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COLUMN/コラム2021.08.10
ジャンルを先行しすぎた不運のファンタジー『レジェンド/光と闇の伝説』
「この映画には石から引き抜いた剣も、火を吐くドラゴンも、ケルトの黄昏も存在しない。『レジェンド/光と闇の伝説』は「指輪物語」のような壮大なスケールのファンタジーではない。ニール・ジョーダンの『狼の血族』(84)のように、性欲を掻き立てるような作品だ」 ――リドリー・スコット ■ジャン・コクトーを目指す——リドリー・スコット版『美女と野獣』 人類が遭遇したことのない残酷異星生物の恐怖を描いたSFホラー『エイリアン』(79)や、退廃的な未来都市像でSF映画のイメージを一新させた『ブレードランナー』(82)など、今や古典として後世に影響を与えつづけている名編を、キャリア初期に手がけた監督リドリー・スコット。そんな彼が上記に次ぐ新作として臨んだのは、作り物ではない写実的なファンタジーへの着手だった。 「すべてのクエストファンタジーは、武器や超大国を手に入れるために、物語の主目的から逸脱するサイドクエストを持っており、それが複雑になりすぎる傾向がある」 こう監督が言及するように、長編映画4作目となる『レジェンド/光と闇の伝説』(以下:『レジェンド』)のストーリーは極めてシンプルなものだ。主人公の青年ジャック・オー・ザ・グリーンが、世界を闇で覆い尽くそうとしている帝王ダークネスのもとから、囚われの身となっている姫君リリーを救い出す冒険に出る。ドワーフやエルフ、そして妖精ら森の仲間たちと一緒に。 同作を創造するにあたり、スコットはこのベーシックな神話ロマンスを外殻としながら、当時主流だった『バンデットQ』(81)や『ダーク・クリスタル』(83)のようなポップクエストではない、バロック様式の装飾やゴシック的イメージを持つ重厚なものを目指した。これに適合するのは、監督自身が心酔していたジャン・コクトーの『美女と野獣』(46)で、スコットはコクトーのように、自ら美術や物語を総コントロールできる立場に置こうとしたのだ。そしてジャンルの代表作を目指すのではなく、おとぎ話に内在される寓話のように、ファンタジーに秘められた寓意を拡張させ、“その先にあるもの”の視覚化を標榜したのである。 そこで70年代に寓意に満ちた幻想小説を発表していたウィリアム・ヒョーツバーグに、監督は白羽の矢を立てた。二人は1973年に発表されたヒョーツバーグの小説“Symbiography”が、『ブレードランナー』のイメージソースのひとつとなっていることから接点を得ている。同小説は富裕層が他人の夢を見ながら人生を楽しむというディストピアをシニカルに描いたもので、ヒョーツバーグは誘惑に駆られて暗黒世界に堕ちるティーンの「純真さと汚れ」を性的アレゴリー(比喩)として転義させ、しっとりとエロティシズムを滲ませるなど、スコットの希求するオリジナル脚本を手がけた。 ■トム・クルーズを発見したコンセプト重視の配役 スコットは撮影に先立ち、脚本に忠実なキャスティングを考慮。加えて作品に現代的な動きを与えたいという理由から、フレッシュな人選を望んだ。主役のジャックには当時『卒業白書』(83)などのティーンムービーで頭角をあらわし、映画俳優としてスタート台に立ったばかりのトム・クルーズを起用。リリーには16歳のニューヨーカーである新人のミア・サラが選ばれた。監督はクルーズにフランソワ・トリュフォー監督の『野性の少年』(70)を鑑賞させ、野性的な身のこなしを会得するよう求め、彼は演技においてスコットの要望に精いっぱい応えている。 いっぽう本作の真の顔ともいえるダークネスには、イギリス人俳優のティム・カリーを起用。1975年の初公開以降、観客参加型のミュージカルとしてカルトな支持を得ている『ロッキー・ホラー・ショー』での、幻惑的かつ世界を見下すような瞳がオファーのポイントとなった。 また監督は『ブレードランナー』の特殊効果ショットに65mmフィルムを採用し、多重合成による画質の劣化を防いだように、本作では同様に大型フィルム規格のビスタビジョン(35mmフィルムを横に駆動させ、二倍の撮像を得る方式)を用い、俳優たちを任意のサイズに縮小して合成し、幻想をより現実的にする方法を考え出した。そのためダグラス・トランブル(『ブレードランナー』視覚効果監修)の嫡流でもあり、当時ビスタビジョン合成の追求者であったリチャード・エドランドにテスト撮影を依頼。残念ながら予算の都合で採用は叶わず、代わりにビリー・バーティやキーラン・シャー、アナベル・ランヨン、そして『ブリキの太鼓』(79)の印象的なドイツ人子役デビッド・ベネントといった小柄な俳優たちをアンサンブルキャストとして使う手段をとった(『レジェンド』の撮影フォーマットは35mm、上映プリントはアナモルフィックワイド)。 『レジェンド』の製作にあたって、ディズニーアニメのスタイルに影響を受けたスコットは、ディズニースタジオにプロジェクトを提出していた。撮影に巨額の予算を計上していたことと、加えてダークネスのイメージソースが『ファンタジア』(40)にあったことも要因のひとつである。だが物語のトーンが暗いという理由によってディズニーからは見送られ、プロデューサーであるアーノン・ミルチャンの尽力によって20世紀フォックスとユニバーサル・ピクチャーズの共同製作へと落ち着く。『ブレードランナー』に匹敵する製作費2450万ドルのリスクヘッジも兼ねた措置で、スコットの途方もない想像力を具現化するための頑強な下支えとなった。 この視覚アプローチへの徹底は、基本的なストーリーを伝えるために必要不可欠なものと第一義に考えられ、スコットとストーリーボード・アーティストのマーティン・アズベリーは411ページに及ぶ絵コンテを作成し、映像化可能な範囲をはるかに超える手の込んだタブローを量産した。またイギリスの挿絵画家アーサー・ラッカムの妖精絵画を参考にしたり、ファンタジー文学の古典「指輪物語」の挿絵で知られるアラン・リーをコンセプチュアル・デザイナーの要職に置いた(ノンクレジットだが、リーはいくつかのキャラクターの初期スケッチを残している)。 撮影は米カリフォルニア州のレッドウッド国立州立公園のような森林帯でのロケを検討したが、重度のコントロールフリークでもある監督は『エイリアン』のノストロモ号船内や『ブレードランナー』のロサンゼルス市街セットなどにならい、ロンドンにあるパインウッドスタジオの巨大な007ステージを撮影のメインにした。スコットは言う、 「私は観客の誰一人として、偽物を見ていると思わせたくなかったんだ」 そのためにプロダクション・デザイナーのアシェトン・ゴートン(『欲望』(53)『フランス軍中尉の女』(82))を招き入れたことは成果として大きかった。ゴートンはサウンドステージにおける撮影の落とし穴を熟知しており、スコットは彼を『エイリアン』で起用したがっていたが、満を持してそれがかなったのだ。ゴートン以下クルーはスタジオ内に実際に流れる川や10フィートの池を備えた森を生成し、生きている木や花を備えて独自の生態系を顕現。撮影の人工感を払拭するため自然光を生み出すための緻密なライティング設計をほどこした(それが後にスタジオセットの火災を招いてしまう)。独特だったのが羽毛や綿毛の飛散する空間表現で、スコット監督は後年『キングダム・オブ・ヘブン』(05)で雪を同じように舞わせて雰囲気のある景観を作り上げているが、この意匠は本作におけるゴートンの発案がベースとなっている。 ■究極の特殊メイク映画 そしてリドリー・スコットはリアイティの観点から、マペットやメカニカル・ギミックを避け、人物に特殊メイクをほどこして様々なクリーチャーを生み出した。それを担ったのが、特殊メイクの名手ロブ・ボッティンである。 ボッティンは特殊メイクを大々的に活用した人狼ホラー『ハウリング』(81)を終えた直後、スコットが『ブレードランナー』での作業について彼に連絡し接触をはかったが、そのときすでにキャリアの代表作となる『遊星からの物体X』(82)に没頭していたボッティンは参加を断念。スコットから別のプロジェクトとして『レジェンド』の脚本を受け取ったのだ。そして特殊メイク映画のマスターピースといえる『オズの魔法使』(39)のようなメイクのキャラクターを作成するチャンスに、クリエイターとして抗うことができなかったのである(余談だが、『レジェンド』の沼地に棲む緑色の老怪物メグ(ロバート・ピカード)は、西の悪い魔女のリミックスとして『オズの魔法使』のオマージュを含んでいる)。 そしてこのテリトリーにおいてもスコットのコントロールフリークぶりは発揮され、キャラクター創造に対して非常に貪欲だったとボッティンは証言している。 「例えばダークネスの部下であるブリックス(アリス・プレイテン)は、ザ・ローリング・ストーンズのキース・リチャーズのようなイメージを想定した。するとリドリーはキースをゴブリンとしてスケッチし、それをイメージの起点として使用したんだ」 そんな彼らの精魂込めたファンタジークリーチャーの開発を抜かりないものにするよう、『スター・ウォーズ ジェダイの復讐』(83)で銀河皇帝のメイクを担当したニック・ダッドマンが、キャラクターを作成するためにイギリスに研究所を設立。本作において特殊メイクは大きな位置を占めていく。 クルーズとサラを除くすべての主要な登場人物は、毎朝ボッティンが率いる専門チームのもと、メイク室で何時間も過ごした。俳優一人に最低3人のメイクアップアーティストを要し、細かなアプライエンス(肉付け用のピース)を俳優の皮膚に何十も重ねて貼り付け、筋肉の動きに連動して細かな表情などが出るよう作り上げた。そのためメイク工程には3時間もかかり、なかでもダークネス役のティム・カリーは5時間も装着と格闘せねばならず、そのため彼はサウンドステージに到達する段階で疲労をあらわにしていた。しかし自分のメイク姿にアドレナリンを刺激され、苦痛なプロセスを忘れて演技に没頭したという。とはいえ撮影後のメイクはがしで、カリーは可溶性スピリッツガム(特殊メイク用接着剤)を溶かすために1時間以上も風呂につからされ、閉所恐怖症になってしまったという。 そんな苦労が報われ、ダークネスは同作のキービジュアルを担うキャラクターとなり、延いてはファンタジーデザインのアイコンとして引用されるほど象徴的な存在となっている。 ■『レジェンド』の遺したもの 1985年12月のイギリスを皮切りに、翌年4月にアメリカで公開された『レジェンド』は、2450万ドルの製作費に対して1500万ドルの総収益しか得ることができず、興行は惨敗に終わった。ターゲットを見誤ったテスト試写の不評を懸念し、125分から大幅な上映時間の短縮を余儀なくされたことや、米国市場に向けたバージョンは映像のルックに適合するよう、タンジェリン・ドリームによるまろやかなシンセサイザー音楽への差し替えが図られたりと、製作側の悪手が不振に拍車をかけたことは否めない(「ザ・シネマ」における放送はジェリー・ゴールドスミスが作曲を担当したヨーロッパ(オリジナル)バージョン)。 なにより最大の損失は監督の方向転換で、本作に全力を注いで成果を得られなかったスコットの落胆は大きく、以後、大がかりな視覚効果ジャンルから彼を離れさせてしまう。スコットが再びSFやファンタジーの世界に活路を見いだすのは、2012年製作のエイリアン前史『プロメテウス』まで27年もの時間を要することになる。 『レジェンド』の製作から36年。映画におけるデジタルの介入と発達は、自由なイメージの視覚化を大きく拡げ、「指輪物語」を原作とする『ロード・オブ・ザ・リング』トリロジー(01〜03)の実写映画化や、テレビドラマとして壮大なドラゴンストーリーを成立させた『ゲーム・オブ・スローンズ』(11〜19)など、ファンタジー映画興隆の一翼を担った。こうした路が開拓されるための轍を作り、またそれら以前に、アナログの製作状況下でファンタジーに挑んだ、リドリー・スコットの先進性と野心にあふれた挑戦に拍手を送りたい。 ちなみにジャックを演じたトム・クルーズは本作の撮影中、スコット監督から「弟に会ってやって欲しい。いま戦闘機の映画を準備している」と進言し、彼はその言葉にしたがい、リドリーの実弟である監督のトニー・スコットに会い、戦闘機パイロットを主人公とする青春映画への出演を快諾した。その作品こそが『トップガン』(86)であり、同作は彼を一躍トップ俳優へと押し上げた。クルーズにスター性を感じていたスコットの慧眼を示すエピソードであり、『レジェンド』の意義ある副産物としてここに付記しておきたい。■ 『レジェンド/光と闇の伝説』© 1985 Universal City Studios, Inc. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2021.08.04
中国伝統の水墨画をモチーフにしたチャン・イーモウ監督の傑作武侠アクション『SHADOW/影武者』
