COLUMN & NEWS
コラム・ニュース一覧
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COLUMN/コラム2009.07.25
最近休んでない・・・と嘆く大人に捧げる『ウォルター少年と、夏の休日』
大人になって良いことなんてほとんどないけれど、大人になって子供の頃の"良いこと"に気づくことは多い。たとえば夏休み。大人になった途端、悲しいかな"夏休み"は親友レベルから、一気に冠婚葬祭のときにしか顔をあわせない、疎遠な親戚レベルの存在へと変貌する。(土産を持った帰省やら、普段できない掃除やら、家族サービスやらに費やされる一週間程度の休みは本当の夏休みとは呼べない)『ウォルター少年と、夏の休日』はタイトルが示すとおり、少年が体験した夏の出来事を描いた作品である。けれど、今作は夏休みを満喫する少年・少女よりもむしろ、休みなんてずいぶんとってないよと嘆く大人たちに観ていただきたい。今作の原題は"SECONDHAND LIONS"という。SECONDHANDとは、"中古の"とか"古びた"といった意味なので、トシ食ったライオンたち、というような意味になる。邦題にケチをつける気はさらさらないのだけど、『ウォルター少年と、夏の休日』という邦題から受ける、極めて健康的・青少年的イメージ(売り方とも言い換えられるが)も間違いではないけれど、それよりも原題のほうがより中身を正しく示唆している。トシ食ったライオンたちとは、ロバート・デュヴァルとマイケル・ケインがそれぞれ演じるハブとガース、二人のジイさんたちである。彼らがなぜトシ食ったライオンなのかは、映画を観ていただくこととして、父のいないハーレイ・ジョエル・オスメントがこの二人が暮らす家に預けられ、ひと夏を過ごすのだが、今作の主役はハーレイではなく、なんと言ってもハリウッドを代表する名優二人が演じるジイさんである。ハブとガースは無免許で飛行機を乗りこなしたり、バーで若者達ととっくみあいの喧嘩をしたり(もちろん圧勝する)、二人には過去に莫大な金を手に入れたという噂があり、そのためにひっきりなしにセールスマンが訪れるのだが、二人は彼らを銃で追い払ったりしてしまう、元気きわまりないジイさんなのである。しかしこれだけなら、ただの格好いいジイさんの話になるのだが、彼らがより魅力的に映るのは、二人は若かった頃の時間がけして戻ってこないことをよく知っていることにある。二人は過去におとぎ話のようなファンタジックな体験をしていて、心の底では今も冒険を追い求めているのだけど、それは若い頃だけに許された特別な時間だったことをハブとガースはきちんと知っている。ただ、そうは言ってもそれを素直に認めたくない自分もいる。そのあたりの微妙な男ゴコロを、ロバート・デュヴァルとマイケル・ケインは、絶妙な演技で観る人に伝えてくれるのである。昔、自分が夏休みに何をしていたかなんてほとんど思い出せないけれど、それでも、"夏休み"という言葉が持つイノセントでキラキラした、買ったばかり白いTシャツみたいな感じは憶えている。そこには、大人になった僕らには、二度と手にすることのできない時間があり匂いがある。夏休みって言ったって、何もやることないなあと思いながら過ぎていった贅沢な時間がある。ハブとガースは、ウォルターという一人の少年を通じてそれらを改めて思い出す。昔、自分たちが過ごした懐かしい時間や空気、匂いと、少年がこれから過ごすであろう日々を思いながら。『ウォルター少年と、夏の休日』を見た後、久しぶりに山下達郎の「さよなら夏の日」を聴いてみた。そうしてふと、少年時代は人生の夏休みなのカモとセンチメンタル(←死語×2)に浸った男でした。■(奥田高大) TM and©MMIII NEW LINE PRODUCTIONS,INC.©MMIV NEW LINE HOME ENTERTAINMENT,INC.ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2009.07.21
ただのファミリー映画と思ったら大間違い。お母さんのような『シャーロットのおくりもの』
私、大きな勘違いをしてました・・・。 『シャーロットのおくりもの』の “シャーロット”は少女もしくはブタの名前で、ダコタ・ファニング演じるシャーロットがブタに奇跡を起こしたとか、ブタのシャーロットが内気なダコタを変えたとか、いかにもファミリー映画っぽい物語を想像していたんです。ところがそれは全くの見当違い。ブタでも少女でもないシャーロットの正体に、良い意味で裏切られてしまったのです。シャーロットは、クモです。さらに、本作は少女とブタの愛情物語でも、牧場世界のハートウォーミング(←最近、使わない?)ムービーでもあまりせん。この作品は、クモのシャーロットが起こす、奇跡の物語なのです。子供よりも大人、とくに妊娠中とか子育て中の方にこそ薦めたい、一種の自然科学チャンネルを観ているかのような、生命について考えるきっかけをくれる映画です。ブタが登場する映画と聞いて『ベイブ』シリーズを思い浮かべてしまった私は、「しゃべるブタ=のどかな牧場映画」という物語を安易に想像してしまったのですが、とんでもない。『シャーロットのおくりもの』に登場する雄ブタ、ウィルバーが預けられた牧場に生きる動物たちは、いずれ殺されて人間に食べられる運命。毎日を楽しむ方法を探そうともしていない、のどかとは掛け離れた様子。そんな状況なので、本作に登場する動物たちはシリアスなトークを繰り広げます。牛「体が大きくなったところで、どうせ奴(人間)は僕らを食べるんだよ」やら、牧場にある不気味な建物を指しながら、馬「あそこに君も連れてかれるよ。そしてこの世とはおさらばさ…」みたいな言葉でウィルバーを脅したりと、非常に暗いのです。そんな暗~い牧場の入り口に垂れ下がる一匹の雌グモが、シャーロット。「誰かの食事のために殺されるなんて真っ平だ!」と愚痴を言うばかりの動物たちは、シャーロットに「見醜い」「平気で虫を食べるなんて」と毎日のように悪口を浴びせるものの、シャーロットはとても利口で、弱肉強食の世界を深く理解している。生きる為に虫を食すことを厭わない代わりに、「いただきます」「ごちそうさま」の言葉を欠かさないなど、牧場で暮らす動物たちよりもオトナです。そんな嫌われ者のシャーロットを、ウィルバーが美しいと褒めたことがきっかけで、二人(?)はかけがえのない友達になります。牧場の動物たちは、口を揃えて「自分たちが食べるために僕らを育てるなんて、人間は勝手だ!」と言います。たしかにその通りよね、と人間である私も彼らの意見には激しく同意するのですが、シャーロットはそんなヒトのエゴとも言えそうな行為でさえ、生き物が子孫を残すためには仕方ないと達観しているのです。シャーロットは偉いなあ。でもそんなシャーロットでも「ウィルバーが食べられるのは嫌」と、彼を助けるためにある方法を思いつきます。いくら仕方ないとは言っても、大切な人(?)が食べられるのは阻止したいと健気に想う様子が、人情(??)に溢れていて感動的なのです!シャーロットは自分より何百倍も大きなブタを救うため、クモだからこその表現方法で、その健気な気持ちを人間に伝えます。どのようにしてウィルバーを救うのかは、観てのお楽しみ。ところで、素敵なクモ、シャーロットの声を担当しているのはジュリア・ロバーツ。普段から口が大きいことをからかわれがちな彼女が『シャーロットのおくりもの』で担当したのは、登場生物の中で一番口の小さいクモでした…という冗談はさておき、そんな小さなクモの口から存在感ある彼女のセクシーボイスが囁かれることで、シャーロットが話す一語一句がより強く心に響きます。「食事ができることに感謝しなさい」「いただきます、言った?」と、実家の母のようにお説教をしてくれるシャーロット。私たちは生命を食べるから生きていて、それでこそ生命が連続していくことを『シャーロットのおくりもの』は教えてくれるのです。(韓 奈侑) COPYRIGHT © 2009 BY PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2009.07.12
『夢駆ける馬ドリーマー』は映画のサラブレッドだ!
