオリティーなどもあって、その実力は不当なまでに、低く見られてきた感が強い。 本作で彼が演じたジェームズ“サンダー”アーリーは、誰か1人のアーティストをモデルにしたというわけではなく、リトル・リチャードやジェームス・ブラウン、サム・クック、ジャッキー・ウィルソン、ウィルソン・ピケット、マーヴィン・ゲイ等々の、ブラックミュージックの様々なレジェンド達にインスパイアされて出来上がったキャラクターと言える。ステージ上で圧倒的なパフォーマンスを見せつつ、オフ・ステージでは陽気に振舞いながらも、苦悩や寂寥感も滲ませて、やがてドラッグに溺れていく…。 ビル・コンドン監督は、オーディションで選んだハドソンとは対称的に、この役についてははじめからエディ一択で、他の俳優の起用は考えられなかったという。実はこのキャスティングは、本作に思わぬ成果をもたらしている。先に記した通り、高額ギャラを要求したために出演が取り止めになりかけたジェイミー・フォックスが、「エディが出演する」旨を耳にした途端に、態度を一変。憧れのエディと共演出来るならと、1,500万ドルだった提示額を引っ込め、出演が無事決まったのである。 ジェイミーにとっては、それほど「偉大な存在であった」エディーは、思えばまだ十代の頃に、TVの「サタデー・ナイト・ライブ」で、ジェームス・ブラウンのものまねを、見事にやってのけている。また、映画デビュー作の『48時間』では、のっけから歌声を披露していた。刑務所に収監されている囚人の彼が、ポリスの「ロクサーヌ」を絶叫しているのが、もはや「伝説」ともなっている、スクリーン初登場の瞬間である。 そんなエディーが、ブロードウェイ発の“A級”作品とも言える本作で、持てるポテンシャルを遺憾なく発揮した。ハドソンと並んで、ゴールデングローブ賞などの“助演男優賞”をゲットしたのは、至極当たり前の結果とも言える。 その勢いでハドソン同様、オスカーも手にするかと思いきや、この年度の“最優秀助演男優賞”は、『リトル・ミス・サンシャイン』のアラン・アーキンへと渡った。エディーは「唯一無二(!?)」のチャンスを惜しくも逃した。本人も相当なショックを受けたと、言われている。 余談になるがその後、2012年にエディは、“アカデミー賞”の司会を務めることが決まっていた。しかしこの年のプロデューサーだったブレット・ラトナー監督が、同性愛者への差別発言で降板を余儀なくされたのに伴い、エディも司会を降りるに至った。しみじみと、エディと“アカデミー賞”は、縁がないのかも知れない。 『ドリームガールズ』で一世一代の名演を見せた以降は、出演作品が再び「パッとしない」傾向に陥ったエディ。最近何度目かの“攻勢”の時を迎えたようで、今年Netflixで製作・主演した、実在のコメディアンの伝記映画『ルディ・レイ・ムーア』での演技は、絶賛をもって迎え入れられている。 この後は往年のヒット作『星の王子ニューヨークに行く』(88)の30余年ぶりの続編や、『ビバリーヒルズコップ』シリーズの復活などが予定されているが、まだ58才。稀代のエンターティナーにしてアクターとして、更なる“夢”を見せて欲しい。■ 『ドリームガールズ』© 2019 DW Studios LLC and Paramount Pictures Corporation. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2019.12.02
巨匠セルジオ・レオーネの一番弟子による師匠への壮大なオマージュ『怒りのガンマン/銀山の大虐殺』