巨匠にとって名誉挽回のチャンスだった…? 中国映画界の巨匠チャン・イーモウが放った武侠アクション映画の傑作である。処女作『紅いコーリャン』(’87)でベルリン国際映画祭の金熊賞を獲得して以来、数々の名作で世界中の映画祭を席巻してきたチャン・イーモウ。ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞と女優賞(コン・リー)に輝いた『秋菊の物語』(’92)や、チャン・ツィイーを一躍トップスターへと押し上げた『初恋のきた道』(’99)など、チャン・イーモウ監督といえば中国の田舎を舞台にした素朴でノスタルジックな作品を思い浮かべる映画ファンも多いと思うが、しかしカンヌ国際映画祭審査員グランプリを受賞した『活きる』(’94)や『妻への家路』(’14)では中国の近代史をヒューマニズムたっぷりに振り返り、『キープ・クール』(’97)や『至福のとき』(’00)では変わりゆく現代中国を独自の視点で見つめるなど、実のところ30年以上に渡る長いキャリアで多彩な作品群を手掛けてきた。 中でもチャン・イーモウ監督作品のイメージを大きく変えたのが、大胆なワイヤー・アクションと鮮烈な色彩の洪水が圧倒的だった武侠アクション映画『HERO』(’02)と『LOVERS』(’04)。ハリウッド映画にも負けないエンタメ性と中国の伝統文化に根差す芸術性を兼ね備えた両作は、従来のファンからは賛否両論ありつつも、映像作家として同監督の懐の深さを広く知らしめたと言えよう。 しかしその一方で、本格的なハリウッド進出作となった米中合作『グレート・ウォール』(’16)は、巨額の製作費を投じただけの空虚なB級モンスター映画となってしまい、「チャン・イーモウよ、一体どうしてしまった!?」と悪い意味で驚愕させられた。7500万ドルの赤字を出したとも言われる同作は、中国国内の映画レビューサイトでも低評価を受けて物議を醸すことに。その輝かしいキャリアに大きなミソを付ける形となったわけだが、そんなチャン・イーモウ監督が見事に汚名を挽回した会心の作が、久々の武侠アクション映画となったこの『SHADOW/影武者』(’18)である。 策士たちの思惑に翻弄される影武者の運命とは? ※下記あらすじにおける()内の平仮名は漢字の読み、カタカナは俳優の名前 時は戦国時代。度重なる戦や権力抗争で命の危険に晒された王侯貴族は、密かに「影」と呼ばれる身代わりを仕立てていた。影たちは命を懸けて主君に仕えたものの、しかしその存在が歴史の記録に残されることはなかった。これはそんな時代に生きた影武者の物語。中国南部に位置する弱小の沛(ぺい)国は、強大な炎国に領土の一部・境(じん)州を奪われながらも、その屈辱に甘んじて休戦同盟を結んだ。 それから20年後、境州の奪還を強く主張する沛国の重臣・都督(ダン・チャオ)は、境州を統治する炎国の楊(やん)将軍(フー・ジュン)に独断で決闘を申し込み、あくまでも現状維持を望む享楽的な若き国王(チェン・カイ)の逆鱗に触れる。とはいえ、相手は民衆からも宮廷内からも人望が厚い英雄・都督。さすがの国王でもぞんざいに扱うことは出来ない。そのため、国王は琴の名手でもある都督と妻・小艾(しゃおあい/スン・リー)に演奏を命じてお茶を濁そうとするが、しかし都督は「境州を取り戻すまで琴は弾かない」と頑なに断るのだった。 というのも、実は国王の目の前にいる都督は影武者だったのである。8歳の時に母と生き別れ、彷徨っているところを都督の叔父に拾われた彼は、たまたま都督と瓜二つだったことから影武者として育てられたのだった。1年前に受けた刀傷が原因で病を患ってしまった都督は、その事実を隠すために自らは屋敷の秘密扉から通じる地下洞窟へ身を隠し、その代わりに影武者を立てて周囲を欺いていたのである。この事実を知っているのは、都督と影武者そして妻・小艾の3人だけだった。 都督の描いた筋書き通りに動く影武者は、国王に自らを厳罰に処するように求め、官職を剝奪されると「一介の民」であることを理由に楊将軍との決闘へ赴くことを宣言する。これはあくまでも私と楊将軍との問題であり、国王も沛国も関係ないというわけだ。しかし、都督は楊将軍との決闘を口実に敵陣へ攻め入り、境州を奪還して自らが沛国の王となることを画策していた。そのために100人もの囚人たちを軍隊として鍛え、小艾のアイディアによって傘の戦術を編み出す。これは鋼で作られた鋭利な傘を武器に、女体のごとき柔らかな動きで楊将軍や炎国軍の豪快な剣術に対抗しようというのだ。 しかしその一方で、都督の動きをけん制するように国王も動き始めていた。楊将軍に使者を遣わした国王は、実の妹・青萍(ちんぴん/クアン・シャオトン)と将軍の息子・平(ぴん/レオ・ウー)を政略結婚させ、両国の休戦同盟をより強固なものにしようとする。ところが、相手方からの返答は「姫を側室に迎える」という屈辱的なものだった。それでも国益のため受け入れようと考える国王。だが、その裏にはうつけものを装った国王の狡猾な策略があった。かくして迎えた決戦の時。炎国の大軍が待ち受ける境州の関所へ向かった影武者だったが…? 手作りの職人技にこだわった圧倒的な映像美 真っ先に目を奪われるのは、まるで中国の伝統的な水墨画の世界を思わせるスタイリッシュなモノクロの世界。しかもこれ、モノクロで撮影されているわけではなく、美術セットから衣装まで全て白と黒のモノトーンで染め上げられているのだ。赤を基調とした初期の「紅三部作」を筆頭に、鮮やかな色彩を効果的に使ってきたチャン・イーモウ監督だが、本作はまさしく逆転の発想。しかも、この作品全体を統一する白と黒の対比は、そのままストーリーの光と影、登場人物たちの表と裏、そして都督と影武者の主従関係を象徴するメタファーとなっている。この野心的かつ革新的な映像美だけを取っても、チャン・イーモウ監督の本作に賭ける意気込みや覚悟のようなものが如実に伝わってくることだろう。 さらに、監督は劇中で使用する衣装や小道具など全てにおいて、中国の素材を使って中国の職人が手作業で作り上げる「職人技への回帰」を標榜。デザインに関しても「中国の伝統」に徹底してこだわり、韓国や日本を感じさせるような要素は全て排除されたという。中でも、兵士たちの鎧や甲冑、鋼の刃を仕込んだ傘などのデザインのカッコ良さにはゾクゾクとさせられる。 もちろん、その傘を使用した終盤の大規模な合戦アクションも素晴らしい。雨の降りしきる中、敵陣の町へと潜入した100名の囚人部隊が、グルグルと回る傘で身を守りながら坂道を滑り降り、周辺を取り囲む敵軍に刃を飛ばしていくシーンは、過去のどんな映画でも見たことのないような奇策に思わず興奮してしまう。よくぞ考え付いたもんですよ。楊将軍との対決で影武者が披露する、ダンスのように華麗な武術技もお見事。ワイヤーやCGなどをなるべく使わず、リアリズムにこだわったスタントは「本物」ならではの迫力と緊張感だ。実際、撮影に使用された特製の傘は切れ味が鋭く、一歩間違えば大怪我をする可能性もあったという。ある意味、俳優やスタントマンも命がけだったのである。 ちなみに、本作の元ネタとなったのは『三国志』に出てくる荊州争奪戦。製作総指揮を務めるエレン・エリアソフがチャン・イーモウ監督に持ち込んだオリジナル脚本は、『三国志』をかなり忠実に脚色した内容だったそうだが、しかしチャン監督はそのままではつまらないと考え、以前から興味を持っていた「影武者」をテーマに大胆なアレンジを施した。ロケ地には荊州と同じ中国南部の湖北省をチョイス。これまでの『三国志』の映像化作品は、荊州争奪戦を北部の乾燥した地域で撮影することが多く、雨や霧の多い荊州とは全く環境が異なっていたからだ。これまたチャン監督が目指したリアリズムのひとつ。終盤の舞台となる町の巨大セットは6ヶ月かけて建設され、沛国の囚人部隊が水中へ潜って敵陣へ乗り込むシーンでは、375トンの水を張った巨大プールが用意されたという。撮影チームは総勢1000人近く。紛うことなき超大作だ。 主人公の影武者と都督をひとりで演じ分けたのが、チャウ・シンチー監督の『人魚姫』(’16)にも主演した中国のトップ俳優ダン・チャオ。これまでアクション映画の経験があまりなかった彼は、およそ2ヶ月に渡る筋トレと食事で体重を72kgから83kgへと増やし、筋骨隆々とした肉体を作り上げたという。そのうえで1日6時間のアクション・トレーニングを4か月間続け、まずは先に影武者のシーンを撮影した。それが終わると今度は、食事制限によるダイエットを行い、5週間で体重を20kg落とすことに成功。病で肉体の衰えた都督を演じたわけだが、ダン自身も過度なダイエットのせいで体力が減退してしまい、撮影中にたびたび低血糖で倒れてしまったらしい。まさしくデ・ニーロやクリスチャン・ベールも真っ青のメソッド・アクティング。しかも都督に瓜二つの顔をした影武者と、別人のように老け込んでしまった都督を、一人二役で演じるというややこしさ。これだけの難役を、よくぞこなしたものだと感心する。 なお、本作は台湾の映画賞・金馬奨で最優秀監督賞や最優秀美術賞など4部門を獲得し、ジャンル系映画の殿堂サターン賞でも最優秀国際映画賞など4部門にノミネート。これによって、チャン・イーモウ監督は『グレート・ウォール』で傾きかけた信頼と名声を取り戻すことに成功した。■ 『SHADOW/影武者』© 2018 Perfect Village Entertainment HK Limited Le Vision Pictures (Beijing) Co.,LTD Shanghai Tencent Pictures Culture Media Company Limited ALL RIGHTS RESERVED
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COLUMN/コラム2021.08.04
“ジェネレーションX”の金字塔が、いまも輝き続けるワケ『ファイト・クラブ』
今年6月、モダンホラーの帝王こと、作家のスティーヴン・キングが、本作『ファイト・クラブ』(1999)を初めて観たことを、twitterで明かした。初公開時に彼は交通事故による大怪我などで観ることが叶わず、長きに渡って未見だったという。それが遂に、邂逅を果したというわけだ。 これにすぐフォロワーから、突っ込みのツイートが入った。「ルールその1に違反してますよ」と。 映画の中で紹介される、あまりにも有名な「ルールその1」は、「ファイト・クラブのことを決して口外するな」。因みに「ルールその2」も、同じ文言である。 これに対して助け舟を出したのは、本作主演のエドワード・ノートン。「ファイト・クラブのルールには、次のような注事項があります。『物語のトピックについて、それがどんな形であれ、スティーヴン・キングは好きに話していい』というものです」 このやり取りに遡ること2年前には、アメリカのある大学で、過去に見たことのある映画のレポートを書けというレポートが課された際の、ある大学生の対応が大きな話題となった。彼女が記したのは、たった1行だけ。「ファイト・クラブ ルールその1、ファイト・クラブのことを決して口外するな」 結果として彼女は、ユーモアを解する教授から、「100点満点」の評価を貰った。そしてこの一件をSNSで披露したところ、拡散に次ぐ拡散となったわけだ。 初公開から20年余の月日が経っても、有名無名問わず、人々の口の端に上り続ける、『ファイト・クラブ』。その魅力とは、一体どんなところにあるのだろう? ***** 大手自動車会社勤務の“僕”は、高級なコンドミニアムに住み、北欧家具や高級ブランド衣類などを買い揃えるヤング・エグゼクティヴ。しかし、“不眠症”に悩まされる日々を送っていた。 そんな“僕”は、睾丸ガン患者の集いに、患者のふりをして参加。治療の副作用で胸が大きくなった男の胸に抱かれて涙を流すと、その夜はぐっすりと眠れた。 ヤミツキとなり、“僕”は重症患者の自助グループを、幾つも渡り歩くようになる。しかしそうして得た心の平穏は、マーラという女性によって、打ち砕かれる。 マーラも病気ではないのに、様々な病名のグループに参加していた。“僕”はマーラを排除しようとするが、失敗。お互いに参加するグループを分け合うことで、手を打つ。 そんな時に“僕”は、タイラー・バーデンという男に出会う。タイラーは、「本気になれば家にある物でどんな爆弾も作れる」などと語り、そんな彼に“僕”は好感を抱く。 “僕”の自宅がガス爆発で、すべての家財と共に焼失した。唖然とした“僕”は、知り合ったばかりのタイラーに電話を掛ける。 バーで飲み意気投合した“僕”にタイラーは、「力いっぱい俺を殴ってくれ」と依頼。“僕”はそれに応え、2人は殴り合いとなる。 廃墟のようなタイラーの屋敷に住み始めた“僕”にとって、殴り合い=ファイトは心の癒しとなる。やがて彼らの元に、モヤモヤを抱えた男たちが集まるように。それは“ファイト・クラブ”という、殴り合いのグループへと発展する。 タイラーは“ファイト・クラブ”のカリスマ的なリーダーとなり、やがて“僕”が忌み嫌うマーラと男女の関係になる。“僕”と彼とは、段々ズレが生じるようになっていく。 タイラーは、“ファイト・クラブ”の中から“スペースモンキー”というメンバーを抽出。文明社会に対して、無政府主義的な攻撃を仕掛け始める。 タイラーのテロ計画に怖れを抱いた“僕”は、それを阻止すべく奔走するが…。 ***** “ブラピ”ことブラッド・ピットが演じるタイラーや、ヘレナ・ボナム=カーターのマーラとは違って、エドワード・ノートン演じる“僕”には、役名がない。“ナレーター=語り手”とクレジットされる。 クレジットにもその意が籠められていると思うが、本作の主役は正に一人称の、「信頼できない語り手」。彼が知覚し表現していることは、どこまで真実なのか? 例えばミステリー小説だと、アガサ・クリスティーの「アクロイド殺し」や横溝正史の「夜歩く」で、物語の語り手が殺人犯だったというオチがつく。本作に於いては、果してどういう意味で「信頼できない」のか?ネタバレになるので、これ以上は控えておく。 本作には、原作がある。キャラ配置やエピソードなどは、ほぼ原作に忠実な映画化と言って良いだろう。 著者は、チャック・パラニューク。1962年生まれの彼は、ワシントン州バーバンクのトレーラーハウスで育った後、オレゴン大学でジャーナリズムを専攻。卒業後は、大型トラックの製造会社で、整備工などを務めた。 その頃彼は、ホスピスでボランティアを務めていた。その経験が小説「ファイト・クラブ」、延いては映画版に活かされていく。「…看護も料理もなにもできなかったから、付き添いと呼ばれる役目につきました。僕は患者たちを毎晩互助グループに連れて行き、会が終ると彼らを連れて帰れるように、隅で坐ってなきゃならないんです。何グループも坐って見ていると、こんな健康なやつがわきで坐って見てるってことに、本当に罪の意識を感じ始めました。これじゃまるで観光客ですよ。だから僕はこう考え始めたんです。もし誰かが病気のふりをしているだけだったら、って。他の患者たちが与えてくれる親密さや正直さがほしい、それから、感情をぶちまけてすっきりしたい…」 この頃のパラニュークはまた、クリスマスなどの機会に突発的に集まって、イタズラを仕掛ける団体にも参加していた。そこにも“ファイト・クラブ”の元ネタになった部分があると思われる。彼は実際に、自分や周囲の友人や仲間たちが体験したことのあるエピソードを聞き集め、それを作品に折り込んでいったと、後に語っている。 