大方の人はタイトルを見ただけで予想がつくと思うけれど、『夢駆ける馬ドリーマー』は、爽やかで、時折ドキドキして、たまにホロリと涙腺が緩み、エンドロールが流れる頃には前向きな気分にさせてくれるという、まさに由緒正しい映画のサラブレッド(王道)的作品である。おまけに、原題にある”Inspired by True Story”からもわかるように、実話を基にしているとある。しかしながら、こういった「王道的作品」の匂いがすると、良くも悪くも期待を裏切らないストーリーであるがゆえに、退屈な作品が多いのもまた事実である。だから、僕も『夢駆ける馬ドリーマー』は、まあどちらかと言えば、退屈な映画だろうと思いこんでいた。しかし、その考えは改めなければいけない。王道作品には、やっぱり王道作品でしか味わえない幸せがあるのだ。カート・ラッセル演じるベン・クレーンは、牧場を営みながら、競走馬の調教師としても働いているものの、生活は楽ではない。そのうえ父のポップ(クリス・クリストファーソン)とは牧場経営の方針が食い違い、ろくに口もきかない仲。そしてベンの娘が、ダコタ・ファニング演じるケール・クレーン。ケールの楽しみは祖父のポップに馬の話を聞くことと、父の仕事を眺めること。しかしベンは、ケールには馬に関わる道を歩ませたくないと、仕事場についてくることを許さない。とろこがある日、ベンがケールに根負けして、仕事場に連れてきていた日に、競走馬として期待されていたソーニャが骨折してしまう。競走馬は、骨折して予後不良と見なされた場合は、安楽死させるのが常。しかしベンはケールの目の前でソーニャを安楽死させることを拒み、それがきっかけで調教師の仕事をクビになってしまう。そうして給料と引き替えにソーニャを引き取ったベンは、優秀な種牡馬とソーニャを交配させて、仔馬を売ろうと計画する。ところが検査の結果、ソーニャが不妊であることがわかり、ベンは途方に暮れてしまう。仕事はなくなり、家計は火の車。望みの綱だった、仔馬を売って当座の生活費にあてようとする算段もあっけなく崩れてしまったベンは、足の経過が良好なソーニャを、買い手を探すためのレースに出走させて、売却してしまう。このことを知ったケールは、ソーニャを売った父を責める。そうして娘の馬を想う気持ちに心を打たれたベンはソーニャを買い戻し、所有権をケールに委ねることに。晴れてオーナーとなったケールは、競走馬として賞金総額400万ドルのクラシック・レース「ブリーダーズ・カップ」にソーニャを出走させることを決意。果たしてソーニャは、家族の期待に応え、競走馬として復活することができるのか・・?というのが今作のあらすじである。ここまで読んで、このあと一体どうなるの? と思う人はいるまい。前述したように、『夢駆ける馬ドリーマー』は360度どこから眺めても、王道の作品である。予想を大幅に裏切る展開もなければ、ドンデン返しもない。ともすれば、ありがちでわかりきった、退屈なだけの作品になる。しかし、『夢駆ける馬ドリーマー』はそうならなかった。想像通りなのに、しっかりと物語に惹きつけられ、ポイントポイントで感情を揺さぶられ、ここぞというシーンではホロリとさせられる。王道的な作品で人を惹きつけるには、相当な力が必要になりそうなものだが、まんまと作戦にはまってしまうということは、それだけ『夢駆ける馬ドリーマー』が丁寧に作り込まれた映画だということだろう。音楽にたとえるならば、『ペット・サウンズ』以前のビーチ・ボーイズであり、アメリカをロックに載せて歌い続けるブルース・スプリングスティーンである。一見すると、彼らは繰り返し同じものを、包装だけをかえて提供しているようにも見える。でも実はそこには、類い希な才能と創意工夫がある。さらに誤解を避けるために付け加えるが、彼らから生まれる音楽には、「前代未聞」や「まったく新しい」といった安っぽい広告用キャッチコピーをはるかに超えた、確かなオリジナリティがある。 『夢駆ける馬ドリーマー』はまさにそういった作品である。あざとい計算もない。必要以上の演出もない。映画から伝わってくるのは、良いお話を、一人でも多くの人に伝えたいという、飾り気のない気持ちだけだ。その結果として、我々は、”あきらめずにトライし続ければ、いつか夢は叶う”というポジティブな感情を抱くことになる。ちょうどビーチ・ボーイズの「Surfin’ USA」を聞けば、誰もがハワイの青い海と空、サーフィンを思い浮かべ、幸せな気持ちになるのと同じように。 もうひとつ。言うまでもないことだけど、この映画はダコタ・ファニングがいるから成立している。ダコタの父役を演じるカート・ラッセルも、祖父役のクリス・クリストファーソンももちろん悪くないし、本当の父と息子と間違えそうなくらい顔が似ていて説得力がある。それでも、『夢駆ける馬ドリーマー』は彼女の映画である。当時10歳か11歳のダコタ・ファニングは、大人びているわけでもなく、子どもっぽすぎることもない。自分が子どもの頃に、こういう女の子がいたなと、遠い記憶を目の前に押しつけがましくなく差し出してくれる。ちょっと大げさかもしれないけれど、映画を観ているあいだ、子どもだった頃の自分に、ほんの一瞬、時計の針を戻してくれる。さすがは天才子役の名をほしいままにする子どもだけはある。そして今作を見て、最近ダコタの姿を見てないと思っていた僕は、早速ネットで画像検索。子役のときに大活躍したり、天使のように可愛かったりすると、その頃のイメージが強すぎるのか、大人になるにつれて残念な結果をもたらすこと多いですよね?しかし、皆様どうかご安心を。しっかりと美女に成長しているじゃありませんか!どうやら彼女の場合は、子役のイメージに縛られ続ける心配はなさそう。ナタリー・ポートマンのように、しっかり成長してハリウッドを代表する女優になりそうです。最近の彼女の出演作は日本未公開作品が多いものの、アメリカでは活躍を続けており、来年には今までの清純派のイメージを覆す、70年代に実在したガールズ・バンドの伝記映画『The Runaways』にも出演決定。目下撮影中とのこと。ここらで天才子役から、ぐっと大人っぽくなった彼女の姿を、日本のファンにも見せつけてほしいもんですね。そのためにもまずは『夢駆ける馬ドリーマー』と月末に放送する『シャーロットのおくりもの』でたっぷりと予習・復習をお願いします!■(奥田高大) TM & © 2009 DREAMWORKS LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2009.07.04
こうして戦争は始まる>『13デイズ』
どういうわけか、当ブログではわりとまじめな作品について駄文を書くことの多い僕だが、その中身はというと、相当にいい加減で不真面目な性格である。それゆえに「社会派ドラマ」にカテゴライズされる作品を、積極的に観る機会がとりたてて多いということもない。むしろ、ちょっと近寄りにくい、肩がこりそう。そう考えるタチなのだ。大体において「社会派」と呼ばれるような作品は、コメディ映画とは異なり、観る側にもエネルギーがいる。ウヒャヒャと笑えばいいだけのコメディ映画に比べると、気を抜くとストーリーについていけなくなりそうなので、頭を回転させる必要もある。作品時間も長い傾向にある。それだけに駄作を観たときの落胆度は大きく、大きな後悔と損失を被ることになる。しかしながら、そんなひねくれた視点から観ても『13デイズ』は、間違いのない、きちんと作り込まれた社会派ドラマでありポリティカルサスペンスである。 今作の舞台は1962年、冷戦まっただなかのアメリカ。世界が核戦争に最も接近したと言われる13日間「キューバ危機」を描いている。時の大統領は、ジョン・F・ケネディ。ケネディを支える司法長官に実弟のロバート・ケネディがつき、大統領特別補佐官として、ケネス・オドネルがいた。言うまでもないことだが、冷戦時代のアメリカとソ連は同等の武力=核兵器を持ち合うことで均衡を保っていた。巨大な力を持つ二つの国の、どちらか一方だけが圧倒的な武力を持つことは、世界を危機にさらすことになると考えていたからである。キューバ危機はアメリカの侵攻を恐れたキューバが、友邦のソ連に武器の援助を申し込んだことに端を発する。しかし、戦争にも使われかねない武器を渡してしまうのはさすがにマズイと判断したソ連は、代わりに、核ミサイルをキューバ国内に配備した。核は戦争のための兵器ではなく戦争を抑止するための兵器である、という、冷戦時代特有の、今日では理解できない発想だ。だが結果として、これにアメリカが猛反発して、危ういバランスで成り立っていた均衡が崩れそうになるのである。