マカロニ・ウエスタン・ブームの終末期に登場した、紛うことなき正統派のマカロニ・ウエスタンである。セルジオ・レオーネ監督の『荒野の用心棒』(’64)を皮切りに、世界中で人気を博したイタリア製西部劇=マカロニ・ウエスタン。当時を知るイタリアの映画製作者エットーレ・ロスボックによると、カンヌ国際映画祭のフィルム・マーケットへ持ち込めば、マカロニ・ウエスタンというだけで瞬く間に世界中から買い手が付いたという。 しかし、巨匠レオーネの『ウエスタン』(’68)を頂点として、ブームは衰退期へと入っていくことに。その年だけで75本ものイタリア産西部劇が公開されたが、翌69年には一気に26本へと激減する。’70年は35本と若干持ち直すものの、しかし一時ほどの勢いがジャンルから失われつつあるのは誰の目から見ても明らかだった。 そこで、イタリアの映画製作者たちは、日本の座頭市のごとき盲目のガンマンが登場する『盲目ガンマン』(’71)や、香港のカンフー映画と合体させた『荒野のドラゴン』(’72)など、奇をてらった変わり種を続々と投入してジャンルの再活性化を図ろうとする。中でも特に成功したのは、テレンス・ヒル(マリオ・ジロッティ)とバド・スペンサー(カルロ・ペデルソーリ)のコンビによる、パロディ的なコメディ・ウエスタン『風来坊/花と夕日とライフルと…』(’70)。おかげで『風来坊』シリーズを真似たコミカルな西部劇が次々と作られ、ほんの一時的ではあれども活力を取り戻したかに思えたマカロニ・ウエスタンだが、しかしかつてのユニバーサル・モンスター映画然り、’80年代のスラッシャー映画然り、パロディの登場はすなわちジャンルの終焉を意味する。 そんな時期に登場した本作『怒りのガンマン/銀山の大虐殺』(’72)は、さながら全盛期のレオーネ作品を彷彿とさせる王道的なマカロニ・ウエスタンだった。それもそのはず、監督を手掛けたジャンカルロ・サンティは、巨匠レオーネ自らが後継者と認めた愛弟子だったのである。 デビュー作に込めた愛弟子の意地 1939年10月7日にローマで生まれ、18歳の時に映画界へ入ったサンティは、希代の異端児にして鬼才中の鬼才マルコ・フェレーリの助監督を長年に渡って務め、『続・夕陽のガンマン』(’66)と『ウエスタン』(’68)でレオーネの助監督につく。特に『ウエスタン』では実質的な第二班監督として、サンティが単独で演出を任されたシーンも少なくなかったという。その熱心な仕事ぶりにレオーネも満足し、『ウエスタン』が完成した際には「俺の後を継ぐのはお前だ」とサンティのことを褒めたそうだ。実際、レオーネは次作『夕陽のギャングたち』(’71)の監督として、当初サンティを指名していた。ところが、これにアメリカ側から異論が出る。レオーネ自身が演出すると思っていたから出資したのだと。中でも、俳優ロッド・スタイガーは無名の新人監督と組むことを露骨に嫌がった。これにはさすがの巨匠も折れざるを得ず、結局レオーネが監督の座に座り、サンティは第二班監督へ昇進するに止まった。 一方その頃、ポーランド出身でイタリアを拠点とするベテラン製作者ヘンリク・クロシスキーは、当時マカロニ・ウエスタンの大スターとして活躍していたハリウッド俳優リー・ヴァン・クリーフと以前に交わした出演契約が、履行されないまま放置されていたことに気付く。なんていい加減な…!と言いたくなるところだが、当時のイタリア映画界では決して珍しいことではなかったらしい。いずれにせよ、早急にヴァン・クリーフの主演作を作らねばならない。そこで彼は、ヴァン・クリーフ主演の大ヒット西部劇『怒りの荒野』(’67)を手掛けたエルネスト・ガスタルディに脚本を依頼し、監督としてレオーネの愛弟子サンティに白羽の矢を立てる。というのも、もともとマルコ・フェレーリ監督作品のプロデューサーだったクロシスキーは、当時助監督だったサンティとも親しい間柄だったのだ。 期せずして監督デビューのチャンスを得たサンティ。しかも師匠レオーネの『夕陽のガンマン』(’65)でマカロニ・スターとなった、リー・ヴァン・クリーフ主演の西部劇である。おのずと、彼の脳裏には『夕陽のギャングたち』での苦い経験が甦る。あの時俺を認めなかった奴らを見返してやりたい…と考えても不思議はなかろう。