アメリカに於いて主に1960年代中盤から70年代終盤に生まれた、いわゆる“ジェネレーションX”に属し、その世代を代表する作家と言われることが多い、パラニューク。自らの世代について、「我々は良い人間になるように育てられてきました…」と語る。 子ども時代から両親や教師などの期待に応えることばかり要求され、社会に出ても上司の求めるがままに働く。「…我々はどうして生きていくかを知るために、自分の外側ばかり見ているんです」というわけだ。 そしてある時に、パラニュークは思い至った。「人生のある一点を過ぎて、ルールに従うんじゃなく、自分でルールを作れるようになったとき、そしてまた、他のみんなの期待に応えるんじゃなく、自分がどうなりたいかを自分で決めるようになれれば、すごく楽しくなるはずです」 彼は経験から得たアイディアや想いを、コインランドリーやジム、時にはトラックの車体の下でクリップボードに挟んだ紙に書きながら、小説「ファイト・クラブ」を3カ月で完成させた。「執筆というよりも口述筆記に近かった」と言うように、感情のほとばしるままに、書き上げたという。 この小説に目をつけたのが、ハリウッドメジャーの20世紀フォックス。新人脚本家であるジム・ウールスが、小説に於ける反社会的姿勢の生々しさをどう表現するかに腐心して書き上げたシナリオを持って、当時の旬の監督たちに交渉した。 ピーター・ジャクソン、ダニー・ボイル、ブライアン・シンガーらが、それぞれの事情で次々と断った後、名前が挙がったのが、デヴィッド・フィンチャー。サイコサスペンス『セブン』(95)で大ヒットを飛ばして、一躍注目の新鋭となっていた。 実はフィンチャーは、原作の熱狂的ファンで、自分で映画化権を買い取ろうとしていた。彼は言う。「ナレーターがどんな人間か判っていた。この自分のことだったから」 ◆『ファイト・クラブ』撮影中のデヴィッド・フィンチャー監督(右)とヘレナ・ボナム=カーター 1962年生まれ。やはり“ジェネレーションX”である彼は、現代の消費社会における虚無感の描写に、強く共感を覚えていたのである。 主演の“僕”には当初、マット・デイモンかショーン・ペンが想定されていた。しかしフィンチャーは、『ラリー・フリント』(96)での演技を高く評価して、エドワード・ノートンを起用。 1969年生まれのノートンは本作に、~戦闘体勢に入った“ジェネレーションX”~を見出した。「僕自身が心の底から共感できるものが『ファイト・クラブ』にはいくつかあった。45歳以上の人にこの作品が理解できないとは言わないけれども、多くの人が『はぁ?』という反応を示しても不思議ではない」 タイラー・バーデン役は、やはりショーン・ペンが有力候補の1人だった。しかしフィンチャーの出世作『セブン』で主演だった、ブラッド・ピットに決まる。 1963年生まれのビットは、ハンサムな色男や金髪のロマンチック・ヒーローのイメージには、敢えて抗した役柄を好んで演じる。「…『ファイト・クラブ』は我々の文化への愚弄と虫ずが走るほど嫌いなのにむりやり押し付けられたものへの応答なんだ…」こちらもノリノリで、役に挑んだ。「もし他の誰かになれるとしたら僕はブラッド・ピットになりたい」フィンチャーのこんな発言は、本作に於いて極めて示唆的と言える。 ノートンとブラピは撮影前、ボクシング、テコンドー、総合格闘技などを特訓。また石鹸で爆弾を作るシーンのために、石鹸を手作りするレッスンも受けたという。 クレジットされていないが、フィンチャーの僚友だった、1964年生まれの脚本家アンドリュー・ケヴィン・ウォーカーによるシナリオのリライトなどを経て、『ファイト・クラブ』は、クランクイン。撮影は132日間、72のセットが組まれ、300を超えるシーンが撮られた。 フィンチャーは、時には100を越えるテイクを回すことで知られる監督だが、本作には通常の3倍以上のフィルムが使われたという。 これは余談になるが、ほぼ紅一点の主要キャスト、1966年生まれのヘレナ・ボナム=カーターは、本作でハリウッドに於ける方向性が決まったかのように思える。それまで「イングリッシュ・ローズ」とも「コルセット・クィーン」とも呼ばれた彼女は、イギリス情緒の溢れるクラシックな作品でのヒロインのイメージが強かった。 しかし、薬物中毒や病に苦しんでいた時期のジュディ・ガーランドの人生を参考に役作りを行ったという本作で、そのイメージを打破。一躍「ゴスの人」の印象が、強烈に打ち出された。直接は関係ない話だが、2000年代に入って、公私ともにティム・バートン監督のミューズになっていったことが、本作を振り返ると、至極納得がいく。 些か脱線したが、このように“ジェネレーションX”の中でも、エッジが利いた作り手・演者が集結して、「現状打破」を過激に叫ぶような本作が、20世紀終わりに登場。劇場公開時の興行成績こそ成功とは言えなかったが、後にリリースされたDVDは大ヒットとなるなど、当時の若者たちの心を捉えたのは、至極当たり前のことだったと言える。 そして今、21世紀に入って20年が過ぎ、全世界を閉塞感が覆っている。本作の人気は、再燃して然るべしと言えるだろう。「ファイト・クラブのことを決して口外するな」 映画史に残るこの「ルール」は、もはや日々破られるためにあるのだ!■ 『ファイト・クラブ』© 1999 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2021.07.08
アル・パチーノvsロバート・デ・ニーロ ライバルにして友人同士の、初の本格共演作 『ヒート』
2005年10月21日、ビバリーヒルズのホテルで、アル・パチーノを顕彰する催しがあった。その席には彼と共演経験がある者を中心に、綺羅星のようなスター達が出席。「アメリカン・シネマテーク賞」が贈られたパチーノに、次々と賞賛の声を浴びせた。 会場には姿を見せなかったものの、メッセージビデオを寄せた中には、ロバート・デ・ニーロが居た。彼はパチーノに呼び掛けるような、こんな祝いの言葉を贈った。「アル、何年にもわたり、おれたちは役を取り合った。世間のひとたちはおれたちをたがいに比較し、たがいに競わせ、心のなかでばらばらに引き裂いた。正直に言って、おれはそんな比較をしてみたことはない。たしかにおれのほうが背が高い。おれのほうが主役タイプだ。しかし正直に言おう。きみはおれたちの世代で最高の俳優であるかもしれない……ただし、おれをべつにしてだ」 1940年生まれのパチーノと、43年生まれのデ・ニーロ。まさに同世代の中で、長年ライバル同士と目されると同時に、親しい友人関係にあった。そんな2人の仲を、端的に表したメッセージと言えよう。 共に、イタリア系アメリカ人。俳優を志した若き日、ニューヨークでスタニスラフスキー・システムを基にした「メソッド演技法」を学んだのも、同じだ。但し、パチーノの師がアクターズ・スタジオのリー・ストラスバーグであるのに対し、デ・ニーロが学んだのは、かつてストラスバーグと衝突して袂を分かった、ステラ・アドラーであった。 俳優としてのキャリア初期、デ・ニーロは『The Gang That Couldn't Shoot Straight』(71/日本未公開)という作品に出演した。彼が演じたのは、パチーノが『ゴッドファーザー』(72)に出演が決まったため、断った役である。 その『ゴッドファーザー』でパチーノが演じたマイケル・コルレオーネの役は、デ・ニーロも候補として、名が挙がった1人だった。結果的にこの役を得たパチーノは、作品が記録破りの大ヒットになると同時に、スターダムにのし上がり、アカデミー賞助演男優賞の候補にもなった。 2人の初の共演作は、『ゴッドファーザーPARTⅡ』(74)。とはいえこの作品の中で、2人が顔を合わすシーンはない。パチーノが引き続きマイケル・コルレオーネを演じたのに対し、デ・ニーロの役は、マイケルの父であるヴィト―・コルレオーネの若き日であったからだ。 パチーノは今度は、アカデミー賞の主演男優賞候補になる。一方この作品で一躍大きな注目を集めたデ・ニーロは、候補となった助演男優賞のオスカー像を勝ち取った。 これは余談になるが、デ・ニーロが演じたヴィト―の生まれ故郷は、イタリア・シチリア島のコルレオーネ村。実はこの地は、パチーノの祖父の出身地であった。 さて、『ゴッドファーザーPARTⅡ』時には30代前半だった、パチーノとデ・ニーロ。そんな2人が初の本格共演を果たすのには、それから20年以上の歳月、共に50代となるまで、待たなければならなかった。 それが、マイケル・マン製作・監督による本作『ヒート』(95)。パチーノが演じる、ロサンゼルス市警の警部ヴィンセント・ハナと、デ・ニーロが演じる、プロの犯罪者ニール・マッコリ―の対決が描かれる、2時間50分である。 *** ニール・マッコリ―をリーダーに、クリス、チェリト、タウナーらがメンバーの強盗グループの今回のターゲットは、多額の有価証券を積んだ装甲輸送車。大胆不敵な襲撃で輸送車を横転させ、警察の追っ手が掛かる前に証券を手に入れて、現場から立ち去る計画だった。 ところが新顔のメンバーが、ガードマンの1人を無意味に射殺。そのため、目撃者である他のガードマンたちも、葬らざるを得なくなる。 急報を受けてロス市警から、強盗・殺人課のヴィンセント・ハナ警部が駆けつけた、彼は犯行の手口から、強盗のリーダーが、相当に頭が切れるタイプであることを見抜く。 グループの仲間たちが家族持ちなのに対し、ニールは情の部分を断ち切った独り者。しかしある時に出会った、グラフィック・デザイナーのイーディと恋に落ちる。 一方ニールたちを追うヴィンセントは、捜査にのめり込む余り、過去に2度の離婚歴がある。現在は3番目の妻とその連れ子の娘と暮らしているが、またもや関係がギクシャクし始めていた…。 ちょっとした糸口から、ニールたちの正体を割り出したヴィンセントの捜査チームは、強盗グループが犯行に及んだところを、一網打尽にする計画を実行する。ところが犯行途中、捜査チームのちょっとしたミスから、ニールは警察の罠に気付き、企てを中止して引き上げる。 ニールは意趣返しのように、逆に罠を張る。そして、ヴィンセントはじめ捜査チームのメンバーを突き止める。 虚々実々の駆け引きを経て、ヴィンセントとニールが、直接対決する日が近づく。それが2人のどちらかにとっては、最期の日になる。そんな予感を孕んでいた…。 *** デ・ニーロと同年の、1943年生まれのマイケル・マンは、70年代から「刑事スタスキー&ハッチ」「ポリスストーリー」など、TVの有名刑事ドラマの脚本や監督を担当。80年代にはエグゼクティブ・プロデューサーを務めた、「特捜刑事マイアミ・バイス」で大当たりを取った。 映画監督としては、『ザ・クラッカー/真夜中のアウトロー』(81)でデビュー。本作に至るまでに、『ザ・キープ』(83)『刑事グラハム/凍りついた欲望』(86)『ラスト・オブ・モヒカン』(92)といった作品を手掛けていた。 本作でパチーノが演じた刑事と、デ・ニーロが演じた犯罪者には、実在のモデルが居る。刑事のモデルは、元シカゴ市警の警察官で、退職後に脚本家となったチャック・アダムソン。マンの映画監督デビュー作『ザ・クラッカー』で、脚本及び犯罪に関する専門的なアドバイザーを担当したことがきっかけで、マンの親友となり、「マイアミ・バイス」他のマン作品に深く関わるようになった。 犯罪者のモデルは、アダムソンが警察時代に追っていた、その名もニール・マッコリ―。60年代のシカゴで仲間と共に、深夜の金庫襲撃などを繰り返していた。最終的には食料品チェーン店に強盗に入った際、監視していた警察に追い詰められ、アダムソンとその同僚によって、射殺された。 マンはアダムソンからマッコリ―の話を聞いて、2人の関係をベースにした、刑事と犯罪者の対決の物語を映像化しようと構想を練る。そしてまずは89年に、TVムービーとして、『メイド・イン・L.A.』を完成させる。 この作品は日本の場合、『ヒート』公開後に、VHSやDVDなどのソフトで観た方がほとんどと思われる。そうした順番で鑑賞すると、『メイド・イン・L.A.』は、『ヒート』をスケールダウンして、ノースターで製作した93分のダイジェスト版のように感じられる。 もちろん実際は、その逆。予算のスケールアップはもちろん、パチーノ、デ・ニーロ以外に、脇役にもヴァル・キルマーやジョン・ボイトなどのスターを配し、尺も2倍近くにしたのが、『ヒート』なのである。先に映像化したものが“ダイジェスト”のように感じられるのは、展開がほとんど変わらず、主要な登場人物の数も、ほぼ同じだからであろう。『ヒート』は長尺にした分、各キャラクターの描写が厚くなっている。正直、未消化に終わって、余計に感じられるところも散見するが。 さてアクション以外の見せ場として、両作にあるのが、クライマックスの対決に至る前に、ヴィンセントがニール(『メイド・イン・L.A.』では役名はパトリック)に声を掛け、宿敵同士である刑事と犯罪者が、コーヒーショップで会話をするシーン。これはモデルとなった2人の間に、実際にあった出来事を脚色したエピソードだという。 アダムソンがマッコーリーを尾行していた時に、期せずしてショッピングモールで、顔を合わせてしまった。その時アダムソンは、犯罪者であるマッコーリーの行動を深く理解したいと考え、コーヒーに誘ったのである。そして2人で、多くのことを語り合ったという。 この“実話”を基に、マンはヴィンセントとニールが、「…コインの裏と表のような関係…」であり、「似たもの同士…」であることを表現するシーンを作った。共にワーカホリックで、平穏な家庭生活などは望めない、孤高のプロフェッショナル。それ故に2人は、激しく戦わざるを得ないというわけだ。 作品の本質を表す、屈指の名シーンと言えるが、一方で『ヒート』初公開時にはこのシーンがあるが故に、観客らが「あらぬ疑惑」を抱く事態となった。それについては、後ほど詳述する。 本作でマンが大いにこだわったのが、“リアリティー”。俳優陣には準備段階で、犯罪者の行動原理を学ばせた。 例えば犯罪チームの一員チェリトを演じたトム・サイズモアの場合、刑務所で受刑者の話を聞いたり、営業中の銀行を訪れ、自分が強盗だったらどう狙うかをシミュレーションした。