『13デイズ』は“ケネディ・テープ”と呼ばれるケネディ大統領自ら13日間の会議の模様を録音したテープや、ロバート・F・ケネディの回想録『13日間』、機密文書、そしてケビン・コスナーが演じた実在の人物、ケネス・オドネルへの100時間にも及ぶロング・インタビューなどを基に練り上げられたという。もちろん、映画である点、そして極めて政治色の強い事件を扱っているだけに、事実と異なる点もあるはずだ。だがどのようにしてソ連とアメリカの緊張が高まり、どのようにして最悪の事態、つまり第三次世界大戦を免れることになったのかが、非常にわかりやすく、かつスリリングに描かれている。僕はこの映画を観るまで、結局のところ、戦争は圧倒的な権力を持った国家のリーダーの意思によって始まるものだと思い込んでいた。事実、ヒトラーのようにそういったケースもある。しかし『13デイズ』では、アメリカにとって「キューバ危機」は対ソ連であると同時に、アメリカ内部との戦いでもあった点が詳細に描かれており、それが非常に興味深い。アメリカ内部とは、国防総省やCIAなど、戦争回避=軟弱な態度として、空爆を主張する主戦派の人々のことである。彼らの強硬論をケネディ兄弟とオドネルが、いかにして抑えたか。それが『13デイズ』を緊迫感ある作品に仕立てている理由である。戦争の引き金となるのは、必ずしも対外的な要因ばかりではなく、部下や周囲に対する権力の誇示、自分の地位や立場を守るための見栄やプライドといった、誰もが持っている要因が積み重なって、大きな力となったものなのかもしれない。いつだったか忘れたが、こんな言葉を聞いたことがある。「一人一人の希望を聞いてできあがったものは、結局誰も望んでいないものである」もしかするとその一つが戦争なのかも知れない、と考えさせられる映画だった。ついでに言うと、主演のケビン・コスナーは1995年の『ウォーターワールド』で大コケする前後あたりから、『ボディ・ガード』のようなラブ&ヒーロー路線にいくのか、『フィールド・オブ・ドリームス』のようなヒューマンドラマ路線に行くのか、迷走が続いている感があるが、たぶん『JFK』や『パーフェクトワールド』、そして今作のようなわりとシリアスな作品で、ヒーローになりすぎない、ちょいシブメの役が一番しっくりくる気がする。そんなわけで、僕のように「政治・社会派」作品でミスはしたくない!と強い決意を持っている人にも、『13デイズ』は間違いなくオススメできる作品でありますので、ぜひご覧下さい!■(奥田高大) ©BEACON COMMUNICATIONS,LLC.ALL RIGHTS RESERVED
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COLUMN/コラム2009.06.26
人生いろいろ『フォレスト・ガンプ/一期一会』
ってのは、映画冒頭、主人公フォレスト・ガンプの最初のセリフなんですけど(母親の口癖の受け売りだけど)、この言葉が、作品のすべてを語り尽くしちゃってますね。この映画では、2、3の人生が描かれます。知能に障害を持つ男、フォレスト・ガンプ。子供の頃は身体も不自由で、補助具をつけないと歩くのも困難なほど。ただ、その補助具が星飛雄馬にとっての大リーグボール養成ギプス的な役割を果たしちゃって、ガンプの脚力は、気づかぬうちに常人をはるかに上回るものになっていた。 で、とあることがキッカケで、逆に韋駄天としての超人的能力を発揮することに。それ以来、この、「ムっチャクチャ足が速い」という特技のおかげで、ガンプの人生には次から次へと幸運が舞い込んできます。野心も野望も打算も下心もなく、ただ、その時その時の自分の人生を、バカ正直に生きた男の、夢のような成功物語。ヒューマン・ドラマであると同時に、一風変わったアメリカン・ドリームを描いたサクセス・ストーリーでもある。主人公のガンプを軸に見れば、これは、そんなお話です。いっぽう。ガンプの幼なじみの女の子でヒロインのジェニーは、ヒっドい人生を送ってます。子供の頃は父親に虐待され、女子大に入るとエロ本に出たことがバレて退学に。その後、成人してからも踏んだり蹴ったりの人生。ガンプとジェニーは、世代的には“団塊の世代”です(アメリカにゃないだろ)。1950年代に子供時代をすごし、60年代に青春時代を送って、70年代にオトナの仲間入りをした。まさしくアメリカ現代史を駆け抜けてきた、そんなジェネレーション。 ジェニーは、その時代感覚に染まりきって生きてる女。女子大生の頃はジョーン・バエズにあこがれてフォーク・シンガーになる夢をいだくものの、例の顔出しエロ本発覚事件のせいで場末のストリップ小屋に身を沈めることに。ビートニック・ビューティー“ボビー・ディロン”ってバカっぽいやっすい源氏名で、野郎どもにヤラしい野次をあびせられたり、触られたりしながら、全裸でギターを弾き語りします。その頃“ビート族”が流行ってたから、「ビートニック・ビューティー」。ボブ・ディランのブレイク直後だから、「ボビー・ディロン」。その後も、ビート族からヒッピーになって、みんながシスコに詣でればシスコに行き、みんながワシントンDCでベトナム反戦デモをすればそれに加わり、マリファナとかアシッドだとかの悪い草やクスリにも手を伸ばす。流行ってたから。そのうちヒッピーが時代遅れになって70年代ディスコ・ブームが到来すると、今度はそれ風のファッションに身をつつんで、コカインとかヘロインとかまでやっちゃって、いよいよもって廃人路線を転がり落ちてく。ただ時代に流されていくだけ。時代を生きるんじゃなくて、ただ流されるまま。ガンプの方は、時代という枠の中でも、あくまでマイペースで生きてくんですけど、そういうことが、このジェニーって女には、できない。で、どんどんドツボにはまってく。なんとか逃げ出したい。「鳥になってここから飛んでいきたい」と少女の頃からずーっと祈りつづけ、人生を自分の手にしっかりと掴みたいと必死で願ってるのに、掴めず、ただ流されるまま、けっきょく抜け出せずに、もがきつづけて、どんどん身を落としてく。でも、流されるだけのジェニーを、ゼメキス監督は、映画の中で罰してるワケじゃないと思うんです。罰として次々に不幸がふりかかってるワケじゃないだろうと思うんです。この映画って、ガンプは正直者だからラッキーな人生を送り、ジェニーはスレた女だから不幸になった、という「因果応報」の物語では全然ない、とワタクシは感じるのであります。人生の浮き沈みなんてもんは、しょせん運でしかありません。流される女ジェニーは、よくある人間類型です。むしろ、ガンプのように流されずマイペースを貫ける人間ってのの方が、実はレアな存在でしょう。俊足・強運・マイペース。ガンプこそ、現実には存在しない、実は“超人”なんであって、ジェニーのような人ってのは、いつの時代・どこの国でも見られる、よくいるタイプなんじゃないんでしょうか。日本で言うと、バブルの頃にブイブイいわせてたイケイケのオヤジギャル。または、10年ちょい前に品行よろしからぬ女子高生ライフを送ってた元コギャル。あの人たちって、いったい今、どうしてるんでしょうか?あの人たちのそんな生き様ってのも、べつに間違ってたってワケじゃない。その後の人生で罰を受けて当然というほどの罪など、犯してはいないはずです。ただ、ほんのちょっと運を逃しちゃったがために、ジェニーみたく、人生の底まで沈んで行き、いまだに浮き上がれずにもがき苦しんでいるかもしれません。この2009年の日本のどこかには、きっと、そんな和製ジェニーな感じの方たちが、少なからずいるような気がしてなりません。映画『フォレスト・ガンプ』では、そんな、運に見放された気の毒な人を代表しているヒロインの、逆サクセス・ストーリーが、主人公のサクセス・ストーリーの裏で、表裏一体の関係で描かれていきます。ヒューマン・ドラマであると同時に、挫折と転落と蹉跌のドラマでもあるんすわ、この映画は。つまり、結論としては「人生いろいろ」。運のいい人、悪い人、いろいろあります。それがテーマです。ってオイ、そんなナゲヤリなテーマあるかい!そう、それを踏まえた上で、この映画では大感動のポイントがちゃーんと設けられてるんすわ。超ラッキーな男ガンプが、子供の頃から一貫して、不幸なジェニーのことを一途に想いつづけてるって点。それがそのポイントです。ストーリーは実際のアメリカ現代史(リアル)を時代背景に展開しますが、2人がつむぐ物語って、はっきり言って、リアリティまるっきしありません。ヒューマン・ドラマって、いかに人間をリアルに掘り下げて描けるかっつうとこがキモなんすけどねぇ…。ラッキーな方がアンラッキーな方を何十年間も慕いつづけてる、幼なじみの何十年ごしの片想い、なんてのは、かなりメルヘンチック(非現実的)な筋立てでしょう?でも、非現実的だけど、かなり素敵ではある。これほどまでに素敵なメルヘンを、ワタクシは他に知らんのです。