この『怒りのガンマン/銀山の大虐殺』が、あからさまなくらいセルジオ・レオーネの演出スタイルを意識し、時として模倣までしている背景には、そのような経緯があったのである。 まさにマカロニ・ウエスタンの「グレイテスト・ヒッツ」 物語はリー・ヴァン・クリーフ演じる謎めいた黒衣の元保安官クレイトンが、無実の罪で指名手配犯となった若者フィリップ(ピーター・オブライエン)の逃亡を助けつつ、街を牛耳る悪徳資産家のサクソン3兄弟(ホルスト・フランク、マルク・マッツァ、クラウス・グリュンベルグ)に立ち向かうというもの。そのクレイトンが納屋に身を潜めたフィリップへ向けて、さりげなく周りを取り囲む賞金稼ぎたちの位置を教えていくオープニングからしてレオーネ節が炸裂する。 馬車から下りて寂れた酒場へとゆっくりとした足どりで向かうクレイトン。その道すがら、あちこちで意味もなく立ち止まるのだが、その全てに実は賞金稼ぎたちが身を隠している。そして、ようやく酒場へとたどり着いたクレイトンがテーブルに座り、辺りは不穏な静寂に包まれる。緊迫した空気の中で刻々と過ぎていく時間、突如として鳴り響く銃声と急転直下のガンバトル。この実際にアクションが起きるまでの徹底した「溜め」の演出といい、フィリップが納屋の隙間から外を監視する「フレーム・イン・フレーム」の画面構図といい、極端なロングショットとクロースアップの切り替えといい、ハーモニカの音色を響かせたモリコーネ風の音楽スコアといい、このオープニングだけを見ても本作がセルジオ・レオーネ作品(中でも『ウエスタン』)の多大な影響下にあることは一目瞭然であろう。 興味深いのは、本作における復讐のモチベーションというのが、主人公たち正義の側だけでなく悪の側にもあるということ。というのも、銀山を所有するフィリップの父親はそれゆえ強欲なサクソン家の罠にかかって殺され、そのサクソン家の当主(3兄弟の父親)もまた何者かによって殺されたのだ。銀山の所有権を奪うための便宜上、跡取りのフィリップに自分たちの父親殺しの濡れ衣を着せたサクソン兄弟だが、その傍らで正体不明の真犯人を探している。実はクレイトンだけが真犯人を知っているものの、なぜか口をつぐんで明かそうとはしない。その理由は最後になって分かるのだが、いずれにせよこの複雑に絡み合った正義と悪の双方の復讐ドラマを軸としながら、徐々に全体像を解き明かして謎の真相へと迫る脚本は巧みだ。 なお、老練ガンマンと無鉄砲な若者の師弟関係という図式は、『怒りのガンマン』をはじめ『復讐のガンマン』(’66)や『風の無法者』(’67)など、まさしくリー・ヴァン・クリーフ主演作の定番的なシチュエーション。そのヴァン・クリーフが若者の過去と深い関りがあるという設定は、『新・夕陽のガンマン/復讐の旅』(’67)とそっくりだ。また、白いスーツに身を包んだサクソン3兄弟の末っ子アダム(K・グリュンベルグ)のサディスティックなサイコパス・キャラは、ルチオ・フルチ監督『真昼の用心棒』(’66)のニーノ・カステルヌオーヴォを彷彿とさせる。邦題にもなった銀山の大虐殺で使用されるマシンガンは、セルジオ・コルブッチ監督『続・荒野の用心棒』(’66)をはじめイタリア産西部劇では定番の武器。こうした、さながら「グレイテスト・ヒッツ・オブ・マカロニ・ウエスタン」とも呼ぶべき見せ場の数々も本作の魅力であろう。 さらに、本作で忘れてならないのは音楽スコアだ。基本的に映画音楽というのはストーリーやシーンを盛り上げるための脇役的な存在だが、時として映画そのもののイメージを左右し、さらには作品全体の格を上げてしまうことさえある。本作などはまさにその好例と言えるだろう。中でもルイス・エンリケ・バカロフが作曲したメインテーマ(それ以外はバカロフの盟友セルジオ・バルドッティの作曲)の素晴らしいことと言ったら!レオーネの『ウエスタン』でエンニオ・モリコーネが書いたスコアを意識していることは明白ながら、しかしこの壮大でドラマチックな高揚感はなんとも筆舌に尽くしがたい。