更には実在のギャング団行きつけの店のテーブルで、わざわざ食事までした。 撮影前には3カ月に及ぶ、コンバット・シューティング=実践的射撃術の訓練を実施。犯罪者チームと警官チームは、それぞれ銃の撃ち方や扱いに微妙な違いがあることから、別々のトレーナーを付けて行った。これは、劇中で対立する2つのチームに、馴れ合いの空気を作らせないための工夫でもあったという。 マンは、ロサンゼルスでのオールロケにもこだわった。ロケ場所は実に85箇所にも及んだが、ハイライトはやはり、12分間に渡る白昼の市街戦の舞台。週末にロスのオフィス街の大通りを丸ごと借り切って、映画史に残るような壮大なドンパチを繰り広げた。 主演を務めた2大スター、アル・パチーノとロバート・デ・ニーロについては、マンはその演技を、次のように語っている。「デ・ニーロは役を建築物のように構築する。細部をすこしずつ、信じられないほどこまかく研究する。…一方、アルの役への入りかたはちがう。ピカソが何も描いてないキャンヴァスを何時間もみつめて集中するようにだ。集中したあとで何刷毛か絵筆をふるう。それだけで人物が生きて立ち上がる」 そんな2人が対峙する最大の見せ場が、先に挙げた、コーヒーショップのシーンだった。しかし初公開時は、私も含めて多くの観客の中に、「?」を残す結果となった。具体的には、「パチーノとデ・ニーロ、共演してないのでは?」という疑念が、猛然と沸き上がったのである。 2人の会話シーンは、各々のバストショットの切り返しばかり。同一画面に2人が存在する、そんな2ショットのシーンが、全く存在しなかったのである。 パチーノとデ・ニーロが、いくら親しい友人同士といっても、撮影現場ではお互いTOPスターのプライドなどもあって、そうはいかなかった。だから別々に撮ったのである。そんなもっともらしい解説も、当時耳にした記憶がある。 でも実際は、そんなことはなかった。現場のスチールやメイキングなどから明らかだが、2人はちゃんと共演していたのである。しかもリハーサルなしで撮影したこのシーンは、2人のアドリブも満載に、11テイクも回していた。 では、実際にはカメラに収めた2ショットなどは、なぜ使わなかったのか?「共演してないのでは?」という疑惑を生み出すような編集に、どうしてなったのか? パチーノとデ・ニーロは、視線を合わせたり逸らしたりしながら、セリフの応酬をする。そうした中でお互いが、「似ている人間」であることを理解していく。 それを見せるためには、それぞれの表情がはっきりと映る、バストショットの切り返しが最も有効。交互に見せることで、2人の演技が融合していく。マンと編集者は、そう考えたのである。 初見から25年経って、そのシーンを観返してみて私が思ったのは、「似た者同士」である2人だが、同じ世界での共存は許されない。2ショットを省いたのには、そんなことを表す意図があったようにも思えてきた。この編集だからこそ、刑事と犯罪者、それぞれの“孤高さ”が際立ってくる。『ヒート』で初めて、本格共演を果たしたパチーノとデ・ニーロ。2人はその後、『ボーダー』(2008)『アイリッシュマン』(19)と、ほぼ10年に1度ほどのペースで共演を重ねている。 一方、その後様々な犯罪映画を手掛けたマイケル・マンは、現在ヴィンセントやニールらの、本作以前のストーリーを描く前日譚の小説化や脚本化に取り組んでいると伝えられる。この映像化が実現しても、齢80前後となったパチーノとデ・ニーロが同じ役で再登板することは、ちょっと考えにくいが…。■ 『ヒート』© 1995 Monarchy Enterprises S.a.r.l. in all other territories. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2021.07.07
監督が望んだ『夢の涯てまでも』究極バージョンへの道
■2時間以上も拡張されたヴェンダースの野心作 ヴィム・ヴェンダースが1991年に発表した映画『夢の涯てまでも』は、9か国・20都市をめぐる広範囲なロケに加え、壮大なSF的発想と2年にわたる長期撮影、そして製作費2300万ドルが投入された、アートハウスの作家映画としては破格の製作規模を持つ作品である。しかし編集に関しては監督の思い通りにはならず、上映時間の妥協を余儀なくされ、その判断は興行成績や評価に影響を与えてしまった。 本稿で詳述する『夢の涯てまでも ディレクターズカット版』は、ランニングタイムが4時間47分と劇場初公開時より2時間以上も長くなり、内容も大幅に拡張されている。これからご覧になるという方には早計な配慮かもしれないが、以下『劇場公開版』と今回の『ディレクターズカット版』の違いをおおまかに記しておきたい。 基本的に『劇場公開版』と『ディレクターズカット版』で物語に大きな変更は生じていないが、内容を理解するうえで必要な描写が、前者は後者からばっさりと切り落とされているのが分かる。なんせ序盤からして、主人公クレア(ソルヴェーグ・ドマルタン)の元恋人ユージーン(サム・ニール)が、なぜこの作品の語り部であるのかを記す登場場面がカットされているし、クレアの長い旅のきっかけとなる現金輸送も、依頼主であるチコ(チック・オルテガ)とレイモン(エディ・ミッチェル)のキャラクター描写が大幅に削られてしまっている。またクレアの親友である日系人マキコなど、彼女に関わりを持つ主要人物が丸ごといなくなっており、そのため『劇場公開版』は不足する要素をナレーションで補わねばならず、ヴェンダース自身が「ダイジェスト版だ」と言ったのも大いに納得がいく。 また物語の中盤にある日本パートでも、トレヴァー=サム(ウィリアム・ハート)が滞在先の箱根で森(笠智衆)老人に目を治してもらう場面が『劇場公開版』では簡略化され、目の治癒は後半の布石でありながら印象の薄いエピソードになっているし、彼とクレアが世界各地を駆け巡るセクションと、後半部のオーストラリアにおけるドリームマシン開発のセクションは、『ディレクターズカット版』では均等化されてバランスを保っているものの、『劇場公開版』は前半部に時間を割いたため、後半部の未消化を招いている。特にサムと父ヘンリー(マックス・フォン・シドー)の確執と和解は、この映画におけるドラマチックな要素のひとつだが、『劇場公開版』の急ぎ足な展開はそれを損ね、加えてドリームマシンが生み出す夢のシーンが少ないのも、作品の魅力を低減させてしまっている。当時NHKの協力を経て、ハイビジョン合成を駆使して創り出された夢の映像はこの映画の大きな話題だったが、今回の『ディレクターズカット版』ではそれが復活しており、作品の独自性とアートスタイルがいっそう高まっている。 結果として『ディレクターズカット版』は、全体の大幅な肉付けによって物語のニュアンスも大きく変わり、加えて不明瞭だった展開や登場人物の行動の真意に、観る者の理解が及ぶよう配慮されている。特にクレアがサムと旅路を共にする複雑な感情は、ユージーンとの恋愛関係が動機づけられていることで理解できるし、また都市から都市へのディテールを増した移動描写によって、旅情性が強く感じられるものになっている。これこそ『都会のアリス』(73)や『パリ、テキサス』(84)など、ロードムービーの名手として知られたヴェンダースの真髄といって相違ないだろう。 ■『夢の涯てまでも』さまざまなヴァージョン違い もともとヴェンダースはアメリカの配給元であるワーナー・ブラザースとの契約上、『夢の涯てまでも』を2時間30分で完成させなければならない義務を負っていた。だが編集作業の時点で、規定の上映時間内に収めることは不可能だと認識。さらに作品を完成へと進めていく過程において、彼は映画にもっと長い時間が必要だと気づき、プロデューサーにランニングタイムを拡大するよう請願する。しかし、契約条件がくつがえされることはなかった。 そこでヴェンダースは長年のお抱え編集者であるピーター・プリゴッダに協力してもらい、自分で管理していたスーパー35mmのオリジナルネガからマスターポジを作り、それを基に約20時間の長さに及ぶ粗編集の【ワークプリント版】を制作。そこからさらに2部作・計8時間の構成へと整え、ヴェンダースは再度プロデューサーに掛け合い『夢の涯てまでも』を2本の映画としてリリースするよう依頼したのだ。残念ながらそのアイデアも却下され、監督は自分の方法でロングバージョンを世に出すことにしたのである。さらにこの8時間のものはさらに6時間へと縮められ、この【6時間版】とスクリプトを元に書かれたノヴェライズが日本で出版された。 結局、ワーナーを配給とする【米劇場公開版】は2時間38分の上映時間となり、1991年9月12日にアメリカで公開。いっぽうでドイツやフランスなどの非英語圏では、ヴェンダースが6時間版を2時間59分に刈り込んだ【ヨーロッパ公開版】が上映された。日本では91年10月に開催された第4回東京国際映画祭でヨーロッパ公開版がクロージング上映されたのだが、翌年に一般公開されたときは米劇場公開版だったため、「映画が短縮されている」と不満を抱く者も少なくなかった。こうしたユーザーの声に応じる形で、93年11月にヨーロッパ公開版が『夢の涯てまでも ディレクターズ・カット版』と題して国内限定公開され、翌年の94年4月25日にパイオニアLDCが同バージョンを『夢の涯てまでも〈特別版〉』と銘打ち、LDソフトをリリース。それは日本でしか発売されなかったこともあり、海外のファンがこぞって求め、本作の再評価をうながす一助となった。 結局、ヴェンダースは劇場公開から2年後、改めて『夢の涯てまでも』の長時間バージョンに着手。ランニングタイムは5時間に設定され、テレビ放送のミニシリーズを想定し、三部に切り分けられた。この【5時間版】は1994年7月に英ロンドンのナショナル・フィルム・シアターで上映され、ヴェンダースは劇場でのティーチインに参加。その後、1996年12月には米ワシントン大学で、また5年後の2001年1月にアメリカン・シネマテークで上映がおこなわれ、4年後の2005年にはドイツを皮切りに、イタリア、フランスなどワーナーが権利を持つアメリカ以外でDVD化された。 ■そして決定バージョン『ディレクターズカット版』へ やがて時代は デジタルで旧作を鮮明な画像・音質で蘇らせる隆盛を迎えた。2014年、ヴェンダースはフランス国立映画センター(CNC)支援のもと、自らの財団において自作のレストアを意欲的におこなっていく。そして翌年の2015年、ついに『夢の涯てまでも』の最終形態ともいえる『夢の涯てまでも ディレクターズカット版』を制作。ランニングタイムは4時間47分で、上記の3部作構成からインターミッションを挟んだ2部構成へと戻されている。特筆すべきは画質と音質の向上で、『ディレクターズカット版』はベルリンのフィルムラボ「ARRI Film&TVServices」にあるオリジナルカメラネガからARRISCANフィルムスキャナーを介して4K解像度で作成され、入念な復元作業がほどこされた。音声も元の35mm磁気トラックからリマスターされ、そのすべての工程をヴェンダースが承認したものだ。 この『ディレクターズカット版』は同年「ヴィム・ヴェンダース回顧展」の一環としてニューヨーク近代美術館で初公開され、4年後の2019年12月には米クライテリオン・コレクションからブルーレイとDVDでソフトリリースされた。そして日本では、映画専門チャンネル「ザ・シネマ」での放送と、同社配信サービス「ザ・シネマメンバーズ」でようやく視聴が可能となった。ちなみにこの『ディレクターズカット版』ではインターミッションが取り払われ、一本の長大な作品としてまとめられている。劇中、クレアが長い旅を経て自分の物語を終わらせたように、ヴェンダースのヴァージョン違いをめぐる格闘の歴史もまた、長い時をかけて完結を迎えたのだ。■ 『夢の涯てまでも 【ディレクターズカット版】』© 1994 ROAD MOVIES GMBH – ARGOS FILMS © 2015 WIM WENDERS STIFTUNG – ARGOS FILMS
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COLUMN/コラム2021.07.06
ABBAのエバーグリーンな名曲に彩られた大ヒット・ミュージカル映画『マンマ・ミーア!』