ヒューマン・ドラマであると同時に、いや、ヒューマン・ドラマである以上に、ワタクシに言わせりゃ、これは、映画史上もっとも美しいメルヘンなのです。そのメルヘン要素が、多くの人を泣かせたんじゃないでしょうかね。ほんとに、生まれてきた甲斐も無いってぐらいな不幸なジェニーの人生ですが、どんなドン底の時でも、離れててどこで何してても、純真無垢なガンプがずーっと彼女のことを想い続けてる、って事実が、彼女の人生の救いであり続けるんですな。映画を見てる方にとってもこれは救いです。この作品、純愛ストーリーでもあるんです。さらに。2つの人生がおりなすメルヘンとはちょっと離れたとこから、この映画では、3つめの人生を、追っかけてます。まずこの世にいなさそうな男、強運の持ち主、天然マイペースの“超人”ガンプ。流されるだけの女、よくいるタイプ(ここまで不幸なのは滅多にいないかも)なジェニー。そして、第3の人物の登場です。この人物こそ、もっともボクらに近い、いちばん普通の人生を歩んでるキャラなんじゃないでしょうか。運が良くもないけど、悪くもない。おおよそ普通。大過なく生きてきて、ある日ある時、思ってもみなかったような信じられないぐらいの災難に見舞われてしまう…。そういうことは、誰にでもありえます。愛する人が突然死んだ。深刻な病気だと宣告された。事故に巻き込まれた。いきなり解雇され生活が破綻した…。そういうことが自分の身にだけは絶対に起こらない!と言い切れる人なんて、誰もいやしません。豚インフルだ不景気だなんていってる今日日は、特にそうです。そういう目にあってしまった一人の人物が、我が身の不幸を嘆き、神を呪い、自暴自棄になり、死にたいなどとグチりながら、ちょっとずつ再生してく姿が、この映画の3番目の人生として、描かれます。いや、3つじゃなくて、4つ目の人生も描かれてるかもしれません。ここまでのこのブログの中で、いろいろと妙なカタカナ語を書いてきました。「ジョーン・バエズ」と「ボブ・ディラン(これは分かるか)」、「ビートニク(ビート族)」…etcつまりですねぇ、とりあえずガンプが物心ついてからはケネディ→ジョンソン→ニクソン→フォード→カーター→レーガンと、大統領が6代も替わってる(そのうち何人かとガンプは会って言葉をかわしてる。会ってなくても劇中にニュース映像としては出てくる)ぐらい、1960年代(少年時代を入れると1950年代)~80年代までの、文字どおりアメリカ現代史が、映画の時代背景として描かれてんですわ。その当時の世相とか、社会情勢とか、流行とか、ファッションとか、音楽とかも、この映画の中には、これでもかとテンコ盛りに盛り込まれています。ここ数十年、アメリカという国が歩んできた道のり。もしかしたら、それは映画の中で描かれてる、4つめの人生なのかもしれません。つまり、一国の人生(ヒューマン)ドラマでもある。こりゃアカデミー賞獲るワケだ!さて。映画と同じように、このブログも最後に冒頭1行目に戻りましょう。「人生はチョコレートの箱みたいなもの。食べてみるまで中身は分からない」このテーマを常に意識的に思い返しながら、以上の4つの人生を追いかけてみてください。この、映画史上たぶん十指に入るぐらい(ワタクシの独断)のヒューマン・ドラマの大傑作『フォレスト・ガンプ』を、より楽しめちゃうことでしょう。■ TM & Copyright? ©? 1994 by Paramount Pictures. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2009.06.21
『クライシス・オブ・アメリカ』が描くアメリカの不安
体験や感情を言葉で説明することは難しい。映画を観て感動したとか、美味しかった料理の味とか、印象が鮮烈で強烈であればあるほど、その気持ちを人に伝えることは難しい。そのなかでも、いくら語ろうとしても語れない、伝えきれない最たるものが、不安や恐怖かもしれない。しかし『羊たちの沈黙』、『レイチェルの恋人』のジョナサン・デミが62年にも映画化されたリチャード・コンドンの原作小説『影なき狙撃者』を、現代風にアレンジして作り上げた『クライシス・オブ・アメリカ』は、アメリカが抱える漠とした不安を感じさせることに成功している。湾岸戦争下、ベン・マルコ(デンゼル・ワシントン)率いる小隊が、敵の奇襲攻撃に遭ってしまう。その危機を救ったのは他の隊員とは馴染めずにいた、いわば落ちこぼれの隊員レイモンド・ショー軍曹(リーヴ・シュレイバー)。そして終戦後、ショーはその行為がきっかけで隊員時代には誰も予想していなかった時代を象徴する英雄になり、大物上院議員である母エレノアの強力な後ろ盾のもと、政界へと進出。若くして副大統領候補にまで選出される。一方、マルコはある悩みを抱えながら、終戦後も軍務を続けていた。その悩みとは、部隊の危機を救った英雄のショーが、仲間の隊員を殺している夢を観ることだった。事実とはまるで反対の夢を繰り返し見るマルコ。しかし、それがただの夢とはどうしても信じ切れず、ついに独自の調査を開始する。そうして、マルコはやがて自分たちの記憶が、“何かあったとき”のための個人情報、として体内に埋め込まれたチップによって書き換えられていたことを知り、やがて背後にある大きな陰謀に気づく・・・というのが今作のあらすじ。劇中、悪夢にうなされるマルコを、軍の上司が湾岸戦争症候群ではないのかと指摘するシーンがある。湾岸戦争の体験がトラウマとなり、それが不眠や記憶障害など様々な病状を引き起こしているのではないかというのである。『クライシス・オブ・アメリカ』が公開されたのは2005年。湾岸戦争が始まったのは1991年。ちょっと話がそれるが、この湾岸戦争症候群をもう少し詳しく説明すると、帰還兵のうち、一説では10万人以上がこの症状を経験したとされている。しかし、医学的にこの症状は十分に解明されていない。戦争体験という強烈なストレスによるものという意見もあれば、化学兵器や生物兵器など多数の有毒物質にさらされていたからという意見もある。なかには、そんな症候群はそもそも存在しないのだという意見さえある。『クライシス・オブ・アメリカ』は、同じサスペンスでも、ジョナサン・デミの代表作『羊たちの沈黙』のように、研ぎ澄まされたナイフのようなキレはない。前述した湾岸戦争症候群、一人の個人によって、国の方向性が大きく変化しかねないアメリカ大統領制が抱える問題、テロリズムへの恐怖など少々描きたいテーマを盛り込みすぎて、焦点がはっきりしない印象も否めない。でもそんな目に見えない不安を描こうとしているところにこそ、湾岸戦争、アメリカ同時多発テロ、イラク戦争を経たアメリカが抱える不安と、自分たちが正義だと思ってきたことが、必ずしも世界ではそう思われていない。そのことに、否応なく気づかされたアメリカという国の苦悩が見て取れる。そんなわけで、この映画を観て、ますますオバマ政権後のアメリカが気になった僕でありました。■(奥田高大) TM & copyright © 2005 by PARAMOUNT PICTURES. All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2009.06.13
トム・クルーズ様へ。あなたを変えた『マグノリア』
拝啓トム・クルーズ様突然このような公の場で、お会いしたこともないあなたについて、ブログを書く無礼をお許し下さい。僕があなたを初めて観たのは、86年の大ヒット作『トップガン』でした。生意気そうで、でもどこかナイーブな雰囲気漂うあなたに、僕の母や姉をはじめ、世の女性はメロメロ(死語?)になりました。この作品はあなたにとっても、スターダムを駆け上がるきっかけとなった思い出深い作品だと思います。いま改めて『トップガン』を観ると、ケニー・ロギンスの歌う「デンジャーゾーン」からも、そして極めてわかりやすい起承転結の上に描かれた若々しいあなたの姿からも、80年代特有のノー天気さを感じずにはいられません。もちろん、これはあなたの映画をけなしているわけではあ……x8Aません。なぜならあの頃、つまりバブル期の私たちが求めていたのは、観ているときは楽しくて、終わった後は気分爽快!! ストーリーはエンドロールと共に綺麗さっぱり記憶から消えてしまう、そんな娯楽映画のお手本のような映画だったのです。あなたは見事にその期待と要求に応えてくれました。そして当時、まだ少年だった僕にも大きな影響を与えました。F14トムキャットを操れない代わりに、僕は映画をベースにしたファミコンソフト(もちろんシューティングゲーム!!)で遊ぶことで、あなたに近づこうとしました。『トップガン』を機に、あなたはハリウッドスターとして確固たる地位を手に入れ、あなたの出演作のほとんどは、繰り返しテレビで放送されました。