なるほど、タランティーノが『キル・ビルVol.1』(’03)で引用するわけだ。ちなみに、本作はマカロニ・ウエスタンとしては珍しく、スペインのアルメリアではなくイタリア本国で撮影されているのも要注目ポイント。主なロケ地はローマおよびピサの郊外だ。 名優リー・ヴァン・クリーフを取り巻く個性的な役者陣 フィリップ役を演じているピーター・オブライエンは、本名をアルベルト・デンティーチェというイタリア人。もともと’60年代半ばからロック・ミュージシャンとして活動していた彼は、ボブ・ディランの楽曲をモチーフにした舞台ミュージカル「Then An Alley」を友人と組んでプロデュース。自らも出演を兼ねたこの舞台が大成功したことから役者へと転向した。その後、2年ほど芸能活動を休止してインドとチベットを放浪していたところ、ミケランジェロ・アントニオーニ監督から「Tecnicamente dolce」という作品のオファーを受け、旅費の足しになるならばくらいの軽い気持ちで帰国。結局、この企画はボツになってしまったものの、当時アントニオーニのもとでロケハンを担当していたサンティ監督がアルベルトのことを覚えており、本作のフィリップ役に起用したのである。 劇中での軽業的なアクションはスタントマンに任せているものの、しかし本人は柔道の心得がある上に当時はまだ若かったこともあり、自らスタントを演じたシーンも多いという。ただ、もともと映画界での野心がなかった彼は、本作で賞金稼ぎの1人を演じた俳優ミミ・ペルリーニに誘われ、彼が主催するアングラ劇団ラ・マスケラに参加して舞台に専念。さらに結婚を機に俳優業を引退し、現在は大手週刊誌「レスプレッソ」の映画ジャーナリストとして活動している。 また、脇役陣で注目したいのはサクソン3兄弟の長男デヴィッドを演じるホルスト・フランク、次男イーライ役のマルク・マッツァ、そして三男アダム役のクラウス・グリュンベルグである。ホルスト・フランクはマカロニ・ウエスタンのみならずジャッロ映画の悪役としてもお馴染みのドイツ人俳優。マルク・マッツァはフランス人のタフガイ俳優で、数多くのギャング映画やアクション映画で端役を演じていたが、恐らく最も有名なのはチャールズ・ブロンソン主演の『雨の訪問者』(’69)における正体不明の「訪問者」役であろう。実はフランスの化粧品会社Hei Poaの創業社長(現在は娘に譲っている)でもある。クラウス・グリュンベルグは、バーベット・シュローダー監督の『モア』(’68)でミムジー・ファーマーと共演していたドイツ人俳優。あの朴訥とした爽やかな好青年が、本作では別人のようなサイコパスに扮しており、そのカメレオンぶりに思わず唸ってしまう。 なお、日本では当時劇場公開の見送られた本作だが、欧米では見事にスマッシュヒットを記録し、これを見た師匠レオーネはサンティ監督に『ミスター・ノーバディ』(’73)の演出をオファーする。しかし、『夕陽のギャングたち』の二の舞になることを恐れたサンティはその申し出を断り、結局もう一人の弟子トニーノ・ヴァレリーにお鉢が回ることとなった。そして、この『ミスター・ノーバディ』をもって、マカロニ・ウエスタンのブームは終焉を迎える。その後、サンティ監督は大衆コメディを手掛けるも畑違いゆえに実力を発揮できず、再び助監督生活へと逆戻りすることとなった。もう少し早くに独り立ちしていれば、また違ったキャリアが開けていたのかもしれない。■ 『怒りのガンマン/銀山の大虐殺』© 1972 - Mount Street Film /Corona Filmproduktion/ Terra Filmkunst/ S.N.C. - Sociéte Nouvelle De Cinématographie. 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