世界中のファンを虜にした4人組ABBAとは? スウェーデン出身の世界的なポップ・グループ、ABBAの名曲に乗せて綴られる、悲喜こもごもの母親と娘の愛情物語。クイーンの「ウィ・ウィル・ロック・ユー」やエルトン・ジョンの「ロケットマン」、エルヴィス・プレスリーの「オール・シュック・アップ」などなど、有名アーティストのヒット曲を散りばめたジュークボックス・ミュージカルは、’00年代以降のロンドンやニューヨークで一躍トレンドとなり、今やミュージカル界の定番ジャンルとして市民権を得た感があるが、その火付け役となったのが1999年4月にロンドンのウエスト・エンドで開幕したABBAのミュージカル「マンマ・ミーア!」だった。 ご存知、1970~’80年代初頭にかけて、文字通り世界中で一世風靡した男女4人組ABBA。代表曲「ダンシング・クイーン」や「ザ・ウィナー」などを筆頭に、数多くのキャッチーなポップ・ナンバーを各国のヒットチャートへ送り込み、’60年代のビートルズと比較されるほどの社会現象を巻き起こした。ソビエト連邦やポーランドなど、冷戦時代に鉄のカーテンの向こう側でもブームを呼んだ西側のポップスターは、後にも先にもABBAだけだろう。メンバーは全ての作詞・作曲・プロデュースと演奏を担当する男性メンバー、ビョルン・ウルヴァースとベニー・アンデション、そして卓越した歌唱力でボーカルを担当する女性メンバー、アグネッタ(正確な発音はアンニェッタ)・ファルツコッグとアンニ=フリッド・リングスタッド(愛称フリーダ)。アグネッタとビョルン、ベニーとフリーダがそれぞれカップルで、4人の名前の頭文字を並べてABBAと名付けられた。 メンバーはいずれもABBA結成以前から地元スウェーデンでは有名なスター。ベニーは’60年代に「スウェーデンのビートルズ」と呼ばれたスーパー・ロックバンド、ヘップスターズの中核メンバーで、ビョルンは人気フォークバンド、フーテナニー・シンガーズのリードボーカリストだった。お互いのバンドのライブツアー中に公演先で知り合い意気投合した彼らは、ソングライター・コンビとして様々なアーティストに楽曲を提供するようになる。一方、アグネッタは’67年に17歳でデビューし、当時としては珍しい作詞・作曲もこなす女性歌手としてナンバーワン・ヒットを次々と放った美少女アイドル、フリーダもスウェーデンの音楽番組で活躍する本格的なジャズ・シンガーだった。つまり、どちらも今で言うところのセレブカップルだったのである。 ただし、もともと彼らにはグループとして活動するという意思はなかった。’70年頃からお互いのプロジェクトで協力し合うようになった彼らは、1回きりのつもりで’72年に4人揃ってレコーディングしたシングルを発表。これが予想以上の好評を博したことから、後にクインシー・ジョーンズをして「世界屈指の商売人」と言わしめた所属レコード会社社長スティッグ・アンダーソンが、彼らをABBAとして世界へ売り出すことにしたのである。’74年にシングル「恋のウォータールー」がユーロビジョン・ソングコンテストで優勝したことを契機に人気は爆発。ボルボと並ぶスウェーデン最大の輸出品とも呼ばれ、音源の著作権管理する音楽事務所ポーラー・ミュージックおよびユニバーサル・ミュージクの公式発表によると、これまでに全世界で3億8500万枚のレコード・セールスを記録。’82年に活動を休止して40年近くが経つものの、いまだに年間100万枚以上を売り上げているという。 「マンマ・ミーア!」への長い道のり そんなABBAとミュージカルの関係は意外と古い。どちらも幼い頃から伝統的なスウェディッシュ・フォークに慣れ親しんで育ち、10代後半でビートルズやフィル・スペクター、ビーチボーイズに多大な影響を受けたビョルンとベニー。若い頃の彼らにとってミュージカルは時代遅れの文化に過ぎなかったが、そんな2人の認識を変えたのが’72年にスウェーデンでも上演されたロック・ミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」(奇しくもマグダラのマリア役を演じたのはアグネッタ)だった。僕らもいつかはああいうミュージカルを作ってみたい。そう考えた彼らは、’77年に発表した5枚目のアルバム「ジ・アルバム」に“黄金の髪の少女”というミニ・ミュージカルを収録。やがて音楽的な成熟期を迎えたABBAは、’80年代に入るとアルバム「スーパー・トゥルーパー」や「ザ・ヴィジターズ」でトレンディなポップスの枠に収まらないミュージカル的な楽曲にも取り組んでいく。 一方その頃、「ジーザス・クライスト・スーパースター」や「エビータ」などのミュージカルで知られる脚本家ティム・ライスは、’70年代から温めてきた冷戦をテーマにした新作の企画を実現するため、当時「キャッツ」にかかりきりだった盟友アンドリュー・ロイド・ウェッバーに代わる作曲パートナーを探していた。そこで知人の音楽プロモーターから紹介されたのが、ABBAの活動に一区切りをつけてミュージカル制作に意欲を燃やしていたビョルンとベニー。この出会いから誕生したのが、全英チャート1位に輝く「アイ・ノー・ヒム・ソー・ウェル」や「ワン・ナイト・イン・バンコック」などの大ヒット曲を生んだ名作ミュージカル「チェス」だった。’86年から始まったロンドン公演もロングラン・ヒットとなり、ミュージカル・コンポーザーとして幸先の良いスタートを切ったかに思えたビョルンとベニーだったが、しかし演出や曲目を変えた’88年のブロードウェイ版がコケてしまう。今なおミュージカル・ファンの間で愛されている「チェス」だが、ビョルンとベニーにとっては少なからず悔いの残る結果となった。 その後、ビョルンとベニーはスウェーデンの国民的作家ヴィルヘルム・ムーベリの大河小説「移民」シリーズを舞台化したミュージカル「Kristina from Duvemåla(ドゥヴェモーラ出身のクリスティーナ)」を’95年に発表。本格的なスウェディッシュ・フォークを下敷きにしたこの作品は、地元スウェーデンでは大絶賛され、4年間に渡って上演されたものの、ロンドンやニューヨークでは英語バージョンがコンサート形式で演奏されたのみ。ミュージカルの本場への正式な上陸には至っていない。 こうして、ビョルンとベニーがミュージカル作家として地道に経験を積み重ねている頃、ABBAのヒット曲を基にしてミュージカルを作ろうと考える人物が現れる。それが、ティム・ライスのアシスタントだった女性ジュディ・クレイマーだ。もともとパンクキッズだったジュディは、ティム・ライスのもとで「チェス」の制作に携わったことから、それまで食わず嫌いだったABBAの音楽を聴いてたちまち夢中になる。そこで彼女は、’83年にフランスで放送されたABBAのテレビ用ミュージカル映画「Abbacadabra」を英語リメイクしようと思い立つ。そう、「マンマ・ミーア!」以前にアバのヒット曲を基にしたジュークボックス・ミュージカルが既に存在したのである。フレンチ・ミュージカルの傑作「レ・ミゼラブル」や「ミス・サイゴン」の脚本家で、フランスにおけるABBAの著作権管理者でもあったアラン・ブーブリルが企画し、ビョルンとベニーの2人はノータッチだった「Abbacadabra」は予想以上の好評を博し、その年のクリスマスにはロンドンでの舞台公演も実現。しかし、ブーブリルの許可が下りなかったため、英語版テレビ映画リメイクの企画は頓挫してしまう。 こうなったら自分で新たなABBAのミュージカルをプロデュースするしかない。そう考えたジュディは、「チェス」を介して親しくなったビョルンとベニーを根気よく説得し、ようやく「良い脚本があれば反対しない」とのお墨付きを得る。そこで彼女は新進気鋭の戯曲家キャサリン・ジョンソンに声をかけ、共同でミュージカルの制作に取り掛かった。最初にジュディが決めたルールは、ビョルンが書いた原曲の歌詞を変えないこと、共通のテーマを見つけて物語を構築していくこと、そして有名無名に関係なくストーリー重視で楽曲を選ぶこと。さらに、当時イギリス演劇界で高い評価を得ていたフィリダ・ロイドを監督に抜擢したジュディは、フィリダを伴ってストックホルムのビョルンとベニーのもとをプレゼンに訪れ、遂にミュージカル「マンマ・ミーア!」のゴーサインを正式に得ることに成功したのだ。 先述した通り、1999年4月にロンドンで開幕した「マンマ・ミーア!」は、ウエスト・エンド史上7番目となるロングラン記録を更新中。新型コロナ禍のため’20年3月に上演中止となったものの、’21年8月より再開される予定だ。また、ニューヨークのブロードウェイでは’01年10月から’15年9月まで14年間に渡って上演され、ブロードウェイ史上9番目のロングランヒットを達成した。そのほか、日本や韓国、ドイツ、フランス、ブラジルなど世界50か国以上で翻訳上演されている。’92年に発売されたベスト盤「ABBA Gold」の大ヒットに端を発する、’90年代のABBAリバイバル・ブームも追い風となったのだろう。筆者もホテル「マンダレイ・ベイ」で行われたラスベガス公演を見たが、ステージと客席が一体となってABBAのヒット曲を大合唱するフィナーレは感動ものだった。 一流の豪華キャストが揃った映画版シリーズ もはや、21世紀を代表する名作ミュージカルの仲間入りを果たしたといっても過言ではない「マンマ・ミーア!」。映画化の企画が立ち上がるのも時間の問題だったと言えよう。監督にフィリダ・ロイド、製作にジュディ・クレイマー、脚色にキャサリン・ジョンソンと、舞台版の立役者たちが勢揃いした映画版『マンマ・ミーア!』(’08)。もちろんミュージカル・ナンバーのプロデュースはビョルンとベニーの2人が担当し、演奏にはABBAのレコーディングに携わったスタジオ・ミュージシャンたちも参加している。 物語の舞台はギリシャの風光明媚な小さい島。ここでホテルを経営する女性ドナ(メリル・ストリープ)は、女手ひとつで育てた娘ソフィ(アマンダ・サイフリッド)の結婚式を控えて大忙し。ところが、その結婚式の前日、招いた覚えのないドナの元カレ3人が島へとやって来る。アメリカ人の建築家サム(ピアース・ブロスナン)にイギリス人の銀行家ハリー(コリン・ファース)、そしてスウェーデン人の紀行作家ビル(ステラン・スカルスガルド)。実は、彼らを結婚式に招待したのはソフィだった。母親の日記を読んで3人の存在を知ったソフィは、彼らの中の誰かが自分の父親ではないかと考えたのである。予期せぬ事態に大わらわのドナ。果たして、3人の男性の中にソフィの父親はいるのだろうか…? シンプルでセンチメンタルで明朗快活なストーリーは、基本的に舞台版そのまま。それゆえに映画としての広がりに欠ける印象は否めないものの、その弱点を補って余りあるのが豪華キャスト陣による素晴らしいパフォーマンスと、誰もが一度聞いただけで口ずさめるABBAの名曲の数々であろう。中でも、メリル・ストリープの堂々たるミュージカル演技は見事なもの。オペラを学んだ下地やブロードウェイでミュージカルの経験もあることは知っていたが、しかしここまで歌える人だとは失礼ながら思わなかった。名曲「ザ・ウィナー」では、オリジナルのアグネッタにも引けを取らない熱唱を披露。親友役ジュリー・ウォルターズやクリスティーン・バランスキーとの相性も抜群だ。劇中に使用される楽曲も、ABBAの代表曲をほぼ網羅。舞台設定に合わせたギリシャ民謡風のアレンジもお洒落だ。 ちなみに、実はこの『マンマ・ミーア!』によく似た設定のハリウッド映画が存在する。それが、大女優ジーナ・ロロブリジーダ主演のロマンティック・コメディ『想い出よ、今晩は!』(’68)。こちらの舞台は南イタリアの美しい村。女手ひとつで娘を育てた女性カルラは、終戦20周年を記念する村のイベントを控えて気が気じゃない。というのも、かつて村に駐留していた米軍兵たちが招待されているのだが、その中に娘の父親である可能性の高い男性が3人もいたのだ…というお話。『マンマ・ミーア』と違って、こちらはドタバタのセックス・コメディなのだが、しかし南欧に暮らす母娘の前に3人の父親候補が現れるという基本設定はソックリ。キャサリン・ジョンソンとジュディ・クレイマーが本作を参考にしたのかは定かでないものの、単なる偶然とはちょっと考えにくいだろう。 閑話休題。全世界で6億5000万ドル近くを売り上げ、年間興行収入ランキングでも5位というメガヒットを記録した映画版『マンマ・ミーア!』。この予想以上の大成功を受けて製作されたのが、映画版オリジナル・ストーリーの続編『マンマ・ミーア!ヒア・ウィ・ゴー』(‘18)である。物語は前作から数年後。既に他界した母親ドナ(メリル・ストリープ)の念願だったホテルの改修工事を終えたソフィ(アマンダ・サイフリッド)は、リニューアル・オープン式典の準備に追われているが、その一方で遠く離れたニューヨークで仕事をする夫スカイ(ドミニク・クーパー)との仲はすれ違い気味。そんなソフィの迷いや葛藤と並行しながら、若き日のドナ(リリー・ジェームズ)と3人の恋人たちの青春ロマンスが描かれていく。 舞台版ミュージカルの映画化という出自が少なからず足枷となった前作に対し、新たに脚本を書きおろした本作は時間や空間の制約から解き放たれたこともあり、前作以上にミュージカル映画としての魅力を発揮している。しかも、今回はABBAファンに人気の高い隠れた名曲を中心にセレクトされており、これが驚くほどエモーショナルにストーリーの感動を高めてくれるのだ。どれをカットしてもシングルとして通用するようなアルバム作りをモットーとしていたABBA時代のビョルンとベニー。熱心なファンであればご存じの通り、ABBAはアルバム曲やB面ソングも珠玉の名曲がズラリと揃っている。さしずめ本作などはその証拠と言えるだろう。中でも、子供を出産したソフィと亡き母親ドナの精霊の想いが交差する「マイ・ラヴ、マイ・ライフ」は大号泣すること必至!改めてABBAの偉大さを実感させられる一本に仕上がっている。 なお、プロデューサーのジュディ・クレイマーによると、シリーズ3作目の企画が進行中とのこと。’21年内に発表される予定のABBAの39年振りとなる新曲も使用されるという。公開時期などまだ未定だが、期待して完成を待ちたい。■ 『マンマ・ミーア!』© 2008 Universal Studios. All Rights Reserved.『マンマ・ミーア!ヒア・ウィー・ゴー』© 2018 Universal Studios. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2021.07.01
“アーミッシュ”そしてピーター・ウィアーとの出会いによる、ハリソン・フォード“キャリア最高”作『刑事ジョン・ブック/目撃者』