おそらく、あの頃青春時代を過ごした人のなかで、あなたの出演作を観たことのない人はいないのではないでしょうか? それほど80年代から90年代前半にかけてのあなたはすごかった。『ハスラー2』『カクテル』『レインマン』『7月4日に生まれて』『デイズ・オブ・サンダー』などなど、駄作、傑作の両方がありましたが、あなた以上に"スター"という言葉が似合う俳優はあの頃誰一人としていませんでした。だからこそ、『マグノリア』でフランクを演じるあなたを見たとき、僕は最初、その姿を素直に受け入れることができなかったのです。それはどう見ても、少年時代の僕に大きな影響を与えた、トム・クルーズが演じるべき役ではないように感じました。「女を誘惑してねじ伏せろ!」と卑猥な言葉と仕草で男達を煽りつつ、モテる秘訣を記した自著を教典のごとくかかげるフランク。その胡散臭さは、持って生まれたあなたの甘いマスクと、大げさな身振り手振りの演技によってさらに輪をかけたものになっていました。フランクを演じたあなたの姿に、驚いた人はけして少なくなかったでしょう。なぜなら、それは多くの人々が抱く、甘く優しい"トム・クルーズ"像をまっこうから否定するものだったからです。しかも『マグノリア』であなたが演じたフランクは、始終作品の中心にいるわけではなく、群像劇の一部を担う役に過ぎませんでした。つまり『マグノリア』はあなたがいなくても成立するとさえ感じました。でも、映画を見終わった後、僕はその考えが間違っていたことに気づいたのです。『マグノリア』では、あなたを含む10人の男女の人生が、ラストに向けて不思議に絡み合っていきます。彼らの人生は、映画を観る人の多くと同じように、それぞれに深刻で、滑稽な問題を抱えています。でも問題解決の糸口が、物語の中でとくに提示されるわけでもありません。『マグノリア』で提示されるのはただ一つ。人生の教訓です。親との確執、過去との決別、死と向き合うこと、などなどなど。それらは言葉に置き換えにくい、生きるヒントみたいなものです。誰かが身をもって体験する。それを私たちは、見たり聞いたりすることで、自分の教訓とします。あなたは映画のなかで、とてもハリウッドスター的でない男を演じることによって、そんな教訓の一つを僕に教えてくれたのです。正直に申し上げて、90年代半ばからあなたの活躍を目に、耳にする機会はずいぶん減ったように感じていました。もちろん僕が、少年から青年へと成長するにつれ、映画の好みが変わったこともあるでしょう。でもそれだけではありません。天才子役が、いつまでも子役を演じ続けられないのと同じように、90年代のあなたは時代に消費されるアイドル的ハリウッドスターから、人生の重みと深みを表現できる映画俳優へステップアップしようと試みている時期だったように思います。僭越ながら、『マグノリア』からは、そんなあなたのチャレンジ精神を感じました。今回、では、アイドル的ハリウッドスターから映画俳優へと転身していくあなたの様子を『トップガン』『ア・フュー・グッドメン』『マグノリア』『コラテラル』の4作品で放送します。『トップガン』では、初々しいあなたを。『ア・フュー・グッドメン』ではアイドル的薫りを残しつつ、硬派な芝居を見せたあなたを。『マグノリア』では、長年僕たちが抱いていたトム・クルーズ像を見事に壊したあなたを。そして『コラテラル』では『マグノリア』以降の、一皮むけたあなたを観ることができます。これらは、きっと多くの視聴者の方に楽しんでいただけるでしょう。そうそう、ついでに申し上げると『マグノリア』で演技派俳優としてのステップを踏み出すかのように見えるあなたが、2000年代に突入しても『宇宙戦争』や『M:i:III』のように限りなくベタなハリウッド映画で、これまたお決まりの主人公を演じてしまうところに、僕は尊敬の念すらおぼえます。かの有名な「ジャンプ・ザ・カウチ」をはじめ、まだまだ書き足りないことは多いのですが、長くなりますので、ここらで切り上げます。ますますのご活躍を極東のカタスミからお祈り申し上げます。 (奥田高大) 『トップガン』Copyright © 2009 by Paramount Pictures. All Rights Reserved.『マグノリア』©MCMXCIX NEW LINE PRODUCTIONS, INC.ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2008.12.09
『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』補足ブログ
本作のメイン舞台は、まずゴンドール国(の都ミナス・ティリス)。ここを舞台に、ガンダルフ、アラゴルン、レゴラス、ギムリ、メリー&ピピン、さらには『2』に出てきたローハン騎馬軍団やゴンドールのお坊ちゃまファラミア隊長らが勢ぞろいで大活躍します。もうひとつのメイン舞台がモルドール国。とうとうフロドとサムはモルドール領内に足を踏み入れ、この壮大なる物語はついにクライマックスを迎えるワケっすわ!ゴンドール国の戦いはゴンドール防衛軍と援軍のローハン騎馬軍団、人間の軍隊だけで二勢力が出てきますが、どっちも鎧と盾って衣装なんで、よっぽどそういうのに興味がないと、どっちがどっちだか見た目で区別つかん、話がますます混乱する、という事態になるかもしれません。見分けるポイントとしては、バイキングみたいな戦士が馬に乗ってるのがローハン騎馬軍団です。色的には赤茶っぽい鎧に緑のマント。あと、だいたい金髪か明るい茶髪の人が多いですな。助けに来てくれる側がこっち。一方のゴンドール軍は、町の守備兵で、黒鉄色の甲冑を着てて(胸や盾に樹の紋章あり)、基本・徒歩だちで、黒髪かダーク茶髪の人が多いです。救援される側がこちらです。ゴンドール国の戦いは、この二国、助ける軍・助けられる軍の関係を把握しながら見れば、あんまし混乱しないですむかと。んじゃ、以下、ストーリーのおさらいです。警告:以下の文章には、致命的なネタバレ情報が含まれます。映画本編を見る前には、絶対に読まないでください!・ 騎馬民族国ローハンを救ったガンダルフ、アラゴルン、レゴラス、ギムリは、ローハン軍と一緒に陥落したアイゼンガルドにやって来て、そこでメリー&ピピンと再会を果たす。ピピンは瓦礫の中から、悪の魔術師サルマンの持ち物だった黒い水晶玉みたいなのを発見する。 ↓・ この玉は悪のテレパシー装置みたいなもんで、素手でさわると、冥王サウロンと意識が直接つながっちゃって、未来が見えたりもする。トラブルメーカーのピピンがこれをさわってしまう。そして見たのは、燃え落ちるゴンドール国の都ミナス・ティリス市の幻影だった。 ↓・ 冥王サウロン軍の攻撃目標がミナス・ティリス市だと分かった一行は、その救援に向かおうって話に。でもローハン王セオデンは、『2』で自分たちが攻められてた時にゴンドール国が助けてくれなかったことを根に持ってて、救援を渋る。 ↓・ とりあえずガンダルフは、トラブルばっか起こしてるピピンを連れて、一足先にゴンドール国ミナス・ティリス市に警告するため先行して旅立つ。※ここにきて再び一行は2チームに分裂。以下、TEAMガンダルフとTEAMアラゴルン別々に見てきます。【TEAMガンダルフ】メンバー:ガンダルフ、ピピン ・ ゴンドール国ミナス・ティリス市に着き、執政デネソール候に謁見。このデネソール候って、『1』で死んじゃったボロミア・『2』でTEAMフロドを捕らえたファラミア隊長兄弟のパパで、いちおう王家の絶えたゴンドール国では代理トップの地位にいる人。この人、ピピンのことは気に入って自国の城兵として取り立てたりするが、「騎馬民族国ローハンに助けを求めれば?」ってガンダルフの提案は拒否。ってのもローハン軍には王家の末裔アラゴルンが参加してるからで、アラゴルンがここに帰ってきたら(=王の帰還)、権力の座を返さなきゃならない、ってことが気に入らない模様。ま、今年ブームの『篤姫』風に意味もなく例えりゃ、大政奉還・王政復古をイヤがってるワケですな。 ↓・ と、かたくなに助勢を拒否されても敵を利するだけなんで、TEAMガンダルフは勝手に救援狼煙に火をつけちゃう。この狼煙が上がるとローハン騎馬軍団が助けに来てくれるって約束が両国間には結ばれてる模様。 ↓・ ゴンドール国にはミナス・ティリス市より敵国モルドールに近い場所にオスギリアス市って町(廃墟。『2』でファラミア隊が戦ってた場所)がある。そこがモルドール国のオーク族軍団の攻撃を受けちゃって、陥落。 守備隊長のファラミアはどうにかミナス・ティリス市まで退却してきて、そこでTEAMガンダルフに会い、こないだTEAMフロドと会ったばっかだと伝える。 ↓・ デネソール候は、息子のうち故ボロミアをえこひいきしてて次男ファラミアを毛嫌いしてるんで、「おめおめ生きて帰って来やがって、兄さんとは大違いの、この不肖の息子めが。