本作『刑事ジョン・ブック/目撃者』(1985)が公開された頃、主演のハリソン・フォードは、TOPクラスの人気スター。『スター・ウォーズ』シリーズ(77~)のハン・ソロ役、『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(81)に始まる「インディ・ジョーンズ」シリーズで、アクションスターとして確固たる地位を築いていた。 そんなフォードが刑事役と聞けば、当時の映画ファンは皆、もちろんアクション映画だろうと思い込む。原題の「WITNESS=目撃者」に、「刑事ジョン・ブック」とカブせた邦題も、『ブリット』(68)や『ダーティハリー』(71)といった、主人公の名前をタイトルにした、代表的な“刑事アクション”を連想させた。 しかし、そんなつもりで本作に臨んだ者は、何とも驚くべき肩透かしを喰らった。しかしそれは、期待外れだったという意味では、決してない…。 *** アメリカ・ペンシルバニア州の田舎の村落から、夫を亡くして間もない未亡人のレイチェルが、8歳のひとり息子サミュエルを連れ、旅に出る。目的地は、姉の住むボストン。 質素を旨とした2人の服装は、乗り継ぎで降りたフィラデルフィアの駅では、明らかに周囲から浮いていた。そしてすれ違う者から、囁かれる。「あの人たち、アーミッシュよ」 母子は、俗世との接触を断ち、独自のコミュニティで古の生活様式を守る、キリスト教の一派アーミッシュに属する者だった。 サミュエルは、公衆電話やエスカレーターなど、初めて見る文明の利器に驚きを覚える。しかし彼を最も驚かせたのは、トイレで偶然目撃した、殺人事件の顛末。殺されたのは、私服警官だった。 捜査の担当になったジョン・ブック刑事は、母子を強引に引き留め、協力させる。そしてサミュエルが目撃した殺人犯が、麻薬課のマクフィー刑事であることが判明する。 ブックは上司のシェイファーにその旨を報告し、極秘に捜査を進めることに。しかしその直後、マクフィーから銃撃を受ける。 上司もグルだと気付いたブックは、アーミッシュの母子も危険であると察知。重傷の身を押して、車で2人の住む村落まで送り届ける。 そこでブックは意識を失い、レイチェルの介抱を受ける。そしてそのまま、素朴なアーミッシュの生活の中に、身を潜める。 穏やかな日々が続き、ブックとレイチェルは、惹かれ合うものを感じ始める。しかし、一線は越えられない。それはこれまで培ってきた日常を、すべて捨てねばならなくなるからだ。 その一方で、シェイファーとマクフィー一味の執拗な追跡の手が、ブックたちに迫ってくる…。 *** 実在の宗派ながら、それまで多くの者にとっては未知の存在だった“アーミッシュ”が、本作の展開の肝となる。観客はハリソン・フォードが演じるジョン・ブックと共に、知られざる世界へと導かれる。 銃と暴力が蔓延る大都市で、刑事を務めてきたブック。“アーミッシュ”の社会は、彼が身を置いてきた場所とは、まさに正反対の異文化である。 厳しい戒律によって、18世紀以降の文明を拒否。農耕と牧畜による自給自足を旨として、車もテレビも電話も、ひとを傷つける武器もない。酒や煙草、更には快楽を目的としたセックスも禁忌である。そんな「絶対禁欲主義」の共同体で生まれ育ってきたレイチェルとブックの恋模様は、暫しプラトニックで、切ないものとなる。 本作はクライマックスでの悪徳警官グループとの対決など、アクションシーンが皆無というわけではない。しかしそれまでのフォード主演作とは、明らかに趣を異にした。 当時のフォードが、『スター・ウォーズ』『インディ・ジョーンズ』の2大シリーズで、TOPクラスの人気スターだったことは、先に記した。しかし逆に言ってしまえば、ルーカス印・スピルバーグ印限定。それ以外のヒットを持たないスターでもあった。 他の主演作は軒並み、興行的にも批評的にも、成功と言えるものはなかった。今ではSF映画史に残る名作の誉れ高い『ブレードランナー』(82)も、例外ではない。その頃の評価は、マニアックな人気がある、1本の“カルト映画”に過ぎなかったのである。 そんなフォードにとって本作は、2大シリーズ以外で、初の大ヒットとなった。また彼の現在に至る長いキャリアの中で、ただ一回だけアカデミー賞(主演男優賞)にノミネートされる作品となったのである。 プロデューサーのエドワード・S・フェルドマンが、本作の主演として、フォードに白羽の矢を立てたのは、脚本を読んだ際に、ゲイリー・クーパーがクエーカー教徒を演じる、南北戦争映画『友情ある説得』(56)を思い出したのが、きっかけだった。 クエーカー風の服装をしたクーパーを想起して、~現代俳優の中で、この手の服を着るとクーパーと同じくらい似合わなくて、滑稽に見えるのは誰だろう?~と考えた。即座に頭に浮かんだのが、フォードだったという。 オファーを受けたフォードは、脚本を読んですぐに気に入り、出演を決めた。後に脚本家に対して、フォードはその時のことをこんな風に語っている。「この作品には、90点くらいつけてもいいと思った。私が初めて読んだ時に90点もつける脚本というのは滅多にない…」 製作会社もパラマウントに決まり、次は監督探し。いわゆるハリウッド的な監督に委ねてしまえば、“アーミッシュ”が、よくある“刑事アクション”の単なる舞台装置になりかねない。 未知の異文化と関わっていく中で、主人公が変わっていく様を、きちんと捉えることが出来る。そんな監督としてフェルドマンが第一候補に考えたのが、『ピクニックatハンギング・ロック』(75)や『誓い』(81)『危険な年』(82)などで、オーストラリアの俊英と評判を取っていた、ピーター・ウィアーだった。 しかしその時のウィアーは、初のアメリカ映画として、ポール・セローの小説「モスキート・コースト」映画化の準備中。そのためフェルドマンは彼の起用を、一旦断念せざるを得なかった。 その後半年かけて監督探しを行うも、いずれも不調に終わったタイミングで、僥倖が訪れる。「モスキート・コースト」が資金難のため製作中止になり、ウィアーのスケジュールが空いたのだ。 オーストラリアに戻っていたウィアーは、届いた本作の脚本を読むと、フェルドマンのオファーにOKを出した。通常2年ほどを作品の準備期間に当てるウィアーだが、その時点で撮影までには、僅か10週ほどの時間しかなかった。それでも本作を引き受けたのは、“アーミッシュ”の存在に惹かれるものを感じたからだ。 その時点ではまだ暴力過多だった脚本を、ブラッシュアップ。ラブストーリーであり倫理観を扱うドラマという要素を、より強く打ち出すことにした。 フォードとウィアーは、準備期間の初対面からウマが合い、信頼関係が築けたという。ヒロインにケリー・マクギリスが候補に上がった際、「ほぼ新人」だった彼女の起用に難色を示したフォードだったが、「僕を信用できないなら、君はこの映画をやるべきじゃない」と断固とした態度を示すウィアーに、あっさりと翻意するほどだった。 フォードは本物の警官と共に夜のパトロールに出るなどの役作りを行い、“アーミッシュ”に関するリサーチは、ウィアーとマクギリスに任せた。自分は“アーミッシュ”については役柄同様、「…無知なままでいるよう…」細心の注意を払ったのだという。 それに対してマクギリスは、女優ということは隠して、“アーミッシュ”の家族と共に暮らすなどしたという いざ撮影に入っても、フォードとウィアーは、良好な関係を保った。ウィアーはフォードに、その時々で最高の演技、即ち“即興”を望み、フォードはそれに応えた。 本作の中で特に有名なのは、村落の“アーミッシュ”が総出で、新婚夫婦のための納屋を建てるシーン。実際に大工として生計を立てていた時代がある、フォードが見事な腕を披露する。 一方で、最もロマンティックなシーンと言えるのが、カーラジオから流れるポップスで、フォードとマクギリスがスローなダンスを踊るところ。ここで流れる、サム・クックの「ワンダフル・ワールド」を選曲したのも、フォードである。「ピーターは、私に、生理的な解釈ではなく、知的に解釈できるようにしてくれた。…それまでの監督との関係よりも、もっと私に対して影響力を持っていた」「彼(フォード)は好きにならずにいられない男だ。…強くて無口な、ハリウッド映画の伝統的なヒーローのような気がするよ」 こう語り合う2人は、まさに名コンビであった。この信頼関係があったからこそ、本作が世評も高い大ヒット作となったのは、疑うべくもない。 とはいえ、好事魔多しである。 ウィアーはアメリカで初めて取り組んだ本作で大成功を収めた後、念願の『モスキート・コースト』に改めて取り組む。主演は本作に引き続き、ハリソン・フォード。 この現場でも、互いへのリスペクトは失われなかった。しかし86年に完成し公開された作品が、本作のように観客と批評家から好意を以て迎えられることは、残念ながらなかったのである。 フォードは、ウィアーと組んだ2作品を、俳優生活で最高の体験だったと、後々まで語っている。しかし『モスキート・コースト』の失敗(!?)が災いしてか、その後2人のコンビ作は作られていない。これは至極、残念ことのように思える。 さて話を『…目撃者』に戻せば、本作の成功は“アーミッシュ”の文化に対する大衆の興味を喚起して、そのコミュニティ周辺には観光ブームが押し寄せた。本作内にも登場するが、それ以上に“アーミッシュ”に傍若無人な振舞いやからかうようなマネをする観光客が後を絶たなくなって、問題化したという。 個人的な想い出を言えば、本作を観た時に不思議に思ったことがある。先にも挙げたシーンであるが、「絶対禁欲主義」で踊ることも禁じられている筈のコミュニティなのに、レイチェルが、ジョン・ブックのダンスの誘いに、軽やかに応じられたこと。 実はその疑問は、本作初見から四半世紀近く経って、「松嶋×町山/未公開映画を観るTV」というテレビ番組に、構成として関わることによって氷解した。2009年から11年に掛けてTOKYO MXなどで放送されたこの番組は、アメリカの知られざる一面を伝える日本未公開のドキュメンタリー映画を、映画評論家の町山智浩氏のガイドによって紹介するというもの。 その中の『DEVIL'S PLAYGROUND』(02)という作品で、“アーミッシュ”が16歳になった時から1年間の“ルムシュプリンガ”という期間が、題材として取り上げられていた。この期間は何と、「絶対禁欲主義」とは真逆に、酒、煙草、ドラッグ、セックス等々、彼ら彼女らにとってすべての禁忌が、やり放題なのである。 これは、洗礼を受けて一生戒律に従って生きるか、それとも、教会を離れて俗世に入るかを決めるための準備期間。フリーな世界で奔放な1年間を過ごした上で、自分の一生を決めるというわけだ。 俗世に入ると、家族との縁は一生断ち切られて、二度と会えなくなる。加えて、遊び放題と言っても、所詮はアメリカの田舎町での枠内。1年も経つと、やりたいこともやり尽くす。結局は、進学や就職などに希望を見出した者など以外の9割は、“アーミッシュ”の世界へと戻っていくという。 この作品には相当な驚きを感じ、同時に、『…目撃者』のことを、思い出した。そうか、あのレイチェルも、ダンスはおろか、酒、煙草、ドラッグ、セックス漬けの奔放な1年間を過ごしたのか。なるほど~と。 本作から受けた感慨を台無しにしかねないエピソードだが、ご容赦を戴き、この稿の〆としたい。■ 『刑事ジョン・ブック/目撃者』TM & Copyright © 2021 by Paramount Pictures Corporation. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2021.06.30
憧れの古き良き’50年代を再現した青春ミュージカル映画の傑作『グリース』
誕生の背景には’70年代のレトロ・ブームが? ハリウッド映画の伝統的な王道ジャンルといえば西部劇とミュージカル。中でも、ブロードウェイ出身の一流スターたちによる華麗な歌とダンスを配し、熟練した職人スタッフによって夢のような映像世界を作り上げたミュージカル映画の数々は、世界に冠たる映画の都ハリウッドの独壇場だったと言えるだろう。そもそも史上初の長編トーキー映画『ジャズ・シンガー』(’27)からしてミュージカル。初期の作品群こそ単なるレビューショーに過ぎないものが多かったが、しかし天才演出家バスビー・バークレイの登場でミュージカル映画は一気に芸術の域へと達し、フレッド・アステアやジンジャー・ロジャース、ジュディ・ガーランドにジーン・ケリーといったキラ星の如きスターたちの活躍によって、ミュージカルはハリウッド映画の代名詞ともなっていく。 しかし、’50年代半ばにハリウッドのスタジオ・システムが崩壊すると、家内工業的な職人技術に支えられていたミュージカル映画の製作本数は激減。その代わり誕生したのが、既存のブロードウェイ・ミュージカルを巨額の予算で映像化した、『マイ・フェア・レディ』(’64)や『サウンド・オブ・ミュージック』(’65)のような大作ミュージカル映画群だった。ところが、’60年代にアメリカン・ニューシネマの時代が到来し、ハリウッド映画がリアリズム志向へと大きく舵を切ると、その対極にあるミュージカルの人気も急落。『ハロー・ドーリー!』(’69)や『ペンチャー・ワゴン』(’69)、『ラ・マンチャの男』(’72)などの大作ミュージカルが次々とコケてしまい、ハリウッドのプロデューサーたちはミュージカル映画を敬遠するようになる。 その一方で、’70年代は『ジーザス・クライスト・ザ・スーパースター』(’73)や『ロッキー・ホラー・ショー』(’75)、『トミー』(’75)など、ヒッピーやロックといった当時のサブカルチャーをふんだんに盛り込んだ若者向けの新感覚ミュージカルが台頭。さらには、ケネディ大統領暗殺やベトナム戦争以前の、古き良き平和で無垢な時代のアメリカを懐かしむ青春映画『アメリカン・グラフィティ』(’73)が大ヒットし、当時の懐メロ・ヒットナンバーを詰め込んだサントラ盤レコードもベストセラーに。同じような趣向のテレビ・シリーズ『ハッピー・デイズ』(‘74~’84)や、同時代の大学生活を描いたコメディ映画『アニマル・ハウス』(’78)なども話題を集め、アメリカでは時ならぬレトロ・ブームが巻き起こる。そんな’70年代半ばのトレンドを背景に生まれたのが、全米の年間興行収入ランキングで『スーパーマン』(’78)に次ぐ第2位を記録した青春ミュージカル『グリース』(’78)だった。(ちなみに第3位は『アニマル・ハウス』) 映画化の牽引役はショービズ界の名物仕掛け人 舞台は1958年の南カリフォルニア。夏休みの旅行先で知り合った男子高校生ダニー(ジョン・トラヴォルタ)とオーストラリア人の美少女サンディ(オリヴィア・ニュートン=ジョン)は、ひと夏の淡い恋の思い出を胸に別れるのだが、しかし9月の新学期を迎えた学校で2人は思いがけず再会。母国へ帰るはずだったサンディはアメリカへ留まることとなり、ダニーの通うライデル高校へ編入して来たのだ。しかし、不良少年グループ「T・バーズ」のリーダーとして、プレスリーばりにクールなリーゼントヘアを決めたダニーは、仲間の手前もあってサンディに冷たい態度を取ってしまう。女ごときに優しくしたら男がすたるってわけだ。これにショックを受けたサンディはダニーと絶交し、アメフト部の人気者ラガーマン(無名時代のロレンツォ・ラマス!)と付き合うように。内心焦りまくったダニーが彼女の気を惹こうと行いを改める一方、不良少女リゾ(ストッカード・チャニング)の率いる女子グループ「ピンク・レディーズ」と仲良くなったサンディもまた、品行方正でお堅い優等生の殻を破ろうとする…というお話だ。 原作は1971年にシカゴで初演された同名ミュージカル。