お前が死にゃよかったんだ、今からでも特攻してこい」的なヒドいことをファラミアに言う。凹んだファラミア、仕方なく寡兵でオーク族のオスギリアス市占領軍に向かって特攻するが、とうぜん全滅。 ↓・ ファラミアが死にかけて戻ってくると、自分のせいなのにパパのデネソール候はうろたえ、さらに、自国がついに敵軍に包囲されちゃった光景を目の当たりにして「なんでローハン騎馬軍団は救援に来てくんないんだ!」と完全に逆ギレ。「もう自殺する!!」などと言い出し、ファラミアと一緒に無理心中(焼身)するが、ファラミアだけがTEAMガンダルフに救出される。 ↓・ オーク族の包囲軍がミナス・ティリス市への攻撃を開始。さらに、空から翼竜みたいなのに乗って飛来した指輪の幽鬼ナズグルの親分に、ガンダルフが襲われる。 ちょうどその時、ローハン騎馬軍団の援軍が到着!ナズグル親分はそっちの戦場へ向かって飛び立ち、ガンダルフは助かる(こっから先の展開はTEAMアラゴルンの箇所を読まれたし)。【TEAMアラゴルン】メンバー:アラゴルン、レゴラス、ギムリ、メリーおよびローハン騎馬軍団(国王セオデン、青年将校エオメル、男勝りの姫エオウィンなど) ・ TEAMガンダルフが勝手に上げた狼煙を見て、救援に行くことを渋ってたローハン国王セオデンも考えを変える。かくして、中つ国最強の緑備えのローハン騎馬軍団、およびTEAMアラゴルンは、ゴンドールの都ミナス・ティリス市をめざすことに。 ↓・ 途中、アラゴルンの先祖に不義理を働いたため呪いをかけられて成仏(?)できないでいる亡霊どもを味方にできたら、戦局もちょい有利になるかもね、と思い立ったアラゴルンは、レゴラス・ギムリとともに、亡霊どものいる洞窟に向かう。この時点で一時的にローハン騎馬軍団から離脱。そして亡霊どもを「子孫のオレに加勢してくれたら先祖の呪いをオレが解いてやってもいいけど、どうよ?」的に誘って、連中を味方に引き入れることに成功する。 ↓・ ローハン騎馬軍団、ゴンドール国の都ミナス・ティリス市に到着。すでにゴンドール守備軍とモルドール国オーク軍団との間で戦端は開かれてたが、その敵軍の側背に騎馬突撃を敢行。その後、象の超巨大版みたいなバケモノや、翼竜みたいなのに乗った指輪の幽鬼ナズグルなどとも死闘を続ける。そのさなか、ローハン国王セオデン、討ち死に! ↓・亡霊軍団を率いたアラゴルンとレゴラス、ギムリは、まず敵国側についた傭兵海賊を倒して船を奪い、その船で河を進み戦場ミナス・ティリス市に馳せ参じ、敵の包囲軍や象の超巨大版みたいなのを攻撃。敵を全滅させた。かくして、善の勢力、勝利!ただし亡霊軍団は、約束どおり成仏(?)してしまい、以降の戦いでは加勢してくれず。※ここでTEAMガンダルフとTEAMアラゴルンは再合流をはたす。アラゴルンは王としてゴンドール国の指揮官となり(執政デネソール候の焼身自殺、その息子ファラミア隊長の負傷による戦線離脱のため)、ゴンドール軍、ローハン騎馬軍団、それにガンダルフ、レゴラス、ギムリ、ピピン&メリーらと、敵国モルドールをめざして進軍。モルドール国の玄関口「黒門」のところ(『2』でTEAMフロドが侵入をあきらめた場所)にて敵軍を挑発する。その目的は、敵軍の注意を最大限こちらにひきつけ、TEAMフロドの滅びの山突入作戦を容易にすること。 ↓・勝ち目のない陽動作戦だったが、TEAMフロドが任務を遂行し、指輪が破壊されたため、悪の魔力が消えて敵軍は壊滅し、ついに善の勢力は完全勝利をおさめる!【TEAMフロド】メンバー:フロド、サム、ついでにゴラム ・ モルドール国めざしてどんどん進む3人。途中、ミナス・モルグルという、指輪の幽鬼ナズグルの居城である、緑色に光ってるヤバそうな要塞みたいなとこの脇を通過(この時、ミナス・ティリス市攻撃のためナズグルとオーク軍団が出陣してく)。 ↓・ フロドとサムを仲たがいさせようというゴラムの悪だくみによって、フロドはサムの友情と誠実さを疑い、追い払ってしまう。 ↓・ 邪魔者サムがいなくなったことで、いよいよゴラムはフロドのことを罠にかける。「キリス・ウンゴルって峠のトンネルしか先に進める道はない」と言い、フロドをそこに誘い込んで、その中に巣を張ってる巨大グモに襲わせる計画。で、フロドが泡食ったところにすかさず襲いかかり、指輪をふんだくろうと試みるものの、フロドに蹴飛ばされ、ゴラム、崖の上から転落。 ↓・ フロドに追っ払われちゃったサムはトボトボもと来た道を帰ろうとするけど、その途中の道端にはゴラムが陰謀をめぐらしてる決定的な証拠が残されてた。それを見て、フロドを助けようと急ぎ引き返し、フロドが巨大グモに襲われてる現場に駆けつけ、どうにかこうにか巨大グモを撃退。だが時すでに遅く、フロドはクモの毒針に刺されて死んじゃってた…。 ↓・ フロドの死体は、その場にやって来たオーク族によって運ばれてく。でも、実は死んだんじゃなくて、毒針で麻痺してただけ。と、いうことを知って愕然となったサムは、フロドが運ばれてったオーク族の牢獄みたいなとこに突入、息を吹き返したフロドを救出する! ↓・ そっからモルドール国はすぐで、ついにフロドとサムはモルドール領内に足を踏み入れることに。そこには見渡すかぎりオーク族がウジャウジャいて、とても踏破できそうになかったが、なぜか急に、オークたちがどっかあさっての方向に向けて移動を開始。冥王サウロンの監視の目もそっちの方角に向けられ、2人はノーマークで先に進めるようになる(実はこの時、TEAMアラゴルンが「黒門」で陽動作戦を展開し、敵の注意がそらされたため)。 ↓・ ついに滅びの山に到着。だが、崖から落ちたはずのゴラムが実は生きてて、襲ってくる!で、取っ組み合い、くんずほぐれつのドツキ合いをしながら、ついにフロドは、指輪を奪い取ったゴラムごと、滅びの山のマグマの中に、指輪を叩き落すことに成功する。マグマの中で指輪は溶解、かくてミッション達成!ついに世界は救われた!!【エピローグ】旅の仲間全員は再会を果たし、アラゴルンはゴンドールの王位に就き、ハッピーなムードのうちに旅の仲間は解散。フロドらホビット族4人衆はホビット庄(シャイア)に無事に戻り、その後、サムは結婚。そして、何年かが過ぎる。フロドは例の養父ビルボが書いた『ホビットの冒険』の続編として、自身の回想録『指輪物語』を執筆するんだけど、その頃になっても『1』で指輪の幽鬼ナズグルに刺された古傷が癒えず、西の海の彼方、神々の土地に移住して養生しなきゃならなくなる。フロドは、エルフ族、ガンダルフ、養父ビルボ(指輪の超自然パワーが無くなってから急に老け込んだ)とともに、船に乗って西の方角へと旅立ち、二度と戻らなかったのでした。終劇!■いっやー、お疲れ様でした! このブログも異常な文章量になっちゃいましたけど、実はこれでも、覚えとかなくてもとりあえずストーリーについてく上で困らない固有名詞の解説やら、本筋に直接影響してこないサイドストーリー的なエピソードなんかは、極力、省いてるんですわ。が本当は、その細部にこそ、神は宿る!『指輪物語(LotR)』のほんとにほんとの魅力は、実はそこなんです。たとえば、ミナス・ティリス市と、ナズグルの居城だったミナス・モルグルって、なんとなく名前が似てるけどなんでだろ、とか、オスギリアス市はなぜ廃墟なんだろとか、こういったことにもちゃんとワケがある。フロドが去っていった西の海の方には何があるのか、その背景も、実はちゃーんと作られているんです。さすがにマニアうけのいい作品だけあって、ネット上には『指輪物語(LotR)』関連の情報、用語解説なんかがいくらでも載ってますんで、映画見て、この魅力にハマりそうだ、と思った人は、まずはネットでどんどん調べてみてはいかがでしょう?映画『LotR』は、小説では読んだ人が頭の中で想像するしかなかったシーンを、ワタクシのようなド凡人の乏しい想像力では無理なレベルの圧倒的ヴィジュアルに映像化してみせたって点で、本当にすばらしい! 原作ファンも、その点では100点満点をピージャック監督にあげられるんじゃないでしょうか?映画のヴィジュアルをまぶたに焼き付けた上で、ワタクシとしては、やっぱり原作も読まれることをオススメいたします。この長大な映画版より実はもっともっと情報量の多い超大河小説を、映画が見せてくれた圧巻のヴィジュアルイメージの記憶で補完しつつ読み進められりゃ、まさに鬼に金棒! 100%完璧にファンタジー文学の最高峰『指輪物語』の魅力を堪能できるだろうと思いますよ。長い小説ですけど、20世紀文学史の金字塔でもある大傑作ですんで、この年末年始の休みにでも、未読の人はぜひチャレンジしてみてはいかがでしょ。©MMIIINew Line Productions, Inc.All Rights Reserved..
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COLUMN/コラム2008.12.07
『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔』補足ブログ
さぁ、物語もいよいよ佳境に入る『2』こと『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔』です。『二つの塔』とは、冥王サウロンの住むバラド=ドゥア塔と、裏切り者の魔法使いサルマンの本拠地アイゼンガルドにそびえるオルサンク塔のこと。いわば、悪の枢軸みたいなもんですな。しかし、本作で重要になるのはオルサンク塔の方で、それが『2』のメイン舞台のひとつ(バラド=ドゥア塔は『3』のメイン舞台です)。ここで活躍するのがメリー&ピピンの名コンビです。一方、もうひとつのメイン舞台が騎馬民族国ローハンで、こちらではアラゴルン、レゴラス、ギムリが活躍します。フロドとサムの2人は今作ではしゅくしゅくと滅びの山のそびえるモルドール国をめざして歩き続けます。『1』のラストで旅の仲間は3つに分裂、『2』では各チームがそれぞれの冒険を続けます。以下、TEAMフロド、TEAMメリー&ピピン、TEAMアラゴルンとして、『2』でのそれぞれの動きを追ってきましょう。警告:以下の文章には、致命的なネタバレ情報が含まれます。映画本編を見る前には、絶対に読まないでください!【TEAMフロド】メンバー:フロド、サム、ついでにゴラム・ 滅びの山がそびえるモルドール国めざして、ドヨーンと暗いムード漂う荒れ地を進む2人(暗いムードすぎてここがすでにモルドール領内かと勘違いする向きもありそうですが、全然モルドールの手前です。モルドール領の陰鬱さはこんなもんじゃありません!)。道中、2人はゴラムの襲撃を受ける。こいつ、現指輪所有者フロドの前の所有者ビルボの、そのまた前のオーナーだった奴で、まだ指輪に未練がある。 ※ 補足:なんだけど、そこらへんのいきさつ本編では詳しく描かれてません。描かれてるのが『ホビットの冒険』だってのは前回ブログにて既述のとおり。ゴラムの襲撃を撃退する際、フロドが「この剣は“つらぬき丸(スティング)”だ。見覚えあるだろ、ゴラム」とかミエ切ってますが、この剣も元は養父ビルボの物。『1』の時に“裂け谷”でフロドがビルボから譲られるシーン、ありましたよね。『ホビットの冒険』に、洞窟の中でゴラムがビルボの持つ“つらぬき丸(スティング)”にややビビり気味という記述があるんですが、それ知らなきゃこんなセリフ意味わからんって。 ↓・ ゴラム、その剣で脅され、指輪の奪回を断念。以後、下手に出てフロドにおもねる。TEAMフロドはこのゴラムを案内役に立てモルドール国を目指すことに。『1』で描かれてたとおり、ゴラムはモルドール国に拉致られて拷問うけた暗い過去があるんで、モルドールへの道はよく知ってる。 ↓・ 変な沼とかでいろいろあったけど、どうにかモルドール国の玄関口である「黒門」に到着。ただ、どう見ても突破なり潜入なりできるような状態じゃなかったんで、そこからのモルドール入りは断念。ゴラムが「別ルートがある。ヤバい道だけどそっちのがまだ可能性ある」とここにきて初めて明かしたんで、そっちルートに変更。 ↓・ 新ルートを進んでると、モルドール勢と対抗勢力との小競り合いに巻き込まれ、その対抗勢力の方にTEAMフロドは捕まってしまう。その対抗勢力ってのがゴンドール国。部隊を率いるのは例の死んじゃったボロミアの弟ファラミアだった。ゴンドール国はモルドール国と戦争してるんでTEAMフロドにしてみたら味方サイドのはずだけど、この国の連中、どうも禁じ手とされる「指輪使って一発逆転」狙いたがる悪いクセがあって、今度のファラミア隊長も兄貴のボロミアと同じことを考え、指輪を自国ゴンドールに持って帰ろうとする。 ↓・ でモルドールとの戦争の最前線にあるゴンドール国の町(といっても今は廃墟)オスギリアス市が攻撃を受けてるってんで、ファラミア隊に連行されてTEAMフロドもそこに行くハメに。ここでの戦闘では指輪の幽鬼ナズグルが翼竜みたいなのに乗って襲いかかってきて、そのさなかにフロドとサムの友情パワーの感動シーンが描かれたりする。その麗しい模様をコッソリ影で見てジーンときちゃったファラミア隊長は、2人を(ってか指輪を)ゴンドール国へ運ぶっていう禁じ手的な企みを断念。滅びの山への旅を続けていいと言い、TEAMフロドは無駄な足止めからやっと解放される。 ↓・ っていうか結局モルドール国に一歩も足を踏み入れられないまま、『2』終劇!しかもゴラムはしおらしく案内役を努めているようでいて、腹に一物ある模様…。【TEAMメリー&ピピン】メンバー:メリーとピピン ・ 悪に寝返った魔術師サルマンが放った強化オーク族“ウルク=ハイ”を中心としたオーク部隊に誘拐された(指輪を持ってるフロドと間違われて)2人だが、隙を見て逃げ出す。 ↓・ で、逃げ込んだ森で、木の精というか生きている樹というか樹木型二足歩行生命体というか、そんな感じのエント族と知り合い、実は死んでなかったガンダルフとも再会を果たす。ガンダルフの依頼で、エント族が2人をかくまうことに。 ↓・ メリーは、エント族も悪との戦いに加わるよう演説をぶつが、いまひとつ響かず。そこで今度はピピンが一計をめぐらし、エント族を悪に寝返った魔法使いサルマンの根拠地アイゼンガルド近くまで連れて行くことに。 ↓・ アイゼンガルド周辺はサルマンの富国強兵策によって豊かな森林が伐採され、一部、工業地域化されてた。それを見た森の守護者たるエント族は、ピピンの思惑どおり激ギレ!おりしもアイゼンガルドの10,000を下らないと言われる軍勢は騎馬民族国ローハン攻めのため出払っていて空城同然だった。その空城でエント族は大暴れを始め、堤防を決壊させて水攻めに。アイゼンガルドは床上浸水で復興不能状態、完膚なきまでに叩き壊されちゃう。それを自宅兼事務所(多分)である塔の上からなすすべもなく見てるしかない魔法使いサルマン、泣きそう…。「二つの塔」のうちの一方(オルサンク塔)、陥落!【TEAMアラゴルン】メンバー:アラゴルン、レゴラス、ギムリ ・ 誘拐されたTEAMメリー&ピピンを助けようと跡を追うが、森の中でガンダルフと再会。「あの2人はもう大丈夫」と聞いて一安心する。自分たちで救出はできなったが、結果よければすべて良しで、TEAMアラゴルンは別の戦いに身を投じることに。めざすは騎馬民族国ローハンだ。 ↓・ローハン国では国王セオデンが悪の魔法使いサルマンの魔法で廃人同然になっており、憂国の青年将校エオメルを国外追放するよう仕向けられるなど、魔法使いサルマンの意のままに操られてた。 ↓・ローハン国にやって来たガンダルフの善の魔法によってセオデン王の呪縛が解け、以後、ローハン軍は善の側として戦いに参戦。TEAMアラゴルンもこの軍に加勢する。 ↓・ 悪の魔法使いサルマンは冥王サウロンの指令に基づき人間絶滅のいくさを本格始動。その手始めに狙われたのが、自分のコントロール下から抜け出し反抗的になった騎馬民族国ローハンだった。ハンパない数の軍勢をローハン国に差し向ける魔法使いサルマン。ローハン国王セオデンは都を捨てて難攻不落の砦がある渓谷に全住民で立てこもると決める。TEAMアラゴルンも同行。ただしガンダルフは、例の追放された青年将校エオメルを呼び戻しに、どっかへ行っちゃう。 ↓・ アラゴルン、ローハン国の威勢のいいお姫様(セオデン王の姪)に片想いされちゃったり、崖から落ちたりといろいろあった後、渓谷の砦はいよいよ魔法使いサルマンが差し向けた軍勢に包囲される。彼我兵力差、なんと10,000vs300。スパルタ人でもなけりゃまず勝てない! ↓・ ローハン国王セオデンは「ウチには親しくしてる国なんて無いから、どうせどこも援軍には来てくれない」と捨て鉢ぎみだったが、 『1』に出てきたエルフ族が善の勢力同士ってよしみだけで援軍に来てくれて、人間のローハン国+エルフ族の混成軍が出来上がる。 ↓・ でもやっぱ多勢に無勢で勝てない。そもそも騎馬民族に篭城戦は向いてないってことで、最後は残った10騎ぐらいで騎乗カミカゼ特攻を敢行し華々しく散ろうとするが、ちょうどその時、ガンダルフが例の追放された憂国青年将校エオメルとその部隊2,000騎を引き連れて戻って来て敵攻囲軍の後背を突いたんで、形勢逆転!勝った!!とまぁ、こんな推移で『2』は終わり。『3』ブログに続く。■ ©MMII New Line Productions, Inc.All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2008.12.06
『ロード・オブ・ザ・リング(旅の仲間)』補足ブログ