翌年にはミュージカルの本場ブロードウェイへと進出し、後に『コーラスライン』に破られるまで、ブロードウェイの最長ロングラン記録をキープするほどの大ヒットとなった。リーゼントにポニーテールにロックンロールと、’50年代末の懐かしいアメリカン・ユースカルチャーをたっぷりと盛り込み、オリジナル・ソングだけでなく劇中当時の全米ヒットチューンを散りばめた内容は、まさしく『アメリカン・グラフィティ』に端を発するレトロカルチャー・ブームの先駆け。そんな舞台版『グリース』をシカゴの初演で見て強い感銘を受けたのが、ピーター・セラーズやアン=マーグレット、ポール・アンカなどの錚々たる大物クライアントを持つ名うてのタレント・エージェントで、プロモーターとしてもヒュー・ヘフナーやトルーマン・カポーティらのスキャンダラスな話題作りを仕掛けたことで有名なアラン・カーだった。 ‘60年代末から映画の製作やプロモーションにも関わっていたカーは、ロック・ミュージカル映画『トミー』の宣伝を手掛けたことをきっかけに、同作のプロデューサー、ロバート・スティッグウッドとコンビを組むことに。もともとザ・フーやビージーズなどの音楽エージェントだったスティッグウッドは、当時テレビ・シリーズ『Welcome Back, Kotter』(‘75~’79・日本未放送)のイケメン不良高校生役でティーン・アイドルとなった若手俳優ジョン・トラヴォルタと専属契約を結び、彼を主演に3本の映画を製作することとなる。その第1弾こそが、ディスコ・ブームの黄金時代を象徴するメガヒット映画『サタデー・ナイト・フィーバー』(’77)だった。これに続く作品を探していたスティッグウッドに、ビジネス・パートナーであるカーが『グリース』の映画化を進言。実は、無名時代のトラヴォルタは地方公演版『グリース』で、主人公ダニーの不良仲間ドゥーディ役を演じていたことから、あれよあれよという間に映画化が決定したのである。 そのトラヴォルタが監督として指名したのが、本作に続いてブルック・シールズ主演の青春ロマンス『青い珊瑚礁』(’80)を大ヒットさせたランダル・クレイザー。2人はトラヴォルタ主演のテレビ映画『プラスチックの中の青春』(’76)で組んで以来の大親友で、義理堅いトラヴォルタは本作でクレイザーに劇場用映画デビューのチャンスを与えたのである。相手役のサンディには、当時ポップス界のプリンセスとして人気絶頂だった歌姫オリヴィア・ニュートン=ジョン。大物歌手ヘレン・レディの自宅パーティでアラン・カーと知り合ったオリヴィアは、その際にサンディ役をオファーされたのだが、女優経験がほとんどないことからスクリーンテストを希望したという。まずはテストフィルムを撮影してみて、みんなが納得できるようであればオファーを引き受けるというわけだ。もちろん結果は合格。共演するトラヴォルタとの相性も抜群だった。 そのほか、ブロードウェイ版『グリース』でダニー役を演じたジェフ・コナウェイがダニーの親友ケニッキー、同じくブロードウェイ版で太目女子ジャンを演じたジェイミー・ドネリーが映画版でもジャンを演じるなど、舞台版『グリース』のオリジナル・キャストが大挙して脇を固めている。サンディの親友フレンチー役のディディ・コンは、デビー・ブーンの全米ナンバーワン・ヒット曲「恋するデビー」を生んだ青春映画『マイ・ソング』(‘77)の主演で注目されたばかりの女優。最も難航したキャスティングは不良少女リゾ役だったが、当時アラン・カーのクライアントだった32歳の女優ストッカード・チャニングに白羽の矢が立てられた。 主演コンビのスターパワーも大ヒットの要因 そんな本作の魅力は、なんといっても底抜けにポジティブな明朗快活さにあると言えよう。’50年代末~’60年代に愛された一連のプレスリー映画やフランキー・アヴァロン&アネット・ファニセロ主演のビーチ・パーティ映画、サンドラ・ディー主演のティーン・ロマンス映画などをお手本に再現された1958年の学園生活は、イジメともドラッグとも校内暴力とも無縁のキラキラとした夢の世界。終盤のカーレースシーンは『理由なき反抗』(’55)へのオマージュだが、しかしジェームズ・ディーンと違って本作の主人公たちには、恋愛の悩みくらいしか深刻な問題は存在しない。非行と言ったって、せいぜい大人の目を盗んでの喫煙と飲酒、不純異性交遊あたりが関の山。実に可愛いもんである。 さらに、ビーチ・パーティ映画シリーズの主演スターで、全米ナンバーワン・ヒット「ヴィーナス」で有名な’50年代のティーン・アイドル、フランキー・アヴァロンが天使役でドリーム・シークエンスに登場。マクギー校長役のイヴ・アーデンとカフェのウェイトレス役のジョーン・ブロンデルは、どちらも’30年代から活躍するハリウッドの大物女優だが、前者はテレビの人気シットコム『Our Miss Brooks』(‘48~’57・日本未放送)で、後者はオスカー候補になった『青いヴェール』(’51)や『シンシナティ・キッド』(’65)などの映画で、’50~’60年代のアメリカ人にお馴染みのスターだった。ほかにも、スタンダップコメディアンのシド・シーザーやバラエティ・タレントのドディ・グッドマン、ドラマ『サンセット77』(‘58~’64)のエド・バーンズなどなど、’50年代のポップカルチャーを象徴する有名人が勢揃い。ベトナム戦争やウォーターゲート事件などの暗い時代を経験し、犯罪率の増加など深刻な社会問題に悩まされた’70年代当時の観客にとって、アメリカが最も豊かで幸福だった時代を振り返る本作は、いわば格好の現実逃避でもあったのだろう。 もちろん、ジョン・トラヴォルタにオリヴィア・ニュートン=ジョンという主演コンビの旬なスターパワーの効果も大きい。先述したように『サタデー・ナイト・フィーバー』で映画界のスターダムに上りつめたばかりだったジョン・トラヴォルタ。テレビ時代からの「本当は純情な下町の不良少年」というイメージを活かした本作では、その卓越した歌唱力でミュージカルスターとしての実力も証明している。なにしろ、今の若い人は知らないかもしれないが、「レット・ハー・イン」という全米トップ10ヒットを持ち、「初恋のプリンス」や「サタデー・ナイト・ヒーロー」などのアルバムもリリースしたプロの歌手ですからね。 一方、これが本格的な女優デビュー作だったオリヴィア・ニュートン=ジョンは、もともと歌手として定評のあった感受性の豊かな表現力を演技でも遺憾なく発揮。劇中では清楚な優等生からタイトなスパンデックスのパンツにハイヒール姿のセクシー美女へと大変身するサンディだが、演じるオリヴィアも本作の直後にリリースした’79年のアルバム「さよならは一度だけ」で大胆にイメチェンを図り、それまでの隣のお姉さん的な親しみやすい歌姫からゴージャスなポップス界のセックスシンボルへと変貌を遂げている。 また、映画化に際して舞台版のオリジナル曲や懐メロだけでは弱いと感じたアラン・カーとロバート・スティッグウッドは、映画用として新たに書き下ろした楽曲を映画のハイライト・シーンで使用。この賢明な判断も結果的に功を奏した。まずは主題歌「グリース」を、スティッグウッドの前作『サタデー・ナイト・フィーバー』と同じくビージーズのバリー・ギブに依頼し、フォー・シーズンズのリードボーカリストとしても有名なフランキー・ヴァリに歌わせた。’70年代的なディスコ・ソングは本編に合わないとの批判もあったが、しかし先行シングルとしてリリースされるや全米ナンバー・ワンの座を獲得。さらに、オリヴィアの歌うバラード曲「愛すれど悲し」と、オリヴィア&トラヴォルタのデュエット曲「愛のデュエット」を、当時オリヴィアの専属プロデューサー兼ソングライターだったジョン・ファラーが担当。前者が全米3位、後者が全米1位をマークし、さらに舞台版でも使用された「思い出のサマー・ナイツ」も全米5位をマークしている。サントラ盤アルバムも最終的に全世界で3800万枚のセールスを記録。その後の『フェーム』(’80)や『フラッシュダンス』(’83)、『フットルース』(’84)に代表される’80年代サントラ・ブームは、『サタデー・ナイト・フィーバー』と本作が火付け役だったとも言えよう。■ 『グリース』TM, (R) & COPYRIGHT (C) 2021 BY PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2021.06.17
原作者も唸らせた、換骨奪胎の極み!『L.A.コンフィデンシャル』
本作『L.A.コンフィデンシャル』(1997)は、ジェームズ・エルロイ(1948~ )が1990年に著し日本でも95年に翻訳出版された、長編ノワール小説の映画化である。 エルロイは両親の離婚によって、母親と暮らしていたが、10歳の時にその母が殺害される。多くの男と肉体関係を持っていたという母を殺した犯人は見付からず、事件は迷宮入り。そしてその後彼を引き取った父も、17歳の時に亡くなる。 エルロイは10代の頃から酒と麻薬に溺れ、窃盗や強盗で金を稼いだ。27歳の時には精神に変調を来し、病院の隔離室に収容されている。 文学に目覚めて小説を書き始めた頃には、30代を迎えていた。彼の著作には、その過去や思い入れが、強く反映されている。 本作の原作は、後にブライアン・デ・パルマ監督によって映画化された「ブラック・ダリア」(87年出版)を皮切りとする、「暗黒のL.A.」4部作の3作目に当たる。原作は翻訳版にして、上下巻合わせて700ページに及ぶ長大なもので、1950年のプロローグから58年までの、8年にわたる物語となっている。 その間に起こった幾つもの大事件が、複雑に絡み合う。更には1934年に起こった、猟奇的な連続児童誘拐殺害事件も、ストーリーに大きく関わってくる。読み進む内に「?」と思う部分に行き当たったら、丹念にページを繰って読み返さないと、展開についていけなくなる可能性が、大いにある。 50年代のハリウッドを象徴するかのように、テーマパークを建設中の、ウォルト・ディズニーを彷彿とさせる映画製作者なども、原作の主な登場人物の1人。膨大な数のキャラクターがストーリーに関わってくるため、原作の巻頭に用意されている人物表の助けが、折々必要となるであろう。 当時の人気女優だったラナ・ターナーの愛人で、ギャングの用心棒だった実在の人物、ジョニー・ストンパナートは、実名で登場。映画化作品では、彼とターナーの愛人関係は、ギャグのように使われていたが、原作では、彼がターナーの実娘に刺殺される、実際に起こった事件まで、物語に巧みに組み込まれている。 さて原作のこのヴォリュームを、そのまま映画化することは、まず不可能と言える。そんな中で、原作を読んで直ぐに映画にしたいと思った男が居た。それが、カーティス・ハンソンである。 彼は、すでに映画化権を取得していたワーナーブラザースに申し入れをして、結果的に本作の製作、脚本、そして監督を務めることになった。監督前作であるメリル・ストリープ主演の『激流』(94)ロケ中には、撮影を進めながらも、頭の中は本作のことでいっぱいだったとも、語っている。 映画化に於いてハンソンは、原作の主人公でもある3人の警察官を軸に、その性格や位置付けは生かしつつも、「換骨奪胎の極み」とでも言うべき、見事な脚色、そして演出を行っている。本作を、90年代アメリカ映画を代表する屈指の1本と評する者は数多いが、一見すればわかる。 映画『L.A.コンフィデンシャル』は、そんな評価が至極納得の完成度なのである。 *** 1950年代のロサンゼルス。ギャングのボスであるミッキー・コーエンの逮捕をきっかけに、裏社会の利権を巡って血みどろの抗争が勃発。コーエンの腹心の部下たちが、正体不明の刺客により、次々と消されていった。 53年のクリスマス、ロス市警のセントラル署。警官が重傷を負った事件の容疑者として、メキシコ人数人が連行された。署内でパーティを行っていた警官たちが、酔いも手伝って彼らをリンチ。血祭りにあげたこの一件が、「血のクリスマス」事件として、大々的に報道されるに至る。 そこに居合わせた、バド・ホワイト巡査(演;ラッセル・クロウ)、ジャック・ヴィンセンス巡査部長(演;ケヴィン・スペイシー)、エド・エクスリー警部補(演;ガイ・ピアース)は、警官としての各々のスタンスによって、この一件に対処。それは対立こそすれ、決して交わらない、それぞれの“正義”に思われた…。「血のクリスマス」の処分で、何人かの警官のクビが飛んだ頃、ダウンタウンに在る「ナイト・アウル・カフェ」で、従業員や客の男女6人が惨殺される事件が起こる。被害者の中には、「血のクリスマス」で懲戒免職になった、元刑事でバドの相棒だった、ステンスランドも混ざっていた。 この「ナイト・アウルの虐殺」の容疑者として、3人の黒人の若者が逮捕される。エドの巧みな取り調べなどで、容疑が固められていったが、3人は警備の不備をついて逃走する。 エドは潜伏先を急襲して、3人を射殺。「ナイト・アウルの虐殺」事件は一件落着かに思われた。 しかしこの事件には、ハリウッド女優そっくりに整形した娼婦たちを抱えた売春組織、スキャンダル報道が売りのタブロイド誌、そしてロス市警に巣喰う腐敗警官たちが複雑に絡んだ、信じ難いほどの“闇”があった。 相容れることは決してないと思われた、3人の警官たち。エド、バド、ジャックは、それぞれの“正義”を以て、この底が知れない“闇”へと立ち向かっていく…。 *** ハンソンは、ブライアン・ヘルゲランドと共に行った脚色に際して、「ナイト・アウルの虐殺」の真相解明に絡むように発生する、連続娼婦殺害事件や、それと関連する20年前の連続児童誘拐殺害事件等々、原作では重要なファクターとなっている複数の事件のエピソードをカット。物語のスパンはぐっと短期に凝縮して、登場人物の大幅な整理・削減も断行している。 エドとバド、終盤近くまで睨み合いを続ける、この2人の警官の対立を深める色恋沙汰の相手として、原作では2人の女性が登場する。しかし映画ではその役割は、キム・ベイシンガー演じる、ハリウッド女優のベロニカ・レイク似の娼婦リン1人に絞られる。 3人の主人公のキャラクター設定も、巧妙なアレンジが施されている。その中では、幼少期に眼前で父が母を殴り殺す光景を目撃したことから、女性に暴力を振るう男は絶対許せないというバドのキャラは、比較的原作に忠実と言える。