『ロード・オブ・ザ・リング』の『1』についてちょいと補足します。ちなみに原作『指輪物語』ですと『旅の仲間』ってサブタイトルがちゃーんと付いてます。まずは、しょっぱな冒頭ですよね、『LotR』を初心者にとっつきにくくしてる元凶は。指輪がどうして世に生まれて、どうやってホビット族の手に入るに至ったのかを、ものすっごく駆け足でハショりまくって見て行くプロローグ的部分です。ここだけ補足説明しとけば『1』はまず完璧でしょう。ものの7分ちょいのプロローグなんですが、この7分間が超重要なんです!えー、この7分の中に、ホビット族のビルボ(主人公フロドの養父)が洞窟の中で指輪をたまたま拾うシーンがございますが、これ、実は『ホビットの冒険』っていう『指輪物語(LotR)』とは別の物語から引っぱってきた重要場面なんです。『ホビットの冒険』ってのは『指輪物語(LotR)』のいわゆる“エピソードI”的な前日譚です。これも前・後編でそのうち映画化されるらしいっすけどね『ホビットの冒険』の主人公はビルボで、13人のドワーフ族とともに大冒険を繰り広げるってお話なんですわ。ガンダルフとかエルロンドとか、ガンダルフを塔のてっぺんから救出した鷲とかも出てきます。映画『1』冒頭、ビルボとガンダルフが再会を喜ぶシーンがありますが、2人は『ホビットの冒険』時代に一緒に冒険した仲なんで、えらい懐かしかったんでしょう。そのシーンで、ビルボがガンダルフに「隠居してどこかで静かに本を書き終えたい」とかなんとか言ってますけど、本ってのはビルボの回想録のこと。それこそが『ホビットの冒険』なんです。つまり『ホビットの冒険』はビルボ・バギンズ著のノンフィクション、って設定になってるワケ(後で“裂け谷”のシーンで完成した本が出てくる)。さて、ビルボが指輪を拾った話に戻りますと、それがらみで『ホビットの冒険』に登場してくるキャラがゴラムです。さすがに重要すぎるキャラなんで映画『1』でもちょいちょい説明されてますが、かなり説明不足ですんで、ここで補足しときます。ゴラムは指輪の元の所有者で、指輪の魔性に魅入られ、洞窟の中で引きこもりな生活をしてた奴です。こいつがある時、大事な指輪をたまったま洞窟の中で落とすかなんかしたんです(っていうか、いつまでヒッキーに死蔵されててもラチ明かんと、冥王サウロンのもとに帰りたがってる指輪が、おのれの意志で逃げ出した)。で、その指輪を、大冒険のさなか、たまたま別件でゴラムのいる洞窟をさまよってたビルボが拾ったんですわ。直後、ビルボはゴラムと出会い、なぜか洞窟の真っ暗闇ん中でナゾナゾ対決をするハメになります。実はゴラムって、ナゾナゾ大好きという、意外にカワイイ一面があるんで。で、ビルボが勝てば洞窟の出口までゴラムに案内してもらえ、ゴラムが勝てばビルボを食ってもいいという、まさに生死を賭した勝負になったんです(『2』以降、ゴラムが刺身好きってのは描かれますが、平気で人も食っちゃうんです、実は)。で、押され気味だったビルボが最後にビルボ「いま私のポケットに入ってるものなーんだ?」ゴラム「分かるかそんなの!」(正論です)という反則技で逆転勝利(?)するんですが、ゴラムがその直後に大事な指輪を紛失したことに気づき、「指輪だな!?ポケットの中に入ってたのは指輪だな!お前が盗みやがったんだな!? 返せこのヤロー!!」という展開になるワケです。ビルボは指輪はめて透明になってその場を無事に切り抜けました(よく指輪はめた時のあの強烈な不快感に堪えれたな、ビルボは)。えー『1』の劇中、ビルボが旅立った後、主のいなくなったビルボの家で、主が残していった指輪を前に、ガンダルフがパイプをくゆらせつつ物思いに耽りながら「発端は“暗闇の謎問答”…」などとつぶやくシーンがございますが、このことを言ってたんですな。ナゾナゾ合戦のことは映画『LotR』劇中ではいっさい触れられてませんので、このセリフは『ホビットの冒険』を読んだことない人には完全に意味不明です。ちょいヒドいよな、この作りは。だから分かりにくい映画とか言われちゃうんだよ…。とにかくですね、このゴラムってのは『2』、『3』以降、フロドとの絡みで決定的に重要な役割を果たしていくキャラなんで、以上ながながと記した映画では言及されてない経緯、よーく把握しといてください。とまぁ、こんなところで『1』の補足説明は十分だと思います。あとはストーリーを簡単におさらいしときます。警告:以下の文章には、致命的なネタバレ情報が含まれます。映画本編を見る前には、絶対に読まないでください!・ 主人公フロド・バギンズが、隠居する養父ビルボ・バギンズから指輪を受け継ぐ。 ↓・ 魔法使いガンダルフの調査で、指輪が冥王サウロンのものと判明。これをサウロンが取り戻すとMAXパワーを発揮できるようになり、世界が滅ぼされる(蛇足ながら、『ロード・オブ・ザ・リング』とは「指輪の王」ってな意味で、つまりこのサウロンのことをさす)。 ↓・ 冥王サウロンはひっ捕らえたゴラムを拷問し「指輪は“ホビット庄(シャイアとも。ホビット族の村のこと)”のバギンズが持ってる」と聞き出し、恐ろしい指輪の幽鬼ナズグル9人衆を派遣。 ↓・ と、いう話をガンダルフに聞かされたフロドは、ホビット庄に居たらヤバそうだってんで、とりあえず指輪を持ってあわただしく逐電。ガンダルフは先輩魔法使いサルマンにアドバイスをもらうためサルマンが住むアイゼンガルドに向かう。フロドは独り、しばらく行った所にある村を目指し、後日そこでガンダルフと落ち合う、ってプラン。だが結局フロドには、庭師のサム、遠縁のピピン&メリーというホビット族仲間3人が同行することに。 ↓・ アイゼンガルドでサルマンと会うガンダルフ。だがサルマンは冥王の側に寝返っており、ガンダルフは監禁されてしまう。そのためフロドとの待ち合わせ場所に行けず。 ↓・ フロドらは待ち合わせ場所でガンダルフを待つが、一向に現れない。次第に追っ手ナズグルたちが迫ってくるが、その場にはアラゴルンがおり、以降、彼がフロドのことを護ってくれる。 ↓・ アラゴルンによって、フロドたちは、この待ち合わせ場所を出、エルフ族の領土“裂け谷”に導かれる。道中、ナズグルに攻撃されるが、なんとか“裂け谷”まで到着。そこには監禁から辛くも脱出してきたガンダルフの姿も。 ↓・ “裂け谷”のエルフ族領主エルロンドは、自分たちでは指輪を守りきれないので、指輪を“裂け谷”で管理することはできない、と言い、けっきょく指輪を今後どうするのか、各勢力の代表者を集めた会議にて決めることに。 ↓・ 会議の結果、指輪を破壊することに決まる。とは言え、この指輪は何をやっても破壊できず、唯一、指輪を作った滅びの山の業火だけがこれを物理的に破壊できると判明。ちなみに滅びの山は冥王サウロンの国モルドールにそびえてるんで、誰かビンボーくじ引いた奴が直接そこ(敵国の真っ只中で、かつ地獄の一丁目みたいな土地)まで行かにゃなんない。 ↓・ フロド、その超ビンボーくじ任務に志願。会議に出てた各勢力の代表者はフロドをサポートすることを誓い、ここに9人の“旅の仲間”が結成された。メンバーは、フロドサムメリーピピンガンダルフアラゴルン(実はゴンドール国の滅びだ王朝の末裔であることが判明)エルフ族のレゴラスドワーフ族のギムリゴンドール国執政の息子ボロミアって顔ぶれ。でもボロミアだけは指輪を破壊することには反対で、そのパワーで逆に冥王に対抗しようと主張する。彼の国ゴンドールは冥王の国モルドールに一番近くて、戦争状態にあるので、他の連中よりはるかに切羽詰ってて、そう考えるのもムリはないんですな。 あと、彼は執政の息子で、王家の絶えたゴンドール国の代理トップのご令息なんだけど、その王家の生き残り、ほんとのほんとのトップって血筋のアラゴルンがいきなし現れたんで、対抗意識ムキ出しになっちゃうのも、また仕方ないことです…。 ↓・ 滅びの山を目指し遥かな旅に出る仲間たち。途中、ドワーフ族の地下王国モリアを通るが、そこは今は廃墟と化しており、オーク族(この世界のザコキャラモンスター)がウジャウジャいて、その上、恐ろしいバケモノまで巣くってた。そのバケモノとの戦いで、ガンダルフ、死す! ↓・ エルフ族の国ロスロリアンを通過。女領主からいろいろ素敵なお土産をもらっちゃう。『2』以降の冒険でお役立ちアイテムとして活用されるので要チェック。 ↓・ 道中の森で、フロドとボロミアが2人きりになるシチュエーションがあり、その際にボロミアは自国ゴンドールを守るため、フロドから指輪を腕ずくで奪おうとする(そういう挙に出たのも指輪の魔力に操られたせい)。辛くも逃れたフロドは、他の仲間も指輪の魔力に惑わされ態度が豹変しちゃう恐れがある以上、ここから先は独りで旅を続けるしかない、と腹をくくる。正気に戻ったボロミアは後悔しきり。 ↓・ 寝返った魔法使いサルマンが作り出した強化オーク族“ウルク=ハイ(白い手の平マークが目印)”が旅の仲間の追跡に放たれる。その目的はフロドの拉致。旅の仲間たちもこの先の旅はフロド独りでしか続けられないことを納得し、それぞれが“ウルク=ハイ”からフロドを逃がそうと懸命に戦う。 ↓・ メリー&ピピンはフロドを逃がすため自らオトリとなり、助けに駆けつけたボロミアの奮戦もむなしく、“ウルク=ハイ”に拉致られてしまう(“ウルク=ハイ”はメリー&ピピンをフロドと勘違いした模様)。ボロミア、壮絶なる戦死!(ここ男泣きポイント) ↓・ フロドに同行すんのを断念したアラゴルン、レゴラス、ギムリは、拉致られたメリー&ピピンの身柄奪還のため、悪の魔法使いサルマンのもとに戻って行った“ウルク=ハイ”部隊を追撃することに。 ↓・ フロドは独りでモルドール国の滅びの山を目指そうとするが、忠実なる庭師のサムだけは死んでも同行すると言い張って聞かず、結局、この、主従であり親友でもあるコンビで、指輪を破壊するための旅を続けることに。 ↓・ 以上、『1』終劇!どうでしょう?『1』の展開は飲み込めました? 『2』以降はますます複雑な要素がからみ合うようになってきますが、このブログをご参考の一助にしてください。■ ©MM?New Line Productions, Inc.All Rights Reserved