しかしジャックに関しては、TVの刑事ドラマ「名誉のバッジ」のテクニカル・アドバイザーを務めながら、タブロイド誌の記者と通じているという点は原作を踏襲しながらも、過去に罪なき民間人を射殺したトラウマがあるというキャラ付けは,バッサリとカット。 そしてエド。彼が警官としての真っ当な“正義”を求めながら、出世にこだわるのは、原作通りである。しかし父親がかつてエリート警察官であり、退職後は土木建築業で成功を収めている実業家となっていることや、兄もやはり警官で、若くして殉職を遂げたなどの、彼にコンプレックスを抱かせるような家族の設定は改変。映画化作品のエドは、36歳で殉職して伝説的な警察官となった父を目標としており、兄の存在はなくなっている。 また原作のエドは、第2次世界大戦での日本軍との戦闘で、自らの武勲をデッチ上げて英雄として凱旋するなど、より複雑な心理状態の持ち主となっている。しかしハンソンとヘルゲランドは、この辺りも作劇上で邪魔と判断したのであろう。映画化に当たっては、その設定を消し去っている。 エドのキャラクターのある意味単純化と同時に、原作には登場しない、映画オリジナルで尚且つ物語の鍵を握る最重要人物が生み出されている。その名は、“ロロ・トマシ”。本作未見の方々のためにネタバレになる詳述は避けるが、奇妙な響きを持つこの“ロロ・トマシ”こそ、正に本作の脚色の見事さを象徴している。 キャスティングの妙も、言及せねばなるまい。主役の3人に関して、すでに『ユージュアル・サスペクツ』(95)でオスカー俳優となっていたケヴィン・スペイシーはともかく、ラッセル・クロウとガイ・ピアースという2人のオーストラリア人俳優は、当時はまだまだこれからの存在だった。 ラッセルの演技には以前から注目していたというハンソンだったが、ガイに関しては、全くのノーマーク。しかし本読みをさせてみると、素晴らしく、ガイ以外の候補が頭から消えてしまったという。またこの2人は観客にとっては未知の人であったため、「…どちらが死ぬのか、生きるのか見当もつかない」。そこが良かったともいう。 とはいえ無名のオーストラリア人俳優を2人も起用するとなると、一苦労である。まずプロデューサーのアーノン・ミルチャンを説得。映画会社に対しては、先に決まっていたラッセルに続いて、ガイまでもオーストラリア人であるということを、黙っていたという。 ラッセルとガイには、撮影がスタートする7週間前にロス入りしてもらい、当地の英語を身につけさせた。またラッセルには、近年のステロイド系ではない、50年代の鍛えられてはいない身体作りをしてもらったという。 さて配信が大きな力を持ってきた昨今は、ベストセラーなどの映像化に際しては、潤沢な予算と時間を掛けて、原作の忠実な再現を、評価が高い映画監督が手掛ける流れが出てきている。例えば今年、コルソン・ホワイトヘッドのベストセラー小説「地下鉄道」が、『ムーンライト』(16)などのバリー・ジェンキンスの製作・監督によって、全10話のドラマシリーズとなり、Netflixから配信された。 こうした作品について、従来の映画化のパターンと比して、「もはや2時間のダイジェストを作る意味はあるのか?」などという物言いを、目の当たりにするようにもなった。なるほど、一見キャッチ―且つ刺激的な物言いである。確かに長大な原作をただただ2時間の枠に押し込めることに終始した、「ダイジェスト」のような映画化作品も、これまでに多々存在してきた。 しかし『L.A.コンフィデンシャル』のような作品に触れると、「ちょっと待った」という他はない。展開に少なからずの混乱が見られ、遺体損壊などがグロテスクに描写されるエルロイ作品をそのままに、例えば全10話で忠実に映像化した作品などは、観る者を極めて限定するであろう。その上で、それが果して全10話付き合えるほどに魅力的なものになるかどうかは、想像もつかない。 因みにハンソンは、混乱を避けるために、エルロイには1度も相談せず、脚本を書き上げた。その時点になって初めて脚本を送ると、エルロイから夕食の誘いがあった。恐る恐る出掛けていくと、エルロイは~彼自身の考えていることがキャラクターを通して映画のなかによく出ている~と激賞したという。 まさに「換骨奪胎の極み」を2時間強の上映時間で見せつけ、映画の醍醐味が堪能できる作品として完成した、『L.A.コンフィデンシャル』。97年9月に公開されると、興行的にも批評的にも大好評を得て、その年の賞レースの先頭を走った。 アカデミー賞でも9部門にノミネートされ、作品賞の最有力候補と目されたが、巡り合わせが悪かった。同じ年の暮れに公開された『タイタニック』が、作品賞、監督賞をはじめ11部門をかっさらっていったのである。 本作はハンソンとヘルゲランドへの脚色賞、キム・ベイシンガーへの助演女優賞の2部門の受賞に止まった。しかしその事実によって、価値を貶められることは決してない。『L.A.コンフィデンシャル』は、監督のカーティス・ハンソンが2016年に71歳で鬼籍に入った後も、語り継がれる伝説的な作品となっている。■ 『L.A.コンフィデンシャル』© 1997 Regency Entertainment (USA), Inc. in the U.S. only.
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COLUMN/コラム2021.06.08
ヒッチコックの「ピュアシネマ」を実践したブライアン・デ・パルマ監督の傑作スリラー『殺しのドレス』
※注:本稿は一部ネタバレを含みますので、予めご了承ください。 公開当時に物議を醸した問題作 『悪魔のシスター』(’72)や『ファントム・オブ・パラダイス』(’74)のカルト・ヒットを経て、『キャリー』(’76)の大成功によってハリウッドのメジャー・シーンへと躍り出たブライアン・デ・パルマ監督。’80年代に入るといよいよキャリアの全盛期を迎えることとなるわけだが、その幕開けを告げる象徴的な作品がこの『殺しのドレス』(’80)だった。血みどろの残酷描写や際どい性描写のおかげでレーティング審査ではMPAA(アメリカ映画協会)と揉め、女性やトランスジェンダーの描写が人権団体から激しく非難を浴びる一方、ヒッチコックへのオマージュを独自の映像言語へと昇華させたスタイリッシュなサスペンス演出は、ロジャー・エバートやポーリン・ケールといったうるさ型の映画評論家から大絶賛され、興行的にも『キャリー』に迫るほどの大ヒットを記録した。 舞台は現代のニューヨーク。上流家庭の美しい人妻ケイト・ミラー(アンジー・ディッキンソン)は、ベトナムで戦死した前夫との息子ピーター(キース・ゴードン)を愛する良き母親だが、しかしその一方で裕福な夫マイク(フレッド・ウェバー)の無関心な態度に日頃から不満を覚えている。今朝も久しぶりに夫が体を求めてきたと思ったら、まるで人形を相手にするかの如く一方的に射精してオシマイ。もはや私には女性としての魅力がないのだろうか?かかりつけの精神分析医エリオット(マイケル・ケイン)のセラピーを受けた彼女は、「先生は私とセックスしたいと思ったことある?」と問い詰めてエリオット医師を困らせてしまう。 その日の午後、ケイトはひとりでメトロポリタン美術館へと足を運ぶ。たまたま隣に座ったハンサムな男性に惹かれ、思わせぶりな態度を取って相手の反応を試すケイト。向こうもまんざらではなさそうだ。大人の男女による無言の駆け引き。一度は彼を見失ってしまったケイトだったが、しかし美術館の外に出ると男性はタクシーに乗って待っており、2人はそのまま彼のアパートへと直行する。夜になって家へ帰ろうとするケイト。寝ている男性に置手紙を残そうと書斎デスクの引き出しを開けた彼女は、たまたま病院の診断書を見つけて驚く。男性は性病にかかっていたのだ。罪の意識と後悔の念に狼狽してエレベーターへ乗り込むケイト。そんな彼女を尾行する怪しい人影。忘れ物に気付いたケイトが彼の部屋へ戻ろうとしたところ、サングラスをかけたブロンドの女にカミソリで惨殺されてしまう。 その頃、別の階でエレベーターを待っていた高級コールガールのリズ・ブレイク(ナンシー・アレン)。扉が開くと、そこには血まみれになったケイトが倒れていた。虫の息のケイトに手を差し伸べようとするリズだったが、エレベーター内の鏡に映る犯人の姿に気付き、とっさに凶器のカミソリを拾って逃げ出し警察に通報する。事件の第一発見者にして最重要容疑者となってしまったリズ。警察のマリーノ刑事(デニス・フランツ)も売春婦の言うことなどまともに取り合ってはくれない。ケイトの息子ピーターと組んで真犯人を突き止め、身の潔白を証明しようとするリズ、そんな彼女を秘かに尾行するサングラスのブロンド女。一方、エリオット医師は患者のトランスジェンダー女性ボビーが犯行を告白する留守電テープを聞き、警察よりも先に彼女の身柄を確保しようと奔走するのだったが…? 全編に散りばめられたヒッチコックへのオマージュ 本編をご覧になった方は既にお気づきのことと思うが、『キャリー』と同じく本作におけるヒッチコックの『サイコ』(’60)からの影響は一目瞭然。オープニングとクライマックスを女性のシャワー・シーンで飾っているのは象徴的だし、映画の前半と後半でヒロインがバトンタッチするという展開も『サイコ』のプロットをお手本にしている。女装した犯人がカミソリでケイトを惨殺するエレベーター・シーンは、そのスピーディで細かい編集を含めて、『サイコ』の有名なシャワー・シーンの、より残酷で血生臭い再現と言えるだろう。性欲が殺意のトリガーとなるのもノーマン・ベイツと一緒。もちろん、ヒッチコック映画へのオマージュは『サイコ』だけに止まらない。犯人の女装姿は『ファミリー・プロット』(’76)のカレン・ブラックとソックリだし、エリオット医師のオフィスに単身乗り込んだリズをピーターが双眼鏡で見守るシーンは『裏窓』(’54)を彷彿とさせる。元ネタ探しを楽しむのもまた一興だろう。 そんな本作の中でも、恐らく最もヒッチコック的と呼べるのが美術館シーンである。女性の肖像画の前に座ったアンジー・ディッキンソンは、さながら『めまい』(’58)のキム・ノヴァク。ふと周りを見回して来場客たちの様子を観察する姿は、アパートの部屋から隣人たちの生活を覗き見する『裏窓』のジェームズ・スチュアートである。そして、たまたま隣に座ったハンサムな男性に心惹かれたヒロインは、広い美術館の中を歩き回りながら、追いつ追われつの男女の駆け引きを繰り広げ、最終的に美術館の外へ出たところでタクシーに乗った男性と合流する。ここまでセリフは一切なし。まるでサイレント映画の如く、映像と伴奏音楽だけでストーリーを雄弁に物語っている。これは『めまい』の尾行シーンや『鳥』(’63)のボート・シーンなどでも試みられた、ヒッチコックが言うところの「ピュアシネマ」の応用だ。しかも、ヒッチコックの時代にはなかったステディカムを駆使することで、より純度の高い映像技法をものにしている。ヒッチコキアンたるデ・パルマの面目躍如と言えるだろう。 ちなみに、美術館の外へ出たケイトの目線の先をカメラが追いかけていく(これまたヒッチコックのトレードマーク的な演出)と、タクシーに乗って待つ男性の手元へと辿り着くわけだが、その間に一瞬だけ女装した犯人の姿が映像に写り込む。これは犯人が美術館から彼女を尾行していたということの証なのだが、しかしストーリーの展開上、この時点で観客にはまだ殺人者の存在は明かされていないため、2度目以降の鑑賞で初めて写り込みに気づく観客が大半であろう。これを見て思わず連想するのが、ダリオ・アルジェント監督の『サスペリアPART2』(’75)。そう、犯人の顔が写り込んだ鏡の廊下のシーンである。デ・パルマがアルジェントを意識したのかは定かでないものの、映画ファンとして強く興味を惹かれるポイントではある。 実は的外れだったミソジニスト批判 こうした巧妙な映像技法の活用や名作へのオマージュを含めて、いかにして観客を怖がらせて楽しませるのかというヒッチコック映画一流のショーマンシップを継承した本作。先述したように、公開当時は女性に対する露骨な暴力描写やトランスジェンダーへの偏見を助長するような描写を激しく非難され、一部からはミソジニストというレッテルまで貼られてしまったデ・パルマ監督だが、しかし本人が「か弱い女性が危険な目に遭うというサスペンス映画の伝統を踏襲したに過ぎない」と語るように、スリルや恐怖を盛り上げるためのセオリーを追求した結果こうなったというのが真相なのだろう。それに、本作のストーリーをちゃんと理解していれば、むしろミソジニーとは正反対の視点が貫かれていることに気付くはずだ。 中でも特にそれが顕著なのは、2人のヒロインの描写である。良き妻であり良き母親である以前に一人の女性であることを自覚し、結果的に過ちではあったものの能動的に行動することを選んだ人妻ケイト、ちゃんと納得した上で自らの性を売り物にし、そこで稼いだ金を賢く株や美術品などの投資に回す高級コールガールのリズ。旧態依然とした保守的な社会が女性に求める規範から明らかに外れたヒロインたちを、本作では強い意志を持つ自立した現代女性として同情的に描く一方、そんな彼女たちを「釣った魚」や「性的オブジェクト」のように扱う尊大な男性たちに批判の目が向けられているように思える。 実際、本作に登場する男性キャラは、揃いも揃って身勝手で独善的な無自覚のミソジニストばかり。唯一の例外は、ケイトの息子である未成年(=まだ男になりきれていない)のピーターだけだ。そもそも、殺人犯を凶行へと駆り立てる要因だって、自らが内在する女性性を頑なに否定しようとする男性性である。すなわち、本作における諸悪の根源は男性優位主義的なマチズモであり、それが意図したものであるかどうかはまた別としても、どことなく中性的な童貞オタク少年ピーターを自らの分身だと語るデ・パルマが、その対極にあるマチズモを否定すべきものとして描いていることは明らかだ。確かに、トランスジェンダーを解離性同一障害のように描いている点は誤解を招きかねないと思うが、しかし少なくとも本作が女性蔑視的であるという当時の批判は的外れであったと言えるだろう。■ 『殺しのドレス』© 1980 Warwick Associates. All Rights Reserved.